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源氏物語

「源氏物語」の先頭へ 各帖のあらすじ

玉鬘(たまかずら)

■夕顔を回想

 年月隔たりぬれど、飽かざりし夕顔を、つゆ忘れ給はず、心々なる人の有様どもを見たまひ重ぬるにつけても、「あらましかば」と、あはれに口惜しくのみ思し出づ。

 右近(うこん)は、何の人数(ひとかず)ならねど、なほその形見と見給ひて、らうたきものに思したれば、古人(ふるびと)の数に仕うまつり慣れたり。須磨(すま)の御移ろひのほどに、対(たい)の上の御方に、皆人々聞こえ渡し給ひしほどより、そなたに侍(さぶら)ふ。心よく、かいひそめたる者に、女君も思したれど、心の中(うち)には、「故君(こぎみ)ものし給はましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣り給はざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落しあぶさず、取りしたため給ふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列(つら)にこそあらざらめ、この御殿移りの数の中には交(まじら)ひ給ひなまし」と思ふに、飽かず悲しくなむ思ひける。

【現代語訳】
 あれから長い年月を隔ててしまったけれど、愛おしい夕顔のことを、源氏の君は、少しもお忘れにならず、さまざまなご性格の女君たちの有様を、数多くご覧になるにつけても、夕顔が生きていたらと、懐かしく残念にばかりお思い出しになる。

 右近は、何ほどの者でもないが、それでもやはり夕顔の形見とお考えになって、愛しいものと思っていられるので、古参の女房の一人として、長年二条院にお仕えしている。須磨への御移りの時に、対の上の御方(紫の上)に、女房たちを皆お預けになった時からは、そちらにお仕えしている。気立てがよく控えめな性分と紫の上もお思いであったが、右近は心の中では、「亡くなった姫君(夕顔)がご存命でいらしたら、明石の御方へのご寵愛にお劣りなさることはなかったろう。源氏の君は、さして深く御心を寄せていらっしゃらなかった方々も見捨てず面倒を見ておられるように、いつまでも心変わりなさらぬご性分なので、高貴な方々と同列というわけにはいかぬとしても、今回の御殿へのお引っ越しの人数の中にはきっと入っていたであろうに」と思うにつけ、悲しさがこみ上げる。

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■若君の筑紫下向

 かの西の京にとまりし若君をだに、行方も知らず、ひとへに物を思ひつつみ、また、「今さらにかひなき事によりて、我が名漏らすな」と、口がため給ひしを憚(はばか)り聞こえて、尋ねても音づれ聞こえざりしほどに、その御乳母(めのと)の夫(をとこ)、少弐(せうに)になりて行きければ、下りにけり。

 かの若君の四つになる年ぞ、筑紫へは行きける。母君の御行く方を知らむと、よろづの神仏(かみほとけ)に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべき所々を尋ね聞こえけれど、つひにえ聞き出でず。「さらばいかがはせむ。若君をだにこそは、御形見に見奉らめ。あやしき道に添へ奉りて、遙かなるほどにおはせむ事の悲しきこと。なほ父君にほのめかさむ」と思ひけれど、さるべき便(たより)もなきうちに、「母君のおはしけむ方も知らず、尋ね問ひ給はば、いかが聞こえむ」「まだよくも見慣れ給はぬに、幼き人をとどめ奉り給はむも、うしろめたかるべし」「知りながら、はた、率(ゐ)て下(くだ)りねと許し給ふべきにもあらず」など、おのがじし語らひあはせて、いとうつくしう、ただ今から気高く、清らなる御さまを、ことなるしつらひなき舟にのせて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむ覚えける。幼き心地に母君を忘れず、折々に、「母の御許(もと)へ行くか」と問ひ給ふにつけて、涙絶ゆる時なく、女(むすめ)どもも思ひこがるるを、舟路(ふなみち)ゆゆしと、かつは諫(いさ)めけり。

【現代語訳】
 あの西の京に預けられていた姫君(玉鬘)さえ、行方も分からず、ひたすら夕顔の死を秘匿し、また、「今となては仕方ないことで、私の名を漏らすな」と、口止めされていたことを憚って、お訪ねして事の仔細をお知らせすることもないままに、姫君の乳母の夫が、太宰の少弐になって赴任したので、一緒に下った。

 あの姫君が四歳の年に、筑紫へ行ったのだった。乳母は、母君(夕顔)のお行方を知ろうと、あらゆる神仏にお祈りして、夜昼泣きこがれて、心当たりのあちこちお探し申したが、ついに聞き出すことができない。「この上はどうしようもない。せめて若君だけでも、姫君(夕顔)のお形見としてお世話申そう。でも、不便な旅にお連れして、遠い道のりにいらっしゃるのもお気の毒だ。やはり父君(内大臣)には少しでもお知らせしておこう」と思ったが、その方法もないままに、「母君(夕顔)がどこにいらっしゃるかもわからないのに、お尋ねになったら、何と申しあげましょう」「まだよくなついていらっしゃらないのに、幼い人(玉鬘)をお引取りになってもご不安であるに違いありません」「ご自分の娘であるを知りながら、連れて行けとはお許しになるはずもありません」など、お互いに相談しあって、たいそう可愛らしく、今から気高く美しげなお方を、これといった設備もない舟にのせて漕ぎ出した時は、まことにいたわしく思われた。

 若君(玉鬘)は、幼心に母君(夕顔)を忘れず、折々に、「お母さまの所に行くのか」とお尋ねになるにつけて、乳母たちは、涙の絶える時なく、自分の娘たちも女君(夕顔)を恋い慕うのを、船旅に涙は不吉であると、涙を押さえて叱るのだった。

(注)少弐・・・大宰府の次官。正五位上相当。

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■少弐の遺言

 少弐、任はてて上(のぼ)りなむとするに、遙けき程に、ことなる勢ひなき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬ程に、重き病(やまひ)して、死なむとする心地にも、この君の十歳(とを)ばかりにもなり給へるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見奉りて、「我さへうち捨て奉りて、いかなるさまにはふれ給はむとすらむ。あやしき所に生(お)ひ出で給ふもかたじけなく思ひ聞こゆれど。何時(いつ)しかも、京に率(ゐ)て奉りて、さるべき人にも知らせ奉りて、御宿世(すくせ)に任せて見奉らむにも、都は広き所なれば、いと心安かるべしと、思ひいそぎつるを、ここながら命たヘずなりぬること」と、うしろめたがる。男子(をのこご)三人あるに、「ただこの姫君京に率て奉るべきことを思へ。わが身の孝(けう)をば、な思ひそ」となむ言ひ置きける。

 その人の御子(みこ)とは館(たち)の人にも知らせず、ただ孫(むまご)のかしづくべき故(ゆゑ)あるとぞ言ひなしければ、人に見せず、限りなくかしづき聞こゆる程に、にはかに亡(う)せぬれば、あはれに心細くて、ただ京の出立(いでたち)をすれど、この少弐の、仲悪しかりける国の人多くなどして、とざまかうざまに怖(お)ぢ憚(はばか)りて、我にもあらで年を過ぐすに、この君、ねび整ひ給ふままに、母君よりもまさりて清らに、父大臣(おとど)の筋さへ加はればにや、品(しな)高く、うつくしげなり。心ばせおほどかに、あらまほしうものし給ふ。

【現代語訳】
 少弐は、任期が終わって京へ上ろうとするが、遥かな道のりで、大した権勢もないこの人は、ぐずぐずして、さっさと出発しないでいるうちに、重い病気をわずらって、死にそうになりながらも、この若君(玉鬘)が十歳ばかりになられたお姿の、こわいほど美しい様子を拝見して、「私までこの若君をお見捨て申しあげては、どんなふうに落ちぶれてしまわれるだろう。辺鄙な土地でご成人なさるのも畏れ多く存じ上げ、早く京へお連れ申しあげて、しかるべきお方にお知らせ申し、あとは御宿縁に任せるとしても、都は広い所だからひとまず安心だろうと思って準備をしてきたのに、この地で命が持たなくなってしまうとは」と心配している。三人いる息子たちに、「何よりこの姫君を京にお連れ申し上げることだけを考えよ。私の供養などは、考えなくてよい」と遺言したのだった。

 誰それのお子とは役所の人にも言わず、ただ、孫で、大切にするわけがあるとだけ言い繕っていたので、人に見せず、どこまでも大切にお育て申しているうちに、急に少弐が亡くなったので、乳母たちは悲しく心細くて、ひたすら上京の支度をするのだが、この少弐と仲が悪かった土地の人が多くいたりして、あれやこれやと怖がり遠慮して、気が気でないまま年を過ごしているうちに、このも若君はご成長なさるにつれて、母君(夕顔)よりも美しさがまさっている上に、父大臣の血筋もひいているせいだろうか、気品高く美しげである。気立てもおおらかで申し分なくていらっしゃる。

