巻第6-948~949
948 ま葛(くず)延(は)ふ 春日(かすが)の山は うちなびく 春さり行くと 山峡(やまかひ)に 霞(かすみ)たなびき 高円(たかまと)に うぐひす鳴きぬ もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 雁(かり)がねの 来継(きつ)ぐこのころ かく継ぎて 常にありせば 友(とも)並(な)めて 遊ばむものを 馬(うま)並(な)めて 行かまし里を 待ちかてに 我(わ)がせし春を かけまくも あやに畏(かしこ)く 言(い)はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥(ちどり)鳴く その佐保川(さほがは)に 岩に生(お)ふる 菅(すが)の根取りて しのふ草(くさ) 祓(はら)へてましを 行く水に みそぎてましを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み ももしきの 大宮人(おほみやひと)の 玉桙(たまほこ)の 道にも出(い)でず 恋ふるこのころ 949 梅柳(うめやなぎ)過ぐらく惜(を)しみ佐保(さほ)の内(うち)に遊びしことを宮もとどろに |
【意味】
〈948〉葛がはう春日の山には、春が来たとて、山峡には霞がたなびき、高円山にはウグイスが鳴いている。帝に仕える多くの官人たちは、北に帰る雁が次々に飛んでいくこのごろ、何事もないままだったならば、友と連れ立って遊びに出かけるはずだったのに、馬を並べて行くはずの里だったのに、それほど待ち遠しかった春だったのに、心にかけるのも、また、言葉に出すのも恐れ多いような、こんなことになるのが分かっていたなら、千鳥が鳴くあの佐保川で、岩に生えた菅の根を抜き取り、憂いの種をお祓いで取り払っておけばよかったのに、流れる水でみそぎをしておけばよかったのに、大君の恐れ多い禁令が出て、大宮人たちは道に出ることもできず、春の野山を恋い焦がれている今日このごろだ。
〈949〉梅や柳の盛りが過ぎるのが惜しくて、佐保の内で遊んでいたというだけで、宮廷がとどろくばかりに大騒ぎして。
【説明】
題詞に「神亀4年(727年)の春正月、諸王諸臣子等に勅して授刀寮(じゅとうりょう)に散禁(さんきん)させたときに作った歌」とあります。「授刀寮」は、帯刀して天皇の身辺を警護する舎人たちを掌る役所。のちの近衛府。「諸王諸臣子等」は「授刀寮」に勤務する職員のことで、「王」は長官である王たち、「諸臣子」はその部下の臣下。「散禁」は「散ることを禁ずる」、すなわち外出禁止命令。
左注には次のような説明があります。「神亀四年の正月に、皇族や臣下の子弟たちが春日野に集まって打毬(だきゅう)の遊びをした。その日、にわかに空が曇り、雨が降って雷が鳴った。このとき宮中に馳せ参ずべき侍従や侍衛がいなかった。勅命によって職務怠慢の処罰が行なわれ、みなを授刀寮に閉じ込め、みだりに外出することを許さなかった。そこで心が晴れぬままにこの歌を作った。作者未詳」。「打毬」は、杖で毬を打ち、相手方の毬門に入れて争う遊技。ポロの前身とされるもので、ペルシア方面から広がり、唐を経て日本の宮廷にも伝わりました。
948の「ま葛延ふ」は「春日の山」の枕詞的な修飾句。「うちなびく」は「春」の枕詞。「山峡」は、山と山の間。「高円」は、奈良市の東南、春日山から高円山にかけての一帯。「もののふの八十伴」は、文武百官。ここでは授刀舎人ら。「雁がね」は、雁。「来継ぐ」は、通り続ける。「かけまくもあやに畏く」は、心の中で思うのも畏れ多く。「ゆゆし」は、畏れ多い。「佐保川」は、春日山から発して佐保の里を流れる渓流。「しのふ草」は未詳。「ももしきの」は「大宮人」の枕詞。「大宮人」は朝廷の百官の称。ここでは授刀舎人ら。「玉桙の」は「道」の枕詞。
949の「梅柳」は、梅の花と柳の若葉。「過ぐらく」は、盛りの過ぎる意。「佐保」は、奈良市中央部北方の佐保川上流一帯。「佐保の内」とあるのは、春日の地は貴族の居住地である佐保の内なのに、という意味か。「とどろ」は、大きな音響を意味する副詞。
勤務中の警備の者が全員さぼって野原で遊んだのが、運悪くバレてしまい罰を受け、宮中が大騒ぎになったことを詠っていますが、長歌は第三者の立場、反歌は当事者の立場で詠まれています。長歌には悔悟の情が見えるものの、反歌では自分たちが勤務をさぼったのは、梅や柳の盛りの時季が過ぎるのを惜しんだからだと言い、自らの不幸をみやびと化しているところがあり、また「宮もとどろに」と、結果が大げさなことをも言っています。時代が泰平になり、仕事への緊張感が薄れてきたのか、職責に対する自覚のなさが窺えます。
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巻第6-975~977
975 かくしつつあらくを良(よ)みぞたまきはる短き命(いのち)を長く欲(ほ)りする 976 難波潟(なにはがた)潮干(しほひ)のなごりよく見てむ家なる妹(いも)が待ち問はむため 977 直越(ただこえ)のこの道にしておしてるや難波(なには)の海と名付(なづ)けけらしも |
【意味】
〈975〉こうしているのが楽しいからこそ、短い命であっても、少しでも長く続いてほしいと願うのだ。
