巻第11-2452~2454
2452 雲だにも著(しる)くし立たば慰(なぐさ)めて見つつも居(を)らむ直(ただ)に逢ふまでに 2453 春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ 2454 春日山(かすがやま)雲居(くもゐ)隠(かく)りて遠(とほ)けども家(いへ)は思はず君をしぞ思ふ |
【意味】
〈2452〉せめて雲だけでもはっきり立ったら、それを慰めに見てもいよう、じかに逢うまで。
〈2453〉春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。
〈2454〉春日山は雲に隠れて遠く、まだ家まで遠いけれど、その家のことよりあなたのことが思われてならない。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2452は、旅に出ている男の、家の妻を思っての歌。「雲だにも」は、雲だけでも。「著しく」は、はっきりと、著しく。2453の「春柳」は「葛城山」の枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境の連山。上3句が「立ち」を導く序詞。訳文中の「かずらにする」とは、柳で輪を作って髪飾りにすること。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。2454の「春日山」は、奈良市東方の山並み。「雲居」は、雲。何かの用事で旅に出ている女が、その夫に贈った形の歌。といっても春日山が見える所なので、そんなに遠方ではありません。
巻第11-2455~2458
2455 我(わ)がゆゑに言はれし妹(いも)は高山(たかやま)の嶺(みね)の朝霧(あさぎり)過ぎにけむかも 2456 ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)に小雨(こさめ)降りしきしくしく思ほゆ 2457 大野(おほの)らに小雨(こさめ)降りしく木(こ)の下(もと)に時と寄り来(こ)ね我(あ)が思(おも)ふ人 2458 朝霜(あさしも)の消(け)なば消(け)ぬべく思ひつついかにこの夜(よ)を明かしてむかも |
【意味】
〈2455〉私のせいで噂になったあの女(ひと)は、まるで高山の嶺の朝霧が消えるように、もうあきらめてしまったのだろうか。
〈2456〉黒髪山の草の上に雨が降りしきるように、あとからあとからひっきりなしに、あの人のことが思われる。
〈2457〉広々とした野に小雨が降っています。こんな時こそ木の下に立ち寄ってください、私の好きな人。
〈2458〉朝霜のようにやがて消えるだろうと思いながら、なかなか消えないこの思い。どのようにこの夜を明かしたらいいのだろう。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2455の「高山の嶺の朝霧」は「過ぎ」を導く序詞。「過ぎ」を死の意だとして、「高山の峰にかかる朝霧のように、この世を過ぎて死んでしまったのだろうか」と解するものもあります。「けむ」は、過去推量。「かも」は、疑問。
2456の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「黒髪山」は、奈良市黒髪佐保山にある小山。「降りしき」は、しきりに降り。「しくしく思ほゆ」の上が序詞。「しくしく」は、ひっきりなしに、重ね重ね。長い序詞ながら、詩人の大岡信は、「それが長いというにとどまらず、純粋な叙景と見える表現の中に、しみじみとした哀感をしのばせている手腕は見事」と評しています。2457の「大野らの「ら」は接尾語。「時と」は、よい機会として。2458の「朝霜の」は「消」の枕詞。
巻第11-2459~2462
2459 我(わ)が背子(せこ)が浜(はま)行く風のいや早(はや)に急事(はやごと)増して逢はずかもあらむ 2460 遠き妹(いも)が振り放(さ)け見つつ偲(しの)ふらむこの月の面(おも)に雲なたなびき 2461 山の端(は)を追ふ三日月(みかづき)のはつはつに妹(いも)をぞ見つる恋(こ)ほしきまでに 2462 我妹子(わぎもこ)し我(わ)れを思はばまそ鏡(かがみ)照り出(い)づる月の影(かげ)に見え来(こ)ね |
【意味】
〈2459〉あの人の浜辺を吹く風のように、至急な用事が増えて、あの人は私に逢わないでいるのだろうか。
