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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第7)

巻第7-1068

天(あめ)の海に雲の波立ち月の船(ふね)星の林に漕(こ)ぎ隠(かく)る見ゆ 

【意味】
 天の海に雲の白波が立ち、その海を月の船が漕ぎ渡り、星の林に隠れていくのが見える。

【説明】
 巻7の雑歌の冒頭に収められている「天(あめ)を詠む歌」です。天を海に、雲を波に、三日月を船に、星を林に見立てています。このような趣向は漢詩に多くみられるもので、その影響が濃いとされます。七夕の歌であると思われますが、月の船を漕いでいるのは月人壮士(つきひとおとこ)。壮大で、ロマンチックなメルヘンの世界の歌であり、巻頭に置かれているのは、当時も高く評価されていたことが窺えます。現代の私たちにもお馴染みの月見の風習は、中国盛唐の時代に起こり、日本に伝わったのは平安期になってからです。万葉時代には、月は神秘の対象だったのです。

 なお、この歌は海外でも人気が高く、その英訳は次のようなものです。「On the sea of heaven the waves of clouds rise, and I can see the moon ship disappearing as it is rowed into the forest of stars.」

 『柿本人麻呂歌集』は、万葉集編纂の際に材料となった歌集の一つで、人麻呂自身の作のほか、他の作者の歌や民謡などを集めています。この歌も作者ははっきりしませんが、漢詩の趣向が見られるところから、当時の先端を行く文化に触れる機会のあった人物が詠んだものと想像され、やはり人麻呂の作ではないかとされます。

巻第7-1087~1088

1087
穴師川(あなしがは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月(ゆつき)が岳に雲居(くもゐ)立てるらし
1088
あしひきの山川の瀬の響(なる)なへに弓月(ゆつき)が嶽(たけ)に雲立ち渡る
 

【意味】
〈1087〉穴師川に川波が立っている。巻向の弓月が岳に、雲がわき立っているらしい。

〈1088〉山中を流れる川の瀬音が高まるにつれて、弓月が岳一面に雲が湧き立ちのぼっていく。

【説明】
 題詞に「雲を詠む」とある2首。1087の「穴師川」は、巻向川の別名。「痛足川」「痛背川」と表記する例もあり、それぞれ「ああ、足が痛い」「ああ、背中が痛い」の意から来ているようです。「巻向」は、奈良県桜井市北部の地。「弓月が岳」は、巻向山の最高峰。1088の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山川」は、山の中を流れる川で、上の歌の穴師川。「なへに」は、~と同時に、~につれて。

 1087について斎藤茂吉は、「第2句に『立ちぬ』、結句に『立てるらし』と云っても、別に耳障りしないのみならず、1首に3つも固有名詞を入れている点なども、大胆なわざだが、作者はただ心のままにそれを実行して毫もこだわることがない。そしてこの単純な内容をば、荘重な響きをもって統一している点は実に驚くべきで、おそらくこの1首は人麻呂自身の作だろうと推測することができる」と評しています。
 
 また、1088も同様に人麻呂作だろうとして、「この歌もなかなか大きな歌だが、天然現象が、そういう荒々しい強い相として現出しているのを、その儘(まま)さながらに表現したのが、写生の極致ともいうべき優れた歌を成就したのである」と言っており、詩人の大岡信も「わずか一首の中で、これだけ大きな景観を詠み込み、一種深沈たる自然界の働きを感じさせる手腕は、並みの歌人のものではない」と評しています。
 
 人麻呂はこの辺りに妻があったらしく、穴師、巻向、三輪などを詠んだ歌が多くあります。

巻第7-1092~1094

1092
鳴る神の音(おと)のみ聞きし巻向(まきむく)の桧原(ひはら)の山を今日(けふ)見つるかも
1093
三諸(みもろ)のその山なみに子らが手を巻向山(まきむくやま)は継ぎしよろしも
1094
我(わ)が衣(ころも)色取り染(そ)めむ味酒(うまさけ)三室(みもろ)の山は黄葉(もみち)しにけり
  

【意味】
〈1092〉噂にだけ聞いていた巻向の桧原の山を、今日見ましたよ。

〈1093〉三輪山の山続きに美しい山が見える。それがあの可愛い人の手を巻くという名の巻向山なのか、うまくつながっていることだ。

〈1094〉私の衣にも色を付けて染めたいものだ。三輪山はすっかり紅葉している。

【説明】
 「山を詠む」歌。「巻向」は、奈良県桜井市北部の地。1092の「鳴る神の」は雷のことで「音」にかかる枕詞。「桧原」は、桧(ひのき)の生える原。1093の「三諸」は、神の来臨する盛り上がった土地の意で、ここでは「三輪山」を指します。三輪山は桜井市の南東にそびえる山で、別に真穂御諸山(まほみもろやま)といいます。ここに来臨するという三輪の神は、大和国に斎く神々のうち、皇室の守護神としてもっとも尊崇されていた神であり、巻向山がその山に続いていることを讃えている歌です。「子らが手を」は「巻向山」の枕詞。1094の「味酒」は、神に供える酒をみわといったので、同音の「三室(三輪山)」にかかる枕詞。衣を黄葉に染めたいというのは、三室の山の霊力を授かりたいとの呪術的な意味が込められています。
 
