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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

遣新羅使人の歌(巻第15)~その2

巻第15-3648~3651

3648
海原(うなはら)の沖辺(おきへ)に灯(とも)し漁(いざ)る火は明かして灯(とも)せ大和島(やまとしま)見む
3649
鴨(かも)じもの浮寝(うきね)をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪に露そ置きにける
3650
ひさかたの天(あま)照る月は見つれども我(あ)が思(も)ふ妹(いも)に逢はぬころかも
3651
ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出(い)でぬかも海原(うなはら)の八十島(やそしま)の上(うへ)ゆ妹(いも)があたり見む
  

【意味】
〈3648〉海原の沖にともる漁船の火よ、もっと明々とともせ。その光で遠くに大和の山々が見えるだろうから。

〈3649〉まるで鴨のように波に漂う船で眠れば、黒々とした私の髪が夜露に濡れてしまったことだ。
 
〈3650〉はるかな空に照り輝く月は見えたけれども 私が恋しく思う妻に逢えない日々が続くなあ。

〈3651〉夜空を渡る月が早く出てきてくれないものか。大海に浮かぶ多くの島々の向こうに、大和の国の彼女の家のあたりを見たいから。

【説明】
 佐婆(さば)の海(周防灘)で、にわかに暴風にあい、南方に流されて豊前国(大分県)の沖合に流れ着いた時の歌。一行はそこから九州の沿岸に沿って北上しました。3648の「大和島」は、大阪湾から島のように見える大和の山々。3649の「鴨じもの」は、鴨であるかのようにの意で「浮寝」にかかる枕詞。「蜷の腸」は、蜷の貝の腸で、食料にしたらしく、その黒いところから「か黒き」の枕詞。3650の「ひさかたの」は「天」の枕詞。3651は、旋頭歌の形式。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「八十島」は、多くの島々。

巻第15-3652~3655

3652
志賀(しか)の海人(あま)の一日(ひとひ)もおちず焼く塩のからき恋をも我(あ)れはするかも
3653
志賀の浦に漁(いざ)りする海人(あま)家人(いへびと)の待ち恋ふらむに明かし釣(つ)る魚(うを)
3654
可之布江(かしふえ)に鶴(たづ)鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来(く)らしも [一云 満ちし来(き)ぬらし]
3655
今よりは秋づきぬらしあしひきの山松(やままつ)かげにひぐらし鳴きぬ
 

【意味】
〈3652〉志賀島の海人たちが一日も欠かさず焼く塩、その辛さのように、辛く切ない恋に私は落ちてしまった。

〈3653〉志賀の浦で漁をする海人たちは、家で妻が帰りを心待ちしているだろうに、夜を明かして魚を釣っている。
 
〈3654〉可之布江(かしふえ)に向かって鶴が鳴き渡っていく。志賀の浦に沖から白波が寄せてきたらしい。

〈3655〉今からは秋めいていくようだ。山の松の木陰でひぐらしが鳴いている。

【説明】
 7月初旬、筑紫の舘に着いてはるかに故郷を望み、悲しんで作った歌4首。博多湾沿岸に、外国使節や官人の接待や宿泊に用いる館がありました。旧福岡城内にあったとみられ、天智天皇時代の建物であろう古瓦が見つかっています。ただ、この時点でまだ筑紫にいるということは、3581や3586の歌にあったように、秋までに帰国するという予定はすでに完全に反故になっています。

 3652の「志賀」は、福岡市の志賀島。「焼く塩」は、藻を焼いて作る塩。上3句は「からき」を導く序詞。「一日もおちず」は、一日も欠かさず、毎日毎日。3653は、夜通し漁をする海人たちを見ながら、自身の侘しさにもまさって、家で待つ妻をあわれんでいます。3653の「明かし」は、夜を明かして、夜通し。3654の「可之布江」は、福岡市東区香椎の入江ではないかとされます。3655の「あしひきの」は「山」の枕詞。旅の途上での季節の推移をしみじみとうたっています。

巻第15-3656~3660

3656
秋萩(あきはぎ)ににほへる我(わ)が裳(も)濡(ぬ)れぬとも君が御船(みふね)の綱(つな)し取りてば
3657
年(とし)にありて一夜(ひとよ)妹(いも)に逢ふ彦星(ひこほし)も我(わ)れにまさりて思ふらめやも
3658
夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ天(あま)の川(がは)漕ぐ舟人(ふなびと)を見るが羨(とも)しさ
3659
秋風は日に異(け)に吹きぬ我妹子(わぎもこ)はいつとか我(わ)れを斎(いは)ひ待つらむ
3660
神(かむ)さぶる荒津(あらつ)の崎(さき)に寄する波(なみ)間(ま)なくや妹(いも)に恋ひわたりなむ
  

【意味】
〈3656〉秋萩に美しく染まった私の裳が濡れようとも、川を渡って来られたあなた様(牽牛)の御船の綱を手に取って岸に繋ぐことができたら。

〈3657〉一年にただ一夜だけ妻に逢う彦星も、この私以上にせつない思いをしているとは思えません。
 
〈3658〉夕月夜に、彦星と織女の影がしだいに寄り合い、天の川を舟を漕いで渡っていく彦星を見ると羨ましくなる。

〈3659〉秋風が日増しに強く吹くようになってきた。愛しい妻は今ごろ、私がいつ帰って来るだろうかと祈りながら待ち焦がれていることだろう。

〈3660〉神々しい荒津の崎に寄せくる波のように、絶え間なく私も、妻に恋い続けるのだろう。

【説明】
 3656~3658は、題詞に「七夕に天漢(あまのがは)を仰ぎ觀て各(おのおの)思ひを陳(の)べて作る歌三首」とあります。3656は、大使の阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)の歌。「秋萩」は、萩の花を意味する慣用語。織女の立場になって詠んでいます。3657の「年にありて」は、一年のうちにあっての意で、一年に一度だけというような場合に用いられます。3658の「影立ち」は、光が現れて。
 
