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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第11)~その1

巻第11-2363~2367

2363
岡(をか)の崎(さき)廻(た)みたる道(みち)を人な通ひそ ありつつも君が来(き)まさむ避(よ)き道にせむ
2364
玉垂(たまだれ)の小簾(をす)の隙(すけき)に入り通ひ来(こ)ね たらちねの母が問はさば風と申さむ
2365
うちひさす宮道(みやぢ)に逢ひし人妻(ひとづま)ゆゑに 玉の緒(を)の思ひ乱れて寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多き
2366
まそ鏡(かがみ)見しかと思ふ妹(いも)も逢はぬかも 玉の緒(を)の絶えたる恋の繁(しげ)きこのころ
2367
海原(うなはら)の道に乗りてや我(あ)が恋ひ居(を)らむ 大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに
 

【意味】
〈2363〉岡の向こうを回っていく道を、誰も通らないでほしい。そのままにしておいて、あの人がやってくる抜け道にしておきたいから。
 
〈2364〉玉を垂らした簾(すだれ)のすきまからそっと入って通ってきてください。もし母がとがめて尋ねたら、風だと申しましょう。
 
〈2365〉都大路で出逢った人妻のせいで、紐が解けて散る玉のように千々に乱れて、一人寝る夜が続くばかり。
 
〈2366〉何とかして逢いたいと思う彼女は、ひょっこりとでも出逢ってくれないだろうか。絶えたと思っていた恋しさがこのごろしきりに激しくなってきた。
 
〈2367〉大海原の船路に乗って行方を託すように、私は苦しんでいなければならないのか。大船に乗ってゆったり構えているだろうあの子のせいで。
 

【説明】
 いずれも旋頭歌(5・7・7・5・7・7)。2363の「廻む」は迂回する。「人な通ひそ」の「な~そ」は禁止。「ありつつも」は、そのままにしておいて。2364の「玉垂の」は、玉を垂らした簾の意で、「小簾」の枕詞。「小簾」の「小」は接頭語で、すだれ。「たらちねの」は「母」の枕詞。母親の目をぬすみ、男の訪れを誘う歌です。もとより簾の隙間から入れるはずはなく、それを承知の上で不可能なことを言い立てて、男に戯れています。そして、玉垂の簾をかけている家というのは、貴人の邸と思われます。

 2365の「うちひさす」「玉の緒の」は、それぞれ「宮道」「思ひ乱れて」の枕詞。「宮道」は大宮に通じる道。2366の「まそ鏡」「玉の緒の」は、それぞれ「見」「絶え」の枕詞。「見しか」の「しか」は願望。2367の「海原の道」は、海上には船を自然に目的地に運んでくれる道(潮流)があると考えられており、それによる表現。また、恋の状態を「道に乗る」と表現しています。「大船の」は「ゆたに」の枕詞。「ゆたに」はゆったりとして。
 
 なお、これらの歌はいずれも旋頭歌で、『古歌集』から採ったとあります。『古歌集』については諸説ありますが、『万葉集』編纂の資料になった歌集で、飛鳥・藤原京の時代の歌を収めたもののようです。 

作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。
  

巻第11-2517~2521

2517
たらちねの母に障(さは)らばいたづらに汝(いまし)も吾(われ)も事(こと)成るべしや
2518
我妹子(わぎもこ)が我(わ)れを送ると白栲(しろたへ)の袖(そで)漬(ひ)つまでに泣きし思ほゆ
2519
奥山の真木(まき)の板戸(いたと)を押し開きしゑや出(い)で来(こ)ね後(のち)は何せむ
2520
苅薦(かりごも)の一重(ひとへ)を敷きてさ寐(ぬ)れども君とし寝(ぬ)れば寒けくもなし
2521
杜若(かきつはた)丹(に)つらふ君をいささめに思ひ出(い)でつつ嘆(なげ)きつるかも
 

【意味】
〈2517〉母親に遠慮して気兼ねしてぐずぐずしていたら、お前も私もこの恋を遂げることができないではないか。
 
〈2518〉あの子が私を見送ってくれて、着物の袖がぐしょぬれになるまで泣きじゃくった姿が思い浮かんでならない。
 
〈2519〉立派なその板戸を押し開いて、さあもう出てきてくれよ。ええい、後はどうなってもかまうものか。

〈2520〉薦の粗末なむしろをただ一枚敷いて寝ても、あなたと一緒ですから、ちっとも寒くはありません。

〈2521〉杜若のように顔がほんのり紅く麗しいあなたを、ふと思い出しては溜め息をついています。

【説明】
 「正述心緒(正に心緒を述ぶる)」歌。「正述心緒」歌は「寄物陳思(物に寄せて思いを述ぶる)」歌に対応する、相聞に属する歌の、表現形式による下位分類であり、巻第11・12にのみ見られます。一説には柿本人麻呂の考案かとも言われます。

 2517・2527の「たらちねの」は「母」の枕詞。2519の「奥山の」は「真木」の枕詞。「真木の板戸」は、檜などの良質な木で作られた板戸。戸外で逢引しようとしている歌で、家の者には関係を秘密にしている場合が多かったため、戸外で逢うのはふつうのことでした。「しゑや」は感動詞。2520の「さ寐れども」の「さ」は接頭語。2521の「杜若」は「丹つらふ」の枕詞。「丹つらふ」は、顔が紅に照り映えている。「いささめに」は、ふと、かりそめに。

巻第11-2522~2526

2522
恨(うら)めしと思ふさなはにありしかば外(よそ)のみぞ見し心は思へど
2523
さ丹(に)つらふ色には出(い)でず少なくも心のうちに我(わ)が思はなくに
2524
我(わ)が背子(せこ)に直(ただ)に逢はばこそ名は立ため言(こと)の通(かよ)ひに何かそこゆゑ
2525
ねもころに片思(かたも)ひすれかこのころの我(あ)が心どの生けるともなき
2526
待つらむに至らば妹(いも)が嬉(うれ)しみと笑(ゑ)まむ姿を行きて早(はや)見む
 

【意味】
〈2522〉恨めしいと思っている折だったので、関係ないかのように素知らぬ顔で見ていました。心では思っていましたが。
 
〈2523〉頬が赤くなるほど顔色に出したりはしません。けれど、心の中では、ちょっとやそっとの思いでいるわけではありません。
 
〈2524〉あの方に直接逢ったならば評判も立つでしょう。でも、ただ言葉をやりとりしただけで何でそこまで噂が立つのでしょう。

〈2525〉心の底から片思いをしているせいなのか、心の張りが衰えて、生きているように思えません。

〈2526〉今か今かと待っているところへ私が行き着いたら、彼女は喜んでほほえみかけてくれよう。その姿を早く行って見たい。

【説明】
 「正述心緒(正に心緒を述ぶる)」歌。2522の「さなはにありしかば」の原文は「狭名盤在之者」で、「さなは」は、真っ最中、折と解する説のほか、大きな岩(この障害の比喩)と解する説があります。2523の「さ丹つらふ」は「色」の枕詞。2524の「言の通ひ」は言葉を通わす。2525の「ねもころに」は、心を込めて。「心ど」は心の張り、気働き。

