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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

東歌(巻第14)~その2

巻第14-3410~3414

3410
伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)ねもころに奥(おく)をな兼(か)ねそまさかしよかば
3411
多胡(たご)の嶺(ね)に寄(よ)せ綱(づな)延(は)へて寄すれどもあに来(く)やしづしその顔(かほ)よきに
3412
上(かみ)つ毛野(けの)久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの葛葉(くずは)がた愛(かな)しけ子らにいや離(ざか)り来(く)も
3413
利根川(とねがは)の川瀬も知らず直(ただ)渡り波に逢ふのす逢へる君かも
3414
伊香保(いかほ)ろの八尺(やさか)の堰塞(ゐで)に立つ虹(のじ)の現(あら)はろまでもさ寝(ね)をさ寝てば
  

【意味】
〈3410〉伊香保の山沿いの榛原、その榛(はん)の木の入り組んだ根のように、くよくよと二人の先のことまで心配しなくていい。今の今が幸せならそれでいいではないか。

〈3411〉多胡の嶺に綱をかけて引き寄せようとしても、ああ悔しい、びくともしない、その顔が美人ゆえに。

〈3412〉久路保の嶺の葛葉の蔓が別れて伸びていくように、愛しい妻といよいよ遠ざかって行くことだ。

〈3413〉利根川を渡る浅瀬の場所も分からないままむやみに渡り、だしぬけに波に遭ったように、思いがけずも逢っているあなたです。
 
〈3414〉伊香保の八尺の堰(せき)に立つ虹のように、はっきり見えるくらいに明るくなるまで、一緒に共寝できたらなあ。

【説明】
 上野(かみつけの)の国の歌。3410の「伊香保ろ」の「伊香保」は、群馬県のほぼ中央に位置する榛名山、「ろ」は接尾語。「沿ひの榛原」は、山沿いの榛原。「榛原」は、ハンノキの生えている原。上2句は「ねもころに」を導く序詞。「ねもころに」は、心こまかに、くどくどと。「奥」は、将来の意。「な兼ねそ」の「な~そ」は、禁止。「兼ぬ」は、先のことを前もって心配すること。「まさかしよかば」の「まさか」は、現在。現在さえよかったならば。この歌は、男の求婚に対して、将来に不安を抱いていろいろ心配し、返事をためらっている女に対してのものと見られますが、現実主義なのはどちらかというと女性の方だから、女の歌だとする見方もあるようです。上代の人々が「将来」のことを「奥」といっているのには、将来は向こうにあるものでも、向こうから来るものでもない、現在の奥にあるのが将来だという考え方があったのかもしれません。

 3411の「多胡の嶺」は、多胡の地の山ながら所在未詳。「寄せ綱延へて」は、重い物を引き寄せる綱を延ばしてかけて。土地に綱を掛けて引き寄せるという古代の信仰や自然観は、祈年祭の祝詞に「遠き国は八十綱うち懸けて引き寄することの如く」とあり、また出雲風土記には国引き神話としてあるもの。ここは、美貌の女に言い寄って何とか相手の気を引こうとする譬喩。「あに来や」は、どうして寄って来ようか、来はしない。女が一向に靡いてこない譬喩。「しづし」は語義未詳ながら、「静し」で「静けし」の方言と見る説があり、山がじっとして動かない意。「その顔よきに」は、その顔がよいことによって、その美貌をいいことに。女にまったく相手にされなかった男の自嘲の歌であり、窪田空穂は、「風の変わった、手腕のある歌」と評しています。
 
 3412の「久路保の嶺」は、黒檜岳(標高1828m)を最高峰とする赤城山の古名とされます。赤城山は、榛名山・妙義山とともに上毛三山と呼ばれます。「葛葉がた」は、葛葉の蔓のことで、葛葉の蔓が別れ離れて行くようにの意。「愛しけ」は「かなしき」の東語。「子ら」の「ら」は、接尾語。「いや離り来も」の「いや離り来も」の「いや」は、いよいよ、ますます。「も」は、詠嘆の終助詞。愛する女を後に残し、防人などで、信濃路のほうへ向かって行く男が、途中、赤城の山を振り返り、その遠ざかったのを見て、別離の感を新たにしている歌です。

 3413は、利根川の上流地域で詠まれた歌で、利根川の名が出てくる唯一の「東歌」。利根川は、わが国では信濃川に次ぐ長さですが、全流域面積は日本最大の川です。「川瀬も知らず」は、川の深いのも浅いのも弁えず、確かめもせず。「波に逢ふのす」の「のす」は、~のようにの意の「なす」の東語で、波に遭ったように。上4句は「思いがけず」の比喩となっていますが、女に逢う直前に男が実際に経験したことでもあるようです。「「逢へる君かも」の「かも」は、詠嘆の終助詞で、初めて女の許へ通って行った男が、思いがけずも女と結ばれたことを喜んでいる歌です。他の解釈として、無謀と知りつつあなたに身を任せたのよ、と訴える女の歌、あるいは、山野の道かどこかでばったりと思う男に逢った女の驚きの歌であるとする見方もあります。

 3414の「伊香保ろ」は、榛名山というより、その山麓地帯。「八尺」は、大きい、長いこと。地名とする説もあります。「堰塞」は、水を堰き止めてあるところ。「虹(のじ)」は「虹(にじ)」の東語。虹は、中国の『詩経』では邪淫のものとされていたため、それが継承され、上代の人々にとっても忌み憚られるものだったようです。また、蛇神の顕現として畏怖の対象とされていたことから、ここでは、神的なものが目に見える形で現れ出ることを意味する「立つ」という言葉が使われています。「虹」を詠った歌は『万葉集』中ではこの1首のみです。上3句は、虹が鮮やかに現れるところから、「現はろ」を導く譬喩式序詞。「現はろ」は「あらわる」の東語。「まで」は、~ほどに、~くらいにの意を表す副助詞。上掲の解釈とは別に、「人目につくほどに」と解するものもあります。「さ寝をさ寝てば」の「さ」は接頭語で、寝るだけ寝られたならば。

巻第14-3415~3420

3415
上(かみ)つ毛野(けの)伊香保(いかほ)の沼(ぬま)に植(う)ゑ小水葱(こなぎ)かく恋ひむとや種(たね)求めけむ
3416
上(かみ)つ毛野(けの)可保夜(かほや)が沼(ぬま)のいはゐつら引かばぬれつつ我(あ)をな絶えそね
3417
上(かみ)つ毛野(けの)伊奈良(いなら)の沼(ぬま)の大藺草(おほゐぐさ)外(よそ)に見しよは今こそまされ
3418
上(かみ)つ毛野(けの)佐野田(さのだ)の苗(なへ)の群苗(むらなへ)に事(こと)は定めつ今はいかにせも
3419
伊香保(いかほ)背(せ)よ汝(な)が泣かししも思(おも)ひ出(ど)ろ隈越(くまこそ)しつと忘れ為(せ)なふも
3420
上(かみ)つ毛野(けの)佐野(さの)の舟橋(ふなはし)取り離(はな)し親は放(さ)くれど我(わ)は離(さか)るがへ
  

【意味】
〈3415〉上野の伊香保の沼に植えてある小水葱。こんなに恋に苦しもうとして、わざわざ種を求めたわけでもないのに。

〈3416〉上野の可保夜が沼に生えるいわい葛(づら)のように、引き寄せたらほどけて私に寄り添い、決して私との仲を絶やさないでおくれ。

〈3417〉上野の伊奈良の沼に生える大藺草(おおいぐさ)ではないが、遠くから見ていた時より、我がものとした今の方が恋しさがまさる。

〈3418〉上野の佐野の田の苗の、群苗でする占いで結婚相手が決めてしまったので、今さらどうにもなりません。
 
〈3419〉伊香保に住むあなたよ、あなたが私のために泣いて下さったことを思い出します。道の隈をいくつも越えておいでになったことを、忘れようにも忘れられません。

〈3420〉上野の佐野の舟橋を取りはずすように、親は私たちの仲を引き割こうとするけれど、私は離れようか、離れはしない。

【説明】
 上野(かみつけの)の国の歌。3415の「伊香保の沼」は、榛名山上の榛名湖とされますが、湖面の標高が1084mもある上に、いろいろ条件が合わないとして、山麓の沼と見る説もあります。「植ゑ小水葱」は、植えてある小水葱。「小水葱」は、夏から初秋にかけて青紫色の小さな花を咲かせる水草のミズアオイの類で、ここは愛する女の譬え。「かく恋ひむとや」は、こんなに恋に苦しもうとして。「や」は、反語。「種求む」の「種」は原因の意で、「種求む」は共寝することの譬え。女と関係を結んだものの、そのために恋の悩みに苦しむことになったことを後悔している男の歌です。

 3416の「可保夜が沼」は、所在未詳。「いはゐつら」は、岩に生える蔓草か。上3句は「引かばぬれつつ」を導く譬喩式序詞。「ぬれつつ」の「ぬる」は、ほどける。「我をな絶えそね」の「な~そ」は禁止で、私との仲を絶やさないでほしい。3417は『柿本人麻呂歌集』に出ているとの注がある歌。「伊奈良の沼」は、所在未詳。「大藺草」は、カヤツリグサ科の多年草のフトイ。上3句は「外に見る」を導く譬喩式序詞。「外に見しよは」は、遠くから見ていた時より。3418の「佐野」は、高崎市の東南一帯。「群苗」は「占ひ」を掛けたもの。「事は定めつ」は、結婚相手を決めてしまった。

 3419の「伊香保背よ」は、伊香保に住む我が夫よ。「泣かししを」は、あなたが泣いて下さったことを。「思ひ出ろ」は「思ひ出づる」の訛り。「隈越しつと」は、山路の隈をいくつも廻って来たことを。「隈」は、道の曲がり角。「忘れせなふも」の「なふ」は、打消の助動詞。ただ、この歌の「汝が泣かししも思ひ出ろ隈越しつと」の部分の原文「奈可中吹下 於毛此度路 久麻許曾之都等」は、訓義とも難解で、未だ定説を得ていません。

