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伊勢物語

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31 よしや草葉よ

 昔、宮のうちにて、ある御達(ごたち)の局(つぼね)の前を渡りけるに、なにのあたにか思ひけむ、「よしや、草葉よ。ならむさが見む」と言ふ。男、

 罪もなき人をうけへば忘れ草 おのが上にぞ生(お)ふと言ふなる

と言ふを、ねたむ女もありけり。

【現代語訳】
 昔、宮中で、ある男が、位の高い女房の局の前を通っていた時に、男をどういう悪者と思ったのだろうか、「よいですとも、そこの草葉がしまいにどうなるか、見届けてあげましょう」と言う。男は、

 
罪もない人を呪うと、我が身に忘れ草が生えてくるといいますよ(頭がおかしくなってしまいますよ)。

と詠んだのを聞いて、口惜しがる女もいたということだ。

(注)御達・・・普通の女房とはやや別格の女房の呼称。
(注)局の前を渡りけるに・・・情を交わした女の部屋の前を素通りすること。女は自分のところに訪れるのではないかと期待したが、無視されたので悪態をついたものか。
(注)あた・・・こちらに害をなす者。

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32 しづのをだまき

 昔、もの言ひける女に、年ごろありて、

 いにしへのしづのをだまき繰りかへし 昔を今になすよしもがな

と言へりけれど、何とも思はずやありけむ。

【現代語訳】
 昔、かつて関係のあった女に、何年か過ぎて男が、

 
織物の糸をつむいで巻き取るように、もう一度あのころに時を巻き戻して、楽しかった過去の日々を今にする方法があればよいのに。

と言ったけれども、女は何とも思わなかったらしい。

(注)しづ・・・古代の織物の名前。「倭文」と書く。
(注)をだまき・・・麻の繊維を、織物にするため中空の円筒形に巻いた物。 

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33 莵原の郡

 昔、男、津の国、莵原(むばら)の郡(こほり)に通ひける、女、このたび行きては、または来(こ)じと思へるけしきなれば、男、

 蘆辺(あしべ)より満ちくる潮のいやましに 君に心を思ひますかな

返し、
 こもり江に思ふ心をいかでかは 舟さす棹(さを)のさして知るべき

ゐなか人の言(こと)にては、よしやあしや。

【現代語訳】
 昔、男が津の国(摂津の国)の莵原の郡(今の兵庫県芦屋市のあたり)に通う女がいたが、この女は、今度男が帰って行ったら、次はもう二度と来ないだろうと思い込んでいる様子だったので、男は、

 
葦の生えている岸辺にだんだん潮が満ちてくるように、あなたへの思いはいよいよ増していくのです。

女の返し、
 
人目につかない入り江に引きこもっている私の心を、どうしてあなたは、舟さす棹をさすようにそれとはっきり知ることができましょうか。

田舎の女の歌としては、いい出来なのだろうか、悪い出来なのだろうか。

(注)こもり江・・・草に覆われて水の見えない沼。

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34 言へばえに

 昔、男、つれなかりける人のもとに、

 言へばえに言はねば胸にさわがれて 心ひとつに嘆くころかな

おもなくて言へるなるべし。

【現代語訳】
 昔、ある男が、よそよそしく冷淡な女のもとに、

 
口に出して言おうとしてもうまく言えず、言わないでいれば苦しくて胸騒ぎがする。心の中であなたのことを思い嘆いているこの頃ですよ。

臆面もなく、こんな歌を詠んだものである。

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35 沫緒によりて

 昔、心にもあらで絶えたる人のもとに、

 玉の緒(を)を沫緒(あわを)によりて結べれば 絶えてののちもあはむとぞ思ふ

【現代語訳】
 昔、不本意にも関係が絶えてしまった女のもとに、

 
私たちの命をつなぐ玉の緒を沫緒に縒って結ぶように固く結んであるので、関係が絶えたといってもきっとまた逢えることと思っています。

(注)沫緒・・・切れにくい縒り方で縒った、強い糸か。

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36 谷せばみ

 昔、「忘れぬるなめり」と、問ひ言しける女のもとに、

 谷せばみ峰まではへる玉かづら 絶えむと人にわが思はなくに

【現代語訳】
 昔、「私のことをお忘れになったのですね」と問いただしてきた女のもとに、

 
谷が狭いので、向こう側の峰まで延びている美しい蔓草のように、私たちの関係も長くありたいと思っているのに、あなたはそんなことおっしゃるのですね。

(注)玉かづら・・・「玉」は美称、「かづら」は蔓草の総称。

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37 下紐とくな

 昔、男、色好みなりける女に逢へりけり。うしろめたくや思ひけむ、

 我ならで下紐(したひも)解くな朝顔の 夕影(ゆふかげ)待たぬ花にはありとも

返し、
  二人して結びし紐(ひも)をひとりして あひ見るまでは解かじとぞ思ふ

【現代語訳】
 昔、ある男が、色好みな女に逢って情を交わした。男は、この多情な女が自分のいない間に浮気をするのではないかと不安に思ったのだろうか、このような歌をおくった。

