本文へスキップ

万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第11)~その2

巻第11-2452~2454

2452
雲だにも著(しる)くし立たば慰(なぐさ)めて見つつも居(を)らむ直(ただ)に逢ふまでに
2453
春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ
2454
春日山(かすがやま)雲居(くもゐ)隠(かく)りて遠(とほ)けども家(いへ)は思はず君をしぞ思ふ
  

【意味】
〈2452〉せめて雲だけでもはっきり立ったら、それを慰めに見てもいよう、じかに逢うまで。

〈2453〉春柳をかずらにする葛城山に湧き立つ雲のように、立っても座っても妻のことが思われてならない。
 
〈2454〉春日山は雲に隠れて遠く、まだ家まで遠いけれど、その家のことよりあなたのことが思われてならない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2452は、旅に出ている男の、家の妻を思っての歌。「雲だにも」は、雲だけでも。「著しく」は、はっきりと、著しく。2453の「春柳」は「葛城山」の枕詞。「葛城山」は、大和・河内国境の連山。上3句が「立ち」を導く序詞。訳文中の「かずらにする」とは、柳で輪を作って髪飾りにすること。この歌の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、『万葉集』の中で、わずか10文字という最少の字数で表されています。2454の「春日山」は、奈良市東方の山並み。「雲居」は、雲。何かの用事で旅に出ている女が、その夫に贈った形の歌。といっても春日山が見える所なので、そんなに遠方ではありません。

巻第11-2455~2458

2455
我(わ)がゆゑに言はれし妹(いも)は高山(たかやま)の嶺(みね)の朝霧(あさぎり)過ぎにけむかも
2456
ぬばたまの黒髪山(くろかみやま)の山菅(やますげ)に小雨(こさめ)降りしきしくしく思ほゆ
2457
大野(おほの)らに小雨(こさめ)降りしく木(こ)の下(もと)に時と寄り来(こ)ね我(あ)が思(おも)ふ人
2458
朝霜(あさしも)の消(け)なば消(け)ぬべく思ひつついかにこの夜(よ)を明かしてむかも
 

【意味】
〈2455〉私のせいで噂になったあの女(ひと)は、まるで高山の嶺の朝霧が消えるように、もうあきらめてしまったのだろうか。

〈2456〉黒髪山の草の上に雨が降りしきるように、あとからあとからひっきりなしに、あの人のことが思われる。
 
〈2457〉広々とした野に小雨が降っています。こんな時こそ木の下に立ち寄ってください、私の好きな人。
 
〈2458〉朝霜のようにやがて消えるだろうと思いながら、なかなか消えないこの思い。どのようにこの夜を明かしたらいいのだろう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2455の「高山の嶺の朝霧」は「過ぎ」を導く序詞。「過ぎ」を死の意だとして、「高山の峰にかかる朝霧のように、この世を過ぎて死んでしまったのだろうか」と解するものもあります。「けむ」は、過去推量。「かも」は、疑問。

 2456の「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「黒髪山」は、奈良市黒髪佐保山にある小山。「降りしき」は、しきりに降り。「しくしく思ほゆ」の上が序詞。「しくしく」は、ひっきりなしに、重ね重ね。長い序詞ながら、詩人の大岡信は、「それが長いというにとどまらず、純粋な叙景と見える表現の中に、しみじみとした哀感をしのばせている手腕は見事」と評しています。2457の「大野らの「ら」は接尾語。「時と」は、よい機会として。2458の「朝霜の」は「消」の枕詞。

巻第11-2459~2462

2459
我(わ)が背子(せこ)が浜(はま)行く風のいや早(はや)に急事(はやごと)増して逢はずかもあらむ
2460
遠き妹(いも)が振り放(さ)け見つつ偲(しの)ふらむこの月の面(おも)に雲なたなびき
2461
山の端(は)を追ふ三日月(みかづき)のはつはつに妹(いも)をぞ見つる恋(こ)ほしきまでに
2462
我妹子(わぎもこ)し我(わ)れを思はばまそ鏡(かがみ)照り出(い)づる月の影(かげ)に見え来(こ)ね
   

