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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第11)~その1

巻第11-2351~2354

2351
新室(にひむろ)の壁草(かべくさ)刈りにいましたまはね 草のごと寄り合ふ娘子(をとめ)は君がまにまに
2352
新室(にひむろ)を踏み鎮(しづ)む子が手玉(ただま)鳴らすも 玉の如(ごと)照りたる君を内へと申(まを)せ
2353
長谷(はつせ)の五百槻(ゆつき)が下(もと)に吾(わ)が隠せる妻 茜(あかね)さし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも [一云 人見つらむか]
2354
ますらをの思ひ乱れて隠せるその妻(つま) 天地(あめつち)に通り照るとも顕(あらは)れめやも [一云 ますらをの思ひたけびて]
 

【意味】
〈2351〉新しく建てている家の壁草を刈りにいらっしゃい。その草のように寄り集まった乙女たちは、あなたのお気に召すままに。
 
〈2352〉新しい家の地を踏み鎮めている乙女の手飾りの玉が鳴っている。あの玉のような立派な男子を、この新しい家に入るようにご案内しろ。
 
〈2353〉長谷の、槻の木の繁った下に隠しておいた妻。月の光が明るい晩に、誰か他の男に見つかったかもしれない。
 
〈2354〉男子たるものが思い乱れて隠した妻は、月が天地にあまねく照り輝こうと、見つかることなどあるものか。

【説明】
 いずれも旋頭歌の形式(5・7・7・5・7・7)で詠まれている歌です。巻第11の冒頭には、『柿本人麻呂歌集』および『古歌集』からとられた旋頭歌17首が並びます。巻第11・12ともに、最初に『柿本人麻呂歌集』の歌を載せた後で、それ以外の歌を載せるという体裁になっています。『万葉集』には62首の旋頭歌があり、うち35首が『柿本人麻呂歌集』に収められています。これらは作者未詳歌と考えられており、万葉の前期に属する歌とされます。旋頭歌の名称の由来は、上3句と下3句を同じ旋律に乗せて、あたかも頭(こうべ)を旋(めぐ)らすように繰り返すところからの命名とする説がありますが、はっきりしていません。その多くが、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なる、あるいは、上3句である状況を大きく提示し、下3句で説明や解釈を加えるかたちになっています。
 
 2351の「新室」は、新しく建てた家。ムロは、本来は四方を囲まれた自然の岩屋や穴倉をさす語。「壁草」は、壁にする草のことで、草で編んだものを壁にしたようです。「いまし」は「座し」で、ここは「来る」の敬語。「まにまに」は、思うままに。草刈りを口実に「君」を招き、娘との婚姻を促している歌です。2352は、前歌との連作。「新室を踏み鎮む」は、地を掘って立てた柱を堅固にするため、そのもとを踏み固める神事。「手玉」は手に巻く玉で、当時の女性の礼装。「内へと申せ」と言っているのは家の主人です。

 文芸評論家の山本憲吉は、次のように解説しています。「新室の宴という儀式的な場での詞章であり、厳粛なものでなく、儀式がすんだあと、二次会の宴会になる、その席で即興的に謡われたのだ。新しい家を建てた祝いの席に、身分の高い賓客を迎え、舞を見せ、その舞人である処女を一夜妻として供するという民族習慣を根底において、これらの歌は味わうべきものである」。また斎藤茂吉は、「全体が具象的で、むしろ肉体的と言い得る程であるにも拘らず、下等な厭なところがない」と評しています。
 
 2353の「長谷(泊瀬)」は、現在の奈良県桜井市初瀬町。「五百槻」は、たくさんの枝がある槻(けやき)、または初瀬方面から見た巻向の弓月が岳のこと。「茜さし」は、茜色が混じって。2354は2353と一連になっており、問答として記録されているわけではありませんが、2353で妻との恋の露見を不安に思って自問し、2354で自答してその不安を自身で打ち消しています。あるいは2354は妻の答歌とする見方もありますが、「隠せるその妻」の表現が引っかかるところです。「天地に通り照るとも」を「その愛しい女は、譬ひ美しくて、天地間に透き通る程であっても」と解するものもありますが、窪田空穂は、前歌の「茜さし照れる月夜に」を仮想として言い換えたものとしています。そして、「隠せる妻」というのは、人麻呂が巻第1-42で「妹」とうたった、宮中の女官だった妻のことであり、宮廷生活から身を引かせ、弓月が岳の麓に隠し住まわせたのかもしれません。

 いずれにしても、旋頭歌としては珍しいものであり、斎藤茂吉は、「明らかに人麻呂作と記されている歌に旋頭歌は一つもないのに、人麻呂歌集にはまとまって旋頭歌が載っており、相当におもしろいものばかりであるのを見れば、あるいは人麻呂自身が何かの機縁にこういう旋頭歌を作り試みたものであったのかもしれない」と言っています。
 
 また、旋頭歌全般について、窪田空穂『万葉集評釈』には、次のような説明があります。「旋頭歌は歴史的にいうと短歌より一時代前のもので、後より興った短歌に圧倒されて衰運に向かった歌体である。さらにいうと、歌が集団の謡い物であった時代には好適な歌体とされていたのであるが、徐々に個人的の読み物となってくると、新興の短歌のほうがより好適な歌体とされて、それに席を譲らねばならなかったのである。人麿時代には旋頭歌はすでに時代遅れな古風なものとなって廃っていて、人麿はその最後の作者だったかの観がある。人麿は一面には保守的な人であり、謡い物風な詠み方を愛していた人なので、旋頭歌という古風な歌体に愛着を感じているとともに、短歌にくらべては暢びやかで、したがって謡い物の調子の多いこの歌体そのものをも愛好していたのだろうと思われる」

巻第11-2355~2357

2355
愛(うつく)しと吾(わ)が念(も)ふ妹(いも)は早(はや)も死ねやも 生けりとも吾(われ)に依(よ)るべしと人の言はなくに
2356
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)の片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落ちにける 明日の夜(よ)し来(き)なむと言はば取り置きて待たむ
2357
朝戸出(あさとで)の君が足結(あゆひ)を濡らす露原(つゆはら) 早く起き出でつつ我(わ)れも裳裾(もすそ)濡らさな
 

【意味】
〈2355〉愛しく思うあの女は、いっそのこと早く死ねばいい。生きていても「私に靡くだろう」と誰も言ってくれないのだから。

〈2356〉結んだはずの高麗錦の紐の片方が床に落ちていました。今晩、きっと来るとおっしゃるなら取って置きますけど。
 
〈2357〉朝、戸を出てお帰りになるあなたの足許を濡らす露の原。私も早起きして、あなたに連れ添って出て、裳裾を濡らしましょう。

【説明】
 いずれも旋頭歌。2355の「愛しと」の原文「恵得」で、恵は愛と同義とされ、ウルハシトと訓む立場もあります。ウツクシが親子や夫婦など肉親への情愛を表すのに対し、ウルハシは整って立派なさまや端正な姿を表現しますが、アガ思フに続く場合はウルハシが普通との指摘があります。「早も死ねやも」の原文「早裳死耶」で、ハヤモシナヌカ、ハヤクモシネヤ、ハヤモシネトヤなどと訓むものもあります。「吾に依るべしと」は、自分に靡くだろうと。「言はなく」は「言はず」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。

 片思いでどうにもならない相手を「早く死ねばいい」と呪いのように言っているのは集中ほかに例がなく、気持ちは分からないではないですが、ずいぶん過激で自己中心的な男の歌です。もっとも、歌人の佐佐木幸綱は、「この歌、内にこもったところがなく、開けっぴろげで明るい感じがするのは、背景に大勢の笑い声がひびいているからでしょう。歌垣のような場を想像してもいいでしょうが、私は宴席を想像します。酒も入っているのでしょう」と語っています。また、詩人の大岡信は、「振られ男のやけくその捨てぜりふ。いくら憎んでみても、ますます彼女はいとしいのです」とも言っています。一方、相手が早く死んでしまえばいいという論理が成り立つには、人々の噂が絶対的なものである、すなわち神の意志が人々の噂であるとの信仰が背景にあるとの見方があります。他にも、人々の噂に逆らうと神が憎むとうたっている歌があるからです(巻第11-2659)。

 2356は、女から男への軽い脅かしの歌。逢瀬を楽しんだ翌朝、愛を確かめ合って結んだはずの紐が外れて床に落ちていた。それも高麗錦の贅沢品。裕福でプレイボーイらしい相手に対し、やんわりと証拠品?として持っているわと言っています。「高麗錦」は、高麗から伝来した錦または高麗風の錦で、庶民にはなかなか手に入らない貴重品でした。「紐」は衣の上紐で、両方に着けてあって胸元で結ぶもの。「片方ぞ」の「ぞ」と「明日の夜し」の「し」は強意。「ぞ」と「ける」は、係り結び。「明日の夜」は、今晩のこと。天智朝以前には日没を一日の始まりとする考え方があったことが指摘されており、集中ほかにも「今夜」を「明日」と言ったと見られる例があります(巻第10-1817)。「来なむと言はば」は原文「将来得云者」で、コムトイヒセバ、コムトシイハバなどと訓むものもあります。男が女に再訪を約束する場合、「今来む」「今来むよ」という例が平安期に見られるからです。

 2357の「朝戸出」は、朝に戸を開けて出る、つまり夫が妻の家を出て帰る意。「足結」は、袴の膝下のあたりをくくる紐のこと。結句の「裳裾濡らさな」の原文「裳下閏奈」で、モノスソヌレナ、あるいはサ行音の連続を字余りの例外としてモノスソヌラサナと訓む立場もあります。「な」は、自身に対する願望。古代では、男が女の家を訪ねて行って、翌朝に出て行く「妻問い婚」が一般的で、その多くは周囲には秘密の関係でした。別れの朝、一夜を共にした女性が見送ります。しかし、戸口までだったら誰にも気づかれないけれど、一緒に外に出てしまうと、皆が気づいてしまう。街は噂でもちきりになって、二人の仲が引き裂かれることさえある。でも、やっぱり少しでも長く一緒にいたい。そこで、早起きをして途中まで見送り、一緒に露で裾を濡らしましょう、と言っています。斎藤茂吉は、「女の心の濃(こま)やかにまつわるいいところが出ている」と評しています。とても爽やかな印象を与える歌です。

巻第11-2358~2360

2358
何せむに命をもとな長く欲(ほ)りせむ 生けりとも我(あ)が思ふ妹(いも)にやすく逢はなくに
2359
息の緒(を)に我(わ)れは思へど人目(ひとめ)多(おほ)みこそ 吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを
2360
人の親(おや)処女児(をとめこ)据(す)ゑて守山辺(もるやまへ)から 朝(あさ)な朝(さ)な通ひし君が来(こ)ねば悲しも
 

