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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

東歌(巻第14)~その3

巻第14-3496~3500

3496
橘(たちばな)の古婆(こば)の放髪(はなり)が思ふなむ心愛(うつく)しいで吾(あれ)は行かな
3497
川上(かはかみ)の根白高萱(ねじろたかがや)あやにあやにさ寝(ね)さ寝てこそ言(こと)に出(で)にしか
3498
海原(うなはら)の根柔小菅(ねやはらこすげ)あまたあれば君は忘らす我(わ)れ忘るれや
3499
岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも
3500
紫草(むらさき)は根をかも終(を)ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝(ね)を終(を)へなくに

【意味】
〈3496〉橘の古婆にいるおさげ髪の少女の、私を思っているらしい心がかわいい。さあ、今から私は逢いに行こう。

〈3497〉川上の急流に洗われて、根の近くが純白になっている高い丈の萱のように、すらりとした色白の女、無我夢中で何度も繰り返し寝たからこそ、人の噂にのぼってしまった。

〈3498〉海辺に生える根の柔らかい菅のような、しなやかで美しい女が多いので、あなたは私のことはお忘れでしょうが、私はあなたを忘れるものですか。

〈3499〉陸の方に引き寄せながら刈っている萱ではないが、ほんに柔らかい肌のあの娘は、一緒に寝ようとは言ってくれないことだ。

〈3500〉紫草は根を染料に使い果たすという。が、私は可愛いあの子とは、まだ共寝を果たすことができないでいることだ。

【説明】
 3496の「橘の古婆」は、地名と見られますが所在未詳(「橘」を枕詞とする説もある)。「放髪」は、結い上げずに頭上で左右に分けて垂らす「振り分け髪」のことで、その髪型から15、6歳以下ぐらいの少女を指します。この時代の女性の髪型は、8歳ごろまでは現在のおかっぱと同じで、すそを切り揃え、その後が振り分け髪の時代で、肩のあたりまで髪を伸ばします。そして、結婚するか結婚適齢期になると、もっと伸ばして髪を結い上げたとされます。「思ふなむ」の「なむ」は「らむ」の東語。「心愛し」は、心根が愛しい。「いで我は行かな」の「いで」は、感動詞の「さあ」。「な」は、自分の意志・決意を表す終助詞。若い恋人を持った男の歌ですが、この歌の解釈について、窪田空穂は、「この男は、放髪の女と関係していることを不自然に感じていたとみえ、『心愛し』と、その女の許へ行くことに理由をつけ、また、『いで吾は行かな』と、我と自身を誘う心を持っている」として、若すぎる女のところへ通うので心が咎めていると解釈していますが、佐佐木幸綱は、男がのろけているように読めると言っています。

 3497の「根白高萱」は、水に洗われて根が白く、丈の高い萱。上2句は「あや」を導く序詞。「たかかや」が「あやにあやに」を類音で呼び起こしています。「あやにあやに」は、何とも言えないほど。「さ寝さ寝て」は、何度も繰り返し寝て。「さ」は、接頭語。水に洗われた真っ白な萱の茎は女性の肌を暗示しているのでしょう。その白さに無我夢中になって共寝を重ねたというのです。「言に出にしか」は、人の噂にのぼってしまった。

 3498の「海原」は、本来は広々とした海の意ですが、ここは海辺、海岸のこと。「根柔小菅」は、根の柔らかな小菅。「根柔」は、寝るのに柔らかな、つまり寝やすい「寝柔」(「柔」は、若い女性の暗示)を掛け、相手の男と関係のある女性を喩えています。「忘らす」は「忘る」の尊敬語。「我忘るれや」の「や」は、反語。他の女性に心を奪われて疎遠になった夫を恨む女の歌とされますが、「根柔小菅」を遊行女婦の譬喩とする見方もあります。

 3499の「岡に寄せ」は、岡(陸地)の方に寄せて。上3句は、「ね萱」と類音の「なごや」を導く序詞。「なごや」は、柔らかいもの。ここでは柔肌の女性の比喩。「寝ろとへなかも」は、一緒に寝ようとは言ってくれないことだ。「へな」は「言はぬ」の訛り。いくら口説いても応じようとしない女のことを思い、嘆息している歌とされますが、「へなかも」は、「言へるかも」「言ふにかもあらむ」として、寝ようと言うのかな、と解するものもあります。窪田空穂はこの歌について、「この種の歌としては、心細かい、語のこなれた、すぐれたものである」と述べています。
 
 3500の「紫草」は、山地や草原に生え、その根から紫色の染料を採る多年草。夏の頃に小さな五弁の白い花を咲かせます。「根をかも終ふる」は、根を終わりにするだろうか、その根の用を果たすのだろうか。「人の子」の「人の」は、女の愛称の「子」を強調するために冠したもの。「うら愛しけ」は「うら愛しき」の東語で、可愛いあの子。「終へなくに」の「なくに」は詠嘆的終止で、まだ共寝を果たすことができないでいることだ。懸想している女を我が物にできずにいるのを嘆き、「根」と「寝」を語呂合わせにした歌です。窪田空穂はこの歌について、「序詞から見て、東国の歌とは取れるが、上品で、気が利いていて、奈良朝時代を思わせる歌である」と述べています。

巻第14-3501~3506

3501
安波峰(あはを)ろの峰(を)ろ田に生(お)はるたはみづら引かばぬるぬる我(あ)を言(こと)な絶え
3502
我(わ)が目妻(めづま)人は放(さ)くれど朝顔(あさがほ)のとしさへこごと我(わ)は離(さか)るがへ
3503
安齊可潟(あせかがた)潮干(しほひ)のゆたに思へらばうけらが花の色に出(で)めやも
3504
春へ咲く藤(ふぢ)の末葉(うらば)のうら安(やす)にさ寝(ぬ)る夜(よ)ぞなき子ろをし思(も)へば
3505
うち日さつ宮の瀬川(せがは)の貌花(かほばな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
3506
新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき穂に出(で)し君が見えぬこのころ
 

【意味】
〈3501〉安波の岡の山田に生えるタワミズラのように、引き寄せたらすなおに靡き寄ってきて、私との仲を絶やさないでほしい。

〈3502〉私の愛しい妻を、人は割こうとするけれど、桔梗の花のような美しい妻と、何年経とうとも、私は決して別れたりするものか。

〈3503〉安齊可潟の潮がゆったり引いていくように、のんびりした気分で思っているなら、どうしておけらの花のように顔色に出したりしようか。

〈3504〉春のころ、垂れ下がる藤の末葉のように、うらうらと心安らかに眠る夜もない、あの子のことを思うと。

〈3505〉社の傍の瀬川に咲く貌花のように、妻は私を恋しく思って寂しく寝ていることであろうか、昨夜も今夜も。

〈3506〉蚕の部屋にこもって忙しく作業する時期になったからか、私を好きだと言ったあの人に逢えないこのごろよ

【説明】
 3501の「安波峰ろ」は、安房の国(千葉県)のいずれかの山か。「峰ろ田」は、山の斜面に作った田。「生はる」は、生える。「たはみづら」は、水田に生える草ながら、具体的には未詳。以上3句は「引かば」を導く譬喩式序詞。「引かばぬるぬる」は、引くとするすると寄ってきて。「我を言な絶え」の「な」は禁止で、私との間の言葉を絶やさないでくれ。関係を断たないでくれということ。

 3502の「目妻」は「愛づ妻」の約か。愛しい妻。「人は離くれど」は、人は引き離そうとするけれど。「朝顔」は、桔梗の古名。「としさへこごと」は、語義未詳ながら、何年経とうともの意か。「離るがへ」の「がへ」は「かは」の東語で、反語。離れようか、離れはしない。二人の関係を許さない娘の母親あたりが、仲を引き裂こうとしているのでしょうか。強い決意をもって、動揺している娘を励ましている男の歌と見えます。

 3503の「安齊可潟」は、所在未詳。「潮干の」は、潮干のように。「ゆたに」は、ゆったりと。「思へらば」は、思っているのなら。「うけら」は、山野に自生するキク科の多年草。「色に出めやも」は反語で、顔色に出したりしようか。女から、あまりに態度やふるまいが目立つと咎められた男が、釈明し、自分の思いが深いことを訴えている歌と見えます。

 3504の「春へ」は、春のころ。「末葉」は、枝先の葉。上2句は、同音の「うら安」を導く序詞。同時に、藤の初々しい若葉に若い女の姿態を連想させています。「うら安」は、心安らかなこと。「子ろ」の「ろ」は接尾語で、妻や恋人を親しんで呼ぶ語。「し」は、強意の副助詞。何らかの事情で逢い難いがために、一夜も快く眠れないと嘆いている男の歌です。
 
