巻第7-1185~1186ほか
1185 朝なぎに真楫(まかぢ)漕(こ)ぎ出(で)て見つつ来(こ)し御津(みつ)の松原(まつばら)波越(なみご)しに見ゆ 1186 あさりする海人娘子(あまをとめ)らが袖(そで)通(とほ)り濡(ぬ)れにし衣(ころも)干(ほ)せど乾(かわ)かず 1188 山越えて遠津(とほつ)の浜の岩つつじ我(わ)が来るまでにふふみてあり待て 1189 大海(おほうみ)に嵐(あらし)な吹きそしなが鳥(どり)猪名(ゐな)の港(みなと)に舟(ふね)泊(は)つるまで |
【意味】
〈1185〉朝なぎの海に、左右の櫂を貫いて舟を漕ぎ出し、御津の松原を見つつやってきたが、次第に遠ざかり、今は波越しに見えるようになった。
〈1186〉藻を刈っている海人の娘らの、袖を通してぐしょ濡れになった衣は、干してもなかなか乾かない。
〈1188〉山を越えて遠く行く遠津の浜の岩つつじよ、私が再びここに帰って来るまで、つぼみのまま待っていてくれ。
〈1189〉大海に嵐よ吹くな、猪名の港にわれらの舟が着くまで。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1185の「真楫」の「真」は美称で、船の両舷に付ける櫂。「御津」は、難波津を尊んでの称。「御津の松原」は、発着する船にとって目じるしになるもので、喜びや悲しみを誘う対象物だったとみえます。1186の「あさり」は、ここでは藻や貝をとること。海辺の漁師は海人(あま)とよばれ、元来、一族で集団的な力を持っていて、大和朝廷がわの人間からは、かなり特異な目で見られていました。ここでは、海辺を旅する京の人が、衣を濡らしている海人の娘らの光景を珍しく思って歌っています。
1188の「山越えて」は、遠いの意で「遠」にかかる枕詞。「遠津の浜」は、所在未詳。「岩つつじ」は、岩に間に咲いているつつじ。「ふふみて」は、つぼみのままで。公務を帯びて旅する京の官人が、帰路で再び遠津の浜を通る時のことを思って歌っています。1189の「な吹きそ」の「な~そ」は、禁止。「しなが鳥」は、カイツブリの古名。雌雄相伴うことから「率(い)る」と同音の「猪名」に掛かる枕詞。「猪名の港」は、猪名川の河口、尼崎市の長洲あたり。海上にあって、港に着くまでの平穏を祈っています。
巻第7-1190~1193
1190 舟(ふね)泊(は)ててかし振り立てて廬(いほ)りせむ名児江(なごえ)の浜辺(はまへ)過ぎかてぬかも 1191 妹(いも)が門(かど)出入(いでいり)の川の瀬を早(はや)み我(あ)が馬(うま)つまづく家(いへ)思ふらしも 1192 白栲(しろたへ)ににほふ真土(まつち)の山川(やまがは)にわが馬なづむ家(いへ)恋ふらしも 1193 背(せ)の山に直(ただ)に向(むか)へる妹(いも)の山(やま)事(こと)許せやも打橋(うちはし)渡す |
【意味】
〈1190〉舟を泊め、かしを振り立てて繋ぎ、ここで旅の宿りをしよう。この名児江の浜辺をこのまま通り過ぎるはできないことだ。
〈1191〉妻が門を出入りするという、その入(いり)の川の瀬が早くて、私の乗っている馬がつまずいた。家の妻が私のことを思っているのだろう。
〈1192〉白く映える真土の山川の険しさに、私の馬は行き悩んでいる、家の妻が私を恋しがっているらしい。
〈1193〉背の山に向かい立つ妹の山は、背の山の求婚を承諾したのだろうか。隔てる川に打橋が渡してある。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1190の「かし」は、船を繋ぎとめる棒杭。「廬り」は、旅の宿り。「名児江の浜」は、住吉の名児か。「過ぎかてぬかも」は、通り過ぎはできないことよ。1191の「妹が門出」は、出入りする意で「入」に続け、地名の「入の川」を導く序詞。「入の川」は、所在未詳。「瀬を早み」は、瀬が早いので。家の妻が旅先の夫を案じると、その心が通って、夫の乗馬が躓き、あるいは行き悩むということは、当時の信仰であったとみえ、それに触れている歌が少なくありません。1192の「白妙に」は、白色に。「にほふ」は、艶を発している意。「真土の山川」の真土山は、大和と紀伊の国境にある山。「山川」は、山の川の意で、今の落合川。
1193の「背の山」は、和歌山県伊都郡かつらぎ町の西端にあり、大化の改新の詔によって畿内国の南限と定められた山。「妹の山」は、古くは名のない山で、紀の川の南岸の「背山」に向き合う山として名付けられたといいます。この「背の山」または「妹の山」は『万葉集』に15首も詠まれており、当時の旅人は、紀伊の国の睦まじい2つの山を見て郷愁に駆られたようです。「直に向へる」は、直接に向かい合っている。「事許す」は、求婚を承諾する意。「打橋」は、板を架け渡しただけの仮の橋、あるいは2つの山の中間の、紀の川の川中島である船岡山のことと解するものもあります。
巻第7-1196~1198
1196 つともがと乞(こ)はば取らせむ貝(かひ)拾(ひり)ふ我(わ)れを濡(ぬ)らすな沖つ白波(しらなみ) 1197 手に取るがからに忘ると海人(あま)の言ひし恋(こひ)忘れ貝(がひ)言(こと)にしありけり 1198 あさりすと礒(いそ)に棲(す)む鶴(たづ)明けされば浜風(はまかぜ)寒(さむ)み己妻(おのづま)呼ぶも |
【意味】
〈1196〉お土産はと乞われたら渡そうと思って貝を拾っている。その私を濡らさないでおくれ、沖から寄せてくる白波よ。
〈1197〉手に取っただけで物思いを忘れられると海人の言った恋忘れ貝は、言葉だけにすぎなかった。
〈1198〉餌を求めて磯に棲み着いている鶴も、明け方になると浜風が寒いのか、自分の妻を呼んで鳴いている。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1196の「つともがと」の「つと」は、お土産、「もが」は、願望の助詞。「乞はば」は、乞うたならば。「取らせむ」は、渡そう。海岸にある美しい小石や貝が家に残る妻への土産となったのは、それらに海の霊威が宿るものと信じられていたためとされ、また、旅先で妻のために石や貝を拾うというのは、当時の官人にとって理想的な楽しさだったようです。
1197の「からに」は、ことによって、するとすぐに、の意の接続助詞。「言にしあり」は、言葉でいうだけで実がない意。実際に恋を忘れさせてくれる力のない貝だった、ということ。1198の「明けされば」は、明け方になると。「寒み」は、寒いので。「己妻」は原文「自妻」で、熟語として用例が見られるもの。「も」は、詠嘆。
巻第7-1199~1202
1199 藻刈(もか)り舟沖漕(こ)ぎ来(く)らし妹(いも)が島(しま)形見(かたみ)の浦に鶴(たづ)翔(かけ)る見ゆ 1200 我(わ)が舟は沖ゆな離(さか)り迎(むか)へ舟(ぶね)片待ちがてり浦ゆ漕(こ)ぎ逢はむ 1201 大海(おほうみ)の水底(みなそこ)響(とよ)み立つ波の寄らむと思へる礒(いそ)のさやけさ 1202 荒磯(ありそ)ゆもまして思へか玉の浦の離れ小島(こじま)の夢(いめ)にし見ゆる |
【意味】
〈1199〉沖の方から藻を刈り取る海人の舟がやってくるようだ。妹が島の形見浦に鶴が飛び交っているのが見える。
〈1200〉我が舟よ、沖に方に離れないでおくれ。迎えの舟を待って、浦を漕いで行き逢おう。
〈1201〉大海の水底までもとどろかせて立つ高波が寄ろうとしている、この磯の何たるすがすがしさよ。
