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伊勢物語

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42 誰が通ひ路

 昔、男、色好みと知る知る、女をあひ言へりけり。されど、にくくはたあらざりけり。しばしば行きけれど、なほいとうしろめたく、さりとて、行かではた、えあるまじかりけり。なほはた、えあらざりける仲なりければ、二日三日(ふつかみか)ばかりさはることありて、え行かで、かくなむ、
 
いでて来しあとだにいまだ変らじを誰(た)が通ひ路といまはなるらむ

ものうたがはしさによめるなりけり。

【現代語訳】
 
昔、ある男が、色好みな女と知りつつ、その女と情を交わしていた。そうはいっても、男は女を悪く思ってはいなかった。しばしば女のもとに通っていたが、何といっても女の浮気が心配でならず、かといって、やはり通わずにはいられなかった。とても放っておけるような仲ではなかったので、二日三日ほど差し障りがあって通えなかった時、男はこう歌を詠んでおくった。

 
あなたのもとから帰ってきた、その足跡もまだそのままでしょうに、いったい今は誰の通い路になっているのですか。

なんとなく女が疑わしくて詠んだ歌である。 

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43 名のみ立つ

 昔、賀陽(かや)の親王(みこ)と申す親王おはしましけり。その親王、女を思し召して、いとかしこう恵み使うたまひけるを、人なまめきてありけるを、われのみと思ひけるを、また人聞きつけて文(ふみ)やる。ほととぎすの形(かた)を書きて、

 ほととぎす汝(な)が鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから

と言へり。この女、けしきをとりて、

 名のみ立つしでの田長(たをさ)は今朝ぞ鳴くいほりあまたとうとまれぬれば

時は五月(さつき)になむありける。男、返し、

 いほり多きしでの田長はなほ頼むわが住む里に声し絶えずは

【現代語訳】
 昔、賀陽の親王とおっしゃる親王がおいでになった。その親王がある女を御寵愛になり、たいそう目をかけてに召し使っておられたが、ある男がその女に言い寄っていたのを、自分だけがこの女に言い寄っていると思っていたのに、また別の男が聞き知って、手紙を書き送った。ほととぎすの絵を書いて、

 
ほととぎすよ、お前の鳴く里があちこちにあるから、やはりお前を疎む気持ちになる。愛してはいても。

と詠んで送った。この女は男のご機嫌を取って、

 
浮気者の評判ばかりを立つ死出の田長は、今朝こうして鳴いています。声をかける所がたくさんあると噂され、嫌わられてしまいましたから。

時はまさに五月。男はこう返した。

 声をかける所の多い田長だが、やはり、私はあなたを頼みにしています。私のすむ里にも声をかけてくれるならば。

(注)賀陽親王・・・桓武天皇の第七皇子。
(注)しでの田長・・・ほととぎすの異名。田植えを勧めるとされた。

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45 行く蛍

 昔、男ありけり。人のむすめのかしづく、いかでこの男にもの言はむと思ひけり。うちいでむことかたくやありけむ、もの病みになりて、死ぬべき時に、「かくこそ思ひしか」と言ひけるを、親、聞きつけて、泣く泣く告げたりければ、まどひ来たりけれど、死にければ、つれづれとこもりをりけり。時は水無月(みなづき)のつごもり、いと暑きころほひに、宵(よひ)は遊びをりて、夜ふけて、やや涼しき風吹きけり。蛍(ほたる)高く飛びあがる。この男、見ふせりて、

 行くほたる雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁(かり)につげこせ

 暮れがたき夏のひぐらしながむればそのこととなくものぞ悲しき

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。大切に育てられていたある女が、どうにかしてこの男と付き合いたいと思っていた。しかし、思いを口に出すことができなかったのだろう。病気になって、もう死ぬという時になって「私はあの人のことをこんなにも思っていたのでした」と言ったのを、それを親が聞きつけて、泣く泣く男に知らせたところ、男はあわててやって来たが、女は死んでしまったので、なすことも無いまま喪に籠っていた。時は六月の末頃、たいそう暑い時分に、宵のうちに死者の霊をなぐさめるために管弦を奏したりしていたが、夜がふけてくると、少し涼しい風が吹いてきた。蛍が高く飛び上がる。この男は、蛍を横になったままそれを見て、詠んだ。

 
飛び行く蛍よ、もし雲の上まで飛んでいくのなら、ここには秋風が吹いていると雁に知らせてほしい。

 なかなか日が暮れない長い夏の一日中、ぼんやり外を眺めていると、何とはなく物悲しい。
 

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46 目離るとも

 昔、男、いとうるはしき友ありけり。かた時さらずあひ思ひけるを、人の国へ行きけるを、いとあはれと思ひて別れにけり。月日経ておこせたる文に、「あさましく、対面せで、月日の経にけること。忘れやし給ひにけむと、いたく思ひわびてなむはべる。世の中の人の心は、目離(めか)るれば忘れぬべきものにこそあめれ」と言へりければ、よみてやる。

 目離るとも思ほえなくに忘らるる時しなければおもかげに立つ

【現代語訳】
 昔、ある男がいて、とても仲のよい友人があった。片時も離れずに親しくしていたのだが、その友人が地方へ赴任するのを、男はたいそう残念がって別れた。月日が経って、その友人がよこしてきた手紙に、「想像できなかったほどに会うことができず、月日が経ってしまいました。私のことなど忘れてしまったのではないかと、たいそう悲しく思っています。世間の人の心は、離れていると忘れてしまうようですから」とあったので、歌を詠んでおくった。

