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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

『柿本人麻呂歌集』から(巻第11)~その1

巻第11-2351~2354

2351
新室(にひむろ)の壁草(かべくさ)刈りにいましたまはね 草のごと寄り合ふ娘子(をとめ)は君がまにまに
2352
新室(にひむろ)を踏み鎮(しづ)む子し手玉(ただま)鳴らすも 玉の如(ごと)照りたる君を内へと申(まを)せ
2353
長谷(はつせ)の五百槻(ゆつき)が下(もと)に吾(わ)が隠せる妻 茜(あかね)さし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも
2354
ますらをの思ひ乱れて隠せるその妻(つま) 天地(あめつち)に通り照るともあらはれめやも [一云 ますらをの思ひたけびて]
 

【意味】
〈2351〉新しく建てている家の壁草を刈りにいらっしゃい。その草のように寄り集まった乙女たちは、あなたのお気に召すままに。
 
〈2352〉新しい家を造る地鎮の祭りの、大勢の乙女らが手飾りの玉を鳴らしているのが聞こえる。あの玉のような立派な男子を、この新しい家に入るようにご案内しろ。
 
〈2353〉長谷の、槻の木の繁った下に隠しておいた妻。月の光が明るい晩に、誰か他の男に見つかったかもしれない。
 
〈2354〉男子たるものが思い乱れて隠した妻は、月が天地にあまねく照り輝こうと、見つかることなどあるものか。

【説明】
 いずれも旋頭歌の形式(5・7・7・5・7・7)で詠まれている歌です。巻第11の冒頭には、『柿本人麻呂歌集』および『古歌集』からとられた旋頭歌17首が並びます。巻第11・12ともに、最初に『柿本人麻呂歌集』の歌を載せた後で、それ以外の歌を載せるという体裁になっています。『万葉集』には62首の旋頭歌があり、うち35首が『柿本人麻呂歌集』に収められています。これらは作者未詳歌と考えられており、万葉の前期に属する歌とされます。旋頭歌の名称の由来は、上3句と下3句を同じ旋律に乗せて、あたかも頭(こうべ)を旋(めぐ)らすように繰り返すところからの命名とする説がありますが、はっきりしていません。その多くが、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なる、あるいは、上3句である状況を大きく提示し、下3句で説明や解釈を加えるかたちになっています。
 
 2351・2352の「新室」は新しく建てた家。「壁草」は、壁にする草のことで、草で編んだものを壁にしたようです。2351では、その草刈りを口実に「君」を招き、娘との婚姻を促しています。「いまし」は、来るの尊敬語。「まにまに」は、思うままに。2352の「新室を踏み鎮む」は、地を掘って立てた柱を堅固にするため、そのもとを踏み固めた神事。「手玉」は手に巻く玉で、当時の女性の礼装。「内へと申せ」と言っているのは家の主人です。

 文芸評論家の山本憲吉は、次のように解説しています。「新室の宴という儀式的な場での詞章であり、厳粛なものでなく、儀式がすんだあと、二次会の宴会になる、その席で即興的に謡われたのだ。新しい家を建てた祝いの席に、身分の高い賓客を迎え、舞を見せ、その舞人である処女を一夜妻として供するという民族習慣を根底において、これらの歌は味わうべきものである」。
 
 2353の「長谷(泊瀬)」は、現在の奈良県桜井市初瀬町。「五百槻」は、たくさんの枝がある槻(けやき)、または初瀬方面から見た巻向の弓月が岳のこと。「茜さし」は、茜色が混じって。2354は2353と一連になっており、問答として記録されているわけではありませんが、2353で妻との恋の露見を不安に思って自問し、2354で自答してその不安を自身で打ち消しています。あるいは2354は妻の答歌とする見方もあります。いずれにしても、旋頭歌としては珍しいものです。

 斎藤茂吉は「明らかに人麻呂作と記されている歌に旋頭歌は一つもないのに、人麻呂歌集にはまとまって旋頭歌が載っており、相当におもしろいものばかりであるのを見れば、あるいは人麻呂自身が何かの機縁にこういう旋頭歌を作り試みたものであったのかもしれない」と言っています。
 
 また、窪田空穂『万葉集評釈』には、次のような説明があります。「旋頭歌は歴史的にいうと短歌より一時代前のもので、後より興った短歌に圧倒されて衰運に向かった歌体である。さらにいうと、歌が集団の謡い物であった時代には好適な歌体とされていたのであるが、徐々に個人的の読み物となってくると、新興の短歌のほうがより好適な歌体とされて、それに席を譲らねばならなかったのである。人麿時代には旋頭歌はすでに時代遅れな古風なものとなって廃っていて、人麿はその最後の作者だったかの観がある。人麿は一面には保守的な人であり、謡い物風な詠み方を愛していた人なので、旋頭歌という古風な歌体に愛着を感じているとともに、短歌にくらべては暢びやかで、したがって謡い物の調子の多いこの歌体そのものをも愛好していたのだろうと思われる」

巻第11-2355~2357

2355
愛(うつく)しと吾(わ)が念(も)ふ妹(いも)は早(はや)も死ねやも 生けりとも吾(われ)に依(よ)るべしと人の言はなくに
2356
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)の片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落ちにける 明日の夜(よ)し来(き)なむと言はば取り置きて待たむ
2357
朝戸出(あさとで)の君が足結(あゆひ)を濡らす露原(つゆはら) 早く起き出でつつ我(わ)れも裳裾(もすそ)濡らさな
 

【意味】
〈2355〉愛しく思うあの女は、いっそのこと早く死ねばいい。生きていても「私に靡くだろう」と誰も言ってくれないのだから。

〈2356〉結んだはずの高麗錦の紐の片方が床に落ちていました。明日の夜、また来て下さるなら取って置きますけど。
 
〈2357〉朝、戸を出てお帰りになるあなたの足許を濡らす露の原。私も早起きして、あなたに連れ添って出て、裳裾を濡らしましょう。

【説明】
 いずれも旋頭歌。2355で、片思いでどうにもならない相手を「早く死ねばいい」と呪いのように言っているのは、気持ちは分からないではないですが、ずいぶん過激で自己中心的な男の歌です。もっとも、歌人の佐佐木幸綱は、「この歌、内にこもったところがなく、開けっぴろげで明るい感じがするのは、背景に大勢の笑い声がひびいているからでしょう。歌垣のような場を想像してもいいでしょうが、私は宴席を想像します。酒も入っているのでしょう」と語っています。