 3505の「うち日さつ」は「うち日さす」の訛りで、「宮」の枕詞。「宮の瀬川」は、所在未詳。神社の傍の川の意か。「貌花」はどの花であるか未詳で、昼顔、朝顔、杜若、むくげなどの説や、単に美しい花という説があります。『万葉集』に「かほ花」が詠まれた歌は4首あり、「容花」「貌花」とも書かれます。国語学者の大槻文彦が明治期に編纂した国語辞典『言海』によれば「かほ」とは「形秀(かたほ)」が略されたもので、もともとは目鼻立ちの整った表情を意味するといいます。上3句は「恋ひて」を導く譬喩式序詞。「恋ひてか寝らむ」は、私に恋い焦がれて寝ることであろうか。貌花がもし昼顔のことなら、夜になると、あたかも思慕の思いを胸中に秘めつつまなこを閉じるように花びらを閉じる花です。そうした姿から、この歌が生まれたのかもしれません。また、社の傍に咲く貌花と言っているのは、あるいは神に仕える女性(巫女)を指しているのでしょうか。

 3506の「新室」は、養蚕のために新しく造った家。ここでは養蚕のための小屋。「こどき」は「蚕時」で、蚕を飼う時期。「はだすすき」は、表皮を被ったススキの穂で「穂」の枕詞。「穂に出し」は、好意を表面にあらわしたこと。ススキの花穂の赤みがかった色は、恋心に染まる頬の色に通じています。養蚕は、蚕が上蔟(じょうぞく:成熟した蚕を、繭を作らせるために蔟〈まぶし〉という場所 に移し入れること)の頃になると、新しく建物を作り、女たちはそこにこもって働きました。すると、今までのような戸外での作業がなくなるので、好きな男とも会えなくなる、そういうことを歌っています。女の集団労働の場で歌われた歌かもしれません。

巻第14-3507~3512

3507
谷(たに)狭(せば)み峰(みね)に延(は)ひたる玉葛(たまかづら)絶えむの心(こころ)我(わ)が思(も)はなくに
3508
芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相(あひ)見ずあらば我(あ)れ恋ひめやも
3509
栲衾(たくぶすま)白山風(しらやまかぜ)の寝(ね)なへども子ろが襲着(おそき)のあろこそ良(え)しも
3510
み空(そら)行く雲にもがもな今日(けふ)行きて妹(いも)に言問(ことど)ひ明日(あす)帰り来(こ)む
3511
青嶺(あをね)ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこのころ
3512
一嶺(ひとね)ろに言はるものから青嶺(あをね)ろにいさよふ雲の寄そり妻(づま)はも

【意味】
〈3507〉谷が狭いので峰に向かって伸びている玉葛の、引けば絶えるような、そんな関係を絶やそうなどという心は持っていません。

〈3508〉芝付の御宇良崎のねつこ草、一緒に寝たあの子に逢っていなかったならば、何でこれほどに恋しく思うだろうか。

〈3509〉白山から下ろす風が寒くて寝られないけど、愛しい妻が用意してくれた上着があるので本当に嬉しい。

〈3510〉空を流れていく雲であったらいいのに。そしたら、今日にでも行ってあの子と語り合い、明日には帰って来れるのに。

〈3511〉あの青い峰にたなびく雲のように、心落ち着かず物思いをしている。一年もの長い間を。

〈3512〉一つ峰の仲だと噂されているのに、いざ私と寝ろと言ったら、あの青い峰に漂う雲のようにためらっている、あの寄そり妻は。

【説明】
 3507の「谷狭み」の「狭み」は「狭し」のミ語法で、谷が狭いので。「峰に延ひたる」は、峰の方に延びている。谷が狭いために上へ上へと延びていることを言っています。「玉葛」の「玉」は美称で、美しい蔓のように。上3句は「絶えむ」を導く譬喩式序詞。「絶えむの心」は、二人の仲を絶やそうなどという心。「我が思はなくに」の「に」は、逆接、詠嘆のどちらとも取れます。

 3508の「芝付」は地名と見られますが、所在未詳。「御宇良崎」は、三浦半島のどこかの岬か。「ねつこ草」は未詳ながら、「寝つ子」を掛けており、ここまでの3句が「相見」を導く序詞。「相見る」は、関係を結ぶ。「恋ひめやも」の「やも」は反語で、恋しく思うだろうか。3509の「栲衾」は、栲すなわち楮(こうぞ)で作った衾(夜具・蒲団)で、その色の白いところから「白」に掛かる枕詞。「白山」は、加賀国の白山か。「寝なへども」は、寝られないけれども。「襲着」は、上着。「あろ」は「有る」の東語。3510の「もがも」は、願望。「言問ふ」は、ものを言う、訪問する。

 3511の「青嶺ろ」は、樹木が繁り青々とした峰。「ろ」は、接尾語。「いさよひ」は、ためらう、ぐずぐずする。旅に出ている男の歌でしょうか、あるいは男から求婚され、心を決めかねて思い悩んでいる女の歌でしょうか。3512の「一嶺ろに」は、一つ嶺の仲だと。一体である意。「言はるものから」は、噂されているのに。「青嶺ろに」は、「青い嶺に」と「我を寝ろ(私と寝よう」を掛けています。「寄そり妻」は、関係があると噂を立てられた妻、噂だけの妻、心を寄せている妻、あるいは他人が寄せようと仲介している妻などの解釈があります。「はも」は、詠嘆の終助詞。

巻第14-3513~3517

3513
夕(ゆふ)さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶(た)えむと言ひし子ろはも
3514
高き嶺(ね)に雲の付(つ)くのす我(わ)れさへに君に付(つ)きなな高嶺(たかね)と思(も)ひて
3515
我(あ)が面(おも)の忘れむしだは国 溢(はふ)り嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ
3516
対馬(つしま)の嶺(ね)は下雲(したぐも)あらなふ可牟(かむ)の嶺(ね)にたなびく雲を見つつ偲(しの)はも
3517
白雲(しらくも)の絶えにし妹(いも)をあぜせろと心に乗りてここば愛(かな)しけ

【意味】
〈3513〉夕方になるといつも山から離れずたなびく布雲のように、私も離れないからと、あの子は言ったのに。

〈3514〉高い峰に雲が寄り添うように、私だってあなたに寄り添っていたい、あなたを高い峰のように頼りがいのある人だと思って。

〈3515〉私の顔を忘れそうになった時は、国中に湧きあふれて嶺に立つ雲、その雲を見ては、私のことを思い出してください。

〈3516〉対馬国の山には下雲がかからないので、可牟山にたなびいている雲を見ながらあの子を思い出そう。

〈3517〉切れた白雲のように、とうに関係が絶えてしまった妻なのに、いまさらどうしろとて心に乗りかってきて、こんなにも愛しくてならないのか。

【説明】
 3513の「夕されば」は、夕方になると。「み山」の「み」は、接頭語。「布雲」の「にの」は東語で、布のように横にたなびいている雲。上3句は「あぜか絶えむ」を導く譬喩式序詞。「あぜか」は「などか」の東語。「はも」は、詠嘆の終助詞。3514の「付くのす」は「なす」の訛りで、付くように。「我れさへに」は、私だって。「付きなな」は、しっかり寄り添いたい。3515の「忘れむしだは」の「しだ」は時(とき)で、忘れそうになった時は。「溢り」は「あふれ」。「嶺に立つ」は、山の峰に現れる。
 
 3516は、防人として対馬(長崎県対馬市)に配された東国の男の歌と見られ、上の歌に対する答えのようになっています。「嶺に立つ」は、山の峰に現れる。「下雲」は、低い雲。「あらなふ」の「なふ」は、打消の東語。「可牟の嶺」は所在未詳で、対馬から見える筑前か肥前の山か、あるいは「上の嶺」だとして、「低い雲がないので、上方にそびえる山にたなびいている雲を見ながら・・・」と解するものもあります。上の句からの流れでは、この解釈の方が自然であり、適当なもののように感じますが、いかがでしょうか。いずれにしても、雲に魂が宿るものと感じていたのか、あるいは、どんなに遠い地にあっても雲は同じように見られ、また、山の峰にかかる雲は不断に見られるところから、相手を偲ぶよすがとしていたようです。
 
 3517の「白雲の」は、白雲の切れるさまから「絶え」に掛かる枕詞。「絶えにし妹を」は、関係が絶えてしまった妻であるのに。「あぜ」は、いかに、どのように。「せろ」は、せよ。「心に乗りて」は、深く心にかかって、自分の心から離れないこと。「ここば」は、たいそう、甚だしく。別れた妻への未練を歌っています。

巻第14-3518~3522

3518
岩(いは)の上(へ)にいかかる雲のかのまづく人ぞおたはふいざ寝(ね)しめとら
3519
汝(な)が母に嘖(こ)られ我(あ)は行く青雲(あをくも)の出(い)で来(こ)我妹子(わぎもこ)相(あひ)見て行かむ
3520
面形(おもかた)の忘れむ時(しだ)は大野(おほの)ろにたなびく雲を見つつ偲(しの)はむ
3521
烏(からす)とふ大軽率鳥(おほをそどり)の真実(まさで)にも来(き)まさぬ君をころくとぞ鳴く
3522
昨夜(きそ)こそは児(こ)ろとさ寝(ね)しか雲の上(うへ)ゆ鳴き行く鶴(たづ)の間遠(まとほ)く思ほゆ
 