〈2460〉遠く離れている妻が、振り仰いで月を見ながら私のことを思ってくれているに違いない。この月の面(おもて)に雲よ、たなびかないでおくれ。
〈2461〉山の端をなぞるように沈む三日月のように、ほんの少しだけあの娘を見た。それなのに今はこんなに恋しい。
〈2462〉愛しい妻がこの私を思っていてくれるなら、空に照り輝く月のように、面影として浮かんできてほしい。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2459の「いや早に」の「いや」は、甚だ。「急事」は、至急の用事。2460の「雲なたなびき」の「な」は、禁止。2461の上2句は「はつはつに」を導く序詞。「はつはつに」は、わずかに、かすかに。2462の「まそ鏡」は「照り出づる月」の枕詞。「影」は月の影(光)と面影を掛けています。「来ね」の「ね」は、願望。
巻第11-2463~2466
2463 ひさかたの天(あま)照(て)る月の隠(かく)りなば何になそへて妹(いも)を偲(しの)はむ 2464 三日月(みかづき)のさやにも見えず雲隠(くもがく)り見まくぞ欲(ほ)しきうたてこのころ 2465 我(わ)が背子(せこ)に吾(わ)が恋ひ居(を)れば吾(わ)が屋戸(やど)の草さへ思ひうらぶれにけり 2466 浅茅原(あさぢはら)小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(そらごと)をいかなりと言ひて君をし待たむ |
【意味】
〈2463〉空に輝く月が隠れてしまったら、いったい何を妻になぞらえて懐かしんだらよいのだろう。
〈2464〉三日月がはっきりと見えずに雲に隠れてしまうように、心行くまであの人の姿が見られないので、逢いたくてたまらない。妙にこのごろは。
〈2465〉私の夫を恋しく待ち遠しく思っていると、家の庭の草さえも、思い悩んで萎れてしまいました。
〈2466〉雑草ばかりの小野に標を張るような空しい言葉を、人にどう説明して、あなたを待っていたらいいのでしょう。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2463の「ひさかたの」は「天」の枕詞。「なそへて」は、見立てて、なぞらえて。2464の「さやに」は、はっきり、「うたて」は、ますますの意。2465の「思ひうらぶれ」は、思い悩んで萎れる。2466の上2句は「空言」を導く序詞。「空言」は、実の伴わない空しい言葉。「標」は、所有地を示すために縄などを張るものですが、「浅茅原」はそれほど大切な土地ではないため、相手の誠意のない口先だけの約束に喩えています。
巻第11-2467~2470
2467 道の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の後(ゆり)もと言ふ妹(いも)が命(いのち)を我(わ)れ知らめやも 2468 湊葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆(ひとみな)知りぬわが下思(したおも)ひは 2469 山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心も深く我(あ)が恋やまず 2470 湊(みなと)にさ根延(ねば)ふ小菅(こすげ)ぬすまはず君に恋ひつつありかてぬかも |
【意味】
〈2467〉道端の草の中に咲く百合のように、いずれ後になどと言っているが、あの子の命を、私が知っていようか、知りはしない。
〈2468〉河口の葦に交じっているしり草の名のように、誰もが知ってしまった、私のひそかな胸の内を。
〈2469〉山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているように、私の心もすっかり沈んでいるけれども、心の底に深々と、私の恋は一向に止まない。
〈2470〉河口にひそかに根をのばす小菅のように、人の目を忍んで、あなたに逢わずに生きているのは堪えられない。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2467の「草深百合」は、草の茂みの中に咲いた百合。上2句は、後(のち)という意味の「後(ゆり)」を導く序詞。女に求婚して、いずれ後にと婉曲に拒まれた男が「どうして今では駄目なのか」と憤怒している歌です。「やも」は、反語。
