本文へスキップ

万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

東歌(巻第14)~その3

巻第14-3496~3500

3496
橘(たちばな)の古婆(こば)の放髪(はなり)が思ふなむ心愛(うつく)しいで吾(あれ)は行かな
3497
川上(かはかみ)の根白高萱(ねじろたかがや)あやにあやにさ寝(ね)さ寝てこそ言(こと)に出(で)にしか
3498
海原(うなはら)の根(ね)柔(やは)ら小菅(こすげ)あまたあれば君は忘らす我(わ)れ忘るれや
3499
岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも
3500
紫草(むらさき)は根をかも終(を)ふる人の子のうら愛(がな)しけを寝(ね)を終(を)へなくに

【意味】
〈3496〉橘の古婆にいるおさげ髪の少女の、私を思っているらしい心がかわいい。さあ、今からその少女の許へ行こう。

〈3497〉川上の急流に洗われて、根の近くが純白になっている高い丈の萱のように、すらりとした色白の女、無我夢中で何度も繰り返し寝てしまったから、噂が立ってしまった。

〈3498〉海辺に生える根の柔らかい菅が多いので、あなたは目移りして私のことはお忘れでしょうが、私はあなたを忘れるものですか。

〈3499〉陸の方に引き寄せながら刈っている萱のように、あの娘は、ほんに素直に私に寝ようと言ってくれない。

〈3500〉紫草は根を染料に使い果たすという。が、私は、あの子が愛しくてならないのに、共寝を果たすことができない。

【説明】
 3496の「橘の古婆」は地名ながら所在未詳(「橘」を枕詞とする説もある)。「放髪」は、結い上げずに頭上で左右に分けて垂らす「振り分け髪」のことで、その髪型から15、6歳以下ぐらいの少女を指します。この時代の女性の髪型は、8歳ごろまでは現在のおかっぱと同じで、すそを切り揃え、その後が振り分け髪の時代で、肩のあたりまで髪を伸ばします。そして、結婚するか結婚適齢期になると、もっと伸ばして髪を結い上げたとされます。「思ふなむ」の「なむ」は「らむ」の東語。「いで我は行かな」の「いで」は、感動詞の「さあ」、「な」は、希望。若い恋人を持った男の歌ですが、この歌の解釈について、窪田空穂は、「この男は、放髪の女と関係していることを不自然に感じていたとみえ、『心愛し』と、その女の許へ行くことに理由をつけ、また、『いで吾は行かな』と、我と自身を誘う心を持っている」として、若すぎる女のところへ通うので心が咎めていると理解していますが、佐佐木幸綱は、男がのろけているように読めると言っています。

 3497の上2句は「あや」を導く序詞。「たかかや」が「あやにあやに」を類音で呼び起こしています。「あやに」は、何とも言えないほど。「さ寝さ寝て」は、何度も繰り返し寝て。「さ」は、接頭語。水に洗われた真っ白な萱の茎は女性の肌を暗示しているのでしょう。その白さに無我夢中になって共寝を重ねたというのです。3498の上2句は、遊行女婦の比喩。「柔ら」は、若い女性の暗示。「忘らす」は「忘る」の尊敬語。

 3499の上3句は「なごや」を導く序詞。「なごや」は、柔らかいもの。ここでは女性の比喩。口説いても応じない女のことを思い、嘆息している歌です。ただ、「寝ろとへなかも」は、寝ようと言うのかな、とも解されます。窪田空穂はこの歌について、「この種の歌としては、心細かい、語のこなれた、すぐれたものである」と述べています。
 
 3500の「紫草」は、その根から紫色の染料を採る野草。「根をかも終ふる」は、根を終わりにするだろうか、その根の用を果たすのだろうか。「人の子」の「人の」は、女の愛称の「子」を強調するために冠したもの。「うら愛しけ」は「うら愛しき」の東語。懸想している女を我が物にできずにいるのを嘆き、「根」と「寝」を語呂合わせにした歌です。窪田空穂はこの歌について、「序詞から見て、東国の歌とは取れるが、上品で、気が利いていて、奈良朝時代を思わせる歌である」と述べています。

巻第14-3501~3506

3501
安波峰(あはを)ろの峰(を)ろ田に生(お)はるたはみづら引かばぬるぬる我(あ)を言(こと)な絶え
3502
我(わ)が目妻(めづま)人は放(さ)くれど朝顔(あさがほ)のとしさへこごと我(わ)は離(さか)るがへ
3503
安齊可潟(あせかがた)潮干(しほひ)のゆたに思へらばうけらが花の色に出(で)めやも
3504
春へ咲く藤(ふぢ)の末葉(うらば)のうら安(やす)にさ寝(ぬ)る夜(よ)ぞなき子ろをし思(も)へば
3505
うちひさつ宮の瀬川(せがは)のかほ花(ばな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
3506
新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき穂に出(で)し君が見えぬこのころ
 

【意味】
〈3501〉安波の岡の山田に生えるタワミズラのように、引き寄せたらすなおに靡き寄ってきて、私との仲を絶やさないでほしい。

〈3502〉私の愛しい妻を、人は割こうとするが、朝顔のとしさえこごと、私は決して離れるものか。

〈3503〉安齊可潟の潮がゆったり引いていくように、のんびりした気分で思っているなら、どうしておけらの花のように顔に出したりしようか。

〈3504〉春のころ、垂れ下がる藤の末葉のように、うらうらと心安らかに眠る夜もない、あの子のことを思うと。

〈3505〉宮の瀬川に咲くかお花のように、妻は私を恋しく思って一人さびしく寝ていることだろう、昨夜も今夜も。

〈3506〉蚕の部屋にこもって忙しく作業する時期になったからか、私を好きだと言ったあの人は、このごろ姿を見せない

【説明】
 3501の「安波」は地名、千葉県の安房か。上3句は「たはみづら」を導く序詞「たはみづら」は水田に生える草。「言な絶え」の「な」は禁止。3502の「目妻」は「愛づ妻」の約か。「朝顔」は、桔梗の古名。「としさへこごと」は、語義未詳。「離るがへ」の「がへ」は「かは」の東語で、反語。3503の「安齊可潟」は、所在未詳。「ゆたに」は、ゆったりと。「うけら」は、山野に自生するキク科の多年草。「やも」は、反語。3504の「春へ」は春のころ。「末葉」は、枝先の葉。上2句は「うら安」を導く序詞。「うら安」は、心安らかなこと。
 
 3505の「うちひさす」は「宮」の枕詞。「宮の瀬川」は、所在未詳。「かほ花」はどの花であるか未詳で、昼顔、朝顔、杜若、むくげなどの説や、単に美しい花という説があります。『万葉集』に「かほ花」が詠まれた歌は4首あり、「容花」「貌花」とも書かれます。国語学者の大槻文彦が明治期に編纂した国語辞典『言海』によれば「かほ」とは「形秀(かたほ)」が略されたもので、もともとは目鼻立ちの整った表面を意味するといいます。上3句は「恋ひて」を導く序詞。

