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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

長皇子(ながのみこ)の歌

巻第1-60・65

60
宵(よひ)に逢ひて朝(あした)面(おも)無(な)み名張(なばり)にか日(け)長き妹(いも)が廬(いほ)りせりけむ
65
霰(あられ)打つ安良礼(あられ)松原(まつばら)住吉(すみのゑ)の弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも
 

【意味】
〈60〉宵に共寝をして、翌朝恥ずかしくて会わせる顔がなく、隠(なば)ると言う、その名張で、旅に出て久しい妻は仮の宿をとったことだろうか。
 
〈65〉安良礼の浜の松原は、住吉の愛らしい弟日娘と同じに、いくら見ても見飽きることがない。

【説明】
 長皇子は天武天皇の第4皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。また弓削皇子の異母兄にあたります。『万葉集』には5首の歌が載っています。子女には栗栖王・長田王・智努王・邑知王・智努女王・広瀬女王らがおり、また『小倉百人一首』の歌人の文屋康秀とその子の文屋朝康は、それぞれ5代、6代目の子孫にあたります。
 
 60は、持統太上天皇の三河行幸に際しての作で、飛鳥の都に留まった長皇子が、旅先の妻を思いやって詠んだ歌です。上2句は「名張」を導く序詞。「名張」は、現在の三重県名張市で、三河国への順路にあたり、ここを東に越えると伊賀国になります。「面無み」は、面目ない、顔が合わせられず恥ずかしい。この時代、妻が夫を残して旅に出るというのは珍しいことですが、女性である持統天皇の行幸には、やはり多くの女性の従駕が必要だったのでしょう。
 
 65は、文武天皇の慶雲3年(706年)9月から10月にかけて難波宮への行幸があり、その折のもの。摂津の住吉で、自らの旅情を慰めるため、ここにいた弟日娘を侍らせ、一緒に安良礼松原を眺めて詠んだ歌です。「あられうつ」は「安良礼」の枕詞。実際にあられが降っていたというのではなく、「安良礼」を引き出すための、皇子による造語ともいわれます。「安良礼松原」は、大阪市住吉区の松原。「弟日娘」は未詳ながら、住吉の港の遊行女婦で、また長皇子に歌を贈った清江娘子(巻第1-69)と同一人物ではないかとも考えられています。もしそうだとしたら、二人はすでに相当の交情があったようです。「見れど飽かぬ」は、見ても見ても見飽きない意の慣用成句。万葉学者の犬養孝はこの歌を評し、「”あられ打つ あられ松原”の調子のよさといい、下三句の単純率直な表現といい、佳人をいだいてあられ松原の壮観を見る有頂天の陶酔感にあふれている」と述べ、斎藤茂吉は、「不思議にも軽浮に艶めいたものがなく、むしろ勁健(けいけん)とも謂うべき歌調である」と述べています。なお、同じ時に志貴皇子が詠んだ歌が巻第1-64にあります。

巻第1-73・84

73
我妹子(わぎもこ)を早見(はやみ)浜風(はまかぜ)大和なる我まつ椿(つばき)吹かざるなゆめ

84
秋さらば今も見るごと妻ごひに鹿(か)鳴かむ山ぞ高野原(たかのはら)の上

 

【意味】
〈73〉早く愛しい妻に逢いたいと、浜に吹く早風よ、大和で私を待つ松や椿に、この思いを伝えてくれないなんてことがないように。
 
〈84〉秋になると、ご覧のように、妻恋の鹿の声が聞こえてくる山です、この高野原の上は。

【説明】
 73は、長皇子が文武天皇の難波行幸に従駕した時の歌。「早見」は、所在不明(住吉あたりか)。早く見たい意との掛詞になっています。「大和なる」は、大和にある。「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞になっています。『万葉集』にはこのように、旅先にあって家の妻を思う歌が数多くみられますが、妻との心のつながりを歌うことによって、旅先での厄災から身を守ろうとする意図が込められているとされます。
 
 84は、長皇子の邸宅(佐紀宮)で従兄弟の志貴皇子と宴(うたげ)した時の歌。「秋さらば」は、秋になると。「高野原」は、奈良市佐紀町の佐紀丘陵から西南の一帯。中国の詩集『詩経』に載っている、賓客を遇する『鹿鳴』の知識を取り込んでいるとされます。『鹿鳴』は、明治期に建てられた鹿鳴館の名の由来となった漢詩です。

 斉藤茂吉は、「この御歌は、豊かで緊密な調べを持っており、感情が濃(こま)やかに動いているにも拘らず、そういう主観の言葉というものが無い。それが、『鳴かむ』といい、『山ぞ』で代表せしめられている観があるのも、また重厚な『高野原の上』という名詞句で止めているあたりと調和して、万葉調の一代表的技法を形成している」と評しています。