 
私以外の男に下紐など解いて身を任せないでくれ。たとえあなたが、朝顔のように夕陽を待たずに移ろってしまう浮気な美しい女であっても。

女は返し、
 
あなたと二人で互いに結んだ下紐ですもの。あなたに再びお逢いするまで決して一人ではほどくまいと思っています。

(注)下紐・・・下袴、下裳の腰ひも。これを解くのは共寝することを意味する。

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38 恋といふ

 昔、紀有常(きのありつね)がり行きたるに、歩きて遅く来けるに、詠みてやりける、

 君により思ひならひぬ世の中の 人はこれをや恋といふらむ

返し、
 ならはねば世の人ごとになにをかも 恋とは言ふと問ひしわれしも

【現代語訳】
 昔、ある男が、紀有常の家に行ったところ、外出していて遅くに帰ってきたので逢えず、翌日、詠んでやった歌は、

 
あなたのおかげでようやく知ることができました。世間の人は、こういう気持ちを恋と言うのでしょうね。

返し、
 
私は恋の経験がないので、世間の人が何を恋だと言うのかと、あなたにも聞いたことがある私が、逆にあなたに恋の何たるかを教えたなんて。

(注)がり・・・~のもとへ。

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39 源の至

 昔、西院(さいゐん)の帝(みかど)と申す帝おはしましけり。その帝のみこ、たかい子と申すいまそかりけり。そのみこうせ給ひて、御葬(おほむはぶり)の夜、その宮の隣なりける男、御葬見むとて、女車にあひ乗りていでたりけり。いと久しう率(ゐ)ていで奉らず。うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、天(あめ)の下の色好み、源の至(いたる)といふ人、これももの見るに、この車を女車と見て、寄り来て、とかくなまめくあひだに、かの至、蛍(ほたる)をとりて女の車に入れたりけるを、車なりける人、この蛍のともす火にや見ゆらむ、ともし消(け)ちなむずるとて、乗れる男の詠める。

 いでていなばかぎりなるべみともし消(け)ち 年経ぬるかと泣く声を聞け

かの至、返し、

 いとあはれ泣くぞ聞ゆるともし消(け)ち 消(き)ゆるものともわれは知らずな

(あめ)の下の色好みの歌にては、なほぞありける。

 至は順(したがふ)が祖父(おほぢ)なり。みこの本意(ほい)なし。

【現代語訳】
 昔、西院の帝と申し上げる帝がおいでになった。その帝の皇女に祟子(たかいこ)と申し上げる方がいらっしゃった。その皇女がお亡くなりになり、御葬送の夜、その宮の隣に住んでいた男が、御葬列を見ようと、女房の乗る牛車に一緒に乗って出たのであった。ところが、たいそう長い間、御葬車をお出しにならない。泣くだけ泣いて帰ってしまおうとするうちに、天下の色好みとして有名な源の至という人が、これも御葬列を見物に来ていたのだが、この車を女車と見て、近寄って来て、とかく色めかしくふるまううちに、その至が蛍を捕えて女の車に入れたところ、車の中の女は、この蛍の光で顔を見られるかもしれないと思って、その光を消そうとした。その時、同乗していた男が女に代わって詠んだ。

 
御葬列が出てしまったら、これが最後のお別れ、そう思って、灯火を消したように亡くなられた皇女のお命は、何と短いことだったかと泣く声をお聞きなさい。

かの至は、こう返した。

 
とてもあはれなことです。あなたの泣いているのが聞こえます。しかし灯火を消したからといって、それで本当に人の魂が消えることになるとは思いません。

天下の色好みの歌としては平凡なものであった。

 至は順(源順)の祖父であるが、亡くなった皇女にとっては不本意な話であった。

(注)西院の帝・・・第53代淳和天皇。業平の大叔父にあたる。
(注)女車・・・女性の乗っている牛車。
(注)源の至・・・嵯峨天皇の孫。臣籍降下して源姓を賜わる。

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40 いでていなば

 昔、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへ追ひやらむとす。さこそいへ、まだ追ひやらず。人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし。さる間に、思ひはいやまさりにまさる。にはかに、親、この女を追ひうつ。男、血の涙を流せども、とどむるよしなし。率(ゐ)て出(い)でて去ぬ。男、泣く泣く詠める、

 いでていなば誰(たれ)か別れのかたからむ ありしにまさる今日(けふ)は悲しも

と詠みて絶え入りにけり。親、あわてにけり。なほ思ひてこそ言ひしか、いとかくしもあらじと思ふに、真実(しんじち)に絶え入りにければ、まどひて願(ぐわん)立てり。今日の入相(いりあひ)ばかりに絶え入りて、またの日の戌(いぬ)の時ばかりになむ、からうじて生きいでたりける。昔の若人(わかうど)はさる好ける物思ひをなむしける。今の翁(おきな)、まさにしなむや。

【現代語訳】
 昔、若い男が、器量や人柄などが悪くない召使いの女に懸想していた。それに気をまわす親があって、わが子がこの女を好きになっては大変と、この女をよそへ追い払おうとした。そうはいっても、まだ追い払わずにいた。男は親がかりの身なので、まだ親に反抗する気骨もなく、女を引きとどめる力もない。女も身分賎しき者なので、抗うすべもない。そうこうしている間に、男の思いはいよいよ募りに募る。急に、親がこの女を追い払った。男は血の涙を流したが、引きとどめようがない。人が女を連れて出て行ってしまった。男は泣く泣く詠んだ、