【意味】
〈2459〉あの人の浜辺を吹く風のように、至急な用事が増えて、あの人は私に逢わないでいるのだろうか。
 
〈2460〉遠く離れている妻が、振り仰いで月を見ながら私のことを思ってくれているに違いない。この月の面(おもて)に雲よ、たなびかないでおくれ。
 
〈2461〉山の端をなぞるように沈む三日月のように、ほんの少しだけあの娘を見た。それなのに今はこんなに恋しい。
 
〈2462〉愛しい妻がこの私を思っていてくれるなら、空に照り輝く月のように、面影として浮かんできてほしい。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2459の「いや早に」の「いや」は、甚だ。「急事」は、至急の用事。2460の「雲なたなびき」の「な」は、禁止。2461の上2句は「はつはつに」を導く序詞。「はつはつに」は、わずかに、かすかに。2462の「まそ鏡」は「照り出づる月」の枕詞。「影」は月の影(光)と面影を掛けています。「来ね」の「ね」は、願望。

巻第11-2463~2466

2463
ひさかたの天(あま)照(て)る月の隠(かく)りなば何になそへて妹(いも)を偲(しの)はむ
2464
三日月(みかづき)のさやにも見えず雲隠(くもがく)り見まくぞ欲(ほ)しきうたてこのころ
2465
我(わ)が背子(せこ)に吾(わ)が恋ひ居(を)れば吾(わ)が屋戸(やど)の草さへ思ひうらぶれにけり
2466
浅茅原(あさぢはら)小野に標(しめ)結(ゆ)ふ空言(そらごと)をいかなりと言ひて君をし待たむ
  

【意味】
〈2463〉空に輝く月が隠れてしまったら、いったい何を妻になぞらえて懐かしんだらよいのだろう。
 
〈2464〉三日月がはっきりと見えずに雲に隠れてしまうように、心行くまであの人の姿が見られないので、逢いたくてたまらない。妙にこのごろは。

〈2465〉私の夫を恋しく待ち遠しく思っていると、家の庭の草さえも、思い悩んで萎れてしまいました。
 
〈2466〉雑草ばかりの小野に標を張るような空しい言葉を、人にどう説明して、あなたを待っていたらいいのでしょう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2463の「ひさかたの」は「天」の枕詞。「なそへて」は、見立てて、なぞらえて。2464の「さやに」は、はっきり、「うたて」は、ますますの意。2465の「思ひうらぶれ」は、思い悩んで萎れる。2466の上2句は「空言」を導く序詞。「空言」は、実の伴わない空しい言葉。「標」は、所有地を示すために縄などを張るものですが、「浅茅原」はそれほど大切な土地ではないため、相手の誠意のない口先だけの約束に喩えています。

巻第11-2467~2470

2467
道の辺(へ)の草深百合(くさふかゆり)の後(ゆり)もと言ふ妹(いも)が命(いのち)を我(わ)れ知らめやも
2468
湊葦(みなとあし)に交(まじ)れる草のしり草の人皆(ひとみな)知りぬわが下思(したおも)ひは
2469
山ぢさの白露(しらつゆ)重(おも)みうらぶれて心も深く我(あ)が恋やまず
2470
湊(みなと)にさ根延(ねば)ふ小菅(こすげ)ぬすまはず君に恋ひつつありかてぬかも
   

【意味】
〈2467〉道端の草の中に咲く百合のように、いずれ後になどと言っているが、あの子の命を、私が知っていようか、知りはしない。
 
〈2468〉河口の葦に交じっているしり草の名のように、誰もが知ってしまった、私のひそかな胸の内を。

〈2469〉山ぢさの葉が白露の重みでうなだれているように、私の心もすっかり沈んでいるけれども、心の底に深々と、私の恋は一向に止まない。
 
〈2470〉河口にひそかに根をのばす小菅のように、人の目を忍んで、あなたに逢わずに生きているのは堪えられない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2467の「草深百合」は、草の茂みの中に咲いた百合。上2句は、後(のち)という意味の「後(ゆり)」を導く序詞。女に求婚して、いずれ後にと婉曲に拒まれた男が「どうして今では駄目なのか」と憤怒している歌です。「やも」は、反語。

 2468の「湊葦」は河口に生える葦。上3句は「知り」を導く序詞。「しり草」は不詳。2469の「山ぢさ」は、エゴノキ。上2句は「うらぶれて」を導く序詞。「うらぶれて」は、悲しみに沈んで。2470の「さ根延ふ」の「さ」は、接頭語。根が長くのびる。上2句は「ぬすまふ」を導く序詞。「ぬすまふ」は、人目を忍ぶ意。「ありかてぬかも」は、生きているのが堪えられないことよ。

