枕草子
(一)
宮に初めて参りたるころ、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳(みきちやう)の後ろにさぶらふに、絵など取りいでて見せさせ給ふを、手にてもえさしいづまじうわりなし。「これは、とあり、かかり。それが、かれが」などのたまはす。高坏(たかつき)に参らせたる大殿油(おほとなぶら)なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証(けそう)に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いと冷たきころなれば、さし出でさせたまへる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅(うすこうばい)なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人ごこちには、かかる人こそは世におはしましけれど、驚かるるまでぞ、まもり参らする。
暁(あかつき)には疾(と)く下りなむと急がるる。「葛城(かつらぎ)の神も、しばし」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ臥したれば、御格子(みかうし)も参らず。女官(にようくわん)ども参りて、「これ、放たせたまへ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。
物など問はせたまひ、のたまはするに、久しうなりぬれば、「下(お)りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは疾く」と仰せらる。ゐざり帰るや遅きと上げ散らしたるに、雪降りにけり。登花殿(とうくわでん)の御前は立蔀(たてじとみ)近くて狭(せば)し。雪いとをかし。
【現代語訳】
中宮様の御所に初めてご奉公に参上した頃は、何かにつけて恥ずかしいことが数知れずあり、涙が落ちてしまいそうなので、昼には参上せず、いつも夜に参上して、三尺の御几帳の後ろに控えていると、中宮様は絵などを取り出して見せて下さるが、私はろくに手を差し出せないほど、どうしようもない気持ちでいた。「この絵は、ああです、こうです、それが、あれが」などと中宮様はおっしゃる。高坏を逆さにした上にお灯しした御燈火が明るく、髪の毛の筋などもかえって昼よりはっきり見えて恥ずかしいけれど、じっとこらえて見などする。ひどく冷える時期なので、差し出された中宮様のお手が袖口からわずかに見えるのが、とても艶やかで薄紅梅色で、この上なくすばらしいと、そして華やかな宮中を知らない里人である私の心には、このような素晴らしいお方もこの世にはいらっしゃるのだと目が覚める気持ちがして、じっとお見つめ申し上げる。
明け方になると早く退出しようと自然に気が急いてくる。中宮様は、「葛城の神のように夜にしか姿を見せないそなたでも、もうしばらくはいいでしょう」などとおっしゃるが、何とかして斜めからでも顔を御覧に入れずすませたいと思い、そのまま伏せているため、まだ御格子もお上げしていない。女官たちが参上して、外から「御格子をお上げくださいませ」と言うのを聞き、女房が内から上げようとすると、中宮様が「いけません」とおっしゃり、女房は笑いながら帰っていった。
中宮様は何かと私にお尋ねになり、お話なさったりするうちに、だいぶ時間がたったので、「もう退出したいでしょう。それでは早くお下がり。でも、夜は早くいらっしゃい」とおっしゃる。中宮様の御前を座ったまま下がるとすぐに格子戸が上げられ、見ると、外には雪が降っていた。この登花殿の前のお庭には立蔀が近くにめぐらしてあるので狭い。しかし、その雪景色はとても趣がある。
(注)高坏・・・食器を載せる台。それを逆さにして燈火の皿を置いた。
(注)登花殿・・・後宮の建物の一つで、当時は中宮定子がおられた。
(注)立蔀・・・格子の裏側に板を張って目隠しにしたもの。
(二)
昼つ方(かた)、「今日(けふ)は、なほ参れ。雪に曇りて、あらはにもあるまじ」など、たびたび召せば、この局(つぼね)の主(あるじ)も、「見苦し。さのみやは籠(こも)りたらむとする。あへなきまで御前(おまへ)許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふに違(たが)ふは、憎きものぞ」と、ただ急がしに出だし立つれば、あれにもあらぬここちすれど、参るぞ、いと苦しき。火焼屋(ひたきや)の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。