〈1202〉荒磯の景色よりも勝っていると思うからか、玉の浦の離れ小島が夢に見えることだ。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1199の「妹が島」は、和歌山市加太町の沖にある今の友島か。「形見の浦」は、所在未詳。1200の「沖ゆ」は、沖を通過して。「な離り」の「な」は、禁止。「片待つ」は、ひたすら待つ。「がてり」は、しながら、がてら。「浦ゆ」は、浦を通過して。1201の「水底響み」は、水底までとどろかせて。1202は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町あたりの歌。「荒磯ゆも」の「荒磯」は岩石が現れた海岸、「ゆも」は比較、よりも。「玉の浦」は、所在未詳。「夢にし見ゆる」の「し」は強意。
巻第7-1203~1207
1203 礒(いそ)の上(うへ)に爪木(つまき)折り焚(た)き汝(な)がためと我(わ)が潜(かづ)き来(こ)し沖つ白玉(しらたま) 1204 浜清み礒(いそ)に我(わ)が居(を)れば見む人は海人(あま)とか見らむ釣りもせなくに 1205 沖つ楫(かぢ)やくやくしぶを見まく欲(ほ)り我(わ)がする里の隠(かく)らく惜しも 1206 沖つ波(なみ)辺(へ)つ藻(も)巻き持ち寄せ来(く)とも君にまされる玉寄せめやも〈一に云ふ 沖つ波 辺波(へなみ)しくしく寄せ来(く)とも〉 1207 粟島(あはしま)に漕ぎ渡らむと思へども明石(あかし)の門波(となみ)いまだ騒(さわ)けり |
【意味】
〈1203〉磯の上で、冷えた体を小枝を折って焚いて暖めて、おまえに渡そうと、私が海に潜って取ってきた、これが海底の真珠だよ。
〈1204〉浜が清らかなので、それを愛でて一人で磯に立っていると、見る人は私のことを海人と思うだろうか。釣りなどしていないのに。
〈1205〉沖を漕ぐ舟の櫂が鈍くなってきたけれども、私がいつまでも見たいと思っている里は遠ざかり、波間に隠れてしまうのが残念だ。
〈1206〉沖の波が岸辺の藻を巻きこんで寄せて来ようとも、あなた以上にすばらしい玉の寄せることがありましょうか。(沖の波や岸辺の波がしきりに寄せて来ようとも)
〈1207〉粟島に漕ぎ渡ろうと思っているが、明石の海峡の波はまだ騒いでいる。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1203の「爪木」は、たきぎにするための小枝。「白玉」は、真珠。旅から帰宅した夫が、妻への真珠の贈り物に添えた歌とみえます。1204の「浜清み」は、浜が清いので。1205の「やくやくしぶを」の原文は「漸々志夫乎」で、ようやく鈍ってきたのに、の意とする説が有力。海近い里に住む官人が船で出立したときの歌とみえます。
1206はの「辺つ藻」は、海辺寄りに生えている藻。「巻き持ち」は、巻き込んで。「一に云ふ」の「しくしく」は、しきりに。土地の遊行女婦あたりが官人に対して詠んだ歌か。1207の「粟島」は、明石周辺または淡路島の西にあった島とされますが、現在、それに該当する島は海上に見当たりません。「門波」は、海峡の荒い波。
巻第7-1208~1212
1208 妹(いも)に恋ひ我(あ)が越え行けば背(せ)の山の妹に恋ひずてあるが羨(とも)しさ 1209 人ならば母の最愛子(まなご)ぞ麻(あさ)もよし紀(き)の川の辺(へ)の妹(いも)と背(せ)の山 1210 我妹子(わぎもこ)に我(わ)が恋ひ行けば羨(とも)しくも並び居(を)るかも妹(いも)と背(せ)の山 1211 妹(いも)があたり今ぞ我(わ)が行く目のみだに我(わ)れに見えこそ言(こと)問はずとも 1212 足代(あて)過ぎて糸鹿(いとか)の山の桜花(さくらばな)散らずもあらなむ帰り来るまで |
【意味】
〈1208〉妻を恋しく思いつつ山を越えて行くが、背の山は、妹の山と並んで、恋い焦がれることもなく立っているのが羨ましい。
〈1209〉もし人であったなら、母の最愛の子である。紀の川のほとりに立っている妹と兄の山は。
〈1210〉妻のことを恋しい思いで旅路を行くと、羨ましくも一緒に並んでいる、妹の山と背の山は。
〈1211〉妻の家の近くを今まさに過ぎて行こうとしている。せめて顔だけでも見せてほしい、言葉は交わさなくとも。
〈1212〉足代(あて)を過ぎてさしかかった糸鹿(いとか)の山の桜花よ、帰って来るまで散らずにいておくれ。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1208~1210にある「背の山」と「妹(の山)」は、大和国から紀伊国へ向かう要路、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある山で、紀の川を挟んで北岸に「背の山」、南岸に「妹の山」が並んでいます。川を堰き止めような地形になっており、南海道を往来する人々の目標となる山でした。当時の行程では、飛鳥からここまで2日、奈良からは3日かかりましたから、ここを通る京の旅人の多くは、二つの山の名に、旅愁、妻恋しさを感じたようです。ここを詠んだ歌は『万葉集』中14首あります。
1208の「妹」は、京にいる妻。「恋ひずて」は、恋いずして。1209の「麻もよし」は、麻を紀伊の特産とするところから「紀」の枕詞。作者は妹の山と背の山を見て、夫婦ではなく、若い兄妹を連想しています。窪田空穂は、「親の子に対する歌は比較的少ないので、その意味で特色のあるものである。美しく明るく、奈良京の人の歌とみえる。愛する子どもをもっており、心に懸かっているところからの連想であろう」と言っています。1210の「我が恋ひ行けば」は、恋しく思ってそちらへ向かって行けば。「羨しく」は、うらやましく。
1211の「目のみだに」は、せめて顔だけでも。「見えこそ」の「こそ」は、願望。「言問はずとも」は、物を言わなくても。急な旅立ちで、妻に告げる暇がなかったのでしょうか。1212の「足代」は、有田市・有田郡。「糸鹿の山」は、有田市糸我町の南にある山。「散らずもあらなむ」の「なむ」は、願望の助詞。大和より逸早く咲く熊野路の峠の桜への感動と愛惜の思いをうたっています。山桜は葉と花とが同時に開きますが、今も、3月下旬ごろには、糸我峠の付近は、あちらこちらに山桜の開花が見られます。
巻第7-1213~1217
1213 名草山(なぐさやま)言(こと)にしありけり我(あ)が恋ふる千重(ちへ)の一重(ひとへ)も慰(なぐさ)めなくに 1214 安太(あだ)へ行く小為手(をすて)の山の真木(まき)の葉も久しく見ねば蘿(こけ)生(む)しにけり 1215 玉津島(たまつしま)よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問(と)はばいかに 1216 潮(しほ)満(み)たばいかにせむとか海神(わたつみ)の神が手(て)渡る海人娘子(あまをとめ)ども 1217 玉津島(たまつしま)見てし良(よ)けくも我(わ)れはなし都に行きて恋ひまく思へば |
【意味】
〈1213〉名草山はただ名前だけの山だったよ。私の恋心の、幾重にも積もったその一つでさえも慰めてくれないのだから。
〈1214〉安太に通じる小為手の山の立派な杉や檜も、久しく見ないうちに苔生していた。
〈1215〉玉津島の景色をよくご覧になっていらっしゃいませ。奈良のお家の方から様子を尋ねられたら、どうお答えになりますか。
〈1216〉潮が満ちて来たらば、どうするつもりなのだろうか。海神の手の上で行動している海人の娘たちは。
〈1217〉玉津島を見ても、よいことは私にはない。都に帰ったら、ここを恋しくなるだろうと思うと。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1213の「名草山」は、和歌山市の紀三井寺がある山。紀ノ川の南岸に沿って東西に延びる龍門山系の西端に位置する標高229mの山で、山頂からは『万葉集』に詠まれた「和歌の浦」「玉津島山」「雑賀崎」が眺望できます。「言にしあり」は、名だけのことで実が伴わない。「けり」は、詠嘆。名草山の名を聞くだけで、逆にますます恋の苦しみが増してくる、と言っており、神亀元年(724年)10月の聖武天皇の和歌の浦行幸に従駕した官人の歌と見られます。実のところは、優しく穏やかな名草山の佇まいに心惹かれ、旅愁を慰められたらしく、歌の内容に反して、明るく軽やかな調子で詠まれています。
