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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第11)~その3

巻第11-2750~2754

2750
我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの安倍橘(あへたちばな)の苔(こけ)生(む)すまでに
2751
あぢの住む渚沙(すさ)の入江の荒磯松(ありそまつ)吾(あ)を待つ児(こ)らはただ一人のみ
2752
我妹子(わぎもこ)を聞き都賀野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ)我(あ)れは忍びず間(ま)なくし思へば
2753
波の間(ま)ゆ見ゆる小島(こしま)の浜久木久(はまふさぎ)しくなりぬ君に逢はずして
2754
朝柏(あさかしは)潤八川辺(うるやかはへ)の小竹(しの)の芽の偲(しの)ひて寝(ぬ)れば夢に見えけり
  

【意味】
〈2750〉私の愛しい人に、長い間逢えないでいる。味の良い安倍橘の木に苔が生えるほどに。

〈2751〉アジガモが住んでいる渚沙の入江の荒磯松のように、私を待っている人はただ一人だけです。

〈2752〉妻のことを聞き継ぎたい、その都賀野の野辺にしなう合歓木のように、私は忍びこらえることができない、絶え間なく思っているので。

〈2753〉波間から見える小島の浜久木、その名のように随分久しくなりました、あなたにお逢いしないままに。

〈2754〉潤八川の川辺に生える小竹の芽ではないけれど、あの人を偲んで寝たら、その姿が夢に見えました。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2750の「安倍橘」は、橙(だいだい)の実がなる樹木で、薬用・食用にされていました。「苔むす」とは、長い年月を表す言葉。2751の上3句は「待つ」を導く序詞。「渚沙の入江」は愛知県知多郡南知多町の須佐湾。

 2752の上3句は「忍び」を、「我妹子を聞き」は「都賀」を導く序詞。「都賀」は所在未詳。「聞き継が」の「継が」に掛けています。「しなひ」は、木の枝が重みで垂れ下がることで、「忍び」に掛けています。「合歓木」は、初夏に細い糸を集めたような淡紅色の花が咲き、夜になると葉が合わさって閉じ、眠るように見えることから「ねむ」と呼ばれました。中国では夫婦円満の象徴の木とされ、名前には「男女の営みを歓び合う」意が込められており、『万葉集』の原文表記もそれに従っています。

 2753の上3句は「久しく」を導く序詞。2754の「朝柏」は「潤八川」の枕詞。「潤八川」は所在未詳。

巻第11-2755~2759

2755
浅茅原(あさぢはら)刈(か)り標(しめ)さして空言(むなごと)も寄そりし君が言(こと)をし待たむ
2756
月草の仮(か)れる命(いのち)にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむと言ふ
2757
大君(おほきみ)の御笠(みかさ)に縫(ぬ)へる有間菅(ありますげ)ありつつ見れど事なき我妹(わぎも)
2758
菅(すが)の根のねもころ妹(いも)に恋ふるにしますらを心(こころ)思ほえぬかも
2759
我(わ)が宿の穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘み生(おほ)し実になるまでに君をし待たむ
   

【意味】
〈2755〉浅茅原に草刈りの標を立てるような、空しい嘘でもよいから、私との噂が立ってしまったあなたからの直接の言葉をお待ちします。

〈2756〉露草の花のようにかりそめの命である人の身を、どのように思っていて、いずれ逢いましょうとおっしゃるのか。

〈2757〉大君の御笠にと編んでいるみごとな有馬の菅、その名のようにありのままずっとあなたを見続けているが、申し分のないあの子だ。

〈2758〉心の底から妻のこと恋しく思っているので、私は立派な男子らしい心がなくなってしまった。

〈2759〉我が家の庭の穂になった蓼の古い茎、その実をを摘んで蒔いて育て、やがてまた実になるまで、私はあの人を待っています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2755の上2句は、茅は刈り草としての価値がなく、わざわざ標をする必要のない物であるから、譬喩として「空言(実のない言葉)」を導く序詞。2756の「月草の」は「仮れる」の枕詞。「仮れる命」は、「仮合の身」のことで、人はこの世に仮の姿・仮の命で生まれてきているという仏教の考え。求婚した女から婉曲に断られたのに対し不満を言っている男の歌です。

 2757の上3句は「ありつつ」を導く序詞。「事なき」は、格別だ、すばらしい。2758の「菅の根の」は「ねもころ」の枕詞。「ねもころ」は、ねんごろに、心を込めて、の意。2759の「穂蓼」は穂を出した蓼、「古幹」は古い茎。

巻第11-2760~2764

2760
あしひきの山沢(やまさは)回具(ゑぐ)を採(つ)みに行かむ日だにも逢はむ母は責むとも
2761
奥山の岩本菅(いはもとすげ)の根(ね)深くも思ほゆるかも我(あ)が思ひ妻(づま)は
2762
蘆垣(あしがき)の中の似児草(にこぐさ)にこよかに我と笑(ゑ)まして人に知らゆな
2763
紅(くれなゐ)の浅葉(あさは)の野らに刈る草の束(つか)の間(あひだ)も我(あ)を忘らすな
2764
妹(いも)がため命(いのち)残せり刈り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを
   

