本文へスキップ

万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第11)~その3

巻第11-2750~2754

2750
吾妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうまし物(もの)阿倍橘(あへたちばな)の苔(こけ)生(む)すまでに
2751
あぢの住む渚沙(すさ)の入江の荒磯松(ありそまつ)我(あ)を待つ児(こ)らはただ一人のみ
2752
吾妹子(わぎもこ)を聞き都賀野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ)吾(あ)は忍びえず間(ま)なくし思へば
2753
波の間(ま)ゆ見ゆる小島(こしま)の浜久木(はまひさぎ)久しくなりぬ君に逢はずして
2754
朝柏(あさかしは)潤八河辺(うるやかはへ)の小竹(しの)の芽の偲(しの)ひて寝(ぬ)れば夢(いめ)に見えけり
  

【意味】
〈2750〉私の愛しい人に、長い間逢えないでいる。味の良い阿倍橘の木に苔が生えるほどに。

〈2751〉アジガモが住んでいる渚沙の入江の荒磯松のように、私を待っている人はただ一人だけです。

〈2752〉妻のことを聞き継ぎたい、その都賀野の野辺にしなう合歓木のように、私は忍びこらえることができない、絶え間なく思っているので。

〈2753〉波間から見える小島の浜久木、その名のように随分久しくなりました、あなたにお逢いしないままに。

〈2754〉潤八川の川辺に生える小竹の芽ではないけれど、あの人を偲んで寝たら、その姿が夢に見えました。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2750の「うまし物の」は、味のうまい物。「阿倍橘」は、橙(だいだい)の実がなる樹木で、薬用・食用にされていました。「阿倍」は駿河国の地名で、名産として冠したものとされます。「苔むす」は、長い年月を表す言葉。久しい時間の譬喩として木に苔生すという表現は多くの用例があります。以下4首は、木に寄せての歌。

 2751の「あぢ」は、アジガモ。上3句は「待つ」を導く序詞。「渚沙の入江」は、愛知県知多郡南知多町の須佐湾とも、和歌山県有田郡の須佐郷(現在の有田市)とも言われます。「荒磯松」は、海岸の岩の上に生えている松。上3句は、マツの同音反復により「我を待つ」を導く序詞。妻以外に思う女のいないことを、妻の方を主格として言っています。

 2752の「吾妹子を聞き」の7音は、聞き継ぐ意で「都賀野」を導く序詞。「都賀野」は、所在未詳。「しなひ」は、木の枝が重みで垂れ下がること。「合歓木」は、初夏に細い糸を集めたような淡紅色の花が咲き、夜になると葉が合わさって閉じ、眠るように見えることから「ねむ」と呼ばれました。中国では夫婦円満の象徴の木とされ、名前には「男女の営みを歓び合う」意が込められており、『万葉集』の原文表記もそれに従っています。3句までが、シナヒとシノビとの類音反復で「忍びえず」を導く二重の序詞になっています。一方、「しなひ」の原文「靡」をナビキ、「忍びえず」の原文「隠不得」をコモリエズと訓み、ナビキは、葉が夜に合わさることを靡き寄るに言い換えたものであり、葉のしぼむ意をコモリと異語同義で続けて序詞にしたとする見方があります。

 2753の「波の間ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「浜久木」は、浜に立つ久木で、久木はアカメガシワの古名とされますが、キササゲとも柴の類とも言われ、未詳。上3句は「久しく」を導く同音反復式序詞で、眼前の実景を捉えたものでもあります。この歌は、『伊勢物語』に「浪間より見ゆる小島の浜びさし久しくなりぬ君に相見で」として載せられています。

 2754は、小竹に寄せての歌。「朝柏」は、朝の柏が潤う意で「潤八川」にかかる枕詞。「潤八川」は、所在未詳ながら、静岡県富士宮市と富士市を流れる潤井川ではないかとする説があります。上3句は、シノの同音反復で「偲ひて」を導く序詞。「偲ひて」は、恋い慕って。人麻呂歌集の「秋柏潤和川辺の小竹の芽の人には忍び君に堪へなくに」(2478)に倣って作った歌とされ、窪田空穂は、「原歌の豊かな気分を、平明な抒情に変えたもの」と評しています。

巻第11-2755~2759

2755
浅茅原(あさぢはら)刈(か)り標(しめ)さして空言(むなごと)も寄そりし君が言(こと)をし待たむ
2756
月草の仮(か)れる命(いのち)にある人をいかに知りてか後(のち)も逢はむと言ふ
2757
大君(おほきみ)の御笠(みかさ)に縫(ぬ)へる有間菅(ありますげ)ありつつ見れど事なき吾妹(わぎも)
2758
菅(すが)の根のねもころ妹(いも)に恋ふるにしますらを心(ごころ)思ほえぬかも
2759
吾(わ)が宿の穂蓼(ほたで)古幹(ふるから)摘み生(お)ほし実になるまでに君をし待たむ
   

【意味】
〈2755〉浅茅原に草刈りの標を立てるような、空しい嘘でもよいから、私との噂が立ってしまったあなたからの直接の言葉をお待ちします。

〈2756〉露草の花のようにかりそめの命である人の身を、どのように思っていて、いずれ逢いましょうとおっしゃるのか。

〈2757〉大君の御笠にと編んでいるみごとな有馬の菅、その名のようにありのままずっとあなたを見続けているが、申し分のないあの子だ。

〈2758〉心の底から妻のこと恋しく思っているので、私は立派な男子らしい心がなくなってしまった。

〈2759〉我が家の庭の穂になった蓼の古い茎、その実をを摘んで蒔いて育て、やがてまた実になるまで、私はあの人を待っています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2755の「浅茅原」は、草丈の低い茅原。「刈り標さして」は、刈り場所としての標をして。上2句は、茅は刈り草としての価値がなく、わざわざ標をする必要のない物であるから、譬喩として「空言(実のない言葉)」を導く序詞。「寄そりし」は、関係があると噂された。あるいは、仲介する人によって取り持ちされた意と解するものもあります。あてのない男心を頼りにする女性の気持ちを詠む歌です。以下23首は、草に寄せての歌。

 2756の「月草」は、夏に藍色の花を咲かせるツユクサで、布を染めるのに使われました。「月草の」は、その色がさめ易いことから「仮れる」にかかる枕詞。「仮れる命」は「仮合の身」のことで、人はこの世に仮の姿・仮の命で生まれてきているという仏教の考え。「いかに知りてか」は、どのように思ってのことか。男女どちらの歌とも取れますが、求婚した女から、いずれと婉曲に断られたのに対し不満を言っている男の歌とされます。

 2757の「有間菅」は、摂津国の有馬(今の神戸市・三田市)で産する菅。名産として御料としての貢物になっていたとされます。上3句は「ありつつ」を導く同音反復式序詞。「ありつつ見れど」は、見続けているが。「事なき」は、非難すべき点がない。窪田空穂は、「永らく見続けていても、非難すべき点がないということは、夫として妻を褒めるには最上の語である」と述べています。

 2758の「菅の根の」は、ネの同音で「ねもころ」にかかる枕詞。「ねもころ」は、ねんごろに、心を込めて、の意。「恋ふるにし」の「し」は、強意。「ますらを心」は、立派な男子らしい心。恋に心を奪われている男の嘆きの歌。2759の「宿」は、家の敷地、庭先。「穂蓼」は、穂を出した蓼。「古幹」は古い茎。「摘み生し」は、実を摘んで、蒔いて生やして。「実になる」には、結婚の成就の意が込められているようです。上4句は久しい間の譬えであり、夫に疎遠にされている妻の、いつまでも夫を待っていようという心の歌です。

巻第11-2760~2764

2760
あしひきの山沢(やまさは)回具(ゑぐ)を採(つ)みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも
2761
奥山の岩本菅(いはもとすげ)の根(ね)深くも思ほゆるかも吾(あ)が思ひ妻(づま)は
2762
蘆垣(あしがき)の中の似児草(にこぐさ)にこよかに我と笑(ゑ)まして人に知らゆな
2763
紅(くれなゐ)の浅葉(あさは)の野らに刈る草(かや)の束(つか)の間(あひだ)も吾(あ)を忘らすな
2764
妹(いも)がため命(いのち)残せり刈り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを
   