 3506の「新室」は、養蚕のために新しく造った家。ここでは養蚕のための小屋。「こどき」は「蚕時」で、蚕を飼う時期。「はだすすき」は、表皮を被ったススキの穂で「穂」の枕詞。「穂に出し」は、好意を表面にあらわしたこと。ススキの花穂の赤みがかった色は、恋心に染まる頬の色に通じています。

巻第14-3507~3512

3507
谷 狭(せば)み峰(みね)に延(は)ひたる玉葛(たまかづら)絶えむの心 我(わ)が思(も)はなくに
3508
芝付(しばつき)の御宇良崎(みうらさき)なるねつこ草(ぐさ)相(あひ)見ずあらば我(あ)れ恋ひめやも
3509
栲衾(たくぶすま)白山風(しらやまかぜ)の寝(ね)なへども子ろが襲着(おそき)のあろこそ良(え)しも
3510
み空(そら)行く雲にもがもな今日(けふ)行きて妹(いも)に言問(ことど)ひ明日(あす)帰り来(こ)む
3511
青嶺(あをね)ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこのころ
3512
一嶺(ひとね)ろに言はるものから青嶺(あをね)ろにいさよふ雲の寄そり妻(づま)はも

【意味】
〈3507〉谷が狭いので峰に向かって伸びている玉葛の、引けば絶えるような、そんな関係を断とうとする心は持っていません。

〈3508〉芝付の御宇良崎のねつこ草、一緒に寝たあの子に逢っていなかったならば、何でこれほどに恋い焦がれようか。

〈3509〉白山から下ろす寒い風で寝られないけど、あの子が用意してくれた上着があるので良かった。

〈3510〉空を流れていく雲であったらいいのに。そしたら、今日にでも行ってあの子と語り合い、明日には帰って来れるのに。

〈3511〉あの青い峰にたなびく雲のように、心落ち着かず物思いをしている。一年もの長い間を。

〈3512〉一つ峰の仲だと噂されているのに、いざ私と寝ろと言ったら、あの青い峰に漂う雲のようにためらっている、あの寄そり妻は。

【説明】
 3507の「谷狭み」は、谷が狭いので。3508の「芝付の御宇良崎」は所在未詳。「ねつこ草」は未詳ながら、「寝つ子」を掛けています。「相見る」は、関係を結ぶ。3509の「栲衾」は「白」の枕詞。「白山」は、加賀国の白山か。「襲着」は、上着。「あろ」は「有る」の東語。3510の「もがも」は、願望。「言問ふ」は、ものを言う、訪問する。

 3511の「青嶺ろ」は青い峰。「ろ」は接尾語。「いさよひ」は、ためらう、ぐずぐずする。3512の「青嶺ろに」は、「青い嶺に」と「我を寝ろ(私と寝よう」を掛けています。「寄そり妻」は、関係があると噂を立てられた妻、心を寄せている妻、あるいは他人が寄せようと仲介している妻などの解釈があります。

巻第14-3513~3517

3513
夕(ゆふ)さればみ山を去らぬ布雲(にのぐも)のあぜか絶(た)えむと言ひし子ろはも
3514
高き嶺(ね)に雲の付(つ)くのす我(わ)れさへに君に付(つ)きなな高嶺(たかね)と思(も)ひて
3515
我(あ)が面(おも)の忘れむしだは国 溢(はふ)り嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ
3516
対馬(つしま)の嶺(ね)は下雲(したぐも)あらなふ可牟(かむ)の嶺(ね)にたなびく雲を見つつ偲(しの)はも
3517
白雲(しらくも)の絶えにし妹(いも)をあぜせろと心に乗りてここば愛(かな)しけ

【意味】
〈3513〉夕方になると、山から離れずたなびく布雲のように、私も離れないからと、あの子は言ったのに。

〈3514〉高い峰に雲が寄り添うように、私だってあなたに寄り添っていたい、あなたを高い峰のように頼りがいのある人だと思って。

〈3515〉私の顔を忘れそうになったら、国中に湧きあふれて嶺に立つ雲、その雲を見ては、私のことを思い出してください。

〈3516〉対馬国の山には下雲がかからないので、可牟山にたなびいている雲を見ながらあの子を思い出そう。

〈3517〉切れた白雲のように仲が途絶えたあの子を、いまさらどうしろというのか。心に乗りかってきて、やたらと愛しくてならない。

【説明】
 3513の「夕されば」は、夕方になると。「布雲」の「にの」は東語で、布のように横にたなびいている雲。上3句は「あぜか絶えむ」を導く序詞。「あぜか」は「などか」の東語。3514の「付くのす」は、付くように。「付きなな」は、しっかり寄り添いたい。3515の「忘れむしだは」の「しだ」は、時(とき)。「溢り」は「あふれ」。「嶺に立つ」は、山の峰に現れる。
 
 3516は、防人として対馬(長崎県対馬市)に配された東国の男の歌と見られ、上の歌に対する答えのようになっています。「下雲」は低い雲。「あらなふ」の「なふ」は、打消の東語。「可牟の嶺」は所在未詳で、対馬から見える筑前か肥前の山か、あるいは「上の嶺」だとして、「低い雲がないので、上方にそびえる山にたなびいている雲を見ながら・・・」と解するものもあります。いとしい妻のおもかげを偲んでいるのか、それとも筑紫の美しい女にうつつをぬかしているのか、よく分かりません。
 
 3517の「白雲の」は「絶え」の枕詞。「あぜ」は、いかに、どのように。「せろ」は、せよ。「ここば」は、たいそう、甚だしく。

巻第14-3518~3522

3518
岩(いは)の上(へ)にいかかる雲のかのまづく人ぞおたはふいざ寝(ね)しめとら
3519
汝(な)が母に嘖(こ)られ我(あ)は行く青雲(あをくも)の出(い)で来(こ)我妹子(わぎもこ)相(あひ)見て行かむ
3520
面形(おもかた)の忘れむ時(しだ)は大野(おほの)ろにたなびく雲を見つつ偲(しの)はむ
3521
烏(からす)とふ大軽率鳥(おほをそどり)の真実(まさで)にも来(き)まさぬ君をころくとぞ鳴く
3522
昨夜(きそ)こそば児(こ)ろとさ寝(ね)しか雲の上(うへ)ゆ鳴き行く鶴(たづ)の間遠(まとほ)く思ほゆ
 

