徒然草
十月を神無月(かみなづき)と言ひて、神事(じんじ)に憚るべきよしは、記したる物なし。もと本文(もとふみ)も見えず。但し、当月、諸社の祭なきゆゑに、この名あるか。
この月、万(よろづ)の神達(かみたち)、太神宮(だいじんぐう)へ集り給ふなどいふ説あれども、その本説(ほんぜつ)なし。さる事ならば、伊勢にはことに祭月(さいげつ)とすべきに、その例もなし。十月、諸社の行幸(ぎやうがう)、その例も多し。但し、多くは不吉の例なり。
【現代語訳】
十月を神無月と言って、神事を慎むべきということを明記した書物はない。典拠となる古典の文章も見出せない。但し、この月はどの神社も祭りをしないので、この名があるのだろうか。
この月は、あらゆる神々が、伊勢大神宮へお集まりになるという説があるが、その根拠となる説はない。もしそういうことなら、伊勢では十月を特別に祭月とするはずなのに、そのような先例もない。十月にはいろいろの神社に行幸された例は多い。但し、その多くは凶例である。
(注)本文・・・拠り所となる古典の文章。
(注)不吉の例・・・具体的には未詳。
↑ ページの先頭へ
徳大寺故大臣殿(とくだいじのこおほいどの)、検非違使(けんびゐし)の別当(べつたう)の時、中門(ちゆうもん)にて使庁の評定(ひやうぢやう)行はれける程に、官人(くわんにん)章兼(あきかぬ)が牛放れて、庁屋のうちへ入りて、大理の座の浜床(はまゆか)の上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異(けい)なりとて、牛を陰陽師(おんやうじ)のもとへつかはすべきよし、おのおの申しけるを、父の相国(しやうこく)聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへか登らざらん。尩弱(わうじやく)の官人、たまたま出仕の微牛(びぎう)を取らるべきやうなし」とて、牛をば主(ぬし)に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。
「怪しみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。
【現代語訳】
徳大寺の故大臣殿が、検非違使庁の長官であった時、自邸の中門廊で検非違使庁の評議が行われていたところ、下級役人の章兼の牛が牛車から離れて、庁舎の中に入り、長官がお座りになる座の浜床の上に登って、食べ物を反芻しながら横になっていた。重大な異常事態であるとして、牛を陰陽師のもとに送り届けるよう各人が申し上げたのを、長官の父である太政大臣実基公がお聞きになって、「牛に分別はない。足がある以上、どこへでも行くだろう。微禄の下級役人が、たまたま出仕した時のやせ牛を、取り上げられる理由はない」といって、牛を持ち主に返して、牛が横たわった畳を取り換えられた。その後、少しも不吉なことはなかったという。
「怪しいことを見て怪しまない時は、かえって怪しさは消えてしまう」と言われている。
(注)徳大寺故大臣殿・・・藤原公孝。1267年に検非違使別当に就任。
(注)検非違使の別当・・・現在の最高検察庁長官に相当。
(注)大理・・・検非違使別当の唐名。
(注)浜床・・・寝殿内の帳台の台座。
(注)父の相国・・・公孝の父、大徳寺実基。開明的な人物だった。
↑ ページの先頭へ
亀山殿(かめやまどの)建てられんとて、地を引かれけるに、大きなる蛇(くちなは)、数も知らず凝(こ)り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、ことのよしを申しければ、「いかがあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられがたし」と皆人申されけるに、この大臣(おとど)一人、「王土(わうど)にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神(きじん)はよこしまなし。咎(とが)むべからず。ただ皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河(おほゐがは)に流してげり。さらに祟りなかりけり。
【現代語訳】
御嵯峨院の仙洞御所、亀山殿をお建てになろうとして、地ならしをされたところ、大きな蛇が、無数にかたまり集まっている塚があった。「この土地の神である」と言って、ことの次第を申し上げたところ、「どうしたものか」と御下問あった、その時に、「古くからこの地を占めていたものであるなら、むやみに捨てることはできません」と人々みな申されたところ、この大臣お一人が、「我が君が統治なさる国土に棲む虫が、皇居を建てられるのに、何の祟りをなすものか。鬼神は道理に反したことはしない。気にせずそのまま全部掘って捨てよ」と申されたので、塚を崩して、蛇を大井川に流してしまった。まったく祟りはなかった。
(注)この大臣・・・前段の太政大臣、大徳寺実基。
↑ ページの先頭へ