【意味】
〈2760〉山沢に生えている回具を採みにいく日にだけでも逢ってください、たとえ母に叱られても。

〈2761〉奥山の岩の根元に生える山菅が地に根深く食い込んでいるように、心の底に深く食い込んで離れない、我が思う妻は。

〈2762〉私と一緒に、こうしてにこにこしていらしゃるところを、人に知られたくありません。

〈2763〉浅葉の野で刈る萱(かや)の、その束の間も私のことを忘れないで下さいね。

〈2764〉あなたを悲しませないために命を残しているのです。刈った薦の乱れるように、悩み苦しんで今にも死にそうなのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2760の「あしひきの」は「山」の枕詞。「回具(ゑぐ)」は、黒グワイとするのが有力ですが、ほかに芹(せり)・クワイ・オモダカではないかとする説があります。黒グワイは、池や沼など底が浅く泥になっているところに生え、太目のイグサのような姿をしています。根茎を食用にし、掘るのは一般に女の仕事でした。「日だにも」は、せめてその日だけでも。男が女に訴えた歌で、女が男と関係したことを母親に叱られて逢えなくなり、えぐを摘みに行く日を好機会捉えて言ったものとされますが、女の立場の歌とする見方もあります。

 2761の「岩本菅」は、岩の根元に生えている菅。上2句は、その根が深いところから「根深く」を導く譬喩式序詞。「根深くも」は、心深く、心の底から。「思ひ妻」は、愛している妻。一方的にこちらが思っている妻というのではなく、互いに深く愛し合っている場合の言い方です。旅に出ている夫から妻に贈った歌と見られます。

 2762の「似児草」は、葉や茎の柔らかい草の意味。ここでは垣根の材料として蘆と共に刈り取られ、混ぜ込まれている草のようです。箱根草(箱根シダ)とする説がありますが、確かではありません。上2句は「に」の同音反復で「にこよか」に続く序詞。関係を結んだ男に秘密が漏れぬようにと告げた女の歌とされます。斎藤茂吉は「身体的に直接なめずらしい歌である」と言っており、また後に、大伴坂上郎女がこの歌を模倣して「青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな」(巻第4-688)という歌を作っています。

 2763の「紅の」は、その色の浅い意で「浅葉」にかかる枕詞。「浅葉」の語義は未詳ながら、紅色が浅い葉の意、あるいは地名ともいわれます。「野ら」の「ら」は、接尾語。上3句は「束の間」を導く譬喩式序詞。「束」は長さの単位で、拳の幅。それを短い間の意にしたもの。女が男に訴えた歌であり、窪田空穂は、「一般性をもった心を素朴に詠んだものであるが、『紅の浅葉の野ら』は語が美しく、全体に明るい気分をもった歌である」と評しています。2764の「刈り薦の」は「思ひ乱る」の比喩的枕詞。片恋の苦しさに嘆く男が、女に訴えた歌とされます。

巻第11-2765~2769

2765
吾妹子(わぎもこ)に恋つつあらずは刈り薦(こも)の思ひ乱れて死ぬべきものを
2766
三島江(みしまえ)の入江の薦(こも)を刈りにこそ吾(われ)をば君は思ひたりけれ
2767
あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でて吾(あ)は恋(こひ)なむを人目(ひとめ)難(かた)みすな
2768
葦鶴(あしたづ)の騒く入江の白菅(しらすげ)の知らせむためと言痛(こちた)かるかも
2769
吾(わ)が背子(せこ)に吾(あ)が恋ふらくは夏草の刈り除(そ)くれども生(お)ひ及(し)くごとし
 

【意味】
〈2765〉いとしいあの子をいつまでも恋い慕うのはやめて、いっそのこと、刈った薦が乱れるように、思い乱れて死んでしまったほうがよい。

〈2766〉三島江の入江の薦を刈り取るといいますが、あなたは、ほんのかりそめの気持ちで私を思っていたのですね。

〈2767〉山橘の赤い実のように、私は恋心を顔色に出してしまいそうですが、あなたも人目など気にしないでください。
 
〈2768〉鶴が鳴く入江の白菅ではないが、私の恋心をあなたに知らせようとして、人がひどく噂するのだろうか。
 
〈2769〉あの方に恋い焦がれる私の気持は、刈り取っても刈り取っても生えてくる夏草のようなものです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2765の「刈り薦の」は、刈り取った薦が乱れやすいことから「思ひ乱る」にかかる枕詞。「あらずは」の「ずは」は、~ないで。「・・・コヒツツアラズハ・・・モノヲ」という類型に則した作歌。2766の「三島江」は、淀川下流の古称で、大阪府高槻市南部から下流、大阪市東淀川区東端のあたり。上2句は「刈りに」を導く序詞。「刈りに」は「仮に」の意を掛けています。「けれ」は、詠嘆。相手がほんのかりそめの気持で思っていただけなのを恨んでいる女の歌。

 2767の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山橘」は、ヤブコウジ。上2句は、山橘の赤い実が目立つことから「色に出でて」を導く譬喩式序詞。「色に出でて」は、顔色に出て。単独母音イを含む許容される字余り句。「恋ひなむ」の「な」は強意、「む」は推量・意志。「人目難みすな」の原文「八目難爲名」で、ヤメガタクスナと訓むものもありますが、ここは「八」と「人」の誤字だとしてヒトメカタミスナと訓んでいるものです。ヤメガタクスナでは、4句目までと合わないからです。

 2768の「白菅」は、白みを帯びた菅の一種。上3句は、シラの同音反復で「知ら」を導く序詞。「知らせむためと」は上記の解釈とは別に、世間の人に知らせようとして、と解するものもあります。また、原文「知爲等」をシラレシタメトと訓んで、人に知られたために、と解するものもあります。「言痛かる」は、うるさい、煩わしい。男女どちらの歌とも取れます。2769の「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。「生ひ及く」は、あとからあとから生える。

巻第11-2770~2774

2770
道の辺(へ)のいつ柴原(しばはら)の何時(いつ)も何時(いつ)も人の許さむ言(こと)をし待たむ
2771
吾妹子(わぎもこ)が袖(そで)を頼みて真野(まの)の浦の小菅(こすげ)の笠を着ずて来にけり
2772
真野(まの)の池の小菅(こすげ)を笠に縫(ぬ)はずして人の遠名(とほな)を立つべきものか
2773
さす竹の世隠(よごも)りてあれ吾(わ)が背子(せこ)が吾許(わがり)し来(こ)ずは吾(あれ)恋ひめやも
2774
神奈備(かむなび)の浅小竹原(あさしぬはら)のうるはしみ妾(あ)が思(も)ふ君が声の箸(しる)けく
 

【意味】
〈2770〉道のほとりのいつ柴原、その柴原ではないが、いつまでもあなたの許すと言ってくれる返事を待とう。

〈2771〉いとしいあなたの袖があるからと、真野の浦の小菅で編んだ笠をかぶらずにやって来てしまった。

〈2772〉真野の池の小菅でまだ笠を編み上げてもいないように、まだ関係ができてもいないのに、人の浮名を遠くまで広げるなんていうことがあってよいものだろうか。

〈2773〉伸びている竹の節に隠れるように、人目につかない所にいてください。あなたが私の許へおいでにさえならなかったら、これほど恋に苦しむことはないでしょうに。
 
〈2774〉神が降臨するという丈の低い篠原を敬愛するように、私が敬愛するあの方の声がよくとおって聞こえる。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2770の「いつ柴原」の「いつ」は、神聖な意や、勢い盛んな意を表す語で、ここは後者。「柴原」は、雑木林。上2句は「何時も何時も」を導く同音反復式序詞。「許さむ言を」は、求婚を承諾するであろう言葉を。躊躇してなかなか決心のつかない女に対し、物柔らかに訴えている男の歌です。窪田空穂は、「求婚時期の一つの相で、恋の機微に触れた歌といえよう。多少身分ある者同士である」と述べています。

