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伊勢物語

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81 塩竈に

 昔、左の大臣(おほいまうちぎみ)いまそかりけり。賀茂河(かもがは)のほとりに、六条わたりに、家をいとおもしろく造りて住みたまひけり。神無月(かむなづき)のつごもりがた、菊の花うつろひさかりなるに、紅葉(もみぢ)のちくさに見ゆるをり、親王(みこ)たちおはしまさせて、夜ひと夜、酒飲みし遊びて、夜明けもてゆくほどに、この殿(との)のおもしろきをほむる歌よむ。そこにありけるかたゐ翁(おきな)、板敷の下にはひ歩きて、人にみなよませはててよめる。

 塩竃(しほがま)にいつか来にけむ朝なぎに釣りする船はここに寄らなむ

となむよみけるは。陸奥(みちのくに)に行きたりけるに、あやしくおもろしき所々多かりけり。わがみかど六十余国のなかに、塩竃といふ所に似たる所なかりけり。さればなむ、かの翁、さらにここをめでて、「塩竃にいつか来にけむ」とよめりける。

【現代語訳】
 昔、左大臣がおいでになった。賀茂川のほとり、六条あたりに、たいそう趣向を凝らした邸を造って住んでおられた。十月の末ごろ、菊の花が色変わりして美しい盛りである上に、紅葉が色さまざまに見える折、親王がたをお招きして、一晩中、酒宴をもよおし管弦を奏し、夜が明けゆく頃に、人々はこの邸の趣深いのをほめる歌を詠んだ。そこにいあわせた身分の賤しい老人が、縁の板敷の下をうろうろして、一同に歌を詠ませ終わってから、詠んだ、

 
いつの間に塩竃の浦に来たのだろうか。朝なぎの海に釣りをする舟は、みなここに寄って来て趣を添えてほしいものです。

と詠んだのは、以前、この老人が陸奥に行ったところが、味わい深く趣深い所が多くあったのだった。わが朝廷が支配される六十余国の中に、塩竃という所に及ぶほどの景色はなかった。だからこそ、この老人はことさらこの邸をすばらしいと思い、「塩竃にいつの間に来たのだろうか」と詠んだのだった。

(注)左の大臣・・・左大臣。源融(みなもとのとおる)のこと。嵯峨天皇の第十二皇子で、臣籍に下った。
(注)塩竈・・・宮城県塩竈市。 

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82 春の心は

 昔、惟喬親王(これたかのみこ)と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬(みなせ)といふ所に、宮ありけり。年ごとの桜の花盛りには、その宮へなむおはしましける。その時、右馬頭(みぎのむまのかみ)なりける人を、常に率(ゐ)ておはしましけり。時世(ときよ)経て久しくなりにければ、その人の名を忘れにけり。狩りはねむごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれりけり。いま狩りする交野(かたの)の渚(なぎさ)の家、その院の桜ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りて、かざしにさして、上中下(かみなかしも)、みな歌よみけり。馬頭(むまのかみ)なりける人のよめる、

 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし

となむよみたりける。また人の歌、

 散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき

とて、その木のもとは立ちて帰るに、日暮れになりぬ。

【現代語訳】
 昔、惟喬親王とおっしゃる親王がおられた。山崎の向こうの水無瀬という所に、彼の離宮があった。毎年、桜の花盛りのころにその離宮にお出かけになった。その際、右馬頭であった人をいつも連れていらっしゃった。時を経て、そのころのことはだいぶ昔になってしまったので、その人の名を忘れてしまった。親王のご一行は狩りを熱心にもせず、ただ酒ばかりを飲んで、和歌を詠むことに夢中になっていたものだ。今、狩りをする交野の渚の家、その院の桜がことに趣深い。一行はその木の下に馬から下りて座り、枝を折って飾りとして髪に挿し、身分の上下にかかわりなく皆で歌を詠んだ。馬頭だった人が詠んだ歌、

