巻第4-656~658
656 我(わ)れのみぞ君には恋ふる我(わ)が背子(せこ)が恋ふといふことは言(こと)のなぐさぞ 657 思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我(あ)が心かも 658 思へども験(しるし)もなしと知るものを何かここだく我(あ)が恋ひ渡る |
【意味】
〈656〉恋しいと思っているのは私ばかり。あなたが恋しいと言うのは口先ばかりです。
〈657〉思うまいと口に出して言ったのに、はねずの花の色のように変わりやすい私の心です。
〈658〉いくら恋しく思っても、何の甲斐もないと知っているのに、どうしてこんなに私はずっと恋し続けているのでしょう。
【説明】
大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ:生没年不明)は大伴旅人の妹で、大伴家持の叔母にあたります。若い時に穂積皇子(ほづみのみこ)に召され、その没後は藤原不比等の子・麻呂の妻となりますが、すぐに麻呂は離れてしまいます。後に、前妻の子もある大伴宿奈麻呂(おおとものすくなまろ:異母兄)に嫁して、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)と二嬢(おといらつめ)を生みました。長女は家持の妻となり、次女は大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ)の妻となりました。
ここの歌は、「大伴坂上郎女の歌六首」とあるうちの3首。656の「言のなぐさ」は、口先だけの慰め。「気休めのような甘い言葉は要らない、あなたの本当の気持ちが見えないの」と訴えかけています。657は、656とは別の時に夫に贈った歌。「はねず色の」は「うつろひやすき」の枕詞。「はねず色」は、桃色よりやや濃い目の紅色のこと。「はねず」がどの植物であるかは、庭梅・庭桜・モクレン・芙蓉・ザクロなどの説がありますが、はっきりしていません。その花の色が褪せやすいところから、変わりやすいことの譬喩としてあるようです。658もまた別の時に、足遠くなった夫に訴えた歌。「験」は、甲斐のこと。「ここだく」は、こんなにはなはだしく。
巻第4-659~661
659 あらかじめ人言(ひとごと)繁(しげ)しかくしあらばしゑや我(わ)が背子(せこ)奥もいかにあらめ 660 汝(な)をと我(あ)を人ぞ放(さ)くなるいで我(あ)が君(きみ)人の中言(なかごと)聞こすなゆめ 661 恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば |
【意味】
〈659〉今のうちからもう人の噂がうるさい。こんな調子では、ああ、あなた、この先どうなるのでしょう。
〈660〉あなたと私の仲を人が裂こうとしているようです。あなた、人の中傷には耳を貸さないでくださいね、決して。
〈661〉恋して恋して、やっと逢えた時くらい、優しい言葉を言い尽くして下さい。これからも二人の仲を長く続けようと思うなら。
【説明】
上に続いての3首。659・660は、二人の関係について他人からの中傷があり、夫に注意を促しています。659の「あらかじめ」は、深く関わらない今のうちから。「かくしあらば」は、このようであったならば。「しゑや」は、嘆息の声。「奥」は、将来、末。660の「いで」は、呼びかけの感動詞。「中言」は、他人の中傷。「ゆめ」は、決して。661は、逢うことのできた夜の訴え。
なお、ここまでの6首の相手が誰かは、題詞がないので分かりませんが、その前に、郎女が娘の二嬢について婿の駿河麻呂に贈った歌(651~652)や駿河麻呂が二嬢に心を置いた歌(653~654)が並んでいることから、ここの6首は、あるいは二嬢から夫の駿河麻呂に贈り、また答える歌を郎女が代作したものではないかとする見方があります。若い娘には「愛しき言尽くしてよ」などとは言えないはずで、代作なのが明らかだったため、編集者は原作者の名に戻したのでしょうか。なお、二嬢の名による歌は『万葉集』に残っていません。
巻第4-666~667
666 相(あひ)見ぬは幾久(いくひさ)さにもあらなくにここだく我(わ)れは恋ひつつもあるか 667 恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠(こも)るらむしましはあり待て |
【意味】
〈666〉お互いに顔を合せなかったのはそんなに長い間でもなかったのに、なぜこんなにもしきりにあなたのことが恋しいのでしょう。
〈667〉ずっと恋い続けてやっとお逢いできたのです、まだ月が残っているので、夜の闇は深いでしょう、しばらくこのままでいましょうよ。
【説明】