和歌の浦は、和歌山市の南西部にある景勝地で、住吉・紀ノ川が流入し、干潟や片男波の砂州を形成、妹背山、鏡山、奠供山、雲蓋山、妙見山、船頭山の「玉津島山」と称された島々が海に浮かんでいました。和歌の浦の北には、玉津島神社、紀州東照宮、和歌浦天満宮などの吉社があります。この時の行幸では、聖武天皇は13日間も滞在し、従駕した山部赤人は、和歌の浦の名歌を残しています(巻第6-917~919)。
1214の「安太」は、1212の「足代」と同じ地か。「小為手の山」は、所在未詳。「真木」は、杉・檜などの立派な木。1215の「玉津島」は、和歌山市和歌浦、玉津島神社の背後の山。「あをによし」は「奈良」の枕詞。「いませ」は「行く」の尊敬語「います」の命令形。土地の人が旅行者に呼びかけているような歌です。
1216の「いかにせむとか」は、どうしようとするだろうか。「海神」は、海の神。海を見馴れていない都の人が、海人の娘たちが干潮時にの沖の岩礁で漁りをしているのを眺め、海の怖ろしさから岩礁を海神の手と見て、もし満潮となってきたならばどうするだろうと心配している歌。なお、「海神が手渡る」の「手」は「戸」の誤字だとして、「海の神の海峡を渡る」と解する説もあります。「海神(わたつみ)」は、わた・つ・みの3語からなり、「わた」は渡る意で、古来、海の彼方は他界と考えられており、「つ」は「天つ空」と同様「の」、「み」は「祇(み)」で神霊を意味します。『万葉集』では「海の神」または「海」そのものの意味に使い分けられています。
1217の「見てし」の「し」は、強意。「良けく」は「良し」のク語法で名詞形。「恋ひまく」は「恋ひむ」のク語法で名詞形。
巻第7-1223~1226
1223 海(わた)の底(そこ)沖(おき)漕ぐ舟を辺(へ)に寄せむ風も吹かぬか波立てずして 1224 大葉山(おほばやま)霞(かすみ)たなびきさ夜(よ)更(ふ)けて我(わ)が舟(ふね)泊(は)てむ泊(とま)り知らずも 1225 さ夜(よ)更(ふ)けて夜中(よなか)の方(かた)におほほしく呼びし舟人(ふなびと)泊(は)てにけむかも 1226 三輪(みわ)の崎(さき)荒磯(ありそ)も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避(よ)き道(ぢ)はなしに |
【意味】
〈1223〉沖を漕いでいるわが舟を、岸に向けて吹き寄せる風が吹いてくれないだろうか、波は立てないで。
〈1224〉大葉山に霞がかかり、夜も更けてきたというのに、われらの舟を泊める港が分からない。
〈1225〉夜が更けてきて夜中近くに、聞き取れないような声で呼び合っていた舟人たちは、どこかよい所に舟を泊めただろうか。
〈1226〉三輪崎は、荒磯も隠れて見えないほどに波が高くなってきた。どこを通って行けばよいのか、避けて行く道はないのに。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1223の「海の底」は「沖」の枕詞。1224の「大葉山」は、紀伊国の山とされますが、所在未詳。海に近く、航海の目標になった山と見られます。近江国の説もあります。「さ夜」の「さ」は、接頭語。この歌と同じ歌が、巻第9-1732に碁師の歌として載っています。1225の「夜中の方に」は、夜中近くになって。地名とする説も。「おほほしく」は、はっきりしない。「呼びし舟人」を、助けを求めている舟人だとして、その声が聞こえなくなって、どうしたのだろう、無事に泊めることができたのだろうかと心配している歌とも解せます。
1226の「三輪の崎」は、和歌山県新宮市三輪崎か。窪田空穂はこの歌について、「海辺生活の実際に即したもので、文芸性を念としたものではない。しかし一首の歌としての感の上からいうと、文芸性を志した歌よりもかえって感の強いものがある。ここにわが和歌の性格の一面がある」と述べており、1225の歌もその例だと言っています。
巻第7-1227~1231
1227 礒に立ち沖辺(おきへ)を見れば藻(め)刈り舟 海人(あま)漕ぎ出らし鴨(かも)翔(かけ)る見ゆ 1228 風早(かざはや)の三穂(みほ)の浦廻(うらみ)を漕ぐ舟の舟人(ふなびと)騒(さわ)く波立つらしも 1229 我(わ)が舟は明石の水門(みと)に漕ぎ泊(は)てむ沖辺(おきへ)な離(さか)りさ夜(よ)更けにけり 1230 ちはやぶる金(かね)の岬を過ぐれどもわれは忘れじ志賀(しか)の皇神(すめかみ) 1231 天霧(あまぎ)らひ日方(ひかた)吹くらし水茎(みづくき)の岡(をか)の水門(みなと)に波立ちわたる |
【意味】
〈1227〉磯に立って沖を見れば、海藻を刈り取る舟を海人が漕ぎ出したらしい。それに驚いて鶴が空高く飛ぶのが見える。
〈1228〉風の激しい三穂の浦あたりを漕いでいる舟の舟人たちが騒ぎ立てている。波が立ち始めたのだろうか。
〈1229〉この舟は明石の水門に停泊しよう。沖の方へ漕ぎ離れるなよ、夜はもう更けた。
〈1230〉神威の強い金の岬を無事に過ぎて行こうとも、私は忘れまい、志賀島の神様のおかげであることを。
〈1231〉空一面に霧がかかってきて、東風が吹いているのか、岡の港に波が押し寄せてきた。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1227の「藻(め)」は、昆布とする説、若布(わかめ)とする説があります。1228の「三穂の浦廻」は、和歌山県日高郡美浜町三尾付近の海岸。1229の「明石の水門」は、明石市明石川河口の船着場。「ミト」は「ミナト」と同じ。「な離り」の「な」は禁止で、船頭に命じている形になっています。なお、この歌とそっくりで地名だけ異なる歌が巻第3-274にあります。「高市連黒人の覊旅の歌」のうちの一首で、こちらは琵琶湖西岸の比良の港。高市黒人の歌の方が先に作られたもので、この有名な歌人の旅の歌が、後の人々に愛誦され、地名だけ入れ替えた替え歌を生ませたものと考えられています。
1230の「ちはやぶる」は、神意を強く表す意で枕詞に使われますが、ここは枕詞ではなく、「金の岬」の状態を表現したもの。「金の岬」は、福岡県宗像郡鐘の岬で、玄界灘に面しています。「志賀」は、福岡市東区志賀島。「皇神」は、尊い神で、そこに祀ってある海神社の三座の神。1231の「天霧らひ」は、空一面に霧がかかって。「日方」は、日の方から吹く風で、東南風とされますが、異説もあります。「水茎の」は、瑞々しい茎が生えている意で「岡」の枕詞。「岡の水門」は、福岡県の遠賀川河口の港。良港で、古代から機械船ができる前まで要港として栄えたといいます。
巻第7-1232~1236
1232 大海(おほうみ)の波は畏(かしこ)ししかれども神を斎(いは)ひて舟出(ふなで)せばいかに 1233 娘子(をとめ)らが織(お)る機(はた)の上を真櫛(まぐし)もち掻上(かか)げ栲島(たくしま)波の間(ま)ゆ見ゆ 1234 潮(しほ)早み磯廻(いそみ)に居(を)れば潜(かづ)きする海人(あま)とや見らむ旅行く我(わ)れを 1235 波高しいかに楫(かぢ)取り水鳥(みづどり)の浮き寝やすべきなほや漕(こ)ぐべき 1236 夢(いめ)のみに継ぎてし見ゆる小竹島(しのしま)の磯(いそ)越す波のしくしく思ほゆ |
【意味】