 3659からは「海辺にして月を望みて作る歌九首」とある歌。3659は、大使の二男の歌。名前は伝わっていません。「日に異に」は、日増しに。「斎ひ」は、斎戒する、神に祈ること。3660は、土師稲足(はじのいなたり:伝未詳)の歌。上3句は「間なく」を導く序詞。「神さぶる」は、神々しい。「荒津の崎」は、福岡市の西公園北端の岬。

巻第15-3661~3665

3661
風の共(むた)寄せ来る波に漁(いざ)りする海人娘子(あまをとめ)らが裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れぬ
3662
天(あま)の原(はら)振り放(さ)け見れば夜(よ)ぞ更(ふ)けにける よしゑやしひとり寝(ぬ)る夜(よ)は明けば明けぬとも
3663
わたつみの沖つ縄海苔(なはのり)来る時と妹(いも)が待つらむ月は経(へ)につつ
3664
志賀(しか)の浦に漁(いざ)りする海人(あま)明け来れば浦廻(うらみ)漕(こ)ぐらし楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ
3665
妹を(いも)思ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに暁(あかとき)の朝霧(あさぎり)隠(ごも)り雁(かり)がねぞ鳴く
  

【意味】
〈3661〉風と共に寄せてくる波に、漁をする海人娘子たちの裳の裾が濡れている。

〈3662〉天空を振り仰いで見ると、すっかり夜が更けてしまった。どうせ一人っきりで寝るこんな夜ならば、明けるなら早く明けてほしい。
 
〈3663〉沖の海底に生える縄海苔をたぐり寄せるように、もう帰って来るだろうと妻が待っている月も過ぎていく。

〈3664〉志賀の浦で漁をする漁師は、夜が明けてきたので岸辺を漕いでいるらしい。櫓を漕ぐ音が聞こえる。

〈3665〉妻を思ってよく寝られないでいると、明け方の朝霧に包まれて雁が鳴いている。

【説明】
 題詞に「海辺にして月を望みて作る歌九首」とあるうちの5首。3661の「風の共」は、風と共に。3662は、旋頭歌の形式。「よしゑやし」は、どうなろうとも、ええままよ。3663の上2句は「来る」を導く序詞。「繰る」と「来る」を掛けています。「縄海苔」は未詳。3664の「志賀」は、博多湾の入口にある志賀島。「浦廻」は、海岸の曲がって入り組んだところ。

巻第15-3666~3670

3666
夕(ゆふ)されば秋風寒し我妹子(わぎもこ)が解洗衣(ときあらひごろも)行きて早(はや)着む
3667
我(わ)が旅は久しくあらしこの我(あ)が着る妹(いも)が衣(ころも)の垢(あか)つく見れば
3668
大君(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)と思へれど日(け)長くしあれば恋ひにけるかも
3669
旅にあれど夜(よる)は火(ひ)灯(とも)し居(を)る我(わ)れを闇(やみ)にや妹(いも)が恋ひつつあるらむ
3670
韓亭(からとまり)能許(のこ)の浦波立たぬ日はあれども家(いへ)に恋ひぬ日はなし
  

【意味】
〈3666〉夕方になると秋風が寒い。いとしい妻が私の着物を脱がせて洗ってくれたものだが、その着物を早く帰って着たいものだ。

〈3667〉我らの旅はもうずいぶん長くなったようだ。私が着ている妻の下着に垢が付いているのを見ると。

〈3668〉帝の命によって遠くへ赴く使者であるとは思うけれど、旅の日々が長く続くので、あの奈良の都が恋しくなってくる。

〈3669〉苦しい旅の身空にいる私だが、夜は燈火を灯している。妻は闇夜にいて、私のことを恋しがっているだろうか。
 
〈3670〉韓亭や能許の浦に波が立たない日はあっても、故郷の家を恋わない日はない。

【説明】
 3666~3667は、題詞に「海辺にして月を望みて作る歌九首」とあるうちの2首。3666の「夕されば」は夕方になると。「解洗衣」は、古着の縫いをほどいて洗い、ぴんと張って縫い直した衣のこと。解洗衣を恋しく思うのは、着替えの少ない身分の低い人だったようです。3667について、男女が別れるとき、再会を約してお互いの下着を交換し、逢うまでは脱がないという習いがありました。現代の感覚からすると妙に感じますが、当時の下着に男女の区別はほとんどなく、同じようなものを身に着けていたと考えられています。そのの汚れから、別れてから経た月日の長さを実感しています。もっとも、妻のほうはとっくに着替えたでしょうけど。
 
 3668~3670は、筑前国志麻郡の韓亭に停泊した時の歌。「韓亭」は、福岡市西区宮浦唐泊とされています。唐泊の港は、かつては遣新羅使や遣隋使、遣唐使などの航路の中継港として栄えました。3668は、大使の歌。「遠の朝廷」は、京から遠く離れた政庁のことで、本来は大宰府ほか諸国の国庁の総称ですが、ここでは「韓亭」を指しています。
 
 3669は、大判官の歌。夜に燈火を灯しているのは、大使や副使に次ぐ重職にあったためとみられ、当時の燈火はぜいたく品でしたから、一般の生活ではほとんどあり得ないことでした。その燈火のもとで、闇夜の中にいるであろう妻を思いやっている歌です。3670の「能許」は、博多湾に浮かぶ能古島。

巻第15-3671~3675

3671
ぬばたまの夜(よ)渡る月にあらませば家なる妹(いも)に逢ひて来(こ)ましを
3672
ひさかたの月は照りたり暇(いとま)なく海人(あま)の漁(いざ)りは灯(とも)し合へり見(み)ゆ
3673
風吹けば沖つ白波(しらなみ)畏(かしこ)みと能許(のこ)の亭(とまり)にあまた夜(よ)ぞ寝(ぬ)る
3674
草枕(くさまくら)旅を苦しみ恋ひ居(を)れば可也(かや)の山辺(やまへ)にさを鹿(しか)鳴くも
3675
沖つ波高く立つ日に逢(あ)へりきと都の人は聞きてけむかも
  