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■玉鬘、右近と再会

 皆驚きて、「夢の心地もするかな。いとつらく、言はむ方なく思ひ聞こゆる人に、対面(たいめ)しぬべきことよ」とて、この隔てに寄り来たり。気(け)遠く隔てつる屏風(びやうぶ)だつもの、名残なく押し開けて、まづ言ひやるべき方なく泣きかはす。老人(おいびと)は、ただ、「わが君はいかがなり給ひにし。ここらの年頃、夢にてもおはしまさむ所を見むと、大願を立つれど、遙かなる世界にて、風の音にても、え聞き伝へ奉らぬを、いみじく悲しと思ふに、老(おい)の身の残りとどまりたるもいと心憂けれど、うち棄て奉り給へる若君の、らうたくあはれにておはしますを、冥途(よみぢ)の絆(ほだし)に、持てわづらひ聞こえてなむ、瞬(またた)き侍る」と言ひ続くれば、昔、その折、言ふかひなかりし事よりも、答(いら)へむ方なくわづらはしと思へども、「いでや、聞こえてもかひなし。御方は早う亡(う)せ給ひにき」と言ふままに、ニ三人ながら咽(む)せかへり、いとむつかしく、せきかねたり。

 日暮れぬ、と急ぎたちて、御燈明(みあかし)の事どもしたためはてて急がせば、なかなかいと心あわただしくて立ち別る。「もろともにや」と言へど、かたみに供の人のあやしと思ふべければ、この介(すけ)にも、事の様(さま)だに言ひ知らせあへず、我も人もことに恥づかしくもあらで、みな下り立ちぬ。右近は、人知れず目とどめて見るに、中にうつくしげなる後手(うしろで)の、いといたうやつれて、卯月(うづき)の単衣(ひとへ)めくものに着こめ給へる髪のすき影、いとあたらしくめでたく見ゆ。心苦しう悲しと見奉る。

【現代語訳】
 右近と再会し、玉鬘一行は皆驚いて、「夢のような気持ちがすること。本当に恨めしい、言いようもなくひどいお方と思っていた人に、対面することになるなんて」と言って、この隔ての近くに寄って来た。双方を隔てていた屏風のようなものを、すべて押し開けて、まず言葉を交わすこともできずに、共に泣きかわす。老いた乳母は、「わが君(夕顔)はどうなり遊ばしたのですか。ここ数年、夢にでもおいであそばすのを見ようと大願を立てておりましたが、遠い田舎のことですから、風の便りにもお聞きできないのを、ひどく悲しく思ってので、老いたわが身が生き残っているのも情けないけれど、女君(夕顔)がお残しなさった若君(玉鬘)が、可愛くおいたわしくていらっしゃるのを、あの世へ行く妨げとなり、どうお扱い申してよいかわからぬままに、まだ目をつぶらずに生き長らえております」と言い続けるので、右近は、昔あの時、どうしようもなく途方に暮れたことよりも、今のほう答えようがなく困ったことと思うけれど、「いやもう、申しあげてもどうにもならぬことです。御方(夕顔)はもうお亡くなりになりました」と言うなり、ニ、三人がそのままむせび泣いて、あふれる涙を抑えられずにいる。

 もう日が暮れてしまうというので、急いでお燈明など用意し終えて、人々が急がせるので、再会のためにかえってあわただしい気持ちで立ち別れる。右近は、「ご一緒に参りましょうか」と言うが、お互いに供の者が変に思うだろうから、この豊後介にも事情さえも説明することもできず、お互い気兼ねもせずに、みな外に出た。右近は、ひそかに目をとどめて見ると、一行の中に可愛らしげな後ろ姿があり、粗末な旅姿であるものの、四月の単衣めいたものの下にたくし入れていらっしゃる髪の透けて見えるのが、もったいないほど立派に見える。右近は、それをたまらない思いで、おいたわしく拝見する。

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■乳母の依頼

 明けぬれば、知れる大徳(だいとこ)の坊に下りぬ。物語心やすく、となるべし。姫君のいたくやつれ給へる、恥づかしげに思したるさま、いとめでたく見ゆ。

 「おぼえぬ高きまじらひをして、多くの人をなむ見あつむれど、殿の上の御容貌(かたち)に似る人おはせじとなむ、年ごろ見奉るを、また生ひ出で給ふ姫君の御さま、いと道理(ことわり)にめでたくおはします。かしづき奉り給ふさまも、並びなかめるに、かうやつれ給へる御様の、劣り給ふまじく見え給ふは、あり難うなむ。大臣(おとど)の君、父帝の御時より、そこらの女御(にようご)(きさき)、それより下(しも)は残るなく見奉り集め給へる御目にも、当代の御母后(ははぎさき)と聞こえしと、この姫君の御容貌とをなむ、よき人とはこれを言ふにやあらむと覚ゆる、と聞こえ給ふ。見奉り並ぶるに、かの后(きさき)の宮をば知り聞こえず、姫君は清らにおはしませど、まだ片なりにて、生(お)ひ先ぞ推しはかられ給ふ。上の御容貌は、なほ誰か並び給はむとなむ見え給ふ。殿もすぐれたりと思しためるを、言(こと)に出でては、何かは数への中には聞こえ給はむ。我に並び給へるこそ、君はおほけなけれとなむ、戯(たはぶ)れ聞こえ給ふ。見奉るに、命延ぶる御有様どもを、またさる類(たぐひ)おはしましなむや、となむ思ひ侍るに、いづくか劣り給はむ。物は限りあるものなれば、すぐれ給へりとて、頂(いただき)を離れたる光やはおはする。ただこれを、すぐれたりとは聞こゆべきなめりかし」と、うち笑みて見奉れば、老人(おいびと)もうれしと思ふ。
 
 「かかる御さまを、ほとほとあやしき所に沈め奉りぬべかりしに、あたらしく悲しうて、家かまどをも棄て、男女(をとこをむな)の頼むべき子どもにも引き別れてなむ、かへりて知らぬ世の心地する京に参(ま)うで来(こ)し。あが御許(おもと)、はやくよきさまに導き聞こえ給へ。高き宮仕へし給ふ人は、おのづから行きまじりたる便りものし給ふらむ。父大臣に聞こし召され、数まへられ給ふべきたばかり思し構へよ」と言ふ。恥づかしう思(おぼ)いて、背後(うしろ)向きたまへり。

【現代語訳】
 夜が明けると、知っている大徳の坊に下りた。積もる話を心置きなく、ということなのだろう。姫君(玉鬘)が、たいそう質素になさっているのとを恥ずかしがっていらっしゃる様子が、とてもすばらしく拝見される。

 右近は、「思いもかけない高貴な方にお仕えして、多くの方々を見てきましたが、お邸の奥方さま(紫の上)のご器量に並ぶ方はいらっしゃるまいと、長年拝見しておりましたが、ほかには、ご成長中の明石の姫君の御ようすが、まことに当然のことながら美しくていらっしゃいます。大切にお世話申しあげなさっているご様子もまたとない程ですが、こうして質素になさっている姫君(玉鬘)が、見劣りなさらない位にお見えになるのは、驚くほかありません。大臣さま(源氏)は、父帝(桐壺帝)の御代から、多くの女御、后、それより下の身分の女性の方々も残らずご存じになっておられる御目にも、今上(冷泉帝)の御母后(藤壺宮)であらせられた御方と、この姫君(明石の姫君)の御器量とを、美人とはこういう人をいうのだろうと思う、とおっしゃっておられます。この御方(玉鬘)を拝見してお見比べ申しあげますに、后の宮さま(藤壺宮)は存じ上げませんが、姫君(明石の姫君)は美しくはいらっしゃるものの、まだお小さくて、将来が楽しみでいらっしゃいます。お邸の奥方さま(紫の上)の御器量には、やはり誰が及びなされようと思われます。殿(源氏)も美しいとお考えでいらっしやるようですが、言葉に出しては、どうして美人の数の中に入れてお話になられましょうか。私と並んでいらっしゃるのは、身のほど知らずだよと、お戯れにおっしゃいます。お二人を拝見するにつけても寿命が延びるような御ようすゆえ、他にこのような素晴らしい御方がいらっしゃるだろうかと思っておりましたが、姫君(玉鬘)は、どこが劣っておいででしょうか。物には限度があるものですから、お美しくいらっしゃるからといって、仏様のように頭から光がさしたりはなさいませんが。ただこういう御方をこそ、お美しいと申し上げるべきなのでしょうね」と、にっこりして拝見しているので、老人(乳母)もうれしく思う。

 乳母は、「こんな素晴らしい御器量を、あやうく辺鄙な田舎にお沈め申し上げるところでした。それがもったいなく悲しくて、家財も捨てて、頼りになる息子娘たちとも袂を分かって、かえって知らない土地のような気のする京に帰って参りました。あなた様、早く、よいようにお導きくださいませ。ご身分高い所に宮仕えなさっている方は、自然と、つてもおありでしょう。父の大臣(内大臣)にお知らせくださり、御子のお一人にお入れられなさるように、はからってくださいまし」と言う。姫君は恥ずかしくお思いになって、後ろを向いていらっしゃる。

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初音(はつね)