 3420の「佐野の舟橋」について、『枕草子』第65段に「橋は」とある中に、当時有名だった橋の名が18列挙されており、その6番目に「佐野の舟橋」が出てきます。「舟橋」というのは、舟を何艘か横に並べ、その上に丸太や板を渡した橋のこと。その所在は、群馬県高崎市の烏川流域または栃木県佐野市などとする説があります。上3句は「放く」を導く譬喩式序詞。「親は放くれど」は、親は二人の仲を割こうとするけれど。「がへ」は、反語を表す「かは」にあたる東国方言。母親に恋人との交際をさしとめられた娘が詠んだものと見えますが、上3句を序詞ではなく実叙とすれば、女の許に通う男の歌とも取れます。
 
 東歌には、大きな地名に小さな地名を重ねた言い方をしているものが数多く見られます。ここにある「上つ毛野」で始まる歌もそうですし、他にも「葛飾の真間」「信濃なる千曲の川」「足柄の刀比」「鎌倉の見越の崎」など、くどいとも言える地名表現が多々あります。地元の人たちが詠む歌の物言いとしてはかなり不自然であり、いかにも説明的であるところから、中央の関係者によって手が加えられたものと想像できます。方言が含まれていない歌もたくさん見られます。

巻第14-3421~3425

3421
伊香保嶺(いかほね)に雷(かみ)な鳴りそね我(わ)が上(へ)には故(ゆゑ)はなけども子らによりてぞ
3422
伊香保風(いかほかぜ)吹く日吹かぬ日ありと言へど我(あ)が恋のみし時なかりけり
3423
上(かみ)つ毛野(けの)伊香保の嶺(ね)ろに降ろ雪(よき)の行き過ぎかてぬ妹(いも)が家のあたり
3424
下(しも)つ毛野(けの)三毳(みかも)の山の小楢(こなら)のす目(ま)ぐはし児(こ)ろは誰(た)が笥(け)か持たむ
3425
下(しも)つ毛野(けの)安蘇(あそ)の川原(かはら)よ石踏まず空(そら)ゆと来(き)ぬよ汝(な)が心 告(の)れ
  

【意味】
〈3421〉伊香保の嶺に雷が鳴らないでくれ。私には差し支えないが、愛しい妻のために。
 
〈3422〉伊香保の風は吹く日も吹かぬ日もあるというが、私の恋心はやむときがない。

〈3423〉伊香保のあの嶺に降る雪ではないが、とても行き過ぎ難い、あの子の家のあたりは。

〈3424〉下野の三毳の山の小楢のように美しいあの子は、将来いったい誰のために食物の器を差し出すことになるのだろう。
 
〈3425〉下野の安蘇の川原の石を踏まずに、空を飛ぶ思いでやってきたのだ。さあ、お前の本当の気持ちを言ってくれ。

【説明】
 3421~3423は上野(かみつけの)の国の歌。3421の「伊香保嶺」は、群馬県の榛名山。「な鳴りそね」の「な~そね」は、禁止の願望。「我が上には」は。私にとっては。「故はなけども」は、支障はないが、何ともないが。「子らによりてぞ」は、わが妻のために。群馬県の山間部は今も雷の名所として知られており、国文学者の折口信夫は、「雷鳴を遠ざける呪文の様に用ゐられたものだらう」という解釈をしています。

 3422の「伊香保風」は、伊香保の地を吹く風、伊香保山から吹き降ろす風。「我が恋のみし」の「のみ・し」は、共に強意の副助詞。「時なかりけり」は、絶え間がない。「けり」は、感動の助詞。3423の「降ろ雪」は「ふる」の東語。「雪(よき)」は「ゆき」の東語。上3句は「行き」を導く同音反復式序詞。「行き過ぎかてぬ」の「かて」は、~できる意の補助動詞「かつ」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。同じく上州名物の空っ風と雪がこの2首で歌われています。
 
 3424・3425は下野(しもつけの)の国の歌。下野国は栃木県一帯。3424の「三毳の山」は、栃木県佐野市東方の標高223mの山。「小楢のす」の「小楢」は楢の若木、「のす」は、~のようにの意の「なす」の東語で、小楢のように。「目ぐはし」は、目に見えて美しい。「くはし」は、完璧な美しさ、霊妙さをいう賛美表現で、『万葉集』では「細」「麗」「妙」の字があてられています。「児ろ」は、女の愛称の東語。「誰が笥か持たむ」の「笥」は、飯を盛る食器のことで、誰のために笥を持つことであろうか。万葉学者の伊藤博は、「愛すべき魅力ある歌。男の深い懸念を活写して、すこぶる新鮮、集中でも特記すべき表現」と評しています。一方、文学者の犬養孝は、「あきらめや羨望ではなくて、”あの娘は私の妻になるのに決まっている”の心ぐみであろう」とも。また、佐佐木幸綱は、「山の木を女性にたとえるのは、大和の感覚あるいは後世の感覚では不自然かもしれないが、このあたりの比喩の無骨さこそ、『東歌』の愛すべきところなのではないか」と言っています。

 3425の「安蘇の川原」は、栃木県佐野市を流れ、渡良瀬川に合流する秋山川。「川原よ」の「よ」および「空ゆと」の「ゆ」は、いずれも、起点・経由点を示す格助詞。「汝が心告れ」は、あなたの本当の気持ちを言ってください。なお、前出の3404では上つ毛野の安蘇となっているのに対し、こちらは下つ毛野の安蘇となっていますが、水島義治『校註万葉集東歌・防人歌』によれば、「上野国と隣接する下野国の足利、安蘇の二郡のあたりは渡良瀬川の流水変遷により、その所属に異動があったか、あるいは安蘇郡はもともと両国に跨って呼ばれたものであろう」と説明されています。
 
 斎藤茂吉は3424・3425について次のように評しています。「こういう歌は、当時の人々は楽々と作り、快く相伝えていたものとおもうが、現在の吾々は、ただそれを珍しいと思うばかりでなく、技巧的にもひどく感心するのである。小樽の若葉の日光に透きとおるような柔らかさと、女の膚膩(ふじ)の健康な血をとおしている具合とを合体せしめる感覚にも感心せしめられるし、『誰が笥か持たむ』という簡潔で、女の行為が男に接触する程な鮮明を保持せしめているいい方も、石も踏まずとことわって、さて虚空を飛んで来たという云い方も、一体どこにこういう技法力があるのだろうとおもう程である」。作家の田辺聖子も、3425について「何とも楽しい、線の太い歌。こう、むきつけに迫られては、男が可愛くなって、女も『否(いや)よ』とはいえないのではないか」と述べています。

巻第14-3426~3430

3426
会津嶺(あひづね)の国をさ遠(とほ)み逢(あ)はなはば偲(しの)ひにせもと紐(ひも)結ばさね
3427
筑紫(つくし)なるにほふ子ゆゑに陸奥(みちのく)の可刀利娘子(かとりをとめ)の結(ゆ)ひし紐(ひも)解く
3428
安達太良(あだたら)の嶺(ね)に臥(ふ)す鹿猪(しし)のありつつも我(あ)れは至らむ寝処(ねど)な去りそね
3429
遠江(とほつあふみ)引佐細江(いなさほそえ)の水脈(みを)つくし我(あ)れを頼(たの)めてあさましものを
3430
志太(しだ)の浦を朝(あさ)漕(こ)ぐ船は由(よし)なしに漕ぐらめかもよ由(よし)こさるらめ
  

【意味】
〈3426〉会津嶺のある、この国が遠くなってしまえば簡単に逢えなくなる。お前を偲ぶよすがにしたいので、着物の紐をしっかり結んでおくれ。

〈3427〉筑紫の国の匂うばかりの美しい娘のおかげで、陸奥の可刀利の娘が結んだ着物の紐を解いてしまったよ。
 
〈3428〉安達太良山の鹿猪(しし)がいつも同じねぐらに帰って寝るように、私もいつまでも変らず通ってきて共寝をしようと思うから、そのまま寝床を変えないでほしい。

〈3429〉遠江の引佐細江に作られたみおつくしのように、私に頼りにさせておいて、でも本当は浅い気持ちだったのですね。

〈3430〉志太の浦を朝早く漕いで行く舟は、わけもなくあんなに急いで漕いでいるのだろうか。そんな筈はない、きっとわけがあって漕いでいるに違いない。

【説明】
 3426~3428は、陸奥(みちのく)の国の歌。陸奥は東山道・東海道の奥の国というので、大和朝廷の時代には「道奥(みちのおく)」と呼ばれました。ほぼ今の福島県にあたります。ここの3首が『万葉歌』のほぼ北限と考えられます。これより北の「陸奥の小田なる山(宮城県涌谷町)」(巻第18-4094)も見えますが、これは大伴家持によって越中国(富山県)で詠まれた歌です。3426の「会津嶺」は、福島県の磐梯山。「さ遠み」の「さ」は、接頭語。「遠み」は「遠し」のミ語法で、遠いので。「逢はなはば」の「なは」は、打消しの助動詞「ぬ」の東語「なふ」の未然形。逢えなくなったら。「せも」は「せむ」の東語。「紐結ばさね」の「紐」は、夫の下紐。「ね」は、希求の終助詞。

 3427の「筑紫なる」は、筑紫(九州北部)にいる。「にほふ」は、美しい、色っぽい。「可刀利娘子」の「可刀利」は、東国の地名とみられるものの所在未詳、あるいは縑(かとり)、すなわち固織りの意味で、織物の一種のこととして、「可刀利娘子」はこれを織る乙女と見る説もあります。いずれにせよ、紐を結ぶ関係にあるので、この男の恋人と見られます。「結ひし紐解く」は、再会するまで他の女とは接触しないと誓って結んだ下着の紐を解くこと。この歌は、防人あるいは俘囚の部領使(ことりづかい)などとして筑紫に行った男の歌とされますが、心変わりをした男を恨んで作った女の歌とする解釈もあります。大宰府が置かれた筑紫は、東国から見ればいわば先進地域であり、洗練された女性に目を奪われたことでしょう。
 
 3428の「安達太良の嶺」は、福島県二本松市の西方にある安達太良山。「臥す鹿猪の」は、そこを臥所としている鹿猪のように、で、猪鹿は一たび臥所と定めたところは決して他に移さない習性を持っているところから、ここまでの2句が譬喩として「ありつつ」を導く序詞になっています。「ありつつも」は、いつまでも変らずに。「な去りそね」の「な~そね」は禁止で、離れないでくれ。男が女に対し、自分の変わらぬ愛を誓い、女にもそうあってほしいと言っています。序詞の内容から、作者は狩猟を生業にしていた人ではないかとされ、その僕実さがうかがえる歌となっています。
 