【意味】
〈3518〉岩の上に次々とかかる雲のように、いつも騒ぎ立てている連中のお節介もおさまった。さあ共寝をしようか、かわいい女よ。

〈3519〉お前さんの母親に叱られて私は帰ることにするが、雲間の青空のように、ちらっとでも出てきておくれ私の恋人よ。一目でも見て帰りたい。

〈3520〉あなたの面ざしを忘れそうになったら、広々とした野にたなびいている雲を見つつ、あなたを偲ぼう。

〈3521〉カラスという大慌て者の鳥めが、本当においでになったわけではないあの方なのに、ころく、ころくと鳴く。

〈3522〉昨夜あの子と寝たばかりなのに、雲の上を行く鶴の鳴き声が遠くに聞こえ、もう遠い昔のように思われる。

【説明】
 3518は、3409の「伊香保ろに天雲い継ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら」の別伝。いずれかが原歌で、それを詠み替えたもののようです。

 3519の「嘖られ」は、大声で叱られて。「青雲の」は「出で来」の枕詞。「出で来」は、出て来いよ。「相見て行かむ」は、一目だけでも顔を見て帰りたい。妻問いが不首尾に終わった歌であり、この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に母親が口出しし、婿選びをするなど、結婚決定権は父親ではなく母親にあったようです。この歌のほかにも、母親が娘の交際相手を管理し、時には恋の障害となる歌が数多くあり、3529にも、母に叱責される例が見られます。
 
 3520の「面形」は、顔の形、面ざし。「大野」は、普通名詞で、広い野原。「ろ」は、接尾語。3521の「烏とふ」の「とふ」は「といふ」の約。「大軽率鳥」の「軽率」は、慌て者の意。「真実にも」は、本当に、確かに。「来まさぬ」は「来ぬ」の敬語。「ころく」は、烏の鳴き声と、恋しい人が来る「子ろ来」を掛けています。男の来訪を待ち侘びている女が、烏の鳴き声に占いを試み、「子ろ来」と聞きなしたものの、男が来ない恨みを烏に八つ当たりする心情を歌っています。女が男を「子ろ」と言うのは適当とは言えないものの、鳥の鳴き声に無理に合わせたと見えます。

 3522の「昨夜こそは」は、たった昨夜、ほんの昨夜。「さ寝しか」の「さ」は、接頭語。「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形で、上緒「こそ」の係り結び。「雲の上ゆ鳴き行く鶴の」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~を通って。第3・4句は「間遠く」を導く譬喩式序詞。「間遠く思ほゆ」は、遠い昔のようにに思われる。飽くことのない恋情を表しています。 

巻第14-3523~3526

3523
坂越えて安倍(あへ)の田(た)の面(も)に居(ゐ)る鶴(たづ)のともしき君は明日(あす)さへもがも
3524
真小薦(まをごも)の節(ふ)の間(ま)近くて逢はなへば沖つ真鴨(まかも)の嘆きぞ我(あ)がする
3525
水久君野(みくくの)に鴨(かも)の這(は)ほのす子ろが上(うへ)に言(こと)をろ延(は)へていまだ寝(ね)なふも
3526
沼(ぬま)二つ通(かよ)は鳥が巣(す)我(あ)が心 二行(ふたゆ)くなもとなよ思(も)はりそね
 

【意味】
〈3523〉坂を越えて飛んできて、安倍の田んぼに降り立っている鶴のように、心惹かれるあの方に、明日もまた来てほしいものです。

〈3524〉真薦(まこも)の節と節の間のように近くにいながら、逢うことができないので、沖に棲む真鴨のように私は嘆いている。

〈3525〉水久君野で鴨が水に漬かって這うように、あの子にずっと言葉をかけ続けているけれど、いまだに共寝ができないでいる。

〈3526〉二つの沼を行き来する鳥の巣が二つあるように、私の心が二人の女の所に通っているなどと思ってくれるなよ。

【説明】
 3523の「安倍」は、静岡市の安倍川付近の地とされます。駿河国の歌に入っていないのは編集者が見落としたものか。「居る鶴の」は、降り立っている鶴のように。上3句は「ともしき」を導く譬喩式序詞。「ともしき君」は、心惹かれる、慕わしいあなた。「ともし」はもともと、乏しい、数が少ない意の語であるため、ここでは訪れ来ることの少なく稀であるという意味も込められているともいわれます。「明日さへもがも」の「もがも」はで、明日もまた来てほしい。早朝に男が帰るのを見送って、たまたま田に降り立っている鶴を見て、このように歌った歌とされます。

 3524の「真小薦」の「真」も「小」も接頭語。「薦」は、ここでは荒く織ったむしろ。「真小薦の節の」の7音は、その節と節の間または編み目の間隔が短いことから、「間近く」を導く譬喩式序詞。「間近くて」は、家がすぐ近くにありながら。「逢はなへば」の「なへ」は、東語の打消の「なふ」の已然形。「沖つ真鴨の」は、沖に棲む真鴨のようにで、「嘆き」を導く序詞。ただ、長歌ならともかく、わずか31音の短歌に2つの序詞があるのは認めがたいとして、これを譬喩句と見る向きもあります。
 
 3525の「水久君野」は地名とされますが、所在未詳。「這ほのす」の「這ほ」「のす」は、それぞれは「這ふ」「なす」の東語。「子ろ」は、女性を親しんで呼ぶ東語。「言をろ延へて」の「ろ」は、接尾語。「言を延ふ」は、言葉をかけ続ける。「いまだ寝なふも」の「なふ」は、東語の打消の助動詞。まだ共寝ができないでいる。優柔不断なのか、あるいは要領が悪いのか、なかなか本意を遂げられない男の煩悶の歌です。

 3526の「沼二つ」は、沼二つを。「通は」は「通ふ」の東語。「鳥が巣」は、鳥の巣。上2句は「二行く」を導く譬喩式序詞。「二行くなも」の「二行く」は、二か所に通う、すなわち二人の女の所に通う意。「なも」は、現在推量「らむ」の東語。「なよ思はりそね」の「な~そね」は、禁止。「な」の下の「よ」は間投助詞で、ここに「よ」が接しているのは珍しい形。女から、自分以外にも通う所があるのではと疑われた男が、沼から沼へと飛び移る水鳥とは違うと、強く否定している歌です。

 東歌は、どれも歌の基本形が整っている一方で、3525のように、過度に方言臭を着けることで殊更に地方色を出そうとしている意図が見える歌が少なくありません。朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すために設けられた巻第14とされますが、そのためもあってか、編者の手がかなり加わっているとみられています。

巻第14-3527~3531

3527
沖に棲(す)も小鴨(をかも)のもころ八尺鳥(やさかどり)息づく妹(いも)を置きて来(き)のかも
3528
水鳥(みづどり)の立たむ装(よそ)ひに妹(いも)のらに物言(ものい)はず来(き)にて思ひかねつも
3529
等夜(とや)の野に兎(をさぎ)狙(ねら)はりをさをさも寝なへ児(こ)ゆゑに母にころはえ
3530
さ雄鹿(をしか)の伏(ふ)すや草むら見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも
3531
妹(いも)をこそ相(あひ)見に来しか眉引(まよび)きの横山辺(よこやまへ)ろの猪鹿(しし)なす思(おも)へる

【意味】
〈3527〉離れて沖に棲む鴨のように、長いため息をついて嘆き悲しむ妻を、後に残して私は旅立って来たことだ。

〈3528〉旅の身支度に忙しく、愛しい妻にろくに言葉もかけずに来てしまい、嘆きに堪えられないことだ。

〈3529〉等夜(とや)の野に兎を狙っているわけではないが、ろくすっぽ寝てもいないあの子なのに、母親にこっぴどく叱られてしまった。

〈3530〉牡鹿が伏している草むらのように、たとえ姿は見えなくても、あの子の家の金門の前を通って行くのはうれしいものだ。

〈3531〉彼女に逢いに来ただけなのに、横山あたりをうろつく猪鹿のように思いやがって。

【説明】
 3527の「棲も」は「棲む」の東語。「もころ」は、~のようにの意の名詞。「八尺鳥」は、カイツブリのことで、長い息をつく鳥、水中での息が長い鳥の意から「息づく」に掛かる枕詞。「息づく妹を」は、嘆き悲しむわが妻を。「来のかも」は「来ぬかも」の東語。「かも」は、詠嘆の終助詞。遠くに旅立つ夫が妻と別れた後に、後ろ髪を引かれるような思いを詠んだ歌で、多くは防人の歌ではないかと見ています。

 3528の「水鳥の」は、水鳥が飛び立つ意で「立たむ」に掛かる枕詞。「立たむ装ひ」は、慌しい旅立ちのための準備、身支度。「妹のら」の「のら」は、親愛の接尾語の東国形。「思ひかねつも」は、思いに堪えられないことだ、何とも悲しくてならない。なお、この巻の終わり近くに「防人の歌」として5首(3567~3571)が載っていますが、この歌も、前歌と同様、防人の作と考えても不自然ではありません。