■六条院の新春

 年たちかへる朝(あした)の空の気色、名残りなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根の内だに、雪間(ゆきま)の草若やかに色づきはじめ、いつしかと気色だつ霞に、木(こ)の芽もうちけぶり、おのづから人の心も伸びらかにぞ見ゆるかし。ましていとど玉を敷ける御前(おまへ)は、庭よりはじめ見どころ多く、磨きまし給へる御方々のありさま、真似びたてむも、言の葉足るまじくなむ。

 春の殿(おとど)の御前(おまへ)、とり分きて、梅の香(か)も御簾(みす)の内の匂ひに吹き紛(まが)ひて、生ける仏の御国(みくに)とおぼゆ。さすがにうちとけて、安らかに住みなし給へり。侍ふ人々も、若やかにすぐれたるを、姫君の御方にと選(え)らせ給ひて、少し大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束(さうぞく)有様よりはじめて、めやすくもてつけて、ここかしこに群れゐつつ、歯固(はがた)めの祝ひして、餅鏡(もちひかがみ)をさへ取り寄せて、千年(ちとせ)の蔭にしるき年の内の祝ひごとどもして、そぼれあへるに、大臣(おとど)の君、さしのぞき給ヘれば、懐手(ふところで)ひきなほしつつ、「いとはしたなきわざかな」と、侘(わ)びあへり。「いとしたたかなる、みづからの祝ひごとどもかな。皆おのおの思ふことの道々あらむかし。少し聞かせよや。われ寿詞(ことぶき)せむ」とうち笑ひ給へる御ありさまを、年のはじめの栄えに見奉る。

【現代語訳】
 年が改まった元旦の空のけしきは、一片の雲もないうららかさに、ふつうの人の住まいの垣根の内でさえ、雪間に草が若々しく色づきはじめ、早くも春めいた霞が立ち、木の芽も萌え出て、自然と人の気持ちまで寛いで見えることだ。まして、玉を敷き詰めたようにみごとな六条院の御殿は、庭をはじめとして見どころが多く、ふだんよりいっそう飾り立てていらっしゃるご婦人方のお住まいの見事さは、言い表そうにも言葉が足りない。

 紫の上の春の御殿は、とりわけ、お庭の梅の香りも御簾の内の薫物の匂いと相和して風に吹き匂い、この世の極楽浄土のように思われる。とはいっても、さすが北の方の貫禄からか、ゆったりと安らかなお暮らしぶりである。お付きの女房たちも、若々しく才気のある者は、明石の姫君のお付きにとお譲りになり、こちらには少し年配の女房だけが残り、装束やご様子をはじめ、かえって奥ゆかしく好ましいふるまいで、あちこちに集まっては、歯固めの祝をして、鏡餅まで取り寄せて、千年の栄えをお祝いして戯れ合っているところへ、大臣の君(源氏)がお覗きになったので、懐手を抜き、居ずまいを正しつつ、「ひどく決まりが悪いこと」と言って、恐縮しあっている。「これは大しためいめいの祝いごとだね。皆それぞれ願いの筋があるのであろう。少し聞かせておくれ。私が祝い言をしてあげよう」とお笑いになるご様子を、新年の弥栄と拝する。

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■新春の明石の姫君

 姫君の御方に渡り給へれば、童(わらは)下仕(しもづか)へなど、御前(おまへ)の山の小松、引き遊ぶ。若き人々の心地ども、おき所なく見ゆ。北の殿(おとど)より、わざとがましくし集めたる鬚籠(ひげこ)とも、破子(わりご)なと奉れ給へり。えならぬ五葉(ごえふ)の枝にうつれる鶯(うぐひす)も、思る心あらむかし。

年月をまつにひかれて経(ふ)る人にけふうぐひすの初音(はつね)きかせよ

音せぬ里の」と聞こえ給へるを、げにあはれと思し知る。事忌(ことい)みも、えし給はぬ気色なり。「この御返りは、みづから聞こえ給へ。初音惜しみ給ふべき方にもあらずかし」とて、御硯(すずり)取りまかなひ、書かせ奉らせ給ふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見奉る人だに、飽かず思ひ聞こゆる御有様を、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪得がましく、心苦しと思す。

 ひきわかれ年は経(ふ)れども鶯の巣だちし松の根を忘れめや

幼き御心にまかせて、くだくだしくぞある。

【現代語訳】
 源氏の君が、明石の姫君の所においでになると、女の童や下仕えの女などが、お庭の築山の小松を引いて遊んでいる。若い女房たちの気持ちは、自分たちも引いてみたくてじっとしていられないようだ。北の御殿(明石の上の御殿)から、今日のためにわざわざ集めたらしい竹の籠や折り箱などをくだされている。見事な五葉の松の枝にとまっている鶯も、思うところがある風情だ。

長い年月を、小松(姫君)の成長を待ち続けているる私に、今日、鶯の初音をきかせてください。

鶯の声も聞こえない里の」と書いて申しあげになっているのを、源氏の君は、まことにしみじみいたわしいと、お思い知りになられる。元日に、縁起でもなく涙も抑えきれない程でいらっしゃる。「このお返事は、姫君ご自身で書いて差し上げなさい。初音を聞かせるのを惜しむべき人でもありますまい」といって、御硯のご用意をなさり、お書かせになる。姫君の様子はとても可愛らしく、明け暮れ拝している人さえ、見飽きないと思い申し上げるお姿に、実の母君に今日まで会わせずにいた年月の長さも、罪作りなことだと、源氏の君は、心苦しくお思いになる。

 
お別れしてから年は経っていましても、鶯は、巣立ちした松の根を忘れましょうか。

幼いままにお書きになったので、すんなりとした歌にはなっていない。

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胡蝶(こちょう)

■源氏、玉鬘に迫る

(一)
 心にかかれるままに、しばしば渡り給ひつつ見奉り給ふ。雨のうち降りたるなごりの、いとものしめやかなるタつ方、御前(おまへ)の若楓(わかかへで)、柏木(かしはぎ)などの、青やかに茂り合ひたるが、何となく心地よげなる空を見出し給ひて、「和してまた清し」とうち誦(ず)じ給うて、まづこの姫君の御さまの、にほひやかげさを思し出でられて、例の忍びやかに渡りたまへり。

 手習ひなどして、うちとけ給へりけるを、起き上がり給ひて、恥ぢらひ給へる顔の色あひ、いとをかし。なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、「見そめ奉りしは、いとかうしもおぼえ給はずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。あはれなるわざなりけり。中将の、さらに、昔ざまのにほひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものし給うけるよ」とて、涙ぐみ給へり。箱の蓋(ふた)なる御くだものの中に、橘(たちばな)のあるをまさぐりて、

橘のかをりし袖によそふればかはれる身ともおもほえぬかな

世とともの心にかけて忘れ難きに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かくて見奉るは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。思しうとむなよ」とて、御手をとらへ給へれば、女、かやうにもならひ給はざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにて、ものし給ふ。

 袖の香をよそふるからに橘のみさへはかなくなりもこそすれ

【現代語訳】
 源氏の君は、気がかりなままに、しきりに姫君(玉鬘)のお部屋においでになってはお世話をなさる。ひと雨降った後の、まことにしっとりとした夕方、お庭先の若い楓や柏木などが青々と茂りあっているのが何となく心地よく感じられる空を御覧になって、「和して、また清し」と口ずさみなさって、何よりも先に、この姫君のご様子のつややかな美しさをお思い出され、いつものようにこっそりとおいでになった。

 姫君は、手習いなどして、くつろいでいらっしゃったが、お起き上がりになって、恥じらっていらっしゃるお顔の色具合が、とても美しい。もの柔らかな物腰に、ふと昔の人(夕顔)が思い出されるにつけ、堪えられなくなって、「初めてお会いした時は、ここまで似てはいらっしゃらないと思ったのですが、この頃は不思議な程、まったくあの方(夕顔)と見間違えてしまうことが何度もあります。しみじみと心打たれることですよ。中将の君(夕霧)が、まったく、亡くなった母親(葵の上)に似ていないことに慣れているものですから、親子というのは大して似ないものだと思っていましたが、あなたのような方もいらっしゃったのですね」と、涙ぐんでいらっしゃる。箱の蓋に載せたくだものの中に、橘があるのをもてあそびながら、

懐かしい昔の人(夕顔)に比べてみると、別人とも思えないことです。

いつもいつも心にかかって忘れられず、その心が慰められないまま過ごしてきたこの年月、今こうしてあなたをお世話してさし上げるのは、夢かとばかり思ってみるのですが、夢であっても堪えられそうにありません。私のことを嫌がらないでください」と、お手を握りなさるので、女は、このような経験はおありでなかったので、ひどくお困りになったが、おっとりした様子でお返事をなさる。

(玉鬘)
亡き母にお比べになるのなら、今の私まで同じように、はかなくなりませんでしょうか。

(注)「和して、また清し」・・・白居易の詩句。

(二)
 むつかしと思ひてうつぶし給へるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥え給へる、身なり肌つきのこまやかに美しげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地し給うて、今日は少し思ふこと聞こえ知らせ給ひける。女は心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるる気色もしるけれど、「何かかくうとましとは思いたる。いとよくもて隠して、人に咎(とが)めらるべくもあらぬ心の程ぞよ。さりげなくてをもて隠し給へ。浅くも思ひ聞こえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なむするを。このおとづれ聞こゆる人々には、思しおとすべくやはある。いとかう深き心ある人は世にあり難かるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」と宣ふ。いとさかしらなる御親心なりかし。

