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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第11)~その2

巻第11-2452~2454

2452
雲だにも著(しる)くし立たば慰(なぐさ)めて見つつも居(を)らむ直(ただ)に逢ふまでに
2453
春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ
2454
春日山(かすがやま)雲居(くもゐ)隠(かく)りて遠(とほ)けども家(いへ)は思はず君をしぞ思ふ
  

【意味】
〈2452〉せめて雲だけでもはっきり立ったら、それを慰めに見てもいよう、じかに逢うまでは。

〈2453〉春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。
 
〈2454〉春日山は雲に隠れて遠く、まだ家まで遠いけれど、その家のことよりあなたのことが思われてならない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2452は、旅に出ている男の、家の妻を思っての歌。「雲だにも」は、せめて雲だけでも。「著く」は、はっきりと、著しく。「慰めて」は、心を慰めて、心を紛らせて。原文「意追」で、ココロヤリと訓むものもあります。「見つつも居らむ」は、見つついよう。

 2453の「春柳」は、柳の枝を頭に載せる蘰(かづら:柳で輪を作って髪飾りにする)の類音により「葛城山」の枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境に連なる金剛、葛城、二上山の総称で、主峰は標高1125mの金剛山。上3句が同音の繰り返しで「立ち」を導く序詞。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。「略体歌」といわれるこうした表記は、漢詩的表記を意図したものでしょうか。

 2454の「春日山」は、奈良市東方の山並み。「雲居」は、雲。上2句は「遠けども」を導く譬喩式序詞。「家は思はず君をしぞ思ふ」は、家のことは思わず、君のことばかり思っている。何かの用事で旅に出ている女が、その夫に贈った形の歌。といっても春日山が見える所なので、そんなに遠方ではないようです。一方で、男が女に贈った歌、あるいは官人の男が同僚に贈った歌とする見方もあるようです。

巻第11-2455~2458

2455
我(わ)がゆゑに言はれし妹(いも)は高山(たかやま)の嶺(みね)の朝霧(あさぎり)過ぎにけむかも
2456
ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)に小雨(こさめ)降りしきしくしく思ほゆ
2457
大野(おほの)らに小雨(こさめ)降りしく木(こ)の下(もと)に時と寄り来(こ)ね我(あ)が思(おも)ふ人
2458
朝霜(あさしも)の消(け)なば消(け)ぬべく思ひつついかにこの夜(よ)を明かしてむかも
 

【意味】
〈2455〉私のせいで噂になったあの女(ひと)は、まるで高山の嶺の朝霧が消えるように、もうどこかへ行ってしまったのだろうか。

〈2456〉黒髪山の草の上に雨が降りしきるように、あとからあとからひっきりなしに、あの人のことが思われる。
 
〈2457〉広々とした野に小雨が降っています。こんな時こそ木の下に立ち寄ってください、私の好きな人。
 
〈2458〉朝霜のようにやがて消えるなら消えてしまえと思いながら、なかなか消えないこの思い。どのようにこの夜を明かしたらよいのだろう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2455の「高山の嶺の朝霧」は、少し時間が経つといつの間にか消えてしまうことから「過ぎ」を導く序詞。「過ぎ」は、去る、遠ざかる。「こころ」に重きを置いて解けば、あきらめる意とも。また、死の意だとして、「高山の峰にかかる朝霧のように、この世を過ぎて死んでしまったのだろうか」と解するものもあります。唐突なような解釈ですが、人目を忍ぶ関係だったのでその死を知らせる確かな伝手もなかったということでしょうか。「けむ」は、過去推量。「かも」は、疑問的詠嘆。

 2456の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「黒髪山」は、奈良市法華町の北、佐保山の一部の小山。「山菅」は、山中に生えている菅の総称またはヤブラン。「降りしき」は、しきりに降り。上4句は「降りしき」の「しき」が類音の「しくしく思ほゆ」を導く序詞。「しくしく」は、ひっきりなしに、重ね重ね。長い序詞で、結句だけが一首の内容のような観がある歌ですが、詩人の大岡信は、「それが長いというにとどまらず、純粋な叙景と見える表現の中に、しみじみとした哀感をしのばせている手腕は見事」と評しており、また国文学者の鴻巣盛広は、「序詞の用を極点まで効果あらしめたもので、恋に悩む人の姿が目に浮かんでくるように詠まれている。傑作」と述べています。

 2457の「大野ら」の「大野」は広い野、「ら」は接尾語。「時と」は、よい機会として。今がいらっしゃるべき時として。「我が思ふ人」について斎藤茂吉は、「『人』は女のことで、妹、吾妹などと同じ意味に帰著するのだが、第三人称らしくヒトと言っているので、なかなかいい句である。一時新派歌人等が恋人のことをヒトと使って流行したことがあった」と述べています。また窪田空穂はこの歌について、「劇的な趣をもった歌」とも述べています。