 3529の「等夜の野」は、所在未詳。「兎(をさぎ)」は、兎(うさぎ)の東語。「狙はり」は「狙へり」の東語。上2句は、娘に近づく機会を狙っているのを、兎を狙うことに喩えており、また「をさぎ」の同音で「をさをさ」を導く序詞。「をさをさ」は、下に打消の語をともなう副詞で、ほとんど、ろくすっぽの意。「寝なへ」は、東語の打消しの助動詞「なふ」の連体形。現代語の「ない」の源と言われます。「ころはえ」は、大声で叱られる、こっぴどく叱られる。「え」は、受身の助動詞「ゆ」の連用形。女の家へ忍んで行き、その母親に発見されて追われた男の愚痴の歌です。なお、兎は、狩りなどでも身近な動物だったはずですが、『万葉集』で兎を詠んでいるのはこの1首のみです。
 
 3530の「さ雄鹿」の「さ」は、接頭語。「伏すや草むら」は、雄鹿の伏す草むらのように。上2句は「見えず」を導く譬喩式序詞。「子ろ」は、女性を親しんで呼ぶ東語。「金門」は未詳ながら「金」は「門」の美称とも言われます。「行かくし」の「行かく」は「行く」のク語法で名詞形。「し」は、強意の副助詞。「良(え)し」は「よし」の東語。いつも追っている鹿は、草むらに伏していると見つけにくい、家の奥に入っている恋人の姿も見えないけれど、その人の家の前を通るだけでも胸が騒ぐと言っており、古今東西、恋人の家の周りをさまよい歩く男の姿に変わりはないようです。

 3531の「相見に」は、逢いに。「来しか」の「しか」は「こそ」の係り結びで、来たのだ。「眉引きの」は、低山の稜線を女性の長い眉に喩えたもので、その眉が横に長いことから「横」に掛かる枕詞。「横山」は、横に長い低山。「辺ろ」の「ろ」は、接尾語で、辺りにいる。「猪鹿なす」の「なす」は、~のような、~のように。「思へる」はいわゆる連体形止めで、ふつう余情を持たせ、詠嘆的に解します。女の母親に発見され追われた時に、「害獣が田畑を荒らしにきたとでも思っているのか」と憤慨し毒づいている男の歌です。3529の歌もそうですが、娘の母親は恋の監視者として、男子にとって極めて高い障壁となっていたと見えます。

巻第14-3532~3536

3532
春の野に草(くさ)食(は)む駒(こま)の口やまず我(あ)を偲(しの)ふらむ家の子ろはも
3533
人の子の愛(かな)しけ時(しだ)は浜洲鳥(はますどり)足(あ)悩(なゆ)む駒(こま)の惜(を)しけくもなし
3534
赤駒(あかごま)が門出(かどで)をしつつ出(い)でかてにせしを見立てし家の子らはも
3535
己(おの)が命(を)をおほにな思ひそ庭に立ち笑(ゑ)ますが故(から)に駒(こま)に逢ふものを
3536
赤駒(あかごま)を打ちてさ緒引(をび)き心引(こころび)きいかなる背(せ)なか我(わ)がり来(こ)むと言ふ
 

【意味】
〈3532〉春の野で草を食む馬の口がやまないように、私のことをしきりに偲んでいることだろうな、家に残したわが妻は。

〈3533〉かわいい女が愛しくてならない時は、浜や洲にいる鳥のように、歩き辛くなっている飼馬も、乗るのをかわいそうにとは思わない。

〈3534〉私の乗った赤毛の馬が、出発のときに渋るのを、見送ってくれた家の妻は、ああ、今ごろどうしているのか。
 
〈3535〉ご自分の命を粗末にしないで下さい。あなたが庭に立って微笑んおられると、思う人の乗馬がまた現れるというではありませんか。
 
〈3536〉赤毛の馬を鞭打ち、手綱を引き締めて歩みを急がせるように、私の気を引いて、どんなお方が私を訪ねて来るというのでしょう。

【説明】
 3532は、男が旅に出て、家の妻を思う歌。「春の野に草食む駒の口」は「やまず」を導く譬喩式序詞。「家の児ろ」は、一緒に住んでいる妻。「はも」は、強い詠嘆の終助詞。実景をそのまま用いた序詞らしく、佐佐木信綱は、「天真の妙があって、技巧の企及しがたい趣」と評しています。窪田空穂は、「防人などであるかもしれぬ」としていますが、衛士・仕丁として都に赴いた者の作かもしれません。

 3533の「人の子」は、人の娘で、まだ「吾妹」とは呼べない関係の女性、または「子」を強調するため「人の」を冠した語。「愛しけ」は「愛しき」の東語。「時(しだ)」は、時。「浜洲鳥」は、浜の洲に棲む水鳥で、陸上を歩く時には不格好な歩みになるところから「足悩む」に掛かる枕詞。「足悩む」は、蹄を割るなど足の具合を悪くしている意。「惜しけく」は、形容詞「惜しけし」のク語法で名詞形。大切な馬がかわいそうだが、女のもとへ急ぐあまり、それを思ってはいられないと言っています。
 
 3534の「赤駒」は、赤みを帯びた毛色の馬。「門出」は、防人や衛士・仕丁などに徴されてのことと思われ、乗馬で行くのは、ある地点までだっただろうとされます。「出でかてにせしを」は、出て行きにくそうにしたのを。「かて」は、可能の意の「かつ」の未然形。「見立てし」は、見送っていた。「はも」は、詠嘆の終助詞。

 3535の「己が命を」は、自分の命を。「おほに」は、おろそかに、いいかげんに。「な思ひそ」の「な~そ」は、禁止。「庭に立ち」の「庭」は屋前で、家への通路。そこに立って。「笑ますが故に」は、微笑まれさえすれば。「笑ます」の主語は女で、尊敬語。男の訪れが途絶えて、死んでしまいたいとまで思いつめる女を、見かねた第三者が慰めている歌のようです。当時、庭に立って微笑むと思う人がやって来るというような信仰でもあったのでしょうか。

 3536の「赤駒を打ちて」は、赤駒に鞭打って。「さ緒引き」の「さ」は接頭語で、手綱を引くように。上2句は「心引き」を導く同音。「心引く」は、相手の気持ちを自分の方に引き寄せる意。「背な」の「な」は接尾語で、女性が夫あるいは男性を親しんで呼ぶ語。「我がり」は、私のもとへ。「これから先、どのような心映えの男の人が私の夫となるのでしょうか」と、初々しい乙女心の、はにかみと期待の気持ちがうたわれています。一方では、捨てられた女がよりを戻そうとする男に皮肉を込めて贈った歌と見るものもあります。
 
 なお、東歌には、馬を詠んだ歌が15首あり、うち8首は馬に乗って出歩く歌です。この時代、高価な馬を飼育して乗り回すことができたのは、一握りの豪族層、最低でも下級官人クラスであっただろうとみられています。

巻第14-3537~3540

3537
柵越(くへご)しに麦(むぎ)食(は)む小馬(こうま)のはつはつに相見(あひみ)し児(こ)らしあやに愛(かな)しも
[或本の歌に曰はく]
馬柵(うませ)越し麦(むぎ)食)は)む駒(こま)のはつはつに新肌(にひはだ)触れし児(こ)ろし愛(かな)しも
3538
広橋(ひろはし)を馬越しがねて心のみ妹(いも)がり遣(や)りて我(わ)はここにして
[或本の歌の上二句] 小林(をはやし)に駒(こま)を馳ささげ
3539
崩岸(あず)の上に駒(こま)を繋(つな)ぎて危(あや)ほかど人妻(ひとづま)子ろを息(いき)に我(わ)がする
3540
左和多里(さわたり)の手児(てご)にい行き逢ひ赤駒(あかごま)が足掻(あが)きを速み言(こと)問はず来ぬ
  

【意味】
〈3537〉柵越しにほんの少し麦を盗み食いする仔馬のように、わずかに関係した女だが、やたらに愛しくてならない。
(或る本の歌に曰く)
 馬柵越しにほんの少し麦を盗み食いする馬のように、わずかに新肌に触れた女だが、やたらに愛しくてならない。
 
〈3538〉馬が広い橋を越えかねるように、心だけはあの子の許へ行かせるけれど、我が身は行きかねて逡巡としている。

〈3539〉今にも崩れそうな崖の上に馬をつなぐのが危なっかしいように、人妻のあの子を心にかけるのは危なっかしいけれど、命がけで思っている。
 
〈3540〉評判の左和多里(さわたり)の美少女にたまたま行き合ったが、乗る馬の足が速かったので、声もかけずに通りすぎてしまった。

【説明】
 3537の「柵(くへ)」は、柵垣の意の東語。「麦食む小馬の」は、麦を食う小馬のように。小馬はわずかしか食うことができないように、の意。「小馬」は、作者である男性の比喩。上2句は「はつはつに」を導く譬喩式序詞。「はつはつに」は、ほんのわずかにの意で、辛うじて、やっとのことでといった含みがあります。「相見る」は、男女が関係を結ぶこと。「児ら」は、女の愛称。「し」は、強意の副助詞。「あやに」は、やたらに、何とも言いようがなく。「或る本の歌」の「新肌」は、初めて男に許す女の肌。いずれも、若者の、つかの間の性体験をうたった率直な歌です。

