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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第7)~その3

巻第7-1341~1344

1341
真玉(またま)つく越智(をち)の菅原(すがはら)我(わ)れ刈(か)らず人の刈らまく惜(を)しき菅原
1342
山高み夕日(ゆふひ)隠(かく)りぬ浅茅原(あさぢはら)後(のち)見むために標(しめ)結(ゆ)はましを
1343
言痛(こちた)くはかもかもせむを岩代(いはしろ)の野辺(のへ)の下草(したくさ)我(わ)れし刈りてば [一云 紅の現(うつ)し心や妹に逢はずあらむ]
1344
真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも

【意味】
〈1341〉越智の菅原を、私には刈り取ることが出来ず、人が刈っていくのが口惜しい、あの菅原よ。

〈1342〉山が高いので、夕日が早くも隠れてしまった。浅茅原に、あとであの人と逢うために標縄を結んでおきたかったのに。

〈1343〉人の噂がうるさいというのなら何とでもしよう。岩代の野辺の下草を私が刈ってしまったあとでなら。(このままあなたに逢わないでは正気でいられない)

〈1344〉鷲が棲む雲梯の神社の菅の根を、衣に摺り染めて着せてくれる女がいてほしい。

【説明】
 「草に寄せる」歌。1341の「真玉つく」の「真」は美称で、玉を付ける緒と続き、「越智」にかかる枕詞。「越智」は、奈良県高取町越智または滋賀県米原市の遠智とされます。上2句は憧れている女の譬え。「刈る」は、わが物にする譬え。密かに思いを寄せていた女が、他の男のものになったのを悔しがっています。

 1342の「山高み」は、山が高いので。「浅茅原」は、丈の低い茅原。若い女の譬えと見るのが一般的で、何らかの接触があった女の、住所も聞かずに別れてしまったことを残念がっている歌とされますが、草を女に喩える理由がはっきりせず、逢引のための場所取りを意味した歌ともとれます。上掲の解釈はそれに従っています。「標」は、目じるし。

 1343の「言痛くは」は、人の噂がうるさければ。「かもかも」は、どのようにも。「岩代」は、和歌山県南部町の岩代とされます。下3句は、あなたをわが物にしてしまったあとでなら、の意が込められており、つまり、自分に身を許してくれたら、その後の問題はいかようにも処理しようと言っています。しかし、「下草」は女の寓意などではなく、口さがない周囲の人々と見る説もあり、「人の噂がうるさくて逢えないというのなら私が何とかしよう。野辺の下草を私が一本一本刈り取って」のように解しています。

 1344の「真鳥」の「真」は接頭語で、立派な鳥または鷲。「雲梯の杜」は、橿原市雲梯町の神社。神社を「杜」と言うのは、昔は社(やしろ)がなく、巨木や森林が神体として崇められてきたことに由来します。今も、本殿や拝殿さえ存在しない神社も存在します。「かき付け」は、摺り付け。「もがも」は、願望。

巻第7-1345~1348

1345
常(つね)ならぬ人国山(ひとくにやま)の秋津野(あきづの)のかきつはたをし夢(いめ)に見しかも
1346
をみなへし佐紀沢(さきさは)の辺(へ)の真葛原(まくずはら)いつかも繰(く)りて我(わ)が衣(きぬ)に着む
1347
君に似(に)る草と見しより我(わ)が標(し)めし野山の浅茅(あさぢ)人な刈りそね
1348
三島江(みしまえ)の玉江(たまえ)の薦(こも)を標(し)めしより己(おの)がとぞ思ふいまだ刈らねど
  

【意味】
〈1345〉人国山の秋津野に咲く杜若の花を、昨夜、夢に見ました。

〈1346〉佐紀沢のほとりの葛原よ、いつになったら、糸に繰って私の衣として着ることができるだろうか。

〈1347〉あなたに似ている草と知ってから、標縄を張った野山のあの浅茅を、どうか誰も刈り取らないで下さい。

〈1348〉三島江の薦にしるしをしてからは、私のものだと思っている。まだ刈り取ってはいないけれど。

【説明】
 「草に寄せる」歌。1345の「常ならぬ」は、世の常ならぬの意で「人」にかかる枕詞。「人国山」「秋津野」は所在未詳。「常ならぬ~かきつはた」は人妻の譬え。1346の「をみなえし」は、咲きと続き「佐紀」の枕詞。「佐紀沢」は、奈良市佐紀町一帯の沼沢地。「真葛原」の「葛」は、山野に自生するつる草で、秋に紫色の小花をつけ、つるからは布を製し、根からはでんぷんをとります。上3句は少女の譬えで、「我が衣に着む」を、我が妻にすることに譬えています。

 1347の「君に似る草」の「君」は、ここでは女に対する敬称。草に親しんでいる生活を通しての表現と見えます。「我が標めし」は、自分の物と決めたことの譬え。「浅茅」はチガヤ。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。あの人と逢引しようと標を結った野の草を、人に刈られまいと願っている歌です。1348の「三島江」は、淀川下流の入江。「三島江の玉江の薦」は、若い女の譬え。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。

巻第7-1349~1352

1349
かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野(おひあらきの)の小竹(しの)にあらなくに
1350
近江のや八橋(やばせ)の小竹(しの)を矢はがずてまことありえむや恋(こほ)しきものを
1351
月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露に濡れての後(のち)はうつろひぬとも
1352
我が心ゆたにたゆたに浮蓴(うきぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ
  