【意味】
〈3518〉岩の上に次々とかかる雲のように、いつも騒ぎ立てている連中のお節介もおさまった。さあ共寝をしようか、かわいい女よ。

〈3519〉お前さんの母親に叱られて私は帰ることにするが、雲間の青空のように、ちらっとでも出てきておくれ私の恋人よ。一目見て行きたい。

〈3520〉顔かたちを忘れそうになったら、広々とした野にたなびいている雲を見つつ、お前さんのことを偲ぼう。

〈3521〉カラスという大慌て者の鳥が、本当においでになったわけではないあの方なのに、ころく、ころくと鳴く。

〈3522〉昨夜あの子と寝たばかりなのに、雲の上を行く鶴の鳴き声が遠くに聞こえ、もう遠い昔のよう。

【説明】
 3518は、3409の「伊香保ろに天雲い継ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら」の別伝。3519の「嘖られ」は、大声で叱られて。「青雲の」は「出で来」の枕詞。この時代の日本は厳密な意味での「母系社会」ではなかったというものの、母親の地位は高く、とくに娘の結婚に母親が口出しし、婿選びをするなど、結婚決定権は父親ではなく母親にあったようです。これらの歌のほかにも、母親が娘の交際相手を管理し、時には恋の障害となる歌が数多く見られます。
 
 3520の「面形」は、顔の形。3521の「烏とふ」の「とふ」は「といふ」の約。「大軽率鳥」の「軽率」は、慌て者の意。「真実にも」は、本当に、確かに。「ころく」は、烏の鳴き声と恋しい人が来る「子ろ来」を掛けています。3522の「さ寝しか」の「さ」は、接頭語。「しか」は、過去の助動詞。「雲の上ゆ鳴き行く鶴の」は「ま遠く」を導く序詞。「間遠く思ほゆ」は、遠い以前に思われる。 

巻第14-3523~3526

3523
坂越えて安倍(あへ)の田(た)の面(も)に居(ゐ)る鶴(たづ)のともしき君は明日(あす)さへもがも
3524
真小薦(まをごも)の節(ふ)の間(ま)近くて逢はなへば沖つ真鴨(まかも)の嘆きぞ我(あ)がする
3525
水久君野(みくくの)に鴨(かも)の這(は)ほのす子ろが上(うへ)に言(こと)緒(を)ろ延(は)へていまだ寝(ね)なふも
3526
沼(ぬま)二つ通(かよ)は鳥が巣(す)我(あ)が心 二行(ふたゆ)くなもとなよ思(も)はりそね
 

【意味】
〈3523〉坂を越えて飛んできて、安倍の田んぼに降り立っている鶴、その鶴のように心惹かれ、慕わしいあの方に、明日もまた逢いたい。

〈3524〉真薦(まこも)の節と節の間のように近くにいながら、逢えないので、沖に棲む真鴨のように私は嘆いている。

〈3525〉水久君野を鴨が水に漬かって這うように、あの子にそっと長らく声をかけているけれど、いまだに共寝ができないでいる。

〈3526〉二つの沼を行き来する鳥が二つの巣を通うように、私の心が二か所に通っているなどと思ってくれるなよ。

【説明】
 3523の「安倍」は、静岡市の安倍川付近の地とされます。上3句は「ともしき」を導く序詞。「ともしき」は心惹かれる、慕わしい。「もがも」は願望。3524の「真小薦」の「真」も「小」も接頭語。「真小薦の節の」は「間近く」を導く序詞。「逢はなへば」の「なへ」は東語の打消の「なふ」の已然形。「沖つ真鴨」は「嘆き」を導く序詞。
 
 3525の「水久君野」は所在未詳。「這ほのす」の「這ほ」「のす」は、それぞれは「這ふ」「なす」の東語。「子ろ」は、女性を親しんで呼ぶ語。「寝なふも」の「なふ」は打消。3526の「通は」は「通ふ」。「二行くなも」の「なも」は、現在推量「らむ」の東語。「なよ思はりそね」の「な~そね」は、禁止。

 東歌は、歌の基本形が整っている一方で、3525のように、過度に方言臭を着けることで殊更に地方色を出そうとしている意図が見える歌が少なくありません。朝廷の威力が東国にまで及んでいることを示すために設けられた巻第14とされますが、そのためもあってか、編者の手がかなり加わっているとみられています。

巻第14-3527~3531

3527
沖に棲(す)も小鴨(をかも)のもころ八尺鳥(やさかどり)息づく妹(いも)を置きて来(き)のかも
3528
水鳥(みづどり)の立たむ装(よそ)ひに妹(いも)のらに物言(ものい)はず来(き)にて思ひかねつも
3529
等夜(とや)の野に兎(をさぎ)狙(ねら)はりをさをさも寝なへ児(こ)ゆゑに母にころはえ
3530
さ雄鹿(をしか)の伏(ふ)すや草むら見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも
3531
妹(いも)をこそ相(あひ)見に来しか眉引(まよび)きの横山辺(よこやまへ)ろの猪鹿(しし)なす思(おも)へる

【意味】
〈3527〉離れて沖に棲む鴨のように、長いため息をついて嘆いている妻を、後に残して旅立って来たことだ。

〈3528〉旅の身支度に忙しく、愛しい妻に言葉もかけずに来てしまい、嘆きに堪えられないことだ。

〈3529〉等夜(とや)の野に兎を狙っているわけではないが、ろくすっぽ寝てもいないあの子なのに、母親にこっぴどく叱られてしまった。

〈3530〉牡鹿が伏している草むらのように、たとえ姿は見えなくても、あの子の家の金門の前を通って行くのはうれしいものだ。

〈3531〉彼女に逢いに来ただけなのに、横山あたりをうろつく猪鹿のように思いやがって。

【説明】
 3527の「もころ」は、~のように。「八尺鳥」は、長い息をつく鳥、水中での息が長い鳥。カイツブリのことで、「息づく」の枕詞。「来のかも」は「来ぬかも」の東国形。3528の「水鳥の」は「立たむ」の枕詞。「装ひ」は、準備、身支度。「妹のら」の「のら」は、親愛の接尾語。なお、この巻の終わり近くに「防人の歌」として5首(3567~3571)が載っていますが、ここの2首も防人の作と考えても不自然ではありません。

 3529の「等夜の野」は、所在未詳。「等夜の野に兎ねらはり」は「をさをさ」を導く序詞。「兎(をさぎ)」は、兎の東語。娘に近づく機会を狙っているのを、兎を狙うことに喩えています。「をさをさ」は下に打消の語をともなう副詞で、ほとんどの意。「寝なへ」は、東語の打消しの助動詞「なふ」が更に訛ったもの。「ころはえ」は、大声で叱られる。兎は狩りなどでも身近な動物だったはずですが、『万葉集』で兎を詠んでいるのはこの1首のみです。
 
 3530の上2句は「見えず」を導く序詞。「さ雄鹿」の「さ」は、接頭語。「子ろ」は、女性を親しんで呼ぶ東語。「金門」は未詳ながら「金」は「門」の美称とも言われます。3531の「眉引きの」は「横」の枕詞。「猪鹿なす」の「なす」は、のような。女の母親に発見され追われた時に毒づいた歌です。3529の歌もそうですが、娘の母は恋の監視者として、男子にとって極めて高い障壁となっていたようです。