巻第11-2471~2474

2471
山背(やましろ)の泉(いづみ)の小菅(こすげ)なみなみに妹(いも)が心をわが思(おも)はなくに
2472
見渡しの三室(みむろ)の山の巌菅(いはほすげ)ねもころ我は片思(かたもい)ぞする〈一云、三諸(みもろ)の山の岩小菅(いはこすげ)〉
2473
菅(すが)の根のねもころ君が結びたるわが紐(ひも)の緒(を)を解く人はあらじ
2474
山菅(やますげ)の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹(いも)かも年は経(へ)につつ
 

【意味】
〈2471〉山背の地の水辺には小菅が並んでいるけれど、あなたの心を思うことは並み大抵ではありません。
 
〈2472〉向こうに見える三室山の岩に生えた菅、その菅の根ではないが、ひたすら熱意をこめて私は片思いしていることだ。(みもろの山の岩小菅ではないが)
 
〈2473〉心をこめてあなたが結んでくれた私の衣の紐を、解く人はほかに誰もいないでしょう。
 
〈2474〉山菅の根のように思い乱れた恋ばかりさせておきながら、あの子は一向に逢ってくれない、年月は過ぎていくばかりで。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2471の「山背」は、京都府南部。上2句は「なみなみに」を導く序詞。「なみなみに」は、菅が靡く意と、ふつうにの意を掛けています。2472の「三室の山」は、神が降臨する山のことで、多くは三輪山・雷丘・龍田山をいいます。上3句は「ねもころ」を導く序詞。「ねもころ」は、熱心に、心を込めての意。2473の「菅の根の」は「ねもころ」の枕詞。2474の「山菅の」は「乱れ」の枕詞。

巻第11-2475~2478

2475
我(わ)が宿(やど)の軒(のき)にしだ草 生(お)ひたれど恋忘れ草(ぐさ)見れどいまだ生(お)ひず
2476
打つ田には稗(ひえ)はしあまたありといへど選(えら)えし我(わ)れぞ夜をひとり寝(ぬ)る
2477
あしひきの名に負(お)ふ山菅(やますげ)押し伏せて君し結ばば逢はざらめやも
2478
秋柏(あきかしは)潤和川辺(うるわかはへ)の小竹(しの)の芽(め)の人には忍(しの)び君に堪(あ)へなくに
  

【意味】
〈2475〉我が家の屋根には、しだ草なら生えているけれど、恋忘れ草はまだ生えていません。
 
〈2476〉耕した田んぼに稗はまだたくさん残っているのに、選び取られて捨てられた私は、夜な夜なただ一人で寝ている。
 
〈2477〉足を引っ張るという名を持つ山菅、その荒々しい菅をなぎ倒すように、私を押し倒して契りを結んでくれるなら、お逢いしないことはありません。
 
〈2478〉潤和川のほとりの笹の芽のように、ひっそりと人には覚られないようにすることはできても、あなたの前では恋の思いを隠すことができません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2475の「忘れ草」は、ユリ科の一種ヤブカンゾウにあたり、『和名抄』に「一名、忘憂」とあり、身につけると憂いを忘れるという俗信がありました。これは『文選』などにみられる中国伝来のもののようです。2476の「打つ田」は、耕した田。2477の上2句は「押し伏せて」を導く序詞。「やも」は、反語。2478の「秋柏」は「潤和川」の枕詞。「潤和川」は、所在未詳。

巻第11-2479~2482

2479
さね葛(かづら)後(のち)も逢はむと夢(いめ)のみにうけひわたりて年は経(へ)につつ
2480
道の辺(へ)のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我(あ)が恋妻(こひづま)は [或本歌曰、いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば]
2481
大野らにたどきも知らず標(しめ)結(ゆ)ひてありかつましじ我(あ)が恋ふらくは
2482
水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻(たまも)のうち靡(なび)き心は寄りて恋ふるこのころ
 

【意味】
〈2479〉さね葛のつるが延びて後に絡まり合うように、後に逢えるだろうと、夢の中ばかりで祈り続けているうちに年は過ぎてゆく。
 
〈2480〉道端に咲くいちしの花がとても目立つように、いちじるしくはっきりと世間の人が知ってしまった、私の恋妻のことを。(ずっと思い続けるものだから、はっきりと人が知ってしまった)
 
〈2481〉広い野にようすも分からず標縄を張るように、見境もなくあの子と契ってしまい、とても堪えられそうもない、私の恋心は。

〈2482〉水底に生えている美しい藻がなびくように、私の心はあなたになびいてしまい、恋しくてならないこのごろです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2479の「さね葛」は「後も逢はむ」の枕詞。「うけふ」は、神に祈る意。2480の上2句は「いちしろく」を導く序詞。「いちしの花」は諸説ありますが、彼岸花とする説が有力です。「いちしろく」は、はっきりと、顕著に、の意。2481の「標結ふ」は、占有する土地を示すために縄などを張ること。ここでは見境なく女を占有したことに喩えています。2482の上2句は「うち靡き」を導く序詞。