 2771の「我妹子が袖を頼みて」は、妹の袖を頼りにして。「真野の浦」は、神戸市長田区東尻池町、西尻池町付近にあった入江。「小菅の笠を着ずて」は、そこに生えていた菅で作った笠をかぶらずに。雨に降られ、相手の女性の袖を笠代わりにしようと思ったと言っているもの。浮気をせず一途な気持ちで、の意味が込められています。窪田空穂は、「雨催いの日、笠も持たずに妻の許へ来た男が、明るく、戯れ半分に妻にいった歌」と言っています。

 2772の「真野の池」は、神戸市長田区東尻池町、西尻池町付近にあったにあった池。「小菅を笠に縫ふ」は、女と契りを結ぶことの比喩。「人の」は、自身を客観的に言ったもの。「遠名を立つ」は、遠くまで広がる噂を立てる意。女と関係を結びもしないうちに浮名のみ立ってしまったことに対する男の不満の歌。

 2773の「さす竹」は、伸び栄える竹。「さす竹の」は「世」の枕詞。「世」は「竹の節(よ)」と「世」を掛けています。「世隠りてあれ」の「あれ」は命令形で、人目につかない所(家)に籠っていよ、の意の譬喩。一方、竹の節に籠るように籠っている自分であるから、のように、作者を主格とする解釈もあります。「恋ひめやも」の「や」は反語で、恋いようか、恋いはしない。

 2774の「神奈備」は、天から神が降りる山や森を指す普通名詞。「浅小竹原」は、低い丈の篠原のこと。上2句は、その慕わしい意で「うるはしみ」を導く譬喩式序詞。ひそかに恋している男性の声を、うっとりと聞く女性の歌とされ、斎藤茂吉は、この歌の「我が思ふ君が声の箸けく」の句に感心すると言っています。自分の恋しく思う男の声が人なかにあってもはっきり聞こえてなつかしいというので、何でもないようだが、短歌のような短い抒情詩の中に、こう自由に気持ちを詠み込むのは難しいことなのに、万葉では平然として成し遂げている、と。窪田空穂も、「詠み方の新しさとともに美しさをもった歌」と評しています。

巻第11-2775~2779

2775
山高み谷辺(たにへ)に延(は)へる玉葛(たまかづら)絶ゆる時なく見むよしもがも
2776
道の辺(へ)の草を冬野に踏み枯らし吾(われ)立ち待つと妹(いも)に告げこそ
2777
畳薦(たたみこも)隔(へだ)て編(あ)む数(かず)通(かよ)はさば道の芝草(しばくさ)生(お)ひずあらましを
2778
水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻(たまも)の生ひ出(い)でずよしこのころはかくて通はむ
2779
海原(うなはら)の沖つ縄海苔(なはのり)うち靡(なび)き心もしのに思ほゆるかも
 

【意味】
〈2775〉山が高いので、谷の辺に這っている蔓草のように、途絶えることなく逢える方法があればよいのに。

〈2776〉道端の草を冬野の枯れ草になるほど踏みつけ、じっと立って待っていると、誰かあの子に告げてほしい。

〈2777〉畳にする薦を何度も何度も繰り返して編む。その編目の数ほどにしばしば通って下さったならば、あなたの通う道に草が生い茂りはしなかったでしょうに。

〈2778〉水底に生える藻が水面に顔を出さないように、まあ当分はこのまま忍んで通うことにしよう。
 
〈2779〉海原の沖に生えている縄海苔がゆらゆら靡くように、私もあなたに靡き寄り、心がしおれるほどに恋しています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2775の「山高み」は、山が高いので。「谷辺に延へる」は、上へはのぼらず谷の辺に這っている。上3句は「絶ゆる時なく」を導く譬喩式序詞。この序詞は類例が多くあります。「玉葛」の「玉」は美称で、蔓草の総称。「もがも」は、願望。男女どちらの歌とも取れます。

 2776の「冬野に」は、冬野のごとくに。「踏み枯らし」は、踏んで枯れさせて、で、待ち遠しい気持の誇張表現。「こそ」は、願望。2777の「畳薦」は、薦を編んだ敷物。「畳薦」は、薦を編んだ敷物。「隔て編む数」は、薦に少しずつ間をあけて編み重ねる数。ここまでの2句は、数の多いことの譬え。「生ひざらましを」は反実仮想で、生えなかっただろうに。畳を編む作業は同じ作業を幾度も繰り返す根気のいる仕事であり、その作業のように男が精魂込めて通ってくれなかったのを恨んでいる女の歌です。

 2778の上2句は「生ひも出でず」を導く譬喩式序詞。「生ひも出でず」は、伸びて水面に出ずの意で、人目を忍ぶことの比喩。「よし」は、仕方がない。「かくて」は、このようにして。公に関係を認められずに通っている男の立場の歌。以下5首は、藻に寄せての歌。2779の上2句は「うち靡き」を導く譬喩式序詞。「縄海苔」は、縄状の細長い海藻で、ウミソウメンのことかと言います。「心もしのに」は、心がしおれるさま。男女どちらの歌とも取れます。

巻第11-2780~2784

2780
紫(むらさき)の名高(なたか)の浦の靡(なび)き藻(も)の心は妹(いも)に寄りにしものを
2781
海(わた)の底(そこ)奥(おき)を深めて生(お)ふる藻(も)のもとも今こそ恋はすべなき
2782
さ寝(ぬ)がには誰(たれ)とも寝(ね)めど沖つ藻(も)の靡(なび)きし君が言(こと)待つ吾(われ)を
2783
吾妹子(わぎもこ)が何とも吾(われ)を思はねば含(ふふ)める花の穂(ほ)に咲きぬべし
2784
隠(こも)りには恋ひて死ぬとも御園生(みそのふ)の韓藍(からあゐ)の花の色に出でめやも
  

【意味】
〈2780〉紫のように名高い名高の浦に揺れ靡く藻のように、私の心はすっかりあの子に靡き寄っているものを。

〈2781〉海の奥底で深く根を下ろして生えている藻のように、根深く恋い焦がれ、今は何とも手の施しようがない。

〈2782〉寝ようと思えば誰とでも寝ましょうが、沖の藻が靡くように、いったんあなたに靡き寄ったあなたのお言葉だけをお待ちしている私です。

〈2783〉愛する人が私を何とも思ってくれないので、花の蕾が開くように、自分の恋心を露わにしてしまいそうだ。

〈2784〉人知れず、恋い焦がれて死んでしまっても、あなたのお庭の鶏頭の花の色のように、はっきりと顔に出したりいたしません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2780の「紫の」は、高貴な名高い色の意で「名高」にかかる枕詞。「名高の浦」は、和歌山県海南市名高の海。「靡き藻」は、波に浮いている藻。上3句は「寄りにし」を導く譬喩式序詞。序詞は譬喩とともに作者の男の住地を表しているとみられ、女にその誠実を誓った歌です。

 2781の「海の底」は、深いのみならず遠い意で「沖」にかかる枕詞。上3句は、モの同音で「もとも」を導く序詞。「もとも」は、非常に、最も。「すべなき」は、どうしようもない。「なき」は「こそ」の係り結びで、已然形であるべきところ、形容詞に已然形がなかったので、連体形で結んだもの。

 2782の「さ寝がには」の「さ」は、接頭語、「がに」は程度を表す助詞で、共寝するくらいのことは。「誰とも宿めど」は、誰とでも寝ようが。「沖つ藻の」は「靡く」の比喩的枕詞。「靡きし君」は、心を寄せたあなた。女の歌で、自分の心の靡き寄った君の嬉しい言葉を待っていると詠んだもの。この歌について、斎藤茂吉は次のように言っています。「なかなか複雑している内容だが、それを事も無げに詠みおおせているのは、大体そのころの男女の会話に近いものであったためでもあろうが、それにしても吾等にはこうは自由に詠みこなすことができない」。なお、歌の解釈を、男の立場で、自分に靡き寄ったそなたが妻になるという言葉を待つ自分であるよ、のように解するものもあります。