この歌の前に、安倍朝臣虫麻呂(あべのあそみむしまろ)の「向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れ行かむたづき知らずも」(向かい合っていくら見ても見飽きることのないあなたと、どうして別れられましょう)という歌があり(665)、ここの歌はこれに答えたものです。また、左注に「郎女の母、石川内命婦(ないみょうぶ)と、安倍朝臣虫麻呂の母、安曇外命婦(あずみのげみょうぶ)とは同じ家に暮らす仲のよい姉妹であった。そのために郎女と虫麻呂もよく出会っていたので、気が通じ合って親しかった。そこでちょっと戯れの相聞歌を作って贈り合った」とあります。「内命婦」は、五位以上の婦人の称。「外命婦」は、五位以上の官人の妻の称。
666の「ここだく」は、こんなにはなはだしく。「あらなくに」は、ないことなのに。667の「月しあれば」の「し」は、強意。「夜は隠るらむ」は、夜はまだ深いだろう。「しまし」は「しばし」の古語。「あり待て」の「あり」は、そのまま。
巻第4-673~674
673 まそ鏡(かがみ)磨(と)ぎし心をゆるしてば後(のち)に言ふとも験(しるし)あらめやも 674 真玉(またま)つくをちこち兼ねて言(こと)は言へど逢ひて後(のち)こそ悔(くい)にはありといへ |
【意味】
〈673〉まそ鏡のように清く研ぎ澄ましていた心を、ひとたび緩めて許してしまったら、後でどんなに悔やんでも何の甲斐もありません。
〈674〉玉を緒に通し、こちらとあちらを結んで輪にするように、今も将来もずっと変わらないと口ではおっしゃいますが、逢ってしまった後できっと悔いるものだといいますから。
【説明】
この歌の前に、安倍朝臣虫麻呂(あべのあそみむしまろ)の「倭文環(しつたまき)数にもあらぬ命もてなにかここだく我(あ)が恋ひわたる」(ものの数にも入らないつまらない身であるのに、なんでこんなに私は恋い続けるのでしょう)という歌があり(672)、ここの歌はこれに答えたものです。
673の「まそ鏡」は白銅製の鏡で、「磨ぐ」の枕詞。674の「真玉つく」の「真」は美称、「玉つく」は、玉を身に着ける意で、「をちこち」の枕詞。「をちこち」は、あちらこちら。ここでは将来と現在の意。戯れの歌であったにせよ、男女関係が自由で開放的だった時代にありながらも、聡明な女性らしく、結婚を前にし、将来を思う緊張した心をうたっています。
巻第4-683~689
683 言ふ言(こと)の畏(かしこ)き国ぞ紅(くれなゐ)の色にな出(い)でそ思ひ死ぬとも 684 今は我(わ)は死なむよ我が背生けりとも我(わ)れに依(よ)るべしと言ふと言はなくに 685 人言(ひとごと)を繁(しげ)みか君が二鞘(ふたさや)の家を隔(へだ)てて恋ひつつまさむ 686 このころは千歳(ちとせ)や行きも過ぎぬると我(あ)れかしか思ふ見まく欲(ほ)りかも 687 うるはしと我(あ)が思ふ心 早川(はやかは)の塞(せ)きに塞(せ)くともなほや崩(く)えなむ 688 青山(あをやま)を横ぎる雲のいちしろく我(わ)れと笑(ゑ)まして人に知らゆな 689 海山(うみやま)も隔(へだ)たらなくに何しかも目言(めこと)をだにもここだ乏(とも)しき |
【意味】
〈683〉人の噂が恐ろしい土地ですよ、思う気持を顔色に出してはいけません。たとえ思い死にしようとも。
〈684〉もう私は死んでしまいそう、あなた。生きていても、あなたが私に心を寄せてくれることはないのだから。
〈685〉人の噂がうるさいからか、二鞘のように近い家どうしなのに、あなたはそのわずかな距離を隔てて、私を恋しく思っておられるのだろう。
〈686〉このごろ、お逢いできずに千年も経ってしまったように思えてならない私です。ああ、あなたにお逢いしたい。
〈687〉愛しいと私が思う心は流れの速い川のようで、塞き止めても塞き止めても押しとどめようがありません。
〈688〉青々とした山を横切る白い雲のようにはっきりと私に笑顔を見せて、人には知られないでください。
〈689〉海や山を隔てているわけでもないのに、どうしてちょっと逢ってお話しすることさえ滅多にできず、こんなに物足りない思いをするのでしょうか。
【説明】
ここの7首は、すでに夫婦関係は結ばれているものの、まだ秘密にしておくべき時期に夫である人に対して贈ったもの、あるいは家持に対して大嬢の立場をちらつかせたものかとされます。
683の「紅の」は「色に出づ」の枕詞。「色にな出でそ」の「な~そ」は、禁止。685の「人言を繁み」は、人の噂がしきりにあるので。「二鞘の」は「家を隔つ」の枕詞。686の「見まく欲り」は、逢いたいと思う。688の上2句は「いちしろく」を導く序詞。「いちしろく」は、著しく。689の「目言」は、目で語りかけること。「何しかも」は、どうして、何なれば。「ここだ」は、こんなに甚だしく。「乏しき」は、少ない。
巻第4-721、725~726
721 あしひきの山にし居(を)れば風流(みやび)なみ我(わ)がする業(わざ)をとがめたまふな 725 にほ鳥の潜(かず)く池水(いけみず)心あらば君に我(あ)が恋ふる心(こころ)示さね 726 外(よそ)に居(い)て恋ひつつあらずは君が家(いえ)の池に住むといふ鴨(かも)にあらましを |
【意味】
〈721〉山に住んでいるゆえ、都の風雅さもないので、私がする振る舞いをどうかおとがめなさいませんように。
〈725〉カイツブリが深く潜る池の水よ、心があるのなら、君をお慕いする私の心を映し出しておくれ。