 
私にはあなたと離れているとは思えません。あなたを忘れる時とてないので、いつもあなたの姿は私の目の前にあります。

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47 大幣

 昔、男、ねむごろにいかでと思ふ女ありけり。されどこの男を、あだなりと聞きて、つれなさのみまさりつつ、言へる、

 大幣(おほぬさ)の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ

返し、男、
 大幣と名にこそ立てれ流れてもつひに寄る瀬はありといふものを

【現代語訳】
 昔、ある男が、心から何とかして一緒になりたいと思う女がいた。しかし女は、この男を浮気者だと聞いていて、冷淡な態度ばかりをつのらせつつ、歌を詠んでよこした、

 
あなたは神社の大幣のように引く手あまたなのですから、たとえあなたのことを思ってはいても、頼りにすることはできないですね。

返しの歌、男、
 
大幣と評判を立てられている私ですが、しかしその大幣だって、最後に流れ着く川の瀬はあるのです。私が流れ着くのは、あなたのもと以外にありえません。

(注)大幣・・・神社等でお祓いにつかう幣帛(へいはく)。「流れても」とあるのは、祓え終わって後に川に流すことから。

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49 うら若み

 昔、男、妹(いもうと)のいとをかしげなりけるを見をりて、

 うら若み寝(ね)よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ

と聞えけり。返し、

 初草のなどめづらしき言(こと)の葉ぞうらなくものを思ひけるかな

【現代語訳】
 昔、ある男が、自分の妹のたいそうかわいらしげなのを日ごろ見ていて、

 
若々しいので、一緒に寝たくなるような若草を、私ではなく他の男が結ぶであろうことが、残念に思われる。

という歌を詠みかけた。妹の返し、

 
初草のようにめずらしいお言葉ですね。私はただ無心にお兄様とのみお思いしていましたのに。

(注)妹・・・ここの妹は異母妹と推測される。
(注)若草を人の結ばむ・・・草を結ぶのは、永遠の愛情を誓い合う上代の風習。

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50 あだくらべ

 昔、男ありけり。恨むる人を恨みて、

 鳥の子を十(とを)づつ十は重ぬとも思はぬひとを思ふものかは
といへりければ、

 朝露(あさつゆ)は消えのこりてもありぬべし誰(たれ)かこの世を頼みはつべき

また、男、
 吹く風に去年(こぞ)の桜は散らずともあな頼みがた人の心は

また、女、返し、
 行く水に数(かず)書くよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

また、男、
 行く水と過ぐるよはひと散る花といづれ待ててふことを聞くらむ

あだくらべ、かたみにしける男女の、忍び歩(あり)きしけることなるべし。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。自分の不誠実さを恨む女を逆に恨んで、

 
鶏の卵を十ずつ十を重ねることはできなくとも、思ってくれない人を思うことがあるでしょうか。そんなことはできません。
と言ったところ、

 
朝露が消え残ることは稀にあるでしょうが、いったい誰が、あなたとの仲を最後まで頼りにできましょうか。

また男が、
 
吹く風に去年の桜が散らないようなことがあろうとも、ああ何とも頼りになりません、人の心は。

また女の返しには、
 
流れゆく水に数を書きとめようとするよりも当てにならないことは、思ってもくれない人を思うことでした。

また、男が、
 
行く水と過ぎ去る年齢と散る花と、そのどれが「待て」ということばを聞いてくれるものだろうか。

浮気比べのようなことを互いにしていた男と女が、それぞれこっそり別の異性と通じたことを詠んだものなのだろう。

(注)鳥の子・・・たまごのうち、とくに鶏の卵を指す言葉。 

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51 植ゑし植ゑば

 昔、男、人の前栽(せんざい)に菊(きく)植ゑけるに、

 植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや

【現代語訳】
 昔、ある男が、ある人の屋敷の植え込みに菊を植えた時に、

 
心を込めて植えたので、もし秋という季節がない時には咲かないでしょうが、実際には秋は毎年ありますから、菊は毎年咲くでしょう。たとえ花は散っても根まで枯れることがありましょうか。 

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55 をりふしごとに

 むかし、男、思ひかけたる女の、え得(う)まじうなりての世に、

 思はずはありもすらめど言(こと)の葉のをりふしごとに頼まるるかな

【現代語訳】
 昔、ある男が、思いをかけた女と、もはや手に入れることができない関係になって、

 
あなたは私のことなんかもう思い出してもくれないでしょうが、私は、あなたが何かの折に言葉をかけてくださるごとに、もしやと希望をつないでしまうのです。

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57 われから身をも

 昔、男、人知れぬもの思ひけり。つれなき人のもとに、

 恋ひわびぬ海人(あま)の刈る藻(も)に宿るてふわれから身をもくだきつるかな

【現代語訳】
 昔、ある男が、人に知れぬ物思いした。冷淡な相手のもとに、

 
あなたを恋する思いに疲れ果てました。海人が刈る藻に棲みついているという「われから」の虫のように、私は自分で身を砕いて苦しんだのです。 

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58 荒れたる宿

 昔、心つきて色好みなる男、長岡といふ所に家つくりてをりけり。そこのとなりなりける宮ばらに、こともなき女どもの、ゐなかなりければ、田刈らむとて、この男のあるを見て、「いみじのすき者のしわざや」とて、集りて入り来ければ、この男、逃げて奥に隠れにければ、女、