 2783の「何とも吾を思はねば」の「ねば」は順接で、何とも私のことを思ってくれないので。「含める花」は、つぼんだ花。「含む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語。「穂に咲きぬ」は、人目につくようになる譬喩。佐佐木信綱は、「普通の譬喩を用いた以上に、強い決心で突進する気持がよくあらはれている」と評していますが、窪田空穂は、「懸想した女が冷淡なので、ますます心がつのりそうだということを、説明的にいった歌である」と言っています。以下4首は、花に寄せての歌。

 2784の「隠りには」は、人知れず、ひそかには。「韓藍の花」は、原文「鶏冠草花」で、鶏頭の花のこと。「御園生の」とあるので、当時も庭で栽培されていたことが分かります。元の品種は鶏のトサカ色で、赤い花だったといいます。「色に出でめやも」の「や」は反語で、表面にあらわそうか、あらわしはしない。男女どちらの歌とも取れます。

巻第11-2785~2789

2785
咲く花は過ぐる時あれど我(あ)が恋ふる心の中(うち)は止む時もなし
2786
山吹(やまぶき)のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿(すがた)夢(いめ)に見えつつ
2787
天地(あめつち)の寄り合ひの極(きは)み玉の緒(を)の絶(た)えじと思ふ妹(いも)があたり見つ
2788
息(いき)の緒(を)に思へば苦し玉の緒(を)の絶えて乱れな知らば知るとも
2789
玉の緒(を)の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみそまたも逢はずして
 

【意味】
〈2785〉咲く花はいずれ散って消える時がくるけれど、私が恋い焦がれる心のうちはやむ時もありません。

〈2786〉山吹の花のように美しく輝く顔色のあの子の、はねず色の赤裳を着けた姿が、夢に見えてきて。

〈2787〉天と地が寄り合って一つになる果てまでも、玉を貫く緒の絶えることがないように、仲は絶えまいと思っている子の家のあたりを見た。

〈2788〉命がけで思っていると苦しくてたまらない。いっそ玉の緒が切れるように仲が絶え、心も乱れていたい。人に知られようとも。
 
〈2789〉玉の緒が切れるように絶えていた恋しさが、また乱れて抑えきれなくなったなら、死ぬよりほかに道はない。二度と逢うこともなく。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2785の「過ぐ」は、過去になるで、散る意。佐佐木信綱は、「類型の多い構想であるが、咲く花を用いたのが珍しい。平明な上に優美な歌である。その点では、平安時代的であるといえるであろう」と評しており、窪田空穂も「後世に好まれた歌風である」と述べています。男女どちらの歌とも取れます。

 2786の「山吹の」は、山吹のように、で「にほふ」の比喩的枕詞。「にほへる」は、美しく照り輝く。「はねず」は庭梅で、薄い紅色。窪田空穂は、「みずみずしい色彩を二つ配合して、平面的に叙したもので、一つの新傾向を見せている歌である」と述べています。

 2787の「天地の寄り合ひの極み」は、空間的に天と地が寄り合って一つになるその果てを表しますが、時間的に未来永劫の彼方までの意を表す場合もあり、ここは後者。「玉の緒の」は、玉を貫いている緒の意で「絶え」にかかる比喩的枕詞。「妹があたり」は、妹の家のあたり。冒頭2句の表現がやや大げさなのは、それだけ「妹があたり見つ」の感動が大きかったことを示しており、長旅から帰った男の歌だろうとされます。以下7首は、玉の緒に寄せての歌。

 2788の「息の緒に」は、命の続く限り、命を懸けて。「乱れな」の「な」は願望の助詞で、乱れていたい。「知らば知るとも」の主格は、世間の人々。片恋の苦しさに堪えられなくなってきた男の歌です。2789の「玉の緒の」は「絶え」の枕詞。「死なまく」は「死なむ」ク語法で名詞形。関係の絶えてしまった相手に最後に贈った歌のようであり、男女どちらの歌とも取れます。

巻第11-2790~2793

2790
玉の緒(を)のくくり寄せつつ末(すゑ)つひに行きは別れず同じ緒(を)にあらむ
2791
片糸(かたいと)もち貫(ぬ)きたる玉の緒(を)を弱み乱れやしなむ人の知るべく
2792
玉の緒(を)の現(うつ)し心(ごころ)や年月(としつき)の行きかはるまで妹(いも)に逢はずあらむ
2793
玉の緒(を)の間(あひだ)も置かず見まく欲(ほ)り吾(あ)が思ふ妹(いも)は家遠くありて
 

【意味】
〈2790〉玉の緒の両端を結び合わせるように、最後まで離れず、同じ一つの緒のような仲になっていましょう。

〈2791〉一本の糸で玉を貫いた緒が弱くて切れて乱れるように、私の思いの弱さで心が乱れてしまうのではなかろうか、人に知られるほどに。

〈2792〉命のある正気な心で、年月のあらたまるまでの間、彼女に逢わずにいられるだろうか、いられはしない。

〈2793〉連なる玉の緒の玉のように、間もなく絶えず逢っていたいあの子は、家が遠くにあって。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2790の「玉の緒の」は、玉の緒のように。「同じ緒にあらむ」は、同じ緒の玉となっていよう。全体が譬喩となっており、「玉」は男女、「玉の緒」は同棲生活を示しています。男女どちらの歌とも取れますが、装身具を弄びつつ詠んだ女性の姿がしのばれるとして、女性の作とする見方もあります。

 2791の「片糸」は、縒り合せる前の糸。普通に使用する糸は、強度を高めるために、片糸の二筋を縒り合わせたのです。「緒を弱み」は、緒が弱いので。以上3句は「乱れ」を導く譬喩式序詞。「乱れやしなむ」は、乱れもしよう。「や」は、詠嘆的疑問。「人の知るべく」は、人が知るほどに。女の歌で、心の弱さの譬喩に片糸の玉の緒を用いたのが新しいとされます。

 2792の「玉の緒の」は「現し心」の枕詞。普通は絶ユ・長ク等に掛かりますが、玉ノ緒が魂の緒の意でウツシ(現世)に掛かるものとされます。「現し心」は、正気、平常心。「逢はずあらむ」は、逢わずにいられようか、いられない。窪田空穂は、「女と関係を結んでいる男が、何らかの事情で久しく女に逢えずにいる時の心である。そのことを嘆かずに憤りとしていっているところに特色がある。嘆くよりも深情である。調べが強くさわやかで、その気分にふさわしい」と述べています。2793の「玉の緒の」は、玉と玉との間の意で「間」にかかる枕詞。「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。遠い旅に出ている男の歌とされます。

巻第11-2794~2798

2794
隠(こも)り津の沢たづみなる石根(いはね)ゆも通して思ふ君に逢はまくは
2795
紀(き)の国の飽等(あくら)の浜の忘れ貝 我(われ)は忘れじ年は経(へ)ぬとも
2796
水くくる玉に交じれる磯貝(いそかひ)の片恋ひのみに年は経(へ)につつ
2797
住吉(すみのえ)の浜に寄るといふ打背貝(うつせがひ)実(み)無き言(こと)もち我(あ)れ恋ひめやも
2798
伊勢の海人(あま)の朝な夕なに潜(かづ)くといふ鮑(あはび)の貝の片思(かたもひ)にして
  

【意味】
〈2794〉隠れた水、沢にこもり涌く水が石根を通し流れるように、ずっと思っています、あなたに逢うまでは。

〈2795〉紀伊の国の飽等の浜の忘れ貝、その名のようにあなたを忘れたりはしません、幾年経っても。

〈2796〉水中にひそむ玉に混じった磯貝のように、私は片思いをするばかりで年は過ぎていく。

〈2797〉住吉の浜に打ち上げられるうつせ貝のように、実のない言葉なんかで恋したりするものですか。
 
〈2798〉伊勢の漁師が、朝夕に潜ってはとるという、鮑の貝のような片思いです。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2794は、岩に寄せての歌。「隠り津」は、人目につかない所にある水。「沢たづみ」は、沢に湧き出す水。「石根ゆも」の「石根」は岩、「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「も」は詠嘆。「通して思ふ」の原文「達而念」で、トホシテゾオモフ、トホリテオモフなどと訓むものもあります。「逢はまく」は「逢はむ」のク語法で名詞形。