巻第14-3532~3536

3532
春の野に草(くさ)食(は)む駒(こま)の口やまず我(あ)を偲(しの)ふらむ家の子ろはも
3533
人の子の愛(かな)しけしだは浜洲鳥(はますどり)足(あ)悩(なゆ)む駒(こま)の惜(を)しけくもなし
3534
赤駒(あかごま)が門出(かどで)をしつつ出(い)でかてにせしを見立てし家の子らはも
3535
己(おの)が命(を)をおほにな思ひそ庭に立ち笑(ゑ)ますがからに駒(こま)に逢ふものを
3536
赤駒(あかごま)を打ちてさ緒引(をび)き心引(こころび)きいかなる背(せ)なか我(わ)がり来(こ)むと言ふ
 

【意味】
〈3532〉春の野で草を食む馬の口がやまないように、私のことをしきりに偲んでいることだろうな、家に残したわが妻は。

〈3533〉かわいい女が愛しくてならない時は、浜や洲にいる鳥のように、歩き辛くなっている飼馬も、乗るのをかわいそうにとは思わない。

〈3534〉私の乗った赤毛の馬が、出発のときに渋るのを、見送ってくれた家の妻は、ああ。
 
〈3535〉ご自分の命を粗末にしないで下さい。庭に立って微笑んで迎えに出ていると、思うお方の乗馬にもまた逢えるというではありませんか。
 
〈3536〉赤毛の馬を鞭打ち、手綱を引き締めて歩みを急がせるように、私の気を引いて、どんなお方が私を訪ねて来るというのでしょう。

【説明】
 3532は、男が旅に出て、家の妻を思う歌。「春の野に草食む駒の口」は「やまず」を導く序詞。「児ろ」は、一緒に住んでいる妻。「はも」は、強い詠嘆。3533の「人の子」の「人の」は「子」を強調するため冠した語。「愛しけ」は「愛しき」の古形。「しだ」は、時。「浜洲鳥」は、浜の洲に棲む水鳥で、陸上を歩く時には不格好な歩みになるところから「足悩む」にかかる枕詞。「足悩む」は、足の具合を悪くしている意。馬がかわいそうだが、それを思ってはいられないと言っています。
 
 3534の「門出」は、防人などに徴されてのことと思われます。「出でかてにせしを」は、出て行きにくそうにしたのを。「見立てし」は、見送りをすること。3535の「おほに」は、おろそかに、いいかげんに。「な思ひそ」の「な~そ」は、禁止。「笑ますがからに」の「からに」は、するやいなや。思いつめる女を慰めている歌のようです。3536の「さ緒」の「さ」は、接頭語。「心引く」は、相手の気持ちを自分の方に引き寄せる意。「我がり」は、私のもとへ。「これから先、どのような心映えの男の人が私の夫となるのでしょうか」と、初々しい乙女心の、はにかみと期待の気持ちがうたわれています。
 
 なお、東歌には、馬を詠んだ歌が15首あり、うち8首は馬に乗って出歩く歌です。この時代、高価な馬を飼育して乗り回すことができたのは、一握りの豪族層、最低でも下級官人クラスであっただろうとみられています。

巻第14-3537~3540

3537
柵越(くへご)しに麦(むぎ)食(は)む小馬(こうま)のはつはつに相見(あひみ)し児(こ)らしあやに愛(かな)しも
[或本の歌に曰はく]
馬柵(うませ)越し麦(むぎ)食)は)む駒(こま)のはつはつに新肌(にひはだ)触れし児(こ)ろし愛(かな)しも
3538
広橋(ひろはし)を馬越しがねて心のみ妹(いも)がり遣(や)りて我(わ)はここにして
[或本の歌の上二句] 小林(をはやし)に駒(こま)を馳ささげ
3539
崩岸(あず)の上に駒(こま)を繋(つな)ぎて危(あや)ほかど人妻(ひとづま)子ろを息(いき)に我(わ)がする
3540
左和多里(さわたり)の手児(てご)にい行き逢ひ赤駒(あかごま)が足掻(あが)きを速み言(こと)問はず来ぬ
  

【意味】
〈3537〉柵越しにほんの少し麦を盗み食いする仔馬のように、わずかに関係した女だが、やたらに愛しくてならない。
(或る本の歌に曰く)
 馬柵越しにほんの少し麦を盗み食いする馬のように、わずかに新肌に触れた女だが、やたらに愛しくてならない。
 
〈3538〉馬が広い橋を越えかねるように、心はあの子の許へ行かせるけれど、我が身は行きかねて逡巡としている。

〈3539〉くずれそうな崖の上に馬をつなぐのが危なっかしいように、人妻のあの子を心にかけるのは危なっかしいけれど、命がけで思っている。
 
〈3540〉評判の左和多里(さわたり)の美少女にたまたま行き合ったが、乗る馬の足が速かったので、声もかけずに通りすぎてしまった。

【説明】
 3537の上2句は「はつはつに」を導く序詞。「小馬」は男性の比喩。「はつはつに」は、ほんのわずかにの意。「相見る」は、男女が関係を結ぶこと。「児ら」は、女の愛称。「し」は、強意の助詞。「あやに」は、やたらに、何とも言いようがなく。「新肌」は、初めて男に許す女の肌。若者の、つかの間の性体験をうたった率直な歌です。

 3538の「広橋」は、幅の広い橋。「馬越しがねて」は、馬で越すことができなくて。おそらくは人目を憚って越せないのを馬に転化しているのでしょう。なお、左注には、或る本の発句には「小林に駒を馳(は)ささげ」というとあり、「林の中に馬を走り込ませてしまって」という意味になります。

 3539の上2句は「危ほか」を導く序詞。「崩岸」は、崩れ落ちそうな崖。「息に我がする」の「息」は「息の緒」と同じで「命」の意。「息にす」は、命がけで思っている。「息」は魂(生命力)の具体的な活動として意識されていたので、このような表現がなされます。人妻との密通の不安とあきらめきれない思いとが強く交錯しており、このような痛切な思いの直接的な吐露は、東歌ならではの表現です。3540の「左和多里」は未詳ながら、群馬県吾妻郡の沢渡温泉、茨城県水戸市の佐渡、福島県いわき市の沢渡などの地名があります。「手児」は、美少女の愛称。「い行き」の「い」は、接頭語。

巻第14-3541~3544

3541
あずへから駒の行(ゆ)ごのす危(あや)はとも人妻(ひとづま)子ろをま行(ゆ)かせらふも
3542
細石(さざれいし)に駒を馳(は)させて心痛み我(あ)が思(も)ふ妹(いも)が家のあたりかも
3543
むろがやの都留(つる)の堤(つつみ)の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝(ね)なくに
3544
阿須可川(あすかがは)下(した)濁(にご)れるを知らずして背(せ)ななと二人さ寝(ね)て悔しも
   