 3429は遠江の国(静岡県西部)の歌。古代、浜名湖を「遠つ淡海」、琵琶湖を「近つ淡海」と呼んでいました。「遠つ」「近つ」は、都から遠い、近いの意で、その後それぞれ国名になったものです。「引佐細江」は、浜名湖東北部の入江。「水脈つくし」は、水路の目印として立てた杭。「我れを頼めて」は、私を頼りにさせておいて。「あさまし」は、浅いだろう。「ものを」は、詠嘆的な感情を表す終助詞。女が薄情な男を恨んでいる歌です。

 3430は駿河の国(静岡県中部)の歌。「志太の浦」は、静岡県中南部の大井川の河口とされ、当時はかなり奥まで湾入していたといいます。「由なしに」は、理由なしに。「漕ぐらめかもよ」の「らめ」は、現在推量の助動詞「らむ」の已然形で、疑問の「かも」が付いて反語となっているもの。「こさるらめ」は、「こそあるらめ」の約音。男が、朝早くから、何処へ行くともなく舟を漕ぎ回っているのは、そこに好きな女の家があるからで、その不自然な動きを見て、「由こさるらめ(きっとわけがあるのだろう)」と言ってからかっている、あるいは、大発見のごとく女の許からの朝帰りであろうと想像している歌です。

巻第14-3431~3435

3431
足柄(あしがり)の安伎奈(あきな)の山に引(ひ)こ船の後(しり)引かしもよここば児(こ)がたに
3432
足柄(あしがり)の吾(わ)を可鶏山(かけやま)のかづの木の吾(わ)をかづさねも門(かづ)さかずとも
3433
薪(たきぎ)伐(こ)る鎌倉山(かまくらやま)の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)が言はば恋ひつつやあらむ
3434
上(かみ)つ毛野(けの)阿蘇山(あそやま)つづら野を広み延(は)ひにしものをあぜか絶えせむ
3435
伊香保(いかほ)ろの沿(そ)ひの榛原(はりはら)我(わ)が衣(きぬ)に着(つ)きよらしもよひたへと思へば
  

【意味】
〈3431〉足柄の安伎奈の山で作った舟を後ろに引きながら下ろすのが難しいように、後ろ髪を引かれるようだ、こんなにひどく、あの子のゆえに。

〈3432〉足柄の、私に心を懸けているという可鶏山のように、私をかどわかして下さい、門(かど)を閉ざしていようとも。

〈3433〉薪を伐る鎌、その鎌倉山の枝をしならせている木を、松(待つ)とさえお前が言うならば、こんなに恋い焦がれてばかりいずに、すぐに帰って来ようよ。

〈3434〉上野の阿蘇山のつづらは、野が広いので伸び放題に広がる。そんな思いで私たちの間も続いてきたのに、どうして今になって絶えることがありましょう。

〈3435〉伊香保の山沿いに広がる榛の実は、私の着物によく染まることだ。一重(ひとえ)で裏がないから。

【説明】
 3431~3433は、相模の国の歌。3431の「足柄(あしがり)」は「あしがら」の訛音で、神奈川県と静岡県の県境。「安伎奈の山」は、所在未詳。「引こ船」の「引こ」は「引く」の東語で、山で作った舟を、綱を引いて制御しながら川まで運ぶこと。上3句は「跡引かし」を導く譬喩式序詞。「後引かしもよ」の「もよ」は、詠嘆の終助詞で、後ろ髪を引かれるようだ。「ここば」は、たいそう、甚だしく。「児がたに」は、児のために。「来がたに」として、来るのが難しいと解する説もあります。

 3432の「吾を可鶏山」は、所在未詳。「かづの木」は「かぢの木」の東北訛りで、ウルシの一種であるヌレデを指すといわれます。上3句が「かづさねも」を導く同音反復式序詞。「かづさねも」の意味が分からず、「かづさ」は「かづす」の未然形で、誘う意の「かどふ」と同じ意味ともいわれます。「門(かづ)」は「かど」の東語。あるいは「殻(かづ)割かずとも」として「殻を割かなくても」と解する説もあります。難解な歌ですが、女が男を口説き、自分を盗み出してくれと訴えている歌と解するほかないようです。

 3433の「薪伐る」は、鎌を用いるところから「鎌倉」の枕詞。「鎌倉山」は、今の鎌倉市の背後にある丘陵地帯。「木垂る木」は、枝葉が垂れるほどに繁った木。上3句は、「まつ」を導く序詞で、「まつ」は「松」と「待つ」を掛けています。「恋ひつつやあらむ」の「や」は反語で、何でこんなに恋い焦がれていようか。裏に、すぐにでも飛んで行く意を含んでいます。賀茂真淵は、防人出立の折の男の歌かもしれないとの説を唱えていますが、普通の相聞歌のようでもあります。

 3434~3435は、上野の国の歌。3434の「阿蘇山」は、所在未詳。「阿蘇山つづら」は、阿蘇山のつづら。「つづら」は、蔓草の総称。「野を広み」の「広み」は「広し」のミ語法で、野が広いので。「延ひにしものを」は、延い広がるように、二人の仲もずっと続いてきたのに。「あぜか絶えせむ」の「あぜ」は、どうしての意の東語。3435の「伊香保ろ」は、榛名山。「沿ひの榛原」は、山沿いのハンノキが生えている原。「着きよらしもよ」の「よらし」は「よろし」の古形。「ひたへ」は、一重。純粋の意の「ひたたへ」の略とする見方もあります。

巻第14-3436~3440

3436
しらとほふ小新田山(をにひたやま)の守(も)る山のうら枯(が)れ為(せ)なな常葉(とこは)にもがも
3437
陸奥(みちのく)の安達太良(あだたら)真弓(まゆみ)はじき置きて反(せ)らしめきなば弦(つら)はかめかも
3438
都武賀野(つむがの)に鈴(すず)が音(おと)聞こゆ可牟思太(かみしだ)の殿(との)の仲子(なかち)し鳥猟(とがり)すらしも
[或本の歌に曰く、美都我野に、また曰く、若子し]]
3439
鈴が音(ね)の早馬駅家(はゆまうまや)の堤井(つつみゐ)の水を賜(たま)へな妹(いも)が直手(ただて)よ
3440
この川に朝菜(あさな)洗ふ子 汝(な)れも我(あ)れもよちをぞ持てるいで子 給(たば)りに [一云に汝( まし)も我れも]
  

【意味】
〈3436〉新田山の山守に大切に守られている木々のように、梢が枯れることなく、ずっと青葉でいてほしい。

〈3437〉陸奥の安達太良山の真弓は、弦をはずして反らせたままにしていたら、もう二度と弦は張ることはできません。

〈3438〉都武賀の野から鈴の音が聞こえる。可牟思太のお屋敷に住む若様が鷹狩りをなさっているらしい。

〈3439〉駅鈴(えきれい)の音が聞こえる早馬のいる駅家の、湧き井戸の水を下さい、娘さん、あなたの素手で直接に。
 
〈3440〉この川で朝菜を洗う娘さん、あなたも私も互いによちを持っていますよね。私にあなたのよちを下さいな。

【説明】
 3436は、上野の国の歌。「しらとほふ」は、語義、掛かり方とも未詳ながら、「小新田山」の枕詞。「小新田山」の「小」は、親愛の意を込めた美称。「新田山」は、太田市北方の金山(かなやま)で、3408でもうたわれています。「守る山」、つまり番人を置いて盗伐を禁止した山だったようです。「末枯れ」は、枝先が枯れること。「為なな」の「なな」は「なふ」の連用形。「もがも」は、願望。男女いずれの歌か不明で、また夫婦間の相聞、あるいは親、子どもに対して言っているようにも受け取れます。

 3437は、陸奥の国(福島、宮城、岩手、秋田、青森の各県)の歌。「安達太良」は、福島県二本松市の安達太良山。「真弓」は、マユミの木で作った強靭な弓。「はじき置きて」は、弓の用が済んでそのままにしておくこと。「弦はかめかも」は、弦を元の通り張ることができない。「かも」は、反語。弓は、通常、使用しない時は弦をはずして弾力を弱らせないようにするものの、あまりに長く放置すると弓が反ったままになり弦が張れなくなる、と言っています。安達太良真弓を自身に喩え、男から甚だしく疎遠にされている女の訴えの歌です。
 
 3438から、未勘国歌(国名のない歌)140首(或本歌を除く)が並びます。3438の「都武賀野」は、所在未詳。「鈴が音」は、鷹狩の際に鷹の尾羽に付けた鈴が鳴る音。「可牟思太」は、所在未詳。「仲子」は、次男、あるいは長男・末子以外の男子。「し」は、強意の副助詞。「鳥猟すらしも」は、鷹狩をしているらしいよ。「らしも」の「らし」は、強い推量、「も」は、感動の助詞。作者は、まだうら若い乙女でしょうか、その土地の豪族か、都から赴任した地方官の御曹子が鷹狩を楽しんでいる様子に、そこはかとない羨望と憧憬を感じている歌です。

 3439の「鈴が音の」は、公用の時に馬に鈴を付けたところから「早馬」に掛かる枕詞。「早馬(はゆま)」は「はやうま」の約。「早馬駅家」は、官吏が利用する公用の馬を置く駅舎で、宮道のおよそ30里(約16km:江戸時代に定められた1里=約4kmとは異なる)ごとに設けられ、官人の宿所と食糧を提供する施設も兼ねていました。「堤井」は、湧水の周りを石や木で囲った井。「賜へな」の「な」は、願望の終助詞。「直手」は、手でじかにの意。「よ」は、手段・方法を示す格助詞。~から。この歌は、駅家にあって、食事その他の雑用で働く若い女性、つまり駅家の娘さんに声をかけた形の歌、あるいは宿場の宴での戯れ歌と見られますが、作家の大嶽洋子は、「鈴の音、早馬、つつみ井、水を渡す美少女の白い手と言葉の躍動感とともに視覚的にも美しい」と評しています。