 2458の「朝霜の」は、その消えやすいところから「消」にかかる枕詞。「消なば消ぬべく」は、死ぬならば死にゆけと。原文「消々」で、ケナバケヌガニ、ケナバケナマク、ケナバケナマシなどと訓むものもあります。恋の相手のことばかり思い続け、身も心も消え入らんばかりなので、どのようにこの夜を明かしたものかと、甚だしい恋の感傷を歌っています。

巻第11-2459~2462

2459
我(わ)が背子(せこ)が浜(はま)行く風のいや急(はや)に急事(はやごと)増して逢はずかもあらむ
2460
遠き妹(いも)が振り放(さ)け見つつ偲(しの)ふらむこの月の面(おも)に雲なたなびき
2461
山の端(は)を追ふ三日月(みかづき)のはつはつに妹(いも)をぞ見つる恋(こ)ほしきまでに
2462
我妹子(わぎもこ)し我(わ)れを思はばまそ鏡(かがみ)照り出(い)づる月の影(かげ)に見え来(こ)ね
   

【意味】
〈2459〉あの人の浜辺を吹く風が急なように、至急な用事が増えて、あの人は私に逢わないでいるのだろうか。
 
〈2460〉遠く離れているあの子が、振り仰いで月を見ながら私のことを思ってくれているに違いない。この月の面(おもて)に雲よ、たなびかないでおくれ。
 
〈2461〉山の端をなぞるように沈む三日月のように、ほんの少しだけあの娘を見た。恋しく思われるほどに。
 
〈2462〉愛しい妻がこの私を思っていてくれるなら、空に照り輝く月のように、面影として浮かんできてほしい。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2459の「我が背子が」は、結句に続きます。「浜行く風のいや急に」の「いや」は、甚だ。この2句は「急に」を「急事」に続けてその序詞になっています。「急事」は、至急の用事。あるいは、巻第11-2712に「言速くは」とあることから、激しい噂の意とする説もあり、歌の表現としてはこちらの方が適当かもしれません。「逢はずかもあらむ」の原文「不相有」で、アハズヤアルラム、アハズヤアラムなどと訓むものもあります。

 2460の「遠き妹が」の原文「遠妹」で、トホヅマノと訓み、故郷に残してきた妻と解するものもありますが、トホヅマと訓む必然性がないことから、ここは遠く離れている、たとえば他部落に住む親しい女性(愛人)の意としています。「振り放け見つつ」は、はるか遠くを仰ぎ見ながら。「雲なたなびき」の「な」は、禁止。

 2461の「山の端を追ふ三日月」の「山の端」は山の稜線で、夕方、西の山の端の空に輝いてすぐに沈む三日月のこと。「追ふ三日月の」の原文「追出月」で、サシイヅルツキノ、オヒイヅルツキノなどと訓むものもあります。「出月」をミカヅキと訓む立場は、「朏」の文字を2つに裂いて「出月」と書いたものとしています。上2句は、山の端に出た月のように僅かに見える意で「はつはつに」を導く序詞。「はつはつに」は、わずかに、かすかに。「恋ほしきまでに」は、恋しく思われるほどに。

 2462の「我妹子し」の「し」は、強意の副助詞。「まそ鏡」は、澄み切った鏡で「照り出づる月」の枕詞。「影に見え来ね」の「影」は、月の影(光)と妹の面影を掛けています。「ね」は、願望。旅にあって、月に対して妻を思っている歌とされます。

巻第11-2463~2466

2463
ひさかたの天光(あまて)る月の隠(かく)りなば何になそへて妹(いも)を偲(しの)はむ
2464
若月(みかづき)の清(さや)にも見えず雲隠(くもがく)り見まくぞ欲(ほ)しきうたてこのころ
2465
我(わ)が背子(せこ)に吾(あ)が恋ひ居(を)れば吾(わ)が屋戸(やど)の草さへ思ひうらぶれにけり
2466
浅茅原(あさぢはら)小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(むなごと)を如何(いか)なりと言ひて君をし待たむ
  

【意味】
〈2463〉空に輝く月が隠れてしまったら、いったい何を妻になぞらえて懐かしんだらよいのだろう。
 
〈2464〉三日月がはっきり見えずに雲に隠れてしまうように、心行くまであの人の姿が見られないので、逢いたくてたまらない。更にこのごろは。

〈2465〉私の夫を恋しく待ち遠しく思っていると、家の庭の草さえも、思い悩んで萎れてしまいました。
 
〈2466〉浅茅原の野に標を張るような空しい言葉を、人にどう説明して、あなたを待っていたらいいのでしょう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2463の「ひさかたの」は「天」の枕詞。「なそへて」は、見立てて、なぞらえて。斎藤茂吉は、「恋している女を『天光る月』に見立て、それと融合している気持は、前の歌(2462)と同じく、単に抒情詩的だというのみでなく、その恋人の顔容から挙止に至るまで彷彿として見える如き感じのする歌である」と言っています。