 3538の「広橋」は、幅の広い橋で、普通名詞。「馬越しがねて」は、馬で越すことができなくて。おそらくは人目を憚って越せないのを馬に転化しているのでしょう。「心にみ」は、気持ちだけは。「妹がり遣りて」は、妻のもとに遣って。「我はここにして」は、我が身はここにあって。男が女に贈った歌であり、疎遠にしている言い訳です。なお、左注には、或る本の発句には「小林に駒を馳(は)ささげ」というとあり、「林の中に馬を走り込ませてしまって」という意味になります。何のかんのと言い訳をしている不実な男です。

 3539の「崩岸」は、今にも崩れそうな崖の意の東語。上2句は「危ほか」を導く譬喩式序詞。「危ほかど」は「危ふけど」の東語。「息に我がする」の「息」は「息の緒」と同じで「命」の意。「息に我がする」は、連体形止めの詠嘆終止で、命がけで私は思っている。「息」は、魂(生命力)の具体的な活動として意識されていたので、このような表現がなされます。人妻との密通の不安とあきらめきれない思いとが強く交錯しており、このような痛切な思いの直接的な吐露は、東歌ならではの表現です。

 3540の「左和多里」の所在は未詳ながら、群馬県吾妻郡の沢渡温泉、茨城県水戸市の佐渡、福島県いわき市の沢渡などの地名があります。「手児」は、美少女の愛称。「い行き逢ひ」の「い」は接頭語で、ばったり出逢ったが。「足掻き」は、蹴立てるような馬の足の運び。「速み」は「速し」のミ語法で、速いので。「言問はず来ぬ」は、物を言わずに来た。男性集団の戯笑歌とされますが、窪田空穂は、「手児に関係をもっている男の心残りの歌である。叙事的な歌なので、淡いながらもその際の情景を浮かばせる歌である。こうした些事を詠んだ歌が、広く謡われていたということは、健康で、明るく、日常生活をたのしんでいたことを示していることである」と述べています。

巻第14-3541~3544

3541
崩岸辺(あずへ)から駒の行(ゆ)ごのす危(あや)はとも人妻(ひとづま)子ろを目ま行(まゆ)かせらふも
3542
細石(さざれいし)に駒を馳(は)させて心痛み我(あ)が思(も)ふ妹(いも)が家のあたりかも
3543
むろがやの都留(つる)の堤(つつみ)の成りぬがに子ろは言へども未(いま)だ寝(ね)なくに
3544
阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも
   

【意味】
〈3541〉崖っぷちを馬が行くのは危なっかしいように、人妻のあの人に近づくのは危なっかしいが、だからといって目で見るだけではいられない。
 
〈3542〉小石が続く河原の上に馬を駆けさせて、その蹄が痛むように、心痛いまでに思っている妻の家のあたりだ、ここは。
 
〈3543〉むろがやを流れる都留川の堤が出来上がったと、まるで二人の仲ができあがったかのようにあの子は言うけれど、まだ一度も寝ていないんだ。
 
〈3544〉阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。

【説明】
 3541の「崩岸辺」は、崩れやすい崖っぷち。原文「安受倍」で、崖の上とも取れます。「駒の行ごのす」の「行ごのす」は「行くなす」の訛りで、馬が行くように。上2句は「危はとも」を導く譬喩式序詞。「危はとも」は、危ういけれども。「人妻子ろ」は、人妻である女。「目行かせらふも」は語義不詳で、関心を示さずにはいられない、目で見るだけではいられない、の意か。ほかに「まばゆく思う」「いい加減にしておけない」「行かせることだ」「こっそり逢う」などと解する説がさまざまあります。「も」は、詠嘆の終助詞。この歌と3539の歌は類想歌です。

 3542の「細石」は、河原の小石、砂利石。「駒を馳させて」は、馬を駆けさせて。上2句は、小石の多い河原を走らせて馬の蹄が痛む意で「心痛み」を導く譬喩式序詞。「心痛み我が思ふ妹」は、心が痛いまでに思っている妻。「家の辺かも」は、家の辺りであるよ。「かも」は詠嘆の終助詞で、女の家の近くまで来て、あっ、ここは妻の家の辺りだと気づいた時の感動。ここの序詞について窪田空穂は、「馬を深く愛している心持を無意識にあらわしているもので、生活の実際に即した心である。一首、日常生活の上のいささかの実感で、構えては捉えられないもので、そこに特色がある」と述べています。
 
 3543の「むろがや」は地名とされますが、未詳。「都留の堤」は、山梨県都留郡を流れる都留川の堤か。他の意味とする説もあり、解釈が定まっていない部分です。「成りぬがに」は、出来あがったかのように。堤防工事の完成と求婚の成就を掛けています。「子ろ」は、女の愛称。「未だ寝なくに」は、まだ一緒に寝てもいないのに。「に」は、詠嘆の終助詞。「私たちはもう夫婦同然よ」と彼女は言うけれど、まだ肉体関係は許さない、それを嘆き、不安に思う男の歌です。

 3544の「阿須可川」は、大和の明日香川か、東国のいずれかの地に存した川か未詳。「下濁れるを知らずして」は、底の方が濁っているのを知らないで。男の本心が不誠実だったのを知らないで、の喩え。「背なな」の「背な」は「背子」の東語で、女性から夫や男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は、詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している女の歌とされます。

巻第14-3545~3548

3545
安須可川(あすかがは)堰(せ)くと知りせばあまた夜(よ)も率寝(ゐね)て来(こ)ましを塞(せ)くと知りせば
3546
青柳(あをやぎ)の張らろ川門(かはと)に汝(な)を待つと清水(せみど)は汲(く)まず立ち処(ど)平(なら)すも
3547
あぢの住む須沙(すさ)の入江の隠(こも)り沼(ぬ)のあな息(いき)づかし見ず久(ひさ)にして
3548
鳴る瀬ろに木屑(こつ)の寄(よ)すなすいとのきて愛(かな)しけ背(せ)ろに人さへ寄すも
    

【意味】
〈3545〉安須可川がせき止められると分かっていたら、幾夜も幾夜もこっそり連れ出して共寝するのだったのに。せき止められると分かっていたなら。
 
〈3546〉青柳は芽を吹く川の渡しであなたを待って、清水を汲まずに行ったり来たりしているので、地面が平らになっています。
 
〈3547〉アジガモの棲む須沙の入江の、水の淀んだ沼のように、うっとうしくて息が詰まりそうだ。長く逢っていないから。
 
〈3548〉鳴り響く川瀬に木屑が寄せられるように、とても愛しいあの人に、他の女までがあの人に心を寄せてくることだ。

【説明】
 3545の「安須可川」は、上の3544の「阿須可川」と同じく未詳。「堰く」は、堰き止めるで、逢えなくなることの喩え。「率寝」は、寝所に伴って行って寝る。「知りせば~来ましを」の「せば~ましを」は、反実仮想。もしも知っていたら~来ただろうに。「塞く」は、逢えなくなることの譬え。上の歌と問答の形になっていますが、そうではなく別の歌だとして、「堰く」は、親が二人の仲を妨害する喩えであり、「そうだと知っていたら、幾夜も幾夜も連れ出して一緒に寝て来るのだったのに」のように解するものもあります。

 3546の「青柳」は、春に若芽をふいた柳。「張らろ」は「張れる」の東語で、枝や芽を出すこと。「川門」は、川幅の狭くなっているところ。渡り場。「汝を待つと」は、あなたを待って。「汝」はふつう、男が女を呼ぶ場合に用いられますが、ここでは女が男を親しんで呼んでいます。「清水(せみど)」は「しみづ」の東語。「立ち処平す」は、行きつ戻りつしているうち、足元の土が踏まれて平らになっていくこと。「も」は、詠嘆の終助詞。当時、水汲みは若い女の仕事であり、外出できる唯一の機会でした。清水を汲んでくるのにかこつけて、男と逢う約束の川門で今か今かと待っている歌です。そのように、川門は若い男女のデートの場所でもあったのでしょう。

 3547の「あぢ」は、アジガモ。トモエガモの別名で、今も全国で普通に見られる鴨です。「須沙の入江」の所在は未詳ながら、愛知県の須佐湾かともいわれます。「隠り沼」は、水の出口のない沼。上3句は「あな息づかし」を導く譬喩式序詞。「あな息づかし」の「あな」は、感動詞。「息づかし」は、息が詰まりそうなさま。「見ず久にして」は、長く逢っていないので。男が女を思った歌か、あるいは久しく来ない男を待っている女の歌なのか、はっきりしません。

 3548の「鳴る瀬ろに」は、鳴り響く川瀬に。「ろ」は、東国特有の接尾語。「木屑(こつ)」は、木屑、木っ端。「いとのきて」は、とりわけ、甚だ。「愛しけ」は「愛しき」の訛り。「背ろ」の「ろ」は接尾語で、夫や恋人を親しんで呼ぶ語。「人さへ寄すも」は、他の女までも心を寄せている。上2句が下3句の譬喩になっており、モテてしょうがない夫に気を揉んでいる女の歌です。窪田空穂は、「恋の上では起こりうる心であるが、しかし歌としては例の多くないもので、またこのように率直に、素朴に詠んだものはない」と言っています。