 2795~2798は、貝に寄せての歌。2795の「飽等の浜」は所在未詳ながら、和歌山市加太の田倉浜かといいます。「忘れ貝」は、二枚貝の片方だけになった貝殻で、後には鮑のような一枚貝も加えて呼ぶようになったようです。これを持っていると苦しさを忘れるという俗信があったといいます。上3句は「忘れ」を導く同音反復式序詞。類型的な作で、男女どちらの歌とも取れます。

 2796の「水くくる」は、水中に潜む意。「玉」は、美しい小石や貝。「磯貝」は、波で磯に打ち上げられ貝で、下の続きからすると二枚貝の貝殻が一枚になったもの、あるいは磯にすむ鮑のような一枚貝。上3句は「片恋ひ」を導く譬喩式序詞。長い片恋の嘆きの歌で、男女どちらの歌とも取れます。窪田空穂は、「序詞は美しく巧みである」と評しています。

 2797の「住吉」は、大阪市住吉区の一帯。「うつせ貝」は、中身が空になった貝。上3句は「実なき」を導く譬喩式序詞。「実なき言もち」は、実のない言葉をもって。「我れ恋ひめやも」の「や」は反語で、我は恋をしようか、しはしない。男が求婚をした時、女が男の言葉の真実を疑ったのに対し、男の答えて詠んだ歌とされます。

 2798の「朝な夕なに」は、朝夕に。「潜く」は、水に潜って貝や海藻をとること。上4句は、鮑の殻が片方だけであることから「片思」を導く序詞。「片思」の原文は「独念」。4句にわたる序詞は珍しいもので、「鮑の貝の片思」ということがこの頃から広く言われていたのだろうとされます。

巻第11-2799~2803

2799
人言(ひとごと)を繁(しげ)みと君を鶉(うづら)鳴く人の古家(ふるへ)に語らひて遣(や)りつ
2800
暁(あかとき)と鶏(かけ)は鳴くなりよしゑやし独り寝(ぬ)る夜(よ)は明けば明けぬとも
2801
大海(おほうみ)の荒礒(ありそ)の洲鳥(すどり)朝(あさ)な朝(さ)な見まく欲(ほ)しきを見えぬ君かも
2802
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々(ながなが)し夜(よ)をひとりかも寝む
2803
里中(さとなか)に鳴くなる鶏(かけ)の呼び立てて甚(いた)くは泣かぬ隠(こも)り妻(づま)はも
  

【意味】
〈2799〉人の噂がうるさいので、鶉が鳴く古い空き家のようなところで語らい、お帰ししました。

〈2800〉もう夜明けだと、鶏が鳴いて知らせる声がする。もうどうでもいい、一人寝の夜なんか明けるなら明けたってかまわない。

〈2801〉大海の荒磯に毎朝やってくる水鳥たちのように、毎朝毎朝お顔を見たいと思っているのに、一向にやって来ない、あなたは。
 
〈2802〉焦がれまい焦がれまいと思うのに、やっぱり恋しくてならない。あの山鳥の尾のように長い長い独り寝の夜は。

〈2803〉里の中でけたたましく鳴く鶏のように、声を張り上げて激しく泣くことはない、あの隠れ妻は。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2799の「人言を繁みと」は、人の噂がうるさいので。「鶉鳴く」は、鶉が荒れた所に棲む鳥だとして「古」にかかるの枕詞。「遣りつ」は、帰した。不本意な逢い方をしたことを嘆く歌です。以下9首は、鳥に寄せての歌。

 2800の「鳴くなり」の「なり」は、聴覚にもとづく推定。「よしゑやし」は、ままよ、それでもよい。夜が明けても惜しくも何ともない独り寝を詠む捨て鉢な歌です。2801の「洲鳥」は、洲にいる鳥の総称。上2句は、洲に毎朝見る鳥のようにの意で「朝な朝な」を導く譬喩式序詞。野鳥の習性として早朝に求食することからのようです。「朝な朝な」は、毎朝毎朝、日々に。男が通って来ないことに不満を述べた女の歌です。

 2802の「あしひきの」は「山鳥」の枕詞。「しだり尾」は、長く垂れている尾。上3句は「長々し」を導く序詞。なおこの歌は「思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を」の或る本の歌に曰くとある歌で、また『小倉百人一首』には柿本人麻呂作として載っています。なぜ人麻呂作にすり替わったのか、詳しいことは分かっていませんが、藤原公任が編纂に関わった『拾遺集』に人麻呂の歌として入集したのがきっかけのようです。「あしひきの・・・」の序詞で有名になった歌ですが、斎藤茂吉によれば、「この程度の序詞ならば万葉にかなり多い」ということです。

 2803の上2句は「呼び立てて甚く泣く」を導く序詞。「隠り妻」は、関係を秘密にしている妻で、当時はむしろ普通のありようでした。「隠妻はも」は、隠妻はなあ、と人目を憚って逢い難くしている妻を憐れんだ心。

巻第11-2804~2808

2804
高山(たかやま)に高部(たかべ)さ渡り高々(たかたか)に我(あ)が待つ君を待ち出(い)でむかも
2805
伊勢の海ゆ鳴き来る鶴(たづ)の音(おと)どろも君が聞こさば吾(あれ)恋ひめやも
2806
吾妹子(わぎもこ)に恋ふれにかあらむ沖に棲(す)む鴨(かも)の浮寝(うきね)の安けくもなし
2807
明けぬべく千鳥(ちどり)しば鳴く白栲(しろたへ)の君が手枕(たまくら)いまだ飽(あ)かなくに
 

【意味】
〈2804〉高い山を高部が高々と渡っていくように、高々と爪立つ思いで、私が待っているあの方だけど、はたして待ち受けて逢えるだろうか。

〈2805〉伊勢の海から鳴きながら飛んでくる鶴の声のように、音沙汰だけでもあなたが下されば、私はこんなにも恋い焦がれるでしょうか。

〈2806〉あの子に恋い焦がれているからだろうか、沖に棲む鴨が波に浮かんで寝るように、気持ちが揺れ動いて少しも落ち着かない。

〈2807〉夜が明けてしまいそうだと、多くの鳥がしきりに鳴き立てている。あなたの手枕にまだ満足していないのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2804の「高部」は、小鴨の一種。「さ渡り」の「さ」は接頭語で、飛び渡り。上2句は、タカの同音反復で「高々」を導く序詞。「高々に」は、爪先立って背伸びする意から、しきりに人を待つさま。「待ち出づ」は、待ち受けて出会う。夫が来るのを待ち望んでいる女の歌で、タカとマツを繰り返した音調に面白さがあります。

 2805の「伊勢の海ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。上2句は「音どろ」を導く序詞。「音どろ」の語義未詳ながら、前後の文脈から「音沙汰」と解釈。「聞こさば」は、おっしゃるならば。「聞こす」は「言ふ」の敬語。伊勢の海から鳴いて来る鶴を「音どろ」の序詞としたのは、その方面に旅して行った夫を思って詠んだ妻の歌だろうとされます。

 2806の「恋ふれにかあらむ」は、恋しく思うからだろうか。「沖に棲む」は「鴨」の枕詞。「沖に棲む鴨の浮寝の」は「安けくもなし」を導く譬喩式序詞。旅先で故郷の女性を思う男の歌でしょうか。2807の「明けぬべくは、明けそうだと。「千鳥」は、ここは多くの鳥。「しば鳴く」は、しきりに鳴く。「白栲の」は「手枕」の枕詞。「飽かなくに」は、飽かないことであるものを、満足したわけでもないのに。後朝の別れを惜しんでいる女の歌。