 2464の「若月の清にも見えず」は、三日月がはっきりとも見えず。「清に」は、視覚的にも聴覚的にもくっきりと明瞭なことを表す語。上3句は「見まく」を導く譬喩式序詞。「見まくぞ欲しき」の「みまく」は「見む」のク語法で名詞形。見たいことであるよ。「うたて」は、いっそう、ますますの意の副詞。窪田空穂は、「序詞が、譬喩だけではなく、事態の全部を負うているような歌である。しかし同時にそれが気分になっている。人麿歌集の手法である」と述べています。男女どちらの歌とも取れます。

 2465の「思ひうらぶれ」は、思い悩んで萎れる。ウラブルは、しょんぼりする、失意にうなだれる意の自動詞で、多くは人間の場合に用いられます。「けり」は、詠嘆。この歌について、上3句にワガを繰り返して頭韻をふみ、直線的な奔流の如き格調をなしているとの評もありますが、斎藤茂吉は、「『わが』というのを繰り返しているのは、あまり意識してやったのではなかろうと解釈したいのであるが、・・・故意に畳んで用いたのだとすると具合が悪い。日本語の味わいの能く分からぬ外国人などが日本の詩歌を云々するときに、先ずこういう頭韻などにばかり気を取られて賛美するのは未だ不徹底だからである。ただこの歌は、全体がしっとりと沈潜して歌い了せているのがいいのであって、『わが』を繰り返しているために特にいいのではない」と述べています。

 2466の「浅茅原」は、茅が低く生えている原。「小野」の「小」は、接頭語。「標結ふ」は、他人の立ち入りを禁じるしるしとして縄を張ること。上2句は「空言」を導く序詞。掛かり方については諸説ありますが、それほど大切ではない浅茅原に標を引いたところで意味がないところから、偽りの比喩としての序詞であるとの見方があります。「空言」は、実の伴わない空しい言葉、誠意のない口先だけの約束。ここの空言がどのような内容だったかは明らかにされていませんが、窪田空穂は、「複雑な、屈折をもった気分を、単純に言いおおせた、巧みな歌」と評しています。

巻第11-2467~2470

2467
路(みち)の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の後(ゆり)もと言ふ妹(いも)が命(いのち)を我(わ)れ知らめやも
2468
湊葦(みなとあし)に交(まじ)れる草の知草(しりくさ)の人皆(ひとみな)知りぬ吾(わ)が下思(したも)ひは
2469
山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心に深く吾(あ)が恋やまず
2470
湊(みなと)にさ根延(ねは)ふ小菅(こすげ)ぬすまはず君に恋ひつつありかてぬかも
   

【意味】
〈2467〉道端の草の中に咲く百合のように、いずれ後になどと言っているが、あの子の命を私が知り得ようか。
 
〈2468〉河口の葦に交じっている知草の名のように、誰もが知ってしまった、私のひそかな胸の内を。

〈2469〉山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているように、私の心もすっかり沈んでいるけれども、心の底に深々と私の恋は一向に止まない。
 
〈2470〉河口にひそかに根をのばす小菅のように、人の目を忍んで、あなたに逢わずに生きているのは堪えられない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2467の「草深百合」は、草の茂みの中に咲いた百合。具体的にはヤマユリ、ササユリの類を指すと言われます。上2句は、後(のち)という意味の「後(ゆり)」を導く同音反復式序詞。「知らめやも」の「やも」は、反語。知っていようか、知りはしない。女に求婚して、いずれ後にと婉曲に拒まれた男が「どうして今では駄目なのか」と憤怒している歌です。窪田空穂は、「『路の辺の草深百合の』は、女の境遇と美しさを気分として感じさせる語で、『後』への続きも安らかである。上手な歌である」と述べています。

 2468の「湊葦」は、河口に生える葦。「知り草の」の「知り草」は未詳ながら、湿地や原野に群生するカヤツリグサ科のサンカクイとする説が有力です。「の」は、~のように。上3句は「知り」を導く同音反復式序詞。「下思ひ」は、心の中の人知れぬ思い。斎藤茂吉は、序詞の表現について言及し、「知草に寄せて、聯想で序詞を作ったものであるが、実際の写生から来ており、その写生も『みなと葦に交れる草の』云々と言って、細かく且つ確かである」と述べています。