巻第11-2527~2531

2527
誰(た)れそこのわが屋戸(やど)来(き)喚(よ)ぶたらちねの母にころはえ物思(ものも)ふわれを
2528
さ寝(ね)ぬ夜(よ)は千夜(ちよ)にありとも我が背子(せこ)が思ひ悔(く)ゆべき心は持たじ
2529
家人(いへびと)は道もしみみに通へども我(あ)が待つ妹(いも)が使(つかひ)来(こ)ぬかも
2530
あらたまの寸戸(きへ)が竹垣(たけがき)編目(あみめ)ゆも妹(いも)し見えなば我(あ)れ恋ひめやも
2531
我(わ)が背子(せこ)がその名(な)告(の)らじとたまきはる命(いのち)は捨てつ忘れたまふな
 

【意味】
〈2527〉誰なんですか? この家に来て私の名前を呼ぶのは。たった今お母さんに叱られて、物思いにふけっているというのに。
 
〈2528〉共に寝られない夜が千夜続いたとしても、あなたが後悔なさるような心は決して持ちません。
 
〈2529〉家々の人は道にあふれるほど行き来しているが、我が待っている彼女からの使いはやって来ない。

〈2530〉寸戸の竹垣の編み目を通してなりとも、愛しいあの子の姿が見えるなら、私はこんなにも恋い焦がれたりするものか。

〈2531〉愛しいあの人の名は決して他言しまいと、私は自分の命を捨てました。私を忘れないでください。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2527の「たらちねの」は「母」の枕詞。「ころはえ」は、大声で叱られて。娘が男と今夜逢おうと母に打ち明けたものの、「あんな男はやめときなさい!」と叱られ、ちょうどその時、タイミング悪くその男がやって来たのでしょうか。この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に母親が口出しし、婿選びをするなど、結婚決定権は父親ではなく母親にあったようです。これらの歌のほかにも、母親が娘の交際相手を管理し、時には恋の障害となる歌が数多く見られます。

 2529の「家人」は多くは家族を意味しますが、ここでは家々の人、里人。「しみみに」は、いっぱいに。2530の「あらたまの」は、掛かり方未詳ながら「寸戸」の枕詞。「寸戸」は未詳。2531の「告らじ」の「じ」は意志のこもる打消の助動詞。「たまきはる」は「命」の枕詞。女が、秘密にしている相手を母から詰問されたことを、男に訴えた歌です。

巻第11-2532~2536

2532
おほならば誰(た)が見むとかもぬばたまの我(わ)が黒髪を靡(なび)けて居(を)らむ
2533
面(おも)忘れいかなる人のするものぞ我(わ)れはしかねつ継(つ)ぎてし思へば
2534
相(あひ)思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒(を)長く我(あ)が恋ひ居(を)らむ
2535
おほろかのこころは思はじ我(わ)がゆゑに人に言痛(こちた)く言はれしものを
2536
息(いき)の緒(を)に妹(いも)をし思へば年月の行くらむわきも思ほえぬかも

【意味】
〈2532〉通り一遍に思うなら、誰に見せようとして、私の黒髪を靡かせていましょうか。
 
〈2533〉顔を忘れるなんてどんな人がすることでしょう、私にはできません、ずっと恋しているので。
 
〈2534〉私のことを思ってもくれない人のために、幾年も長く、私は恋い焦がれていなければならないのか。

〈2535〉あの人に対していい加減な気持ちは持つまい。私のせいで他人からひどく噂されたのだもの。

〈2536〉命がけであの子のことばかり思っているので、年月がどのように過ぎて行くかもわからない。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2532の「おほならば」は、通り一遍に思うなら。「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。2533の「継ぎて」は、続けて、絶えず。「し」は強意。2534の「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒」は、長い年月を緒に譬えた語。2535の「おほろか」は、いい加減。「言痛く」は、うるさく、ひどく。2536の「息の緒に」は命がけで。「わき」は、けじめ、区別。

巻第11-2537~2540

2537
たらちねの母に知らえず我(わ)が持てる心はよしゑ君がまにまに
2538
ひとり寝(ぬ)と薦(こも)朽ちめやも綾席(あやむしろ)緒(を)になるまでに君をし待たむ
2539
相(あひ)見ては千年(ちとせ)や去(い)ぬるいなをかも我(わ)れや然(しか)思ふ君待ちかてに
2540
振分(ふりわけ)の髪を短(みじか)み春草(はるくさ)を髪に束(た)くらむ妹(いも)をしぞおもふ
 
  

【意味】
〈2537〉母に知られないように密かにずっとあなたを思っています。どうなろうと構わない、あなたの思うままにしてください。
 
〈2538〉一人で寝ているだけでは、床の敷物が傷むこともありません。その綾席を敷いて、紐になるまであなたをお待ちします。

〈2539〉あなたとお逢いしてからもう千年が過ぎたのでしょうか。そうではなく、私だけがそう思っているだけなのかな。あなたを待ちかねて。

〈2540〉あの娘は短い振分髪で、まだ結えないので、春草を足して髪に束ねてでもいるだろうか、可愛くてあどけないあの娘のことが恋しくしのばれる。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2537の「たらちねの」は「母」の枕詞。「よしゑ」は、どうなろうとも、「まにまに」は思うままに、の意。2538は、女性が、最近ご無沙汰で訪れなくなった男に不満を言っている歌です。「綾席」は、花ござのようなもの。二人が抱き合って寝れば綾席は擦り切れて傷むのに、一人寝では傷まない。だから一人で転がりながら、それが紐になるまで待つというのです。意味深長で、またずいぶん誇張した表現であり、やんわりと言っているようで、男をチクリと刺しています。
 
 2539の「相見ては」は、逢って以来。「いなをかも」は、いや、そうではないのか。この歌は、巻第14-3470にも同じ形で載っています。しかも、そちらでは『柿本人麻呂歌集』に出ているとあります。詩人の大岡信は、疑問の呈し方も、それへの答えも、なみなみならぬ抒情詩人の力量を感じさせ、人麻呂の歌としても十分通る歌だろうと述べています。

 2540の「振分の髪」は、髪を肩のあたりまで垂らして切り、まだ髪を結べない童女の髪型。「短み」は短いので。「束く」は、髪を束ねあげる、髪を結い上げる。娘が髪を結い上げるのは一人前の大人の女になることを意味し、もう結婚してもよいという証しにもなります。「妹をしぞおもふ」は、あの娘が大人になったら結婚したいという心の告白とみられますが、斎藤茂吉は、「あの時代には随分小さくて男女の関係を結んだこともあったと見做(みな)してこの歌を解釈することもできる」と言っています。

巻第11-2541~2544

2541
た廻(もとほ)り行箕(ゆきみ)の里に妹(いも)を置きて心(こころ)空(そら)にあり地は踏めども
2542
若草の新手枕(にひたまくら)をまきそめて夜(よ)をや隔てむ憎くあらなくに
2543
我(あ)が恋ひしことも語らひ慰(なぐさ)めむ君が使ひを待ちやかねてむ
2544
うつつには逢ふよしもなし夢(いめ)にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし
   