 
この世の中に全く桜というものがなかったならば、咲くのを待ち遠しく思ったり、散るのを残念に思ったりすることもなく、春の人々の気持ちはゆったりしていただろうに。

と詠んだ。また別の人は、
  
 
散るからこそ、いっそう桜はすばらしい。辛いこの世で何が永遠であろうか。

と詠んで、その木の下から立ち上がって帰ろうとしたら、もう辺りは日暮れになっていた。

(注)惟喬親王・・・文徳天皇の第一皇子で、紀有常の妹静子を母とする。業平とは、義理のいとこ同士にあたる。

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83 草ひき結ぶ

 昔、水無瀬(みなせ)に通ひ給ひし惟喬(これたか)の親王(みこ)、例の狩しにおはします供に、馬(むま)の頭(かみ)なる翁(おきな)仕うまつれり。日ごろ経て、宮に帰り給うけり。御おくりして、とくいなむと思ふに、大御酒(おほみき)たまひ、禄(ろく)たまはむとて、つかはさざりけり。この馬の頭、心もとながりて、

 枕とて草ひき結ぶこともせじ 秋の夜とだに頼まれなくに

とよみける、時は弥生(やよひ)のつごもりなりけり。親王、おほとのごもらであかし給うてけり。

 かくしつつまうで仕うまつりけるを、思ひのほかに、御髪(みぐし)おろし給うてけり。睦月(むつき)に、をがみ奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡(ひえ)の山の麓(ふもと)なれば、雪いと高し。しひて御室(みむろ)にまうでてをがみ奉つるに、つれづれといと物がなしくておはしましければ、やや久しくさぶらひて、いにしへのことなど思ひ出で聞こえけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、公事(おほやけごと)どもありければ、えさぶらはで、夕暮にかへるとて、

 忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや 雪みわけて君を見むとは

となむ、泣く泣く来にける。

【現代語訳】
 昔、水無瀬の離宮に都から通っていらっしゃった惟喬親王が、いつもの鷹狩りをしにおいでになる供として、馬寮の長官だったある老人がお仕えした。何日か過ごして親王は都の宮の御殿にお帰りになった。馬寮の長官は御殿までお送りしてすぐに自分の邸に戻ろうと思ったが、御酒を下さり、狩りのお供の褒美を下さるとして、お帰しにならなかった。馬寮の長官は早く帰宅のお許しをいただきたいと待ち遠しく、

 
今夜は旅先の仮寝の草枕をつくるために草を結ぶつもりはありません。秋の夜長とさえたのみにできないはかない一夜ですから。

と詠んだ。時節は(陰暦)三月の末であった。しかし、親王は寝所にはお入りにならず、ともに徹夜をしてしまわれた。

 このように、いつも親密に参上しお仕えしていたのに、親王はまったく思いがけず御剃髪してしまわれた。正月に拝礼申し上げようと小野に参上したが、小野は比叡山のふもとなので、雪がたいそう高く積もっている。難儀を極めて親王の僧房に参上して拝礼申し上げると、親王はなさることもなく、たいそう寂しく悲しい御ようすでいらっしゃったので、かなり長い時間おそばに伺候して昔話などを思い出してお聞かせした。そのようにしてでもおそばにお仕えしたいと思ったが、宮中の行事などがあったので、伺候できずに夕暮れに都へ帰ることになり、

 
現実を忘れると、今のことを私は夢かと思います。訪れる人のない山里の深い雪をふみわけて、このようなわび住まいをしていらっしゃる御前様にお目にかかろうとは、かつては思いもしませんでした。

といって、泣く泣く都に帰ってきた。

(注)翁・・・老人。40歳を初老とし、老いの始まりとした。惟喬親王が出家して小野に隠棲したのは貞観14年(872年)で、この時29歳。業平は46歳だった。
 

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84 さらぬ別れの

 昔、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。その母、長岡といふ所に住み給ひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづとしけれど、しばしばえまうでず。一つ子にさへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、師走(しはす)ばかりに、とみのこととて御文あり。おどろきて見れば、歌あり。

 老いぬればさらぬ別れのありといへば いよいよみまくほしき君かな

かの子、いたううち泣きてよめる、

 世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代(ちよ)もと祈る人の子のため

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。身分は低いものの、母親は皇族であった。その母親は長岡という所に住んでおられた。その子である男は都で宮仕えしていたので、母親のもとに赴こうとしてもたびたびは参上できない。その子は一人っ子でもあったので、母親はたいそう可愛がっていらっしゃった。ところが十二月ごろに、急用といって母親の手紙が届いた。驚いてあけてみると歌が書かれていた。