【意味】
〈3671〉私が夜空を渡っていく月であったならば、家にいる妻に逢いに行き、またここに帰ってくるものを。

〈3672〉月が皎々と照っている。片や、絶え間もなく、漁師たちの漁火が、海の上で灯し合っている。

〈3673〉風が吹いていて、沖の白波が恐ろしさに、能許の停泊地で幾夜も過ごしている。

〈3674〉旅の苦しさに故郷を恋しく思い出していると、可也の山辺で牡鹿が、妻を呼んで鳴きたてている。
 
〈3675〉沖の波が高く立つ、あんな恐ろしい日に遭遇したと、都の人々は聞き及んでいるであろうか。

【説明】
 3671~3673は、筑前国志麻郡の韓亭に停泊した時の歌。3671の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「ませば~まし」は、反実仮想。3672の「ひさかたの」は「空」の枕詞であるのを「月」に転じさせたもの。3673の「畏みと」は、恐ろしさに。「能許」は、博多湾内の能古島。韓亭と能古島に分宿したのか、あるいは前面に能古島があるので言い換えたのでしょうか。

 3674~3675は、引津に停泊した時に、大判官の壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)が作った歌。「引津」は、福岡県糸島市の引津。3674の「草枕」は「旅」の枕詞。「可也の山」は、糸島市の可也の山で、その山容から筑紫富士、糸島富士などと呼ばれています。「さを鹿」の「さ」は接頭語。妻を呼ぶ鹿に自分の心を思い見ている歌です。

巻第15-3676~3680

3676
天(あま)飛ぶや雁(かり)を使(つかひ)に得(え)てしかも奈良の都に言(こと)告(つ)げ遣(や)らむ
3677
秋の野をにほはす萩(はぎ)は咲けれども見る験(しるし)なし旅にしあれば
3678
妹(いも)を思(おも)ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに秋の野にさを鹿(しか)鳴きつ妻思ひかねて
3679
大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き時待つと我(わ)れは思へど月ぞ経(へ)にける
3680
夜(よ)を長み寐(い)の寝(ね)らえぬにあしひきの山彦(やまびこ)響(とよ)めさを鹿鳴くも
  

【意味】
〈3676〉空を飛ぶ雁を使いとして手に入れたいものだ。奈良の都に言伝てを託すことができるのに。

〈3677〉秋の野を美しく彩る萩が一面に咲いているけれど、見る張り合いもない。旅先の身なので。

〈3678〉妻のことを思って寝るに寝られずにいると、秋の野で牡鹿が鳴き立てている。妻恋しさに耐えかねて。

〈3679〉大船にたくさんの櫂を取り付け、いつでも出発できると思っていたのに、いつのまにか月が替わってしまった。

〈3680〉夜が長いので寝るに寝られないでいると、山を響かせて妻を呼ぶ牡鹿が鳴き立てている。

【説明】
 引津に停泊した時の歌。3676の「天飛ぶや」は「雁」の枕詞。「得てしかも」の「てしか」は、願望。「言告げ」は、消息を伝える意。3677の「にほはす」は、美しい色に染める。「験なし」は、甲斐がない、張り合いがない。3678の「寐の寝らえぬ」は、寝ても眠ることができない。3679の「真楫しじ貫き」は、船の両舷に楫をたくさん取り付けて。「楫」は、舟を漕ぐための道具の総称。3680の「夜を長み」は、夜が長いので。「あしひきの」は「山」の枕詞。

巻第15-3681~3683

3681
帰り来て見むと思ひし我(わ)が宿(やど)の秋萩(あきはぎ)すすき散りにけむかも
3682
天地(あめつち)の神を祈(こ)ひつつ我(あ)れ待たむ早(はや)来ませ君(きみ)待たば苦しも
3683
君を思ひ我(あ)が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避(よ)くる日もあらじ
  

【意味】
〈3681〉無事に帰ってきたら見ようと思った我が家の庭の秋萩やすすきは、今ごろはもう散ってしまっただろうか。

〈3682〉天地の神々にご無事を祈りながら、私はお待ちしています。どうか早く帰ってきてください、あなたさま。お待ちするのは苦しゅうございます。

〈3683〉あなたのことを思って恋い焦がれる私の気持ちは、いくら月が変わってもその苦しみを避ける日などありません。

【説明】
 肥前国(佐賀県・長崎県)松浦郡(ひぜんのくにまつらのこおり)の狛島(こましま)に停泊した夜、海の波をはるかに眺めてそれぞれ旅の心を悲しんで作った歌。引津からさらに西へ行き、肥前国の唐津を過ぎて北に向かうと松浦の海があり、唐津湾内に神集島(かしわじま)がありました。「狛島」は神集島の狛島の亭で、ここは九州本島の最後の地となります。3681は、秦田麻呂(はだのたまろ:伝未詳)の歌。帰り着く予定の秋がすでに深まるのを嘆いています。3682は娘子の歌とあり、宴に接した遊行女婦とされます。3683の「あらたまの」は「年」の枕詞であるのを「月」に転用したもの。誰が誰に言った歌か明らかでありません。

巻第15-3684~3687

3684
秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐(い)の寝(ね)らえぬもひとり寝(ぬ)ればか
3685
足日女(たらしひめ)御船(みふね)泊(は)てけむ松浦(まつら)の海(うみ)妹(いも)が待つべき月は経(へ)につつ
3686
旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹(いも)し思ひ悲(がな)しも
3687
あしひきの山飛び越ゆる鴈(かり)がねは都に行かば妹(いも)に逢ひて来(こ)ね
  

