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君主に説くことの難しさ

(一) 
 およそ君主に説くことの難しさは、その内容を自分でわきまえるのが難しいのではない。また、自分の意向を正確に伝えるための弁舌が難しいのでもない。およそ説くことの難しさは、説得しようとする相手の気持ちを読み取り、自分の説をそれに合わせることができるかどうかにある。

 たとえば説得しようとする相手が高い名誉を求める心でいたとしよう。それなのに、利益を得る話をしたなら、相手はこちらのことを下品な人間で自分を俗物扱いしたと考え、きっと退けて遠ざけるであろう。反対に相手が大きな利益を求める心でいたとしよう。それなのに高い名誉を得る話をしたなら、相手はこちらのことを現実離れして考えの浅い人間だと考え、きっと採用しないであろう。

 それから、説得しようとする相手が、内心は大きな利益を求めながら、表向きは高い名誉を求めるふりをしているとしよう。それなのに、高い名誉を得る話をしたなら、相手はうわべはこちらを受け容れながら、実際は遠ざけるだろう。反対に大きな利益を得る話をしたなら、相手は陰でこっそり採用しながら、実際はこちらの身を退けるだろう。これはよくよく考えなければならないことだ。

(ニ)
 君主に向かって他の重臣のことをあれこれ批評すると、君主はこいつは自分との仲を割こうとしているなと考え、位の低い者のことをあれこれ批評すると、君主はこいつはお上(かみ)の権勢を下々に売りつけているなと考える。また君主の寵愛する者をあれこれ述べると、こいつは出世の足がかりを得ようとしているなと考え、君主の憎む者をあれこれ述べると、こいつは自分の心を探っているなと考える。

 その説き方が単刀直入にすぎると、知識が足りないとして退けられ、こまごまと丁寧に弁じたてると、冗漫だとして他人に替えられる。事例を省いて意見だけ述べると、こいつは臆病で十分にしゃべることができないのだと思われ、事例を取り入れて冗舌に述べ立てると、こいつは粗野で傲慢(ごうまん)だと言われる。こうしたことも君主を説く難しさであり、よくよく知っていなければならない。

(三)
 およそ君主を説くうえで心がけねばならないのは、相手が誇りにしているところを飾り立て、恥ずかしく思っていることを打ち消してやることだ。

 相手に私的な強い欲望があっても、それは公の正義に合致するとしてその実行を勧めるべきであり、相手が心の中で卑下しながらやめられないことがあっても、そのまま美点を誉め、それをやめたところで大したことではないと言う。相手が強く憧れながら、実際にはできないことがあれば、その欠点を指摘して駄目なことを明らかにし、それを行わないのを誉める。相手が自分の知能を自慢したいと思っていれば、そのために別の類似した事柄をとりあげて十分な下地を作ってやり、こちらの説を採らせながら、知らないうちに相手の知識を助ける。

 君主の言動を誉めるときは、君主と同じ言動をした別人を誉める。君主の事業を修正したいときは、君主と同じ計画の別の事業を修正する。君主と同じ欠点をもつ者がいたら、それが別に何の害にもならないと大いに飾り立てる。君主と同じ失敗をした者がいたら、何らの落ち度もないと飾り立てる。相手が自分の力を自慢しているときは、その困難なところを指摘して水を差したりしてはならない。自分の決断を勇敢だと誇っているときは、その過失を指摘して怒らせたりしてはならない。自分の計画を賢明だと思っているときは、その欠点を指摘して窮地に追い込んだりしてはならない。

 君主を説くうえでは、相手の意向に逆らうことなく、説く者の言葉づかいも相手の心に抵抗するところがなくなって、初めて知恵と弁舌を思い通りにふるまえるのだ。これこそが、君主と親しい関係となり疑われることもなく、言いたいことを存分に言うための方法だ。

(四)
 昔、鄭(てい)の武公は胡(こ)の国を伐(う)とうと思った。そこで、まず自分の娘を胡の君に嫁がせて、よしみを通じた。そうしてから臣下らに向かって、「私は兵を起こそうと思うが、どこの国を伐てばよいか」とたずねた。大夫の関基思(かんきし)が「胡を伐つのがよろしい」と答えると、武公は「胡は姻戚関係にある国だ。それを伐てとは何事か」と怒り、彼を誅殺した。胡の君はこの話を聞き、武公の好意を感じて安心した。その後、鄭は胡を攻撃して占領してしまった。