 
年老いてしまえば、避けることのできない死別があり、ますます逢いたいあなたです。

その子がたいそう泣いて詠んだ歌、

 
この世に避けられない死別などなければよいのに。親に千年も生きてほしいと祈る、親の子の一人である私のために。 

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85 雪のつもるぞ

 昔、男ありけり。童(わらは)より仕うまつりける君、御髪(みぐし)おろし給うてけり。睦月(むつき)にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。昔仕うまつりし人、俗なる、禅師(ぜんじ)なる、あまた参り集まりて、睦月なればことだつとて、大御酒(おほみき)たまひけり。雪こぼすがごと降りて、ひねもすにやまず。みな人酔(ゑ)ひて「雪に降りこめられたり」といふを題にて、歌ありけり。

 思へども身をしわけねば目かれせぬ 雪の積もるぞわが心なる

とよめりければ、親王、いといたうあはれがり給うて、御衣(おほんぞ)ぬぎてたまへりけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。子どものころからお仕えしていた御主君(惟喬親王)が剃髪なさった。お正月には必ず御主君のもとに参上した。男は宮仕えしていたので、常には参上できない。しかし、それまでの忠誠心を失わず、お正月には必ず参上したのだった。昔お仕えした者で、僧でない在俗の人、出家して法師である人など大勢がやって来て集まり、お正月で年の初めにあらたまって祝儀をするというので御酒をくださった。雪がまるで空の器をかたむけてこぼしたように激しく降り、一日中やまない。みな酔って、「雪にひどく降られて外に出られなくなった」ことを題に歌を詠んだ。

 
御主君をいつも大切にお慕いしていても、身体を二つに分けられないので平素はご無沙汰ばかりで、この雪のように思いは積もり積もっていたが、目も離せぬほど降りしきる雪で帰れなくなり、御主君のもとにとどまる格好の口実ができましたよ。

と詠んだので、親王はとても感動なされ、御召し物を脱いでごほうびに下さった。 

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88 月をもめでじ

 昔、いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集まりて、月を見て、それが中にひとり、

 おほかたは月をもめでじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの

【現代語訳】
 
昔、それほど若くない人たちが、誰かれと友人たちが集まって、月を眺め、その中の一人が詠んだ。

 
世間の人たちのように、月を賞美するのはやめよう。月が重なれば、老いていくものだから。 

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90 桜花

 昔、つれなき人をいかでと思ひわたりければ、あはれとや思ひけむ、「さらば、明日、物越しにても」と言へりけるを、限りなくうれしく、又うたがはしかりければ、おもしろかりける桜につけて、

 桜花けふこそかくもにほふとも あな頼みがた明日の夜のこと

といふ心ばへもあるべし。

【現代語訳】
 昔、ある男が、つれなくて少しも相手にしてくれない女を、何とかして自分のほうに気持ちを向かせたいと思い続けていたところ、女がその気持ちに心が動いたのか、「では、明日、几帳か簾(すだれ)を隔ててでもお逢いしましょう」と言ったので、男はとても嬉しく思い、また一方で女の言葉が本心かどうか疑いの気持ちを抱かずにいられなかったので、美しく咲いた桜の枝につけて、

 
桜の花が今日はこんなに美しく咲いていても、明日の夜にも同じかどうかはあてにできません。

という歌をおくったが、長い間つれなくされてきただけに、このような気持ちになるのも当然だろう。 

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91 春のかぎり

 昔、月日の行くへさへ嘆く男、弥生(やよひ)のつごもりがたに、

 惜しめども春のかぎりの今日の日の 夕暮にさへなりにけるかな

【現代語訳】
 昔、月日の過ぎてゆくのさえ嘆いていた男が、三月の末日のころに、

 
いくら惜しんでも今日は春の終わりの日で、もうその夕暮れになってしまったことだ。 

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94 秋の夜は

 昔、男ありけり。いかがありけむ、その男住まずなりにけり。のちに男ありけれど、子ある仲なりければ、こまかにこそあたねど、時々もの言ひおこせけり。女がたに、絵かく人なりければ、かきにやれりけるを、今の男のものすとて、一日(ひとひ)二日(ふつか)おこせざりけり。かの男、いとつらく、「おのがきこゆる事をば、今までたまはねば、ことわりと思へど、猶(なほ)人をば恨みつべきものになむありける」とて、弄(ろう)じてよみてやれりける、時は秋になむありける。