 これら3首は、歌の中心を、桧原の山、巻向山、三室の山(三輪山)と順に変えて詠んでいるので、同時に作った一連の作とみられています。人麻呂のことを「愛の歌人」といっていた作歌の田辺聖子は、また次のようにも述べています。「(人麻呂は)愛の歌人ではあるが、また叙景歌にみなぎる彼の緊張感にも特徴がある。人麻呂は自然を詠むときも、相聞や挽歌を詠むときと同じような濃密な情感を、塗りこめずにはいられないらしい。その点、清新な自然を、清新に素直にうたいあげる赤人とはちがうようである。しかし人麻呂の力づよい叙景歌も、それはそれで躍動感があって美しい」

巻第7-1100~1101

1100
巻向(まきむく)の穴師(あなし)の川ゆ行く水の絶ゆることなくまたかへり見む
1101
ぬばたまの夜さり来れば巻向(まきむく)の川音(かはと)高しも嵐(あらし)かも疾(と)き
  

【意味】
〈1100〉巻向の穴師を流れ行く水がとぎれないように、自分もこれきりでなく、また見に来よう。

〈1101〉暗闇の夜がやってくると、巻向川の川音が高くなった。嵐が来ているのだろうか。

【説明】
 1100を人麻呂作とみて、このころに穴師川のほとりに新たに通い始めた妻がおり、その妻に宛てた歌ではないかとする見方があります。光景への感動だけでは飽き足らない感があるのに加え、上3句が「絶ゆることなく」に譬喩として序詞の形になって続いているため、「かへり見む」の主格が明らかでない、などの理由によります。また、その妻とは、人麻呂が巻第1-42で「妹」と詠んだ、宮中の女官だった女性ではないか、と。

 1101の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「巻向川」は、巻向山から三輪山の北を西流し、初瀬川にそそぐ川。「嵐かも」の「かも」は、疑問の係助詞。「嵐」の原文は「荒足」で、「荒」は、本来は、始原的で霊力が強く発動している状態をあらわす言葉とされ、そういった意味がここにも感じ取られています。

 この歌について斎藤茂吉は「無理なくありのままに歌われているが、無理がないといっても、『ぬばたまの夜さるくれば』が一段、『巻向の川音高しも』が一段、共に伸々とした調べであるが、結句の『嵐かも疾き』は、強く緊(し)まって、厳密とでもいうべき語句である」と言い、「人麿を彷彿せしむるものである」とも言っています。

巻第7-1118~1119

1118
いにしへにありけむ人も吾(わ)が如(ごと)か三輪(みわ)の檜原(ひはら)に挿頭(かざし)折(を)りけむ
1119
行く川の過ぎにし人の手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪の桧原(ひはら)は
  

【意味】
〈1118〉昔の人も今の私と同じように、三輪の桧原(ひばら)の檜(ひのき)を手折って、山葛(やまかずら)として頭にかざしていたのだろうか。

〈1119〉行く川の流れのように過ぎ去った昔の人たちが手折ってくれないので、力なく立っている、三輪の桧原は。

【説明】
 1118の、桧の枝葉をかざすというのは、単なる髪飾りではなく、三輪の神への信仰の行為とされました。「吾が如か」は、吾がするがごとくに。「桧原」は桧(ひのき)の生えている原。昔から多くの人々が三輪の桧原の霊力にすがろうとしていたのだろうと言って、その神聖さを讃えています。「吾が」の原文が「吾等」と複数表現になっていることから、妻と二人でいたことを思わせ、窪田空穂は、「それだとこの場合、最も自然であり、また情味深いことである」と述べています。

 1119は上の歌との連作であり、「行く川の」は「過ぎ」の枕詞。「過ぎにし人」は、亡くなった人。「うらぶれ」は、しょんぼりして、わびしく思って。今では手折る人も少なくなり、うらぶれて立つ三輪の桧原の神を慰めています。窪田空穂は、「この歌は上の歌とは異なって複雑した心を気分化して詠んでいるものであるが、しかし言葉つづきは直線的で、沈痛な気分の籠もっているものである。人麿の信仰心を濃厚に示している歌である」と述べています。

 一方、古代文学研究者の橋本達雄も、同じく1118の「吾が如」は妻と二人での意を込めているのであろうとしながら、「いにしへの人も私たちと同じように、ここで挿頭を折ったのだが、今は世になく、ともにかざした妻もまた、という感慨なのではないかと思う。やや深読みのようだが、1119およびあとに掲げる1268・1269は一連と考えられるので、このように解しうる。1119は流れゆく川のように世を去った人、すなわち妻を指すが、1118の『いにしへ』人も包みこんだ述べ方であろう。すでに折りかざす人もなく、三輪の檜原がしょんぼり立っているのであって、人麻呂の心をそのまま感情移入したものである。個人的な沈痛な悲しみを人世一般に拡げ、普遍化して嘆くのも人麻呂らしい手法」と述べています。

巻第7-1187

網引(あびき)する海人(あま)とか見らむ飽(あく)の浦(うら)の清き荒磯(ありそ)を見に来(こ)し我(わ)れを

【意味】
 人は、私を網を引く漁師だと思って見るだろうか。実際は、飽の浦の清い荒磯を見に来ただけなのに。

【説明】
 「覊旅」の歌。「網引」は、魚をとるために陸から網を引くこと。「海人とか見らむ」は、漁師だと思って見るだろうか。「飽の浦」は所在未詳ながら、岡山市飽浦かともいわれます。人麻呂の歌に「荒栲(あらたへ)の藤江の浦に鱸(すずき)釣る白水郎(あま)とか見らむ旅行くわれを」(巻第3-252)があり、似通っています。