人の田を論ずるもの、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣はしけるに、先づ、道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても、刈るべき理(ことわり)なけれども、僻事(ひがごと)せんとてまかる者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。理、いとをかしかりけり。
【現代語訳】
人と田の所有権を争っていた者が、訴訟に負けて、口惜しさのあまりに、「その田の稲を刈り取って来い」と言って、人を遣わしたところ、まず、道中のよその田までもずっと刈っていくのを、「これはお前たちの主人が訴訟で争っていた田ではない。なぜこんなことをるすのか」と言ったところ、刈る者たちは、「あの問題の田だって、刈ってよい道理はないが、我らはどうせ非道を働くために参る者たちなので、どこの田であろうと刈らないことがあろうか」と言った。その屁理屈が、たいそう面白かった。
↑ ページの先頭へ
「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥とも、さだかに記せる物なし。ある真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂(せうこん)の法をば行なふ次第あり。これは鵺(ぬえ)なり。万葉集の長歌(ながうた)に、「霞立つ長き春日(はるひ)の」など続けたり。鵺鳥(ぬえどり)も喚子鳥のことざまに通ひて聞こゆ。
【現代語訳】
「喚子鳥は春の風物である」とだけ言うだけで、どんな鳥ともはっきり記した文献はない。ある真言書の中には、喚子鳥が鳴く時に亡者の魂を招いて供養する手続きが書いてある。この時の喚子鳥とは鵺(トラツグミ)のことである。万葉集の長歌に、「霞立つ長き春日の」などと歌われている。すると、鵺鳥も喚子鳥の様子に似通っているように思える。
(注)真言書・・・何を指すか は不明。
【PR】
↑ ページの先頭へ
よろづの事は頼むべからず。愚かなる人は、深く物を頼むゆゑに、恨み怒ることあり。
勢ひありとて頼むべからず。こはき者まづ滅ぶ。財(たから)多しとて頼むべからず。時の間に失ひやすし。才(ざえ)ありとて頼むべからず。孔子も時に遇(あ)はず。徳ありとて頼むべからず。顔回(がんくわい)も不幸なりき。君(きみ)の寵(ちよう)をも頼むべからず。誅(ちゆう)を受くること速かなり。奴(やつこ)従へりとて頼むべからず。背き走ることあり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信あること少なし。
身をも人をも頼まざれば、是(ぜ)なる時は喜び、非なる時は恨みず。左右(さう)広ければ障(さは)らず、前後遠ければ塞(ふさ)がらず。狭(せば)き時はひしげくだく。心を用ゐること少しきにしてきびしき時は、物に逆(さか)ひ争ひて破る。緩(ゆる)くしてやはらかなる時は、一毛(いちまう)も損せず。
人は天地の霊なり。天地は限る所なし。人の性(せい)、何ぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、物のために煩(わづら)はず。
【現代語訳】
何事も何かに頼ってはいけない。愚かな人は、何かを深くあてにするために、人を恨んだり怒ったりすることがある。
権勢があるからといってあてにできない。強い者が最初に滅ぶものである。財産が多いといってあてにできない。時とともに失いがちである。学才があるといってあてにできない。あの孔子ですら不遇をかこった。徳があるといってあてにできない。顔回も不幸だった。主君の寵愛もあてにできない。罪があればすぐに殺されることになる。下僕が従っているといってあてにできない。裏切って逃げることがある。人の厚意もあてにできない。人は必ず変わる。約束もあてにできない。信義が守られることは少ない。
自分の身も他人もあてにしなければ、うまくいった時は喜び、駄目であっても恨まない。左右の幅が広ければ物に遮られないし、前後が遠ければ行き詰まることはない。狭く窮屈だと、ひしゃげて壊れてしまう。心配りが少なく厳格になれば、人と衝突し、争って傷つく。ゆったりとして大らかな時は、毛の一本も損なうことはない。
人は天地の間で最も霊妙な存在である。天地は広大無辺だ。人の本性も、どうして天地のそれと異なるであろうか。寛大で窮屈でないのであれば、喜怒の情はそこに障らないから、外界によって煩わされることがない。
(注)顔回・・・中国春秋時代の人。孔子第一の高弟。
↑ ページの先頭へ
