巻第4-675~679
675 をみなへし佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも 676 海(わた)の底奥(おき)を深めて我(あ)が思(も)へる君には逢はむ年は経(へ)ぬとも 677 春日山(かすがやま)朝居る雲のおほほしく知らぬ人にも恋ふるものかも 678 直(ただ)に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我(あ)が恋やまめ 679 否(いな)と言はば強(し)ひめや我(わ)が背(せ)菅(すが)の根の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ |
【意味】
〈675〉おみなえしが咲く佐紀沢に生い茂る花かつみではありませんが、かつて経験したことのない切ない恋をしています。
〈676〉心の底から私が深く愛するあなたには、必ずお逢いいたします、たとえ年が経とうとも。
〈677〉春日山に朝かかる雲のように、ぼんやりとしてよく知らない人に恋することです。
〈678〉あなたに直にお逢いできた時、その時こそ命懸けの私の恋はやむのでしょう。
〈679〉あなたが嫌だとおっしゃるのなら無理にとは申しません。思い乱れていつまでも恋して生きていきます。
【説明】
中臣女郎が大伴家持に贈った歌5首。中臣女郎は中臣氏出身の令嬢に対する敬称とされますが、伝未詳です。
675の「をみなへし」は、咲く意で「佐紀」にかかる枕詞。上3句は「かつて」を導く序詞。「佐紀沢」は、奈良の佐紀の沢。佐紀の古陵のあるところはやや高地ですが、その丘陵地に対し沼沢地というべき低地があり、「佐紀沢」とか「佐紀沼」とうたわれています。「花かつみ」はマコモとされますが、葦・花菖蒲・赤沼あやめ・姫しゃがなどの説もあります。「かつみ」と「かつて」の同音を掛けています。
「をみなえし」は原文では「娘子部四」となっており、『万葉集』ではほかに「姫押」「姫部志」「佳人部志」などの字があてられています。この時代にはまだ「女郎花」の字は使われていませんでしたが、いずれも美しい女性を想起させるものです。「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説もあります。
676の「海の底」は「奥」の枕詞。677の「春日山」は、奈良市の東にある春日山や若草山など一帯の山々の総称。上2句は「おほほしく」を導く序詞。「おほほしく」は、霞がかかったようなはっきりしない情景の意で、ぼんやりとした不安な心情を表しています。678の「たまきはる」は、霊(霊力・生命力)が極まる意で、「命」の枕詞。679の「菅の根の」は「思ひ乱る」の枕詞。拒否されたらあきらめると言いつつも、下の句では、強い情念が吐露されています。
初めの4首が独泳歌、最後の1首が相手に語りかける形の歌になっていますが、これらに対する家持の歌がないことから、前後の事情は分かりません。家持を「知らぬ人」と言いつつも、熱意のある訴えをしているところから、あるいは人を介して知り合ったのでしょうか。家持の冷淡な態度が指摘されるところですが、女性からの贈歌に対する家持のこたえがない、あるいは殆どない例は、他にも笠郎女や平群女郎などの場合にも見られます。作家の大嶽洋子などは「(家持の)ドン・ファンぶりが気に入らない」と言っていますが、実際に家持のこたえた歌がなかったとは考えられず、あえて女性の側の歌だけを一括してまとめ、現実に贈答されたことを捨て去ることによって、一人の女性の恋の様相を浮き彫りにしようとする意図があると考えられます。つまり、一つの作品としての達成を捉えようとしているのです。
巻第4-552
我(あ)が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜(よ)逢はぬ夜(よ)二走(ふたはし)るらむ |
【意味】
我がご主人さまはこの私めを死ねと思っていらっしゃるのか。逢ってくださる夜、逢ってくださらぬ夜と、二つの道を迷いながら行くのでしょうか。
【説明】
大伴三依の歌。大伴三依は大伴御行(おおとものみゆき)の子で、三河守、民部少輔、遠江守、刑部大輔、出雲守などを歴任した人。『万葉集』には4首。
「我が君」は、相手が身分の高い女性だったためか、わざと敬称で呼んだもので、三依が通って行ったにもかかわらず、逢ってくれないことがあったのを恨みの心をもって贈った歌です。三依の恋人としては賀茂女王が知られますが、誰に贈った歌かは分かりません。「わけ」は、年少の召使の意で、自分を指す卑称。「わけ」は、大伴家持が紀女郎に贈った歌、「黒木取り草も刈りつつ仕へめどいそしきわけとほめむともあらず」(巻第4-780)にもあり、日常語として用いられていた言葉だったようです。「二走る」は、二つのことがどちらつかずで交錯する意。
巻第4-690・693
