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帝の求婚

(一)
 さて、かぐや姫、かたちの世に似ずめでたきことを、帝(みかど)聞こし召して、内侍(ないし)中臣(なかとみ)のふさ子にのたまふ、「多くの人の身をいたづらになしてあはざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見てまゐれ」とのたまふ。ふさ子、承りてまかれり。竹取の家にかしこまりて請(しやう)じ入れて、会へり。女に内侍のたまふ、「仰せごとに、かぐや姫のかたち優におはすなり。よく見てまゐるべき由のたまはせつるになむ、まゐりつる」と言へば、「さらば、かく申しはべらむ」と言ひて入りぬ。

 かぐや姫に、「はや、かの御使ひに対面したまへ」と言へば、かぐや姫、「よきかたちにもあらず。いかでか見ゆべき」と言へば、「うたてものたまふかな。帝の御使ひをばいかでおろかにせむ」と言へば、かぐや姫答ふるやう、「帝の召してのたまはむこと、かしこしとも思はず」と言ひて、さらに見ゆべくもあらず。生める子のやうにあれど、いと心恥づかしげに、おろそかなるやうに言ひければ、心のままにもえ責めず。女、内侍のもとに帰りいでて、「口惜しく、この幼き者は、こはくはべる者にて、対面すまじき」と申す。内侍、「必ず見奉りてまゐれ、と仰せごとありつるものを、見奉らでは、いかでか帰りまゐらむ。国王の仰せごとを、まさに世に住みたまはむ人の、承りたまはでありなむや。いはれぬことなしたまひそ」と、ことば恥づかしく言ひければ、これを聞きて、まして、かぐや姫、聞くべくもあらず。「国王の仰せごとをそむかば、はや殺したまひてよかし」と言ふ。

【現代語訳】
 さて、かぐや姫の器量が世に比類なくすばらしいことを帝がお聞きあそばされ、内侍の中臣のふさ子に、「多くの者の身を滅ぼすほどに、かたくなに結婚を拒むというかぐや姫とはどれほどの女か、出かけていって見て参れ」とおっしゃった。ふさ子は命令をお聞きして出かけていった。竹取の翁の家では恐縮してふさ子を招き入れ、対面した。お婆さんに内侍がおっしゃるには、「帝の仰せで、かぐや姫の器量が優れておられると聞いた。とく見て参れとのことでしたので参上しました」と言うと、「それならば、そのように申して参りましょう」と言って奥へ入った。

 かぐや姫に、「すぐに、あの御使者に対面なされよ」と言うと、かぐや姫、「よい器量でもありませぬ。どうしてお目にかかれましょうか」と言ったので、「情けないことをおっしゃる。帝の御使いを、どれほどおろそかになさるのか」と言うと、かぐや姫が答えるには、「たとえ帝がお召しになって仰られたとしても、恐れ多いとも思いません」と言って、いっこうに姿を見せようとしない。いつもは生んだ子のように素直なのに、このたびはこちらがとても気後れするような気配で、つっけんどんに言うので、お婆さんは思うように責めたてることができない。お婆さんは内侍のもとに戻ってきて、「残念ながら、この幼い娘はものの判断もつかない者ですので、対面いたしますまい」と申し上げた。内侍は、「必ずお会いして参れとの仰せでしたのに、お会いせずにどうして帰れましょうよ。国王の御命令を、この世に住んでおられる人がどうしてお受けせずにいられましょうか。道理に合わないことをなさいますな」と、お婆さんが恥じるほどの言葉遣いで言ったので、これを聞いたかぐや姫はなおさら承知するはずもない。「国王の御命令に背いたというならば、早く殺してしまわれよ」と言った。

(二)
 この内侍帰り、この由を奏す。帝聞こし召して、「多くの人殺してける心ぞかし」とのたまひてやみにけれど、なほおぼしおはしまして、この女のたばかりにや負けむ、とおぼして、仰せたまふ、「なむぢが持ちてはべるかぐや姫奉れ。顔かたちよしと聞こし召して、御使ひをたびしかど、かひなく見えずなりにけり。かくたいだいしくや慣らはすべき」と仰せらる。翁かしこまりて御返りごと申すやう、「この女(め)の童は、絶えて宮仕へ仕うまつるべくもあらずはべるを、もてわづらひはべり。さりとも、まかりて仰せごと賜はむ」と奏す。これを聞こし召して、仰せたまふ、「などか、翁の手におほし立てたらむものを、心に任せざらむ。この女もし奉りたるものならば、翁に冠(かうぶり)を、などか賜はせざらむ」

【現代語訳】
 この内侍は御所に戻って、このことの次第を奏上した。帝はお聞きあそばされて、「まさに多くの男を殺してきたような心であるよ」とおっしゃり、その時は沙汰やみになったが、それでもやはりかぐや姫をお思いになられ、この女の心積もりに負けてなるものかと、翁に御命じになった。「お前のかぐや姫を献上せよ。顔かたちがよいとお聞きあそばし、御勅使を遣わしたが、その甲斐もなく会わずに終わってしまった。このようなけしからぬままでよいものか」とおっしゃった。翁は恐れ入ってお返事を申し上げるには、「この幼い娘は、まったく宮仕えできそうもなく、持て余し悩んでおります。そうは申しましても、戻りまして帝の仰せを娘に申し聞かせましょう」と奏上した。これをお聞きあそばされ、帝がおっしゃるには、「どうして、翁の手で育てたのに、自分の自由にならないのか、わが子ならどうにでもなるだろうに。この女をもし献上するなら、翁に五位の位を授けるものを」

