伊勢物語
昔、月日の行くへさへ嘆く男、弥生(やよひ)のつごもりがたに、
惜しめども春のかぎりの今日の日の 夕暮にさへなりにけるかな
【現代語訳】
昔、月日の過ぎてゆくのさえ嘆いていた男が、三月の末日に詠んだ歌、
いくら惜しんでも今日は春の終わりの日で、もうその夕暮れになってしまったことだ。
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昔、恋しさに来つつ帰れど、女に消息(せうそこ)をだにえせで詠める。
蘆辺(あしべ)こぐ棚(たな)なし小舟(をぶね)いくそたび 行きかへるらむ知る人もなみ
【現代語訳】
昔、男が、恋しさに女の元をたずねては帰ることを繰り返し、女に手紙をやることすらできずに詠んだ、
蘆辺を漕いで行く棚なし小舟は、何度も行っては帰るのだろう。背の高い葦に隠れて知る人もいないままに。
(注)消息・・・便り。
(注)棚なし小舟・・・船棚のない小さな舟。丸木舟。
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昔、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり。すこし頼みぬべきさまにやありけむ、ふして思ひ、おきて思ひ、思ひわびて詠める、
あふなあふな思ひはすべしなぞへなく たかきいやしき苦しかりけり
昔もかかることは、世のことわりにやありけむ。
【現代語訳】
昔、男が身分は低かったのだが、たいそうつりあわない高貴な身分の女に思いをかけた。その女が、少し望みを持ってもよさそうな様子があったのだろうか、寝ては思い、起きては思い、どうしてよいか分からなくなって詠んだ、
身の丈にあった恋をすべきなのだ。分不相応に身分違いの恋は苦しいものだ。
昔も今も、このような身分違いの恋に苦しむのは、この世のこととしてどうしようもないことだったのだろうか。
(注)あふなあふな・・・身分相応に、と解するのが通説。無思慮に、とする説もある。ㅤ
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昔、男ありけり。いかがありけむ、その男住まずなりにけり。のちに男ありけれど、子ある仲なりければ、こまかにこそあらねど、時々もの言ひおこせけり。女がたに、絵かく人なりければ、かきにやれりけるを、今の男のものすとて、一日(ひとひ)二日(ふつか)おこせざりけり。かの男、いとつらく、「おのが聞こゆる事をば、今までたまはねば、ことわりと思へど、猶(なほ)人をば恨みつべきものになむありける」とて、弄(ろう)じて詠みてやれりける、時は秋になむありける。
秋の夜は春日(はるひ)わするるものなれや かすみにきりや千重(ちへ)まさるらむ
となむよめりける。女、返し、
千々(ちぢ)の秋ひとつの春にむかはめや 紅葉(もみぢ)も花もともにこそ散れ
【現代語訳】
昔、ある男がいた。どうした事情か、その男が女の所に通わなくなってしまった。女には後に別の男ができていたが、元の男とは子がいる間柄だったので、とくに愛情こまやかという程ではないが、時々便りをよこしてきていた。女は絵を描く人だったので絵を頼んでいたが、今の男が来ているというので、一日、二日、約束の日から遅れても描いてよこさなかった。前の男はひどく情けなく思い、「私のお願いごとを今までしてくれないのは、それも当然とは思うが、やはりあなたが恨めしく思わずにいられない」といって、皮肉をこめて詠んでやった歌は、時節がちょうど秋だったので、
しみじみとした秋の夜は、過ぎ去った春のおだやかな日など忘れてしまうものなのか。春の霞にくらべると、秋の霧は千倍もまさって濃くすばらしいのだろうか。
と詠んだ。女が返し、
多くの秋を合わせても、一つの春にかなうものですか。今の男より、ずっとあなたの方が素晴らしいです。でも、秋の紅葉も春の花もどちらも散ってしまいます。しょせんはどちらの男も、やがて私のもとを去っていくのです。
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昔、二条の后(きさき)に仕うまつる男ありけり。女の仕うまつるを、常に見かはして、よばひわたりけり。「いかで物越しに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ」と言ひければ、女、いと忍びて物越しに逢ひにけり。物語などして、男、
彦星に恋はまさりぬ天の河 へだつる関(せき)を今はやめてよ
この歌にめでてあひにけり。
【現代語訳】