 宋の国に金持ちがいた。雨が降って家の土塀がくずれたとき、彼の子供が「早く塀を直さないと、きっと泥棒に入られるよ」と言った。その隣の家の老人もまた同じことを言った。夜になって、そのとおりに泥棒に入られ、多くの財貨が奪われた。その金持ちは、自分の子供をたいへんな知恵者だと誉め、隣の老人を怪しいと疑った。

 さきの関基思と、あとの隣の老人の二人が言ったことは、いずれも的中した。しかし、どちらも誅殺されるか疑われる羽目になった。これは、真実を知るのが難しいのではなく、知ったことにどう対応するかが難しいということだ。

(五)
 昔、弥子瑕(びしか)は衛(えい)の君の寵愛を受けていた。衛の国の法律では、許しを得ずに勝手に君の車に乗った者は、足斬りの刑に処されると定められていた。ところが、弥子瑕の母親が急病となり、知らせを受けた弥子瑕は、君命だと偽って君の車に乗って出ていった。君がその話を聞くと、「親孝行なやつだ。母の病気の看病をするために、足斬りの刑にあうのも忘れたのだ」と言って、何も咎めなかった。

 また別の日に、弥子瑕は君といっしょに果樹園で遊んだ。食べた桃があまりに美味しかったので、食べ残しの半分を君に差し上げた。君は大いに喜んで、「私をそこまで愛してくれているのか。美味いのを我慢してわざわざ食べさせてくれた」と言った。

 ところが、やがて君の寵愛が薄れると、弥子瑕は咎めを受けることになった。君は言った。「こいつは以前に君命だと偽って私の車に勝手に乗った。また、食べ残しの桃を私に食べさせたことがある」。弥子瑕の行動は、前には誉められたのに、後には咎めを受けるまでになった。なぜなら、君主の愛情が変わったからだ。

 だから、君主に愛されているときは、こちらの思いが君主の心にかなってますます親密となるが、君主に憎まれているときは、同じ言動であっても君主の意にかなわず、咎めを受けてしまう。したがって、君主に説く場合は、主君から愛されているかそうでないかを見極めたうえで説を進める必要がある。

 そもそも竜という動物は、それを飼いならして始めて乗ることもできる。しかし、その喉の下に直径一尺ほどの逆さの鱗(うろこ)があって、それに触れると死んでしまう。君主にもやはりこの逆さの鱗がある。君主に説く者は、その逆鱗(げきりん)に触れてはならない。

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君主の守りごと

(一)
 君主には三つの守りごとがある。その三つが完全に守られていれば、国は安泰で身も栄えるが、それらが不完全ならば、国は危険にさらされ自分の身も危うくなる。三つの守りごととは何か。

 まず第一に、臣下から聴いた意見を他人に漏らさぬこと。たとえば臣下の中に、同僚の失敗や陰口を君主に具申する者があったとしよう。君主がそれを胸にしまっておかずに側近や実力者に漏らしてしまうと、それからは、臣下たちは必ず側近や実力者の気に入るように配慮したうえで、はじめて君主に物申すようになる。そうなると、正直に具申しようとする者は君主に目通りがかなわず、遠ざかってしまう。

 第二に、臣下の利害は君主自身が握るということ。たとえば、臣下の誰かを気に入っても自分の決定でその臣下に利益を施さず、人々が誉めてはじめて利益を与え、反対に誰かを憎んでも自分の決定で害を与えず、人々が非難してはじめて害を加える。そうすると、君主の威厳が損なわれ、側近たちに権勢が移ってしまう。

 第三に、生殺与奪の権を守ること。君主が自分で政務に携わるのをいやがり、臣下たちが我も我もと集まって政務をあやつり、そのために賞罰の権利や君主の威厳が下に移って、ついには生殺与奪のかなめが大臣に握られてしまう。こうなると、君主は大臣に侵害されてしまう。