巻第7-1247~1250

1247
大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背(いもせ)の山を見らくしよしも
1248
我妹子(わぎもこ)と見つつ偲(しの)はむ沖つ藻(も)の花咲きたらば我(わ)れに告げこそ
1249
君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘(つ)むと我(わ)が染めし袖(そで)濡(ぬ)れにけるかも
1250
妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まと)ひこの日暮らしつ
 

【意味】
〈1247〉大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がお作りになった妹と背の山、この山は見るからに素晴らしい。

〈1248〉妻とみなして偲ぼうと思うので、沖の藻の花が咲いたら、どうか私に知らせてほしい。

〈1249〉あなたに差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘み採ろうとして、私が染めて作った着物の袖が濡れてしまいました。

〈1250〉妻のために山菅の実を摘みに出かけた私は、山の中で迷い歩いて、今日一日を暮らしてしまった。

【説明】
 「覊旅」の歌。1247の「大汝」は大国主神の異名で、出雲国中興の神。「少御神」は、大国主神に協力して国土経営にあたったとされる少彦名神。「妹背の山」は、和歌山県かつらぎ町の紀の川を挟んで向き合う背の山と妹山。「見らく」は「見る」の名詞形。1248の「沖つ藻」は、沖のほうにある藻。「告げこそ」の「こそ」は、願望。

 1249の「浮沼の池」は所在未詳ながら、島根県の三瓶山(さんべさん)西南の麓にある浮布池(うきぬいけ)ともいわれます。作者は下級の女官とされ、主人のお供で旅に出かけ、休息の間に故郷にいる夫への土産にするために苦労して菱の実を採ったようです。「菱」は、菱科の水生植物で、『万葉集』には2首詠まれています。1250の「菅」は、カヤツリグサ科スゲ属の植物。ユリ科のヤブランともいわれます。

 なお、『人麻呂歌集』から引用された歌の多くは「略体歌」、すなわち原文の表記に自立語に相当する語あるいは自立語の語幹だけが文字化されており、助詞や助動詞などの付属語は文字化されていません。たとえば1249は「君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉」、1250は「妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮」と、いずれもわずか13の正訓字でのみ表記されています。文字化されていない部分に対する補読を「訓(よ)み添え」といい、正訓字でさえ訓が定まらない場合がある中にあって、これらの歌の訓がいかに不安定で揺れやすいかが分かります。1250の歌で言えば、第3句を「行く我を」「行く我は」などと訓じる説があります。

巻第7-1268~1269・1271

1268
子らが手を巻向山(まきむくやま)は常にあれど過ぎにし人に行き巻(ま)かめやも
1269
巻向の山辺(やまへ)響(とよ)みて行く水の水沫(みなわ)のごとし世の人(ひと)我(わ)れは
1271
遠くありて雲居(くもゐ)に見ゆる妹(いも)が家に早く至らむ歩(あゆ)め黒駒(くろこま)
  

【意味】
〈1268〉巻向山はいつも変わらずあそこにあるが、死んでしまった妻を訪ねていって手枕を交わし、彼女を巻くことができようか、もうできない。

〈1269〉巻向山の麓を鳴り響かせて流れ行く水は、いくら激しくても、泡沫のように消えてあとかたもなくなってしまう。この世に生まれた我らも、すべてこんなふうになるのだ。

〈1271〉遠くにあって雲の彼方にあるとも見える愛しい妻の家、あの家にに早く着きたい。しっかり歩め、黒駒よ。

【説明】
 1268の「子らが手を」は、愛しい妻の手を巻く(枕にする)意から「巻向山」の枕詞。「巻向」は、奈良県桜井市北部の地。「過ぎにし人」は、死んでしまった妻。「行き巻かめやも」は、行ってその手を枕にすることができようか、できはしないの反語。1269の「響みて」は、鳴り響いて。「行く水」は、巻向山の麓を流れる痛足川(穴師川:あなしがわ)の水。人の世の無常を水泡にたとえるのは仏説にもとづいています。亡き妻に思いを馳せつつ、人の命のはかなさを痛感して詠んだ連作で、古代文学研究者の橋本達雄はさらに、上の1118・1119と一連と考えられるとしています。1271は「行路」と題しているので、妻問いの旅の歌と見えます。「雲居」は、雲のあるところ、雲。

巻第7-1272~1273

1272
大刀(たち)の後(しり)鞘(さや)に入野(いりの)に葛(くず)引く我妹(わぎも) 真袖(まそで)もち着せてむとかも夏草(なつくさ)刈(か)るも
1273
住吉(すみのえ)の波豆麻(はづま)の君が馬乗衣(うまのりころも) さひづらふ漢女(あやめ)を据(す)ゑて縫へる衣ぞ

【意味】
〈1272〉太刀の切っ先を鞘に入れる、その入野で葛を刈り取っている妻は、両袖のついた葛の着物を私に着せようと思って夏草を刈っているのか。

〈1273〉住吉の波豆麻のあの方の乗馬服は、わざわざ中国の女性を雇って縫わせた服なんですよ。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。『万葉集』には62首の旋頭歌があり、うち35首が『柿本人麻呂歌集』に収められています。これらは作者未詳歌と考えられており、万葉の前期に属する歌とされます。旋頭歌の名称の由来は、上3句と下3句を同じ旋律に乗せて、あたかも頭(こうべ)を旋(めぐ)らすように繰り返すところからの命名とする説がありますが、はっきりしていません。その多くが、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なる、あるいは、上3句である状況を大きく提示し、下3句で説明や解釈を加えるかたちになっています。
 