 
自分から出て行くのなら、誰が別れ難く思うであろうか。無理に引き離されるから別れ難いのだ。今までよりも、今日の悲しさはさらに大きい。

と詠んで息も絶え絶えになった。親はあわてた。何といっても、わが子のことを思って女を追い出したのだ。まさかこれほどのことにはなるまいと思っていたが、本当に息も絶え絶えなので、うろたえて神仏に祈った。その日の入相(日没)ごろに息が絶え、翌日の戌の時(午後8時)の頃にようやく生き返った。昔の若者は、このような一途な恋患いをしたのだ。今の老人たちには、こんな情熱はないだろう。

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41 紫の

 昔、女はらから二人ありけり。一人はいやしき男の貧しき、一人はあてなる男持たりけり。いやしき男持たる、師走(しはす)のつごもりに、上(うへ)の衣(きぬ)を洗ひて、手づから張りけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざもならはざりければ、上の衣の肩を張り破(や)りてけり。せむ方(かた)もなくて、ただ泣きに泣きけり。これをかのあてなる男聞きて、いと心苦しかりければ、いときよらなる緑衫(ろうさう)の上の衣(きぬ)を見出(みい)でてやるとて、

 紫の色濃き時はめもはるに 野なる草木ぞわかれざりける

武蔵野(むさしの)の心なるべし。

【現代語訳】
 昔、ある二人の姉妹がいた。一人は身分が低く貧しい男を夫とし、もう一人は身分の高い男を夫としていた。身分の低い夫をもった女は、十二月の末に、夫が着る正装の上衣を洗って、自らの手で糊(のり)張りをした。注意深くしていたが、そのような下女がするような仕事に慣れていなかったので、上衣の肩の部分を張るときに破いてしまった。女はどうしようもなくてただ泣いていた。このことをあの高貴な男が聞き、たいそう切なく思い、とてもきれいな、六位の人が着る緑色の上衣を探し出して贈ろうとして、次の歌を詠んで添えた。

 
紫草の根の色が濃くて美しいときは、春の野を見渡すかぎり萌え出た草木がすべて緑一色に見えて区別がつかず、みんな紫草のように思われます。それと同じで、妻がいとしいと、その縁につながる人もすべて区別がつかないのですよ。

これは、あの「紫の一本(ひともと)ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(一本の紫草を愛するがゆえに、武蔵野の草はみんな愛しい)」の歌の心と同じであろう。

(注)上の衣・・・役人の正装の上衣のことで、位階によって色が決まっている。ここでは六位の緑色のもの。六位以下は清涼殿に昇殿を許されない者で「地下(じげ)」という。 

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42 誰が通ひ路

 昔、男、色好みと知る知る、女をあひ言へりけり。されど、憎くはたあらざりけり。しばしば行きけれど、なほいとうしろめたく、さりとて、行かではたえあるまじかりけり。なほはた、えあらざりける仲なりければ、二日三日(ふつかみか)ばかりさはることありて、え行かで、かくなむ、
 
 出(いで)て来(こ)しあとだにいまだ変らじを 誰(た)が通ひ路と今はなるらむ

もの疑はしさに詠めるなりけり。

【現代語訳】
 
昔、ある男が、色好みな女と知りつつ、その女と情を交わしていた。そうはいっても、男は女を悪く思ってはいなかった。足繁く女のもとに通っていたが、何といっても女の浮気が心配でならず、かといって、やはり通わずにはいられなかった。とても放っておけるような仲ではなかったので、二日三日ほど差し障りがあって通えなかった時、男はこう歌を詠んでおくった。

 
あなたのもとから帰ってきた、その足跡もまだそのままでしょうに、いったい今は誰の通い路になっているのですか。

なんとなく女が疑わしくて詠んだ歌である。 

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43 名のみ立つ

 昔、賀陽(かや)の親王(みこ)と申す親王おはしましけり。その親王、女を思し召して、いとかしこう恵み使うたまひけるを、人なまめきてありけるを、われのみと思ひけるを、また人聞きつけて文(ふみ)やる。ほととぎすの形(かた)を書きて、

 ほととぎす汝(な)が鳴く里のあまたあれば なほうとまれぬ思ふものから

と言へり。この女、けしきをとりて、

 名のみ立つしでの田長(たをさ)は今朝ぞ鳴く いほりあまたとうとまれぬれば

時は五月(さつき)になむありける。男、返し、

 いほり多きしでの田長はなほ頼む わが住む里に声し絶えずは

【現代語訳】
 昔、賀陽の親王とおっしゃる親王がおいでになった。その親王がある女を御寵愛になり、たいそう目をかけてに召し使っておられたが、ある男がその女に言い寄っていたのを、自分だけがこの女に言い寄っていると思っていたのに、また別の男が聞き知って、手紙を書き送った。ほととぎすの絵を書いて、

 
ほととぎすよ、お前の鳴く里があちこちにあるから、やはりお前を疎む気持ちになってしまう。愛してはいても。

と詠んで送った。この女は男のご機嫌を取って、

 
浮気者の評判ばかりを立つ死出の田長は、今朝こうして鳴いています。声をかける所がたくさんあると噂され、嫌わられてしまいましたから。

時はまさに五月。男はこう返した。

 
声をかける所の多い田長だが、やはり、私はあなたを頼みにしています。私のすむ里にも声をかけてくれるならば。

(注)賀陽親王・・・桓武天皇の第七皇子。
(注)しでの田長・・・ほととぎすの異名。田植えを勧める鳥とされた。

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44 われさへもなく

 昔、あがたへ行く人に、馬(むま)のはなむけせむとて、呼びて、うとき人にしあらざりければ、家刀自(いへとうじ)、盃(さかづき)ささせて、女の装束(さうぞく)かづけむとす。あるじの男、歌詠みて裳の腰にゆひつけさす。