【意味】
〈3541〉崖っぷちを馬が行くのは危なっかしい。そのように人妻のあの人に近づくのは危なっかしいが、それでも・・・・・・。
 
〈3542〉砂利の上を馬を走らせて蹄を傷めぬかと心が痛むように、しきりに胸を傷めて思っている彼女の家のあたりだ、ここは。
 
〈3543〉むろがやを流れる都留川の堤が出来上がったと、まるで二人の仲ができあがったかのようにあの子は言うけれど、まだ一度も寝ていない。
 
〈3544〉阿須可川の底が濁っていること、そう、心が濁っているのを知らずに、あんな人と寝てしまって、なんて悔しい。

【説明】
 3541の上2句は「危はとも」を導く序詞。「あずへ」は、崖のふち。「行ごのす」は「行くなす」の東国方言で、行くように。「危はとも」は、危ういけれども、か。「まゆかせらふも」は、関心を示さずにはいられない、見ているだけではいられない、のような意らしくも、語義未詳。この歌と3539の歌は類想歌です。3542の上2句は「心痛み」を導く序詞。「細石」は、小さな石、砂利石。「かも」は、感動の助詞。
 
 3543の「むろがや」は地名とされますが、未詳。「都留の堤」は、山梨県都留郡を流れる都留川の堤か。他の意味とする説もあり、解釈が定まっていない部分です。「成りぬがに」は、出来あがったかのように。堤防工事の完成と求婚の成就を掛けています。「子ろ」は、女の愛称。「私たちはもう夫婦同然よ」と彼女は言うけれど、まだ肉体関係は許さない、それを嘆く男の歌です。

 3544の「阿須可川」は、大和の明日香川か東国の川か未詳。「下濁れる」は、男が不誠実だった喩え。「背なな」は、女性から男性を親しんでいう語。「背な」の「な」がすでに親愛の接尾語なのに、語調を重んじて「な」を重ねています。「悔しも」の「も」は詠嘆の終助詞。相手の内面をよく知らないまま関係を持ってしまったことを後悔している歌です。

巻第14-3545~3548

3545
安須可川(あすかがは)堰(せ)くと知りせばあまた夜(よ)も率寝(ゐね)て来(こ)ましを塞(せ)くと知りせば
3546
青柳(あをやぎ)の張らろ川門(かはと)に汝(な)を待つと清水(せみど)は汲(く)まず立ち処(ど)平(なら)すも
3547
あぢの住む須沙(すさ)の入江の隠(こも)り沼(ぬ)のあな息(いき)づかし見ず久(ひさ)にして
3548
鳴る瀬ろにこつの寄(よ)すなすいとのきて愛(かな)しけ背(せ)ろに人さへ寄すも
    

【意味】
〈3545〉安須可川がせき止められると分かっていたら、幾夜も幾夜もこっそり連れ出して共寝するのだったのに。せき止められると分かっていたら。
 
〈3546〉青柳は芽を吹く川の渡しであなたを待っています。清水を汲まずに行ったり来たりしているので、地面が平らになっています。
 
〈3547〉アジガモの棲む須沙の入江の、水の淀んだ沼のように、うっとうしくて息が詰まりそうだ。長く逢っていないから。
 
〈3548〉鳴り響く川瀬に木屑が寄せられるように、とりわけ愛しいあの人に、世間までが私をあの人に言い寄せてくれる。

【説明】
 3545の「安須可川」は、3544の「阿須可川」と同じく未詳。「堰く」は、逢えなくなることの喩え。「率寝」は、寝所に伴って行って寝る。「塞く」は、逢えなくなることの譬え。

 3546の「張らろ」は「張れる」の東語。枝や芽を出すこと。「川門」は、川幅の狭くなっているところ。「清水(せみど)」は、清水(しみづ)の東語。「立ち処平すも」は、行きつ戻りつしているうち、足元の土が踏まれて平らになっていくこと。当時、水汲みは若い女の仕事でした。外出できる唯一の機会であり、清水を汲んでくるのにかこつけて、男と逢う約束の川門で今か今かと待っている歌です。

 3547の上3句「あぢの住む須沙の入江の隠り沼の」は「あな息づかし」を導く序詞。「須沙の入江」の所在は未詳。「隠り沼」は、水の出口のない沼。「息づかし」は、息が詰まりそうなさま。3548の「鳴る瀬ろ」の「ろ」は接尾語。「こつ」は、木屑。「いとのきて」は、とりわけの意。「背ろ」は、夫。「人さへ寄す」は、世間の人までが関係あるように言う意。

巻第14-3549~3552

3549
多由比潟(たゆひがた)潮(しほ)満ちわたるいづゆかも愛(かな)しき背(せ)ろが我(わ)がり通(かよ)はむ
3550
押(お)して否(いな)と稲(いね)は搗(つ)かねど波(なみ)の穂(ほ)のいたぶらしもよ昨夜(きそ)ひとり寝て
3551
阿遅可麻(あぢかま)の潟(かた)にさく波(なみ)平瀬(ひらせ)にも紐(ひも)解くものか愛(かな)しけを置きて
3552
麻都(まつ)が浦にさわゑうら立(だ)ちま人言(ひとごと)思(おも)ほすなもろ我(わ)が思(も)ほのすも
 

【意味】
〈3549〉多由比潟に潮が満ちわたっている。どこを通って愛しいあの人は私の許へ通って来るのだろうか。
 
〈3550〉あえて嫌だといって稲を搗いているのではないけど、心が動揺して落ち着かないのです。昨夜は独り寝だったので。
 
〈3551〉阿遅可麻の潟に激しく裂かれる波のように激しく迫られても、静かな瀬のように言い寄られても、下紐を解くものですか、愛しいお方をさしおいて。
 
〈3552〉麻都が浦に波のざわめきがしきりに立っていて、そんなざわついた世間の噂をあの人は気にしておられるようだ。この私も同様に思っているように。

【説明】
 3549の「多由比潟」は所在未詳。「いづゆかも」は、どこを通ってか。3550の「押して否と」は、あえて嫌だといって。「稲搗き」は、木製の臼に稲(籾)を入れ、脱穀するために竪杵(たてきね)で搗く作業。「波の穂の」は「いたぶらし」の枕詞。「いたぶらし」は、心が動揺して落ち着かない。女が稲を搗いているところへ夫がやって来て早く寝ようと言うのに、女は嫌だと言ってなおも稲を搗いています。なぜなら、昨夜男が来ると思っていたのに来なかったのを恨んでいるからです。拗ねて稲を搗き続けていたのが、やがて言い訳として言い出したもののようです。
 一方、この「否」を、男への拒絶ではなく稲を搗くことを否定すると取り、稲搗きが嫌なわけではないが、と取る方が妥当だとする見方があります。土屋文明は、「実は稲つき労働に対する苦痛を言ひたいのだが、その労苦も、昨夜男とさへ寝て居たら、こんなには感じまいと、その方に転嫁させてゐるのである。或はさう歌ふことだけで、幾分苦痛を軽く感じさせるのであらう。性的感情によって労働苦を和げようとする典型的な、純然たる労働歌である」と言っています。
 
