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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第7)~その3

巻第7-1341~1344

1341
真玉(またま)つく越智(をち)の菅原(すがはら)我(わ)れ刈(か)らず人の刈らまく惜(を)しき菅原
1342
山高み夕日(ゆふひ)隠(かく)りぬ浅茅原(あさぢはら)後(のち)見むために標(しめ)結(ゆ)はましを
1343
言痛(こちた)くはかもかもせむを岩代(いはしろ)の野辺(のへ)の下草(したくさ)我(わ)れし刈りてば [一云 紅の現(うつ)し心や妹に逢はずあらむ]
1344
真鳥(まとり)棲(す)む雲梯(うなて)の杜(もり)の菅(すが)の根を衣(きぬ)にかき付け着せむ子もがも

【意味】
〈1341〉越智の菅原を、私が刈らないでいると、他人が刈っていくだろう。そのことが惜しまれる菅原よ。

〈1342〉山が高いので、夕日が早くも隠れてしまった。浅茅原に、あとであの人と逢うために標縄を結んでおきたかったのに。

〈1343〉人の噂がうるさいというのなら何とでもしよう。岩代の野辺の下草を私が刈ってしまったあとでなら。(このままあなたに逢わないでは正気でいられない)

〈1344〉鷲が棲む雲梯の神社の菅の根を、衣に摺り染めて、私に着せてくれる女がいてほしい。

【説明】
 「草に寄する」歌。1341の「真玉つく」の「真」は美称で、玉を付ける緒と続き、「越智」にかかる枕詞。「越智」は、奈良県高取町越智または滋賀県米原市の遠智とされます。「菅」は、カヤツリグサ科の多年草の総称。上2句は、憧れている女の譬え。「刈る」は、わが物にする譬え。「刈らまく」は「刈る」のク語法で名詞形。男が女に対し、自分が求婚しなければ、他の男がさっさと自分のものにしてしまうだろう、そうなったら残念だぞ、と働きかけようとする歌です。

 1342の「山高み」は、山が高いので。「浅茅原」は、丈の低い茅原。若い女の譬えと見るのが一般的で、何らかの接触があった女の、住所も聞かずに別れてしまったことを残念がっている歌とされますが、草を女に喩える理由がはっきりせず、逢引のための場所取りを意味した歌ともとれます。上掲の解釈はそれに従っています。「標」は目じるしのことで、暗くなったのでそれを着けられなかったと言っています。「ましを」の「まし」は、事実に反して仮想する助動詞。「を」は、逆接的に詠嘆する助詞。

 1343の「言痛くは」は、人の噂がうるさければ。「かもかもせむを」は、どのようにもしよう。「岩代」は、和歌山県南部町の岩代とされます。「下草」は、人目を避けて逢う女の譬え。「我れし刈りてば」には、あなたをわが物にしてしまったあとでなら、の意が込められており、つまり、自分に身を許してくれたら、その後の問題はいかようにも処理しようと言っています。しかし、「下草」は女の寓意ではなく、口さがない周囲の人々と見る説もあり、「人の噂がうるさくて逢えないというのなら私が何とかしよう。野辺の下草を私が一本一本刈り取って」のように解しています。

 1344の「真鳥」の「真」は接頭語で、立派な鳥または鷲。「雲梯の杜」は、橿原市雲梯町の神社(現在の河俣神社)で、畝傍山から西北2kmのところにあります。神社を「杜」と言うのは、昔は社(やしろ)がなく、巨木や森林が神体として崇められてきたことに由来し、今も、本殿や拝殿さえ存在しない神社が存在します。「菅」は、カヤツリグサ科の多年草の総称。「かき付け」は、摺り付け。「菅の根を衣にかき付け着せむ」は妻のすることで、妻になることの譬喩。「もがも」は、願望。窪田空穂はこの歌について、「ここの菅は、雲梯の神社のもので、当然神に属している神聖なもので、それを採ることは禁じられているものである。すなわち採れば神罰を蒙る菅である。そうしたもので衣を摺って着せる児は、思う男のためにはいかなる危険をも冒そうという女である。これは男の内心の熱望を譬喩した心の歌」であると解説しています。

巻第7-1345~1348

1345
常(つね)ならぬ人国山(ひとくにやま)の秋津野(あきづの)のかきつはたをし夢(いめ)に見しかも
1346
をみなへし佐紀沢(さきさは)の辺(へ)の真葛原(まくずはら)何時(いつ)かも繰(く)りて我(わ)が衣(きぬ)に着む
1347
君に似(に)る草と見しより我(わ)が標(し)めし野山の浅茅(あさぢ)人な刈りそね
1348
三島江(みしまえ)の玉江(たまえ)の薦(こも)を標(し)めしより己(おの)がとぞ思ふ未(いま)だ刈らねど
  

【意味】
〈1345〉人国山の麓の秋津野に咲く美しい杜若の花を、夢にまで見ることだ。

〈1346〉佐紀沢のほとりの葛原よ、その葛のつるを早く引きたぐり寄せて糸にして、私の衣に作って着たいものだ。

〈1347〉あなたに似ている草と知ってから、私が標縄を張った野山のあの浅茅を、どうか誰も刈り取らないで下さい。

〈1348〉三島江の薦にしるしをしてからは、私のものだと思っている。まだ刈り取ってはいないけれど。

【説明】
 「草に寄する」歌。1345の「常ならぬ」は、世の常ならぬの意で「人」にかかる枕詞。「人国山の秋津野」は、和歌山県田辺市秋津町の野とする説と、奈良県吉野町の吉野宮付近の野とする説があります。「常ならぬ~かきつはた」は、人妻の譬え。かきつばたの花色の紫は尊貴な色とされたので、貴い女に譬えたものと見えます。「し」は、強意の副助詞。「かも」は、詠嘆。

 1346の「をみなえし」は、花が咲く、の意で同音の「佐紀」にかかる枕詞。「佐紀沢」は、奈良市佐紀町一帯の沼沢地。「真葛原」の「葛」は、山野に自生するつる草で、秋に紫色の小花をつけ、つるからは布を製し、根からはでんぷんをとります。上3句は少女の譬え。「何時かも」の「かも」は疑問で、「いつ~かなあ」の意で「早く~したいものだ」。「繰りて」は、たぐり寄せて。「我が衣に着む」を、我が妻にすることに譬えています。

 1347の「君に似る草」は、第4句の「浅茅」を男性に見立てての表現。「我が標めし」は、自分の物と決めたことの譬え。「浅茅」は、背丈の低いチガヤ。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「刈りそね」の「な~そね」は、禁止。あの人と逢引しようと標を結った野の草を、人に刈られまいと願っている歌、あるいは、女がひそかに思う男を他の女にとられまいとする心を詠んだ歌とされます。

 1348の「三島江」は、摂津国三島郡、淀川下流の入江。「三島江の玉江の薦」は、若い女の譬え。「玉江」の「玉」は、美称。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。「標しより」は、標示した時から。「己がと」は、自分のものと。「ぞ」は、係助詞。「未だ刈らねど」は、まだ刈り取らないけれども。「刈る」は、妻にする喩え。男が女に対し、自分の相手として世間に公にした以上は、まだ共寝はしていなくとも、二人は夫婦になったのと同じだと思っている、と告げた歌です。

巻第7-1349~1352

1349
かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野(おひあらきの)の小竹(しの)にあらなくに
1350
近江のや八橋(やばせ)の小竹(しの)を矢はがずて信(まこと)あり得むや恋(こほ)しきものを
1351
月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露に濡れての後(のち)はうつろひぬとも
1352
我が心ゆたにたゆたに浮蓴(うきぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ
  

