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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第11)~その2

巻第11-2627~2631

2627
はねかづら今する妹(いも)がうら若み笑(ゑ)みみ怒(いか)りみ著(つ)けし紐(ひも)解く
2628
いにしへの倭文機帯(しつはたおび)を結び垂(た)れ誰(た)れといふ人も君には益(ま)さじ
2629
逢はずとも吾(われ)は恨(うら)みじこの枕(まくら)吾(われ)と思ひて枕(ま)きてさ寝(ね)ませ
2630
結(ゆ)へる紐(ひも)解かむ日遠み敷栲(しきたへ)の我(わ)が木枕(こまくら)は苔生(こけむ)しにけり
2631
ぬばたまの黒髪(くろかみ)敷きて長き夜を手枕(たまくら)の上(うへ)に妹(いも)待つらむか
  

【意味】
〈2627〉はねかづらを新しく着けた娘は、初々しく、はにかんだりじれたりしながら、身につけた紐を解いていくよ。

〈2628〉古風な倭文織の帯を結んで垂らすというけれど、その誰(垂れ)一人も、あなたにかなう人はいないでしょう。

〈2629〉お逢いできなくとも、私は恨みはしません。この枕を私だと思って当ててお休みください。
 
〈2630〉あなたが結んでくださった紐を解く日はまだ当分先なので、私たちの木枕には苔が生えてきました。

〈2631〉黒髪を枕の上に靡かせて、この長い夜を一人で自分の肘を枕にして、彼女は待っているだろうか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2627は、かづらに寄せた歌。「はねかづら」は、年ごろの娘がつける髪飾りであると察せられるものの、どんな材料や形だったのかはよく分かっていません。「うら若み」は、まだ一人前の女とはいえない若さなので。「笑みみ怒りみ」は、笑ったり怒ったりして見せて。新婚初夜の儀式としてはねかづらをつけた娘が、初々しく顔を朱に染めながら、馴れない下紐を苦労して解いている姿を詠っています。しかし、全く違う解釈もあり、笑ったり怒ったりして女の下着の紐を解こうとしているのは男の方だとするものもあります。

 2628は、帯に寄せた歌。「いにしへの」は、古風な。「倭文機帯」は、日本古来の簡単な模様を織り出した布製の帯で、珍重されたものです。上3句は「誰れ」を導く同音反復式序詞。妻が夫を讃えた歌のようです。2629の「枕きて」は、枕にして。「さ寝ませ」の「さ」は、接頭語。疎遠になった男に枕を贈った時に添えた女性の作とされます。言外に「枕とでも寝てろ!」の怒りの気持ちが込められているのかどうか・・・。以下3首は、枕に寄せた歌。
 
 2630の「結へる紐」の原文「結紐」で、ユヒシヒモと訓むものもあります。「解かむ日遠み」は、解いてくれるであろう日がいつまでも来ないので。原文「解日遠」で、トキシヒトホミと訓むものもあります。「敷栲の」は「木枕」の枕詞。「苔生しにけり」の「けり」は詠嘆で、久しく逢わないのを誇張して言ったもの。長旅の夫を待つ、あるいは夫の疎遠を怨んだ女の歌とされます。

 2631の「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。窪田空穂は、「妻の許へ行く約束をして、行けなかった男が、夜、その妻を思いやった心である。浮かんで来るのは見馴れている床の上の妻の寝姿で、『ぬばたまの黒髪しきて』が最も印象的のものであったとみえる。『手枕の上に』は、同じく感覚的な語ではあるが、それにとどまらず、妻のつつましい心持を思わせるもので、男にそうした妻と見えていることをあらわしているものである。この語によってこの歌を魅力的なものにしている」と述べています。

巻第11-2632~2633ほか

2632
まそ鏡(かがみ)直(ただ)にし妹(いも)を相(あひ)見ずは我(あ)が恋やまじ年は経(へ)ぬとも
2633
まそ鏡手に取り持ちて朝(あさ)な朝(さ)な見む時さへや恋の繁(しげ)けむ
2635
剣大刀(つるぎたち)身に佩(は)き添(そ)ふる大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)びかねてむ
2636
剣大刀(つるぎたち)諸刃(もろは)の上に行き触れて死にかも死なむ恋ひつつあらずは
  

【意味】
〈2632〉まそ鏡を手に取って見るように、じかにあの子に逢わないままだと、私の恋はやむことがありません。たとえ年は改まっても。

〈2633〉まそ鏡を手にとって朝ごとに見るように、毎朝毎朝あなたを見るようになってさえ、恋しい気持ちはますますつのるのだろうか。

〈2635〉立派な剣大刀を身に帯びている男子たる者が、恋くらいに堪えられないものであろうか。

〈2636〉剣太刀の鋭い諸刃に突き刺さって、死ぬなら死んでしまおうか、こんなに恋い焦がれ続けてなどおらずに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2632の「まそ鏡」は、澄んだ鏡のことで、第3句の「見」にかかる比喩的枕詞。「直にし妹を相見ずは」は、直接妹に逢わないでいては。「し」は、強意の副助詞。片恋の苦しさを詠んだ男の歌です。2633の上2句は「朝な朝な見る」を導く序詞。「朝な朝な」は、毎朝。「見む時さへや」の「や」は、疑問の係助詞で、「繁けむ」がその結びで連体形。夫婦別居していたのを、自分の家へ妻を迎えて同居しようと思って詠んだ歌とされます。以上2首は、鏡に寄せての歌。

 2635の「身に佩き添ふる」は、身に帯びている。「大夫や」の「や」は疑問の係助詞で、反語をなすもの。「忍びかねてむ」の「て」は強意、「む」は推量の助動詞。堪えられないだろうか、そんなはずはない。片恋に悩んでいる男が気持ちを奮い起こしている歌で、このような伝統的な大夫としての態度を詠んだ歌は数多く見られます。以下3首は、剣に寄せての歌。

 2636の「諸刃」は、剣の両刃があるもの。「行き触れて」は、進んで触れて。「死にかも死なむ」は、死ぬなら死んでしまおう。「恋ひつつあらずは」は、恋い続けていないで。前歌と同じく、片恋に悩む男が、丈夫の気概を奮い起こして、女々しい恋を払いのけようとする心を詠んでいます。人麻呂歌集の2498番歌「剣太刀諸刃の利きに足踏みて死にし死なむ君によりては」の替え歌とされます。

巻第11-2637~2641

2637
うち鼻(はな)ひ鼻をぞひつる剣大刀(つるぎたち)身に添ふ妹(いも)し思ひけらしも
2638
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)のはら野(の)に鳥狩(とがり)する君が弓弦(ゆづる)の絶えむと思へや
2639
葛城(かづらき)の襲津彦(そつびこ)真弓(まゆみ)新木(あらき)にも頼めや君が吾(わ)が名 告(の)りけむ
2640
梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ来(こ)ずは来ず来ば来そを何(な)ぞ来ずは来ばそを
2641
時守(ときもり)の打ち鳴す鼓(つづみ)数(よ)みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし
  

【意味】
〈2637〉くしゃみが出る、またくしゃみが出る。どうやら、腰に帯びる剣大刀のようにいつも寄り添ってくれている妻が、私のことを思ってくれているらしい。

〈2638〉末の原野で鷹狩をされるあなたの弓の弦が切れることなどないように、二人の仲が切れるなどとは思いもしません。

〈2639〉あの葛城襲津彦が使う強い弓のように、あなたを思う気持ちが強いと安心しているからですか、あなたが、私の名を人に明かしてしまったのは。
 
〈2640〉梓弓を引いたり緩めたりするようにやたら気をもませて。来ないなら来ない、来るなら来るとはっきりして下さい。それを何ですか、来るだの来ないとか。

〈2641〉時守の打ち鳴らす太鼓の音を数えてみると、もうその時刻になった。なのにあの方が逢いにやってこないのはおかしい。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2637の「うち鼻ひ」の「鼻ふ」は、くしゃみをする意。原文「晒」で、ウチヱマヒと訓み、微笑んでと解するものもあります。「剣太刀」は「身に添ふ」の比喩的枕詞。「けらし」は「ける・らし」の転。「らし」は、根拠に基づく推定。当時、くしゃみは、恋人に逢える前兆であるとの俗信があり、男が、思わずくしゃみが出たのを、妻が自分を思ってくれたからだろうと、嬉しく感じている歌です。

 2638の「梓弓」は、弓の上の方を末と言うことから「末」にかかる枕詞。「末のはら野」は地名とされますが、未詳。上4句は「絶え」を導く譬喩式序詞。「絶え」は、弓弦の切れることと二人の仲が絶える意味との掛詞。「絶えむと思へや」の「や」は、反語。この歌について、窪田空穂は次のように述べています。「本文は『絶えむと思へや』の一句で、他は序詞という、特殊な形をもった歌である。序詞が四句にわたっており、それがまた特殊な事柄なので、序詞という感じは薄れて、叙述という感じが濃厚になっている。こうした序詞は、実際を目撃しなければ生まれないものであるから、実況の叙述を序詞の形としたものと見るべきである。それだと、『君』と呼ばれる人の鷹狩をしているさまを望見している女の、その人と関係のあるところから、その状態の愛でたいのに感激しての心と見るべきである」。以下3首は、弓に寄せての歌。

 2639の「葛城の襲津彦」は、奈良県五條市今井にある荒木神社の祭神。磐城姫(いはのひめ)皇后の父で、5世紀に実在したとされる伝説的人物。葛城氏は4世紀後半から代々天皇家に妃を出し、強大な勢力を誇っていました。「新木」は、新しい強い木で作ったという意で、頼もしいものの譬え。襲津彦の弓勢の強さにあやかり、この杜の神に祈ると恋が成就するという民俗が古くからあったようです。この歌は、禁忌を破って、あえて私の名を人に告げたあなたは、本当に私をそんなに頼もしいと思ってくれているのですか、と疑っています。

 2640の「梓弓」は「引き」の枕詞。上2句は、弓弦を引けば寄り緩めば離れる意で「「来ば・来ずば」を導く序詞。「なぞ」は、どうして。女が、来るでもなく来ないでもなく、こちらを思っているのかいないのかもわからない、曖昧で煮え切らない男に激しく怒っている歌です。あまりの昂奮からか、歌の後半は早口言葉のようになっています。大伴坂上郎女に「来」を反復した歌(巻第4-527)がありますが、その模倣かとも言われます。

 2641は、鼓に寄せての歌。「時守」は、律令制下の陰陽寮(おんようりょう)の役人のことで、漏刻すなわち水時計の番をし、鐘や太鼓を鳴らして時刻を知らせました。一昼夜を12の時刻に分け、それをさらに4刻に分けて報じるものでした。陰陽寮は、7世紀後半に天武天皇によって設置され、長官の陰陽頭(おんようのかみ)の下に、陰陽博士・暦博士・漏刻博士などが配属されました。「数みみれば」は、数えてみると。「時にはなりぬ」の「時」は、男が来ると約束した時。「逢はなくもあやし」の「逢はなく」は「逢はず」のク語法で名詞形。「あやし」は、変だ、不思議だ。都に住む女の歌であり、時守の鳴らす時刻によって約束をするという、当時の人々の生活のあり方が実感できる歌です。

巻第11-2642~2646

2642
燈(ともしび)の影に輝(かがよ)ふうつせみの妹(いも)が笑(ゑ)まひし面影(おもかげ)に見ゆ
2643
玉桙(たまほこ)の道行き疲れ稲筵(いなむしろ)しきても君を見むよしもがも
2644
小墾田(をはりだ)の板田(いただ)の橋の壊(こほ)れなば桁(けた)より行かむな恋ひそ吾妹(わぎも)
2645
宮材(みやき)引く泉の杣(そま)に立つ民のやむ時も無く恋ひ渡るかも
2646
住吉(すみのえ)の津守(つもり)網引(あびき)の泛子(うけ)の緒(を)の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは
  