【意味】
〈2760〉山沢に生えている回具を採みにいく日にだけでも逢ってください、たとえ母に叱られても。

〈2761〉奥山の岩陰に生える山菅が地に根深く食い込んでいるように、心の底に深く食い込んで離れない、我が思う妻は。

〈2762〉私と一緒に、こうしてにこにこしていらしゃるところを、人に知られたくありません。

〈2763〉浅葉の野で刈る萱(かや)の、その束の間も私のことを忘れないで下さいね。

〈2764〉あなたを悲しませないために命を残しているのです。刈った薦の乱れるように、悩み苦しんで今にも死にそうなのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2760の「あしひきの」は「山」の枕詞。「回具(ゑぐ)」が万葉集に登場するのは、この歌と巻10-1893の2首。「黒グワイ」とするのが有力ですが、ほかに芹(せり)・クワイ・オモダカではないかとする説があります。黒グワイは、池や沼など底が浅く泥になっているところに生え、太目のイグサのような姿をしています。根茎を食用にし、掘るのは一般に女性の仕事でした。「日だにも」は、せめてその日だけでも。2761の上2句は「根深くも」を導く序詞。

 2762の「似児草」は、柔らかい草の意味。ここでは垣根の材料として蘆と共に刈り取られ、混ぜ込まれている草のようです。箱根草(箱根シダ)とする説がありますが、確かではありません。「に」の音で「にこよか」に続く序詞としています。斎藤茂吉は「身体的に直接なめずらしい歌である」と言っており、また後に、大伴坂上郎女がこの歌を模倣して「青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな」(巻第4-688)という歌を作っています。

 2763の「紅の」は「浅葉」の枕詞。「浅葉」の語義は未詳ながら、紅色が浅い葉の意ともいわれます。上3句は「束の間」を導く序詞。2764の「刈り薦の」は「思ひ乱る」の枕詞。

巻第11-2765~2769

2765
我妹子(わぎもこ)に恋つつあらずは刈り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを
2766
三島江(みしまえ)の入江の薦(こも)を刈りにこそ我(わ)れをば君は思ひたりけれ
2767
あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でて我(あ)は恋(こひ)なむを人目(ひとめ)難(かた)みすな
2768
葦鶴(あしたづ)の騒く入江の白菅(しらすげ)の知らせむためと言痛(こちた)かるかも
2769
我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋ふらくは夏草の刈り除(そ)くれども生(お)ひしくごとし
 

【意味】
〈2765〉いとしいあの子をいつまでも恋い慕うのはやめて、いっそのこと、刈った薦が乱れるように、思い乱れて死んでしまったほうがよい。

〈2766〉三島江の入江の薦を刈り取るといいますが、あなたは、ほんのかりそめの気持ちで私を思っていたのですね。

〈2767〉山橘の赤い実のように、私ははっきりと顔に出して恋をしそうなのに、あなたは人目を気にするなんて。周りのことなど気にしないでください。
 
〈2768〉鶴が鳴く入江の白菅ではないが、恋しい胸のうちをあなたに知らせてくれるかのように人がひどく噂する。
 
〈2769〉あの方に恋い焦がれる私の気持は、刈り取っても刈り取っても生えてくる夏草のようなものです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2765の「刈り薦の」は「思ひ乱る」の枕詞。2766の「三島江」は、淀川下流の古称で、大阪府高槻市南部から下流、大阪市東淀川区東端のあたり。上2句は「刈りに」を導く序詞。2767の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山橘」は、ヤブコウジ。上2句は「色に出でて」を導く序詞。2768の上3句は「知らせむ」を導く序詞。

巻第11-2770~2774

2770
道の辺(へ)のいつ柴原(しばはら)のいつもいつも人の許さむ言(こと)をし待たむ
2771
我妹子(わぎもこ)が袖(そで)を頼みて真野(まの)の浦の小菅(こすげ)の笠を着ずて来にけり
2772
真野(まの)の池の小菅(こすげ)を笠に縫(ぬ)はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか
2773
さす竹の世隠(よごも)りてあれ我(わ)が背子(せこ)が我(わ)がりし来(こ)ずは我(あ)れ恋ひめやも
2774
神奈備(かむなび)の浅小竹原(あさしぬはら)のうるはしみ我(あ)が思(も)ふ君が声の箸(しる)けく
 

【意味】
〈2770〉道のほとりのいつ柴原、その柴原ではないが、いつまでもあなたが「はい」と言ってくれる返事を待とう。

〈2771〉いとしいあなたの袖があるからと、真野の浦の小菅で編んだ笠をかぶらずにやって来てしまった。

〈2772〉真野の池の小菅でまだ笠を編み上げてもいないように、まだ関係ができてもいないのに、人の浮名を遠くまで広げるなんていうことがあってよいものだろうか。

〈2773〉伸びている竹の節に隠れるように、人目につかない所に引っ込んでいてください。あなたが私の許へおいでにさえならなかったら、恋に苦しむことはないでしょうに。
 
〈2774〉神が降臨するという丈の低い篠原を敬愛するように、私が敬愛するあの方の声がよくとおって聞こえる。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2770の上2句は「いつもいつも」を導く序詞。「いつ柴原」の「いつ」は繁茂を示す接頭語。「柴原」は雑木林。2771の「我妹子が袖を頼みて」は、袖を枕にする共寝の意味を重ねており、「小菅の笠を着ずて」は、浮気をせず一途な気持ちで、の意味を込めています。「真野の浦」は、神戸市長田区西尻池町の南方にあった海辺。2773の「さす竹の」は「世」の枕詞。