【意味】
〈1349〉こうしてこのまま老いていくことになるのだろうか、雪の降る大荒木野の篠竹(しのだけ)ではないことであるのに。
 
〈1350〉近江のあの八橋の篠竹を刈り取って矢にしないなどということが本当にあるものか、これほど恋しくてならないのに。

〈1351〉露草で着物を染めることにしましょう。朝露に濡れたあとは色があせてしまうだろうけれど。
 
〈1352〉私の心はゆらゆらと揺れ動いて、浮きぬなわ(ジュンサイ)のように、岸にも沖にも寄ってしまえそうもありません。

【説明】
 「草に寄する」歌。1349の「かくしてや」は、こうして、このようにあって。「や」は、詠嘆。「み雪」の「み」は、美称。「大荒木野」は、地名とすれば、奈良県五條市今井の荒木神社辺りにあった野かといいます。「大荒木」は「大殯(おほあらき)」だとして、天皇や皇族の薨去の際に営まれた殯宮の野のことかもしれません。「小竹」は、群生する細い竹。「小竹にあらなくに」は、小竹ではないことであるのに。つまり、刈り取られずに立ち枯れる小竹ではないのに。すでに老齢の近い女の、未婚のまま年老いていく女にはなりたくないとう嘆きの歌とされます。

 1350の「近江のや」の「や」は、感動の間投助詞。「八橋」は、滋賀県草津市矢橋町あたりとされています。「矢はがずて」は、その小竹を刈り取って矢に作らないで。「矢はぐ」は、矢竹に矢じりや羽をつけて矢にすること。「信あり得むや」の「や」は反語で、本当にそれでいられようか、いられない。好きな女性のことを小竹にたとえていて、結婚せずにはいられない気持ちを述べた歌です。

 1351の「月草」は、露草(つゆくさ)の古名。昔はこの草で布を染めましたが、すぐに色あせてしまうため、移ろいやすく、はかない恋心の譬えに使われます。プレイボーイに惚れてしまい、悩みは尽きない娘が、それでもいい、私はあの人なしではいられないと、結婚を決心した歌です。「月草に衣は摺らむ」は、男の求婚に応ずることの喩え。「朝露に濡れての後は」は、結婚して後のことの喩え。「うつろふ」は、色が褪せる。移り気の喩え。

 1352の「ゆた」は、ゆったりゆらゆらと揺れ漂うさま。「たゆたに」の「た」は接頭語で「ゆたに」を重ねて強めた表現。「浮き蓴」は、池や沼に生えるスイレン科の多年草のジュンサイのことで、茎や葉はぬめりがあり、その若芽を摘んで食用にしました。『万葉集』にジュンサイが歌われているのは、この1首のみ。「辺」は、岸。「寄りかつましじ」の「かつ」は可能、「ましじ」は打消しの推量。男から求婚され、揺れる恋心に悩む女性の歌でしょうか、あるいは、男女共用の民衆歌として広く親しまれたとも伝わります。

巻第7-1353~1356

1353
石上(いそのかみ)布留(ふる)の早稲田(わさだ)を秀(ひ)でずとも縄だに延(は)へよ守りつつ居らむ
1354
白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)心ゆも思はぬ我(わ)れし衣(ころも)に摺(す)りつ
1355
真木柱(まきばしら)作る杣人(そまびと)いささめに仮廬(かりいほ)のためと作りけめやも
1356
向(むか)つ峰(を)に立てる桃(もも)の木(き)成(な)らめやと人ぞささやく汝(な)が心ゆめ
   

【意味】
〈1353〉石上の布留にある早稲の田を、まだ穂は出ていなくても、せめて標縄だけでも張って囲んでおけ。そうしたら私が大きくなるまで大事に番をしていよう。
 
〈1354〉真野の榛原のことなど心にも思ったことがない私なのに、その榛で衣に摺って染めてしまいました。
 
〈1355〉真木の柱を作る木こりは、一時しのぎの仮小屋を作るためと思ってその柱を作ったりするだろうか、そんなはずはない。
 
〈1356〉向こうの高所に立っている桃の木は、実などなるものかと人がささやく。決して油断などしてはならないぞ。

【説明】
 1353は「稲に寄する」歌で、まだ年ごろにならない娘を養育する親が、男に贈った歌です。「石上」は、今の奈良県天理市の石上神社のあたりから西の一帯。「布留」は、石上神社周辺で今の布留町。「早稲田」は、早稲の稲を作っている田。山地では発育が遅れるために早稲を作っていました。ここは幼い娘の譬喩。「秀でずとも」は、穂に出さずともの意で、娘がまだ婚期に達していない譬喩。「縄」は、占有を示す標縄。「だに」は、~だけでも。「守る」は、稲が熟すまで番をする意。男に対し、わが妻となるべき者だということだけでも明らかにしてほしいという、親心を歌っています。

 1354~1356は「木に寄する」歌。1354は、心を寄せてもいない男と契ってしまったことを悔やんでいる女の歌。「白菅の」は、白菅の生えている意で「真野」にかかる枕詞。「真野」は、神戸市長田区真野町。「榛原」は、榛の林で、ここまで男の喩え。「心ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。心から、心の奥から。「我れし」の「し」は、強意の副助詞。「衣に摺り」は、男の求婚に応じたことの譬喩。一方でこの歌を、浮気な心で女と契った男の述懐とする見方もありますが、「衣に摺る」のは女の作業であるので、ここは女の歌としています。

 1355の「真木柱」は、檜の柱で、家の中心となる立派な柱。「杣人」は、その仕上げをしている木こりで、ここは作者自身(男)の喩え。「いささめに」は、いいかげんに、かりそめに。「仮廬」は、仮小屋、一時しのぎの仮の宿。「作りけめやも」の「けめ」は過去推量、「やも」は反語で、作っただろうか、作りはしない。女に対し正式に結婚を申し込んだ男の歌で、いい加減な気持ちで口説いたのではない、しっかりした夫婦生活をしたいと思って求婚したのだ、と訴えています。一方で、しっかりとした相手を選べと娘に言い聞かせた親の歌と見るものもあります。

 1356の「向つ峰」は、向かいの丘。「立てる桃の木」は、実のなる意で、恋が成就することの譬え。「成らめや」の「や」は、反語。「人ぞささやく」の「ぞ」は、係助詞。「ささやく」は原文「耳言為」で、こっそり耳打ちする、ひそかに言いかける。「汝が心ゆめ」は、あなたの心を決して。下に「油断してはならない、尻込みしてはならない」などの意の語が省略されています。二人の仲が成就するはずなどないと人がひそかに言うのを聞き、男が女に対して用心せよと警告している歌です。なお、当時の桃は、現代のように品種改良された甘い果実とは違い、実は小ぶりで酸っぱかったといいます。もっぱら種が、新陳代謝を促し、血行をよくする漢方薬の一種として珍重され、信濃国では桃園で収穫した種を宮内省に納入し、宮中でも栽培されていました。

巻第7-1357~1360

1357
たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願へば衣(きぬ)に着るといふものを
1358
はしきやし我家(わぎへ)の毛桃(けもも)本(もと)茂(しげ)く花のみ咲きて成(な)らずあらめやも
1359
向(むか)つ峰(を)の若桂(わかかつら)の木(き)下枝(しづえ)取り花待つい間(ま)に嘆(なげ)きつるかも
1360
息(いき)の緒(を)に思へる我(わ)れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ
  

【意味】
〈1357〉母が生業としている桑でさえも、ひたすら願えば絹の着物に作って着せてくれるというのに。

〈1358〉かわいい我が家の毛桃は、根元まで花がいっぱい咲くのみで、実がならないなんてことがあろうか、そんなことはないだろう。

〈1359〉向かいの丘に立っている若桂の、下枝を手に取って花が咲くのを待っている間、もどかしくてため息が出たことだ。

〈1360〉命がけで思っている私なのに、あなたはもう、エゴノキの花がすぐしぼむように心変わりをなさったのですか。

【説明】
 1357~1359は「木に寄する」歌。1357の「たらちねの」は「母」の枕詞。「その業る」は、生業にしている。「桑すらに」は、桑でさえも。養蚕を言い換えたもの。「衣に着す」は、着物に作って着せてくれる。結婚させることの譬喩。「ものを」は、それなのにどうして。母から結婚を反対され、実らない恋を嘆いている娘の歌です。娘と逢うことをその母親から許されない男の嘆きの歌と解するものもあるようです。