〈1232〉大海の荒波に遭遇するのは恐ろしいけれど、海の神を祭って無事をお祈りをして舟出したらどうだろう。
〈1233〉乙女たちが機を織るときに、立派な櫛で上糸をくしけずってたくしあげる、それを名とした栲島(たくしま)が波の間に見える。
〈1234〉潮が速いので、磯辺にいると、人々は水に潜る海人と見るだろうか、この旅行く私を。
〈1235〉波が高いな、おいどうだい船頭さん、しばらく水鳥のように波に身を任せて浮き寝をしようか、それとももっと漕ぎ続けようか。
〈1236〉夢ばかりに続いて現れてくるあの人、小竹島の磯を越えてくる白い波が、しきりに思われます。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1232の「畏し」は、恐ろしい。「神を斎ひて」は、神を祭って無事を祈って。船出に際し、船頭などに語りかけた言葉なのでしょう。1233の「真櫛」の「真」は、接頭語。「娘子らが~掻上げ」までが、「掻上げ」の語を変えた「たくし上げる」意で「たく」につなげ、「栲島」を導く序詞としたもの。「栲島」は所在未詳ながら、松江市の大根島であるとの説があります。大根島は、中海に浮かぶ小さな火山島です。「波の間ゆ」は、波間を通して。
1234の「潮早み」は、潮が速いので。「磯廻」は、入江。「潜きする」は、水中に潜って魚介などをとること。1235の「いかに」は、舵取り(船頭)にいかにせんと問いかけた言葉。「水鳥の」は「浮き寝」の枕詞。「浮き寝」は、水上に浮かんで寝ること。「や」は、疑問。「なほ」は、さらに、もっと。1236の「小竹島」は、愛知県の知多半島先端にある篠島。「しくしく」は、しきりに。重なる意の動詞「しく」を二つ重ねたもの。「思ほゆ」は、思われる。
巻第7-1237~1241
1237 静(しづ)けくも岸には波は寄せけるかこれの屋(や)通し聞きつつ居(を)れば 1238 高島(たかしま)の安曇(あど)白波(しらなみ)は騒(さわ)けども我(わ)れは家思ふ廬(いほ)り悲しみ 1239 大海(おほうみ)の礒(いそ)もと揺(ゆす)り立つ波の寄せむと思へる浜の清(きよ)けく 1240 玉櫛笥(たまくしげ)見諸戸山(みもろとやま)を行きしかば面白くしていにしへ思ほゆ 1241 ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)を朝越えて山下(やました)露(つゆ)に濡(ぬ)れにけるかも |
【意味】
〈1237〉実に静かに波は寄せているものだ。この旅宿の部屋の壁越しに外の音を聞いていると。
〈1238〉高島の安曇川の白波が騒がしいけれども、私はただ家のことばかりを思っている、旅寝の床が悲しくて。
〈1239〉大海の岩礁の根元を揺り動かさんばかりに波が打ち寄せる浜の、何と美しいこと。
〈1240〉御室処山(みむろとやま)を行けば、神秘的であり、はるか神代のことが思われる。
〈1241〉黒髪山を朝越えして、山かげに落ちてくる露にしとどに濡れてしまったよ。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1237の「静けくも」は、実に静かに。「寄せけるか」の「か」は、詠嘆。「これの屋通し」は、この旅宿の部屋の壁越しに。危険の多い旅をしながら、夕刻になって陸地に上がり、夜のしじまの中で、岸を打つ浪音に耳を傾けています。前後が近江国の歌なので、琵琶湖で詠んだ歌とされます。1238の「高島の安曇」は、滋賀県高島市の安曇川。「廬り」は、旅人が夜寝るために設ける仮小屋。「悲しみ」は、悲しいので。
1239の「磯もと」は、磯の岩礁の根元。「清けく」は、形容詞「清し」のク語法で名詞形。1240の「玉櫛笥」は「見」の枕詞。「見諸戸山」は、奈良県桜井市の南東にそびえる三輪山とされます。「面白くして」は、感興の深い意。「思ほゆ」は、思われる。1241の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「黒髪山」は、奈良市黒髪佐保山にある小山。「山下露」は、山の木の下露。
巻第7-1242~1246
1242 あしひきの山行き暮(ぐ)らし宿(やど)借らば妹(いも)立ち待ちて宿貸さむかも 1243 見わたせば近き里廻(さとみ)をた廻(もとほ)り今ぞ我(わ)が来る領巾(ひれ)振りし野に 1244 娘子(をとめ)らが放(はな)りの髪を由布(ゆふ)の山(やま)雲なたなびき家のあたり見む 1245 志賀(しか)の海人(あま)の釣舟(つりぶね)の綱(つな)堪(あ)へなくに心に思ひて出(い)でて来にけり 1246 志賀の海人の塩焼く煙(けぶり)風をいたみ立ちは上らず山にたなびく |
【意味】
〈1242〉山路を一日歩き暮らし、宿を借りようとしたら、若く美しい娘が門に立って待っていて、宿を貸してくれるだろうか。
〈1243〉見渡せば間近に見える里のあたりなのに、ぐるりと回ってやっとたどり着いた。出かける時に彼女が領巾を振って別れを惜しんでくれた野辺に。
〈1244〉乙女たちが解き放った髪を結うという、その名の由布の山に、雲よたなびかないでくれ。我が家のあたりを見ていたいから。
〈1245〉志賀の漁師の釣り舟を引き留める綱が荒波に耐えられないほどに、別れに堪え難く思いながら家を出てきてしまった。
〈1246〉志賀の漁師が藻塩を焼く煙が、風が激しく吹くので、上にのぼらず山の方へたなびいている。
【説明】
「覊旅(旅情を詠む)」歌。1242の「あしひきの」は「山」の枕詞。「妹」は、妻や恋人の意ながら、ここでは宿の未知の女。「かも」は、疑問。空想している歌ですが、山中に仙女が住んでいて、人界の男と結婚するという当時の神仙思想が影響していると見られます。1243の「た廻り」の「た」は接頭語、「廻り」は、回り道をして、行ったり来たりして。「領巾」は、女性が襟から肩にかけた細長い白布。
1244の「放りの髪」は、童女の、髪を垂らした髪型。上2句は、その髪を結うと続けて「由布」を導く序詞。「由布の山」は、大分県の由布岳。「雲なたなびき」の「な」は、禁止。1245の「志賀」は、博多湾に浮かぶ志賀島。現在は砂州で陸続きになっています。上2句は「堪へなくに」を導く序詞。「堪へなく」は「堪へず」の名詞形。1246の「風をいたみ」は、風がひどいので。「塩焼く」は、塩をとるために海藻を焼く。志賀は、製塩で有名だったといいます。
巻第7-1251~1255
1251 佐保川(さほがは)に鳴くなる千鳥(ちどり)何しかも川原(かはら)を偲(しの)ひいや川(かは)上(のぼ)る 1252 人こそばおほにも言はめ我(わ)がここだ偲(しの)ふ川原を標(しめ)結(ゆ)ふなゆめ 1253 楽浪(ささなみ)の志賀津(しがつ)の海人(あま)は我(あ)れなしに潜(かづ)きはなせそ波立たずとも 1254 大船(おほふね)に楫(かぢ)しもあらなむ君なしに潜(かづ)きせめやも波立たずとも 1255 月草(つきくさ)に衣(ころも)ぞ染(そ)むる君がため斑(まだら)の衣(ころも)摺(す)らむと思ひて |
【意味】
〈1251〉佐保川で鳴いている千鳥、いったいなぜそんなに川原を慕って、ますます上流に上っていくのでしょう。
〈1252〉他人は何でもない川原のように言うけれど、私がこんなにも恋い慕っている川原なのです。標など結って入れないようには決してしないでください。
〈1253〉楽浪の志賀津の海人よ、私が一緒にいないときは水に潜るなよ。たとえ波が立たずに穏やかであっても。
〈1254〉大船に櫂が添っていれば、あなたがいない時に水に潜るものですか。たとえ波が立たなくても。
〈1255〉露草で衣を摺り染めにしている。あの方のため、斑模様の美しい着物に仕立てようと思って。
【説明】