【意味】
〈1349〉私は、雪の降る大荒木野の篠竹(しのだけ)ではないのに、恋を遂げずにこのまま朽ち果てるのは残念だ。
 
〈1350〉近江のあの八橋の篠竹を刈り取って矢にしないなどということがあるものか、これほど恋しくてならないのに。

〈1351〉露草で着物を染めることにしましょう。朝露に濡れたあとは色があせてしまうだろうけれど。
 
〈1352〉私の心はゆらゆらと揺れ動いて、浮きぬなわのように、岸にも沖にも寄ってしまえそうもありません。

【説明】
 「草に寄せる」歌。1349の「大荒木野」は、奈良県五條市今井の荒木神社辺りにあった野。「小竹」は、群生する細い竹。女の歌だという説もありますが、いかがでしょうか。1350の「八橋」は、滋賀県草津市矢橋町あたりとされています。矢をはぐのは、小竹に矢じりや羽をつけて矢にすること。「好きな女性のことを小竹にたとえていて、結ばれたかったのに叶わなかったようです。

 1351の「月草」は、露草(つゆくさ)の古名。昔はこの草で布を染めましたが、すぐに色あせてしまうため、移ろいやすく、はかない恋心の譬えに使われます。プレイボーイに惚れてしまい、悩みは尽きない娘が、それでもいい、私はあの人なしではいられない、と決心した歌です。「衣摺る」は、体の関係を持つこと、「朝露に濡れての後は」は、結婚して後のことを喩えています。

 1352の「ゆた」は、ゆったりゆらゆらと揺れ漂うさま。「たゆたに」の「た」は接頭語で「ゆたに」を重ねて強めた表現。「浮き蓴」は、池や沼に生えるスイレン科の多年草のジュンサイ。ぬめりのある茎や葉は食用にされました。「寄りかつましじ」の「かつ」は可能、「ましじ」は打消しの推量。揺れる恋に悩む女性の歌でしょうか、あるいは、男女共用の民衆歌として広く親しまれたとも伝わります。

巻第7-1353~1356

1353
石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)を秀(ひ)でずとも縄だに延(は)へよ守りつつ居らむ
1354
白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)心ゆも思はぬ我(わ)れし衣(ころも)に摺(す)りつ
1355
真木柱(まきばしら)作る杣人(そまびと)いささめに仮廬(かりいほ)のためと作りけめやも
1356
向(むか)つ峰(を)に立てる桃(もも)の木ならむやと人ぞささやく汝(な)が心ゆめ
   

【意味】
〈1353〉石上の布留の里の早稲田に縄張りをするように、まだ穂の出ていない娘でも、占有のしるしの縄を曳いておいてください、大きくなるまで大切にしますから。
 
〈1354〉真野の榛原のことなど心にも思ったことがない私なのに、その榛で衣に摺って染めてしまいました。
 
〈1355〉真木の柱を作る木こりは、一時しのぎの仮の宿を作るためと思ってその柱を作ったりするだろうか、そんなはずはない。
 
〈1356〉向こうの高所に立っている桃の木は、実などなるものかと人が噂している。尻込みなどしてはならないぞ。

【説明】
 1353は「稲に寄せる」歌で、女の親が、男に贈った歌です。「石上」はいまの奈良県天理市の石上神社のあたりから西の一帯。「布留」は石上神社周辺で今の布町。「早稲田」はわせ稲を作っている田。山地では発育が遅れるために早稲を作っていました。「秀でずとも」は、穂に出さずともの意で、娘がまだ幼く、婚期に達していない譬喩。男に対し、わが妻となるべき者だということだけでも明らかにしておけよと言っています。

 1354~1356は「木に寄せる」歌。1354は、心を寄せてもいない男と契ってしまったことを悔やんでいます。「白菅の」は「真野」の枕詞。「真野」は、神戸市長田区真野町。「榛原」は榛の林。1355の「真木柱」は檜の柱で、家の中心となる立派な柱。「杣人」はその仕上げをしている木こり。「いささめに」は、いいかげんに、かりそめに。「作りけめやも」の「けめ」は過去推量、「やも」は反語。男がいい加減な気持ちで口説いたのではないと訴えています。

 1356の「向つ峰」は向かいの丘。「立てる桃の木」は実のなる意で、恋が成就することの譬え。二人の仲が成就するはずなどないという人の噂に対して言っています。当時の桃は、現代のように品種改良された甘い果実とは違い、実は小ぶりで酸っぱかったといいます。もっぱら種が、新陳代謝を促し、血行をよくする漢方薬の一種として珍重され、信濃国では桃園で収穫した種を宮内省に納入し、宮中でも栽培されていました。

巻第7-1357~1360

1357
たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願へば衣(きぬ)に着るといふものを
1358
はしきやし我家(わぎへ)の毛桃(けもも)本(もと)茂(しげ)く花のみ咲きて成(な)らずあらめやも
1359
向(むか)つ峰(を)の若桂(わかかつら)の木(き)下枝(しづえ)取り花待つい間(ま)に嘆(なげ)きつるかも
1360
息(いき)の緒(を)に思へる我(わ)れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ
  