 秋の夜は春日(はるひ)わするるものなれや かすみにきりや千重(ちへ)まさるらむ

となむよめりける。女、返し、

 千々(ちぢ)の秋ひとつの春にむかはめや紅葉(もみぢ)も花もともにこそ散れ

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。どうした事情か、その男が女の所に逢いに行かなくなってしまった。女には後に別の男ができていたが、前の男とは子がいる間柄だったので、とくに愛情こまやかというほどではないが、時々便りをよこしてきていた。女は絵を描く人だったので絵をたのんでいたが、今の男が来ているというので、一日、二日、約束の日から遅れるまで描いてよこさなかった。この男はひどく情けなく思い、「私のお願いごとを今までしてくれないのは、それも当然とは思うが、やはりあなたが恨めしく思わずにいられない」といって、皮肉をこめて詠んでやった歌、時節はちょうど秋だった。

 
しみじみとした秋の夜は、過ぎ去った春のおだやかな日など忘れてしまうものなのか。春の霞にくらべると、秋の霧は千倍もまさって濃くすばらしいのだろうか。

と詠んだ。女が返し、

 
多くの秋を合わせても、一つの春にかなうものですか。今の男より、ずっとあなたの方がすてきです。でも、秋の紅葉も春の花もどちらも散ってしまいます。しょせんはどちらの男も、やがて私のもとを去っていくのです。 

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95 彦星に

 昔、二条の后(きさき)に仕うまつる男ありけり。女の仕うまつるを、常に見かはして、よばひわたりけり。「いかで物越しに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ」と言ひければ、女、いとしのびて物越しに逢ひにけり。物語などして、男、

 彦星に恋はまさりぬ天の河 へだつる関(せき)を今はやめてよ

 この歌にめでてあひにけり。

【現代語訳】
 昔、清和天皇の二条の后の藤原高子にお仕えしている男がいた。同じくこの后にお仕えしているある女といつも顔を合わせていて求婚しつづけていた。「何とかして簾でも几帳でも物越しに逢って、不安に思いつめている気持ちを少しでも晴らしたい」と言うと、女はこっそりと物越しに逢ってくれた。いろいろ語り合い、男が、

 
織り姫に一年に一度しか逢えない彦星より、私があなたを恋しく思う気持ちのほうがまさっています。天の河のように二人を隔てている関所のようなこの隔てを今はやめてください。

と詠んだので、女は心を動かされ、親しく男に逢ったということだ。 

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96 天の逆手

 昔、男ありけり。女をとかく言ふこと月経にけり。石木(いはき)にしあらねば、心苦しとや思ひけむ、やうやうあはれとも思ひけり。そのころ、水無月(みなづき)の望(もち)ばかりなりければ、女、身にかさ一つ二ついできにけり。女言ひおこせたる。「今は何の心もなし。身にかさも一つ二ついでたり。時もいと暑し。少し秋風吹き立ちなむ時、かならずあはむ」と言へりけり。秋待つころほひに、ここかしこより、その人のもとへいなむずなりとて、口舌(くぜち)いできにけり。さりければ、女の兄人(せうと)、にはかに迎へに来たり。さればこの女、かへでの初紅葉をひろはせて、歌をよみて、書きつけておこせたり。

 秋かけて言ひしながらもあらなくに木(こ)の葉降りしくえにこそありけれ

と書き置きて、「かしこより人おこせば、これをやれ」とて、いぬ。さて、やがてのち、つひに今日まで知らず。よくてやあらむ、あしくてやあらむ、いにし所も知らず。かの男は、天(あま)の逆手(さかて)を打ちてなむ、のろひをるなる。むくつけきこと、人ののろひごとは、負ふものにやあらむ、負はぬものにやあらむ。「今こそは見め」とぞ言
ふなる。