昔、清和天皇の二条の后の藤原高子にお仕えしている男がいた。同じくこの后にお仕えしているある女といつも顔を合わせていて、ずっと求婚しつづけていた。「何とかして、せめて簾や几帳などの物越しにでも逢って、不安に思いつめている気持ちを少しでも晴らしたい」と言うと、女はこっそりと物越しに逢ってくれた。いろいろ語り合い、男が、
織り姫に一年に一度しか逢えない彦星より、私があなたを恋しく思う気持ちのほうがまさっています。天の河のように二人を隔てている関所のようなこの隔てを今はやめてください。
と詠んだので、女は心を動かされ、親しく男に逢ったということだ。
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昔、男ありけり。女をとかく言ふこと月日経にけり。石木(いはき)にしあらねば、心苦しとや思ひけむ、やうやうあはれと思ひけり。そのころ、水無月(みなづき)の望(もち)ばかりなりければ、女、身にかさ一つ二ついできにけり。女言ひおこせたる。「今は何の心もなし。身にかさも一つ二ついでたり。時もいと暑し。少し秋風吹き立ちなむ時、かならずあはむ」と言へりけり。秋待つころほひに、ここかしこより、その人のもとへ去(い)なむずなりとて、口舌(くぜち)いできにけり。さりければ、女の兄人(せうと)、にはかに迎へに来たり。さればこの女、かへでの初紅葉を拾はせて、歌を詠みて、書きつけておこせたり。
秋かけて言ひしながらもあらなくに 木(こ)の葉降りしくえにこそありけれ
と書き置きて、「かしこより人おこせば、これをやれ」とて、去ぬ。さて、やがて後、つひに今日まで知らず。よくてやあらむ、あしくてやあらむ、去にし所も知らず。かの男は、天(あま)の逆手(さかて)を打ちてなむ、呪ひをるなる。むくつけきこと、人の呪ひごとは、負ふものにやあらむ、負はぬものにやあらむ。「今こそは見め」とぞ言ふなる。
【現代語訳】
昔、ある男がいた。女にあれこれ言い寄っているうちに月日が経った。女もさすがに石や木ではないので、いつまでも待たせるのは気の毒だと思ったのか、だんだんと心を許してきた。その頃は、ちょうど六月の十五日ばかりの暑い頃だったので、女は、体におできが一つ二つできてしまった。その女が男に言ってよこした。「今はあなたをお慕いするほかに何の心もありません。でも、体におできも一つ二つできています。たいそう暑い時節です。少し秋風が吹き始める頃に、必ずお逢いしましょう」と書かれていた。ところが、秋めいてきた頃、あちらこちらから、女が誰それのもとへ行ってしまうだろうと噂が立って、非難が起きた。そこで、女の兄がにわかに女を迎えに来た。そして、この女は、楓の初紅葉を侍女に拾わせて、歌を詠んで書きつけて男におくった。
秋にお逢いしましょうとお約束しながら、その通りにはならず、木の葉が降り敷いた入江のように、私たちのご縁は浅いものだったのですね。
と書き置いて、「あの方から使いが来たら、これを渡しなさい」と言い残して立ち去った。その後、今日に至るまで女の消息はわからない。幸せでいるのか、不幸になったのか。どこへ行ったのかも分からない。ただ、その男は、天の逆手を打って、女を呪っているという。不気味な話である。人を呪うと、本当にその相手に降りかかるものなのか、何ともないものなのか。男は「今こそ思い知るだろう」と言っているそうだ。
(注)天の逆手・・・普通とは異なり、まじないをする時にうつ柏手。具体的にどのように打つかは不詳。
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昔、堀河(ほりかは)の大臣(おほいまうちぎみ)と申す、いまそがりけり。四十(しじふ)の賀(が)、九条の家にてせられける日、中将なりける翁(おきな)、
桜花散り交(か)ひ曇れ老いらくの 来(こ)むといふなる道まがふがに
【現代語訳】
昔、堀川の大臣と申し上げる方(藤原基経)がいらっしゃった。四十歳の祝賀を九条の館で催された時、中将であった老人(業平のこと)が、
桜の花よ、散ってあたりをかき曇らせてほしい。老いがやって来るという道が見えなくなるほどに。
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昔、太政大臣(おほきおほいまうちぎみ)と聞ゆる、おはしけり。仕ふまつる男、長月(ながつき)ばかりに、梅(むめ)の造り枝に雉(きじ)をつけて奉るとて、
わが頼む君がためにと折る花は 時しもわかぬものにぞありける
とよみて奉りたりければ、いとかしこくをかしがり給ひて、使(つかひ)に禄(ろく)たまへりけり。