【意味】
〈2642〉燈火の光りにきらめいていたあの娘の笑顔が、今も面影に現れて見えることだ。

〈2643〉道を歩き疲れるて稲むしろを敷いて休むというではないが、しきりにあの方にお逢いできるてだてがあればよいのに。

〈2644〉小墾田の板田の橋が壊れても、桁を伝ってでも行くから、恋しく思うな、わが妻よ。

〈2645〉宮材を引き出す泉の杣山(そまやま)で働く人たちが休む暇もないように、休む時もなく恋しつづけている。
 
〈2646〉住吉の津の番人が引く網の泛子(うき)のように、浮いたままどこかへ行ってしまおうか、こんなに恋に苦しんでいないで。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2642は、燈に寄せての歌。「燈の影」は、燈の光。「かがよふ」は、きらめく。当時、燈火は貴重なものでしたから、ある程度の身分があった人の歌とみられます。「うつせみの」は、現し身ので、「妹」の感を強めるために添えているもの。「笑まひし」の「し」は、強意の副助詞。「面影」は、目に浮かぶ人の姿。見ようと思って見るものではなく、向こうから勝手にやってきて仕方がないもの。通って行った夜の印象を歌っているとする見方もありますが、まだ自分が手に入れていない女性のことのようでもあります。あるいは宴席などで、薄い隔てのものなどの向こう側にいて燈火の光に揺れる女性の姿を言っているのでしょうか。

 また、歌全体の原文は「燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚之 妹咲状思 面影尓所見」となっており、蚊と蛾と蝉が出てきて独特な用字として注目されています。音仮名で表記しながらも、漢字の字義に思いを馳せて詠んだことが窺える歌であり、あるいはこの歌の作者は、蚊や蝉や蛾が飛び回る燈火のもとで思い出にひたりながら、同じように蚊や蝉や蛾が集まる燈火のもとで恋人と逢引した情景を思い起こして作歌したものとの見方があります。なお、当時の室内を照らしていたものが何であったかははっきりしませんが、松の脂等を燃やしたのではないかといわれます。

 2643は、筵に寄せての歌。「玉桙の」は「道」の枕詞。道の曲がり角や辻などに魔除けのまじないとして木や石の棒柱が立てられていたことによります。「稲筵」は、稲藁で編んだ敷物。以上3句は、筵を敷く意で「しきても」を導く序詞。「しきても」は、敷く意と事が重なる意の掛詞。「見むよしもがも」は、逢うてだてがあればよいのに。「君」とあるので、たびたび逢いたいという女の願いの歌としていますが、「君」は男から女を指しての敬称の場合もあるので、通い始めた女を思う男の歌とする見方もあります。

 2644は、橋に寄せての歌。「小墾田」は、奈良県明日香村の飛鳥川沿いの地ですが、「板田の橋」は、所在未詳。「桁より行かむ」は、橋板がなくなっても桁を伝ってでも行こう、の意。「な恋ひそ」の「な~そ」は、禁止。2645は、杣に寄せての歌。「泉」は、京都府木津川市。「杣」は「杣山」ともいい、用材を伐り出す山。「立つ民の」は、立ち働く人々。上3句は「やむ時も無く」を導く譬喩式序詞。特色のある序詞であり、窪田空穂は「こうした序詞は、その光景を眼前に見ているか、あるいは自身その事にあたっているのでなければ捉えられないもの」と言っており、官命によって妻と遠く離れて働く男の歌と見られます。

 2646は、泛子に寄せての歌。「住吉」は、大阪市住吉区の一帯。「津守」は、住吉の津(港)の番人、あるいは地名とも言われます。大阪市西成区に津守という町名が残るのは、本来津を守る番人だったのが氏の名となり地名になったとする説があります。「泛子」は、網を浮かせる浮きのこと。上3句は「浮かれ」を導く譬喩式序詞。「浮かれか行かむ」の「浮かれ」は、その地を離れて浮浪すること。「あらずは」は、~していないで。

巻第11-2647~2651

2647
手作りの空ゆ引き越し遠(とほ)みこそ目言(めこと)離(か)るらめ絶ゆと隔(へだ)てや
2648
かにかくに物は思はじ飛騨人(ひだひと)の打つ墨縄(すみなは)のただ一道(ひとみち)に
2649
あしひきの山田(やまだ)守(も)る翁(をぢ)が置く蚊火(かひ)の下(した)焦がれのみ我(あ)が恋ひ居(を)らく
2650
そき板もち葺(ふ)ける板目のあはざらば如何(いか)にせむとか吾(わ)が寝始(ねそ)めけむ
2651
難波人(なにはひと)葦火(あしひ)焚(た)く屋の煤(す)してあれど己(おの)が妻こそ常(つね)めづらしき
   

【意味】
〈2647〉手作りの布を空高く引き延ばして晒すように遠く離れているので、逢って語り合う折もないけれど、二人の仲を隔てようとして逢わずにいるのではない。

〈2648〉あれこれと物思いはするまい。飛騨人の打つ墨縄がまっすぐに伸びているように、ただ一筋にあなたを思っています。

〈2649〉山の田を見張る老人が焚く鹿遣り火のように、胸の底はくすぶってばかりで、私はあなたに恋い焦がれています。

〈2650〉そいだ板で葺いた屋根の板目のように、もしあの人が逢ってくれなくなったらどうするつもりで、私は二人で寝始めたのだろう。

〈2651〉難波の人が葦の火を焚く家のようにすすけているけれど、おれの妻こそはいつも可愛らしいことだ。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2647は、布に寄せての歌。「手作りの」の原文「東細布」は難訓とされ、古写本にヨコクモノとあることから長くそのように訓まれてきましたが、寄物陳思の部で天象の横雲が現れるのはおかしいとしてテツクリノの訓みが提唱されました。前後に地名を含む歌が多いことからも、これを東国の細布の意と見て、巻第14-3373の「多摩川にさらす手作りさらさらに」に拠ったものです。上2句は、その布を空高く引き延ばして晒すようにの意で「遠み」を導く譬喩式序詞。「遠みこそ」は、遠いので。「目言離るらめ」は、逢って語り合うことも少なくなるだろう。「絶ゆと隔てや」は、関係を絶とうとして仲を隔てているのだろうか、そんなことはない。官命で東国に旅した男の歌かとされます。

 2648は、匠に寄せての歌。「かにかくに」は、あれこれと。「飛騨人」は、飛騨の工匠(たくみ)。「墨縄」は「墨糸」ともいい、大工や木工職人が、材木などに黒い線を引くときに用いる道具。墨を染み込ませた糸を両側から引っ張ってぴんと張り、真ん中を上につまんで手を離すと、反動で材木の表面に真っ直ぐな線を引くことができます。「飛騨人の打つ墨縄の」は「ただ一道に」を導く譬喩式序詞。女性の歌と見られ、「ただ一道に」のあとに「あの人を信じよう」などの言葉が略されています。飛騨には古くからさまざまな名工の伝説があり、とくに木工職人らが真っ直ぐに打つ墨縄には定評があったのでしょう。朝廷は、飛騨地方には他の税を免除して工人の徴用だけを求めたといいます。

 2649~2651は、火に寄せての歌。2649の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山田守る翁」は、山の田を猪鹿などが荒らさないよう番をする老人。「蚊火」は、蚊遣り火。鹿を追うために焚く火とする説もあります。上3句は「下焦がれ」を導く序詞。「下焦がれ」は、蚊火が見えない所でくすぶっていることと、心の中でひそかに思い焦がれることとの掛詞。窪田空穂は、「若者の、言い出せない恋の悩みをいったものである。序詞は譬喩で、譬喩というよりもむしろ、それに誘発されて詠んだともいうべき歌である」と述べています。

 2650の「そき板」は、木を薄く削いで作った屋根板。「板目」は、板と板の合わせ目。上2句は、板を合わせる意で「あはず」を導く序詞。「如何にせむとか」は、どうしようと思って。「寝始めけむ」の「けむ」は、過去推量の助動詞。男と関係を結んだ女が周囲に妨害が起こって、逢い難くなったのを嘆いた歌とされます。

 2651の「難波人葦火焚く屋の」について、当時はデルタ地帯であった難波には葦が群生していたため、薪として焚いていました。よく燃えるものの、煙が多く出て家の内が煤(すす)けることから、「煤して」を導く序詞。「常」は、いつでも。トコと訓んで、いつまでも、と解釈するものもあります。「めづらし」は「目・連らし」で、見ることを重ねたい、つまり心惹かれる、可愛い意。煤けて年老いたわが妻こそ可愛いという歌で、斎藤茂吉はこの歌を例に挙げ、「万葉の歌は万事写生であるから、たとい平凡のようでも人間の実際が出ている」と評しています。

巻第11-2652~2656

2652
妹(いも)が髪(かみ)上げ竹葉野(たかはの)の放(はな)ち駒(ごま)荒(あら)びにけらし逢はなく思へば
2653
馬の音(おと)のとどともすれば松蔭(まつかげ)に出(い)でてぞ見つるけだし君かと
2654
君に恋ひ寐(い)ねぬ朝明(あさけ)に誰(た)が乗れる馬の足(あ)の音(おと)ぞ吾(われ)に聞かする
2655
紅(くれなゐ)の裾(すそ)引く道を中に置きて妾(われ)や通はむ君や来まさむ [一云 裾漬く川を][ 又曰 待ちにか待たむ]
2656
天(あま)飛ぶや軽(かる)の社(やしろ)の斎(いは)ひ槻(つき)幾代(いくよ)まであらむ隠(こも)り妻(づま)ぞも
 

【意味】
〈2652〉あの子が髪を上げて束ねるに因みある、竹葉野の放し飼いの馬のように、私への気持ちは離れてしまったらしい、こんなに逢ってくれないことを思うと。

〈2653〉馬の音がどどっとするたびに、松蔭に出て行ってそっと様子を窺っています。もしやあなたではないかと。

〈2654〉あなた恋しさに寝られなかった夜明けに、誰が乗っているのか馬の足音がする、この私に聞こえよがしに。

〈2655〉紅色の裳裾を引いて歩く道を隔てているだけなのに。私が通いましょうか、それともあなたが来て下さいますか。(裳の裾を濡らす川を)(それとも待ち続けましょうか)

〈2656〉天を飛ぶ軽の社の槻の神木のように、いつまでこうして隠し妻にしておかなければならないのだろうか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2652の「妹が髪上げ」の7音は、少女が一人前の女になった時にする儀式である、髪を上げて束(たか)ねる意で「たかば」と続き、「竹葉野」を導く序詞。「竹葉野」は、所在未詳。「放ち駒」は、放し飼いの馬。上3句は、拘束されない放ち駒が荒れていく意で「荒び」を導く序詞。序詞の中に序詞を含むという特殊な形。「荒らぶ」は、心が荒れすさむことで、疎遠になっていく意。「けらし」は、過去の根拠に基づく推定。女の許へ通って行っても、逢ってくれないので、心変わりがしたらしいと、恨んで呟いている男の歌とされますが、女の歌との見方もあります。以下3首は、馬に寄せての歌。

 2653の「とど」は、馬の足音の擬音。「けだし」は、もしかして。斎藤茂吉は、この歌について、「女が男を待つ心で何の奇も弄(ろう)しない、つつましい佳(よ)い歌である。そしていろいろと具体的に云っているので、読者にもまたありありと浮んで来るものがあっていい」と言っています。また文学者の稲岡耕二は、「『とどともすれば』という擬声語表現が若い女性の心臓の鼓動のようにも聞かれる」と言っています。馬に乗って恋人がやって来るというのは、相手がかなりの身分の男だったと考えられます。