【意味】
〈1357〉母が生業としている桑でも、ひたすら願えば着物に仕上がるというのに。

〈1358〉かわいい我が家の毛桃は、根元まで花がいっぱい咲くのみで、実がならないなんてことがあろうか、そんなことはないだろう。

〈1359〉向かいの丘に立っている若桂の、下枝を手に取って花が咲くのを待っている間、もどかしくてため息が出たことだ。

〈1360〉命がけで思っている私なのに、あなたはもう、エゴノキの花がすぐしぼむように心変わりをなさったのですか。

【説明】
 1357~1359は「木に寄せる」歌。1357の「たらちねの」は「母」の枕詞。「その業る」は、生業にしている。母から反対され、実らない恋を嘆いている娘の歌。1358の「はしきやし」は、ああ可愛い。上2句は愛する娘の譬えで、親の立場から詠んだ歌。「本茂く花のみ咲きて」は、男からの申し込みが多いだけで、の意。1359の「峰」は丘。「下枝」は下の方の枝で、上2句は少女の譬え。「下枝取り」は、何かと世話をする譬え。「花待つい間に」は、成長を待っている間にも。
 
 1360は「花に寄せる」歌。「息の緒に」は呼吸の続く間で、命がけで、絶え間なく。「山ぢさ」はエゴノキ。「君がうつろひぬらむ」は、君の心は変わったのだろうか。

巻第7-1361~1365

1361
住吉(すみのえ)の浅沢(あささは)小野(をの)の杜若(かきつばた)衣に摺(す)りつけ着む日知らずも
1362
秋さらば移しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ
1363
春日野(かすがの)に咲きたる萩(はぎ)は片枝(かたえだ)はいまだ含(ふふ)めり言(こと)な絶えそね
1364
見まく欲(ほ)り恋ひつつ待ちし秋萩(あきはぎ)は花のみ咲きて成(な)らずかもあらむ
1365
我妹子(わぎもこ)が屋前(やど)の秋萩(あきはぎ)花よりは実になりてこそ恋ひまさりけれ
  

【意味】
〈1361〉住吉の浅沢の小野に杜若が咲いている。その杜若で衣を染める日が、いつになったら来るだろう。

〈1362〉秋になったら染料にでもしようと、私が蒔いていた韓藍の花を、誰が摘んでしまったのだろう。
 
〈1363〉春日野に咲いている萩の花は、片一方の枝はまだ蕾のままです。ですから便りは欠かさないで下さいね。
 
〈1364〉見たい見たいと待ち続けていた秋萩は、花だけ咲いて実にはならないのだろうか。
 
〈1365〉愛しいあの子の庭の秋萩は、花の頃よりは、実になってからの方がいっそう恋心がつのって仕方がない。

【説明】
 「花に寄せる」歌。1361の「住吉の浅沢小野」は、住吉神社の東南、墨江方面。「杜若」は恋人を指しています。その杜若の色を衣に染める日、つまり二人が結ばれる日はいつ来るのだろうと歌っています。1362の「韓藍」は、韓の国から渡来した藍の意味で、ケイトウ(鶏頭)の古い呼び名。「移し」は、色を移して染めること。万葉時代には、花を摘み取って衣につける、いわゆる摺り染めに用いられていました。思いを寄せ、大事に思っていた娘が、誰かに奪われてしまったという男の嘆きの歌です。

 1363の「春日野」は、奈良市東方の山野。「片枝はいまだ含めり」は片方の枝がまだ蕾でいる、片方の娘が未婚のままでいる譬えで、花の状態を知らせる便りを絶やさないでほしいという親の気持ちを詠んだ歌のようです。1364の「見まく欲り」は、見たいと思って。「成らずかもあらむ」は、実を結ばないのだろうか。「成る」は、結婚の成立の譬え。いつまでも恋愛状態のままで、結婚できないのかと不安に思っています。1365の「屋前」は敷地、庭。「花」は結婚前、「実」は結婚後の譬え。華やかに感じられた結婚前の時代よりも、結婚してから地味になった今のほうがずっと恋しいとのろけています。

巻第7-1366~1367

1366
明日香川(あすかがは)七瀬(ななせ)の淀(よど)に住む鳥も心あれこそ波(なみ)立てざらめ
1367
三国山(みくにやま)木末(こぬれ)に住まふむささびの鳥待つごとく我(わ)れ待ち痩(や)せむ
  

【意味】
〈1366〉明日香川の数多くの瀬ごとに棲む鳥は、思いやりがあるからこそ、波を立てるようなことはしないのだろう。
 
〈1367〉三国山の梢に棲んでいるむささびが鳥を待つように、私はあの人を待ち続けて痩せてしまうでしょう。

【説明】
 1366は「鳥に寄せる」歌。「明日香川」は、明日香地方を流れ、大和川に合流する川。「七瀬」は多くの水脈。「淀」は、水が淀んで流れが遅い所。水鳥の心とは違い、意地悪く噂を立てる世間を批判している歌です。1367は「獣に寄せる」歌。「三国山」は所在未詳ながら、福井県三国町の山かともいわれます。男を待つ女心の歌です。