 2469の「山ぢさ」は、落葉高木のエゴノキのことで、5月ごろに総状の白い花を咲かせます。「白露重み」の原文「白露重」で、シラツユシゲミと訓むものもあります。上2句は、白露の重みで細い枝がうな垂れることから「うらぶれて」を導く序詞。「うらぶれて」は、萎れて、うなだれて。ウラブルは、しょんぼりする、失意にうなだれる意の自動詞で、多くは人間の場合に用いられます。ここは植物について言っており、集中では限定的です。「心に深く」の原文「心深」で、ココロヲフカミ、ココロモフカクなどと訓むものもあります。男に疎遠にされている女の嘆きの歌です。

 2470の「湊」は、河口。「さ根延ふ」の「さ」は接頭語で、根が長くのびる意。「小菅」の「小」は愛称で、菅。上2句は、河口に根を張っている小菅の根のように、の意で「ぬすまはず」を導く序詞。「ぬすまふ」は、人目を忍ぶ意。原文「不竊隠」で、シノビズテ、シヌビズテなどと訓むものもあります。「ありかてぬかも」は、生きているのが堪えられないことよ。原文「有不勝鴨」は、本によっては「鴨」の字がないものもあり、アリカツマシジと訓むものもあります。世間に知られつつ恋し続ける苦しさ、辛さを訴えた女の歌です。

巻第11-2471~2474

2471
山背(やましろ)の泉(いづみ)の小菅(こすげ)なみなみに妹(いも)が心をわが思(おも)はなくに
2472
見渡しの三室(みむろ)の山の巌菅(いはほすげ)ねもころ我は片思(かたおもい)ぞする[一云、三諸(みもろ)の山の岩小菅(いはこすげ)]
2473
菅(すが)の根のねもころ君が結びたるわが紐(ひも)の緒(を)を解く人はあらじ
2474
山菅(やますげ)の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経(へ)につつ
 

【意味】
〈2471〉山背の地の水辺には小菅が並んでいるけれど、あなたの心を思うことは並み大抵ではありません。
 
〈2472〉見渡した所にある三室山の岩に生えた菅、その菅の根ではないが、ひたすら熱意をこめて私は片思いしていることだ。(みもろの山の岩小菅ではないが)
 
〈2473〉心をこめてあなたが結んでくれた私の衣の紐を、解く人はほかに誰もいないでしょう。
 
〈2474〉山菅の根のように思い乱れた恋ばかりさせておきながら、あの子は一向に逢ってくれない、年月は過ぎていくのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2471の「山背の泉」は地名で、京都府南部木津市のあたり。泉川が流れています。上2句は、小菅が靡くようにの意で「なみなみに」を導く序詞。「なみなみに」は、ふつうに、並み一通りに。原文「凡浪」で、ヲシナミニと訓むものもあります。「思はなくに」の「なくに」は、詠嘆の文末用法。思わぬことよ。山背の泉に住む女と関係を持った旅の男が、女に贈った形の歌とされます。

 2472の「見渡しの」は、遮るものがなくこちらから広く見える意。「三室の山」は、神が降臨する山のことで、多くは三輪山・雷丘・龍田山をいいます。「巌菅」は、大きな岩の上に生えている菅。上3句は、巌菅の根と続き、「ねもころ」を導く序詞。「ねもころ」は、熱心に、心を込めての意。結句は、単独母音オを含む、許容される8音の字余り句。

 2473の「菅の根の」は「ねもころ」の枕詞。「結びたる」の原文「結為」で、ムスビテシと訓むものもあります。「紐の緒」は、同義語を重ねて強めたもの。結句は、単独母音アを含む、許容される8音の字余り句。「君」とあるので女の歌と見られ、男と別れる時に誓いの心をもって言ったものとされます。2474の「山菅の」は「乱れ」の枕詞。「乱れ恋」は、思い乱れての恋で、名詞形。珍しい語句で、集中ほかに見られません。「年は経につつ」は、年は過ぎてゆくのに。

巻第11-2475~2478

2475
我(わ)が宿(やど)の軒(のき)の子太草(しだぐさ)生(お)ひたれど恋忘れ草(ぐさ)見るに未(いま)だ生(お)ひず
2476
打つ田にも稗(ひえ)はし数多(あまた)ありといへど選(えら)えし我(わ)れぞ夜を一人寝(ぬ)る
2477
あしひきの名に負(お)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はざらめやも
2478
秋柏(あきかしは)潤和川辺(うるわかはへ)の小竹(しの)の芽(め)の人には忍(しの)び君に堪(あ)へなくに
  

【意味】
〈2475〉我が家の屋根には、しだ草なら生えているけれど、恋忘れ草はまだ生えていません。
 
〈2476〉耕した田んぼに稗はまだたくさん残っているのに、選び取られて捨てられた私は、夜な夜なただ一人で寝ている。
 
〈2477〉足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、私を押し伏せて契りを結んでくださるなら、お逢いしないことはありません。
 