(三)
 翁喜びて、家に帰りてかぐや姫に語らふやう、「かくなむ帝の仰せたまへる。なほやは仕うまつりたまはぬ」と言へば、かぐや姫答へていはく、「もはら、さやうの宮仕へ仕うまつらじと思ふを、しひて仕うまつらせたまはば消え失せなむず。御宮冠(みつかさかうぶり)仕うまつりて、死ぬばかりなり」。翁いらふるやう、「なしたまひ。宮冠も、わが子を見奉らでは、なににかはせむ。さはありとも、などか宮仕へをしたまはざらむ。死にたまふべきやうやはあるべき」と言ふ。「なほそらごとかと、仕うまつらせて、死なずやあると見たまへ。あまたの人の、志おろかならざりしを、むなしくしなしてしこそあれ。昨日今日帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし」と言へば、翁答へていはく、「天下のことは、とありとも、かかりとも、御命(みいのち)の危さこそ、大きなるさはりなれば、なほ仕うまつるまじきことを、まゐりて申さむ」とて、まゐりて申すやう、「仰せのことをかしこさに、かの童を、まゐらせむとて仕うまつれば、宮仕へにいだし立てば死ぬべし、と申す。造麻呂(みやつこまろ)が手に生ませたる子にもあらず。昔、山にて見つけたる。かかれば、心ばせも世の人に似ずはべり」と奏せさす。

【現代語訳】
 翁は喜び、家に帰ってかぐや姫に相談し、「このように紛れもなく帝は仰せになられた。それでもやはりお仕え申し上げないのか」と言うと、かぐや姫が答えて言うには、「一切、そのような宮仕えはしないと思っておりますので、無理にお仕えさせようとなさるならば消え失せてしまうつもりです。官位を授かるようにして差し上げ、私は死ぬばかりです」。翁が答えて、「そんなことをおっしゃるな。官位も、わが子を見られなくなっては何になろうか。それにしても、どうして宮仕えなさらないのか。死ななければならない理由があるものか」と言う。「それなら嘘かどうか、お仕えさせ死なずにいるか試してごらんなさい。私への志が並大抵でなかった多くの方々を破滅させてしまったのに、昨日今日に帝がおっしゃったことに従ったのでは、人々にたいして恥となります」と言うと、翁は、「世間がどうあろうと、あなたの命こそが、私にとって重大事であるので、やはり宮仕えいたしかねることを参内して申し上げよう」と言い、参内して、「仰せのお言葉のもったいなさに、あの娘を帝の御元に参上させようとあれこれ尽力いたしましたが、宮仕えに差し出すなら死ぬと申します。造麻呂の手に生ませた子でもありませぬ。昔、山で見つけた子なのです。そのため、気性が世の普通の人に似ていないのでございます」と奏上してもらった。

(四)
 帝仰せたまふ、「造麻呂が家は、山もと近かなり。御狩りみゆきしたまはむやうにて、見てむや」とのたまはす。造麻呂が申すやう、「いとよきことなり。なにか、心もとなくてはべらむに、ふとみゆきして御覧ぜむに、御覧ぜられなむ」と奏すれば、帝にはかに日を定めて、御狩りに出で給うて、かぐや姫の家に入り給うて見給ふに、光みちて清らにてゐたり人あり。これならむとおぼして近く寄らせ給ふに、逃げて入る袖をとらへ給へば、面をふたぎて候(さぶら)へど、はじめて御覧じつれば、類(たぐひ)なくめでたくおぼえさせ給ひて、許さじとすとて、ゐておはしまさむとするに、かぐや姫答へて奏す、おのが身は、この国に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ、いとゐておはしましがたくや侍らむと奏す。帝、「などかさあらむ。なほゐておはしまさむ」とて、御輿(みこし)を寄せ給ふに、このかぐや姫、きと影になりぬ。はかなく、口惜しとおぼして、げにただ人にはあらざりけりとおぼして、「さらば御供には率て行かじ。もとの御かたちとなりたまひね。それを見てだに帰りなむ」と仰せらるれば、かぐや姫もとのかたちになりぬ。帝、なほめでたくおぼしめさるることせきとめがたし。かく見せつる造麻呂を喜びたまふ。さて仕うまつる百官の人々、あるじいかめしう仕うまつる。帝、かぐや姫をとどめて帰りたまはむことを、飽かず口惜しくおぼしけれど、魂をとどめたるここちしてなむ帰らせたまひける。