 いでて行く君がためにとぬぎつれば われさへもなくなりぬべきかな

この歌は、あるが中におもしろければ、心とどめてよまず。腹にあぢはひて。

【現代語訳】
 昔、地方官になって赴任していく人に、送別の宴をしようということで、その人を招いて、遠慮のある間柄ではなかったので、妻が盃をすすめさせ、女の装束を与えようとした。それを見て、主人の男が歌を詠んで、裳の腰紐に結い付けさせた。

 旅立っていくあなたのために裳を脱いだので、私までも、悲しみのためなくなってしまいそうですよ。

この歌は、数ある歌の中でも味わい深いものだったので、念入りに朗詠などせず、静かに腹で味わうのがよい。

(注)あがた・・・上代の「県」。
(注)家刀自・・・一家の主婦。

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45 行く蛍

 昔、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男にもの言はむと思ひけり。うち出(い)でむこと難(かた)くやありけむ、もの病みになりて、死ぬべき時に、「かくこそ思ひしか」と言ひけるを、親、聞きつけて、泣く泣く告げたりければ、まどひ来たりけれど、死にければ、つれづれとこもりをりけり。時は水無月(みなづき)のつごもり、いと暑きころほひに、宵(よひ)は遊びをりて、夜(よ)更けて、やや涼しき風吹きけり。蛍(ほたる)高く飛びあがる。この男、見ふせりて、

 行く蛍(ほたる)雲の上までいぬべくは 秋風吹くと雁(かり)に告げこせ

 暮れがたき夏の日暮らしながむれば そのこととなくものぞ悲しき

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。良家で大切に育てられていたある女が、どうにかしてこの男と付き合いたいと思っていた。しかし、思いを口に出すことができなかったのだろうか、病気になり、死にそうになった時に、はじめて、「私はあの人のことをこんなにも思っていました」と言った。それを親が聞きつけて、泣く泣く男に知らせたところ、男はあわててやって来たが、女は死んでしまったので、なすことも無いまま喪に籠っていた。時は六月の末頃でたいそう暑い時分だったので、宵のうちに死者の霊をなぐさめるために管弦を奏したりしていたが、夜が更けてくると、少し涼しい風が吹いてきた。蛍が高く飛び上がる。この男は、横になったままそれを見て、詠んだ。

 
飛び行く蛍よ、もし雲の上まで飛んでいくのなら、ここには秋風が吹いていると雁に知らせてほしい。

 なかなか日が暮れない長い夏の一日中、ぼんやり外を眺めていると、何とはなく物悲しい。
 

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46 目離るとも

 昔、男、いとうるはしき友ありけり。かた時さらずあひ思ひけるを、人の国へ行きけるを、いとあはれと思ひて別れにけり。月日経ておこせたる文に、「あさましく、対面せで、月日の経にけること。忘れやし給ひにけむと、いたく思ひわびてなむはべる。世の中の人の心は、目離(めか)るれば忘れぬべきものにこそあめれ」と言へりければ、詠みてやる。

 目離るとも思ほえなくに忘らるる 時しなければおもかげに立つ

【現代語訳】
 昔、ある男がいて、とても仲のよい友人があった。暫くの間も離れずに親しくしていたのだが、その友人が地方へ赴任することになり、男はたいそう残念がって別れた。月日が経って、その友人がよこしてきた手紙に、「想像できなかったほどに会うことができずに、月日が経ってしまいました。私のことなど忘れてしまったのではないかと、たいそう悲しく思っています。世間の人の心は、離れていると忘れてしまうようですから」とあったので、歌を詠んでおくった。

 
私にはあなたと離れているとは思えません。あなたを忘れる時とてないので、いつもあなたの姿は私の目の前にあります。

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47 大幣

 昔、男、ねむごろにいかでと思ふ女ありけり。されど、この男をあだなりと聞きて、つれなさのみまさりつつ、言へる、

 大幣(おほぬさ)の引く手あまたになりぬれば 思へどえこそ頼まざりけれ

返し、男、
 大幣と名にこそ立てれ流れても つひに寄る瀬はありといふものを

【現代語訳】
 昔、ある男が、熱心に何とかして一緒になりたいと思う女がいた。しかし女は、この男を浮気者だと聞いていて、冷淡な態度ばかりをつのらせつつ、歌を詠んでよこした、