〈2478〉潤和川のほとりの笹の芽のように、ひっそりと人には覚られないようにすることはできても、あなたの前では恋の思いを隠すことができません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2475の「宿」は、家の敷地、庭先。「軒の子太草」は、軒に生えるシダ類の草。原文「甍子太草」で、イラカシダグサと訓むものもあります。「甍」は屋根の瓦の意なので、軒とは異なってきます。「生ひたれど」の原文「雖生」で、オフレドモと訓むものもあります。「恋忘れ草」は、ユリ科の一種ヤブカンゾウにあたり、『和名抄』に「一名、忘憂」とあり、身につけると憂いを忘れるという俗信がありました。これは『文選』などにみられる中国伝来のもののようです。

 2476の「打つ田」は、耕した田。「稗」は、イネ科の一年草。「選えし我れは」は、稗として選り分けられた我は、の意。原文「擇爲我」の「擇」は、多くのものの中から選び取る意。この歌について、窪田空穂は次のように解説しています。「部落生活をしている女の、男に疎まれている恨みである。自分を田の稗扱いにして、通っても来ないと、夜、独り寝をして恨んでいる心である。・・・『夜一人宿る』も直截である。『稗は数多にありといへど』は、自分のごとき扱いを男から受ける女も多いようだがの意で、我と慰めている心である」。

 2477の「あしひきの」は、「山」の枕詞を山の意に転用したもの、あるいは「山菅」にかかる枕詞。上2句は「押し伏せて」を導く序詞。「押し伏せて」は、強いて伏せて。山菅を押し伏せるように男が女に迫る譬え。「逢はざらめやも」の「やも」は反語で、逢わなかろうか、逢う。女が、求婚してきた男に対し躊躇するそぶりをすると、諦めて引き下がろうとするので、進んで承諾を示そうとしたもの。斎藤茂吉は「女性の靡いてゆく甘美の経路をあらわしている」と述べています。

 2478の「秋柏」は、紅葉した柏がうるわしい意で「潤和川」にかかる枕詞。「潤和川」は、所在未詳。「小竹」は、群生する細い竹。「人には忍び」は、他人に知られないように隠れ忍ぶこと。原文「人不顔面」で、ヒトニシノベバ、ヒトニハシノベなどと訓むものもあります。「堪へなくに」、堪えられないことよで、名詞形。

巻第11-2479~2482

2479
さね葛(かづら)後(のち)も逢はむと夢(いめ)のみをうけひ渡りて年は経(へ)につつ
2480
道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は [或本歌曰、いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば]
2481
大野らにたどきも知らず標(しめ)結(ゆ)ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは
2482
水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻(たまも)のうち靡(なび)き心は寄りて恋ふるこのころ
 

【意味】
〈2479〉さね葛のつるが延びて後に絡まり合うように、後に逢えるだろうと、夢の中ばかりで祈り続けているうちに年は過ぎてゆく。
 
〈2480〉道端に咲くいちしの花がとても目立つように、はっきりと世間の人は皆知ってしまった、私の恋妻のことを。(ずっと思い続けるものだから、はっきりと人が知ってしまった)
 
〈2481〉広い野に手掛かりも分からず標縄を張るように、見境もなくあの子と契ってしまい、とても堪えられそうもない、私の恋心は。

〈2482〉水底に生えている美しい藻がなびくように、私の心はあなたになびいてしまい、恋しくてならないこのごろです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2479の「さね葛」は、マツブサ科の多年蔓草のビナンカズラで、延びた蔓の先端がまた絡まり合うことから「後も逢はむ」にかかる枕詞。「うけひ渡りて」の「うけひ」は、誓いをして神に祈ることで、それをし続けて。男女の逢い難いことを嘆いている歌で、窪田空穂は、「嘆きを鎮めて、落ちついてゆっくりと後を待っている心である。落ちつくのは、その期間は長いものであるが、限りのあるものとしてのことらしい。それだと当時にあっては地方官でなくてはならない。国庁の高くない位置の人の心であろう」と述べています。

 2480の「いちしの花」は諸説ありますが、彼岸花とする説が有力です。上2句は「いちしろく」を導く同音反復式序詞。「いちしろく」は、はっきりと、顕著に、の意。「恋妻」は、相思相愛の間柄を表す称。窪田空穂は、「男の歌で、秘密にしていなければならない妻のことを、周囲の人に知られてしまったというのである。しかし嘆きはなく、明るい心でいっているものである。・・・夫婦関係に伴う信仰を、忘れかけているごとき心である。陶酔状態でいるためと見るべきであろう」と述べています。