 2356は、女から男への軽い脅かしの歌。逢瀬を楽しんだ翌朝、愛を確かめ合って結んだはずの紐が外れて床に落ちていた。それも高麗錦の贅沢品。裕福でプレイボーイらしい相手に対し、やんわりと証拠品?として持っているわと言っています。「高麗錦」は、高麗から伝来した錦または高麗風の錦で、庶民にはなかなか手に入らない貴重品でした。「紐」は衣の上紐で、両方に着けてあって胸元で結ぶもの。「片方ぞの「ぞ」と「明日の夜し」の「し」は強意。なお、「来なむと言はば」は原文「将来得云者」で、「来(こ)むと言ひせば」と訓むものもあります。男が女に再訪を約束する場合、「今来む」「今来むよ」という例が平安期に見られるからです。

 2357の「足結」は、袴の膝下のあたりをくくる紐のこと。古代では、男が女の家を訪ねて行って、翌朝に出て行く「妻問い婚」が一般的で、その多くは周囲には秘密の関係でした。別れの朝、一夜を共にした女性が見送ります。しかし、戸口までだったら誰にも気づかれないけれど、一緒に外に出てしまうと、皆が気づいてしまう。街は噂でもちきりになって、二人の仲が引き裂かれることさえある。でも、やっぱり少しでも長く一緒にいたい。そこで、早起きをして途中まで見送り、一緒に露で裾を濡らしましょう、と言っています。斎藤茂吉は、「女の心の濃(こま)やかにまつわるいいところが出ている」と評しています。

巻第11-2358~2360

2358
何せむに命をもとな長く欲(ほ)りせむ 生けりとも我(あ)が思ふ妹(いも)にやすく逢はなくに
2359
息の緒(を)に我(わ)れは思へど人目(ひとめ)多(おほ)みこそ 吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを
2360
人の親(おや)処女児(をとめこ)据(す)ゑて守山辺(もるやまへ)から 朝(あさ)な朝(さ)な通ひし君が来(こ)ねば悲しも
 

【意味】
〈2358〉何だって、いたずらにこの命が長く続いてほしいと願うものか。生きていても、愛する彼女と結ばれそうもないのに。
 
〈2359〉命がけで愛しているが、人の目が多くて思うように逢えない。もしも私が吹く風であったなら、たびたび逢えるものを。
 
〈2360〉人の親が我が娘を大切に守るという守山のあたりを通って、毎朝のように通って来ていたあなたが来なくなって悲しい。

【説明】
 いずれも旋頭歌。2358の「名にせむに」は、何だって、何にしようといって。「もとな」は、いたずらに、わけもなく。関係を結んでいる女の家へ行ったものの、母親などの妨げに遭って、逢えずに帰った後の詠歎の歌のようです。
 
 2359は、人目が多いからという理由で逢いに来ない男の歌です。このほかにも人目や世間の噂を恋の障害とする歌が数多くあり、現代の感覚からすれば、もっと堂々とすればよいのにと思うところですが、この時代の男女関係は個人的であるのと同時に、より社会的なものだったことが背景にあるようです。家族があり、氏があり、さらに村という地域社会がある。そうした中にあっては、どんな相手かが重要であるのはもとより、きちんとした手続きを踏んで結婚することが求められていました。しかしながら、恋というものはいつも手続き通りに進むものではない。しばしば隠さなければならない時と場合があったことは想像に難くありません。しかし、そういう時こそ、すぐにばれてしまう・・・。「息の緒に」は、命がけで。
 
 2360は、求婚してくれていた男が来なくなったのを嘆いている歌。上2句は「守山」を導く序詞。「守山」は所在未詳。この場合の妻問いは「夜な夜な」ではなく「朝な朝な」だったということでしょうか。それとも求婚にとどまっていたから「朝な朝な」という表現になっているのでしょうか。

巻第11-2361~2362

2361
天(あめ)にある一つ棚橋(たなはし)いかにか行(ゆ)かむ 若草(わかくさ)の妻(つま)がりと言はば足飾りせむ
2362
山背(やましろ)の久世(くせ)の若子(わくご)が欲しと言ふ我(わ)れ あふさわに我(わ)れを欲しと言ふ山背の久世
  

【意味】
〈2361〉一枚板だけの仮の橋をどのようにして渡ろうか。いとしい妻のもとへというなら、しっかり足装いをして渡ろう。

〈2362〉山背の久世の若君が私が欲しいんだとさ、軽はずみにもこの私が欲しいんだとさ、山背の久世の若君が。

【説明】
 いずれも旋頭歌。2361の「天にある」は「一つ棚橋」の枕詞。「棚橋」は、板を棚のように渡した仮の橋。「若草の」は「妻」の枕詞。「足飾り」は、足結などを美しく飾る意か。
 
 2362の「山背」は京都府の京都市から南。「久世」は、京都府城陽市久世。「若子」は、年少の男子を敬っていう語、若様。「あふさわに」は、軽率に、気軽に。「私が欲しいなんて、いったい誰に言ってるの?」とプライドの高い女の歌の風情ですが、久世の歌壇でのからかい歌ではないかとされます。

巻第11-2368~2372

2368
たらちねの母が手放れ斯(か)くばかり術(すべ)なき事はいまだ為(せ)なくに
2369
人の寝(ぬ)る味寐(うまい)は寝ずて愛(は)しきやし君が目すらを欲(ほ)りし嘆かむ
2370
恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙(たまほこ)の道行く人の言(こと)も告(の)らなく
2371
心には千重(ちへ)に思へど人に言はぬ我(あ)が恋妻(こひづま)を見むよしもがも
2372
かくばかり恋ひむものぞと知らませば遠くも見べくあらましものを
  

【意味】
〈2368〉物心がつき、母の手を離れてから、これほどどうしていいか分からないことは、未だしたことがありません。

〈2369〉人並みにあなたと共寝をすることができない私は、いとしいあなたの目だけでも見ていたいと、そればかり思って嘆き続けています。
 
〈2370〉恋に苦しんで死ぬなら死んでしまえとでもおっしゃるのでしょうか。道行く人は誰も言伝てを告げてくれません。
 
〈2371〉心の中では幾重にも思い続けているけれど、人には言えない私の恋妻に逢う術はないのだろうか。

〈2372〉こんなにも恋することが苦しいものと知っていたら、遠くから見るだけでよかったものを。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「正述心緒」歌は「寄物陳思(物に寄せて思いを述ぶる)」歌に対応する、相聞に属する歌の、表現形式による下位分類であり、巻第11・12にのみ見られます。一説には柿本人麻呂の考案かとも言われます。