 荒れにけりあはれいく世の宿なれや住みけむ人の訪れもせぬ

と言ひて、この宮に集り来ゐてありければ、この男、

 葎(むぐら)生ひて荒れたる宿のうれたきはかりにも鬼のすだくなりけり

とてなむいだしたりける。この女ども、「穂(ほ)ひろはむ」と言ひければ、

 うちわびて落穂(おちぼ)ひろふと聞かませばわれも田づらに行かましものを

【現代語訳】
 昔、気がきいて思いやりのある色好みな男が、長岡という所に、家をつくって住んでいた。そこの隣にあった宮さまのお邸に、何ということもない女たちが仕えていたが、田舎なのでこの男が稲刈りの用意をしようとしているのを見て、「たいそうな風流男のやる仕事よ」と言って冷やかしながら集まって入ってきた。男は逃げて奥に隠れてしまったので、女が、

 
なんと荒れ果てているのでしょう。いつの世の家なのでしょう。住んでいたであろう人が訪ねてもこないとは。

と歌を詠んで、集まってたむろしていたので、この男が、

 
葎が生い茂って荒れたこの家が気味悪く思えるのは、美しい女に姿を変えた鬼が集まっているからです。

と歌を詠んで奥から差し出した。すると、この女たちは、「落穂拾いをしましょう」と言って男を誘おうとしたので、

 
暮らしに困って落穂拾いをなさると聞くならば、私も田のほとりに行きましたのに。でもそのはずはないから、私は行きません。

(注)長岡・・・京都府長岡京市。平安京遷都の前に都があった所。 

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59 東山

 昔、男、京をいかが思ひけむ、東山に住まむと思ひ入りて、

 住みわびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿求めてむ

 かくて、ものいたく病みて、死に入りたりければ、おもてに水そそきなどして、生きいでて、

 わが上に露ぞ置くなる天の河(がは)門(と)渡る舟のかいのしづくか

となむいひて、生きいでたりける。

【現代語訳】
 昔、ある男が、京の暮らしをどう思ったのだろうか、東山に隠棲しようと強く思いつめて、

 
都は住みづらくなった。今を限りと諦めて、山里に身を隠せるすみかを求めたい。

 こうして世を逃れたが、ひどい病気にかかって息が絶えたので、人々が男の顔に水を注ぎかけたりなどして、ようやく男は息を吹き返して、

 
私の顔の上に露が降りたようだ。きっと天の河の川門を渡る船の櫂のしづくだろう。

と歌を詠んで、生き返ったのだった。 

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60 五月まつ

 昔、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自(いへとうじ)、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。この男、宇佐の使にて行きけるに、ある国の祇承(しぞう)の官人の妻(め)にてなむあると聞きて、「女あるじにかはらけ取らせよ。さらずは飲まじ」と言ひければ、かはらけとりて出(いだ)したりけるに、肴(さかな)なりける橘(たちばな)をとりて、

 五月(さつき)待つ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖(そで)の香ぞする

と言ひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて山に入りてぞありける。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。宮廷の勤めが忙しくて、また誠実に妻に愛情をかけることをしないでいた。そのころに妻だった女が、「自分は誠意をもって、あなたを愛する」という人の言葉に従って、地方に行ってしまった。はじめに夫だった男が、宇佐神宮へ派遣される勅使になって赴いたとき、途中のある国の勅使接待の役人の妻に、もとの自分の妻がなっていると聞き、「ここの接待役人の妻である女主人に、私にすすめる素焼きの杯を出させなさい。さもなくば酒は飲みません」と言った。勅使の命にはさからえず、女主人が杯を持って差し出したところ、男は酒のさかなとして出されていた柑子蜜柑(こうじみかん)を取り上げて、

 
五月を待って咲き出す橘の花の香りをかぐと、昔の愛しかった人の袖の香りがまざまざと薫ってくるようだ。

と言ったので、このかつての夫のもとを去ったころを思い出して、女はやりきれない気持ちになり、尼になって山に籠って暮らしたのだった。 

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61 染河

 むかし、男、筑紫(つくし)まで行きたりけるに、「これは、色好むといふ好きき者」と、すだれのうちなる人の言ひけるを、聞きて、

 染川(そめがは)を渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからむ

女、返し、
 名にし負はばあだにぞあるべきたはれ島浪の濡れ衣(ぎぬ)着るといふなり

【現代語訳】
 昔、ある男が筑紫まで行ったところ、「これは、色好みと評判の方ですよ」と、簾の内にいる女が男のことを言ったのを聞いて、男は、

 
九州には染川という川がありますが、その名の通り、染川を渡る人がどうして色に染まらないことがありましょうか。もともと色好みなのではなく、九州に来たからです。

女が、それに返して、

 
その名によるのなら、九州のたはれ島は、その名のとおり浮気者のはずですが、人々は、浪で濡れ衣を着せられているのだと言っています。地名のせいにしないでください。 

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62 にほひはいづら

 昔、年ごろ訪れざりける女、心かしこくやあらざりけむ、はかなき人の言(こと)につきて、人の国なりける人に使はれて、もと見し人の前にいで来て、もの食はせなどしけり。夜さり、「このありつる人たまへ」と、あるじに言ひければ、おこせたりけり。男、「われをば知らずや」とて、