【意味】
〈3684〉秋の夜が長いせいであろうか、どうしてこんなに寝るに寝られないのか、たった一人で寝るからだろうか。

〈3685〉足日女(たらしひめ)の御船が泊まったという、この松浦の海、その名のように妻が待っているはずの約束の月も、いたずらに去っていく。

〈3686〉旅の身なので何とか諦めてはいたが、家に残してきた妻のことだけは、思うと悲しい。

〈3687〉山を飛び越えていく雁よ、奈良の都に飛んでいったなら、ぜひ妻に逢ってきておくれ。

【説明】
 肥前国(佐賀県・長崎県)松浦郡(ひぜんのくにまつらのこおり)の狛島(こましま)に停泊した夜、海の波をはるかに眺めてそれぞれ旅の心を悲しんで作った歌。3684の「夜を長み」は、夜が長いので。「ここば」は、たいそう、甚だしく。

 3685の上3句は「待つ」を導く序詞。「足日女」は神功皇后。「御船」は新羅征伐の御船。九州の松浦や引津には、新羅と戦った神功皇后の伝説が残っています。無事に帰ってきた皇后にあやかって、足日女の名を口にすることにで、その加護を期待しています。3686の「思ひ絶えて」は、諦めて。3687の「あしひきの」は「山」の枕詞。「来ね」の「ね」は、願望。

 一行は6月に難波を出発して、順調なら3か月ぐらいで帰れるはずでしたが、秋の七夕は筑紫の館で迎え、この時はおそらく8月にさしかかっていたでしょう。まだ往路の半ばであり、なかなか帰れません。ずいぶん時間が経っているのに連絡の方法もなく、辛い妻恋の気持ちを歌っています。

巻第15-3688~3690

3688
天皇(すめろき)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 韓国(からくに)に 渡る我(わ)が背(せ)は 家人(いへびと)の 斎(いは)ひ待たねか 正身(ただみ)かも 過(あやま)ちしけむ 秋去らば 帰りまさむと たらちねの 母に申(まを)して 時も過ぎ 月も経(へ)ぬれば 今日(けふ)か来(こ)む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠(とほ)の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離(さか)りて 岩が根の 荒き島根に 宿(やど)りする君
3689
石田野(いはたの)に宿りする君家人のいづらと我(わ)れを問はばいかに言はむ
3690
世間(よのなか)は常(つね)かくのみと別れぬる君にやもとな我(あ)が恋ひ行かむ
  

【意味】
〈3688〉天皇の命を受け、官人(つかさびと)として韓国に渡ろうとしたあなたは、家の人のお祈りが十分でなかったのか、それとも自身が過ちでも犯したせいなのか、秋になれば帰ってきますと母親に申して出かけてきたのに、時は過ぎ、月も経たので、今日は帰るか、明日は帰るかと、家の人は今ごろ待ち焦がれているだろうに、遠い国にいまだ着きもせず、大和から遠く離れた、岩がごつごつしたこんな荒々しい島で、永遠に宿ることになってしまったあなた。

〈3689〉石田野に眠っている君よ、もしも家の人が、どこにどうしているのかと、この私に尋ねてきたらどう答えたらいいのか。

〈3690〉世の中はいつもこんなふうにはかないものと、別れて行ってしまった君、その君を、私はただいたずらに恋い慕いながら、旅を続けなければならないのか。

【説明】
 一行が肥前から対馬に向かう途中で、悲しい事件が起こります。使者の一人、雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が突然疫病に罹って死去したのです。題詞には「鬼病」とありますが、天然痘に罹ったものとされます。一行にとっては大変な衝撃で傷心事となり、この歌は、そのときに作られた長歌と反歌です。新羅からの帰途にも船内に疫病が発生し、大使の阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)が対馬で亡くなっています(このことは『万葉集』には記されていません)。当時の使節団の旅程はただでさえ命がけだったのに、とんだ厄災に見舞われてしまいました。
 
 3688の「遠の朝廷」は、ここでは韓国にある日本府。実際は、欽明天皇の時代に廃されましたから、遠い過去のことです。「斎ひ」は、吉事を祈って禁忌を守ること。「正身」は本人、その人自身。「たらちねの」は「母」の枕詞。「岩が根」は、大地に根を下ろしたような大きな岩。「島根」は島。3689の「石田野」は、長崎県壱岐市石田町の野。「いづら」はどのあたり。

巻第15-3691~3693

3691
天地(あめつち)と 共にもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上(うへ)ゆ なづさひ来(き)にて あらたまの 月日も来(き)経(へ)ぬ 雁(かり)がねも 継(つ)ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳(も)の裾(すそ)ひづち 夕霧に 衣手(ころもで)濡れて 幸(さき)くしも あるらむごとく 出(い)で見つつ 待つらむものを 世の中の 人の嘆きは 相(あひ)思はぬ 君にあれやも 秋萩(あきはぎ)の 散らへる野辺(のへ)の 初尾花(はつをばな) 仮廬(かりほ)に葺(ふ)きて 雲離(くもばな)れ 遠き国辺(くにへ)の 露霜(つゆしも)の 寒き山辺(やまへ)に 宿(やど)りせるらむ
3692
はしけやし妻も子どもも高々(たかたか)に待つらむ君や島隠(しまがく)れぬる
3693
黄葉(もみちば)の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも
  

【意味】
〈3691〉天地と共に長く生きていられたらと思い続けていただろうに、ああ、いたわしや、故郷の家を離れ、波の上を漂いながらやっとここまで来たのに、月日も経ち、雁も次々にやってきては鳴くようになり、母上や妻も、朝露に裳の裾を濡らし、夕霧に着物の袖を濡らしながら、君が無事であると信じてその帰りを門に出てしきりに待っているだろうに、この世の中の人の嘆きを知らぬ君ではあるまいに、どうして秋萩が散る野辺で初尾花を仮廬に葺いて、遠い雲の彼方の国の辺境の、露霜の降りる、こんな寒い山辺に眠ってしまったのか。