 2368の「たらちねの」は「母」の枕詞。「いまだ為なくに」は、まだしたことがないのに。切実な思いを歌っており、男の歌か女の歌か分かりませんが、年ごろになったものの未だ独り立ちできず、すぐに母を連想する若い娘の歌とみるべきでしょう。また、この歌を初体験の歌だとみる人もいるようです。相手の男に訴えている歌でしょうか。斎藤茂吉は、「憶良が熊凝(くまこり)を悲しんだ歌に、「たらちしや母が手離れ」(巻第5-886)といったのは、この歌を学んだものであろう」と言っています。

 2369の「味寐」は、快い眠りの意で、男女の共寝に限って用いられるといいます。「人の寝る味寐(うまい)は寝ずて」は、「このごろは色々と思い乱れて、人並みに安眠ができず」と解釈するものもあります。「愛しきやし」は、いとしい。

 2370の「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は、恋い死ぬなら恋死にせよというのであろうか。「玉桙の」は「道」の枕詞。作者は、夕暮れの道を行き交う人の言葉から吉凶を占う夕占(ゆうけ)をしています。「言も告らなく」は、期待しているようなよい知らせ、あるいは男からの言伝のような言葉を、誰も口にしてくれないという意味。2371の「見むよしもがも」の「よし」は、方法、術。「もがも」は、願望。2372の「知らませば」の「ませ」は、反実仮想。

巻第11-2373~2377

2373
何時(いつ)はしも恋ひぬ時とはあらねども夕(ゆふ)かたまけて恋ひはすべなし
2374
かくのみし恋ひやわたらむたまきはる命(いのち)も知らず年は経(へ)につつ
2375
我(わ)れゆ後(のち)生まれむ人は我(あ)がごとく恋する道に逢(あ)ひこすなゆめ
2376
ますらをの現(うつ)し心(ごころ)も我(わ)れはなし夜昼(よるひる)といはず恋ひしわたれば
2377
何せむに命(いのち)継ぎけむ我妹子(わぎもこ)に恋ひぬ前(さき)にも死なましものを
  

【意味】
〈2373〉いつだって恋しくないという時はないけれど、夕方近くなってくると、やるせなくてしかたがない。
 
〈2374〉こんなにも、私はいつまで恋い続けるのだろうか、いつまでも続く命ではないのに、年月ばかりが過ぎていく。
 
〈2375〉私より後に生まれてきた人は、この私のように恋に落ちて苦しい目にあってはいけない、決して。

〈2376〉男らしく堂々とした男子だと自分のことを思っていたが、正気さえ失ってしまった。夜となく昼となく、ただただ彼女が恋しいばかりで。
 
〈2377〉なぜ命を保ち続けてきたのだろう。あの子に恋い焦がれる前に死んでしまえばよかったのに。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2373の「夕かたまけて」は、夕方が近くなって。逢引の夜が近づいてきたことを示しています。「すべなし」は、やるせない、辛い。2374の「かくのみし」の「し」は、強意。「たまきはる」は「命」の枕詞。「命も知らず」は、命の続くほども知れないのに。

 2375の「我れゆ」は、我より。「逢ひこすな」の「こす」は、何かをしてくれるの意で、希望を表す動詞。「ゆめ」は、強い禁止の副詞。決して、ゆめゆめ。2376の「現し心」は、正気、平常心。「恋ひしわたれば」は、恋をし続けているので。2377の「何せむに」は、何のために。「死なましものを」の「まし」は、反実仮想。

 作家の田辺聖子は、2375について「男の歌とは出ていないが、この口吻は男っぽい。自嘲の嘆息が聞こえてくるようである。女の歌にはない苦みがあり、やや理屈っぽい言い回しである。もし女なら、そんなことは言わない。恋する女は自分のことに手いっぱいで、あとから生まれてくる赤の他人のことなんか、知ったことではない、というであろう」、また2376について「男の恋は省察を伴うものらしい。理性を失っているな、と気づく理性が男にはある」と述べています。

巻第11-2378~2382

2378
よしゑやし来(き)まさぬ君を何(なに)せむにいとはず我(あ)れは恋ひつつ居(を)らむ
2379
見わたせば近き渡りをた廻(もとほ)り今か来(き)ますと恋ひつつぞ居(を)る
2380
はしきやし誰(た)が障(さ)ふれかも玉桙(たまほこ)の道(みち)見忘れて君が来(き)まさぬ
2381
君が目を見まく欲(ほ)りしてこの二夜(ふたよ)千年(ちとせ)のごとも我(あ)は恋ふるかも
2382
うち日さす宮道(みやぢ)を人は満ち行けど我(あ)が思ふ君はただひとりのみ
  

【意味】
〈2378〉もうどうだっていい、来てもくれないあの人を、どうして私は性懲りもなく恋い続けているのだろう。
 
〈2379〉見渡すと、近い渡り場所なのに、回り道をしながらあなたがいらっしゃるのを、今か今かと待ち焦がれています。
 
〈2380〉ああ悔しい、いったい誰が邪魔をしているのでしょう。通い慣れた道もお忘れになってしまったのか、あの人は一向にいらっしゃらない。

〈2381〉あなたのお顔が見たくて、この二晩というもの、千年も経ったかのように私は恋い続けています。
 
〈2382〉都大路を人が溢れるほどに往来しているけれど、私が思いを寄せるお方はたったお一人っきりです。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2378の「よしゑやし」は、もうどうだっていい。「何せむに」は、どうして。2379の「渡り」は、舟の渡し場にも言いますが、ここでは野の二つの場所の隔たりのこと。「た廻り」は、行ったり来たりして、回り道をして。「今か来ます」の「か」は、疑問。人目を避けて回り道をしてやって来る男を待っている歌、あるいは、先の見通せる近道の恋ではなく、回り道をしてでもいつか必ず叶えたいという意味にもとらえられます。

 2380の「はしきやし」は、ああ悔しい。「障ふれ」は、邪魔をする。「玉桙の」は「道」の枕詞。2381の「目」は、顔、姿。「見まく」は、名詞形。2382の「うち日さす」は「宮」の枕詞。「宮道」は、藤原京の都大路とされます。官人の妻が、朝、出仕して宮道を行く夫を捉えての歌でしょうか。あるいは作家の田辺聖子は、次のように評しています。「愛の不思議にはじめて遭遇しておどろく、そのさまがういういしいので、まだ十代の恋だろうか。素直なおどろきが、忘れがたい思いを残す。『万葉集』には強い輝きを放つ大粒の宝石も多いが、こんなに小粒のダイヤのような、愛らしいのも多い」