 2481の「大野」は、人里離れた荒れた野。「たどきも知らず」は、手掛かりも知られずに。「標結ふ」は、占有する土地を示すために縄などを張ること。ここでは見境なく女を占有したことに喩えています。「ありかつましじ」の「あり」は生きる、「かつ」は、できる、「ましじ」は、ないだろう。原文「有不得」で、アリモカネツツ、アリゾカネツルなどと訓むものもあります。女の家や人柄などを見定めもせずに契ってしまった男の悩みの歌とされます。2482の上2句は「うち靡き」を導く譬喩式序詞。

巻第11-2483~2485

2483
敷栲(しきたへ)の衣手(ころもで)離(か)れて玉藻(たまも)なす靡(なび)きか寝(ぬ)らむ我(わ)を待ちかてに
2484
君(きみ)来(こ)ずは形見(かたみ)にせむと我(わ)が二人(ふたり)植ゑし松の木(き)君を待ち出(い)でむ
2485
袖(そで)振らば見ゆべき限り我(わ)れはあれどその松が枝(え)に隠(かく)らひにけり
 

【意味】
〈2483〉共寝の袖も離れ離れのまま、あの子は一人で玉藻のように黒髪をなびかせて寝ているだろうか、この私を待つことができずに。
 
〈2484〉あなたがいらっしゃらない時は、眺めて思い出そうと、二人で植えた松の木です。だから、待ったら必ず来てくれるでしょう。
 
〈2485〉あなたが袖を振ったら見える限りはと立っていたけれど、あの人の姿は遠ざかっていき、とうとう松の枝に隠れてしまった。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2483の「敷栲の」の「敷栲」は、敷物にする栲では「衣」の枕詞。「衣手」は、袖。「玉藻なす」は、玉藻のように。「らむ」は、現在推量。「待ちがてに」は、待つことができずに。妻の許に行くことのできなかった男の歌で、自分を待ちかねて独りで寝る妻を思いやっています。その官能的なところを、斎藤茂吉は「一種の恋歌」と言い、「衣手離れて」という言い方も「注意していいと思う表現である」と述べています。

 2484の「君来ずは」は、あなたが来ない時には。「形見」は、その人の代わりとして見る物。「松の木」はここで句切れになっており、松の木よ、と呼びかけた形になっており、「松」に「待つ」を掛けています。「待ち出でむ」は、待っていたものに出逢うだろう、の意。男に疎遠にされている切ない女心を歌ったものではありますが、この歌からは、この時代のカップルも、現代と同様、ガーデニングを楽しんでいたことが分かります。

 2485の「袖振らば」の原文「袖振」で、ソデフルガ、ソデフリテなどと訓むものもあります。「見ゆべき限り」の原文「可見限」で、ミツベキカギリと訓むものもあります。「隠らひにけり」の原文「隠在」で、カクリタリケリと訓むものもあります。男女の朝の別れに際し、男が別れを惜しむしぐさをしているのを見送っている女の歌であり、窪田空穂は、「男女の朝の別れを、女が見送りをするという一点に捉え、それを時間的にあらわしたもので、(中略)抒情をとおして叙事をする、人麿歌集特有の詠み方の歌である」と述べています。

巻第11-2486~2488

2486
茅渟(ちぬ)の海の浜辺(はまへ)の小松(こまつ)根(ね)深めて我(あ)が恋ひ渡る人の子ゆゑに
2487
奈良山の小松が末(うれ)のうれむぞは我(あ)が思ふ妹(いも)に逢はず止(や)みなむ
2488
礒(いそ)の上(うへ)に立てるむろの木(き)ねもころに何しか深め思ひそめけむ
 

【意味】
〈2486〉茅渟の海の浜辺に生えている松の根は深く、その根のように私は深く思い続けている、ふと出逢ったあの子ゆえに。
 
〈2487〉奈良山の若松の枝先のようにうら若い、私が恋するあの子にどうして逢わずにいられようか。
 
〈2488〉磯の上にしっかり根を張っているむろの木のように、どうして私は深く深く思うようになってしまったのだろう、あの子を。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2486の「茅渟の海」は、大阪市堺市から岸和田市にかけての大阪湾の海。古く和泉国を茅渟県(ちぬのあがた)と言ったことによります。上2句は、小松の根と続き「根深めて」を導く序詞。「根深めて」は、その根が深いように、心深めて、の意。「人の子」は、人(親)に養われていて自分の思いどおりにはならない娘の意を含んでいます。あるいは人妻の意とも。

 2487の「奈良山」は、奈良市北部の丘陵地。「小松が末」の「末」は、梢の先端。上2句は「うれむぞ」を導く同音反復式序詞。「うれむぞ」は、どうして~だろう、という反語的な意を持つ副詞。「は」は、強意の副詞。「止みなむ」は「うれむぞ」の結。片思いをして、自身を励ましている男の歌です。