御前近くは、例の炭櫃(すびつ)に火こちたくおこして、それには、わざと人も居ず。上臈(じやうらふ)、御まかなひにさぶらひたまひけるままに、近う居たまへり。沈(ぢん)の御火桶の梨絵(なしゑ)したるにおはします。次の間に、長炭櫃に隙(ひま)なく居たる人々、唐衣(からぎぬ)脱ぎたれたるほどなど、慣れ安らかなるを見るも、いとうらやまし。御文取次ぎ、立ち居、行き違ふさまなどの、つつましげならず、物言ひ、ゑ笑ふ。いつの世にかさやうに交らひならむと思ふさへぞ、つつましき。奥(あう)寄りて、三四人(みたりよたり)さしつどひて、絵など見るもあめり。
【現代語訳】
お昼頃、中宮様から「今日はやはり昼も参上しなさい。雪で曇っているから、そう丸見えでもないでしょう」などと、度々お呼び出しがあるので、ここの局の古参格の女房も、「見苦しいですよ。どうしてそのように引き籠ってばかりいようとするのですか。あれほど容易に中宮様が御前への伺候を許されたのは、そう思われるわけがおありなのでしょう。ご好意にそむくのはよくありませんよ」と言って、しきりに出仕させようとするので、自分を失ってしまう心地がするが、参上するのが辛い。火焼屋の屋根の上に雪が積もっているのも珍しくて面白い。
中宮様の御前近くには、いつものようにいろりに火をたくさん起こして、そこにはとくに誰も座っていない。上席の女房たちが中宮様のお世話のため伺候なさっているので、お側近くに座っておられる。中宮様は沈のお火鉢で梨地の蒔絵(まきえ)が描かれているのに向かっていらっしゃる。次の間には長いいろりのそばに隙間なく並んで座っている女房たちが、唐衣をゆったりたらして着ている様子などが、いかにも慣れた感じで気楽そうに見えて、とてもうらやましく思う。お手紙を取り次いだり、立ったり座ったり、行き交うさまが遠慮ない様子で、平気で物を言い、笑い合ったりする。いつになったら、自分もあのように仲間入りができるのだろうかと、それを思うだけでも気が引ける。奥の方に下がって、三、四人集まって絵などを見ている女房もいるようだ。
(三)
しばしありて、前駆(さき)高う追ふ声すれば、「殿(との)参らせたまふなり」とて、散りたるもの取りやりなどするに、いかで下りなむと思へど、さらにえふとも身じろかねば、今少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめり、御几帳(みきちやう)のほころびよりはつかに見入れたり。
大納言殿の参りたまへるなりけり。御直衣(なほし)、指貫(さしぬき)の紫の色、雪に映えていみじうをかし。柱もとに居たまひて、「昨日(きのふ)今日(けふ)、物忌みにはべりつれど、雪のいたく降りはべりつれば、おぼつかなさになむ」と申したまふ。「道もなしと思ひつるに、いかで」とぞ御答(いら)へある。うち笑ひたまひて、「あはれともや御覧ずるとて」などのたまふ、御有様ども、これより何事かはまさらむ。物語にいみじう口に任せて言ひたるに違(たが)はざめりと覚ゆ。
宮は、白き御衣(ぞ)どもに紅(くれなゐ)の唐綾(からあや)をぞ上に奉りたる。御髪(みぐし)のかからせたまへるなど、絵に描(か)きたるをこそ、かかることは見しに、うつつにはまだ知らぬを、夢のここちぞする。女房と物言ひ、戯(たはぶ)れ言などしたまふ。御答へを、いささか恥づかしとも思ひたらず、聞こえ返し、そら言などのたまふは、あらがひ論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう、面(おもて)ぞ赤むや。御くだ物参りなど、取りはやして、御前にも参らせたまふ。
【現代語訳】
しばらくして、高らかに先払いをかける声がして、女房たちが、「関白殿(藤原道隆)が参上されたようです」と言い、散らかっている物を片づけ始めたので、私は何とかして退出しようと思ったが、全く素早く動けず、少し奥に引っ込んだものの、やはり見たかったのだろう、御几帳の縫い目の隙間から、わずかに覗き見た。
しかし、それは関白殿ではなく大納言殿(藤原伊周)だった。着ていらっしゃる御直衣や指貫の紫の色が、白い雪に映えてとても美しい。大納言殿は柱の側にお座りになって、「昨日から今日にかけては、物忌みで外出もしないでいましたが、雪がひどく降り、こちらが気がかりで参上いたしました」と申された。中宮様は、「古歌に『雪降り積みて道もなし』と詠まれているとおり、道もございませんでしたでしょうに、どうしてまあ」とご挨拶なさる。大納言殿は微笑まれて、「その古歌の通り、こんなときに参上した私を、殊勝な者と思って下さるかと存じまして」などとおっしゃる。こうしたお二人の御様子は、これにまさるものはないほどだ。物語で、作者が口をきわめて褒めて言うのと違わないと思う。
中宮様は、白いお召し物を重ねて着られ、その上に紅の唐綾をお召しになっている。それにお髪(ぐし)がかかっておられる様は、絵でこそ見はしたものの現実には見たこともなかったので、夢のような心地がする。大納言殿は女房に話しかけ、冗談などを口にされる。女房たちは少しも気遅れした様子もなくお返事し、大納言殿が嘘などをおっしゃると、それに逆らって抗弁など申し上げる様は、私の目にはまぶしく、あまりのことにやたらに赤面してしまうほどだ。大納言殿はお菓子を召し上がり、座を取り持つように、中宮様にも差し上げられる。
