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鼎の軽重を問う

 鼎(かなえ)というのは、中国古代の土器または青銅器の一種で、三本の足がある大きな釜のことです。ここでの鼎はその中でも特別なもので、中国最古の王朝とされる夏(か)の始祖・兎王(うおう)が方々から集めた青銅で作らせた「九鼎(きゅうてい)」を指します。九鼎は、夏の歴代の王だけでなく、殷王朝や周王朝にも受け継がれ、王権を象徴する大切な存在となっていました。
 
 しかし、春秋時代中期になって周の力が衰えてくると、各地の諸侯のなかには、表向きは周を尊重し臣従しているものの、内心では隙あらば周を倒そうと野心を抱く者が出てきました。戦国七雄の一つ、揚子江中流域を領有していた楚(そ)の荘王(そうおう)もその一人で、周王朝が所有している九鼎に強い興味を示します。
 
 その荘王が、西方の異民族を打ち破ったその足で周の都近くまでやってきて、自分の力を誇示しました。周の重臣・王孫満が出迎えると、荘王は、「例の九鼎とはいかなるものですかな?」と、大きさや重さについて王孫満に尋ねます。いかにも、やがて自分が天下を取り、九鼎を所有することになるのを示唆し、周王朝を軽んじるような物言いでした。
 
 それを察した王孫満は、「大きさや重さは、たいして重要ではありません。重要なのは、九鼎の所有者が、天から支配者たる使命を与えられているという点です。周があるのは徳によってであり、鼎によるのではありません。今、周の威光は衰えていますが、天はまだ国を改めると命じてはおられないのだから、鼎の軽重を問うべきではありません」と答えます。「力づくで九鼎を奪っても、支配者たる資格を天から認められたことにはならない、だからそれに取って代わろうなどという野心を抱いても無駄だ」と、王孫満は、荘王に暗に釘を刺したのでした。
 
 荘王は、「なるほど、武力で九鼎を奪っても世間が納得しないだろう。周を倒すのは時期尚早である」と悟り、周への侵攻を思いとどまったといわれています。この話から。「鼎の軽重を問う」は、統治者を軽んじてこれを滅ぼして天下を取ろうとすること、転じて、その人の実力を疑い、地位をくつがえし奪おうとすることを意味するようになりました。
 
 なお、九鼎は、周が秦に滅ぼされた際、川に沈んで行方不明になったといわれます。

〜『春秋左伝』宣公三年


夜郎自大

 「夜郎自大(やろうじだい)」という四字熟語があります。夜中にうさんくさい野郎が、何か勝手放題をするような雰囲気の字面ですが、そうではありせん。身の程知らずで偉そうな顔をしている態度を意味します。この「夜郎」というのは、中国の南西部にあった小国の名です。道もろくに整備されていないような辺境の地でしたが、夜郎王は、自国以外のことは全く無知でした。
 
 そこへ大国の漢(前漢)から使者がやってきて、夜郎王は「わが国と漢とは、どちらが広大か?」と、大真面目に尋ねたのでした。そこから、漢人がバカにして言った「夜郎自らを大とす」、すなわち「夜郎自大」という言葉が生まれました。くれぐれも、「野郎自大」と書き間違えないように注意してください。
 

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故事成句

懸頭刺股(けんとうしこ)

苦労して勉学にはげむことのたとえ。また、眠気をこらえて勉強することのたとえ。「頭を懸け股を刺す」とも読む。

漢の時代、孫敬(そんけい)は、勉強中の眠気をこらえるために頭を天井から下げた紐にかけて、机にうつぶせになるのを防ぎ、また戦国時代のの蘇秦(そしん)は、眠くなると自分の内股を錐(きり)で刺して読書に励んだという故事から。

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