 1272の「太刀の後鞘に」は、太刀を鞘に通して収める意で「入り」と続き、「入野」を導く序詞。「入野」は、所在未詳。「真袖」は、両袖。「葛引く」は、織物の繊維にするための葛を取る意。1273の「住吉」は現在の大阪市住吉区を中心とした一帯で、万葉時代から港として知られ、また渡来人が多く住んでいました。「波豆麻」は、人名または地名。「さひづらふ」は、さえずるように賑やかな意で、「漢」の枕詞。「漢女」は、漢から渡来した女性で、機織りや裁縫にすぐれていました。珍しい乗馬服を見た人がこれはどういう衣かと尋ねたのに対し、誇りをもって自慢した歌のようです。

巻第7-1274~1276

1274
住吉(すみのえ)の出見(いでみ)の浜の柴な刈りそね 娘子(おとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)の濡れて行(ゆ)かむ見む
1275
住吉(すみのえ)の小田(をだ)を刈らす子 奴(やつこ)かもなき 奴あれど妹がみためと私田(わたくしだ)刈る
1276
池の辺(へ)の小槻(をつき)の下の小竹(しの)な刈りそね それをだに君が形見に見つつ偲(しの)はむ
  

【意味】
〈1274〉住吉の出見の浜の柴は刈らないでくれ。乙女らが赤い裳裾を濡らしたまま行くのをそっと見たいと思うから。

〈1275〉「住吉の田を刈っているそこのお若いの、働かせる奴(やっこ)はいないのかね」「奴はいますが、でも今は愛する人のためと思い、私自身で刈っているのです」

〈1276〉池のほとりの槻(けやき)の下の篠(しの)は刈らないでください。それだけでもあなたの形見として、見て偲びます。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。1274の「住吉」は現在の大阪市の住吉。「出見の浜」は住吉神社の西の海岸とされますが、今は埋め立てられていて具体的な所在は分かりません。「な~そね」は禁止。「裳」は、女性が腰から下に着た衣装。赤色がふつうで、赤裳はもともとは官女の装いだったようです。男が、出見の浜で柴を苅っている人に言いかけた形ですが、実際にそうしたというわけでなく、そう思ったというにすぎないもので、いわゆるスケベ心の吐露です。乙女らが裳裾を濡らして下半身にまとわりつかせながら歩く姿は肌が透けて見え、ずいぶん色っぽく見えたのでしょう。

 1275の「小田」は小さな田圃。「刈らす」は「刈る」の敬語。「子」は、親しみを持って若い男や女を呼ぶ語で、多くは女への愛称ですが、ここでは稲を刈る青年を指しています。「奴」は、個人の家に隷属している下部(しもべ)。「私田」は、個人所有の墾田。公の許可を得て開墾した田は、一定期間その人の私有とすることができました。ただし、それができるのは有力者で、そのような家には奴もいました。この歌は、通りかかった人が、身分ある若い人が自ら稲苅りをしているのを見て、奴はいないのかと訝かりながら問いかけた片歌と、それに対して、恋人の為に、奴を使わず自分がしているのだと答えた若い人との片歌を組み合わせ、その問答を一首としているものです。

 1276の「篠(しの)」は、しなう、しなやかになびくという意味で、矢竹・女竹(めだけ)・根笹(ねざさ)などの小さい竹や笹などのこと。「な~そね」は、~しないでほしい。「形見」は、近くにいない人の身代わりに見る物。池の辺の篠を形見にするというのは、それまで人目を避けて密会したことの記念にするという意味です。男に逢えなくなった理由は分かりません。

巻第7-1277~1280

1277
天(あめ)にある日売菅原(ひめすがはら)の草な刈りそね 蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に芥(あくた)し付くも
1278
夏蔭(なつかげ)の妻屋(つまや)の下(した)に衣(きぬ)裁(た)つ我妹(わぎも) うら設(ま)けて我(あ)がため裁(た)たばやや大(おほ)に裁て
1279
梓弓(あづさゆみ)引津(ひきつ)の辺(へ)なるなのりその花 摘(つ)むまでに逢はずあらめやもなのりその花
1280
うちひさす宮道(みやぢ)を行くに我(わ)が裳(も)は破(や)れぬ 玉の緒(を)の思ひ乱れて家にあらましを
  

【意味】
〈1277〉天にある日に因む、この日賣菅原の草を刈らないでくれ。せっかくの美しい黒髪にゴミが付いてしまうではないか。
 
〈1278〉夏の日をさえぎる木陰の妻屋の下で衣を裁っているわが妻よ。私のために心づもりして裁っているのなら、もう少し大きめに裁ってくれ。

〈1279〉この引津のあたりに咲いているというなのりその花よ。お前さんが人に摘み取られるまでに逢わないでいるものか、なのりその花よ。

〈1280〉あの人に逢えるかと都大路を行き来しているうちに、私の裳裾はすり切れてしまった。こんなことなら、思い乱れても家にじっとしていればよかった。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。1277の「天にある」は天上の日の意で、「日売菅原」の枕詞。「日売菅原」は地名か、あるいは姫菅(ひめすげ:カヤツリグサ科の多年草)の生える野原の意か。ここでは共寝をする場所として言っています。「草な刈りそね」の「な~そね」は禁止。「蜷の腸」は「か黒き」の枕詞。「か黒き」の「か」は接頭語。「芥」は、ごみ。「し」は強意。前句で「天にある日売菅原」といって天上世界の聖婚の場を想起させながら、後句では草を刈ってはならない理由を、共寝する女の髪に芥、すなわちゴミがつくからと卑俗的なことを言っており、前句と後句の落差に面白さのある歌となっています。