 
あなたは神社の大幣のように引く手あまたなのですから、たとえあなたのことを思ってはいても、頼りにすることはできないですね。

返しの歌、男、
 
大幣と評判を立てられている私ですが、しかしその大幣だって、最後に流れ着く川の瀬はあるのです。私が流れ着くのは、あなたのもと以外にありえません。

(注)大幣・・・神社等でお祓いにつかう幣帛(へいはく)。「流れても」とあるのは、祓え終わって後に川に流すことから。

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48 今ぞ知る

 昔、男ありけり。馬(むま)のはなむけせむとて人を待ちけるに、来ざりければ、

 今ぞ知る苦しきものと人待たむ 里をば離(か)れず訪(と)ふべかりけり

【現代語訳】
 昔、男がいた。旅立つ人に送別の宴を開こうと待っていたが、来なかったので、

 
今になって思い知りました。来ない人を待つのがこんなにも苦しいものだと。だから、男の訪れを待つ女の家には、足繁く訪れなくてはならぬことです。

(注)馬のはなむけ・・・旅立つ人の送別の宴を催すこと。

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49 うら若み

 昔、男、妹(いもうと)のいとをかしげなりけるを見をりて、

 うら若み寝(ね)よげに見ゆる若草を 人の結ばむことをしぞ思ふ

と聞えけり。返し、

 初草(はつくさ)のなどめづらしき言(こと)の葉ぞ うらなくものを思ひけるかな

【現代語訳】
 昔、ある男が、自分の妹のたいそう可愛らしげなのを日ごろ見ていて、

 
若々しいので、一緒に寝たくなるような若草を、私ではなく他の男が結ぶ(妻にする)であろうことが、残念に思われる。

という歌を詠みかけた。妹の返し、

 
どうしてそのような変なことをおっしゃるのでしょう。私はただ無心にお兄様とのみお思いしていましたのに。

(注)妹・・・ここの妹は異母妹と推測される。
(注)若草を人の結ばむ・・・草を結ぶのは、永遠の愛情を誓い合う上代の風習。
(注)初草の・・・春一番に芽吹いた若草のことで、「愛(め)づ」にかかる枕詞。

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50 あだくらべ

 昔、男ありけり。恨(うら)むる人を恨みて、

 鳥の子を十(とを)づつ十(とを)は重ぬとも 思はぬ人を思ふものかは
といへりければ、

 朝露(あさつゆ)は消えのこりてもありぬべし 誰(たれ)かこの世を頼みはつべき

また、男、
 吹く風に去年(こぞ)の桜は散らずとも あな頼みがた人の心は

また、女、返し、
 行く水に数(かず)書くよりもはかなきは 思はぬ人を思ふなりけり

また、男、
 行く水と過ぐるよはひと散る花と いづれ待ててふことを聞くらむ

あだくらべ、かたみにしける男女の、忍び歩(あり)きしけることなるべし。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。自分の不誠実さを恨んできた女を逆に恨んで、

 
鶏の卵を十ずつ十回も重ねるような難しいことができたとしても、思ってくれない人を思うことがあるでしょうか。そんなことはできません。
と言ったところ、

 
消えやすい朝露が消え残ることは稀にあるでしょう。でも、あなたの心は少しも私に残っていないのですから、いったい誰が、あなたとの仲を頼りにできましょうか。

また男が、
 
吹く風に去年の桜が散らないようなことがあろうとも、ああ何とも頼りにできないのは、人の心だ。

また女の返しには、
 
流れゆく水に数を書きとめようとするよりも当てにならないことは、思ってもくれない人を思うことです。

再び男が、
 
行く水と過ぎ去る年齢と散る花と、そのどれが「待て」ということばを聞いてくれるものだろうか。この世は全くはかないものだ。

浮気の張り合いのようなことを互いにしていた男と女が、それぞれこっそり別の異性と通じたことを詠んだものなのだろう。

(注)鳥の子・・・たまごのうち、とくに鶏の卵を指す言葉。「卵を十個ずつ十回積み重ねる」は、実現不可能なことの譬え。 

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51 植ゑし植ゑば

 昔、男、人の前栽(せんざい)に菊(きく)植ゑけるに、

 植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ 花こそ散らめ根さへ枯れめや

【現代語訳】
 昔、ある男が、ある人の屋敷の植え込みに菊を植えた時に、

 
心を込めて植えたので、秋という季節がない時には咲かないでしょうが、実際には秋は毎年ありますから、菊は毎年咲くでしょう。たとえ花は散っても根まで枯れることがありましょうか。 

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52 飾り粽

 昔、男ありけり。人のもとより飾り粽(ちまき)おこせたりける返りごとに、

 あやめ刈り君は沼にぞまどひける われは野に出でて狩るぞわびしき

とて、雉子(きじ)をなむやりける。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。人から飾り粽を贈ってきた返事に、

