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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第11)~その3

巻第11-2498~2500

2498
剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の利(と)きに足踏みて死なば死なむよ君によりては
2499
我妹子(わぎもこ)に恋ひしわたれば剣大刀(つるぎたち)名の惜(を)しけくも思ひかねつも
2500
朝月(あさづき)の日向(ひむか)黄楊櫛(つげくし)古(ふ)りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ
 

【意味】
〈2498〉剣の太刀の諸刃に足を踏みつけて、死ぬのなら死にもしましょう。あなたのためならば。
 
〈2499〉あの子に恋い焦がれ続けていると、自分の名を惜しむ気持ちなどなくなってしまった。
 
〈2500〉朝の月が日に向かうという、日向産の使い古した黄楊櫛(つげぐし)のように、私たちの仲もずいぶん古くなってしまいましたが、どうしてあなたはいくら見ても見飽きないのでしょう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2498について、『万葉集』では、剣太刀が武器として詠われているものは少なく、大半が熱烈な恋の歌です。この歌もかなり凄みの利いた恋文となっています。「諸刃の利きに」は、諸刃の鋭利なものに。「君によりては」は、あなたのためなら。窪田空穂はこの歌について、「女の貞実を誓う歌は多いが、これはその程度のものではなく、まさに献身的なもので、しかも燃ゆるごとき情熱をもったものである。調べもそれにふさわしく、思い詰めた心の強さをあらわしている。その意味では例のない歌である」と述べています。

 2499の「恋ひし」の「し」は強意。「剣太刀」は、名が付いているので「名」の枕詞。「惜しけく」は名詞。2500の上2句は「古りぬれど」を導く序詞。「朝月の」は「日向」の枕詞。「日向」は、国名で今の宮崎県。「何しか」は、どういわけか。夫婦関係が久しくなっている妻が、朝、黄楊の櫛を扱いながら、夫に対して和んで言っている歌です。梳っているのは自分の髪ではなく、夫の寝乱れた髪でしょうか。

巻第11-2501~2503

2501
里(さと)遠(どほ)み恋ひうらぶれぬまそ鏡(かがみ)床(とこ)の辺(へ)去らず夢(いめ)に見えこそ
2502
まそ鏡(かがみ)手に取り持ちて朝(あさ)な朝(さ)な見れども君は飽くこともなし
2503
夕(ゆふ)されば床(とこ)の辺(へ)去らぬ黄楊枕(つげまくら)何しか汝(な)れが主(ぬし)待ち難(かた)き
 

【意味】
〈2501〉あなたの里が遠いので、恋しさにすっかりしょげこんでいます。せめてこの手鏡のように、床のそばにいて夢に出てきてほしい。
 
〈2502〉手鏡を手に取って朝ごとに見るように、あの人を毎朝見ているのに見飽きることがありません。
 
〈2503〉夕方になるといつも隣の寝床にいる黄楊枕よ、その枕の主がなかなかやってこないのに、お前はどうしてそんなに辛抱強く待ち続けていられるの?

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2501の「里遠み」は、里が遠いので。「うらぶる」は、わびしく思う、悲しみに沈む。「まそ鏡」は、澄んではっきり映る鏡のことで「床の辺去らず」の枕詞。「夢に見えこそ」の「こそ」は、願望。2502の上2句は「朝な朝な見る」を導く序詞。

 2503の「夕されば」は、夕方になると。「黄楊枕」は、黄楊の木で作った木枕。「何しか」は、どうして~なのか。「汝が主」は、枕の主人、つまり女が待ち焦がれる男のことを言っています。枕に向かって独り寝の寂しさを訴えるという形の恋歌は、男女がふだん別居して暮らした生活形態ならではの、古い日本の詩歌の伝統的な型の一つとなっています。

巻第11-2504~2506

2504
解(と)き衣(きぬ)の恋ひ乱れつつ浮(う)き真砂(まなご)生きても我(わ)れはありわたるかも
2505
梓弓(あづさゆみ)引きてゆるさずあらませばかかる恋には逢はざらましを
2506
言霊(ことだま)の八十(やそ)の街(ちまた)に夕占(ゆふけ)問ふ占(うら)まさに告(の)る妹(いも)は相(あひ)寄らむ
  