 1278の「夏蔭」は夏の木陰。「妻屋」は、夫婦の寝室。「うら設けて」の「うら」は心で、は心づもりしての意。夫のために衣を仕立てている妻へ呼びかけたもので、若い夫婦間のやさしい情愛が漂っています。ただ、違った解釈もあり、新婚らしい女の裁縫仕事を見た第三者の男が、夫を気取って、「私のためならもう少し大きめに裁ってくれ」と、からかった歌だとするものもあります。とすると、この男の体は夫より少し大柄だったのでしょう。

 1279の「梓弓」は「引津」の枕詞。「引津」は、福岡県糸島市の海岸とされます。「なのりそ」はホンダワラの古名で食用にされました。軽率に名を告(の)るなと親から言い含められている女を譬えています。「やも」は、反語。1280の「うちひさす」は「宮」の枕詞。「宮道」は、皇居へ通う道。「玉の緒の」は「乱れ」の枕詞。「あらましを」の「まし」は反実仮想で、いればよかったのに。

巻第7-1281~1284

1281
君がため手力(たぢから)疲れ織りたる衣(きぬ)ぞ 春さらばいかなる色に擢(す)りてば良けむ
1282
梯立(はしたて)の倉橋山(くらはしがは)に立てる白雲 見まく欲(ほ)り我(わ)がするなへに立てる白雲
1283
梯立(はしたて)の倉橋川(くらはしがは)の石(いし)の橋はも 男盛(をざか)りに我(わ)が渡りてし石の橋はも
1284
梯立(はしたて)の倉橋川(くらはしがは)の川の静菅(しづすげ) 我(わ)が刈りて笠にも編(あ)まぬ川の静菅
  

【意味】
〈1281〉あなたのために腕も疲れて織った着物です、春になったらどんな色に染めたらよいでしょう。

〈1282〉倉橋山にわき立つ白雲を見たいなあと思っていたら、ちょうど白雲がわき立ってきたよ。

〈1283〉倉橋川の石の橋はどうなったろう、私が若い頃に、あの子の家に通うために渡ったあの石の橋はどうなっただろう。

〈1284〉倉橋川の川のほとりに生えている静菅よ、私が刈って笠も編まずにそのままにした川の静菅よ。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。1281は、機織りをしながら女が歌った労働歌謡か。「手力」は腕の力。「疲れ」は、労苦を訴えるものではなく、愛する人のために骨折って織り上げた女性の楽しい気持ちを表現したものです。「春さらば」は、春になったらの意。「さる」は、物が移動することを表し、遠のく場合にも近づく場合にも用いられます。春になったらこう染めようかしら、ああしようかしらという計画も、明るい希望に満ちています。

 なお、「いかなる色に」の原文は「何々」で、本居宣長が「何色」の誤りだと指摘するまでは「いかにいかに」と訓読していました。これについて詩人の大岡信は、「旧訓のほうがこの若い女の胸躍らせて言う口調にふさわしいように思われ、魅力を感じる。『いかなる色に』は、論理的で、その分、心躍りそのものの表現としては『いかにいかに』に劣っているように思われる」と言っています。

 1282~1284の「梯立の」は、高床式の倉に梯子(はしご)を立てたところから「倉」の枕詞。1282の「倉橋山」は、奈良県桜井市にある音羽山。「なへに」は、~と同時に。1283の「倉橋川」は、桜井市の多武峰から倉橋を経て初瀬川に合流する川。「石の橋」は、川の浅い場所に石を並べて橋にした踏み石。1284の「静菅」は、菅の一種ながら、どういう特色のあるものかは不明。以前、この土地の女で、妻にしようと思いながらそのままにしてしまったことを譬えて思い出しています。

巻第7-1285~1289

1285
春日(はるひ)すら田に立ち疲(つか)る君は悲しも 若草(わかくさ)の妻なき君が田に立ち疲る
1286
山背(やましろ)の久世(くせ)の社(やしろ)の草な手折(たを)りそ 我(わ)が時と立ち栄(さか)ゆとも草な手折りそ
1287
青みづら依網(よさみ)の原に人も逢はぬかも 石走(いはばし)る近江県(あふみがた)の物語(ものがた)りせむ
1288
港(みなと)の葦(あし)の末葉(うらば)を誰(た)れか手折(たを)りし 我(わ)が背子が振る手を見むと我(わ)れぞ手折りし
1289
垣越(かきご)しに犬呼び越(こ)して鳥猟(とがり)する君(きみ) 青山(あおやま)の茂(しげ)き山辺(やまへ)に馬(うま)休め君
 

【意味】
〈1285〉村人がみんなで遊ぶこんな日にさえ、田に立って働き、疲れ切ったあんたは哀れなことよ。かわいい妻もいないあんたは、一人っきりで立ち働いて疲れきっている。

〈1286〉山背の久世の神社の草は手折ってはならない。たとえあなたが我が世の盛りとばかり栄えていても、神社の草だけは手折ってはならない。

〈1287〉この依網の原で、誰か人に出くわさないものか。そしたら、近江の国の物語りをしように。

〈1288〉港の葦の葉先を誰が手折ったのか。いとしいあの人に手を振ろうと思って、私が手折ったのさ。

〈1289〉垣根の外から犬を呼び寄せて鷹狩をする若君よ、青山の葉が茂る山のほとりで馬を休めなさい、君よ。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。旋頭歌は『万葉集』全体で62首あり、うち35首が『人麻呂歌集』から採られています。『人麻呂歌集』の旋頭歌には、この歌のように庶民的な生活を詠んだ歌が多くあります。