 2774の上2句は「うるはしみ」を導く序詞。「神奈備」は、天から神が降りる山や森。「浅小竹原」は低い丈の篠原のこと。斎藤茂吉は、この歌の「我が思ふ君が声の箸けく」の句に感心すると言っています。自分の恋しく思う男の声が人なかにあってもはっきり聞こえてなつかしいというので、何でもないようだが、短歌のような短い抒情詩の中に、こう自由に気持ちを詠み込むのは難しいことなのに、万葉では平然として成し遂げている、と。

巻第11-2775~2779

2775
山高み谷辺(たにへ)に延(は)へる玉葛(たまかづら)絶ゆる時なく見むよしもがも
2776
道の辺(へ)の草を冬野に踏み枯らし我(あ)れ立ち待つと妹(いも)に告げこそ
2777
畳薦(たたみこも)隔(へだ)て編(あ)む数(かず)通(かよ)はさば道の芝草(しばくさ)生(お)ひずあらましを
2778
水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻(たまも)の生ひ出(い)でずよしこのころはかくて通はむ
2779
海原(うなはら)の沖つ縄海苔(なはのり)うち靡(なび)き心もしのに思ほゆるかも
 

【意味】
〈2775〉山が切り立っているので、谷の辺に這っている蔓草のように、途絶えることなく逢える方法があればよいのに。

〈2776〉道端の草を冬野の枯れ草になるほど踏みつけ、じっと立って待っていると、誰かあの子に告げてほしい。

〈2777〉畳にする薦を何度も何度も繰り返して編む。その編目の数ほどに、しげしげとお通い下さったならば、あなたの通う道に草が生い茂りはしなかったでしょうに。

〈2778〉水底に生える藻が水面に顔を出さないように、ままよ、当分はこのまま忍んで通うことにしよう。
 
〈2779〉海原の沖に生えている縄海苔がゆらゆら靡くように、私もあなたに靡き寄り、心がしおれるほどに恋しています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2775の上3句は「絶ゆる時なく」を導く序詞。「玉葛」の「玉」は美称。蔓草の総称。「もがも」は願望。2776の「こそ」は願望。2777の上2句は数の多いことの譬え。「畳薦」は、薦を編んだ敷物。「ましを」は反実仮想。畳を編む作業は同じ作業を幾度も繰り返す根気のいる仕事であり、その作業のように男が精魂込めて通ってくれなかったのを恨んでいます。

 2778の上2句は「生ひも出でず」を導く序詞。「生ひも出でず」は、伸びて水面に出ずの意で、人目を忍ぶことの比喩。2779の上2句は「うち靡き」を導く序詞。「縄海苔」は、縄状の細長い海藻。

巻第11-2780~2784

2780
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦の靡(なび)き藻(も)の心は妹(いも)に寄りにしものを
2781
海(わた)の底 奥(おき)を深めて生(お)ふる藻(も)のもとも今こそ恋はすべなき
2782
さ寝(ぬ)かにば誰(たれ)とも宿(ね)めど沖つ藻(も)の靡(なび)きし君が言(こと)待つ我(わ)れを
2783
我妹子(わぎもこ)が何とも我(わ)れを思はねば含(ふふ)める花の穂(ほ)に咲きぬべし
2784
隠(こも)りには恋ひて死ぬともみ園生(そのふ)の韓藍(からあゐ)の花の色に出でめやも
  

【意味】
〈2780〉名高の浦に揺れ靡く藻のように、心はすっかりあの子に靡き寄っている。

〈2781〉海底深く根を下ろして生える藻のように、根深く恋い焦がれ、今は何とも手の施しようがない。

〈2782〉寝ようと思えば誰とでも寝ましょうが、沖の藻が靡くように、いったんあなたに靡き寄ったあなたのお言葉だけをお待ちしている私です。

〈2783〉愛する人が私を何とも思ってくれないので、私の思いは、つぼんだ花の穂がぱっと咲きだしてしまいそうだ。

〈2784〉人に知られずひっそりと恋い焦がれて死んでしまっても、あなたのお庭の鶏頭の花の色のように、はっきりと顔に出したりいたしません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2780の上3句は「寄りにし」を導く序詞。「紫の」は「名高」の枕詞。「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の海。2781の上3句は「もとも」を導く序詞。「もとも」は、非常に、最も。「すべなき」は、どうしようもない。

 2782の「沖つ藻の」は「靡く」の枕詞。この歌について、斎藤茂吉は次のように言っています。「なかなか複雑している内容だが、それを事も無げに詠みおおせているのは、大体そのころの男女の会話に近いものであったためでもあろうが、それにしても吾等にはこうは自由に詠みこなすことができない」

 2783の「含める花」は、つぼんだ花。「含む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語です。「穂に咲きぬ」は、人目につくようになる比喩。2784の「隠りには」は、ひそかには。「韓藍の花」は、原文「鶏冠草花」で、鶏頭の花のこと。