 2654の「朝明」は、夜明け方。男の訪れのないまま眠れずに過ごした朝明けに、誰の所に通ってきたのか、馬の足音が聞こえてくる、と言っています。一方、「誰が乗れる」は、誰が乗っているのかと疑った形ではあるものの、誰でもない君の意を表した言い方だとして、男が他の女性の許に通っての帰りと感じたものとする解釈もあります。

 2655は、道に寄せての歌。「紅の裾引く道」は、紅い裳を着た女性が行き交うような、歩きやすく賑やかな大通りのこと。「中に置きて」は、隔てにして。つまり険しい山道や川を隔てているわけではないので、通おうと思えばたやすいはずと言って、相手の訪問を催促している歌です。なお、「妾や」「君や」は、ワレカ、キミカと訓むものもあります。

 2656の「天飛ぶや」は、雁を古くは軽ともいったので、「軽」の枕詞。「軽」は、奈良県橿原市の近鉄橿原神宮前駅から岡寺駅にかけての一帯。「軽の社」は、軽にある社ながら、現在は廃されていて不明。「斎ひ槻」は、人に触れさせないように囲いをしてある欅(けやき)で、人目を忍んで逢う隠妻を譬えています。上3句は、斎ひ槻が老樹であるので「幾代」を導く序詞。「隠妻ぞも」は、公にできない妻を憐れんでいったもの。以下8首は、神に寄せての歌。

巻第11-2657~2661

2657
神(かむ)なびにひもろき立てて斎(いは)へども人の心は守(まも)りあへぬもの
2658
天雲(あまくも)の八重(やへ)雲隠(くもがく)り鳴る神(かみ)の音(おと)のみにやも聞き渡りなむ
2659
争へば神も憎(にく)ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに
2660
夜(よ)並(なら)べて君を来ませとちはやぶる神の社(やしろ)を祈(の)まぬ日はなし
2661
霊(たま)ぢはふ神も吾(われ)をば打棄(うつ)てこそしゑや命(いのち)の惜(を)しけくもなし
  

【意味】
〈2657〉神の森にひもろきを立てて、どんなに慎んでお祭りしてみても、人の心は守ることができない。

〈2658〉天雲の八重雲の奥から鳴り響く雷のように、噂だけを聞いて過ごしていくのだろうか。

〈2659〉争ったりすると神様もお憎みになるので、仕方がない、私が妻だといって噂されるあの方が憎いわけではないのだから。

〈2660〉毎晩、あなた、どうかいらしてと、神威のあらたかな神社に行ってお祈りしない日はありません。

〈2661〉霊験あらたかな神様、今は私をお見捨て下さい。ええい、もう命の惜しいことなどありません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2657の「神なび」は、神の宿るところ。「ひもろき」は、神霊の憑り給う木として植える常緑樹で、神座としたもの。「斎へども」は、斎戒沐浴して神を祭っても。女の歌であり、男の心が頼み難いようすだったため、神なびにひもろ木を立てて神を祀り祈ったものの、それでも守りきれなかったと嘆いています。窪田空穂は、「女の行なったことは、上代にあっては最高の努力であって、したがって嘆きも深いのである。夫の心を、『人の心は』と大きな言い方をしているのは、深い嘆きがさせていることである」と述べています。

 2658の「鳴る神」は雷。上3句は「音のみ」を導く序詞。「音のみ」は、鳴る神の音ばかり聞こえる意と、噂にだけ聞いて逢えない意との掛詞。「音のみにやも」の「や」は疑問、「も」は詠嘆。女の、疎遠になった男への嘆きの歌で、窪田空穂は、「『天雲の八重雲隠り鳴る神の』は、女性に関する噂の高さに絡むところのあるものと取れる。恨むべくして恨んではいないことが注意される」と述べています。

 2659の「争へば」は、逆らうと、言い争うと。「憎ます」は「憎む」の尊敬語。「よしゑやし」は、仕方がない、どうなろうとも。「よそふる」は、(妻に)なぞらえる意。男に求婚され、それが噂されている女の歌で、人々の噂に逆らうと神が憎むと言っているのは、人々の噂は特殊な力を持っている、すなわち、噂は神の意志だと考えられていたようです。2660の「夜並べて」は、毎夜。「ちはやぶる」は、勢いの激しく強暴な意で「神」にかかる枕詞。「祈む」は「祈る」の古語。下3句がそっくり同じ歌があり(2662)、神に祈願するときの定型句だったかもしれません。

 2661の「霊ぢはふ」は、神威が働く意で「神」の枕詞。「打棄て」は「打ち棄(う)て」の約で、ウチは接頭語、ウテは見捨てる意。「こそ」は、願望の終助詞。「しゑや」は、ええい、もういい加減に。「惜しけく」は「惜し」のク語法で名詞形。相手との関係がうまくいかず、どうやら自暴自棄になっています。男の歌とも女の歌とも取れます。

巻第11-2662~2665

2662
吾妹子(わぎもこ)にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祷(の)まぬ日はなし
2663
ちはやぶる神の斎垣(いがき)も越えぬべし今は吾(わ)が名の惜(を)しけくもなし
2664
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)の朝影(あさかげ)に吾(わ)が身はなりぬ汝(な)を思ひかねに
2665
月しあれば明(あ)くらむ別(わき)も知らずして寝(ね)て吾(わ)が来(こ)しを人見けむかも
  

【意味】
〈2662〉愛しいあの子にもう一度逢わせて下さいと、神社に行ってお祈りしない日はありません。

〈2663〉神威のあらたかな神の社の、越えてはならない玉垣も越えてしまいそうだ。今はもう私の名など惜しいとは思わない。

〈2664〉暁の闇が明けてきて、朝日に映る影法師のように私は痩せてきた。あなたへの思いに堪えかねて。

〈2665〉月が出ていたので、夜が明けたことも知らず、寝すごして帰ってきたのを、誰かに見られただろうか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2662の「ちはやぶる」は、勢いの激しく強暴な意で「神」にかかる枕詞。「神の社」は、神社。「祷む」は、祈る。下3句が同じ歌(2660)があるので、神に祈願するときの定型を思わせます。2663の「斎垣」は、神域の周囲の垣。神聖な物で、絶対に越えてはならないとされているもの。「越えぬべし」は、越えてしまいそうだ。「惜しけく」は「惜し」のク語法で名詞形。何らかの恋の妨げに遭い、激しく昂奮しています。あるいは人妻に対する恋を詠んだものかもしれません。下句が2661の歌と似ています。

 2664の「夕月夜」は、夕方の月は夜中には沈んでしまうことから「暁闇」にかかる枕詞。「暁闇」は、月が早く沈む陰暦13日ころまでの暁に月がなく真っ暗なことを言います。上2句は、その朝の意で「朝」を導く序詞。「朝影」は、朝の影法師。「汝を思ひかねに」の「に」は、にしての意。原文「汝乎念金丹」で、ナヲオモヒカネテと訓むものもありますが、ニは余情を添えるものかとも言います。以下10首は、月に寄せての歌。

 2665の「月しあれば」の「月」は、ここは有明の月。「し」は、強意の副助詞。「別」は、区別、けじめ。「寝て我が来しを」は、寝過ごして私が帰って来たのを。窪田空穂は、「不安をいったものではあるが、明るく楽しげな歌である」と言っています。

巻第7-2666~2670

2666
妹(いも)が目の見まく欲しけく夕闇(ゆふやみ)の木(こ)の葉(は)隠(ごも)れる月待つごとし
2667
真袖(まそで)持ち床(とこ)うち掃(はら)ひ君待つと居(を)りし間(あひだ)に月かたぶきぬ
2668
二上(ふたかみ)に隠らふ月の惜しけども妹(いも)が手本(たもと)を離(か)るるこのころ
2669
吾(わ)が背子(せこ)が振り放(さ)け見つつ嘆くらむ清き月夜(つくよ)に雲なたなびき
2670
まそ鏡(かがみ)清き月夜(つくよ)のゆつりなば思ひは止(や)まず恋こそまさめ
  

【意味】
〈2666〉あの子にひと目逢いたいと思う気持は、夕闇の木の葉に隠れている月を待っているようなものだ。

〈2667〉両の袖で床を払い、あなたを待っているうちに、月が西に傾いてしまいました。

〈2668〉あの二上山に隠れていく月のように、名残惜しいけれども、評判がうるささに、いとしい彼女から離れ、手枕もしないこのごろよ。
 
〈2669〉あの方が振り仰いで嘆いておいででしょう。この清らかな月夜に、雲よたなびかないでください。
 
〈2670〉清らかな月夜が移っていってしまえば、あなたへの思いはやまず、いっそう恋しさがつのるでしょう。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2666の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。「欲しけく」は、形容詞「欲しけ」に「く」を接して名詞形にしたもの。「月待つごとし」の原文「月待如」で、ツキマツガゴトと訓むものもあります。窪田空穂は、「男が女の許へ通おうと、夕闇の路を歩いている時の感と思われる。この場合の月は美観としてのものではなく、それを頼りとして歩く実用としての月で、その月が木の葉隠れになると歩けなくなるというそれである」と述べています。

 2667の「真袖」は、両方の袖。「床うち掃ひ」は、床の塵を払って。床を払うのは共寝の床をきれいにするためですが、男の訪れを待つ呪術的行為であったとも言われます。しかし訪れはなく、空しく時が過ぎたのを嘆いている歌、あるいは男が夜明け近くにやって来て、喜びと共に恨みを交えて言った歌とする見方もあります。

 2668の「二上」は、大和国原の真西、奈良県と大阪府の境界をなす葛城連峰にある二上山で、標高517mの雄岳(おだけ)と標高474mの雌岳(めだけ)の二つの峰からなります。フタカミは元は二つの神の意で、「あめのふたかみ」と呼び、「天二上嶽」と書きます。古くから神の山としてあがめられていました。上2句は「惜しけ」を導く譬喩式序詞。「手本」は腕で、手枕を言い換えたもの。月光の中、一人いてつぶやかれたような歌です。

 2669の「振り放け見つつ」は、振り返って仰ぎ見る。「嘆くらむ」の「らむ」は、現在推量。「月夜」は、ここは月のこと。「雲なたなびき」の「な」は、懇願的な禁止。人麻呂歌集の「遠妻の振仰け見つつ偲ふらむこの月の面に雲なたなびき」(2460)を模し、女の作としたもの。

 2670の「まそ鏡」は「清き」の枕詞。「ゆつりなば」は、移っていったならば。月が空を渡り西の山に沈むことを表しています。窪田空穂は、「男が旅にあって、夜、清い月に対していると、妻を恋うる嘆きが慰められたにつけ、この月が沈んだならば、この心は失せて、恋の方が増さって来ようと思ったのである。月に慰められたのが重点で、慰められたがゆえにその失せた時が思いやられるという、心理の自然のある歌である。実感としてもった感そのものをあらわした歌である。個性的な作である」と述べています。

巻第11-2671~2674

2671
今夜(こよひ)の有明月夜(ありあけつくよ)ありつつも君を置きては待つ人もなし
2672
この山の嶺(みね)に近しと吾(わ)が見つる月の空なる恋もするかも
2673
ぬばたまの夜(よ)渡る月のゆつりなば更(さら)にや妹(いも)に吾(あ)が恋ひ居(を)らむ
2674
朽網山(くたみやま)夕(ゆふ)居(ゐ)る雲の薄(うす)れ行かば我(あ)れは恋ひむな君が目を欲(ほ)り
  