【意味】
〈2541〉わざわざ回り道をして行箕(ゆきみ)の里に彼女を置いて旅に出たが、彼女のことが心配で心は上の空。土は踏んでいるものの。

〈2542〉新妻の手枕をまき始めて、これから幾夜も逢わずにいられようか、可愛くて仕方ないのに。

〈2543〉恋しく思うこの気持ちなどを話して、憂さを晴らしたいあの方のお使いなのに、そのお使いすら待っていても来ないのか。

〈2544〉現実にはお逢いする機会もありません。せめて夢にだけでも絶えず出てきて下さいあなた。もう恋しくて死んでしまいそうです。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2541の「た廻り」は、めぐって行き廻る意で、「行箕」の枕詞。「行箕」は所在未詳ですが、男の家から遠く離れた場所のようです。

 2542の「若草の」は「新手枕」の枕詞。なお、結句の「憎くあらなくに」の原文は「二八十一不在國」と書かれており、「二八十一」の「八十一」を、九九=八十一であることから「くく」と読ませています。それで「に・くく」。まるでとんちクイズのようですが、このように本来の意味とは異なる意味の漢字をあてて読ませることを「戯書(ぎしょ)」といいます。また、この時代から掛け算の九九があったことにも驚かされますが、すでに奈良時代以前に中国から伝わっていたといいます。そして、平安時代には貴族の教養の一つとされていたようです。九九を練習した跡が残る木簡が各地で出土しており、中には「八九、七十四」と間違えているものもあり、懸命に練習した様子が窺えるそうです。

 2544について、万葉の人々は、夢に人を見るのは相手がこちらを思うせいだと考え、また、こちらが人を思うと、その人の夢に自分が見えると考えました。夢に出てきて下さいと言っているのは、こちらを思ってほしいと願っています。

巻第11-2545~2549

2545
誰(た)そ彼と問はば答へむ術(すべ)をなみ君が使(つかひ)を帰しやりつも
2546
念(おも)はぬに到らば妹が歓(うれ)しみと笑(ゑ)まむ眉引(まよびき)おもほゆるかも
2547
斯(か)くばかり恋ひむものぞと念(おも)はねば妹(いも)が袂(たもと)をまかぬ夜(よ)もありき
2548
かくだにも我(あ)れは恋ひなむ玉梓(たまづさ)の君が使を待ちやかねてむ
2549
妹に恋ひ我(あ)が泣く涙(なみだ)敷栲(しきたへ)の木枕(こまくら)通り袖(そで)さへ濡れぬ [或本歌曰 枕通りてまけば寒しも]
  

【意味】
〈2545〉あの人は誰かと問われても、答えようがないので、あなたからの使いをそのまま帰してしまいました。
 
〈2546〉突然にあの娘のところに行ったら、嬉しいといってにこにこする様子が想像されて、言いようがなく楽しい。

〈2547〉こんなに恋しくなるとは思わなかったから、一緒にいても、お前と寝ない夜もあった。
 
〈2548〉こんなにも私はあの方を恋い焦がれているのだろうか。あの方の手紙を持った使いさえも、今か今かと待ちかねている。

〈2549〉彼女が恋しくて流す涙は木枕を通り、袖までも濡らしてしまう。(枕を通って、当てると冷たい)

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2545の「誰そ彼」は、あの人は誰かで、「たそがれどき(人の顔が見分けにくい時刻)」の語源になった言葉。「答へむ術をなみ」は、返事のしようがないので。母親が不審に思って娘に問いかけたのでしょうか。使いが来ることは恋仲の相手がいることを示し、逆に使いが来ないのは、関係が停滞していることを暗示するものでした。切ない後悔の歌ですが、母親の監視の目をかいくぐって相手と通じ合うことの苦労が窺えます。

 2546の「念はぬに」は、思いがけずいるところへ。「眉引」は、眉墨で三日月形に描いた眉。斎藤茂吉は、昔も今もかわりない人情の機微が出ていて、にこにこと匂うような顔容を「笑まむ眉引」といっているのは実に旨く、古語の優れている点であると言っています。

 2547の「妹が袂をまかぬ」は、妻の手枕をしないで寝ること。一緒にいた時はそっけなくしたこともあったけど、旅に出て逢えなくなり、しみじみと妻の大切さを噛みしめている歌です。2548の「玉梓の」は「使ひ」の枕詞。2549の「敷栲の」は「木枕」の枕詞。

巻第11-2550~2554

2550
立ちて思ひ居(ゐ)てもぞ思ふ紅(くれなゐ)の赤裳(あかも)裾引(すそび)き去(い)にし姿を
2551
思ひにし余りにしかばすべをなみ出(い)でてそ行きしその門(かど)を見に
2552
心には千重(ちへ)しくしくに思へども使(つかひ)を遣(や)らむすべの知らなく
2553
夢(いめ)のみに見てすらここだ恋ふる我(あ)はうつつに見てばましていかにあらむ
2554
相(あひ)見ては面(おも)隠さるるものからに継(つ)ぎて見まくの欲(ほ)しき君かも
  

【意味】
〈2550〉立っていても座っていても思われてならない。紅の赤裳の裾を引きながら歩み去っていったあの姿が。
 
〈2551〉恋の思いに耐えかね、どうにもならなくなって、つい出かけてしまった。愛しいあの子の家の門を見るために。

〈2552〉心の中では幾度も幾度も繰り返し思い焦がれているのだけれど、文の使いをやる手だても分からない。
 
〈2553〉夢の中で逢ってすら、こんなにもあの子に恋い焦がれるのに、まして現実に逢ったなら、いったいどんなことになるのだろう。

〈2554〉顔を合わせると、恥ずかしくて顔を隠したくなるのですが、それなのに、すぐにまた見たいと思う、あなたなのです。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2550の「裳」は、女性が腰から下に着た衣。道をほのかに歩み去っていった女の姿が忘れられない、と言っています。2551の「すべをなみ」は、どうしようもないので、の意。2552の「千重にしくしく」は、極めて頻繁に、の意。娘との関係が、その家の者には秘密にしているので、使いをやる方法がないのを嘆いています。2553の「ここだ」は、こんなにはなはだしく。女に懸想している男が、明るい気持ちで空想して詠んだ歌です。

 2554は、結婚後間もない女の歌。「ものからに」は、そういうものと決まっているのに、決まって自然に。「継ぎて」は、引き続いて。「見まく」は「見むこと」で、名詞。作家の田辺聖子はこの歌について、「可憐な新妻の風情であるが、それにしても『万葉集』の歌いぶりは古今独歩のもの、こんなに率直で飾り気のない言葉を並べながら、その奥にわくわくする心はずみ、美しい羞恥が揺曳(ようえい)し、たいそうデリケートな、清らかなエロスとなって発散している」と評しています。

巻第11-2555~2559

2555
朝戸(あさと)を早くな開(あ)けそあぢさはふ目が欲(ほ)る君が今夜(こよひ)来ませる
2556
玉垂(たまだれ)の小簾(をす)の垂簾(たれす)を行きかちに寐(い)は寝(な)さずとも君は通(かよ)はせ
2557
たらちねの母に申(まを)さば君も我(あ)れも逢ふとはなしに年ぞ経(へ)ぬべき
2558
愛(うつく)しと思へりけらしな忘れと結びし紐(ひも)の解(と)くらく思へば
2559
昨日(きのふ)見て今日(けふ)こそ隔(へだ)て我妹子(わぎもこ)がここだく継(つ)ぎて見まくし欲(ほ)しも
   

