巻第3-395~397
395 託馬野(つくまの)に生(お)ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)めいまだ着ずして色に出(い)でにけり 396 陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 397 奥山(おくやま)の岩本菅(いはもとすげ)を根(ね)深めて結びし心忘れかねつも |
【意味】
〈395〉託馬野(つくまの)に生い茂る紫草で着物を染めて、未だに着ていないのに、もう紫の色が人目に立ってしまいました。
〈396〉陸奥(みちのく)の真野の草原は、遠いけれど面影としてはっきり見えるというのに、近くにいるはずのあなたはどうして見えてくれないのでしょうか。
〈397〉山奥の岩かげに生えている菅草の根のように、ねんごろに契り合ったあの時の気持ちは、忘れようにも忘れられません。
【説明】
笠郎女(かさのいらつめ:笠女郎とも)は、大伴家持が若かったころの愛人の一人で、宮廷歌人・笠金村の縁者かともいわれますが、生没年も未詳です。金村はそれほど地位の高い官人ではなかったため、郎女も低い身分で宮廷に仕えていたのでしょう。二人が関係に至った経緯は不明ですが、名門のエリートだった家持とは身分の隔たりがありました。郎女の歌は『万葉集』には29首が収められており、女性の歌では大伴坂上郎女に次ぐ2番目の多さです。そのすべてが家持に贈った歌ですが、時間的推移がみられ、一どきにではなく、ある程度の期間にわたって贈ったもののようです。いずれの歌も、片思いに苦しみ、思いあまった恋情が率直に歌われています。
395の「託馬野」は所在未詳ながら、「つくまの」と訓んで、現在の滋賀県米原町筑摩あたりとする説や、「たくまの」と訓んで、肥後国託麻郡(現在の熊本市東部)の地とする説などがあります。「紫草」は、根を乾かして染料とした野草で、「託馬野に生ふる紫草」を家持に譬えています。「着る」は契りを結ぶことの喩えで、約束だけで、まだ共寝もしていないのに顔色にあらわれてしまった、と言っています。
396の「真野」は、福島県南相馬市の真野川流域で歌枕とされた地。陸奥の真野の草原を、家持に喩えています。395と同じく遠い地を家持に譬えているのは、なかなか逢うことができない相手を恨む気持ちからのことと思われます。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。397の上3句は「結びし」を導く序詞。「根深めて」は、深い根のように深く心を込めて、の意で、深く契りを交わすことの喩え。
なお、明治の文豪・森鴎外が主宰した「新声社」同人による訳詩集『於母影(おもかげ)』は、笠郎女の396の歌が題名の典拠となったといわれます。鴎外はドイツ留学中にエリーゼという女性と恋に落ち、結婚を考えるようになったものの、周囲から反対されて別れています。鴎外を追ってはるばる日本にやって来た彼女は、追い返される破目になり、その失意のほどはいかばかりであったでしょう。鴎外が笠郎女のこの歌に接した時、彼の脳裏に浮かんだのは、遠くドイツにいるエリーゼの面影だったかもしれません。
397の「岩本菅」は、岩の本に生えている菅。笠などにする湿地の菅とは異なり、山地に生える山菅(ヤブランともいう)のこと。「奥山の岩本菅を根深めて」は、家持に対する深い恋情を具象的に言ったもので、比喩に近い序詞。窪田空穂は、「気分だけをいったものであるが、技巧の力によって、軽くなりやすいものを重からしめているもので、才情を思わしめる歌である」と述べています。ここの3首は見事なまとまりをもって作られており、「恋の始まり」を表現する譬喩歌と捉えられています。しかし、それぞれの地名に付随する自然が、「野」「草原」「奥山」とだんだん遠ざかっており、早くも報われない恋を予感させるものになっています。
巻第4-587~592