 3551の上2句は「平瀬にも」を導く序詞。「阿遅可麻の潟」は所在未詳。「平瀬」は、波の静かな瀬。「紐解くものか」の「ものか」は、反語。「愛しけ」は「愛しき」の東語。3552の「麻都が浦」は所在未詳。「ま人言」は、世間の噂。「ま」は、接頭語。「思ほすなもろ」の「思ほす」は「思ふ」の尊敬語。「なもろ」は「らむよ」の東語。「思ほのす」は、思うように。「思ふなす」の東語。

巻第14-3553~3556

3553
安治可麻(あぢかま)の可家(かけ)の湊(みなと)に入る潮(しほ)のこてたずくもが入りて寝(ね)まくも
3554
妹(いも)が寝(ぬ)る床(とこ)のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも
3555
麻久良我(まくらが)の許我(こが)の渡りの韓楫(からかぢ)の音(おと)高しもな寝(ね)なへ子ゆゑに
3556
潮船(しほぶね)の置かれば愛(かな)しさ寝(ね)つれば人言(ひとごと)繁(しげ)し汝(な)をどかもしむ
 

【意味】
〈3553〉安治可麻の可家の河口に入ってくる潮が緩やかなように、人の噂もおだやかであってほしい。あの娘の家に入って共寝したいから。

〈3554〉あの娘が寝ている床の辺りに、岩の間をくぐる水になりたい。ずっと潜り込んで一緒に寝たいから。
 
〈3555〉麻久良我の許我の渡しの韓梶の音が高いように、噂が高くなってしまった。あの子と共寝をしたわけでもないのに。

〈3556〉潮船のように浜に放っておけば、愛しくてならない。さりとて共寝に行けば噂が激しくなる。私はお前をどうしたらいいだろう。

【説明】
 3553の「安治可麻の可家」は所在未詳。上3句の「安治可麻の可家の湊に入る潮の」が「こてたずく」を導く序詞。「湊」は、河口。「こてたずく」は語義未詳ながら、噂が静まってほしい、改めて言い立てることがあろうか、の意とされます。

 3554の「岩ぐくる」は、岩の間をくぐる。「もがも」は、願望。まだ公然と女との共寝を許されない男の、激しい欲望の歌です。「あの娘にかかる水になりたい」という男の気持ちは理解できますが、この娘はいったいどういう所に寝ているのかが気になる歌です。よほどじめじめした場所でしょうか。

 3555の上3句は「音高し」を導く序詞。「麻久良我」は、渡良瀬川が利根川と別れるところの茨城県古河市の地名。「許我の渡り」は、古河市と渡良瀬川をはさんだ対岸の埼玉県加須市の間の渡し場。「韓楫」は、大陸風の櫓。「寝なへ」の「なへ」は、東語の打消しの助動詞。「ゆゑに」はなのに、にもかかわらず。3556の「潮舟の」は「置かれ」の枕詞。「潮舟」は、引き潮で浜に置かれたままの舟。「人言」は、世間の噂。「どかもしむ」は「あどかもせむ」の東国形。どうしたらいいのだろう。

巻第14-3557~3561

3557
悩(なや)ましけ人妻(ひとづま)かもよ漕(こ)ぐ舟の忘れはせなないや思(も)ひ増(ま)すに
3558
逢はずして行かば惜(を)しけむ麻久良我(まくらが)の許我(こが)漕ぐ船に君も逢はぬかも
3559
大船(おほぶけ)を舳(へ)ゆも艫(とも)ゆも堅(かた)めてし許曽(こそ)の里人(さとびと)顕(あら)はさめかも
3560
真金(まかね)吹(ふ)く丹生(にふ)のま朱(そほ)の色に出(で)て言(い)はなくのみぞ我(あ)が恋ふらくは
3561
金門田(かなとだ)を荒垣間(あらがきま)ゆ見(み)日が照(と)れば雨を待(ま)とのす君をと待(ま)とも
 

【意味】
〈3557〉悩ましい人妻だ。漕ぎ行く舟は遠ざかっていくが、この思いは忘れ去るどころか、いっそう増すばかりだ。

〈3558〉このまま逢えないままであの方が行ってしまったら、どんなにか心残りに思うことか。麻久良我の許我を渡る渡し舟の中ででも、ひょっとしてお逢いできないものだろうか。
 
〈3559〉大船を船首と船尾から綱を出してしっかり結ぶように、堅く契った二人の仲を、許曽の里の人たちがばらしたりできようか、できるはずがない。

〈3560〉鉄を製煉する炎のように赤い丹生の赤土のように、顔色に出して言わないだけのこと、私が恋い焦がれているこの思いは。

〈3561〉家の前の田を粗い垣根の隙間から覗くように、日照りが続けば雨が降るのをただ待つように、そんな気持ちであなたを待っています。

【説明】
 3557の「悩ましけ」は「悩ましき」の古形。「漕ぐ舟の」は「忘れ」の枕詞。「せなな」は、しないで、せずにの意。見るからに悩ましい人妻に心を寄せている男の独語です。3558の「逢はずして」は、共寝をしないでの意。「麻久良我」は、渡良瀬川が利根川と別れるところの茨城県古河市の地名。「許我」は、古河市と渡良瀬川をはさんだ対岸の埼玉県加須市の間の渡し場がある所。「君も逢はぬかも」の「も~ぬかも」は、願望。遊行女婦の歌とされますが、妻を残して旅立つ男の歌とする説もあります。

 3559の「舳ゆも艫ゆも」の「ゆ」は動作の起点。「許曽」は女性の住む地名ながら、未詳。「顕はさめかも」は、暴露することはないだろう。「顕はす」は、隠れているものを表面に出す意で、「かも」は反語。3560の「真金吹く」は「丹生」の枕詞。「丹生」の「丹」は朱の顔料のことで、水銀と硫黄が結合した鉱物。それが産出した土地を丹生といい、転じて地名になったもの。丹生は諸国にあるものの、東国では所在未詳。上2句は「色に出て」を導く序詞。「色に出て」は、表面に顕して。3561の「金門田」は、家の前にある田。「照(と)れば」は「てれば」の東語。「待とのす」「待とも」は、それぞれ「待つなす」「待つも」の東語。

巻第14-3562~3566

3562
荒礒(ありそ)やに生(お)ふる玉藻(たまも)のうち靡(なび)きひとりや寝(ぬ)らむ我(あ)を待ちかねて
3563
比多潟(ひたがた)の礒(いそ)のわかめの立ち乱(みだ)え我(わ)をか待つなも昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も
3564
小菅(こすげ)ろの浦(うら)吹く風のあどすすか愛(かな)しけ児(こ)ろを思ひ過ごさむ
3565
かの子ろと寝(ね)ずやなりなむはだすすき宇良野(うらの)の山に月(つく)片寄るも
3566
我妹子(わぎもこ)に我(あ)が恋ひ死なばそわへかも神(かみ)に負(お)ほせむ心知らずて
 