巻第7-1368~1371

1368
岩倉(いはくら)の小野(をの)ゆ秋津(あきづ)に立ち渡る雲にしもあれや時をし待たむ
1369
天雲(あまくも)に近く光りて鳴る神の見れば恐(かしこ)し見ねば悲しも
1370
はなはだも降らぬ雨 故(ゆゑ)にはたつみいたくな行きそ人の知るべく
1371
ひさかたの雨には着ぬを怪しくも我(わ)が衣手(ころもで)は干(ふ)る時なきか
  

【意味】
〈1368〉岩倉の小野から秋津にかけて覆っている雲なら時を待てましょうが、私はそんなにも待てません。
 
〈1369〉遙か遠い天雲の近くで光って鳴る雷は、見るからに恐ろしいけれど、見なければ見ないで悲しい。

〈1370〉そんなに激しく降る雨ではないのに、あふれ出た雨水よ、そんなにあわてて流れないでほしい、人が気づいてしまうから。
 
〈1371〉雨の降る時に着ることはないのに、どうしてか、私の衣の袖は濡れそぼって乾くことがない。

【説明】
 1368は「雲に寄せる」歌。1369は「雷に寄せる」歌。1370・1371は「雨に寄せる」歌。1368の「岩倉」「小野」「秋津」は、所在未詳。雲であったなら、時任せにしていれば往き来できるのにと、自由な雲を羨む気持ちも含まれています。1369の「天雲」は空にある雲。「鳴る神」は「雷」のことで、身分の高い男に譬えています。近くにいると緊張して何もできなくなってしまうけれど、まったく姿が見られないのは寂しいと、恋のジレンマが詠われています。

 1370の「にはたつみ」は、夕立ちなど急な雨であふれ流れる水。「いたくな行きそ」の「な~そ」は禁止。それほど足繫く通ってくれたわけでもないのに、おおっぴらに帰らないでほしいと言っています。1371の「ひさかたの」は天の枕詞が転じて「雨」の枕詞となったもの。男の疎遠を恨み、涙で袖が乾くことがないと言っています。

巻第7-1372~1375

1372
み空行く月読壮士(つくよみをとこ)夕(ゆふ)去らず目には見れども寄るよしもなし
1373
春日山(かすがやま)山高からし石(いわ)の上(うへ)の菅(すが)の根見むに月待ち難(かた)し
1374
闇(やみ)の夜(よ)は苦しきものをいつしかと我(あ)が待つ月も早(はや)も照らぬか
1375
朝霜(あさしも)の消(け)やすき命 誰(た)がために千歳(ちとせ)もがもと我(わ)が思はなくに
  

【意味】
〈1372〉光り輝くお月様のお姿は毎夕拝見していますが、一向に近寄る手立てがありません。

〈1373〉春日山は思いのほか高いらしい。岩の上に生えている菅の根を見たいのに、月はなかなかのぼって来ない。
 
〈1374〉闇夜はつらくてならない。いまかいまかと待っている月が、早く私を照らしてくれないだろうか。
 
〈1375〉朝霜のように消えやすいはかない命。そんな命であるのに、ほかの誰のために千年でも待ち続けるというのでしょう。

【説明】
 「月に寄せる」歌。1372の「月読壮士」は、月を擬人化した表現。「壮士」は、若々しい男の称で、月が日々に新しくなり若く感じられるところからきています。ここでは身分の高い男の喩え。「夕去らず」は、夕方になるといつも。1373の「石の上の菅の根」は、女の比喩。障害が多くて愛する女になかなか逢えないことを言っています。

 1374は、「闇の夜」を恋の恨み、「月」を男に喩えています。1375の「朝霜の」は「消」の枕詞。「千歳もがも」の「もがも」は願望。左注に、「右の一首は譬喩歌の類にあらず。ただし、闇の夜の歌人の所以(おもい)の故に、ともにこの歌を作る。よりて、この歌をもちて、この次に載す」とあります。

巻第7-1376~1380

1376
大和(やまと)の宇陀(うだ)の真埴(まはに)のさ丹(に)付かばそこもか人の我(わ)を言(こと)なさむ
1377
木綿(ゆふ)懸(か)けて祭る三諸(みもろ)の神(かむ)さびて斎(いは)むにはあらず人目(ひとめ)多みこそ
1378
木綿(ゆふ)懸(か)けて斎(いは)ふこの社(もり)越えぬべく思ほゆるかも恋の繁(しげ)きに
1379
絶えず行く明日香(あすか)の川の淀(よど)めらば故(ゆゑ)しもあるごと人の見まくに
1380
明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)に玉藻(たまも)は生(お)ひたれどしがらみあれば靡(なび)きあはなくに
  

【意味】
〈1376〉大和の宇陀の赤土の色が衣についたら、そんなことでも人々は私のことをとやかく言うのだろうか。
 
〈1377〉木綿を懸けて祭る神の社で身を清め、慎んでいるわけではありません。人目が多いからです。

〈1378〉木綿を懸けて清め祭っている神の社の、神聖な垣根さえ越えてしまいそうに思われる。あまりの恋の激しさに。

〈1379〉絶えず流れ続ける明日香の川がもし淀むことがあったら、何かあったのではないかと世間の人は見るだろうに。

〈1380〉明日香川の瀬ごとに玉藻は生えているけれど、しがらみで隔てられているので、互いに靡き合うことができない。

【説明】
 1376は「埴(はに)に寄せる」歌。「埴」は、顔料に用いる粘土。「宇陀」は、奈良県宇陀市。「真埴」の「真」は美称。「さ丹」の「さ」は接頭語で、赤い色。男と関係を結んだ娘が、そのことを人に知れるのを恐れている歌です。1377・1378は「神に寄せる」歌。1377の「木綿」は、楮(こうぞ)の繊維を晒したもの。「三諸」は、神をまつる神社。女が男を避けようとしている歌です。1378の上4句は、前後の見境がなくなってしまうことの譬え。
 