巻第11-2383~2387

2383
世の中は常(つね)かくのみと思へどもはたた忘れずなほ恋ひにけり
2384
我(わ)が背子(せこ)は幸(さき)くいますと帰り来(く)と我(あ)れに告(つ)げ来(こ)む人も来(こ)ぬかも
2385
あらたまの五年(いつとせ)経(ふ)れど我(あ)が恋の跡(あと)なき恋のやまなくあやし
2386
巌(いはほ)すら行き通るべきますらをも恋といふことは後(のち)悔(く)いにけり
2387
日並(ひなら)べば人知りぬべし今日(けふ)の日は千年(ちとせ)のごともありこせぬか
   

【意味】
〈2383〉世の中は思うようにいかないのが常だと思ってみるけれど、やはり、あの子のことが忘れられず、恋しくて仕方がない。

〈2384〉あの方はご無事でいらっしゃると、まもなく帰って来られると、告げてくれるだけの人でいいから、来てくれないものか。

〈2385〉もう五年も経ってしまったが、叶うことのない私のむなしい恋が終わらないのはなぜだろう。

〈2386〉岩をも貫いて進むことができる男子であるのに、恋のこととなると、くよくよと後で悔いるばかりだ。

〈2387〉こうして逢う日が度重なれば人目についてしまうでしょう。だから、今日一日が千年のように長くあってほしい。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2383の「はたた忘れず」の「はた」は、その反面、どうしても。「た忘れず」の「た」は、接頭語。2384の「来ぬかも」の「ぬかも」は、願望。2385の「あらたまの」は「五年」の枕詞。「跡なき恋」は、空しい恋。2387の「ありこせぬかも」は、あってほしいという願望。2386の「巌」は、大きな岩。2387の「日並べば」は、日が重なれば。

巻第11-2388~2392

2388
立ちて居(ゐ)てたづきも知らず思へども妹(いも)に告げねば間使(まつかひ)も来ず
2389
ぬばたまのこの夜(よ)な明けそ赤らひく朝(あさ)行く君を待たば苦しも
2390
恋するに死(しに)するものにあらませば我(あ)が身は千(ち)たび死に返(かへ)らまし
2391
玉かぎる昨日(きのふ)の夕(ゆふへ)見しものを今日(けふ)の朝(あした)に恋ふべき
2392
なかなかに見ざりしよりも相(あひ)見ては恋しき心(こころ)増して思ほゆ
 

【意味】
〈2388〉居ても立ってもいられず、ただおろおろとあの子に恋い焦がれているが、この思いを告げていないので、使いの者もやって来ない。

〈2389〉今宵はこのまま明けないで欲しい。朝に帰ってしまう人を、また夕方までお待ちするのは辛い。
 
〈2390〉恋の苦しみで人が死ぬと決まっているなら、私なんか、千度も繰り返し死んでいる。

〈2391〉昨日の晩に逢ったばかりなのに、今朝には、もうこんなに恋い焦がれているなんて、こんなことがあってよいものか。
 
〈2392〉なまじっか逢わなければよかった。逢ってからというもの、恋しさが増して仕方がない。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2388の「立ちて居て」は、立ったり座ったりして。「たづき」は、方法、手がかり。「間使」は、二人の間を往来する使い。2389の「ぬばたまの」「赤らひく」は、それぞれ「夜」「朝」の枕詞。2390の「千たび死に返る」というのは、中国唐代に書かれた恋愛小説『遊仙窟』の「功ク王孫ヲシテ千遍死ナシメム」が典拠で、絶え間のない恋の苦しさを誇張した表現です。

 2391の「玉かぎる」は「昨日」の枕詞。漢字では「玉響」と書かれ、ほかに「たまゆらに」「たまさかに」「まさやかに」などと訓まれています。玉と玉の触れ合うかすかな響きとか、ほんの束の間の時間とかの意味だとする説があります。2392の「なかなかに」は、なまじっかの意。長い求婚の末、ようやく女に初めて逢えた後の男の歌です。

巻第11-2393~2397

2393
玉桙(たまほこ)の道行かずあらばねもころのかかる恋には逢はざらましを
2394
朝影(あさかげ)にわが身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去(い)にし子ゆゑに
2395
行き行きて逢はぬ妹(いも)ゆゑひさかたの天(あま)露霜(つゆしも)に濡(ぬ)れにけるかも
2396
たまさかに我(わ)が見し人をいかにあらむ縁(よし)を以(も)ちてかまた一目見む
2397
しましくも見ねば恋ほしき我妹子(わぎもこ)を日(ひ)に日(ひ)に来なば言(こと)の繁(しげ)けく
  

【意味】
〈2393〉あの道にさえ進まなかったら、心を尽くした、こんなにも苦しい恋に会うことはなかったのに。

〈2394〉朝日に映る影のように、私はやせ細ってしまった。玉がほのかにきらめくように、ほんの少し姿を見せて立ち去ってしまったあの子のために。

〈2395〉行っても行っても、逢おうとしないあの娘のせいで、天の霜露にすっかり濡れてしまった。

〈2396〉偶然に出逢ったあの人を、どんなきっかけをつくって、また一目お逢いできるでしょうか。
 
〈2397〉ほんのしばらくでも逢わないと恋しくてならないので、彼女の許へ毎日のようにやって来たなら、さぞかし人の噂が激しいことだろう。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2393の「玉桙の」は「道」の枕詞。「ねもころ」は、心を尽くす意。2394の「朝影」は、朝日に照らされて映る細長い影。恋にやつれた姿を喩える常套句だったようです。「玉かぎる」は、玉がほのかに光を発する意で「ほのかに」に掛かる枕詞。これと全く同じ歌が巻第12にもあります(3085)。

 2395の「行き行きて」は、どんどん行って。「ひさかたの」は「天」の枕詞。「露霜」は、露が凍って霜になったもの。詩人の大岡信は、「露霜は天から降ってくるものではないが、『ひさかたの天』という誇張法は、この歌の思いつめた恋の思いの表現としてはまさにありうべきもので、この大きな空間把握は、まさに人麻呂の独擅場」と評しています。

 2396の「たまさかに」は、偶然に、思いがけなく。「縁」は、手段、きっかけ。「以ちて」は、取ったら。「か」は、疑問。2397の「しましく」は、しばらく、少しの間。「繁けく」は、名詞形。