(ニ)
 君主が脅かされる場合として三つの型がある。まず第一に、大臣の位についた臣下が国政の要を握り群臣にまで利益を施し、内外の仕事がすべて自分を通してでないと行えなくしてしまう。たとえ、すぐれた臣下がいても、この大臣に逆らうと必ず災難にあい、従順であれば必ず幸せになれるということになって、群臣は主君に忠をつくさず、また国家を憂える論争などはしなくなる。まさに「国に臣なし」の状況となる。

 第二に、君主の寵愛を笠に着て権勢をほしいままにし、外国の事情を偽って国内をおさえつけ、利害の情況を捏造して具申し、君主の気持ちにおもねるという臣下があらわれる。君主はそれを受け容れ、自分をおさえてその大臣を助けるが、事業が失敗すると責任の半分は君主におしつけられ、事業が成功すると大臣がその利益を独占する。みんなが口を合わせてその大臣を称賛するから、誰かが中心になって悪事を言い立ててみても信用されない。

 第三には、禁制や刑罰のことまで、すべて臣下が思いのまま掌握している。これら三つの脅かしは、さきの三つの守りごとが完全であれば起きない。三つの脅かしがなくなれば、その君主はきっと王者となるだろう。

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忠臣のことば

 斉(せい)の桓公(かんこう)は多くの諸侯を統一し、五覇の筆頭となったが、それを陰で支えたのが宰相の管仲(かんちゅう)だった。その管仲が年をとって政務を行えなくなり、自宅に引き下がってしまった。困った桓公は管仲のもとに出向いていって質問した。「お前がもう出仕できないとなれば、お前に代えて誰に政務を執らせたらよいのか」。管仲は答えた。「臣下のことを知るのは主君が第一、子のことを知るのは父親が第一といいます。どうか殿さま、ご自分で判断なさってみてください。殿さまは誰をとお思いですか」。

 桓公は「鮑叔牙(ほうしゅくが)はどうだろう」と言った。管仲は答えた。「それはいけません。鮑叔牙の性格は強情でひねくれているうえに荒っぽいことを好みます。強情だと人民に乱暴をはたらき、ひねくれていると人民の信頼を得られず、荒っぽいと下々の者が仕事をしなくなります。彼は恐れ慎むことを知りません。殿さまの補佐はできますまい」。

「それでは豎チョウ(じゅちょう)はどうだろう」と桓公は言った。管仲は答えた。「いけません。およそ人として自分の体を愛さない者はありませんが、殿さまが女性を好まれるものだから、彼は自ら去勢して殿さまの後宮をとりしきっています。自分の体さえ大切にしない者が、どうして主君を大切にできましょうや」。桓公は言った。「それでは衛(えい)の公子の開方(かいほう)はどうだろう」。管仲は答えた。「いけません。斉と衛の国との距離はわずか十日間の行程ですのに、彼は殿さまにお仕えし殿さまのお気に入りになりたいために、もう十五年も父母のもとに帰っていません。これはふつうの人情に背いています。自分の父母をもないがしろにする者が、どうして主君に親愛の心を持てましょうや」。

 桓公は言った。「それでは易牙(えきが)はどうであろう」。管仲は答えた。「いけません。彼はそもそも殿さまの料理人でしたが、殿さまが召し上がったことのないのは人の肉だけだというので、わが子の頭を蒸し料理にしてお進めしました。これは殿さまもご存知のとおりです。およそ人としてわが子を愛さない者はありません。しかし彼は、わが子を蒸し料理にして主君の膳に出したのです。わが子さえ愛せない者が、どうして主君を愛せましょうや」。

 桓公は言った。「それではいったい誰がよいのか」。管仲は答えた。「隰朋(しっぽう)がよいでしょう。彼は、内心堅固で外は折り目正しく、欲は少なく信義に厚い人柄です。内心堅固であれば人々の模範となることができますし、外に折り目正しければ大きな仕事を任せられます。また欲が少なければ民衆は従いますし、信義に厚ければ隣国と親しむことができます。彼こそ殿さまの補佐として適任です」。桓公は「よし、わかった」と答えた。

 それから一年あまりたって管仲が死んだが、桓公は隰朋ではなく豎チョウを信任した。豎チョウが政務を担当して三年たったとき、桓公は斉の南方に旅した。その隙に、豎チョウは易牙、開方と大臣たちを率いて反乱を起こした。桓公は寝殿の一室に閉じ込められ、飢えと渇きで死んでしまった。その死体は三ヶ月間も放置され、蛆虫(うじむし)が戸口から這い出した。

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危険な妻?