【意味】
〈2671〉今夜の有明の月夜のように、あり続けて夜通し待つ人は、あなたをおいて他におりません。

〈2672〉この山の嶺に近いと見ていた月が、いつのまにか遙か遠い空にかかっている。そんな、とらえどころのない恋をしているのだな。

〈2673〉夜空を渡っていく月が沈んでしまったら、さらにいっそう切ない思いで、私はあの子に恋い焦がれることだろうな。

〈2674〉朽網山に夕方かかっている雲が薄れてしまうと、私は恋しくなります。あなたにお逢いしたくて。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2671の「今夜の」の原文「今夜之」で、コノヨラノ、コヨヒノヤ、コノヨイノなどと訓むものもあります。2句目は、単独母音アを含む許容される字余り句。「有明月夜」は、月が空に残ったまま明ける夜。上2句は、同音で「ありつつも」を導く序詞で、実景でもあります。「ありつつも」は、このようにありながら。「君を置きては」は、君以外には。窪田空穂は、「女の、夜夫の通って来るのを待ちつづけ、ついに待ち得なかった時の心である。夫を怨めしく思ったが、思い返して、やはりこうしてあの公を待つよりほかはないと諦めを付けた心である。『今夜の在明月夜』は、その時期を待っていたことを暗示したもので、叙述とすべきものを序詞の形にして気分化したもので、上手な序詞である」と述べています。

 2672の「この山の」は、眼前の山を指したもの。第4句の「月の」までが「空」を導く序詞であると共に叙事ともなっています。「空なる」は、心が空にあるで、不安で落ちつかない意。月が空にある意との掛詞になっています。「恋もするかも」の「かも」は、詠嘆。窪田空穂は、「片恋をしている男の、心が空になっている状態を意識して、深く嘆いた心である。・・・細かい心をもった序詞で、巧みだとすべきである」と述べています。

 2673の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「夜渡る月」は、夜空を渡る月。「ゆつりなば」は、移って隠れたならば。「更にや」の「や」は、疑問の係助詞。「恋ひ居らむ」の「らむ」は、その結びで連体形。2670と同趣の歌です。

 2674の「朽網山」は、熊本県と大分県の境にある標高1788mの久住山。「夕居る雲」は、夕方に山に降りてきてかかっている雲。「薄れ行かば」の原文「薄徃者」で、ウスレイナバと訓むものもあります。「恋ひむな」の「む」は推量、「な」は感動の助詞で、恋しく思うだろうな。なお、雲が薄れて夜になったらと解し、また上2句を譬喩式序詞とみて、「情が薄れたら」「姿が薄れ去ったら」と解する説もあります。以下3首は、雲に寄せての歌。

巻第11-2675~2679

2675
君が着る御笠(みかさ)の山に居(ゐ)る雲の立てば継(つ)がるる恋もするかも
2676
ひさかたの天(あま)飛ぶ雲にありてしか君を相(あひ)見む落ちつる日なしに
2677
佐保(さほ)の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜(よ)ぞ多き
2678
はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥(たまくしげ)開けてさ寝(ね)にし吾(われ)ぞ悔(くや)しき
2679
窓越しに月おし照りてあしひきの嵐(あらし)吹く夜(よ)は君をしぞ思ふ
  

【意味】
〈2675〉御笠の山にかかっている雲のように、次々に湧いては湧いては出てくる、そんな恋をしていることです。

〈2676〉あの空を飛ぶ雲でありたい。そうしたら、思うままにあの方とお逢いできる、毎日欠かさずに。

〈2677〉佐保の内を山おろしの風が吹き抜ける季節になったので、あの方のお帰りはいつになるとも分からず、嘆く夜が多くなった。

〈2678〉ああ、吹いてもくれない風なのに、玉櫛笥の箱を開けるように、大切な戸を開けて寝ていた自分が悔しい。

〈2679〉窓越しに月の光が明るく差し込んできて、山から嵐が吹きすさぶ夜は、あの方のことを思いつめています。
 

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2675の「君が着る」は、古くは笠をかぶることを着るといったことから、「御笠」にかかる枕詞。「御笠の山」は、奈良市東方、春日大社の背後の山。「立てば継がるる」までが、止む時もない恋心の比喩。「るる」は、自発。上3句を「立てば継がるる」を導く序詞と見る説もあります。

 2676の「ひさかたの」は「天」の枕詞。「ありてしか」の「てしか」は願望の意で、あったらよい。「落つる日なしに」は、欠ける日なしに。「君」とあるので女性の歌と見られますが、男の歌とするものもあります。

 2677の「佐保」は、佐保川上流の一帯。「内ゆ」の「ゆ」は、起点・経過点を示す格助詞。~を通って。上掲の解釈は、旅にある夫の帰りを待ち侘びる妻の歌としていますが、佐保の内の妻の許へ通っている男の歌であり、冬の嵐が吹くので、人目を思いながらも帰ることを物憂く思っている心とする解釈もあります。以下3首は、風に寄せての歌。

 2678の「はしきやし」は「ああ」と自ら憐れんで嘆息する詠嘆の語。「吹かぬ風」は、訪れてくれない男の譬喩。「玉櫛笥」は「開けて」の枕詞。「開けて」は、玉櫛笥の蓋を開ける意と、戸を開けての意の掛詞。女が、誠を信じて関係を結んだにも関わらず、その男が真実ではないと知って、関係したことを後悔している歌です。

 2679の「おし照りて」は、強く照って、隈なく照って。「あしひきの」は「嵐」の枕詞。本来「山」や山を含む語にかかることが多い枕詞ですが、ここでは「嵐」にかかっています。旅中の夫を思う妻の歌とされます。この歌について、斎藤茂吉は「窓越しに月おし照りて」の句に心惹かれるとして、「普通『窓越しに月照る』というと、窓外の庭あたりに月の照る趣に解するが、『おし照る』が作用をあらわしたから、月光が窓から部屋まで差し込んでくることとなり、まことに旨い言い方である」と言っています。窪田空穂も、「初句より四句までは、寒さをそれといわずに描写しているもので、印象が鮮明」と述べています。なお、「窓越し」も「窓」も『万葉集』に出てくるのはこの1首のみです。 

巻第11-2680~2684

2680
川千鳥(かはちどり)住む沢の上に立つ霧(きり)のいちしろけむな相(あひ)言ひそめてば
2681
吾(わ)が背子(せこ)が使(つか)ひを待つと笠も着ず出(い)でつつぞ見し雨の降らくに
2682
韓衣(からころも)君にうち着せ見まく欲(ほ)り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を
2683
彼方(をちかた)の埴生(はにふ)の小屋(をや)に小雨降り床(とこ)さへ濡(ぬ)れぬ身に添へ我妹(わぎも)
2684
笠(かさ)無(な)みと人には言ひて雨(あま)障(つつ)み留(と)まりし君が姿し思ほゆ
  

【意味】
〈2680〉川千鳥の棲む沢の上に立つ霧のように、人目にはっきりと立つことだろう、互いに語らい始めたならば。

〈2681〉あなたからの使いが待ち遠しくて、笠もつけないで幾度も門に出て見ました。雨が降りしきるというのに。

〈2682〉韓衣をあの人に着せてみて、その姿を見たいと、恋い焦がれつつ過ごした。雨の降るこの日を。

〈2683〉人里離れたこの粗末な埴生の家に、小雨が降り床まで濡れてしまった。妻よ私に寄り添ってくれ。

〈2684〉笠が無いのでと人には言って、雨宿りして泊まっていったあなたの姿が思い出されます。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2680は、霧に寄せての歌。上3句は、水の上に立つ霧の濃い意で「いちしろけ」を導く譬喩式序詞。「いちしろけ」は、形容詞「いちしろし」の未然形で、明白な、はっきりと、の意。「む」は、推量の助動詞。「な」は、感嘆の助詞。「相言ひ始めてば」は、語らい始めたならばで、夫婦関係を結んだならばの意が含まれています。女の歌で、男と夫婦関係を結ぼうとする直前の不安な気持ちを歌っています。

 2681は、雨に濡れながらも、男からの使いを待つ女の歌。「吾が背子が」の「が」は、いずれも所属・所有を示す連体格助詞で、私の夫の。「使ひ」は、手紙を運んでくれる人。「降らく」は「降る」のク語法で名詞形。この歌は、巻第12-3121に重出、そこでは男の歌(3122)との問答になっています。以下5首は、雨に寄せての歌。

 2682は、妻が、自身で縫った韓衣を夫に着せてあげたいと、雨の日に訪れを待っている気持ちを詠んだ歌です。「韓衣」は唐風の衣服で、 袖が大きく丈が長くて、上前と下前を深く合わせて着るものでした。新風の衣服であり、貴族より始まって次第に庶民にまで及んだようです。この時代、夫の着物は妻が一切その手でまかなっていたのであり、晴着として出来上がった韓衣を夫に着せ、その姿を見たいというのは、妻としては特別な喜びで、夫としても嬉しいことであったでしょう。農耕で忙しい晴れの日は来れなくとも、雨の日は暇なので、夫はきっと来てくれるだろうと待ち焦がれていたとみえます。「うち着せ」の「うち」は、接頭語。「見まく欲り」の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。見たく思い。結局、男は来なかったのです。

 2683の「彼方」は、遠方、向こうの。地名とし、宇治市乙方付近とする説もあります。「埴生の小屋」は、黄土や赤土で塗った粗末な小屋。おそらくは耕作地などに建てられた物置き場のような小屋だと考えられます。この時代の男女は、人目につかなければどんな所でも逢引の場所となっていたのです。その密会の最中に雨が降り出し、床まで濡れてきたというので、男が女をいたわっている歌です。「小雨」の原文「(雨+泳)霂」で、ヒサメと訓むものもあります。ヒサメは大雨で、こちらの方が歌意に合うようです。窪田空穂は、「健康な、明るい庶民を思わせる、厭味のない歌である」と評しています。

 2684の「笠無みと」は、笠が無いのでと。「人には言ひて」の「人」は、家人。「雨障み」は、雨を憚って家に籠っている意の名詞。「留りし君」は、わが家にとどまっていた君。まだ家の人には夫婦として認められていなかった関係らしく、笠が無かったので仕方なく泊まったのだと言い訳したのでしょう。妻問い婚ならではの歌であり、実際の会話を彷彿とさせてくれます。

巻第11-2685~2689

2685
妹(いも)が門(かど)行き過ぎかねつ久方(ひさかた)の雨も降らぬかそを因(よし)にせむ
2686
夕占(ゆふけ)問ふ吾(わ)が袖(そで)に置く白露(しらつゆ)を君に見せむと取れば消(け)につつ
2687
桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草(したくさ)露(つゆ)しあれば明かしてい行け母は知るとも
2688
待ちかねて内には入(い)らじ白栲(しろたへ)の吾(わ)が衣手(ころもで)に露(つゆ)は置きぬとも
2689
朝露(あさつゆ)の消(け)やすき吾(あ)が身(み)老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
 

【意味】
〈2685〉愛しいあの子の家の門を通りすぎかねている。いっそ雨でも降ってきてくれないだろうか、それを口実に立ち寄ることもできように。

〈2686〉夕占をしていたら、私の袖に白露が降りてきた。それをあの方に見せようと、手に取れば後から後から消えていく。

〈2687〉桜麻が茂る原の下草はまだ露に濡れていますから、夜が明けてからお帰りなさい、母が知ってもよいじゃありませんか。

〈2688〉待ちかねたからといって家の中に入りはしません。私の着物の袖に露がおりてきても、私はお待ちしています。

〈2689〉朝露のように消えやすい身ですもの。老いてしまおうとまた若返って、あなたをお待ちします。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2685の「久方の」は、掛かり方未詳ながら「雨」の枕詞。「雨も降らぬか」の「も~ぬか」は、願望。「そを因にせむ」の「因」は、口実。それを口実にしよう。昼間に妻の家に立ち寄る口実となるよう、雨が降るのを願っている男の歌です。事情が前の歌と前後しています。