1251から1267までは「右の十七首、古歌集に出づ」とあり、1251と1252は「鳥を詠む」問答歌。実は恋の歌であり、人に憚るところがあるためか、男を千鳥に、女を川原に譬えて表現しています。1251の「佐保川」は、奈良市・大和郡山市を流れる川。「何しかも」は、どうして~なのか。「いや」は、ますます。1252の「おほに」は、おおよそに、いい加減に。「ここだ」は、こんなにも甚だしく。「標結ふ」は、自分の領分であることを示すため、標識として杭を打ち縄を張ることで、それがある物は犯すことができないものでした。「ゆめ」は、決して。川原である女が、千鳥である男の気持ちを訝るのに対し、千鳥である男は、自分の強い気持ちを訴え、標を結うようなことは決してしないでくれと言っています。
1253と1254は「海人を詠む」とあり、小舟で漁をする海人と、その安全を気遣う人との問答歌。さまざまに解釈されるところですが、1253では「海人」を女に喩え、勝手なふるまいをしてはならないという男の意が込められ、1254では、女が「楫」を男に譬え、夫婦同棲を望んでいる歌としました。1253の「楽浪」は、琵琶湖の西岸一帯。「志賀津」は、大津市の港。「潜」は、水に潜って魚介などをとること。「なせそ」は、禁止。1254の「あらなむ」の「なむ」は、願望。「せめやも」は、するつもりはない。
1255は「臨時」の歌、すなわち、その時々に臨んで思いを述べた歌。「月草」は、露草の古名。夏に藍色の花が咲き、色が美しく、衣に摺る染料にしました。「斑の衣
は、原文「綵色衣」で訓みが定まらず、「いろどりごろも」と詠むものもあります。窪田空穂は、「上代は身分のある女も、夫の衣はすべて自身で織り、仕立て、また染めもしたので、露草の季節に美しい藍色に摺るということは、妻としての喜びだったのである。『月草に衣ぞ染むる』と力を籠めて言い出しているのは、その喜びの表現である」と述べています。
巻第7-1256~1261
1256 春霞(はるかすみ)井(ゐ)の上ゆ直(ただ)に道はあれど君に逢はむとた廻(もとほ)り来(く)も 1257 道の辺(へ)の草深百合(くさぶかゆり)の花笑(はなゑ)みに笑みしがからに妻と言ふべしや 1258 黙(もだ)あらじと言(こと)のなぐさに言ふことを聞き知れらくは悪(あ)しくはありけり 1259 佐伯山(さへきやま)卯(う)の花持ちし愛(かな)しきが手をし取りてば花は散るとも 1260 時ならぬ斑(まだら)の衣(ころも)着欲(きほ)しきか島(しま)の榛原(はりはら)時にあらねども 1261 山守(やまもり)の里(さと)へ通ひし山道(やまみち)ぞ茂(しげ)くなりける忘れけらしも |
【意味】
〈1256〉水汲み場から家にまっすぐ道は通じていますが、あなたにお逢いしたいと思って回り道をしてやって来ました。
〈1257〉道のほとりの繁みに咲く百合の花のように、ちょっと微笑みかけたからといって、妻とは決めてかからないでください。
〈1258〉黙っていてはまずいだろうと口先だけの気休めに言う言葉を、そうと知りつつ聞いているのは気持ちの悪いものです。
〈1259〉佐伯山で卯の花を手にしていた可愛い子、その手を握ることができたらなあ、たとえ花は散っても。
〈1260〉時季外れの斑模様の衣だが、ぜひ着てみたいものだ。島の榛の林はまだ実をつける時期ではないけれども。
〈1261〉山守が里へと通っていた山道は、草が茂ってしまった。妻を忘れてしまったのだろうか。
【説明】
1251から1267までは「右の十七首、古歌集に出づ」とあり、ここの1256~1261は「臨時」すなわち、その時々に臨んで思いを述べた歌。
1256の「春霞」は、懸かっているの意で「井(ゐ)」にかかる枕詞。「井」は、泉や流水から水を汲みとるところ。「井の上ゆ」の「ゆ」は、~から、~を通って。「た廻り」の「た」は接頭語、「廻り」は、回り道をして、迂回して。窪田空穂は、「上代は飲用水を汲むのは娘の役と定まっていたので、この作者もそれをしているのである。歌は、水を汲んで家へ帰る途中の心で、井から家へまっすぐに道は続いているのであるが、その娘は同じ部落の中に言い交わしている男があるので、ひょっと顔が見られようかと頼んで、わざと男の家のあるほうの道へと、まわり道をして行くというのである。外出の自由でなかった若い女としてはきわめて自然な、可憐な心である」と解説しています。
1257の「草深百合」は、草丈の長い繁みで咲く百合。万葉の歌に出てくる百合は、こんにちのヤマユリです。「花笑みに笑みし」は、原文「花咲尓咲之」で、花が咲くことを笑みの比喩にしているもの。「からに」は、ちょっと~だけで。ちょっと微笑みかけただけで勘違いし、なれなれしく振舞う男に、女が贈った歌です。やや上から目線での断り方です。ただ、「笑みしがからに」ではなく「笑まししからに」と訓んで、「相手の女が道の辺の草深百合の花が開いたように、にっこりとお笑いになっただけで、その人を妻と呼べようか」と、反語、不安疑問の意味に解する説もあります。
1258の「黙あらじと」は、黙ってはいられまいと思って。「言のなぐさ」は口先だけの気休め。1259の「佐伯山」は所在未詳ながら、広島市佐伯区廿日市市あたりの山か。「愛しきが手」は、愛しい人の手。1260の上2句は若い少女の譬え。「島」は、奈良県明日香村島の庄。「榛原」は、ハンノキの生えている原。1261「山守」は山の番人のことですが、ここでは男を呼んでそう言っています。山を越えて通ってくるからでしょう。「忘れけらしも」の「らし」は、事実に基づく推定。男が里にいた妻と疎遠になったため、その道に草木が繁ってしまったと言っています。
巻第7-1262~1267
1262 あしひきの山椿(やまつばき)咲く八(や)つ峰(を)越え鹿(しし)待つ君が斎(いは)ひ妻(づま)かも 1263 暁(あかとき)と夜烏(よがらす)鳴けどこの岡の木末(こぬれ)の上はいまだ静けし 1264 西の市(いち)にただ独り出でて目並(めなら)べず買ひてし絹の商(あき)じこりかも 1265 今年行く新防人(にひさきもり)が麻衣(あさごろも)肩のまよひは誰(た)れか取り見む 1266 大船(おほふね)を荒海(あるみ)に漕(こ)ぎ出(で)や船たけ我(わ)が見し児(こ)らが目見(まみ)はしるしも 1267 ももしきの大宮人(おほみやひと)の踏みし跡(あと)ところ 沖つ波(なみ)来(き)寄らずありせば失(う)せずあらましを |
【意味】
〈1262〉山椿が咲く峰々を越えて鹿を狙っているあなた。その帰りの無事を祈って待つ身の妻なのですね、私は。
〈1263〉もう暁だと夜烏がしきりに鳴くが、この山の木々の梢は。いまだしんと静まりかえっている。
〈1264〉西の市にたった一人で出かけて、見比べもせずに自分だけで見て買ってしまった絹の、買い損ないだよ。
〈1265〉今年送られていく新しい防人の麻の衣の肩のほつれは、いったい誰が繕ってやるのだろうか。
〈1266〉大船を荒海に漕ぎ出して一心に漕いでいるけれど、その間にも、私が見たあの子のまなざしが鮮やかに浮かんでくる。
〈1267〉ここはかつて大宮人たちが踏んだ跡がある所よ。沖の波が寄せて来なかったならば、その跡が消え失せることはなかったのに。
【説明】
1251から1267までは「右の十七首、古歌集に出づ」とあり、ここの1262~1266は「臨時」すなわち、その時々に臨んで思いを述べた歌。1267は「就所発思」、すなわち場所において思いを述べた歌。旋頭歌形式になっています。
1262の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山椿」は、山にある椿。「八つ峰」は、多くの峰の意。「鹿待つ」は、鹿を狩ろうとして待ち構える意。「斎ひ妻」は、猟師の間で、猟の幸運を神に祈るために斎戒し、妻との共寝を断つことが行われていて、その扱いを受けている妻のこと。危険の多い職業である狩猟であるがゆえに、こうした信仰が伴っていたと見えます。「かも」は、詠嘆。