 1379・1380は「川に寄せる」歌。1379の「淀めらば」は、いつもと違う様子が顔に出たらの意の譬え。1380の「しがらみ」は、水の流れを塞ぎ、池へ導くための柵。相思相愛の仲であるのに、妨害する人がいて思うように逢えないことを譬えています。

巻第7-1381~1384

1381
広瀬川(ひろせがは)袖(そで)漬(つ)くばかり浅きをや心深めて我(わ)が思へるらむ
1382
泊瀬川(はつせがは)流るる水沫(みなわ)の絶えばこそ我(あ)が思(おも)ふ心(こころ)遂(と)げじと思はめ
1383
嘆きせば人知りぬべみ山川(やまかは)のたぎつ心を塞(せ)かへてあるかも
1384
水隠(みごも)りに息(いき)づきあまり早川(はやかは)の瀬には立つとも人に言はめやも
  

【意味】
〈1381〉広瀬川を歩いて渡ると、衣の袖がひたるほどに浅い。そのように浅いあの人の心なのに、自分の心の底まで、私はなぜこんなに思いつめているのだろう。
 
〈1382〉泊瀬川を流れ行く水の沫が絶えるようなことがあれば、私の恋が遂げられなくても仕方がないと諦めもしようが。

〈1383〉嘆いたら人に知られそうなので、山川の流れのような激しい恋心を懸命にせき止めていることよ。
 
〈1384〉水に潜っていて、息をつく勢いが余って、早川の瀬となって現れようとも、決して他人に口外などしようものか。

【説明】
 「河に寄せる」歌。1381の「広瀬川」は、葛城川、曾我川、飛鳥川、鳥見川が寄り集まった川で、その流域は大和国中でもっとも低い低地。古くは徒歩で渡ることのできる浅い川でしたが、だんだん大川となり現在の大和川となって流れています。1382の「泊瀬川」は、奈良県桜井市初瀬の峡谷に発し、三輪山の南を通り大和川に合流する川。1383の「人知りぬべみ」は、人が知るであろうから。1384の「人に言はめやも」の「やも」は、反語。

巻第7-1385~1388

1385
真鉋(まがな)持ち弓削(ゆげ)の川原(かはら)の埋(うも)れ木(ぎ)のあらはるましじきことにあらなくに
1386
大船(おほふね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き漕(こ)ぎ出(い)なば沖は深けむ潮(しほ)は干(ひ)ぬとも
1387
伏越(ふしこえ)ゆ行かましものをまもらふにうち濡(ぬ)らさえぬ波 数(よ)まずして
1388
石(いは)そそき岸(きし)の浦廻(うらみ)に寄する波(なみ)辺(へ)に来(き)寄らばか言(こと)の繁(しげ)けむ
  

【意味】
〈1385〉弓削の川原に埋もれている木が、姿を見せないままでいられるわけではないのだが。

〈1386〉大船に多くの櫂を取りつけて漕ぎ出せば、沖は底が深いだろう、たとえ引き潮になっても。

〈1387〉伏越を通ってさっさと行ってしまえばよかったのに、波の様子をうかがっているうちに着物を濡らされてしまった。波の間合いが計れずに。

〈1388〉断崖の岩にぶつかっては入江に寄せてくる波、その波がさらにこの岸辺近くに寄ってきたなら、激しく噂が立つのだろうか。

【説明】
 1385は「埋もれ木に寄せる」歌。「埋もれ木」は、水中の泥に埋没した木。「真鉋」の「真」は美称で、かんな。「真鉋持ち」は弓を削る意で「弓削」にかかる枕詞。「弓削の川原」は、大阪府八尾市の西を流れる長瀬川の川原。「ましじき」は、打消しの推量の助動詞「ましじ」の連体形。「埋れ木」を、秘密の男女関係に譬えています。
 
 1386~1388は「海に寄せる」歌。1386は、覚悟をもって結婚したからには、何事があろうと、自分の心は深いだろうと言っている歌。1387の「伏越」は語義未詳ながら、伏して越えなければならないほどの難所の意とする見方があります。「ゆ」は、~を通って。「まもらふ」は、様子をうかがう意。訪れる頃合いが計れず、ぐずぐずしているうちに人に知られてしまったことの喩え。1388の「辺に来寄らば」は、相手の男が私に近寄って来たなら、の喩え。

巻第7-1389~1393

1389
磯(いそ)の浦に来(き)寄る白波(しらなみ)かへりつつ過ぎかてなくは誰(た)れにたゆたへ
1390
近江(あふみ)の海波 恐(かしこ)みと風守り年はや経(へ)なむ漕(こ)ぐとはなしに
1391
朝なぎに来(き)寄る白波(しらなみ)見まく欲(ほ)り我(わ)れはすれども風こそ寄せね
1392
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦の真砂土(まなごぢ)に袖(そで)のみ触れて寝(ね)ずかなりなむ
1393
豊国(とよくに)の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごぢ)の真直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ
  