【現代語訳】
 帝が仰せになるには、「造麻呂の家は、山の麓に近いと聞く。御狩りの行幸をなさるような体で、かぐや姫を見ることができるだろうか」と。造麻呂が申し上げるには、「たいへん結構なことです。何の何の、かぐや姫がぼんやりしているようなときに、不意に行幸なさり御覧になられたら、きっと大丈夫でしょう」と奏上するので、帝は急に日を決めて、御狩にお出かけになり、かぐや姫の家にお入りになってご覧になると、光に満ちて坐っている人がいた。帝は、かぐや姫というのはこの人であろうとお思いになって近くにお寄りになり、奥へ逃げて入ろうとするかぐや姫の袖をとらえなさると、顔を隠したものの、帝は初めてご覧になり、類なく美しくお思いになって、奥に入るのを許さないと言い、連れていらっしゃろうとする、それにかぐや姫が答えて申し上げるには、「私の身は、この国に生まれておりましたら、召使としてお使いにもなれましょうが、そうではないので連れていらっしゃるのはたいそう難しいことでしょう」と申し上げた。帝は「どうしてそのようなことがあろうか。やはりどうしても連れていく」と言って、お輿を寄せられると、このかぐや姫は、急に姿が消えて影になってしまった。帝は惨めで情けなく無念にお思いになり、まことに普通の人ではなかったと思われ、「それならば御供には連れて行くまい。元の姿におなりなさい。せめてそれを見るだけにして帰ろう」と仰ったので、かぐや姫は元の姿に戻った。帝は、なおさらすばらしい女だとの思いが抑えがたい。このようにかぐや姫を見せてくれた造麻呂の取り計らいをうれしくお思いになった。さて、御供の諸役の人々に、翁はもてなしを盛大にしてさしあげた。帝は、かぐや姫を残してお帰りになるのを残念にお思いになったが、魂はとどめている気持ちで実はお帰りになられたのだ。

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かぐや姫の告白

(一)
 かやうに、御心を互ひに慰めたまふほどに、三とせばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月のおもしろくいでたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の、「月の顔見るは忌むこと」と制しけれども、ともすれば人間(ひとま)にも月を見ては、いみじく泣きたまふ。七月十五日の月にいでゐて、せちにもの思へるけしきなり。近く使はるる人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫の、例も月をあはれがりたまへども、このごろとなりては、ただごとにもはべらざめり。いみじくおぼし嘆くことあるべし。よくよく見奉らせたまへ」と言ふを聞きて、かぐや姫に言ふやう、「なんでふここちすれば、かく、ものを思ひたるさまにて、月を見たまふぞ。うましき世に」と言ふ。かぐや姫、「見れば、世間心細くあはれにはべる。なでふものをか嘆きはべるべき」と言ふ。

 かぐや姫のある所に至りて見れば、なほもの思へるけしきなり。これを見て、「あが仏、何事思ひたまふぞ。おぼすらむこと何事ぞ」と言へば、「思ふこともなし。ものなむ心細く覚ゆる」と言へば、翁、「月な見たまひそ。これを見たまへば、ものおぼすけしきはあるぞ」と言へば、「いかで月を見ではあらむ」とて、なほ、月いづれば、いでゐつつ嘆き思へり。夕やみには、もの思はぬけしきなり。月のほどになりぬれば、なほ、時々はうち嘆きなどす。これを、使ふ者ども、「なほものおぼすことあるべし」とささやけど、親をはじめて、なにとも知らず。

【現代語訳】
 このように、帝はかぐや姫と御心をお互いに慰め合っていらっしゃるうちに、三年ばかりたって、春の初めころから、かぐや姫は、月が趣きをもって出ているのを見て、いつもより物思いにふけるようすになった。側に仕えている人が、「月の顔を見るのは忌むことです」と制するが、ともすれば人のいない間にも月を見ては、ひどく泣く。七月十五日の月には、奥から出てきて座り込み、ひたすら何かに思い悩んでいるようすである。近くの侍女たちが竹取の翁に告げて言うには、「かぐや姫は、ふだんから月をしみじみと御覧になっていますが、このごろではただ事ではございません。ひどく思い嘆かれることがおありに違いありません。よくよくご注意なさってください」と言うものだから、翁がかぐや姫に、「どういう心地で、そのように思い悩んで月を御覧になるのか。けっこうな世の中なのに」と言う。かぐや姫は、「月を見ると、世の中が心細くしみじみと悲しく感じられるのです。どうして何かを嘆きましょうか」と言う。

 ある夜、かぐや姫のいる所に行って見ると、それでもやはり何か思いつめているようすでいる。これを見て、「私の大切な君よ、何事を思い悩んでおられるのか。思いつめておられるのは何事か」と尋ねると、「思いつめることなどありません。何となく心細いだけです」と言うので、翁は、「月を御覧になるな。御覧になるから、物思いをするようになってしまう」と言うと、「どうして月を見ずにいられましょうか」と言って、やはり、月が出ると出て行って座っては嘆いて思い悩んでいる。月の出ない夕闇の時分には思わないようである。でも、月の出るころになるとやはり、しきりに思い嘆く。召使いたちは「やはり思い悩むことがあるに違いない」とささやくが、親を始め、だれもが訳がわからない。