690 照る月を闇(やみ)に見なして泣く涙(なみだ)衣(ころも)濡らしつ干(ほ)す人なしに 693 かくのみし恋ひや渡(わた)らむ秋津野(あきづの)にたなびく雲の過ぐとはなしに |
【意味】
〈690〉月は照っているのに、闇夜と思うほどに泣いて涙が着物を濡らしても、それを乾かしてくれる人はいない。
〈693〉こんなふうに恋い続けるのだろうか。秋津野にたなびく雲がやがて消えていくように、思いが消えるということもなく。
【説明】
690は、大伴三依の「悲別の歌」、つまり別れ別れでいることを悲しむ歌。「見なして」は、見えなくしての意で、下の「涙」の多い状態を形容しています。妻と別れて遠い旅にあって詠んだ歌でしょうか。
693は、大伴千室(おおとものちむろ)の歌。大伴千室は、天平勝宝6年(754年)に大伴家持邸での年賀の宴で歌を詠んでおり、そのとき左兵衛督(さひょうえのかみ:行幸の供奉などをつかさどる左兵衛府の長官)。『万葉集』には2首。「かくしのみ」は、こんなふうに。「恋ひや渡らむ」は、恋い続けるのだろうか。「秋津野」は、奈良県吉野町宮滝付近の秋津の野か。
巻第4-694~695
694 恋草(こひくさ)を力車(ちからくるま)に七車(ななくるま)積みて恋ふらく我(わ)が心から 695 恋は今はあらじと我(わ)れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる |
【意味】
〈694〉刈っても刈っても生い茂る恋草を、何台もの荷車に積むほど、恋の思いに苦しくて苦しくてならない。これも我が心ゆえ。
〈695〉もう今は恋することはないだろうと思っていたのに、どこに隠れていた恋がつかみかかってきたのだろう。
【説明】
広河女王は穂積皇子(ほずみのみこ)の孫で、上道王(かみつみちのおおきみ)の娘。694の「恋草」は、恋心の烈しさを、刈っても刈っても生えてくる旺盛な生命力の草に譬えたもの。「力車」は、人力で引く荷車。「七車」の「七」は、数が多い意。自分のせいなのに、どうにもできない恋心を自嘲している歌です。
695は、祖父である穂積皇子の「家に有る櫃(ひつ)に鏁(かぎ)刺し収(おさ)めてし恋の奴(やつこ)がつかみかかりて」(巻第16-3816)を意識した歌のようです。ただし、穂積皇子の歌が聞く者の笑いを誘う歌であるのに対し、女王の歌には笑いはありません。
巻第4-703~704
703 我(わ)が背子(せこ)を相(あひ)見しその日(ひ)今日(けふ)までに我(あ)が衣手(ころもで)は干(ふ)る時もなし 704 栲縄(たくなは)の長き命(いのち)を欲(ほ)りしくは絶えずて人を見まく欲(ほ)りこそ |
【意味】
〈703〉あなたとお逢いした日以来、その日を思うにつけ涙があふれ、着物の袖が乾く間がありません。
〈704〉栲縄のように長く生きていたいと思うのは、いつまでもあの方のお顔を見ていたいからなのです。
【説明】
巫部麻蘇娘子は伝未詳。703の「衣手」は、袖。704の「栲縄の」は、栲(こうぞ)で綯った縄で、意味で「長き」に掛かる枕詞。「欲りしく」の「し」は過去の助動詞で、「く」を添えて名詞形としたもの。「人」は家持を指します。「見まく」は「見む」の名詞形で、すなわち逢うこと。「こそ」は強意で、下に「あれ」などが省略されています。
名門大伴家の御曹司である家持は、その貴公子然とした風采から多くの女性を魅了したとみられ、十数人にものぼる女性から恋歌を贈られています。しかし、そのほとんどに返事を出しておらず、あまりに多くの相手に付き合いきれなかったのか、あるいは、実際には返歌を贈ったものの意図的に載せなかったのか、そのあたりは不明とされています。ただ、ここの巫部麻蘇娘子に対しては珍しく、巻第8-1563で歌を返しています。
巻第8-1621
我(わ)が宿(やど)の萩花(はぎはな)咲けり見に来(き)ませいま二日(ふつか)だみあらば散りなむ |
【意味】
わが家の萩の花が咲いたので、見に来て下さい。あと二日ほどしたならば、散ってしまいましょう。
【説明】
誰に贈ったとも書かれていませんが、相手は家持ではないかと考えられています。「宿」は、家の敷地、庭先。「二日だみ」の「だみ」は、語義未詳。ほど、ばかりの意か。「散りなむ」は、散るだろう。
国文学者の窪田空穂は、この歌について次のように言っています。「この当時としては特色のあるものである。それはいっていることが、あくまで実際に即している上に、その言い方が、日常の用足しの言い方と全く同一であることで、この言い方がことに注意されるのである。上代の歌はすべて実際に即したもので、大体この歌と同じものであったが、それにしても謡い物としての要素を多分にもっていた。この歌は謡い物の要素の少ないもので、日常語と多く異ならないものである。言いかえれば、上代の実用性を主にした歌風が、そのままに著しく散文化した形のものである。この当時の新風の歌の間に、一面にはこうした新風が行なわれていたということは、歌というものの性格を語っていることといえる」