巻第11-2785~2789

2785
咲く花は過ぐる時あれど我(あ)が恋ふる心のうちはやむ時もなし
2786
山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿(すがた)夢(いめ)に見えつつ
2787
天地(あめつち)の寄り合ひの極(きは)み玉の緒(を)の絶(た)えじと思ふ妹(いも)があたり見つ
2788
息(いき)の緒(を)に思へば苦し玉の緒(を)の絶えて乱れな知らば知るとも
2789
玉の緒(を)の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみそまたも逢はずして
 

【意味】
〈2785〉咲く花はいずれ散って消える時がくるけれど、私が恋い焦がれる心のうちはやむ時もありません。

〈2786〉山吹の花のように美しい顔色のあの子の、はねず色の赤裳を着けた姿が、夢に見えてきて。

〈2787〉天と地が寄り合って一つになる果てまでも、玉を貫く緒の絶えることがないように、仲は絶えまいと思っている子の家のあたりを見た。

〈2788〉命がけで思っていると苦しくてたまらない。いっそ玉の緒が切れて玉が乱れ散るように私も乱れたい。人に知られようとも。
 
〈2789〉玉の緒が切れるように絶えていた恋しさが、また乱れて抑えきれなくなったなら、死ぬよりほかに道はない。二度と逢うこともなく。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2785の「過ぐ」は、散る意。2786の「山吹の」は「にほふ」の枕詞。「にほへる」は、美しい色をしている。「はねず」は庭梅で、薄い紅色。2787の「天地の寄り合ひの極み」は、天と地が寄り合って一つになるその果てまで。未来永劫の彼方までの意。「玉の緒の」は「絶え」の枕詞。2788の「息の緒に」は、命の続く限り、命を懸けて。「乱れな」の「な」は、願望。2789の「玉の緒の」は「絶え」の枕詞。女が、関係の絶えてしまった男に、最後に贈った歌です。

巻第11-2790~2793

2790
玉の緒(を)のくくり寄せつつ末(すゑ)つひに行きは別れず同じ緒(を)にあらむ
2791
片糸(かたいと)もち貫(ぬ)きたる玉の緒(を)を弱み乱れやしなむ人の知るべく
2792
玉の緒(を)の現(うつ)し心(ごころ)や年月(としつき)の行きかはるまで妹(いも)に逢はずあらむ
2793
玉の緒(を)の間(あひだ)も置かず見まく欲(ほ)り我(あ)が思ふ妹(いも)は家遠くありて
 

【意味】
〈2790〉玉の緒の両端を結び合わせるように、最後まで離れず、同じ一つの緒のような仲になっていましょう。

〈2791〉一本の糸で玉を貫いた緒が弱くて切れて乱れるように、私の思いの弱さで心が乱れてしまうのではなかろうか、人に知られるほどに。

〈2792〉命のある正気な心で、年月のあらたまるまでの間、彼女に逢わずにいられるだろうか、いられはしない。

〈2793〉連なる玉の緒の玉のように、間もなく絶えず逢っていたいあの子は、家が遠くにあって。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2791の「片糸」は、縒り合せる前の糸。2792の「玉の緒の」は「現し心」の枕詞。「現し心」は、正気、平常心。2793の「玉の緒の」は「間」の枕詞。

巻第11-2794~2798

2794
こもりづの沢たづみなる石根(いはね)ゆも通しておもふ君に逢はまくは
2795
紀(き)の国の飽等(あくら)の浜の忘れ貝 我(わ)れは忘れじ年は経(へ)ぬとも
2796
水くくる玉に交じれる磯貝(いそかひ)の片恋ひのみに年は経(へ)につつ
2797
住吉(すみのえ)の浜に寄るといふうつせ貝 実(み)なき言(こと)もち我(あ)れ恋ひめやも
2798
伊勢の海人(あま)の朝な夕なに潜(かづ)くとふ鮑(あはび)の貝の片思(かたもひ)にして
  

【意味】
〈2794〉隠れた水、沢にこもり涌く水が石根を通し流れるように、ずっと思っています、あなたに逢うまでは。

〈2795〉紀伊の国の飽等の浜の忘れ貝、その名のようにあなたを忘れたりはしません、幾年経っても。

〈2796〉水中にひそむ玉に混じった磯貝のように、私は片思いをするばかりで年は過ぎていく。

〈2797〉住吉の浜に打ち上げられるうつせ貝のように、実のない言葉なんかで恋したりするものですか。
 
〈2798〉伊勢の漁師が、朝に夕べに潜ってはとるという、鮑のような片思いです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2794の「こもりづ」は人目につかない所にある水。「沢たづみ」は沢に湧き出す水。「石根」は岩。

 2795~2798は貝に寄せての歌。2795の「飽等の浜」は所在未詳。「忘れ貝」は二枚貝の片方だけになった貝殻。2796の上3句は「片恋ひ」を導く序詞。「水くくる」は、水中に潜む意。2797の上3句は「実なき」を導く序詞。「うつせ貝」は、中身が空になった貝。2798の上4句は「片思」を導く序詞。