【現代語訳】
 
昔、ある男がいた。女をあれこれ口説いているうちに月日が経った。女もさすがに石や木ではないので、いつまでも待たせるのは気の毒だと思ったか、だんだんと心を許してきた。そのころは、六月の十五日ごろだったので、女は、体におできが一つ二つできてしまった。その女が男に言ってよこした。「今はあなたをお慕いするほかに何の心もありません。でもこの季節、体におできも一つ二つできています。たいへん暑い時節です。少し秋風が吹き始める頃に、必ずお逢いしましょう」と書かれていた。ところが、秋めいてきた頃、あちらこちらから、女が誰それのもとへ行ってしまうだろうと噂が立って、言い争いが起こった。そこで、女の兄がにわかに女を迎えに来た。そして、この女は、楓の初紅葉を侍女に拾わせて、歌を詠んで書きつけて男におくった。

 
秋にお逢いしましょうとお約束しながら、その通りにはならず、木の葉が降り敷いた江のように、私たちのご縁は浅いものだったのですね。

と書きおいて、「あの方から人を寄こしてきたら、これを渡しなさい」と言って、立ち去った。そして、その後、今日に至るまで女の消息はわからない。幸せになったのか、不幸になったのか。去って行った先もわからない。その男は、天の逆手を打って、女を呪っているという。不気味な話である。人の呪いごとは、呪われた人に降りかかるものなのか、降りかからないものなのか。男は「今こそ思い知るだろう」と言っているということだ。

(注)天の逆手・・・普通とは異なり、まじないをする時にうつ柏手。具体的にどのように打つかは不詳。 

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99 見ずもあらず

 昔、右近(うこん)の馬場(むまば)のひをりの日、むかひに立てたりける車に、女の顔の、下簾(したすだれ)よりほのかに見えければ、中将なりける男のよみてやりける、

 見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは あやなく今日(けふ)やながめ暮らさむ

返し、
 知る知らぬなにかあやなくわきて言はむ 思ひのみこそしるべなりけれ

のちは誰(たれ)と知りにけり。

【現代語訳】
 昔、右近の馬場で騎射の試しが行われた日、向かい側に立ててあった車の中に、女の顔が下簾のすきまからかすかに見えたので、近衛の中将だった男が歌を詠んでおくった、

 
全然見なかったわけではない、かといってはっきり見たのではないあなたが恋しくて、今日はわけもなくぼんやり物思いにふけっていますよ。

女が返し、
 
見知るとか知らないとか、どうしてわけもなく無理に区別して言えましょうか。ほんとうに知り合って逢えるのは、ただ熱烈な思いだけが道しるべとなるのです。

後に、ついに女が誰であるかを知って逢うようになった。 

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102 雲には乗らぬ

 昔、男ありけり。歌はよまざりけれど、世の中を思ひ知りたりけり。あてなる女の、尼になりて、世の中を思ひうむじて、京にもあらず、はるかなる山里に住みけり。もと親族(しぞく)なりければ、よみてやりける、

 そむくとて雲には乗らぬものなれど世の憂きことぞよそになるてふ

となむ言ひやりける。斎宮(さいぐう)の宮なり。

【現代語訳】
 
昔、ある男がいた。歌は詠まないのだが、男女の仲の機微はよく理解していた。高貴な女が、尼になって、俗世間の人間関係を厭わしく思って、京の都にも住まず、遠く離れた山里に住んでいた。男は、もともと親族だったので、歌を詠んでおくった。

 
出家したからといって仙人のように雲に乗って飛べるわけではないでしょうが、俗世間の嫌なことからは離れられるといいますね。それをうらやましく思います。

と言ってやった。この方は、伊勢の斎宮の宮である。 

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103 寝ぬる夜

 昔、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。深草(ふかくさ)の帝(みかど)になむ仕うまつりける。心あやまりやしたりけむ、親王(みこ)たちの使ひたまひける人をあひ言へりけり。さて、

 寝(ね)ぬる夜(よ)の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな

となむよみてやりける。さる歌のきたなげさよ。

【現代語訳】
 
昔、ある男がいた。たいそう誠実で真面目で、軽薄な心はなかった。男は深草の帝(仁明天皇)にお仕え申し上げていた。ところが、心に迷いが生じたのであろうか。親王のどなたかがご寵愛していた方と通じ合った。そして、