〈3692〉ああ、妻も子供も、今か今かと爪先立って待っているでだろう、そんな君なのに、どうしてこんな島に隠れてしまったのか。

〈3693〉もみじが散り敷くであろう山に眠る君を、もう帰るかもう帰るかと待っている家の人こそいたわしい。

【説明】
 前の3首に続き、雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)が死去した時に作った歌。作者は葛井連子老(ふじいのむらじこおゆ)。

 3691の「共にもがも」の「もがも」は願望。「はしけやし」は、ああいたわしい。「波の上ゆ」の「ゆ」は、~を通って。「なづさふ」は、浮き漂う。「あらたまの」は「月」の枕詞。「たらちねの」は「母」の枕詞。「妻ら」の「ら」は接尾語。「ひづち」は、濡れて。「初尾花」は、秋になって初めて穂が出たススキ。「露霜」は、霜のように冷たい露。3692の「高々に」は、爪先立って待つさま。「島隠れぬる」は、死んで葬られたことの敬避表現。3693の「散りなむ」は、散ってしまいそうな。「待つらむ」の「らむ」は現在推量。

巻第15-3694~3696

3694
わたつみの 畏(かしこ)き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪(も)なく行かむと 壱岐(ゆき)の海人(あま)の 秀(ほ)つ手の占部(うらへ)を 象焼(かたや)きて 行かむとするに 夢(いめ)のごと 道の空路(そらぢ)に 別れする君
3695
昔より言ひけることの韓国(からくに)の辛(から)くもここに別れするかも
3696
新羅(しらき)へか家にか帰る壱岐(ゆき)の島 行(ゆ)かむたどきも思ひかねつも
  

【意味】
〈3694〉海神が支配し給う恐ろしい海道を難渋しながらやってきて、せめて今からは無事に行こうと、壱岐の海人の占いの名人に占ってもらい、象を焼いて吉と出て、さあ行こうとする矢先、夢のように空の彼方に別れ去ってしまった君よ。

〈3695〉昔から言い伝えられてきた、韓国(からくに)の辛(から)くというように、つらくもここで君と別れるというのか。

〈3696〉新羅へ行こうか、それともいっそ家へ帰ろうか。ここの名前は壱岐の島だが、どちらへ行けばいいのか手段も思いもつかない。

【説明】
 六鯖(むさば)が作った挽歌3首。「六鯖」は、六人都鯖麻呂(むとべのさばまろ)の略記ではないかとされます。天平宝字8年に外従五位下。この時期、大陸風に氏名を略記することは、一部に好んで行われたといいます。

 3694の「わたつみ」は海の神。「秀つ手」は名人。「占部」は占い。「象焼きて」は亀甲を焼く占いをして。3695の「韓国の」は「辛く」の枕詞。3696の「壱岐の島」は、同音で「行かむ」の枕詞。「たどき」は手段、方法。「思ひかねつも」は、思うことができない、思いもよらない。

 亡くなった雪連宅満(ゆきのむらじやかまろ)は、元は壱岐島の島造(しまやっこ)の家系で、陰陽道(おんみょうどう)に関りのある人ではなかったかといわれています。氏名(うじな)の「雪」は壱岐を同じ発音の雪一字で表したものともいわれ、氏名や地名を漢字一字で表すことが7,8世紀に流行ったといわれます。そして、星を見て卜占をよくしたので、この人の決定によって出航の可否を決めていたのだろう、と。ところが、その役目の人が死んでしまい、一行の者は非常に不安に思ったのでしょう。「どちらへ行けばいいのか手段も思いもつかない」と歌っているのは、その不安の表れのように感じられます。

巻第15-3697~3699

3697
百船(ももふね)の泊(は)つる対馬(つしま)の浅茅山(あさぢやま)しぐれの雨にもみたひにけり
3698
天離(あまざか)る鄙(ひな)にも月は照れれども妹(いも)ぞ遠くは別れ来(き)にける
3699
秋されば置く露霜(つゆしも)にあへずして都の山は色づきぬらむ
 

【意味】
〈3697〉多くの船が停泊する津、その対馬の浅茅山は、しぐれの雨で色づいてきた。

〈3698〉都から遠く離れたこの辺境の地にも、月は皎々と照っているけれども、思えば、家の妻とは遠く離れてやって来たものだ。

〈3699〉秋になると降りてくる露霜に堪えきれず、都の山々はすっかり色づいてることだろう。

【説明】
 一行は筑紫を出て壱岐に寄り、対馬の浅茅(あさじ)湾に入ったものの、順風が得られず、湾に臨む竹敷(たかしき)に5日間泊まることとなりました。ここの歌は、当地の景色を眺めてそれぞれの辛い思いを述べて作った3首。この時は、6月に難波津を出航してすでに3か月経過しており、あまりに時間がかかり過ぎています。途中で台風に3度も遭ったこと(九州に着いて後も2度)や、疫病による死者が出たことが大きく影響したものとみられます。

 3697の「百船の泊つる」は「津」を起こし、「対馬」を導く序詞。「もみたひにけり」は、「もみつ(紅葉する)」の継続態。3698の「天離る」は「鄙」の枕詞。「鄙」は、田舎、都から遠い地。3699の「秋されば」は、秋になると。「露霜」は、霜のようになった冷たい露。「あへず」は、堪えられず。

 遣新羅使たちの歌には、多くの地名が出ていますが、旅人は地名を口にすることによって、その土地に挨拶をしています。しかも、悪く言ってはいけないので、3697のように「多くの船が停泊する津」と言って讃え、土地の神の加護により、前途多難な船旅の安全を願っています。

