オーディオの音質改善に向けての飽くなき試み。スピーカーやアンプなどの基本的な機材の選択に始まって、セッティング、部屋の環境づくり、各種アクセサリーの導入・・・。まーいろいろあるわけですが、いずれにせよ、しっかりとした目的意識をもって臨むことが大切です。ちょっとした工夫で音が格段によくなったときの喜びはひとしおです。たとえばスピーカーの内振りの角度によってガラッと音の聴こえ方が変わったりしますもんね。そうした成功体験が次の試みに繋がる。
ただ、そんな音の違いを聴き分けるのは、誰もがすぐにできるわけではありません。思い起こせば私も、若いころの聴覚そのものはうんと鋭敏だったはずなのに、今思うと笑えるほど感じ方は鈍感で、違いの何たるかも分かっていなかった。単に「低音が迫力あるなー」くらいの程度。あれから鍛錬を重ね、今では少なからずレベルアップしたと思いますが、それも所詮は自分自身のなかでの比較に過ぎません。上には上があるし、また、明確なゴールもないでしょう。
ですからねー、たとえばある人がさまざまに音質改善を図り、音の違いを感じようとしている努力に対して、あれはナンセンスだとか、オカルトだとか、プラシーボ効果だと決め付けるのは、実のところ滑稽で愚かなことだと思うんです。それは自らの鈍感さを告白しているようなもの。音の違いが分からない人には、どう説明したって分からないし、説明のしようもない。
例えば、ケーブルの交換と音の変化に関して、ケーブルごとに諸々の測定数値を示して、変わるはずがないと主張する向きがあります。なるほど数値的にはそうかもしれません。しかし、それは数値に表せる部分についてのみ言っているのであって、数値だけでは感じえない部分だってある。自動車の例でいいますと、馬力もトルクも全く同じ数値のクルマだったら、どの車種も全く同じ乗り味かというと、決してそうではありません。また、たとえ同じ車種であっても、足回りとかボディ剛性とか、さまざまな改良を加えることで格段に変化してきます。そういうところはなかなか数値で表せるものではありませんし、むしろそちらの方で違いを感じることが多い。
オーディオだって同じだと思うんです。数値のほかに感覚でしか分からないところが多大にある。しかもその感覚の程度は人によって全然違います。また、しょせんは主観的なものですから、人によって追い求めるものもさまざまに違ってくる。仮にオカルトやプラシーボであったとしても、そういうのを感じ取る感覚があってもいいし、むしろすごいことだと思います。要するに、もう一度いいます、「分からない人には、絶対に分からない」。
かくいう私も、いま分かることも昔だったら絶対に分からなかっただろうし、今もなお分からないことだらけのはずです。別記事で申し上げた、スピーカーのミリ単位調整やバイワイヤリングに意義を見いだせないのも、あるいは私が単に鈍感で分からないのであって、それに文句を垂れるなど滑稽で愚かなことなのかもしれません。「語るに落ちる」ってか。なので、自今以後も、分かることが少しでも増えるよう、日々鍛錬していく所存です。
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