 1358の「はしきやし」の「はしき」は形容詞の連体形、「や・し」は詠嘆の助詞で、可愛い、愛おしい、の意。「毛桃」は、表面に柔らかい毛の生えた実のなる桃の木。上2句は愛する娘の譬えで、親の立場から詠んだ歌。「本茂く花のみ咲きて」の「木茂く」は、木の根元までびっしりと。幹から出た枝々に花が密集しているさま。男からの申し込みが多いだけで、との連想。「成らずあらめやも」の「成る」は実のなる、「や」は反語で、結婚できないはずはない、の意。

 1359の「向つ峰」は、向かいの丘。「若桂」は、桂の若木。山地に生える落葉高木で、生長すると、高いものは25mくらいにも達します。上2句は、まだ婚期に達していない少女の譬え。「下枝取り」は、下の方の枝を取り、で、求婚の用意をする意。「花待つい間に」は、成長を待っている間にも。「い」は、接頭語。相手の少女が年ごろになるのを待ち望んでいる男の歌とされます。

 1360は「花に寄する」歌。「息の緒に」は、呼吸の続く間で、命がけで、絶え間なく。「山ぢさ」は、エゴノキ(別名チシャノキ)とするのが通説で、初夏の頃に白色小弁の花が咲く落葉高木。無数の花がいっせいに散ると、地面が真っ白になります。ただし、イワタバコ科の多年草である岩煙草(いわたばこ)とする説もあります。「花に」は、花のごとくに。「か」は、疑問の係助詞。「君がうつろひぬらむ」は、君の心は変わったのだろうか。男の心変わりを責める女の歌です。

巻第7-1361~1365

1361
住吉(すみのえ)の浅沢(あささは)小野(をの)の杜若(かきつばた)衣に摺(す)りつけ着む日知らずも
1362
秋さらば移しもせむと我(わ)が蒔(ま)きし韓藍(からあゐ)の花を誰(た)れか摘(つ)みけむ
1363
春日野(かすがの)に咲きたる萩(はぎ)は片枝(かたえだ)はいまだ含(ふふ)めり言(こと)な絶えそね
1364
見まく欲(ほ)り恋ひつつ待ちし秋萩(あきはぎ)は花のみ咲きて成(な)らずかもあらむ
1365
我妹子(わぎもこ)が屋前(やど)の秋萩(あきはぎ)花よりは実になりてこそ恋ひまさりけれ
  

【意味】
〈1361〉住吉の浅沢の小野に咲いている杜若よ、その花で衣を染める日が、いつになったら来るのか知られないことよ。

〈1362〉秋になったら移し染めもしようと思って、私が蒔いた韓藍の花を、いったい誰が摘んでしまったのだろう。
 
〈1363〉春日野に咲いている萩の花は、片一方の枝はまだ蕾のままです。ですから便りは欠かさないで下さい。
 
〈1364〉見たい見たいと待ち続けていた秋萩は、花だけ咲いて実にはならないのだろうか。
 
〈1365〉愛しいあの子の庭の秋萩は、花の頃よりは、実になってからの方がいっそう恋心がつのって仕方がない。

【説明】
 「花に寄する」歌。1361の「住吉の浅沢小野」は、住吉神社の東南、墨江方面にかつてあった低湿地の野。「杜若」は、池や沼などに自生する宿根草で、初夏のころ花アヤメに似た紫色または白色の花を咲かせます。ここは、美しい女性の譬喩。「衣に摺りつけ着む日」は、自分の妻とする日の意。「知らず」は、知られないことよ。憧れの女性と結ばれる日はいつのことになるのだろうと遠く夢見ている男の歌です。

 1362の「秋さらば」は、秋になったら。「移し」は、移し染め。色を移して染めること。この時代には、花を摘み取って衣につける、いわゆる摺り染めが行われていました。「韓藍」は、韓の国から渡来した藍の意味で、ケイトウ(鶏頭)の古い呼び名。ここは我が妻にと思っていた女の譬え。「誰か摘みけむ」は、誰が摘んでしまったのだろう、で、他の男が妻にしてしまったという譬喩。女を他人に取られた男の悔しさを歌った歌ですが、娘の結婚についての思惑がはずれた親の嘆きの歌とする見方もあります。

 1363の「春日野」は、奈良市東方、春日山の麓の一帯。「萩」は、娘の譬え。「片枝はいまだ含めり」は、両方あるうちの片方の枝が蕾で開き切っていない。娘が幼くて未だ婚期に達していない譬え。「片枝」とあるのは、姉妹のうちの妹を意味するか。「言な絶えそね」の「な~そね」は、願望的な禁止。許婚のいる男が娘の親に対し、花(娘)の状態を知らせる便りを絶やさないでほしいという気持ちを詠んだ歌、あるいは未婚の娘を持つ母親が男に詠み遣った歌とされます。

 1364の「見まく欲り」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。「欲り」は、願望の意の「欲る」の連用形。見たいと思って。「秋萩」は、女の喩え。「成らずかもあらむ」の「かも」は疑問で、実を結ばないのだろうか。「成る」は、結婚の成立の譬え。いつまでも恋愛状態のままで、あるいは婚約だけはしても、結婚できないのかと不安に思っている男の歌です。前の歌で「片枝はいまだ含めり言な絶えそね」と歌いかけられた男が、その片枝も「花のみ咲きて成らずかもあらむ」と歌い返したようでもあります。

 1365の「屋前」は、家の敷地、庭先。「秋萩」は、結婚した妻の喩え。「花」は結婚前、「実」は結婚後の譬え。「恋ひまさりけれ」の「けれ」は、今そのことに気づいたという詠嘆の助動詞「けり」の已然形で、「こそ」の係り結び。華やかに感じられた結婚前の時代よりも、結婚してから地味になった今のほうがずっと恋しいとのろけています。結婚できるかできないか不安に思っていた前の歌の続きのようであり、あの時はなぜあんな心配をしていたのだろう、と言わぬばかりです。

巻第7-1366~1367

1366
明日香川(あすかがは)七瀬(ななせ)の淀(よど)に住む鳥も心あれこそ波(なみ)立てざらめ
1367
三国山(みくにやま)木末(こぬれ)に住まふむささびの鳥待つごとく我(わ)れ待ち痩(や)せむ
  

【意味】
〈1366〉明日香川の数多くの瀬ごとに棲む鳥は、思慮があるからこそ、波を立てないでいるのだろう。
 
〈1367〉三国山の梢に棲んでいるむささびが鳥を待つように、私はあの人を待ち続けて痩せてしまうでしょう。

【説明】
 1366は「鳥に寄する」歌。「明日香川」は、明日香地方を流れ、大和川に合流する川。「七瀬」は、多くの水脈の意。「淀」は、水が淀んで流れが遅い所。「心あれこそ」は、思慮があるので。「波立てざらめ」の「め」は、推量の助動詞「む」の已然形で「こそ」の係り結び。波を立てずにいるのだろう。この結句の後に「だから、私たちも心して波を立てないでいよう」、つまり「口やかましい世間の噂に惑わされないようにしよう」という言葉が暗示されています。若い男女がお互いに戒め合った歌とされます。

 1367は「獣に寄する」歌。「三国山」は所在未詳。福井県三国町の山かともいわれますが、三つの国の国境が集中している山の名であり、各地にあります。「木末」は、梢。「むささび」は、リス科の小動物。手足の間に皮膜が発達し、これを広げて木から木へと滑空します。「鳥待つごとく」とあり、むささびは鳥を捕らえて食べる動物ではないのですが、そのように見たものと見えます。第4句までが第5句の譬喩となっており、疎遠にしている男を待つ女心の歌です。

巻第7-1368~1371

1368
岩倉(いはくら)の小野(をの)ゆ秋津(あきづ)に立ち渡る雲にしもあれや時をし待たむ
1369
天雲(あまくも)に近く光りて鳴る神の見れば恐(かしこ)し見ねば悲しも
1370
はなはだも降らぬ雨(あめ)故(ゆゑ)にはたつみいたくな行きそ人の知るべく
1371
ひさかたの雨には着ぬを怪しくも我(わ)が衣手(ころもで)は干(ふ)る時なきか
  