【意味】
〈2555〉朝の戸を早く開けないで。逢いたかったあの方が、今夜はいらっしゃっているるから。
 
〈2556〉玉を垂らした簾(すだれ)を通れずに共寝することができなくても、通ってきて下さいな。

〈2557〉二人の仲を母に打ち明けてしまえば、あなたも私も、逢うことはできずに、何年も過ぎていくでしょう。
 
〈2558〉あの方は私のことを愛しいと思って下さっているらしい。忘れるなよと言って結んでくださった紐がほどけてしまうのを思うと。

〈2559〉昨日逢って今日一日離れているだけなのに、これほどにあの子に続けて逢いたい思うのか。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2555は、夫婦関係が公になっている女が、夫を迎え入れている夜に、家人に命じている歌。「あぢさはふ」の語義未詳ながら「目」の枕詞。「目が欲る」は、見たい。2556の「玉垂の」は「小簾」の枕詞。「小簾」の「小」は接頭語で、すだれ。「行きかちに」の原文「往褐」で、訓義は諸説あります。

 2557は、恋人に向かって娘が言っている歌。「母は決して私たちのことを許しはしないでしょう。だから、黙っていましょう」と。「たらちねの」は「母」の枕詞。2558の「けらし」は、根拠に基づく推定。「な忘れ」の「な」は、禁止。「解くらく」は名詞で、解けること。2559の「ここだく」は、こんなに甚だしく。「継ぎて」は、続けて、いつも。「見まく」は「見む」の名詞形。「し」は、強意。

巻第11-2560~2564

2560
人も無き古(ふ)りにし郷(さと)にある人を慰(めぐ)くや君が恋に死なする
2561
人言(ひとごと)の繁(しげ)き間(ま)守(も)りて逢ふともやなほ我(わ)が上(うへ)に言(こと)の繁けむ
2562
里人(さとびと)の言(こと)寄せ妻(づま)を荒垣(あらかき)のよそにや我(あ)が見む憎くあらなくに
2563
人目(ひとめ)守(も)る君がまにまに我(われ)さへに早く起きつつ裳(も)の裾(すそ)濡れぬ
2564
ぬばたまの妹(いも)が黒髪(くろかみ)今夜(こよひ)もか我(あ)がなき床(とこ)になびけて寝(ぬ)らむ
  

【意味】
〈2560〉人もあまりいなくなったこの寂しい旧都に残っている私に、哀れにも恋死をさせるおつもりですか。
 
〈2561〉うるさい世間の噂を見はからって逢ったとしても、やはり私の上には噂が絶えないのだろうか。

〈2562〉里人たちが私の妻だと噂するその人を、私はよそながら見ていなければならないのか、憎からず思っているのに。
 
〈2563〉人目を気にして早出するあなたに従って、私まで早起きしてきたので、裳の裾が露に濡れてしまった。

〈2564〉妻の黒髪、ああ今夜も、私がいない床に靡(なび)かせて寝ているんだろう。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2560の「慰くや」は、かわいそうに、哀れにも。「古りにし郷」は旧都で、奈良遷都後の藤原の称とされます。官人の夫は新都に移り、旧都に残った妻が、疎遠になる寂しさを訴えた歌です。2561の「人言」は、世間の噂、「守りて」は、憚って。2562の「言寄せ妻」は、里人が自分の言い立てる女性。「荒垣の」は「外」の枕詞。2564の「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。妻の許へ行けなかった男が、その夜の妻のさまを想像している歌です。

巻第11-2565~2569

2565
花ぐはし葦垣(あしかき)越(ご)しにただ一目(ひとめ)相(あひ)見し子ゆゑ千(ち)たび嘆きつ
2566
色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠(こも)り妻はも
2567
相(あひ)見ては恋慰(こひなぐさ)むと人は言へど見て後(のち)にぞも恋まさりける
2568
おほろかに我(われ)し思はばかくばかり難(かた)き御門(みかど)を罷(まか)り出(で)めやも
2569
思ふらむその人なれやぬばたまの夜(よ)ごとに君が夢(いめ)にし見ゆる [或る本の歌に曰く 夜昼と言はず我(あ)が恋ひわたる]
  

【意味】
〈2565〉葦の垣根越しに、たった一目見ただけのあの子なのに、繰り返し繰り返し溜息ばかりついている。

〈2566〉顔色に出して恋い慕ったなら、人が見咎めて知るだろう、心のうちの隠し妻のことを。
 
〈2567〉お互いに逢うと、人恋しさは紛れると他人は言うけれど、逢って別れた後にこそ愛情がいっそう増してくるものです。

〈2568〉いい加減に私があなたのことを思っているのなら、これほど厳しい宮中の御門を抜け出てやって来るものか。

〈2569〉私のことを思って下さるからでしょうか。夜ごとにあなたが夢に現れます。(夜となく昼となく私は恋い続けています)

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2565の「花ぐはし」は、花がうるわしいの意で「葦垣」の枕詞。2566の「色に出でて」は、顔色に出して。「知りぬべし」は、知ってしまうだろうの意で、「知るべし」の強調。「隠り妻」は、まだ公表できず人目を避けて隠れている妻。「隠り」は隠れて見えないものを示すことばで、葦などが茂って水面がよく見えない入江は「隠江(こもりえ)」、草木に隠れて見えない沼は「隠沼(こもりぬ)」などといいます。

 万葉時代の恋愛は自由で奔放だったと思われがちですが、今も昔もプロセスが大事であることに変わりはなく、ある段階が来てはじめて公表するものでした。恋愛といえども社会生活の一部ですから、その当時なりのルールがあったわけです。忍ぶ恋をうたう歌や、噂が立つのを極度に恐れる歌が多くみられるのはそのためで、結婚に至るまでの各段階の心情を伝えてくれる『万葉集』は、古代の結婚制度を研究する上で第一級の史料ともなっています。

 2568の「おほろかに」は、いい加減に。「難き御門」は、出入りが厳重な宮廷の門。「罷り」は、貴人のもとから退出する意。勤務中に宮廷をそっと抜け出して逢引している下級官吏の歌のようです。2569の「思ふらむ」は、思っているだろう。「その人なれや」は、その人なのだろうか。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。

巻第11-2570~2574

2570
かくのみし恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げず止(や)まず通(かよ)はせ
2571
ますらをは友の騒(さわ)きに慰(なぐさ)もる心もあらむ我(われ)そ苦しき
2572
偽(いつはり)も似つきてぞする何時(いつ)よりか見ぬ人恋ふに人の死(しに)せし
2573
心さへ奉(まつ)れる君に何をかも言はずて言ひしと我(わ)がぬすまはむ
2574
面(おも)忘れだにもえすやと手(た)握(にぎ)りて打てども懲(こ)りず恋といふ奴(やつこ)
  

【意味】
〈2570〉こんなに恋い焦がれてばかりいると死んでしまいそうなので、母に打ち明けました。あなた、絶えず通って来て下さい。

〈2571〉男の人は友だちと騒いで憂さを晴らすこともできるでしょう。けれど、女の私はそれもできなくて苦しくてなりません。

〈2572〉嘘をおっしゃるのもいい加減になさいまし。まだ一度もお逢いしたことなどないのに焦がれ死にするなんて。何時の世の中に、そんな人がいましたか?