巻第11-2399~2402

2398
たまきはる代(よ)までと定め頼みたる君によりてし言(こと)の繁(しげ)けく
2399
朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに
2400
いで何かここだ甚(はなは)だ利心(とごころ)の失(う)するまで思ふ恋ゆゑにこそ
2401
恋(こ)ひ死なば恋ひも死ねとや我妹子(わぎもこ)が吾家(わぎへ)の門(かど)を過ぎて行くらむ
2402
妹(いも)があたり遠くも見れば怪しくも我(あ)れはそ恋ふる逢ふよしをなみ
  

【意味】
〈2398〉命のある限りと頼みにしているあなた、そのあなたゆえに、世間の噂がこんなにやかましいとは。

〈2399〉今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。
 
〈2400〉さあどうしてこんなにも正気をなくすほどにひどく思いつめるのか、それは恋のせいだろう。

〈2401〉恋死(こいじに)をするなら勝手にどうぞというつもりで、おれの家の門を通り過ぎていくのか、あの恋しい女は。
 
〈2402〉あの子の家のあたりを遠くに眺めるだけで、不思議なほど恋しくなってくる。逢うすべもないままに。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2398の「たまきはる」は「代」の枕詞。「代」は、生涯。「君によりてし」の「し」は、強意。2397の歌に対する女の答歌と取れます。

 2399の「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。「心を異しく」は、心が変わって。男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきりしませんが、あるいはこの時代、女性は神事に奉仕する場合が多く、その期間は男女関係を断つことになっていたといいます。

 2400の「いで」は、さあ、さて、どれ、の意の感動詞。「ここだ」は、多量に。「利心」は、しっかりした心、正気。2401の「恋ひ死なば恋ひも死ねとや」は、恋い死ぬなら恋死にせよというのであろうか。2402の「怪しくも」は、不思議なまでに。「よしをなみ」は、方法がないので。

巻第11-2403~2405

2403
玉久世(たまくせ)の清き川原(かはら)にみそぎして斎(いは)ふ命(いのち)は妹(いも)がためこそ
2404
思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日(ひとひ)の間(あひだ)も忘れて思へや
2405
垣(かき)ほなす人は言へども高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き開(あ)けし君ならなくに
  

【意味】
〈2403〉美しいの久世川の清らかな川原でみそぎをして忌み慎むのは、みんな彼女のためなのだ。

〈2404〉心ひそかに思いを寄せ、さらに逢って思いが寄っていったのだから、一日としてあなたを忘れたりするものか。

〈2405〉垣根のように寄ってたかって噂が立っていますが、まだ高麗錦の紐を解いて共寝したお人というわけではないのに。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2403の「玉久世」は、美しい久世川のこと。久世川は、久世の地を流れる木津川。「斎ふ」は、忌み慎む。2404の「見ては寄りにしものにあれば」は、関係を結んでさらに思いが寄っていったので。2405の「垣ほなす」は、垣のように取り囲んで。「高麗錦」は、高麗から渡来した錦で、衣の紐とされたことから「紐」に掛かる枕詞。「紐解き開けし」は、身を許して関係を結んだこと。

巻第11-2406~2410

2406
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)解き開けて夕(ゆふへ)だに知らざる命(いのち)恋ひつつあらむ
2407
百積(ももさか)の船 隠(かく)り入る八占(やうら)さし母は問ふともその名は告(の)らじ
2408
眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待つらむかいつかも見むと思へる我(わ)れを
2409
君に恋ひうらぶれ居(を)れば悔(くや)しくも我(わ)が下紐(したひも)の結(ゆ)ふ手いたづらに
2410
あらたまの年は果つれどしきたへの袖(そで)交(か)へし児(こ)を忘れて思へや
  

【意味】
〈2406〉高麗錦の紐を自分で解いて、この夕方まで生きられるか分からぬ命ですが、私はあなたに恋い焦がれ続けるのでしょうか。

〈2407〉百石積の大きな船が入ってくる浦ではないが、いろんな占いをして母が責め立てても、あなたの名前は決して申しません。
 
〈2408〉眉を掻き、くしゃみをし、紐も解けて待ってくれているだろうか、いつ逢えるのかと苦しんでいる私のことを。

〈2409〉あなたが恋しくてしょんぼりしていると、腹立たしいことに、着物の下紐がなかなか結べず、手間を繰り返すばかりです。

〈2410〉年は暮れたが、袖を交して添い寝したあの子のことを思い出して忘れることができない。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2406の「高麗錦」は、高麗から渡来した錦で、衣の紐とされたことから「紐」に掛かる枕詞。「紐解き開けて」は、身を許して関係を結んだこと。「夕だに」は、夕すら。2407の「百積の船」は、百石積の船。上2句は「浦」の意を示し「八占」を導く序詞。「八占」は、いろいろな占い。

 2408の「眉根掻き鼻ひ紐解け」にある、眉がかゆい、くしゃみが出る、下紐が自然にほどける、の3つの現象は、恋人に逢える前兆とされました。ちなみに、なぜ眉がかゆいと恋人に逢える前兆とされたのかは、中国古典の恋愛文学『遊仙窟』に「昨夜根眼皮瞤 今朝見好人(昨夜、目の上がかゆかった、すると今朝あの人に会えた)」という一文があり、その影響ではないかといわれます。

 2409の「ひうらぶれ居れば」は、しょんぼりしていると。2410の「あらたまの」「しきたへの」は、それぞれ「年」「袖」の枕詞。「袖交へし児」は、袖を交わして共寝をしたかわいい女。

巻第11-2411~2415

2411
白栲(しろたへ)の袖(そで)をはつはつ見しからにかかる恋をも我(あ)れはするかも
2412
我妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ夢(いめ)見むと我(われ)は思へど寝(い)ねらえなくに
2413
故(ゆゑ)もなく我が下紐(したびも)を解けしめて人にな知らせ直(ただ)に逢ふまでに
2414
恋(こ)ふること慰めかねて出(い)で行けば山も川をも知らず来にけり
2415
娘子(をとめ)らを袖布留山(そでふるやま)の瑞垣(みづかき)の久しき時ゆ思ひけり我(わ)れは
  

【意味】
〈2411〉真っ白な袖をちらりと見かけただけなのに、こんなにも苦しい恋に私は落ちてしまっている。

〈2412〉愛する妻が恋しくてどうしようもなく辛いので、夢に見ようと思うけど眠ることができない。

〈2413〉わけもなく私の下紐を解かせて、二人のことを人に知らせないでください。じかに逢うまで。

〈2414〉恋の切なさを慰めかね、やりきれなくて出てきたので、山をも川をも夢中で来てしまった。
 
〈2415〉乙女たちが袖を振るという布留の山の神聖な瑞垣のように、長らくずっとあなたのことを思ってきたよ、私は。

【説明】
 2414まで「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2411の「白栲の」は「袖」の枕詞。「はつはつ」は、わずかに。2412の「恋ひてすべなみ」は、恋しくて仕方がないので。2413の「解けしめて」は、解けさせて。「人にな知らせ」の「な」は、禁止。下紐が解けるのは恋人に逢える前兆とする俗信を、あたかも恋人の意志が関与しているかのように歌っています。