 3440の「朝菜洗ふ子」は、朝方の川門などで菜を洗っている娘に呼びかけた語。「よち」は、似合いの物、同じ年頃の子。ここでは互いの性器を隠喩しているといわれ、俗に男性器をムスコ、女性器をムスメと言うのになぞらえて、「あなたの娘と私の息子はお似合いだ」と戯れて言っています。「いで」は、相手を誘う気持ちを表す感動詞。宿場の女に声をかけた歌のようですが、このようなあからさまな歌も堂々と収録されているのが『万葉集』です。

巻第14-3441~3445

3441
ま遠くの雲居(くもゐ)に見ゆる妹(いも)が家(へ)にいつか至らむ歩め我(あ)が駒(こま)
3442
東道(あづまぢ)の手児(てご)の呼坂(よびさか)越えがねて山にか寝(ね)むも宿りはなしに
3443
うらもなく我(わ)が行く道に青柳(あをやぎ)の張りて立てれば物思(ものも)ひ出(で)つも
3444
伎波都久(きはつく)の岡(をか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘(つ)めど籠(こ)にものたなふ背(せ)なと摘まさね
3445
港(みなと)の葦(あし)が中なる玉小菅(たまこすげ)刈(か)り来(こ)我(わ)が背子(せこ)床(とこ)の隔(へだ)しに
  

【意味】
〈3441〉はるか遠くの雲の彼方にあの娘(こ)の家が見える。早くたどり着きたいと思う。さあ、しっかり歩め、わが馬よ。

〈3442〉東国へ行く道にある手児の呼坂は越えられず、この分だと山中に寝ることになりそうだ。宿を貸してくれる家もないままに。

〈3443〉何の気なしに歩いていたら、行く道に青柳が芽吹いていたのを見て、ふと物思いをしたことだ。

〈3444〉伎波都久の岡のくくみらは、いくら摘んでも籠にいっぱいにならない。あなたのいい人と二人でお摘みなさい。

〈3445〉河口の葦に交じって生い茂る小菅を刈り取って来てよ、あなた。寝床の目隠しのために。

【説明】
 3441の「ま遠く」の「ま」は、接頭語。「雲居」は、雲のあるところ、すなわち空。「いつか至らむ」は、いつになったら着くだろうかで、早く着きたいの意。なお、左注に『柿本人麻呂歌集』に曰く「遠くして」、また曰く「歩め黒駒」とありますが、その歌は巻第7-1271の「遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒」であり、注に部分的な誤りがあります。『柿本人麻呂歌集』が東国の歌も収めているということなのか、あるいは同歌集の歌が東国にまで流布していたのかは分かりません。なお、東歌には、馬を詠んだ歌が15首あり、うち8首は馬に乗って出歩く歌です。この時代、高価な馬を飼育して乗り回すことができたのは、一握りの豪族層、最低でも下級官人クラスであっただろうとみられています。

 3442の「東道」は、東国へ行く道。「手児の呼坂」は、かわいい女が呼びかける坂の意で、所在は諸説あり不明ですが、静岡市駿河区や富士市の原田公園には「手児の呼坂」の歌碑が建てられています。この名は、男が、急峻な山坂を恐ろしい神に妨げられて越えられないので、女が男の名を呼び叫んだという伝説に基づくとされます。かつては東国への官道だった東道の「手児の呼坂」は、江戸時代初期に東海道が開通してからは、次第に知る人も少なくなっていったようです。「山にか寝むも」は、山に寝ることであろうか。「寝む」の「む」は「か」の係り結び。「も」は、詠嘆の終助詞。
 
 3443の「うらもなく」は、何の気なしに、ぼんやりと。「青柳」は、春に青い芽をふいた柳。「張りて立てれば」は、芽吹いて立っているので。「物思ひ出つも」の「も」は、詠嘆の終助詞。3444の「伎波都久の岡」は、所在未詳。「茎韮」は、花茎の立ったニラ。「籠にものたなふ」の「のたなふ」は「満たなふ」の東語。「摘まさね」の「さ」は尊敬の助動詞、「ね」は希求の終助詞。女二人で茎韮を摘みに行き、二人で一つの籠に摘んでためているものの、容易に一杯にならない時に、一人の女がもう一人の女に、あなたの男と一緒にお摘みなさいといったもの。

 3445の「港」は、河口。「葦が中なる」は、葦の中に生えている。「玉小菅」の「玉」は、美称。「刈り来」は、刈って来て下さい。「隔し」は「隔て」の東語。この時代の庶民の住居は、地方にあっては多くが竪穴住居でしたから、全くの単室です。従って、新婚夫婦などは何かをもって仕切り代わりにして、共寝の床を家の者から隔てるようなことをしたのでしょう。あるいは、湿気を避けるための隔てとして床に敷いたとする説もあります。

巻第14-3446~3450

3446
妹(いも)なろが使(つか)ふ川津(かはづ)のささら荻(をぎ)葦(あし)と人言(ひとごと)語(かた)りよらしも
3447
草蔭(くさかげ)の安努(あの)な行かむと墾(は)りし道(みち)安努は行かずて荒草(あらくさ)立(だ)ちぬ
3448
花散(はなぢ)らふこの向(むか)つ峰(を)の乎那(をな)の峰(を)の洲(ひじ)につくまで君が代(よ)もがも
3449
白栲(しろたへ)の衣(ころも)の袖(そで)を麻久良我(まくらが)よ海人(あま)漕ぎ来(く)見(み)ゆ波立つなゆめ
3450
乎久佐壮丁(をくさを)と乎具佐助丁(をぐさずけを)と潮舟(しほふね)の並(なら)べて見れば乎具佐(をぐさ)勝ちめり
  

【意味】
〈3446〉あの子が使う川の渡し場に茂る、気持ちのよいささら萩。それを葦とも言うようで、あれは悪(あ)し、悪い奴だと、人々が集まっては言っているようだ。

〈3447〉安努へ通じさせようと、新たに切り開いた道なのに、誰も安努に行かないものだから、雑草で荒れ放題になっている。

〈3448〉花が散り続けている向かいの峰の乎那の山が摩滅して、砂州になり水に漬かるようになるまで、あなたに生きていてほしい。

〈3449〉衣の袖を枕にするという麻久良我の方から、海人が舟を漕いでくるのが見える。波よ、立つな、決して。

〈3450〉乎久佐の壮丁と乎具佐の助丁とを、潮舟のように二人並べて見ると、乎具佐のほうが勝っているようだ。

【説明】
 3446の「妹なろ」の「なろ」は、親愛の意を込めた接尾語。「使ふ川津の」は、いつも使っている川べりの洗い場の傍らに生えている。「ささら萩」は、小さな萩で、その萩を葦ともいうことから、同音の「悪し」を掛けています。「人言」は、世間の評判。「語り寄らしも」は、集まっては噂しているらしい。「も」は、詠嘆の終助詞。「語り宜(よろ)しも」(言ってもかまわない)とも解し得ます。

 3447の「草蔭の」は「安努」の枕詞(掛かり方は未詳)。「安努」は、所在未詳。「墾りし道」は、新たに切り開いた道。「安努は行かずて」は、安努には行かないので、あるいは安努へは通じていないので。「荒草」は、荒地に生える雑草。3448の「花散らふ」の「ふ」は、継続。「向つ峰」は、向かいの峰。「乎那の峰」は、所在未詳ながら、浜名湖北西の山とみる説があります。「洲」は、海中の洲。「もがも」は、願望。峰が平らになり、さらに海の洲となるまで、と、君の永い齢を祝っている歌です。いわゆる賀歌であり、殆どが恋の歌である「東歌」の中では異色の存在となっています。酒宴の場で、国守クラスの主賓に献じた歌でしょうか。

 3449の「白栲の」は「衣」の枕詞。「衣の袖を」までの2句は、袖を「枕く(枕にする)と次の「麻久良我」の「まくら」を掛けた掛詞式序詞。「麻久良我よ」の「麻久良我」は、所在未詳。「よ」は、~より。「海人」は、漁師。「ゆめ」は、強い禁止・否定の副詞。決して、必ず。3450の「乎久佐壮丁」は、乎久佐の地の壮丁、「乎具佐助丁」は乎具佐の地の助丁で、いずれも所在未詳ながら、「壮丁」は21歳以上、「助丁」は20歳以下の男子の称であることが、防人の歌で知られます。「潮舟の」の「潮舟」は、川舟に対して海を漕ぎ渡る舟で、「並べ」の枕詞。「比べて」ではなく「並べて」と言っているのが面白いところです。女が若い男二人の優劣を定めようとし、より若い方を勝っていると言っている歌のようです。

巻第14-3451~3455

3451
左奈都良(さなつら)の岡に粟(あは)蒔(ま)き愛(かな)しきが駒(こま)は食(た)ぐとも我(わ)はそと追(も)はじ
3452
おもしろき野をばな焼きそ古草(ふるくさ)に新草(にひくさ)交(まじ)り生(お)ひは生(お)ふるがに
3453
風の音(と)の遠き我妹(わぎも)が着せし衣(きぬ)手本(たもと)のくだりまよひ来(き)にけり
3454
庭に立つ麻手小衾(あさでこぶすま)今夜(こよひ)だに夫(つま)寄しこせね麻手小衾
3455
恋(こひ)しけば来ませ我が背子(せこ)垣(かき)つ柳(やぎ)末(うれ)摘(つ)み枯らし我(わ)れ立ち待たむ
  

【意味】
〈3451〉左奈都良の岡に粟を蒔いて育てているけれど、愛しい人の馬が来て、実った粟を食べたとしても、私は追い立てたりはしません。

〈3452〉この愉快な野を焼かないでおくれ。冬枯れの古草に春の新草が混じって、生えるだけ生えるように。

〈3453〉遠くに住む妻が着せてくれた、着物の袖口のあたりがほつれてきてしまった。

〈3454〉庭に植えた麻で作った夜着よ、せめて今夜だけでも夫を呼び寄せてください、この麻の夜着よ。
 
〈3455〉私が恋しいと言うのなら、いらして下さい、あなた。垣根の柳の枝先を枯れてしまうほど摘みながら、立ち続けてお待ちしています。

【説明】
 3451の「左奈都良の岡」は、所在未詳。「愛しき」は、愛しい人で名詞形。「駒は食ぐとも」は、その馬が食べようとも。「そと追はじ」の「そ」は、馬を追い払う声。今でいえば「しっ」。「そともはじ」は「そとも追はじ」の転。3452の「おもしろき」は、趣きのある。あるいはカップルが次々にできることを形容したものとの見方があり、「古草」「新草」は恋人たちの暗喩とも。「野をばな焼きそ」の「な~そ」は禁止で、野を焼かないでくれ。「生ひば生ふるがに」の「がに」は「がね」が訛った語で、~となるように。生えようとすれば生えることができるように。