巻第11-2808~2811

2808
眉根(まよね)掻(か)き鼻(はな)ひ紐(ひも)解け待てりやも何時(いつ)かも見むと恋ひ来(こ)し吾(あれ)を
2809
今日(けふ)なれば鼻し鼻ひし眉(まよ)かゆみ思ひしことは君にしありけり
2810
音のみを聞きてや恋ひむまそ鏡(かがみ)直目(ただめ)に逢ひて恋ひまくもいたく
2811
この言(こと)を聞かむとならしまそ鏡(かがみ)照れる月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見つ
  

【意味】
〈2808〉眉を掻き、くしゃみをして、紐も解けたりして待っていてくれたんですか、早く逢いたいと恋しく思ってやって来た私を。

〈2809〉今日になって、何だか鼻がむずむずして、くしゃみが出て、眉が痒い、と思ったら、あなたに逢える前兆だったんですね。

〈2810〉いっそ噂だけを聞いて恋い焦がれていようか。じかに逢って恋に落ちるとつらいので。

〈2811〉あなたのそのお言葉を聞かされるためだったのでしょう。照り輝く月夜も闇とばかりに見ていました。

【説明】
 問答歌。2808は、恋人のもとを訪れた男の歌、2809はそれに答えた女の歌。2808の「鼻ふ」は、くしゃみをすること。「紐解け」の「解け」は解キの自動詞形で、紐がほどける意。「待てりやも」の「や」は肯定的疑問で、待っていてくれたのかなあ。女の家に来て問いかけた歌とされます。なお左注に「柿本朝臣人麻呂の歌に見えたり。但し問答なるを以ちての故に累(かさ)ねて載す」とあり、2408の「眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる吾を」を指しているとされます。第3・5句が異なっており、相手の家へ行く途上の作となっています。

 2809の「鼻し」の「し」は、強意の副助詞。「鼻し鼻ひし」の原文「鼻之鼻火之」で、ハナノハナヒシ、ハナヒハナヒシなどと訓むものもあります。ここの歌は、当時の習俗を知らないと理解できない歌であり、万葉人は、恋人が強く思ってくれると眉が痒くなる、さらにはくしゃみが出る、また、逢いたいと思い続けると相手の下着の紐がほどけると考えていました。それを逆手にとって、恋人に逢いたいと思うとき、眉を掻き、わざとくしゃみをし、紐をほどく、そうすると相手がやってくると、おまじないをかけることもあったようです。ここの問答は、そうしたことを題材に歌っています。

 2810は男の歌、2811はそれに答えた女の歌。2810の「音のみを聞きてや恋ひむ」は、噂だけ聞いて恋しがっていようか。「まそ鏡」は、白銅製の美しい鏡で「直目に逢ふ」の比喩的枕詞。「直目に」は、原文の「目直」を「直目」の誤写とする説に拠っていますが、そのまま「目に直にあひて」と訓むものもあります。目で直接に、の意。「恋ひまく」は「恋ひむ」のク語法で名詞形。訪れを途絶えさせての言い訳の歌とされます。

 2811の「この言」は、男が詠んだ前歌の言葉を指します。「聞かむとならし」は、原文「聞跡乎」の「乎」が「平」の誤りだとして「ならし」と訓んでいます。聞こうとするためだったのだろう。「まそ鏡」は「照る」の枕詞。「闇のみに見つ」は、闇とばかりに見ていた。男の言い訳に対し、皮肉って答えています。

巻第11-2812~2815

2812
吾妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲(しろたへ)の袖(そで)返ししは夢(いめ)に見えきや
2813
吾背子(わがせこ)が袖(そで)返す夜(よ)の夢(いめ)ならしまことも君に逢ひたるごとし
2814
吾(あ)が恋は慰めかねつま日(け)長く夢(いめ)に見えずて年の経(へ)ぬれば
2815
ま日(け)長く夢(いめ)にも見えず絶えぬとも吾(あ)が片恋(かたこひ)は止む時もあらじ
 

【意味】
〈2812〉あなたが恋しくてどうしようもなく、せめて夢で逢おうと袖を折り返して寝ましたが、私の姿はあなたの夢に見えたでしょうか。

〈2813〉あなたが袖を返して寝た夜の夢だったのですね。本当にあなたにお逢いしているようでした。

〈2814〉私の恋は慰めようがありません。来る日も来る日も夢にさえ見えてくれないまま年が経ってしまったので。

〈2815〉来る日も来る日も夢にさえも見えず、たとえ二人の仲が絶えようとも、私のこの片思いは止むときもありません。

【説明】
 問答歌。2812は男の歌、2813はそれに答えた女の歌。2812の「白栲の」は「袖」の枕詞。「袖返す」は、寝る時に袖口を折り返すことで、袖を折り返して寝ると、思う人の夢が見られるという俗信があったようです。2813の「夢ならし」の「ならし」は「なるらし」の約で、夢であったに違いない。

 2814は男の歌、2815はそれに答えた女の歌。2814の「ま日長く」の「ま」は接頭語、「日(け)」は、日の複数。「夢に見えずて」は、相手が夢に見えなくて。つまり相手がこちらを思えば夢に見えるという俗信から、相手が自分のことを思っていない故に報われないと訴えているもの。2815の上2句は、前歌の3、4句をそのまま取って歌っており、あなたの方こそ私を思ってくださらないではないかと、男の恨みの語を自身の恨みの語として逆にやり返したもの。

巻第11-2816~2819

2816
うらぶれて物な思ひそ天雲(あまくも)のたゆたふ心(こころ)吾(あ)が思はなくに
2817
うらぶれて物は思はじ水無瀬川(みなせがは)ありても水は行くといふものを
2818
かきつはた佐紀沼(さきぬ)の菅(すげ)を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
2819
押照(おして)る難波(なには)菅笠(すががさ)置き古し後は誰(た)が着む笠ならなくに
  

【意味】
〈2816〉しょんぼりと物思いなんかしないでおくれ。私の心は、空の雲のように揺れ動いたりはしないのだから。

〈2817〉しょんぼりと物思いなどいたしません。水無川であっても、人目につかない底にはずっと水が流れるといいますもの。

〈2818〉杜若(かきつばた)が咲いている佐紀沼の菅を笠に縫い、それをかぶる日を待っているうちに、ずいぶん年が経ってしまった。

〈2819〉難波の菅笠を、古くなるまで放っておいたところで、後にあなた以外の誰かが使う笠だというわけでもないのに。

【説明】
 問答歌。2816は男の歌、2817はそれに答えた女の歌。2816の「うらぶれて」は、しょんぼりして。「物な思ひそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「天雲の」は「たゆたふ」の比喩的枕詞。「たゆたふ」は、揺れ動く、ためらう。不実を疑われた男が、それを否定している歌です。2817の「水無瀬川」は、水のない川。表面には見えない伏流水が流れます。「ありても」は、そうした川であっても。この歌について窪田空穂は、「男の歌をそのままには受け入れないが、さすがに頼みを懸けて、水無瀬川の譬喩でその頼む心をあらわしているのである。この譬喩は、直接にいえば烈しい語にもなりかねないものを、このように婉曲にしたために、訴えの気分を含んだものとなったので、その意味で上手である」と述べています。

 2818は男の歌、2819はそれに答えた女の歌。2818の「かきつはた」は、その花が咲く意で「佐紀沼」にかかる枕詞。「佐紀沼」については、『日本書紀』には、同じ読み方をする「狭城池」をつくったという話が出てきます。平城京の北の外れにある水上池(みずがみいけ)だとする説もあります。「菅を笠に縫ふ」は、女と関係することの比喩。結婚をしようと思っているうちに日を経てしまったという男の言い訳の歌とされます。2819の「押照る」は、日の強く照る意で「難波」の枕詞。「難波菅笠」は、難波の菅で作った笠。「置き古し」は、使わずに放置したまま古びさせること。女は、菅笠(私)を置き古しなどせずに、あなたが早く使ってほしい、と言っています。

