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更級日記

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夢告

(一)
 かうて、つれづれとながむるに、などか物詣でもせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬(はつせ)には、あなおそろし。奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山、関山越えていとおそろし。鞍馬(くらま)はさる山、率(ゐ)て出でむいとおそろしや。親、上(のぼ)りて、ともかくも」と、さしはなちたる人のやうにわづらはしがりて、わづかに清水(きよみづ)に率てこもりたり。それにも例のくせは、まことしかべいことも思ひ出されず。彼岸のほどにて、いみじう騒がしうおそろしきまでおぼえて、うちまどろみ入りたるに、御帳(みちやう)のかたの犬防ぎのうちに、青き織物の衣(ころも)を着て、錦を頭(かしら)にもかづき、足にもはいたる僧の、別当とおぼしきが寄り来て、「行くさきのあはれならむも知らず、さもよしなし事をのみ」と、うちむつかりて、御帳のうちに入(い)りぬと見ても、うちおどろきても、「かくなむ見えつる」とも語らず、心にも思ひとどめてまかでぬ。

【現代語訳】
 こんなふうに、所在なくぼんやりと過ごしている間に、どうして物詣でなどもしなかったのだろう。母はたいそう昔気質な人で、「初瀬(長谷寺)詣ではとても恐ろしい。奈良坂(奈良市の北東)で人さらいにあったらどうしますか。石山寺(滋賀県大津市)は、関山峠(逢坂山)を越えて行くのでひどく恐ろしい。鞍馬(京都市左京区)はもちろん険しくて、お前を連れて行くなんてとても恐ろしいことです。父上が上京してこられたら、ともかくも」と、私をほったらかしの人のように面倒がって、それでもわずかに清水寺に連れて行ってお籠りをした。その時もいつもの私の癖で、まじめに行うべき祈願には少しも集中できなかった。ちょうど彼岸の頃なので、たいそう人が多く恐ろしいほどだったが、ついうとうととまどろんだところ、仏前の幕の方の犬防ぎの内側に、青い織物の法衣を着て、錦を頭にもかぶり、足にもはいた僧で、この寺の別当(長官)と思われる人が私に近寄ってきて、「行く末がみじめな運命であるとも知らず、そのようにたわいもないことばかり考えて」と、不機嫌がって、幕の内側に入ってしまった、という夢を見た。目が覚めてからも、「こんな夢を見た」と人に話さず、また気にもとめないで、清水寺を後にした。

(注)犬防ぎ・・・仏像がある場所と人々が座る場所との境目にある柵。

(二)
 母、一尺(いつさく)の鏡を鋳(い)させて、え率(ゐ)て参らぬ代はりにとて、僧を出だし立てて初瀬に詣(まう)でさすめり。「三日さぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せたまへ」など言ひて、詣でさするなめり。そのほどは精進(さうじ)せさす。

 この僧帰りて、「夢をだに見で、まかでなむが、本意(ほい)なきこと。いかが帰りても申すべきと、いみじうぬかづき行ひて、寝たりしかば、御帳(みちやう)の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞきたまへるが、奉りし鏡をひきさげて、『この鏡には、文(ふみ)や添ひたりし』と問ひたまへば、かしこまりて、『文もさぶらはざりき。この鏡をなむ奉れとはべりし』と答へたてまつれば、『あやしかりけることかな。文添ふべきものを』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これ見ればあはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣きたまふを見れば、臥しまろび泣き嘆きたる影うつれり。『この影を見れば、いみじう悲しな。これを見よ』とて、いま片つ方にうつれる影を見せたまへば、御簾(みす)ども青やかに、几帳(きちやう)押し出でたる下より、いろいろの衣こぼれ出で、梅桜咲きたるに、鶯(うぐひす)、木(こ)づたひ鳴きたるを見せて、『これを見るはうれしな』とのたまふとなむ見えし」と語るなり。いかに見えけるぞとだに耳もとどめず。

【現代語訳】
 母は、直径一尺の鏡を鋳させて、私を初瀬詣でに連れて行けない代わりに、僧を代理人として立てて初瀬に参詣させるようだ。「三日間お籠りをして、この娘が将来どうなるか、夢に見せてください」などと言って参詣させたらしい。その三日間は、母は都にいる私にも精進をさせる。

 この僧が帰って来て、「夢のお告げも見ないで寺を後にするのは不本意なことで、どうしても帰ってご報告しなければと思い、一心不乱に勤行して寝たところ、御帳の方から、たいそう気高く清らかな様子の女性で、きちんと正装した方が、奉納した鏡を手に下げて、『この鏡には願文は添えてありましたか』とお尋ねになります。私はかしこまって、『願文はありません。この鏡だけを奉納するようにとのことでした』とお答えすると、『奇妙なことですね。願文を添えるのが普通であるのに』とおっしゃって、『この鏡の、ここに映っている影をご覧なさい。これを見ると、あわれに悲しくなります』とおっしゃり、さめざめとお泣きになるので、鏡を見れば、突っ伏して号泣している姿が映っているのでした。『こんな姿を見るのは、とても悲しいことですね。ではこちらをご覧』と、もう片方に映っている姿をお見せになると、そこには青々とした御簾が掛けられ、几帳を押し出した下から、色とりどりの衣装の裾や袖などがこぼれ出て、庭には梅や桜が咲き、鶯が枝から枝へと飛び移りながら鳴いています。それを指し、『これを見るのは嬉しいことですね』とおっしゃる、そんな夢を見ました」と母に語ったという。けれども私は、どのような将来が示されたかなど、聞こうともしなかった。

(三)
 ものはかなき心にも、つねに、「天照御神(あまてるおほんかみ)を念じ申せ」と言ふ人あり。いづこにおはします神仏にかはなど、さは言へど、やうやう思ひわかれて、人に問へば、「神におはします。伊勢におはします。紀伊(き)の国に、紀伊の国造(こくざう)と申すはこの御神なり。さては内侍所(ないしどころ)に、すくう神となむおはします」と言ふ。伊勢の国までは、思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも、いかでかは参り拝みたてまつらむ。空の光を念じ申すべきにこそはなど、浮きておぼゆ。

 親族(しぞく)なる人、尼になりて、修学院(すがくゐん)に入りぬるに、冬ごろ、

 涙さへふりはへつつぞ思ひやる嵐吹くらむ冬の山里

返し、

 わけて訪(と)ふ心のほどの見ゆるかな木陰(こかげ)をぐらき夏のしげりを

【現代語訳】
 こんなに浮ついていた私にも、いつも「天照大神をお祈り申し上げなさい」と言う人があった。どこにいらっしゃる神だろう、あるいは仏だろうかなどと思っていたが、だんだん分別がついてきて、人に尋ねると、「神様でいらっしゃいます。伊勢にいらっしゃいます。紀伊の国にいる紀伊の国造という者がお祀りしているのは、この神様です。また宮中の内侍所に守護神としておいでになります」と言う。しかし、伊勢の国まで出かけるなど、とても思いも寄らない。内侍所にも、私などがどうして参詣できようか。空のお日様でも拝んでいればいいかしらなどと、浮ついたことを考えていた。