【現代語訳】
昔、太政大臣(基経の養父、良房)と申し上げる方がいらっしゃった。お仕えしていた男が、九月ごろに、梅の造花の枝に雉をつけて献上しようとして、
私がお頼りする君のために折ったこの梅の花は、季節に関係なく咲き誇っています。
と詠んで差し上げたところ、たいそう深く興を催されて、使いに褒美を賜わったということだ。
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昔、右近(うこん)の馬場(むまば)のひをりの日、むかひに立てたりける車に、女の顔の、下簾(したすだれ)よりほのかに見えければ、中将なりける男の詠みてやりける、
見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは あやなく今日(けふ)やながめ暮らさむ
返し、
知る知らぬなにかあやなくわきて言はむ 思ひのみこそしるべなりけれ
のちは誰(たれ)と知りにけり。
【現代語訳】
昔、右近衛府の馬場で騎射の試しが行われた日、向かい側に立ててあった車の中に、女の顔が下簾の隙間からかすかに見えたので、近衛の中将だった男が歌を詠んでおくった、
全然見なかったわけではない、かといってはっきり見たのではないあなたが恋しくて、今日はわけもなくぼんやり物思いにふけっています。
女が返し、
見知るとか知らないとか、どうしてわけもなく無理に区別して言えましょうか。本当に知り合って逢えるのは、ただ熱烈な思いだけが道しるべとなるのです。
後に、ついに女が誰であるかを知って逢うようになった。
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昔、男、後涼殿(こうらうでん)のはさまを渡りければ、あるやむごとなき人の御局(つぼね)より、忘れ草を、「忍ぶ草とや言ふ」とて、いださせたまへりければ、たまはりて、
忘れ草生(お)ふる野辺(のべ)とは見るらめど こはしのぶなりのちも頼まむ
【現代語訳】
昔、ある男が、内裏の清涼殿と後涼殿の間を渡っていると、ある高貴な方の御局から、忘れ草を、「これは忍ぶ草というのでしょうか」と言って差出されたので、いただいて詠んだ歌は、
この辺りは忘れ草が生い茂る野辺と見られていますが、これは忍ぶ草です。その名のように私を忍んでいて下さるのなら、今後のことを頼みにしています。
(注)後涼殿・・・清涼殿の西にある殿舎。
(注)忘れ草・・・ユリ科の多年草の萱草(かんぞう)。
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昔、左兵衛(さひやうゑ)の督(かみ)なりける在原(ありはら)の行平(ゆきひら)といふありけり。その人の家によき酒ありと聞きて、上にありける左中弁(さちゆうべん)藤原の良近(まさちか)といふをなむ、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける。なさけある人にて、かめに花をさせり。その花の中に、あやしき藤の花ありけり。花のしなひ、三尺六寸ばかりなむありける、それを題にて詠む。詠みはてがたに、あるじのはらからなる、あるじしたまふと聞きて来たりければ、とらへて詠ませける。もとより歌のことは知らざりければ、すまひけれど、しひて詠ませければかくなむ、
咲く花の下にかくるる人を多み ありしにまさる藤のかげかも
「などかくしも詠む」と言ひければ、「太政大臣(おほきおとど)の栄花(えいぐわ)のさかりにみまそかりて、藤氏(とうし)の、ことに栄ゆるを思ひてよめる」となむ言ひける。みな人、そしらずなりにけり。
【現代語訳】
昔、左兵衛督であった在原行平という人がいた。その人の家にいい酒があるというので、殿上人であった左中弁藤原良近という人を主客として、その日の饗応を催した。この行平という人は、風流を解する人物だったので、瓶に花を挿していた。その花の中に変わった藤の花があった。花房が三尺六寸(1m10cm)ほどもあった。その花を題にして歌を詠んだ。詠み終わろうとする頃に、主人行平の兄弟(業平)が、兄が客をもてなしていると聞きつけて来たので、早速つかまえて歌を詠ませた。歌のことは聞いていなかったので固辞したが、強いて詠ませたところ、こう詠んだ、
咲く藤の花の下に入って隠れる人が多いので、以前にもまして花陰が大きくなっていることだ。
人々は「どうしてこのような歌を詠むのか」と尋ねたところ、「太政大臣さま(藤原良房)の栄華が今を盛りと輝き、藤原氏がことに栄えているのを思って詠んだのです」と言った。人々は誰も、この歌のことを悪く言わなくなった。