 いにしへのにほひはいづら桜花こけるからともなりにけるかな

と言ふを、いと恥づかしと思ひて、いらへもせでゐたるを、「などいらへもせぬ」と言へば、「涙のこぼるるに、目も見えず、ものも言はれず」と言ふ。

 これやこのわれにあふみをのがれつつ年月(としつき)経(ふ)れどまさりがほなき

と言ひて、衣ぬぎて取らせけれど、捨てて逃げにけり。いづちいぬらむとも知らず。

【現代語訳】
 昔、長い間、男の訪れがまれになっていた女がいたが、そう賢い女ではなかったからだろうか、あてにもならない言葉に乗せられて、田舎に住む人に使われていたが、ある時、もとの夫の前に出て来て、食事の給仕などをした。夜になって、男が「さっきの人を呼んでください」と家の主人に言うと、主人は女を呼んだ。男は「私のことがわからないか」と言って、

 
昔の美しさはどこへ行ったのか。花をしごき落とした、見所も無い幹となってしまったなあ。

と歌を詠んだのを、女はたいそう恥ずかしく思い、返事もせずに座っていたが、「どうして返事をしないのか」と言うので、「涙がこぼれて目も見えず、物も言えないのです」と言う。

 
これがまあ、私のもとを逃れて年月が経ったけれど、少しも良くなった様子も無いことよ。

と言って、衣を脱いで与えたが、女は衣を捨てて逃げていった。どこへ行ってしまったのか、その行方もわからない。 

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63 つくも髪

 昔、世心(よごころ)つける女、いかで心なさけあらむ男にあひ得てしがなと思へど、言ひいでむも頼りなさに、まことならぬ夢がたりをす。子三人を呼びて、語りけり。ふたりの子は、なさけなくいらへてやみぬ。三郎(さぶらう)なりける子なむ、「よき御男ぞいで来(こ)む」とあはするに、この女、けしきいとよし。こと人はいとなさけなし。いかでこの在五(ざいご)中将にあはせてしがなと思ふ心あり。狩(かり)し歩(あり)きけるに行きあひて、道にて馬の口をとりて、「かうかうなむ思ふ」と言ひければ、あはれがりて、来て寝にけり。さてのち、男見えざりければ、女、男の家に行きてかいま見けるを、男ほのかに見て、

 百年(ももとせ)に一年(ひととせ)たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ

とて、いで立つけしきを見て、むばら、からたちにかかりて、家に来てうちふせり。男、かの女のせしやうに、忍びて立てりて見れば、女嘆きて、寝(ぬ)とて、

 さむしろに衣かたしき今宵(こよひ)もや恋しき人にあはでのみ寝む

とよみけるを、男、あはれと思ひて、その夜は寝にけり、世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は思ふをも、思はぬをも、けぢめ見せぬ心なむありける。

【現代語訳】
 昔、好色づいた女が、何とかして情愛の深い男と一緒になりたいと思っていたが、言い出すきっかけもなかったので、架空の夢語りをした。自分の息子三人を呼んで語ったのだった。上の二人の子はそっけなく答えたきりで終わった。三男の子だけが、「きっと、よい殿方があらわれるでしょう」と夢判断をしてくれたので、この女はたいそう機嫌がよくなった。三男は、他の男ではつまらないから、いっそのこと在五中将と母を逢わせてやりたいと心に思っていた。すると、たまたま在五中将が狩をして廻っているのに行き会ったので、道で馬の口をひきとどめ、「これこれこういうふうに、貴方様をお慕いしています」と言ったところ、在五中将は心を動かされて、女のもとに来て寝たのだった。ところがその後、男の訪れも絶えてしまったので、女は男の家に行って物陰から覗いてみると、男がちらりと見て、

 
あと一歳で百歳という年老いたつくも髪の老女が、私を恋い慕っているらしい。その姿が目に浮かぶ。

と言って、外へ出かける様子を見て、女は茨やからたちに引っ掛かりながら、急いで家に帰って横になっていた。男は先ほど女がしたように、こっそりと物の隙間から覗いて見れば、女は嘆き悲しんで一人で寝ようとして、

 
狭い筵に衣の片方の袖だけを敷いて、今夜も恋しい人に逢うこともなく、一人さびしく寝るのでしょうか。

と詠んだのを、男は哀れに思って、その夜は女と一緒に寝たのだった。男女の仲の常として、思う相手を思い、思わない相手は思わないものだが、この人は、思う相手も、思わない相手も、わけへだてなく扱う心があったのだった。

(注)在五中将・・・在原業平のこと。右近衛権中将だったことから。
(注)つくも髪・・・「つく藻」という海藻の短く乱れた様子が似ている、老女の髪。百年に一年足りないというので「白」、すなわち白髪とする説も。 