巻第11-2483~2485

2483
敷栲(しきたへ)の衣手(ころもで)離(か)れて玉藻(たまも)なす靡(なび)きか寝(ぬ)らむ我(わ)を待ちかてに
2484
君(きみ)来(こ)ずは形見(かたみ)にせむと我(わ)がふたり植ゑし松の木(き)君を待ち出(い)でむ
2485
袖(そで)振らば見ゆべき限り我(わ)れはあれどその松が枝(え)に隠(かく)らひにけり
 

【意味】
〈2483〉共寝の袖も離れ離れのまま、あの子は一人で玉藻のように黒髪をなびかせて寝ているだろうか、この私を待ちかねて。
 
〈2484〉あなたがいらっしゃらない時は、眺めて思い出そうと、二人で植えた松の木です。あなたがやって来るのをお待ちしています。
 
〈2485〉あなたが袖を振ったら見える限りはと立っていたけれど、あの人の姿は遠ざかっていき、とうとう松の枝に隠れてしまった。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2483の「敷栲の」「玉藻なす」は、それぞれ「衣手」「靡く」の枕詞。2484の「形見」は、その人の代わりとして見る物。「松の木」は「待つ」を掛けています。2485は、男女の朝の別れに際し、男の別れを惜しむしぐさを見送っている女の歌。

巻第11-2486~2488

2486
茅渟(ちぬ)の海の浜辺(はまへ)の小松(こまつ)根(ね)深めて我(あ)れ恋ひわたる人の子ゆゑに
2487
奈良山の小松が末(うれ)のうれむぞは我(あ)が思ふ妹(いも)に逢はずやみなむ
2488
礒(いそ)の上(うへ)に立てるむろの木(き)ねもころに何しか深め思ひそめけむ
 

【意味】
〈2486〉茅渟の海の浜辺に生えている松の根は深く、その根のように私はただ深く恋い続けるよりほかない。彼女は人妻なので。
 
〈2487〉奈良山の若松の枝先のようにうら若い、私が恋するあの子にどうして逢わずにいられようか。
 
〈2488〉磯の上にしっかり根を張っているむろの木のように、どうして私は深く深く思うようになってしまったのだろう、あの子を。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2486の上2句は「根深めて」を導く序詞。「茅渟の海」は、大阪市堺市から岸和田市にかけての海。2487の上2句は「うれむぞ」を導く序詞。「奈良山」は、平城京の北にある丘陵。「うれむぞ」は、どうしての意の反語を導く副詞。2488の上2句は「ねもころに」を導く序詞。「むろ」は、ねずの木とされます。「何しか」は、どういうわけで、の意。

巻第11-2489~2491

2489
橘(たちばな)の本(もと)に我(わ)を立て下枝(しづえ)取り成(な)らむや君と問ひし子らはも
2490
天雲(あまくも)に翼(はね)打ちつけて飛ぶ鶴(たづ)のたづたづしかも君しまさねば
2491
妹(いも)に恋ひ寐(い)ねぬ朝明(あさけ)に鴛鴦(をしどり)のこゆかく渡る妹(いも)が使(つかひ)か
 

【意味】
〈2489〉橘の木の下に私を向かい合って立たせて、下枝をつかみ、この橘のように私たちの仲も実るでしょうか、と問いかけたあの子だったのに。
 
〈2490〉天雲に翼を打ちつけて飛んでいく鶴のように、貴方がいないのが、とても心細くて寂しい。
 
〈2491〉あの子が恋しくて眠れない明け方に、鴛鴦(おしどり)が仲むつまじく飛んでいく。あれは、早くそうなりたいというあの子の使いなのだろうか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2489の「我を立て」を「我が立ち」と訓み、「二人で立って」と解釈する説もあります。「成らむや君」の「成る」は、橘の実が熟することと二人の恋が成就することを掛けたもの。「問ひし子らはも」の「子ら」の「ら」は、接尾語。男は女がその後どうなったのか知らないとみられ、若かったころの思い出の一コマを歌っている歌です。2490の上3句は「たづたづし」を導く序詞。「たづたづし」は、心細い、心もとないの意。2491の「鴛鴦」は、古来、夫婦睦まじい鳥とされていました。