〈976〉難波潟の潮干のなごりのさまをよく見ておこう。家にいる妻が待っていて、あれやこれや尋ねるだろうから。
〈977〉生駒をまっすぐ越えていくこの道においてこそ、昔の人は、押し照る難波の海と名付けたのだろう。
【説明】
975は、中納言・安倍広庭(あべのひろにわ)卿の歌。安倍広庭は、右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)の子。聖武天皇即位の前後に従三位に叙せられ、神亀4年(727年)に中納言に任ぜられた人で、長屋王政権下で順調に昇進を果たしました。『万葉集』には4首の歌があります。この歌は、宴席での駕の歌とされます。「かくしつつ」は、このようにして。「良み」は、良いので。「たまきはる」は「命」の枕詞。
976~977は、天平5年(733年)、神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ:伝未詳)が、草香山を越えたときに作った歌。草香山は、生駒山の西の一部。976の「難波潟」は、難波の浜の干潟。「潮干のなごり」は、潮が引いた後の水たまり。「家なる」は、家にある。977の「直越の道」は、奈良から西に向かい、直線的に生駒山を越えて難波へ出る道。龍田山を越える本道に対していうもの。「おしてるや」は隈なく照る意で、「難波」に掛かる枕言葉。「けらしも」は、~にちがいない。
巻第6-980・984
980 雨隠(あまごも)る御笠(みかさ)の山を高みかも月の出(い)で来(こ)ぬ夜(よ)は更(ふ)けにつつ 984 雲隠(くもがく)り行くへをなみと我(あ)が恋ふる月をや君が見まく欲(ほ)りする |
【意味】
〈980〉御笠の山があまりにも高いからか、月がなかなか出てこない。夜が更けていくというのに。
〈984〉雲に隠れて行方が分からないと、私が心待ちにしている月を、あなたも見たいとお思いでしょうか。
【説明】
980は、安倍朝臣虫麻呂(あべのあそみむしまろ)の月の歌。安倍虫麻呂は、従四位下・中務大輔。大伴坂上郎女は、虫麻呂の従姉妹にあたります。「雨隠る」は「御笠」の枕詞。「御笠の山」は、春日山の別名で、連山中の主峰の名。「高みかも」は、高いゆえであろうか。
984は、豊前国の娘子の月の歌。「娘子の字を大宅(おおやけ)という、姓氏は分からない」とあり、遊行女婦だったと推測されています。「行くへをなみ」は、行方がわからないので。「見まく欲りする」は、見たいと思うだろうか。ただし、この歌は、上掲の解釈では前半と後半の内容が結びつかないため、意味が分かりにくくなっています。そこで、単独の歌ではなく、同じ作者が詠んだ巻第4-709との一連の歌とみて別の解釈を試みているものがあります。709は次のような歌です。
〈709〉夕闇(ゆふやみ)は道たづたづし月待ちて行(い)ませ我(わ)が背子(せこ)その間(ま)にも見む
・・・夕闇は道がおぼつかないでしょう。月の出を待ってからお行きなさい。お帰りになるその間、月の光で後ろ姿を見送りましょう。
双方とも「月と恋人の男」を詠んだ共通の歌であることが分かります。そして、984は709の続きとして、「月が雲に隠れ、あなたが帰る道の行方が分からないからという口実であなたを引き留めることができるので、このまま隠れていてほしいと思っている月なのに、あなたはその月を早く見たいというのでしょうか」のように解釈しています。709と離れて配置されている984を、こうして並べてみると、どちらも、月が隠れていることを理由に、男の帰りを少しでも長く引き留めようとする女の気持ちが浮かびあがってきます。
巻第6-1008
山の端(は)にいさよふ月の出(い)でむかと我(あ)が待つ君が夜(よ)は更けにつつ |
【意味】
山の端でためらっている月のように、私が待っているあなたが(見えずに)、夜は更けていく。
【説明】
忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)が、友人の来るのが遅いことを恨んだ歌。忌部首黒麻呂は、天平宝字2年(758年)に外従五位下。「山の端」は、山の稜線。「いさよふ」は、ためらう、ぐずぐずして進まない。この歌とよく似た歌が、巻第7-1071、1084にあります。
なおこの歌は、第4・5句の「我が待つ君が夜は更けにつつ」を一続きのものと見れば、まともに意味がとれないことから、「手腕が足らぬ」とか「表現が難渋して一貫していない」などの低い評価が与えられています。窪田空穂も「手腕がたらぬために第四句のごとき無理のあるものとなった」と評しています。そして、多くの注釈書では、「我が待つ君が」を受ける「来まさね」あるいは「来たらず」のような表現が省略されたものだと説明しています。一方、同じ歌の中に「不知」「将出」という二種の漢文式の表記が含まれていることから、「待君」の2字も漢文式に返読して「我が君待ちし」と訓じれば、「我が君待ちし夜は更けにつつ」となって意味の通ずる一連の表現になるとする見方があります。動詞の返読表記の例は『万葉集』に約50例あるといいます。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
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(聖武天皇)