【意味】
〈1389〉磯の海辺にうち寄せて何度もかえす白波が、こうして沖に帰れないのは、あなた以外の誰のことも思ってはいないからです。
 
〈1390〉琵琶湖の波が恐ろしいと、風の様子を気にしているうちに、いたずらに年を過ごしてしまうのだろうか、舟を漕ぎ出すこともないまま。
 
〈1391〉朝なぎのころ寄せて来る白波を、眺めてみたいと私は思っているけれど、いっこうに風が波を寄せてきてくれません。

〈1392〉名高の浦の細かな砂地には、袖が触れただけで、寝ることのないままになってしまうのか。

〈1393〉豊国の企救の浜辺の細かな砂地のように真っ直ぐであれば、何を嘆くことがあろうか。

【説明】
 1389~1391は「海に寄せる」歌。1390は、天候の様子をうかがって待っている舟を自分のこれまでの行動に置き換え、反省の気持ちを詠んだ歌。「経なむ」の「む」は推量。1391の「風こそ寄せね」の「ね」は打消。1392~1393は「浦の砂に寄せる」歌。1392の「紫の」は「名高」の枕詞。「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の海岸。「真砂土」は、細かい砂地。「愛子(まなご:可愛い子)」を掛けています。1393の上3句は「真直」を導く序詞。「豊国」は大分県と福岡県東部。「企救の浜辺」は、北九州市企救半島の海岸。上3句は相手の男の譬え。

巻第7-1394~1397

1394
潮(しほ)満てば入りぬる礒の草なれや見らく少(すくな)く恋ふらくの多き
1395
沖つ波(なみ)寄する荒礒(ありそ)のなのりそは心のうちに障(つつ)みとなれり
1396
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦のなのりその礒に靡(なび)かむ時待つ我(わ)れを
1397
荒礒(ありそ)越す波は畏(かしこ)ししかすがに海の玉藻(たまも)の憎(にく)くはあらずて
  

【意味】
〈1394〉潮が満ちてくると海の中に隠れてしまう磯の草であるからか、目に見ることは少なく、恋しさばかりがつのる。

〈1395〉沖から打ち寄せる荒磯のなのりそは、私の心の中の悩みになっている。

〈1396〉名高の浦のなのりそが、こちらの磯に靡き寄る時を待っている、この私は。

〈1397〉荒磯を越えてやってくる波は恐ろしい。そうはいうものの、海に揺れる美しい藻は憎く思えない。

【説明】
 「藻に寄せる」歌。1394は、恋する女を岩礁の草に喩えています。1395の「なのりそ」はホンダワラ。「な告りそ(人に告げるな)」に掛けていて、妻との関係を秘密にしていることの苦しさをうたっています。1396の「紫の」は「名高」の枕詞。なのりそを女に、磯を自分に喩えている男の歌。1397の「しかすがに」は、そうではあるが。1397の「荒礒越す波は畏し」は、周囲の状況が厳しいさま、あるいは、娘の保護者の厳しさの譬え。

巻第7-1398~1403

1398
楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の浦の舟乗りに乗りにし心 常(つね)忘らえず
1399
百伝(ももづた)ふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を漕(こ)ぐ舟に乗りにし心忘れかねつも
1400
島伝(しまづた)ふ足早(あばや)の小舟(をぶね)風守り年はや経(へ)なむ逢(あ)ふとはなしに
1401
水霧(みなぎ)らふ沖つ小島(こしま)に風をいたみ舟寄せかねつ心は思へど
1402
こと放(さ)けば沖ゆ放(さ)けなむ港(みなと)より辺著(へつ)かふ時に放(さ)くべきものか
1403
御幣(みぬさ)取り三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原 薪(たきぎ)伐(こ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ
  

【意味】
〈1398〉楽浪の志賀津の港の舟に乗るように、あの子が乗ってきた私の心、いつ何時も忘れることはない。
 
〈1399〉多くの島々を巡って漕ぎ行く舟に乗るように、あの子が乗ってきた私の心、忘れようにも忘れることができない。
 
〈1400〉島伝いに行く舟足の速い小舟、そんな舟であるのに、風向きをうかがっているうちに年をとってしまうのか、巡り逢うこともなく。

〈1401〉水煙でかすんでいる彼方の小島には、風があまりに激しいので近寄ろうにも近寄りかねている。心では思っているのだが。
 
〈1402〉同じ遠ざけるなら沖にいる時にしてほしかった。岸辺に着く頃になって遠ざけるなんてないよ。

〈1403〉御幣を手にとって、三輪の神職が大切に守っている杉原よ。その杉原で薪を伐って、あやうく手斧を取られてしまうところだった。

【説明】
 「舟に寄せる歌」。1398の「楽浪」は、琵琶湖の西南岸一帯。「志賀津」は大津市。1399の「百伝ふ」は「八十」の枕詞。上3句は「乗り」を導く序詞。1400の「風守り」は、風のようすをうかがい時期を待って、の意。1402の「辺著かふ時に」は、いよいよ結婚するときに、の喩え。