巻第11-2492~2494

2492
思ひにしあまりにしかばにほ鳥(どり)のなづさひ来(こ)しを人(ひと)見けむかも
2493
高山(たかやま)の嶺(みね)行くししの友を多(おほ)み袖(そで)振らず来(き)ぬ忘ると思ふな
2494
大船(おほぶね)に真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き漕(こ)ぐほともここだ恋ふるを年(とし)にあらばいかに
 

【意味】
〈2492〉恋しさに思いあまり、川の中をカイツブリのようにびしょぬれになってやってきたが、人がそれを目にしただろうか。
 
〈2493〉高山の嶺づたいに群れて行くカモシカのように、連れ立っている人が多かったので袖を振らずにやって来たが、お前のことを忘れていたなどと思うなよ。
 
〈2494〉大船に多くの梶を取りつけて漕ぐ間さえ、あの子がこんなにも恋しくてならないのに、一年も逢えなかったらどんなであろう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2492の「にほ鳥の」は「なづさふ」の枕詞。「なづさひ来し」は、波間を漂いながら来た意。2493の上2句は「友を多み」を導く序詞。2494の「ほと」は、短い時間、「ここだ」は、こんなにもひどく。織女と牽牛のように1年に1度しか逢えなかったら、と言っています。

巻第11-2495~2497

2495
たらつねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まよごも)り隠(こも)れる妹(いも)を見むよしもがも
2496
肥人(こまひと)の額髪(ぬかがみ)結(ゆ)へる染木綿(しめゆふ)の染(し)みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも]
2497
隼人(はやひと)の名 負(お)ふ夜声(よごゑ)のいちしろく我が名は告(の)りつ妻と頼ませ
 

【意味】
〈2495〉母親が飼っている蚕が繭にこもっているように、家にこもって外に出ないあの子に逢う手段はないものか。
 
〈2496〉肥人(こまひと)が前髪を結んでいる染木綿(しめゆふ)のように、深く染みこんでしまった私の思い、この思いをどうして忘れたりしましょうか(忘れられようか)。
 
〈2497〉あの有名な隼人の夜警の大声のように、はっきりと私の名を申しました。この上は、私を妻として頼みにして下さいね。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2495の「たらつねの」は「母」の枕詞。上3句は「隠れる」を導く序詞。男が恋心を寄せる娘は母に外出を禁じられているのでしょうか、繭に閉じ籠っている蛹を、一向に顔を出さない娘に譬えています。2496の「肥人」は、熊本県球磨地方の人とされます。上3句は「染みにし」を導く序詞。2497の「隼人」は、薩摩・大隅地方の勇猛な人々。上2句は「いちしろく」を導く序詞。「いちしろく」は、はっきりとの意。

【PR】

 
古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

【PR】

『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。

『万葉集』以前の歌集

■「古歌集」または「古集」
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■「柿本人麻呂歌集」
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■「笠金村歌集」
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■「高橋虫麻呂歌集」
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■「田辺福麻呂歌集」
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。
 

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

万葉人の季節感

春(1~3月)
馬酔木(アシビ)
梅(ウメ)
堅香子(カタタゴ)
桜(サクラ)
早蕨(サワラビ)
菫(スミレ)
椿(ツバキ)
柳(ヤナギ)
山吹(ヤマブキ)
桃(モモ)
鶯(ウグイス)
雉(キザシ)
霞(かすみ)
春雨
 
夏(4~6月)
菖蒲草(アヤメグサ)
卯の花(ウノハナ)
杜若(カキツバタ)
茅萱(チガヤ)
月草(ツキクサ)
躑躅(ツツジ)
合歓(ネム)
浜木綿(ハマユウ)
姫百合(ヒメユリ)
藤(フジ)
百合(ユリ)
忘れ草(ワスレグサ)
蜩(ヒグラシ)
霍公鳥(ホトトギス)
 
秋(7~9月)
茜(アカネ)
朝顔(アサガオ)
葦(アシ)
尾花(オバナ)
女郎花(オミナエシ)
葛(クズ)
真葛(サナカヅラ)
橡(ツルハミ)
撫子(ナデシコ)
萩(ハギ)
黄葉(モミジ)
鹿(シカ)
秋風
時雨
七夕(たなばた)
 
冬(10~12月)
榊(サカキ)
笹(ササ)
橘(タチバナ)
松(マツ)
山橘(ヤマタチバナ)


新年

【PR】

次へ
【目次】へ