(二)
 八月十五日(もち)ばかりの月に出でゐて、かぐや姫いといたく泣きたまふ。人目もいまはつつみ給はず泣きたまふ。これを見て、親どもも、「なにごとぞ」と問ひさわぐ。かぐや姫泣く泣く言ふ、「先々(さきざき)も申さむと思ひしかども、かならず心惑はし給はむものぞと思ひて、いままで過ごし侍りつるなり。さのみやはとて、うち出で侍りぬるぞ。おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり。それを昔の契りありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける。いまは帰るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの国より、迎へに人々まうで来(こ)むず。さらずまかりぬべければ、思(おぼ)しなげかむが悲しきことを、この春より思ひなげき侍るなり」と言ひて、いみじく泣くを、翁、「こはなでふことのたまふぞ。竹の中より見つけ聞こえたりしかど、菜種の大きさおはせしを、わがたけ立ち並ぶまで養ひ奉りたるわが子を、なに人か迎へ聞こえむ。まさに許さむや」と言ひて、「われこそ死なめ」とて、泣きののしること、いと耐へがたげなり。

 かぐや姫のいはく、「月の都の人にて、父母(ちちはは)あり。かた時の間とて、かの国よりまうで来(こ)しかども、かくこの国にはあまたの年を経ぬるになむありける。かの国の父母のことも覚えず、ここには、かく久しく遊び聞こえて、ならひ奉れり。いみじからむ心地もせず。悲しくのみある。されどおのが心ならず、まかりなむとする」と言ひて、もろともにいみじう泣く。使はるる人々も、年ごろならひて、立ち別れなむことを、心ばへなどあてやかにうつくしかりつることを見慣らひて、恋しからむことの耐へがたく、湯水飲まれず、同じ心に嘆かしがりけり。

【現代語訳】
 八月十五日近くの月に縁側に出て、かぐや姫はたいそうひどく泣いておられる。今では人目も気にかけずお泣きになる。これを見て、親たちも「何ごとか」と大騒ぎして尋ねる。かぐや姫が泣く泣く言うには、「以前にも申し上げようと思いましたのですが、お話すればきっと心をお惑わしになると思い、今までずっと黙って過ごしてきたのでございます。けれどもそうしてばかりもいられないので、打ち明けます。私はこの国の人ではないのです。月の都の人です。前世からの約束によって、この世界に参りました。でも、もう帰らなければならないときになり、この月の十五日に、あのもとの国から迎えがやってくるでしょう。避けることもできず、お二人がこのことを聞けば思い嘆きになることが悲しく、そのことをこの春先から思っては嘆いていたのでございます」と言って、ひどく泣くので、翁は、「これは何ということをおっしゃる。竹の中から見つけて、菜種ほどの大きさでいらしたのを、私の背丈に立ち並ぶまでに養い申し上げたわが子を、いったい何者がお迎えするというのか。そんなことをどうして許せようか」と言い、「まずこの私が死のう」と泣き騒ぎ、ひどく堪え難いようすとなった。

 かぐや姫が言うには、「私には、月の都の人である父母がいます。ほんの少しの間ということで、あの国からやって参りましたが、このようにこの国で長い年月を経てしまいました。今ではあの国の父母のことも思い出さず、ここでこのように長い間過ごさせていただき、お爺様お婆様に慣れ親しみ申し上げました。月の国に帰るといってうれしい気持ちはありません。ただ悲しいばかりです。それでも自分の心のままにならず、お暇申し上げるのです」と言って、いっしょになって激しく泣く。召使いたちも、長年慣れ親しみながらそのまま別れてしまうのでは、気立てなどに気品があり愛らしかった、その見慣れた姿をこれから恋しく思うであろうことが堪え難く、湯水ものどを通らず、翁や嫗と同じ心で悲しがった。

(三)
 このことを帝聞こし召して、竹取が家に御使ひつかはさせたまふ。御使ひに竹取いで会ひて、泣くこと限りなし。このことを嘆くに、ひげも白く、腰もかがまり、目もただれにけり。翁、今年は五十(いそぢ)ばかりなりけれども、もの思ふには、かた時になむ老いになりにけると見ゆ。御使ひ、仰せごととて翁にいはく、「いと心苦しくもの思ふなるは、まことか」と仰せたまふ。竹取泣く泣く申す。「この十五日になむ、月の都より、かぐや姫の迎へにまうで来(く)なる。たふとく問はせたまふ。この十五日は、人々賜はりて、月の都の人まうで来(こ)ば捕へさせむ」と申す。御使ひ帰りまゐりて、翁のありさま申して、奏しつることども申すを聞こし召して、のたまふ、「一目見たまひし御心だに忘れたまはぬに、明け暮れ見慣れたるかぐや姫をやりては、いかが思ふべき」

 かの十五日、司(つかさ)々に仰せて、勅使少将高野の大国(おほくに)といふ人をさして、六衛(りくゑ)の司合はせて二千人の人を、竹取が家につかはす。家にまかりて、築地(ついぢ)の上に千人、屋(や)の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あけるひまもなく守らす。この守る人々も弓矢を帯して、母屋の内には、女どもを番にをりて守らす。女、塗籠(ぬりごめ)の内に、かぐや姫をいだかへてをり。翁、塗籠の戸をさして、戸口にをり。翁のいはく、「かばかり守る所に、天(あめ)の人にも負けむや」と言ひて、屋の上にをる人々にいはく、「つゆも、物空にかけらば、ふと射殺したまへ」。守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、はり一つだにあらば、まづ射殺して、ほかにさらむと思ひはべる」と言ふ。翁これを聞きて頼もしがりけり。