 2415は、「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。『万葉集』における相聞歌の「正述心緒歌」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の表現方法のうち、「正述心緒」は直接に恋心を表白するのに対し、「譬喩歌」は物の表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法、そして「寄物陳思歌」は、両者の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌です。

 「娘子らを袖」は「布留」を、また上3句は「久しき」を導く序詞で、大きな序詞の中にさらに別の序詞が含まれている形になっています。「布留山」は、奈良県天理市にある石上神社の背後の山。「瑞垣」は、垣根を讃えての称。「久しき時ゆ」は、久しい以前から。

巻第11-2416~2420

2416
ちはやぶる神の持たせる命をば誰(た)がためにかも長く欲(ほ)りせむ
2417
石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神さびて恋をもわれは更(さら)にするかも
2418
いかならむ名(な)負(お)ふ神にし手向(たむ)けせば我(あ)が思(も)ふ妹(いも)を夢(いめ)にだに見む
2419
天地(あめつち)といふ名の絶(た)えてあらばこそ汝(いまし)と我(わ)れと逢ふこと止(や)まめ
2420
月見れば国は同じぞ山へなり愛(うつく)し妹(いも)はへなりたるかも
  

【意味】
〈2416〉神様があたえてくださった命を、誰のために長らえようか、それはあなたのため。

〈2417〉石上の布留の神杉のように、年齢を重ねてはいても、また私は恋をするかもしれない。

〈2418〉どのような名で、霊験あらたかだと評判の神様にお供えをしてお願いすれば、私が思っている子を、夢の中にだけでも見られようか。

〈2419〉天や地というものが絶えてなくなってしまえば、その時こそ、あなたと私の二人が逢うこともなくなるだろう。

〈2420〉月を見れば、国は同じであるのに、山にさえぎられ、愛しい妻は遠く隔てられている。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2416の「ちはやぶる」は、勢いの激しい意で「神」に掛かる枕詞。「神の持たせる」は、神が司っている意。「かも」は、反語。2417の「石上」は、石上神社あたり。上2句は「神さびて」を導く序詞。ここの「神さびて」は、古いこの年齢になって、の意。石上神宮は『日本書紀』にも登場する最古の神社の一つで、今も神木の杉が境内にそびえています。

 2418の「いかならむ名負ふ神に」は、どういう名で、霊験あらたかだと有名な神に。「手向け」は、神仏に物を捧げること。2419の「絶えてあらば」は、絶えたならば。「止まめ」の「め」は「こそ」の結びで、推量。2420の「へなる」は、隔たっている。

巻第11-2421~2425

2421
来る道は岩(いは)踏む山はなくもがも我(わ)が待つ君が馬つまづくに
2422
岩根(いはね)踏むへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも
2423
道の後(しり)深津(ふかつ)島山(しまやま)しましくも君が目見ねば苦しかりけり
2424
紐鏡(ひもかがみ)能登香(のとか)の山も誰(た)がゆゑか君来ませるに紐(ひも)解かず寝(ね)む
2425
山科(やましな)の木幡(こはた)の山を馬はあれど歩(かち)ゆ吾(わ)が来(こ)し汝(な)を念(おも)ひかね
  

【意味】
〈2421〉あの人がやって来る道は、石を踏む険しい山がなければよい。私が待つあの人の馬がつまずくから。
 
〈2422〉大きな山で隔てられている山ではないが、逢えない日が続くので、ずっと恋い焦がれてばかりいる。
 
〈2423〉備後の国の深津島山、その”しま”ではないが、ほんの”しばし”の間もあなたに逢えないと、苦しくてたまらない。
 
〈2424〉能登香の山のようにほかの誰に気兼ねなどして、あなた様がいらしたのに紐も解かずに寝ることでしょうか。

〈2425〉山科の木幡の山道を徒歩でやって来た。おれは馬を持ってはいるが、お前を思う思いに堪えかねて歩いてきたのだ。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2423の「道の後」「深津」は、備後の国深津郡。今の福山市。2424の「紐鏡」は、裏側に紐のついた鏡で、「能登香」の枕詞。「能登香」は、所在未詳。上2句は結句の「紐解かず」を導く序詞。「能登香」と「解かず」の類似の音を結びつけています。

 2425の「山科の木幡」は、京都府宇治市木幡。馬で来るほうが早く着けるのだが、馬の用意をする暇もまどろっこしくて、取るものも取りあえず、すぐに歩いてきた、と言っています。斎藤茂吉は、「女にむかっていう語として、親しみがあっていい」と評しています。

巻第11-2426~2430

2426
遠山(とほやま)に霞(かすみ)たなびきいや遠(とほ)に妹(いも)が目(め)見ねば我(あ)れ恋ひにけり
2427
宇治川(うぢがは)の瀬々(せぜ)のしき波しくしくに妹(いも)は心に乗りにけるかも
2428
ちはや人(ひと)宇治(うぢ)の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後(のち)も我(わ)が妻
2429
はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾(もすそ)濡(ぬ)らしつ
2430
宇治川の水泡(みなあわ)さかまき行く水の事(こと)かへらずぞ思ひ染(そ)めてし
  

【意味】
〈2426〉遠くの山に霞がたなびいて山が遠く見えるように、妻がますます遠く思われ、逢えないので恋しさが募るばかりだ。
 
〈2427〉宇治川の瀬々に繰り返し寄せてくる波のように、妻はしきりに私の心に押し寄せてくる。
 
〈2428〉宇治川の渡し場の流れが早いので、今は逢えないでいるが、後には私の妻になる人なのだ。
 
〈2429〉ああ愛しい、逢ってもくれないあの子ゆえに、甲斐もなく、宇治川の瀬で裳裾を濡らした。

〈2430〉宇治川が水泡を立てて逆巻いて流れ行くように、あの子を恋し始めた気持ちは戻しようがない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2426の上2句は「いや遠に」を導く序詞。「いや遠に」は、久しく。2427の上2句は「しくしくに」を導く序詞。「宇治川」は、琵琶湖から流れ出る瀬田川の、京都府内での名。「しくしくに」は、しきりに。2428の「ちはや人」は勇猛な人の意で、「宇治」に掛かる枕詞。2429の「はしきやし」は、ああ愛しい。「裳」は、ふつう女の衣服のことですが、僧侶など一部の男も似た衣服を着け、裳と呼びました。2430の上3句は「事かへらず」を導く序詞。「事かへらず」は、後戻りできない。