【意味】
〈2358〉何だって、むやみにこの命が長く続いてほしいと願うものか。生きていても、私の愛するあの子にたやすく逢えないのだから。
 
〈2359〉命がけで愛しているが、人の目が多くて思うように逢えない。もしも私が吹く風であったなら、たびたび逢えるものを。
 
〈2360〉人の親が我が娘を大切に守るという守山のあたりを通って、毎朝のように通って来ていたあなたが来なくなって悲しい。

【説明】
 いずれも旋頭歌。2358の「何せむに」は、どうして、何のために。「もとな」は、いたずらに、むやみに。「やすく」は、たやすく。「逢はなく」は「逢はず」のク語法で名詞形。関係を結んでいる女の家へ行ったものの、母親などの妨げに遭って、逢えずに帰った後の詠歎の歌のようです。斎藤茂吉は、「この歌の中で、ヤスクアフという語に特徴があり、注意していい」と言っており、ヤスクにアフを続けた例は他にないといいます。
 
 2359の「息の緒に」は、命がけで。イキは呼吸・息、ヲは紐のように長く続いているものを表します。「人目多みこそ」の「・・・を~み」は「・・・が~なので」の意。人目が多いので。「こそ」の下に「あれ」が略されています。人目が多いからという理由で逢いに来ない男の歌です。このほかにも人目や世間の噂を恋の障害とする歌が数多くあり、現代の感覚からすれば、もっと堂々とすればよいのにと思うところですが、この時代の男女関係は個人的であるのと同時に、より社会的なものだったことが背景にあるようです。家族があり、氏があり、さらに村という地域社会がある。そうした中にあっては、どんな相手かが重要であるのはもとより、きちんとした手続きを踏んで結婚することが求められていました。しかしながら、恋というものはいつも手続き通りに進むものではない。しばしば隠さなければならない時と場合があったことは想像に難くありません。しかし、そういう時こそ、すぐにばれてしまう・・・。
 
 2360は、求婚し続けてくれていた男が来なくなったのを嘆いている女の歌。「人の親」は、母親。「人の」は、感を強めるために添えたもので、「人の子」と共に例の多い語です。「据ゑて」は、居させて。上2句は、守ると続けて「守山」を導く序詞。「守山」は、所在未詳。この場合の妻問いは「夜な夜な」ではなく「朝な朝な」だったということでしょうか。それとも、まだ求婚の段階にとどまっていたから「朝な朝な」という表現になっているのでしょうか。

巻第11-2361~2362

2361
天(あめ)にある一つ棚橋(たなはし)いかにか行(ゆ)かむ 若草(わかくさ)の妻(つま)がりと言はば足飾りせむ
2362
山背(やましろ)の久世(くせ)の若子(わくご)が欲しと言ふ我(わ)れ あふさわに我(わ)れを欲しと言ふ山背の久世
  

【意味】
〈2361〉天の川を渡る一枚板だけの橋をどのようにして渡ろうか。いとしい妻のもとへというなら、しっかり足装いをして渡ろう。

〈2362〉山背の久世の若君が私が欲しいんだとさ、軽はずみにもこの私が欲しいんだとさ、山背の久世の若君が。

【説明】
 いずれも旋頭歌。2361の「天にある」の原文「天在」で、アメナルと訓むものもあります。「一つ棚橋」の枕詞。「一つ棚橋」は、一枚板の棚橋。棚橋は、板を棚のように渡した仮の橋。「いかにか行かむ」は、どのようにして渡って行こうか。「若草の」は「妻」の枕詞。「妻がり」は、妻の許。「足飾りせむ」の「足飾り」は、足結などを美しく飾る意か。アシヲカザラムと訓むものもあります。窪田空穂は、「男が夜、新たに得たと見える妻の許に出かけようとする際の心」であり、「『若草の』という枕詞は、ことに重く働いている。極度に気分的な、また技巧のすぐれた、人麿歌集にのみ見られる詠み方の歌である」と評しています。また、七夕の歌とする見方もあります。
 
 2362の「山背」は、京都府の京都市から南。「久世」は、京都府城陽市久世で、渡来系の人も住んでいた高度な文化地帯だったとされます。「若子」は、年少の男子を敬っていう語、若様。「あふさわに」は、軽率に、気軽に。「私が欲しいなんて、いったい誰に言ってるの?」とプライドの高い女の歌の風情ですが、若様の軽はずみな求婚をたしなめた歌であり、久世の歌壇でのからかい歌ではないかとされます。窪田空穂は、「こうした境を取材として捉え、生気に満ちた作とすることは、人麿歌集の歌以外には決して見られないことで、そのこと自体がすでに超凡なものである」と述べています。

巻第11-2368~2372

2368
たらちねの母が手離れ斯(か)くばかり術(すべ)なき事はいまだ為(せ)なくに
2369
人の寝(ぬ)る味寐(うまい)は寝ずて愛(は)しきやし君が目すらを欲(ほ)りし嘆かふ
2370
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙(たまほこ)の道行く人の言(こと)も告(の)らなく
2371
心には千重(ちへ)に思へど人に言はぬ我(あ)が恋妻(こひづま)を見むよしもがも
2372
かくばかり恋ひむものぞと知らませば遠くも見べくあらましものを
  

【意味】
〈2368〉物心がつき、母の手を離れてから、これほどどうしようもなく辛いことは、未だしたことがありません。

〈2369〉人並みにあなたと共寝をすることができない私は、いとしいあなたの目だけでも見ていたいと、そればかり願って嘆き続けています。
 
〈2370〉恋に苦しんで死ぬなら死んでしまえとでもおっしゃるのでしょうか。道行く人は誰も言伝てを告げてくれません。
 
〈2371〉心の中では幾重にも思い続けているけれど、人には言えない私の恋妻に逢う術があってほしい。

〈2372〉こんなにも恋することが苦しいものと知っていたら、遠くから見るだけでよかったものを。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「正述心緒」歌は「寄物陳思(物に寄せて思いを述ぶる)」「譬喩」と共に、相聞歌の表現方法による下位分類であり、巻第11・12にのみ見られます。一説には柿本人麻呂の考案かとも言われます。

 2368の「たらちねの」は「母」の枕詞。原義未詳ながら、ここの原文「垂乳根乃」で、娘の立場から母の撫育への感謝の意を表すべく乳の乳の垂れたことをイメージする字を宛てたものと見られています。「母が手離れ」は、一人前になって、の意。「斯くばかり」は、これほどに。「術なき」は、やるせない、辛い、どうしようもない。「いまだ為なくに」は、まだしたことがないのに。切実な思いを歌っており、年ごろになったものの未だ独り立ちできず、すぐに母を連想する若い娘の歌です。また、この歌を初体験の歌だとみる立場もあり、それだと相手の男に訴えている歌でしょうか。いずれにせよやや大仰な物言いから、歌謡の世界を引きずっているかのようですが、短歌としてのまとまりがあり、創作歌であろうとされます。なお、斎藤茂吉は、「憶良が熊凝(くまこり)を悲しんだ歌に、『たらちしや母が手離れ』(巻第5-886)といったのは、この歌を学んだものであろう」と言っています。

 2369の「人の寝る」は、人並みに寝る。「味寐は寝ずて」の「味寐」は、快い眠りの意で、男女の共寝の後に熟睡する場合に限って用いられるといいます。ここまでを「このごろは色々と思い乱れて、人並みに安眠ができず」と解釈するものもあります。「愛しきやし」の「愛しき」は、いとおしい、愛らしい。「やし」は、詠嘆の助詞。「欲りし嘆かふ」の「欲りし」は願って、「嘆かふ」は嘆くの連続。原文「欲嘆」で、ホリシナゲクモ、ホリテナゲクモなどと訓むものもあります。窪田空穂は、「いちずで、直截で、いささかの厭味もなく、純粋無垢のものである。きわめて平凡な心であるが、力をもって生きている趣がある」と評しています。

 2370の「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は、恋い死ぬなら恋死にせよというのであろうか。「や」は、疑問の係助詞。「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。作者は、夕暮れの道を行き交う人の言葉から吉凶を占う夕占(ゆうけ)をしています。「夕占」は、日暮れ時に人通りの多い辻に出て、道行く人の言葉を聞いて吉兆を占うこと。「言も告らなく」の「言」は、男の伝言。「告らなく」は「告らず」のク語法で名詞形。期待しているような男からの言伝のような言葉を、誰も口にしてくれないという意味。

 2371の「心には千重に思へど」は、心の中では限りなく思っているが。チタビオモヘドと訓むものもあります。「恋妻」は、相思相愛である妻、恋人の意の称で、一方的に思いを寄せている場合には用いないとされます。「人に言はぬ我が恋妻」とあるので、正式に戸籍上の妻と認められている女性を指すものではなく、かといって側妻や妾の類ではないと察せられます。「見むよしもがも」の「よし」は、方法、術。「もがも」は、願望。逢うすべがあってほしい。2372の「かくばかり」は、こんなにも。「知らませば」の「ませ」は、反実仮想。「遠くも見べくあらましものを」の原文「遠可見有物」で、トホクミルベクアリケルモノヲ、トホクミベクモアラマシモノヲなどと訓むものもあります。

巻第11-2373~2377

2373
何時(いつ)はしも恋ひぬ時とはあらねども夕(ゆふ)かたまけて恋ひはすべなし
2374
かくのみし恋ひやわたらむたまきはる命(いのち)も知らず年は経(へ)につつ
2375
吾(わ)が後に(のち)に生まれし人は我(あ)がごとく恋する道に逢(あ)ひこすなゆめ
2376
ますらをの現(うつ)し心(ごころ)も我(わ)れはなし夜昼(よるひる)といはず恋ひしわたれば
2377
何せむに命(いのち)継ぎけむ我妹子(わぎもこ)に恋ひぬ前(さき)にも死なましものを
  

【意味】
〈2373〉いつといって恋い焦がれない時はないけれど、夕方近くなってくると、やるせなくてしかたがない。
 
〈2374〉こんなにも、私はいつまで恋い続けるのだろうか、いつまでも続く命ではないのに、年月ばかりが過ぎていく。
 
〈2375〉私より後に生まれてきた人は、この私のように恋に落ちて苦しい目にあってはいけない、決して。

〈2376〉男らしく堂々とした男子だと自分のことを思っていたが、正気さえ失ってしまった。夜昼となく、ただただ彼女が恋しいばかりで。
 
〈2377〉なぜ命を保ち続けてきたのだろう。あの子に恋い焦がれる前に死んでしまえばよかったのに。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2373の「何時はしも」の「し」は強意の副助詞、「も」は係助詞で、いつといって特に。「夕かたまけて」は、夕方が近くなって。逢引の夜が近づいてきたことを示しています。「すべなし」は、やるせない、堪えられない。自身の外側の事実について言っているのではなく、自己の内部において募る恋心について表現しているもの。