 2686の「夕占」は、夕刻に往来に立って人の言葉を聞いて吉凶を占うこと。ここでは男が来るか来ないかを占っています。「吾が袖に置く白露を」の原文「吾袖尓置白露乎」は「白」のない本もあり、ワガコロモデニオクツユヲと訓むものがありますが、国文学者の稲岡耕二は、「一首の内容から考えても露より『白露を君に見せむ』の方が、よりふさわしいだろう」と述べています。以下6首は、露に寄せての歌。

 2687は、後朝の別れを惜しんでいる女の歌。「桜麻」は、麻の一種らしいものの、どのような麻かは未詳。サクラアサと訓むものもあります。「麻生」は、麻が生えている原。「露しあれば」の「し」は、強意の副助詞。「明かして」は、夜が明けてから。「い行け」の「い」は、接頭語。窪田空穂は、「男の朝露に濡れるのをいたわって、乾いてから帰れというので、そのためには母に知られてもかまわぬというので、事の軽重を忘れた情痴の語である。それがこの歌の魅力となっている。『桜麻』という語はここにだけあるもので、どういう物かはわからないが、語感の美しいもので、これも魅力の一部をなしている」と述べています。

 2688は、男が来るのを戸外で待っていて、待ちきれなくなった心を励ましている歌。「白栲の」は「衣」の枕詞。2689は、疎遠になった夫への訴えの歌。「朝露の」は、朝露が消えやすいことから「消」の枕詞。「消やすき吾が身は、死にやすい我が身。「をちかへり」は、若くなることを繰り返す意。窪田空穂は、「『朝露の消やすき吾が身』といぅ仏教の語と、『老いぬとも又若ちかへり』という道教の語とを取合わせていっているものである。いずれもその時代の流行語で、当時としては気の利いた言い方であったろうと思われる」と述べています。

巻第11-2690~2694

2690
白栲(しろたへ)の吾(わ)が衣手(ころもで)に露は置きて妹(いも)は逢はさずたゆたひにして
2691
かにかくに物は思はじ朝露(あさつゆ)の吾(あ)が身一つは君がまにまに
2692
夕凝(ゆふこ)りの霜(しも)置きにけり朝戸出(あさとで)にいたくし踏みて人に知らゆな
2693
かくばかり恋ひつつあらずは朝に日(け)に妹が踏むらむ地(つち)にあらましを
2694
あしひきの山鳥(やまどり)の尾の一峰(ひとを)越え一目(ひとめ)見し子に恋ふべきものか
 

【意味】
〈2690〉私の着物の袖に露がおりても、あの子は逢ってくれない。ずっとためらってばかりいて。

〈2691〉あれこれと物思いはもうすまい、朝露のようにはかない私の命は、あなた次第なのです。
 
〈2692〉夕方のうちから降りた霜が一面に凍っています。朝お帰りになる時にひどく踏みつけて、あなたが来たことを人に知られないようにしてくださいね。

〈2693〉これほどに恋し続けるくらいなら、朝も昼も、あの娘が踏んでいる土であったらよかったのに。

〈2694〉山鳥の尾の、その一峰を越えたところで、ただ一目見ただけのあの子に、これほど恋してしまうものだろうか、恋するべきでない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2690の「白栲の」は「衣手」の枕詞。「露は置きて」の原文「露者置」で、ツユハオケド、ツユハオキヌ、ツユハオキなどと訓むものもあります。「逢はさず」は「逢はず」の敬語で、女性に対しての慣用。「たゆたひ」は、思い迷うこと。家人に秘密で逢う女の家の戸外に立ち、女が出てくるのを待ち続けている男の歌です。しかし、女はためらって逢ってくれません。

 2691の「かにかくに」は、あれやこれやの意。「朝露の」は、消えやすい意で「我が身」の比喩的枕詞。「君がまにまに」は、君の心のままに。夫の態度にいろいろと不満はあるものの、とやかく言わずに一切を夫に任せようと決心した歌とされます。2692の「夕凝りの霜」は、夕方になって固まる霜。「朝戸出」は、朝の戸を出る、ここは夫が朝に帰る意。「いたくし」の「し」は強意の副助詞で、はなはだしく。「知らゆな」の「ゆ」は受け身、「な」は禁止。夜明け方、帰る夫に注意を促した妻の歌ですが、霜に跡をつけるなというのは珍しいものです。霜に寄せての歌。

 2693は、地に寄せての歌。「かくばかり」は、このようにばかり。「恋ひつつあらずは」は、恋し続けるくらいなら。「朝に日に」の「日」は、昼間の意。「あらまし」は、あったらよかったのに。「土になって踏まれるのでもいいから、あの娘に触れたい」との切実な思いを詠っています。このように、逢えずに苦しむよりは、何かの物になって相手の身に触れていたいと詠んだ歌は、男女を問わず『万葉集』には少なくないのですが、王朝の歌人たちにそれと似た作はまず見られません。後には忘れ去られた「万葉のこころ」といえましょう。

 2694の「あしひきの」は「山」の枕詞。上2句のうちの「尾」を同音の「峰(を)」に続け、「一峰越え」を導く序詞。「一峰越え」は、山一つを越えて。作者の行動を叙したものですが、上を受けて山鳥の習性をいったものとも解されています。「恋ふべきものか」の「か」は、反語。山を越えた他村の女に恋してしまった男の歌ですが、当時は他の村の女性との結婚は困難だったといい、それを思って強く抑制しようとしています。以下5首は、山に寄せての歌。

巻第11-2695~2699

2695
吾妹子(わぎもこ)に逢ふよしをなみ駿河(するが)なる富士の高嶺(たかね)の燃えつつかあらむ
2696
荒熊(あらくま)の住むといふ山の師歯迫山(しはせやま)責(せ)めて問ふとも汝(な)が名は告(の)らじ
2697
妹(いも)が名も吾(わ)が名も立たば惜(を)しみこそ富士の高嶺(たかね)の燃えつつ渡れ
2698
行きて見て来(く)れば恋しき朝香潟(あさかがた)山越しに置きて寐(い)ねかてぬかも
2699
安太人(あだひと)の梁(やな)打ち渡す瀬を速み心は思へど直(ただ)に逢はぬかも
 

【意味】
〈2695〉いとしいあの子に逢う手だてがないので、あの駿河の富士の高嶺のように、私の胸はずっと燃え続けるのだろうか。

〈2696〉荒熊が棲むという師歯迫山、その名の「せ」ではないが、いくら母から責められても、あなたのお名前は決して口に出しません。

〈2697〉彼女の名も私の名も噂に立っては惜しいので、あの富士の高嶺のように、思いを燃やすばかりで過ごしている。

〈2698〉行って見て、帰って来るとまたすぐ恋しくなる朝香潟。その朝香潟のように恋しく思うあの子を山の向こうに置いたままなので、夜も眠れないことだ。

〈2699〉阿太人が掛け渡した梁のあたりは、瀬が速くて渡れない。そのようにあなたに直に逢うことができません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2695の「駿河なる富士の高嶺の」は「燃え」を導く譬喩式序詞。「燃えつつかあらむ」の「つつ」は継続、「か」は疑問、「む」は推量。心の中で恋い焦がれていることを富士山の噴煙になぞらえた歌で、佐佐木信綱は、「後世では陳套の技巧に過ぎないが当初は最も自然で適切かつ新鮮な形容であったに相違ない」と述べています。

 2696の「荒熊」は、気性の荒々しい熊。「師歯迫山」は、所在未詳。上3句は、シハセ山のセの同音反復で「責めて」を導く序詞。「責めて」の原文「責而」をシヒテと訓み、シハセ山のシと同音を導くとするものもあります。女が誓いの心をもって男に贈った歌とされ、佐佐木信綱は、「強い詰問におびえている女の心持を、おのづから暗示しているようで効果的である」と述べています。

 2697の「惜しみこそ」は、惜しいので。「富士の高嶺の」は「燃えつつ」を導く譬喩式序詞。「燃えつつ渡れ」の「渡れ」は、継続する、暮らす、過ごすの意。女に逢わずにいる男の、他意あってのことではないと、女に断わった歌とされます。なお左注には、或る本の歌に曰くとして「君が名もわが名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ」というとあります。

 2695・2697の歌は、噴煙を上げていた富士山を背景に歌われています。富士山の噴火活動は、記録の上では天応元年(781年)が最初で、以後、延暦19~21年(800~802年)、天長3年(826年)、貞観6~7年(864~865年)に起こったとあり、9~10世紀のころは、ほぼ20~30年おきに噴火しています。これより前の万葉時代にも、ほぼ同じような状態だったと推測されています。

 2698は、潟に寄せての歌。「行きて見て来れば恋しき」は、行って見て、帰って来ると恋しく思われる意で、女の許へ行って帰って来る朝の譬え。「朝香潟」は女の住地で、大阪府堺市東部の大和川の沿岸一帯。古くは海に面していました。この「朝」には妻問いをして帰って来る朝がイメージされているとも言われます。「山越しに置きて」は、男の住地が山を隔てた遠隔地であることを表したもの。「寐ねかてぬかも」は、夜も眠れないことだ。

 2699の「安太人」は、奈良県五條市の吉野川右岸の地に住んでいた人々。「梁」は、杭を打ち水を堰き止め、一部分あけたところに簀を設置して魚を導く仕掛けのこと。「瀬を速み」は、瀬が速いので。ここまでの3句が、男女関係について監視や束縛が激しいことの譬喩になっています。以下17首は、河に寄せての歌。

巻第11-2700~2704

2700
玉かぎる石垣淵(いはかきふち)の隠(こも)りには伏(ふ)して死ぬとも汝(な)が名は告(の)らじ
2701
明日香川(あすかがは)明日(あす)も渡らむ石橋(いははし)の遠き心は思ほえぬかも
2702
明日香川(あすかがは)水行き増(まさ)りいや日異(ひけ)に恋の増(まさ)らばありかつましじ
2703
真薦(まこも)刈る大野川原(おほのがはら)の水隠(みごも)りに恋ひ来(こ)し妹(いも)が紐(ひも)解く吾(われ)は
2704
あしひきの山下(やました)響(とよ)み行く水の時ともなくも恋ひ渡るかも
 

【意味】
〈2700〉岩に囲まれた淵が人目に触れぬように、二人の関係を秘密にするためには、たとえうち伏して死んでしまおうとも、決してあなたの名は言いはしない。

〈2701〉明日香川を、明日も渡って、あの人の所へ出かけよう。石橋の間が遠いように、間をあけて逢おうとは思ってもいません。

〈2702〉明日香川が流れ行くにつれて水かさが増すように、日ごとに恋が募ってきたら、生きていられなくなるだろう。

〈2703〉大野川原の水の中に隠れているように、心の底で恋い焦がれてきた愛しいあの子の下紐を今やっと解くのだ、この私は。

〈2704〉山の麓を音を響かせて流れ下る水のように、時を定めず、いつも恋い焦がれ続けていることだ。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2700の「玉かぎる」は、玉のほのかに輝く意で「石」にかかる枕詞。「石垣淵」は、山の中の岩に囲まれた淵。上2句は「隠り」を導く譬喩式序詞。「隠り」は、夫婦関係を秘密にする意。「伏して死ぬとも」の原文「伏以死」で、フシイシナヌモと訓むものもあります。男女いずれの歌とも取れ、相手に誓った歌です。