 親族である人が、尼になって修学院に入ったが、その尼に冬頃、

 
涙がこぼれるほどに、ことさらに貴女のことをお察ししています。嵐が吹き荒れていましょう、あなたの住む冬の山里には。

尼からの返歌、

 
わざわざお見舞いを下さったあなたのお心の深さが分かります。夏の木陰の暗い茂みを踏み分けながら。

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父の帰京

 東(あづま)に下りし親、からうじて上りて、西山なる所に落ち着きたれば、そこに皆渡りて見るに、いみじううれしきに、月の明かき夜 一夜(ひとよ)物語りなどして、

 かかる世もありけるものを限りとて君に別れし秋はいかにぞ

と言ひたれば、いみじく泣きて、

 思ふことかなはずなぞといとひこし命のほども今ぞうれしき

 これぞ別れの門出と、言ひ知らせしほどの悲しさよりは、平らかに待ちつけたるうれしさも限りなけれど、「人の上にても見しに、老い衰へて世にいで交らひしは、をこがましく見えしかば、われはかくて閉ぢこもりぬべきぞ」とのみ、残りなげに世を思ひ言ふめるに、心細さ堪へず。

 東(ひむがし)は野のはるばるとあるに、東の山際(やまぎは)は、比叡(ひえ)の山よりして、稲荷(いなり)などいふ山まであらはに見え渡り、南は、双(ならび)の丘の松風、いと耳近う心細く聞こえて、内には頂のもとまで、田といふものの、ひた引き鳴らす音など、田舎の心地して、いとをかしきに、月の明かき夜などは、いとおもしろきをながめ明かし暮らすに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。たよりにつけて、「なにごとかあらむ」と伝ふる人に驚きて、

 思ひ出でて人こそ訪(と)はね山里のまがきの荻(をぎ)に秋風は吹く

と言ひにやる。

【現代語訳】
 東国に下っていた父が、ようやく任期を終えて上京し、西山にある家に落ち着いた。そこに家族みんなが集まって対面したが、嬉しさのあまり、月の明るい夜に一晩中、積もる話などして、私が歌に詠んで、
 
こうして再会できる時もあったのに、これが最後だといってお別れしたあの秋は、どれほど悲しかったことか。
 
と言えば、父はひどく泣いて、次のような歌で答えた。
 
思うことがかなわないのは何故だろうかと、厭に思ってきた命の長さも、今となってはうれしいことだ。
 
 これが最後の別れの門出だと言い知らせた時の悲しさに比べて、無事に再会を待ち得た嬉しさはこの上もなかったが、父が、「これまで他人の身の上を見るにつけ、老い衰えて官職につき世間付き合いをするのは、いかにも愚かしく思えてきたので、私はこのまま引退するつもりだ」とばかり、老い先が短いかのように言うので、私は心細くてしかたなかった。
 
 家の東は、野原がはるばると広がっていて、東の山々の山ぎわは、比叡山から稲荷などという山まではっきり見渡すことができ、南は、双(ならび)の丘の松風が、とても耳近くに物寂しく聞こえ、家の近くには、つい鼻先まで田があり、鳴子を引き鳴らす音などが田舎らしく、とても趣深い。月の明るい夜には、たいそう風情のある景色を眺め明かして暮らしているが、知り合いの人たちは家が遠くなったので何の音沙汰もない。ところが、ついでの人に託して、「いかがお過ごしですか」とことづけてきた人があったのに驚き、
 
だれも思い出して尋ね来てくれませんが、この山里の垣根の荻に秋風だけは吹いてきてくれます。

と歌の返事を送った。 

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宮仕へ

(一)
 十月(かみなづき)になりて京に移ろふ。母、尼になりて、同じ家の内なれど、方異(かたこと)に住み離れてあり。父(てて)は、ただわれをおとなにし据ゑて、われは世にもいで交らはず、かげに隠れたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく、心細く覚ゆるに、聞こしめすゆかりある所に、「なにとなくつれづれに心細くてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕へ人はいと憂きことなりと思ひて、過ぐさするを、「今の世の人は、さのみこそは出で立て。さてもおのづからよきためしもあり。さても試みよ」と言ふ人々ありて、しぶしぶに出だし立てらる。

 まづ一夜(ひとよ)まゐる。菊の濃く薄き八つばかりに、濃き掻練(かいねり)を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに、行き通ふ類(るい)、親族(しぞく)などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつとも覚えで、暁にはまかでぬ。

 里びたる心地には、なかなか、定まりたらむ里住みよりは、をかしきことをも見聞きて、心も慰みやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれと思へど、いかがせむ。

【現代語訳】
 十月になって京に移った。母は尼になり、同じ家の中ではあるが、別の部屋で家族と離れて暮らしている。父は、すっかり私を主婦に据えて、自分は世間とも交わらず、まるで物陰に隠れているようにしているのを見るにつけ、たよりなく心細く思っていたが、私のことをお聞きになった縁故関係の然る所(祐子内親王家)から、「何ということもなく手持ち無沙汰で心細く暮らしているよりは」と宮仕えのお呼びがかかった。古い考えの親は、宮仕えというのはとても辛いことが多いと思い、そのままにしていたところ、「今時の人は皆あのように宮仕えに出ていますよ。そうして自然と幸せを手にすることもあるのです。ともかく試しに出てごらんなさい」と勧める人たちがいて、父はしぶしぶ私を宮仕えに出した。
 
 まず一晩、参上した。菊がさねで濃淡のある衣を八枚ほど着て、濃い紅色の練り絹の上着をその上に着た。あれほど物語ばかりに熱中して、それを読むことのほかに行き来する親類・縁者なども特別にあるわけでなく、昔風の両親のもとにばかりいて、月や花を見るほかの習慣もなかったから、初めて宮仕えに出たときの気持ちは、自分であるかどうかも分からなくなり、現実とも思われず、明け方には退出してしまった。
 
 田舎者の私の気持ちには、決まりきった家庭生活よりは、かえって宮仕えのほうが面白いことを見聞きして気がまぎれるかもしれないと思いもしたが、いざ出仕してみると、たいへんきまりが悪く悲しいことがきっとありそうだと思ったりもする。でも、今さらどうしようもなかった。 

(ニ)
 十二月(しはす)になりてまた参る。局(つぼね)してこのたびは日ごろさぶらふ。上(うへ)には時々、夜々(よるよる)も上りて、知らぬ人の中にうち臥して、つゆまどろまれず。恥づかしうもののつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深く下(お)りて、日暮らし、父(てて)の老い衰へて、われをことしも頼もしからむかげのやうに思ひ頼み、向かひゐたるに、恋しくおぼつかなくのみ覚ゆ。母亡くなりにし姪(めひ)どもも、生まれしより一つにて、夜は左右(ひだりみぎ)に臥し起きするも、あはれに思ひ出でられなどして、心もそらにながめ暮らさる。立ち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつつまし。