587 我(わ)が形見(かたみ)見つつ偲(しの)はせあらたまの年の緒(を)長く我(あ)れも思はむ 588 白鳥(しらとり)の飛羽山(とばやま)松の待ちつつぞ我(あ)が恋ひわたるこの月ごろを 589 衣手(ころもで)を打廻(うちみ)の里にある我(わ)れを知らにぞ人は待てど来(こ)ずける 590 あらたまの年の経(へ)ぬれば今しはとゆめよ我(わ)が背子我(わ)が名(な)告(の)らすな 591 我(わ)が思ひを人に知るれや玉櫛笥(たまくしげ)開(ひら)きあけつと夢(いめ)にし見ゆる 592 闇(やみ)の夜(よ)に鳴くなる鶴(たづ)の外(よそ)のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに |
【意味】
〈587〉私の思い出の品を見ながら、私を思ってください。私もずっと長くあなたを思い続けますから。
〈588〉白鳥の飛ぶ飛羽山の松ではありませんが、あなたのおいでになるのを待ちながら、ずっと慕い続けています、この何ヶ月間も。
〈589〉打廻の里に私が住んでいることをご存知ないために、いくらお待ちしても来て下さらなかったのですね。
〈590〉お逢いしてから年月が流れ、今ならさしさわりはないなどと、気軽に私の名を口になさらないで下さい。
〈591〉私の恋心を、人に知られてしまったのでしょうか。玉櫛笥の蓋が開けられてしまった夢を見ました。
〈592〉闇夜に鳴く鶴が、声ばかりで姿を見せないように、よそながらあなたの噂を聞くばかりなのでしょうか、お逢いすることもないままに。
【説明】
587の「形見」は、その人の身代わりとして見る品。ここは、郎女が自身の代わりとして家持に贈った品。「偲はせ」は「偲ふ」の敬語による命令形。「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒」の「緒」は、年と同じく長く続いている物であるところから添えた語。窪田空穂はこの歌について「形見として贈った品に添えたもので、挨拶にすぎないものであるが、さっぱりした中に訴えの心を含ませ、落着いていて弛みのないものであって、歌才の凡ならざるを示している」と評しています。
588の「白鳥の」は「飛ぶ」と続けて「飛羽山」の枕詞。「飛羽山」は、山城国の鳥羽山か。上2句が「待つ」を導く序詞。白鳥→飛ぶ→飛羽山松→待つと、韻と意味を巧みに転回させ、下句の恋の告白へと繋いでいます。「月ごろ」は、幾月か。589の「衣手」は、衣を打つことからくる「打廻」の枕詞。「打廻の里」は、所在未詳。「知らに」は、知らないので。家持が郎女の家を知らないはずはなく、家持があまりに疎遠にするので、恨みの気持ちからわざと誇張して言っています。588の歌と併せて贈ったものとみえます。
590の「あらたまの」は「年」の枕詞。「今しはと」の「し」は、強意。今なら差し障りはないと思って。「ゆめよ~な」は、強い禁止。591の「玉櫛笥」の「玉」は美称で、櫛などを入れる箱。郎女が見たという櫛笥の蓋が開けられた夢は、秘密にしていた恋が露見する兆しだとして、590の歌と併せて家持に贈って注意を促したものとみえます。窪田空穂はこれらの歌を、年下の者を諭すがごとき口吻が明らかであると言っています。
また、592は上の2首とは別な時に詠んで贈ったものと思われるとして、「家持の疎遠にするのを嘆いて訴えたものであるが、しっかりとした調べの中に、訴えの心を漂わさせているもので、その人柄のみならず年齢をも想像させるところがある。『闇の夜に鳴くなる鶴の』という譬喩は、当時は鶴が少なからずいたとみえるから、取材としては平凡なものであるが、気分をあらわす上では適切なものである。ものを思わせられている夜の高い声の鶴は、女郎より見ると貴公子としての家持をさながらに思わせるに足るものであり、また遠情を誘うものでもあったろうと察せられる」と述べています。上2句は「外のみに聞き」を導く序詞。
巻第4-593~597
593 君に恋ひ甚(いた)も術(すべ)なみ奈良山(ならやま)の小松が下に立ち嘆くかも 594 我(わ)が屋戸(やど)の夕影草(ゆふかげくさ)の白露の消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも 595 我(わ)が命の全(また)けむ限り忘れめやいや日に異(け)には思ひ増すとも 596 八百日(やほか)行く浜の真砂(まなご)も我(あ)が恋にあにまさらじか沖つ島守(しまもり) 597 うつせみの人目(ひとめ)を繁(しげ)み石橋(いしばし)の間近き君に恋ひわたるかも |