平宣時朝臣(たひらののぶときのあそん)、老いの後、昔語りに、「最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、ある宵(よひ)の間(ま)に呼ばるることありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくて、とかくせしほどに、また使ひ来たりて、『直垂などの候(さうら)はぬにや。夜なれば、異様(ことやう)なりとも、疾(と)く」とありしかば、萎(な)えたる直垂、内々(うちうち)のままにて罷(まか)りたりしに、銚子(てうし)に土器(かはらけ)取り添へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴(さかな)こそなけれ、人は静まりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、紙燭(しそく)さして、隈々(くまぐま)を求めしほどに、台所の棚に、小土器(こかわらけ)に味噌(みそ)の少し付きたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事(こと)足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興(きよう)に入られ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。
【現代語訳】
平宣時朝臣が、年老いて後、昔語りにこのような話をした。「最明寺入道が、ある晩に私をお呼びになったので、『すぐに参ります』と申し上げたものの、しかるべき直垂がなくて、ぐずぐずしていると、また使いが来て、『直垂がおありにならないのか。夜であるので、どんな格好でも構わない。早く来てほしい』とのことなので、よれよれの直垂を着て、普段着のままで参上しました。入道殿は、銚子に素焼きの器を添えて持って現れ、『この酒を独りで飲むのは物足りないので、お呼び立てした。あいにく肴が無いのだが、人は寝静まっている。何か適当な物がないか、どこでもよいから探してくれないか」と言うので、紙燭を灯して、すみずみまで探し求めました。すると、台所の棚に、小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて、『これを見つけ出しました』と申し上げたところ、『それで十分』と言って、気分よく何杯も酌み交わして、上機嫌になられました。あの時代は、万事こんなふうに質素でございました」と言われたのである。
(注)最明寺入道・・・鎌倉幕府の第5代執権、北条時頼。平宣時は、時頼の補佐役である連署をつとめていた。
↑ ページの先頭へ
(一)
ある大福長者(だいふくちやうじや)の云はく、「人は万(よろづ)を差し置きて、ひたぶるに徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかんと思はば、すべからくまづその心遣ひを修行(しゆぎやう)すべし。その心といふは他(た)のことにあらず。人間(にんげん)常住(じやうぢゆう)の思ひに住(ぢゆう)して、仮にも無常を観ずることなかれ。これ第一の用心なり。次に、万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他(じた)につけて所願(しよぐわん)無量(むりやう)なり。欲に随(したが)ひて志を遂げんと思はば、百万の銭(ぜに)ありといふとも、暫くも住(ぢゆう)すべからず。所願は止(や)む時なし。財(たから)は尽くる期(ご)あり。限りある財を持ちて、限りなき願ひに従ふこと、得(う)べからず。所願、心に兆(きざ)すことあらば、我を亡(ほろ)ぼすべき悪念(あくねん)来たれりと、堅く慎み恐れて、小要(せうえう)をも為すべからず。
【現代語訳】
ある大富豪は、次のように説いた。「人は、何事にも優先して、財産を築くべきだ。貧しくては生きている甲斐がない。金持ちだけが人間らしいといえる。金持ちになろうと思えば、まず心構えを修行すべきだ。その心構えというのはほかでもない。人の世は不変だという信念を持ち、仮にも無常だなどと悟ってはいけない。これが心構えの第一である。次に、やりたいことを全部かなえようとしてはならない。生きていれば、自他ともに関して、欲望は無限に生ずる。その欲望のまま目的を遂げようとすれば、どれほど大金があっても、すぐになくなってしまう。欲望は止むことがない。財産は尽きる時がある。限りのある財産によって、無限の欲望に従うことは不可能だ。欲望が心にわいてきたら、我が身を滅ぼす邪悪な考えがやって来たと、かたく慎み恐れて、小さなことにさえ金を費やしてはならない。
(二)
次に、銭(ぜに)を奴(やつこ)の如くして使ひ用ゐる物と知らば、長く貧苦を免(まぬか)るべからず。君(きみ)の如く神の如く畏(おそ)れ尊(たふと)みて、従へ用ゐることなかれ。次に、恥に臨むといふとも、怒り怨むることなかれ。次に、正直にして、約を堅くすべし。この義を守りて利を求めん人は、富の来たること、火の乾けるにつき、水の下れるに従ふが如くなるべし。銭積もり尽きざる時は、宴飲(えんいん)、声色(せいしよく)を事(こと)とせず、居所(きよしよ)を飾らず、所願(しよぐわん)を成(じやう)ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。