 1285の「春日」は、豊作を予祝して村中が春山で遊ぶ日。「若草の」は「妻」の枕詞。独身の農夫に同情している、あるいはからかって詠んだ歌謡風の歌です。1286の「久世」は、京都府城陽市久世。「久世の社の草」は、人妻の譬え。「草な手折りそ」の「な~そ」は、禁止。1287の「青みづら」は、語義未詳ながら「依網」の枕詞か。「依網」は、所在未詳。「石走る」は「近江」の枕詞ながら。掛かり方未詳。男が誰かに話したいという物語の内容は不明ですが、詩人の大岡信は、そこがまた魅力だと言っています。1288の「末葉」は、枝の先の方の葉。

 1289の「鳥猟」は、鷹狩り。土地の豪族の若君が犬を連れて鷹狩をしており、その犬が主人より先に走って行き、どこかの家の敷地内に入り込んでしまったのでしょう。追いかけてきた主人は垣根越しに犬を呼び戻そうとしています。その家に住んでいたのが作者の女性だったらしく、憧れの若君にお近づきになれる絶好のチャンスと見て、この辺で休憩されてはいかがですか、と呼びかけている歌です。もともとは女集団の労働歌に近いものだったようです。なお、人間にとってもっとも身近な動物だったはずの犬は、『万葉集』には3例しか見えません。うち1例は単なる喩えに歌われているだけなので、犬そのものを歌っているのはこの歌を含めて2例しかありません。

巻第7-1290~1294

1290
海(わた)の底(そこ)沖つ玉藻(たまも)の名告藻(なのりそ)の花 妹(いも)と我(あ)れとここにしありと名告藻の花
1291
この岡に草刈るわらは然(しか)な刈りそね ありつつも君が来(き)まさば御馬草(みまくさ)にせむ
1292
江林(えばやし)に臥(ふ)せる獣(しし)やも求むるによき 白栲(しろたへ)の袖(そで)巻き上げて獣待つ我(わ)が背
1293
霰(あられ)降り遠つ淡海(あふみ)の吾跡川楊(あとかはやなぎ) 刈れどもまたも生(お)ふといふ吾跡川楊
1294
朝づく日(ひ)向(むか)ひの山に月立てり見ゆ 遠妻(とほづま)を待てらむ人し見つつ偲(しの)はむ

【意味】
〈1290〉沖の彼方に靡く美しい名告藻の花よ、あの子と私とがここに一緒にいるとお互いに名乗る莫告藻の花よ。

〈1291〉この岡で草を刈っている童子(わらべ)よ。そんなふうに根こそぎ刈らないでおくれ。そのままにしておけば、あの方がいらっしゃったときに馬が食べるから。

〈1292〉入江の林にひそむ鹿は捕らえやすいのか、そんなはずはないのに、袖をたくし上げて勇ましく鹿を待っているよ、この人は。

〈1293〉遠江の吾跡川の岸辺の柳よ、刈っても刈ってもまた生い茂るという吾跡川の柳よ。

〈1294〉次第に朝になる向かいの山に月が出ているのが見える。遠くに妻のある旅人は、その月を見ながら妻をしのんでいるのだろうか。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。1290の「海の底」は「沖」の枕詞。「玉藻」の「玉」は美称。「名告藻」は、ホンダワラの古名。1291の「然な刈りそね」の「な~そね」は禁止。「ありつつも」は、ずっとそのままにしておいて。1292の「江林」は、入江の林。「やも」は疑問。「白栲の」は「袖」の枕詞。1293の「霰降り」は「遠江」の枕詞。「吾跡川」は、浜松市北区細江町の跡川か。1294の「朝づく日」は、次第に朝になる日光。人がみな向かい見る意で「向かひ」にかかる枕詞。

巻第7-1296~1299

1296
今作る斑(まだら)の衣(ころも)は面影(おもかげ)に我(わ)れに思ほゆ未(いま)だ着ねども
1297
紅(くれなゐ)に衣(ころも)染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
1298
かにかくに人は言ふとも織(お)り継(つ)がむ我(わ)が機物(はたもの)の白き麻衣(あさごろも)
1299
あぢ群(むら)のとをよる海に舟(ふね)浮(う)けて白玉(しらたま)採(と)ると人に知らゆな
   

【意味】
〈1296〉今作っている斑模様の美しい着物は、君の顔立ちによく似合うだろと思う。まだ君は着てはいないけれど。
 
〈1297〉紅に衣を染めようと思うのですが、それを着て目立ったら、人に知られてしまうでしょうね。
 
〈1298〉あれこれと人は言い騒ぐでしょうけど、私は織り続けます、この白麻の着物を。
 
〈1299〉あじ鴨が群れて揺れ動く海なんかで、舟を浮かべて真珠を採るのはよいけれど、人に知られないように。

【説明】
 1296~1298は「衣(きぬ)に寄せる」歌。1296の「斑の衣」は、花で摺った斑染めの衣。当時の晴れ着だったようで、ここでは年頃前の女に譬えています。3~4句は「美しい着物が目に浮かぶ」とも解釈されます。1297は、「紅」を美しい女に、「衣」を妻に譬えています。要は、求婚を受け入れたいと思うけれど、契りを結んで喜びが顔に出たら人に気づかれてしまうと心配している歌です。

 1298の「かにかくに」は、あれこれと。「織り継がむ」は、関係を続けようという譬え、「白麻衣」は男の譬えで、機を織り続けると言って、ずっと思い続ける気持ちをうたっています。1299は「玉に寄する」歌。「あぢ群」は、アジガモの群れ。「とをよる海」は、揺れ動く海のことで、あれこれ噂する世間を意味しています。「白玉」は真珠で、美女に譬えています。