巻第4-707~708
707 思ひ遣(や)るすべの知らねば片垸(かたもひ)の底にぞ我(あ)れは恋ひ成りにける 708 またも逢はむよしもあらぬか白栲(しろたへ)の我(あ)が衣手(ころもで)に斎(いは)ひ留(とど)めむ |
【意味】
〈707〉思いを晴らす手だてが分からないまま、片垸(かたもい)の器の底に沈んで、片思いをするようになりました。
〈708〉再びお逢いする機会がないものでしょうか。今度こそ真っ白な着物の袖の中に、あなたを大切につなぎとめておきましょう。
【説明】
粟田女娘子(伝未詳)が大伴家持に贈った歌2首。707の「思ひ遣るすべの知らねば」は、思いを晴らす手立てを知らないので。「片垸」は、蓋のない土製の茶椀で、「片思い」を掛けています。「片垸の中に注す」との注記があり、片垸の底にこの歌を書いて贈ったもののようです。おそらく自分で土をこねて作ったのでしょう、不格好だったかもしれませんが、とても愛嬌のある贈り物です。
708の「よしもあらぬか」は、機会はないだろうか。「も~ぬか」は、願望。「白栲の」は「衣」の枕詞。「斎ひ」は、神聖なものとして大切にする。
巻第4-710
み空行く月の光にただ一目(ひとめ)相(あひ)見し人の夢(いめ)にし見ゆる |
【意味】
月明かりの下でたったひと目見かけただけの人、そのお方の姿が夢に出てきます。
【説明】
安都扉娘子は伝未詳ながら、物部氏と同祖の安都氏出身の娘子とされます。「扉」は字(あざな)か。『万葉集』にはこの1首のみ。大伴家持を中心とした贈答歌群中にあるため、家持をとりまく女性の一人だったかもしれません。
「み空」の「み」は美称。「相見し」は、ふつう男女の関係をもったことを言いますが、ここでは「ただ一目」とあるので、視線を交わした、あるいはちょっと逢った程度のこととみられます。もっとも、月の光にあたることは普段は禁忌とされましたから、月の光を浴びている男は、祭りをしているなど、特殊な状態にあったのでしょう。そういう状態だったから、娘子はよけいに心惹かれたのかもしれません。「夢にし」の「し」は強意。思う相手のことを夢に見ると、相手も自分を思っている証拠だとする当時の俗信が下地にあります。
作家の田辺聖子はこの歌を「恋のためいきのような、はかなくかそけき歌」と言い、また、窪田空穂は「調べに、静かではあるが強いものがあって、それが魅力をなしている」と評しています。
巻第4-711~713
711 鴨鳥(かもとり)の遊ぶこの池に木(こ)の葉落ちて浮きたる心(こころ) 我(あ)が思はなくに 712 味酒(うまさけ)を三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉(すぎ)手触れし罪か君に逢ひ難(かた)き 713 垣穂(かきほ)なす人言(ひとごと)聞きて我(わ)が背子(せこ)が心たゆたひ逢はぬこのころ |
【意味】
〈711〉鴨が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮かぶような、そんな浮わついた心で私はあなたを思っているのではありません。
〈712〉三輪の神官があがめる杉、その神木に手を触れた祟りなのでしょうか、なかなかあの方に逢えないのは。
〈713〉垣根のように二人の仲を隔てる噂のせいで、あなたの心がためらっているのか、このごろ逢ってくださらない。
【説明】
丹波大女娘子は伝未詳。711の上3句は「浮きたる」を導く序詞。712の「味酒を」の「味酒」は「みわ」とも読むため、同音で「三輪」にかかる枕詞。「三輪」は、大神(おおみわ)神社。「祝」は、神職の階級の称で、神主に次ぐ位。「杉」は、わが国固有の樹木であり、良質の木材として利用されてきたと共に、樹齢の長い巨木には神が宿るとして崇められてきました。713の「垣穂なす」の「なす」は、のように。「人言」は、人の噂。「たゆたひ」は、ためらって、躊躇して。3首とも夫に疎くされている嘆きの歌です。
三輪山神婚説話
「三輪山神婚説話」は、古く『古事記』に見えます。夜な夜な、絶世の美女イクタマヨリ姫のもとに男が通い、ついに姫が身ごもってしまいます。ところが姫は、男がどこの誰であるとも明かしません。姫の両親は怪しみ、男の素性を探ろうとして、男が訪ねてきたときに、麻糸を通した針を男の着物の裾に刺させます。翌朝、糸をたどっていくと、それは三輪の神社まで続いており、男の正体が大物主大神(おおものぬしのおおかみ)であり、お腹の子は神の子だと知ったのです。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
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(大伴家持)
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