【意味】
〈1368〉岩倉の小野から秋津にかけて渡って行く雲でもないので、私はただ時が来るのを待とうとするのか。
 
〈1369〉遙か遠い天雲の近くで光って鳴る雷は、見るからに恐ろしいけれど、見なければ見ないで悲しい。

〈1370〉そんなに激しく降る雨ではないのに、あふれ出た雨水よ、そんなにあわてて流れないでほしい、人が気づいてしまうから。
 
〈1371〉雨の降る時に着ることはないのに、不思議にも、私の衣の袖は濡れそぼって乾くことがない。

【説明】
 1368は「雲に寄する」歌。「岩倉の小野ゆ秋津に」の「岩倉」は、和歌山県田辺市秋津町または吉野山中の吉野離宮付近の地とされます。「小野ゆ」の「小」は美称で、「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「雲にしもあれや」の「や」は反語で、雲でもないので、の意。「時をし待たむ」の「時」は、妹に逢える時。自由に往き来できる雲を羨み、もっと早く積極的に逢う機会を作ってほしいとねだっている恋人の歌です。窪田空穂は、「単に雲の自由な状態だけではなく、雲の『時』の自由をももっているかのようにみえるのを羨んだ心で、そこに新意がある」と評しています。

 1369は「雷に寄する」歌。「天雲に近く」は、空にある雲に近く。「天雲の」と訓んで、「天雲のように」と解し、第3句までを「見れば恐し」の序詞とする見方もあります。「鳴る神」は「雷」のことで、ここは身分の高い男の譬え。「見れば恐し」は、その男性に逢うと恐れ多い、の意を寓しています。近くにいると緊張して何もできなくなってしまうけれど、まったく姿が見られないのは寂しいと、恋のジレンマを歌っている女の歌です。

 1370・1371は「雨に寄する」歌。1370の「はなはだも降らぬ雨故」は、二人がそうたびたび逢っているわけでもないのに、の意の譬喩。「にはたつみ」は、夕立ちなど急な雨であふれ流れる水。ここは男の譬喩。「いたくな行きそ」の「いたく」は、ひどく。「な~そ」は懇願的な禁止で、ひどく流れて行くな、の意。「人の知るべく」は、人が知るだろうに。全部が譬喩となっており、男と関係を結んでまだ幾程もない女が、人に見咎められたり噂されるようなことはしないでほしい、つまり、おおっぴらに帰らないでほしいと言っている歌です。

 1371の「ひさかたの」は、天の枕詞が転じて「雨」の枕詞となったもの。「雨には着ぬを」は、雨の中ではこの衣は着ないのに。「を」は、詠嘆。「あやしくも」は、不思議にも、どうしてか。「衣手」は、袖。「干る時なきか」の「か」は、詠嘆の助詞。男の疎遠を恨み、「雨」を涙の比喩として、袖が乾くことがないと言っています。

巻第7-1372~1375

1372
み空行く月読壮士(つくよみをとこ)夕(ゆふ)去らず目には見れども寄る縁(よし)もなし
1373
春日山(かすがやま)山高からし石(いわ)の上(うへ)の菅(すが)の根見むに月待ち難(かた)し
1374
闇(やみ)の夜(よ)は苦しきものを何時(いつ)しかと我(あ)が待つ月も早(はや)も照らぬか
1375
朝霜(あさしも)の消(け)やすき命 誰(た)がために千歳(ちとせ)もがもと我(わ)が思はなくに
  

【意味】
〈1372〉光り輝くお月様のお姿は毎夕拝見していますが、一向に近寄る手立てがありません。

〈1373〉春日山は思いのほか高いらしい。岩の上に生えている菅の根を見たいのに、月はいくら待ってものぼって来ない。
 
〈1374〉闇夜は辛くてならない。今か今かと待っている月が、早く私を照らしてくれないだろうか。
 
〈1375〉朝霜のように消えやすいはかない命。そんな命であるのに、ほかの誰のためにこの命が千年も続いてほしいと思うでしょうか。

【説明】
 「月に寄する」歌。1372の「み空」の「み」は接頭語で、空の美称。「月読壮士」は、月を擬人化した表現。「壮士」は、若々しい男の称で、月が日々に新しくなり若く感じられるところからきています。ここでは身分の高い男の喩え。「夕去らず」は、夕方になるといつも。「寄る」は、近寄る、関係を持つ。「縁」は、手蔓。身を任せたいと思っているものの、身分の隔たりから近寄ることのできない男性への憧れを歌っています。

 1373の「春日山」は、奈良市東部の、今の春日山・御蓋山・若草山などの総称。「高からし」は「高くあるらし」の転。「石の上の菅の根」は、ここは女の比喩で、石の上に生えている菅の根。神事にも用いられたことから、石の上の清浄な場所をも意味するか。また「菅の根」が恋歌に多く歌われるのは、菅を引き抜いてする呪術があったのではないかとも言われます。「見むに」は、逢いたいのに。「月待ち難し」は、月の光が照らしてくれるのを待ちきれない。障害が多くて愛する女になかなか逢えないことを言っています。

 1374は、「闇の夜」を恋人に逢えない苦しさ、「月」を男に喩えています。「何時しか」は、いつか、早く。「早も照らぬか」の「も~ぬか」は願望で、早く照って欲しい。1375の「朝霜の」は「消」の比喩的枕詞。「千歳もがも」の「もがも」は願望で、千年も生きていたいものだ。「思はなくに」は、思わないことだ。左注に、「右の一首は譬喩歌の類にあらず。ただし、闇の夜の歌人の所以(おもい)の故に、ともにこの歌を作る。よりて、この歌をもちて、この次に載す」とあります。前の歌の作者が、同じ相手に思いの深さを訴えた歌です。

巻第7-1376~1380

1376
大和(やまと)の宇陀(うだ)の真埴(まはに)のさ丹(に)付かばそこもか人の我(わ)を言(こと)なさむ
1377
木綿(ゆふ)懸(か)けて祭る三諸(みもろ)の神(かむ)さびて斎(いは)ふにはあらず人目(ひとめ)多みこそ
1378
木綿(ゆふ)懸(か)けて斎(いは)ふこの神社(もり)越えぬべく思ほゆるかも恋の繁(しげ)きに
1379
絶えず行く明日香(あすか)の川の淀(よど)めらば故(ゆゑ)しもある如(ごと)人の見まくに
1380
明日香川(あすかがは)瀬々(せぜ)に玉藻(たまも)は生(お)ひたれどしがらみあれば靡(なび)きあはなくに
  

【意味】
〈1376〉大和の宇陀の赤土の色が衣についたら、そんなことでも人々は私のことをとやかく噂するだろうか。
 
〈1377〉木綿を懸けて祭る神の社で身を清め、慎んでいるわけではありません。人目が多いからです。

〈1378〉木綿を懸けて清め祭っている神の社の、神聖な垣根さえ越えてしまいそうに思われる。あまりの恋の激しさに。

〈1379〉絶えず流れ続ける明日香の川がもし淀むことがあったら、何かあったのではないかと世間の人は見るだろうに。

〈1380〉明日香川の瀬ごとに玉藻は生えているけれど、しがらみで隔てられているので、互いに靡き合うことができない。

【説明】
 1376は「埴(はに)に寄する」歌。「埴」は、塗料・顔料・染料または土器や壁の材料などに用いた赤い粘土。「宇陀」は、奈良県宇陀市。「真埴」の「真」は美称。「さ丹」の「さ」は接頭語で、赤土から採った朱色。「そこもか」の「そこも」は、その点で、そのことで。「か」は、疑問の係助詞。「言なさむ」は「か」の結びで連体形。噂するだろうか、言い騒ぐだろうか。二人が共寝をしたら、世間に噂が立つのではないかと心配する若い男または女の歌です。