 
あなたと一緒に寝た夜の夢がはかないので、それをもう一度はっきり見たいと、家に帰ってまどろんだものの、さらにはかないものになってしまった。

と詠み送った。その歌の、露骨なことよ。

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104 世をうみの

 昔、ことなることなくて、尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、ものやゆかしかりけむ、賀茂(かも)の祭(まつり)見にいでたりけるを、男、歌よみてやる、

 世をうみのあまとし人を見るからにめくはせよとも頼まるるかな

これは、斎宮(さいぐう)のもの見たまひける車に、かく聞こえたりければ、見さして帰り給ひにけりとなむ。

【現代語訳】
 
昔、さしたるわけもないのに、尼になった人がいた。姿は尼にやつしていたものの、世俗のことに心惹かれたのだろうか、賀茂の祭を見物に出かけたところ、男が、歌を詠みおくった。

 
世をはかなんで尼になった方が祭見物とは。めくばせでもしてくださればと、あなたのお心を当てにしてしまいます。

これは、斎宮が祭見物をしていた車に、このように聞こえてきたので、途中で見物をやめてお帰りなったということだ。 

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105 白露は

 昔、男、「かくては死ぬべし」と言ひやりたりければ、女、

 白露は消(け)なば消ななむ消(き)えずとて 玉にぬくべき人もあらじを

と言へりければ、いとなめしと思ひけれど、心ざしはいやまさりけり。

【現代語訳】
 昔、ある男が、恋に患い、「このままでは死んでしまうだろう」と言いやったところ、女は、

 
はかない白露は、消えてしまうなら消えてほしいものです。たとえ消えなくても、飾りの玉として紐にさし通すような人もいないでしょう。だから、どうぞご自由に。

と言ったので、男はえらく無礼な女だと思ったが、女を思う気持ちはいっそう強くなってしまった。 

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106 龍田川

 昔、男、親王(みこ)たちの逍遥(せうえう)し給ふ所にまうでて、龍田川(たつたがは)のほとりにて、

 ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは

【現代語訳】
 昔、ある男が、親王たちが、そぞろ歩きをなさっているところに伺い、龍田川のほとりで詠んだ歌は、

 
神代にも聞いたことがない、龍田川の水を紅にくくり染めにするとは。

(注)龍田川・・・奈良県生駒郡を流れる川で、大和川の支流。
(注)からくれなゐ・・・「韓紅」で、真紅のこと。
(注)『古今集』にも載っているこの歌の詞書には、「二条の后が春宮の御息所と申した時に、屏風に龍田川に紅葉の流れている絵が描かれていたのを題にして詠んだ」とある。

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114 芹河の行幸

 昔、仁和(にんな)の帝、芹河(せりがは)に行幸(ぎやうかう)したまひける時、今はさることにげなく思ひけれど、もとつきにけることなれば、大鷹(おほたか)の鷹飼(たかがひ)にてさぶらはせたまひける。摺狩衣(すりかりぎぬ)の袂(たもと)に書きつけける、

 翁(おきな)さび人なとがめそ狩衣(かりごろも)今日ばかりとぞ鶴(たづ)も鳴くなる

おほやけの御けしきあしかりけり。おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞き負ひけりとや。

【現代語訳】
 
昔、仁和の帝(光孝天皇)が、芹河に行幸なさった時、男を、今は年をとってそのようなことは似つかわしくないと思ったが、以前その役目にあったので、大鷹の鷹飼としてお供させた。そこで男が、摺模様のある狩衣のたもとに書きつけた歌は、

 
いかにも老人じみている姿を、皆さん、どうぞとがめないでください。狩りのお供をして狩衣を着るのも今日限り。鷹に捕まる鶴も、命は今日を限りと鳴くことでしょう。

これをお聞きになった帝のご気分は悪かった。男は自分の年齢のことを思って詠んだのだが、若くない人は自分のことを言われたと思ったとか。 

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115 都島

 昔、陸奥(みちのくに)にて、男、女、住みけり。男、「都へいなむ」と言ふ。この女、いとかなしうて、馬のはなむけをだにせむとて、おきのゐて、都島(みやこしま)といふ所にて、酒飲ませてよめる、