 2701の「明日香川」は、明日香村の山中から北上し、大和川に合流する川。「石橋」は、川の浅瀬に石を並べて橋にしたもので、「石橋の」は、その石と石の間が遠いところから「遠き」にかかる枕詞。「遠き心」は、間をあけて逢おうとする心、隔てた心。「思ほえぬかも」は、思われないことであるよ。明日香川を渡って女の許へ通う男の、心変わりせぬことを誓った歌です。

 2702の「水行き増り」は、川の水が流れ増さって。上2句は「恋の増らば」を導く譬喩式序詞で、実景でもあります。「いや日異に」は、ますます日増しに。「ありかつましじ」の「かつ」は可能の意の助動詞で、生きてはいられまい。片恋の嘆きを歌っており、男女どちらの歌とも取れます。

 2703の「真薦」の「真」は美称で、湿地に生える薦のこと。「大野川」は、法隆寺の傍を流れる富雄川の下流の名とも言われますが、未詳。上2句は「水隠りに」を導く譬喩式序詞。「水隠り」は、水に隠れる意と、ひそかに思う意との掛詞。ようやく逢えて共寝をする男の歓びの歌とされます。

 2704の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山下響み」は、山の麓を音を響かせて。上3句は、水の流れの間断のない意で「時ともなく」を導く譬喩式序詞。「時ともなく」は、いつと時を定めずに、絶えず。「~行く水の」という序詞は集中に多く見え(巻第7-1100、巻第11-2430、巻第12-2860など)、いずれも不可逆の時間や永続する時間の譬喩となっています。男の歌が多いので、ここも同様かと言われます。

巻第11-2705~2709

2705
はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳(たまも)濡(ぬ)らしつ
2706
泊瀬川(はつせがは)速(はや)み早瀬(はやせ)をむすび上げて飽(あ)かずや妹(いも)と問ひし君はも
2707
青山の石垣沼(いはがきぬま)の水隠(みごも)りに恋ひや渡らむ逢ふよしをなみ
2708
しなが鳥(どり)猪名山(ゐなやま)響(とよ)に行く水の名のみ寄そりし隠(こも)り妻(づま)はも [一に云ふ 名のみ寄そりて恋ひつつやあらむ]
2709
吾妹子(わぎもこ)に吾(わ)が恋ふらくは水ならばしがらみ超して行くべぞ思ふ [或本歌発句云 相思はぬ人を思はく]
 

【意味】
〈2705〉ああ愛しい、逢っても下さらないあの方ゆえに、甲斐もなく、川の瀬に藻を濡らしてしまいました。

〈2706〉泊瀬川の急流の水を、手ですくいあげて飲ませてくれながら、「十分飲んだか、お前」と、優しく問うてくれたあなたは、ああ。

〈2707〉青々とした山中に岩で囲まれた沼、その水が奥に隠れているように、心の奥底でひそかに焦がれ続けなければならないのだろうか。逢う手だてがないので。

〈2708〉猪名川が音を響かせて流れ行く水音のように、噂ばかり立てられて、逢えない私の忍び妻よ。(噂ばかり立てられて、逢えずに焦がれてばかりいるのか)

〈2709〉愛しい妻を私が恋しく思う気持ちは、水であったならば、しがらみさえ乗り越えて行くように思われる。(思ってもくれない人を思う気持ちは)

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2705の「はしきやし」は、ああ愛しい。「玉裳」の「玉」は、美称。この歌は『人麻呂歌集』の「愛しきやし逢はぬ子ゆゑに徒に宇治川の瀬に裳裾潤らしつ」(巻第11-2429)の異伝とされ、伝誦されて宇治以外の地でうたわれたのか、「宇治川」が「この川」に、「裳裾」が「玉裳」となって、さらに男の歌から女の歌に変わっています。女が川瀬の際で男を待っている姿であろうとされます。

 2706の「泊瀬川」は、桜井市初瀬の北方に発し、佐保川に合流して大和川となる川。「速み早瀬」は、急流の意の熟語。「むすび上げて」は、手に掬い上げて。「飽かずや」は、飲み飽きないか、十分飲んだか、という問いかけ。「君はも」の「はも」は、眼前にいない人を思い嘆く意で、「は」と強く言い、「も」の詠嘆の助詞を添えたもの。一人川の流れを見つめる女が、今は別れてしまった男のことを思い、男がかつて川の水を飲ませてくれながら優しく自分に訊ねた言葉を思い出している歌です。

 2707の「石垣沼」は、岩が垣をなしている沼。「水隠りに」は、水に隠れているように。ここまで、極めて秘密に、の比喩。「よしをなみ」は、方法がないので。この歌は、古今六帖や拾遺集に、初句を「おく山の」として載せられています。

 2708の「しなが鳥」はカイツブリかといい、居並ぶ性質のあるところから「猪名山」にかかる枕詞。「猪名山」は、兵庫県猪名川町付近の、猪名川の水源をなす山とされます。「響に」は、響いて。上3句は「名のみ」を導く序詞。「名のみ」は、評判にばかり。「寄そる」は、関係があると噂する。周囲の人々から関係があると盛んに噂された男の、その実、口約束にすぎず、逢うこともかなわない妻を思っての歌とされます。

 2709の「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。「しがらみ」は、川の中に木や竹などで柵を作り、水を塞き止めるもの。「超して」の原文「超而」を、コエテと訓むものもあります。窪田空穂は、「自身の恋の心を、知性的に説明したものである。感のない詠み方である。後世これが流行して一つの型となったもので、その先行である」と述べています。

巻第11-2710~2714

2710
犬上(いぬがみ)の鳥籠(とこ)の山なる不知哉川(いさやがは)いさとを聞こせ我(わ)が名(な)告(の)らすな
2711
奥山(おくやま)の木(こ)の葉隠(はがく)りて行く水の音(おと)聞きしより常(つね)忘らえず
2712
言(こと)急(と)くは中は淀(よど)ませ水無川(みなしがは)絶(た)ゆといふことをありこすなゆめ
2713
明日香川(あすかがは)行く瀬を早(はや)み速(はや)けむと待つらむ妹(いも)をこの日暮らしつ
2714
もののふの八十宇治川(やそうぢがは)の急(はや)き瀬に立ち得ぬ恋も吾(あれ)はするかも [一云 立ちても君は忘れかねつも]
 

【意味】
〈2710〉犬上の鳥籠の山辺の不知哉川(いさはやがわ)ではないけれど、いさ(さあね)ととぼけて、私の名は言わないで下さい。

〈2711〉奥山の木の葉に隠れて流れる水音を聞くように、噂を聞いた時から、ずっと忘れることができない。

〈2712〉噂が激しいようでしたら、通うのは一時お休み下さい。でも、水無川のように途絶えることはないように、決して。

〈2713〉明日香川の川瀬の流れが速いように、私が来るのが早いだろうと待っている妻であろうに、行けずにこの日を暮らしてしまった。

〈2714〉宇治川の早い瀬には立っていられないように、苦しさに押し流されてしまいそうな恋を、私はしています。(あんな急流に立っている時でさえ、あなたのことを忘れられない)

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2710の「犬上の鳥籠の山」は、志賀県彦根市東南の山。「不知哉川」は、その山の南麓を流れる川。上3句は「いさ」を導く同音反復式序詞。「いさ」は、知らないという意をあらわす間投詞。「とを」の「を」は、感動の助詞。原文では「二五」となっており、九九の「二×五=十(とを)」が隠されています。「聞こせ」は「言え」の敬語。「告らす」は「告る」の敬語。

 2711の上3句は「音」を導く譬喩式序詞。「音」は、行く水の音と噂の意味との掛詞。美しい女の噂を聞いて、憧れの気持ちがやまないことを歌っています。男の歌とする見方もあります。2712の「言急くは」は、人の噂が激しかったならば。「中は淀ませ」は、中間は淀んでいらっしゃいで、一時は通うのを中止して下さいの意。「水無川」は、表面の水の無い川で、「絶ゆ」の比喩的枕詞。「絶ゆといふことを」は、絶縁するということを。「ありこすな」の「こす」は願望、「な」は禁止。ないようにしてほしい。「ゆめ」は、決して。女が男に贈った警告の歌です。

 2713の「明日香川」は、明日香村の山中から北上し、大和川に合流する川。上2句は「速ぇむ」を導く同音反復式序詞。「速けむと」は、早いだろうと思って。「待つらむ」の「らむ」は、現在推量。「妹を」の「を」は、妹であるものを、という逆接の意を含みます。窪田空穂は、「昼間妹を訪うことになっていたのに、都合で行けずにしまったことを、妹を中心として隣れんでいるもの」と述べています。

 2714の「もののふの八十」は、もののふ(百官)には多くの氏がある意から「宇治」を導く序詞。「立ち得ぬ」までが、恋の激しさの比喩。男の恋の嘆きの歌ですが、どういう事情によるかには触れておらず、あるいは世間の噂が激しいために恋を遂げられずにいることを言っているのでしょうか。

巻第11-2715~2719

2715
神(かむ)なびの打廻(うちみ)の崎の岩淵(いはぶち)の隠(こも)りてのみや吾(あ)が恋ひ居(を)らむ
2716
高山(たかやま)ゆ出(い)で来る水の岩に触れ砕(くだ)けてぞ思ふ妹(いも)に逢はぬ夜は
2717
朝東風(あさこち)に井堤(ゐで)越す波の外目(よそめ)にも逢はぬものゆゑ滝(たき)もとどろに
2718
高山(たかやま)の岩もと激(たぎ)ち行く水の音(おと)には立てじ恋ひて死ぬとも
2719
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌(い)むべきものを
 

【意味】
〈2715〉神なびの打廻の崎にある岩淵のように、私はひっそりと恋い焦がれるばかりであろうか。

〈2716〉高山から流れ出てくる水が岩に触れて砕け散るように、私も心砕けて嘆いている、妻に逢えない夜は。

〈2717〉朝の東風に吹かれ、堤を越えてよそに波があふれるように、よそ目にすら逢ったこともないのに、噂ばかりが滝もとどろくばかりにやかましい。

〈2718〉高山の岩の根元に激しく当たって行く水のように、高い噂を立てられないようにしよう。たとえ恋い焦がれて死のうとも。

〈2719〉隠れた沼のように、心密かに恋い焦がれているのでは飽きたらず、とうとう人に話してしまった、憚るべきなのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2715の「神なび」は、神が降臨する山。ここは明日香の雷の丘か。「打廻の崎」は、明日香川に向って突出した崎の名とされますが、所在未詳。「岩淵」は、岩に囲まれた淵。上3句は、淵が人目に隠れている意で「隠り」を導く序詞。「隠りてのみ」は、秘密ばかりにして。打廻の崎近くに住む男の、恋している女に打ち明けかねて悩んでいる歌とされます。

 2716の「高山ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。上3句は、岩に触れの続きで「砕けて」を導く序詞。妹に逢えない夜の苦しい気持を岩にたぎち砕け散る川の流れに譬えた男の歌です。2717の「朝東風」は、朝に吹く東風。「に」は、~によって。「井堤」は、川をせき止める設備。上2句は「外目」を導く譬喩式序詞。「外目」は、遠くからそれとなく見ること。「滝もとどろに」は、噂の激しい譬え。逢いもせぬ女性との噂を立てられた男の嘆きの歌と見られます。

 2718の「激つ」は、水が激しい勢いで流れる。上3句は、高い山の岩もとに激しく当たって行く水のようにの意で「音」を導く譬喩式序詞。「音」は、水の音と噂の意の掛詞。男の歌。2719の「隠り沼」は、水の出入りのない沼で、「隠り沼の」は「下」の枕詞。「下」は、心の中。男の歌。

 上代に用いられた「心」の類語に「うら」と「した」があり、『万葉集』では「うら」は26首、「した」は23首の用例が認められます。「うら」は、隠すつもりはなく自然に心の中にあり、表面には現れない気持ち、「した」は、敢えて隠そうとして堪えている気持ちを表わしています。