 十日ばかりありてまかでたれば、父母(ててはは)、炭櫃(すびつ)に火などおこして待ちゐたりけり。車より降りたるをうち見て、「おはする時こそ人目も見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声(ひとごゑ)もせず、前に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる。かうてのみも、まろが身をば、いかがせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲し。つとめても、「今日はかくておはすれば、内外(うちと)人多く、こよなくにぎははしくもなりたるかな」とうち言ひて向かひゐたるも、いとあはれに、なにのにほひのあるにかと涙ぐましう聞こゆ。

【現代語訳】
 十二月になってまた参上した。部屋をいただいてこの度は何日間かお仕えした。宮様のお部屋には時々、夜にも参上して、知らない女房たちの中にまじって寝るので、全くうとうとすることもできない。恥ずかしくて何かと気詰まりで、人知れず泣けてきたりして、明け方にはまだ暗いうちに自分の部屋に下がり、一日中、父が老い衰え、私をわが子としていとおしみ、向かい合って暮らしていたのにと、ずっと恋しく気がかりに思っていた。また、母親をなくした姪たちも、生まれた時から一緒に暮らし、夜は私の左右で寝起きしていたことも、しみじみ思い出されなどして、心もうわの空でぼんやりと物思いしながら一日を過ごしてしまう。部屋を立ち聞きしたり覗き見したりする女房の気配がして、とてもたまらなく気詰まりだった。
 
 十日ほどして退出し、家に帰ると、父母が、いろりに火を起こしてじっと待っていた。私が車から降りたのを見るなり、「家にいてくれた時は訪れる人もあり、召使いなどもいたのに、この何日間は人の声もせず、あたりに人の姿も見えず、とても心細くて寂しかったよ。こうしてばかりいて、私の身をどうしてくれるつもりなのかね」と言って泣くのを見るのも、たいへん悲しかった。翌朝も、「今日はこうしていてくれるから、家の内も外も人が多くて、格別ににぎやかになったよ」と言って、私と向かい合っているのも、とても痛々しい感じがして、いったい私に何のとりえがあってこんなに頼るのかと、聞いていて涙ぐましく思えた。 

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前世の功徳

 聖(ひじり)などすら、前(さき)の世のこと夢に見るは、いと難かなるを、いとかう、あとはかないやうに、はかばかしからぬ心地に、夢に見るやう、清水(きよみづ)の礼堂(らいだう)にゐたれば、別当とおぼしき人出で来て、「そこは前(さき)の生(しやう)に、この御寺(みてら)の僧にてなむありし。仏師(ぶつし)にて、仏をいと多く造りたてまつりし功徳(くどく)によりて、ありし素性(すざう)まさりて人と生まれたるなり。この御堂(みだう)の東におはする丈六(ぢやうろく)の仏は、そこの造りたりしなり。箔(はく)を押しさして亡くなりにしぞ」と。「あないみじ。さは、あれに箔押したてまつらむ」と言えば、「亡くなりにしかば、こと人箔押したてまつりて、こと人供養もしてし」と見て後、清水にねむごろに参りつかうまつらましかば、前の世にその御寺に仏念じ申しけむ力に、おのづからようもやあらまし。いと言ふかひなく、詣でつかまることもなくてやみにき。

 十二月二十五日、宮の御仏名(ごぶつみやう)に召しあれば、その夜ばかりと思ひて参りぬ。白き衣(きぬ)どもに、濃き搔練(かいねり)をみな着て、四十余人ばかり出でゐたり。しるべしいでし人のかげに隠れて、あるが中にうちほのめいて、暁にはまかづ。雪うち散りつつ、いみじくはげしく冴(さ)え凍る暁がたの月の、ほのかに濃き搔練の袖にうつれるも、げに濡(ぬ)るる顔なり。道すがら、

 年は暮れ夜は明け方の月かげの袖にうつれるほどぞはかなき

【現代語訳】
 聖と呼ばれる僧でさえ、前世のことを夢に見るのは、とても難しいことだと言われるのに、全くこんな風に頼りなく、しっかりしない身の上で、夢に見たのは、清水寺の礼拝堂に座っていると、別当と思われる人が出てきて、「あなたは前世に、この御寺の僧であった。仏師として、仏をたいそうたくさんお造り申し上げた功徳によって、前世の素性よりまさって菅原家の人として生まれてきたのだ。この御堂の東にいらっしゃる一尺六丈の仏像は、あなたが造ったものだ。金箔を貼っている途中で亡くなってしまったのだ」と言う。「それはいけない。では、あの仏像に箔を貼って差し上げましょう」 と言うと、「あなたが亡くなったので、他の人が箔を貼って差し上げて、他の人が開眼供養もしてしまった」と言う。そんな夢を見てから、清水寺に熱心にお参りしてさえいれば、前世にその御寺で仏様に念じ申し上げていた功徳で、自然と運も開けていただろうに。今さら言っても何の甲斐もないが、お参りしてお勤めすることも無いままにしてしまった

 十二月二十五日、宮家の御仏名会にお召しがあったので、その夜だけのことと思って参上した。白い衣の上に、濃い紅の搔練を皆が一緒に着て、四十人余りの人が居並んでいた。案内をしてくれる人の陰に隠れて、多くの女房の中にちょっと並んだだけで、夜明けには退出する。雪がちらちらして、激しい寒さに冴え渡り、凍ってしまいそうな明け方の月が、濃い搔練の袖にぼんやりと映えているのも、古歌に詠まれたように、いかにも涙に濡れた顔の風情である。その道すがらに、

 
年の暮れ、夜の明け方の月の光が、涙に濡れた袖に移っているのは、何とはかないことか。

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結婚、家庭へ

(一)
 かう立ちいでぬとならば、さても、宮仕への方(かた)にも立ち慣れ、世にまぎれたるも、ねぢけがましき覚えもなきほどは、おのづから人のやうにもおぼしもてなさせたまふやうもあらまし。親たちもいと心得ず、ほどもなく籠(こ)め据(す)ゑつ。さりとて、そのありさまの、たちまちにきらきらしき勢ひなどあんべいやうもなく、いとよしなかりけるすずろ心にても、ことのほかにたがひぬる有様なりかし。

 いく千たび水の田芹(たぜり)を摘みしかは思ひしことのつゆもかなはぬ

とばかりひとりごたれてやみぬ。

【現代語訳】
 こうして宮仕えに出てしまったからは、それなりに慣れていき、たとえ家の用事にかまけて宮仕えに専念できないにしても、ひねくれ者だという評判でも立たないかぎりは、自然と一人前の女房のようにも宮様はお思いになって取り立ててくださっただろうに。ところが、親たちは、私には合点がいかないのだが、まもなく私の宮仕えを辞めさせて、家に閉じ込め結婚させてしまった。しかし、そうしたところで、私の羽振りが急によくなるはずもない。また、今までの結婚に対する思いは、ひどく浮ついた気持ちであったとしても、このたびのことは予想に反したことだった。
 