巻第11-2799~2803

2799
人言(ひとごと)を繁(しげ)みと君を鶉(うづら)鳴く人の古家(ふるへ)に語らひて遣(や)りつ
2800
暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなりよしゑやしひとり寝(ぬ)る夜(よ)は明けば明けぬとも
2801
大海(おほうみ)の荒礒(ありそ)の洲鳥(すどり)朝(あさ)な朝(さ)な見まく欲(ほ)しきを見えぬ君かも
2802
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々(ながなが)し夜(よ)をひとりかも寝む
2803
里中(さとなか)に鳴くなる鶏(かけ)の呼び立てていたくは泣かぬ隠(こも)り妻(づま)はも
  

【意味】
〈2799〉人の噂がうるさいので、鶉が鳴く古い空き家のようなところで語らい、お帰ししました。

〈2800〉もう夜明けだと、鶏が鳴いて知らせる声がする。もうどうでもいい、一人寝の夜なんか明けるなら明けたってかまわない。

〈2801〉大海の荒磯に毎朝やってくる水鳥たちのように、毎朝毎朝お顔を見たいと思っているのに、一向にやって来ない、あなたは。
 
〈2802〉焦がれまい焦がれまいと思うのに、やっぱり恋しくてならない。あの山鳥の尾のように長い長い独り寝の夜は。

〈2803〉里の中でけたたましく鳴く鶏のように、声を張り上げて激しく泣くことはない、あの隠れ妻は。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2799の「鶉鳴く」は「人の古家」の枕詞。「磯のアワビの片想い」の語源は「伊勢のアワビの片想い」だったのでしょうか。いずれにしても、この時代から「片想い」という言葉があったようです。2801の上2句は「朝な朝な」を導く序詞。

 2802の「あしひきの」は「山鳥」の枕詞。上3句は「長々し」を導く序詞。なおこの歌は「思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を」の或る本の歌に曰くとある歌で、また『小倉百人一首』には柿本人麻呂作として載っています。なぜ人麻呂作にすり替わったのか、詳しいことは分かっていませんが、藤原公任が編纂に関わった『拾遺集』に人麻呂の歌として入集したのがきっかけのようです。「あしひきの・・・」の序詞で有名になった歌ですが、斎藤茂吉によれば、「この程度の序詞ならば万葉にかなり多い」ということです。

 2803の上2句は「呼び立てていたく泣く」を導く序詞。「隠り妻」は、関係を秘密にしている妻で、当時はむしろ普通のありようでした。

巻第11-2804~2808

2804
高山に高部(たかべ)さ渡り高々(たかたか)に我(あ)が待つ君を待ち出(い)でむかも
2805
伊勢の海ゆ鳴き来る鶴(たづ)の音(おと)どろも君が聞こさば我(あ)れ恋ひめやも
2806
我妹子(わぎもこ)に恋ふれにかあらむ沖に棲(す)む鴨(かも)の浮寝(うきね)の安けくもなし
2807
明けぬべく千鳥(ちどり)しば鳴く白栲(しろたへ)の君が手枕(たまくら)いまだ飽(あ)かなくに
 

【意味】
〈2804〉高い山を高部が高々と渡っていくように、高々と爪立つ思いで、私が待っているあの方だけど、はたして待ち受けて逢えるだろうか。

〈2805〉伊勢の海から鳴きながら飛んでくる鶴の声のように、音沙汰だけでもあなたが下されば、私はこんなにも恋い焦がれるでしょうか。

〈2806〉あの子に恋い焦がれているからだろうか、沖に棲む鴨が波に浮かんで寝るように、気持ちが揺れ動いて少しも落ち着かない。

〈2807〉夜が明けそうに、多くの鳥がしきりに鳴き立てている。あなたの手枕にまだ満足していないのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2804の「高部」は小鴨の一種。「さ渡り」の「さ」は接頭語。「高々に」は、爪先立って待ち望むさま。2805の上2句は「音どろ」を導く序詞。「音どろ」の語義未詳ながら、前後から「音沙汰」と解釈。2807の「千鳥」は多くの鳥。「白栲の」は「手枕」の枕詞。

巻第11-2808~2811

2808
眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来(こ)し我(あ)れを
2809
今日(けふ)なれば鼻ひ鼻ひし眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり
2810
音のみを聞きてや恋ひむまそ鏡(かがみ)直目(ただめ)に逢ひて恋ひまくもいたく
2811
この言(こと)を聞かむとならしまそ鏡(かがみ)照れる月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見つ
  

【意味】
〈2808〉眉を掻き、くしゃみをして、紐を解いて待っていてくれたんですか、早く逢いたいと恋しく思ってやって来た私を。

〈2809〉今日は何だか、鼻がむずむずして、くしゃみが出て、眉が痒い、と思ったら、あなたに逢える前兆だったんですね。

〈2810〉いっそ噂だけを聞いて恋い焦がれていよう。じかに逢って恋に落ちるとつらいので。

〈2811〉あなたのそのお言葉を聞かされるためだったのでしょう。月夜も闇と思ってあなたのことはあきらめていました。

【説明】
 問答歌。2808は、恋人のもとを訪れた男の歌、2809はそれに答えた女の歌。「鼻ふ」は、くしゃみをすること。当時の習俗を知らないと理解できない歌であり、万葉人は、恋人が強く思ってくれると眉が痒くなる、さらにはくしゃみが出る、また、逢いたいなあと思い続けると相手の下着の紐がほどけると考えていました。それを逆手にとって、恋人に逢いたいと思うとき、眉を掻き、わざとくしゃみをし、紐をほどく、そうすると相手がやってくると、おまじないをかけていました。ここの問答は、そうしたことを題材に歌っています。