【現代語訳】
 困ったと思ってうつぶしていらっしゃるさまは、たいそう魅力に満ち、手つきはふくよかに肥えていらっしゃって、体つきや肌合いがきめ細かで可愛らしく見えるので、源氏の君は、かえって恋慕の情がつのるお気持ちになられ、今日は少しご本心をお聞かせになった。女は、辛くて、どうしてよいかわからず、震え出される様子もはっきり分かるが、源氏の君は、「どうして、こんなにいやがられるのですか。上手に隠して、人に見咎められないように用心しているのです。あなたも何気ないふりをして隠していらっしゃい。今までも浅からず思っていた親心に、さらに別の思いが加わるわけですから、世間にまたとない気持ちがするのです。あなたに文を寄こす人たちと比較して、私のことを軽くお思いになってよいものでしょうか。本当にこれほど深い心のある者は滅多にいないはずですから、あなたのことが心配でならないのです」とおっしゃる。実におせっかいな御親心というものである。

(三)
 雨はやみて、風の竹に鳴る程、はなやかにさし出でたる月影をかしき夜(よ)のさまもしめやかなるに、人々はこまやかなる御物語に畏(かしこ)まりおきて、け近くも侍はず。常に見奉り給ふ御仲なれど、かくよき折しもあり難ければ、言(こと)に出で給へるついでの御ひたぶる心にや、なつかしい程なる御衣(おんぞ)どもの気配は、いとよう紛はし滑(すベ)し給ひて、近やかに臥し給へば、いと心憂く、人の思はむ事もめづらかに、いみじうおぼゆ。まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ち給ふとも、かくざまの憂き事はあらましやと悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御気色なれば、「かう思すこそ辛けれ。もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年経ぬる睦(むつ)まじさに、かばかり見え奉るや、何のうとましかるべきぞ。これよりあながちなる心は、よも見せ奉らじ。おぼろけに忍ぶるにあまる程を、慰むるぞや」とて、あはれげになつかしう聞こえ給ふこと多かり。まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。わが御心ながらも、ゆくりかにあはつけきことと思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜もふかさで出で給ひぬ。(中略)

【現代語訳】
 雨はやんで、風が涼しげに竹の葉をそよがせる折から、明るくさしてきた月の光に、風情ある夜の気配もしめやかで、女房たちは、お二人の親しげな会話のご様子に遠慮して、おそば近くには控えてはいない。いつもお会いになっていらっしゃる御仲だが、こんなよい機会はめったになさそうなので、君は口に出されたついでの一途なお気持からであろうか、やわらかいお召し物の衣擦れの音を上手にごまかしてお脱ぎになり、姫君の近くに横になられると、姫君はまことに辛く、女房たちもどう思うだろうと、何ともたまらないお気持ちになる。実の親のおそばであったら、冷たく放置さっても、このような嫌なことはあるまいと悲しく、抑えようとしても涙がこぼれてきて、まことに痛々しいご様子なので、源氏の君は、「こんなにお嫌がられるのは辛いことです。まったくの他人であっても、世のならいで、女はみなこのようなことは許すようですのに、私たちはこうして長年親しくしているのですから、これくらいのことをお見せするのを、何の嫌なことがありましょう。これより無理なことをする気持ちは、決してお見せはしません。こらえてもこらえきれない私の気持ちを、慰めたいのですよ」と、心をこめて、いろいろとお話しになられる。とくにこのような気配は、ひたすら昔に返ったような思いになって、ひどく胸がかき乱される。源氏の君は、我ながら唐突で、浮ついたこととだとご自省なさり、女房たちもあやしむと思ったので、それほど夜が深くならないうちにご退出なさった。

(四)
 またの朝(あした)、御文とくあり。悩ましがりて臥し給へれど、人々、御硯(すずり)などまゐりて、「御返り、疾(と)く」と聞こゆれば、しぶしぶに見給ふ。白き紙の、上べはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書い給へり。「たぐひなかりし御気色こそ、つらきしも忘れがたう。いかに人見奉りけむ。

 うちとけてねもみぬものを若草のことあり顔にむすぼほるらむ

幼くこそものし給ひけれ」と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見給ひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥国紙(みちのくにがみ)に、ただ、「承りぬ。乱り心地の悪(あ)しう侍れば、聞こえさせぬ」とのみあるに、かやうの気色はさすがにすくよかなりと微笑みて、恨みどころある心地し給ふも、うたてある心かな。

【現代語訳】
 翌朝、早々にお手紙が届けられた。玉鬘の君は気分が悪いといって横になっていらしたが、女房たちが御硯などを持って参って、「お返事を早く」とお勧めするので、しぶしぶながらご覧になる。白い紙の、見たところはそっけない紙に、たいそう美しくお書きになってある。「昨晩は、取り付く島もなく、すげないご様子でしたが、かえって忘れがたくもなるのです。女房たちはどんなふうに思いましたやら。

 
心をゆるし合って共寝したわけではないのに、どうして若草が何事かあったようにふさぎこんでいるのでしょう。

大人げなくていらっしゃることですね」と、それでもやはり親らしいお言葉であるのは、ひどく憎らしいとお思いになって、お返事を差し上げないのも人が変に思うので、厚ぼったい陸奥国紙に、ただ、「お手紙は拝見いたしました。気分が悪うございますので、お返事はいたしません」とだけあるので、源氏の君は、こういうところはさすがにしっかりしているな、と微笑まれて、口説きがいがある気持ちがなさるのも、困ったお心ではある。

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蛍(ほたる)

■源氏、蛍火で玉鬘を見せる

(一)
 殿は、あいなく、おのれ心げさうして、宮を待ち聞こえ給ふも、知り給はで、よろしき御返りのあるをめづらしがりて、いと忍びやかにおはしましたり。妻戸の間(ま)に御褥(しとね)参らせて、御几帳(きちやう)ばかりを隔てにて、近き程なり。いといたう心して、そらだきもの心にくき程に匂はして、つくろひおはするさま、親にはあらで、むつかしきさかしら人の、さすがにあはれに見え給ふ。宰相の君なども、人の御答(いら)へ聞こえむことも覚えず、恥づかしくて居たるを、「埋(うも)れたり」とひきつみ給へば、いとわりなし。夕闇過ぎて、おぼつかなき空の気色の曇らはしきに、うちしめりたる宮の御けはひも、いと艶(えん)なり。内よりほのめく追ひ風も、いとどしき御匂ひのたち添ひたれば、いと深くかほり満ちて、かねて思ししよりもをかしき御けはひを、心とどめ給ひけり。うち出でて、思ふ心の程を宣ひ続けたる言の葉おとなおとなしく、ひたぶるにすきずきしくはあらで、いとけはひことなり。大臣(おとど)、いとをかしとほの聞きおはす。

 姫君は、東面(ひがしおもて)に引き入りて大殿籠(おほとのごも)りにけるを、宰相の君の御消息(せうそこ)つたへにゐざり入りたるにつけて、「いとあまり暑かはしき御もてなしなり。よろづの事さまに従ひてこそめやすけれ。ひたぶるに若び給ふべきさまにもあらず。この宮たちをさへ、さし放ちたる人づてに聞こえ給ふまじきことなりかし。御声こそ惜しみ給ふとも、少し気(け)け近くだにこそ」など、諫め聞こえ給へど、いとわりなくて、ことつけても這ひ入り給ひぬべき御心ばへなれば、とざまかうざまにわびしければ、すべり出でて、母屋(もや)の際(きは)なる御几帳のもとに、かたはら臥し給へる。

 何くれと言(こと)長き御答(いら)ヘ聞こえ給ふこともなく、思しやすらふに、寄り給ひて、御几帳の帷子(かたびら)を一重(ひとへ)うちかけ給ふにあはせて、さと光るもの、紙燭(しそく)を差し出でたるか、とあきれたり。螢(ほたる)を薄きかたに、この夕つ方いと多く包みおきて、光をつつみ隠し給へりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて、にはかにかく掲焉(けちえん)に光れるに、あさましくて、扇をさし隠し給へるかたはら目、いとをかしげなり。「おどろかしき光見えば、宮ものぞき給ひなむ。わがむすめと思すばかりのおぼえに、かくまで宣ふなめり。人ざま容貌(かたち)など、いとかくしも具(ぐ)したらむとは、え推し量り給はじ。いとよくすき給ひぬべき心、惑はさむ」と構へ歩(あり)き給ふなりけり。まことのわが姫君をば、かくしももて騒ぎ給はじ、うたてある御心なりけり。他方(ことかた)より、やをらすべり出でて渡り給ひぬ。