 3453の「風の音の」の「音(と)」は「おと」の略で、「遠き」の枕詞。「手本のくだり」は、袖のあたり。「まよひ」は、ほつれる意。京の官人が東国で詠んだ歌、あるいは防人として筑紫に赴いた人の歌と見られます。3454の「庭に立つ」は、庭に植えてある麻の意から「麻」に掛かる枕詞。「麻手」は、麻の織物。「小衾」の「小」は美称で、夜具、夜着のこと。「今夜だに」は、今夜だけでも。「夫寄しこせね」は、夫を引き寄せておくれ。「ね」は、希求の終助詞。結句の繰り返しに、切迫した思いが感じられます。

 3455の「恋しけ」は、形容詞の「恋し」の未然形。「ば」は、仮定条件。もし~ならば。「来ませ」の「ませ」は「ます」の命令形で敬語。いらして下さい。「垣つ柳」の「つ」は、~の、~にある意の格助詞で、垣根の柳。「末」は、草木の枝や葉の先。枝先を摘むのは、忍んで通ってくる男が垣を越えやすくするため、垣の外から男が来るのを見やすくするためなどの説がありますが、長い時間を待つ間の所在なさからの仕草と見るのが適当でしょう。芽吹いたばかりの柳の新芽を、じれったそうに次々と摘んでは捨てている、乙女のほのぼのとした情景が浮かんでくるようです。

巻第14-3456~3460

3456
うつせみの八十言(やそこと)のへは繁(しげ)くとも争ひかねて我(あ)を言(こと)なすな
3457
うち日さす宮の我が背は大和女(やまとめ)の膝(ひざ)枕(ま)くごとに我(あ)を忘らすな
3458
汝背(なせ)の子や等里(とり)の岡道(をかち)し中(なか)だ折(を)れ我(あ)を音(ね)し泣くよ息(いく)づくまでに
3459
稲つけば皹(かか)る我(あ)が手を今夜(こよひ)もか殿(との)の若子(わくご)が取りて嘆かむ
3460
誰(た)れぞこの屋の戸(と)押(お)そぶる新嘗(にふなみ)に我(わ)が背(せ)を遣(や)りて斎(いは)ふこの戸を
  

【意味】
〈3456〉世間の噂は激しいでしょうが、それに負けて、私のことは口に出さないでください。

〈3457〉宮に仕える愛しいあなたは、大和の女の膝を枕にすることもありましょう。でも私のことは決して忘れないでください。

〈3458〉私のいとしい人よ、等里の岡道が途中で折れ曲がってすぐにお姿が見えなくなるので、私を声をあげて泣かせます、息苦しいほどに。
 
〈3459〉稲をついて赤くひび割れた私の手を、今夜には、お屋敷の若様がお取りになって、かわいそうにとお嘆きになるのでしょうか。
 
〈3460〉いったい誰なの、この家の戸をがたがた押し揺さぶるのは。新嘗祭を迎えて夫を遠ざけ、家内で身を清めているこの戸を。

【説明】
 3456の「うつせみ」は、この世に生きている人間、世間。「八十言のへ」の「八十」は、数の多いこと。「言のへ」は「言の葉」か。「繁くとも」は、どんなに多くとも。「争ひかねて」は、抵抗しきれないで。「言なす」は、言葉にする。「な」は、禁止の終助詞。女が男に対し、たとえどんなに噂が多かろうとも、私たちの関係を口外するなと戒めたもので、類想の多い歌です。

 3457の「うち日さす」は、日が射す意で「宮」に掛かる枕詞。「宮の我が背」は、皇居で宮仕えしている夫。「大和女」は、都のある大和に住む女。「膝枕くごとに」は、膝を枕に寝る度に。「膝枕く」は、女と親しむことを意味します。「忘らす」は「忘る」の敬語。夫が運脚か衛士として召され都へ出かけていく時の別れの歌です。一定期間の奉仕であるため、「大和の女を抱くのは仕方ないけれど・・・」と、半ばあきらめきった気持ちを吐露しています。

 3458の「汝背」は、夫を親愛の情をもって呼ぶ称。さらに親しみを込めて「子」を添えています。「等里」は、所在未詳。「岡道し」の「し」は、強意の副助詞。「中だ折れ」の「中だ」は、中間で、中途での意で、途中で折れ曲がって。「我を音し泣くよ」は、私を声を上げて泣かせることです。「息づくまでに」は、息苦しいほどに。

 3459の「稲つけば」は、籾殻を除くために籾を臼でつくことで、当時は食物の貯蔵が難しかったために、一食ごとにこの作業を行っていました。これをするのは女と定まっていて、身分ある人の家では下卑が行っていました。「皹る」は、アカギレが切れること。「今夜もか」の「も」は、感動の助詞。「殿の若子」は、お屋敷の若様。下働きの娘と若様の、人目を忍ぶ身分違いの恋の歌ですが、実際の個人の歌というより、作業する女たちの労働歌だったとみられています。斎藤茂吉は、「この歌には、身分のいい青年に接近している若い農小婦の純粋なつつましい語気が聞かれるので、それで吾々は感にたえぬ程になるのだが、とく味わえばやはり一般民謡の特質に触れるのである。併しこれだけの民謡を生んだのは、まさに世界一流の民謡国だという証拠である」と言っています。

 当時の地方は、中央から派遣された国司(守のほか介・掾・目)によって一国が経営されましたが、実際に庶民と接するのは当地の有力者から任命される郡司でした。郡の役所である郡家(ぐうけ)には、長官の大領の下に少領・主政・主典がいて、各村の里長をとおして村人たちを統括していました。東歌に見られる「殿」や「殿の若子」というのは、この郡家の役人やその子供をさすものとみられています。そうした若様と村の娘との間に実際に恋が成立するのは、かなり難しいことであったでしょう。

 そうしたことから、この歌は全くの虚構、空想であって、支配・被支配の関係の中でこの娘を捉え、その労働環境の厳しさ、貧しさ、悲惨さが窺い知れることを強調する捉え方がありますが、はたして如何なものでしょう。そういうのはあくまで第三者的な見方であり、比較の対象を見出してのものです。村の生活そのものが全てであった人々にとっては、稲つきの労働も水汲みの仕事も、布を織ったり晒したりすることも、日常のごく当たり前の営みだったはずです。東国には東国の精神生活があったのであり、そうした環境の中に東国の人をおいてみれば、浮かんでくるのは、あくまで健康な村娘の歌声であり、賑やかな笑い声ではないでしょうか。
 
 3460の「誰ぞこの屋の」は、誰なの、この家の。「戸押そぶる」は、戸を押し揺さぶる。「新嘗に」は、新嘗の祭りに。「にふなみ」は「にひなへ」の訛り。「斎ふ」は、身を潔斎している。五穀豊穣を祈り、神に秋の初穂を捧げる新嘗の夜の歌で、神を迎える巫女の役目を、民家では主婦が担いました。巫女は独身でなければならないため、夫を外へ出して独身を装います。この夜は夫の不在が明らかなので、日ごろ目をつけていた人妻に言い寄ろうとする不届きな男が、チャンスとばかりに忍び込もうとするのです。冒頭「誰れそ」で句割れとし、以下を倒置した大胆な句構えが、さながら劇中のセリフのような緊迫感を生み出しています。しかし、新嘗の祭りの日のこのタブーは厳しくて、この歌のようなことはまず現実にはありえなかっただろう、というのが一般的な見方です。折口信夫は、「信仰と現実生活の矛盾を詠んだもの。勿論、信仰衰へた時代には、さうした忍び男も出たであらうが、まづ、かうしたことは空想であらう。切実な恋愛を考へた、一種の戯曲的な歌と見てよからう」と述べています。なお、東歌の中にはもう1首この新嘗の祭りの歌があり(3386)、そこでも夫が家を出されたことが歌われています。

巻第14-3461~3465

3461
何(あぜ)といへかさ寝(ね)に逢はなくに真日(まひ)暮れて宵(よひ)なは来(こ)なに明けぬ時(しだ)来(く)る
3462
あしひきの山沢人(やまさはびと)の人さはにまなと言ふ子があやに愛(かな)しさ
3463
ま遠くの野にも逢はなむ心なく里の真中(みなか)に逢へる背(せ)なかも
3464
人言(ひとごと)の繁(しげ)きによりて真小薦(まをごも)の同(おや)じ枕は我(わ)はまかじやも
3465
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き放(さ)けて寝(ぬ)るがへに何(あ)どせろとかもあやに愛(かな)しき
  

【意味】
〈3461〉何ということよ、逢って共寝もせず、日が暮れた夕方には来ないで、夜が明けた時分に来るなんて。

〈3462〉山沢の人たちの多くが手出しをしてはいけないというあの娘が、むしょうに愛しくてならない。
 
〈3463〉遠く離れた野ででも逢ってくださればいいのに、思慮もなく、こんな里のど真ん中で逢って下さるのですね、あなたは。
 
〈3464〉人の噂が激しいからといって、薦の一つ枕を、どうして使わないなんてことがあろうか。

〈3465〉華麗な高麗錦の紐を解き放って共寝をしたけれど、この上どうしろというのだ。無性に可愛いくてたまらない。

【説明】
 3461の「何(あぜ)といへか」の「あぜと」は「何と」の東語で、どうして、なぜ。「さ寝」の「さ」は、接頭語。「逢はなくに」は、逢わないことだ。「真日」の「真」は、接頭語。「宵なは」の「な」は、接尾語。「来なに」の「な」は、打消の助動詞「ず」の東語。「時(しだ)」は、時の古語。共寝のできない朝方になって、申し訳程度に顔を出した男に激しく怒りをぶつけている女の歌です。男としては、浮気相手の家からの帰り道、罪の意識にさいなまれての行動でしょうか。

 3462の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山沢人」は、山沢に住んでいる人。上2句は、同音反復で「人さは」を導く序詞。「人さはに」は、多くの人が。「さはに」は、数多いさま、たくさんの意の副詞。「まな」の解釈は、上掲のような「いけない」という禁止・制止の意ではなく、「愛子(まなご)」のように可愛い子とする説もあり、それによれば「多くの人が、可愛いといっている女」という、全く違う解釈になります。「あやに」は、無性に。