【意味】
〈593〉あなたが恋しくてどうしようもなく、私は奈良山の小松の下に立って嘆いています。
〈594〉私の家の庭の、夕暮れに見る草の白露がやがて消えてしまうように、見も心も消えてしまうほどあなたのことばかり思っています。
〈595〉私の命がある限り、どうして忘れることがあるでしょうか。日ごとに増すことはあっても、生涯かけて忘れることはありません。
〈596〉八百日もかかって行くほどの長い浜辺の砂の数だって、私の恋心にまさることがありましょうか、どうでしょう、沖の島守さん。
〈597〉現実の人の目がうるさいので、飛び石を渡って逢いに行けるほど間近にいますのに、あなたに逢えずにただ恋い慕っています。
【説明】
593の「甚も術なみ」は、ひどく、どうしようもなく。「奈良山」は、奈良の北の京都府に接するあたりの丘陵地。笠郎女の家はおそらく奈良山の近くにあったとみえ、その南が、大伴氏の邸があった佐保です。597に「石橋の間近き君」とありますから、二人の家はごく近かったのでしょう。「かも」は、詠嘆。この歌は独泳に近いものですが、窪田空穂は、「心も事もきわめて単純であって、単純を風とした上代の歌にあっても最も単純なものである。しかるにこの歌は、女郎の全幅をあらわしつくしている感を起こさせるもので、これを読むと、女郎のその時の状態、その時の心の全部が一体となって、躍如として現われている感を起こさせる」と述べています。
594の上3句は「消ぬ」を導く序詞。「屋戸」は、庭先。「夕影草」はここだけにしかない語で、特定の草の名ではなく夕日に照り映える草の意。笠郎女の造語とされ、歌人の日高堯子は、「この一語で、夕日を受けて穂や葉を光らせる草叢や、透き通った空気までが感じられる」、また、「結句に『恋ふ』よりも内省的な『思ふ』ということばが使われていることが、密やかな表情をいっそう濃くしている」、そして、「24首の中でも、ひときわ可憐な歌はおそらくこの1首だろう」と言っています。「もとな」は、みだりに、たまらなく。595の「全けむ限り」は、続く限り。「いや」は、いよいよ、ますます。「日に異には」は、日を追うごとに。596の「八百日」は、甚だ多い日数を示す表現。「あにまさらじか」は、決して勝らないだろう。「島守」は、島の番人。597の「うつせみの」は「人」の枕詞。「人目を繁み」は、人目が多いので。「石橋」は、川の浅瀬に飛び石を置いて橋としたもの。「石橋の」は「間近き」の枕詞。
斎藤茂吉は、593・594を極めて流暢に歌いあげているとして秀歌に掲げ、笠郎女の歌について次のように言っています。「相当の才女であるが、この時代になると、歌としての修練が必要になってきているから、藤原朝あたりのものとも違って、もっと文学的にならんとしつつあるのである。しかしこれらの歌でも如何に快いものであるか、後代の歌に比べて、いまだ万葉の実質の残っていることをおもわねばならない」。
また窪田空穂は、593について「この歌は、心も事もきわめて単純であって、単純を風とした上代の歌にあっても最も単純なものである。しかるにこの歌は、郎女の全幅をあらわしつくしている感を起こさせるもので、これを読むと、郎女のその時の状態、その時の心の全部が一体となって、躍如として現われている感を起こさせる」と言い、594については「『消ぬがにもとな念ほゆる』は、極度の感傷状態であるが、その『消』のために設けた『吾が屋戸の夕影草の白露の』は、巧緻なものである。これは序詞ではあるが、譬喩の心の濃厚なものであって、しかも『夕影草の白露』は、知性と感性との鋭敏に働いているものである。一首、ほとんど取り乱した心の表現であるが、表現に際しては十分の客観性をもたせているもので、この矛盾の統一は、一に歌才のいたすところである」と言っています。
巻第4-598~603
598 恋にもぞ人は死にする水無瀬川(みなせがは)下(した)ゆ我(わ)れ痩(や)す月に日に異(け)に 599 朝霧(あさぎり)のおほに相(あひ)見し人(ひと)故(ゆゑ)に命(いのち)死ぬべく恋ひわたるかも 600 伊勢の海の磯(いそ)もとどろに寄する波(なみ)畏(かしこ)き人に恋ひわたるかも 601 心ゆも我(わ)は思はずき山川(やまかは)も隔(へだ)たらなくにかく恋ひむとは 602 夕されば物思(ものもひ)まさる見し人の言問(ことと)ふ姿(すがた)面影(おもかげ)にして 603 思ふにし死にするものにあらませば千(ち)たびぞ我(わ)れは死に返(かへ)らまし |