【現代語訳】
 このことを帝がお聞きあそばして、竹取の翁の家に御使者を遣わされた。御使者に竹取の翁は出て会ったが、ただ泣くばかりである。あまりの嘆きに、ひげも白くなり、腰もかがまり、目もただれてしまった。翁は、今年は五十歳ばかりであるのに、思い悩み、まことにわずかな間で老人になってしまうものと見える。御使者が、帝の仰せごととして、「周りの者がたいそう心苦しく思うほど思い悩んでいるというのはまことか」とおっしゃる。竹取の翁は泣く泣く申し上げる。「この十五日に実は、月の都からかぐや姫の迎えがやって来るのです。もったいなくもよくお尋ねくださいました。この十五日は、御家来衆を派遣くださり、月の都の人がやって来たら捕らえさせていただけないものか」。御使者は帰り参上して、翁のようすを申し上げ、翁が奏上したことなどを申し上げた。帝はそれをお聞きあそばして、おっしゃるには、「一目見た私の心でさえかぐや姫のことを忘れられないのに、明け暮れ見慣れてきたかぐや姫を月の都にやっては、翁はどれほど辛く思うであろうか」

 その十五日、役所役所に命じて、勅使少将高野の大国という人を任命し、六衛府の武官あわせて二千人の人を竹取の翁の家にお遣わしになった。家にやって来て、築地の上に千人、屋根の上に千人、翁の家の召使いたちの多人数にあわせて、あいている隙間もなくかぐや姫を守らせた。この守護する召使いたちも、男は弓矢を携え、母屋の内では女どもに番をさせて守らせた。嫗は、塗籠の中にかぐや姫を抱きかかえている。翁は、塗籠の戸を閉ざして、戸口に待機している。翁が言うことは、「これほど守りを固めた所で、天人にも負けるものか」と、そして屋根の上にいる人々に言うには、「少しでも何か空を飛んだら、すぐに射殺してくだされ」。守る人々は、「これほどにして守っている所に、針一本でも飛んできたら、射殺してのけてしまおうぞ」と言う。翁はこれを聞いて頼もしく思った。

(注)「翁、今年は五十ばかりなりけれど」とあるのは、「貴公子たちの妻問い」の章に「翁、年七十に余りぬ」とある記述と矛盾する。

(四)
 これを聞きてかぐや姫は、「さしこめて、守り戦ふべき下組みをしたりとも、あの国の人を、え戦はぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの国の人来ば、皆あきなむとす。相戦はむとすとも、かの国の人来なば、たけき心つかふ人も、よもあらじ」。翁の言ふやう、「御迎へに来む人をば、長き爪(つめ)して、眼(まなこ)をつかみつぶさむ。さが髪を取りて、かなぐり落とさむ。さが尻をかきいでて、ここらの公人(おほやけびと)に見せて、恥を見せむ」と腹立ちをり。

 かぐや姫いはく、「声高になのたまひそ。屋の上にをる人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを思ひ知らで、まかりなむずることの口惜しうはべりけり。長き契りのなかりければ、ほどなくまかりぬべきなめりと思ふが、悲しくはべるなり。親たちの顧みをいささかだに仕うまつらで、まからむ道も安くもあるまじき。日ごろもいでゐて、今年ばかりのいとまを申しつれど、さらに許されぬによりてなむ、かく思ひ嘆きはべる。御心をのみ惑はして去りなむことの、悲しく耐へがたくはべるなり。かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなくはべるなり。さる所へまからむずるも、いみじくもはべらず。老い衰へたまへるさまを見奉らざらむこそ、恋しからめ」と言ひて、翁、「胸痛きことなしたまひそ。うるはしき姿したる使ひにもさはらじ」と、ねたみをり。

【現代語訳】
 これを聞いてかぐや姫は、「私を閉じ込めて守り戦う準備をしたところで、あの国の人に対して戦うことはできないのです。弓矢でもってしても射ることはできないでしょう。このように閉じ込めていても、あの国の人が来たら、みな開いてしまうでしょう。戦おうとしても、あの国の人が来たら、勇ましい心をふるう人もきっといなくなるでしょう」。翁は、「あなたをお迎えに来るその人をば、長い爪で眼をつかみつぶそう。そやつの髪の毛を取って、かきむしって落としてやろう。そやつの尻をひんむいて、大勢の役人たちに見せて恥をかかせてやろう」と腹を立てている。

 かぐや姫が言うには、「声高におっしゃいますな。屋根の上にいる人たちが聞くと、たいそう具合が悪い。お爺さん、お婆さんのこれまでの心尽くしを思い知らないかのようにお別れするのが、何とも残念でございます。この世に長くとどまるという前世からの宿縁がなかったために、まもなくお別れしなくてはならないのが悲しいのです。親たちの世話をわずかも致さず帰っていくその道中も、私の心は安らかにはなりますまい。この幾日かの間も、端近に出て座って、今年いっぱいの猶予を願ったのですが、どうしても許されず、思い嘆いています。お爺さん、お婆さんのみ心をばかり悩まして去ってしまうのが、悲しく耐え難く思います。あの月の都の人は、たいそう華やかで美しくて、老いることは実はないのです。思い悩むこともありません。そのような所へ戻りましても、殊更にうれしくもございません。お爺さん、お婆さんが老い衰える姿をみて差し上げられないのが何よりも心残りで、恋しゅうございましょう」と言うと、翁は、「胸が痛くなることをおっしゃいますな。立派な姿の月の国の使者であろうと、じゃまはできまい」と、いまいましがった。