 1377・1378は「神に寄する」歌。1377の「木綿」は、楮(こうぞ)の木をはいで、その繊維を晒したもの。白く美しい幣帛として神事に用いました。「三諸」は、神をまつる神社。「神さびて」は、神々しく、神らしく。「斎ふ」は、忌みつつしんで穢れを除くこと。神事のための潔斎を行っている間は、男女とも異性を近づけないこととされていました。「人目多みこそ」は、人目が多いからこそ。「こそ」で結んでいるのは、逆接の前提条件だけを示して、結論を相手に補わせる句法。お高くとまって逢おうとしないのかと責めてきた男に、そうではなくて、人目が多いから逢えないだけなのに、と女が返した歌です。

 1378の「神社(もり)」は、森林を神坐とした所の称。上4句は、逢うことが叶わず、恋の激情のあまり、前後の見境がなくなってしまうことの譬え。男の歌で、上の歌との問答とする見方もあるようです。「この神社」とあるところから、神宴で歌われたものかもしれません。
 
 1379・1380は「河に寄する」歌。1379の「淀めらば」は、もし淀んだならば。いつも来るあなたが来なくなったら、または、いつも逢いに行く自分が行かなかったら、の意の譬え。「故しもある如」の「し」は強意の副助詞で、何かの理由でもあるように。「見まく」は「見る」のク語法で名詞形。男の歌とも女の歌とも取れ、もし二人の間にいつもと違うことが生じたら、と人の目を気にする歌とされます。

 1380の「明日香の川」は、明日香地方を流れ、大和川に合流する川。「玉藻」は、思い合う男女、自分たちの譬え。「しがらみ」は、水の流れを塞ぎ、池へ導くための柵。ここは妨害する者の譬え。「あはなく」は「あはぬ」のク語法で名詞形。合わないこと。「に」は、詠嘆。全部が譬喩になっており、相思相愛の仲の二人であるのに、妨害する人がいて思うように逢えないことを嘆いている歌です。

巻第7-1381~1384

1381
広瀬川(ひろせがは)袖(そで)漬(つ)くばかり浅きをや心深めて我(わ)が思へるらむ
1382
泊瀬川(はつせがは)流るる水沫(みなわ)の絶えばこそ我(あ)が思(おも)ふ心(こころ)遂(と)げじと思はめ
1383
嘆きせば人知りぬべみ山川(やまかは)のたぎつ心を塞(せ)かへてあるかも
1384
水隠(みごも)りに息(いき)づきあまり早川(はやかは)の瀬には立つとも人に言はめやも
  

【意味】
〈1381〉広瀬川を歩いて渡ると、衣の袖がひたるほどに浅い。そのように浅いあの人の心なのに、自分の心の底まで、私はなぜこんなに思いつめているのだろう。
 
〈1382〉泊瀬川を流れ行く水の沫が絶えるようなことがあれば、私の恋が遂げられなくても仕方がないと諦めもしようが。

〈1383〉ため息をついたら人に知られそうなので、山川の流れのような激しい恋心を懸命にせき止めていることよ。
 
〈1384〉水に潜っていて苦しくて息をつき、その勢いが早川の瀬となって現れようとも、決して他人に口外などしようものか。

【説明】
 「河に寄する」歌。1381の「広瀬川」は、葛城川、曾我川、飛鳥川、鳥見川が寄り集まった川で、その流域は大和国中でもっとも低い低地。古くは徒歩で渡ることのできる浅い川でしたが、だんだん大川となり現在の大和川となって流れています。ここは、男の喩え。「袖漬くばかり浅きをや」の「漬く」は、水に浸る。「浅きをや」の「や」は、疑問の係助詞。薄情な男なのにそんな男を、の意を寓しています。「心深めて」は、心の底から。「思へるらむ」は、思っているのだろう。「らむ」は連体形で「や」の結び。

 1382の「泊瀬川」は、奈良県桜井市初瀬の峡谷に発し、三輪山の南を通り大和川に合流する川。「水沫」は、水面を流れる水の泡。「絶えばこそ~思はめ」は、もしも絶えるならば~思うだろうが。川を媒体として、相手への尽きない思いを訴えている歌で、男の歌とも女の歌とも取れます。

 1383の「嘆きせば」は、嘆いてため息をついたら。「人知りぬべみ」は、人が知るであろうから。「山川」は、山から流れ落ちる川。「塞かへ」は「塞き敢へ」の約で、強いて塞き止めること。世間を憚り、激しい恋心を人に察せられまいと努めていることを、「山川」に寄せて歌っています。1384の「水隠り」は、水の中に隠れること。「息づきあまり」は、息をついて、その勢いが余って。「早川」は、流れの速い川。「立つとも」は、現れようとも。「人に言はめやも」の「やも」は、反語。このことを人に言うようなことがあろうか、言いはしない。契りを交わした男女は、一定の間は親に対しても秘密にする必要があり、そうでないと無事に結婚できなかったといいます。

巻第7-1385~1388

1385
真鉋(まがな)持ち弓削(ゆげ)の川原(かはら)の埋(うも)れ木(ぎ)のあらはるましじきことにあらなくに
1386
大船(おほふね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き漕(こ)ぎ出(い)なば沖は深けむ潮(しほ)は干(ひ)ぬとも
1387
伏越(ふしこえ)ゆ行かましものをまもらふにうち濡(ぬ)らさえぬ波 数(よ)まずして
1388
石(いは)そそき岸(きし)の浦廻(うらみ)に寄する波(なみ)辺(へ)に来(き)寄らばか言(こと)の繁(しげ)けむ
  

【意味】
〈1385〉弓削の川原に埋もれている木が、姿を見せないままでいられるわけではないのだが。

〈1386〉大船に多くの櫂を取りつけて漕ぎ出せば、沖は底が深いだろう、たとい潮が干ようとも。

〈1387〉伏越を通ってさっさと行ってしまえばよかったのに、波の様子をうかがっているうちに着物を濡らされてしまった。波の間合いが計れずに。

〈1388〉断崖の岩にぶつかっては入江に寄せてくる波、その波がさらにこの岸辺近くに寄ってきたなら、激しく噂が立つのだろうか。

【説明】
 1385は「埋(うも)れ木に寄する」歌。「埋れ木」は、水中の泥に埋没した木。「真鉋」の「真」は美称で、工具のかんな。今のかんなとは異なり台木がなく、槍のようで柄が付いていました。「真鉋持ち」は、かんなで弓を削る意で「弓削」にかかる枕詞。「弓削の川原」は、大阪府八尾市の西を流れる長瀬川の川原。「埋れ木」は、ここでは世間に知られずにいる二人の関係に譬えています。「ましじき」は、打消しの推量の助動詞「ましじ」の連体形。するはずがない、の意。「ことあらなくに」の「なく」は、打消の助動詞「ぬ」のク語法で名詞形。
 
 1386~1388は「海に寄する」歌。1386の「大船に真楫しじ貫き」は、大船に左右の艪をたくさん取り付けて。十分の準備と覚悟をもって結婚した意を寓しています。「沖は深けむ」は、沖は底が深いだろう。深い思いで結ばれた二人の仲は変わることはないだろう、の意を寓しています。「深け」は、形容詞「深し」の未然形。「潮は干ぬとも」は、たとい世間でどういうことがあっても、の意を寓しています。結婚間もない頃、夫が妻に対して自分の将来の真実を誓った歌です。

 1387の「伏越」は語義未詳ながら、伏して越えなければならないほどの難所の意とする見方があります。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~を通って。「まもらふ」の原文「間守」で、ここは波と波の間合いを窺う意。「波数まずして」は、その注意を十分にせずに、の意。男が女のもとへ行くに際し、用心していたのに見つかってしまい、はじめから人目につかない所を通るのだったと後悔している歌です。

 1388の「石そそき」は、波が岩に激しくぶつかって飛び散り。「浦廻」は、岸が湾曲している所。「寄する波」は、男の喩え。「辺に来寄らば」は、相手の男が私に近寄って来たなら、の喩え。世間の目を気にしている女の歌です。