 2374の「かくのみし」の「し」は、強意の副助詞。原文「是耳」で、カクシノミ、カクノミヤなどと訓むものもあります。「たまきはる」は「命」の枕詞。「命も知らず」は、命の続くほども知れないのに。「年は経につつ」の「つつ」は、同じ状態がそのまま継続すること。

 2375の「吾が後に」は、原文「吾以後」で、ワレユノチと訓むものもあります。「恋する道」は、恋をして悩み苦しむこと。「逢ひこすな」の「こす」は、何かをしてくれるの意で、希望を表す補助動詞。「な」は、禁止の終助詞。「ゆめ」は強い禁止の副詞で、決して、ゆめゆめ。男の立場の歌であり、文学者の稲岡耕二は、「初句に『わがのちに』と言い、第三句に『わがごとく』と『吾』『我』を重ねて詠んでいるのも、自分を恋の受難者として強調する気持の表れと見られ、深刻な恋歌とはやや異なるようである」と述べています。

 また、作家の田辺聖子は、「男の歌とは出ていないが、この口吻は男っぽい。自嘲の嘆息が聞こえてくるようである。女の歌にはない苦みがあり、やや理屈っぽい言い回しである。もし女なら、そんなことは言わない。恋する女は自分のことに手いっぱいで、あとから生まれてくる赤の他人のことなんか、知ったことではない、というであろう」、また2376について「男の恋は省察を伴うものらしい。理性を失っているな、と気づく理性が男にはある」と述べています。

 2376の「ますらを」は、分別のある立派な男子。「現し心」は、正気、平常心。「恋ひしわたれば」は、恋をし続けているので。なお、巻第12に「うつせみの現し心も我れはなし妹を相見ずて年の経ぬれば」(2960)、「ますらをの聡き心も今はなし恋の奴に我れは死ぬべし」(2907)の類歌があり、いずれもこの歌の影響を受けて詠まれたものと見られています。2377の「何せむに」は、何のために。「恋ひぬ前にも」は、恋する前に。原文「不戀前」で、コヒセヌサキニ、コヒザルサキニなどと訓むものもあります。「死なましものを」の「まし」は、反実仮想。死ねばよかったものを。

巻第11-2378~2382

2378
よしゑやし来(き)まさぬ君を何(なに)せむにいとはず我(あ)れは恋ひつつ居(を)らむ
2379
見わたせば近き渡りをた廻(もとほ)り今か来(き)ますと恋ひつつぞ居(を)る
2380
はしきやし誰(た)が障(さ)ふれかも玉桙(たまほこ)の道(みち)見忘れて君が来(き)まさぬ
2381
君が目を見まく欲(ほ)りしてこの二夜(ふたよ)千年(ちとせ)のごとも我(あ)は恋ふるかも
2382
うち日さす宮道(みやぢ)を人は満ち行けど我(あ)が思ふ君はただひとりのみ
  

【意味】
〈2378〉もうどうだっていい、来てもくれないあの人を、どうして私は性懲りもなく恋い続けているのだろう。
 
〈2379〉見渡すと、近い渡り場所なのに、回り道をしながらあなたがいらっしゃるのを、今か今かと待ち焦がれています。
 
〈2380〉ああ悔しい、いったい誰が邪魔をしているのでしょう。通い慣れた道もお忘れになってしまったのか、あの人は一向にいらっしゃらない。

〈2381〉あなたのお顔が見たくて、この二晩というもの、千年も経ったかのように私は恋い続けています。
 
〈2382〉都大路を人が溢れるほどに往来しているけれど、私が思いを寄せるお方はたったお一人っきりです。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2378の「よしゑやし」は、もうどうだっていい。許容・放任の意の副詞「よし」に間投助詞「え」、感動の助詞「やし」からなります。「来まさぬ君を」は、いくら待っても来ては下さらない君を。「何せむに」は、どうして。「恋ひつつ居らむ」は、恋い続けていることであろうか。斎藤茂吉は「女が・・・来ることの遠退いた男に向って怨を言っている趣の歌」としており、窪田空穂は「男に疎遠にされている女の、自己批評の独泳」としています。

 2379の「渡り」は、舟の渡し場にも言いますが、ここでは野の二つの場所の隔たりのこと。「た廻り」は、行ったり来たりして、回り道をして。「今か来ますと」の「か」は、疑問。原文「今哉来座」で、イマヤキマストと訓むものもあります。「恋ひつつぞ居るの「ぞ」は係助詞で、「居る」はその結びの連体形。人目を避けて回り道をしてやって来る男を待っている歌、あるいは、先の見通せる近道の恋ではなく、回り道をしてでもいつか必ず叶えたいという意味の歌にも捉えられます。

 2380の「はしきやし」は、ここは、ああ悔しい、の意で独立句。「障ふれ」は、邪魔をされる。「かも」は、疑問の係助詞で「来まさぬ」に続きます。「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。斎藤茂吉はこの歌を評し、「気が利いていてなかなかおもしろい。その想像も今から見れば幼稚だが、若い女性に言われると、甘美の声と共に力強くなってくるのであり、また『道見忘れて』などの小味のところも腑に落ちで来てくるのである」と述べています。

 2381の「目」は、顔、姿。「見まく欲りして」の「見まく」は「見る」のク語法で名詞形。原文「見欲」で、ミマクホシキニ、ミマクホシケクなどと訓むものもあります。「二夜」は、逢って後、またの逢いを待った二夜。この歌について窪田空穂は、「夫の来るのを待つ心で、例の多いものである。『この二夜』がじつに働きをもっている。実際を捉えての語で、事としては何事でもないが、実際であるがゆえに、異常の働きあるものとなっているのである。作者の手腕である」と述べています。

 2382の「うち日さす」は「宮」の枕詞。「宮道」は宮廷に通う道のことで、藤原京の都大路とされます。官人の妻が、朝、出仕して宮道を行く夫を捉えての歌でしょうか。あるいは斎藤茂吉は、「都の少女や青年などが揃って歌い且つ相当に感応した歌のように思える」と言い、作家の田辺聖子は次のように述べています。「愛の不思議にはじめて遭遇しておどろく、そのさまがういういしいので、まだ十代の恋だろうか。素直なおどろきが、忘れがたい思いを残す。『万葉集』には強い輝きを放つ大粒の宝石も多いが、こんなに小粒のダイヤのような、愛らしいのも多い」。また佐佐木信綱は、巻第13-3249の「敷島の大和の国に人二人ありとし思はば何か嘆かむ」と「並ぶべき佳作」と評しています。

巻第11-2383~2387

2383
世の中は常(つね)かくのみと思へどもはたた忘れずなほ恋ひにけり
2384
我(わ)が背子(せこ)は幸(さき)くいますと帰り来(く)と我(あ)れに告(つ)げ来(こ)む人も来(こ)ぬかも
2385
あらたまの五年(いつとせ)経(ふ)れど我(あ)が恋の跡(あと)なき恋のやまなくあやし
2386
巌(いはほ)すら行き通るべき健男(ますらを)も恋といふことは後(のち)悔(く)いにけり
2387
日並(ひなら)べば人知りぬべし今日(けふ)の日は千年(ちとせ)のごともありこせぬか
   

【意味】
〈2383〉世の中は思うようにいかないのが常だと思ってみるけれど、一方では忘れられずに、やはり恋していることだ。

〈2384〉あの方はご無事でいらっしゃると、まもなく帰って来られると、告げてくれるだけの人でいいから、来てくれないものか。

〈2385〉もう五年も経ってしまったが、叶うことのない私のむなしい恋が終わらないのはなぜだろう。

〈2386〉岩をも貫いて進むことができる男子であるのに、恋のこととなると、くよくよと後で悔いるばかりだ。

〈2387〉こうして逢う日が度重なれば人がきっと知るだろう。だから、今日一日が千年のように長くあってほしい。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2383の「はたた忘れず」の「はた」は、その反面、一方では、どうしても。「た忘れず」の「た」は、接頭語。原文は「半手不忘」で、ハタワスラレズ、カタテワスレズなどと訓むものもありますが、用字から意味は察せられる語です。「恋ひにけり」の「けり」は、完了し存続している事象に対して、今それに気づいた気持ちを表す用法で、その驚きが強いときには詠嘆の意も生じます。男の歌とも女の歌ともとれる歌です。

 2384の「我が背子」の「背子」は、女性から親しい男性を呼ぶ称。ここは夫。「幸く」は、無事にの意の副詞。「帰り来と」の原文「遍来」をカヘリキテと訓み、上掲の解釈とは別に、「夫の無事を告げる人が何遍も帰って来て」のように解するものもあります。「来ぬかも」の「ぬかも」は、願望。夫を遠い旅に遣って留守を守り、ひたすら無事の知らせを待っている妻の心情を歌った歌ですが、実際にそれを知らせてくれる人があるわけではなく、そうした人がいるのを空想しているものです。

 2385の「あらたまの」は「年」の枕詞。原文「麁玉」の「麁」は、粗いこと、粗末なことを意味する語で、「あらたまの五年」は、粗末な玉のように、何の光もなく取り柄もなく過ぎて行った期間として印象づけられます。「我が恋の」の原文「吾戀」で、アガコフル、ワガコフルなどと訓むものもあります。「跡なき恋」は、空しくはかない恋。「やまなくあやし」の原文「不止恠」で、ヤマズアヤシモ、ヤマナクモアヤシなどと訓むものもあります。「あやし」は、不思議だ、変だ。5年もの間、片思いを続けている男の歌であり、窪田空穂は、「片恋の歌として、品位あり、貫録のある珍しい歌」と評しています。

 2386の「巌」は、大きな岩。「行き通るべき」は、破って通り行くべき。斎藤茂吉は、「自分の恋の苦しみをいうのに、自分を健男に見たてて、心情を強めて表現している。その誇張は稍ともすれば概念的になりがちであるが、この場合は、詠嘆が強いので左程にそれが目立たない」と述べています。