〈726〉よそに離れ住んでいて恋い焦がれるのではなく、いっそ君のお家の池に住むという鴨になりたい。
【説明】
聖武天皇に献上した歌3首。晩年の郎女は、家刀自として大伴家を切り盛りする一方、命婦として宮中の儀礼の場などに出仕した時期があったようです。721の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山にし」の「し」は、強意。「山にし居れば」は、郎女が住む佐保のことを卑下して言っています。「なみ」は、ないので。佐保の産物の何かを献上した際に添えられた歌とみられます。
725の「にほ鳥」は、カイツブリ。「示さね」は、示してくれよ。726の「あらましを」は、ありたいものを。725・726とも恋歌仕立てになっていますが、726の「外に居て」は、大宮の外にあっての意。ところが次にある「君が家」という表現は大宮を指す語として相応しくなく、天皇に献上した状況が不明、あるいは題詞が誤っているのではないかとされます。
巻第4-723~724
723 常世(とこよ)にと 我(わ)が行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲(がな)しらに 思へりし 我(あ)が子の刀自(とじ)を ぬばたまの 夜昼(よるひる)といはず 思ふにし 我(あ)が身は痩せ(や)せぬ 嘆くにし 袖(そで)さへ濡(ぬ)れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷(ふるさと)に この月ごろも ありかつましじ 724 朝髪(あさかみ)の思ひ乱れてかくばかりなねが恋ふれそ夢(いめ)に見えける |
【意味】
〈723〉あの世に私が行ってしまうわけでもないのに、門口で悲しそうにしていた我が子よ。留守中に私に代わってつとめる刀自(主婦)のことを思うと、夜も昼も心配で私はやせてしまった。嘆くあまりに着物の袖は涙で濡れてしまった。これほど気がかりでやたらに恋しくては、ここ故郷の跡見の庄には、そう何か月もいられないだろう。
〈724〉寝起きの髪のように思い乱れて、おねえちゃんのお前が恋しがるからか、夢にお前の姿が出てくる。
【説明】
跡見(とみ)の庄(たどころ)から、奈良の家に留まっている娘の大嬢に贈った歌。「跡見の庄」は、桜井市外山にあったのではないかとされる大伴氏の田所(たどころ:領地)。「大嬢」は郎女の長女で、後の大伴家持の妻。なお、左注に「大嬢が奉る歌に報へ賜ふ」とありますが、大嬢が郎女に贈った歌は残っていません。
723の「常世」は、ここでは死後の国。「小金門」の「小」は接頭語、「金門」は門とされるものの、どのような門か未詳。「刀自」は、家の主婦。ここでは、母親の留守中、主婦の立場にある相手、すなわち娘の大嬢をこう呼んだもの。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「もとな」は、やたらに、みだりに。「し」は、強意。「故郷」は、ここでは跡見。724の「朝髪の」は「思ひ乱る」の枕詞。「なね」は、弟や妹が姉に対していう呼称を母が用いたもの。
詩人の大岡信は、この長歌を通じて浮かびあがる娘大嬢の姿には実に可憐なものがある、として、次のように言っています。「彼女は、母が大伴家の荘園にしばらく滞在しに出かける時、門口に立って『もの悲しらに』うち沈んだ表情で見送っている。その様子は、まるで母親が二度と帰ってこないと思っているかのように、うちしおれていたので、母の目にそれが焼き付いた。それが気になって仕方がない母の情がこの一編の長歌のモチーフだが、娘のこうした肖像を描くのに、門口にたたずんでいる印象的な姿だけをとりだしてきたのは坂上郎女の手腕。この単純化によって、歌の中の娘の姿は生彩を放つものになった」。
巻第4-760~761
760 うち渡す竹田(たけだ)の原に鳴く鶴(たづ)の間(ま)なく時なしわが恋ふらくは 761 早川(はやかは)の瀬に居(ゐ)る鳥のよしをなみ思ひてありし我(あ)が子はもあはれ |
【意味】
〈760〉見渡す限りの竹田の原で鳴く鶴のように、私は絶え間もなく、いつもあなたのことを気に懸けている。
〈761〉流れの速い川瀬に立つ鳥が足を取られそうになるように、頼りどころがなくて心細げなわが子が心配です。
【説明】
「大伴坂上、竹田の庄より女子(むすめ)大嬢に贈る歌」。「竹田」は、橿原市にある耳成山の東北のあたりで、大伴氏の荘園がありました。760の「うち渡す」は、広い地形を見渡す意。上3句は「間なく時なし」を導く序詞。鶴は子をいつくしむ鳥と考えられていたようで、自身を鶴に譬えています。761の「早川」は、流れの速い川。上2句は「よしをなみ」を導く序詞。「よしをなみ」は、どうしようもないので。
この2首は、郎女が竹田の庄へ来ようとした時、大嬢が留守中を心細がって嘆いていたようすを思い出して作った歌らしく、古今、子を心配する母の気持ちは変わらないようです。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
(額田王)