(一)
 君主としての災いは、人を信用しすぎることから起こる。人を信用しすぎると、その人物に制約されるようになる。臣下はその主君に対して肉親の愛情を持っているわけではなく、権勢にしばられてやむを得ず仕えているのだ。だから、臣下のほうは主君の心をさぐろうとして気が休まる暇もないが、君主のほうは何も気にせず臣下の頭の上で威張っているだけだ。それこそ、世間で君主を脅かしたり殺したりする事件が起こる理由だ。

 また、君主が自分の子をあまり信用していると、その子を利用して悪事をはたらく臣下があらわれる。たとえば、李兌(りだ)は趙(ちょう)王の守り役となってから、王の父である前王の武霊王を飢え死させた。また、君主があまり妻を信用していると、その妻を利用して悪事をはたらく臣下があらわれる。晋(しん)の優施(ゆうし)は麗姫(りき)の付き人になってから、太子の申生(しんせい)を殺して麗姫の子を太子に立てた。そもそも、いちばん身近で親しいはずの妻や子供でさえ信用できないとなれば、そのほかに信用できるものはない。

(ニ)
 大諸侯の后妃(きさき)や中諸侯の夫人たちで、その嫡子(ちゃくし)が太子となっている場合、往々にしてその主君が早く死ぬようにと望むものだ。それはなぜか? いったい、妻というものは肉親の恩愛でつながっているわけではない。夫に愛されている間はよいが、愛情がなくなると疎んぜられる。諺にも、「その母が愛されていると、その子も抱かれる」と言われる。それは裏返せば、「その母が憎まれたときは、その子も捨てられる」ということにもなるだろう。

 男は五十歳になっても色好みは衰えないが、女性は三十歳になると美貌は衰える。美貌の衰えた身で色好みの夫に仕えるのは、いつ自分が疎んぜられるのではないかと不安になり、わが子は世継ぎになれないのではないかと疑うようになる。これこそが、后妃や夫人がその主君の死を強く望む理由だ。母が太后となり、子が君主となりさえすれば、命令はすべて行われ、楽しみごとも自由になる。

『桃左(とうさ)春秋』には、「君主が病気で死ぬ場合は、半分にも満たない」と書かれている。君主がそれに気づかないで安穏としていると、それが乱れのもとになることが多い。君主の死を利益と考える者が多くなると、君主はきわめて危険になる。

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小さいうちに

 すべて形のあるものでは、大きいものは必ず小さいものから始まる。多いものは必ず少ないものから始まる。老子は、「天下の難事も必ずやさしい事から始まり、天下の大事も必ず小さい事から始まる」と言っている。それゆえ、物事を制圧しようとする者は、そのことが小さいうちにすべきだ。老子も、「難しいことは、それがやさしいうちによく考え、大きなことは、それが小さいうちにうまく処理する」と言っている。

 長さ千丈の堤防でさえ、蟻(あり)の小さな穴から決壊し、どんな大邸宅も煙突の火の粉から焼失してしまう。だから、治水の功労者・白圭(はくけい)が堤を見てまわるときは、その小さな穴をふさぎ、経験豊かな老人が火元を確かめるときは、煙突の割れ目を修理する。それゆえ、白圭が見たあとの堤には洪水の心配がなく、老人が点検したあとの家では火事の心配がない。これらはいずれも、やさしいことを慎重に行って大きな災いを招くのを回避し、小さいことを慎重に扱って重大な事態をひき起こさないというものである。

 名医の扁鵲(へんじゃく)が、蔡(さい)の桓候(かんこう)に拝謁した。扁鵲は立ったままでしばらくすると、こう言った。「わが君には肌理(はだすじ)に病気があります。早く治療なさいませんと根が深くなりましょう」。桓候は「私には病気はない」と言って取り合わなかった。そして、扁鵲が退出すると、桓候は「医者というものは病気でもない者を治療して手柄顔をするものだ」と言った。

 それから十日たって、扁鵲がまた拝謁すると、「わが君の病気は皮膚に達しました。早く治療をなさいませんと根はいっそう深くなりましょう」と言った。桓候は返事をしなかった。扁鵲が退出すると、えらく不機嫌だった。それからまた十日たって、扁鵲がまた拝謁すると、「わが君の病気は胃腸にまで達しています。治療なさいませんと、根はますます深くなりましょう」と言った。桓候はまた返事をしなかった。扁鵲が退出すると、また不機嫌になった。