 2387の「日並べば」は、日が重なれば。原文は写本によって相違し、「日暮れなば」「日せまらば」などと訓むものもあり、解釈もそれぞれに異なります。「人知りぬべし」は、人がきっと知るであろう。「ありこせむかも」の「ありこす」は、あってほしい、「も~ぬかも」は、願望。斎藤茂吉は「ヒナラベバといえば、至って分かりよくなるが、歌は平凡になるし、どうかと思う」と言っており、「日暮れなば」なら、昼間、女の家で、家人の不在中に密会しているという複雑事情の歌となります。

巻第11-2388~2392

2388
立ちて居(ゐ)てたづきも知らず思へども妹(いも)に告げねば間使(まつかひ)も来ず
2389
ぬばたまのこの夜(よ)な明けそ赤らひく朝(あさ)行く君を待たば苦しも
2390
恋するに死(しに)するものにあらませば我(あ)が身は千(ち)たび死に返(かへ)らまし
2391
玉かぎる昨日(きのふ)の夕(ゆふへ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべきものか
2392
なかなかに見ざりしよりも相(あひ)見ては恋しき心(こころ)増して思ほゆ
 

【意味】
〈2388〉居ても立ってもいられず、ただおろおろとあの子に恋い焦がれているが、この思いを告げていないので、使いの者もやって来ない。

〈2389〉今宵はこのまま明けないで欲しい。朝に帰ってしまう人を、また夕方までお待ちするのは辛い。
 
〈2390〉恋の苦しみで人が死ぬと決まっているなら、私なんか、千度も繰り返し死んでいる。

〈2391〉昨日の晩に逢ったばかりなのに、今朝には、もうこんなに恋い焦がれているなんて、こんなことがあってよいものか。
 
〈2392〉なまじっか逢わなければよかった。逢ってからというもの、恋しさが増して仕方がない。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2388の「立ちて居て」は、立ったり座ったりして。「たづき」は、方法、手がかり。「間使」は、二人の間を往来する使い。相手の女性に自分の思いを告げていないのだから使いが来ないのは当たり前で、そこに笑いを誘おうとしている歌でしょうか。窪田空穂は、「女と関係は結んだが、その周囲の者から強く隔てられ、便りをすることさえできない状態になって、ひとり懊悩している歌」としていますが、如何なものでしょう。

 2389の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「この夜な明けそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「赤らひく」は、赤色を帯びる意で「朝」にかかる枕詞。妻の歌で、夫の来ている夜の明け方に訴えているものです。5句中2句を枕詞が占めていて煩わしいようですが、斎藤茂吉は「うるさいようだが、決してそうではなく、よく調和がとれているように思える。単に意味の上からのみでなく、声調上から味わうと、この歌などは注意していいと思う」と述べています。

 2390の「千たび死に返る」の「死に返る」は、死を繰り返す意。この表現は、中国唐代に書かれた恋愛小説『遊仙窟』の「功ク王孫ヲシテ千遍死ナシメム」が典拠で、絶え間のない恋の苦しさを誇張しています。「ませば~まし」は、反実仮想(もし・・・だったら~だろうに)。笠女郎が大伴家持に贈った歌に「思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死に返らまし」(巻第4-603)がありますが、これに倣ったものとされます。

 2391の「玉かぎる」は「昨日」の枕詞。漢字では「玉響」と書かれ、ほかに「たまゆらに」「たまさかに」「まさやかに」などと訓まれています。玉と玉の触れ合うかすかな響きとか、ほんの束の間の時間とかの意味だとする説があります。「恋ふべきものか」の「か」は反語で、恋うべきであろうか、の意。「昨日の夕」と「今日の朝」の間の短い時間、その2つの言葉を対比させたところに技巧が窺えます。

 2392の「なかなかに」は、なまじっかの意。「見ざりしよりは」の「見る」は、男女相逢う意。「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。長い求婚の末、ようやく女に初めて逢えた後の男の歌です。窪田空穂は、「類想の多い歌であるが、単純にいっているのでかえって感がある」と言っています。

巻第11-2393~2397

2393
玉桙(たまほこ)の道行かずあらばねもころのかかる恋には逢はざらましを
2394
朝影(あさかげ)にわが身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
2395
行き行きて逢はぬ妹(いも)ゆゑひさかたの天(あま)露霜(つゆしも)に濡(ぬ)れにけるかも
2396
たまさかに我(わ)が見し人をいかにあらむ縁(よし)を以(も)ちてかまた一目見む
2397
しましくも見ねば恋ほしき我妹子(わぎもこ)を日(ひ)に日(ひ)に来なば言(こと)の繁(しげ)けく
  

【意味】
〈2393〉あの道にさえ進まなかったら、心を尽くした、こんなにも苦しい恋に会うことはなかったのに。

〈2394〉朝日に映る影のように、私はやせ細ってしまった。玉がほのかにきらめくように、ほんの少し姿を見せて立ち去ってしまったあの子のために。

〈2395〉行っても行っても、逢おうとしないあの娘のせいで、天の霜露にすっかり濡れてしまった。

〈2396〉偶然に出逢ったあの人を、どんな手がかりを得て、また一目お逢いできるでしょうか。
 
〈2397〉ほんのしばらくでも逢わないと恋しくてならないあの子なのに、毎日のようにやって来ると人の噂が激しいことよ。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2393は、偶然に路上で見かけた女に恋した男の歌。「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。「ねもころ」は、心を尽くす意。「まし」は、反実仮想。

 2394は、恋人に去られた男の歌。「朝影」は、朝日に照らされて映る細長い影で、痩せ細った身の譬喩。恋にやつれた姿を喩える常套句だったと見られますが、朝の薄明りの覚束なく頼りない意とする見方もあるようです。「玉かぎる」は、玉がほのかに光を発する意で「ほのかに」にかかる枕詞。「ほのかに見えて」は、ほんの少し見えて。「去にし子ゆゑに」は、行ってしまった女のゆえに。これと全く同じ歌が巻第12の「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」の中に作者不明の作としてあり(3085)、重出や類歌があるのは、当時流行った表現だったことを物語ります。

 2395の「行き行きて」は、どんどん行って。原文「行々」で、漢詩などに多く見られる表現の影響による訓みとされますが、ユケドユケドと訓む立場もあります。「ひさかたの」は「天」の枕詞。「露霜」は、露が凍って霜になったもの。「天の露霜に」と8音の字余りで訓むものもあります。詩人の大岡信は、「露霜は天から降ってくるものではないが、『ひさかたの天』という誇張法は、この歌の思いつめた恋の思いの表現としてはまさにありうべきもので、この大きな空間把握は、まさに人麻呂の独擅場」と評しています。

 2396の「たまさかに」は、偶然に、思いがけなく。「いかにあらむ縁を以ちてか」の「縁」は、ここでは、手段、きっかけ。どのような手がかりによってか。「か」は、疑問の係助詞で、「一目見む」は、その結びで連体形。一目見ることができようか。いわゆる一目惚れを詠んだ歌は『万葉集』に少なくなく、上の2393のほか、同じ巻第11の2565、2605、2694などにも見えます。

 2397の「しましく」は、しばらく、少しの間。「恋ほし」は、コヒシの古形といわれます。「言」は、人の噂。「繁けく」は、形容詞「繁し」のク語法で名詞形。窪田空穂は、「この歌は、次の女の歌と贈答関係をもっているもので、女に贈ったものとみえる。二人の関係が盛んに言い立てられている頃、自分はそのためにいささかも動揺させられている者ではないということを、女に知らせようとして贈った歌と取れる」と述べています。

巻第11-2399~2402

2398
たまきはる代(よ)までと定め頼みたる君によりてし言(こと)の繁(しげ)けく
2399
朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに
2400
いで何かここだ甚(はなは)だ利心(とごころ)の失(う)するまで思ふ恋ゆゑにこそ
2401
恋(こ)ひ死なば恋ひも死ねとや我妹子(わぎもこ)が吾家(わぎへ)の門(かど)を過ぎて行くらむ
2402
妹(いも)があたり遠くも見れば怪しくも我(あ)れはそ恋ふる逢ふよしをなみ
  

【意味】
〈2398〉命のある限りと頼みにしているあなた、そのあなたゆえに、世間の噂がこんなにやかましいとは。

〈2399〉今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。
 
〈2400〉さあどうしてこんなにも正気をなくすほどにひどく思いつめるのか、それは恋のせいだろう。

〈2401〉恋死(こいじに)をするなら勝手にどうぞというつもりで、おれの家の門を通り過ぎていくのか、あの恋しい女は。
 
〈2402〉あの子の家のあたりを遠くに眺めるだけで、不思議なほど恋しくなってくる。逢うすべもないままに。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2398の「たまきはる」は原文「年切」で、「たま」は年齢、「きはる」は極まるで、極限のある意。人の寿命は定まっている意から「代」の枕詞。「代」は、生涯。「頼みたる」の主語は「君」で、私の頼みにさせた。「君によりてし言の繁けく」の「し」は、強意の副助詞。「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。あなたのことで世間の人の噂がやかましいことだ。2397の歌に対する女の答歌と取れます。

 2399の「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。ここは女性の白い肌に赤みのさした美しさを表現しています。「心を異しく」は、心が変わって、あだし心で。「思はなくに」は、思っているわけではない。男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきりしませんが、あるいはこの時代、女性は神事に奉仕する場合が多く、その期間は男女関係を断つことになっていたといいますから、そのせいかもしれません。

 2400の「いで」は、さあ、さて、どれ、の意の感動詞。「何か」は、どういうわけで。「ここだ」は、多量にの意の副詞。同じく副詞の「甚だ」と重ねて強調したもので、4句の「思ふ」に続きます。「利心」は、しっかりした心、正気。「恋ゆゑにこそ」の原文「戀故」で、コフラクユヘニ、コフラクノユヘ、コヒユヘニコソなどと訓むものもあります。自身のあまりの憔悴ぶりについて自問自答している歌です。

 2401の「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は、恋い死ぬなら恋死にせよというのであろうか。「らむ」は、現在推量。ここでは自分の家の前を通り過ぎて行くのは意中の女性であり、普通なら妻問いする男が通り過ぎて行くのを女性が嘆くというのが類型ですが、この歌はその逆になっています。珍しい歌であり、一種の諧謔歌でありましょうか。

 2402の「怪しくも」は、不思議なまでに。「我れはそ恋ふる」の原文「吾戀」で、ワレハコフルカ、ワレハコフレド、ワレハコフラクなどと訓むものもあります。「逢ふよしをなみ」は、逢う方法がないので。「~を~み」は「~が~ので」と理由を表すミ語法。