 
あなたは粽の菖蒲を刈り取るため沼に迷い、私はお返しに野に出て狩りをしたのが辛いことでした。

と詠んで、雉子を贈ったのだった。

(注)飾り粽・・・ちまきをどのように飾ったものかは不明。

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53 夜深き鶏

 昔、男、あひがたき女にあひて、物語などするほどに、鶏(とり)の鳴きければ、

 いかでかは鶏の鳴くらむ人知れず 思ふ心はまだ夜深きに

【現代語訳】
 昔、男が、なかなか逢えない女と逢って、物語などしているうちに、暁を告げる鶏が鳴いたので、

 
どうして鶏が鳴くのだ。人知れずあなたを思う私の切ない気持ちには、まだ夜が深いというのに。

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54 夢路の露

 昔、男、つれなかりける女に言ひやりける、

 行きやらぬ夢路(ゆめぢ)をたのむ袂(たもと)には 天(あま)つ空なる露(つゆ)や置くらむ

【現代語訳】
 昔、男が、冷淡だった女に詠みおくった、

行き着くことのできない夢路をさまよう私の袂には、はるか高い空の露が降りてきたのでしょうか。悲しみの涙でぐっしょり濡れています。

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55 をりふしごとに

 昔、男、思ひかけたる女の、え得(う)まじうなりての世に、

 思はずはありもすらめど言(こと)の葉の をりふしごとに頼まるるかな

【現代語訳】
 昔、ある男が、思いをかけた女を、もはや手に入れることができない事情になって、

 
あなたは私のことなんかもう思い出してもくれないでしょうが、私は、あなたが何かの折に言葉をかけてくださるごとに、もしやと希望をつないでしまうのです。

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56 露の宿り

 昔、男、ふして思ひ、起きて思ひ、思ひあまりて、

 わが袖(そで)は草のいほりにあらねども 暮るれば露(つゆ)の宿りなりけり

【現代語訳】
 昔、ある男が、横になっては思い、起きては思い、その思いに堪えかねて歌を詠みおくった、

 
私の袖は草の庵ではありませんが、夜になると涙に濡れて、露のとまり所となるのです。

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57 われから身をも

 昔、男、人知れぬ物思ひけり。つれなき人のもとに、

 恋ひわびぬ海人(あま)の刈る藻(も)に宿るてふ われから身をもくだきつるかな

【現代語訳】
 昔、ある男が、人に知れぬ物思いをした。冷淡な相手のもとに、

 
あなたを恋する思いに疲れ果てました。海人が刈る藻に棲みついているという「われから」の虫のように、私は自分で身を砕いて苦しんだのです。

(注)われから・・・割殻虫(われからむし)という節足動物で、乾くと殻が割れるという。

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58 荒れたる宿

 昔、心つきて色好みなる男、長岡といふ所に家つくりてをりけり。そこのとなりなりける宮ばらに、こともなき女どもの、ゐなかなりければ、田刈らむとて、この男のあるを見て、「いみじの好き者のしわざや」とて、集りて入り来ければ、この男、逃げて奥に隠れにければ、女、

 荒れにけりあはれいく世の宿なれや 住みけむ人の訪れもせぬ

と言ひて、この宮に集り来ゐてありければ、この男、

 葎(むぐら)生ひて荒れたる宿のうれたきは かりにも鬼のすだくなりけり

とてなむ出(いだ)したりける。この女ども、「穂(ほ)ひろはむ」と言ひければ、

 うちわびて落穂(おちぼ)ひろふと聞かませば われも田づらに行かましものを

【現代語訳】
 昔、気が利いて思いやりのある色好みな男が、旧都の長岡という所に、家を造って住んでいた。その住まいの隣にあった宮さまのお邸に、何ということもない女たちが仕えていたが、田舎のことだったので、この男が稲刈りの用意をしようとしているのを見て、「たいそうな風流人のやる仕事よ」と言って、冷やかしながら集まって入ってきた。男は逃げて奥に隠れてしまったので、女が、

 
なんと荒れ果てているのでしょう。いつの世の家なのでしょう。住んでいたであろう人が訪ねてもこないとは。

と歌を詠んで、集まってたむろしていたので、この男が、

 
葎が生い茂って荒れたこの家が気味悪く思えるのは、美しい女に姿を変えた鬼が集まっているからです。

と歌を詠んで奥から差し出した。すると、この女たちは、「あなたが稲刈りをなさるのなら、私たちは落穂拾いをしましょう」と言ったので、

 
暮らしに困って落穂拾いをなさると聞くならば、私も田のほとりに行きましたのに。でもそのはずはないから、お付き合いするのはごめんです。

(注)長岡・・・京都府長岡京市。平安京遷都の前に都があった所。 

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59 東山

 昔、男、京をいかが思ひけむ、東山に住まむと思ひ入りて、

 住みわびぬ今はかぎりと山里に 身を隠すべき宿求めてむ

 かくて、ものいたく病みて死に入りたりければ、おもてに水そそきなどして、生きいでて、

 わが上に露ぞ置くなる天の河(がは) 門(と)渡る舟のかいのしづくか

となむいひて、生きいでたりける。

【現代語訳】
 昔、ある男が、京の暮らしをどう思ったのだろうか、東山に隠棲しようと強く思いつめて、

 
都は住みづらくなった。今を限りと諦めて、山里に身を隠せるすみかを求めたい。

 こうして世を逃れたが、そのうちにひどい病気にかかって息が絶えたので、人々が男の顔に水を注ぎかけたりなどして、ようやく男は息を吹き返して、

 
私の顔の上に露が降りたようだ。きっと天の河の川門を渡る船の櫂のしづくだろう。

と歌を詠んで、生き返ったのだった。 

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60 五月まつ

 昔、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自(いへとうじ)、まめに思はむといふ人につきて、人の国へ去(い)にけり。この男、宇佐の使にて行きけるに、ある国の祇承(しぞう)の官人の妻(め)にてなむあると聞きて、「女あるじにかはらけ取らせよ。さらずは飲まじ」と言ひければ、かはらけとりて出(いだ)したりけるに、肴(さかな)なりける橘(たちばな)をとりて、

 五月(さつき)待つ花橘(はなたちばな)の香(か)をかげば 昔の人の袖(そで)の香ぞする

と言ひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて山に入りてぞありける。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。宮仕えが忙しくて、誠実に妻に愛情をかけることをしないでいたので、妻は、「自分は誠意をもって、あなたを愛しましょう」という人の言葉に従って、地方に去って行った。その後、はじめに夫だった男が、宇佐神宮へ勅使として赴いたところ、途中のある国の勅使接待の役人の妻に元の自分の妻がなっていると聞き、その役人に「ここの女主人に、私に勧める素焼きの杯を取らせて酌をさせなさい。さもなくば酒は飲みません」と言った。勅使の命にはさからえず、女主人が杯を持って差し出したところ、男は酒の肴として出されていた柑子蜜柑(こうじみかん)を手に取って、