 1403は、旋頭歌。「御幣」の「幣」は幣帛で、神に捧げる布。古くは麻や楮を用いました。「三輪」は、ここでは三輪山の麓の大神神社(おおみわじんじゃ)。「祝」は、神職の人。「ほとほとしく」は、危うく~しそう。大神神社には本殿がなく、拝殿奥の三輪山そのものを神としています。誰も足を踏み入れることができないにもかかわらず、その山に勝手に入り、神木を伐って叱られたという歌ですが、親に大切にされている娘を手に入れようとして、痛い目にあった男の歌とも取れます。

巻第7-1404~1408

1404
鏡なす我(わ)が見し君を阿婆(あば)の野の花橘(はなたちばな)の玉に拾(ひり)ひつ
1405
秋津野(あきづの)を人の懸(か)くれば朝(あさ)撒(ま)きし君が思ほえて嘆きはやまず
1406
秋津野(あきづの)に朝ゐる雲の失(う)せゆけば昨日も今日(けふ)も亡き人(ひと)念(おも)ほゆ
1407
隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に霞(かすみ)立ちたなびく雲は妹(いも)にかもあらむ
1408
禍言(まがごと)か妖言(およづれごと)か隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山にいほりすといふ
  

【意味】
〈1404〉大切な鏡のようにいつも私が見ていたあなたを、阿婆の野に火葬に付し、美しい花橘の玉としてお骨を拾いました。

〈1405〉秋津野のことを人が口にすると、あの朝、そこに散骨したあなたのことが思い起こされて嘆きはやみません。

〈1406〉吉野離宮の近くにある秋津野に朝のあいだ懸かっていた雲がなくなると、昨日も今日も亡くなった人のことが思い出されてならない。

〈1407〉泊瀬の山に霞がかかったようにたなびく雲は、いとしい妻なのであろうか。

〈1408〉人がお前の恋人は泊瀬の山に住むと言うが、それは人の心を惑わす偽言に違いない、そんなことがあるものか。

【説明】
 「挽歌」。1404の「鏡なす」は、鏡を見るように。「阿婆の野」は、火葬した野とみられますが、所在未詳。1405の「秋津野」は、吉野の秋津か。葬送は朝にするのが原則でした。1406の「雲」は、火葬の煙をさします。1407・1408の「隠口(こもりく)の」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬」は、いまの奈良県桜井市初瀬。古代大和朝廷の聖地であり、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。
 
 「死ぬ」という語は、「恋死に」や無常観の比喩表現として多く用いられた一方で、具体的に「死」と関わる挽歌においては「死」の語を用いることは忌避されました。「死ぬ」の代わりに「離(さか)る」「過ぐ」「罷(まか)る」などの語を用い、「死」を婉曲的に表現するのが挽歌の歌い方とされました。

巻第7-1409~1413

1409
秋山の黄葉(もみち)あはれとうらぶれて入りにし妹(いも)は待てど来まさず
1410
世間(よのなか)はまこと二代(ふたよ)はゆかざらし過ぎにし妹(いも)に逢はなく思へば
1411
幸(さきは)ひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹(いも)が音(こゑ)を聞く
1412
吾(わが)背子を何処(いづく)行かめとさき竹の背向(そがひ)に宿(ね)しく今し悔しも
1413
庭つ鳥(とり)鶏(かけ)の垂(た)り尾の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも
  

【意味】
〈1409〉秋の山のもみじが素晴らしいと、その山にしょんぼりと入って行った妻は、待っていても帰って来ない。

〈1410〉この世の中は、ほんとに二度はめぐっては来ないらしい。亡くなった妻に再び会えないことを思うと。

〈1411〉自分は恋しい妻をもう亡くしたが、白髪になるまで二人とも健やかで、妻の声を聞くことができる人は何と幸せな人だろう、うらやましいことだ。
 
〈1412〉私の夫が、このように亡くなるとは思いもよらず、生前につれなくして後ろを向いて寝たりして、今となっては悔しくてならない。

〈1413〉鶏の垂れた尾のように乱れていて、ゆったりした気分になど、とてもなれそうにありません。

【説明】
 「挽歌」。1409は、亡くなった妻を秋山に葬った後に夫が詠んだ歌。「あはれ」は、素晴らしい、面白い。「うらぶれて」は、しょんぼりと、心しおれて。「来まさず」は、女性に対しての慣用の敬語。1410の「二代はゆかざらし」は、二度と来ないようだ。「ざらし」は「ざるらし」の約。「過ぎにし妹」は、世を去った妻。

 1411は、直接に妻の死を悲しんでいるのではなく、共白髪で年老いた幸せな夫婦を羨むかたちで、亡き妻を哀惜しています。老齢にさしかかって初めてしみじみと共感できる歌であり、また、妻に先立たれた高齢男性にとっては、まことに胸の痛む歌です。幸福の価値は、失ってからでなければ分からないのかもしれません。作家の田辺聖子は、「歌のしらべとしてはごつごつとして野暮ったいが、我々はそこに真率な、りちぎな男の、埋められぬ悲哀と空虚を見る」と言い、斎藤茂吉は、結句の「声を聞く」の「聞く」だけで詠歎の響があると言っています。