【意味】
〈598〉恋によってでも人は死にます。水無瀬川の水のように忍ぶ恋の思いから、私は日に日に痩せていきます。
〈599〉朝霧のようにおぼろげにしかお逢いしないお方なので、私は死ぬほど恋しく思い続けています。
〈600〉伊勢の海にとどろく波のように、身も心もおののくような人を恋い続けているのですね。
〈601〉心にも思ってもみませんでした。間が山や川で隔てられているわけではないのに、こんなに恋い焦がれることになるとは。
〈602〉夕方になると物思いがまさってきます。お逢いしたあなたが話しかけてくださった姿が面影となって現れてくるので。
〈603〉人が恋焦がれて死ぬというのでしたら、私は千度でも死んでまた生き返ることでしょう。
【説明】
598の「水無瀬川」は、ごろごろとある石の下に水が流れていて、水のないように見える川のことで、「下(目に見えない所)」の枕詞。599の「朝霧の」は「おほ」の枕詞。「おほ」は、明瞭でない状態、おぼろげなさまを示す語。歌人の日高堯子は、「単にことばの上の働きばかりでなく、朝霧の中で二人が出逢って別れたような無限的な情景も想像させる。あるいはほんの少しの逢瀬があったばかりに、恋の火がいやさらに燃え上がったのだろうか。女郎の恋は、いわばはじめから成就を望めない、悲劇的な恋であった。だが、悲劇的な恋ゆえに、歌はいっそうの輝きと力を得たともいえようか」と述べています。
600の上3句は「畏き」を導く序詞。「畏き人」は、身分の高い人。家持は旧家の名門の御曹司でしたから、笠郎女は社会的階級からいえば、その家柄は劣っていたのでしょう。ただし、ここでは、単に畏れ多いという意味のほかに、その心の測り難さをも「畏き」と表しているかのようです。
601の「心ゆも」の「ゆ」は、発する場所を表す「~より」。602の「夕されば」は、夕方になれば。「見し人」は、性的交渉をもった愛人の意で、家持のこと。「言問ふ」は、言葉をかける、尋ねる。「夕されば物思まさる」のは、夕方が男が訪ねてくる「ヨバヒ」の時間だったからです。恋する身にとっては、二人でいた時の、相手の何でもない言葉や仕草さえも、心に残って忘れられないもの。郎女は、あの日、あなたが私に話しかけてくださった、その時のお顔と口もとのあたりが浮かんできて・・・と、切なくも具体的に恋の実感をうったえています。
603の「思ふにし」の「し」は、強意。「ませば~まし」は、反実仮想。「死に返る」は「生き返る」の反対の言い方になっていますが、ここでは恋死にすることに強い意味を置いているためで、誇張した表現になっています。この歌は、『人麻呂歌集』にある「恋するに死にするものにあらませば我が身は千たび死に返らまし」(巻第11-2390)の歌を原拠としているようです。そのため郎女の手柄にならないという意見が多いのですが、言葉の続き具合はかえって郎女の作の方が自然であるとする意見もあります。また、窪田空穂は、これを後世の本歌取りのようにとらえています。
巻第4-604~608
604 剣(つるぎ)太刀(たち)身に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ何の兆(さが)そも君に逢はむため 605 天地(あめつち)の神の理(ことわり)なくはこそ我(あ)が思ふ君に逢はず死にせめ 606 我(わ)れも思ふ人もな忘れおほなわに浦(うら)吹く風のやむ時もなし 607 皆人(みなひと)を寝よとの鐘(かね)は打つなれど君をし思へば寐(い)ねかてぬかも 608 相(あひ)思はぬ人を思ふは大寺(おほてら)の餓鬼(がき)の後(しりへ)に額(ぬか)づくがごと |
【意味】
〈604〉昨夜、剣太刀を帯びる夢を見ました。何の兆しでしょうか。あなたに逢える兆しでしょうか。
〈605〉天地の神々に正しい道理がなければ、結局私は、あなたに逢えないまま死んでしまうでしょう。
〈606〉私もあなたを思っていますから、あなたも私のことを忘れないで下さい。浦にいつも吹いている風のように止む時もなく。