2468の「湊葦」は河口に生える葦。上3句は「知り」を導く序詞。「しり草」は不詳。2469の「山ぢさ」は、エゴノキ。上2句は「うらぶれて」を導く序詞。「うらぶれて」は、悲しみに沈んで。2470の「さ根延ふ」の「さ」は、接頭語。根が長くのびる。上2句は「ぬすまふ」を導く序詞。「ぬすまふ」は、人目を忍ぶ意。「ありかてぬかも」は、生きているのが堪えられないことよ。
巻第11-2471~2474
2471 山背(やましろ)の泉(いづみ)の小菅(こすげ)なみなみに妹(いも)が心をわが思(おも)はなくに 2472 見渡しの三室(みむろ)の山の巌菅(いはほすげ)ねもころ我は片思(かたもい)ぞする〈一云、三諸(みもろ)の山の岩小菅(いはこすげ)〉 2473 菅(すが)の根のねもころ君が結びたるわが紐(ひも)の緒(を)を解く人はあらじ 2474 山菅(やますげ)の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経(へ)につつ |
【意味】
〈2471〉山背の地の水辺には小菅が並んでいるけれど、あなたの心を思うことは並み大抵ではありません。
〈2472〉向こうに見える三室山の岩に生えた菅、その菅の根ではないが、ひたすら熱意をこめて私は片思いしていることだ。(みもろの山の岩小菅ではないが)
〈2473〉心をこめてあなたが結んでくれた私の衣の紐を、解く人はほかに誰もいないでしょう。
〈2474〉山菅の根のように思い乱れた恋ばかりさせておきながら、あの子は一向に逢ってくれない、年月は過ぎていくばかりで。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2471の「山背」は、京都府南部。上2句は「なみなみに」を導く序詞。「なみなみに」は、菅が靡く意と、ふつうにの意を掛けています。2472の「三室の山」は、神が降臨する山のことで、多くは三輪山・雷丘・龍田山をいいます。上3句は「ねもころ」を導く序詞。「ねもころ」は、熱心に、心を込めての意。2473の「菅の根の」は「ねもころ」の枕詞。2474の「山菅の」は「乱れ」の枕詞。
巻第11-2475~2478
2475 我(わ)が宿(やど)の軒(のき)にしだ草 生(お)ひたれど恋忘れ草(ぐさ)見れどいまだ生(お)ひず 2476 打つ田には稗(ひえ)はしあまたありといへど選(えら)えし我(わ)れぞ夜をひとり寝(ぬ)る 2477 あしひきの名に負(お)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はざらめやも 2478 秋柏(あきかしは)潤和川辺(うるわかはへ)の小竹(しの)の芽(め)の人には忍(しの)び君に堪(あ)へなくに |
【意味】
〈2475〉我が家の屋根には、しだ草なら生えているけれど、恋忘れ草はまだ生えていません。
〈2476〉耕した田んぼに稗はまだたくさん残っているのに、選び取られて捨てられた私は、夜な夜なただ一人で寝ている。
〈2477〉足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、私を押し倒して契りを結んでくれるなら、お逢いしないことはありません。
〈2478〉潤和川のほとりの笹の芽のように、ひっそりと人には覚られないようにすることはできても、あなたの前では恋の思いを隠すことができません。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2475の「忘れ草」は、ユリ科の一種ヤブカンゾウにあたり、『和名抄』に「一名、忘憂」とあり、身につけると憂いを忘れるという俗信がありました。これは『文選』などにみられる中国伝来のもののようです。2476の「打つ田」は、耕した田。2477の上2句は「押し伏せて」を導く序詞。「やも」は、反語。2478の「秋柏」は「潤和川」の枕詞。「潤和川」は、所在未詳。
巻第11-2479~2482
2479 さね葛(かづら)後(のち)も逢はむと夢(いめ)のみにうけひわたりて年は経(へ)につつ 2480 道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は [或本歌曰、いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば] 2481 大野らにたどきも知らず標(しめ)結(ゆ)ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは 2482 水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻(たまも)のうち靡(なび)き心は寄りて恋ふるこのころ |