これまでの私は幾千回のむなしい苦労を重ねてきたことか。それなのに、心に願ったことは何一つかなわない。

とだけ独り言を言うものの、そのままあきらめてしまった。
 

(ニ)
 その後は、なにとなくまぎらはしきに、物語のこともうち絶え忘られて、ものまめやかなるさまに心もなり果ててぞ、などて、多くの年月をいたづらにて臥し起きしに、行ひをも物詣でをもせざりけむ。このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや。光源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。薫(かをる)大将の宇治に隠し据ゑたまふべきもなき世なり。あなもの狂ほし。

 いかによしなかりける心なりと思ひしみ果てて、まめまめしく過ぐすとならば、さてもあり果てず、参りそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まことともおぼしめしたらぬさまに人々も告げ、絶えず召しなどする中(うち)にも、わざと召して、若い人まゐらせよと仰せらるれば、えさらず出(い)だし立つるに引かされて、また時々出で立てど、過ぎにし方のやうなるあいな頼みの心おごりをだに、すべきやうもなくて、さすがに若い人に引かれて、をりをりさし出づるにも、慣れたる人は、こよなく、なにごとにつけてもありつき顔に、われはいと若人(わかうど)にあるべきにもあらず、またおとなにせらるべき覚えもなく、時々の客人(まらうど)にさし放たれて、すずろなるやうなれど、ひとへにそなた一つを頼むべきならねば、われよりまさる人あるも、うらやましくもあらず、なかなか心安く覚えて、さんべきをりふし参りて、つれづれなるさんべき人と物語りなどして、めでたきことも、をかしくおもしろきをりをりも、わが身はかやうに立ち交じり、いたく人にも見知られむにも、はばかりあんべければ、ただ大方のことにのみ聞きつつ過ぐすに、内裏(うち)の御供(おんとも)に参りたるをり、有明の月いと明かきに、わが念じ申す天照御神(あまてるおんかみ)は内裏にぞおはしますなるかし。かかるをりに参りて拝み奉らむと思ひて、四月(うづき)ばかりの月の明かきに、いと忍びて参りたれば、博士(はかせ)の命婦(みやうぶ)は知るたよりあれば、燈籠(とうろ)の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいとようものなど言ひゐたるが、人とも覚えず、神の現はれたまへるかと覚ゆ。

【現代語訳】
 その後は何かと家事などで忙しく、物語のこともすっかり忘れ、いかにも実直な生活を願うような気持ちになりきってしまい、これまで多くの年月をむなしく過ごしてきたのに、なぜ仏前のお勤めもお寺参りもしなかったのか。夢に描いていたあの期待にしても、現実の世にあり得ることだったのだろうか。光源氏ほどの人がこの世にいらっしゃるだろうか。薫大将が宇治に女を隠し住まわすなんて、実際にはあり得ない世の中だ。ああ、どうかしていた。
 
 何ともとりとめのない心だったとつくづく思い知り、まじめ一方の生活をするかというと、そうもなりきれず、出仕し始めた宮家でも、私が家に引きこもってしまったのを本気とは思っていらっしゃらないと同僚の女房たちが私に告げる。絶えずお召しがあるうち、特別にお召しがあって、あなたの所の若い人を出仕させなさいとおっしゃるので、お断りもできず姪を出仕させた。それに引かれて、私もまた時々出仕するようになったが、以前のような当てにならない望みを抱くような思い上がった気持ちなどない。とはいうものの、やはり姪に引かれて時たま出仕すると、古参の女房はこの上なく何事も落ち着いた顔つきでいるが、私は全くの新人であるはずもなく、かといって古参のような人望もなく、たまの客人として放っておかれて、どっちつかずのようだった。私は、別に宮仕えばかりを頼みにする立場でもないので、自分より重用される人がいるのも羨ましくはなく、かえって気楽に思われた。行事などがあるしかるべき時に参上し、手持ち無沙汰にしている適当な人と話などをして、宮家の慶事や興味深い催しが行われる時も、私自身はこのように人々に立ち交じって、あまり人目に立つのも遠慮すべきだと思い、ただ一通り一遍のこととばかり聞き流しては過ごしていた。宮様が宮中に参内されるお供をして参った時のこと、明け方の月がたいそう明るく、私がお祈り申し上げる天照御神がこの宮中にいらっしゃるそうなので、この機会に拝み申し上げようと思い、四月の月の明るい夜に、こっそり内侍所に参上してみたら、そこの博士の命婦は、前から知り合いだったので会ってみると、燈籠の火がとてもほのかな中に、驚くほど年老いて神々しく見え、それでもたいそういろいろと語ってくれたが、この世の人とは思われず、まるで神様が現れたのではないかと思えた。

(注)若い人・・・亡くなった姉の子の一人。作者の姪。
(注)博士の命婦・・・内侍司の女官で、女嬬から選抜されて掌侍(ないしのじょう)に次ぐ地位を占める者。 

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梅壺の女御

 またの夜も、月のいと明かきに、藤壺(ふぢつぼ)の東(ひむがし)の戸を押しあけて、さべき人々物語しつつ、月をながむるに、梅壺(うめつぼ)の女御(にようご)(のぼ)らせ給ふなる音なひ、 いみじく心にくく優(いう)なるにも、「故宮のおはします世ならましかば、かやうに上らせ給はまし」など、人々言ひ出(い)づる、げにいとあはれなりかし。

 天(あま)の戸を雲居(くもゐ)ながらもよそに見て昔のあとを恋ふる月かな

【現代語訳】
 その次の夜も、月がたいそう明るいので、藤壺の東向きの戸を押し開け、しかるべき女房たちが話を交わしながら月を眺めていると、梅壺の女御が清涼殿にお上りになる音の気配が、とても奥ゆかしく優雅に聞こえてきて、「亡き中宮様がご存命であったなら、こんなふうに参上なさったことだろう」などと、人々が言い出したのは、本当に胸が打たれることであった。
 
雲の上にいながら天の岩戸をよそに見て、昔の跡を恋う月のように、私たちもまた、戸をお開けになる女御さまをよそに、中宮様ご在世の昔を恋しく思っています。
 
(注)藤壺、梅壺・・・それぞれ宮中五舎の一つ。
(注)故宮・・・亡き中宮嫄子。 

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冬の夜

 冬になりて、月なく、雪も降らずながら、星の光に、空さすがに隈(くま)なく冴(さ)えわたりたる夜のかぎり、殿の御方(おほんかた)にさぶらふ人々と物語し明かしつつ、明くればたち別れたち別れしつつ、まかでしを思い出ければ、

 月もなく花も見ざりし冬の夜の心にしみて恋しきやなぞ

我もさ思ふことなるを、同じ心なるもおかしうて、

 冴えし夜の氷は袖にまだとけで冬の夜ながら音(ね)をこそは泣け

【現代語訳】
 冬になり、月はなく雪も降らないものの、星の光に、空一面が澄み渡っている夜の間じゅう、関白殿の御邸にお仕えしている女房たちと語り合って夜を明かし、夜が明けるとそれぞれに別れて退出したのを、関白殿の女房が思い出して、次のように詠んで贈ってきた。