【現代語訳】
 源氏の君が、わけもなく、お一人で心ときめかせ待ちかまえていらっしゃるともご存じなく、兵部卿宮は、姫君(玉鬘)からよいお返事があったのを喜んで、こっそりとおいでになった。妻戸の間に御座をお敷きになり、御几帳だけを隔てにして、宮の座を用意なさった。源氏の君はたいそう心配りして、空薫物を奥ゆかしいほどに匂わして、世話をやいていらっしゃるご様子は、親というより、面倒なおせっかい人といったところだが、そうは言ってもやはり、よくもまあこれ程までにと思われる。宰相の君なども、宮へのお返事のお取次ぎを忘れて、恥ずかしくて座っているのを、源氏の君が、「何をぐずぐずしているのか」とおつねりになるので、困り果てている。夕闇の頃が過ぎ、月がぼんやりして空も曇りがちの中、物静かな宮の御気配も風情があった。内からただよってくる追風に、さらにかぐわしい香(こう)の匂いが加わったので、一段と深い香りが部屋に満ち、宮は、予想していた以上に風情ある姫のご様子にお心惹かれなさる。お口に出して思う心のさまを打ち明けられる言葉は、落ち着きがあり、むやみに色めいたものではなく、まったく格別である。源氏の君も、まことに素晴らしいとほのかに聞いていらっしゃる。

 姫君は、東座敷に引きこんでお休みになっていらっしゃったが、宰相の君が取次ぎに入ってきたのに源氏の君は一緒について来て、「嫌がっているようなおもてなしです。何事も、時と場合に応じてなさるのが好ましいのです。ただ子供っぽくなさるご年齢でもございません。この宮には、遠ざけて人づてにお返事申し上げるものではありません。直接にお話しはなさらずとも、せめてもう少し近くにお寄りなさい」など、お叱りなさるけれど、姫君は途方に暮れるし、お叱りにかこつけて部屋の中にお入りになりそうで、どちらにしても困ったことなので、そっと抜け出て、母屋の側の御几帳のそばで、臥せっていらっしゃる。

 何やかやと、兵部卿宮が長々と訴えなさるお言葉にお答え申し上げず、ぐずぐずしておられるところへ、源氏の君は近くお寄りになり、御几帳の帷子を一枚お上げになるのと同時に、ぱっと光るものがあり、紙燭をさし出したのかと、姫君はびっくりする。螢を薄い帷子に、この夕方たくさん包んでおいて、光が漏れないように隠していらっしゃったのを、さりげなくその辺をとりつくろうようなふりをして、お放ちになったのである。急にこうして明るく照らし出されたので、びっくりして扇で顔をお隠しになったその横顔がとても美しい。源氏の君は、「突然の光が見えれば、宮もお覗きになるだろう。私の娘だからという理由だけで、ここまで熱心なのだろう。気立てや器量などがこんなに備わっていようとは、まさかお思いではあるまい。その熱心な宮の心を惑わしてやろう」と、趣向を凝らして動き回っていらっしゃるのだ。本当のご自分の娘なら、こんなふうなお騒ぎはなさるまい、困ったお心である。源氏の君は、別の戸口から、そっと外に出て、行っておしまいになった。

(二)
 宮は、人のおはする程、さばかりと推し量り給ふが、少し気近きけはひするに、御心ときめきせられ給ひて、えならぬ羅(うすもの)の帷子(かたびら)の隙(ひま)より見入れ給へるに、一間(ひとま)ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見給ふ。程もなく紛らはして隠しつ。されどほのかなる光、艶(えん)なる事のつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、そびやかに臥し給へりつる様体(やうだい)のをかしかりつるを、飽かず思して、げに案のごと御心にしみにけり。

鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに人の消(け)つにはきゆるものかは

思ひ知り給ひぬや」と聞こえ給ふ。かやうの御返しを、思ひまはさむもねぢけたれば、疾(と)きばかりをぞ、

 声はせで身をのみこがす螢こそ言ふよりまさる思ひなるらめ

など、はかなく聞こえなして、御みづからはひき入り給ひにければ、いと遙かにもてなし給ふ憂(うれ)はしさを、いみじく恨み聞こえ給ふ。すきずきしきやうなれば、居給ひも明かさで、軒の雫(しづく)も苦しさに、濡れ濡れ、夜深く出で給ひぬ。時鳥(ほととぎす)など必ずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きもとどめね。御けはひなどのなまめかしさは、いとよく大臣の君に似奉り給へり、と人々もめで聞こえけり。昨夜(よべ)いと女親(めおや)だちて、つくろひ給ひし御けはひを、内々は知らで、あはれにかたじけなしと皆言ふ。

【現代語訳】
 兵部卿宮は、姫君がいらっしゃるあたりはあの辺かとご推測なさるが、思ったより少し近い感じがするので、心をときめかして、美しい薄物の帷子の隙間から中をお覗きになると、一間ほど隔てた先のほうに、思いがけない光が明るくほのめくのを、美しいとご覧になる。ほどなく女房たちがその光を隠してしまった。しかし、ほのかに見えた光は、男女の秘め事のきっかけともなりそうに見えた。ほんの少ししか見えなかったが、すらりとした身を横にしていらした姿の美しかったのを、宮は忘れ難くお思いになって、なるほどたしかにこの趣向は宮のお心に染みたのだった。

(兵部卿宮)「
鳴く声も聞こえない蛍の思いさえ、人が消そうとして消えないのに、まして私の思いはどうして消せるものでしょうか。

おわかり下さったでしょうか」と申し上げなさる。この場合のご返歌に、長々と思案するのもおかしいので、早くお返事することだけを取り柄として、

(玉鬘)
声を出さずその身だけを焦がす螢こそ、口に出して言うよりももっと、その思いは深いのでしょうね。

など、つれないお返事をして、姫君は奥に引き入ってしまわれたので、宮は、ひどくよそよそしいもてなしを辛く思い、くどくどとお恨み申し上げなさる。しかし、好色めいてしまうので、座り込んだまま夜を明かすことはなさらず、軒の雫の苦しさに、露に濡れながら、夜深いうちに退出なさった。ほととぎすは、きっと鳴いたことだろう。煩わしいので、聞き取ることもしなかった。宮のご気配などのなまめかしさは、まことに源氏の君によく似ていらっしゃる、と、女房たちもおほめ申し上げるのだった。昨夜の女親めいたお世話のやり方を、内情を知らないで、しみじみありがたいと、皆で言っている。

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■物語論

(一)
 殿も、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ、御目に離れねば、「あなむつかし。女こそ物うるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらの中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられ給ひて、暑かはしき五月雨(さみだれ)の、髪の乱るるも知らで書き給ふよ」とて、笑ひ給ふものから、また、「かかる世の古事(ふるごと)ならでは、げに何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。さてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしく続けたる、はた、はかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君の物思へる見るに、かた心つくかし。またいとあるまじき事かなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目驚きて、静かにまた聞くたびぞ憎けれど、ふとをかしき節、あらはなるなどもあるべし。このごろ幼き人の、女房などに時々読まするを立ち聞けば、物よく言ふ者の世にあるべきかな、そらごとをよくし慣れたる口つきよりぞ言ひ出だすらむと覚ゆれど、さしもあらじや」と宣へば、「げにいつはり慣れたる人や、さまざまにさも酌(く)み侍らむ。ただいとまことの事とこそ思う給へられけれ」とて、硯(すずり)を押しやり給へば、「こちなくも聞こえおとしてけるかな。神代(かみよ)より世にある事を記(しる)し置きけるななり。日本紀(にほんぎ)などは、ただかたそばぞかし。これらにこそ道々(みちみち)しく詳しき事はあらめ」とて、笑ひ給ふ。

【現代語訳】
 源氏の君も、あちらこちらにこうした絵や物語などが散らばっていて、何かとお目につくので、玉鬘に、「ああうっとうしい。女というのは、面倒くさがりもせず、人に騙されるように生まれついているのですね。たくさんある物語の中に、真実はとても少ないでしょうに、一方ではそうだと知りながら、こうしたいい加減な話にうつつを抜かし、本気になさったりして、暑苦しい五月雨どきに、髪が乱れるのも構わないでお書き写しになることよ」とお笑いなさるものの、また、「このような古い物語がなければ、なるほど、どうやって紛らわしようのない退屈を慰められましょう。それにしても、こうした多くの作りごとの中に、なるほどそんなこともあろうかと同感し、もっともらしく書きつづけてあるのは、一方ではたわいもないことと知りながら、むやみに感動し、可愛らしい姫君が物思いに沈んでいる姿に、いくらか心が惹かれるものですよ。また、あり得ないことだと思いながら、大げさな書きぶりに目を奪われ、後で落ち着いてもう一度聞く時には、こんなことがあるものかと腹が立つけれど、それでもふと感心させられる一節が、はっきりと書かれていることもあるでしょう。この頃、幼い明石の姫君に女房などが読み聞かせるのを立ち聞くと、世の中には話のうまい者がいるのだな、さぞかし嘘をつき慣れた口から言い出すのだろうと思うのですが、そうでもないのでしょうか」とおっしゃると、玉鬘は、「仰せのように、いつも作りごとばかりしている人は、さまざまに人の気持ちに入り込むのでしょう。でも、私にはまことのこととしか思われません」といって、硯をおそばから押しやりなさると、源氏の君は、「不風流にも物語をけなしてしまったものですね。物語というものは神代からこのかた世に起こったことを書き残したものだといいます。日本紀(日本書紀)などはほんの片端にすぎません。これら物語にこそ、世の道理にかなった、詳しいことを書いてあるのでしょう」とおっしゃって、お笑いになる。