そもそも人は、所願を成ぜんがために財(たから)を求む。銭を財とすることは、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、錢あれども用ゐざらんは、全く貧者と同じ。何をか楽しびとせん。この掟(おきて)は、ただ人間の望みを断ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲を成じて楽(たの)しびとせんよりは、如(し)かじ、財なからんには。癰(よう)、疽(そ)を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如(し)かじ。ここに至りては、貧富(ひんぷ)分(わ)く所なし。究竟(くきやう)は理即(りそく)に等し。大欲は無欲に似たり。
【現代語訳】
次に、銭を下僕のように自由に使用できると考えていると、いつまでも貧乏から抜け出すことはできない。銭をあたかも主君や神様のように畏敬し尊重し、決して思いに任せて使ってはならない。次に、金銭のことで恥をかいても、怒り恨むことがあってはならない。次に、正直を心掛けて人との約束を堅く守らなくてはならない。以上の心構えを守って利益を求める人は、まるで火が乾いた物に燃え移り、水が低い所に流れ落ちるように、財産は集まってくるに違いない。その結果、銭が積もって尽きなくなった時は、酒や音曲、女などで遊興せず、住まいを飾らず、たとえ欲望を果たせないといっても、心はいつも安らかで楽しいものだ」と言ったのだった。
そもそも人は、欲望を成就するために財産を求める。銭を財産として尊ぶのは、欲望を叶えてくれるからだ。なのに、欲望があっても叶えず、銭があっても使わないのでは、全く貧乏人と同じである。それで何を楽しみとするのだろう。この大福長者の教えは、ただ人間の欲望を断ち切って、貧しさを嘆くな、という意味に受け取れる。それならば、欲望を成就して楽しみとするよりは、はじめから財産が無いほうがよい。たとえば悪性のできものを患う者が、患部を水で洗えば気持ちよいと感ずるであろうが、最初から病気をしないほうがいいのだ。この境地に至っては、貧富の差異は無くなる。仏教の最高の悟りの境地と、最低の迷いの境地と等しいということになる。欲望が大きいことは、無欲に似ているということだ。
【PR】
↑ ページの先頭へ
よき細工(さいく)は、少しにぶき刀を使ふといふ。
妙観(めうくわん)が刀はいたくたたず。
【現代語訳】
腕のよい細工師は、少し切れ味の悪い小刀を用いるという。
妙観(彫刻の名人)の小刀はあまりよく切れない。
↑ ページの先頭へ
万(よろづ)の咎(とが)あらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かず、うやうやしく、言葉少なからんには如(し)かじ。男女老少(なんによらうせう)、皆さる人こそよけれども、ことに若くかたちよき人の、言(こと)うるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。
万(よろづ)の咎は、馴れたるさまに上手めき、所得(ところえ)たる気色(けしき)して、人をないがしろにするにあり。
【現代語訳】
万事に間違いがないように心掛けるなら、何事にも誠実であり、人を差別せず礼儀正しくして、言葉数が少ないのが一番だ。老若男女、すべてそのような人こそよいのだが、特に若くて容姿にすぐれた人で、言葉遣い端正な人は、一度会えば忘れがたく、心引かれる思いが深くなるものだ。
あらゆるあやまちは、物馴れた様子で上手ぶり、得意げな態度で、人を軽んずることから生ずる。
↑ ページの先頭へ
主(ぬし)ある家には、すずろなる人、心のままに入り来ることなし。主(あるじ)なき所には、道行き人みだりに立ち入り、狐、梟(ふくろふ)やうの物も、人気(ひとげ)に塞(せ)かれねば、所得顔(ところえがほ)に入(い)り住み、木霊(こだま)などいふけしからぬ形も現るるものなり。
また、鏡には色、形なき故に、よろづの影(かげ)来たりて映る。鏡に色、形あらましかば、映らざらまし。
虚空(こくう)よく物を容(い)る。我らが心に、念々のほしきままに来たり浮かぶも、心といふものの無きにやあらん。心に主(ぬし)あらましかば、胸のうちに若干(そこばく)のことは入り来たらざらまし。
【現代語訳】
主人のある家には、関係のない人間が勝手に入ってくるようなことはない。主人のない家には、道行く人が勝手に立ち入ったり、狐や梟のようなものも、人の気配に妨げられないから、我が物顔に入って棲みつき、木霊などという怪奇な霊も現れるものだ。
また、鏡は、それ自体に色や形がないからこそ、あらゆる物が映る。もし鏡に色や形があったならば、それが邪魔をして何も映ることはない。