月もなく、春も見たわけでもないあの冬の夜が、心にしみて恋しく思われるのはなぜでしょう。

私もそう思っていたことなので、同じ気持ちでいるのもおもしろく感じられ、

寒さで冴えわたっていたあの夜、あなたとお話して流した涙の氷もまだ解けずに袖の上にあり、あの冬の夜そのままに泣き明かしています。 

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水鳥の歌の贈答

 御前(おまへ)に臥(ふ)して聞けば、池の鳥どもの、夜(よ)もすがら、声々(こゑごゑ)(は)ぶき騒ぐ音のするに、目も覚めて、

 わがごとぞ水のうきねに明かしつつ上毛(うはげ)の霜をはらひわぶなる

とひとりごちたるを、かたわらに臥し給へる人聞きつけて、

 まして思へ水の仮寝(かりね)のほどだにぞ上毛(うはげ)の霜をはらひわびける

【現代語訳】
 宿直のため宮の御前に横になっていると、池の水鳥たちが、夜通し声々に鳴いて、羽ばたきざわめく音が聞こえてくるので、目が覚めて、

眠れずにいる私のようだ。水鳥が水の浮き寝に夜を明かし、上毛にかかる霜を払いかねているようなのは。

と独り言につぶやいたのを、傍らで臥しておられる女房が聞きつけて、

いつも宿直をする私の辛さをなおさら思ってください。水の上の仮寝の間にも、上毛の霜を払いかねて眠れないとおっしゃるのでしたら。

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友との語らい

 語らふ人どち、局(つぼね)のへだてなる遣戸(やりど)を開け合はせて、物語などし暮らす日、また語らふ人の上にものしたまふを、たびたび呼びおろすに、 「切(せち)(こ)とあらば、行かむ」とあるに、枯れたる薄(すすき)のあるにつけて、

 冬枯れの篠(しの)をすすき袖たゆみ招きも寄せじ風にまかせむ

【現代語訳】
 親しい者同士で、局の隔ての引き戸を共に開け、物語などして過ごしていたある日のこと、もう一人の親しい人が宮の御前に伺候しておいでになるのを、度々呼び戻そうとしたのに、「大切なことならば行きましょう」というので、そこに枯れた薄があったのに結び付けて、

この冬枯れの薄のように、あなたをお招きして振っている袖が、もうだるいので、もうお招きいたしますまい。風に任せておきましょう。

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殿上人との語らい

(一)
 上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじやうびと)などに対面(たいめ)する人は、定まりたるやうなれば、うひうひしき里人(さとびと)は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月(かみなづき)朔日(ついたち)ごろのいと暗き夜(よ)、不断経(ふだんぎやう)に、声よき人々読むほどなりとて、そなた近き戸口に二人ばかり立ち出でて聞きつつ、物語して寄り臥してあるに、參りたる人のあるを、「逃げ入りて、局(つぼね)なる人々呼び上げなどせむも見苦し。さはれ、ただ折(をり)からこそ、かくてだに」と言いふ今一人のあれば、傍(かたはら)にて聞き居(ゐ)たるに、おとなしく静やかなるけはひにて物など言ふ、口惜(くちを)しからざなり。

 「今一人は」など問ひて、世の常のうちつけの懸想(けさう)びてなども言ひなさず、世の中のあはれなる事どもなど、細やかに言ひ出でて、流石(さすが)にきびしう引き入りがたいふしぶしありて、我(われ)も人も答へなどするを、「まだ知らぬ人のありける」など珍しがりて、とみに立つべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、打ちしぐれつつ、木の葉にかかる音のをかしきを、「なかなかに艷(えん)にをかしき夜(よ)かな。月の隈(くま)なく明(あ)かからむも、はしたなくまばゆかりぬべかりけり」

【現代語訳】
 上達部や殿上人などの偉い人に対面して話ができる人は決まっているようなので、私のように新参で里がちな者は、いるかいないかさえ知られるはずもない。それなのに、十月初旬の真っ暗な夜、不断経(経を絶え間なく読む仏事)が催され、今は美声の僧たちがお経を読む時刻だというので、友人と二人でそちらに近い戸口に出て行き、お経を聞きつつ世間話をしながら物にもたれかかってくつろいでいたら、そこへ殿上人がやって来た。友人が「奥へ逃げて局にいる女房たちを呼んでくるのはみっともない。この場にふさわしく、私たちで何とか対処しましょう」と言うので、私はその友人の側に隠れるようにして二人のやり取りを聞いていたが、そのお方は、落ち着いた物静かな話し方で、好ましい印象を受ける殿方だった。
 
 そして、「もう一人のお方はどなたでしょうか」と言って、私を会話に引き込もうとする。世間の殿方の多くは、初めて出会ったばかりの女性に好色めいた言葉を口にするものだが、そのお方は、世の中のしみじみした話などを、心を込めて、ていねいに話しかける。こちらもさすがに黙って引っ込んでばかりもいられない話の節々があって、私も、もう一人の友人も、尋ねられたことに返事をしていると、そのお方は、「ここにお仕えしている女房の殆どを知っていますが、まだ私の知らない方がいらしたのですね」などと珍しがって、また話しかけられる。折から、星の光さえ見えない暗さで、時雨が幾度も降りかかり、ぱらぱらと木の葉に当たる音がおもしろく、そのお方は、「かえってこんな夜の方が風情があるものですね。月が一面に照る明るい夜では、はっきり見え過ぎて恥ずかしい思いをしますから」と語りかける。

(注)上達部・・・大臣・大納言・中納言・参議、及び三位以上の 上級の役人。
(注)殿上人・・・天皇の常御殿の清涼殿に昇殿を許された人。
(注)里人・・・里(実家)に戻りがちな人。
(注)参りたる人・・・源資通(みなもとのすけみち)。管弦にすぐれ、和歌もよくした公卿。このとき作者より三つ年上の38歳。 

(ニ)
 春秋(はるあき)のことなど言ひて、「時にしたがひ見ることには、春霞(はるがすみ)おもしろく、空も長閑(のどか)に霞(かす)み、月の面(おもて)もいと明(あ)かうもあらず、遠(とほ)う流るるやうに見えたるに、琵琶(びは)の風香調(ふがうてう)ゆるるやかに彈(ひ)き鳴らしたる、いといみじく聞こゆるに、また秋になりて、月いみじう明(あ)かきに、空は霧(き)りわたりたれど、手にとるばかりさやかに澄みわたりたるに、風の音、虫の声、とりあつめたる心地するに、箏(さう)の琴(こと)かき鳴らされたる、横笛(やうでう)の吹き澄まされたるは、何(な)ぞの春とおぼゆかし。

 また、然(さ)かと思へば、冬の夜(よ)の空さへ冴(さ)えわたりいみじきに、雪の降り積もり光り合ひたるに、篳篥(ひちりき)のわななき出でたるは、春秋も皆忘れぬかし」と言ひつづけて、「いづれにか御心(おほんこころ)とどまる」と問ふに、秋の夜に心を寄せて答へ給ふを、「さのみ同じ樣(さま)には言はじ」とて、

 あさみどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月

と答へたれば、かへすがへすうち誦(ずん)じて、「さは、秋の夜はおぼし捨てつるななりな。

 今宵より後の命のもしもあらばさば春の夜を形見と思はむ

と言ふに、秋に心を寄せたる人、

 人はみな春にこころを寄せつめりわれのみや見む秋の夜の月

とあるに、いみじう興(きよう)じ、思ひ煩(わづら)ひたるけしきにて、「唐土(もろこし)などにも、昔より春秋の定めは、えし侍らざなるを、このかう思(おぼ)し分(わ)かせ給ひけむ御心(おほんこころ)ども、思ふにゆゑ侍らむかし。我が心のなびき、その折のあはれともをかしとも思ふことのある時、やがてその折のけしきも、月も花も、心にそめらるるにこそあべかめれ。春秋を知らせ給ひけむことのふしなむ、いみじう承(うけたまは)らまほしき」

【現代語訳】
 そのお方は、さらに春秋のことなどに言い及び、「それぞれの季節の移ろいに従って見る景色としては、春霞がおもしろく、空ものどかに霞み、月の顔もおぼろに輝き、その光が遠く流れているように見える、そんな夜に、琵琶で風香調をゆったりと弾き鳴らすのが、とても素晴らしく聞こえるものです。また秋になると、月は明るく輝き、空に霧がかかるものの、月はまるで手に取ることができそうなくらいに澄み渡り、そのうえ、風の音も虫の声も加わって、秋の風物の素晴らしいものばかりを集めたように感じられる、そんな時、箏の琴を掻き鳴らす音が流れ、横笛の澄んだ音色が融け合って絡まるのを聞くと、春など大したことはないと思われます。
 
 また、そうかと思えば、冬の夜空は冴えわたり、雪が積もって月の光と照り合って、地上を白く光らせます。そこへ篳篥(縦笛)の音色がふるえるように聞こえてくると、春も秋も忘れてしまいそうになります」と語り続けて、「あなた方はどの季節にお心を寄せられますか」と尋ねてきた。友人が秋の夜に心を寄せているとお答えしたので、私は、「同じような答えは続けまい」と思い、春に心を寄せる歌を詠んだ。

浅緑色の空の下に、咲き匂う桜の花が一つに融け合って、霞みながらぼんやり見える、春の夜の月に照らされた景色は、ほかの季節では望むべくもないでしょう。

 そのお方は何度も私の歌を朗唱し、「では、秋の夜はお見捨てになったということですね、

今宵以降、私の寿命が続くなら、春の夜をあなたにお目にかかった記念としましょう

と言う。すると、秋が好きだと言った友人が、

お二人とも春に心をお寄せになったようですね。そうすると、私だけが、たった一人で見ることになるのでしょうか、秋の夜の月を。

と詠んだ。そのお方はたいそう興じて、またどちらに味方すべきか困っている様子で、「唐土(中国)でも、昔から春秋の判定はなかなか決定できないようですが、そのように判断されたお二人には明瞭な理由がおありでしょう。自分の気持ちが引き寄せられ、素晴らしいとか面白いとか感じる時は、その時の空の景色や、月や花などが心に深く染み込んでくるもののようです。あなた方のそんな体験を、ぜひとも伺いたいものです」

(三)
 「冬の夜(よ)の月は、昔よりすさまじきものの例(ためし)に引かれて侍りけるに、またいと寒くなどして、ことに見られざりしを、斎宮(いつきのみや)の御裳着(おほんもぎ)の勅使(ちよくし)にて下(くだ)りしに、暁(あかつき)に上(のぼ)らむとて、日ごろ降り積みたる雪に、月のいと明(あ)かきに、旅の空とさへ思へば、心ぼそくおぼゆるに、まかり申しに參りたれば、余(よ)の所にも似ず、思ひなしさへ、け恐しきに、さべき所に召して、円融院(ゑんゆうゐん)の御代(みよ)より參りたりける人の、いといみじく神(かむ)さび、古めいたるけはひの、いとよし深く、昔の故事(ふること)ども言ひ出で、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶(びは)の御琴(おほんこと)をさし出でられたりしは、この世のこととも覚えず。夜の明けなむも惜しう、京(きやう)のことも思ひ絶えぬばかりおぼえ侍りしよりなむ、冬の夜の雪降れる夜は思ひ知られて、火桶(ひをけ)などを抱きても、必ず出で居(ゐ)てなむ見られ侍る。おまへたちも、必ずさ思(おぼ)すゆゑ侍らむかし。

 さらば、今宵よりは、暗き闇の夜の時雨(しぐれ)うちせむは、また心にしみ侍りなむかし。斎宮(いつきのみや)の雪の夜に劣るべき心地もせずなむ」など言ひて、別れにし後は、誰(たれ)と知られじと思ひしを、またの年の八月(はづき)に、内裏(うち)へ入(い)らせ給ふに、夜もすがら殿上(てんじやう)にて御遊(おほんあそ)びありけるに、この人の侍(さぶら)ひけるも知らず。その夜は下(しも)に明かして、細殿(ほそどの)の遣戸(やりど)を押しあけて見出したれば、暁がたの月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓(くつ)の声聞こえて、読経(どきやう)などする人もあり。

 読経の人は、この遣戸口(やりどぐち)に立ち止まりて、物など言ふに答へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、片時(かたとき)忘れず恋しく侍れ」と言ふに、ことながう答こたふべき程ならねば、

 何さまで思ひ出でけむ等閑(なほざり)の木(こ)の葉にかけし時雨ばかりを

とも言ひやらぬを、人々また来あへば、やがてすべり入りて、その夜さり、まかでにしかば、もろともなりし人尋ねて、返ししたりしなども、後にぞ聞く。「『ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音(ね)のおぼゆるかぎり弾きて聞かせむ』となむある」と聞くに、ゆかしくて我もさるべき折を待つに、更(さら)になし。

【現代語訳】
 「冬の月は、昔から興ざめな物の例に引かれていましたし、また実際、私もたいそう寒くて、特に眺めるような気も起こりませんでした。ところが、以前、斎宮の裳着(成人式)が執り行われることになり、勅使として伊勢に下り、役目を終えて明け方に帰京しようとした時のことです。数日来降り積もった雪に月が明るく映え、旅先のこととて心細く思いながら、斎宮にお別れを申し上げに参ったのでした。斎宮御所は、他の場所とは違って神域ですから、畏怖の感情にとらわれましたが、私をしかるべき部屋にお通しくださり、そこで、円融院の時代からお仕えしていた女房で、実に神々しく古き良き時代を感じさせる様子の人が、まことに優雅な物腰で昔の思い出話などをしつつ、涙を浮かべたりしながら、よく調律された琵琶を差し出され、演奏を所望されました。この奇跡のような時間に、夜が明けてしまうのももったいなく、京のことなどすっかり忘れてしまうほどでした。その時以来、冬の雪が降る夜は、そのよさが自然に感じられるようになって、火桶を抱いてでも必ず縁先に出て座り込み、外の景色を眺めているのです。あなた方も、春秋それぞれを評価される背景には、きっとそれなりのわけがおありでしょう。

