「覆水盆に返らず」は、一度離縁した夫婦の仲は元には戻らないという意味に使われ、また一度起きてしまったことは取り返しがつかないたとえにも使われますが、これは紀元前11世紀ごろ、周王朝の創建に功績のあった呂尚(太公望)にまつわる故事に基づいています。
呂尚がまだ若いころ、馬氏という女性と夫婦になりましたが、 呂尚は、毎日のんきに読書ばかりしていて、少しも働こうとしません。家計はすっかり左前になり、愛想をつかした妻の馬氏は、自ら離縁し、さっさと実家へ帰ってしまいました。
その後、呂尚は、周の西伯(文王)の知遇をえて、諸侯として斉に封ぜられ、身分の高い人物になります。ある日、呂尚の行列が進む傍らに、うずくまって拝している女がありました。見れば、前妻の馬氏です。馬氏は前非を悔いて、
「私はあのとき、あなたの勉学のお邪魔にならないようにと思い、実家に帰らせていただきました。昔、苦労を共にした私は、もう一度妻としておそばに仕えしとうございます」
と、復縁を懇願しました。すると呂尚は、水の入った盆を持ってきて、水を地面にこぼし、馬氏にその水を掬(すく)えと言います。しかし、水は地面に吸いこまれて、彼女が掬えるのは泥ばかりでした。
そこで呂尚 が言いました。
「一度こぼれた水は二度と盆の上に返すことはできない。それと同じように、私とお前との関係も、元に戻ることはあり得ない」
前妻は返す言葉もなく、立ち去ったといいます。それにしても、元の夫が出世したとたんに、よりを戻そうとするなんて、自分勝手もいいところです。呂尚の対応は冷静ですが、それだけに強い怒りが伝わってきます。なお、ここでの「盆」は、食器などを載せる盆ではなく、素焼きで浅めの容器をさします。
〜王嘉『拾遺記』
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