(二)
 「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、良きも悪しきも、世に経(ふ)る人の有様の、見るにも飽かず、聞くにもあまる事を、後の世にも言ひ伝へさせまほしき節々を、心に籠(こ)め難くて、言ひ置き始めたるなり。良きさまに言ふとては、よき事の限り選(え)り出でて、人に従はむとては、また悪しきさまのめづらしき事を取り集めたる、皆かたがたにつけたる、この世の外(ほか)の事ならずかし。人の朝廷(みかど)のざえ作りやうかはる、同じやまとの国の事なれば、昔今(むかしいま)のに変はるべし、深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに虚言(そらごと)と言ひはてむも、事の心違(たが)ひてなむありける。

 仏の、いとうるはしき心にて説き置き給へる御法(みのり)も、方便といふことありて、悟りなき者は、ここかしこ違(たが)ふ疑ひを置きつべくなむ。方等経(はうどうきやう)の中に多かれど、言ひもてゆけば、一つ旨(むね)にありて、菩提(ぼだい)と煩悩(ぼんなう)との隔たりなむ、この、人の良き悪しきばかりの事は変はりける。よく言へば、すべて何事も空しからずなりぬや」と、物語をいとわざとのことに宣ひなしつ。

【現代語訳】
 「その人の身の上といって、ありのままに書き記すことはないとしても、良いことも悪いことであれ、この世に生きている人の有様の、見ても見飽きず、聞いても聞き足りないことを、後の世にも語り伝えたいと思う事柄の一つ一つを、心に包みきれず言いおいたのが、物語の始まりなのです。物語の中の人を良いように言うには、良いことばかりを選び出し、読者の興味を惹こうとしては、滅多にありそうもないことを多く書きつらねる。その良いことも悪いこと、いずれも、みなこの世の外のことではないのですよ。異国の朝廷の物語でも、書きようは変わるし、同じ日本の国のことであれば、昔と今で書きようが変わるのは当然です。作品の内容に深い浅いの違いはあるでしょうが、どこまでも作りごとと言ってしまうのは、実情を無視したことになります。仏が、たいそう立派な心で説きおかれた御法文も、方便ということがあって、悟りのない者は、あちこち矛盾するという疑い抱くに違いありません。方便の説は、方等経の中に多いのですが、つきつめれば、一つの趣旨に行き着くのであって、菩提と煩悩との隔たりは、物語中の善人と悪人との違いのようなものです。良い意味では、何事も無益なものはないということになるのです」と、物語をことさら立派なもののようにご説明になられた。

(注)方等経・・・大乗仏教の法を説く経典の総称。
(注)菩提・・・悟りの境地。

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■内大臣の行方不明の娘

 かの撫子(なでしこ)を忘れたまはず、物の折りにも語り出で給ひし事なれば、「いかになりにけむ。物はかなかりける親の心に引かれて、らうたげなりし人を、行く方知らずなりにたること。すべて女子(をんなご)と言はむものなむ、いかにもいかにも目放つまじかりける。さかしらにわが子と言ひて、あやしきさまにてはふれやすらむ。とてもかくても聞こえ出で来(こ)ば」と、あはれに思しわたる。君達にも、「もしさやうなる名乗りする人あらば、耳とどめよ。心のすさびに任せて、さるまじき事も多かりし中に、これはいと、しかおしなべての際(きは)にも思はざりし人の、はかなき物倦(うむ)じをして、かく少なかりけるもののくさはひ一つを失ひたることの口惜しきこと」と、常に宣ひ出づ。中頃などはさしもあらず、うち忘れ給ひけるを、人のさまざまにつけて、女子(をんなご)かしづき給へる類(たぐひ)どもに、わが思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く本意(ほい)なく思すなりけり。

 夢見給ひて、いとよく合はする者召して、合はせ給ひけるに、「もし年ごろ御心に知られ給はぬ御子を、人の物になして、聞こし召し出づることや」と聞こえたりければ、「女子(をんなご)の人の子になる事はをさをさなしかし。いかなる事にかあらむ」など、この頃ぞ思し宣ふべかめる。

【現代語訳】
 内大臣は、あの撫子(夕顔の子)のことをお忘れにならず、何かの折にもお話になったことであるし、「いったいどんなになっているだろうか。はかなげな母親の心に似て、可愛らしい娘だったが、行方知れずになってしまったことよ。すべて女の子というものは、何があっても決して目を離してはならないものだ。勝手に私の子だと言って、みじめな境遇に落ちぶれているのではないか。とにもかくにも名乗り出て来てさえくれれば」と、ずっと気にかけていらっしゃる。ご子息たちにも、「もしそのような名乗りをする人があれば、聞き逃さないようにしてくれ。私も若い頃は、好き心のままに、けしからぬ事もだいぶしてきたが、これ(夕顔)は、そう並々の相手とは思わない女だったのに、つまらない心隔てをして姿を消してしまい、この数少ない娘の一人を失ったことの残念なことよ」と、いつも口に出しておっしゃる。ひところはそれほどでもなく、お忘れになっていらしたのだが、人さまざまに娘を可愛がっていらっしゃる例が多い中に、自分だけお望みどおりにならないのが、ひどく残念で不本意なことにお思いになっていらしゃる。

 夢をごらんになって、たいそうよく当たる夢占いを召して、その夢の意味を占わせなさったところ、「もしや長年お忘れの御子を、人の養女になっているとお聞きになるかもしれません」と申し上げるので、内大臣は、「女の子が養女になることなど滅多にないだろうに。一体どういうことなのだろう」など、この頃になって、お思いになったり、口になさったりしている。

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常夏(とこなつ)

■源氏と玉鬘の唱和

 人々近く侍へば、例の戯(たはぶ)れごともえ聞こえ給はで、「撫子(なでしこ)を飽かでもこの人々の立ち去りぬるかな。いかで、大臣(おとど)にも、この花園(はなぞの)見せ奉らむ。世もいと常なきを、と思ふに、いにしへも物のついでに語り出で給へりしも、ただ今の事とぞ覚ゆる」とて、少し宣ひ出でたるにも、いとあはれなり。

なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人やたづねむ

この事のわづらはしさにこそ、繭(まゆ)ごもりも心苦しう思ひ聞こゆれ」と宣ふ。君うち泣きて、

 山がつの垣ほに生ひしなでしこのもとの根ざしを誰か尋ねむ

はかなげに聞こえない給へるさま、げにいと懐かしく若やかなり。「来(こ)ざらましかば」とうち誦(ず)し給ひて、いとどしき御心は、苦しきまで、なほえ忍びはつまじく思さる。

【現代語訳】
 女房たちがお側近くに控えているので、源氏の君はいつものように冗談もおっしゃれないで、「撫子を十分に見ないうちに、あの人たちは立ち去ってしまいました。どうにかして、内大臣にも、この花園をお見せしたい。世も中を無常なことよと思いますにつけても、昔、内大臣が何かのついでにあなたのことをお話になったことも、昨日今日のことのように思えます」と少し語りだされたのも、感無量であった。

(源氏)
なでしこの娘のいつも変わらないやさしい色を見ていると、人(内大臣)は、その素性を探し求めるでしょう。

それがわずらわしいので、あなたを隠しているのですが、気の毒に思います」とおっしゃる。姫君は泣いて、

(玉鬘)
いやしい山家の垣根に生えた撫子の素性なんて、誰が探したりするでしょうか。

と、何でもないように申し上げていらっしゃるさまは、いかにも心惹かれるほど初々しい。源氏の君は、「来ざらましかば」とお口ずさみになって、ひとしお募る思いは苦しいほどで、やはりこのまま我慢しきれないようにお思いになる。

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■源氏の思案

 「さてその劣りの列(つら)にては、何ばかりかはあらむ。わが身一つこそ人よりは異なれ、見む人のあまたが中にかかづらはむ末(すゑ)にては、何の覚えかはたけからむ。異なることなき納言の際(きは)の、二心(ふたごころ)なくて思はむには、劣りぬべき事ぞ」と、自ら思し知るに、いといとほしくて、「宮、大将などにやゆるしてまし。さてもて離れ、いざなひ取りては、思ひも絶えなむや。言ふかひなきにても、さもしてむ」と思す折もあり。

 されど渡りたまひて、御容貌(かたち)を見給ひ、今は御琴(こと)教へ奉り給ふにさへことつけて、近やかに馴れ寄り給ふ。姫君も、はじめこそ、「むくつけく、うたて」とも思ひ給ひしか、「かくてもなだらかに、うしろめたき御心はあらざりけり」と、やうやう目慣れて、いとしも疎み聞こえ給はず、さるべき御答(いら)へも、馴れ馴れしからぬ程に聞こえ交はしなどして、見るままに、いと愛敬(あいぎやう)づき、かをりまさり給へれば、なほさてもえ過ぐしやるまじく思し返す。