〈2573〉私の心まで捧げているあなたに、言わないことを言ったなどと嘘をついたりしましょうか。
 
〈2574〉せめて顔だけでも忘れられないかと、こぶしを握り、打てども打てども懲りもしない、恋という奴(やっこ)は。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2570の「死ぬべみ」は、死ぬだろうから。「たらちねの」は「母」の枕詞。「告げつ」は、打ち明けた。許しを得たと言外に言っています。2571の「ますらを」は、勇ましく立派な男子。「心もあらむ」は、こともあろうの意。疎遠がちな夫に対する訴えとともに、社会的な生活をする男に比べ、家庭的生活ばかりしている女の嘆きでもあります。

 2572は、男が恋を訴えてきたのに対し、女が答えた歌。「偽も似つきてぞする」は、嘘を言うにも、もっともらしく言うものだ、という意味です。逢ってもいないのに、好きで好きで死にそうだ、という手紙でも寄こしてきたのでしょうか。お互いの顔を見たことがないというのは、身分ある階級の者同士なのかもしれません。気丈と聡明さの感じられる歌であり、斎藤茂吉は次のように評しています。

「一首の意。嘘をおっしゃるのも、いい加減になさいまし。まだ一度もお逢いしたことがないのに、こがれ死するなどとおっしゃる筈はないでしょう。何時の世の中にまだ見ぬ恋に死んだ人が居りますか、というような意味のことを、こういう簡潔な古語でいいあらわしているのは実に驚くべきである。『偽も似つきてぞする』は、偽をいうにも幾らか事実に似ているようにすべきだ、あまり出鱈目の偽では困る、というようなことを、こう簡潔にいうので日本語のよいところが遺憾なく出ている」。

 2573の「ぬすまふ」は、ごまかす意。2574の「えすや」の「え」は、可能を表す副詞、「や」は疑問。「奴」は、奴婢。恋を激しく罵倒しており、「恋の奴」という言い方は当時の人々に好まれたとみえ、他のいくつかの歌に見られます。

巻第11-2575~2579

2575
めづらしき君を見むとこそ左手(ひだりて)の弓(ゆみ)取る方(かた)の眉根(まよね)掻(か)きつれ
2576
人間(ひとま)守(も)り葦垣越(あしがきご)しに我妹子(わぎもこ)を相(あひ)見しからに言(こと)ぞさだ多き
2577
今だにも目な乏(とも)しめそ相(あひ)見ずて恋ひむ年月(としつき)久(ひさ)しけまくに
2578
朝寝髪(あさねがみ)われは梳(けづ)らじ愛(うるは)しき君が手枕(たまくら)触れてしものを
2579
早行きて何時(いつ)しか君を相(あひ)見むと念(おも)ひし情(こころ)今ぞ和(な)ぎぬる
  

【意味】
〈2575〉なかなかやって来ないあなたに逢えないかと、左手の弓を取る方の眉を掻いてみたのに。

〈2576〉人目のない隙を窺って、葦垣越しにあの子を見ただけなのに、世間の噂がやたらとうるさい。

〈2577〉せめて今だけでも、存分に逢って下さい。お逢いできずに恋い焦がれる年月が、これから久しく続くでしょうから。

〈2578〉朝の寝乱れた髪を梳るまい、愛しいあなたの手枕が触れた髪だから。

〈2579〉急いで行って、一時も早くお前に逢いたいと思っていたけど、こうしてお前を見ると、やっと心が落ち着いたよ。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2575の「眉根」は眉。眉がかゆくなるのは恋人に逢える前兆とされた俗信を踏まえています。また、左のほうの眉だけかゆいのは、珍しい人に逢う前兆だともされていたようです。2576の「人間」は、人のいない時。「守る」は、窺う。「さだ」は、甚だ。2577の「目な乏しめそ」の「な~そ」は禁止。「乏しむ」は、物足りなく思わせる。

 2578は、夫が去って行った朝の歌。「君が手枕触れて」は、夫の腕を枕にして寝る意。愛しい夫が愛撫してくれたと思うと、自分の体のそれぞれの部分がいとおしく思える女心・・・。万葉集ではめずらしく直接的な性愛表現の歌です。当時の女性は一般的に髪を長く伸ばしており、夜寝る時は髪を解き、昼間は結い上げたようです。結い上げる前に、朝、寝乱れた髪を櫛梳るのです。2579は、久しく妻に逢えなかった男の、逢えた喜びと安堵の歌。「何時しか」は、早く。「和ぐ」は、心が穏やかになる。

巻第11-2580~2584

2580
面形(おもがた)の忘るとあらばあづきなく男(をのこ)じものや恋ひつつ居(を)らむ
2581
言(こと)に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我(わ)が思はなくに
2582
あぢき無く何の狂言(たはこと)いま更(さら)に小童(わらは)言(ごと)する老人(おいびと)にして
2583
相(あひ)見ては幾久(いくびさ)さにもあらなくに年月(としつき)のごと思ほゆるかも
2584
ますらをと思へる我(わ)れをかくばかり恋せしむるは悪(あ)しくはありけり
  

【意味】
〈2580〉彼女の面影が忘れられるものなら、男子たるものがこのように不甲斐なく恋に苦しむことはないのだが、どうしても忘れることができない。

〈2581〉言葉に出して言うと軽々しく聞こえるだろう。心の底で私は真剣に思っているけれど。

〈2582〉何という愚かなことを言ったものか今さら。いい年をして少年のような真似をして・・・。

〈2583〉逢ってからそんなに長くはないのに、幾年月も経ったように思われる。

〈2584〉立派な男子と思っているその私を、こんなにも恋しがらせるとは、よくないことです。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2580の「面形」は、顔の形。「あづきなく」は、ふがいなく。「男じもの」は、男子たるものが。「や」は、疑問の係助詞で反語となっています。片恋に悩みながら、男子としての自尊心を奮い起こして恋から放たれようとしながら、それができない男心を歌っています。

 2581は、女に告白した男の歌。「言に言へば」は、言葉に出して言えば。2582の「あぢき無く」は、自分でうんざりする意。「何の狂言」は、いったい何を口走っているのか。「小童言」は、子供じみた言。「老人」は、早くから老を言った時代なので、さしたる年齢ではなく、熟年の男が若者のような恋をして、自分を咎めている歌です。

巻第11-2585~2589

2585
かくしつつ我(あ)が待つ験(しるし)あらぬかも世の人(ひと)皆(みな)の常(つね)にあらなくに
2586
人言(ひとごと)を繁(しげ)みと君に玉梓(たまづさ)の使(つか)ひも遣(や)らず忘ると思ふな
2587
大原(おほはら)の古(ふ)りにし里に妹(いも)を置きて我(わ)れ寐(い)ねかねつ夢(いめ)に見えこそ
2588
夕(ゆふ)されば君(きみ)来(き)まさむと待ちし夜(よ)のなごりぞ今も寐寝(いね)かてにする
2589
相(あひ)思はず君はあるらしぬばたまの夢(いめ)にも見えずうけひて寝(ぬ)れど
 