巻第7-1300~1303

1300
をちこちの礒(いそ)の中なる白玉(しらたま)を人に知らえず見むよしもがも
1301
海神(わたつみ)の手に巻き持てる玉ゆゑに礒の浦廻(うらみ)に潜(かづ)きするかも
1302
海神(わたつみ)の持てる白玉見まく欲(ほ)り千(ち)たびぞ告(の)りし潜(かづ)きする海人(あま)
1303
潜(かづ)きする海人(あま)は告(の)れども海神(わたつみ)の心し得ねば見ゆといはなくに
  

【意味】
〈1300〉あちこちの海辺の石の中にひそむ美しい玉(真珠)を、どうかして他人に知られず見ることができないだろうか。
 
〈1301〉海の神が手に巻き付けている美しい玉(真珠)、その美しい白玉を採りたくて、私は岩の多い海辺で水に潜っているのです。
 
〈1302〉海の神が持っている白玉(しんじゅ)をひと目見たくて、何度も何度も唱えていた、水に潜る海人は。
 
〈1303〉水に潜って真珠を取ろうとする海人は、何度も呪文を唱えても、海の神のお許しが得られなければ真珠には出逢えないというではないか。

【説明】
 「玉に寄せる」歌。1300の「白玉(真珠)」は、尊く美しい女、「をちこちの磯」は、その白玉を厳しく取り巻いて護っている人々を意味しており、作者は近づきがたい高い身分の女に恋しています。そうした女性はずっと家の中にいたため、男は垣間見(かいまみ)、ありていに言えば「のぞき見」するよりほかなかったのです。それにしても「をちこちの」と言っていますから、ひょっとしたら「のぞき趣味」の男が詠んだ歌かもしれません。「もがも」は願望。
 
 1301は、玉を親が大事にしている娘に喩え、手に入れるために苦労していると言っており、1302は、女に言い寄る前に大事な祈願をしたと言っています。「潜き」は、水中に潜って魚介などを獲ること。1303の「海神の心し得ねば」は、親の許しが得られない場合には、の意。

 海人(あま)を詠んだ歌は『万葉集』に66首あります。折口信夫によれば、古代日本では「天(あま)」と「海」は同一視されていたといいます。漁労民をいう「海人」と「天」が同じ「アマ」の音を持つことがその証左とされ、古代の神話的世界観では「天」と「海」が共に「国」の対とされていることからも、その共通性が窺えます。「海」は遠い沖の果てで「天」の壁のそびえ立つ場所と接しているとされていたのです。

巻第7-1304~1306

1304
天雲(あまくも)のたなびく山の隠(こも)りたる我(あ)が下心(したごころ)木(こ)の葉知るらむ
1305
見れど飽かぬ人国山(ひとくにやま)の木(こ)の葉をし我(わ)が心からなつかしみ思ふ
1306
この山の黄葉(もみち)が下の花を我(わ)れはつはつに見てなほ恋ひにけり
  

【意味】
〈1304〉天雲がたなびく山のように、私の隠れた本心は、木の葉が知っているだろう。

〈1305〉見飽きることのない人国山の木の葉を、心から親しく思うよ。
 
〈1306〉この山の黄葉の下に咲いている花をちらりと見たのに、それでかえっていっそう恋しくなった。

【説明】
 1304~1305は「木に寄せる」歌。1304は、片恋の気持ちを木の葉に寄せてうたっています。上2句は「隠る」を導く序詞。「下心」は、内心。1305は前の歌との連作。「人国山」の所在は不明。「人国山の木の葉」は、人妻あるいは他所の女を譬えています。「なつかしみ思ふ」は、慕わしく思う。

 1306は「花に寄せる」歌。「はつはつに」は、ちらりと。花を身分の低く存在の薄い女に譬え、黄葉をその女の周囲にいる華やかで身分のある女に譬えています。

巻第7-1307~1310

1307
この川ゆ舟は行くべくありといへど渡り瀬(ぜ)ごとに守(も)る人あり
1308
大海(おほうみ)を候(さもら)ふ港(みなと)事(こと)しあらばいづへゆ君は我(わ)を率(ゐ)しのがむ
1309
風吹きて海は荒(あ)るとも明日(あす)と言はば久しくあるべし君がまにまに
1310
雲(くも)隠(がく)る小島(こしま)の神の畏(かしこ)けば目こそ隔(へだ)てれ心隔てや
   

【意味】
〈1307〉この川を渡って舟は行くことができるというけれど、どの渡し場にも見張りの人がいる。
 
〈1308〉大海のようすをうかがう港で、もし何か事が起こったら、どちらへあなたは私を連れていって凌いでくれるのでしょうか。
 
〈1309〉風が吹いて海は荒れていますが、船出を明日に延ばしましようなどと言ったら、今度はいつになるやも知れません。あなたの意のままにお任せします。
 
〈1310〉雲に隠れている小島の神が怖いので、視線は離れてはいますが、心の方は離れていないつもりです。

【説明】
 1307は「川に寄せる」歌。「渡り瀬」は、舟で渡るのに都合のよい川瀬。その川瀬を恋路に喩えていますが、邪魔立てする者がいると言っています。

 1308~1310は「海に寄せる」歌。1308は、女性が相手の男に「二人のことで何か事が起こっても、私のためにそれを乗り越えてくれますか」と、「大海を候ふ港」という比喩を用いて尋ねています。「候ふ」は、天候を伺いながら待機すること。「事しあらば」の「事」は事件で、「し」は、強意。「率しのがむ」は、連れて行って凌ぐのだろうか。