【意味】
〈3562〉あの荒磯に生える藻のように、黒髪を靡かせてあの子はひとりで寝ていることだろう、私を待ちかねて。

〈3563〉比多潟の磯のわかめが立ち乱れて繁るように、彼女は門に立って身も心も乱れて私を待っているのだろうか、あの子は。昨夜も今夜も。

〈3564〉この小菅の浦を吹いて行く風のように、いったいどのようして、愛しいあの娘のことをやり過ごしたらいいのか。
 
〈3565〉今夜はあの子と共寝することなく終わりそうだ。はだすすきの繁る宇良野の山に月が傾いてきた。

〈3566〉愛しいあの娘に恋い焦がれて死んだなら、周りの人は鬼神のせいにするだろうか。私の本心も知らないまま。

【説明】
 3562の「荒磯やに」の「や」は、接尾語。3563の「比多潟」は未詳。上2句は「立ち乱え」を導く序詞。「立ち乱え」は、門に立って思い乱れて。「乱え」は「乱れ」の東語。「待つなも」は「待つらむ」の東語で、待っているであろう。女の許へ行けない男の気持ちをうたっています。

 3564の「小菅ろの浦」は、地名(所在不明)ではなく「小菅の末(菅の葉先)」とする説もあります。最初に地名説を出したのは賀茂真淵で、今の東京都葛飾区小菅町あたりだといい、今は海から遠い地ですが、当時はその辺まで海だったかもしれません。「ろ」は接尾語。「あどすすか」の「あど」は「何と」の東語、「すすか」は「しつつ」の東語で、どのようにしつつ。恋の断念を強いられる状況の中で、それでもなお思い切れない男の気持ちをうたっている歌です。

 3565の「はだすすき」は穂を出した薄で、「宇良野」の枕詞。「宇良野」は、長野県上田市浦野か。そうだとすれば信濃の国の歌ということになりますが、分布の広い地名であるため決めかねたのかもしれません。「月(つく)」は月の東語。女の許に向かっている男が、月が傾いたのを見て、行き着いたら夜明けになるのではないかと焦っている歌です。万葉の恋人たちはどんなにお熱い中でも、会えるのはひと月に十日くらいがせいぜいだったといいます。その理由はすべて月にあり、三日月の頃から通い、闇夜では会うことができなかったのです。

 3566の「そわへ」の語義は定まらず、周囲の人の意、「添えない」意とする説などがあります。窪田空穂は、「『神に負せむ心知らずて』は、死なせるのはあなたであるのに、それを神様のせいにしようから、あなたは当然神罰をこうむることだろうの意で、甚しい威嚇である。恋に死なせるという感傷よりの威嚇は、後世には少なくないものであるが、それに神を引合いに出すのは稀れである」と述べています。

巻第14-3572~3577

3572
あど思(も)へか阿自久麻山(あじくまやま)の弓絃葉(ゆづるは)の含(ふふ)まる時に風吹かずかも
3573
あしひきの山かづらかげましばにも得(え)がたきかげを置きや枯(か)らさむ
3574
小里(をさと)なる花橘(はなたちばな)を引き攀(よ)ぢて折らむとすれどうら若(わか)みこそ
3575
美夜自呂(みやじろ)のすかへに立てるかほが花な咲き出(い)でそね隠(こ)めて偲(しの)はむ
3576
苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまに何(あ)ぜか愛(かな)しけ
3577
愛(かな)し妹(いも)をいづち行かめと山菅(やますげ)の背向(そがひ)に寝(ね)しく今し悔(くや)しも
 

【意味】
〈3572〉いったい何をぐずぐずしているのか、阿自久麻山のユズリハがまだ蕾(つぼみ)の時だからといって、風が吹かないなんてことがあるものか。

〈3573〉ヒカゲノカズラは滅多に得られないのに、むざむざ置きっぱなしにして枯らしてしまってよいものか。

〈3574〉小里に咲く橘の枝を引き寄せて折り取ろうとするのだが、あまりに若々しいので、どうしようかとためらわれる。

〈3575〉美夜自呂の海沿いの砂地に生えているかおが花よ。人目につくようにぱっと咲き出ないでくれ。こっそりと愛したいから。
 
〈3576〉苗代に交じって咲く小水葱(こなぎ)の花を、衣に染めて着ていたら、着慣れるにしたがってどうして愛しくなるのだろう。

〈3577〉愛しい妻が死んでしまうとは思わないで、山菅の葉のように背を向け合って寝たことが、今となっては悔やまれてならない。

【説明】
 3572の「あど思へか」は何と思ってか。「あど」は「何と」の東語。「阿自久麻山」は所在未詳。「含まる時」は、葉や花がまだ開き切らないでいる時。「含(ふふ)む」は、もともと口の中に何かを入れる意で、その口がふくらんだ様子から蕾がふくらむ意に転じた語で、ここでは、女が若く幼いことの譬え。「風吹かずも」は、他の男が言い寄ることの譬え。ためらっている男に、他の男が言い寄るぞと、第三者がけしかけている歌です。3573の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山かづらかげ」は、ヒゲノカズラ。女の譬え。

 3574の「小里」の「小」は接頭語で、女性の住む村里を親しんだ語。「花橘を引き攀ぢて折らむ」は女性を我が物にすることの喩え。「引き攀づ」は、掴んでたぐり寄せる。「うら若みこそ」は、若いので。あとに「折るのがためらわれる」という気持ちが省略されています。

 3575の「美夜自呂」は地名ながら所在未詳。「すかへ」は、川や海の砂地。「かほが花」はヒルガオとする説がありますが、未詳。「な咲き出でそね」の「な~そ」は禁止。「隠めて偲はむ」は、人に隠れて思っていよう。忍び妻を持つ男の気持ちの歌です。3576の「小水葱」は、ミズアオイ科の水田の食用の雑草。「衣に摺り」は、女に手を出したことの喩え。「なるる」は、着慣れる意で、馴れ親しむことの喩え。「まにまに」は、つれて、したがって。「何ぜか」は「どうして~か」の東語。

 3577の「山菅の」は「背向」の枕詞。「背向」は、背中合わせ。「今し悔しも」の「し」は強意で、今は残念なことだ。妻を亡くした夫の悲しみの歌で、ささいなことでケンカした夜のことを思い出して悔やんでいます。この歌が巻第14の最終歌であり、左注に「以前の歌詞は、いまだ国土山川の名を勘(かむが)へ知ることを得ず」とあり、3438から3577までの140首が、国名地名を特定できない、としています。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

【PR】

旧国名比較

【南海道】
紀伊(和歌山・三重)
淡路(兵庫)
阿波(徳島)
讃岐(香川)
土佐(高知)
伊予(愛媛)
 