 『万葉集』に「佐紀」と詠まれた場所は、現在の奈良市佐紀町に、二条町、山陵(みささぎ)町なども含めた広い地域だったと考えられています。「佐紀沼」や「佐紀沢」とあることから、沼や沢の多い場所だったようです。また、『万葉集』の歌に頻繁に出てくる菅や葛といった植物が、古代にはみそぎに関係があったのか、人々の生活に相当深い関係を持っていたことが窺えます。 

巻第11-2820~2823

2820
かくだにも妹(いも)を待ちなむさ夜(よ)更けて出(い)で来(こ)し月の傾(かたぶ)くまでに
2821
木(こ)の間より移ろふ月の影(かげ)を惜(を)しみ立ち廻(もとほ)るにさ夜更けにけり
2822
栲領巾(たくひれ)の白浜波(しらはまなみ)の寄りもあへず荒ぶる妹(いも)に恋ひつつそ居(を)る [一云 恋ふるころかも]
2823
かへらまに君こそ吾(われ)に栲領巾(たくひれ)の白浜波(しらはまなみ)の寄る時も無き
  

【意味】
〈2820〉こうしてでもあの人を待とう。夜が更けてやっと出てきた月が傾く頃になっても。

〈2821〉木の間がくれに移って行く月の光があまりに惜しくて、歩き回っているうちに、すっかり夜が更けてしまいました。

〈2822〉白浜に打ち寄せる波のように近寄れもしないほど、刺々しいあなただけれど、今も恋い焦がれ続けている。(恋い焦がれているこのごろであるよ)

〈2823〉いいえ、あなたの方こそ、白浜に打ち寄せる波のようには、私に近寄ってくれる時もないではありませんか。

【説明】
 問答歌。2820は男の歌で、戸外で待ち合わせをする約束をしていた女が来るのを待ちくたびれています。「かくだにも」は、こうしてでも。「出で来し」の原文「出来」で、イデクルと訓むものもあります。2821の「立ち廻る」は、行きつ戻りつする。女が月を見ていたというのは遅くなった言い訳で、実は親の監視などがあってなかなか出てこられなかったという事情があったのだろうといいます。一方、この歌は明らかに月を鑑賞する歌であり、女の歌というより男の歌に感じられるとして、前歌とは関係がない歌を強いて答歌として並べたものとする見方もあります。

 2822は男の歌、2823はそれに答えた女の歌。2822の「栲領巾の」は「白浜波」の比喩的枕詞。「栲領巾」は、楮(こうぞ)の繊維で作った白く細い布で、女性が装飾用として肩に掛けていました。ここでは海岸に打ち寄せる白い波のようすを栲領巾に譬えています。上2句は、波の寄る意で「寄る」を導く序詞。「荒ぶる」は、刺々しくする、機嫌が悪くて荒れている。2823の「かへらまに」は、かえって、反対に。相手の言葉をそのまま利用した問答の表現技巧によって、寄りつかないのはそちらでしょうと言い返しています。

巻第11-2824~2828

2824
思ふ人(ひと)来(こ)むと知りせば八重葎(やへむぐら)覆(おほ)へる庭に玉(たま)敷(し)かましを
2825
玉敷ける家も何せむ八重葎(やへむぐら)覆(おほ)へる小屋(をや)も妹(いも)と居(を)りせば
2826
かくしつつ有り慰めて玉の緒(を)の絶えて別ればすべなかるべし
2827
紅(くれなゐ)の花にしあらば衣手(ころもで)に染(そ)め付け持ちて行くべく思ほゆ
2828
紅(くれなゐ)の深染(ふかそ)めの衣(きぬ)を下に着ば人の見らくににほひ出(い)でむかも
  

【意味】
〈2824〉お慕いしているあなたがおいでになると知っていましたら、雑草に覆われた庭をきれいにし、玉を敷いてお待ちしましたのに。

〈2825〉玉を敷いた家が何になろうか、おまえとさえいれば、たとえ八重むぐらの生い茂った小屋でもいいのだ。

〈2826〉こうしていつもそばにいて慰められているけれど、仲が途絶えて別れたらどんなにやるせないことでしょう。

〈2827〉もしもあなたが紅の花であったなら、着物の袖に染め付けて持ち歩きたいほどに思っている。

〈2828〉紅に色濃く染めた着物を内に着たら、人が見た時に色が透けて見えるだろうか。

【説明】
 2827まで問答歌。2824は女の歌、2825はそれに答えた男の歌。2824の「思ふ人」は、お慕いしているあなた。「八重葎」は、幾重にも茂っている蔓草。「玉」は、美しい小石。小石を敷くのは貴人を迎える時の礼とされていました。「~せば~まし」は、反実仮想。もし~だったならば~だろう。思いがけず恋人を迎えた時の喜びの歌です。2825の「何せむ」は、何になろうか。「妹と居りせば」の原文「妹与居者」で、イモトシヲラバ、イモトヲリテバなどと訓むものもあります。相手の語をそのまま捉え、典型的な答歌となっています。

 2826は女の歌、2827はそれに答えた男の歌。2826の「かくしつつ」は、このようにしつつで、現在の夫婦関係を指したもの。「玉の緒の」は「絶ゆ」の比喩的枕詞。「絶えて別れば」は、仲が絶えて別れたならば。「すべなかるべし」は、やるせないことだろう。2827の「紅」は、べに花。「花にしあらば」の「し」は、強意の副助詞。男が旅に出る際の悲別の歌のようであり、答歌として強いて添わせたものとする見方があります。

 2828は「衣に寄せて」思いを譬えた男の歌。「紅の濃染めの衣」は、紅色に濃く染めた衣で、美しい女の比喩。「下に着る」は、下着として来たならばの意で、女とひそかに契りを結ぶことを譬えています。「見らく」は「見る」のク語法で名詞形。「にほひ出でむかも」の「かも」は疑問では、自分の様子が外に現れようか、の譬え。窪田空穂は、「全部が隠喩になっており、語は美しく、調べも豊かさのある歌である」と評しています。

巻第11-2829~2832

2829
衣(ころも)しも多くあらなむ取り替(か)へて着ればや君が面(おも)忘れたる
2830
梓弓(あずさゆみ)弓束(ゆづか)巻き替へ中見(なかみ)さし更(さら)に引くとも君がまにまに
2831
みさご居(ゐ)る洲(す)に座(ゐ)る船の夕潮(ゆふしほ)を待つらむよりは吾(われ)こそまされ
2832
山川に筌(うへ)をし伏せて守りあへず年の八年(やとせ)を吾(わ)がぬすまひし
  

【意味】
〈2829〉着物はいくらでも多くありたいものですが、取り替え引っ替え着ていらっしゃるせいでしょうか、あなたは私の顔をお忘れのようです。

〈2830〉梓弓の弓束を新しく巻き替えておきながら、古い弓に中見をさして、もう一度引こうというのなら、どうぞご勝手に。
 
〈2831〉ミサゴの棲む洲に取り残されている舟が、夕方の満ち潮をひたすら待っているけれど、それより私があなたを待つ思いの方がもっとまさっています。

〈2832〉山川に筌を仕掛け、番をしていても十分に守りきれない。それと同じに、あの娘を8年間もこっそりと横取りしてきた。

【説明】
 2829は「衣に寄せて」思いを譬えた女の歌。「あらなむ」の「なむ」は、願望の助詞。「取り替へて」は、衣のように次々と多くの女生と関係を結ぶ譬喩。「面忘れ」は、顔を忘れる意。女が男を非難する歌として上掲のような解釈としましたが、夫への満たされない恋に悩み、着物を取り換えて着たら、気分が変わって顔を忘れることができるでしょうか、のように解するものもあります。

 2830は「弓に寄せて」思いを喩えた女の歌。「梓弓」は、神聖な梓の木で作った弓。上2句は、新しい女に乗り替えておきながら、の意。「中見さし」は語義未詳ながら、「中見」は弓に矢をつがえる時の目印のことで、「さし」はその印をつけることとする説があります。「さらに引く」は、元の女を再び誘う、の意。上掲のような解釈とは別に、いったん人の妻となっていたが絶縁し、他の人の妻となろうとする時の歌と解するものもあります。