巻第11-2431~2435

2431
鴨川(かもがは)の後瀬(のちせ)静(しづ)けく後(のち)も逢はむ妹(いも)には我(わ)れは今ならずとも
2432
言(こと)に出(い)でて言はばゆゆしみ山川(やまがは)のたぎつ心を塞(せ)かへたりけり
2433
水の上(うへ)に数(かず)書くごとき我(わ)が命(いのち)妹(いも)に逢はむとうけひつるかも
2434
荒礒(ありそ)越(こ)し外(ほか)行く波の外心(ほかごころ)我(あ)れは思はじ恋ひて死ぬとも
2435
近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)つ白波(しらなみ)知らずとも妹(いも)がりといはば七日(なぬか)越え来(こ)む
  

【意味】
〈2431〉鴨川の瀬が下流ではゆったりとした流れになるように、あとで彼女にはゆっくり逢おう。今すぐでなくとも。
 
〈2432〉口に出して言うのははばかられるので、山を下る川の流れのような激しい思いをぐっとこらえている。
 
〈2433〉水の上に数を書くような、はかない私の命だが、何とか彼女に逢えないかと神にお祈りをしている。
 
〈2434〉荒礒を越えてよそに向かう波のように私は心を移したりしない。たとえ恋に焦がれて死んでしまおうとも。

〈2435〉近江の海の沖の白波ではないが、知らない道ではあるけれど、何日かかっても妻のもとへやって来るとも。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2431の「鴨川」は、京都府木津川市加茂町を流れる木津川。「後瀬」は、下流の瀬。上2句は「後も」を導く序詞。2432の「ゆゆしみ」は、憚りがあるので。「山川」は、山あいを流れる川。

 2433の「水の上に数書くごとき」は、最も消えやすいものの譬喩で、その出典は、仏典である『涅槃経』の「是ノ身ハ無常ニシテ、念念ニ往セズ。ナホ電光、暴水、幻炎ノ如シ、マタ水ニ画クトモ随ギテ画ケバ随ギテ合フ如シ」によったものといわれます。「うけひ」は「誓約ひ」で、斎戒して神に祈ること。

 2434の「荒磯」は、岩が現れている海岸。上2句は「外心」を導く序詞。「外心」は、他人を思う心。2435の上2句は「知らず」を導く序詞。「妹がり」の「がり」は、~のもとに。「七日」は、日数の多いこと。

巻第11-2436~2440

2436
大船(おほふね)の香取(かとり)の海に碇(いかり)おろし如何(いか)なる人か物念(ものおも)はざらむ
2437
沖(おき)つ裳(も)を隠(かく)さふ波の五百重波(いひへなみ)千重(ちへ)しくしくに恋ひわたるかも
2438
人言(ひとごと)はしましぞ我妹(わぎも)綱手(つなて)引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ
2439
近江(あふみ)の海(うみ)沖つ島山(しまやま)奥(おく)まけて我(あ)が思ふ妹(いも)が言(こと)の繁(しげ)けく
2440
近江(あふみ)の海(うみ)沖(おき)漕(こ)ぐ舟のいかり下ろし蔵(をさ)めて君が言(こと)待つ我(わ)れぞ
   

【意味】
〈2436〉私はこんなに恋に苦しんでいるが、世の中のどんな人でも恋に苦しまないものはあるまい。
 
〈2437〉沖の藻を隠す波が幾重にも押し寄せるように、何度も繰り返し恋し続けている。

〈2438〉人の噂はいっときのことだ、わが妻よ。小舟の綱を引いて渡る海の深さよりもっと、あなたへの思いは深いのだ。

〈2439〉近江の海の沖の島のように、心の奥から思い定めている彼女には、浮いた噂が絶えない。

〈2440〉近江の海の沖を漕ぐ舟がいかりを降ろして静まるように、私は思いを鎮めてあなたのお言葉をお待ちしています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2436の「大船の香取の海に碇おろし」は、「いかり」から「いかなる」に続く序詞。「香取の海」は、琵琶湖の香取の浦。「大船の」は「香取」の枕詞。

 2437の「五百重波」は、幾重にも重なって寄せる波。上3句は「千重しくしくに」を導く序詞。「しくしくに」は、あとからあとから続いて。詩人の大岡信は、「歌の中に現れる藻や波のイメージの生動感、調べの大らかさ、『恋ひ渡るかも』という結句のもっている切なさと悠久の感じ、いずれも人麻呂でなければかもし出しえない独特な情緒の作」と評しています。

 2438の「人言」は、人の噂。「しましぞ」は、しばらくの間のものであるぞ。「綱手」は、陸から船を引く綱。「海ゆ」は、海よりも。2439の上2句は「奥」を導く序詞。「奥まけて」は、心を深めて。「近江の海」は、琵琶湖。2440の「蔵めて」の訓みは、「こもりて」「かくりて」などとする説があります。心を鎮めての意。

巻第11-2441~2444

2441
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ふればすべをなみ妹が名(な)告(の)りつ忌(い)むべきものを
2442
大地(おほつち)は取り尽(つく)すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり
2443
隠(こも)りどの沢泉(さはいづみ)なる岩が根も通してぞ思ふ我(あ)が恋ふらくは
2444
白真弓(しらまゆみ)石辺(いそへ)の山の常磐(ときは)なる命(いのち)なれやも恋ひつつ居(を)らむ
  

【意味】
〈2441〉ひそかに恋い慕っていると、どうしようもなくて、あの娘の名前を口にしてしまった。いけないことなのに。

〈2442〉大地なら取り尽くせることはあっても、どうにも取り尽くすことができないもの、それは恋であった。
 
〈2443〉人目につかない谷間の激流に根を張った大岩、その大岩をも貫き通さんばかりの思いだ、私のこの恋心は。
 
〈2444〉石辺の山の大岩のようにこの命は永久不変ではないのに、あなたに逢えないままいつまで恋続けていればいいのだろう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2441の「隠り沼」は、水の淀んだ沼の意で、「隠り沼の」は「下」の枕詞。2443の「隠りど」は、岩や木の陰になって人目につかない場所。2444の「白真弓」は「石辺」の枕詞。「石辺の山」は未詳。「常盤」は、常に変わらない岩、転じて永久不変の意。

