古代ギリシアの哲学者デモクリトスは、エーゲ海の北岸に位置するイオニア人の植民地アブデラに生まれました。ソクラテスとほぼ同時代の人ですが、二人の接点は全くないため、慣例としてソクラテス以前の哲学者に分類されています。著作は多くの断片が残されており、その分野も自然学、倫理学、数学など多岐に及んでいます。
古代ギリシア哲学における「存在」の問題について、ヘラクレイトスは「存在は変化する(万物は流転する)」と言い、パルメニデスは「存在は変化しない」といいました。この二人の相反する主張の間に割って入ったのがデモクリトスです。
パルメニデスは、たとえば「リンゴをどれほど小さく切り刻んでも消えてなくなることはない、リンゴであることに変わりはない」と考えました。デモクリトスはその考えをさらに進め、延々と切り刻んでいけば、最後には、目に見えない、それ以上分割することのできない究極の存在の「粒」にたどり着くはずだと考え、その粒を「原子(アトム)」と名付けました。
彼はまた、「空虚(ケノン)」もあると論じ、究極の実在で不生不滅である「原子」は、無限の空虚中を飛び交っていて、それらが他の原子と結合したり分離したりしてこの世界ができ上がっているとする、今までにない画期的な理論(原子論)を打ち立てました。パルメニデスが「在るものがあり、在らぬものはない」と言ったのに対し、デモクリトスは「在らぬもの、在るものにすこしも劣らずある」と表現しています。
デモクリトスはさらに、人間の魂も原子の配列によってできていると考えました。それらの変化によって心地よいと感じたりそうでなかったりする、また生まれつき変わらないと考えられていた人間観も、教育によってその資質を変化させることができる。さらに、人間の死も、肉体を構成している原子が単にバラバラになることであり、死後の世界など存在しない、そうした「唯物的世界観」をはっきり主張したのです。
一方、デモクリトスは「笑う哲学者」とも呼ばれています。彼の快活な性格と倫理観を反映しているとされ、ほぼ同時代に活躍したヘラクレイトスが「暗い人」「闇の人」と呼ばれたのとは対照的です。彼はエチオピアやインドにも旅行したと伝えられ、財産を使いはたして故郷の兄弟に扶養されたものの、その著作の公開朗読により100タレントの贈与を受け、亡くなると国葬されたといいます。
そんなデモクリトスですが、実は大きな謎があります。彼は、後代のエピクロス派や近世の物理学にも大きな影響を与え、唯物論を原子論によって完成させるなど、影響力のとても大きな哲学者であったはずなのに、かのプラトンからは全く無視されているのです。彼による『対話篇』にはソクラテスほか同時代の多数の哲学者が登場し議論を行う様子が記述されていますが、デモクリトスは一度も登場しません。デモクリトスを猛烈にライバル視したプラトンが、彼の書物を集めて焼き、「彼の著書で多くの言葉を費やす者は、いかなる正しいことをも学ぶ能力がない」と言ったという伝説もあるほどです。いったい何が気に入らなかったのでしょうか。
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デモクリトスの言葉から
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