キルケゴールは、ニーチェとともに実存主義の先駆者とされる、デンマーク出身の哲学者です。「実存主義」というのは、人間を本質存在ではなく、個別具体的かつ主体的な現実存在(実存)としてとらえる立場のことです。第二次世界大戦直後、フランスのサルトルによって造語され、彼は、たとえばナイフなどの物(即自存在)は“切るため”という目的を始めから持っているが、人間(対自存在)は、まず先にこの世界に投げ出され、それから自分で自分の本質を創造していくもの、というふうに説明しました。
キルケゴールは、当時流行っていたヘーゲルの哲学に接し、彼の哲学を「人間個人には何の役ににも立たない」と強く批判しました。ヘーゲルの弁証法によれば、矛盾と対立によって最後は究極の真理に到達するというものの、それではどれが究極の真理か分からない。否定がさらなる否定を生み、いつまでたっても究極の真理にたどり着けない。そんな訳の分からないものより「今ここに生きる自分にとって真理だと思える真理、自分がそれのために生きて死ねるような真理。そういう真理を見つけることこそが重要だ」と、キルケゴールは考えたのです。
彼が24歳のとき、15歳のレギーネという少女と出会いました。その後、2年間にわたって彼女に求婚し続け、ようやく結婚を承諾してもらうことができました。ところが何と、キルケゴールは、婚約した翌年に一方的に婚約を破棄し指輪を送り返してしまったのです。今度はレギーネが、考え直してくれるよう何度も彼に婚約破棄の取り消しを頼みましたが、彼は考えを翻すことなく、結局、2人は別々の道を歩むことになりました。
キルケゴールがなぜ急に婚約を破棄したのか。その理由はよく分かっていません。日記の中で彼は「この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである」と綴っており、あまりにレギーネを深く愛しすぎたがために、本当に彼女を幸せにできるのかと思い悩んでしまったのではないか、とか、あるいは性的身体的理由が原因だったのではないかとする説もあるようです。
そうした経験をふまえてか、キルケゴールは彼ならではの哲学を築き上げました。人間は自由であるからこそ「不安を」を引き起こす、生きているうちにさまざまなことで悩み、満たされず、絶望してしまう。けれども、それは人間が動物以上の存在である証であり、むしろ絶望という病気にかからないほうが不幸だ、と彼はいいます。そして、この絶望に対処していく真実の生き方として、三段階の発展を提唱しました。「実存の三段階」とよばれるものです。
第一段階は「美的実存」です。あれもこれもと人生のあらゆる美や享楽を刹那的に求めて幸せになろうとする生き方で、次から次へとその欲望を満たすため、絶えず変化を求めます。しかも、満たせば満たすほどに欲求はどんどん膨らんでいく。でも、そんな美的実存の人生は、だんだん虚しさと退屈を感じるようになり、やがて絶望します。
そして、その反省から、第二段階の「倫理的実在」へと進みます。「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」と決断し、家族や社会の一員として役割をもって倫理的に生きようとする段階です。しかし、それでもやがて絶望を味わうことになります。なぜなら、キルケゴールによると、良心を磨けば磨くほど、過去の過ちや人間としての不完全さが自分の中で浮き彫りとなり、罪悪感に耐えられなくなってしまうからだというのです。
そこでキルケゴールが最後に示した第三段階が「宗教的実存」です。キリスト教信者だった彼は、最後には、自身の罪の意識に基づいて、神の前にただ一人のちっぽけな“単独者”として立ち、救いを求めて「内面的な真理」を見つける、というのです。どんなときも「絶望」は生じるのだから、神の力で自己を断ち切り、倫理的に生きられない自己を解放し、より高い宗教的な永遠性のなかに身を置き、神と一対一で向き合うことで本来の自分を見つけるのだ、と。
なお、レギーネと別れたあとも、キルケゴールは、代表作『あれか、これか』などいくつもの著作を彼女のために捧げ、42歳の若さでこの世を去りました。一方、レギーネは他の男と結婚しましたが、彼女は、夫にキルケゴールの本の購入を頼んだり、一緒にその本を読んだりもしています。婚約を破棄した後も、ずっと二人は愛し合っていたのかもしれません。
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