 2810は男の歌、2811はそれに答えた女の歌。2810の「まそ鏡」は「直目に逢ふ」の枕詞。「直目に」は原文では「目直」となっており、「直目」の誤写とする説や、そのまま「目に直にあひて」と訓むものもあります。目で直接に、の意。2811の「この言」は、男が詠んだ2810の歌を指します。「まそ鏡」は「照る」の枕詞。

巻第11-2812~2815

2812
我妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲(しろたへ)の袖(そで)返ししは夢(いめ)に見えきや
2813
我(わ)が背子(せこ)が袖(そで)返す夜(よ)の夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし
2814
我(あ)が恋は慰めかねつま日(け)長く夢(いめ)に見えずて年の経(へ)ぬれば
2815
ま日(け)長く夢(いめ)にも見えず絶えぬとも我(あ)が片恋(かたこひ)はやむ時もあらじ
 

【意味】
〈2812〉あなたが恋しくてどうしようもなく、真っ白な袖を折り返して寝ましたが、私の姿はあなたの夢に見えたでしょうか。

〈2813〉あなたが袖を返して寝た、その夜に私が見た夢だったのですね。あなたにじかにお逢いしているようでした。

〈2814〉私の恋は慰めようがありません。来る日も来る日も夢にさえ見えてくれないまま年が経ってしまったので。

〈2815〉来る日も来る日も夢にさえも見えず、たとえ二人の仲が絶えようとも、私のこの片思いは止むときもありません。

【説明】
 問答歌。2812は男の歌、2813はそれに答えた女の歌。2812の「白栲の」は「袖」の枕詞。袖を折り返して寝ると、思う人の夢が見られると信じられていたようです。2813の「夢ならし」は、夢であったに違いない。

 2814は男の歌、2815はそれに答えた女の歌。「ま日長く」の「ま」は接頭語。関係の絶えた女に、男が未練がましく恨んだのに対し、女は、男の恨みの語を自身の恨みの語として恋慕の情を訴えています。

巻第11-2816~2819

2816
うらぶれて物な思ひそ天雲(あまくも)のたゆたふ心 我(あ)が思はなくに
2817
うらぶれて物は思はじ水無瀬川(みなせがは)ありても水は行くといふものを
2818
かきつはた佐紀沼(さきぬ)の菅(すげ)を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
2819
おしてる難波(なには)菅笠(すががさ)置き古し後は誰(た)が着む笠ならなくに
  

【意味】
〈2816〉しょんぼりと物思いなんかしないでおくれ。私の心は、空の雲のように揺れ動いたりはしないのだから。

〈2817〉しょんぼりと物思いなどいたしません。水無川であっても、人目につかない底にはずっと水が流れるといいますもの。

〈2818〉杜若(かきつばた)が咲いている佐紀沼の菅を、笠に縫って着る日を待っているうち、ずいぶん年が経ってしまった。

〈2819〉難波の菅笠を、古くなるまで放っておいたところで、後にあなた以外の誰かが使う笠だというわけでもないのに。

【説明】
 問答歌。2816は男の歌、2817はそれに答えた女の歌。2816の「天雲の」は「たゆたふ」の枕詞。2817の「水無瀬川」は、水のない川。表面には見えない伏流水が流れます。

 2818は男の歌、2819はそれに答えた女の歌。2818の「かきつはた」は「佐紀沼」の枕詞。「佐紀沼(池)」については、『日本書紀』には、同じ読み方をする「狭城池」をつくったという話が出てきます。平城京の北の外れにある水上池(みずがみいけ)だとする説もあります。「菅を笠に縫ふ」は、女と関係することの比喩。2819は、菅笠(私)を置き古しなどせずに、あなたが早く使ってほしい、と言っています。「おしてる」は「難波」の枕詞。

 『万葉集』に「佐紀」と詠まれた場所は、現在の奈良市佐紀町に、二条町、山陵(みささぎ)町なども含めた広い地域だったと考えられています。「佐紀沼」や「佐紀沢」とあることから、沼や沢の多い場所だったようです。また、『万葉集』の歌に頻繁に出てくる菅や葛といった植物が、古代にはみそぎに関係があったのか、人々の生活に相当深い関係を持っていたことが窺えます。 

巻第11-2820~2823

2820
かくだにも妹(いも)を待ちなむさ夜(よ)更けて出(い)で来(こ)し月のかたぶくまでに
2821
木(こ)の間より移ろふ月の影(かげ)を惜(を)しみ立ち廻(もとほ)るにさ夜更けにけり
2822
栲領巾(たくひれ)の白浜波(しらはまなみ)の寄りもあへず荒ぶる妹(いも)に恋ひつつそ居(を)る [一云 恋ふるころかも]
2823
かへらまに君こそ我(わ)れに栲領巾(たくひれ)の白浜波(しらはまなみ)の寄る時もなき
  