巻第11-2403~2405

2403
玉久世(たまくせ)の清き川原(かはら)に身禊(みそぎ)して斎(いは)ふ命(いのち)は妹(いも)がためこそ
2404
思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日(ひとひ)の間(あひだ)も忘れて思へや
2405
垣(かき)ほなす人は言へども高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き開(あ)けし君ならなくに
  

【意味】
〈2403〉美しいの久世川の清らかな川原でみそぎをして忌み慎む我が命は、みんな妻のためなのだ。

〈2404〉心ひそかに思いを寄せ、さらに逢って心が寄っていったのだから、一日としてあなたを忘れたりするものか。

〈2405〉垣根のように寄ってたかって噂が立っていますが、まだ高麗錦の紐を解いて共寝したお人というわけではないのに。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2403の「玉久世」の「玉」は美称で、久世川のこと。久世川は、京都府の久世の地を流れる木津川。久世は2362の歌でも歌われており、渡来系の人も住んでいた高度な文化地帯だったとされます。「身禊して」は、流れる水で身を清めて。「斎ふ命は」は、忌み慎み無事を願う我が命は。久世の地を訪れた旅人が、清らかな久世川の河原を見て、妻を思う心から我が身を無事に保とうと思い、その河原で身禊をしようという歌です。

 2404の「思ひ寄り」は、相手に思いが寄っていき。「見ては寄りにしものにあれば」は、関係を結んでさらに思いが寄っていったので。「忘れて思へや」の「や」は反語で、忘れていようか、忘れはしない。2405の「垣ほなす」は、垣のように取り囲んで。「高麗錦」は、高麗から渡来した高級な錦で、衣の紐とされたことから「紐」にかかる枕詞。「紐解き開けし」は、身を許して関係を結んだことを具体的に言ったもの。「君ならなくに」の原文「公無」で、キミナケナクニ、キミニアラナクニなどと訓むものもあります。

巻第11-2406~2410

2406
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き開けて夕(ゆふへ)だに知らざる命(いのち)恋ひつつあらむ
2407
百積(ももさか)の船(ふね)隠(かく)り入る八占(やうら)さし母は問ふともその名は告(の)らじ
2408
眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待つらむかいつかも見むと思へる我(わ)れを
2409
君に恋ひうらぶれ居(を)れば悔(くや)しくも我(わ)が下紐(したひも)の結(ゆ)ふ手いたづらに
2410
あらたまの年は果つれどしきたへの袖(そで)交(か)へし児(こ)を忘れて思へや
  

【意味】
〈2406〉高麗錦の紐を自分で解いて、この夕方までも測れない命ですが、私はあなたに恋い焦がれ続けていることでしょう。

〈2407〉百石積の大きな船が入ってくる浦ではないが、いろんな占いをして母が責め立てても、あなたの名前は決して申しません。
 
〈2408〉眉を掻き、くしゃみをし、紐も解けて待ってくれているだろうか、いつ逢えるのかと苦しんでいる私のことを。

〈2409〉あなたが恋しくてしょんぼりしていると、悔しいことに、下紐が解けるだけで、結ぶ手数が無駄になります。

〈2410〉年は暮れたが、袖を交して添い寝した可愛い女のことを思い出して忘れることができようか、できはしない。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2406の「高麗錦」は、高麗から渡来した高級な錦で、衣の紐とされたことから「紐」にかかる枕詞。「紐解き開けて」は、ここは恋人を待つ呪術として紐を解くことを歌っており、つまり紐が解けると相手に逢えるという俗信を逆用して自ら紐をほどいたもの。「夕だに」は、夕すら。原文「夕戸」の「戸」を「谷」の誤字としていますが、原文のままに、ユフトヲモ、ユフヘトモと詠む立場もあります。「知らざる命」の原文「不知有命」を、シラズアルイノチと、単独母音アを含む字余り句に訓むものもあります。「恋ひつつあらむ」」の原文「戀有」も同様に、コヒツツヤアラム、コヒツツカアラムと字余り句に訓むものもあります。

 2407の「百積の船」の「百」は多いこと、「積」は容積の単位の称で、百石積の大きな船。「船隠り入る」の原文「船潜納」の訓みは、カヅキイル、カヅキイルルほか、誤字説もあって定まりません。上2句は「浦」の意を示し「八占」を導く序詞。「八占」は、いろいろな占いと解されていますが不明。八占という占いがあったのかもしれません。「八占さし」の「さし」は、指す意から、あてる意に転じたもの。いろいろの占いをして。「その名」は、あなたの名。「告らじ」は、申しません。

 2408の「眉根」の「根」は、接尾語。「鼻ひ」はくしゃみが出ること。「紐」は、下着の紐。「眉根掻き鼻ひ紐解け」の、眉がかゆい、くしゃみが出る、下紐が自然にほどける、の3つの現象は、恋人に逢える前兆とされました。ちなみに、なぜ眉がかゆいと恋人に逢える前兆とされたのかは、中国古典の恋愛文学『遊仙窟』に「昨夜根眼皮瞤 今朝見好人(昨夜、目の上がかゆかった、すると今朝あの人に会えた)」という一文があり、その影響ではないかといわれます。「いつかも見む」は、いつになったら逢えるのだろうか。原文「何時見」で、イツシカミムトと訓むものもあります。この歌は、恋しく思いながらも何らかの事情で逢えない男の気持ちを歌っていますが、その事情は特定できず、状況に応じて詠われたらしく、巻第11-2808に異伝として載せられた歌があります。

 2409の「うらぶれ居れば」は、しょんぼりしていると。「悔しくも」は、悔しいことに、残念にも。「下紐」は、下着の紐。「いたづら」は、役に立たない、無駄である。「結ふ手いたづらに」の原文「結手徒」で、ユフテモタダニ、ユフテムナシモなどと訓むものもあります。下紐の解けるのは恋されているはずなのに、その相手は来ないので、解ける下紐を結ぶのが無駄になる、との女の嘆きです。

 2410の「あらたまの」は「年」の枕詞。「あらたま」は、掘り出したままで磨かれていない玉。「年」へのかかり方は未詳ながら、あらたまる年との語幹が一致するので使われたとも言われます。「年は果つれど」は、年は終わるけれども。「しきたへの」の「しきたへ」は、敷物にする栲で「袖」の枕詞。「袖交へし児」は、袖を交わして共寝をしたかわいい女。「忘れて思へや」の「や」は反語で、思い忘れようか、忘れはしない。年の暮れに女に贈った歌で、まだ関係ができて日の浅い女だと見えます。

巻第11-2411~2415

2411
白栲(しろたへ)の袖(そで)をはつはつ見しからにかかる恋をも我(あ)れはするかも
2412
我妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ夢(いめ)見むと我(われ)は思へど寝(い)ねらえなくに
2413
故(ゆゑ)もなく我が下紐(したびも)を解けしめて人にな知らせ直(ただ)に逢ふまでに
2414
恋(こ)ふること慰めかねて出(い)で行けば山も川をも知らず来にけり
2415
娘子(をとめ)らを袖布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり吾等(あれ)れは
  

【意味】
〈2411〉真っ白な袖をちらりと見たばかりに、こんなにも苦しい恋に私は落ちてしまっていることだ。

〈2412〉愛する妻が恋しくてどうしようもなく辛いので、夢に見ようと思うけど眠ることができない。

〈2413〉わけもなく私の下紐を解かせておいて、二人のことを人に知らせないでください。じかにお逢いするまで。

〈2414〉恋の切なさを慰めかねて飛び出して来たので、どこが山やら川やらも分からず、こんな所まで来てしまった。
 
〈2415〉乙女たちが袖を振るという布留の山の神聖な瑞垣のように、久しい以前からずっと思って来たよ、私たちは。

【説明】
 2414まで「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2411の「白栲」は、栲の繊維で織った布。原文「白細布」で、その白くうるわしいのを讃えて「細」の字を加えたものと見られています。「白栲の」は「袖」の枕詞で、ここは女の物。「はつはつ」は、わずかに。「見しからに」は、見たゆえに、見たばっかりに。「かも」は、詠嘆。そうした見方だっただけに、よけいに空想が広がったのかもしれません。

 2412の「恋ひてすべなみ」は、恋しくて仕方がないので。恋心がしきりにつのって止まない状態。「思へど寝ねらえなくに」は、自分は思うけれど少しも眠れない、の意。窪田空穂は、「『恋ひて術なみ』と、逢うことを諦めての上の恋しさをいっており、一首の調べもひどく落ちついたところから見て、旅にあっての歌ではないかと思われる」と述べており、斎藤茂吉は、「平凡な作だが、自然で感じのよい歌である」と評しています。

 2413の「故もなく」は、理由もなく。今夜逢いに行くとか、はっきりした理由もなく、の意。「解けしめて」は、解けさせて。「人にな知らせ」の「な」は、禁止。「直に逢ふまでに」は、単独母音アを含む字余り句。「下紐が解けるのは恋人に逢える前兆とする俗信を、あたかも恋人の意志が関与しているかのように言っており、また、男が自分との関係のことを他人に洩らすのを恐れています。窪田空穂は、「相応に複雑したことを、抒情の語を通してあらわしている、非凡な技巧である」と評しています。

 2414の「慰めかねて」は、単純に「慰めかねて」のほかに、気が鎮まらなくて、気が晴れなくて、じっとしていられなくて、などの焦燥、切実さを含んだニュアンスの言葉と見られます。「来にけり」の「けり」は、それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ちを表す詠嘆の助動詞。こうした歌にありがちな、自身の苦労や困難を誇張して言うのではなく、「山も川をも知らず」とむしろ反対のことを言っている例は珍しいとされます。窪田空穂は、「その言い方のさっぱりしているのが魅力となっている」と述べています。

 2415は、「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。『万葉集』における相聞歌の「正述心緒歌」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の表現方法のうち、「正述心緒」は直接に恋心を表白するのに対し、「譬喩歌」は物の表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法、そして「寄物陳思歌」は、両者の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌です。「娘子らを袖」は「布留」を、また上3句は「久しき」を導く序詞で、大きな序詞の中にさらに別の序詞が含まれている形になっています。「布留山」は、奈良県天理市にある石上神社の背後の山。「瑞垣」は、瑞々しい垣の意で、垣根を讃えての称。「久しき時ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞で、久しい以前から。「思ひけり吾等れは」は、句中に単独母音アを含む8音の字余り句。「吾等」は我々の意で、男性集団の共感の世界を表現しています。この歌は、巻第4-501にある「娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は」の人麻呂作の歌と、初句と結句がわずかに異なっています。ここの歌の方が語使いが古いので原形とされます。