【意味】
〈2504〉ほどいた着物のように恋に乱れて、私は、水に流れる細かな浮き砂のように、ただふわふわと息をしながら生きているだけ。

〈2505〉梓弓を引きしぼって緩めないように、気持ちを緩めずにいたなら、こんなつらい恋には出逢わなかっただろうに。
 
〈2506〉言霊が宿る四つ辻に、夕方出向いて恋占いをやってみたら、お告げがはっきりと出た。お前の思う子はきっとお前になびいてくれる、と。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2504の「解き衣の」は「恋ひ乱る」の枕詞。「浮き真砂」は「生き」の枕詞。2505の「梓弓」は、梓の木で作った弓。2506の「言霊」は、言葉に宿っている力。「夕占」は、辻占(つじうら)、道占(みちうら)ともいい、夕方、道端に立って、一定の範囲の場所を定め、米をまいて呪文を唱えるなどして、その場所を通る通行人のことばを聞いて吉凶禍福を占ったといいます。辻は、人だけでなく神も通る場所であると考えられ、偶然そこを通った人々の言葉を神の託宣と考えたようです。また、 時代が下った江戸時代には「辻占売り」というものが現れて、吉凶の文句などを書いた紙片を、道行く人に呼びかけて売るようになったといいます。

 「占」の語源は裏表(うらおもて)の「裏」で、裏に隠れている神意を表に現わすことを占(うら)と呼んだものです。また「告(の)る」の原意は、呪力ある言葉を発することであることから、占いの判断を「告る」と表現しています。祭祀で唱えられる「祝詞(のりと)」の語源も「のり+と」で、「のり」は「告り」、「と」は呪術的行為を示す接尾語とされます。

巻第11-2507~2509

2507
玉桙(たまほこ)の道行き占(うら)に占(うらな)なへば妹(いも)は逢はむと我(わ)れに告(の)りつも
2508
すめろぎの神(かみ)の御門(みかど)を畏(かしこ)みとさもらふ時に逢へる君かも
2509
まそ鏡(かがみ)見(み)とも言はめや玉かぎる岩垣淵(いはがきふち)の隠(こも)りてある妻
 

【意味】
〈2507〉道に出て恋占いをしてみたら、お前の思う子はきっとお前に逢うだろうとのお告げが出たよ。

〈2408〉恐れ多くも宮殿にお仕えしている時に、私とこんな契りを結んだあなたは・・・。
 
〈2509〉このような契りを結んだといって人に言うものか、岩の垣根で囲んだ淵のように隠している妻だから。

【説明】
 2507は「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。「道行き占」は、2506の「夕占」と同じ。2508の「さもらふ」は、伺候する意。2509の「まそ鏡」は「見」の枕詞。「玉かぎる」は「岩垣淵」の枕詞。「玉かぎる岩垣淵の」は「隠り」を導く序詞。「隠りてある」は、宮廷の人目に隠れているさま。

 2508と2509は、宮中で職場恋愛に落ちた男女の問答歌。2508の「さもらふ」は、奉仕する。「逢ふ」というのは古語では「深い男女関係になる」という意味なので、恐れ多くも宮中内で、しかも勤務中に体の関係をもっているというのです。2509の「まそ鏡」は「見」の枕詞。「玉かぎる岩垣淵の」は「隠り」を導く序詞。

巻第11-2510~2512

2510
赤駒(あかごま)が足掻(あが)速けば雲居(くもゐ)にも隠(かく)り行かむぞ袖(そで)まけ我妹(わぎも)
2511
こもりくの豊泊瀬道(とよはつせぢ)は常滑(とこなめ)のかしこき道ぞ汝(な)が心ゆめ
2512
味酒(うまさけ)の三諸(みもろ)の山に立つ月の見(み)が欲(ほ)し君が馬の音(おと)ぞする
  

【意味】
〈2510〉赤駒の足は速いから、雲の中をすっ飛んで走り行くぞ。着いたらすぐにこの袖を枕にして寝よう。

〈2511〉こんもりとした泊瀬の山道は、滑りやすくて恐ろしい道です。私が恋しいからといって、決して焦らないでください。

〈2512〉みもろの山に出てくる月のように、早く逢いたいと思っていたあなたの馬が駆ける音がする。

【説明】
 問答歌。2510は、女の許へ向かう男の歌。2511・2512は、男を待っている女の歌。2510の「赤駒」は、赤みがかった毛色の馬。「足掻き」は、歩み。「袖まけ」は、一緒に寝よう。2511の「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「豊泊瀬道」の「豊」はほめ言葉で、「泊瀬道」は、奈良県桜井市初瀬と宇陀郡榛原町も間の峡谷の道。「常滑」は、水苔がついて滑らかになった石。2512の「味酒の」は「三諸」の枕詞。「三諸の山」は、ここでは三輪山。物語のように場面が進行する美しい連作となっています。

