趙の上卿に任命された藺相如(りんしょうじょ)を、歴戦の勇将・廉頗(れんぱ)はひどく妬んでいました。誰彼かまわず藺相如への不満をぶちまけ、「あの男に出会ったら必ず辱めてやる」と息巻いていました。廉頗は叩き上げの軍人であり、常に戦場で生死を晒しながら、秦の侵攻から趙を守ってきた人物です。その実績と自負がある廉頗は、藺相如が弁舌だけの力で自分と同格、更には上位に成り上がったことが気に入りません。また直情径行な廉頗のこと、実際に行動に出ることは想像に難くありませんでした。これを知った藺相如は、廉頗と会わぬように病気と称して屋敷にこもり、宮中への参内も廉頗がいない日を選ぶようにしていました。
ところがある日、外出した藺相如は、道で偶然に廉頗と会いそうになり、すかさず物陰に身を隠しました。その夜、藺相如の従者一同が折り入って話があるとやって来ました。「我々があなたに仕えているのは、あなたの高徳を慕っているからです。しかし、今日のあなたの行いは、匹夫でさえも恥じ入るような行いであり、しかも全く恥じる素振りもありません。もはやあなたにお仕えすることはできません」と告げられたのです。
これを聞いた藺相如は、「お前たちは、秦王と廉頗将軍ではどちらが恐ろしいか」と聞き、従者たちは「もちろん秦王です」と言いました。藺相如は、「私はその秦王を叱りつけ、居並ぶ秦の群臣たちを辱めたのだ。この相如、役立たずとはいえ廉頗将軍を恐れるわけがあろうか。思うにあの秦がわが国を攻め切れないでいるのは、私と廉頗将軍の二人が健在だからこそだ。いま私と将軍が戦えば、どちらも無傷ではいられない。私がこのような行動をとるのは、個人の諍いよりも国の安全を優先しているからだ」と答えました。
廉頗と藺相如は、共に趙に不可欠な人材であり、それが争っては強国の秦に乗じられる隙を作り、どちらかが失脚すればその侵攻を防げなくなる。藺相如が恐れるのは、二人が会うことで亀裂が決定的になることであり、国の安定のために自らの面子を犠牲にしたというのです。従者たちは、その深い思慮と器量に深く感じ入り、ひたすら低頭しました。
この話はたちまち宮中でも噂となり、これを聞いた廉頗は心打たれ、自らを恥じて藺相如の屋敷を訪れました。そして藺相如の前に肌脱ぎして座し、背負っていた茨の鞭を差し出して、「この卑しき者は、貴方の寛大なお心がここまでのものとは知らなかった。この鞭で好きなだけ打って頂きたい。貴方に今まで与えた屈辱を考えれば、これでも足りようか」と、贖罪を請うたのです。
これに対し藺相如は、「何を仰られますか、将軍がいるからこその趙です」と、快くこれを許しました。更に感動した廉頗は、「藺相如殿、私は貴方の為ならばこの首を刎ねられても悔いはない」と誓い、藺相如も「私も将軍のためならば、喜んで首を刎ねられましょう」と誓いました。 こうして二人は互いのために頚(首)を刎ねられても悔いはないとする誓いを結びました。これが「刎頸の交わり」「刎頸の友」の故事の由来です。
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〜『史記』廉頗・藺相如列伝
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