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64 玉簾

 昔、男、みそかに語らふわざもせざりければ、いづくなりけむ、あやしさによめる。

 吹く風にわが身をなさば玉すだれひま求めつつ入るべきものを

返し、
 とりとめぬ風にはありとも玉すだれ誰(た)が許さばかひま求むべき

【現代語訳】
 昔、ある男が、ひそかに情を交わすこともせずに、文ばかり交わしていた女がいて、女がどこに住んでいるのだろうかと不審がって詠んだ、

 
私の身を吹く風にすることができたなら、玉すだれの隙間でも探して入り込むこともできるのに。

女の返しの歌、
 
風を手でとらえてとどめることはできませんが、誰の許可を得て玉すだれのすきまに入ってくるのでしょう。 

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69 君や来し

 昔、男ありけり。その男、伊勢の国に狩(かり)の使(つかひ)にいきけるに、かの伊勢の斎宮(さいぐう)なりける人の親、「常(つね)の使よりは、この人よくいたはれ」と言ひやれりければ、親の言(こと)なりければ、いとねむごろにいたはりけり。朝(あした)には狩にいだしたててやり、夕さりは帰りつつ、そこに来させけり。かくてねむごろにいたつきけり。

 二日といふ夜、男、われて「あはむ」と言ふ。女もはた、いとあはじとも思へらず。されど、人目しげければ、え逢はず。使ざねとある人なれば、遠くも宿さず。女の閨(ねや)近くありければ、女、人をしづめて、子(ね)一つばかりに、男のもとに来たりけり。男はた、寝られざりければ、外(と)の方(かた)を見出だして臥(ふ)せるに、月のおぼろなるに、小さき童(わらは)を先に立てて、人立てり。男、いとうれしくて、わが寝る所に率(ゐ)て入りて、子一つより丑三(うしみ)つまであるに、まだ何事も語らはぬに帰りにけり。男、いとかなしくて寝ずなりにけり。

 つとめて、いぶかしけれど、わが人をやるべきにしあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、女のもとより詞(ことば)はなくて、

 君や来(こ)し我や行きけむおもほえず 夢か現(うつつ)か寝てかさめてか

男、いといたう泣きてよめる、
 かきくらす心の闇(やみ)にまどひにき 夢うつつとは今宵(こよひ)さだめよ

とよみてやりて、狩に出(い)でぬ。野にありけれど、心は空(そら)にて、今宵だに人しづめて、いととく逢はむと思ふに、国の守(かみ)、斎宮(いつきのみや)の頭(かみ)かけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜酒飲みしければ、もはらあひごともえせで、明けば尾張の国へ立ちなむとすれば、男も人知れず血の涙を流せど、え逢はず。夜やうやう明けなむとするほどに、女がたより出(い)だす。杯(さかづき)の皿に、歌を書きて出だしたり。取りて見れば、

 かち人の渡れど濡れぬえにしあれば
と書きて、末(すゑ)はなし。その杯の皿に、続松(ついまつ)の炭して、歌の末を書きつぐ。

 また逢坂(あふさか)の関はこえなむ
とて明くれば、尾張の国へ越えにけり。

 斎宮は、水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、維喬(これたか)の親王(みこ)の妹。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。その男が伊勢の国に狩りの使いとして行ったおり、伊勢神宮の斎宮だった人の親が、「いつもの勅使より、この人は特に大切にお世話してほしい」と言い送ってきたので、親の言いつけであることから、斎宮はとても丁寧にお世話をした。朝には、狩りの準備を十分にととのえて送り出し、夕方に帰ってくると、自分の御殿に来させた。このようにして、心を込めた世話をした。

 男が来て二日目の夜、男が無理に「逢いたい」という。女も断固として逢わないとは思っていない。しかし、周りにお付きの者が多く人目が多いので、逢うことができない。男は狩りの使いの中心となる正使だったので、斎宮の居所から離れた場所には泊めていない。女の寝所に近かったので、女は侍女たちが寝静まるのを待って、夜中の十二時ごろに男の泊まっている部屋にやって来た。男もまた、女のことを思い続けて寝られなかったので、部屋から外を眺めながら横になっていると、おぼろ月夜のなか、小柄な童女を前に立たせてその人が立っている。男はたいそう喜び、女を自分の寝室に引き入れて、夜中の十二時ころから三時ころまでいっしょにいたが、まだ睦言(むつごと)を語り合わないうちに女は帰ってしまった。男はずいぶん悲しみ、眠れずに夜を明かしてしまった。

 翌日の早朝、女のことが気にかかりつつも、自分の供の者を使いにやるわけにもいかず、ずっと待ち遠しく思いながら女の文を待っていると、夜がすっかり明けてしばらくして、女の所から、手紙の言葉はなくて歌だけが届いた。

 
昨夜は、あなたがいらっしゃったのか、私が伺ったのか、よく覚えていません。夢だったのでしょうか現実でしょうか、寝ていたのでしょうか、起きていたのでしょうか、ちっともはっきりしません。

 男はひどく泣きながら詠んだ。
 
何がなんだか分からなくなって取り乱してしまいました。昨夜のことが夢か現実かは、今夜いらしてはっきりさせてください。

と詠んで女におくって、狩りに出かけた。野原に出ても、気持ちは狩りのことから離れてしまってうつろで、せめて今夜は皆が寝静まったら少しでも早く逢おうと思っていた。ところが、伊勢の国守で斎宮寮の長官を兼任していた人が、狩りの勅使が来ていると聞いて、一晩じゅう酒宴を催したので、まったく逢うことができない。夜が明けると尾張の国を目指して出立する予定になっていたので、女は悲しみ、男もひそかにひどく嘆き悲しんだが、逢うことができない。夜がしだいに明けようかというときに、女のほうから杯の受け皿に歌を書いてよこした。受け取ってみると、