 おきのゐて身を焼くよりも悲しきは都島辺(みやこしまべ)の別れなりけり

【現代語訳】
 
昔、陸奥の国で、男と女が一緒に住んでいた。男が「都へ帰ろう」と言う。この女、たいそう悲しく思って、せめて送別の宴だけでもしようと、おきのいて、都島という所で、男に別れの酒を飲ませて詠んだ、

 
赤くおこった炭火が体にくっついて身を焼くよりも悲しいことは、この都島辺でのあなたとのお別れですよ。

(注)馬のはなむけ・・・送別の宴。
(注)おきのゐて・・・「都島」とともに陸奥の国の地名ながら、場所は不詳。 

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116 浜びさし

 昔、男、すずろに陸奥(みちのくに)の国までまどひいにけり。京に、思ふ人に言ひやる、

 浪間より見ゆる小島のはまびさし久しくなりぬ君にあひ見で

「何ごとも、みなよくなりにけり」となむ言ひやりける。

【現代語訳】
 
昔、ある男が、何というわけもなく陸奥の国までさまよって行った。そして、京に残してきた恋人のもとに詠んで送ったことには、

 
浪間から見える小島の海沿いの家々の庇、そういえばまことに久しくなってしまいました。あなたに逢わなくなってから。

「何事も、みなうまくいくようになりました」と、言い送ったのである。

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119 雪

 昔、女のあだなる男の形見とておきたる物どもを見て、

 かたみこそいまはあたなれこれなくは忘るる時もあらましものを

【現代語訳】
 
昔、女が、浮気な男が形見として残しておいた多くの物を見て、

 
この形見こそ今は辛いものです。これさえ無ければあの人を忘れる時もあるでしょうに。 

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123 年を経て

 昔、男ありけり。深草(ふかくさ)に住みける女を、やうやう飽きがたにや思ひけむ、かかる歌をよみけり。

 年を経て住みこし里を出ででいなば いとど深草野とやなりなむ

 女、返し、
 野とならば鶉(うづら)となりて鳴きをらむ かりにだにやは君は来ざらむ

とよめりけるにめでて、行かむと思ふ心なくなりにけり。

【現代語訳】
 昔、ある男がいた。山城国の深草の里に住んでいた女を、しだいに飽きてしまったのか、このような歌を詠んだ。

 
長年住んだこの里を出て行けば、今も草深い深草の里は、ますます草が深い野になってしまうのだろうか。

女が返し、
 
ここが荒れた草深い野になってしまうならば、私は鶉になって悲しく鳴いているでしょう。あなたはせめて、かりそめの狩りにでもおいでにならないでしょうか、いやきっと来てくださいますね。