 再び十日たつと、扁鵲は桓候の姿を遠くから見ただけで、向きを変えて逃げてしまった。桓候が人をやって尋ねさせると、扁鵲はこう言った。「病根が肌理にあるうちは、お湯の湿布で治せます。皮膚になると鍼(はり)で治せます。胃腸の場合は煎(せん)じ薬で治せます。しかし、骨髄にまで達すると、もはや手の打ちようがありません。わが君の病根は、すでに骨髄に達しています。ですから、私は何も申し上げませんでした」。それから五日後、桓候の体が痛み出した。人をやって扁鵲を呼ぼうとしたが、彼はすでに外国に逃亡していた。桓候はこうして死んだ。

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蚤か虱に見える!

 子圉(しぎょ)が、孔子を宋の宰相にひき合わせた。面談が終わって孔子が退出すると、子圉が入ってきて、今の客人はいかがでしたかと宰相に尋ねた。宰相は言った。「孔子に会った後すぐにお前を見ると、お前はまるでちっぽけな蚤(のみ)か虱(しらみ)のように見える。私はさっそくわが君に孔子をひき合わせようと思う」。
 子圉は、孔子が主君に重用されては困ると不安になった。そこで宰相にむかってこう言った。「わが君が孔子にお会いになられたら、やはりあなた様が蚤か虱のように見られるでしょう」。それを聞いた宰相は、もう孔子を主君に会わせようとはしなかった。

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大器は晩成、大音は希声

 楚(そ)の荘王が位について三年が経過したが、荘王は法令を発することもせず、政務を執ることもしなかった。右司馬(ゆうしば)の大臣が見かねて、荘王に対し謎をかけてこう言った。「南方の丘に鳥がとまっています。その鳥は三年もの間、羽ばたきもせず、飛ぶことも鳴くこともしないで、ただ黙って静かにしています。これはいったいどのような鳥でしょうか」。

 荘王は答えた。「三年も羽ばたきをしないのは、そうすることで翼をより大きく伸ばそうとしているのだ。飛ぶことも鳴くこともしないのは、そうすることで人々の生き方を観察しようとしているのだ。今は飛ばないが、飛ぶときが来ればきっと天まで昇るだろうし、今は鳴かなくても、鳴くときが来ればきっと人々を驚かすだろう。お前、もうそれ以上言うな。私はちゃんと分かっているから」。

 それから半年後、荘王はいよいよ自分で政務を執りはじめた。廃止した事業が十件、新しく始めた事業が九件で、誅罰した大臣が五人、新たに抜擢した在野の士が六人、こうして国はよく治まった。それから挙兵して斉を討ち、晋をも討ち破って諸侯を宋に集合させ、ついに天下の覇者となった。荘王は小善にはお構いなしだった。だからこそ大きな名声をあげられた。早まって能力をひけらかすことをしなかった。だからこそ大きな成果をあげられた。そこで、老子は「大器は晩成、大音は希声(大きな器量はなかなかできあがらない、大きな声はなかなか聞き取れない)」と言っているのだ。

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愚かなる人

(一)
 魯丹(ろたん)は、三度も中山国の君に意見を述べたが、まったく聞き入られなかった。そこで側近に大金をばらまいて取り入った。そうしてお目通りがかなうと、今度はまだ何も話をしていないのに、君から食事の饗応を受けた。魯丹は退出すると、宿舎へも戻らず、そのまま中山国を去ることにした。その馭者(ぎょしゃ)が不思議に思い、「これまで繰り返し会われて、ようやくこちらを優遇してくれるようになったのに、どうして立ち去ってしまわれるのですか」と尋ねると、魯丹は答えた。「そもそも人の言葉によって私に善くしてくれたとすれば、きっとまた人の言葉で私を罪に落とすだろう」。

 はたして、その言葉どおり、魯丹がまだ国境を出ないうちに、中山の公子が「あの男は趙(ちょう)の国から来たスパイです」と讒言(ざんげん)した。中山の君はその言葉を真に受けて、魯丹を捕え、罪に落とした。