【現代語訳】
 
源氏の君は、「さて多くの妻たちの中に、一段劣る者として加わったとして、どれほどのことがあろう。私の身分こそ別格だが、女君が多くいる中にその末席につらなるのでは、何の大したことがあろう。取り立てて言うほどのこともない大納言ぐらいの身分の男に、ただ一人の妻として愛されることのほうが、ずっとましであろう」と、ご自分でもわかっておられるので、姫君(玉鬘)のことがたいそうおいたわしくて、「いっそ、兵部卿宮か髭黒の大将などにやってしまおうか。そうして自分も離れて行き、誰かが姫君を迎えとることになれば、あきらめがつくだろう。つまらないことではあるが、そうしよう」とお思いになる時もある。

 それでもお渡りになって、お姿を御覧になり、今では和琴をお教えすることにかこつけて、おそばに近づくのが常になっていらっしゃるし、姫君のほうも、初めこそ気味が悪く、嫌にお思いであったが、「こうしていても穏やかで、油断ならない御心はなかったのだ」と、しだいに慣れてきて、それほどお嫌がりにならず、しかるべき時のお返事も、親密すぎない程度に申し上げなさったりして、会えば会うほど親しみが増し、お美しさが増すので、源氏の殿は、やはり結婚させてはならないと思い返しなさる。

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■内大臣と近江の君

 御気色の恥づかしきも知らず、「何か、そは。ことごとしく思ひ給ヘて交じらひ侍らばこそ、所狭(せ)からめ。御大壺(おほみおほつぼ)とりにも、仕うまつりなむ」と聞こえ給へば、え念じ給はで、うち笑ひ給ひて、「似つかはしからぬ役ななり。かくたまさかに逢へる親の孝(けう)せむの心あらば、このもの宣ふ声を、少しのどめて聞かせ給へ。さらば命も延びなむかし」と、をこめい給へる大臣(おとど)にて、ほほ笑みて宣ふ。

「舌の本性(ほんじやう)にこそは侍らめ。幼く侍りし時だに、故母の常に苦しがり教へ侍りし。妙法寺(めうほふじ)の別当(べたう)大徳(だいとこ)の産屋(うぶや)に侍りける、あえものとなむ嘆き侍りたうびし。いかでこの舌疾(したど)さ、やめ侍らむ」と思ひ騒ぎたるも、いと孝養(けうやう)の心深く、あはれなりと見給ふ。

【現代語訳】
 内大臣のそのご様子の立派さを意にも介さず、近江の君は、「それは何ということもございません。大層に思ってお仕えするのであれば窮屈でしょうけれど。御大壺(便器)の係りでもしてお仕えしましょう」と申し上げなさると、内大臣は我慢しきれずにお笑いになって、「それはあなたに似つかわしくない役のようですね。このように偶然に会った親の私に孝行しようという気があるなら、その物のおっしゃり方声を、もう少しゆっくりと聞かせていただけませんか。そうすれば私の命も延びるでしょうよ」と、おどけたところのおありになる大臣なので、ほほ笑んでおっしゃる。

 近江の君は、「舌の生まれつきなのでございましょう。幼くございました時でさえ、亡くなった母がいつも嫌がって注意してございました。妙法寺の別当大徳が産屋に詰めておりましたので、大徳の早口がうつったのだろうと嘆いておられました。何とかしてこの早口をなおしましょう」と思案しているのも、まことに親孝行の気持ちが深く、感心なことだと内大臣はお感じになる。

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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「玉鬘」のあらすじ

(源氏 35歳)
(玉鬘 21歳)
(紫の上 27歳)


夕顔の遺児・玉鬘(たまかずら:内大臣の娘)は、3歳の時、乳母(太宰少弐の妻)の一家とともに筑紫へ下った。太宰少弐の任期は満ちたものの、その地で亡くなってしまい、乳母は玉鬘をつれて都へ上る術もないまま年月が流れた。17年がたち、玉鬘は美しく成長した。肥後国に勢力を誇った大夫監(たいふのげん)が強引に求婚してきたので、乳母は長男の豊後介(ぶんごのすけ)と相談し、玉鬘をつれて急ぎ筑紫を逃げ出して上京した。

玉鬘たちはやっとの思いで京に着いたものの、どこにも頼るところがない。6か月間もさすらい同様の生活が続き、もはや神仏にすがるほかないと、初瀬詣でを思い立つ。椿市(つばいち)の宿に宿泊し、その時、偶然に、かつての夕顔の侍女で、今は紫の上方の女房となっている右近(うこん)と出会った。その縁から玉鬘は源氏に引き取られ、六条院の夏の御殿の西の対に住むことになった。豊後介は源氏の家司(けいし)となった。

「初音」のあらすじ

(源氏 36歳)
(明石の上 27歳)
(明石の姫君 8歳)
(玉鬘 22歳)
(紫の上 28歳)
(夕霧 15歳)


源氏は六条院で紫の上と仲睦まじく新春を祝った。紫の上の住む春の御殿の華やかさは格別である。源氏は、六条院の女君たちを順次、年賀に訪れる。明石の姫君のところへ行くと、母君からさまざまな贈り物が届けられていた。源氏は手を取るようにして姫君に返事を書かせた。

次に花散里と玉鬘を訪ねた。花散里は容姿は衰えたものの、気立ては相変わらずで、源氏にとっては心の落ち着く存在だった。玉鬘は今を盛りの美しさ。二日の夕方には二条の東院に末摘花と空蝉を訪ねた。二条の東晋は六条院に比べると地味な光景で、末摘花は和歌や物語の勉強にうちこみ、空蝉は仏道に励んでいた。その他にも、世話をしている女性たちのもとに、まめに顔を出してまわった。

今年は男踏歌(おとことうか)がある年である。男踏歌とは、正月14日に、四位以下の殿上人、地下人が催馬楽を歌いながら貴族の邸などを回る行事のこと。その行列は夜明けごろに六条院に入った。薄雪の庭に心和む歌や舞を、婦人たちは衣装をこらして見物した。行列には夕霧や内大臣の子息たちも交じっていて、源氏は夕霧の歌声を褒めた。

「胡蝶」のあらすじ

(源氏 36歳)
(玉鬘 22歳)
(紫の上 28歳)
(秋好中宮 27歳)


3月下旬、六条院の春の御殿(紫の上の御殿)で舟楽が催された。秋好中宮はこのころ里下りしていたので、中宮の女房たちにもこの催しを見せようと、舟が差し向けられた。。女房たちを乗せた舟が池に入ると、華やかな楽の音が鳴り渡り、まるで知らない国に来たようであった。宴は明け方まで続いた。

玉鬘の美しさは評判の的となり、たくさんの公達から恋文が寄せられた。源氏の弟の蛍兵部卿宮は自分の妻にと望み、内大臣の子の柏木は実の妹とも知らずに思いを寄せた。源氏は恋文を審査するが、自分もその美しさに心引かれていた。しきりに玉鬘のところへ足を運び、しまいには胸に秘めた思いを玉鬘に吐露してしまう。親子の愛情にもう一つの愛情が加わるだけだと口説くが、玉鬘は困惑し動揺する。

「蛍」のあらすじ

(源氏36歳)
(玉鬘22歳)
(紫の上28歳)


玉鬘は源氏の心を測りかねて悩んでいた。一方、養父であるはずの源氏も、わがあやしい恋情に苦しんだ。これ以上深入りしてはいけないと自戒するも、相変わらず暇を見つけては玉鬘のもとへ通い、ついつい口説き文句を並べ立てては玉鬘を困らせてしまう。立派な養父と尊敬していただけに、よけいに苦しむ。

五月雨のころ、源氏は兵部卿の宮の恋文を見て、玉鬘に返事を書くように勧める。玉鬘が書こうとしなかったので、源氏は宰相の君に代筆させてねんごろな文を書かせた。思わぬ色よい返事をもらった兵部卿の宮が、心をときめきかせながら玉鬘を訪ねてきた。源氏は折を見て多くの蛍を玉鬘の近くに放った。その光に照らされた玉鬘の美しさに、宮は魅せられてしまい、恋心はいっそう悩ましいものとなった。玉鬘は、恋心を吐露するかと思えば、他の男を誘惑させる行動にでる源氏に対し、ますます困惑する。

長引く梅雨に、所在ない婦人たちは絵物語を読んだりして日を過ごしていた。玉鬘も絵物語に熱中している。源氏が玉鬘のもとにやって来て、物語論を展開する。その一方で、実子の明石の姫君を養育している紫の上に対しては、恋愛描写が多いなどの教育によろしくない絵物語は見せないようにと聞かせた。

夕霧は相変わらず雲居雁を恋しく思い続け、柏木は玉鬘を慕い、その取り持ちを夕霧に頼んだが、夕霧は相手にならなかった。

内大臣(頭の中将)の子は男子が多く、数少ない娘・弘徽殿女御を中宮にすることがかなわず、雲居雁も夕霧の件でけちがついたため、常々残念がっていた。せめて離れ離れになってしまった夕顔とその娘がそばにいればと思い、娘を探し出そうとする。占い師から「長年忘れていた娘が、他人の養女になっている」と告げられ、どういうことかと訝しがる。