巻第2-130

丹生(にふ)の川 瀬(せ)は渡らずてゆくゆくと恋痛(こひた)し我が弟(せ)いで通ひ来(こ)ね

【意味】
 丹生の川の瀬は渡ろうとせずに、まっすぐに私のところにやって来なさい。恋しさに心痛む我が弟よ。

【説明】
 「皇弟に与ふる御歌」とあり、皇弟は異母弟の弓削皇子を指すとみられています。「丹生の川」は、吉野川の支流。「ゆくゆく」は、思う気持ちが遂げられずに逡巡している、あるいは、心がはやる意か。この歌の解釈はいろいろあり、また何らかの寓意が込められているようでもあります。

 弓削皇子は、持統天皇の皇太子を決める会議で、軽皇子(文武天皇)を立てることに異議をとなえようとし、葛野王(かどののおおきみ)に叱責され制止されました。本来であれば皇位継承順位第一位となるはずだった兄の長皇子を思っての行動だったと推測されています。この後に弓削皇子が詠んだ歌があります(巻第3-242)。

〈242〉滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむと我が思はなくに
 ・・・滝の上高く、三船の山に雲がかかっている。その雲のようにいつまでも生きられようとは思っていないのだが。

 ひょっとして弟が死を覚悟しているのではないかと心配した長皇子が、作って贈ったのがこの歌ではないかともいわれます。弓削皇子は、文武天皇3年(699年)7月に27歳?の若さで没しましたが、文武天皇の皇后であった紀皇女と密通し、それが原因で持統天皇によって処断されたとの見方もあります。そうであれば、長皇子は、持統派による大津皇子の殺害に続く弟の死を目の当たりにして、即位への意思を表わすことの危険性を感じたことでしょう。後に長皇子の息子たちが臣籍降下したのも、あるいはそうした影響があったのかもしれません。

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三大歌集の比較
 

■万葉集
①歌を呪術とする意識が残り、対象にはたらきかける積極的な勢いが、力強く荘重な調べとなる。
②実感を抑えず飾らず大胆率直に表現する。簡明にして力強く、賀茂真淵は「ますらをぶり」と評する。
③日常生活そのままでないにしても、現実の体験に即して歌うことが多く、具象的、写実的で印象が鮮明。
④用語、題材についてすでに雅俗を分かつ意識が生じているが、なお生活に密着したものが比較的多く、素朴、清新の感をもって訴えかける。時に粗野。
⑤五七調で、短歌は二句切れ、四句切れが多く、重厚な調べ。後期には七五調も現れる。歌謡の名残をとどめ音楽的効果をねらった同音同語の反復もある。
⑥素朴な枕詞、序詞を多用。ほかに掛詞、比喩、対句を使用。
⑦率直に表現するため、断言的な句切れが多い。終助詞による終止、詠嘆「も」「かも」を多用。
 
■古今集
①宗教や政治を離れ、歌それ自体が目的となり、洗練された表現により美の典型をひたすら追求する。
②感情を生のまますべてを表すことを避け、屈折した表現をとる。その婉曲さが優美繊細の効果を生む。
③日常体験から遊離した花鳥風月や恋・無常など、情趣化された世界を機知に富んだ趣向や見立てにより表現する。理知がまさり、時に観念の遊戯に陥る。
④優雅の基準にかなう題材を雅かなことばで詠ずるため、流麗であるが、単調となる弊がある。
⑤七五調で、三句切れが多く、流暢な調べとなる。
⑥掛詞、縁語の使用が多い。それらが観念的な連想を生み、虚実あるいは主従二様のイメージを交錯させ、纏綿たる情緒を楽しませる。掛詞がさらに進んでことばの遊戯となったものが物名であり、それで一巻をなす。ほかに枕詞、序詞、比喩、擬人法などを用いる。
⑦理知的に屈折した表現をとるため、推量、疑問、反語による句切れが多い。助動詞による終止が目立つ。詠嘆の終助詞は「かな」を用いる。
 
■新古今集
①乱世の現実を忌避し、王朝に憧れる浪漫的な気分が支配し、唯美的、芸術至上主義的な立場に立つ。
②世俗的な感情を拒否し、「もののあはれ」という伝統的な感覚を象徴的な手法で縹渺とただよわせる。幽玄余情の様式を完成するが、時に晦渋に陥る。
③客観的具象的な世界を浪漫的な心情風景に再構成し、現実を超えた絵画あるいは物語のごとき世界をつくる。
④選び抜かれた素材を言語の論理性を超えた技巧によって表現し、幽玄妖艶の美、有心の理念を追求する。
⑤七五調で、三句切れが多く、また初句切れも目立つ。
⑥掛詞、縁語、比喩はかなり用いられるが、枕詞、序詞の使用は著しく減少する。古歌の句を借用しただけの単純な本歌取りは古今集にもみられるが、新古今集では高度な表現技法にまで磨かれ、物語的な情緒を醸し出す象徴の手法として用いられる。
⑦体言止めを多く用いる。
  

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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天武天皇の子女

皇子
高市皇子
草壁皇子
大津皇子
忍壁皇子
穂積皇子
舎人皇子
長皇子
弓削皇子
新田部 皇子(生年未詳)
磯城皇子(生没年未詳)

皇女
十市皇女
大伯皇女
但馬皇女
田形皇女
託基皇女
泊瀬部皇女(生年未詳)
紀皇女(生没年未詳)


(天武天皇)

和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。
 

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