 そして、お二人とお話した今宵以降、暗い闇夜に時雨が寂しく降る季節が、また私の心に沁みついて思い出となることでしょう。今宵の体験は、斎宮御所での忘れられぬ体験に劣るとも思われないのです」などと話してお別れした後は、そのお方には私の名前などは知られないようにいようと思っていたのに、翌年の八月に、宮様が宮中に参内なさった時に供奉して、清涼殿の殿上の間で一晩中、管弦の催しがあり、私はあの方が出仕なさっていたのも知らず、自分たちの局にいたまま夜を明かし、細殿の引き戸を開けて外の景色を眺めると、有明の月が、あるかなきかの細さで空にかかっているのが趣深い。すると、退出する沓の音が聞こえてきて、歩きながらお経を読んでおられる。その殿方は、私が外を眺めている引き戸口に立ち止まって話しかけてきた。それに返事をすると、何やら思い出した様子で、「あの時雨の夜のことは、片時も忘れることなく恋しく思っています」と言う。長々と返事をしていられる場合ではないので、

どうして、そこまで覚えていらっしゃるのでしょう。木の葉に降りかかる時雨のような、ほんのかりそめの出会いでしたのに

と私が言い終わらないうちに、退出する人たちがどやどやとやって来たので、私はそのまま奥の方に引っ込み、その夜のうちに退出した。あのお方は、いつかの時雨の夜に一緒だった友人を訪ね当てて、私への返歌を託したというのを後になって聞いた。「『あの時雨の降る夜のような時に、私が知っている限りの琵琶の曲を全部弾いてお聞かせしたいものです』と言っておられました」ということだった。ぜひともそういう機会が巡って来ないかと期待していたけれども、そのような機会は遂に訪れなかった。

(注)斎宮・・・伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女、または親王の娘。

(四)
 春ごろ、のどやかなる夕つかた、参りたなりと聞きて、その夜もろともなりし人とゐざり出づるに、外(と)に人々参り、内にも例の人々あれば、出でさいて入りぬ。あの人もさや思ひけむ。しめやかなる夕暮をおしはかりて参りたりけるに、騒がしかりければまかづめり。

 かしまみて鳴門(なると)の浦にこがれ出づる心は得(え)きや磯(いそ)のあま人

とばかりにてやみにけり。あの人柄もいとすくよかに、世の常ならぬ人にて、「その人は、かの人は」なども、 尋ね問はで過ぎぬ。

【現代語訳】
 翌年の春頃の、のどかな夕暮れ時、そのお方が参上しているようだと聞いて、あの時雨の夜に一緒だった女房といざり出てみると、外には人々がやって来て、内にはいつもの女房たちが詰めているので、出ようとしたけどまた引っ込んでしまった。あの方もそう思ったのだろうか、静かな夕暮れを見計らって参上したということだったのに、騒がしかったので退出したようだ。

 
加島を見て鳴門の海に漕ぎ出るように、あなたの琵琶を思って出てきた私たちの気持ちはお分かりでしょうか、岸の海人よ。

とだけ詠んで終わりになってしまった。あの方の人柄はとても誠実で、世間によくある人とは違い、私たちのことを「その人は、あの人は」などと詮索することもなく、時は過ぎて行った。

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石山詣で

 今は、昔のよしなし心もくやしかりけりとのみ思ひ知りはて、親の物へ率(ゐ)て参りなどせでやみにしも、もどかしく思ひ出でらるれば、今はひとへに豊かなる勢ひになりて、 ふたばの人をも、思もふさまにかしづきおほしたて、わが身も、みくらの山に積み余るばかりにて、後の世までのことをも思はむと思ひはげみて、十一月(しもつき)の二十余日(はつかよひ)、石山に参る。

 雪うち降りつつ、道のほどさへをかしきに、逢坂(あふさか)の関を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひ出でらるるに、そのほどしも、いと荒う吹いたり。

 逢坂の関のせき風ふく声は昔聞きしに変はらざりけり

 関寺(せきでら)のいかめしう造られたるを見るにも、そのをり、荒造りの御顔(みかほ)ばかり見られしをり思ひ出られて、年月(としつき)の過ぎにけるもいとあはれなり。

 打出(うちいで)の浜のほどなど、見しにも変はらず。暮れかかるほどに詣(まう)で着きて、斎屋(ゆや)に下りて、御堂(みだう)に上るに、人声(ひとごゑ)もせず、 山風おそろしうおぼえて、行ひさしてうちまどろみたる夢に、「中堂より麝香(ざかう)賜はりぬ。とくかしこへ告げよ」と言ふ人あるに、うちおどろきたれば、夢なりけりと思ふに、よきことならむかしと思ひて、行ひ明かす。

 またの日も、いみじく雪降り荒れて、宮に語らひ聞こゆる人の具し給へると物語して、心ぼそさをなぐさむ。三日さぶらひて、まかでぬ。

【現代語訳】
 今となっては、昔のとりとめもなく浮ついていた心も悔やまれると思い知り、親が物詣でに連れて行ってくれずじまいになったのも、腹立たしく思い起されるので、今はひとえに裕福になり、幼い子どもを思い通りに大切に育て上げ、自分自身も御倉に積みきれないほどの財宝を蓄え、来世のことまでも考えておこうと気持ちを励まし、十一月の二十日過ぎに、石山寺(滋賀県大津市)に詣でた。

 雪が降り続き、道中の景色もすばらしく、逢坂の関を見れば、昔ここを越えたのも冬であったことよと懐かしく思い出され、折も折、その時と同じようにひどく風が吹き荒れている。

ここ逢坂の関を吹き渡る風の音は、昔に聞いたのと少しも変わらない。

 関寺が立派に建てられているのを見ても、昔、造営の途中で荒造りだった仏様のお顔だけが見られたあの時のことが思い出され、年月が過ぎ去ってしまったこともしみじみ感慨深く思われる。

 打出の浜(滋賀県大津市)の辺りなどは、昔見た時と変わっていない。日が暮れかかる時分にお寺に行き着き、斎屋に下りて、身を清めて本堂に上ると、人の声もせず山風の音が恐ろしく感じられ、お勤めを途中で止め、ついうとうとした時の夢に、「中堂から麝香(香料の一種)を頂きました。早くあちらへ知らせなさい」と言う人があるので、驚いて目を覚まし、ああ夢だったと思いながらも、きっと吉夢だろうと信じ、夜を明かしてお勤めをした。

 翌日も、ひどく雪が吹き荒れ、宮家で親しくしていただき一緒にお籠りしておいでの女房と語り合い、心細さをまぎらす。三日間お籠りをして、退出した。

(注)斎屋・・・身を清めるための建物。

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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孝標女の和歌

『更級日記』には計88首の和歌が載っており、うち作者・孝標女の詠作は、連歌1首を含む65首が収められています。
従来、孝標女は、散文作者としてのみ評価されてきた傾向がありますが、彼女の没後150年近くを経た『新古今集』に1首入集したのをはじめとし、以後、延べ14首が勅撰集に入集しています。