巻第11-2416~2420

2416
ちはやぶる神の持たせる命をば誰(た)がためにかも長く欲(ほ)りせむ
2417
石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)さびて恋をもわれは更(さら)にするかも
2418
いかならむ名(な)負(お)ふ神にし手向(たむ)けせば我(あ)が思(も)ふ妹(いも)を夢(いめ)にだに見む
2419
天地(あめつち)といふ名の絶(た)えてあらばこそ汝(いまし)と我(わ)れと逢ふこと止(や)まめ
2420
月見れば国は同じぞ山(やま)隔(へな)り愛(うつく)し妹(いも)は隔(へな)りたるかも
  

【意味】
〈2416〉神様があたえてくださった命を、いったい誰のために長くあれと願ったりしようか。

〈2417〉石上の布留の神杉のように、年齢を重ねてはいても、また私は恋をするかもしれない。

〈2418〉どのような名で、霊験あらたかだと評判の神様にお供えをしてお願いすれば、私が思っている子を、夢の中にだけでも見られようか。

〈2419〉天や地というものが絶えてなくなってしまえば、その時こそ、あなたと私の二人が逢うこともなくなるだろう。

〈2420〉月を見れば、国は同じであるのに、山にさえぎられ、愛しい妻は遠く隔てられていることだ。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2416の「ちはやぶる」は、勢いの激しく強暴な意で「神」に掛かる枕詞。「神の持たせる」は、神が司っている意。「誰がためにかも長く欲りせむ」の「かも」は反語で、いったい誰のために長くあれと願おうか。窪田空穂は、「妹に対して献身的な愛を誓った歌である。『神の持たせる命』と信じながら、それにもかかわらず長くと思うのは、一に妹のためであって、妹のためには非望の願いをもしているというのである」と述べていますが、一方で、「相手の人に対して、反撥的な言い方をしている。もう希望も何も無いという思想である」との評もあります。

 2417の「石上」は、石上神社あたり。「神杉」は、神社の境内にある神木。上2句は「神さびて」を導く序詞。ここの「神さびて」は、古いこの年齢になって、の意。原文「神成」で、カムサブル、カムサビシ、カムビニシなどと訓むものもあります。「更にするかも」は、新たにすることに対しての詠嘆。窪田空穂は、「若い時に関係があったが、その後はずっと絶えてしまっていた女と、年を経て、何らかの機会から再び関係することになった人が、自身を客観視して、感慨をもつていった心である」と述べています。石上神宮は『日本書紀』にも登場する最古の神社の一つで、今も神木の杉が境内にそびえています。

 2418の「いかならむ名負ふ神に」は、いったいどういう名で霊験あらたかだと有名になっている神に。「手向け」は、神仏に物を捧げること。「夢にだに」は、夢にだけでも。佐佐木信綱は、「既に多くの神々に祈った末であることがわかる。また、『夢だにも』と最小限度を求めているのは、現に逢うことを願ったが、かなえられなかったことを物語っている。逢瀬の難しさを喞った痛切な歌である」と述べています。

 2419の「絶えてあらば」は、絶えたならば、無くなったならば。「汝」は、女を指して言っているもの。「止まめ」の「め」は「こそ」の結びで、推量の助動詞「む」の已然形。あり得ないような大自然の変化を条件として、恋心の変わらないことを誓っている歌です。

 2420の「隔る」は、隔たっている。「隔りたるかも」の「かも」は、詠嘆。原文「隔有鴨」で、「有」の字を尊重し、ヘナリテアルカモと、単独母音アを含む8音の字余りで訓むものもあります。この歌について窪田空穂は、「事象にはほとんど触れず、ただちに事象の生む気分の中心に入り、それをいうことによって一切をあらわす、人麿歌集特有のものである。奈良朝時代の歌も同じ傾向となっているが、そちらは歌柄が小さく細くなっているのに、人麿歌集は柄が大きく豊かで、調べも暢び暢びとして、他の追随し得ぬものをもっている」と述べています。また、大伴池主の「月見れば同じ国なり山こそば君のあたりを隔てたりけれ」(巻第18-4073)は、この歌を踏まえて作られたと見られています。

巻第11-2421~2425

2421
来る道は石(いは)踏む山は無くもがも我(わ)が待つ君が馬つまづくに
2422
石根(いはね)踏むへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも
2423
道の後(しり)深津(ふかつ)島山(しまやま)しましくも君が目見ねば苦しかりけり
2424
紐鏡(ひもかがみ)能登香(のとか)の山も誰(た)がゆゑか君来ませるに紐(ひも)解かず寝(ね)む
2425
山科(やましな)の木幡(こはた)の山を馬はあれど徒歩(かち)ゆ吾(あ)が来(こ)し汝(な)を念(おも)ひかね
  

【意味】
〈2421〉あの人がやって来る道は、石を踏む険しい山がなければよい。私が待つあの人の馬がつまずくから。
 
〈2422〉大きな山で隔てられている山ではないが、逢えない日が続くので、ずっと恋い焦がれてばかりいる。
 
〈2423〉備後の国の深津島山、その”しま”ではないが、ほんの”しばし”の間もあなたに逢えないと、苦しくてたまらない。
 
〈2424〉能登香の山の名のように、いったいほかの誰のせいで、あなた様がいらしたのに紐も解かずに寝ることでしょうか、そのようなことはありません。。

〈2425〉山科の木幡の山道を徒歩でやって来た。おれは馬を持ってはいるが、お前を思う思いに堪えかねて歩いてきたのだ。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2421の「来る道は」の原文「縿路者」は難訓で、コハタヂハ、マヰリヂハなどとも訓まれています。コハタヂハの場合、コハタを京都府宇治市の木幡という地名と見て、木幡へ来る街道には、と解しています。「石踏む(石根踏む)」は、岩がごつごつ出た険しい山道を通るのが危険だという定型的な言い方。「無くもがも」の「もがも」は願望で、無くあってほしい。山を越えて来る男を待つ女が、その石の多い山路を思い、馬がつまずいて事故に遭わないかと案じている歌です。

 2422の「石根」の「根」は、接尾語。「まねみ」は、多いので、たび重なるので。窪田空穂は、「公務を帯びて京近い地へ出張している官人の嘆きである」としています。2423の「道の後」は、都から地方へ通じる道の、その遠い所の意。「深津」は、備後の国深津郡で、今の福山市付近。「島山」は、普通には島にある山のことですが、ここでは、海上から望む広い地の山のことをいっています。上2句は「しましく」を導く同音反復式序詞。「しましくも」は、しばしの間でも。畿外の地名が歌われているのは、人麻呂が地方の歌の表現を採り入れつつ作ったものか。

 2424の「紐鏡」は、裏側のつまみに紐のついた鏡で、その紐を解くなの意のナトキと続き、その類音の「能登香」にかかる枕詞。「能登香の山」は、岡山県津山市の東方にある二子山とされます。上2句は結句の「紐解かず」を導く序詞で、「能登香」と「解かず」の類似の音を結びつけています。「誰がゆゑか」は、あなた以外の誰ゆえに。「君来ませるに」は、あなたがいらっしゃったのに。「紐解かず寝む」は、下紐を解かずに寝ようか、つまり共寝をしないだろうか、する、の意。能登香の山のほとりに住む女が、夫の通ってきた時に詠んだ形の歌で、この歌も人麻呂の興味から詠んだものとされます。

 2425の「山科の木幡」は、京都府宇治市木幡。「徒歩ゆ吾が来し」は、徒歩で私は来た。「汝を念ひかね」は、汝を思うに堪えかねて。馬で来るほうが早く着けるのだが、馬の用意をする暇もまどろっこしくて、取るものも取りあえず、すぐに歩いてきた、と言っています。斎藤茂吉は、「女にむかっていう語として、親しみがあっていい」と評しています。一方、窪田空穂は、「誇張というよりもむしろ媚びて、機嫌取りのためにいっている」のが明らかであり、「普通の夫婦関係の歌とは思われない。木幡の里にいる魅力多い遊行婦を相手にいったもののようである」と述べています。木幡は、古くから遊行婦がいた地とされます。なお、別の解釈として、馬の足音によって露見するのを恐れて徒歩で来た、あるいは、馬で来てもし途中で馬がつまづきでもしたら引き返さなくてはならないので徒歩で来た、などとするものもあります。

巻第11-2426~2430

2426
遠山(とほやま)に霞(かすみ)たなびきいや遠(とほ)に妹(いも)が目(め)見ねば我(あ)れ恋ひにけり
2427
宇治川(うぢがは)の瀬々(せぜ)のしき波しくしくに妹(いも)は心に乗りにけるかも
2428
ちはや人(ひと)宇治(うぢ)の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後(のち)も我(わ)が妻
2429
はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾(もすそ)濡(ぬ)らしつ
2430
宇治川の水泡(みなあわ)さかまき行く水の事(こと)かへらずぞ思ひ染(そ)めてし
  

【意味】
〈2426〉遠くの山に霞がたなびいて山が遠く見えるように、妻がますます遠く思われ、逢えないので恋しさが募るばかりだ。
 
〈2427〉宇治川の瀬々に繰り返し寄せてくる波のように、妻はしきりに私の心に押し寄せてくる。
 
〈2428〉宇治川の渡し場の流れが早いので、今は逢えないでいるが、後には私の妻になる人なのだ。
 
〈2429〉ああ愛しい、逢ってもくれないあの子ゆえに、甲斐もなく、宇治川の瀬で裳裾を濡らした。

〈2430〉宇治川が水泡を立てて逆巻いて流れ行くように、あの子を恋し始めた気持ちは戻しようがない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2426の上2句は「いや遠に」を導く譬喩式序詞。「いや遠に」は、久しく。「見ねば」の原文「不見」で、ミズテと訓むものもあります。「我れ恋ひにけり」の原文「吾戀」で、ワガコフルカモ、ワ(ア)ハコフルカモなどと訓むものもあります。官人として旅に出ていて妻を思う歌とされます。

 2427の「宇治川」は、琵琶湖から流れ出る瀬田川の、京都府内での名。「しき波」は、しきりに寄せて来る波。上2句は「しくしくに」を導く同音反復式序詞です。「しくしくに」は、しきりに。「心に乗る」は、心に入り込んで占拠してしまうこと。旅人として宇治川のほとりにに立っての歌で、しき波の様子を見て妹を思う心を連想しています。

 2428の「ちはや人」は、「宇治」に掛かる枕詞。「ちはや人」は、勇猛で霊威のある人の意で、ウチ(霊威)の意を感じ取って同義的枕詞としてかけたのではないかとされます。「宇治の渡りの瀬を早み」は、実景であるとともに、二人の間にある障害の比喩。「~を~み」は「~が~ので」と理由を表すミ語法。「瀬を早み」の原文「速瀬」で、傾倒せずにハヤキセニと訓むものもあります。この地に住む男の歌で、女との仲に障害が多く、今は逢わずにいるけれど将来は必ず我が妻にしようと誓っています。