 
この斎宮寮のところの入り江は、徒歩で渡っても裾が濡れないほど浅いのです。だからこの度は、わざわざ出かけて行っても契りを結ぶに至らない浅いご縁だったので・・・

と、上の句だけ書いてあり、下の句がない。男はそこで、その受け皿に、たいまつの消え残りの炭で、下の句を続けて書いた。

 
ここではあきらめてお別れしますが、また逢坂の関を越えて都に帰りましょう。そうして、きっとまたお逢いしましょう。
と書いて、夜明けとともに、尾張の国へ向かい、国境を越えて行ってしまった。

 斎宮は、清和天皇の御代のお方で、文徳天皇の御娘、維喬の親王の妹にあたる人である。 

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70 あまの釣船

 昔、男、狩(かり)の使(つかひ)より帰り来けるに、大淀(おほよど)の渡りに宿りて、斎宮の童(わらは)べに言ひかけける、

みるめ刈るかたやいづこぞ棹(さを)さしてわれに教えよ海人(あま)のつり舟

【現代語訳】
 昔、ある男が狩の使から都へ帰ってくる途中、大淀の渡し場に泊まって、斎宮にお仕えする童女(わらわめ)に歌をよみやった、

 
人を見るという名を持つ海松布、それを刈るべき潟はどのあたりだろうか。舟に棹をさして私に教えてほしい、海人の釣り舟よ。(斎宮にお逢いするにはどうすればよいか、その手立てを教えてほしい、童女よ)

(注)大淀の渡り・・・三重県多気郡明和町の宮川の河口あたり。

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71 ちはやぶる

 昔、男、伊勢の斎宮(さいぐう)に内裏(うち)の御使にて参れりければ、かの宮に、すきごといひける女、わたくしごとにて、

 ちはやぶる神の斎垣(いがき)も越えぬべし 大宮人(おほみやびと)の見まくほしさに

男、
 恋しくは来ても見よかしちはやぶる 神のいさむる道ならなくに

【現代語訳】
 昔、ある男が、伊勢の斎宮の御殿に勅使として参上していたところ、その御殿で、色ごのみの話をするのが好きな女が、女房の立場をはなれて個人的な気持ちを表して、

 
神聖な神様の場所を囲んでいる垣を越えてしまいそうです。宮廷からおいでになった方にお逢いしたくて。

と詠んでよこした。男は、こう答えた。

 
恋しいなら飛び越えておいでなさい。神様は恋を禁じたりなんかしませんよ。

(注)ちはやぶる・・・「神」の枕詞。

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72 大淀の松

 昔、男、伊勢の国なりける女、またえあはで、となりの国へ行くとて、いみじう恨みければ、女、

 大淀の松はつらくもあらなくにうらみてのみもかへる浪かな

【現代語訳】
 昔、ある男が、伊勢の国に住んでいた女に、また逢うこともなく、隣の尾張国へ行くことになってしまったといって、逢う機会を作ってくれなかった女をひどく恨んだので、女は、

 
大淀の松はつれなくあたっているわけでもないのに、その松に打ちかかろうともせず、浦を見ただけで、ただ松の無情を恨んで帰っていく浪であることです。

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75 みるをあふにて

 昔、男、「伊勢の国に率(ゐ)て行きてあらむ」と言ひければ、女、

 大淀(おほよど)の浜に生(お)ふてふみるからに心はなぎぬ語らはねども

といひて、ましてつれなかりければ、男、

 袖ぬれて海人(あま)の刈りほすわたつうみのみるをあふにてやまむとやする

女、
 岩間(いはま)より生ふるみるめしつれなくは 潮干(しほひ)潮満ちかひもありなむ

また男、
 涙にぞぬれつつしぼる世の人の つらき心は袖のしづくか

世にあふことかたき女になむ。

【現代語訳】
 昔、ある男が女に「あなたを伊勢の国に連れて行って、いっしょに住みたい」と言ったところ、その女は、

 
伊勢の大淀に生える海松(みる=海藻)を見にいくとうかがい、お目にかかっただけで、私の心はすっかり安らかになりました。ですから、これ以上親しく睦言を交わさなくても十分です。

と言って、以前よりいっそう冷淡だったので、男が、

 
袖を濡らしながら漁夫が刈って干す海松を思ってみるだけで、いっしょに浜辺に行こうともしない。袖を涙で濡らして切にたのむ私の顔をちょっと見るだけで、親しく契り一緒に暮らすことの代わりにすませようとするのですか、あなたは。

女は、
 
岩間から生える海松布(みるめ)がずっと生いのびていれば、海水が引いたり満ちたりして貝がつくこともありましょう。私は今はあなたに逢う気はありませんが、このまま変わらず過ごしていれば、長く知り合っていたかいもきっとあるでしょう。

また男が、
 
私は涙に濡れながら袖を絞っています。冷たい人の心は、私の袖にたまる涙を絞ってしたたり落ちる滴(しずく)なのでしょうか。私をこのように悲しませて、平然としている。

まったく逢うことの難しい女であった。 

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76 小塩の山

 昔、二条の后(きさき)の、まだ春宮(とうぐう)の御息所(みやすどころ)と申しける時、氏神にまうでたまひけるに、近衛府(このゑづかさ)にさぶらひける翁(おきな)、人々の禄(ろく)たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける。