〈607〉みなさん、寝る時間ですよと鐘は打たれるけれど、あなたのことを思うと、とても眠れません。
〈608〉互いに思い合わない人をこちらで思うのは、大寺の餓鬼の像を、それも後ろから拝むようなものです。
【説明】
604の「剣太刀」は諸刃の太刀。「兆」は、前兆。男の道具である剣太刀が身に添うということから家持に逢えるのだと判じているもののようです。605の「理」は、正しい判断。「なくは」は、ないならば。「死にせめ」は、死んでしまうでしょう。「め」は「こそ」の結で、已然形。606の「な忘れ」の「な~(そ)」は、禁止。下に「そ」がないのは古い形式。「おほなわに」は、語義未詳。
607の「皆人を寝よとの鐘」の「鐘」は、当時の都にあった陰陽寮(おんみょうりょう)という役所が時刻を知らせるために鳴らしていた鐘のこと。『延喜式』には、時鐘の数が記されており、寝る時刻の鐘は、亥の刻(午後10時ごろ)に4回鳴らされることになっていました。「寐ねかてぬ」は、眠れない。国文学者の武田祐吉は、「夜、君を思って眠りをしかねるという歌は多いが、これは亥の時の時鐘を描いている点に特色がある。その具体的な叙述によって、歌が生きている」と評しています。
608の「大寺」は、奈良四大寺の大安寺・薬師寺・元興寺・興福寺。「餓鬼」は、仏教による三悪道の第二の餓鬼道に落ちた亡者のこと。飢餓に苦しみ、痩せ細って腹だけがふくれあがり、仏像の足元に踏みつけられた姿があります。いくら待っても一向に通ってこようとしない家持を強烈に皮肉り、また、自分は、祈願の対象とすべきではない餓鬼の像の後ろから一心にお祈りをしているようなものだと、報われない恋を嘲笑っているかのようです。深刻さを通り越して諧謔めいていますが、その恨み節には家持もたじろいだのではありますまいか。
斎藤茂吉は「仏教の盛んな時代であるから、才気の豊かな女等はこのくらいのことは常に言ったかも知れぬが、後代の吾等にはやはり諧謔的に心の働いた面白い」歌と言い、また「女の語気を直接に聞き得るごとくに感じ得る」と言っています。また窪田空穂は、「愚痴をいわず、恨みは、『大寺の餓鬼の後に額づく如し』という譬喩に託したのであるが、きわめて適切な、したがって新しい、類を絶した譬喩というべきである」と評しています。
郎女はこの歌を捨て台詞のように残して、生まれ故郷に帰ってしまいます。あるいは、意に反して帰郷させられたとも言われます。郎女がその後、どのような生涯を終えたのか知るすべもありません。
巻第4-609~610
609 心ゆも我(わ)は思はずきまたさらに我(わ)が故郷(ふるさと)に帰り来(こ)むとは 610 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ |
【意味】
〈609〉私は思いもよりませんでした、再び故郷に帰ってこようとは。
〈610〉近くにいるのであれば、たとえお逢いできなくとも耐えられますが、さらに遠くなってしまったので、生きていけそうにありません。
【説明】
家持との関係が破綻した郎女は、「我が故郷」に戻ることになります。したがって、ここの2首は「我が故郷」から贈られたもののようです。郎女は、意に反して帰郷させられたらしく、このままでは二人のためによくないと案じた人物がいたことになります。609の「心ゆも」の「ゆ」は、発する場所を表す、~より。「故郷」は、平城遷都後はふつう飛鳥・藤原京の地域をさしますが、郎女の故郷でもあったのか、あるいはもと住んでいた里、郷里の意に使用しているのでしょうか。前の歌の昂奮した口ぶりから一転し、家持に対して抱いている長い間の恨みを総括し、これを言外に置いての言い方をしています。
610の「いまさば」は、居ればの敬語。「有りかつましじ」の「あり」は、生きる、「かつ」はできる、「ましじ」は、後世の「まじ」にあたる古形で、打消推量。上の歌に次いで起こった気持ちをうたっており、いったん見切りをつけたものの、その覚悟が十分でなかったためか、新たな寂しさを痛感しています。
巻第8-1451・1616
1451 水鳥(みづどり)の鴨(かも)の羽色(はいろ)の春山(はるやま)のおほつかなくも思ほゆるかも 1616 朝ごとに我(わ)が見る宿(やど)のなでしこの花にも君はありこせぬかも |
【意味】
