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教育勅語

 教育勅語は、明治23年(1890年)に発布された「明治天皇のお言葉」で、国民にとっては第二の憲法のような、道徳の絶対基準でした。学校では天皇の「御真影」と「教育勅語」がもっとも神聖なものとされ、特に昭和前期になると、入学式や式日などの行事のたびに奉読していたそうです。

 教育勅語は、戦後、GHQによって有無を言わさず廃止されてしまいましたが、その内容はどのようなものだったのでしょうか。原文は315字からなる、非常に難解な文章です。以下に原文と現代風に訳したものを併記します。 
 
【原文】
 朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心を一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育の淵源亦実ニ此ニ存ス
 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
 是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
(旧漢字は現代漢字になおしています。) 
 
【現代語訳】
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
 そして、国民は忠孝両全の道をまっとうして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげてきましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟は仲良く、夫婦は仲むつまじく、友人とは信じあい、そして自分の言動を慎み、人々には博愛の心で親切にし、学問に励み、職業に専念し、さらに知識を広め、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また憲法を大事にし、法律を守り、非常事態の発生の場合には、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
 そして、それらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が遺された伝統的な優れた点を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、皇室の子孫も臣民もともに守るべきものであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国でも、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、このことを自分自身によく言い聞かせ、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 
 教育勅語が、戦後ただちに廃止され、今でも軍国主義の象徴のように言われているのは「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼スベシ」の部分のせいです。しかし、教育勅語がつくられた時代背景と流れを見るならば、これは「徳川家や主家に対して忠誠を尽くしていた時代は終わった。これからは国家に忠誠を尽くしなさい」ということを言いたかったのが理解できると思います。当たり前といえば当たり前で、本来、目くじら立ててどうこう言う部分ではなかろうと思います。

 教育勅語がこの部分の前に説いているのは、日本人の伝統的な倫理観です。つまり、「親に孝養をつくしなさい」とか「友人や配偶者と仲良くしなさい」「身を慎んで、学業に励みなさい」「人格を修養しなさい」というようなことです。言われるまでもなく、古来、日本人が当たり前に美徳としてきたことばかりです。しかし、昭和になり、軍国主義の高まりとともに「天壌無窮ノ皇運」とか「億兆心ヲ一ニシテ」の部分が特に強調されるようになり、そのために戦後、教育勅語の一切合財が否定されてしまったのです。

 私たちの国は、このとき、軍国主義を捨て去ったのと同時に、古来引き継いできた大切な日本人の道徳観も置き去りにしてしまったのかもしれません。そして世代が新しくなり、知らず知らずのうちに人々の意識から遠退いてしまっている気がします。虚心坦懐にあらためてこれらの言葉に触れるとき、何か感じるところはありませんでしょうか。悲しいかな、何だかとても新鮮な言葉のように思えてしまうのです。

『古今集』をこき下ろした正岡子規

 明治時代を代表する文学者の一人・正岡子規は、「歌よみに与ふる書」と題した文章を新聞「日本」紙上に連載し、その中で『万葉集』や源実朝による『金槐和歌集』を高く評価する一方、『古今集』やその代表的歌人・紀貴之らを激しくこき下ろしています。

 「貴之は下手な歌よみにて『古今集』は下らぬ集」と言い、続けて、かく言う自分も、数年前までは『古今集』を崇拝していたから、多くの人が崇拝するのも分かる。しかし、三年の恋が覚めてみれば、何という意気地なしの女に化かされていたかと、悔しくてならない、って。そして、つまらない歌の例として、次の歌を挙げています。 

 心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
 (もし折るとすれば、当てずっぽうに折ってみようか、初霜が一面に置いて、どれがどれだか見分けにくくなっている白菊の花を) 

 この歌は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)のいう人が詠んだ歌ですが、子規によれば、このような歌は嘘の趣向であり、初霜ごときで白菊が分かりにくくなるはずがない、些細なことをやたら大袈裟に述べ立てる無趣味である、と。うーん、ずいぶんな言い様ですが、皆さまはいかが思われますでしょうか。
 

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教育勅語の文部省訳

朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただ朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々に従い守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。


(明治天皇)

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