 
五月を待って咲き出す橘の花の香りをかぐと、昔の愛しかった人の袖の香りがまざまざと薫ってくるようだ。

と言ったので、女は、はじめて元の夫だと気がついて、やりきれない気持ちになり、尼になって山に籠り余生を送ったのだった。 

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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歌物語

 歌物語的なもののはじめは、『万葉集』の桜児(さくらこ)の歌、竹取翁と娘子らの歌、安積山の采女(うねめ)の歌と詞書、左注等にみられるが、歌物語とよばれる作品は『伊勢物語』がはじめ。一人の男の生涯を年齢に沿って書き連ねられたこの物語は、『篁(たかむら)物語』『平仲物語』『多武峰少将(とうのみねしょうしょう)物語』といった日記的な、あるいは物語的な作品に受け継がれていく。
 
 同じく歌物語とされる『大和物語』はこれらとは異なった趣向の歌物語であり、多くの実在の人物が、官職やさまざまな人間関係のなか、一回的な歌物語として記されている。この系統はやがて説話に移行していった。
 
【篁物語】
 平安時代または鎌倉時代の物語(平安後期とみるのが通説)。『篁日記』『小野篁集』ともいう。成立年代については諸説があり、作者も未詳。平安初期の歌人・文人政治家、小野篁(おののたかむら)を主人公としており、篁と異母妹との悲恋物語の第一部と、篁が右大臣の三の君と結婚し、昇進する第二部とから成る。異母妹の亡霊が両部に出現して一貫性をもたせている。

【平仲物語】
 平安時代に成立した歌物語で、全39段から成る。作者や成立年は不詳。主人公の「平仲(平中)」は、平安時代中期の歌人、平貞文(たいらのさだふみ)を指す。主人公を「男」でつらぬきつつ、稀に、さりげなく「平中」と示す。『伊勢物語』に倣った歌物語であり、第二段以下「また、この男」「おなじ男」「また、このおなじ男」「さて、この男」などと書き出す。

【多武峰少将物語】
 作者未詳。応和~康保年間(961~968年)頃の成立か。藤原師輔(もろすけ)の八男高光が、妻子兄弟を捨てて突然比叡山で出家し、さらに多武峰に草庵を営んだいきさつと、周囲の人々の悲嘆を、歌を中心に記したもの。『伊勢物語』と『源氏物語』をつなぐ作品として文学史上注目される。

大和物語
 平安時代の天暦5年(951年)ころに成立したとされる歌物語。『伊勢物語』の影響を受けた作品とされ、書名は『伊勢物語』に対する『大和の物語』、女房大和の作によるなどの説がある。
 一般に173段からなり、約300首の和歌が含まれる。146段までの前半は和歌を中心とした歌語りの短編、147段以降の後半は、悲恋や離別、再会など人の出会いと歌を通した古い民間伝説が語られており、説話的要素の強い内容になっている。二人から求婚された乙女が生田川に身を投げる「生田川伝説」(147段)や、「姥捨山伝説」(156段)などがある。
 同じ歌物語でも『伊勢物語』とは異なり、係助詞「なむ」を多用し、当時の歌語りを忠実に伝えようとしており、当時の人々の生態がよく描かれている。

和歌一覧 ②

(前頁からの続き)