「常夏」のあらすじ

(源氏 36歳)
(夕霧 15歳)
(玉鬘 22歳)
(雲居雁 17歳)
(弘徽殿女御 19歳)


内大臣(頭の中将)は、近江の国から娘だと名のり出た女性(近江の君)を、息子の柏木に検分させて手もとに引き取った。その噂を聞いた源氏は、内大臣には子どもが多いのに今さら欲の深いことだと思い、若い頃に遊び歩いた内大臣らしい顛末だと皮肉った。

玉鬘は、父の頭の中将が琴の名手だったことを源氏から聞き、自分も弾いてみたくなった。源氏は玉鬘に和琴を与えて教え、それによって玉鬘と会う回数を増やしていった。源氏の玉鬘に対する恋情は募る一方であり、自分でもなぜこのような無益な恋に辛い思いをするのかと煩悶する。

源氏が探し出したという姫君はこれ以上ないほどの評判だというのに、内大臣が引き取った近江の君は、やたら落ち着きがなく早口で無教養な女であったため、きわめて評判がよろしくない。後悔する内大臣は処置に困り、弘徽殿の女御に預けて行儀見習いでもさせようと思った。

語 句

あいなし
 気に入らない。不快である。つまらない。不似合いだ。「あいなく」は、わけもなく。

あえかなり
 か弱い。華奢だ。繊細だ。

あくがる
 心が体から離れてさまよう。うわの空にある。どこともなく出歩く。心が離れる。疎遠になる。

あさまし
 驚くばかりだ。意外だ。情けない。興ざめだ。あきれるほどひどい。見苦しい。

あだあだし
 浮気だ。移り気だ。うわべだけで誠意がない。

あだめく
 浮気っぽく振舞う。うわつく。

あなかしこ
 ああ恐れ多い。ああ慎むべきだ。

あながちなり
 無理だ。身勝手だ。強引だ。ひたすらだ。ひたむきだ。
はなはだしい。ひどい。

あはあはし
 いかにも軽薄だ。浮ついている。

あらましごと
 予測される事柄。予想。

あらまほし
 望ましい。理想的だ。

ありありて
 このままでいて。生き長らえて。その果てに。

いかで
 どうして。どういうわけで。どうにかして。ぜひとも。

いとど
 いよいよ。いっそう。

いぶせし
 気が晴れない。うっとうしい。気がかりである。不快だ。気詰まりだ。

いまいまし
 慎むべきだ。縁起が悪い。不吉だ。憎らしい。癪にさわる。

今めく
 現代風である。

いみじ
 甚だしい。並々でない。よい。すばらしい。ひどい。恐ろしい。

うしろめたし
 先が気がかりだ。どうなるか不安だ。やましい。うしろぐらい。

うしろやすし
 気安い。先が安心だ。心配がない。

うたて
 ますますはなはだしく。いっそうひどく。

うちつけなり
 あっという間だ。軽率だ。ぶしつけだ。

うつたへに
 ことさら。まったく。

うるはし
 壮大で美しい。立派だ。きちんとしている。端正だ。きまじめで礼儀正しい。親密だ。誠実だ。色鮮やかだ。正しい。

うれたし
 しゃくだ。いまいましい。つれない。自分には辛い。

えならず
 何とも言えないほどすばらしい。

おとなぶ
 大人になる。一人前になる。大人らしくなる。大人びる。

おのがじし
 各自それぞれ。思い思いに。

おほとのごもる
 おやすみになる。

おほやけ
 朝廷。天皇。公的なこと。

かごと
 言い訳。不平。恨み言。

かしこ
 あそこ。かのところ。

かたはらいたし
 きまりが悪い。気恥ずかしい。腹立たしい。苦々しい。みっともない。気の毒である。

形見(かたみ)
 遺品。遺児。遠く別れた人の残した思い出となるもの。

くすし
 神秘的だ。不思議だ。堅苦しい。窮屈だ。

くたす
 腐らせる。無にする。やる気をなくさせる。非難する。

けしうはあらず
 そう悪くない。まあまあだ。

げに
 なるほど。いかにも。本当に、まあ。

けらし
 ・・・たらしい。・・・たようだ。・・・たのだなあ。

心もとなし
 じれったい。待ち遠しい。不安で落ち着かない。気がかりだ。ほのかだ。かすかだ。

ことごとし
 仰々しい。いかにも大げさだ。

ことわりなり
 もっともだ。道理だ。

才(ざえ)
 学識。教養。才能。

さかしがる
 小賢しく振舞う。利口ぶる。

さはれ
 えい、ままよ。どうともなれ。それはそうだが。しかし。

さぶらふ
 お仕えする。参上する。(貴人のそばに)ございます。あります。

さらぬ
 そうではない。そのほかの。大したことではない。

消息(せうそこ)
 手紙。便り。

そこはかとなし
 どことはっきりしない。とりとめもない。何ということもない。

たいだいし
 不都合だ。もってのほかだ。

たぶ
お与えになる。下さる。

つきなし
 取り付くすべがない。手掛かりがない。ふさわしくない。

つとめて
 早朝。翌朝。

つれなし
 素知らぬふうだ。平然としている。冷淡だ。薄情だ。ままならない。

とぶらひ
 訪問すること。見舞い。

長押(なげし)
 柱の側面に取り付けて、柱と柱との間を横につなぐ材。鴨居に添える「上長押」、敷居に添える「下長押」がある。

なつかし
 心が引かれる。親しみが持てる。昔が思い出されて慕わしい。

なづさふ
 水に浮かんで漂っている。
なれ親しむ。慕い懐く。

はかなし
 頼りない。むなしい。あっけない。ちょっとしたことだ。幼い。粗末だ。

ひたぶるなり
 ひたすらだ。一途だ。いっこうに。まったく。

びんなし
 具合が悪い。都合が悪い。不便だ。感心できない。かわいそうだ。いたわしい。

ほだし
手かせ。足かせ。妨げ。

まいて
 まして。なおさら。いうまでもなく。

みづら
 男性の髪型の一つで、髪を頭の中央で左右に分け、耳のあたりで束ねて結んだもの。上代には成年男子の髪型で、平安時代には少年の髪型となった。

むくつけき
 異様で不気味だ。恐ろしい。ひどく無骨だ。

やむごとなし
 よんどころない。格別に大切だ。この上ない。高貴だ。尊ぶべきだ。

やるかたなし
 心を晴らしまぎらす方法がない。普通でない。とてつもない。

ゆゆし
 恐れ多い。はばかられる。不吉だ。忌まわしい。甚だしい。とんでもない。すばらしい。立派だ。

らうたし
 かわいらしい。いとおしい。世話してやりたくなる。

わりなし
 仕方がない。むやみやたらだ。無理やりだ。言いようがない。ひどい。この上ない。

をこなり
 間が抜けている。馬鹿げている。

をさをさ
 ほとんど。あまり。めったに。なかなかどうして。

書き写された物語

平安時代、日本には印刷技術が存在していた。だが印刷よりは手書きの写しの方が貴重とされ、文芸作品は一つ一つが書き写されて伝えられた。現代でも絵画では、印刷された複製画と画家によって描かれた一点とは価値に大きな差がある。それと同様に、文芸作品の写本は本自体が宝物だったのだ。だが、現在伝えられている『源氏物語』の写本は最も古いもので鎌倉時代。平安時代のものはない。紫式部が書いた原作の一本は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。またそれは、今後発見されるのだろうか。

実は『紫式部日記』の中には、彰子の命で『源氏物語』の新本が作られた時、その原稿が流出してしまったことが記されている。紫式部が自宅から運んで局に隠し置いていたのだが、道長が忍び込み、探し当てて次女の東宮妃・研子に与えてしまった。だがそれは書き換え前の下原稿だった。では完成原稿はというと、彰子の新本を制作する作業の中で、散り散りになってしまっている。新本は高価な紙に能筆が書く豪華本だった。複数の書き手に書き写しを依頼した際、紫式部の完成原稿はその人たちの手元に送られたまま、結局返って来なかった。紫式部の手元には無くなってしまったのだ。

とはいえ、彰子と天皇のもとには、紫式部納得の本が残った。だがその一方、次女研子のもとには違う本が残り、伝えられることになった。これについて紫式部は「不本意な評判をとったことでございましょうね」と口惜しげに記す。この記事からは、世に伝えられた『源氏物語』には、紫式部の時点ですでに、彰子の本のもとになった完成版と、盗まれて流出した下原稿版の二種類があったことが知られる。

これらはその後、各々書き写されて広まっていったと推測される。が「物語」では書き写しの際にも、言葉が書き換えられたり書き手の感想が書き込まれたりということが日常茶飯事だった。当然『源氏物語』も同じ目に遭い、二百年を経た鎌倉時代には、「紫式部の書いた源氏物語」という原形はもう分からなくなっていた。残念だが、「物語」という扱いの壁は超えられなかったということだ。とはいえ『源氏物語』はまだいいほうで、他の物語の中には結末が変わったり全くの新作に書き換えられたりしたものが幾つもある。現存の『源氏物語』には、写本による決定的な違いはない。

~『誰も教えてくれなかった「源氏物語」本当の面白さ』から引用。