巻第11-2720~2724

2720
水鳥の鴨(かも)の棲(す)む池の下樋(したび)無(な)みいぶせき君を今日(けふ)見つるかも
2721
玉藻(たまも)刈る井堤(ゐで)のしがらみ薄(うす)みかも恋の淀(よど)める吾(あ)が心かも
2722
吾妹子(わぎもこ)が笠の借り手の和射見野(わざみの)に吾(われ)は入りぬと妹(いも)に告げこそ
2723
数多(あまた)あらぬ名をしも惜(を)しみ埋(うも)れ木の下(した)ゆぞ恋ふる去方(ゆくへ)知らずて
2724
秋風(あきかぜ)の千江(ちえ)の浦廻(うらみ)の木積(こつみ)なす心は寄りぬ後(のち)は知らねど
 

【意味】
〈2720〉水鳥の鴨が棲む池に下樋が無くて水が滞っているように、心が晴れませんでしたが、あなたに今日やっとお逢いできました。

〈2721〉玉藻を刈る堤のしがらみが薄いように、恋のしがらみが少ないので二人の仲も滞りがちなのだろうか。それとも私の心が恋が薄いからだろうか。

〈2722〉愛しいあの子の笠のかりての輪、その和射見野(わざみの)にやっとさしかかった。誰かあの子に告げてくれないだろうか。

〈2723〉一つしかない私の名を惜しんで、埋もれた木のように心密かに恋している。その恋の行方も分からずに。

〈2724〉秋風の吹く千江の浜辺に木の屑が打ち寄せられるように、私の心はあなたに寄せられました。行く末を知ることはできないけれど。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2720は、池に寄せての歌。「水鳥の」は「鴨」の枕詞。「下樋」は、地中に埋め水を通す管。「無み」は、無いので。上3句は、水が停滞し汚れている意から「いぶせき」を導く序詞。「いぶせき」は、心が晴れない。女が久しぶりに男に逢った喜びの歌とされます。

 2721の「玉藻刈る」は「井堤」の枕詞。「井堤」は、川を塞き止める設備。「しがらみ」は、川の中に木や竹などで柵を作り、水を塞き止めるもの。上3句は「薄み」を導く序詞。井堤もしがらみ水を塞き止める設備ですが、井堤が堅固であるのに対し、しがらみは脆弱なために「薄みかも」と言っています。男女どちらの歌とも取れ、「しがらみ」は恋の妨げの譬喩で、それが少ないために恋しさが募らないのかと言っています。非常に醒めた心境であり、相聞歌として珍しいとされます。

 2722は、野に寄せての歌。「笠の借り手」は、笠の内側に付けた輪のことで、これに緒を通して被ります。上2句は、その輪と同音の「和射見野」を導く序詞。「和射見野」は、岐阜県の関ケ原町野上付近。「告げこそ」の「こそ」は、願望。男の旅先での無事を告げる歌と見られます。
 
 2723は、埋木に寄せての歌。「数多あらぬ名」は、ただ一つの名ということを強調した表現。「埋もれ木の」は、地下にある意で「下」にかかる枕詞。「下ゆぞ恋ふる」の「下」は、心の中。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「去方知らずて」は、恋の成り行きがどうなるかも分からないで。名を重んずる気持ちと恋との相克をうたった男の歌で、例の少なくないものです。

 2724は、木積に寄せての歌。「秋風の」は、秋風の吹く。「千江の浦廻」は、石見とも近江ともいわれますが、所在未詳。「木積なす」は、木の屑のように。3句までが比喩で、独特ながらもよく調和しています。男の誘いのままに靡いた女の心を歌っており、将来のことを不安に思うものの、現在の男との関係に満ち足りています。一方で、自分のことを客観的に見つめているようなところがあり、複雑な乙女心といったらいいのでしょうか。

巻第11-2725~2729

2725
白真砂(しらまなご)三津(みつ)の黄土(はにふ)の色に出(い)でて云はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは
2726
風吹かぬ浦に波立ち無き名をも吾(われ)は負(お)へるか逢ふとはなしに [一云 女と思ひて]
2727
酢蛾島(すがしま)の夏身(なつみ)の浦に寄する波(なみ)間(あひだ)も置きて吾(わ)が思はなくに
2728
近江(あふみ)の海(うみ)沖つ島山(しまやま)奥(おく)まへて我(あ)が思ふ妹(いも)が言(こと)の繁けく
2729
霰(あられ)降り遠(とほ)つ大浦(おほうら)に寄する波よしも寄すとも憎(にく)くあらなくに
 

【意味】
〈2725〉白砂の続く三津の浜の埴生が色鮮やかなように、顔色には出ても、口に出さないだけです、私の恋する思いは。

〈2726〉風も吹かない浦に波が立ったかのように、ありもしない噂を立てられてしまった。あの人と逢うこともないままに。(人を女だと見くびって)

〈2727〉酢蛾島の夏身の浦に寄せる波が絶え間ないように、間を置いて焦がれているわけではないのに。

〈2728〉近江の海の沖の島のように、心の奥から思い定めている彼女には、浮いた噂が絶えない。

〈2729〉遠くの大浦に寄せる波のように、たとえ噂が寄せられても構わない、あの人が嫌なわけではないのだから。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2725の「白真砂」は、白く細やかな砂の意で、「三津」の枕詞的修飾語。「三津」は、住吉の三津で、布を染める黄色の埴土が有名でした。上2句は「色に出でて」を導く譬喩式序詞。「色に出でて」は、表面にあらわして。「云はなくのみぞ」は、言わないだけです。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。男が土地の女に訴えた歌か。なお、3句以下が同じ歌が巻第14「真金吹く丹生の真朱の色に出て言はなくのみぞ吾が恋ふらくは」(3560)にあり、序詞の部分のみ変えて多く歌われたことを想像させます。以下19首は、海に寄せての歌。

 2726の「風吹かぬ浦に波立ち」は、3・4句のわけもなく噂を立てられることの譬喩。「吾は負へるか」の「か」は詠嘆で、私は負ったものだ。女の歌とされ、『古典大系』には「譬喩に理が入って来て居て浅い」との評があります。2727の「酢蛾島の夏身の浦」は所在未詳ながら、三重県の鳥羽湾にある答志島の南、菅島との説があります。上3句は「間も置きて」を導く譬喩式序詞。絶えず思っていることを浜の波に寄せて言っているもので、男女どちらの歌とも取れます。

 2728の上2句は、オキとオクの類音で「奥」を導く序詞。「沖つ島山」は、近江八幡市の沖合の沖島。「奥まへて」は、思いを深めて。「繁けく」は「繁し」のク語法で名詞形。人麻呂歌集にある2439の歌とほぼ同じです。2729の「霰降り」は、霰が降ってトホトホと音を立てる意で「遠つ」にかかる枕詞。「大浦」は、琵琶湖の北端、滋賀県西浅井町大浦。上3句は「よしも寄す」を導く同音反復式序詞。「よし」は「たとえ~でも」の意の副詞。「も」は、間投助詞。「寄す」は、関係があると噂する。女性の歌と見られます。

 

巻第11-2730~2734

2730
紀(き)の海の名高(なたか)の浦に寄する波(なみ)音高(おとだか)きかも逢はぬ子ゆゑに
2731
牛窓(うしまど)の波の潮騒(しほさひ)島(しま)響(とよ)み寄(よ)そりし君に逢はずかもあらむ
2732
沖つ波(なみ)辺波(へなみ)の来寄(きよ)る佐太(さだ)の浦のこの時(さだ)過ぎて後(のち)恋ひむかも
2733
白波の来寄(きよ)する島の荒礒(ありそ)にもあらましものを恋ひつつあらずは
2734
潮(しほ)満(み)てば水沫(みなわ)に浮かぶ細砂(まなご)にも吾(われ)は生けるか恋ひは死なずて
  

【意味】
〈2730〉紀伊の名高の浦に打ち寄せる波のように、音高く世間が二人の噂をする。逢ってもいないあの子なのに。

〈2731〉牛窓の潮騒が島に鳴り響くように、私との噂を立てられたあの方に、逢えないだろうか、逢いたい。

〈2732〉沖からの波や岸辺の波が打ち寄せる佐太の浦の、この時(さだ)が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろう。

〈2733〉白波が来て寄る島の荒磯であったらよかったのに、こうして恋い焦がれてばかりいるよりは。

〈2734〉潮が満ちてくると、水の沫に浮んでいる細かい砂のように、恋死にもせずにはかなく生きているのか。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2730の「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の海。上3句は「音高き」を導く譬喩式序詞で、ナダカとオトダカキの音感も利用しています。「音高きかも」の「音」は、噂の意、「かも」は詠嘆で、関係しているとの噂の高いことであるよ。逢ってもいないのに噂を立てられた男の嘆きの歌ではありますが、むしろ明るく、楽しげでもあります。

 2731の「牛窓」は、岡山県邑久郡牛窓。古来、備前海上の一水駅として栄えました。「潮騒」は、潮の流れによって生ずる波のざわめき。「島響み」は、島をさわがせて。ここまで、牛窓の島全体の評判になったことの譬喩。上2句を「島響み」を導く譬喩式序詞と見るものもあります。「寄そりし君」は、関係があるかのように噂されたあなた。「かも」は、疑問。別の解釈として、仲介者によって婚約したにも拘わらず、妻問いをしない男に対しての訝りと不安をいっている女の歌とする説もあります。

 2732の「沖つ波」は、沖の波。「辺波」は、岸辺に寄せる波。「佐太の浦」は、所在未詳。土佐国にも伊予国にも同名の岬があります。上3句は「さだ」を導く同音反復式序詞。「時(さだ)」は「しだ」と同じで、時、機会の意。どんな時なのか具体的には分かりませんが、平安時代には盛り時の意で用いられた例が見え、この場合も何某かの良い機会を指しているものと見られます。男の歌とされます。一方、批判、障害の意として、「さだ過ぎて」を、「批判をやり過ごして」のように解する説もあります。

 2733の「来寄する」は、波が打ち寄せることと、関係があると噂することを掛けています。「荒磯」は、海岸に現れている岩。「あらましものを」の「まし」は、反実仮想。女性の歌とされますが、「荒礒にもあらましものを」の心境については解釈が分かれ、物思いのない状態を望む、人は来寄らずともせめて白波でも来寄せるのを懐かしむ、人間の世界から遠く離れることを望む、などとする説があり、「それにしても唐突に聞こえて、しっくりとは来ない」との評もあります。

 2734の「水沫」は、水の泡。「細砂」は、細やかな砂。「吾は生けるか」の原文「吾者生鹿」を「吾はなりてしか」と訓み、「いっそそんな砂にでもなりたい」と解する説もあります。「か」は、感動の助詞。「ずて」は、ないで。夫に疎遠にされながらも恋い続けている女の歌とされます。

巻第11-2735~2739

2735
住吉(すみのえ)の岸の浦廻(うらみ)に重(し)しく波のしくしく妹(いも)を見むよしもがも
2736
風をいたみいたぶる波の間(あひだ)無く吾(あ)が思ふ君は相(あひ)思ふらむか
2737
大伴(おほとも)の御津(みつ)の白波(しらなみ)間(あひだ)無く我(あ)が恋ふらくを人の知らなく
2738
大船(おほぶね)のたゆたふ海に重石(いかり)下(お)ろしいかにせばかも吾(あ)が恋やまむ
2739
みさご居(ゐ)る沖つ荒礒(ありそ)に寄する波(なみ)行(ゆ)く方(へ)も知らず吾(あ)が恋ふらくは
 