(注)左兵衛・・・左兵衛府。内裏外郭の警備などを司る役所。
(注)藤原良近・・・宇合を祖とする藤原式家、吉野の子。
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昔、男ありけり。歌は詠まざりけれど、世の中を思ひ知りたりけり。あてなる女の、尼になりて、世の中を思ひうむじて、京にもあらず、はるかなる山里に住みけり。もと親族(しぞく)なりければ、詠みてやりける、
そむくとて雲には乗らぬものなれど 世の憂(う)きことぞよそになるてふ
となむ言ひやりける。斎宮(さいぐう)の宮なり。
【現代語訳】
昔、ある男がいた。歌は詠まなかったが、男女の仲の機微はよく理解していた。高貴な身分の女が、尼になって、俗世間の人間関係を厭わしく思い、京の都にも住まず、遠く離れた山里に住んでいた。男は、この女ともともと親族だったので、歌を詠んでおくった。
出家したからといって仙人のように雲に乗って飛べるわけではないでしょうが、俗世間の嫌なことからは離れられるといいますね。それをうらやましく思います。
と言ってやった。この方は、伊勢の斎宮の宮である。
(注)斎宮の宮・・・恬子内親王のこととされる。男は「歌は詠まざりけれど」とあるが、業平であるのをわざとぼかしている。
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昔、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。深草(ふかくさ)の帝(みかど)になむ仕うまつりける。心あやまりやしたりけむ、親王(みこ)たちの使ひたまひける人をあひ言へりけり。さて、
寝(ね)ぬる夜(よ)の夢をはかなみまどろめば いやはかなにもなりまさるかな
となむ詠みてやりける。さる歌のきたなげさよ。
【現代語訳】
昔、ある男がいた。たいそう誠実で真面目で、軽薄な心はなかった。男は深草の帝(仁明天皇)にお仕え申し上げていた。ところが、心に迷いが生じたのであろうか、親王のどなたかがご寵愛していた方と通じ合った。そして、
あなたと一緒に寝た夜の夢がはかないので、それをもう一度はっきり見たいと、家に帰ってまどろんだものの、さらにはかないものになってしまった。
と詠み送った。その歌の、露骨なことよ。
(注)仁明天皇・・・第54代天皇。嵯峨天皇の第2皇子で、源融らと兄弟。
(注)「いやはかなにも」の「いや」は、いよいよ、ますますの意。
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昔、ことなることなくて、尼になれる人ありけり。形をやつしたれど、ものやゆかしかりけむ、賀茂(かも)の祭(まつり)見に出(い)でたりけるを、男、歌詠みてやる、
世をうみのあまとし人を見るからに めくはせよとも頼まるるかな
これは、斎宮(さいぐう)のもの見たまひける車に、かく聞こえたりければ、見さして帰り給ひにけりとなむ。
【現代語訳】
昔、さしたるわけもないのに、尼になった人がいた。姿は尼にやつしていたものの、世俗のことに心惹かれたのだろうか、賀茂の祭を見物に出かけたところ、男が見かけて、歌を詠みおくった。
世をはかなんで尼になった方が祭見物とは。目くばせでもしてくださればと、あなたのお心を当てにしてしまいます。
これは、斎宮が祭見物をしていた車に、このように聞こえてきたので、途中で見物をやめてお帰りなったということだ。
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昔、男、「かくては死ぬべし」と言ひやりたりければ、女、
白露は消(け)なば消ななむ消(き)えずとて 玉に貫(ぬ)くべき人もあらじを
と言へりければ、いとなめしと思ひけれど、心ざしはいやまさりけり。
【現代語訳】
昔、ある男が、恋に患い、「このままでは、私は死んでしまいそうです」と言いやったところ、女は、
はかない白露は、消えてしまうなら消えてほしいものです。たとえ消えなくても、飾りの玉として紐にさし通すような人もいないでしょう。だから、どうぞご自由に。
と言ったので、男はえらく無礼な女だと思ったが、女を思う気持ちはいっそう強くなってしまった。
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昔、男、親王(みこ)たちの逍遥(せうえう)し給ふ所にまうでて、龍田川(たつたがは)のほとりにて、
ちはやぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
【現代語訳】
昔、ある男が、親王たちのそぞろ歩きをなさっているところにお伺いして、龍田川のほとりで詠んだ歌は、
神代にもこのような不思議なことがあったとは聞いておりません、龍田川の水を紅にくくり染めにするとは。
(注)龍田川・・・奈良県生駒郡を流れる川で、大和川の支流。紅葉の名所として歌枕にもなっている。
(注)からくれなゐ・・・「韓紅」で、真紅のこと。
(注)『古今集』にも載っているこの歌の詞書には、「二条の后が春宮の御息所と申した時に、屏風に龍田川に紅葉の流れている絵が描かれていたのを題にして詠んだ」とある。「水くくる」は、かつては「水くぐる」と読まれ、主人公の思いが表面に現れることができない比喩とされていた。
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昔、あてなる男ありけり。その男のもとなりける人を、内記(ないき)にありける藤原の敏行(としゆき)といふ人よばひけり。されど、若ければ、文もをさをさしからず、ことばも言ひ知らず、いはむや歌は詠まざりければ、かのあるじなる人、案を書きて、書かせてやりけり。めでまどひにけり。さて男の詠める、
つれづれのながめにまさる涙河(なみだがは) 袖(そで)のみひちてあふよしもなし
返し、例の男、女にかはりて、
浅みこそ袖はひつらめ涙河 身さへ流ると聞かば頼まむ
と言へりければ、男いといたうめでて、今まで巻きて文箱(ふばこ)に入れてありとなむいふなる。男、文おこせたり。得てのちのことなりけり。「雨の降りぬべきになむ、見わづらひはべる。身さいはひあらば、この雨は降らじ」と言へりければ、例の男、女にかはりて詠みてやらす、
数々(かずかず)に思ひ思はず問ひがたみ 身を知る雨は降りぞまされる
と詠みてやれりければ、蓑(みの)も笠も取りあへで、しとどに濡れてまどひ来にけり。
【現代語訳】
昔、ある高貴な身分の男がいた。その男の元で召し使っていた侍女に、内記であった藤原敏行という人が求婚した。しかし、女はまだ若かったので、文も手馴れておらず、恋愛の言葉も知らなかった。まして歌など詠めなかったので、かの主人である男が、下書きを書いて、女に清書させて書きおくった。敏行はたいそう感激した。さて敏行が詠んだ歌は、
なすこともなくこの長雨に物思いにふけっている私は、涙が止めどなく河のように流れ、袖が濡れるばかりで、貴女にお逢いする方法もありません。
返しに例の男が女にかわって詠んだ。
その河の流れが浅いので、袖も濡れるのでしょう。その御体が流されるほど涙が流れるとお聞きしたら、私はあなたお頼みいたしましょう。
と言ったところ、男はたいそう感激して、今もその文を巻いて文箱に入れてあるということだ。その後、男が文をおくってきた。それは女を手に入れて後のことである。「雨が降りそうなので、出かけようか迷っています。私に運があれば、雨も降らないでしょうが」と言ってきたので、例の男が、また女に代わって詠んだ。
私のことを思ってくださるのか、そうでないのか、問うわけにもいきませんので、私は身の程をわきまえ、涙を流しています。その涙が雨となってしきりに降るのでしょう。
と詠んで書き送ったところ、蓑も笠も用意せず、ずぶ濡れに濡れて慌ててやって来たということだ。
(注)内記・・・中務省に属し、詔勅や宣命を作り、位記を書く役職。
(注)藤原敏行・・・三十六歌仙の一人。神護寺の鐘銘を書き、書家としては後世空海と並称された。紀氏、在原氏と親族関係にあった。
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昔、女、人の心を恨みて、
風吹けばとはに浪こす岩なれや わが衣手(ころもで)のかはく時なき
と、常(つね)の言(こと)くさに言ひけるを、聞き負ひける男、
宵(よひ)ごとのかはづのあまた鳴く田には 水こそまされ雨は降らねど
【現代語訳】
昔、ある女が、男の浮気心を恨んで、
風が吹けばいつも浪が打ち寄せて越えていく岩のように、私の袖はいつも涙に濡れて乾くことがありません。
と、いつも言う口癖のように言っていたのを、自分のことだと思い込んだ男が、
毎夜毎夜、蛙が多く鳴く田では、たとえ雨は降らなくても、蛙の涙で水が増しているのでしょう。そんなふうに、私だって涙に暮れています。
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昔、男、友だちの人を失へるがもとにやりける、