 大原や小塩(をしほ)の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ

とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。

【現代語訳】
 昔、二条の后(藤原高子)が、まだ皇太子の御息所と申し上げていた時、藤原氏の氏神である大原野神社に参詣なさったが、近衛府に仕えていた老人が、お供の人々が褒美をいただくついでに、一人だけ御息所の御車から直接いただいて、詠み奉った歌、

 
この大原の小塩の山も、今日こそは、ご子孫である御息所のご参詣に当たって、神代の昔を思い出されていることだろう。

と詠んだのは、翁は心の中で悲しいと思ったのであろうか、それとも別の思いがあったのか、それは分からない。

(注)氏神・・・ここでは藤原氏の氏神である大原野神社(京都市西京区)。奈良の春日大社から分祀した社で、藤原氏の女性が入内の栄を得るよう祈願したという。
(注)翁・・・業平を暗示する。
(注)小塩の山・・・大原野神社の西にそびえる山。

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(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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歌物語

 歌物語的なもののはじめは、『万葉集』の桜児(さくらこ)の歌、竹取翁と娘子らの歌、安積山の采女(うねめ)の歌と詞書、左注等にみられるが、歌物語とよばれる作品は『伊勢物語』がはじめ。一人の男の生涯を年齢に沿って書き連ねられたこの物語は、『篁(たかむら)物語』『平仲物語』『多武峰少将(とうのみねしょうしょう)物語』といった日記的な、あるいは物語的な作品に受け継がれていく。
 
 同じく歌物語とされる『大和物語』はこれらとは異なった趣向の歌物語であり、多くの実在の人物が、官職やさまざまな人間関係のなか、一回的な歌物語として記されている。この系統はやがて説話に移行していった。
 
【篁物語】
 平安時代または鎌倉時代の物語。『篁日記』『小野篁集』ともいう。成立年代については諸説があり、作者も未詳。和歌を多く入れている二話一編形式の物語で、平安初期の歌人・文人政治家、小野篁(おののたかむら)を主人公としており、篁とその異母妹の恋愛を描いている。

【平仲物語】
 平安時代に成立した歌物語。作者や成立年は不詳。主人公の「平仲(平中)」は、平安時代中期の歌人、平貞文(たいらのさだふみ)を指す。

【多武峰少将物語】
 作者未詳。応和~康保年間(961~968年)頃の成立か。藤原師輔(もろすけ)の八男高光が、妻子兄弟を捨てて突然比叡山で出家し、さらに多武峰に草庵を営んだいきさつと、周囲の人々の悲嘆を、歌を中心に記したもの。『伊勢物語』と『源氏物語』をつなぐ作品として文学史上注目される。

大和物語
 平安時代の天暦5年(951年)ころに成立したとされる歌物語。『伊勢物語』の影響を受けた作品とされ、書名は『伊勢物語』に対する『大和の物語』、女房大和の作によるなどの説がある。
 一般に173段からなり、約300首の和歌が含まれる。146段までの前半は和歌を中心とした歌語りの短編、147段以降の後半は、悲恋や離別、再会など人の出会いと歌を通した古い民間伝説が語られており、説話的要素の強い内容になっている。二人から求婚された乙女が生田川に身を投げる「生田川伝説」(147段)や、「姥捨山伝説」(156段)などがある。
 同じ歌物語でも『伊勢物語』とは異なり、係助詞「なむ」を多用し、当時の歌語りを忠実に伝えようとしており、当時の人々の生態がよく描かれている。