〈1451〉水鳥の鴨の羽色のような春の山が、ぼんやり霞んでいるように、あなたのお気持がはっきりと分かりません。
〈1616〉毎朝私が見る庭のナデシコの花が、あなたであってほしい。
【説明】
1451の「水鳥の」は「鴨」の枕詞。上3句は「おほつかなくも」を導く序詞。不安な気持ちを、霞がかかってぼんやりとしか見えない春の山に喩えています。詩人の大岡信はこの歌について、「郎女の特色であるイメージの客観的迫力において、抜群のものがある」として、「水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも」という譬喩は、万葉集全作品の中でも有数の鮮烈な魅力をもった譬喩ではないか、と評しています。この歌は巻第8の「春の相聞」の中に置かれており、郎女の恋歌の中では初期のものであろうといわれます。たしかに巻第4の一連の歌から感じられる恋の激しさ、自虐、諦念とは違い、情感に初々しさがあります。また、逃げ腰で冷淡ともいえる家持に対し、郎女は時には強く恨み、時には婉曲に訴えていますが、この歌はかなり婉曲的といってよい訴えとなっています。
なお、巻第20に家持が、天平宝字2年の正月7日の侍宴のために予め作ったという歌「水鳥の鴨の羽音の青馬を今日見る人は限りなしといふ」(4494)が載っており、家持は郎女の歌を手にすることによって「習作」つまり「歌学び」の対象とした可能性が指摘されています。こうした恋物語においても、お互いに「歌学び」の機会が大いにあったことは想像に難くありません。
1616の「宿」は、家の敷地、庭先。「ありこせぬかも」の「こせ」は、希求の意、「ぬかも」は、願望。窪田空穂は、「女郎の歌としては平凡なものであるが、三句以下は、まつわりつくがごとき調べをもっている」と評しています。ここの2首は、巻第3の連作(395~397)につながりのあるものとされます。
笠郎女の歌は、巻第3の譬喩歌に3首、巻第4の相聞歌に24首、巻第8の春と秋の相聞に1首ずつあります。これらの巻はほぼ年代順に並べられており、前後の歌との比較から笠郎女の歌は天平5年ごろのごく短い期間に作られたものとされています。この時の郎女の年齢は不明ですが、家持は15歳前後だったことになります。
窪田空穂は、歌人としての笠郎女について次のように述べています。「笠郎女は、その歌に現れているところから見ると、知性のもつ強さと、感性のもつ柔らかさを兼ね備えている人で、それが融け合って一つとなり、しかも互いに陰影となり合っているという趣きをもった人である。同時に歌才の豊かな人で、充実し、緊張した感を、余裕をもって細かくあらわしうる人で、歌人として集中でも傑出した一人である」。また、「この時期を代表する女流歌人は、大伴坂上郎女とこの笠郎女である。坂上郎女の聡明と、落ち着きと、また階級よりくる気品の点では、笠郎女は及ばない。しかし笠郎女のもつ庶民に近い熱意と奔放とまた世代の若さよりくる溌剌さとは、坂上郎女のもち得なかったものであり、さらにまたいかなる境をも詠み生かす詩情の豊かさにおいては、笠郎女のほうが遙かにまさっているといえる」
巻第4-611~612
611 今更(いまさら)に妹(いも)に逢はめやと思へかもここだわが胸いぶせくあるらむ 612 なかなかに黙(もだ)もあらましを何すとか相(あひ)見そめけむ遂げざらまくに |
【意味】
〈611〉今はもう重ねてあなたに逢えないと思うからでしょうか、私の心がこんなに鬱々として沈むのは。
〈612〉なまなかに声などかけないほうがよかったかもしれません。どうして逢瀬を始めたのか、初めから二人が結ばれることはあり得なかったのに。
【説明】
611の「今更に」は、今は重ねて。「ここだ」は、甚だしく。「いぶせく」は、心が晴れない。612の「なかなかに」は、なまなかに。「黙」は、黙っていること。「何すとか」は、どうしようと思って。「遂げざらまくに」の「まく」は、推量。
笠郎女に対する家持の返歌は、ここに掲げた、意気の上がらない2首が残されているのみです。どうやら最初に声をかけたのは家持のほうだったようです。しかし、彼女のあまりの熱情に、さすがのプレイボーイも気圧されてしまったのでしょうか、とくに612では、関係を持ってしまったことへの後悔の気持ちが見え隠れしています。