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月からの使者

(一)
 かかるほどに、宵内過ぎて、子(ね)の時ばかりに、家の辺り昼の明(あか)さにも過ぎて光りわたり、望月の明さを十あはせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りており来て、土より五尺ばかりあがりたるほどに、立ちつらねたり。これを見て、内外(うちと)なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢をとり立てむとすれども、手に力もなくなりて、なえかかりたり。中に心さかしき者、念じて射むとすれども、ほかざまへ行きければ、あれも戦はで、心地ただしれにしれて、まもりあへり。立てる人どもは、装束(しやうぞく)の清らなること、ものにも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋(らがい)さしたり。

【現代語訳】
 こうしているうちに、宵の時刻が過ぎ、午前0時ごろに、家の周りが昼の明るさ以上に一面に光りわたり、満月の明るさを十倍にしたようで、そこにいる人の毛穴まで見えるほどになった。空から人が雲に乗って降りてきて、地面から五尺ほど上がったところに立ち並んでいる。これを見て、家の内外にいる人々の気持ちは、物の怪に襲われるようで、戦おうとする気持ちも失せてしまった。何とか思い起こして弓矢を取って矢をつがえようとするが、手に力が入らず萎えてしまった。その中で心のしっかりした者が、恐怖をこらえて矢を放とうとしたが、あらぬ方向へ飛んでいってしまい、荒々しく戦うこともなく、ただ茫然として、お互いに見つめ合っている。立っている人たちは、衣装の美しく華やかなこと、比類がない。空飛ぶ車を一台ともなっている。車には薄絹を張った天蓋(てんがい)が差しかけてあった。

(二)
 その中に王とおぼしき人、家に、「造麻呂(みやつこまろ)、まうで来(こ)」と言ふに、たけく思ひつる造麻呂も、ものに酔(ゑ)ひたる心地して、うつぶしに伏せり。いはく、「汝(なんじ)、をさなき人、いささかなる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助けにとて、かた時のほどとて降(くだ)ししを、そこらの年頃、そこらの金(こがね)賜ひて、身をかへたるがごと成りにけり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤(いや)しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限(かぎり)果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く、能はぬことなり。はや出(いだ)したてまつれ」と言ふ。翁答へて申す、「かぐや姫を養ひたてまつること廿余(にじふよ)年に成りぬ。かた時とのたまふにあやしくなり侍りぬ。また、異(こと)所に、かぐや姫と申す人ぞおはすらむ」と言ふ。「ここにおはするかぐや姫は、重き病をしたまへば、えいでおはしますまじ」と申せば、その返りごとはなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、「いざ、かぐや姫。きたなき所にいかでか久しくおはせむ」と言ふ。立てこめたるところの戸、すなはち、ただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。女いだきてゐたるかぐや姫、外(と)にいでぬ。えとどむまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。

【現代語訳】
 その行列の中で王と思われる人が、家に向かって、「造麻呂、出て参れ」と言うと、猛々しくふるいたっていた造麻呂も、何か酔ったような心地がして、うつぶせにに伏してしまった。王が言うには、「お前、愚か者よ。ちょっとした善行があったから、お前の助けにと、わずかな間ということでかぐや姫を地上に降ろしたのに、多くの年月、多くの黄金を得て、身を変えたようになってしまった。かぐや姫は罪をおつくりになったために、このように卑しいお前のところに、しばらくいらっしゃったのだ。今は罪を償う期限も終わったのでこのように迎えにきているのに、翁は泣いている。できないことだ、かぐや姫を早くお出し申し上げろ」と言う。翁が答えて申すには、「かぐや姫を養育申し上げて二十年余りになった。それを『わずかな間』とおっしゃるので、いぶかしく思いました。また、別の所にかぐや姫という人がいらっしゃるだろう」と言う。そして「ここにおられるかぐや姫は、重い病気をなさっているので、お出になれますまい」と申し上げると、その返事はなく、屋根の上に飛ぶ車を近づけて、「さあ、かぐや姫。汚れた所にどうして長くおられるのか」と言う。締め切っていた戸が、突然、ずんずん開いていく。格子なども、人がいないのに開いていく。お婆さんが抱きかかえて座っていたかぐや姫は、外に出てしまう。とどめることができそうもなく、翁たちはただ空をさし仰いで泣いている。

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かぐや姫の昇天

(一)
 竹取心惑ひて泣き伏せるところに寄りて、かぐや姫言ふ、「ここにも心にもあらでかくまかるに、上らむをだに見送りたまへ」と言へども、「なにしに、悲しきに見送り奉らむ。われをいかにせよとて捨てては上りたまふぞ。具していでおはせね」と泣きて伏せれば、心惑ひぬ。「文を書き置きてまからむ。恋しからむをりをり、取りいでて見たまへ」とて、うち泣きて書くことばは、

「この国に生まれぬるとならば、嘆かせ奉らぬほどまではべらで過ぎ別れぬること、かへすがへす本意(ほい)なくこそ覚えはべれ。脱ぎおく衣(きぬ)を形見と見たまへ。月のいでたらむ夜は、見おこせたまへ。見捨て奉りてまかる空よりも、落ちぬべきここちする」と書き置く。