 1412・1413は夫を悼む妻の歌。1412の「さき竹の」は、割った竹は重ねてもしっくりしないところから、「背向」の枕詞。夫婦が言い争った後の行為を思い出して悔やんでいます。なお、巻第14の東歌のなかに「愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも」(3577)という似た歌があり、これについて斎藤茂吉は「巻七の方が優っている。巻七の方ならば人情も自然だが、巻十四の方はやや調子に乗ったところがある。おもうに、巻七の方はまだ個人的歌らしく、つつましいところがあるけれども、それが伝誦せられているうち民謡的に変形して巻十四の歌となったものであろう」と言っています。
 
 1413の上3句は「長き」を導く序詞。「庭つ鳥」は、庭の鳥という意味で「鶏」の枕詞。ニワトリという呼び名はここから生じたと考えられています。当時の「鶏」は「かけ」と呼ばれており、鳴き声に由来するとされます。「長き心」は、気長でのんびりした気持ちと解釈する説もあります。

巻第7-1414~1417

1414
薦枕(こもまくら)相枕(あひま)きし子もあらばこそ夜(よ)の更(ふ)くらくも我(わ)が惜しみせめ
1415
玉梓(たまづさ)の妹(いも)は玉かもあしひきの清き山辺(やまへ)に撒(ま)けば散りぬる
1416
玉梓(たまづさ)の妹(いも)は花かもあしひきのこの山蔭(やまかげ)に撒(ま)けば失(う)せぬる
1417
名児(なご)の海を朝 漕(こ)ぎ来れば海中(わたなか)に鹿子(かこ)ぞ鳴くなるあはれその鹿子
  

【意味】
〈1414〉薦枕で一緒に寝た妻が生きていたなら、いくら夜が更けていっても惜しみはしないだろうに。

〈1415〉愛しいあの妻は玉だったのか、この清々しい山辺に撒いたら、散ってなくなってしまった。

〈1416〉愛しいあの妻は花だったのか、この山陰に撒いたら幻のように消えてしまった。

〈1417〉朝、名児の海を漕いでやってきたら、海のまっただ中で鹿の鳴き声がする。あの愛らしい鹿よ。

【説明】
 1414~1416は「挽歌」。1414の「薦枕」は薦で作った枕。1415・1416の「玉梓の」は「妹」の枕詞。ふつうは手紙を運ぶ「使ひ」にかかりますが、ここでは「恋文(たまずさ)」を贈る相手である「妹」にかけたとみられます。撒いたのは、火葬の後の灰でしょうか。男にとって妻がどれほど大切な人であったかが、言葉そのものから伝わってきます。1417は「羈旅の歌」で、巻末に追補された歌とみられます。「名児の海」は所在未詳。「鹿子」は鹿の愛称。

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

万葉の植物

アセビ
ツツジ科の常緑低木。早春にスズラン状の小さなつぼみをつけて花が咲き、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。有毒植物であり、馬が誤って食べると苦しがって、酔っぱらったような動きをするというので「馬酔木」と書きます。

ウメ
バラ科の落葉低木。中国原産で、遣唐使によって 日本に持ち込まれたと考えられています(弥生時代に渡ってきたとの説も)。当時のウメは白梅だったとされ、『万葉集』では萩に次いで多い119首が詠まれています。雪や鶯(うぐいす)と一緒に詠まれた歌が目立ちます。

オミナエシ
秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。

サクラ
日本の国花のサクラはバラ科の落葉高木で、多くの品種があります。名前の由来は、花が「咲く」からきたとされていましたが、「サ」は稲の神様で、「クラ」は居る所という説も唱えられています。稲の神様が田植えが始まるまで居るところがサクラで、サナエは稲の苗、サミダレは稲を植えるころに降る雨のことをいう、とされます。
なお、『万葉集』で詠まれている桜の種類は「山桜」です。「ソメイヨシノ」は江戸末期に染井村(東京)の植木屋によって作り出された品種で、葉が出る前に花が咲き、華やかに見えることからたちまち全国に植えられ、今の桜の名所の主役となっています。

タチバナ
古くから野生していた日本固有の柑橘の常緑小高木。『古事記』『日本書紀』には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。

チガヤ
イネ科の草で、日当たりのよい場所に群生します。細い葉を一面に立て、白い穂を出します。新芽には糖分が豊富に含まれており、昔は食用にされていました。 チガヤの「チ」は千を表し、多く群がって生える様子から、千なる茅(カヤ)の意味で名付けられた名です。

フジ
マメ科のつる性落葉低木で、日本の固有種。 4月下旬から5月上旬に長い穂のような花序を垂れ下げて咲き、藤棚が観光・鑑賞用として好まれます。フジの名前の由来には定説はないものの、風が吹く度に花が散るので「吹き散る」の意であるともいわれます。

モミジ
「もみじ」は具体的な木の名前ではなく、赤や黄色に紅葉する植物を「もみじ」と呼んでいます。現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』では殆どの場合「黄葉」となっています。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられています。さらに「もみじ」ではなく「もみち」と濁らずに発音していたようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。

ヤブカンゾウ
中国北部が原産のススキノキ科の多年草で、初夏から夏にかけて濃いオレンジ色の花を咲かせます。ユリの花に似ており、以前はユリ科に分類されていましたが、DNA解析によって変更されました。結実はせず根で増えていくので、多く群生が見られます。古くから愛され、『万葉集』では「忘れ草」の名で登場します。

和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

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