詩人の大岡信は、当時の日本の恋人たちは、男よりも女の方が格段に強い個性の持ち主に育っていくケースが多かったのではないかと言い、それは必ずしも幸福感をもたらすものではなく、むしろその逆であった、と。なぜなら、彼女らはしばしば「わが意に反して」強くなっていったからで、その原因は多くの場合、男が作っていた。笠郎女と家持の関係は、その典型的なものだっただろうと言っています。
一方、作家の大嶽洋子は次のように語っています。「(家持の)プレイボーイぶりにはいささか胸のもたれるような感もある。その上、今でいうオタクっぽいところがあったのだろうか、愛人たちとの相聞歌を後生大事に彼の文箱に保存していたということ。私はなんだか一昔前の文学青年のような、自分の心はすっかり冷めているのに、たまさか古い愛人の苦しい嘆きの歌を取り出して読みながら、その女人の愛の苦悩の表白に感動するというようなドン・ファンぶりが気に入らない」
しかしながら、実際に郎女からの贈歌に対する家持のこたえた歌が無かったとは考えられません。折々に相聞往来した歌々から、敢えて女性の側からの歌だけを一括してまとめているのであり、それは、現実に贈答された歌であるのを捨て去ることによって、一人の女性の恋の様相を浮き彫りにしようとする意図によるものと察せられます。そこに短歌24首(巻第4-587~610)でひとつの〈作品〉としての達成があると捉えることができるのです。
巻第3-414
あしひきの岩根(いはね)こごしみ菅(すが)の根を引かばかたみと標(しめ)のみぞ結(ゆ)ふ |
【意味】
山の岩がごつごつしていて、そこに生えている山菅の根は、引いてもかたくて抜けないので、わが物との標縄を張っておくだけにしよう。
【説明】
笠郎女に贈ったというのではなく、414にぽつんと載っている歌ですが、何となく397の歌との関連を思わせるような、意味深長な歌です。「あしひきの」は山の枕詞ですが、ここでは「山」の意に用いています。「岩根」は、大きな岩。「こごしみ」は、ごつごつしていて。
巻第3-403
朝に日(ひ)に見まく欲(ほ)りするその玉をいかにせばかも手ゆ離(か)れずあらむ |
【意味】
朝も昼もいつも見ていたいと思うその玉なのに、いったいどうしたら手から離れることのないようにできるだろう。
【説明】
「坂上家の大嬢」は、大伴宿奈麻呂と坂上郎女との子で、家持の従妹にあたり、後に家持の妻となった人です。この歌は『万葉集』に出てくる家持の歌としては最初のものです。笠郎女に対しては冷たい態度をとっていた家持ですが、大嬢にはご執心だったようで、朝も昼も見ていたい玉を、大嬢に喩えています。家持の歌が上達するのは、これよりしばらく後のことで、若き日の初々しい1首となっています。これに大嬢が答えた歌はありません。
巻第3-408
なでしこのその花にもが朝(あさ)な朝(さ)な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ |
【意味】
あなたがなでしこの花であったらいいのに。そうしたら、朝が来るたびに手に持って、いつくしまない日はないだろうに。
【説明】
「朝な朝(さ)な」は「あさなあさな」の約。「にもが」は、願望。ナデシコは、秋の七草の一つで、夏にピンク色の可憐な花を咲かせます。我が子を撫でるように可愛らしい花であるところから「撫子(撫でし子)」の文字が当てられています。そのため、『万葉集』でも、ナデシコを擬人化したり、人と重ね合わせたりして多くの歌に詠まれています。
巻第8-1448
我(わ)がやどに蒔(ま)きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む |
【意味】
我が家の庭に撒いたナデシコは、いつになったら花として咲くのだろう。時期が来て咲いたら、あなたと思って眺めます。
【説明】
天平4年(732年)、家持14歳頃の作か。「いつしかも」は、いつか早く。「なそへつつ」は、なぞらえて。ナデシコの花を大嬢に譬え、その成長を期待しています。
⇒大伴家持と大伴坂上大嬢の歌(巻第4-727~731ほか)
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