 3463の「ま遠く」の「ま」は、接頭語。「野にも逢はなむ」は、の「なむ」は、未然形に接して、願望をあらわす助詞。人目のないどこか遠い野ででも逢ってほしいのに。「心なく」は、思慮もなく、思いやりもなく。「里」は、人里。「背な」の「な」は、接尾語。なかなか思うように逢えない、また人目を忍ぶ仲であるらしく、里の中で偶然に行き合ったのでしょうが、いかにも男がわざと里中で逢ったというように拗ねています。

 3464の「人言」は、世間の人々の噂。「繁きによりて」は、激しいからといって。「真小薦の」の「真」も「小」も接頭語で、薦の。薦は、川や湖沼の浅瀬に群生するイネ科の大形の多年草で、庶民の枕の材料となりました。「同じ枕」は、一つの枕のことで、長い枕を男女が一つに使って共寝したもの。「まかじやも」の「じ」は打消の意志、「やも」は反語で、(同じ枕を)共にしないことがあろうか。激しい世間の噂に気を揉んでいる女に対し、強い決意と情熱を示した男の歌です。

 3465の「高麗錦」は、高麗(高句麗:朝鮮半島西北部)から渡来した、あるいは高麗の様式で作られた錦で、錦は、金銀等の糸で模様を織り出した厚地の織物。衣の紐としたことから「紐」の枕詞。「紐解く」は、下着の紐を解いて男女が共寝をする意。「放く」は、放つ。「何どせろ」は「何とせよ」の東語で、どうしろというのか。「かも」は、疑問。「あやに」は、無性に、不思議なほど。腕の中にいる娘への激しい愛情を表現した歌ですが、高麗錦は在来の技術では作れない貴重品であるため、東国でこのような高級品を知っていた、あるいは持っていたのは、一握りの豪族層であったと考えられます。それとも、恋を理想化した表現だったのかもしれません。

巻第14-3466~3470

3466
ま愛(かな)しみ寝(ぬ)れば言(こと)に出(づ)さ寝(ね)なへば心の緒(を)ろに乗りて愛しも
3467
奥山の真木(まき)の板戸をとどと押(し)て我(わ)が開かむに入(い)り来て寝(な)さね
3468
山鳥(やまどり)の尾ろの初麻(はつを)に鏡(かがみ)懸(か)け唱(とな)ふべみこそ汝(な)に寄そりけめ
3469
夕占(ゆふけ)にも今夜(こよひ)と告(の)らろ我(わ)が背(せ)なは何故(あぜ)ぞも今夜(こよひ)寄(よ)しろ来まさぬ
3470
相(あひ)見ては千年(ちとせ)や去(い)ぬるいなをかも我(わ)れや然(しか)思ふ君待ちがてに
 

【意味】
〈3466〉可愛く思って共寝をすれば噂が立つ。だからといって共寝をしなければ彼女の姿が心に乗りかかってくる。何とも愛しくてたまらない。
 
〈3467〉奥山の真木で作った板戸、その板戸をごとごとと押して私が開けるから、さっと部屋に入って来て私と寝て下さいね。

〈3468〉山鳥の尾のような初麻を鏡を懸けて神様に唱えたからこそ、あなたに身を寄せるようになったのでしょうか。
 
〈3469〉夕占いに「今夜いらっしゃる」と出た愛しいあの方は、その今夜になってもどうして逢いに来て下さらないのだろう。

〈3470〉あなたとお逢いしてからもう千年が過ぎたのでしょうか。そうではなく、私だけがそう思っているだけなのかな。あなたを待ちかねて。

【説明】
 3466の「ま愛しみ」の「ま」は接頭語で、可愛いので、愛しいので。「言に出」は、評判になる。「さ寝なへば」の「さ」は接頭語、「なへ」は、打消しの助動詞「なふ」の已然形で、共寝せずにいれば。「心の緒ろ」は、心を長く続くものとして、緒にたとえた表現。「ろ」は、接尾語。「乗る」は、(心に)取りついて離れない。「愛しも」は、かわいいことだ、切ないことだ。別居し、秘密にもしていた夫婦関係にあっては、絶えずこのような悩ましい恋心を抱いていたと見えます。

 3467の「奥山の」は「真木」の枕詞。「真木の板戸」は、杉や檜などの立派な木で作られた板戸。「とど」は、戸を叩く音の形容。「寝さね」の「ね」は、希求の終助詞。女から男に贈った歌で、それまでは秘密にしていた男との関係を、母に打ち明けて承認を得たので、堂々と板戸を開けることができると、喜んで報告しています。真木の板戸があるというのは、かなり大きな家だったとみられます。また、巻第11-2653に、馬の足音を「とど」と表現した歌があり、大きな音を立てる意味の「轟(とどろ)く」という動詞は、もともと擬声語の「とど」から来ていると推定できます。

 3468は難解とされ諸説ある歌ですが、『全注釈』の解釈に従います。「山鳥の」は、山鳥の尾が長いことから「尾」と続き、上8音が「初麻(はつを)」を導く同音反復式序詞。「初麻」は、その年に初めて収穫された麻。「唱ふべみこそ」は、唱うべき状態のゆえに。「べみ」は「べし」のミ語法。「汝」は、男の代名詞。「けめ」は、過去推量。新嘗祭で新穀を捧げるように、初麻を鏡に懸け、神に感謝する祭りのやり方があったのでしょうか。その効果があって、一緒にいられるようになったと、喜びの気持ちをうたっています。

 3469の「夕占」は、夕方道端に立ち、一定の区域を定めて米をまき、呪文を唱えなどして、そこを通る通行人のことばを聞いて吉凶禍福を占ったもの。「占」の語源は裏表(うらおもて)の「裏」で、裏に隠れている神意を表に現わすことを占(うら)と呼んだものです。また「告(の)る」の原意は、呪力ある言葉を発することであることから、占いの判断を「告る」と表現しています。「今夜と告らろ」は、今夜いらっしゃると出た。「告らろ」は「告れる」の訛り。「何故ぞも」は、どうして、なぜ。「来まさぬ」の「ぬ」は連体形で、上の「ぞ」の係り結び。

 3470は、巻第11に重出(2539)。ただし、巻第11では作者未詳の歌として扱っており、ここでは『柿本人麻呂歌集』に出ているとあります。

巻第14-3471~3475

3471
しまらくは寝(ね)つつもあらむを夢(いめ)のみにもとな見えつつ我(あ)を音(ね)し泣くる
3472
人妻(ひとづま)とあぜかそを言はむ然(しか)らばか隣(となり)の衣(きぬ)を借りて着なはも
3473
左努山(さのやま)に打つや斧音(をのと)の遠(とほ)かども寝(ね)もとか子ろが面(おも)に見えつる
3474
植ゑ竹(だけ)の本(もと)さへ響(とよ)み出(い)でて去(い)なばいづし向きてか妹(いも)が嘆かむ
3475
恋ひつつも居(を)らむとすれど遊布麻山(ゆふやま)隠(かく)れし君を思ひかねつも
 

【意味】
〈3471〉しばらくの間だけでもぐっすり寝たいのに、あなたの姿が夢にばかり出てきては、私を泣かせる。

〈3472〉人妻には何で手出しするなと言うのか。それならば、隣の人の着物を借りて着ることだってあるではないか。

〈3473〉佐野山で打つ斧の音のように遠いけれど、共寝してもいいわよとあの子が言うのか、はっきりと面影に見えたことだ。
 
〈3474〉竹の林の根元さえ鳴り響くほど騒ぎ立てて旅に出たなら、私の妻はどちらを向いて嘆くだろう。

〈3475〉恋い焦がれながらも、このままじっと待っていようと思うけれど、遊布麻山の向こう側に隠れていったあの方を思うと、堪え切れません。

【説明】
 3471の「しまらく」は、しばらく。「寝つつもあらむを」は、このまま寝ていたいのに。「もとな」は、わけもなく、やたらに。「見えつつ」の「つつ」は、動作の反復・継続を表す接続助詞。「音し泣くる」の「し」は強意の副助詞で、泣かせる。寝たかと思うとすぐにあなたの姿が夢に見える。現実に逢えない悲しさに声をあげて泣かれる、という、待っても来ない男を待つ女の悲しみの歌です。

 3472の「あぜか」は、どうして~か。「然らばか」は、それなら~か。「借りて着なはも」は、借りて着なかろうか、着ているではないか。人妻に言い寄った男が、女から人妻だからといって断られたのに対し押し返した歌ととれますが、実際、このような言葉で真面目に人妻を誘うはずもなく、男同士の酒宴のような場で哄笑とともに詠まれた歌と思われます。「然らばか」という、歌の世界にはふさわしくない言葉で、いかにも理屈めいて言っているのが利いています。またこの歌からは、当時は隣の着物を借りることが普通に行われていたことが察せられます。
 
 3473の「左努山」は、所在未詳。「打つや斧音の」は、打つ斧の音のように。「や」は、間投助詞。上2句は「遠かども」を導く譬喩式序詞。「遠かども」は「遠けども」の東語。「寝もとか」の「も」は「む」の東国語形で、寝たいというので~か。「面に見えつる」は、面影に見えたことだ。3474の「植ゑ竹」は、植えた竹。野の竹に対比させた語で、門のあたりにある竹。「本」は、根元。「いぢし向きて」の「いづし」は「いづち」の東語で、どちらを向いて。「妹が嘆かむ」の「む」は連体形で、上の「か」の係り結び。防人などに出立の時の歌であろうとされます。

 3475の「居らむとすれど」は、このままじっと待っていようと思うけれど。「遊布麻山」は、所在未詳。「思ひかねつも」は、思うと堪えられないことだ。「も」は、詠嘆。前の歌が、旅立つ夫の妻を思う歌であるのに対して、こちらは、夫を旅立たせた妻の、夫を恋うる歌です。