巻第7-1389~1393

1389
磯(いそ)の浦に来(き)寄る白波(しらなみ)かへりつつ過ぎかてなくは誰(た)れにたゆたへ
1390
近江(あふみ)の海(うみ)波(なみ)恐(かしこ)みと風守り年はや経(へ)なむ漕(こ)ぐとはなしに
1391
朝凪(あさなぎ)に来(き)寄る白波(しらなみ)見まく欲(ほ)り我(わ)れはすれども風こそ寄せね
1392
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦の真砂土(まなごぢ)に袖(そで)のみ触れて寝(ね)ずかなりなむ
1393
豊国(とよくに)の企救(きく)の浜辺の真砂土(まなごぢ)の真直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ
  

【意味】
〈1389〉磯の海辺にうち寄せて何度もかえす白波が、こうして沖に帰れないのは、その磯以外の誰に対して思い悩んでいようか。
 
〈1390〉琵琶湖の波が恐ろしいからと、風の様子を気にしているうちに、いたずらに一年が過ぎてしまうのだろうか、舟を漕ぎ出すこともないまま。
 
〈1391〉朝なぎのころ寄せて来る白波を、眺めてみたいと私は思っているけれど、いっこうに風が波を寄せて来ないのですから。

〈1392〉名高の浦の細かな砂地には、袖が触れただけで、寝ることのないままになってしまうのか。

〈1393〉豊国の企救の浜辺の細かな砂地のように真っ直ぐ(平ら)な土地だったら、何を嘆くことがありましょうか。

【説明】
 1389~1391は「海に寄する」歌。1389の「磯」は、石の多い海岸。ここは女の譬え。「来寄る白波」は、男自身の譬え。「過ぎかてなくは」の「かて」は可能の助動詞、「なく」は打消の助動詞「ぬ」のク語法。男が女の家を立ち去ることができないのは、の意を寓しています。「たゆたへ」は、思い悩む意の「たゆたふ」の已然形。「誰れ」という疑問の語と呼応して反語表現となります。誰に対して思い悩んでいようか。

 1390の「近江の海」は、琵琶湖。「波恐みと」は、波が恐ろしいからと。「波」は結婚の妨げの譬え。「風守り」は、風の様子を窺い。「年はや経なむ」の「年」は一年、「む」は推量。「漕ぐとはなしに」は、漕ぐことはせずに。天候の様子をうかがって待っている舟を、これまで何もせずむなしく過ごした自分の行動に置き換え、反省の気持ちを詠んだ男の歌です。

 1391の「朝凪」は、朝のなぎ。「来寄る白波」は、相手の男の喩え。「見まく欲り」は、見たいと思って。「風こそ寄せね」の「こそ」は係助詞で、「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。下に続く「どうしようもない」などの意のことばが省略されており、来ない男を待つ女のすべなさが歌われています。

 1392~1393は「浦の砂に寄する」歌。1392の「紫の」は、高貴な色として名高い意で、地名「名高」にかかる枕詞。「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の入江。当時は深く陸地に入り込んでいたといいます。「真砂土」は、細かい砂地。「愛子(まなご:可愛い子)」を掛けており、恋の相手の女の譬え。その女が、男を近づけはするものの、共寝をしようとしないことを嘆く男の歌です。

 1393の「豊国」は、大分県と福岡県東部。「企救の浜辺」は、北九州市企救半島の海岸。ここの「真砂土」は、は相手の男の譬え。「真直にしあらば」は、まっすぐであったら、平らであったら。真面目で素直であったら、の意を寓しています。「何か嘆かむ」は、どうして嘆くことがあろう。前の男の歌に対して、同じ「真砂土」を詠みこんで歌い返した女の歌か。

巻第7-1394~1397

1394
潮(しほ)満てば入りぬる礒の草なれや見らく少(すくな)く恋ふらくの多き
1395
沖つ波(なみ)寄する荒礒(ありそ)の名告藻(なのりそ)は心のうちに疾(やまひ)となれり
1396
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦のなのりその礒に靡(なび)かむ時待つ我(わ)れを
1397
荒礒(ありそ)越す波は畏(かしこ)ししかすがに海の玉藻(たまも)の憎(にく)くはあらずて
  

【意味】
〈1394〉潮が満ちてくると海の中に隠れてしまう磯の草であるからか、目に見ることは少なく、恋しさばかりがつのる。

〈1395〉沖から打ち寄せる荒磯のなのりそは、私の心の中の痛みになっている。

〈1396〉名高の浦のなのりそが、こちらの磯に靡き寄る時を待っている、この私は。

〈1397〉荒磯を越えてやってくる波は恐ろしい。そうはいうものの、海に揺れる美しい藻は憎く思えない。

【説明】
 「藻に寄する」歌。1394の「潮満てば」は、満潮になれば。「入りぬる礒」は、海中に隠れてしまう岩。「草」は藻で、恋する女を譬えています。「草なれや」の「や」は、疑問の係助詞。「見らく」は「見る」のク語法の名詞形で、恋人に逢うことの譬え。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。相手に逢う機会が少なく、恋い焦がれてばかりいる男の嘆きの歌です。

 1395の「沖つ波寄する荒礒」の「沖つ波」は、沖の波。「荒磯」は、アライソの約で、荒々しい磯。周囲の物言いの騒がしい意を寓するか。「名告藻」は、海藻のホンダワラの古名。「な告りそ(人に告げるな)」に掛けていて、妻との関係を秘密にしていることを意味しています。「疾」は、差し障り、病気、痛み。秘密にしていることの苦しさ、また、それ故なかなか逢うことのできない辛さを歌っている男の歌です。

 1396の「紫の」は、高貴な色として名高い意で、地名「名高」にかかる枕詞。「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の入江。当時は深く陸地に入り込んでいたといいます。「なのりその礒に靡かむ」は、女が忌名を告って自分(男)に従う時を譬えています。「我れを」の「を」は詠嘆で、「よ」というのに当たります。1397の「荒礒越す波は畏し」は、周囲の状況が厳しいさま、あるいは、娘の保護者の監視の厳しさの譬え。「しかすがに」は、そうではあるが。「海の玉藻」は、女の喩え。「あらずて」は、あらずにして。

巻第7-1398~1403

1398
楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の浦の舟乗りに乗りにし心(こころ)常(つね)忘らえず
1399
百伝(ももづた)ふ八十(やそ)の島廻(しまみ)を漕(こ)ぐ舟に乗りにし心忘れかねつも
1400
島伝(しまづた)ふ足早(あばや)の小舟(をぶね)風守り年はや経(へ)なむ逢(あ)ふとはなしに
1401
水霧(みなぎ)らふ沖つ小島(こしま)に風をいたみ舟寄せかねつ心は思へど
1402
こと放(さ)けば沖ゆ放(さ)けなむ港(みなと)より辺著(へつ)かふ時に放(さ)くべきものか
1403
御幣(みぬさ)取り三輪(みわ)の祝(はふり)が斎(いは)ふ杉原(すぎはら) 薪(たきぎ)伐(こ)りほとほとしくに手斧(てをの)取らえぬ
  

【意味】
〈1398〉楽浪の志賀津の浦で舟に乗ったように、あの子が乗ってきた私の心は、いつ何時も忘れることはない。
 
〈1399〉多くの島々を巡って漕ぎ行く舟に乗るように、あの子が乗ってきた私の心は、忘れようにも忘れることができない。
 
〈1400〉島伝いに行く舟足の速い小舟、そんな舟であるのに、風向きをうかがっているうちに年をとってしまうのか、巡り逢うこともなく。

〈1401〉水煙でかすんでいる彼方の小島には、風があまりに激しいので近寄ろうにも近寄りかねている。心では思っているのだが。
 
〈1402〉同じ遠ざけるなら沖にいる時にしてほしかった。岸辺に着く頃になって遠ざけてよいものか。

〈1403〉御幣を手にとって、三輪の神職が大切に守っている杉原よ。その杉原で薪を伐って、あやうく手斧を取られてしまうところだった。

【説明】
 「舟に寄する歌」。1398の「楽浪」は、琵琶湖の西南岸一帯。「志賀津」は、志賀の港で、今の大津市。「舟乗りに」の「に」は、のごとく。男が女と結ばれたことの譬え。「乗りにし心」は、自分の心に乗り移ってしまった相手の心。深く相手を思うがゆえの表現。「常忘らえず」は、いつの時も忘れられない。かつて関係を持った女に対し、いつもお前を忘れられないでいると言い遣った男の歌です。