巻第11-2445~2448

2445
近江(あふみ)の海(うみ)沈(しづ)く白玉(しらたま)知らずして恋ひせしよりは今こそまされ
2446
白玉(しらたま)を巻(ま)きてぞ持てる今よりは我(わ)が玉にせむ知れる時だに
2447
白玉(しらたま)を手に巻(ま)きしより忘れじと思ひけらくは何か終(をは)らむ
2448
白玉(しらたま)の間(あひだ)開けつつ貫(ぬ)ける緒(を)もくくり寄すれば後(のち)もあふものを
  

【意味】
〈2445〉近江の海に沈んでいる白玉のように、よく知らないで恋い焦がれていた時より、関係を結んだ今の方がより恋しい。
 
〈2446〉白玉を腕に巻いている今からは、私だけの玉にしよう。せめてこの間だけでも。
 
〈2447〉白玉を腕に巻いた時から、この玉のことを決して忘れるものかと思ったことは、いつ果てることがあろうか、ありはしない。
 
〈2448〉白玉と白玉の間を開けながら通した紐であっても、たぐり寄せれば、またあとで一つに結び合わさるのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2445の上2句は「知らず」を導く序詞。「白玉」は、真珠。2446の上2句は女と共寝したことの譬え。「知れる時だに」は、関係している間だけでも。相手の女は遊行女婦だったかもしれません。2447は連作で、2446は女に逢った時、2447は別れる時の歌とみられます。2448の「白玉」は、諸本では「烏玉」(ぬばたま=黒い玉)となっています。障害があっても、やがては一緒になれることを譬えている歌です。

巻第11-2449~2451

2449
香具山に雲居(くもゐ)たなびきおほほしく相(あひ)見し子らを後(のち)恋ひむかも
2450
雲間(くもま)よりさ渡る月のおほほしく相(あひ)見し子らを見むよしもがも
2451
天雲(あまくも)の寄り合ひ遠み逢はずとも他(あた)し手枕(たまくら)我(わ)れまかめやも
   

【意味】
〈2449〉香具山にかかる雲のようにおぼろげに見たあの娘を、後に恋しく思うことだろう。
 
〈2450〉雲間を渡っていく月のように、ぼんやりと見かけただけのあの子だけど、もう一度逢うきっかけがあればなあ。
 
〈2451〉雲が寄り合う所のように遠く逢えずとも、ほかの誰の手枕で私は寝たりするものか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2449の上2句は「おほほしく」を導く序詞。「おほほしく」は、ぼんやりと、おぼろげに。「子ら」の「ら」は、接尾語。2450の上2句は「おほほしく」を導く序詞。「さ渡る」の「さ」は、接頭語。「見むよしもがも」の「もがも」は、願望。2451の「天雲の寄り合ひ遠み」は、雲と雲が寄り合う所のように遠くて。「やも」は、反語。

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『柿本人麻呂歌集』

『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。

『万葉集』以前の歌集

■「古歌集」または「古集」
 これら2つが同一のものか別のものかは定かではありませんが、『万葉集』巻第2・7・9・10・11の資料とされています。

■「柿本人麻呂歌集」
 人麻呂が2巻に編集したものとみられていますが、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではありません。『万葉集』巻第2・3・7・9~14の資料とされています。

■「類聚歌林(るいじゅうかりん)」
 山上憶良が編集した全7巻と想定される歌集で、何らかの基準による分類がなされ、『日本書紀』『風土記』その他の文献を使って作歌事情などを考証しています。『万葉集』巻第1・2・9の資料となっています。

■「笠金村歌集」
 おおむね金村自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第2・3・6・9の資料となっています。

■「高橋虫麻呂歌集」
 おおむね虫麻呂の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第3・8・9の資料となっています。

■「田辺福麻呂歌集」
 おおむね福麻呂自身の歌とみられる歌集で、『万葉集』巻第6・9の資料となっています。
 
 なお、これらの歌集はいずれも散逸しており、現在の私たちが見ることはできません。
 

各巻の主な作者

巻第1
雄略天皇/舒明天皇/中皇命/天智天皇/天武天皇/持統天皇/額田王/柿本人麻呂/高市黒人/長忌寸意吉麻呂/山上憶良/志貴皇子/長皇子/長屋王

巻第2
磐姫皇后/天智天皇/天武天皇/藤原鎌足/鏡王女/久米禅師/石川女郎/大伯皇女/大津皇子/柿本人麻呂/有馬皇子/長忌寸意吉麻呂/山上憶良/倭大后/額田王/高市皇子/持統天皇/穂積皇子/笠金村

巻第3
柿本人麻呂/長忌寸意吉麻呂/高市黒人/大伴旅人/山部赤人/山上憶良/笠金村/湯原王/弓削皇子/大伴坂上郎女/紀皇女/沙弥満誓/笠女郎/大伴駿河麻呂/大伴家持/藤原八束/聖徳太子/大津皇子/手持女王/丹生王/山前王/河辺宮人

巻第4
額田王/鏡王女/柿本人麻呂/吹黄刀自/大伴旅人/大伴坂上郎女/聖武天皇/安貴王/門部王/高田女王/笠女郎/笠金村/湯原王/大伴家持/大伴坂上大嬢

巻第5
大伴旅人/山上憶良/藤原房前/小野老/大伴百代

巻第6
笠金村/山部赤人/車持千年/高橋虫麻呂/山上憶良/大伴旅人/大伴坂上郎女/湯原王/市原王/大伴家持/田辺福麻呂

巻第7
作者未詳/柿本人麻呂歌集

巻第8
舒明天皇/志貴皇子/鏡王女/穂積皇子/山部赤人/湯原王/市原王/弓削皇子/笠金村/笠女郎/大原今城/大伴坂上郎女/大伴家持

巻第9
柿本人麻呂歌集/高橋虫麻呂/田辺福麻呂/笠金村/播磨娘子/遣唐使の母

巻第10~13
作者未詳/柿本人麻呂歌集

巻第14
作者未詳

巻第15
遣新羅使人等/中臣宅守/狭野弟上娘子

巻第16
穂積親王/境部王/長忌寸意吉麻呂/大伴家持/陸奥国前采女/乞食者

巻第17
橘諸兄/大伴家持/大伴坂上郎女/大伴池主/大伴書持/平群女郎

巻第18
橘諸兄/大伴家持/大伴池主/田辺福麻呂/久米広縄/大伴坂上郎女

巻第19
大伴家持/大伴坂上郎女/久米広縄/蒲生娘子/孝謙天皇/藤原清河

巻第20
大伴家持/大原今城/防人等


(柿本人麻呂)

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

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