 天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。またあるは不死の薬入れり。ひとりの天人言ふ、「壺(つぼ)なる御薬奉れ。きたなき所のもの聞こし召したれば、御心地悪しからむものぞ」とて持て寄りたれば、わづかなめたまひて、少し形見とて脱ぎおく衣(きぬ)に包まむとすれば、ある天人包ませず、御衣(みぞ)を取りいでて着せむとす。その時に、かぐや姫「しばし待て」と言ふ。「衣着せつる人は、心異になるなりといふ。もの一こと言ひおくべきことありけり」と言ひて、文(ふみ)書く。天人、おそしと心もとながりたまひ、かぐや姫、「物知らぬことなのたまひそ」とて、いみじく静かに、公(おほやけ)に御文奉りたまふ。あわてぬさまなり。

【現代語訳】
 竹取の翁が心乱れて泣き伏しているところに近寄って、かぐや姫が、「私も心ならずしてこのように出て参りますので、せめて天に上っていくのだけでもお見送りください」と言うものの、「いったい何のために、ただでさえこんなに悲しいのにお見送りできるというのか。私にどうせよというおつもりで捨ててお上りになるのか。ぜひ連れて行ってください」と泣き伏すので、かぐや姫も心乱れてしまう。「手紙を書き置いて参りましょう。恋しく思ってくださる折々に、取り出して御覧になってください」と言って、泣きながら書いたことばは、

<この国に生れたのであれば、お爺様お婆様を悲しませないころまでごいっしょに過ごさせていただくべきですが、それもできずお別れすることは、重ね重ねも不本意で残念に思います。脱いで残しておく着物を、私の形見と思って御覧ください。月が出る夜には、御覧になってください。お二人をお見捨てして参ります空から、落ちてしまいそうな気がいたします。>と書き置く。

 天人の中の一人に持たせた箱がある。天の羽衣が入っている。またもう一つの箱には不死の薬が入っている。一人の天人が、「壺に入っている御薬をお飲みなさい。汚れた所のものを召し上がっていたので、きっとご気分が悪いに違いない」と言って、壺を持って寄ってきた。かぐや姫はほんのわずか御薬をなめて、少しを形見として脱ぎ置いた着物に包もうとすると、天人は御薬を包ませず、お召し物を取り出して着せようとした。その時、かぐや姫は「しばらく待ってください」と言う。「羽衣を着せてしまった人は、心が変わってしまうといいます。その前に何か一言、申し上げておかなくてはならないことがありました」と言って、手紙を書き始めた。天人は、遅いとじれったがり、一方かぐや姫は、「わけのわからないことをおっしゃらないで」と言って、とても静かに、朝廷に差し上げる御手紙をしたためた。ゆったりとしたようすであった。

(二)
 「かくあまたの人を賜ひてとどめさせたまへど、許さぬ迎へまうで来て、取り率(ゐ)てまかりぬれば、口惜しく悲しきこと。宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かくわづらはしき身にてはべれば。心得ずおぼしめされつらめども、心強く承らずなりにしこと、なめげなるものにおぼしめしとどめられぬるなむ、心にとどまりはべりぬる」とて、

  今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでける

とて、壺の薬添へて、頭中将(とうのちうじやう)呼び寄せて奉らす。中将に天人取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほしく、かなしとおぼしつることも失せぬ。この衣着つる人は、もの思ひなくなりにければ、車に乗りて、百人ばかり天人具して上りぬ。

【現代語訳】
 「こんなに大勢の人をお遣わしくださり、私をお引きとどめようとあそばされましたが、拒むことのできない迎えが参り、私を連れて行ってしまいますのを、無念で悲しく思います。宮廷に出仕できずに終わってしまいますのも、このように面倒な身でございますので。ご納得できずお思いあそばされましたでしょうけれど、帝のお言葉を強情にお受けせず、無礼な者とお思いになり御心におとどめなさっていると、心残りになっております」と書き、

<今はお別れと天の羽衣を着るときになってはじめて、あなた様をしみじみ思い出します。>

と書き加え、壺の薬を添えて、頭中将を呼び寄せて献上させようとした。頭中将に天人が手渡した。頭中将が受け取ると、天人がいきなりさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫の、これまで翁をいたわしく、いとしいと思っていた気持ちがたちまち消えてしまった。羽衣を着たかぐや姫は、憂い悩むことがなくなってしまい、そのまま車に乗り、百人ばかりの天人を引き連れて、天に上ってしまった。

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ふじの煙

 そののち、翁・女、血の涙を流して惑へどかひなし。あの書きおきし文を読み聞かせけれど、「なにせむにか命も惜しからむ。たがためにか。何事も用もなし」とて、薬も食はず、やがて起きも上がらで、病み伏せり。中将、人々引き具して帰りまゐりて、かぐや姫を、え戦ひとめずなりぬること、こまごまと奏す。薬の壺に御文添へ、まゐらす。広げて御覧じて、いといたくあはれがらせたまひて、物も聞こし召さず、御遊びなどもなかりけり。大臣上達(かんたちべ)を召して、「いづれの山か天に近き」と問はせたまふに、ある人奏す、「駿河(するが)の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる」と奏す。これを聞かせたまひて、