【意味】
〈2820〉こんなにもじらされてあなたを待つことになるなんて。夜が更けて出てきた月が傾く頃になってしまった。

〈2821〉木の間がくれに移って行く月の光に見とれて、あちこち歩き回っているうちに、すっかり夜が更けてしまった。

〈2822〉白い浜辺に打ち寄せる波のようには、そばに近寄れもしないほどに情愛の薄いあなたですけれど、今も恋い焦がれています。(恋い焦がれているこのごろです)

〈2823〉いいえ、あなたの方こそ、白浜に打ち寄せる波のようには、私に近寄ってくれる時はないではありませんか。

【説明】
 問答歌。2820は男の歌で、戸外で待ち合わせをする約束をしていた女が来るのを待ちくたびれています。2821の「立ち廻る」は、徘徊する。この歌は明らかに月を鑑賞する歌であり、女の歌というより男の歌とみえます。2820の歌とは関係がないのを、強いて答歌として並べたものとみられます。

 2822は男の歌、2823はそれに答えた女の歌。2822の「栲領巾の」は「白浜波」の枕詞。「栲領巾」は、楮(こうぞ)の繊維で作った白く細い布で、女性が装飾用として肩に掛けていました。ここでは海岸に打ち寄せる白い波のようすを栲領巾に譬えています。「荒ぶる」は、気が荒い、機嫌が悪くて荒れている。2822の上2句は「寄る」を導く序詞。2823の「かへらまに」は、かえって、反対に。

巻第11-2824~2828

2824
思ふ人来(こ)むと知りせば八重葎(やへむぐら)覆(おほ)へる庭に玉(たま)敷(し)かましを
2825
玉敷ける家も何せむ八重葎(やへむぐら)覆(おほ)へる小屋(をや)も妹(いも)と居(を)りせば
2826
かくしつつあり慰めて玉の緒(を)の絶えて別ればすべなかるべし
2827
紅(くれなゐ)の花にしあらば衣手(ころもで)に染(そ)め付け持ちて行くべく思ほゆ
2828
紅(くれなゐ)の深染(ふかそ)めの衣(きぬ)を下に着ば人の見らくににほひ出(い)でむかも
  

【意味】
〈2824〉あなたがおいでになると知っていましたら、雑草に覆われた庭をきれいにし、玉を敷いてお待ちしましたのに。

〈2825〉玉を敷いた家が何になろうか、おまえとさえいれば、たとえ八重むぐらの生い茂った小屋でもいいのだ。

〈2826〉こうしていつもそばにいて慰められているけれど、仲が途絶えて別れたらどんなにやるせないことでしょう。

〈2827〉もしもあなたが紅の花であったなら、着物の袖に染め付けて持ち歩きたいほどに思っている。

〈2828〉紅に色濃く染めた着物を内に着たら、人が見た時に色が透けて見えるだろうか。

【説明】
 2827まで問答歌。2824は女の歌、2825はそれに答えた男の歌。2824の「八重葎」は、幾重にも茂っている蔓草。「玉」は、美しい小石。小石を敷くのは貴人を迎える時の礼とされていました。「~せば~まし」は、反実仮想。もし~だったならば~だろう。2825の「何せむ」は、何になろうか。

 2826は女の歌、2827はそれに答えた男の歌。2826の「かくしつつ」は、このようにしつつ。「玉の緒の」は「絶ゆ」の枕詞。「すべなかるべし」は、やるせないことだろう。2827の「紅」は、べに花。「花にしあらば」の「し」は、強意。

 2828は「衣に寄せて」思いを譬えた歌。「紅の濃染めの衣」は、美しい女の比喩。「下に着る」は、下着として来たならばの意で、女とひそかに契りを結ぶことを譬えています。「にほひ出でむかも」は、自分の様子が外に現れようか、の譬え。

巻第11-2829~2832

2829
衣(ころも)しも多くあらなむ取り替(か)へて着ればや君が面(おも)忘れたる
2830
梓弓(あずさゆみ)弓束(ゆづか)巻き替へ中見(なかみ)さし更(さら)に引くとも君がまにまに
2831
みさご居(ゐ)る洲(す)にゐる船の夕潮(ゆふしほ)を待つらむよりは我(わ)こそまされ
2832
山川に筌(うへ)をし伏せて守りあへず年の八年(やとせ)を我がぬすまひし
  

【意味】
〈2829〉着物は多くありたいものですが、取り替えて着れば、あなたの顔を忘れていられましょうか。

〈2830〉梓弓の弓束を新しく巻き替えておきながら、古い弓に中見をさして、もう一度引こうというのなら、どうぞご勝手に。
 
〈2831〉ミサゴの棲む洲に取り残されている舟が、夕方の満ち潮をひたすら待っているけれど、それより私があなたを待つ思いの方がもっともっと強いです。

〈2832〉山川に筌を仕掛け、番をしていても守りきれない。それと同じに、あの娘を8年間もこっそりと横取りしてきたぜ。

【説明】
 2829は「衣に寄せて」思いを譬えた歌。「あらなむ」の「なむ」は願望。「面忘れ」は、顔を忘れる意。夫に対する満たされない恋に悩む女の歌で、着物を取り換えて着たら、気分が変わって、顔を忘れることができるだろうかと言っています。

 2830は「弓に寄せて」思いを喩えた歌。上2句は、新しい女に乗り替えておきながら、の意で、「さらに引く」は、元の女を再び誘う、の意。「梓弓」は神聖な梓の木で作った弓。「中見さし」の語義未詳。2831は「船に寄せて」思いを譬えた女の歌で、洲に乗り上げて満潮を待つ船を、夫を待つのに対比しています。

