アダム・スミスが、「市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、”見えざる手”によって知らず知らずのうちに適切な資源配分がなされ、公共の利益に資することになる」と主張したとおり、実際に資本主義を採用した国家は、ことごとく成功を収めました。それまでの特権階級があらゆる富を独占していた国家と違い、資本主義国家では、働く人々の生活レベルは大きく向上し、国家の生産力も格段に高まってきたからです。
しかし一方で、この資本主義の成功を懐疑的に思っている人物がいました。ドイツ生まれの哲学者で経済学者でもあったカール・マルクスです。彼は資本主義を分析し、資本家が労働者を搾取する不公平かつ人々を不幸にするシステムだから、必ず崩壊するであろうと結論づけました。当時の、資本主義を肯定し謳歌する世間の常識と真反対のことを言ったのです。
ただしマルクスは、資本主義社会が、歴史上まったく無意味な社会であると考えたわけではありません。いずれは崩壊する運命にあるとしても、資本主義も歴史の一段階である以上、歴史的な意味と役割を持っている、それは資本主義こそが生産力の急速な上昇をもたらすと同時に、次の社会をつくる変革の担い手を育てることにあると考えたのです。マルクスが批判した資本主義社会には、次のような問題点が掲げられます。
マルクスは、このような問題をはらむ社会のなかで実際に生産にたずさわる労働者こそが、やがて資本主義を批判、否定し、それを覆す原動力になるだろうと考えました。そして、次世代を形づくる社会システムとして社会主義を提唱しました。私有財産を認めず、全ての財産を国家が管理し、それを各個人に公平に分配すれば、格差のない平等な社会が実現すると主張したのです。
しかし、現実には、マルクスの経済学を信奉し社会主義国家を築いたソ連や中国が、国家の解体または市場経済への移行という、社会主義の破綻を示す結果となってしまいました。歴史的にはダメな主義だったと結論づけられたのです。それらの何が問題だったかというと、大きく2つあります。
まず、「すべての階級や差別をなくす平等社会」という理想とは裏腹に、共産党官僚という新たな特権階級が生まれ、さらに自分たちに従わないものを弾圧するという恐怖政治に変わってしまったこと。そして、がんばって働いても怠慢であっても得られる収入が同じという「平等」が招いた、生産力と品質の大きな低下です。とくに前者は、労働者の自由も人権も踏みにじる最悪の非平等社会に至りました。
それではマルクスの経済学が完全に敗北したのかというと、必ずしもそうとは断言できない事情もあります。そもそもソ連や東欧諸国などが、マルクスのいう社会主義だったのかという議論があるようですし、少なくとも彼が描いたような、資本主義が行き詰まり労働者が中心となって構築するというプロセスはありませんでした。また『共産党宣言』に書かれているような「ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展の条件となる」共同体を形成することもできませんでした。
さらに、アメリカを中心とする資主義陣営から包囲され、国際政治的に苦しい立場におかれ続けたこと、そのため軍事に莫大な物的・人的資源を投入せざるをえなくなったことなども、マルクスが考えていた社会主義の実現のためには想定外の事象でした。とはいえ、マルクスが想定した資本主義の崩壊はこれまで一つも世界中で起きていませんし、また起きる気配もありません。
本来の社会主義であれば、貧富の差はなく、景気循環も倒産も失業もありません。そうした体制をめざした国家が実際にあったことは、資本主義陣営にも少なからず影響を与え、失業対策や社会福祉の充実をはかるなど、社会主義的な政策を取り入れるようになりました。しかしながら、依然として、マルクスが指摘した資本主義の本質的な問題点は克服できていませんし、また、これに取って代わる新しいシステムも見出されていません。 けっきょく私たちは当面の間はこのシステムの中で生きていくほかないようですが、はたしてこの後、第二のマルクスが現れるのでしょうか。
マルクスの著作
【PR】
マルクスの言葉から
【PR】
→目次へ
がんばれ高校生!
がんばる高校生のための文系の資料・問題集。 |
【PR】
(ヘーゲル)
【PR】