ニーチェが残した言葉で有名な「神は死んだ」。これは彼が書いた『ツァラトゥストラはかく語りき』のなかで、主人公のツァラトゥストラに語らせた台詞です。この著作はキリスト教の聖書に対抗して書かれたといわれ、後期ニーチェの思想の集大成とされますが、主人公に「神の死」と言わしめたニーチェは、「神」をどのようにとらえ、また何を訴えたかったのでしょうか。
まずニーチェは、「神とは、弱者のルサンチマンが作り出したものにすぎない」と述べます。ルサンチマンというのは「弱者の強者に対する妬み、恨み」のことで、神や神への信仰は、決して人々の崇高な意志から生まれたのではなく、むしろ、現実から逃れた敗者や弱者の歪んだ負の感情から生み出されたのだというのです。さらにニーチェは、そのようにして生まれた「神への信仰が、人間本来の生を押し殺してしまっている」とも主張します。
ニーチェによれば、人間は古来、狼や鷹のように力のある強者を「善い」とする価値観をもっていたのに、あるときから(ユダヤ教に始まるキリスト教という宗教や道徳が発生してから)その価値観が逆転してしまったといいます。つまり、強者ではなく、羊のように大人しく弱い者を「善い」とする価値観に変わってしまった。これは人間本来の自然な価値観では決してあり得ず、あとから宗教家などによって人工的に作られた偽物の価値観だというのです。
たとえば、「強くなりたい」「お金持ちになりたい」「権力を得たい」といった欲求が人間本来の素直な気持ちであり、また自然な価値観であったはずなのに、それがいつの間にか「弱いことは素晴らしい」「お金や権力を求めるのは邪悪だ」というように歪められてしまった。なぜなら、殆どの人はそれらを得たくともなかなか得られない、あるいは自信がないから。だからといって負けを認めて惨めになるのは嫌だ。神の存在を信じ、神を信仰するのは、そうした発想に基づくというのです。
またたとえば、『イソップ寓話』に出てくるキツネが、取ろうとしたブドウが取れないのに「あのブドウは酸っぱい」と言ったのと同じで、欲しくてたまらなかったモノの価値を自らの都合で勝手に貶める。さらには「ブドウを欲しがらないことは善いことだ」という考え方につなげてくる。つまり外面的な敗北を、内面的な勝利にすり変える。ニーチェは、そうした思考をただの欺瞞に過ぎないと断言します。なぜなら、もしブドウに手が届けば、必ず喜んで食べただろうし、権力やお金も得られれば必ず手にしようとするからです。
ニーチェは、そうした不自然な発想からくる弱者救済の仕組みこそが、神への信仰あるいは宗教が説く道徳の正体であるとし、そうしたものに頼るのではなく、現実の存在(実存)に目を向けた生き方をせよと強く訴えかけます。そして、どうすれば善い生き方として自己を肯定できるか。その答えは「権力への意志」だといいます。
ただし、ここでいう「権力」は、政治権力や国家権力のような権力ではありません。「能力」や「可能性」と読み替えるべきもので、それらを秘めた高い目標を自ら掲げ、困難や問題にぶつかりながらも、努力によってそれを乗り越えて達成する。それは一種の支配になりますから、そういう意味での「権力」です。私たちの人生には、それぞれ成し遂げて支配すべきことがある。戦わなければならないときは、相手を打ち負かしてでも勝ち取るべきものがある。
ニーチェは、そのように「権力の意志」のまま強くなることを目指す人のことを「超人」と呼びました。ニーチェのいう「超人」とは、決してスーパーマンやウルトラマンのような特別な存在ではなく、強くなりたいという意志をしっかり持ち、それを実現するために絶えざる努力をする、そういう人のことです。そして、神が死んだ世界であっても、超人であれば決して堕落することはない、と。
なお、ここで注意しなくてはならないのは、ニーチェの思想はキリスト教から激しく攻撃を受け、しばしばアンチ・キリスト教的だと強調されますが、決してそのように皮相的にとらえるべきものではありません。彼の論調には過激で強い表現が多いため「毒」と表現されることもあるくらいに誤解を招きがちですが、ニーチェが示したかったのは、あくまで人間が生きる意味を肯定できる価値観の解釈にありました。
さらにニーチェの思想は、自身の壮絶な人生とは裏腹に、とてもポジティブで前向きでした。「この世界には意味はない」とするニヒリズムからスタートしたものの、それから「意味がないならそれはそれでよい」と肯定し、「それでも存在しているのだから、この世界は素晴らしい」と発展し、「苦しみがあっても、それを受け容れて自分の人生を愛そう」「そうして自分の道を見出そう」という思考が根底にありました。
ニーチェはまた、人生を謳歌するためには、恋愛と音楽が必要だとも説いています。音楽は生きる意志をより高めてくれる、恋愛は誰かを愛してたとえフラれたとしても、愛したという歓喜は永遠である、と。とりわけ音楽に関しては「音楽のない人生など誤謬にすぎない」との言葉を残しているほど愛し、自身が作曲した作品の数は70曲以上にものぼります。また、主著である『ツァラトゥストラはかく語りき』は全編が音楽と考えてもいいかもしれないとも語っています。
さらにニーチェは、すべての価値観が崩壊した後の世界、すなわち終末の時代に生きる人々の姿をも思い描いています。どんな人々がその時代に生きているかというと、将来に対する夢も希望も持たず、健康と心地よく穏便な生活だけを求め、ただ何となく生きている人々。そうした人々をニーチェは「末人(まつじん)」と呼び、近い将来、「神が死んだ世界」が到来すれば、世の中は末人だらけになるだろうと予言しました。
これを聞いて思い当たるところがありませんでしょうか。現代の私たちの社会を見回してみると、いかがでしょう、どことなくそんな雰囲気が漂っている気がしないではありません。はたしてこの先、ニーチェの予言は現実になるのでしょうか。
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