空っぽの空間は、十分に物を容れることができる。我々の心の中に、さまざまな雑念が入り込んできて浮かぶのも、心に主がいないからではなかろうか。心にも主人がいれば、そんなものは入って来ないだろう。
↑ ページの先頭へ
丹波(たんば)に出雲(いづも)といふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、めでたく造れり。志田(しだ)のなにがしとかや知る所なれば、秋の頃、聖海上人(しやうかいしやうにん)その外(ほか)も、人あまた誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。掻餅(かいもちひ)召させん」とて、具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。
御前(おまへ)なる獅子(しし)、狛犬(こまいぬ)、背(そむ)きて後(うしろ)さまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやう、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原(とのばら)、殊勝のことは御覧じとがめずや。無下(むげ)なり」と言へば、おのおの怪しみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん」など言ふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられやう、定めて習ひあることに侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童(わらはべ)どもの仕(つかまつ)りける、奇怪に候ふことなり」とて、さし寄りて、据ゑ直して往(い)にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
【現代語訳】
丹波の国に出雲という所がある。そこの神社は、出雲大社の御神霊を勧請して分け移して立派に造営したものだ。志田の某(なにがし)とかいう人が治めている所で、秋の頃、志田が聖海上人やその他大勢を誘って、「さあ参りましょう、出雲神社参詣に。ぼた餅をご馳走しましょう」と言って連れて行き、皆が参拝して厚い信仰心を起こしたのだった。
拝殿の前にある獅子と狛犬が、背中を向け合い後ろ向きに立っていたのを、上人がたいそう感心して、「ああ素晴らしい。この獅子の立ち方はとても珍しい。何か深いわけがあるのだろう」と涙ぐみ、「何と皆さん、こんな素晴らしいものをご覧になって、不思議に思わいのですか、全く」と言うと、皆それぞれ不思議そうに、「本当に他と違いますね。都への土産話にしよう」などと言う。上人はますますそのわけを知りたく思い、年配で物知りらしい神官を呼んで、「この御社の獅子の立てられ方は、きっと何かいわれがあるのでしょう。ちょっと承りたいものです」と言われたところ、「その事でございます。いたずらな子どもがいたしましたことで、けしからんことです」と言って、獅子と狛犬に近寄り、元通りに据え直して行ってしまったので、上人の感涙は無駄になってしまったそうだ。
↑ ページの先頭へ
八(や)つになりし年、父に問ひて云はく、「仏(ほとけ)は如何(いか)なるものにか候(さうら)ふらん」と言ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教へによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教へ候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、前(さき)の仏の教へによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と言ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧(わ)きけん」と言ひて、笑ふ。「問ひつめられて、え答へずなり侍(はべ)りつ」と諸人(しょにん)に語りて興(きよう)じき。
【現代語訳】
八歳になった時、父に問うたことがあった。「仏とはどんなものでしょうか」。父は、「仏とは人間がなったものだ」と答えた。私は、「では、人間はどのようにして仏になったのでしょうか」と尋ねた。父は、「仏の教えによってなったのだ」と答えた。私は、「人間を教えた仏は、何が教えて仏になったのでしょうか」と尋ねた。父は、「その仏の先輩の教えによって、仏になったのだ」と答えた。私は、「それでは、仏になる教えを始めた一番目の仏は、どんな仏なのでしょうか」と、問い詰めた。すると、父は、「空から降ってきたか、あるいは地面から湧いて出たか」と言って笑った。「問い詰められて、とうとう答えられなくなりました」と、人に語っては面白がっていた。
![]() |
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
【PR】
【PR】