花よりも人こそあだになりにけれ いづれを先に恋ひむとか見し
【現代語訳】
昔、ある男が、恋人を失った友人のもとに書きおくった、
花よりも人のほうが先に亡くなってしまうとは。あなたは花と人と、どちらを先に追慕するようになるとお思いだったのでしょう。
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昔、男、みそかに通ふ女ありけり。それがもとより、「今宵(こよひ)夢になむ見え給ひつる」といへりければ、男、
思ひあまりいでにし魂(たま)のあるならむ 夜ぶかく見えば魂結びせよ
【現代語訳】
昔、ある男に、ひそかに通っている女がいた。その女のもとから「今宵、私の夢にあなたが現れました」と言ってきたので、男は、
あなたのことを思うあまり、体を離れた魂が出て行ったのでしょう。夜遅くまた夢を見たなら、魂結びのまじないをしてそこに留めてください。
(注)魂結び・・・離れ出た魂を元に戻すまじない。
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昔、男、やむごとなき女のもとに、なくなりにけるをとぶらふやうにて、言ひやりける、
いにしへはありもやしけむ今ぞ知る まだ見ぬ人を恋ふるものとは
返し、
下紐(したひも)のしるしとするも解けなくに 語るがごとは恋ひずぞあるべき
また、返し、
恋しとはさらにもいはじ下紐の 解けむを人はそれと知らなむ
【現代語訳】
昔、ある男が、身分の高い女のもとに、亡くなった人を弔う形で、歌をおくった、
昔はそんなこともあったのかもしれませんが、私は今知りました。まだ見ぬ人に恋することがあるなんて。
女の返し、
下紐が解けるのを恋い慕われているしるしと言われていますが、私の下紐は解けてはいないので、あなたのお気持ちはそれほどでもないようですね。
また男の返し、
あなたを恋しいとは言いません。私の気持ちであなたの下紐が解けるはずですから、それと分かるでしょう。
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昔、男、ねむごろにい言ひ契りける女の、ことざまになりにければ、
須磨(すま)の海人(あま)の塩焼く煙(けぶり)風をいたみ 思はぬ方にたなびきにけり
【現代語訳】
昔、ある男が、心を込めて将来を約束していた女が、他の男になびいてしまったので、
須磨の漁師が塩を焼く煙が、あまりに風が激しいので、思わぬ方向にたなびいていくことです。
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昔、男、やもめにてゐて、
長からぬ命のほどに忘るるは いかに短き心なるらむ
【現代語訳】
昔、ある男が、女と別れて一人暮らしをしていたが、
長くはない人の命なのに、それでも私のことを忘れてしまう。なんと短いあなたの心なのだろう。
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昔、仁和(にんな)の帝、芹河(せりがは)に行幸(ぎやうかう)したまひける時、今はさることにげなく思ひけれど、もとつきにけることなれば、大鷹(おほたか)の鷹飼(たかがひ)にてさぶらはせたまひける。摺狩衣(すりかりぎぬ)の袂(たもと)に書きつけける、
翁(おきな)さび人なとがめそ狩衣(かりごろも) 今日ばかりとぞ鶴(たづ)も鳴くなる
おほやけの御けしき悪(あ)しかりけり。おのが齢(よはひ)を思ひけれど、若からぬ人は聞き負ひけりとや。
【現代語訳】
昔、仁和の帝(光孝天皇)が、芹河に行幸なさった時、男を、今は年をとってそのようなことは似つかわしくないと思ったが、以前その役目にあったので、大鷹の鷹飼の役としてお供をおさせになった。そこで男が、摺狩衣のたもとに書きつけた歌は、
いかにも老人じみている姿を、皆さん、どうぞとがめないでください。狩りのお供をして狩衣を着るのも今日限り。鷹に捕まる鶴も、命は今日を限りと鳴くことでしょう。
これをお聞きになった帝のご気分は悪かった。男は自分の年齢のことを思って詠んだのだが、若くない人は自分のことを言われたと思ったとか。
(注)天皇もこの時57歳で年配。なお、史実ではこの7年前に業平は56歳で亡くなっているので、ここの主人公は兄の行平ではないかとされる。
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昔、陸奥(みちのくに)にて、男、女、住みけり。男、「都へ去(い)なむ」と言ふ。この女、いと悲しうて、馬のはなむけをだにせむとて、おきのゐて、都島(みやこしま)といふ所にて、酒飲ませて詠める、