和歌一覧 ②

第71段
ちはやぶる 神のいがきも 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに

恋しくは 来ても見よしかし ちはやぶる 神のいさなむ 道ならなくに

第72段
大淀の 松はつらくも あらなくに うらみてのみも かへる波かな

第73段
目には見て 手にはとられぬ 月のうちの 桂の如き 君にぞありける

第74段
岩根ふみ かさなる山には あらねど 逢はぬ日おほく 恋ひわたるかな

第75段
大淀の 浜に生ふてふ みるからに 心はなぎぬ かたらはねども

袖ぬれて あまの刈りほす わたつ海の みるを逢ふにて やまんとやする

岩間より 生ふるみるめし つれなくは 汐干汐満 ちかひもありなむ

涙にぞ ぬれつつしぼる 世の人の つらき心は 袖のしづくか

第76段
大原や をしほの山も 今日こそは 神代のことも 思ひいづらめ

第77段
山のみな うつりて今日に 逢ふことは 春の別れを とふとなるべし

第78段
あかねども 岩にぞかふる 色見えぬ 心を見せむ よしのなければ

第79段
我が門に 千尋ある陰を 植えゑつれば 夏冬たれか 隠れざるべき

第80段
ぬれつつぞ しひて折りつる 年のうちに 春はいくかも あらじと思へば

第81段
塩釜に いつか来にけむ 朝凪に 釣りする舟は ここによらなむ

第82段
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし

散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり

一年に ひとたび来ます 君まてば 宿かす人も あらじとぞ思ふ

あかなくに まだきも月の かくるるか 山の端にげて 入れずもあらなむ

おしなべて 峯もたひらに なりななむ 山の端なくは 月もいらじを

第83段
枕とて 草ひき結ぶ こともせじ 秋の夜とだに たのまれなくに

忘れては 夢かぞとおもふ 思ひきや 雪ふみわけて 君を見むとは

第84段
老いぬれば さらぬ別れの ありといへば いよいよ見まく ほしく君かな

世の中に さらぬ別れの なくもがな 千代もといのる 人の子のため

第85段
思へども 身をしわけねば めかれせぬ 雪のつもるぞ わが心なる

第86段
今までに 忘れぬ人は 世にあらじ おのがさまざま 年の経ぬれば

第87段
あしの屋の なだの塩焼き いとまなみ 黄楊の小櫛も ささず来にけり

わが世をば けふかあすかと 待つかひの 涙のたきと いづれたかけむ

ぬき乱る 人こそあるらし 白玉の まなくもちるか 袖のせばきに

はるる夜の 星か河辺の 蛍かも わが住むかたの あまのたく火か

わたつみの かざしにさすと いはふ藻も 君がためには 惜しまざりけり

第88段
おほかたは 月をもめでじ これぞこの つもれば人の 老いとなるもの

第89段
人知れず われ恋ひ死なば あぢきなく 何れの神に なき名をおほせむ

第90段
桜花 けふこそかくにね にほふとも あな頼みがた あすの夜のこと

第91段
をしめども はるのかぎりの けふの日の 夕暮れにさへ なりにけるかな

第92段
葦べ漕ぐ 棚なし小舟 いくそたび 行きかへるらむ 知る人もなみ

第93段
あふなあふな 思ひはすべし なぞへなく 高きいやしき 苦しかりけり

第94段
秋の夜は 春日わするる ものなれや 霞に霧や 千重まさむらむ

千ぢの秋 ひとつの春に むかはめや もみじ花も ともにこそ散れ

第95段
彦星に 恋はまさりぬ 天の河 へだつる関を いまはやめてよ

第96段
秋かけて いひしながらも あらなくに この葉降りしく えにこそありけれ

第97段
さくら花 散りかひ曇れ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに

第98段
わがたのむ 君がためにと 折る花は ときしもわかぬ ものにぞありける

第99段
見ずもあらず 見もせぬ人の 恋ひしくは あやなくけふや ながめ暮さむ

知る知らぬ 何かあやなく わきていわむ 思ひのみこそ しるべなりけれ

第100段
忘れ草 生ふる野辺とは みるらめど こはしのぶなり のちも頼まむ

第101段
咲く花の したにかくるる 人を多み ありしにまさる 藤のかげかも

第102段
そむくとて 雲には乗らぬ ものなれど 世の憂きことぞ よそになるてふ

第103段
寝ぬる夜の 夢をはかなみ まどろめば いやはかなにも なりまさるかな

第104段
世をうみの あまとし人を 見るからに めくはせよとも 頼まるるかな

第105段
白露は 消なば消ななむ 消えずとて 玉にぬくべき 人もあらじを

第106段
ちはやぶる 神代もきかず 龍田河 からくれなゐに 水くくるとは

第107段
つれづれの ながめにまさる 涙川 袖のみひぢて 逢ふよしもなし

浅みこそ 袖はひづらめ 涙川 身さへながると 聞かばたのまむ

かずかずに 思ひ思はず 問ひがたみ 身をしる雨は 降りぞまされる

第108段
風吹けば とはに浪こす いはなれや わが衣手の かわく時なき

よひ毎に 蛙のあまた 鳴く田には 水こそまされ 雨は降らねど

第109段
花よりも 人こそあだに なりけれ 何れをさきに 恋ひむとかし

第110段
思ひあまり 出でにし魂の あるならむ 夜深く見えば 魂むすびせよ

第111段
古は ありもやしけむ 今ぞ知る まだ見ぬ人を 恋ふるものとは

下紐の しるしとするも 解けなくに かたるが如は 恋ひずぞあるべき

恋ひしとは さらにもいはじ 下紐の 解けむを人は それと知らなむ

第112段
須磨のあまの 塩焼く煙風をいたみ 思はぬ方に たなびきにけり

第113段
ながからぬ 命のほどに 忘るるは いかに短き 心なるらむ

第114段
翁さび 人な咎めそ 狩衣 けふばかりとぞ 鶴も鳴くなる

第115段
おきのゐて 身を焼くよりも 悲しきは 都のしまべの 別れなりけり

第116段
浪間より 見ゆる小島の 浜びさし ひさしくなりぬ 君に逢ひみで

第117段
我見ても ひさしくなりぬ 住吉の 岸のひめ松 いく代へぬらむ

むつまじと 君は白浪 瑞籬の 久しき世より いはひそめてき

第118段
玉葛 はふ木あまたに なりぬれば 絶えぬこころの うれしげもなし

第119段
かたみこそ 今はあだなく これなくは 忘るる時も あらましものを

第120段
近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋のかず見む

第121段
鴬の 花を縫ふてふ 笠もがな ぬるめる人に きせてかへさむ

鴬の 花を縫ふてふ 笠はいな おもひをつけよ 乾してかへさむ

第122段
山城の 井出のたま水 手にむせび 頼みしかひも なき世なりけり

第123段
年を経て すみこし里を 出でていなば いとど深草 野とやなりなむ

野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ 狩だにやは 君はこざらむ

第124段
思ふこと いはでぞただに 止みぬべき 我とひとしき 人しなければ

第125段
つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを

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