巻第15-3700~3703

3700
あしひきの山下(やました)光る黄葉(もみちば)の散りの乱(まが)ひは今日(けふ)にもあるかも
3701
竹敷(たかしき)の黄葉(もみち)を見れば我妹子(わぎもこ)が待たむと言ひし時そ来にける
3702
竹敷(たかしき)の浦廻(うらみ)の黄葉(もみち)我(わ)れ行きて帰り来(く)るまで散りこすなゆめ
3703
竹敷(たかしき)の宇敝可多山(うへかたやま)は紅(くれなゐ)の八(や)しほの色になりにけるかも
  

【意味】
〈3700〉もみじ葉が山裾の方まで照り映えており、その散り乱れる真っ盛りは、まさに今日のこの日なのだろう。
 
〈3701〉竹敷のもみじを見ると、愛しい私の妻が帰りを待っていますと言った、約束の時はもう来てしまったのだな。

〈3702〉竹敷の浦辺に色づく黄葉よ。我らが新羅に行って帰ってくるまで、散らないでおくれ、決して。

〈3703〉竹敷の宇敝可多山(うえかたやま)は、紅葉は何度も染めたように色濃くなったなあ。

【説明】
 対馬に着いた使節団一行は、竹敷の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの4首で、3700は、大使の大使阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)の歌、3701は、副使の大伴御中(おおとものみなか)の歌、3702は、大判官の壬生使主宇太麻呂(みぶのおみうだまろ)の歌。3700の「あしひきの」は「山」の枕詞。3703の「宇敝可多山」は、竹敷西方の城山かといわれます。「八しほの色」は、何度も染めたような色。

 なお、現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』では殆どの場合「黄葉」となっています。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられています。さらに「もみじ」ではなく「もみち」と濁らずに発音していたようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。

巻第15-3704~3707

3704
黄葉(もみちば)の散らふ山辺(やまへ)ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出(い)でて来(き)にけり
3705
竹敷(たかしき)の玉藻(たまも)靡(なび)かし漕ぎ出(で)なむ君がみ船をいつとか待たむ
3706
玉敷ける清き渚(なぎさ)を潮(しほ)満(み)てば飽(あ)かず我(わ)れ行く帰るさに見む
3707
秋山の黄葉(もみち)をかざし我(わ)が居(を)れば浦潮(うらしほ)満ち来(く)いまだ飽(あ)かなくに
  

【意味】
〈3704〉黄葉がしきりに舞い散る山裾を漕いでくる船の、あまりに見事な色どりに心惹かれて、私は参上いたしました。
 
〈3705〉竹敷の玉藻を靡かせながら、新羅へと漕ぎ出して行かれるあなた様の御船、お帰りになるのはいつとお待ちしたらよいのでしょうか。

〈3706〉玉を敷きつめたような、こんなにきれいな渚なのに、潮が満ちたので心を残して私は行く。しかし、早く帰ってきてまた見ようではないか。

〈3707〉秋山の黄葉をかざして楽しんでいると、浦に潮が満ちてきた。まだ思う存分興を尽くしていないというのに。

【説明】
 対馬に着いた使節団一行は、竹敷の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの4首で、3704・3705は、宴会に陪席した玉槻(たまつき)という名の遊行女婦が詠んだ歌です。新羅を目前にして一行の気持ちも高ぶり、ずいぶん盛り上がったことでしょう。3706は大使の歌、3707は副使の歌。

 3704の「山辺ゆ漕ぐ船」は、浅茅湾といっても運河のような感じなので、このように表現しています。「船のにほひ」は、一行の官船の朱色が、もみじにいっそう照り映えるさま。3705の「玉藻靡かし」は、船が進むにつれて藻を靡かせて、の意。一行の乗船はさぞ美しい彩色だったとみえ、その船の美しさに心惹かれるように言い、それを序歌風にして、転じて、主賓である大使を賛美しています。窪田空穂は「繊細な、美しい形容」と言っており、こうした地にも、歌才のある遊行女婦が住んでいたのです。

 国文学者の池田彌三郎は、「宴会の登場者として、主賓が神だとすれば、こういう女性の参加者は土地の精霊の資格であり、主賓の枕席に侍することによって、饗宴は完結する。玉槻にはそういう儀礼の役割を見なければならぬ」と延べています。

巻第15-3708~3712

3708
物思(ものも)ふと人には見えじ下紐(したびも)の下(した)ゆ恋ふるに月ぞ経(へ)にける
3709
家づとに貝を拾(ひり)ふと沖辺(おきへ)より寄せ来る波に衣手(ころもで)濡(ぬ)れぬ
3710
潮干(しほひ)なばまたも我(わ)れ来(こ)むいざ行かむ沖つ潮騒(しほさゐ)高く立ち来(き)ぬ
3711
わが袖(そで)は手本(たもと)通りて濡れぬとも恋忘れ貝(がひ)取らずは行かじ
3712
ぬばたまの妹(いも)が干(ほ)すべくあらなくに我(わ)が衣手(ころもで)を濡(ぬ)れていかにせむ
  

【意味】
〈3708〉物思いをしているのを人には分からないようにしているが、この下紐のように心の下で妻に恋続けているうちに、ずいぶん月が経ってしまった。
 
〈3709〉家への土産に貝を拾おうとしたら、沖から寄せてきた波に、衣の袖が濡れてしまった。

〈3710〉潮が干いたらまたこの海岸にやって来よう。今は沖の潮騒が高くなってきたので、さあ船に戻ろう。

〈3711〉衣の袖は手元から伝って濡れたとしても 恋しさを忘れさせるという忘れ貝を拾わないまま行くことはできない。

〈3712〉夜、妻が干してくれることもないのに、私は着物の袖を濡らしてしまって、どうしたらよいだろう。

【説明】
 対馬に着いた使節団一行は、竹敷の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの5首。3708は、大使の歌。「下紐の」は「下」の枕詞。3709の「家づと」は、妻へのみやげ。3712の「ぬばたまの」は「夜」「黒」などの枕詞ですが、ここでは「妹」に掛かっています。