  会ふこともなみだに浮かぶわが身には死なぬ薬もなににかはせむ

 かの奉る不死の薬に、また、壺具して、御使ひに賜はす。勅使には、つきの岩笠(いはかさ)といふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂に持てつくべき由仰せたまふ。嶺(みね)にてすべきやう教へさせたまふ。御文、不死の薬の壺並べて、火をつけて燃やすべき由仰せたまふ。その由承りて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなむ、その山をふじの山とは名づけける。その煙(けぶり)いまだ雲の中へ立ち上るとぞ言ひ伝へたる。

【現代語訳】
 その後、翁も嫗も、血の涙を流して悲嘆にくれたものの、何の甲斐もなかった。あのかぐや姫が書き残した手紙を読んで聞かせても、「どうして命が惜しかろうか。いったい誰のためにというのか。何事も無用だ」と言って、薬も飲まず、そのまま起き上がりもせず、病に伏せっている。頭中将は、家来たちを引き連れて帰り、かぐや姫を戦いとどめることができなかったことを、事細かに奏上した。薬の壺にかぐや姫からのお手紙を添えて差し上げた。帝は手紙を御覧になって、たいそう深くお悲しみになり、食事もお取りにならず、詩歌管弦のお遊びなどもなかった。大臣や上達部をお呼びになり、「どこの山が天に近いか」とお尋ねになると、お仕えの者が奏上し、「駿河の国にあるという山が、この都にも近く、天にも近うございます」と申し上げた。これをお聞きになり、

 <もう会うこともないので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何の役に立とう。>

 かぐや姫が献上した不死の薬に、また壺を添えて、御使いの者にお渡しになった。勅使に対し、つきの岩笠という人を召して、駿河の国にあるという山の頂上に持っていくようお命じになった。そして、山の頂でなすべきことをお教えあそばした。すなわち、お手紙と不死の薬の壺を並べ、火をつけて燃やすようにとお命じになった。その旨をお聞きし、兵士らを大勢連れて山に登ったことから、実はその山を「富士の山(士に富む山)」と名づけたという。そのお手紙と壺を焼いた煙が今も雲の中へ立ち上っていると言い伝えている。

(注)上達部・・・高級官僚

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。


竹取物語について

 平安時代の物語文学で、9世紀後半の成立とされている。1巻。作者は不明ながら、文体・用語・思想傾向などから漢籍や仏典にくわしい男性知識人と推測される。『源氏物語』に「物語の出(い)で来はじめの祖(おや)」とあって、現存する最も古い物語である。

 竹取りの老人が竹の中に見つけた小さな女の子は、やがて成長して光り輝く美女となる。かぐや姫と名づけられた彼女のもとには多くの求婚者が訪れたが、熱心な5人の男や帝の求婚をも退け、ついには8月15日の夜に月の国へと帰るというストーリー。

 伝承や説話を基盤にしながらも、それを乗りこえようとする点に物語としての新しさがある。天上界と人間界を対照させ有限な人間の愛の哀しさを主題とし、また、不思議に出逢ったときの人々の心情の描写が新鮮。チベットにもこれとよく似た話があり『竹取物語』の原型かと注目されたが、大正ごろに日本から輸入されたとの説もある。

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庫持皇子と藤原不比等

 かぐや姫に言い寄る5人の貴公子のうち、4人までは実在の公卿4人を連想されるものの、5人のうち最も卑劣な人物として描かれる庫持皇子は、最後の1人である藤原不比等にはまるで似ていない。しかし、これは反対であるがゆえに不比等本人ではないかと推測する見方もでき、表向きには言えないがゆえに、庫持皇子を「卑怯である」と書くことによって陰に藤原氏への悪口を含ませ、藤原氏を批判しようとする作者の意図がその文章の背後に見えるとする意見もある。

 藤原氏は権力を掌握するため多くの政敵に血の粛清を加えて「藤原氏だけが栄える世」を構築し、藤原氏批判の書を焼き捨てる等の政策を繰り返したが、その中で表立っての藤原氏批判などが出来ようはずもなく、同時代に成立したと思われる『竹取物語』の中に様々な工夫を凝らして藤原氏に対する批判が込められていたとしても不思議なことではない。

 最近の研究では作者は紀貫之である可能性が指摘され、文才があり時代的にも合い、藤原氏に恨みを持つ要因を持っているゆえに有力視されている。紀氏は866年の応天門の変ににより平安時代初期に一躍頭角を現したが、藤原氏の謀略により失脚、以後政界から遠ざかり文人の道へと進んだ経緯があり、藤原氏に対して恨みを持っていた可能性は否定できない。

 また、物語中にかぐや姫からもたらされた不老不死の薬のくだりがあるが、帝が「かぐや姫がいないこの世で永遠の命が必要であるか」と薬を富士山の火口で焼く一幕について、皇室も藤原氏に利用される存在でしかないという帝の嘆きとともとれるが、一方で天人がかぐや姫を迎えに来る際、「穢(きたな)き所」と地上を評する一文があることから、藤原氏により支配された世を嘆く紀貫之の言葉と見る向きもある。

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