(ニ)
 衛(えい)の人が自分の娘を嫁にやるとき、娘に教えてこう言った。「必ずこっそりと金を貯めこむのだぞ。人の嫁になっても、追い出されるのがふつうだ。終わりまで添い遂げられることはめったにない」。そこで、娘はこっそりと金を貯めこんだので、姑(しゅうとめ)は隠し事の多い嫁だと思い、とうとう追い出してしまった。その娘が持ち帰ったものは、嫁いだときに持っていったものの二倍もあった。その父は、自分が娘に教えたことが間違っていたと反省するどころか、財産が増えたのは自分の知恵だと誇る始末だった。

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海大魚

 斉の靖郭君(せいかくくん)は自分の領地の薛(せつ)に新しい城を築こうとした。しかし、それを諌める客が多くて後を絶たなかったので、靖郭君は取次ぎ役にたいし、「今後、いっさいの客を取り次いではならぬ」と言いわたした。ところが、斉の人でお目通りを願い出た者があって、「私は三言(みこと)だけを申し上げたい。三言を超えるようなら殺されてもかまわない」と言った。

 靖郭君はそれならというので会うことにしたが、その客は小走りに進み出ると、「海大魚」と言って、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。靖郭君が「いったい何のことだ」と言うと、客は言った。「私は死を覚悟でざれごとを申し上げる気はありません」。靖郭君が「どうか私のために話してくれ」と頼むと、客は答えて言った。

 「わが君は海中の大魚をご存知でしょう。網をかけても捕まえられず、縄をかけてもからめ取ることはできませんが、跳ね上がって陸に飛び出てしまうと、螻蛄(おけら)や蟻(あり)のようなものにさえ思いのままにされてしまいます。さて、そもそも斉の国はわが君にとっての海です。わが君が斉の実権を握っておられる限り、薛のことなど問題になりません。わが君が斉から離れることになれば、薛の城をどれほど立派に築きあげたところで、何の役にも立ちません」。靖郭君は「なるほど」と言って、城を築く計画をとりやめた。

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飾り気のない言葉

 楚(そ)王が田鳩(でんきゅう)に尋ねた。「墨子(ぼくし)はとても有名な学者だ。その振る舞いは立派だが、彼の言論は素っ気なく、全く飾り気がないのはどうしてだろう」。田鳩は答えた。

「むかし秦の君が娘を晋の公子に嫁がせたとき、嫁入りの衣装は晋で準備してもらうことにして、美しく着飾ったお付きの妾(しょう)を七十人もお伴にして行かせました。すると、晋の公子はその妾たちを愛して、公女をないがしろにしてしまいました。これでは、うまく妾を輿入れさせたとは言えても、うまく娘を嫁入りさせたとは言えないでしょう。また、楚の人で鄭(てい)の国へ行って真珠を売ろうとしたものがありました。珠玉や宝石を飾りつけた立派な箱に入れて売ったところ、鄭の人はその箱だけ買って、真珠は返してきました。これでは、うまく箱を売ったとは言えても、うまく真珠を売ったとは言えないでしょう。このごろの弁論では、みな流暢に言葉を飾り立てます。それを聞いた君主は言葉の美しさにひかれて、本当に有用かどうかを忘れてしまいます。墨子の説はむかしの王者の道を伝え、聖人の言葉を論じて、人々にあまねく伝えようとするものです。もしその言葉を飾り立ててしまうと、人々はうわべの飾りに心を奪われてその実質を忘れるでしょう。修飾によって実質が損なわれてしまうのです。これでは、秦の君が娘を嫁がせようとしたときや楚の人が真珠を売ろうとしたときの失敗と同じです。そういうわけで、墨子の言論は素っ気なく飾り気がないのです」。

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曾子の教育方針

 曾子(そうし)の妻が市場に出かけようとしたら、その子があとを追いかけて泣きついた。母親は子に言った。「おうちへお帰り。帰ってきたら、お前のために豚を殺してご馳走してあげるから」。そうして市場へ行って帰ってきたところ、曾子が豚をつかまえて殺そうとした。妻はあわてて、「子供相手のほんの冗談ですよ」と言って止めようとしたが、曾子はこう言った。「子供には冗談は通じない。子供は何も分からずに親に学んでいくもので、親の教えのままなのだ。今お前がそれをだましたら、それは子供にだますことを教えたことになる。母親が子供をだまし、子供は母親を信じられないということになれば、とても教育などできるものではない」。そして、そのまま豚を殺して煮た。