巻第14-3476~3480

3476
うべ子なは我(わ)ぬに恋(こ)ふなも立(た)と月のぬがなへ行けば恋しかるなも
[或本の歌の下の句には、ぬがな行けどわぬがゆのへは]
3477
東道(あづまぢ)の手児(てご)の呼坂(よびさか)越えて去(い)なば我(あ)れは恋(こ)ひむな後は逢ひぬとも
3478
遠しとふ故奈(こな)の白嶺(しらね)に逢(あ)ほしだも逢はのへしだも汝(な)にこそ寄(よ)され
3479
安可見山(あかみやま)草根(くさね)刈り除(そ)け逢はすがへ争ふ妹(いも)しあやにかなしも
3480
大君(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み愛(かな)し妹(いも)が手枕(たまくら)離れ夜立(よだ)ち来(き)のかも
 

【意味】
〈3476〉なるほど、あの子は私のことを恋しく思っているのだろう。月がどんどん過ぎて行くので、どんなにか恋しく思っていることだろう。

〈3477〉あの人が東路の手児の呼坂を越えて行ってしまったら、私は恋い焦がれてならないでしょう。たとえ後に逢うことができようとも。

〈3478〉遠いという故奈の白嶺のようになかなか逢えないが、逢う時も逢わない時も、いつも私はお前といい仲だと噂されている。
 
〈3479〉安可見山の草を刈り取って、逢うには逢ってくれたけど、いざという時にいやだと言ったあの娘が無性にいとおしい。

〈3480〉大君(天皇)のご命令を恐れ畏み、愛しいあの子の手枕を離れ、夜の夜中に、出立してきた。

【説明】
 3476の「うべ」は、なるほど、本当にと首肯する意を表す副詞。「我ぬ」は「われ」の東語。「なも」は、推量の助動詞「らむ」の東語。「立と月のぬがなへ」は、「立つ月の流らへ」の意で、立つ月がどんどん流れて行くので。

 3477の「手児の呼坂」は、かわいい女が呼びかける坂の意で、所在は諸説あり不明ですが、静岡市駿河区や富士市の原田公園には「手児の呼坂」の歌碑が建てられています。この名は、男が、急峻な山坂を恐ろしい神に妨げられて越えられないので、女が男の名を呼び叫んだという伝説に基づくとされます。かつては東国への官道だった東道の「手児の呼坂」は、江戸時代初期に東海道が開通してからは、次第に知る人も少なくなっていったようです。「越えて去なば」は、あなたが越えて行ってしまったなら。「我れは恋ひむな」の「な」は、詠嘆の終助詞。「後は逢ひぬとも」は、後ではお逢いしようとも。旅立つ夫を送る妻の嘆きの歌です。

 3478の「遠しとふ」は、遠いという。「故奈の白嶺」は、所在未詳。「故奈」は来ない、「白嶺」は知らないという意味を含むとも解されます。「逢ほしだも」の「逢ほ」は「逢ふ」の訛り。「しだ」は、時・折・時期。「逢はのへしだ」は、逢わないとき。「のへ」は、打消の助動詞「なふ」の連体形「なへ」の訛り。「寄され」は、関係があるように噂される。

 3479の「安可見山」は、栃木県佐野市赤見町にある山か。「草根刈り除け」は、野合(ひそかに結び交わる)の場所をもうける意。「草根」の「根」は、接尾語。「逢はすがへ」の「逢はす」は「逢ふ」の尊敬語。「がへ」は、~の上で、お逢いしながらの意。「争ふ」は、抵抗する、従わない。「あやに」は、無性に。情事の経験のない女が、いざとなると羞恥を感じて拒むようすを言っています。

 3480の「大君の命畏み」は、天皇への畏敬を表現する常套句で、天皇の命令で行動する(多くは旅の場合)文脈に用いられています。「来のかも」は「来ぬかも」の訛り。この巻の終わり近くに「防人の歌」として5首(3567~3571)が載っていますが、この歌も防人の作と考えても不自然ではありません。

巻第14-3481~3485

3481
あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家(いへ)の妹(いも)に物言はず来(き)にて思ひ苦しも
3482
韓衣(からころも)裾(すそ)のうち交(か)へ逢はねども異(け)しき心を我(あ)が思はなくに
[或本の歌に曰く]
韓衣(からころも)裾(すそ)のうち交(か)ひ逢はなへば寝なへのからに言痛(ことた)かりつも
3483
昼解けば解けなへ紐(ひも)の我(わ)が背(せ)なに相(あひ)寄るとかも夜(よる)解けやすけ
3484
麻苧(あさを)らを麻笥(をけ)にふすさに績(う)まずとも明日(あす)着せさめやいざせ小床(をどこ)に
3485
剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹(いも)を取り見がね音(ね)をぞ泣きつる手児(てご)にあらなくに
 

【意味】
〈3481〉旅立ちの騒がしさが鎮まって、こうして旅立って来たが、、家の妻にろくに物も言わずに出てきてしまい、胸が苦しい。

〈3482〉韓衣の裾の合せ目が合わせられないように、あなたに逢わないでいますが、決してほかの男に心惹かれているわけではありません。

〈3483〉昼間に解こうとしても解けない着物の紐も、あなたに逢える兆しなのか、夜になると解けやすいことだ。

〈3484〉麻の繊維を紡いで麻笥いっぱいにしなくとも、明日お召しになるわけでもあるまいに。早く切り上げて寝床に行かないか。
 
〈3485〉剣大刀のようにいつも身に添ってきた子、その子の世話をしかねて、私は声をあげて泣いてしまった、幼い子でもないのに。

【説明】
 3481の「あり衣」は、鮮やかな衣。「あり衣の」は、衣ずれの音がさわさわする意で「さゑさゑ」に掛かる枕詞。「さゑさゑしづみ」は語義未詳ながら、旅立ちの騒がしさが鎮まっての意か。唐突な別れの歌であることなどから、防人の歌ではないかとの見方があります。左注に「柿本人麻呂歌集に出ている。上に見えていることが、すでに見た通りである」の意の説明があり、巻第4-503の「珠衣のさゐさゐしづみ家の妹に物語はず来て思ひかねつも」の類歌を指しています。巻第4の歌は「柿本人麻呂の歌」と題しており、伝誦のうちに小異を生じたとみえますが、人麻呂の歌が東国にも流布していたのでしょうか、それとも人麻呂が東国の歌を中央の歌に仕立て直したのでしょうか。

 3482の「韓衣」は、渡来人の着た唐風の着物で、袖が広く、膝丈より長い裾を合わせずに着ました。「裾のうち交へ」は、着物の裾の合わせ目。ここまでの2句は「逢はねども」を導く譬喩式序詞。「異しき心」は、変わった心、浮気心。「思はなくに」の「なくに」は、ないことだ。3483の「解けなへ」は、解けない。「背な」の「な」は、親しみを表す接尾語。「相寄るとかも」は、逢える前兆なのか。「解けやすけ」は「解けやすき」の東語。

 3484の「麻苧」は、紡ぐ前の麻の繊維。「ら」は接尾語、あるいは複数を示すか。「麻笥」は、それを入れる笥(け)。「ふすさに」は、たくさんに。「績まずとも」は、紡がなくても。「着せさめや」の「着せす」は「着る」の敬語、「や」は反語。お召しになるわけでもあるまいに。「いざせ」の「いざ」は、人を誘う感動詞。「せ」は「す」の命令形。「小床」の「小」は、接頭語。女奴の労働で、お屋敷の人に着せる衣なのでしょうか、夜なべ仕事に精を出している妻を見ながら、まだ終わらないか、まだ終わらないかと、いらいらして「早くしようよ」と床に誘っている夫の歌、あるいは同居の夫にしては丁寧なので、妻問いの男の歌とも取れます。この歌に「小床」が出てきましたが、東国の男女の愛の歌には、この「床」につらなる「寝る」という露わな言葉が頻繁に使われています。上品な言葉を知らなかったといえばそれまでですが、気どりのない、慎みを忘れた、生への直截な叫びがここにあります。

 3485の「剣大刀」は、刀剣はいつも身につけるところから、「身に添ふ」に掛かる枕詞。「取り見がね」は、世話をしかねて。「音をぞ泣きつる」は、声をあげて泣いてしまった。「手児にあらなくに」は、年若い娘をいいますが、ここは、作者である男が自分のことを言っています。

巻第14-3486~3490

3486
愛(かな)し妹(いも)を弓束(ゆづか)並(な)べ巻きもころ男(を)の事(こと)とし言はばいや勝たましに
3487
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)に玉巻きかく為為(すす)ぞ寝(ね)なななりにし奥(おく)を兼(か)ぬ兼ぬ
3488
生(お)ふ楉(しもと)この本山(もとやま)の真柴(ましば)にも告(の)らぬ妹(いも)が名(な)象(かた)に出(い)でむかも
3489
梓弓(あづさゆみ)欲良(よら)の山辺(やまへ)の繁(しげ)かくに妹(いも)ろを立ててさ寝処(ねど)払ふも
3490
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は寄り寝む正香(まさか)こそ人目(ひとめ)を多(おほ)み汝(な)をはしに置けれ
 

【意味】
〈3486〉愛しい子よ。私の相手が同年輩の男だったら、弓束に握り革を重ねてしっかり巻いて戦い、断じて勝つであろうに。

〈3487〉梓弓の弓末に玉を巻いて飾り立てるように大切にしてきたのに、共寝しないままになってしまった。先々のことまでいろいろと考えてきたのに。

〈3488〉この本山の真柴ではないが、しばしばも口に出さない妻の名が、占いの形象(かた)に出はしないだろうか。
 
〈3489〉欲良の山辺の茂みにあの子を立たせたままにして、共寝の場所の準備のため、せっせと草を刈っている。

〈3490〉ゆくゆくは寄り添って寝ようと思っているのだが、今は人目が多いのであなたを中途半端にしているのだ。

【説明】
 3486の「弓束」は、弓を射る時に握る中央部よりやや下の部分。「もころ男」は、同年配の男。恋敵の男。「事とし言はば」は、語義未詳ながら、ライバル同士というのならば、か。「し」は、強意の副助詞。「いや勝たましに」の「いや」は、いよいよ、ますます。「勝たましに」は、勝ったのだが。この歌の歌意は難解で、さまざまな解釈がありますが、いつもは強い男を自認していても、恋の虜になった女性にはかなわないとする、自嘲の歌としました。