第71段
ちはやぶる 神のいがきも 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに

恋しくは 来ても見よしかし ちはやぶる 神のいさなむ 道ならなくに

第72段
大淀の 松はつらくも あらなくに うらみてのみも かへる波かな

第73段
目には見て 手にはとられぬ 月のうちの 桂の如き 君にぞありける

第74段
岩根ふみ かさなる山には あらねど 逢はぬ日おほく 恋ひわたるかな

第75段
大淀の 浜に生ふてふ みるからに 心はなぎぬ かたらはねども

袖ぬれて あまの刈りほす わたつ海の みるを逢ふにて やまんとやする

岩間より 生ふるみるめし つれなくは 汐干汐満 ちかひもありなむ

涙にぞ ぬれつつしぼる 世の人の つらき心は 袖のしづくか

第76段
大原や をしほの山も 今日こそは 神代のことも 思ひいづらめ

第77段
山のみな うつりて今日に 逢ふことは 春の別れを とふとなるべし

第78段
あかねども 岩にぞかふる 色見えぬ 心を見せむ よしのなければ

第79段
我が門に 千尋ある陰を 植えゑつれば 夏冬たれか 隠れざるべき

第80段
ぬれつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば

第81段
塩釜に いつか来にけむ 朝凪に 釣りする舟は ここによらなむ

第82段
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり

一年に ひとたび来ます 君まてば 宿かす人も あらじとぞ思ふ

あかなくに まだきも月の かくるるか 山の端にげて 入れずもあらなむ

おしなべて 峯もたひらに なりななむ 山の端なくは 月もいらじを

第83段
枕とて 草ひき結ぶ こともせじ 秋の夜とだに たのまれなくに

忘れては 夢かぞとおもふ 思ひきや 雪ふみわけて 君を見むとは

第84段
老いぬれば さらぬ別れの ありといへば いよいよ見まく ほしく君かな

世の中に さらぬ別れの なくもがな 千代もといのる 人の子のため

第85段
思へども 身をしわけねば めかれせぬ 雪のつもるぞ わが心なる

第86段
今までに 忘れぬ人は 世にあらじ おのがさまざま 年の経ぬれば

第87段
あしの屋の なだの塩焼き いとまなみ 黄楊の小櫛も ささず来にけり

わが世をば けふかあすかと 待つかひの 涙のたきと いづれたかけむ

ぬき乱る 人こそあるらし 白玉の まなくもちるか 袖のせばきに

はるる夜の 星か河辺の 蛍かも わが住むかたの あまのたく火か

わたつみの かざしにさすと いはふ藻も 君がためには 惜しまざりけり

第88段
おほかたは 月をもめでじ これぞこの つもれば人の 老いとなるもの

第89段
人知れず われ恋ひ死なば あぢきなく 何れの神に なき名をおほせむ

第90段
桜花 けふこそかくにね にほふとも あな頼みがた あすの夜のこと

第91段
をしめども はるのかぎりの けふの日の 夕暮れにさへ なりにけるかな

第92段
葦べ漕ぐ 棚なし小舟 いくそたび 行きかへるらむ 知る人もなみ

第93段
あふなあふな 思ひはすべし なぞへなく 高きいやしき 苦しかりけり

第94段
秋の夜は 春日わするる ものなれや 霞に霧や 千重まさむらむ

千ぢの秋 ひとつの春に むかはめや もみじ花も ともにこそ散れ

第95段
彦星に 恋はまさりぬ 天の河 へだつる関を いまはやめてよ

第96段
秋かけて いひしながらも あらなくに この葉降りしく えにこそありけれ

第97段
さくら花 散りかひ曇れ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに

第98段
わがたのむ 君がためにと 折る花は ときしもわかぬ ものにぞありける

第99段
見ずもあらず 見もせぬ人の 恋ひしくは あやなくけふや ながめ暮さむ

知る知らぬ 何かあやなく わきていわむ 思ひのみこそ しるべなりけれ

第100段
忘れ草 生ふる野辺とは みるらめど こはしのぶなり のちも頼まむ

第101段
咲く花の したにかくるる 人を多み ありしにまさる 藤のかげかも

第102段
そむくとて 雲には乗らぬ ものなれど 世の憂きことぞ よそになるてふ

第103段
寝ぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさるかな

第104段
世をうみの あまとし人を 見るからに めくはせよとも 頼まるるかな

第105段
白露は 消なば消ななむ 消えずとて 玉にぬくべき 人もあらじを

第106段
ちはやぶる 神代もきかず 龍田河 からくれなゐに 水くくるとは

第107段
つれづれの ながめにまさる 涙川 袖のみひぢて 逢ふよしもなし

浅みこそ 袖はひづらめ 涙川 身さへながると 聞かばたのまむ

かずかずに 思ひ思はず 問ひがたみ 身をしる雨は 降りぞまされる

第108段
風吹けば とはに浪こす いはなれや わが衣手の かわく時なき

よひ毎に 蛙のあまた 鳴く田には 水こそまされ 雨は降らねど

第109段
花よりも 人こそあだに なりけれ 何れをさきに 恋ひむとかし

第110段
思ひあまり 出でにし魂の あるならむ 夜深く見えば 魂むすびせよ

第111段
古は ありもやしけむ 今ぞ知る まだ見ぬ人を 恋ふるものとは

下紐の しるしとするも 解けなくに かたるが如は 恋ひずぞあるべき

恋ひしとは さらにもいはじ 下紐の 解けむを人は それと知らなむ

第112段
須磨のあまの 塩焼く煙風をいたみ 思はぬ方に たなびきにけり

第113段
ながからぬ 命のほどに 忘るるは いかに短き 心なるらむ

第114段
翁さび 人な咎めそ 狩衣 けふばかりとぞ 鶴も鳴くなる

第115段
おきのゐて 身を焼くよりも 悲しきは 都のしまべの 別れなりけり

第116段
浪間より 見ゆる小島の 浜びさし ひさしくなりぬ 君に逢ひみで

第117段
我見ても ひさしくなりぬ 住吉の 岸のひめ松 いく代へぬらむ

むつまじと 君は白浪 瑞籬の 久しき世より いはひそめてき

第118段
玉葛 はふ木あまたに なりぬれば 絶えぬこころの うれしげもなし

第119段
かたみこそ 今はあだなく これなくは 忘るる時も あらましものを

第120段
近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋のかず見む

第121段
鴬の 花を縫ふてふ 笠もがな ぬるめる人に きせてかへさむ

鴬の 花を縫ふてふ 笠はいな おもひをつけよ 乾してかへさむ

第122段
山城の 井出のたま水 手にむせび 頼みしかひも なき世なりけり

第123段
年を経て すみこし里を 出でていなば いとど深草 野とやなりなむ

野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ 狩だにやは 君はこざらむ

第124段
思ふこと いはでぞただに 止みぬべき 我とひとしき 人しなければ

第125段
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを

和歌の表現技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

擬人法
 比喩の一種で、人間でないものを人間にたとえて表現する方法。

本歌取り
 ある歌の語句の一部をそのまま用いることによって、その歌(本歌)の持つ心情や趣向を取り込む。

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