 2832は「魚に寄せて」思いを譬えた歌。「山川」は、山中を流れる川。「筌」は、竹で作った川の流れの中に仕掛ける筒状の道具で、捕まった魚が逃げないように細工されています。「ぬすまひし」は、盗み続けてきた。母親または夫が守り続けた娘をずっと盗み続けてきたといって得意になっている男の歌で、まあ、8年というからには、やはり相手は人妻だったのでしょう。油断のならないことを言っている歌です。

巻第11-2833~2836

2833
葦鴨(あしがも)のすだく池水(いけみづ)溢(はふ)るとも設溝(まけみぞ)の辺(へ)に我(わ)れ越えめやも
2834
大和(やまと)の室生(むろふ)の毛桃(けもも)本(もと)繁(しげ)く言ひてしものをならずはやまじ
2835
ま葛(くず)延(は)ふ小野(をの)の浅茅(あさぢ)を心ゆも人引かめやも我(わ)がなけなくに
2836
三島菅(みしますげ)いまだ苗(なへ)なり時(とき)待たば着ずやなりなむ三島菅笠(みしますげかさ)
 

【意味】
〈2833〉葦鴨の群がり騒いで池の水があふれ出るようなことになっても、別に設けた溝に越えて行くなどということがあろうか。

〈2834〉大和の室生の毛桃、その根元がよく茂っているように、しげしげとあの子に言い寄ったものを、実らせずにおくものか。

〈2835〉葛が這っている浅茅を、本気になって引き抜こうとする人があろうか、私という者がいるのに。

〈2836〉三島の菅はまだ苗だ。といっても菅笠に編む時まで待っていたら、身に着けずに終わってしまわないか、その三島の菅笠を。

【説明】
 2833は「水に寄せて」思いを譬えた歌。「葦鴨」は、葦辺に群れている鴨。「すだく」は、多く集まる。「設溝」は、あふれる水を流し出すために掘った溝。他の女には心を移さないことに喩えて言っています。2834は「果実に寄せて」思いを譬えた歌。上2句は「本繁く」を導く序詞。「大和の室生」は、奈良県宇陀市室生。「毛桃」は、果皮に毛の多い桃で、女の譬え。

 2835・2836は「草に寄せて」思いを譬えた歌。2835の「ま葛延ふ」の「ま」は美称で、「野」の枕詞。「心ゆ」は、心の底から。「やも」は反語。2836の「三島」は、大阪府高槻市南部。笠を着るのは、結婚することの比喩。

 

巻第11-2837~2840

2837
み吉野の水隈(みぐま)が菅(すげ)を編(あ)まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや
2838
川上(かはかみ)に洗ふ若菜(わかな)の流れ来て妹(いも)があたりの瀬にこそ寄らめ
2839
かくしてやなほや守らむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の社(もり)の標(しめ)にあらなくに
2840
いくばくも降らぬ雨ゆゑわが背子(せこ)がみ名のここだく滝もとどろに
  

【意味】
〈2837〉吉野の川隅に生える菅を、笠に編みもしないのに刈るだけ刈って、散らかしっぱなしにしておくつもりですか。

〈2838〉川上で洗っている若菜が流れていって、彼女の住む家のそばの瀬に寄ってくれないかな。

〈2839〉こんなにまでして、なおこの上もその人を見守っているのあろうか、大荒木の浮田の社の杜につけた標ではないのに。
 
〈2840〉大して降らない雨なのに、あの方に立てられた浮名はまるで滝がとどろくように激しい。

【説明】
 2837・2838は「草に寄せて」思いを譬えた歌。2837は、女が自分を「水隅が菅」に喩え、結婚もしていないのに(編まなくに)、関係だけ結んで(刈りのみ刈りて)ほったらかしにしている男のことをなじっています。2838は、男の家も女の家も同じ川に臨んでおり、上流のほうに住む男は、川を流れて行く若菜を見て、それに自身を連想し、同じように流れて行って女の家の辺りの瀬に寄りたいと言っています。

 2839は「標に寄せて」思いを譬えた歌。「大荒木の浮田の杜」は奈良県五條市今井にある荒木神社。「標」は社を守っている標縄。恋する女を、甲斐なく見守り続けていることを嘆いている男の歌です。2840は「滝に寄せて」思いを譬えた歌。「いくばくも降らぬ雨ゆゑ」は、まだ二人の逢瀬が多くないことを喩えています。「ここだく」は、甚だしく。「とどろに」は、轟くほどに。 

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

各巻の概要

【巻第一】
 雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
【巻第二】
 仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様に部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
【巻第三】
 巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 
【巻第四】
 巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
【巻第五】
 巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
【巻第六】
 巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
【巻第七】
 雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいるため、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
【巻第八】
 四季に分類された雑歌と相聞歌。舒明朝~天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
【巻第九】
 おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立て。
 
【巻第十】
 巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
【巻第十一】
 『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十ニ】
 「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十三】
 作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
【巻第十四】
 主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
【巻第十五】
 物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
【巻第十六】
 巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
【巻第十七~二十】
 巻第十七~二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。

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