【意味】
〈2585〉このようにして私が待っている、その甲斐がないものか。世の人の誰もがずっと生き続けてはいられないのだから。

〈2586〉人の噂がうるさいので、あなたに使いもやらずにいますが、あなたを忘れているとは思わないでください。

〈2587〉大原のさびれた里に妻を置いてきて、私は眠ることができない。せめて夢に見えてほしい。

〈2588〉夕方になると、あなたがいらっしゃるだろうとお待ちしていた夜の名残なのですね、今もなかなか寝つかれないのは。

〈2589〉私のことを思わずにあの方はいるらしく、夢にも出ていらっしゃらない。誓いを立てて神様にお祈りして寝ても。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2585の「かくしつつ」は、このようにし続けて。「験」は、甲斐、効果。「ぬかも」は願望。「常にあらなくに」は常住不変ではないのだから。2586の「人言」は人の噂。「玉桙の」は「使ひ」の枕詞。「使ひ」は、手紙を運ぶ人。二人の関係を知られないために、周囲には使いの存在も秘密にしなくてはならなかったようです。

 2587の「大原」は明日香村小原。「古りにし里」は故京の里で、奈良遷都後の飛鳥地方を広くさして言っています。奈良京にあって歌ったものとみられます。2588は、何らかの事情で夫と別れた女の歌。「夕されば」は、夕方になると。「今も寐寝かてにする」は、今も寝つかれないでいる。もう終わってしまった恋なのに、彼が足しげく通ってきた頃の習慣が身に沁みついてしまっているという、独り言のような、寂しいつぶやきのような歌です。窪田空穂は「鋭敏な感性と、婉曲に物をいう教養とが相俟って」いると評しています。2589の「ぬばたまの」は「夢」の枕詞。「うけひて」は、神に祈って。

巻第11-2590~2594

2590
石根(いはね)踏み夜道(よみち)は行かじと思へれど妹(いも)によりては忍(しの)びかねつも
2591
人言(ひとごと)の繁(しげ)き間(ま)守(も)ると逢はずあらばつひにや子らが面(おも)忘れなむ
2592
恋死なむ後(のち)は何せむ我(わ)が命(いのち)生ける日にこそ見まく欲(ほ)りすれ
2593
敷栲(しきたへ)の枕(まくら)響(とよ)みて寐寝(いね)らえず物思(ものも)ふ今夜(こよひ)早(はや)も明けぬかも
2594
行かぬ我(わ)を来(こ)むとか夜(よる)も門(かど)閉(さ)さずあはれ我妹子(わぎもこ)待ちつつあるらむ
 

【意味】
〈2590〉岩を踏み越えて行くような夜道は行くまいと思うけれど、愛しいあの子のことを思うと、とても辛抱しきれない。

〈2591〉うるさい噂の隙を見つけてと思って逢わずにいると、あの子の顔を忘れてしまうのではないだろうか。

〈2592〉恋い焦がれて死んだ後では何の意味があろう。生きている日のうちにこそ逢いたく思うのに。

〈2593〉寝床の枕がしきりに動くので、落ち着いて寝られない。心が晴れないこんな夜は早く明けてくれないだろうか。

〈2594〉行こうにも行けない私が来ると思って、夜になっても門を閉めずに、愛しいあの子は待ち続けているのだろう。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2590の「石根」は、台地に根を張ったような大きな岩。2591の「守る」は、隙を窺って。「子ら」の「ら」は接尾語。2592の「何せむ」は、何になろうか。2593の「敷栲の」は「枕」の枕詞。「早も明けぬかも」の「も~かも」は、願望。2594の「来むとか」は、来ると思って~か。

巻第11-2595~2598

2595
夢(いめ)にだに何かも見えぬ見ゆれども我(わ)れかも惑(まと)ふ恋の繁(しげ)きに
2596
慰(なぐさ)もる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月(つき)に日(ひ)に異(け)に [或る本の歌にいふ 沖つ波しきてのみやも恋ひわたりなむ]
2597
いかにして忘れむものぞ我妹子(わぎもこ)に恋はまされど忘らえなくに
2598
遠くあれど君にぞ恋ふる玉桙(たまほこ)の里人(さとびと)皆(みな)に我(あ)れ恋ひめやも
 

【意味】
〈2595〉どうして夢にさえ見えないのだろう、いや見えているのに分からないのだろうか、恋の苦しさのために。

〈2596〉心の慰むことはなく、こんなにも恋続けなければならないのか、月に日にますます。(絶える間なしに、ひたすら恋い続けているのかな)

〈2597〉どうしたら忘れられるだろう。あの子への恋心は増しこそすれ、とうてい忘れられない。

〈2598〉遠く離れていますが、私はあなただけに恋い焦がれています。この里のどの人にも恋い焦がれるなどありましょうか。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2595の「何かも見えぬ」は、どうして見えないのだろう。2596の「異に」は、いよいよ、ますます。2598の「玉桙の」は、本来「道」の枕詞ながら、ここでは「里」の枕詞。「恋ひめやも」の「やも」は、反語。

巻第11-2599~2603

2599
験(しるし)なき恋をもするか夕されば人の手まきて寝(ぬ)らむ子ゆゑに
2600
百代(ももよ)しも千代(ちよ)しも生きてあらめやも我(あ)が思(おも)ふ妹(いも)を置きて嘆くも
2601
うつつにも夢(いめ)にも我(わ)れは思はずき古(ふ)りたる君にここに逢はむとは
2602
黒髪(くろかみ)の白髪(しろかみ)までと結びてし心ひとつを今 解(と)かめやも
2603
心をし君に奉(まつ)ると思へればよしこのころは恋ひつつをあらむ
  

【意味】
〈2599〉甲斐もない恋をしたものさ。夜になると、ほかの男の手枕で寝るに違いないあの娘のために。

〈2600〉人間は百年間も千年も生きていられはしないのに、私の愛する人をあとに残して来たので悲しくて泣いている。

〈2601〉この世ではもちろんのこと、夢の中ですら思いませんでした。仲が絶えた昔のあなたとここで再びお逢いするなんて。
 
〈2602〉黒髪が白髪になるまでずっと変わるまいと、しっかり結び固めた心であるのに、どうして今になって解くことがありましょうか。

〈2603〉この心まであなたに差し上げたのですから、たとえお逢いできなくとも、今しばらくは恋い焦がれているだけで我慢しています。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2599の「験なき」は、甲斐がない。「夕されば」は、夕方になると。「手まきて」は、腕を枕にして、共寝をする意。相手のいる人妻に恋してしまった男の嘆きの歌です。この時代の夫婦は同棲せず、しかも関係を秘密にしている場合が多かったため、人妻であるのを知らずに懸想してしまうことが起こりやすかったのです。

 2600は、地方に赴任した男が、家に置いてきた妻を思っての歌とされます。2601の「古りたる」は、年を経た、の意。いわゆる元カレに偶然逢った驚きと喜びの歌。2602の「やも」は反語。夫から不信の疑いを受けた妻が、弁明しようとして詠んだ歌。2603の「よし」は、仕方がない。足遠くなった夫を恨めしく思っている妻の歌。