 2488の「磯」は、海岸の岩。「むろの木」は、ヒノキ科のねずの木とされ、樹高10m以上にもなる常緑高木。上2句は、むろの木の高々と根を深めて立つさまから「ねもころに」を導く序詞。「ねもころに」は、ねんごろに、心深く。原文「心哀」で、ココロイタクと訓むものもあります。「何しか」は、どういうわけで、の意。原文「何深目」で、ナニニフカメテと訓むものもあります。

巻第11-2489~2491

2489
橘(たちばな)の本(もと)に我(わ)を立て下枝(しづえ)取り成(な)らむや君と問ひし子らはも
2490
天雲(あまくも)に翼(はね)打ちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しいまさねば
2491
妹(いも)に恋ひ寐(い)ねぬ朝明(あさけ)に鴛鴦(をしどり)のこゆかく渡る妹(いも)が使(つかひ)か
 

【意味】
〈2489〉橘の木の下に私を向かい合って立たせて、下枝をつかみ、この橘のように私たちの仲も実るでしょうか、と問いかけたあの子だったのに。
 
〈2490〉天雲に翼を打ちつけて飛んでいく鶴のように、貴方がいらしゃらないのが、とても心細くて寂しい。
 
〈2491〉あの子が恋しくて眠れない明け方に、仲睦まじい鴛鴦(おしどり)がここを通って飛んでいく。あれは、あの子の使いなのだろうか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2489の「我を立て」の原文「我立」で、ワガタチまたはワレタチと訓み、「二人で並んで立って」と解釈する説もあります。「成らむや君」の「成る」は、橘の実が熟することと二人の恋が成就することを掛けたもの。「や」は、肯定的な疑問。「問ひし子らはも」の「子ら」の「ら」は、接尾語。「はも」は、強い詠嘆。男は、女がその後どうなったのか知らないとみられ、若かったころの思い出の一コマを歌っている歌です。

 2490の「飛ぶ鶴の」の「の」は、~のように。上3句は、「鶴(たづ)」の同音で「たづたづし」を導く序詞。「たづたづし」は「たどたどし」の古語で、心細い、心もとない意の形容詞。「君し」の「し」は、強意の副助詞。「いまさねば」の「います」は「来る」の尊敬語。結句は、単独母音イを含む8音の許容される字余り句。妻が夫に贈った恋歌ではありますが、上3句の序の鶴の描写が印象的な歌となっています。

 2491の「寐ねぬ朝明に」は、眠れぬ明け方に。「鴛鴦」は、古来、夫婦睦まじい鳥とされていました。「こゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。ここを通って。「かく渡る」は、このように飛び渡ってゆく。「妹が使か」の「か」は、疑問。原文「妹使」で、イモガツカヒゾと訓むものもあります。この歌について窪田空穂は、「相思う心は何らかの形で感応し合うという信仰があり、また、鳥に使を連想するのは伝統的な感情であるから、さして甚しいものではない。それよりも男は、雌雄むつまじい鴛鴦にそうした感をつないだことに慰みを感じたのである」と述べています。

巻第11-2492~2494

2492
思ひにし余りにしかば鳰鳥(にほどり)のなづさひ来(こ)しを人(ひと)見けむかも
2493
高山(たかやま)の嶺(みね)行くししの友を多(おほ)み袖(そで)振らず来(き)ぬ忘ると思ふな
2494
大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き漕(こ)ぐほともここだ恋ふるを年(とし)にあらば如何(いか)に
 

【意味】
〈2492〉恋しさに思いあまり、川の中をカイツブリのようにびしょぬれになってやってきたが、人がそれを目にしただろうか。
 
〈2493〉高山の嶺づたいに群れて行くカモシカのように、連れ立っている人が多かったので袖を振らずにやって来たが、お前のことを忘れていたなどと思うなよ。
 
〈2494〉大船に多くの梶を取りつけて漕ぐ間さえ、あの子がこんなにも恋しくてならないのに、一年も逢えなかったらどんなであろう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2492の「思ひにし」の原文「念」で、オモフニシと訓むものもあります。「鳰鳥の」は、鳰鳥(カイツブリ)のごとくで、「なづさひ」にかかる枕詞。「なづさひ来し」は、水に濡れて来た意。男の歌で、川を渡って水に濡れて女の許にやって来た、あるいは夜露に濡れてやって来たことを言っているとされます。人目を忍ぶ関係だったようです。

 2493の「しし」は、獣。ここはカモシカかといいます。上2句は、シシが群れをなすことから「友を多み」を導く序詞。「多み」は、多いので。この第3句は単独母音オを含むので、許容される字余り句。「袖振らず来ぬ」の原文「袖不振来」で、ソデフラズキツと訓むものもあります。多くの同行者とともに出かけた男が、後で妻に贈った形の歌です。