 2831は「船に寄せて」思いを譬えた女の歌。「みさご」は、入江近くに棲んで魚を獲る猛禽類。「洲に座る船」は、洲に乗り上げて動けなくなっている船。「夕潮を待つらむ」は、夕方の満潮を待って漕ぎ出そうとしている意で、夫を待つ自身に対比しています。国文学者の稲岡耕二は、「洲に擱坐した舟を譬喩の対象としたのが斬新で、印象的」と評しています。

 2832は「魚に寄せて」思いを譬えた男の歌。「山川」は、山中を流れる川。「筌」は、竹で作った川の流れの中に仕掛ける筒状の道具で、捕まった魚が逃げないように細工したもの。「年の八年」は、8年もの長い間。「ぬすまひし」は、盗み続けてきた。母親または夫が守り続けた娘をずっと盗み続けてきたといって得意になっている歌で、まあ、8年というからには、やはり相手は人妻だったのでしょう。油断のならないことを言っている歌です。

巻第11-2833~2836

2833
葦鴨(あしがも)のすだく池水(いけみづ)溢(はふ)るとも設溝(まけみぞ)の辺(へ)に吾(われ)越えめやも
2834
大和(やまと)の室生(むろふ)の毛桃(けもも)本(もと)繁(しげ)く言ひてしものを成(な)らずは止(や)まじ
2835
真葛(まくず)延(は)ふ小野(をの)の浅茅(あさぢ)を心ゆも人引かめやも吾(わ)がなけなくに
2836
三島菅(みしますげ)いまだ苗(なへ)なり時(とき)待たば着ずやなりなむ三島菅笠(みしますげかさ)
 

【意味】
〈2833〉葦鴨の群がり騒ぐ池の水があふれ出ることがあっても、別に設けた溝の方に越えて行くなどということがあろうか。

〈2834〉大和の室生の毛桃、その根元がよく茂っているように、しげしげとあの子に言い寄ったものを、実らせずにおくものか。

〈2835〉葛が這っている浅茅を、本気になって引き抜こうとする人があろうか、私という者がいるのに。

〈2836〉三島の菅はまだ苗だ。といっても菅笠に編む時まで待っていたら、身に着けずに終わってしまわないか、その三島の菅笠を。

【説明】
 2833は「水に寄せて」思いを譬えた男の歌。「葦鴨」は、葦辺に群れている鴨。「すだく」は、多く集まる。「設溝」は、あふれる水を流し出すために掘った溝。「吾越えめやも」の「や」は反語で、越えようか、越えはしない。「池水」を自身に喩え、他の女には心を移さないことに喩えて言っています。

 2834は「果実に寄せて」思いを譬えた男の歌。「大和の室生」は、奈良県宇陀市室生。室生寺で有名な所。「毛桃」は、果皮に小毛の密生している桃で、女の譬え。上2句は「本繁く」を導く譬喩式序詞。「本繁く」は、根元近くの小枝まで花や葉がびっしりついているさま。繁く言葉を交わしたこと掛けています。「言ひてしものを」は、言い寄ったのに。「成らずは止まじ」の「成る」は事が成立する意で、結婚の成就。

 2835・2836は「草に寄せて」思いを譬えた男の歌。2835の「ま葛延ふ」の「ま」は美称で、「野」の枕詞。「心ゆ」は、心の底から。「引かめやも」は反語で、引こうか、引きはしない。「吾がなけなくに」の「なけ」は形容詞ナシの未然形、ナクは打消しの助動詞ズのク語法。恋人を横取りされる不安を打ち消そうとする歌です。2836の「三島」は、大阪府高槻市南部。「三島菅」を女の喩えとし、「苗なり」は、まだ幼いこと、「着る」を結婚することの譬喩とし、自分と結ばれないうちに他人が奪ってしまわないかと不安に思っています。

 

巻第11-2837~2840

2837
み吉野の水隈(みぐま)が菅(すげ)を編(あ)まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや
2838
川上(かはかみ)に洗ふ若菜(わかな)の流れ来て妹(いも)があたりの瀬にこそ寄らめ
2839
かくしてやなほや守らむ大荒木(おほあらき)の浮田(うきた)の社(もり)の標(しめ)にあらなくに
2840
いくばくも降らぬ雨ゆゑ吾(わ)が背子(せこ)が御名(みな)のここだく滝もとどろに
  

【意味】
〈2837〉吉野の川隅に生える菅を、笠に編みもしないのに刈るだけ刈って、ほったらかしにしておくつもりですか。

〈2838〉川上で洗っている若菜のように流れて行って、彼女の住む家のそばの瀬に寄りたいのだが。

〈2839〉こんなにまでして、なおこの上もその人を見守っているのあろうか、大荒木の浮田の社の杜につけた標ではないのに。
 
〈2840〉大して降らない雨なのに、あの方に立てられた浮名はまるで滝がとどろくように激しい。

【説明】
 2837・2838は「草に寄せて」思いを譬えた歌。2837の「水隈」は、川の流れが曲がりくねった所。女が自分を「水隅が菅」に喩え、結婚もしていないのに(編まなくに)、関係だけ結んで(刈りのみ刈りて)ほったらかしにしている男のことをなじっています。「乱りてむとや」は、思い乱れさせることの譬喩。

 2838の「若菜の」は、若菜のように。「流れ来て」は「妹」を中心にした言い方で「流れ行きて」と同じ。「瀬にこそ寄らめ」のコソ~メは、意志の表現で、軽い逆接の気持も込められているようです。男の家も女の家も同じ川に臨んでおり、上流のほうに住む男は、川を流れて行く若菜を見て、それに自身を連想し、同じように流れて行って女の家の辺りの瀬に寄りたいと言っています。国文学者の稲岡耕二は、「この歌の背後には、吉野の漁父味稲の川で拾った柘(つみ:山桑)の枝が仙女となり結婚したという柘枝伝説などが考えられる」と言っています。

 2839は「標に寄せて」思いを譬えた歌。「大荒木の浮田の杜」は、奈良県五條市今井にある荒木神社。「標」は、社を守っている標縄。恋する女を、親の同意が得られないためか、甲斐なく見守り続けていることを嘆いている男の歌です。2840は「滝に寄せて」思いを譬えた歌。「いくばくも降らぬ雨ゆゑ」は、まだ二人の逢瀬が多くないことを喩えています。「ここだく」は、甚だしく。「とどろに」は、轟くほどに。秘密にしていた関係が早くも漏れて言い騒がれるのを嘆く女の歌。 

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

【PR】

作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

相聞歌の表現方法

『万葉集』における相聞歌の表現方法にはある程度の違いがあり、便宜的に3種類の分類がなされています。すなわち「正述心緒」「譬喩歌」「寄物陳思」の3種類の別で、このほかに男女の問と答の一対からなる「問答歌」があります。

正述心緒
「正(ただ)に心緒(おもひ)を述ぶる」、つまり何かに喩えたり託したりせず、直接に恋心を表白する方法。詩の六義(りくぎ)のうち、賦に相当します。

譬喩歌
物のみの表現に終始して、主題である恋心を背後に隠す方法。平安時代以後この分類名がみられなくなったのは、譬喩的表現が一般化したためとされます。

寄物陳思
「物に寄せて思ひを陳(の)ぶる」、すなわち「正述心緒」と「譬喩歌」の中間にあって、物に託しながら恋の思いを訴える形の歌。

旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

各巻の概要

【巻第一】
 雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
【巻第二】
 仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様に部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
【巻第三】
 巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 
【巻第四】
 巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
【巻第五】
 巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
【巻第六】
 巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
【巻第七】
 雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいるため、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
【巻第八】
 四季に分類された雑歌と相聞歌。舒明朝~天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
【巻第九】
 おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立て。
 
【巻第十】
 巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
【巻第十一】
 『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十ニ】
 「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十三】
 作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
【巻第十四】
 主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
【巻第十五】
 物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
【巻第十六】
 巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
【巻第十七~二十】
 巻第十七~二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。

【PR】

【目次】へ