巻第15-3713~3717

3713
黄葉(もみちば)は今はうつろふ我妹子(わぎもこ)が待たむと言ひし時の経(へ)ゆけば
3714
秋されば恋しみ妹を夢(いめ)にだに久しく見むを明けにけるかも
3715
ひとりのみ着寝(きぬ)る衣(ころも)の紐(ひも)解(とあ)かば誰(た)れかも結(ゆ)はむ家遠(いへどほ)くして
3716
天雲(あまくも)のたゆたひ来(く)れば九月(ながつき)の黄葉(もみち)の山もうつろひにけり
3717
旅にても喪(も)なく早(はや)来(こ)と我妹子(わぎもこ)が結びし紐はなれにけるかも
  

【意味】
〈3713〉黄葉は今は散ってゆく。愛しい妻がお待ちしますと言った時が過ぎて行ったので。
 
〈3714〉秋がやってきて、ひとしお恋しさがつのる妻を、夢にだけでも一晩中見続けていたいのに、夜はさっさと明けてしまった。

〈3715〉ひとりだけで着て寝るこの着物の紐を解いたなら、いったい誰が結んでくれるのか。家は遙かに遠いのに。

〈3716〉天雲のように漂いながらここまでやって来たが、九月の黄葉の山もすっかり散ってしまった。

〈3717〉出立なさっても何事もなく早く帰って来てほしいと、妻が結んでくれた着物の紐も、すっかりよれよれになってしまった。

【説明】
 対馬に着いた使節団一行は、竹敷の浦に停泊し、そこで宴会を催しました。ここの歌はその折に余興として詠まれた18首のうちの5首。3713の「うつろふ」は、花や葉が散ること。3714の「秋されば」は、秋になったので。3716の「天雲の」は「たゆたひ」の枕詞。「たゆたふ」は、漂う。3717の「喪」は、わざわい。「なれにける」は、よれよれになってしまった。往路の歌は、ここで終わります。

巻第15-3718~3722

3718
家島(いへしま)は名にこそありけれ海原(うなはら)を我(あ)が恋ひ来つる妹(いも)もあらなくに
3719
草枕(くさまくら)旅に久しくあらめやと妹(いも)に言ひしを年の経(へ)ぬらく
3720
我妹子(わぎもこ)を行きてはや見む淡路島(あはぢしま)雲居(くもゐ)に見えぬ家(いへ)づくらしも
3721
ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津(みつ)の浜松待ち恋ひぬらむ
3722
大伴(おほとも)の御津(みつ)の泊(とま)りに船 泊(は)てて龍田(たつた)の山をいつか越え行かむ
  

【意味】
〈3718〉家島という名に心惹かれて、はるかな海原をこえてやってきた。その島に妻がいるはずはないけれど。

〈3719〉草を枕に旅することも、そんなに長くはあるまいと妻に言って家を出てきたが、もう年を越してしまった。
 
〈3720〉早く帰って妻に逢いたい。雲のかかっているあたりに淡路島が見えてきた。家が近づいてきたらしい。

〈3721〉夜が明けてきたらしいが、船はこのまま漕いで行こう。御津の浜辺の、あの松もわれらを待ち焦がれているだろうから。
 
〈3722〉大伴の御津の港に船を着けて、龍田の山を越え、いつ、懐かしい大和に行き着けることができるだろう。

【説明】
 新羅での任を終えた一行が、帰路において播磨灘の家島に着いたときに作った歌です。遣新羅使らの歌は、難波津を出発して瀬戸内海を抜け、日本海に出て対馬の竹敷に着くまでが大半で、その先、新羅に渡ってからの歌は1首もありません。『続日本紀』には「遣新羅使、新羅国常礼を失して使の旨を受けざることを奏す」と記されており、いわば門前払いをされてしまったのです。歌など詠んでいる余裕などなかったのかもしれません。さらに大使が亡くなり、副使も病気になるなどの混乱もあり、帰路の歌はいきなり播磨の家島で、ここの5首を重ねて御津に着いたところでこの集は終わっています。

 3719の「草枕」は「旅」の枕詞。3721の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。3722の「大伴の御津」は難波の御津。「龍田の山」は、西国を旅する人が帰郷のめどにした山。秋に帰ってくる約束は果たせず、年を越えてしまいましたが、這う這うの体での帰京を目前にし、さすがに安心して心躍るようすが窺えます。
 
 なお、一行は天平9年の正月に帰ってきましたが、同じその年に悪疫が都に大流行し、『続日本紀』の記載には、貴族の死亡者の名が次々と並んでおり、藤原家の四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)も相次いで亡くなっています。天皇は神祇に祈るばかりでなく、大赦を行い、朝廷の執務を停止するほどでした。その直前には大宰府管内で悪疫が流行り、多くの死者が出ていることから、都での大流行の原因となったのは、この時の遣新羅使の一行ではなかったかとみられています。

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遣新羅使

 571年から882年まで約3世紀にわたって日本から新羅へ派遣された外交使節。その回数は、記録によると46回を数える。『日本書紀』によると欽明天皇の時代より新羅との間で任那(みまな)問題をめぐる交渉があり、日本側の使節は新羅系渡来人の吉士(きし)氏が多く任命された。663年の白村江(はくそんこう)の戦で新羅が百済(くだら)を滅ぼしたため一時期断交した。668年に新羅の朝貢により国交回復したが720年頃から関係が悪化し、779年両国使節の交流は終わった。その後は遣唐使の安否を問い合わせる使者が数度送られたのみとなった。国交回復後の使節の要職は、大使・少使・大位(だいじょう)・少位・大史(だいさかん)・少史各1人。