巻第11-2513~2516

2513
鳴る神の少し響(とよ)みてさし曇り雨も降らぬか君を留(とど)めむ
2514
鳴る神の少し響(とよ)みて降らずとも我(わ)は留(とど)まらむ妹(いも)し留(とど)めば
2515
敷栲(しきたへ)の枕(まくら)響(とよ)みて夜(よる)も寝ず思ふ人には後(のち)も逢ふものを
2516
敷栲(しきたへ)の枕は人に言問(ことと)へやその枕には苔(こけ)生(む)しにたり
  

【意味】
〈2513〉少しでもいいから雷が鳴り、空がかき曇って雨でも降ってこないかしら。そうすればあなたをお留めできるのに。
 
〈2514〉雷が少しばかり鳴って、雨が降るようなことがなくても、私は留まるよ。お前が引き留めてくれるのなら。

〈2515〉枕がしきりに動いて音を立てるのでなかなか寝られない。こんなに音を立てるのは、恋い焦がれている人にやがて逢える証拠だ。
 
〈2516〉枕は、人に言葉などかけてくれるわけないでしょう。その枕には苔が生えているのではないですか。

【説明】
 問答歌。2513が、来ている夫をとどめようとする妻の歌で、2514はそれに答えた夫の歌。2513の「鳴る神」は雷のこと。「響みて」は、鳴り響かせて。「さし曇り」の「さし」は接頭語。「雨も降らぬか」の「も~ぬか」は、願望。妻が「少し響みて」と言っているのは、あまりひどく雷が鳴ると恐ろしいからで、女性らしく可愛らしい歌です。

 2515は男の歌、2516はそれに答えた女の歌。「敷栲の」は「枕」の枕詞。2515は、なかなか恋人と逢えない男が、もうすぐ逢えるから待っていてくれという気持ちをこめて贈った歌であり、枕が動いて音を立てることが恋人に逢える前兆だと考えられていたようです。しかし女は、男が実は逃げ腰であるのを見抜いており、強い皮肉を込めてやり返しています。

巻第11-2634

里(さと)遠(とほ)み恋わびにけりまそ鏡(かがみ)面影(おもかげ)去らず夢(いめ)に見えこそ 

【意味】
 あなたの里が遠いので、恋しさにすっかりうちしおれています。手鏡に映る影のように、面影が消えることなく夢に見えてほしい。

【説明】
 左注に「この一首は上の歌の中に見えたが、句の入れ替わりがあるのでここに載せる」旨の記載があります。2501の歌の変化したものになっています。

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『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

『万葉集』以前の歌集

■「古歌集」または「古集」
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■「柿本人麻呂歌集」
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■「笠金村歌集」
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■「高橋虫麻呂歌集」
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■「田辺福麻呂歌集」
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。
 

参考文献

『NHK100分de名著ブックス万葉集』
 ~佐佐木幸綱/NHK出版
『大伴家持』
 ~藤井一二/中公新書
『古代史で楽しむ万葉集』
 ~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』
 ~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』
 ~伊藤博/KADOKAWA
『田辺聖子の万葉散歩』
 ~田辺聖子/中央公論新社
『超訳 万葉集』
 ~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』
 ~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
 ~小名木善行/徳間書店
『万葉語誌』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉秀歌』
 ~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉秀歌鑑賞』
 ~山本憲吉/飯塚書店
『万葉集講義』
 ~上野誠/中央公論新社
『万葉集と日本の夜明け』
 ~半藤一利/PHP研究所
『萬葉集に歴史を読む』
 ~森浩一/筑摩書房
『万葉集のこころ 日本語のこころ』
 ~渡部昇一/ワック
『万葉集の詩性』
 ~中西進/KADOKAWA
『万葉集評釈』
 ~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』
 ~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』
 ~品田悦一/講談社
『ものがたりとして読む万葉集』
 ~大嶽洋子/素人社
『私の万葉集(一~五)』
 ~大岡信/講談社

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