【意味】
〈2479〉さね葛のつるが延びて後に絡まり合うように、後に逢えるだろうと、夢の中ばかりで祈り続けているうちに年は過ぎてゆく。
〈2480〉道端に咲くいちしの花がとても目立つように、いちじるしくはっきりと世間の人が知ってしまった、私の恋妻のことを。(ずっと思い続けるものだから、はっきりと人が知ってしまった)
〈2481〉広い野にようすも分からず標縄を張るように、見境もなくあの子と契ってしまい、とても堪えられそうもない、私の恋心は。
〈2482〉水底に生えている美しい藻がなびくように、私の心はあなたになびいてしまい、恋しくてならないこのごろです。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2479の「さね葛」は「後も逢はむ」の枕詞。「うけふ」は、神に祈る意。2480の上2句は「いちしろく」を導く序詞。「いちしの花」は諸説ありますが、彼岸花とする説が有力です。「いちしろく」は、はっきりと、顕著に、の意。2481の「標結ふ」は、占有する土地を示すために縄などを張ること。ここでは見境なく女を占有したことに喩えています。2482の上2句は「うち靡き」を導く序詞。
巻第11-2483~2485
2483 敷栲(しきたへ)の衣手(ころもで)離(か)れて玉藻(たまも)なす靡(なび)きか寝(ぬ)らむ我(わ)を待ちかてに 2484 君(きみ)来(こ)ずは形見(かたみ)にせむと我(わ)がふたり植ゑし松の木(き)君を待ち出(い)でむ 2485 袖(そで)振らば見ゆべき限り我(わ)れはあれどその松が枝(え)に隠(かく)らひにけり |
【意味】
〈2483〉共寝の袖も離れ離れのまま、あの子は一人で玉藻のように黒髪をなびかせて寝ているだろうか、この私を待ちかねて。
〈2484〉あなたがいらっしゃらない時は、眺めて思い出そうと、二人で植えた松の木です。あなたがやって来るのをお待ちしています。
〈2485〉あなたが袖を振ったら見える限りはと立っていたけれど、あの人の姿は遠ざかっていき、とうとう松の枝に隠れてしまった。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2483の「敷栲の」「玉藻なす」は、それぞれ「衣手」「靡く」の枕詞。2484の「形見」は、その人の代わりとして見る物。「松の木」は「待つ」を掛けています。2485は、男女の朝の別れに際し、男の別れを惜しむしぐさを見送っている女の歌。
巻第11-2486~2488
2486 茅渟(ちぬ)の海の浜辺(はまへ)の小松(こまつ)根(ね)深めて我(あ)れ恋ひわたる人の子ゆゑに 2487 奈良山の小松が末(うれ)のうれむぞは我(あ)が思ふ妹(いも)に逢はずやみなむ 2488 礒(いそ)の上(うへ)に立てるむろの木(き)ねもころに何しか深め思ひそめけむ |
【意味】
〈2486〉茅渟の海の浜辺に生えている松の根は深く、その根のように私はただ深く恋い続けるよりほかない。彼女は人妻なので。
〈2487〉奈良山の若松の枝先のようにうら若い、私が恋するあの子にどうして逢わずにいられようか。
〈2488〉磯の上にしっかり根を張っているむろの木のように、どうして私は深く深く思うようになってしまったのだろう、あの子を。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2486の上2句は「根深めて」を導く序詞。「茅渟の海」は、大阪市堺市から岸和田市にかけての海。2487の上2句は「うれむぞ」を導く序詞。「奈良山」は、平城京の北にある丘陵。「うれむぞ」は、どうしての意の反語を導く副詞。2488の上2句は「ねもころに」を導く序詞。「むろ」は、ねずの木とされます。「何しか」は、どういうわけで、の意。
巻第11-2489~2491
2489 橘(たちばな)の本(もと)に我(わ)を立て下枝(しづえ)取り成(な)らむや君と問ひし子らはも 2490 天雲(あまくも)に翼(はね)打ちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しまさねば 2491 妹(いも)に恋ひ寐(い)ねぬ朝明(あさけ)に鴛鴦(をしどり)のこゆかく渡る妹(いも)が使(つかひ)か |