1263の「暁」は、未明。「夜烏」は、ここは、カラスに似た声で鳴く五位鷺(ゴイサギ)かともいわれます。「木末」は、木の枝の先。昨夜通って来た夫が、夜明け前に帰ろうとするのを、妻が、まだ早いからとて引き留めている心の歌とされますが、斎藤茂吉は次のように述べています。「烏等は、もう暁天(あかつき)になったと告げるけれども、あのように岡の森はまだ静かなのですから、も少しゆっくりしておいでなさい、という女言葉のようにも取れるし、あるいは男がまだ早いからも少しゆっくりしようということを女に向かって言ったものとも取れるし、あるいは男が女の許から帰る時の客観的光景を詠んだものとも取れる。いずれにしても、、暁はやく二人がまだ一緒にいる時の情景で、こういうことをいっているその心持と、暁天の清潔とが相まって、快い一首を仕上げている」。
1264の「商じこり」は、商売上の失敗、買いそこないの意。「安物買いの銭失い」だったのか、よく確かめもせずに買い物をしたことを嘆いている歌ですが、買った「絹」は女の譬喩であり、周りの意見をよく聞かずに結婚し、やっぱり失敗だったと嘆いている男の後悔の歌だともいわれます。平城京には、「西の市」「東の市」の物品売買のための市があり、山の民、海の民、里の民が集う「市」で、恋が芽生えることも多かったようです。つまり、「市」はナンパの名所でもあり、「歌垣」とよばれる集団見合いのような行事も行われていました。なお、この歌を、クズ男と結婚して後悔する女の歌との見方もあるようです。
この平城京の西の市・東の市は、自由市場ではなく、政府が管理する公設市場でした。左右京職の下にいる東西の市司(いちのつかさ)が、物品の価格や品質などについてこまかく統制を加えていました。毎月15日以前は東の市が開き、その後は西の市が開き、まず政府側の取引が先に行われ、その売買が終わった後で、一般の人々が取引が行われました。扱われる品は、米穀・野菜・果物・海藻・魚介類、調味料・食器・布団・衣類などの日用品から、瑠璃玉や白檀などの貴重品まで種々様々でした。
1265の「新防人」は、新しく徴発されて筑紫に派遣される防人。「まよひ」は、布の織り糸がほつれること。「誰か取り見む」は、誰が世話するのだろうか。作者は防人の出発を見送っている第三者とみられ、3年間の苦役に従事しなくてはならない男をあわれんでいます。詩人の大岡信は「他のことは言わず、肩のほつれのことを想いやって言っているこまやかさは、女でなければなるまい」と言っています。
1266の「や船たけ」の「や」は、いよいよ、「たけ」は船を漕ぎ煽る。「目見」は、目もと。「しるしも」は、はっきりと目に浮かぶ。1267は、かつて行幸があった海辺の地の人が、到来した大宮人を尊敬し懐かしんで詠んだ歌。紀伊国の和歌の浦あたりでしょうか。「ももしきの」は「大宮」の枕詞。
なお、「古歌集に出づ」とあるこれら17首(1251~1267)について、窪田空穂は次のように述べています。「資料としての古歌集は、他の巻にも出ているが、以上を見てもそのいかに注意すべきものであるかが思われる。十七首中の一首、『西の市に』は、明らかに奈良時代のものと知られるが、他はわからない。問答の『海人を詠める』は、大津宮時代のものかとも思われるが、明らかではない。詠み方の幅が広く、一方にはおおらかに稚拙で、古風を思わせるものがあると思う、他方には微細に繊細で、新風を思わせるものがある。また明らかに庶民の歌もあって、わずかに十七首であるが変化に富んでいる。最も注意されることは、際立った秀歌のまじっていることである。心を引かれる資料である」。
巻第7-1270
こもりくの泊瀬(はつせ)の山に照る月は満ち欠けしけり人の常(つね)なき |
【意味】
あの泊瀬の山に照る月は、満ちたり欠けたりしている。人もまた不変ではない。
【説明】
題詞に「物に寄せて思を発(おこ)す」とある歌。「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬の山」は、奈良県桜井市初瀬の山。月は満ち欠けを繰り返すことから、死と再生、すなわち不老不死と結びつけられる一方で、常に形が変化するため、無常を示すものともされました。この歌は、当時、葬地だった泊瀬のイメージを重ねつつ、泊瀬山に照る月の満ち欠けに、人の世の無常を詠んでいます。窪田空穂は、「深い思い入れが引締った調べによって生かされていて、一種のさびた感のあるものとなっている」と評しています。
巻第7-1295
春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に月の舟(ふね)出(い)づ遊士(みやびを)の飲む酒杯(さかづき)に影に見えつつ |
【意味】
春日の三笠の山に、船のような月が出た。みやび男たちが飲む酒杯の中に、その影を浮かべながら。
【説明】
「旋頭歌」の部の最後におかれたこの一首は、柿本人麻呂歌集からの歌や作者未詳歌が多い中にあって異彩を放つ歌となっています。庶民生活の味わいが濃く出ていた人麻呂歌集の歌とは違い、繊細美を愛する貴族趣味が横溢しています。詠まれた時代も奈良時代であり、歌の趣きからも明らかです。大伴家持の周辺の人々を思わせるもので、あるいは家持の作かもしれないといわれています。「春日なる」は、春日にある。「御笠の山」は平城京から見て東にある山なので、月の出を待つ山。「月の舟」は、三日月の比喩。月の形が舟に似ているところから。「遊士」は、都風の風雅を解する人。「影に見えつつ」は、姿を見せ続けている。
都(みやこ)にあって、都のもつ雰囲気や情緒を備えたものが「みやび」とされ、都会的文化を象徴する言葉になってきます。それは人にもあてはまり、「みやび」を備えた男を『万葉集』では「みやびを」と呼んでいます。この歌も、船のかたちに見える月の影を杯に浮かべて飲もうというのですから、実に風流な宴会をやったものです。
巻第7-1311~1315
1311 橡(つるはみ)の衣(ころも)は人皆(ひとみな)事なしと言ひし時より着欲(きほ)しく思ほゆ 1312 おほろかに我(わ)れし思はば下(した)に着てなれにし衣(きぬ)を取りて着めやも 1313 紅(くれなゐ)の深染(ふかそ)めの衣(きぬ)下に着て上に取り着ば言(こと)なさむかも 1314 橡(つるはみ)の解(と)き洗ひ衣(きぬ)のあやしくもことに着欲(きほ)しきこの夕(ゆふへ)かも 1315 橘(たちばな)の島にし居(を)れば川遠みさらさず縫(ぬ)ひし我(あ)が下衣(したごろも) |
【意味】
〈1311〉橡で染めた着物は、皆が着やすくてよいと言うのを聞いてから、着てみたいと思うようになったよ。
〈1312〉いい加減な気持で私が思っているのだったら、下に着た古びた着物をもう一度取り出して着たりするものか。
〈1313〉濃い紅色に染め上げた着物を下に隠すように着たあとで、改めてそれを外着のしたら、たちまち人の評判になるだろうか。
〈1314〉黒染めの洗いざらしの着物を、不思議にも特に着てみたくてならない、今日のこの夕暮れ。
〈1315〉川から遠い橘の島に住んでいるので、十分に水にさらしもしないで縫った私の下着なのです。
【説明】
「衣(きぬ)に寄せる」歌。1311・1314の「橡」はクヌギの木で、どんぐりを煮た汁で衣を染めた橡染めは、庶民の着物に使われました。1311の「事なし」は、面倒がないこと。この歌は「あの娘は目立たないけれど、とてもいい娘だ」と人が言うのを聞き、思いがその娘に傾きつつある気持ちを詠っている、あるいは身分の高い女性を妻にした男が、気苦労の多さにぼやいてる歌ともいいます。
