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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

小野老(おののおゆ)の歌

巻第3-328

あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花のにほふがごとく今盛りなり

【意味】
 桜の花が咲きにおっているように、奈良の都は繁栄をきわめていることだ。

【説明】
 この歌が詠まれた時は、平城京に遷都されて20年くらい経ったころだとされます。「あをによし」は「寧楽」の枕詞。「あをに」は「青丹」で、青と丹色つまり赤。「にほふ」は元来、視覚に関して用いる語で、色が照り映える意でしたが、後に香りにも用いられるようになりました。この歌の「にほふがごとく」の原文表記は「薫如」となっていますから、視覚だけでなく花の芳香が意識されていることが分かります。「咲く花」が何であるかは、藤または梅ではないかとする説がありますが、象徴的に奈良の都が栄えていることを表現しているのだから、花も象徴的でポピュラーなものである必要から、やはり桜であってほしいところです。
 
 作者の小野老(?~737年)が大宰府の少弐(次官)として着任してきた時、長官の大伴旅人の館で、彼を歓迎する宴が催されました。この歌は、その場で披露されたらしく、目の当たりにしてきた都の栄華を、単純な言葉で率直に伝えています。大宰府の上級官人は都から派遣された政府高官です。彼らの本拠地はあくまで平城京のある近畿地方であったため、おそらくは大勢の役人らが都のようすを聞きたがっていたことでしょう。この歌が詠まれた時、都の美しい風景を思い出して望郷の念にかられ、皆が涙したのではありますまいか。
 
 老がこの歌を詠むと、他の官人たちも望郷の歌を詠み交わします。次には、大伴四綱(おおとものよつな)が詠んだ歌が2首載っています。四綱は、防人司佑(さきもりのつかさのじょう)として大宰府に仕え、同じく大伴旅人の配下にあった人物です。「防人司」は、大宰府に属する一官庁で、防人に関する事務を司るところ。「佑」は、次官。

〈329〉やすみしし我が大君(おほきみ)の敷きませる国の中(うち)には都し思(おも)ほゆ
 ・・・大君がお治めになる国は多くあるが、私は何といってもやはり都がいちばん懐かしい。
 
〈330〉藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
 ・・・ここ大宰府でも藤の花が真っ盛りになりました。長官(旅人のこと)、あなたも奈良の都を恋しく思っていられますか。
 
 329が老の歌のうち「奈良の都」を承け、330が「花」を承けています。四綱は、歌の詠みぶりもさることながら、座持ちも巧みな男であったようで、老の歌を承けるばかりでなく、あるじの旅人をも引き込んでいます。座はさぞや盛り上がったことでしょう。これに答えた旅人の歌が、次にあります。

〈331〉わが盛(さかり)また変若(をち)めやもほとほとに平城(なら)の京(みやこ)を見ずかなりけむ
 ・・・私の盛りは再び若返ることがあるだろうか、いや殆ど奈良の都を見ずじまいになってしまうのだろうな。

 「変若めやも」の「変若」は元は立ち返る意で、若返ること、「やも」は反語。「ほとほとに」は、殆ど、大方の意で、不安や危ぶむ気持ちの表現。「見ずかなりなむ」の「か」は疑問、「む」は推量。

 かように大宰府の官人たちが強く憧憬の念を抱いた奈良の都ではありましたが、その頃の平城京の実像はというと、彼らの記憶にあった美しい都の姿とはかけ離れたものでした。これらの歌が詠まれた頃、左大臣長屋王が謀反の疑いによって自殺させられる事件が起こる(729年)など、都は権謀術数が渦巻く血生臭い権力闘争のただ中にありました。

巻第5-816

梅の花今咲ける如(ごと)散り過ぎずわが家(へ)の園にありこせぬかも

【意味】
 梅の花よ、今咲いているように、散り過ぎることなく我が家の庭に咲き続けておくれ。

【説明】
 小野老は、天平2年(730年)ごろ大宰少弐として九州に居り、大伴旅人の下にあり、同9年に大宰大弐従四位下で没しました。大宰少弐は大宰府の次官ですが、同じ次官の大弐よりは下位です。この歌は、天平2年(730年)正月に、大宰府の大伴旅人の邸宅でひらかれた宴会で詠まれた「梅の歌」32首(巻第5-815~846)のうちの1首です。「ありこせぬかも」の「こせ」は、してくれる意の希求助動詞、「ぬかも」は、願望。

巻第6-958

時つ風吹くべくなりぬ香椎潟(かしひかた)潮干(しほひ)の浦に玉藻(たまも)刈りてな

【意味】
 満潮の風が吹きそうになっている香椎潟の潮干の浦に、早く玉藻を刈りたい。

【説明】
 題詞に、冬11月、大宰府の官人たちが香椎(かしい)の宮に参拝し、終わって大宰府に帰るときに、馬を香椎の浦にとめ、それぞれ思いを述べて作ったとあり、大伴旅人の「いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ」(巻第6-957)の歌に答えた歌です。「香椎」は、現在の福岡市香椎浜。旅人が「香椎の潟に」といったのを「香椎潟潮干の浦に」といい、「朝菜採みてむ」を「玉藻苅りてな」と言い換えて応じています。

万葉集の時代区分
 『万葉集』の全巻を通じて、最も古い歌は仁徳天皇の皇后・磐姫の作と伝えられているもので、最も新しい歌は天平宝字3年の大伴家持の作です。この間ざっと450年もの長い期間にわたりますが、実際は舒明天皇前後から1世紀の間に作られた歌が殆どです。
 この時代は、政治的には聖徳太子の指導による大陸文化の流入、大化の改新、壬申の乱などの大変動、皇室中心の官僚社会国家の樹立など、わが国の歴史上きわめて重要な時期でもありました。
 「万葉集」の時代区分にはいくつかの方法がありますが、次の4期に分けるのが普通です。
 
【第1期】
近江朝以前(壬申の乱・672年)まで
【第2期】
飛鳥・藤原期(平城京遷都・710年)まで
【第3期】
奈良時代前期(天平5年・733年)まで
【第4期】
奈良時代中期(天平宝字3年・759年)まで 

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大宰府の官職

大宰府の四等官(4等級で構成される各宮司の中核職員)は次の通り。

帥(そち:長官)
 従三位
弐(すけ)
 大弐・・・正五位上
 少弐・・・従五位下
監(じょう)
 大監・・・正六位下
 少監・・・従六位上
典(さかん)
 大典・・・正七位上
 少典・・・正八位上
 
その他、大判事、少判事、大工、防人正、主神などの官人が置かれ、その総数は約50名。


(大伴旅人)

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