 2494の「大船に真楫しじ貫き」は、大きな船の左右に多くの艪を取り付けて。「漕ぐほとも」の「ほと」は、短い時間。漕いでいるわざうかな間も。「ここだ」は、こんなにもひどく。「ここだ恋ふるを」の原文「極太戀」で、ココダクコヒシと訓むものもあります。「如何に」は、下に「あらむ」が略されています。官人の男の航海中の歌と見られ、織女と牽牛のように1年に1度しか逢えなかったらどんなであろう、と言っています。

巻第11-2495~2497

2495
たらちねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り隠(こも)れる妹(いも)を見むよしもがも
2496
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結(ゆ)へる染木綿(しめゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも]
2497
隼人(はやひと)の名に負(お)ふ夜声(よごゑ)いちしろく我が名は告(の)りつ妻と頼ませ
 

【意味】
〈2495〉母親が飼っている蚕が繭にこもっているように、家にこもって外に出ないあの子を見る方法があればなあ。
 
〈2496〉肥人(こまひと)が前髪を結んでいる染木綿(しめゆふ)のように、深く染みこんでしまった私の思い、この思いをどうして忘れたりしましょうか、忘れはしません。
 
〈2497〉あの有名な隼人の夜警の大声のように、はっきりと私の名を申し上げました。この上は、私を妻として頼みにして下さいね。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2495の「たらちねの」は「母」の枕詞。「蚕」は、カイコ。「繭隠り」は、蚕が繭の中に籠る意。上3句は「隠れる」を導く序詞。「見むよしもがも」の「見るよし」は、見る方法。「もがも」は、願望。見る方法があればなあ。男が恋心を寄せる娘は母に外出を禁じられているのでしょうか、繭に閉じ籠っている蛹を、一向に顔を出さない娘に譬えています。なお、冒頭の「たらちねの」の原文「足常」で、2368にあった「垂乳根」とは異なっています。ここで文字表記を変えているのは、常に充分足りている意を示唆し、下の句と照応して娘への行き届いた養育を印象づけるための作者の意図が感じられるところです。

 2496の「肥人」は、熊本県球磨地方の人とされます。クマヒト、コヒヒト、ウマビトなどと訓むものもあります。「額髪」は、前髪。「染木綿」は、何らかの色に染めた木綿。都人から見れば、珍しく印象深いものだったのかもしれません。上3句は「染みにし」を導く類音反復式序詞。「染みにし心」は、相手に深く思い入った心。「我れ忘れめや」は、我は忘れようか忘れない。男が女に対して誠実を誓った歌です。

 2497は、男の求婚に応じた女の歌で、前の歌の答歌とされます。「隼人」は、薩摩・大隅地方の勇猛な人々。「名に負ふ」は、有名な。「夜声」は、彼らが吠声(はいせい)を発して宮廷を警護したといわれ、その声。上2句は、声の高い意で「いちしろく」を導く序詞。「いちしろく」は、はっきりと。「我が名は告りつ」は、私の名は申し上げました、で、男の求婚に応じたことを意味します。「妻と頼ませ」の「頼ませ」は「頼め」の敬語で、妻として頼りになさってください。

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『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。

『万葉集』以前の歌集

■「古歌集」または「古集」
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■「柿本人麻呂歌集」
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■「笠金村歌集」
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■「高橋虫麻呂歌集」
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■「田辺福麻呂歌集」
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。
 

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

万葉人の季節感

春(1~3月)
馬酔木(アシビ)
梅(ウメ)
堅香子(カタタゴ)
桜(サクラ)
早蕨(サワラビ)
菫(スミレ)
椿(ツバキ)
柳(ヤナギ)
山吹(ヤマブキ)
桃(モモ)
鶯(ウグイス)
雉(キザシ)
霞(かすみ)
春雨
 
夏(4~6月)
菖蒲草(アヤメグサ)
卯の花(ウノハナ)
杜若(カキツバタ)
茅萱(チガヤ)
月草(ツキクサ)
躑躅(ツツジ)
合歓(ネム)
浜木綿(ハマユウ)
姫百合(ヒメユリ)
藤(フジ)
百合(ユリ)
忘れ草(ワスレグサ)
蜩(ヒグラシ)
霍公鳥(ホトトギス)
 
秋(7~9月)
茜(アカネ)
朝顔(アサガオ)
葦(アシ)
尾花(オバナ)
女郎花(オミナエシ)
葛(クズ)
真葛(サナカヅラ)
橡(ツルハミ)
撫子(ナデシコ)
萩(ハギ)
黄葉(モミジ)
鹿(シカ)
秋風
時雨
七夕(たなばた)
 
冬(10~12月)
榊(サカキ)
笹(ササ)
橘(タチバナ)
松(マツ)
山橘(ヤマタチバナ)


新年

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