朽ちもせぬこの川柱残らずは昔の跡をいかで知らまし

まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月

嵐こそ吹き来ざりけれ宮路山まだもみぢ葉の散らで残れる

頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春を忘れざりけり

散る花もまた来む春は見もやせむやがて別れし人ぞ恋しき

時ならず降る雪かとぞながめまし花橘の香らざりせば

いづこにも劣らじものをわが宿の世をあきはつるけしきばかりは

咲くと待ち散りぬと嘆く春はただわが宿がほに花を見るかな

あかざりし宿の桜を春暮れて散りがたにしも一目見しかな

契りけむ昔の今日のゆかしさに天の川浪うち出でづるかな

笛の音のただ秋風と聞こゆるになど萩の葉のそよと答へぬ

にほひくる隣の風を身にしめてありし軒端の梅ぞ恋しき

うづもれぬかばねを何にたづねけむ苔の下には身こそなりけれ

ふるさとにかくこそ人は帰りけれあはれいかなる別れなりけむ

かき流すあとはつららにとぢてけりなにを忘れぬ形見とか見む

昇りけむ野辺は煙もなかりけむいづこをはかとたづねてか見し

雪降りてまれの人めも絶えぬらむ吉野の山の峰のかけみち

暁をなにに待ちけむ思ふことなるともきかぬ鐘の音ゆゑ

たたくとも誰かくひなの暮れぬるに山路を深くたづねては来む

奥山の石間の水をむすびあげてあかぬものとは今のみや知る

誰に見せ誰に聞かせむ山里のこの暁もをちかへる音も

都には待つらむものをほととぎすけふ日ねもすに鳴き暮らすかな

深き夜に月見るをりは知らねどもまづ山里ぞ思ひやらるる

秋の夜の妻恋ひかぬる鹿の音は遠山にこそ聞くべかりけれ

まだ人め知らぬ山辺の松風も音して帰るものとこそ聞け

思ひ知る人に見せばや山里の秋の夜深き有明の月

苗代の水かげばかり見えし田の刈りはつるまで長居しにけり

水さへぞすみたえにける木の葉散る嵐の山の心ぼそさに

契りおきし花の盛りを告げぬかな春やまだ来ぬ花やにほはぬ

竹の葉のそよぐ夜ごとに寝ざめしてなにともなきにものぞ悲しき

いづことも露のあはれはわかれじを浅茅が原の秋ぞ恋しき

朝倉や今は雲居に聞くものをなほ木のまろが名のりをやする

かけてこそ思はざりしがこの世にてしばしも君に別るべしとは

秋をいかに思ひ出づらむ冬深み嵐にまどふ萩の枯葉は

子しのびを聞くにつけてもとどめ置きし秩父の山のつらきあづま路

涙さへふりはへつつぞ思ひやる嵐吹くらむ冬の山里

かかるよもありけるものをかぎりとて君に別れし秋はいかにぞ

思ひ出でて人こそ訪はね山里のまがきの萩に秋風は吹く

年は暮れ夜は明け方の月かげの袖にうつれるほどぞはかなき

幾千たび水の田芹を摘みしかは思ひしことのつゆもかなはぬ

天の戸を雲居ながらもよそに見て昔のあとを恋ふる月かな

冴えし夜の氷は袖にまだとけで冬の夜ながら音をこそは泣け

わがごとぞ水のうきねに明かしつつ上毛の霜をはらひわぶなる

冬枯れの篠のをすすき袖たゆみ招きも寄せじ風にまかせむ

あさみどり花もひとつに霞みつつおぼろに見ゆる春の夜の月

何さまで思ひ出でけむなほざりの木の葉にかけし時雨ばかりを

かしまみて鳴門の浦にこがれ出づる心は得きや磯のあま人

逢坂の関のせき風吹く声は昔聞きしに変はらざりけり

音にのみ聞きわたりこし宇治川の網代の浪も今日ぞかぞふる

奥山の紅葉の錦ほかよりもいかにしぐれて深く染めけむ

谷川の流れは雨と聞こゆれどほかよりけなる有明の月

初瀬川たちかへりつつ訪ぬれば杉のしるしもこのたびや見む

ゆくへなき旅の空にもおくれぬは都にて見し有明の月

絶えざりし思ひも今は絶えにけり越のわたりの雪の深さに

里遠みあまり奥なる山路には花見にとても人来ざりけり

繁かりしうき世のことも忘られず入相の鐘の心ぼそさに

袖ぬるる荒磯浪と知りながらともにかづきをせしぞ恋しき

夢さめて寝覚の床の浮くばかり恋ひきと告げよ西へ行く月

いかに言ひ何にたとへて語らまし秋の夕べの住吉の浦

荒るる海に風よりさきに舟出して石津の浪と消えなましかば

月も出でて闇にくれたる姨捨になにとて今宵たづね来つらむ

今は世にあらじものとや思ふらむあはれ泣く泣くなほこそは経れ

ひまもなき涙にくもる心にも明かしと見ゆる月の影かな

茂りゆく蓬が露にそほちつつ人に訪はれぬ音をのみぞ泣く


『浜松中納言物語』から~

何にかはたとへて言はむ海のはて雲のよそにて思ふ思ひは

虫の音も花の匂ひも風のおとも見し世の秋にかはらざりけり

誰により涙の海に身を沈めしほるるあまとなりぬかと知る

むすびける契りはことにありけるをこのよかの世とたのみけるかな

あはれいかでいづれの世にか巡り逢ひてありし有明の月を見るべき

うべこそは急ぎ立ちけれ床の浦の波のよるべはなかりけりやは

古典文学を学ぶ意義

まず第一に、数多くある古典文学作品は日本文化や歴史の貴重な証拠です。 源氏物語や古今和歌集などは、平安時代の風俗や人々の生活を詳細に描いており、当時の社会や人間関係についての洞察を窺うことができます。更に、更級日記などの日記や徒然草などの随筆は、中世の庶民の日常生活や心情を伝えています。

第二に、古典文学は日本語の美しさと独自性を体現しています。古代の歌や物語は、音韻やリズムにこだわり、豊かなイメージや比喩を用いて表現されています。また、古い時代の文学作品は、日本独自の美意識や価値観を反映しており、それらを理解していることで日本文化の一端を垣間見ることができます。

第三に、古典文学は現代の文学や芸術にも大きな影響を与えています。多くの作家や詩人が、古典文学のテーマや形式を借りて新たな創作を展望しています。それにより、現代の文学作品をより深く味わう力を培うことができます。

総じて言えば、古い日本文学を学ぶことは、日本文化や歴史時代を俯瞰し、日本語の美しさや独自性を体感する機会を提供してくれますし、それらのつながりを確認することもできます。古典文学は、私たちの文化的な認識を形成するための重要な要素であり、その価値は今後も間違いなく継続していくでしょう。

大学入試の頻出作品

  • 伊勢物語
  • 栄花物語
  • 大鏡
  • 蜻蛉日記
  • 源氏物語
  • 更級日記
  • 竹取物語
  • 徒然草
  • 土佐日記
  • 平家物語
  • 方丈記
  • 枕草子

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