巻第11-2604~2608

2604
思ひ出(い)でて音(ね)には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ
2605
玉桙(たまほこ)の道行きぶりに思はぬに妹(いも)を相(あひ)見て恋ふるころかも
2606
人目(ひとめ)多み常(つね)かくのみし候(さも)らはばいづれの時か我(あ)が恋ひずあらむ
2607
しきたへの衣手(ころもで)離(か)れて我(あ)を待つとあるらむ児らは面影(おもかげ)に見ゆ
2608
妹(いも)が袖(そで)別れし日より白たへの衣(ころも)片敷(かたし)き恋ひつつぞ寝(ぬ)る
  

【意味】
〈2604〉私を思い出して一人で声を出して泣くことはあっても、はっきりと人に分かるほどお嘆きにならないでください、決して。

〈2605〉通りすがりに偶然にあの子に逢っただけで、恋しくてならないこのごろだ。

〈2606〉人目が多いのでいつもこんなふうに機会を窺ってばかりいたら、いつどんな時に、私は恋い焦がれないでいられるようになるのか。
 
〈2607〉ほかの誰とも添い寝せず私を待ってくれているあの子。その幻影が目先にちらついて仕方がない。

〈2608〉この袖と交わしたあの子の袖、別れたその日から、ずっと自分の衣だけを敷いて、恋しく思いながら一人寂しく寝ている。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2604の「いちしろく」は、はっきりと、「ゆめ」は、決しての意の禁止。女から男に答歌として贈ったもののようです。2605の「玉桙の」は「道」の枕詞。「道行きぶりに」は、通りすがりに。類想の歌が多くあり、実際によくあったことのようです。2606の「候らはば」は、隙を窺っていたならば。秘密の関係であるがゆえの嘆きの歌。2607の「しきたへの」は「衣」の枕詞。2608の「衣片敷き」は、独り寝をいう慣用句。旅の途中の男が女に贈った歌のようです。

巻第11-2609~2613

2609
白栲(しろたへ)の袖(そで)はまゆひぬ我妹子(わぎもこ)が家のあたりをやまず振りしに
2610
ぬばたまの我(わ)が黒髪(くろかみ)を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
2611
今さらに君が手枕(たまくら)まき寝(ね)めや我(わ)が紐(ひも)の緒(を)の解けつつもとな
2612
白栲(しろたへ)の袖(そで)触れてし夜(よ)我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋ふらくはやむ時もなし
2613
夕占(ゆふけ)にも占(うら)にも告(の)れる今夜(こよひ)だに来まさぬ君をいつとか待たむ
  

【意味】
〈2609〉白栲の袖はすっかりほつれてしまった。彼女の家のあたりに向かっては、やむことなく振り続けてきたので。

〈2610〉黒髪を引きほどいて、身も心も取り乱し、さらにいっそうあなたを恋い焦がれてやまない私です。

〈2611〉今さらあなたの手枕で寝ることがありましょうか。それなのに私の着物の紐はわけもなくほどけてしまいます。

〈2612〉お互いに袖を交わして以来、あなたが恋しくて止むときがありません。
 
〈2613〉夕占いにも他の占いにもいらっしゃるとお告げがあった今夜、こんな今夜さえおいでにならないあなたを、いったいいつと思ってお待ちすればよいのでしょう。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2609・2612の「白栲の」は「袖」の枕詞。2610の「ぬばたまの」は「黒髪」の枕詞。この時代、相手が思えば自分の髪が自然に解けると考えられていました。そこで、それを逆手にとって、自分で髪をほどくことによって、相手の思いを呼ぼうとしています。2611の「もとな」は、わけもなく、の意。

 2613の「夕占」は、夕方にする辻占(つじうら)のことで、夕方道端に立って、一定の範囲の場所を定め、米をまいて呪文を唱えるなどして、その場所を通る通行人のことばを聞いて吉凶や禍福を占ったといいます。辻は、人だけでなく神も通る場所であると考えられ、偶然そこを通った人々の言葉を神の託宣と考えたようです。

 「占」の語源は裏表(うらおもて)の「裏」で、裏に隠れている神意を表に現わすことを占(うら)と呼んだものです。また「告(の)る」の原意は、呪力ある言葉を発することであることから、占いの判断を「告る」と表現しています。

巻第11-2614~2618

2614
眉根(まよね)掻(か)き下(した)いふかしみ思へるにいにしへ人を相(あひ)見つるかも
2615
敷栲(しきたへ)の枕(まくら)をまきて妹(いも)と我(あ)れと寝(ぬ)る夜(よ)はなくて年ぞ経(へ)にける
2616
奥山の真木(まき)の板戸(いたど)を音(おと)速(はや)み妹があたりの霜の上(へ)に宿(ね)ぬ
2617
あしひきの山桜戸(やまさくらと)を開け置きて我(あ)が待つ君を誰(た)れか留(とど)むる
2618
月夜(つくよ)よみ妹(いも)に逢はむと直道(ただぢ)から我れは来つれど夜ぞ更けにける
  

【意味】
〈2614〉眉根を掻きながら、内心訝しく思っていたところ、昔馴染みのあの人に逢ったよ。

〈2615〉手枕を交わしてあの子と寝る機会がちっともないまま、いたずらに年が経ってしまった。

〈2616〉真木の板戸の鳴る音が激しくて入れないので、彼女の家のそばの霜の上で寝てしまった。

〈2617〉山桜の戸を開けたままにしてあの方を待っているのに、なかなかやってこないのは、いったい誰が引き留めているのでしょう。
 
〈2618〉美しい月夜なので、急いで彼女に逢おうと真っ直ぐの道をやってきたのだが、それでも夜が更けてしまった。

【説明】
 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2614の「下いふかしみ」の「下」は心の中で、の意。「いふかしみ」は、おかしいな、の意。眉がかゆくなると、思う人に逢えるとされていました。2615の「敷栲の」は「枕」の枕詞。2616の「奥山の」は「真木」の枕詞。「真木の板戸」は、檜などの良質の木材で作られた板戸。「音速み」は、音が激しいので。それによって母などが目を覚ますのを恐れて開けることができないと言っています。2617の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山桜戸」は、山桜の板で作った戸。この歌は上の歌と対をなしているかのようです。

 2618の「直道」は、まっすぐな道。夜は外出を控えるべき禁忌の時間帯でしたが、男女の逢引の時でもありました。そこで男は、月夜に照らされその呪力を身に浴び、自らが神的存在となることで、女の許に通ったのです。

巻第11-2619~2622

2619
朝影(あさかげ)に我が身はなりぬ韓衣(からころも)裾(すそ)のあはずて久しくなれば
2620
解(と)き衣(きぬ)の思ひ乱れて恋ふれどもなぞ汝(な)がゆゑと問ふ人もなき
2621
摺(す)り衣(ころも)着(け)りと夢(いめ)に見つうつつにはいづれの人の言(こと)か繁けむ
2622
志賀(しか)の海人(あま)の塩焼き衣(ころも)なれぬれど恋といふものは忘れかねつも
   