1312の「なれにし衣」は古い付き合いの女の喩え、1313の「紅の深染めの衣」も相手の女の喩えで、いずれの歌も、正式に結婚することを「着る」と表現しています。1314の「橡の解き洗ひ衣」も同様で、こちらは長く馴れ親しんだ身分の低い女を喩えています。1315の「橘の島」は、奈良県明日香村島庄。十分に身元も確かめず簡単に結婚した自分の妻のことを言っています。
巻第7-1316~1320
1316 河内女(かふちめ)の手染めの糸を繰り返し片糸(かたいと)にあれど絶えむと思へや 1317 海(わた)の底(そこ)沈(しづ)く白玉(しらたま)風吹きて海は荒(あ)るとも採(と)らずはやまじ 1318 底清み沈(しづ)ける玉を見まく欲(ほ)り千(ち)たびぞ告(の)りし潜(かづ)きする海人(あま) 1319 大海(おほうみ)の水底(みなそこ)照らし沈(しづ)く玉(たま)斎(いは)ひて採(と)らむ風な吹きそね 1320 水底(みなそこ)に沈(しづ)く白玉(しらたま)誰(た)が故(ゆゑ)に心尽して我(わ)が思はなくに |
【意味】
〈1316〉河内の国の女たち手で染めて、繰り返し枠に巻いた糸は、片糸だけれども、切れるようには思えない。
〈1317〉海の底に沈んでいる真珠は、どんなに風が吹き海は荒れても、手に採らずにおくものか。
〈1318〉海の底がきれいなので、沈んでいる真珠が見える。それを手に取って見たいと思い、何度も何度も唱え言をしていた。水に潜ろうとする海人は。
〈1319〉大海の水底に沈んで光っている真珠を、わが身を清めて採りに行こうと思う。風よ、どうか吹かないでくれ。
〈1320〉水底に沈んでいる真珠よ。私はお前の他の誰に対しても、こんなに心を尽くして思ったりはしていないのに。
【説明】
1316は「糸に寄せる」歌。「河内女」は、河内国の女。この地は古来帰化人が多く住み、染織の技術が発達していました。「繰り返し」は、染めた糸を枠に繰り取ること。「片糸」は、二本合わせず一本だけで縒った弱い糸で、片思いに譬えています。「思へや」の「や」は、反語。
1317以降は「玉に寄せる」歌。いずれも玉(真珠)を深窓の美女に譬えている男の歌です。1317の「沈く」は、水底に沈んでいる。作歌の田辺聖子は、1317の歌が好きだとして、次のように評しています。「”採らずはやまじ”という強い表現が、むきだしで飾りけなくていい。民謡風な平明な歌で、ことさら深い味わいの名歌というのではないが、譬喩の真珠と、たくましい海人の男とのとり合せが好もしい。花束を持つのは女より男のほうが似合わしく、お茶の席で男がかしこまって座っているのも、女のそれより好ましい。すべて柔と剛、硬と軟のとり合せはイメージを触発してたのしい」
1318の「底清み」は、底が清いので。「見まく欲り」は、手に取って見たいと思い。「潜き」は、水に潜ってする漁。「玉」を娘に、「海人」を仲介者に喩え、娘との仲介を催促している歌です。1319の「斎ひて」は、心身を清め慎んで。「風な吹きそね」の「ね」は、他に対しての願望。1320の「誰が故に」は、下に打消を伴い、誰のゆえにでもなく。
巻第7-1321~1325
1321 世間(よのなか)は常(つね)かくのみか結びてし白玉(しらたま)の緒(を)の絶(た)ゆらく思へば 1322 伊勢の海の海人(あま)の島津(しまつ)が鰒玉(あはびたま)採(と)りて後(のち)もか恋の繁(しげ)けむ 1323 海(わた)の底(そこ)沖(おき)つ白玉(しらたま)よしをなみ常(つね)かくのみや恋ひわたりなむ 1324 葦(あし)の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒(を)といはば人(ひと)解(と)かめやも 1325 白玉(しらたま)を手には巻かずに箱のみに置けりし人ぞ玉(たま)嘆(なげ)かする |
【意味】
〈1321〉世の中とは、所詮こんなものなのか、堅く結んでおいたはずの真珠の紐がぷつんと切れてしまうことを思うと。
〈1322〉伊勢の海の漁師が採る志摩の真珠を手中にしても、まだまだしきりに恋しさがつのる。
〈1323〉海の底深くに沈んでいる真珠。それを採る手立てがなく、いつもこうして遠くから恋続けるよりほかにないのだろうか。
〈1324〉葦(あし)の根のようにしっかり結び合わせた真珠の紐だということなら、それを他人が解ける筈はあるまい。
〈1325〉白玉を手に巻くことなく、箱の中にしまいっぱなしの人が、その白玉を嘆かせているのだ。
【説明】
「玉に寄せる」歌。1321の「かくのみか」は、こうなるだけなのか。「白玉の緒」は、白玉と白玉とを貫いて一つに結び合わせておいた緒のことで、固く結び交わした夫婦の契りの譬え。「絶ゆらく」は「絶ゆ」のク語法で名詞形。1322の「島津」は、「志摩」とする説のほか、人名とする説や島人が転じたとする説があるようです。「鰒玉」は、鰒から採れる真珠で、美しい女の喩え。1323の「海の底沖つ白玉」は、深窓の女の喩え。「よしをなみ」は、仕方ないので。「常かくのみや」は、いつもこのように~だけか。
1324の「葦の根の」は「ねもころ」の枕詞。「ねもころ」は、心を込めての意。「玉の緒」は、玉を貫き通す紐のことで、固い夫婦の契りの喩え。「解かめやも」の「やも」は、反語。契りを結んだものの、他人の邪魔によって関係が絶えはしないかと不安に思っている女を励ましている男の歌です。1325の「白玉」は、若い女の喩えで、娘に恋している男が、娘の母親の厳格さを恨み、嘆いている歌とされます。古代の結婚では、父親は影が薄く、生みの母が子どもの養育について全権をにぎっていました。ただし、この歌には全く違う解釈もあり、愛を示さない夫を恨む妻が詠んだ歌とする見方もあります。「白玉」は、妻自身のプライドからくる自身の譬えであり、夫が体よく自分を大切にしてきたことを、「箱のみに置けりし」と言って嘆いている、つまり「玉嘆かする」というのです。
巻第7-1326~1330
1326 照左豆(てるさづ)が手に巻き古(ふる)す玉もがもその緒(を)は替(か)へて我(わ)が玉にせむ 1327 秋風は継(つ)ぎてな吹きそ海(わた)の底(そこ)沖(おき)なる玉を手に巻くまでに 1328 膝(ひざ)に伏(ふ)す玉の小琴(をごと)の殊(こと)なくはいたくここだく我(あ)れ恋ひめやも 1329 陸奥(みちのく)の安達太良真弓(あだたらまゆみ)弦(つら)着(は)けて引かばか人の我(わ)を言(こと)なさむ 1330 南淵(みなぶち)の細川山(ほそかはやま)に立つ檀(まゆみ)弓束(ゆづか)巻くまで人に知らえじ |
【意味】
〈1326〉照左豆(てるさず)が手に巻き古している真珠を欲しいものだ。その紐を取り替えて私の真珠にしたい。
〈1327〉秋風よ、そんなに次々と吹かないでおくれ。深い海の底にある真珠を採って私の手に巻くまでは。
〈1328〉膝の上に載せて弾く大切な小琴が、もし格別なものでなかったら、私はこんなにも激しく恋しい思いなどしないのに。
〈1329〉陸奥の安達太良産の弓に弓弦(ゆづる)を張って引くようなことをすれば、人は私のことをあれこれ噂するだろうか。
〈1330〉南淵の細川山に立っている檀の木よ、弓に仕上げて弓束を巻くまでは、人に知られないようにしよう。
【説明】
1326・1327は「玉に寄せる」歌。1326の「照左豆」は、語義未詳ながら、作者の知人の名であり、「照左豆が手に巻き古す玉」は、照左豆の妻の譬喩とする見方があります。その妻を美女だと思って羨み、自分の妻にしたいと言っているというのです。「もがも」は、願望。1327の「な吹きそ」は、吹くな。「海の底」は「沖」の枕詞。「沖なる玉」は、深い所にある玉(真珠)で、深窓の美女に譬えています。