巻第14-3549~3552

3549
多由比潟(たゆひがた)潮(しほ)満ちわたる何処(いづ)ゆかも愛(かな)しき背(せ)ろが我(わ)がり通(かよ)はむ
3550
押(お)して否(いな)と稲(いね)は搗(つ)かねど波(なみ)の穂(ほ)のいたぶらしもよ昨夜(きそ)ひとり寝て
3551
味鴨(あぢかま)の潟(かた)に開(さ)く波(なみ)平瀬(ひらせ)にも紐(ひも)解くものか愛(かな)しけを置きて
3552
松が浦に騒(さわ)ゑ群(うら)立(だ)ち真人言(まひとごと)思(おも)ほすなもろ我(わ)が思(も)ほのすも
 

【意味】
〈3549〉多由比潟に潮が満ちわたっている。いったい何処を通って愛しいあの人は私の許へ通って来るのだろうか。
 
〈3550〉あえて嫌だといって稲を搗いているのではないけど、心が動揺して落ち着かないのです。昨夜は独り寝だったので。
 
〈3551〉潟に激しく裂かれる波のように激しく迫られても、静かな瀬のように言い寄られても、下紐を解くものですか、愛しいお方をさしおいて。
 
〈3552〉松が浦に波のざわめきがしきりに立っていて、そんなざわついた世間の噂をあの人は気にしておられるようだ。この私も思っているのと同様に。

【説明】
 3549の「多由比潟」は、所在未詳。「何処ゆかも」は、どこを通ってか。「何処(いづ)」は「いづく」に当たる東語。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「かも」は、疑問の係助詞。「背ろ」の「ろ」は接尾語で、夫や恋人を親しんで呼ぶ語。「我がり」の「がり」は、~の許へ、~の所へ。「通はむ」は、通って来るだろうか。「む」は「かも」の係り結び。

 3550の「押して否と」は、あえて嫌だといって。「稲搗き」は、木製の臼に稲(籾)を入れ、脱穀するために竪杵(たてきね)で搗く作業。「波の穂」は、波がしらのことで、「波の穂の」は、波がしらが激しく動くことから「いたぶらし」に掛かる枕詞。「いたぶらし」は、心が動揺して落ち着かない。「もよ」は、詠嘆の終助詞。女が稲を搗いているところへ夫がやって来て早く寝ようと言うのに、女は嫌だと言ってなおも稲を搗いています。なぜなら、昨夜男が来ると思っていたのに来なかったのを恨んでいるからです。拗ねて稲を搗き続けていたのが、やがて言い訳として言い出したもののようです。
 一方、この「否」を、男への拒絶ではなく稲を搗くことを否定すると取り、稲搗きが嫌なわけではないが、と取る方が妥当だとする見方があります。土屋文明は、「実は稲つき労働に対する苦痛を言ひたいのだが、その労苦も、昨夜男とさへ寝て居たら、こんなには感じまいと、その方に転嫁させてゐるのである。或はさう歌ふことだけで、幾分苦痛を軽く感じさせるのであらう。性的感情によって労働苦を和げようとする典型的な、純然たる労働歌である」と言っています。
 
 3551の「味鴨の」は、アジカモの棲んでいる所の意で「潟」に掛かる枕詞。「潟に開く波」は、潟に裂かれる波。「潟に咲く波」として、砕ける波を咲き開く白い花に見立てる解釈もあります。上2句は「開く(さく・ひらく)」の同音で「平瀬」を導く序詞。「平瀬」は、波の静かな瀬。「紐解くものか」の「ものか」は、反語。「愛しけ」は「愛しき」の東語で、愛しい人。「置きて」は、さしおいて。なお、3句以下の解釈を「平瀬にも波が紐解くように、私も下紐を解くことなのか。愛しい人をさしおいて」のようにするものもあり、上掲の解釈だと女の歌であるのに対し、こちらの解釈だと男の歌になります。

 3552の「松が浦」は地名と見られますが、所在未詳。「騒ゑ群立ち」の原文「佐和惠宇良太知」で難解とされますが、波が騒いで群がり立つようにの意か。人の噂の高いことの譬喩と見られます。「真人言」の「真」は接頭語で、世間の噂。「思ほすなもろ」の「思ほす」は「思ふ」の尊敬語。「なもろ」は「らむよ」の東語。「思ほのす」は「思ふなす」の東語で、思うように。男と関係を結んだ女が、その関係が村の噂になって当惑している男を、慰めて贈った女の歌です。

巻第14-3553~3556

3553
味鴨(あぢかま)の可家(かけ)の湊(みなと)に入る潮(しほ)のこてたずくもが入りて寝(ね)まくも
3554
妹(いも)が寝(ぬ)る床(とこ)のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも
3555
麻久良我(まくらが)の許我(こが)の渡りの韓楫(からかぢ)の音(おと)高しもな寝(ね)なへ子ゆゑに
3556
潮船(しほぶね)の置かれば愛(かな)しさ寝(ね)つれば人言(ひとごと)繁(しげ)し汝(な)を何(ど)かもしむ
 

【意味】
〈3553〉安治可麻の可家の河口に入ってくる潮が緩やかなように、人の噂もおだやかであってほしい。あの娘の家に入って共寝したいから。

〈3554〉あの娘が寝ている床の辺りに、岩の間をくぐる水であったらなあ。ずっと潜り込んで一緒に寝ようものを。
 
〈3555〉麻久良我の許我の渡しの韓梶の音が高いように、噂が高くなってしまった。あの子と共寝をしたわけでもないのに。

〈3556〉潮船のように浜に放っておけば、愛しくてならない。さりとて共寝に行けば噂が激しくなる。私はお前をどうしたらいいだろう。

【説明】
 3553の「味鴨」は「可家の水門」の枕詞。「可家」は、所在未詳。「湊」は、河口。「入る潮の」は、ひたひたとさして来る潮のように。上3句は、結句の「入りて」に掛かる序詞。「こてたずく」は、語義未詳ながら、噂が静まってほしい、改めて言い立てることがあろうか、穏やかに、の意とするなど、さまざまな説があります。「もが」は、願望の終助詞。「入りて寝まくも」の「寝まく」は「寝む」の未然形「寝」に、推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」と、上代の準体助詞「く」が付いたもの。寝床に入って寝たいものだなあ。

 3554の「床のあたりに」は、床の中に。「岩ぐくる」は、岩の間をくぐる、岩間から漏れて流れる。「水にもがもよ」は、水であったらなあ。「もがも」は、願望。「よ」は、感動の助詞。「入りて寝まくも」は、前歌の結句と同様。まだ公然と女との共寝を許されない男の、どこへでも行ける水を羨んでの激しい欲望の歌です。

 3555の「麻久良我」は、渡良瀬川が利根川と別れるところの茨城県古河市付近の地名。「許我の渡り」は、古河市と渡良瀬川をはさんだ対岸の埼玉県加須市の間の渡し場。「韓楫」は、大陸風の櫓ながら、どのような櫓かは不明。上3句は、韓楫の音が高く響くことから、「音高し」を導く譬喩式序詞。「高しもな」の「もな」は、詠嘆の終助詞。「寝なへ」の「なへ」は、東語の打消しの助動詞。「ゆゑに」は、なのに、にもかかわらず。

 3556の「潮舟の」の「潮舟」は海を漕ぐ舟。用いない時は陸に上げて置くことから「置く」に掛かる枕詞。「置かれば」は、放っておけば。「さ寝」の「さ」は、接頭語。「人言」は、世間の噂。「何(ど)かもしむ」は「あどかもせむ」の東国形で、「あ」が略されています。どうしたらいいのだろうの意。漁村に住む男の歌と見えます。

巻第14-3557~3561

3557
悩(なや)ましけ人妻(ひとづま)かもよ漕(こ)ぐ舟の忘れはせなないや思(も)ひ増(ま)すに
3558
逢はずして行かば惜(を)しけむ麻久良我(まくらが)の許我(こが)漕ぐ船に君も逢はぬかも
3559
大船(おほぶけ)を舳(へ)ゆも艫(とも)ゆも堅(かた)めてし許曽(こそ)の里人(さとびと)顕(あら)はさめかも
3560
真金(まかね)吹(ふ)く丹生(にふ)のま朱(そほ)の色に出(で)て言(い)はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは
3561
金門田(かなとだ)を荒垣間(あらがきま)ゆ見(み)日が照(と)れば雨を待(ま)とのす君をと待(ま)とも
 

【意味】
〈3557〉悩ましい人妻であることよ。漕ぎ行く舟は遠ざかっていくが、この思いは忘れ去るどころか、いっそう増すばかりだ。

〈3558〉このまま逢えないままであの方が行ってしまったら、どんなにか心残りに思うことか。麻久良我の許我を渡る渡し舟の中ででも、ひょっとしてお逢いできないものだろうか。
 