 1309の上2句は、世間の風当たりが強いことを譬えています。「久しくあるべし」は、待ち遠しい、いつになるか分からない。「まにまに」は、思うままに。1310の「小島の神」は、女の母親の譬え。「目こそ隔てれ」は、逢うことは控えているが、の意。「心隔てや」の「や」は反語。

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巻第7について
 巻第7は、作者・作歌事情などが不明な歌が多く、おおむね持統期から聖武朝ごろの歌からなっています。雑歌・譬喩歌・挽歌の3部立ですが、雑歌の部に相聞らしい歌があったり、譬喩歌とありながら「寄物陳思」というべき直喩の歌であるなど、その分類は必ずしも厳密ではないようです。
  

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

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『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。

『万葉集』以前の歌集

■「古歌集」または「古集」
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■「柿本人麻呂歌集」
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■「笠金村歌集」
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■「高橋虫麻呂歌集」
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■「田辺福麻呂歌集」
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。
 

万葉の植物

アセビ
ツツジ科の常緑低木。早春にスズラン状の小さなつぼみをつけて花が咲き、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。有毒植物であり、馬が誤って食べると苦しがって、酔っぱらったような動きをするというので「馬酔木」と書きます。

ウツギ
花が「卯の花」と呼ばれるウツギは、日本と中国に分布するアジサイ科の落葉低木です。 花が旧暦の4月「卯月」に咲くのでその名が付いたと言われる一方、卯の花が咲く季節だから旧暦の4月を卯月と言うようになったとする説もあり、どちらが本当か分かりません。ウツギは漢字で「空木」と書き、茎が中空なのでこの字が当てられています。

ケヤキ
ニレ科の落葉高木で、ツキ(槻)とも呼ばれます。幹が太くまっすぐに伸びて、先の方で枝が大きく広がり、成長すると、ほうきを逆さまに立てたような樹形になります。そうした樹形が好まれ、植栽や街路樹にも使われています。

クズ
秋の七草の一つ。マメ科のつる性の多年草で、荒れ地や川原などによく生え、長いつるを伸ばして一面に生え広がります。肥大した根からは良質のデンプンがとれ、それが「葛粉(くずこ)」です。名は、吉野川上流の国栖(くず)が葛󠄀粉の産地であったことに由来します。

センダン
センダン科の落葉高木で、古名は「あふち」「おうち」。生長が早く、大きくなると20mにもなり、夏には大きな木陰を提供してくれます。初夏に淡紫色の花が咲き、 秋には多くの黄色い実をつけます。なお、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」の諺にある栴檀は、これとは異なる木です。

ツユクサ
ツユクサ科の1年草で、道ばたなどでよく見られます。秋に可憐な青花を咲かせますが、朝に咲いて、昼過ぎにはしぼんでしまう短い命です。また、昔はツユクサで布を染めましたが、すぐに色褪せるため、移ろう恋心に例えられました。「月草」はツユクサの古名です。

ヌバタマ
アヤメ科の多年草。平安時代になると檜扇(ひおうぎ)と呼ばれるようになりました。花が終わると真っ黒い実がなるので、名前は、黒色をあらわす古語「ぬば」に由来します。そこから、和歌で詠まれる「ぬばたまの」は、夜、黒髪などにかかる枕詞になっています。

ヒシ
池や沼に生える一年生の水草。水底に細い根があり、茎を伸ばして水面で放射状に菱形の葉を浮かべます。茎と葉をつなぐ長い葉柄(ようへい)の中ほどに内部がスポンジ状に膨らんだものがあり、浮袋の役割を果たしています。 夏に白い小花を咲かせますが、小さいので目立ちません。『万葉集』には2首詠まれています。

モミジ
「もみじ」は具体的な木の名前ではなく、赤や黄色に紅葉する植物を「もみじ」と呼んでいます。現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』では殆どの場合「黄葉」となっています。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられています。さらに「もみじ」ではなく「もみち」と濁らずに発音していたようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。

ヤブカンゾウ
中国北部が原産のススキノキ科の多年草で、初夏から夏にかけて濃いオレンジ色の花を咲かせます。ユリの花に似ており、以前はユリ科に分類されていましたが、DNA解析によって変更されました。結実はせず根で増えていくので、多く群生が見られます。古くから愛され、『万葉集』では「忘れ草」の名で登場します。

和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

古典文法

係助詞
助詞の一種で、いろいろな語に付いて強調や疑問などの意を添え、下の術語の働きに影響を与える(係り結び)。「は・も」の場合は、文節の末尾の活用形は変化しない。
〔例〕か・こそ・ぞ・なむ・や

格助詞
助詞の一種で、体言やそれに準じる語に付いて、その語とほかの語の関係を示す。
〔例〕が・に・にて・の

間投助詞
助詞の一種で、文中や文末の文節に付いて調子を整えたり、余情や強調などの意味を添える。
〔例〕や・を

接続助詞
助詞の一種で、用言や助動詞に付いて前後の語句の意味上の関係を表す。
〔例〕して・つつ・に・ば・ものから

終助詞
助詞の一種で、文末に付いて、疑問・詠嘆・願望などを表す。
〔例〕かし・かな・な・なむ・ばや・もがな

副助詞
助詞の一種で、さまざまな語に付いて、下の語の意味を限定する。
〔例〕さへ・し・だに・

助動詞
用言や体言に付いて、打消しや推量などのいろいろな意味を示す。

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