 2429の「はしきやし」は、ああ愛しい。「裳」は、ふつう女の衣服のことですが、僧侶など一部の男も似た衣服を着け、裳と呼びました。しかしそう見るのは苦しいようで、単なる誤りか、あるいはコロモと訓むべきか、はたまた中国では裳は必ずしも女性の裳とされていないことから支障ないとする考えもあるようです。恋する女の許へ宇治川を徒歩で渡って行ったものの、逢えずにむなしく帰って来た男の愚痴の歌です。

 2430の「水泡さかまき行く水の」の「の」は、のように。上3句は「かへらず」を導く譬喩式序詞。「事かへらず」は、後戻りできない。窪田空穂は、「宇治川の辺りに住んでいる男の、その懸想した女が応じそうもなく、失望に終わろうとする時、我と我を励ましていった心のものである。初句より三句までは序詞の形になっているが、譬喩と異ならないもので、それが一首の重点ともなっている。昂奮した心と強い調べと相俟って、さわやかな歌となっている」と評しています。

巻第11-2431~2435

2431
鴨川(かもがは)の後瀬(のちせ)静(しづ)けく後(のち)も逢はむ妹(いも)には我(わ)れは今ならずとも
2432
言(こと)に出(い)でて言はばゆゆしみ山川(やまがは)のたぎつ心を塞(せ)かへたりけり
2433
水の上(うへ)に数(かず)書くごとき我(わ)が命(いのち)妹(いも)に逢はむとうけひつるかも
2434
荒礒(ありそ)越(こ)し外(ほか)行く波の外心(ほかごころ)我(あ)れは思はじ恋ひて死ぬとも
2435
近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)つ白波(しらなみ)知らずとも妹(いも)がりといはば七日(なぬか)越え来(こ)む
  

【意味】
〈2431〉鴨川の瀬が下流ではゆったりとした流れになるように、あとで彼女にはゆっくり逢おう。今すぐでなくとも。
 
〈2432〉口に出して言うのははばかられるので、山を下る川の流れのような激しい思いをぐっとこらえている。
 
〈2433〉水の上に数を書くような、はかない私の命だが、何とか彼女に逢えないかと神にお祈りをしていることよ。
 
〈2434〉荒礒を越えてよそに向かう波のように私は心を移したりしない。たとえ恋に焦がれて死んでしまおうとも。

〈2435〉近江の海の沖の白波ではないが、知らない道ではあるけれど、何日かかっても妻のもとへやって来るとも。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2431の「鴨川」は、京都市を流れる賀茂川とする説もありますが、京都府木津川市加茂町を流れる木津川の一部とされます。「後瀬」は、下流の瀬。「後瀬静けく」の原文「後瀬静」で、ノチセシヅケク、ノチセシヅケシと訓むものもあります。上2句は「後も」を導く同音反復式序詞。「今ならずとも」は、今でなくても。この地に住む男が、関係を結んだ女の周囲に妨害があって逢い難くなっている時に、女を慰めて贈った歌とされます。

 2432の「言に出でて言はば」は、言葉に出して言うのは。「ゆゆしみ」は、憚りがあるので。苦しい胸の内を口外すると祟りがあると考えられていたようです。「山川」は、山あいを流れる川。「塞かへ」は、強いて塞き止める。「けり」は、詠嘆。巻第10に「言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もあるかも」(2275)とあるのは、この歌を踏まえたものとされます。

 2433の「水の上に数書くごとき」は、最も消えやすいものの譬喩で、その出典は、仏典である『涅槃経』の「是ノ身ハ無常ニシテ、念念ニ往セズ。ナホ電光、暴水、幻炎ノ如シ、マタ水ニ画クトモ随ギテ画ケバ随ギテ合フ如シ」によったものといわれます。「うけひ」は「誓約ひ」で、斎戒して神に祈ること。なお、「数書くごとき」を「数書くごとく」と詠み「うけひつるかも」に掛かる連用修飾句と見る立場もあります。それによると、「甲斐もなくわが命を、あの子に逢おうと神にお祈りしていることよ」のような解釈になります。

 2434の「荒磯」はアライソの約で、岩が現れている海岸。上2句は「外心」を導く同音反復式序詞で、比喩的にも緊密な関係を持っています。「外心」は、他人を思う心。2435の上2句は「知らず」を導く同音反復式序詞。「知らずとも」の原文「雖不知」で、シラネドモと訓むものもあります。「妹がり」の「がり」は、~のもとに。「七日」は、日数の多いこと。「七日越え来む」の原文「七日越来」で、ナノカコエキヌと訓むものもあります。

巻第11-2436~2440

2436
大船(おほふね)の香取(かとり)の海に碇(いかり)おろし如何(いか)なる人か物念(ものおも)はざらむ
2437
沖(おき)つ裳(も)を隠(かく)さふ波の五百重波(いひへなみ)千重(ちへ)しくしくに恋ひ渡るかも
2438
人言(ひとごと)はしましぞ我妹(わぎも)綱手(つなて)引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ
2439
近江(あふみ)の海(うみ)沖つ島山(しまやま)奥(おく)まけて我(あ)が思ふ妹(いも)が言(こと)の繁(しげ)けく
2440
近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)漕(こ)ぐ舟の碇(いかり)下ろし蔵(をさ)めて君が言(こと)待つ我(わ)れぞ
   

【意味】
〈2436〉私はこんなに恋に苦しんでいるが、世の中のどんな人でも恋に苦しまないものはあるまい。
 
〈2437〉沖の藻を隠している波が幾重にも押し寄せるように、幾重にもしきりに恋し続けている。

〈2438〉人の噂はいっときのことだ、わが妻よ。小舟の綱を引いて渡る海の深さよりもっと、あなたへの思いは深いのだ。

〈2439〉近江の海の沖の島のように、心の奥から思い定めている彼女には、浮いた噂が絶えない。

〈2440〉近江の海の沖を漕ぐ舟がいかりを降ろして静まるように、私は思いを鎮めてあなたのお言葉をお待ちしています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2436の「大船の」は、楫取と続け、「香取」に転じてかかる枕詞。「大船の香取の海に碇おろし」は、「いかり」から「いかなる」に続く同音反復式序詞。「香取の海」は、琵琶湖の香取の浦。「物念はざらむ」の原文「物不念有」で、「有」の字があるのを重視し、モノオモハズアラムと訓むものもあります。窪田空穂は、「調べは滑らかで、むしろ明るい感じを与えるものである」「口を衝いて出た趣のある、快い作である」と評しています。

 2437の「沖つ藻」は、沖に生えている藻。「隠さふ」は「隠す」の連続で、隠し続けている。「五百重波」は、幾重にも重なって寄せる波。上3句は「千重しくしくに」を導く譬喩式序詞。「しくしくに」は、あとからあとから続いて。「恋ひ渡るかも」は、恋い続けていることだ。詩人の大岡信は、「歌の中に現れる藻や波のイメージの生動感、調べの大らかさ、『恋ひ渡るかも』という結句のもっている切なさと悠久の感じ、いずれも人麻呂でなければかもし出しえない独特な情緒の作」と評しています。

 2438の「人言」は、人の噂。「しましぞ」は、しばらくの間のものであるぞ。「綱手」は、陸から船を引く綱。「海ゆまさりて」は、海よりもまさって。2439の「近江の海」は、琵琶湖。「沖つ島山」は、近江八幡市の北、湖岸から約1.5kmにある沖の島か。上2句は、オキとオクの類音で「奥」を導く序詞。「奥まけて」は、心を深めて。「繁るけく」は「繁し」のク語法で名詞形。2440の上3句は「蔵めて」を導く譬喩式序詞。「蔵めて」の原文「蔵公之」で、コモリテ、カクリテ、シノビテなどと訓む説がありますが、心を鎮めて、じっと忍んで、の意。

巻第11-2441~2444

2441
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ふればすべをなみ妹が名(な)告(の)りつ忌(い)むべきものを
2442
大土(おほつち)は取り尽(つ)くすとも世の中の尽くしえぬものは恋にしありけり
2443
隠(こも)りどの沢泉(さはいづみ)なる石根(いはね)ゆも通りてぞ思ふ我(あ)が恋ふらくは
2444
白真弓(しらまゆみ)石辺(いそへ)の山の常磐(ときは)なる命(いのち)なれやも恋ひつつ居(を)らむ
  

【意味】
〈2441〉ひそかに恋い慕っていると、どうしようもなくて、あの娘の名前を口にしてしまった。いけないことなのに。

〈2442〉大地の土なら取り尽くせることはあっても、どうにも取り尽くすことができないもの、それは恋であった。
 
〈2443〉人目につかない谷間の激流に根を張った大岩、その大岩をも貫き通さんばかりの思いだ、私のこの恋心は。
 
〈2444〉石辺の山の大岩のようにこの命は永久不変ではないのに、あなたに逢えないままいつまで恋続けている気なのか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2441の「隠り沼の」は、流れ口がなく淀んでいる沼の人目につかない意で「下」にかかる枕詞。「下ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。「すべをなみ」は、どうしようもないので。「妹が名告りつ」は、妹の名を口に出してしまった。「忌むべきものを」の原文「忌物矣」で、ユユシキモノヲと訓むものもあります。

 2442の「大土」は、大地の土。「取り尽すとも」の原文「採雖盡」で、トリツクサメド、トラバツキメド、トレバツキメドなどと訓むものもあります。不可能を想像して言ったものですが、「大土」の語は珍しく、集中ほかに1例(巻第13-3344)あるのみです。「恋にしありけり」の「し」は、強意の副助詞。「けり」は、詠嘆。

 2443の「隠りど」は、岩や木の陰になって人目につかない場所。「沢泉」は、渓流に湧き出る泉。「石根」の「根」は接尾語で、岩のこと。「石根ゆも」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。原文「石根」で、イハネヲモ、イハガネモなどと訓むものもあります。「通りてぞ思ふ」の原文「通念」で、トホシテオモフ、トホシテゾオモフなどと訓むものもあります。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。

 2444の「白真弓」は、弓を射る意で「石辺」にかかる枕詞。「石辺の山」は未詳ながら。志賀県甲賀郡石部町の磯辺山かといわれます。「常盤」は、常に変わらない岩、転じて永久不変の意。「命なれやも」の「や」は係助詞で、反語となっているもの。「居らむ」は、その結びで連体形。恋しく思いながら逢えずにいる自分の状態について、いつまでも生きるつもりなのかと、自らを責めている歌です。