【意味】
〈2619〉朝影のように私はやせ細ってしまった。なかなか裾の合わない韓衣のように、あなたに逢わない日々が続いているので。

〈2620〉ほどいた着物の乱れのように、思い乱れて恋い焦がれているのに、なぜお前のせいで苦しんでいるのだと訊いてくれる人もいないのか。

〈2621〉色とりどりの摺り染めの着物を着ている夢を見た。実際にはどこのどなたとの噂が立つというのか。

〈2622〉志賀の海人の塩焼きの作業衣が汚れているように、慣れ親しんだ仲でも、恋の苦しみからはいつまで経っても逃れられない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2619は、恋やつれをした人の歌です。朝影になっている我が身というのは、朝の影に映る自分のように細く、長く、つまりそのくらい痩せてしまったということ。「韓衣」は、中国風の衣服。大和風の衣服のようには前あわせの部分が重ならないため、裾の左右を合わせません。そのように逢わない日が久しく続いたとして、「あはず」を引き出す序詞となっています。

 詩人の大岡信は、「恋の嘆きを歌っているものの、歌そのものの感じはむしろ軽快。それも「物に寄せて」という形式が生む一つの効果だろう。直接の恋心の訴えという要素よりは、他の物が介在する分だけ、いわば美的要素がまさるから」と言っています。

 2620の「解き衣の」は「思ひ乱れて」の枕詞。2621の「摺り衣」は、花や葉で摺染めにした着物。「摺り衣着り」は、契りを交わすことの譬え。2622の「志賀」は、福岡市志賀町の志賀島。上2句は「なれ」を導く序詞。

巻第11-2623~2626

2623
紅(くれなゐ)の八(や)しほの衣(ころも)朝な朝な馴(な)れはすれどもいやめづらしも
2624
紅(くれなゐ)の濃染(こぞ)めの衣(きぬ)色深く染(し)みにしかばか忘れかねつる
2625
逢はなくに夕占(ゆふけ)を問ふと幣(ぬさ)に置くに我(わ)が衣手(ころもで)はまたぞ継(つ)ぐべき
2626
古衣(ふるころも)打棄(うちつ)る人は秋風の立ちくる時に物思(ものも)ふものぞ
 

【意味】
〈2623〉幾度も染めた紅の着物のように、朝ごとに慣れ親しんでいるけれど、それでもあなたはますます新鮮だ。

〈2624〉紅の色濃く染めた着物のように、心に深く染みついたせいか、忘れようにも忘れられない。

〈2625〉逢ってくれないので、夕占してを問おうとしきりに供え物を置くので、私の着物の袖はまた継ぎ足さなければならない。

〈2626〉着慣れた古着をうち捨ててしまうような人は、秋風が吹きだすころには、侘しい思いをするものです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2623の上2句は「朝な朝な馴れはすれども」を導く序詞。「八しほの衣」は何度も染めた衣。2624の上2句は「色深く」を導く序詞。2625の「夕占」は、夕方に道に立ち、往来する人の言葉を聞いて吉凶を判断する占い。「幣」は神に祈る時に供える物。この歌からは、幣には袖を切って供えていたとみえます。2626の「古衣打棄つる」は、古女房を打ち棄てる比喩。「秋風の立ちくる時」は、老いを迎えるころの比喩。男性にとっては戒め、女性からは恨みの歌。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

各巻の概要

【巻第一】
 雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
【巻第二】
 仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様に部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
【巻第三】
 巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 
【巻第四】
 巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
【巻第五】
 巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
【巻第六】
 巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
【巻第七】
 雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいるため、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
【巻第八】
 四季に分類された雑歌と相聞歌。舒明朝~天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
【巻第九】
 おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立て。
 
【巻第十】
 巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
【巻第十一】
 『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十ニ】
 「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十三】
 作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
【巻第十四】
 主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
【巻第十五】
 物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
【巻第十六】
 巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
【巻第十七~二十】
 巻第十七~二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。

枕詞あれこれ

あかねさす
「日」「昼」に掛かる枕詞。「赤く輝く」もの、」すなわち太陽を意味する。また、茜(あかね)色に近い「紫」の枕詞にも転用されている。

秋津島/蜻蛉島(あきづしま)
「大和」にかかる枕詞。「秋津島」は、日本の本州の古代の呼称で、『古事記』には「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。また「蜻蛉島」は、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。

朝露の
「消」に掛かる枕詞。朝露は消えやすいところから。

あしひきの
「山」に掛かる枕詞。語義未詳ながら、足を引きずってあえぎながら登る意、山すそを稜線が長く引く意など諸説がある。

あぢむらの
「あぢむら」は、アジガモ(味鴨)。アジガモが群がって騒ぐことから、「騒く」にかかる枕詞。

梓弓(あづさゆみ)
梓弓は、梓の丸木で作られた弓。弓を射る動作から「はる」「ひく」「いる」などに掛かる。また弓に付いている弦(つる)から同音の地名「敦賀」に、弓の部分の名から「末」などにも掛かる。
 
天伝ふ
「日」に掛かる枕詞。「天(大空)を伝い渡っていく」もの、すなわち太陽を意味し、「日」の修飾ではなく、同格の関係にある。「天知るや」「高照らす」「高光る」なども同様。

天飛ぶや
「鳥」「鴨」に掛かる枕詞。空高く飛ぶことから。また、「雁」を転用して「軽(かる」にも掛かる。

荒妙(あらたへ)の
「藤」に掛かる枕詞。荒妙は、木の皮の繊維で作った粗い布で、おもに藤をその材料としていたことから。

あらたまの
「年」に掛かる枕詞。語義未詳で、一説に年月が改まる意からとも。ほかに「月」「春」「枕」などに掛かる。

あをによし
「奈良」に掛かる枕詞。奈良坂の付近で青丹(あおに)を産したところから。青は寺院や講堂などの、窓のようになっている部分の青い色、丹は建物の柱などの、朱色のこと。

鯨(いさな)取り
「海」に掛かる枕詞。鯨(いさな=クジラ)のような巨大な獲物がとれる所として海を賛美する語。ほかに「浜」にも掛かる。

石上(いそのかみ)
「石上」は、今の奈良県天理市石上付近で、ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などに掛かる枕詞。

うちなびく
「春」に掛かる枕詞。春は草木が打ち靡く季節であるから。

打ち日さす
「宮」「都」に掛かる枕詞。日の光が輝く意から。

うつそみの
「人」「世」に掛かる枕詞。語源は「現(うつ)し臣(おみ)」で、この世の人、現世の人の意。「臣」は「君」に対する語で、神に従う存在をいう。ウツシオミがウツソミと縮まり、さらにウツセミに転じた。

鶉(うづら)鳴く
「古る」に掛かる枕詞。ウズラは、草深い古びた所で鳴くことから。

味酒(うまさけ)
「三輪」に掛かる枕詞。うまさけ(味酒:味のよい上等な酒)を神酒(みわ)として神に捧げることから、同音の地名「三輪」に掛かる。また、三輪山のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにも掛かる。

押し照る
地名の「難波」にかかる枕詞。上町台地からながめた大阪湾が夕陽で一面に光り輝く様をあらわす。かつては上町台地が大阪湾に面する海岸だった。

沖つ藻(も)の
「靡く」に掛かる枕詞。海藻は波に靡くところから。

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