〈3559〉大船を船首と船尾から綱を出してしっかり結ぶように、堅く約束した二人の仲を、許曽の里の人たちがばらしたりできようか、できるはずがない。

〈3560〉鉄を製煉する炎のように赤い丹生の赤土のように、顔色に出して言わないだけのこと、私が恋い焦がれているこの思いは。

〈3561〉家の前の田を粗い垣根の隙間から見て、日照りが続けば雨が降るのをただ待つように、そんな気持ちであなたを待っています。

【説明】
 3557の「悩ましけ」は「悩ましき」の訛り。「人妻かもよ」は、人妻だなあ。「かもよは、詠嘆の終助詞。「漕ぐ舟の」は、次第に離れて遠ざかる意から、「忘れ」に掛かる枕詞。「せなな」は、しないで、せずにの意。「いや」は、ますます、いっそう。見るからに悩ましい人妻に心を寄せている男の独語です。

 3558の「逢はずして」は、共寝をしないでの意。「惜しけむ」は、どんなにか残念なことでしょう。「麻久良我」は、渡良瀬川が利根川と別れるところの茨城県古河市の地名。「許我」は、古河市と渡良瀬川をはさんだ対岸の埼玉県加須市の間の渡し場がある所(3555に既出)。「君も逢はぬかも」の「も~ぬかも」は願望で、あの方に逢えぬものだろうか。遊行女婦の歌とされますが、妻を残して旅立つ男の歌とする説もあります。

 3559の「舳ゆも艫ゆも」の「ゆ」は、動作の起点・経由点を表す格助詞。船首からも船尾からも。上2句は「堅めてし」を導く譬喩式序詞。「堅めてし」は、しっかりと約束した。「許曽」は、女性の住む地名ながら、未詳。「顕はさめかも」は、暴露することはないだろう。「顕はす」は、隠れているものを表面に出す意で、「かも」は、反語・詠嘆の終助詞。夫婦関係の秘密は、それを顕すと関係が絶えるというのが、上代の信仰だったとされます。

 3560の「真金吹く」は、鉄を鉄鋼からふいごの火力で吹き分けること。その意味から砂鉄などを含む「丹生」に掛かる枕詞。「丹生」の「丹」は朱の顔料のことで、水銀と硫黄が結合した鉱物。それが産出した土地を丹生といい、転じて地名になったもの。丹生は諸国にあるものの、東国では所在未詳。「真朱」は、赤土。上2句は、真朱が赤いことから「色に出て」を導く序詞。「色に出て」は、表面に顕して。「言はなくのみぞ」は、言わないだけのことだ。「言はなく」は「言はず」のク語法で名詞形。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。

 3561の「金門田」は、門前の田、家の前にある田。「荒垣間ゆ見」の「荒垣」は、目の荒い垣。「間ゆ見」は、隙間から見る。「ゆ」は、起点・経由点を表す格助詞。ただし、この第2句の解釈には諸説あり、「荒掻きま斎み」として、「田を荒く掻きならし、身を清めて」のように解するものもあります。「照(と)れば」は「てれば」の訛り。「雨を待とのす」の「待とも」は「待つなす」の訛りで、雨を待つように。「君をと待とも」の「と・待と」は、それぞれ「ぞ・待つ」の訛り。

巻第14-3562~3566

3562
荒礒(ありそ)やに生(お)ふる玉藻(たまも)のうち靡(なび)きひとりや寝(ぬ)らむ我(あ)を待ちかねて
3563
比多潟(ひたがた)の礒(いそ)の若布(わかめ)の立ち乱(みだ)え我(わ)をか待つなも昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
3564
小菅(こすげ)ろの浦(うら)吹く風の何(あ)どすすか愛(かな)しけ児(こ)ろを思ひ過ごさむ
3565
彼(か)の児ろと寝(ね)ずやなりなむはだ薄(すすき)宇良野(うらの)の山に月(つく)片寄るも
3566
我妹子(わぎもこ)に我(あ)が恋ひ死なばそわへかも神(かみ)に負(お)ほせむ心知らずて
 

【意味】
〈3562〉あの荒磯に生える藻のように、黒髪を靡かせてあの子はひとりで寝ていることだろう、私を待ちかねて。

〈3563〉比多潟の磯のわかめが立ち乱れて繁るように、門に立って身も心も乱れて私を待っているのだろうか、昨夜も今夜も。

〈3564〉この小菅の浦を吹いて行く風のように、いったいどのようして、愛しいあの娘のことをやり過ごしたらいいのか。
 
〈3565〉今夜はあの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が傾いてきた。

〈3566〉愛しいあの娘に恋い焦がれて死んだなら、周りの人は神の祟りのせいにするだろうか。私の本心も知らないまま。

【説明】
 3562の「荒磯やに」は、荒磯に。「や」は整調の間投助詞。「生ふる玉藻の」は、生える美しい藻のように。「うち靡き」の「うち」は、接頭語。「ひとりや寝らむ」の「や」は疑問、「らむ」は現在推量。妻の許に行けなかった男が、妻の独り寝の姿を想像して恋しく思っている歌と見えます。

 3563の「比多潟」は、所在未詳。「磯の若布の」は、磯の若布のように。ここまでの2句は「立ち乱え」を導く譬喩式序詞。「立ち乱え」は、門に立って思い乱れて。「立ち」は接頭語との見方もあります。「乱え」は「乱れ」の東語。「我をか待つなも」の「か」は疑問の係助詞、「待つなも」は「待つらむ」の東語で、待っているであろうか。女の許へ二晩続けて行けない男の気持ちをうたっています。

 3564の「小菅ろの浦」は、地名(所在不明)ではなく「小菅の末(菅の葉先)」とする説もあります。最初に地名説を出したのは賀茂真淵で、今の東京都葛飾区小菅町あたりだといい、今は海から遠い地ですが、当時はその辺まで海だったかもしれません。「ろ」は、接尾語。「何どすすか」の「あど」は「何と」の東語、「すすか」は「しつつ」の東語で、どのようにしつつ。「愛しけ児ろを」の「愛しけ」は「愛しき」で、愛しいあの子を。恋の断念を強いられる状況の中で、それでもなお思い切れない男の気持ちをうたっている歌です。

 3565の「彼の児ろと」は、あの娘と。「寝ずやなりなむ」の「や」は疑問の係助詞で、寝られなくなるだろうか。「はだ薄」は、穂を出した薄で、そのほぼ同意語の「末(うら)」として「宇良野」に掛けた枕詞。「宇良野」は、長野県上田市浦野か。そうだとすれば信濃の国の歌ということになりますが、分布の広い地名であるため決めかねたのかもしれません。「月(つく)」は、月の東語。「片寄る」は、傾く。女の許に向かっている男が、月が傾いたのを見て、行き着いたら夜明けになるのではないかと焦っている歌です。万葉の恋人たちはどんなにお熱い中でも、会えるのはひと月に十日くらいがせいぜいだったといいます。その理由はすべて月にあり、三日月の頃から通い、闇夜では会うことができなかったのです。

 3566の「我が恋ひ死なば」は、私が恋い焦がれて死んだならば。「そわへ」は他に用例のない語で、語義は定まらず、「傍辺」として、周囲の人々の意とするほかに「五月蠅(さばへ)」「添えない」「かこつける」意とする説など様々あります。「かも」は、疑問の係助詞。「神に負せむ」は、神のせいにすることだろうか。窪田空穂は、「『神に負せむ心知らずて』は、死なせるのはあなたであるのに、それを神様のせいにしようから、あなたは当然神罰をこうむることだろうの意で、甚しい威嚇である。恋に死なせるという感傷よりの威嚇は、後世には少なくないものであるが、それに神を引合いに出すのは稀れである」と述べています。「心知らずて」は、私の本心も知らないで。

巻第14-3572~3577

3572
何(あ)ど思(も)へか阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉(ゆづるは)の含(ふふ)まる時に風吹かずかも
3573
あしひきの山葛蘿(やまかづらかげ)ましばにも得(え)がたき蘿(かげ)を置きや枯(か)らさむ
3574
小里(をさと)なる花橘(はなたちばな)を引き攀(よ)ぢて折らむとすれどうら若(わか)みこそ
3575
美夜自呂(みやじろ)のすかへに立てるかほが花な咲き出(い)でそね隠(こ)めて偲(しの)はむ
3576
苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)り馴(な)るるまにまに何(あ)ぜか愛(かな)しけ
3577
愛(かな)し妹(いも)を何処(いづち)行かめと山菅(やますげ)の背向(そがひ)に寝(ね)しく今し悔(くや)しも
 

【意味】
〈3572〉いったい何をぐずぐずしているのか、阿自久麻山のユズリハがまだ蕾(つぼみ)の時だからといって、風が吹かないなんてことがあるものか。

〈3573〉ヒカゲノカズラは滅多に得られないのに、むざむざ置きっぱなしにして枯らしてしまってよいものか。

〈3574〉小里に咲く橘の枝を引き寄せて折り取ろうとするのだが、あまりに若々しいので、どうしようかとためらわれる。

〈3575〉美夜自呂の海沿いの砂地に生えているかおが花よ。人目につくようにぱっと咲き出ないでくれ。こっそりと愛したいから。
 
〈3576〉苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花を、衣に染めて着ていたら、着慣れるにしたがってどうして愛しくなるのだろう。