 1399の「百伝ふ」は「八十」の枕詞。百まで続く八十の意でかかります。「八十」は、多くの意。「島廻」は、島の周り、島の周りを廻ること。上3句は「乗り」を導く序詞。「乗りにし心」は、上の歌と同じく、自分に乗ってしまった妹の心。「忘れかねつも」は、忘れられないことよ。「かぬ」は、できない意の補助動詞。「つ」は完了の助動詞。「も」は詠嘆の助詞。多くの島々を廻り、すなわち妻を求めての遍歴のなかで、結局はお前一人が忘れられないのだと、相手の女に述懐する男の歌、あるいは、老人の若い盛りのころを回想する歌か。この歌も、琵琶湖で歌われたものと見えます。

 1400の「足速の小舟」は、速力の速い小舟。「風守り」は、風のようすを窺い時期を待って、の意。「足速の小舟」をふだんは素早く行動する男に、「風」を女の周囲にある妨げに喩えており、じれったい気持ちを歌っています。いつもは敏捷に見えるのに、もっと積極的に出てほしいと、相手の男に促す女の立場の歌でしょうか。1401の「水霧らふ」は、水が霧となり続ける、水煙が立ち続けている。「沖つ小島」は、沖にある小島。「風をいたみ」は、「・・・を・・・み」のミ語法で、風が激しいので。「小島」を女に、「舟」を男(自分)に譬え、女に逢わせまいとする親のことを歌っています。

 1402の「こと放けば」の「こと」は、同じこと、同様の意。「放けば」は、遠ざけるならば。「沖ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。ここは沖にいるうちにの意で、付き合って間もない時期の喩え。「辺著かふ時に」は、舟が岸に近づいている時に、の意で、いよいよ結婚するときになって、の喩え。「放くべきものか」の「か」は、反語。遠ざけてよいものか。結婚の直前になって破談を申し込まれて憤っている歌です。

 1403は、旋頭歌。「御幣」の「幣」は幣帛で、神に捧げる布。古くは麻や楮を用いました。「三輪」は、ここでは三輪山の麓の大神神社(おおみわじんじゃ)。「祝」は、神職の人。「斎ふ杉原」は、親が大切にしている娘の喩え。「ほとほとしく」は、危うく~しそう。大神神社には本殿がなく、拝殿奥の三輪山そのものを神としています。誰も足を踏み入れることができないにもかかわらず、その山に勝手に入り、神木を伐って叱られたと言っていますが、親の厳しい監視下にある娘を手に入れようとして、痛い目にあった男の笑い歌です。

巻第7-1404~1408

1404
鏡なす我(わ)が見し君を阿婆(あば)の野の花橘(はなたちばな)の玉に拾(ひり)ひつ
1405
秋津野(あきづの)を人の懸(か)くれば朝(あさ)撒(ま)きし君が思ほえて嘆きはやまず
1406
秋津野(あきづの)に朝ゐる雲の失(う)せゆけば昨日も今日(けふ)も亡き人(ひと)念(おも)ほゆ
1407
隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に霞(かすみ)立ちたなびく雲は妹(いも)にかもあらむ
1408
狂言(たはごと)か逆言(およづれごと)か隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に廬(いほり)すといふ
  

【意味】
〈1404〉大切な鏡のようにいつも私が見ていたあなたを、阿婆の野に火葬に付し、美しい花橘の玉としてお骨を拾いました。

〈1405〉秋津野の名を人が口にすると、あの朝、そこに散骨したあなたのことが思い起こされて嘆きはやみません。

〈1406〉吉野離宮の近くにある秋津野に朝のあいだ懸かっていた雲がなくなると、昨日も今日も亡くなった人のことが思い出されてならない。

〈1407〉泊瀬の山に霞がかかったようにたなびく雲は、いとしい妻なのであろうか。

〈1408〉狂った言葉なのか、偽りの言葉なのか、お前の妻は泊瀬の山に籠っていると人が言っている。

【説明】
 「挽歌」。1404の「鏡なす」は、鏡を見るように。「阿婆の野」は、火葬した野とみられますが、所在未詳。「花橘の玉に拾ひつ」の「に」は、~の如くで、美しい橘の花として、あなたの火葬の遺骨を拾っています、の意。1405の「秋津野」は、吉野の秋津か。「懸くれば」は、言葉に出して言うと。「朝撒きし」とあるのは、太陽が昇ろうとする朝は、死者との別れの時刻とされ、葬送は朝にするのが原則でした。1406の「朝ゐる」の「ゐる」は、じっと動かないでいること。「雲」は、火葬の煙をさします。

 1407の「隠口(こもりく)の」は「泊瀬」の枕詞。「こもりく」は、奥まった所に意とも、霊魂のこもる所の意とも言われます。「泊瀬」は、いまの奈良県桜井市初瀬。古代大和朝廷の聖地であり、葬送の地でもありました。天武天皇の時代に長谷寺が創建され、今なお信仰の地であり続けています。「雲」は、上の歌と同じ火葬の煙。1408の「狂言か逆言かの「狂言」は、狂って口走る言葉。「逆言」は、人を惑わす言葉。挽歌の慣用句で、死の知らせを聞いて耳を疑う表現。「廬す」は、仮小屋を建てて宿る意ですが、ここでは死んで葬られているということ。
 
 「死ぬ」という語は、「恋死に」や無常観の比喩表現として多く用いられた一方で、具体的に「死」と関わる挽歌においては「死」の語を用いることは忌避されました。「死ぬ」の代わりに「離(さか)る」「過ぐ」「罷(まか)る」などの語を用い、「死」を婉曲的に表現するのが挽歌の歌い方とされました。

巻第7-1409~1413

1409
秋山の黄葉(もみち)あはれとうらぶれて入りにし妹(いも)は待てど来まさず
1410
世間(よのなか)はまこと二代(ふたよ)はゆかざらし過ぎにし妹(いも)に逢はなく思へば
1411
幸(さきは)ひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹(いも)が音(こゑ)を聞く
1412
吾(わが)背子を何処(いづく)行かめとさき竹の背向(そがひ)に宿(ね)しく今し悔しも
1413
庭つ鳥(とり)鶏(かけ)の垂(た)り尾の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも
  

【意味】
〈1409〉秋の山のもみじが素晴らしいと、その山にしょんぼりと入って行った妻は、待っていても帰って来ない。

〈1410〉この世では、人の一生は本当に二度はめぐっては来ないらしい。亡くなった妻に再び会えないことを思うと。

〈1411〉何という幸いに恵まれた人か、黒髪が白髪になるまで二人とも健やかで、妻の声を聞くことができるのは。
 
〈1412〉私の夫が、どこへも行くはずはないと思って、生前につれなくして後ろを向いて寝たりして、今となっては悔しくてならない。

〈1413〉鶏の垂れた尾のように乱れていて、ゆったりした気分になど、とてもなれそうにありません。

【説明】
 「挽歌」。1409の「あはれ」は、素晴らしい、面白い。「うらぶれて」は、しょんぼりと、心しおれて。「待てど来まさず」は、思う人を待ちわびる慣用句で、「来まさず」は、女性に対しての慣用の敬語。亡くなった妻を秋山に葬った後に夫が詠んだ歌。古代、死者の霊魂が他界へ赴く道の一つとして山中の道があると考えられていたらしく、一方、秋山の黄葉に対する風流心が貴族社会に形成されてくると、秋の季節に亡くなった女は秋山の黄葉に惹かれて迷い込むのだとする発想が生まれたと言われます。柿本人麻呂の妻が死んだ後に作った「泣血哀働」歌の反歌に「秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めむ山道知らずも」(巻第2-208)とあるのは、まさにそれであるとされます。