おきのゐて身を焼くよりも悲しきは 都島辺(みやこしまべ)の別れなりけり
【現代語訳】
昔、陸奥の国で、男と女が一緒に住んでいた。男が「都へ帰りたい」と言う。女はたいそう悲しく思って、せめて送別の宴だけでもしようと、「おきのいて都島」という所で、男に別れの酒を飲ませて詠んだ、
赤くおこった炭火が体にくっついて身を焼くよりも悲しいことは、この都島辺でのあなたとのお別れですよ。
(注)馬のはなむけ・・・送別の宴。
(注)おきのゐて・・・「都島」とともに陸奥の国の地名ながら、場所は不詳。「沖の井手(海岸に突き出た土手)」とする説もある。
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昔、男、すずろに陸奥(みちのくに)の国までまどひいにけり。京に、思ふ人に言ひやる、
浪間より見ゆる小島の浜びさし 久しくなりぬ君にあひ見で
「何ごとも、みなよくなりにけり」となむ言ひやりける。
【現代語訳】
昔、ある男が、何というわけもなく陸奥の国までさまよって行った。そして、京に残してきた恋人のもとに詠んで送ったことには、
浪間から見える小島の海沿いの家々の庇、そういえばまことに久しくなってしまいました。あなたに逢わなくなってから。
「何事も、みなうまくいくようになりました」と、言い送ったのである。
(注)浜びさし・・・浜辺の高い砂が崩れ、ひさしのような形になったものとする解釈もある。
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昔、帝、住吉(すみよし)に行幸(みゆき)し給ひけり。
われ見ても久しくなりぬ住吉の 岸の姫松(ひめまつ)いくよ経ぬらむ
大御神(おほむかみ)、現形(げぎやう)し給ひて、
むつましと君はしら浪みづがきの 久しき世よりいはひそめてき
【現代語訳】
昔、帝が、住吉に行幸された。
私が見てからも久しくなったこの住吉の岸の松は、いったいどれほど時代を経ているのだろう。
住吉の神が姿をお現しになって詠まれた歌は、
私と親しいあなたはご存知ないかもしれないが、ずっと昔からあなたのことをお守りしてきたのです。
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昔、男、久しく音もせで、「忘るる心もなし、参り来(こ)む」と言へりければ、
玉かづらはふ木あまたになりぬれば 絶えぬ心のうれしげもなし
【現代語訳】
昔、ある男が、女のもとに久しく便りもしないで、「あなたは忘れてはいません。これから参上します」と言ったので、女は、
あなたは、あちこちの木に絡みついていらっしゃるのですから、私のことを忘れてはいないと言われても、それほど嬉しくはありません。
(注)玉かづら・・・「玉」は美称。「かづら」は蔓草の総称。
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昔、女の、あだなる男の形見とて置きたる物どもを見て、
かたみこそいまはあたなれこれなくは 忘るる時もあらましものを
【現代語訳】
昔、女が、浮気な男が形見として残しておいた多くの物を見て、
この形見こそ今は辛いものです。これさえ無ければあの人を忘れる時もあるでしょうに。
(注)形見・・・その人を思い出すよすがとなる品物。
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昔、男、女のまだ世経ずとおぼえたるが、人の御もとに忍びてもの聞えてのち、ほど経て、
近江なる筑摩(つくま)の祭とくせなむ つれなき人の鍋(なべ)の数(かず)見む
【現代語訳】
昔、ある男が、思いを寄せていた女がまだ男を知らないと思っていたが、その女がある高貴な男とひそかに語り合って関係を持ったことを、後になって聞いて、
近江の筑摩神社の祭りを早くしてほしい。つれなかった女が、何個の鍋を頭にかぶっているか見てみたいから。
(注)世経ず・・・ここでは男女関係の経験がない意。
(注)筑摩の祭・・・鍋祭ともいわれ、女は自分が情を交わした男の数だけの土鍋をかぶって参詣し、奉納するならわしがあった。
(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。
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