1328は「日本琴(やまとこと)に寄せる」歌。「玉の小琴」の「玉」も「小」も美称。「殊なくは」は、格別でないなら。「いたくここだく」は、はなはだ多く。「恋ひめやも」の「や」は、反語。琴を愛する女に喩え、普通の女性たちとは違って殊にすばらしいからこそ、これほどひどく恋しく思われる、と言っています。なお、上2句を単に序詞と捉え、「殊なくは」は「事なくは」で、変事がなかったら、平穏無事の意、「事」を結婚妨害などの事態と解する説もあります。
1329・1330は「弓に寄せる」歌。1329の「安達太良真弓」は、福島県の安達太良山で産した檀の弓。「着けて」は、弓に弦をかけて。「引かば」は、女を誘うことの譬え。「言なさむ」は、噂をするだろう。1330の「南淵の細川山」は、奈良県明日香村稲淵の細川に臨む山。「檀」は、目をつけた娘の譬え。「弓束」は、弓の中央の、弓を引く時に握る部分。「弓束巻くまで」は、娘が成人して我がものになるまでの譬喩。「知らえじ」は、知られまい。
巻第7-1331~1335
1331 磐畳(いはたたみ)かしこき山と知りつつもわれは恋ふるか同等(なみ)ならなくに 1332 岩が根の凝(こご)しき山に入りそめて山なつかしみ出(い)でかてぬかも 1333 佐保山(さほやま)を凡(おほ)に見しかど今見れば山なつかしも風吹くなゆめ 1334 奥山の岩に苔生(こけむ)し畏(かしこ)けど思ふ心をいかにかもせむ 1335 思ひあまりいたもすべ無(な)み玉たすき畝傍(うねび)の山に我れ標(しめ)結(ゆ)ひつ |
【意味】
〈1331〉岩の重なり合う畏れ多い山だと知ってはいても、高貴で近寄りがたい方だと知ってはいても、私は恋している、同じ身分ではないのに。
〈1332〉岩が厳しく凝り固まっている山に入り始めた今、その山に心ひかれてならない。出るに出られない気持ちだ。
〈1333〉これまでは佐保山を大して気にも留めずにいたが、あらためて見ると親しみやすくて心惹かれる山だ。風よ吹かないでくれ、決して。
〈1334〉山奥の岩は苔が生えていて(すべりやすいので)恐ろしい。そんな彼女は高嶺の花で誰も寄りつかないが、その彼女を思う、この心をどうしたらいいのだろう。
〈1335〉恋しさに堪えかね、あまりのやるせなさに、神の領せられる畝傍山に標を張ってしまった。
【説明】
「山に寄せる」歌。いずれの歌も、身分違いの女との恋路の困難さを背景にしています。1331の「磐畳」は普通名詞として解釈されますが、『備中誌』には、岡山県総社市秦の石畳神社にまつわる歌であると伝えられています。「同等」は「並ぶ」の名詞形。同等の身分の意。「ならなくに」は、ならぬことなのに。1332の「岩が根の凝しき山」の「岩が根」は、岩。「凝しき」は、凝り固まっている。身分違いの女の譬えであり、その女と関係ができてからは、彼女がよくてならず、関係を絶ち難いと言っています。「かてぬ」の「かて」は、可能。
1333の「佐保山」は、奈良市の北の丘陵地。「凡に見しかど」は、おおよそに見ていたけれども。「ゆめ」は、強い禁止の副詞。佐保山を幼馴染の女に喩え、邪魔が入らないように、と言っています。1334の「奥山の岩」は、高貴な女性、「苔生す」は、親の管理を喩えています。「いかにかもせむ」は、どうしたらいいのだろうか。1335の「いたも」は、甚だしくも。「すべ無み」は、方法が無くて。「玉たすき」の「玉」は、美称。たすきを項(うなじ)にかけたことから、同音の「うね」にかかる枕詞。「畝傍の山」は、その秀麗な山容が畏敬された畝傍山。長く裾野を引いた引いた姿が優雅であり、作者は、神聖なこの山を人妻か高貴な女性に譬え、その女と関係結んだと言っています。「標」は、自分の所有を表示する物。
巻第7-1336~1340
1336 冬ごもり春の大野(おほの)を焼く人は焼き足らねかも我(あ)が情(こころ)焼く 1337 葛城(かづらき)の高間(たかま)の茅野(かやの)早(はや)知りて標(しめ)指(さ)さましを今ぞ悔しき 1338 我(わ)が屋前(やど)に生(お)ふる土針(つちはり)心ゆも思はぬ人の衣(きぬ)に摺(す)らゆな 1339 月草に衣(ころも)色どり摺(す)らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ 1340 紫の糸をぞ我が搓(よ)るあしひきの山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて |
【意味】
〈1336〉こんなに胸が熱く燃えて仕方ないのは、あの春の大野を焼く人たちが焼き足らないので、私の心をこんなに焼くのかしら。
〈1337〉葛城の高間山の上にある茅野ではないが、いちばん先に標をつけた人の物となるように、自分もあの人を早く知って手に入れておいたらよかったが、もう遅い。
〈1338〉庭に生えているつちはりよ、お前は、心から思ってくれていない人に着物を染められてはいけないよ。
〈1339〉露草で着物を美しい青に染めようとは思うけれど、あれはすぐに褪せる色だと人が言うにつけ、心が苦しくなる。
〈1340〉紫の糸を、私は撚(よ)ります。山橘の実をこの糸に通そうと思って。
【説明】
「草に寄せる」歌。1336の「冬ごもり」は「春」の枕詞。大野を焼くのは「焼き畑」のこと。春に野原に火を入れて木や草を焼き、その灰を肥料とする農耕前の作業です。「焼く人」は、恋する相手の喩え。「焼き足らねかも」の「か」は疑問で、焼き足らないからだろうか。相手を好きで好きでたまらない気持ちを歌っています。
1337の「葛城の高間(高天)」は、奈良県御所市高天、金剛山の東側の中腹から山頂に至る地域。葛城地方で最も高所にあるので、高天という地名が付いたという説があります。「茅」は、ススキ、チガヤなどイネ科やカヤツリグサ科の草本の総称で、屋根葺き材料や飼料、燃料などに利用されました。「茅野」は、女の比喩。「標指す」は、自分の所有のしるしの標を立てること。手遅れになったのを悔やんでいる男の歌です。
1338の「屋前」は、家の敷地、庭先。「土針」は、ユリ科のツクバネソウまたはシソ科のメハジキではないかとされ、娘を譬えています。「心ゆも思はぬ」は、心から思っていない。「衣に摺らゆな」は、求婚に応じてはならない意。結婚について娘を戒めた母の歌です。
1339は、女が結婚しようとする男の移り気を心配している歌。「月草」は露草で、男の比喩。藍色の可憐なこの花は、着物を染めるのに愛用されましたが、色が褪せやすく、水に濡れたりすればすぐに消えてしまう欠点がありました。「衣色どり摺らめ」は、男の求婚を承諾する意の喩え。「うつろふ」は、色が褪せる、色が変わるで、男の移り気な心の喩え。窪田空穂は、「当時の結婚にあっては、男に真実の心が足りないと、完全に破綻するのであるから、女の警戒心の強く働くのは当然であった。また男の人柄は、他人の噂によって知るよりほかはなかったので、『言ふが』もこの場合重いものである。十分に譬喩になっている可憐な歌である」と評しています。
1340は、女が愛する男の心を留めようとしている歌。「紫の糸」は、この時代、紫は最高の色とされていたので、ここは最上の糸を意味しています。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山橘」は、山地に自生する常緑低木のヤブコウジの古名で、夏に開花し、冬になると真っ赤な実がなります。「貫かむ」は、結婚したいという意志の比喩で、その結婚にふさわしい糸にしようと、自らの女としての心づもりを歌っています。
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