 1410の「まこと」は、実際、本当に。「二代はゆかざらし」は、二度と来ないようだ。「ざらし」は「ざるらし」の約。「過ぎにし妹」は、世を去った妻。「逢はなく」は「逢はず」のク語法で名詞形。亡くなった妻に逢えないことを失望している夫の歌。

 1411の「幸ひのいかなる人か」は、「いかなる幸ひの人か」で、何という幸いの人か。この「か」を受けて、結句の「聞く」を連体形で結んでいます。直接に妻の死を悲しんでいるのではなく、共白髪で年老いた幸せな夫婦を羨むかたちで、亡き妻を哀惜しています。老齢にさしかかって初めてしみじみと共感できる歌であり、また、妻に先立たれた高齢男性にとっては、まことに胸の痛む歌です。幸福の価値は、失ってからでなければ分からないのかもしれません。作家の田辺聖子は、「歌のしらべとしてはごつごつとして野暮ったいが、我々はそこに真率な、りちぎな男の、埋められぬ悲哀と空虚を見る」と言い、斎藤茂吉は、結句の「声を聞く」の「聞く」だけで詠歎の響があると言っています。

 1412・1413は夫を悼む妻の歌。1412の「何処行かめと」の「め」は「む」の已然形で、反語。どこへ行こうか、行きはしまい。「さき竹の」は、割った竹は重ねてもしっくりしないところから、後ろ向きの意の「背向」にかかる枕詞。「宿しく」は、ク語法による名詞形。「今し」の「し」は、強意。夫婦が言い争った後の行為だったのでしょうか、それを思い出して悔やんでいる歌です。なお、巻第14の東歌のなかに「愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも」(3577)という似た歌があり、これについて斎藤茂吉は「巻七の方が優っている。巻七の方ならば人情も自然だが、巻十四の方はやや調子に乗ったところがある。おもうに、巻七の方はまだ個人的歌らしく、つつましいところがあるけれども、それが伝誦せられているうち民謡的に変形して巻十四の歌となったものであろう」と言っています。
 
 1413の「庭つ鳥」は、庭の鳥という意味で「鶏」の枕詞。ニワトリという呼び名はここから生じたと考えられています。当時の「鶏」は「かけ」と呼ばれており、鳴き声に由来するとされます。「垂り尾」は、尾羽。上3句が「長き」を導く譬喩式序詞。「長き心」は、気長でのんびりした気持ちと解釈する説もあります。

巻第7-1414~1417

1414
薦枕(こもまくら)相枕(あひま)きし子もあらばこそ夜(よ)の更(ふ)くらくも我(わ)が惜しみせめ
1415
玉梓(たまづさ)の妹(いも)は玉かもあしひきの清き山辺(やまへ)に撒(ま)けば散りぬる
1416
玉梓(たまづさ)の妹(いも)は花かもあしひきのこの山蔭(やまかげ)に撒(ま)けば失(う)せぬる
1417
名児(なご)の海を朝 漕(こ)ぎ来れば海中(わたなか)に鹿子(かこ)ぞ鳴くなるあはれその水手(かこ)
  

【意味】
〈1414〉薦枕で一緒に寝た妻が生きていたなら、いくら夜が更けていっても惜しみはしないだろうに。

〈1415〉愛しいあの妻は玉だからなのか、この清々しい山辺に撒いたら、散ってなくなってしまうのは。

〈1416〉愛しいあの妻は花だったのか、この山陰に撒いたら幻のように消えてしまうのは。

〈1417〉朝、名児の海を漕いでやってきたら、海のまっただ中で鹿の鳴き声がする。あの愛らしい鹿よ。

【説明】
 1414~1416は「挽歌」。1414の「薦枕」は、薦で作った枕。「相枕きし子」は、共寝をした妻、の意。「枕く」は、枕にする意の動詞。「あらばこそ」は、生きているのならば。「更くらく」は「更くる」のク語法で名詞形。妻が死んだ後の夜の長さ、夜明けの待ち遠しさ、つまり一人寝の空しさを嘆く男の歌です。

 1415の「玉梓の」は「妹」の枕詞。ふつうは手紙を運ぶ「使ひ」にかかりますが、ここでは「恋文(たまずさ)」を贈る相手である「妹」にかけたとみられます。「妹は玉かも」は、遺骨となった妻を玉に譬えたもの。「撒けば」は、散骨すると、の意。男にとって妻がどれほど大切な人であったかが、言葉そのものから伝わってきます。1416は「或る本の歌に曰く」とある歌。妻の遺骨を花に見立てています。焼かれ砕けた骨片は、大小さまざまの白い花や花びらに見立てられるにふさわしいと言えます。

 1417は「羈旅の歌」で、巻末に追補された歌とみられます。「名児の海」は、大阪市住吉区にある住吉神社の北方の海。「鹿子」は、鹿の愛称。「あはれその水手」は、ああ、その水手よ。「鹿子」から連想される「水手(かこ)」を哀れんでいます。航海中に亡くなった水夫を水葬したか、あるいは無人島に遺骸を遺棄してきた船人の歌とする見方がある一方、岸近くを漕いでいる船の中にいて、岸でなく鹿の声を聞いた感の歌とするものもあります。

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

万葉の植物

アセビ
ツツジ科の常緑低木。早春にスズラン状の小さなつぼみをつけて花が咲き、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。有毒植物であり、馬が誤って食べると苦しがって、酔っぱらったような動きをするというので「馬酔木」と書きます。

ウメ
バラ科の落葉低木。中国原産で、遣唐使によって 日本に持ち込まれたと考えられています(弥生時代に渡ってきたとの説も)。当時のウメは白梅だったとされ、『万葉集』では萩に次いで多い119首が詠まれています。雪や鶯(うぐいす)と一緒に詠まれた歌が目立ちます。

オミナエシ
秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。

サクラ
日本の国花のサクラはバラ科の落葉高木で、多くの品種があります。名前の由来は、花が「咲く」からきたとされていましたが、「サ」は稲の神様で、「クラ」は居る所という説も唱えられています。稲の神様が田植えが始まるまで居るところがサクラで、サナエは稲の苗、サミダレは稲を植えるころに降る雨のことをいう、とされます。
なお、『万葉集』で詠まれている桜の種類は「山桜」です。「ソメイヨシノ」は江戸末期に染井村(東京)の植木屋によって作り出された品種で、葉が出る前に花が咲き、華やかに見えることからたちまち全国に植えられ、今の桜の名所の主役となっています。

タチバナ
古くから野生していた日本固有の柑橘の常緑小高木。『古事記』『日本書紀』には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。

チガヤ
イネ科の草で、日当たりのよい場所に群生します。細い葉を一面に立て、白い穂を出します。新芽には糖分が豊富に含まれており、昔は食用にされていました。 チガヤの「チ」は千を表し、多く群がって生える様子から、千なる茅(カヤ)の意味で名付けられた名です。

フジ
マメ科のつる性落葉低木で、日本の固有種。 4月下旬から5月上旬に長い穂のような花序を垂れ下げて咲き、藤棚が観光・鑑賞用として好まれます。フジの名前の由来には定説はないものの、風が吹く度に花が散るので「吹き散る」の意であるともいわれます。

モミジ
「もみじ」は具体的な木の名前ではなく、赤や黄色に紅葉する植物を「もみじ」と呼んでいます。現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』では殆どの場合「黄葉」となっています。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられています。さらに「もみじ」ではなく「もみち」と濁らずに発音していたようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。

ヤブカンゾウ
中国北部が原産のススキノキ科の多年草で、初夏から夏にかけて濃いオレンジ色の花を咲かせます。ユリの花に似ており、以前はユリ科に分類されていましたが、DNA解析によって変更されました。結実はせず根で増えていくので、多く群生が見られます。古くから愛され、『万葉集』では「忘れ草」の名で登場します。

和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

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