巻第11-2445~2448

2445
近江(あふみ)の海(うみ)沈(しづ)く白玉(しらたま)知らずして恋ひせしよりは今こそまされ
2446
白玉(しらたま)を巻(ま)きてぞ持てる今よりは我(わ)が玉にせむ知れる時だに
2447
白玉(しらたま)を手に巻(ま)きしより忘れじと思ひけらくは何か終(をは)らむ
2448
ぬば玉の間(あひだ)開けつつ貫(ぬ)ける緒(を)もくくり寄すれば後(のち)も逢ふものを
  

【意味】
〈2445〉近江の海の底に沈んでいる白玉のように、よく知らないで恋い焦がれていた時より、関係を結んだ今の方がより恋しくなったことよ。
 
〈2446〉白玉を腕に巻いている。今からは、私だけの玉にしよう。せめてこうして相知り得た間だけでも。
 
〈2447〉白玉を腕に巻いた時から、この玉のことを決して忘れまいと思ったことは、どうして終わることがあろうか、ありはしない。
 
〈2448〉ぬば玉を一つ一つ間を開けながら通した紐であっても、くくり寄せれば、またあとで一つに結び合わさるのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2445の「沈く」は、シヅムが水中に没する意であるのと異なり、シヅクは水の底に沈み着く意。「白玉」は、真珠のことで、ここでは女の比喩。上2句は「知らず」を導く同音反復式序詞。「恋ひせしよりは」の原文「從戀者」で、コヒニケルヨハ、コヒニシヨリハ、コヒツルヨリハなどと訓むものもあります。「今こそまされ」は、今こそ恋しさが増した。結婚後に男が女に贈った歌です。

 2446の上2句は、今まで持つことのできなかった白玉を今自分の腕に巻いて持っているという喜びの表現で、女と共寝したことの譬え。「知れる時だに」は、関係している間だけでも。女の存在を知ると同時に関係を結んだ歓喜の歌であり、このように昂奮に任せて手放しの物言いのできた相手は、遊行女婦だったかもしれません。あるいは、親の監視が厳しくて我が物と定め得ない女と共寝している時の感慨の歌とする見方もあります。

 2447の「白玉を手に巻きしより」は、白玉の喩えである女性と逢い、共寝をした時から、の意。「忘れじと思ひけらくは」は、忘れまいと思ったことは。原文「不忘念」で、ワスレジトオモヒシコトハと訓むものもあります。「何か終らむ」の「何か」は反語で、どうして終わることがあろうか。原文「何畢」で、イツカオハラムと詠み、いつ終わりがあろうか、と解するものもあります。

 2448の「ぬば玉」は、ヒオウギの実で、真っ黒な玉。枕詞として多く用いられますが、ここは実物で、玉として扱っています。「間開けつつ貫ける緒」は、玉と玉との間を離しながら貫いた緒。「くくり寄すれば」は、一つに束ねてくくり寄せると。「ものを」は、詠嘆。「ぬば玉」を自分たち、「間開けつつ」は現在の状態の譬喩で、今は障害があっても、やがては一緒になれることを訴えている歌です。「ぬば玉の緒」というのは、他に例を見ない珍しい取材となっています。

巻第11-2449~2451

2449
香具山に雲居(くもゐ)たなびきおほほしく相(あひ)見し子らを後(のち)恋ひむかも
2450
雲間(くもま)よりさ渡る月のおほほしく相(あひ)見し子らを見むよしもがも
2451
天雲(あまくも)の寄り合ひ遠み逢はずとも他(あた)し手枕(たまくら)我(わ)れまかめやも
   

【意味】
〈2449〉香具山にかかる雲のようにおぼろげに見たあの娘を、後に恋しく思うことだろう。
 
〈2450〉雲間を渡っていく月のように、ぼんやりと見かけただけのあの子だけど、もう一度逢うきっかけがあればなあ。
 
〈2451〉雲が寄り合う所のように遠くて逢えずにいるけれども、ほかの誰の手枕で私は寝たりするものか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2449の「雲居」は、雲そのものあるいは雲のかかっている所。上2句は「おほほしく」を導く譬喩式序詞。「おほほしく」は、ぼんやりと、おぼろげに。「子ら」の「ら」は、接尾語。窪田空穂は、「藤原京の路上ででも見かけた女の可愛ゆさから、後から思い出して恋うることだろうと推量した心である。若い京の男のもちそうな心である」と述べています。

 2450の上2句は「おほほしく」を導く譬喩式序詞。「さ渡る」の「さ」は、接頭語。「見むよしもがも」の「もがも」は、願望。上の歌と形も内容も似ており、「同じような歌境である。平凡な内容というほかない」との評がある一方、2首の序詞表現の違いに注目すべきとして、文学者の稲岡耕二は次のように述べています。「『香具山に雲居たなびき』の方は、恐らく平常から見馴れた山に霞がかかってはっきり見えないのを、それほど気にもとめずに見て過ぎることの喩としたのだろう。『おほほしく相見し子らを』と逆接的な詠嘆を込めたのは、見る側に本来注意する気持の乏しかったことを示唆するのではないだろうか。人麻呂の吉備津采女挽歌に『おほに見し事悔しきを』(巻第2-217)と詠まれており、その『おほ』について、対象のはっきりしない状態を表現する場合と、見る者が深く注意しない事を表す場合とが認められるように、『おほほし』にも、二つの場合があり、人麻呂はそれを2449歌と2450歌で使い分けて見せたのだろう。『雲間よりさ渡る月』のばあいは、見る側の注意も集中せられていながら対象のはっきりしない例である」。

 2451の「天雲の寄り合ひ遠み」は、雲と雲が寄り合う所のように遠くて。ここまでの9音は「遠み」を導く譬喩式序詞。上2句を「逢はずとも」の序詞とする見方もあります。「逢はずとも」は、逢わないでいても。原文「雖不相」で、アハネドモと訓むものもあります。「他し手枕」は、ほかの人の手枕。原文「異手枕」で、コトタマクラと訓むものもあります。「まかめやも」の「やも」は、反語。旅に出ている男が、家の妻に誠実を誓った歌とされます。

略体歌について
 『万葉集』に収められている『柿本人麻呂歌集』の歌は360首余ありますが、そのうち210首が「略体歌」、残り150首が「非略体歌」となっています。「非略体歌」とは、「乃(の)」や「之(が)」などの助詞が書き記されているスタイルのものをいい、助詞などを書き添えていないものを「略体歌」といいます。

 たとえば巻第11-2453の歌「春柳(はるやなぎ)葛城山(かづらきやま)に立つ雲の立ちても居(ゐ)ても妹(いも)をしぞ思ふ」の原文は「春楊葛山発雲立座妹念」で、わずか10文字という、『万葉集』の中でも最少の字数で表されています。

 このような略体表記の歌の贈答(相聞往来)が実際になされたとすると、お互いに誤読や誤解釈のリスクがあったはずです。その心配がなかったとすれば、男女双方の教養が、同化して一体のレベルにあり、省略した表記を、双方が十分理解できていたことになります。一方で、秘密の書簡往来を行っていた証で、他者からの読解を防いでいたということなのかも知れません。後で人麻呂が歌を編集したときのの独特な表記方法だとみる解釈があるものの、非略体表記も存在しているので、説得力に乏しく、略体歌の存在は今も謎となっています。 

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『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

また詩人の大岡信は、これらの歌がおしなべて上質であり、仮に民謡的性格が明らかな作であっても、実に芸術的表現になっているところから、人麻呂の関与を思わせずにおかない、彼自身が自由にそれらに手を加えたことも十分考えられると述べています。

『万葉集』以前の歌集

■「古歌集」または「古集」
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■「柿本人麻呂歌集」
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■「笠金村歌集」
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■「高橋虫麻呂歌集」
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■「田辺福麻呂歌集」
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。
 

各巻の主な作者

巻第1
雄略天皇/舒明天皇/中皇命/天智天皇/天武天皇/持統天皇/額田王/柿本人麻呂/高市黒人/長忌寸意吉麻呂/山上憶良/志貴皇子/長皇子/長屋王

巻第2
磐姫皇后/天智天皇/天武天皇/藤原鎌足/鏡王女/久米禅師/石川女郎/大伯皇女/大津皇子/柿本人麻呂/有馬皇子/長忌寸意吉麻呂/山上憶良/倭大后/額田王/高市皇子/持統天皇/穂積皇子/笠金村

巻第3
柿本人麻呂/長忌寸意吉麻呂/高市黒人/大伴旅人/山部赤人/山上憶良/笠金村/湯原王/弓削皇子/大伴坂上郎女/紀皇女/沙弥満誓/笠女郎/大伴駿河麻呂/大伴家持/藤原八束/聖徳太子/大津皇子/手持女王/丹生王/山前王/河辺宮人

巻第4
額田王/鏡王女/柿本人麻呂/吹黄刀自/大伴旅人/大伴坂上郎女/聖武天皇/安貴王/門部王/高田女王/笠女郎/笠金村/湯原王/大伴家持/大伴坂上大嬢

巻第5
大伴旅人/山上憶良/藤原房前/小野老/大伴百代

巻第6
笠金村/山部赤人/車持千年/高橋虫麻呂/山上憶良/大伴旅人/大伴坂上郎女/湯原王/市原王/大伴家持/田辺福麻呂

巻第7
作者未詳/柿本人麻呂歌集

巻第8
舒明天皇/志貴皇子/鏡王女/穂積皇子/山部赤人/湯原王/市原王/弓削皇子/笠金村/笠女郎/大原今城/大伴坂上郎女/大伴家持

巻第9
柿本人麻呂歌集/高橋虫麻呂/田辺福麻呂/笠金村/播磨娘子/遣唐使の母

巻第10~13
作者未詳/柿本人麻呂歌集

巻第14
作者未詳

巻第15
遣新羅使人等/中臣宅守/狭野弟上娘子

巻第16
穂積親王/境部王/長忌寸意吉麻呂/大伴家持/陸奥国前采女/乞食者

巻第17
橘諸兄/大伴家持/大伴坂上郎女/大伴池主/大伴書持/平群女郎

巻第18
橘諸兄/大伴家持/大伴池主/田辺福麻呂/久米広縄/大伴坂上郎女

巻第19
大伴家持/大伴坂上郎女/久米広縄/蒲生娘子/孝謙天皇/藤原清河

巻第20
大伴家持/大原今城/防人等


(柿本人麻呂)

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

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