【意味】
〈2489〉橘の木の下に私を向かい合って立たせて、下枝をつかみ、この橘のように私たちの仲も実るでしょうか、と問いかけたあの子だったのに。
〈2490〉天雲に翼を打ちつけて飛んでいく鶴のように、貴方がいないのが、とても心細くて寂しい。
〈2491〉あの子が恋しくて眠れない明け方に、鴛鴦(おしどり)が仲むつまじく飛んでいく。あれは、早くそうなりたいというあの子の使いなのだろうか。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2489の「我を立て」を「我が立ち」と訓み、「二人で立って」と解釈する説もあります。「成らむや君」の「成る」は、橘の実が熟することと二人の恋が成就することを掛けたもの。「問ひし子らはも」の「子ら」の「ら」は、接尾語。男は女がその後どうなったのか知らないとみられ、若かったころの思い出の一コマを歌っている歌です。2490の上3句は「たづたづし」を導く序詞。「たづたづし」は、心細い、心もとないの意。2491の「鴛鴦」は、古来、夫婦睦まじい鳥とされていました。
巻第11-2492~2494
2492 思ひにしあまりにしかばにほ鳥(どり)のなづさひ来(こ)しを人(ひと)見けむかも 2493 高山(たかやま)の嶺(みね)行くししの友を多(おほ)み袖(そで)振らず来(き)ぬ忘ると思ふな 2494 大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き漕(こ)ぐほともここだ恋ふるを年(とし)にあらばいかに |
【意味】
〈2492〉恋しさに思いあまり、川の中をカイツブリのようにびしょぬれになってやってきたが、人がそれを目にしただろうか。
〈2493〉高山の嶺づたいに群れて行くカモシカのように、連れ立っている人が多かったので袖を振らずにやって来たが、お前のことを忘れていたなどと思うなよ。
〈2494〉大船に多くの梶を取りつけて漕ぐ間さえ、あの子がこんなにも恋しくてならないのに、一年も逢えなかったらどんなであろう。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2492の「にほ鳥の」は「なづさふ」の枕詞。「なづさひ来し」は、波間を漂いながら来た意。2493の上2句は「友を多み」を導く序詞。2494の「ほと」は、短い時間、「ここだ」は、こんなにもひどく。織女と牽牛のように1年に1度しか逢えなかったら、と言っています。
巻第11-2495~2497
2495 たらつねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り隠(こも)れる妹(いも)を見むよしもがも 2496 肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結(ゆ)へる染木綿(しめゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも] 2497 隼人(はやひと)の名 負(お)ふ夜声(よごゑ)のいちしろく我が名は告(の)りつ妻と頼ませ |
【意味】
〈2495〉母親が飼っている蚕が繭にこもっているように、家にこもって外に出ないあの子に逢う手段はないものか。
〈2496〉肥人(こまひと)が前髪を結んでいる染木綿(しめゆふ)のように、深く染みこんでしまった私の思い、この思いをどうして忘れたりしましょうか(忘れられようか)。
〈2497〉あの有名な隼人の夜警の大声のように、はっきりと私の名を申しました。この上は、私を妻として頼みにして下さいね。
【説明】
「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2495の「たらつねの」は「母」の枕詞。上3句は「隠れる」を導く序詞。男が恋心を寄せる娘は母に外出を禁じられているのでしょうか、繭に閉じ籠っている蛹を、一向に顔を出さない娘に譬えています。2496の「肥人」は、熊本県球磨地方の人とされます。上3句は「染みにし」を導く序詞。2497の「隼人」は、薩摩・大隅地方の勇猛な人々。上2句は「いちしろく」を導く序詞。「いちしろく」は、はっきりとの意。
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