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亡国の理由

 魏(ぎ)の恵王(けいおう)が卜皮(ぼくひ)に尋ねた。「そなたは私の評判を聞いておろうが、どのようなものか?」。卜皮は答えて、「私は、王さまの慈悲深く恵み深いことを聞いております」と言った。王は大いに喜び、「それなら、その効果はどういうことになろうか?」と尋ねた。答えて「王さまのご成果のゆきつくところは亡国でありましょう」。王は驚いて尋ねた。「慈悲深く恵み深いのは立派な行為ではないか。それが亡国にゆきつくとはどういうことだ」。卜皮は答えた。「そもそも、慈悲深い人は同情心に厚く、恵み深い人は施しを好むものです。しかし、同情心に厚いと、過失がある者を罰せず、施しを好むと、功績がない者にも賞をあたえます。過失があっても罰せられず、功績がなくても賞を受けられるとなれば、やがて国が滅びるのは当然でありましょう」。

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P R

老子の言葉

道の道とすべきは常の道にあらず
〜理想的な生き方は、常識の中にはない。
 

上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず
〜まことの善とは、たとえば水のはたらきのようなものである。水は万物に利益を与えながら、決して、他と争わない。
 

与うるは善く仁、言は善く信。
〜人に与えるときは仁愛の心をもってし、報いを求めてはならない。言ったことは必ず実行し、信(まこと)を尽くさなくてはならない。
 

埴を捏ね、もって器を為る、その無に当たりて器の用あり。
〜粘土をこねて器を作る。それぞれの器の内部の、空っぽの「無」の部分があるから役に立つのである。
 

根に帰るを静という。
〜自然の生命に帰ろう、そこにはとても静かで屈託のない世界がある。
 

学を絶てば憂なし。
〜知識を捨てれば、悩みはなくなる。知識は、時に、人を貶めさえする。
 

少なければ、即ち得る。
〜欲望の少ない人は、かえって、ものを得る喜びを持つ。
 

多ければ、即ち惑う。
〜あまり欲張って多くのものを持ちすぎると、かえって心配が増える。
 

自ら矜(ほこ)らず、故に長たり。
〜高い地位を得たり、すばらしい功績をあげても、決して威張らないで、謙虚であればこそ、尊敬されるリーダーになれる。
 

常を知れば容。
〜常とはみな同じということ。ならば、誰でも受け容れよう。
 

跂(つまだ)つ者は立たず
〜高くなろうと爪先で立っている人は、長く立ってはいられない。
 

足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず。
〜人の欲望には限りがない。何事も足ることを知れば恥をかくことはなくなる。また、止まることを知れば周囲の反感を買うこともなくなる。
 

人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。
〜他人に勝つ者は確かに力がある。だが、自分に勝つ者こそ、本当に強いと言える。
 

重は軽の根たり。
〜重いものは、根となり軽いものを守り支えている。
 

もの壮(さかん)なれば、即ち老ゆ。
〜あまりに盛んになると、すぐさま衰える。
 

足ることを知る者は富めり。強(つと)めて行う者は志有り。
〜満足することを知るのが富んでいることであり、自分を励まして行動するものがその志すところを得る。
 
知る者は言わず、言う者は知らず。
〜知恵のある者は言葉が少なく、言葉の多いものは知恵が少ない。
 

善く人を用うる者はこれが下(した)となる。
〜人使いの巧い者は、相手の下手にでる。
 

善く士たる者は武ならず。
〜立派な武士は強がらない、猛々しい態度をとらない。
 

禍は福の倚るところ、福は禍の伏すところ。
〜不幸だと思っているところに幸福が寄り添ってくる。幸福だと思っているところに不幸がひそんでいる。
 

善く戦う者は怒らず。
〜戦上手は敵の誘いに乗らない。敵の挑発に乗って怒るようなことはない。
 

その身を後にして身先んず。
〜自分を後回しにして他人に譲る。そうすると、その謙虚さゆえに周囲から推されて、結局先に立つことになる。

P R

人生、ファイト!