遣新羅使の航路

遣新羅使のとった航路については正史にはほとんど記載がないものの、『万葉集』の巻第15に収められている歌によって、天平8年(736年))の阿倍継麻呂大使率いる遣新羅使一行の行程がある程度分かっています。

難波を出航し、瀬戸内海を西進
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敏馬浦(神戸市)
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玉の浦(倉敷市)
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鞆の浦(福山市)
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長井の浦(三原市)
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風早浦(東広島市)
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倉橋島(呉市)
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分間浦(中津市)
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筑紫館(福岡市)
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韓亭(能古島)
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引津亭(糸島市)
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神集島(唐津市)
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壱岐島
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浅茅浦(対馬市)
 ↓
竹敷浦(対馬市)
 ↓
新羅へ

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枕詞あれこれ

神風(かむかぜ)の
「伊勢」に掛かる枕詞。日本神話においては、伊勢は古来暴風が多く、天照大神の鎮座する地であるところからその風を神風と称して神風の吹く地の意からとする説や、「神風の息吹」のイと同音であるからとする説などがある。

草枕
「旅」に掛かる枕詞。旅にあっては、草を結んで枕とし、夜露にぬれて仮寝をしたことから。

韓衣(からごろも)
「着る」「袖」「裾」など、衣服に関する語に掛かる枕詞。「韓衣」は、中国風の衣服で、広袖で裾が長く、上前と下前を深く合わせて着る。「唐衣」とも書く。

高麗錦(こまにしき)
「紐」に掛かる枕詞。「高麗錦」は、高麗から伝わった錦または高麗風の錦で、高麗錦で紐や袋を作ったところから。

隠(こも)りくの
大和国の地名「泊瀬(初瀬)」に掛かる枕詞。泊瀬の地は、四方から山が迫っていて隠れているように見える場所であることから。

さねかづら
「後も逢ふ」に掛かる枕詞。「さねかづら」は、つる性の植物で、つるが分かれてはい回り、末にはまた会うということから。

敷島の/磯城島の
「大和」に掛かる枕詞。「敷島」は、崇神天皇・欽明天皇が都を置いた、大和国磯城 (しき) 郡の地名で、磯城島の宮のある大和の意から。

敷妙(しきたへ)の
「枕」に掛かる枕詞。「敷妙」は、寝床に敷く布団の一種。寝具であるところから、他に「床」「衣」「袖」「袂」「黒髪」などにも掛かる。

白妙(しろたへ)の
白妙で衣服を作るところから、「衣」「袖」「紐」など衣服に関する語に掛かる枕詞。また、白妙は白いことから「月」「雲」「雪」「波」など、白いものを表す語にも掛かる。

高砂の
「松」「尾上(をのへ)」に掛かる枕詞。高砂(兵庫県)の地が尾上神社の松で有名なところから。同音の「待つ」にも掛かる。

玉櫛笥(たまくしげ)
玉櫛笥の「玉」は接頭語で、「櫛笥」は櫛などの化粧道具を入れる箱。櫛笥を開けるところから「あく」に、櫛笥には蓋があるところから「二(ふた)」「二上山」に、身があるところから「三諸(みもろ)」などに掛かる枕詞。

玉梓(たまづさ)の
「使ひ」に掛かる枕詞。古く便りを伝える使者は、梓(あずさ)の枝を持ち、これに手紙を結びつけて運んでいたことから。また、妹のもとへやる意味から「妹」にも掛かる。

玉鉾(たまほこ)の
「道」「里」に掛かる枕詞。「玉桙」は立派な桙の意ながら、掛かる理由は未詳。

たらちねの
「母」に掛かる枕詞。語義、掛かる理由未詳。

ちはやぶる
「ちはやぶる」は荒々しい、たけだけしい意。荒々しい「氏」ということから、地名の「宇治」に、また荒々しい神ということから「神」および「神」を含む語や神の名に掛かる枕詞。

夏麻(なつそ)引く
「夏麻」は、夏に畑から引き抜く麻で、夏麻は「績(う)む」ものであるところから、同音で「海上(うなかみ)」「宇奈比(うなひ)」などの「う」に掛かる枕詞。また、夏麻から糸をつむぐので、同音の「命(いのち)」の「い」に掛かる。

久方(ひさかた)の
天空に関係のある「天(あま・あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などにかかる枕詞。語義、掛かる理由は未詳。

もののふの
もののふ(文武の官)の氏(うぢ)の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。

百敷(ももしき)の
「大宮」に掛かる枕詞。「ももしき」は「ももいしき(百石木」が変化した語で、多くの石や木で造ってあるの意から。

八雲(やくも)立つ
地名の「出雲」にかかる枕詞。多くの雲が立ちのぼる意。

若草の
若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などに掛かる枕詞。

参考文献

『NHK100分de名著ブックス万葉集』
 ~佐佐木幸綱/NHK出版
『古代史で楽しむ万葉集』
 ~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』
 ~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』
 ~伊藤博/KADOKAWA
『田辺聖子の万葉散歩』
 ~田辺聖子/中央公論新社
『超訳 万葉集』
 ~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』
 ~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
 ~小名木善行/徳間書店
『万葉語誌』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉集』
 ~池田彌三郎/世界文化社『万葉秀歌』
 ~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉秀歌鑑賞』
 ~山本憲吉/飯塚書店
『万葉集講義』
 ~上野誠/中央公論新社
『万葉集と日本の夜明け』
 ~半藤一利/PHP研究所
『萬葉集に歴史を読む』
 ~森浩一/筑摩書房
『万葉集のこころ 日本語のこころ』
 ~渡部昇一/ワック
『万葉集の詩性』
 ~中西進/KADOKAWA
『万葉集評釈』
 ~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』
 ~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』
 ~品田悦一/講談社
『ものがたりとして読む万葉集』
 ~大嶽洋子/素人社
『私の万葉集(一~五)』
 ~大岡信/講談社

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