【西海道】
豊前(福岡・大分)
豊後(大分)
日向(宮崎)
筑前(福岡)
筑後(福岡)
肥前(佐賀・長崎)
肥後(熊本)
薩摩(鹿児島)
大隅(鹿児島)
壱岐(長崎)
対馬(長崎)
 
【山陰道】
丹波(京都・兵庫)
丹後(京都)
但馬(兵庫)
因幡(鳥取)
伯耆(鳥取)
出雲(島根)
隠岐(島根)
石見(島根)
 
【機内】
山城(京都)
大和(奈良)
河内(大阪)
和泉(大阪)
摂津(大阪・兵庫)
 
【東海道】
伊賀(三重)
伊勢(三重)
志摩(三重)
尾張(愛知)
三河(愛知)
遠江(静岡)
駿河(静岡)
伊豆(静岡・東京)
甲斐(山梨)
相模(神奈川)
武蔵(埼玉・東京・神奈川)
安房(千葉)
上総(千葉)
下総(千葉・茨城・埼玉・東京)
常陸(茨城)
 
【北陸道】
若狭(福井)
越前(福井)
加賀(石川)
能登(石川)
越中(富山)
越後(新潟)
佐渡(新潟)
 
【東山道】
近江(滋賀)
美濃(岐阜)
飛騨(岐阜)
信濃(長野)
上野(群馬)
下野(栃木)
岩代(福島)
磐城(福島・宮城)
陸前(宮城・岩手)
陸中(岩手)
羽前(山形)
羽後(秋田・山形)
陸奥(青森・秋田・岩手)

東歌の国別集計

東海 >>>
遠江 3
駿河 6
伊豆 1

中部 >>>
信濃 15

関東 >>>
相模 15
上野 25
武蔵 9
下野 2
上総 3
下総 5
常陸 12

東北 >>>
陸奥 4

不明 140

(合計 230)

東国方言の例

あしき
 →あしけ
逢ふ(あふ)
 →あほ
天地(あめつち)
 →あめつし
青雲(あをくも)
 →あをくむ
磯辺(いそへ)
 →おすひ
暇(いとま)
 →いづま
家(いへ)
 →いは/いひ
妹(いも)
 →いむ
兎(うさぎ)
 →をさぎ
うつくしき
 →うつくしけ
海原(うなはら)
 →うのはら
うらがなしき
 →うらがなしけ
帯(おび)
 →えひ
面変り(おもかはり)
 →おめかはり
思へど(おもへど)
 →おめほど
影(かげ)
 →かご
徒歩(かち)
 →かし
門(かど)
 →かつ
かなしき
 →かなしけ
帰り(かへり)
 →かひり
上(かみ)
 →かむ
鴨(かも)
 →こも
かも〈助詞〉
 →かむ
韓衣(からころも)
 →からころむ
木(き)
 →け
悔しき(くやしき)
 →くやしけ
けり〈助動詞〉
 →かり
小枝(こえだ)
 →こやで
数多(ここだ)
 →こごと
越す(こす)
 →こそ
言葉(ことば)
 →けとば
恋し(こひし)
 →こふし
子持ち(こもち)
 →こめち
幸く(さきく)
 →さく/さけく
防人(さきもり)
 →さきむり
捧げ(ささげ)
 →ささご
島陰(しまかげ)
 →しまかぎ
清水(しみづ)
 →せみど
後方(しりへ)
 →しるへ
住む(すむ)
 →すも
畳薦(たたみこも)
 →たたみけめ
立ち(たち)
 →たし
たどき
 →たづき
たなびく
 →とのびく
賜ふ(たまふ)
 →たまほ
月(つき)
 →つく
つつ〈助詞〉
 →とと
時(とき)
 →しだ
遠江(とほたふみ)
 →とへたほみ
なむ〈助詞〉
 →なも
なやましき
 →なやましけ
布(ぬの)
 →にの
野(の)
 →ぬ
放ち(はなち)
 →はなし
母(はは)
 →あも/おも/も
延ふ(はふ)
 →はほ
針(はり)
 →はる
引く(ひく)
 →ひこ
降る(ふる)
 →ふろ
真木柱(まきはしら)
 →まけはしら
待つ(まつ)
 →まと
向ける(むける)
 →むかる
共(むた)
 →みた
妻(め)
 →み
持ち(もち)
 →もし/もぢ/めち
やすき
 →やすけ
雪(ゆき)
 →よき
行く(ゆく)
 →ゆこ
百合(ゆり)
 →ゆる
寄す(よす)
 →えす
夜床(よとこ)
 →ゆとこ
より〈助詞〉
 →ゆり
我妹子(わぎもこ)
 →わぎめこ
我(われ)
 →わろ

東歌の作者

『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。全体が恋の歌であり、素朴で親しみやすい歌が多いことなどから、かつてこれらの歌は東国の民衆の生の声と見られていましたが、現在では疑問が持たれています。

そもそも土地に密着したものであれば、民謡的要素に富む歌が多かったはずで、形式も多用な歌があったはずなのに、そうした歌は1首も採られていません。『万葉集』の東歌はすべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実態を直接に反映していないとみられることなどから、民謡そのものでなく、中央側が何らかの手を加えた歌、あえていえば民謡らしさを残した歌として収録されたものと見られています。

従って、もともとの作者は土着の豪族階級の人たちで、都の官人たちが歌を作っているのを模倣した、また彼らから手ほどきを受けたのが始まりだろうとされます。すなわち、郡司となった豪族たちと、中央から派遣された国司らとの交流の中で作られ、それらを中央に持ち帰ったのが東歌だと考えられています。

なお、「都」と「鄙」という言葉があり、「都」は「宮処」すなわち皇宮の置かれる場所であり、畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)を指します。「鄙」は畿外を意味しましたが、東国は含まれていません。『万葉集』でも東国は決して「鄙」とは呼ばれておらず、東国すなわち「東(あづま)」は、「都・鄙」の秩序から除外された、いわば第三の地域として認識されていたのです。東歌が特立した巻として存在する理由はそこにあります。

巻第14の編纂者

 巻第14の編纂者が誰かについては諸説あり、佐佐木信綱は、藤原宇合(不比等の第3子)が常陸守だった時に属官として仕え、東国で多くの歌を詠んだ高橋虫麻呂だとしています。ただ、東歌の編纂は、虫麻呂一人の仕事ではなく、のちにそれに手を加えた人のあることが推量され、その人を大伴家持とする説もあります。一方、この巻に常陸の作の多いことも認められるが、上野の国の歌はさらに多く、その他多くの国々の作を、常陸に在任したというだけで虫麻呂の編纂と断ずることはできないとの反論もあり、その上野国に関連して、和銅元年(708年)に上野国守となった田口益人(たぐちのますひと:『万葉集』に短歌2首)と見る説もあります。さらには、これら個人の仕事ではなく、東国から朝廷に献じた「歌舞の詞章」だという説もあります。

【PR】

【目次】へ