 3487の「梓弓」は、梓の木で作った弓。「末に玉巻き」は、末弭に玉を飾りつけて。「梓弓」を男自身、「玉」を女の譬喩として、女をわが物にした意。「かく為為ぞ」は、動詞「為(す)」を重ねて継続・反復を示した表現。しいしいして。「寝なななりにし」は、共寝をせずに終わってしまった。「奥」は将来。「兼ぬ」は、将来のことを考える。愚直に先のことばかり考えて、とうとう女との深い関係を持たないまま別れてしまった、あるいは、気を使いつつ交際する間に、他の男に女を横取りされてしまった男の歌とされます。

 3488の「生ふ楉」の「楉」は若い木の枝で、同音で「この本」に掛かる枕詞。「本」は、幹。上2句は、山に柴が生える意で「真柴にも」を導く序詞。掛詞となる「ましば」の「ま」は接頭語で、しばしばの意。「ましばにも告らぬ」は、しばしばも口にしない、めったに口にしない。「象」は、鹿などの動物の骨を焼き、ひびの具合で吉凶を占う「象焼き」のひびの形。「かも」は、疑問の終助詞。「象焼き」による卜占は東国地方に限らず広く行われたものらしく、『古事記』にも登場します。

 3489の「梓弓」は「欲良」の枕詞。「欲良の山」は、所在不明。「繁かく」は「繁し」のク語法で、繫っている所。「妹ろ」の「ろ」は接尾語。「さ寝処」の「さ」は、接頭語。女の手を引いて人目につかない藪に入ったものの、そのままでは横たわって抱くことができないので、せっせと藪を払っています。窪田空穂は、「歌垣の折などはもとより、平常でもこうした密会は行なわれていて、一般性のあったことだったのである。昂奮の情をまじえず、落ちついて楽しげに叙しているのはそのためである」と述べています。

 3490の「梓弓」は、縁語で「末」に掛かる枕詞。「末」は、将来。「寄り寝む」は、寄り添って一緒に寝よう。「正香」は、現在。「人目を多み」の「多み」は「多し」のミ語法で、多いので。「汝をはしに置けれ」は、お前を中途半端なところに置いているが、そっけなくしているが。「置けれ」は「置けり」の已然形で「こそ」の係り結び。この歌には『柿本人麻呂歌集』に出ているとの注釈がありますが、この歌は集中に他になく、人麻呂歌集の全部の歌が採録されているのではなく、選択されていることを示しています。

巻第14-3491~3495

3491
柳(やなぎ)こそ伐(き)れば生(は)えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ
3492
小山田(をやまだ)の池の堤(つつみ)にさす柳(やなぎ)成りも成らずも汝(な)と二人はも
3493
遅速(おそはや)も汝(な)をこそ待ため向(むか)つ峰(を)の椎(しひ)の小枝(こやで)の逢ひは違(たが)はじ
[或る本の歌] 遅速(おそはや)も君をし待たむ向(むか)つ峰(を)の椎(しひ)の小枝(さえだ)の時は過ぐとも
3494
子持山(こもちやま)若(わか)かへるでのもみつまで寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ
3495
伊波保(いはほ)ろの沿(そ)ひの若松(わかまつ)限(かぎ)りとや君が来まさぬうらもとなくも
 

【意味】
〈3491〉柳の木なら伐れば代わりが生えてもこよう。が、生身のこの世の人が恋い焦がれて死にそうなのに、どうしろというのか。
 
〈3492〉山あいの田の池の堤に挿し木した柳は、根づくのもあればつかないものもある。そのように、私の恋が成就しようがしまいが問題ではない。お前との仲はいつまでも変わらない。

〈3493〉遅かろうと早かろうとあなたを待ちましょう。向かいの峰の椎の小枝が重なり合っているように、逢えるのは間違いないだろうから。

〈3494〉子持山の楓の若葉が紅葉するまで、ずっと寝たいと私は思う。お前さんはどう思うか。

〈3495〉大岩の崖に生えている若松のように、私は待っているのに、これを限りに、あの方が来なくなってしまうのか、心もとなくてならない。

【説明】
 3491の「柳こそ伐れば生えすれ」の「すれ」は「こそ」の係り結びの已然形中止法で、逆接。片恋の苦悩を訴えている歌です。3492の「小山田」の「小」は、美称。「山田」は、山の傾斜地や山あいに設けられた田。「さす柳」の「さす」は、挿し木をする。上3句は「成りも成らずも」を導く序詞。「成る」は、根づき成長することで、女親の承認を得て恋が成就する意。「はも」は、強い詠嘆。3493の「遅速も」は、遅くても早くてもの意の熟語。「汝をこそ待ため」は、お前をこそ待っていよう。「向つ峰の椎の小枝の」は「逢ひ」を導く譬喩式序詞。「小枝(こやで)」は「こえだ」の東語。
 
 3494の「子持山」は、群馬県渋川市北方の子持山。この歌が未勘国歌(国名のない歌)となっているのは、東歌が編纂された当時はこの山の場所が分からなかったと見えます。「若かへるで」の「かへるで」は、カエデ。「もみつ」は、赤くなること。「寝も」は「寝む」の東語。「あどか」は、どのように。言語学者の犬養孝は、「上3句は誇張のようだが、かえって燃えるような情を思わせ郷土色に深くしみついた民謡らしいひびきがある。それに下2句は、大和の都人の感覚からすればあまりに露骨に思われようが、土にまみれた生活の中からはかえってかざらない真情があふれていて卑俗なものを感じさせない」と評しています。

 3495の「伊波保」は「巌ろ」で、岩石。「ろ」は、接尾語。「沿ひ」は、急斜面ぎりぎり、そば、ほとり。上2句は、若松が急斜面ぎりぎりに生えているところから、「限り」を導く譬喩式序詞。「限りとや」の「や」は疑問で、関係はこれで終わりというのだろうか、の意。「うらもとなくも」の「うら」は心で、心もとなくも。窪田空穂は、「やや年をした女が、自分よりも年下な男と関係し、双方半ば遊戯気分で逢っている状態での女の心かとも思われる」と言っています。しかし、妻問婚(別居婚)の、しかも一夫多妻の時代にあって、夫の訪れを常に不安な気持ちで待たなければならなかった当時の妻たちの切ない心理が如実に窺える歌であるように感じます。

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旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

東歌の国別集計

東海 >>>
遠江 3
駿河 6
伊豆 1

中部 >>>
信濃 15

関東 >>>
相模 15
上野 25
武蔵 9
下野 2
上総 3
下総 5
常陸 12

東北 >>>
陸奥 4

不明 140

(合計 230)

東国方言の例

あしき
 →あしけ
逢ふ(あふ)
 →あほ
天地(あめつち)
 →あめつし
青雲(あをくも)
 →あをくむ
磯辺(いそへ)
 →おすひ
暇(いとま)
 →いづま
家(いへ)
 →いは/いひ
妹(いも)
 →いむ
兎(うさぎ)
 →をさぎ
うつくしき
 →うつくしけ
海原(うなはら)
 →うのはら
うらがなしき
 →うらがなしけ
帯(おび)
 →えひ
面変り(おもかはり)
 →おめかはり
思へど(おもへど)
 →おめほど
影(かげ)
 →かご
徒歩(かち)
 →かし
門(かど)
 →かつ
かなしき
 →かなしけ
帰り(かへり)
 →かひり
上(かみ)
 →かむ
鴨(かも)
 →こも
かも〈助詞〉
 →かむ
韓衣(からころも)
 →からころむ
木(き)
 →け
悔しき(くやしき)
 →くやしけ
けり〈助動詞〉
 →かり
小枝(こえだ)
 →こやで
数多(ここだ)
 →こごと
越す(こす)
 →こそ
言葉(ことば)
 →けとば
恋し(こひし)
 →こふし
子持ち(こもち)
 →こめち
幸く(さきく)
 →さく/さけく
防人(さきもり)
 →さきむり
捧げ(ささげ)
 →ささご
島陰(しまかげ)
 →しまかぎ
清水(しみづ)
 →せみど
後方(しりへ)
 →しるへ
住む(すむ)
 →すも
畳薦(たたみこも)
 →たたみけめ
立ち(たち)
 →たし
たどき
 →たづき
たなびく
 →とのびく
賜ふ(たまふ)
 →たまほ
月(つき)
 →つく
つつ〈助詞〉
 →とと
時(とき)
 →しだ
遠江(とほたふみ)
 →とへたほみ
なむ〈助詞〉
 →なも
なやましき
 →なやましけ
布(ぬの)
 →にの
野(の)
 →ぬ
放ち(はなち)
 →はなし
母(はは)
 →あも/おも/も
延ふ(はふ)
 →はほ
針(はり)
 →はる
引く(ひく)
 →ひこ
降る(ふる)
 →ふろ
真木柱(まきはしら)
 →まけはしら
待つ(まつ)
 →まと
向ける(むける)
 →むかる
共(むた)
 →みた
妻(め)
 →み
持ち(もち)
 →もし/もぢ/めち
やすき
 →やすけ
雪(ゆき)
 →よき
行く(ゆく)
 →ゆこ
百合(ゆり)
 →ゆる
寄す(よす)
 →えす
夜床(よとこ)
 →ゆとこ
より〈助詞〉
 →ゆり
我妹子(わぎもこ)
 →わぎめこ
我(われ)
 →わろ

東歌の作者

『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。全体が恋の歌であり、素朴で親しみやすい歌が多いことなどから、かつてこれらの歌は東国の民衆の生の声と見られていましたが、現在では疑問が持たれています。

そもそも土地に密着したものであれば、民謡的要素に富む歌が多かったはずで、形式も多用な歌があったはずなのに、そうした歌は1首も採られていません。『万葉集』の東歌はすべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、中央側が何らかの手を加えて収録したものと見られています。

従って、もともとの作者は土着の豪族階級の人たちで、都の官人たちが歌を作っているのを模倣した、また彼らから手ほどきを受けたのが始まりだろうとされます。すなわち、郡司となった豪族たちと、中央から派遣された国司らとの交流の中で作られ、それらを中央に持ち帰ったのが東歌だと考えられています。

なお、「都」と「鄙」という言葉があり、「都」は「宮処」すなわち皇宮の置かれる場所であり、畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)を指します。「鄙」は畿外を意味しましたが、東国は含まれていません。『万葉集』でも東国は決して「鄙」とは呼ばれておらず、東国すなわち「東(あづま)」は、「都・鄙」の秩序から除外された、いわば第三の地域として認識されていたのです。東歌が特立した巻として存在する理由はそこにあります。

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