〈3577〉愛しい妻が死んでしまうとは思わないで、山菅の葉のように背を向け合って寝たことが、今となっては悔やまれてならない。

【説明】
 3572の「何ど思へか」は、何と思ってか。「あど」は「何と」の東語。「阿自久麻山」は、所在未詳。「弓絃葉」は、ユズリハ。春、枝先に若葉が出て、初夏、その下に小花が咲きます。「含まる時」は、葉や花がまだ開き切らないでいる時。「含(ふふ)む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語で、ここでは、女が若く幼いことの譬え。「風吹かずも」は、風が吹くのであろうか。他の男が言い寄ることの譬え。「かも」は、詠嘆の助詞。ためらっている男に、他の男が言い寄るぞと、第三者がけしかけている歌と見えます。

 3573の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山葛蘿」は、ヒゲノカズラ。常緑の草本として、古来神聖清浄なものとされ、神事に用い、また鬘(かずら)として髪飾りにも用いられました。ここでは、手に入れがたい女に譬えています。「ましばにも」の「ま」は接頭語で、めったに、しばしばもの意。「置きや枯らさむ」の「や」は反語で、置きっぱなしにして枯らそうか、枯らしはしない。

 3574の「小里なる」は、小里にある。「小」は接頭語で、女性の住む村里を親しんで言った語。「花橘を引き攀ぢて折らむ」の「引き攀づ」は、掴んでたぐり寄せる意で、女性を我が物にすることの喩え。「うら若みこそ」は、まだ若いので。あとに「折るのがためらわれる」という気持ちが省略されています。上代においても、結婚年齢に達しない少女に触れることはタブーとされていたようです。

 3575の「美夜自呂」は、地名とされますが所在未詳。「すかへ」は、川や海の砂地。「かほが花」は、ヒルガオとする説がありますが、未詳。「な咲き出でそね」の「な~そ」は禁止で、人目につくように咲き出すな。「隠めて偲はむ」は、人に隠れてこっそり思っていよう。忍び妻を持つ男の歌であり、自分だけ独り占めしようという気持ちが込められているようです。

 3576の「苗代の」は、苗代に生えている。「小水葱」は、ミズアオイ科の水田の食用の雑草。「衣に摺り」は、いわゆる摺り染めで、女に手を出したこと、関係を持ったことの喩え。「馴るるまにまに」の「まにまに」は、つれて、したがってで、着慣れるにつれての意。情交が久しくなったことの喩え。「何ぜか」は「どうして~か」の東語。「愛しけ」は「愛しき」の訛り。

 3577は、「挽歌」とある1首。「愛し妹」は、愛しいわが妻。「何処行かめと」は、どこへ行くのか、どこへも行くまい。「山菅の」は、類音の繰り返しで「背向」に掛かる枕詞。「背向」は、背中合わせ。「寝しく」の「し」は過去の助動詞で、「く」を添えて名詞形にしたもの。「今し悔しも」の「し」は強意の副助詞で、今こそ悔やまれるよ。妻が亡くなった後、生前の愛が足らなかったこと反省している夫の歌で、ささいなことでケンカした夜のことを思い出して悔やんでいます。「挽歌」とされていますが、妻と別れて旅に出た場合の歌とも解し得ます。

 この歌と男女の立場を変えたものに、「吾が背子を何処行かめとさき竹の背向に寝しく今し悔しも」(巻第7-1412)があり、東歌はこの歌を歌い替えたもの、またはこれに拠ったものと見られています。ここの歌が、東歌らしくないとの評があるのも頷けるところです。この歌が巻第14の最終歌であり、左注に「以前の歌詞は、いまだ国土山川の名を勘(かむが)へ知ることを得ず」とあり、3438から3577までの140首が、国名地名を特定できない、としています。

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旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

東歌の国別集計

東海 >>>
遠江 3
駿河 6
伊豆 1

中部 >>>
信濃 15

関東 >>>
相模 15
上野 25
武蔵 9
下野 2
上総 3
下総 5
常陸 12

東北 >>>
陸奥 4

不明 140

(合計 230)

東国方言の例

あしき
 →あしけ
逢ふ(あふ)
 →あほ
天地(あめつち)
 →あめつし
青雲(あをくも)
 →あをくむ
磯辺(いそへ)
 →おすひ
暇(いとま)
 →いづま
家(いへ)
 →いは/いひ
妹(いも)
 →いむ
兎(うさぎ)
 →をさぎ
うつくしき
 →うつくしけ
海原(うなはら)
 →うのはら
うらがなしき
 →うらがなしけ
帯(おび)
 →えひ
面変り(おもかはり)
 →おめかはり
思へど(おもへど)
 →おめほど
影(かげ)
 →かご
徒歩(かち)
 →かし
門(かど)
 →かつ
かなしき
 →かなしけ
帰り(かへり)
 →かひり
上(かみ)
 →かむ
鴨(かも)
 →こも
かも〈助詞〉
 →かむ
韓衣(からころも)
 →からころむ
木(き)
 →け
悔しき(くやしき)
 →くやしけ
けり〈助動詞〉
 →かり
小枝(こえだ)
 →こやで
数多(ここだ)
 →こごと
越す(こす)
 →こそ
言葉(ことば)
 →けとば
恋し(こひし)
 →こふし
子持ち(こもち)
 →こめち
幸く(さきく)
 →さく/さけく
防人(さきもり)
 →さきむり
捧げ(ささげ)
 →ささご
島陰(しまかげ)
 →しまかぎ
清水(しみづ)
 →せみど
後方(しりへ)
 →しるへ
住む(すむ)
 →すも
畳薦(たたみこも)
 →たたみけめ
立ち(たち)
 →たし
たどき
 →たづき
たなびく
 →とのびく
賜ふ(たまふ)
 →たまほ
月(つき)
 →つく
つつ〈助詞〉
 →とと
時(とき)
 →しだ
遠江(とほたふみ)
 →とへたほみ
なむ〈助詞〉
 →なも
なやましき
 →なやましけ
布(ぬの)
 →にの
野(の)
 →ぬ
放ち(はなち)
 →はなし
母(はは)
 →あも/おも/も
延ふ(はふ)
 →はほ
針(はり)
 →はる
引く(ひく)
 →ひこ
降る(ふる)
 →ふろ
真木柱(まきはしら)
 →まけはしら
待つ(まつ)
 →まと
向ける(むける)
 →むかる
共(むた)
 →みた
妻(め)
 →み
持ち(もち)
 →もし/もぢ/めち
やすき
 →やすけ
雪(ゆき)
 →よき
行く(ゆく)
 →ゆこ
百合(ゆり)
 →ゆる
寄す(よす)
 →えす
夜床(よとこ)
 →ゆとこ
より〈助詞〉
 →ゆり
我妹子(わぎもこ)
 →わぎめこ
我(われ)
 →わろ

東歌の作者

『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。全体が恋の歌であり、素朴で親しみやすい歌が多いことなどから、かつてこれらの歌は東国の民衆の生の声と見られていましたが、現在では疑問が持たれています。

そもそも土地に密着したものであれば、民謡的要素に富む歌が多かったはずで、形式も多用な歌があったはずなのに、そうした歌は1首も採られていません。『万葉集』の東歌はすべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、民謡そのものでなく、中央側が何らかの手を加えた歌、あえていえば民謡らしさを残した歌として収録されたものと見られています。

従って、もともとの作者は土着の豪族階級の人たちで、都の官人たちが歌を作っているのを模倣した、また彼らから手ほどきを受けたのが始まりだろうとされます。すなわち、郡司となった豪族たちと、中央から派遣された国司らとの交流の中で作られ、それらを中央に持ち帰ったのが東歌だと考えられています。

なお、「都」と「鄙」という言葉があり、「都」は「宮処」すなわち皇宮の置かれる場所であり、畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)を指します。「鄙」は畿外を意味しましたが、東国は含まれていません。『万葉集』でも東国は決して「鄙」とは呼ばれておらず、東国すなわち「東(あづま)」は、「都・鄙」の秩序から除外された、いわば第三の地域として認識されていたのです。東歌が特立した巻として存在する理由はそこにあります。

巻第14の編纂者

 巻第14の編纂者が誰かについては諸説あり、佐佐木信綱は、藤原宇合(不比等の第3子)が常陸守だった時に属官として仕え、東国で多くの歌を詠んだ高橋虫麻呂だとしています。ただ、東歌の編纂は、虫麻呂一人の仕事ではなく、のちにそれに手を加えた人のあることが推量され、その人を大伴家持とする説もあります。一方、この巻に常陸の作の多いことも認められるが、上野の国の歌はさらに多く、その他多くの国々の作を、常陸に在任したというだけで虫麻呂の編纂と断ずることはできないとの反論もあり、その上野国に関連して、和銅元年(708年)に上野国守となった田口益人(たぐちのますひと:『万葉集』に短歌2首)と見る説もあります。さらには、これら個人の仕事ではなく、東国から朝廷に献じた「歌舞の詞章」だという説もあります。

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