と詠んだのに心を打たれ、男は去ろうとする気持ちがなくなったのだった。 

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124 いはでぞただに

 昔、男、いかなりけることを思ひけるをりにか、よめる。

 思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

【現代語訳】
 昔、ある男が、いったいどんなことを思った時であろうか、詠んだ歌は、

 
心に思うことがあっても、口に出して言わないでいるのがよい。自分と同じ考えの人などいないのだから。 

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125 つひにゆく

 昔、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、

 つひにゆく道とはかねてききしかど 昨日今日とは思はざりしを

【現代語訳】
 昔、ある男が病気になり、死んでしまいそうな気持ちになって、

 
死出の道のことはかねて聞いてはいたが、昨日今日にやってくるとは思わなかった。

(注)業平の死は、元慶4年(880年)。従四位上、56歳だった。この歌は『古今和歌集』にも収められ、病で心身が弱ったときに詠んだとの詞書がある。 

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

語 句

あさまし
 驚くばかりだ。意外だ。

あだなり
 はかない。もろい。

あぢきなし
 思うようにならない。

あてなり
 高貴だ。家柄がよい。

あてやかなり
 上品だ。優雅だ。「あてはかなり」とも。

あなや
 ああっ。あら。

あはひ
 間。すきま。

あふなあふな
 分相応に。

あやなし
 道理・理屈に合わない。理由がわからない。

ありわぶ
 生きているのが辛くなる。

あるじす
 主人として客をもてなす。

いたづく
 病気になる。世話する。いたわる。

いとどし
 ますます甚だしい。ただでさえ~なのに。いっそう~である。

いぶかし
 心が晴れない。気がかりだ。疑わしい。(ようすが)知りたい。見たい。聞きたい。

いますかり
 いらっしゃる。

いやまさる
 ますますつのる。いよいよ多くなる。

いらふ
 答える。返事をする。

うしろめたし
 先が気がかりだ。どうなるか不安だ。

うつつ
 現実。この世。もとは形容詞うつし(現し、顕し)のうつを重ねた「うつうつ」の省略形。

うらなし
 うっかりしている。無心だ。安心している。隠し立てしない。へだてがない。

うるはしむ
 誠実な心を持ち合って、気高く愛し合うこと。

うれたし
 心が痛い(うらいたし)。しゃくだ。いまいましい。

おいづく
 年寄る。老け込む。

おとづる
 声を立てる。

おぼつかなし
 ぼんやりしている。ようすがはっきりしない。ほのかだ。

おほとのごもる
 おやすみになる。「寝ぬ」の尊敬語。

かはらけ
 素焼きの杯。酒杯のやりとり。

懸想(けさう)
 異性に思いを懸けること。恋い慕うこと。求婚すること。

さかしら
 おせっかい。差し出がましいこと。

さがなし
 意地悪だ。性格が悪い。

しとど
 びっしょり。ぐっしょり。

すずろなり
 思いがけない。予期していない。

すだく
 群がり集まる。

つひに
 「つひ」は終わり。特に人生の最後を示す言葉。

つれなし
 素知らぬふうだ。平然としている。さりげない。

とぶらふ
 訪問する。安否を問う。見舞う。

なずらふ
 肩を並べる。準じる。「なぞらふ」とも。

なでふことなし
 何ということもない。取るに足りない。

なまめく
 みずみずしくて美しい。清らかである。

なめし
 無礼だ。無作法だ。

はしたなし
 どっちつかずで落ち着かない。中途半端だ。

はつかなり
 かすかだ。ほのかだ。

はらから
 同腹の兄弟姉妹。

ひたぶるなり
 ひたすらだ。一途だ。

ひなぶ
 田舎じみる。田舎風になる。やぼったくなる。

ほだす
 動けないようにつなぎとめる。束縛する。情でからめる。

ほとぶ
 (水分を含んで)ふやける。

まめなり
 誠実だ。まじめだ。

みそかなり
 ひそかだ。公然でないこと。こっそり振舞っている。

むくつけし
 気味が悪い。恐ろしい。

めかる
 「目離る」。しだいに見なくなる。遠く離れて会わなくなる。疎遠になる。

めづ
 愛する。思い慕う。恋慕する。

もはら
 ひたすら。まったく。

よばひ
 女の寝所に忍んで行くこと。妻問い。

よばふ
 言い寄る。求婚する。

わぶ
 気落ちする。悲観する。嘆く。

在原業平の略年譜

818年
兄の行平誕生。父は阿保親王

825年
業平誕生

826年
兄の行平とともに在原朝臣の姓を賜わる

841年
右近衛将監となる

842年
父の阿保親王が死去
藤原高子(二条の后)誕生

844年
維喬親王誕生

847年
蔵人となる

848年
従五位下に叙せられる

858年
清和天皇が即位

859年
藤原高子と出会う

862年
従五位上に叙せられる

863年
左兵衛佐となる

864年
左近衛権少将となる

865年
右馬頭となる

866年
藤原高子が清和天皇の女御となる

868年
高子が貞明親王(後の陽成天皇)を産む

869年
正五位下に叙せられる

872年
維喬親王が出家

873年
従四位下に叙せられる

875年
右近衛権中将となる

877年
陽成天皇が即位
従四位上に叙せられる

878年
相模権守となる

879年
蔵人頭となる

880年
業平、死去(56歳)

参考文献

新版 伊勢物語
~石田穣二/角川文庫

伊勢物語
~上妻純一郎/古典教養文庫

新明解古典シリーズ 伊勢物語・大和物語
~桑原博史/三省堂

ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 伊勢物語
~角川書店

新訂国語総覧
~京都書房

日本の古典に親しむ 伊勢物語
~中村真一郎/世界文化社

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