【意味】
〈2735〉住吉の岸の浦辺に繰り返し寄せ来る波のように、しばしばあの子に逢える手立てがあればよいのに。

〈2736〉風が強くて激しく起こる波のように、絶え間なく私が思っているあの人は、同じく私のことを思っていて下さるだろうか。

〈2737〉大伴の御津に寄せては返す白波のように、絶え間なく私が恋い焦がれていることを、あの人は知ってくれない。

〈2738〉大船が揺れ動く海にいかりを下ろして留めるけれど、いかようにしたならば、私の恋はやむのだろうか。

〈2739〉みさごが棲んでいる沖の荒磯に寄せる波のように、行方も知れない、私の恋は。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2735の「住吉」は、大阪市住吉区。「浦廻」は、海岸の入り組んだところ。「重く波」は、ひっきりなしに寄せる波。上3句は「しくしく」を導く同音反復式序詞。「しくしく」は、しきりに。原文「敷」で、シバシバと訓むものもあります。シバシバは見ル・逢フ・言問フなどを修飾する場合が多く、シクシクは思フ・恋フを修飾する場合が多いといいます。「もがも」は、願望。

 2736の「風をいたみ」は、風が強いので。「いたぶる波」は、激しく起こる波。上2句は「間無く」を導く譬喩式序詞。「思ふらむか」は、思っているだろうか。土屋文明は、「吾のみ間無く思うのに、人は如何あろうかと疑う心持であるが、怨むのでもない、しとやかな感じである。女性の立場の歌と思われる」と言い、佐佐木信綱は、「波の激しいことは、同時に恋心の激しさをあらわしている」と言っています。

 2737の「大伴の御津」は、難波津の別名で、官用の港であるので「御」を冠したもの。大伴氏の所領があった地です。上2句は「間なく」を導く譬喩式序詞。「恋ふらく」「知らなく」は、いずれもク語法の名詞形。自分の恋い焦がれていることを相手は知らないという片恋の嘆きで、男女どちらの歌とも取れます。

 2738の「たゆたふ」は、揺れ動く、漂う。上3句は「いかに」を導く同音反復式序詞。「いかにせばかも」は、どのようにすれば。佐佐木信綱は、「序詞部分が恋に動揺してやまぬ心と、それを鎮めようとする心もちを暗示する」と述べています。人麻呂歌集の「大船の香取の海に碇おろし如何なる人か物念はざらむ」(2436)と似ており、窪田空穂は、「その歌心を進展させたごとき関係のもの」と述べています。

 2739の「みさご」は、海の魚を餌とする鷹の一種。「沖つ荒磯」は、沖にある岩で、みさごが魚を捕える場所。上3句は「行く方」を導く譬喩式序詞。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。成就するあてのない片恋をしている男の嘆きの歌です。

巻第11-2740~2744

2740
大船(おほぶね)の艫(とも)にも舳(へ)にも寄する波(なみ)寄すとも吾(われ)は君がまにまに
2741
大海(おほうみ)に立つらむ波は間(あひだ)あらむ君に恋ふらく止(や)む時もなし
2742
志賀(しか)の海人(あま)の火気(けぶり)焼き立てて焼く塩の辛(から)き恋を吾(あれ)はするかも
2743
なかなかに君に恋ひずは比良(ひら)の浦の海人(あま)ならましを玉藻(たまも)刈りつつ
2744
鱸(すずき)取る海人(あま)の灯火(ともしび)外(よそ)にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ
  

【意味】
〈2740〉大船の船尾にも舳先にも寄せる波のように、どのように噂を言い立てられても、私はあなたのお気持ちに従います。

〈2741〉大海に立つ波でも、時には絶え間があるでしょう。でも、私があなたに恋い焦がれる気持ちには休むときがありません。

〈2742〉志賀の海人が煙を立てて焼く塩が辛いように、何とも辛(つら)い恋を私はしている。

〈2743〉なまじあの方に恋したりしないで、比良の浦の海人のままでいたほうがよかった、玉藻を刈りながら。

〈2744〉鱸を釣る海人の灯火のように、遠くからでさえ見たこともない人なのに、近ごろしきりに恋しく思う。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2740の上3句は「寄す」を導く同音反復式序詞。「寄すとも」は、関係があると噂されるとも、の意。一方、どこの誰に言い寄せようとも、と解する説もあります。また、原文「依友」を、ヨルトモと訓むものもあります。「君がまにまに」は、あなたの思うままに。ちなみに原文は「君之任意」。2741の「立つらむ」の「らむ」は、現在推量。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。序詞を用いず、絶えず恋う譬喩として波の絶え間なく寄せるさまを詠む一般的な表現をくつがえし、「立つらむ波は間あらむ」としたところに新しさがあります。

 2742の「志賀」は「漢委奴国王」の金印が出土した福岡県志賀島。「火気」は、火の気、転じて煙。上3句は「辛き」を導く譬喩式序詞。「辛き」は、塩辛い、で、「苦しき」を言い換えたもの。人に知られることを厭わない真剣な恋の歌ですが、類想の歌が多く、民謡風にうたわれ変形されていったものと見えます。なお、左注には「あるいは石川君子朝臣が作る」歌とあります。巻第3に志賀の海女を詠んだ歌(278)があります。

 2743の「なかなかに」は、なまじっか、中途半端に。「比良の浦」は、大津の北の琵琶湖西岸。「海人ならましを」は、海人であろうものを。窪田空穂は、「ある程度の身分のある女で、疎遠がちにする夫に対して苦しい思いを続けている女が、比良の浦の海人の思いなげな生活振りを見て、羨しく感じた心である。類歌の多いもので、『何ならましを』は慣用されていた言い方である」と述べています。

 2744の上2句は、夜釣りをする海人の灯火のように遠く見えるようにの意で「外に見る」を導く譬喩式序詞。「外にだに見ぬ」は、よそながらにさえ見ない。見ぬ女に憧れている男の歌です。

巻第11-2745~2749

2745
港(みなと)入りの葦(あし)別(わ)け小舟(をぶね)障(さは)り多み吾(あ)が思ふ君に逢はぬころかも
2746
庭(には)清み沖(おき)へ漕ぎ出(づ)る海人舟(あまぶね)の楫(かぢ)取る間(ま)無き恋もするかも
2747
あぢかまの塩津(しほつ)をさして漕ぐ船の名は告(の)りてしを逢はざらめやも
2748
大船(おほぶね)に葦荷(あしに)刈り積みしみみにも妹(いも)は心に乗りにけるかも
2749
駅路(はゆまぢ)に引き舟渡し直(ただ)乗りに妹(いも)は心に乗りにけるかも
 

【意味】
〈2745〉港に入る小舟が葦を押し分けて進むように邪魔が多いので、私の思うあの方になかなか逢えないこのごろだ。

〈2746〉海が凪いで沖に漕ぎ出す漁船が休みなく楫を操るように、絶え間のない恋を私はしている。

〈2747〉あじかまの塩津を目指して漕ぐ船が大声で名乗るように、はっきりと私の名を告げたのだから、逢ってくれないということはないはず。

〈2748〉大船に刈り取った葦をどっさり積んだように、あなたは私の心にどっしりと乗りかかってしまったよ。

〈2749〉宿駅の渡し場から舟を引いて一直線に向こう岸に渡るように、彼女はまっしぐらに私の心に乗りかかってしまった。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2745の「港入り」は、舟が港へ入ることで、名詞。「葦別け小舟」は、河口などに多く生えている葦を分けて進む小舟。上2句は、そうした障害が多いことから「障り多み」を導く序詞。「多み」は、多いので。女の嘆きの歌。以下5首は、舟に寄せての歌。2746の「庭」は、海上の仕事場の意。「清み」は、清いので、すがすがしいので。上3句は、間断のない恋をしていることの譬喩。上3句または「楫取る」までを序詞と見る立場もあります。以下5首は、船に寄せての歌。

 2747の「あぢかま」は、地名とする説や、アジカモという鳥の名にちなむ枕詞とする説があります。地名の場合、所在不明で、「塩津」も不明ですが、集中でほかに見えるのは、琵琶湖北岸の地。上3句は、船には名のあることから「名は告りてし」を導く序詞。「名は告りてしを」は、女が名を告げたのを、つまり男の求婚に応じたことを表します。女性の歌とされますが、相手が名を明かしてくれたのだから、逢ってくれるはずだと女性に迫る男の歌と解するものもあります。

 2748の「葦荷」は、葦を刈って荷物にしたもの。上2句は「しみみに」を導く譬喩式序詞。「しみみに」は、密集しているさま。2749の「駅路」は、駅馬が通行する街道。ここでは川に沿った水駅(すいえき)を指し、川や湖の渡し場などに水駅を設け、駅馬に代えて舟を配置していました。「引き舟渡し」とあるように、舟に綱をつけて、対岸から引き寄せました。上2句は「直乗り」を導く譬喩式序詞。「直乗りに」は、ひたすらに乗り、まっしぐらに乗り。前歌もこの歌も、相手のことが心に乗り移って離れない、心を占めることを「心に乗る」と表現しています。

 

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万葉人の恋愛模様
 

 恋の歌が多く収められている『万葉集』ですが、当時の男女の恋愛のあり方はどのようなものだったのでしょうか。数多の歌などから察せられるところでは、万葉期の男女には、おもに3つの出会いの場所があったとされます。

 まず、現代のコンパともいえる「歌垣(うたがき)」。これは、春と秋、山や水辺などの決まった場所に男女が集い、飲食を共にして性を解放した場です。その際、お互いに歌を詠いかけることが求愛のしるしとされましたから、若者にとって、歌を詠むことは、恋愛を成就させるために大事なスキルだったのですね。

 「野遊び」というのも行われました。これはもともと、その年の豊饒を前もって祝うために男女が春の一日を野山で過ごすという行事でしたが、だんだん歌垣のような会合になっていったようです。また、当時の繁華街ともいうべき「市」も男女の出会いの場でした。市では物の流通ばかりでなく、人々の交流も盛んに行われました。多くの人々が集まるため、男女の出会いの格好の場所となったのです。

 カップルが結ばれるまでの過程は、おおよそ3つの段階がありました。まず、男性が好きになった女性に対して「名告(なの)り」を求めます。名前には霊魂が宿っていると考えられていたので、女性が男性の求めに応じて自分の名を教えることは、求婚の承諾を意味しました。

 めでたく相手の名前を教えてもらった男性は、女の家を訪れて一夜を共にします。もっとも、万葉の恋人たちは、2人の関係を他人に知られるのを極端に嫌いましたから、薄暗くなる夕方に男が女のもとを訪れ、夜明け前に帰るというのが当時の逢引のかたちでした。男たちは、月明かりだけをたよりに、女のもとを往復したんですね。これがいわゆる「呼ばい(夜這い)」です。

 もっとも、夜這いの段階では、しばしば母親が娘の監視役となり、訪れてくる男性を妨害しようとしたこともあったようです。本来は親の同意が得られてようやく婚姻が成立するのですが、それでも男性は夜な夜な妻を訪れ、朝方には帰宅しました。この時代は「妻問い婚」という婚姻形態だったのです。 

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

各巻の概要

【巻第一】
 雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
【巻第二】
 仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様に部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
【巻第三】
 巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 
【巻第四】
 巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
【巻第五】
 巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
【巻第六】
 巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
【巻第七】
 雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいるため、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
【巻第八】
 四季に分類された雑歌と相聞歌。舒明朝~天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
【巻第九】
 おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立て。
 
【巻第十】
 巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
【巻第十一】
 『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十ニ】
 「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十三】
 作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
【巻第十四】
 主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
【巻第十五】
 物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
【巻第十六】
 巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
【巻第十七~二十】
 巻第十七~二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。

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