(四)
「御帳(みちやう)の後ろなるはたれぞ」と問ひたまふなるべし。さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近う居たまひて、物などのたまふ。まだ参らざりしより聞き置きたまひけることなど、「まことにや、さありし」などのたまふに、御几帳隔てて、よそに見やり奉りつるだに恥づかしかりつるに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたるここち、うつつとも覚えず。行幸(ぎやうがう)など見るをり、車の方(かた)にいささかも見おこせたまへば、下簾(したすだれ)引きふたぎて、透き影もやと、扇をさし隠すに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ち出でしにかと、汗あえていみじきには、何事をかは答(いら)へも聞こえむ。
かしこき陰とささげたる扇をさへ取りたまへるに、振り掛くべき髪の覚えさへあやしからむと思ふに、すべてさるけしきもこそは見ゆらめ。疾く立ちたまはなむと思へど、扇を手まさぐりにして、絵のこと、「誰(た)が描(か)かせたるぞ」などのたまひて、とみにも賜はねば、そでを押し当ててうつぶしゐたり、裳(も)・唐衣に白いもの移りて、まだらならむかし。
久しく居たまへるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させたまへるにや、「これ見たまへ。これは誰(た)が手ぞ」と聞こえさせたまふを、「賜はりて見はべらむ」と申したまふを、なほ、「ここへ」とのたまはす。「人をとらへて立てはべらぬなり」とのたまふも、いと今めかしく、身のほどに合はず、かたはらいたし。人の草仮名(さうがな)書きたる草子(さうし)など、取り出でて御覧ず。「誰(たれ)がにかあらむ。かれに見せさせたまへ。それぞ、世にある人の手は皆知りてはべらむ」など、ただ答(いら)へさせむと、あやしきことどもをのたまふ。
【現代語訳】
「御几帳の後ろにいるのは誰か」と大納言殿がお尋ねになっているご様子だ。そして興味を示されたのだろう、立ち上がってこちらに来られるのを、その時もまだ他へ行かれるのだと思っていると、何と私のすぐ目の前にお座りになり、話しかけてこられる。私がまだ宮仕えに上がる前から聞き及んでいらっしゃった噂などを、「本当に、そうだったのか」などとおっしゃるので、私は御几帳を隔てて遠くから拝見していたのでさえ恥ずかしかったのに、こうして驚くほど間近に対座している心地は、現実と思われない。行幸などを見物する折は、私の車に少しでも目を向けられると、あわてて下簾を閉ざし、それでもこちらの人影が透けて見えやしないかと扇で顔を隠すほどなのに、いくら自分から思い立った宮仕えとはいえ、身分不相応で厚かましく、どうして来てしまったのかと冷や汗が流れて苦しい、そんな自分がいったい何をお答えできようか。
頼みの陰と捧げ持った扇までも取り上げられ、あとは髪を額にたらしかけて顔を隠すしかないが、その髪の感じまでもがさぞお見苦しいことと思い、そう恥じている様子までも見られているだろう。早くお立ち去りになってほしいと思うのに、大納言殿は、私の扇を手でもて遊びながら、その扇の絵について、「誰が描かれたのか」などとおっしゃり、すぐにも返して下さらないので、私は袖を顔に当ててうつむいていたが、裳や唐衣におしろいがついて、さぞ顔もまだらになっただろう。
大納言殿が長く私のそばにいらっしゃるのを、大納言殿の無遠慮さに私が困っているだろうと中宮様がお察し下さったのか、「これを御覧下さい。どなたの筆跡でしょうか」と申されたのを、大納言殿は、「こちらに頂いて拝見しましょう」と申されたのを、中宮様はさらに「こちらへ」とおっしゃる。すると大納言殿は、「この人が私をつかまえて立たせないのです」とおっしゃるのも、ひどく色めいたおっしゃりようで、私の身の程からは突拍子もないことで、きまりの悪さといったらない。中宮様は、誰かが草仮名で書いた冊子などを取り出して御覧になる。すると大納言殿は、「誰の筆跡でしょうか。彼女にお見せなさいませ。彼女なら世にある人の筆跡はすべて見知っておりましょう」などと、とにかく私に返答させようと、とんでもないことをおっしゃる。
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病(やまひ)は、胸。物の怪。脚(あし)の気(け)。はては、ただそこはかとなくて、物食はれぬ心地。
十八、九ばかりの人の、髪いとうるはしくて、たけばかりに、裾(すそ)いとふさやかなる、いとよう肥えて、いみじう色白う、顔(かほ)愛敬(あいぎやう)づき、よしと見ゆるが、歯をいみじう病みて、額髪(ひたひがみ)もしとどに泣き濡らし、乱れかかるも知らず、面(おもて)もいと赤くて、押さへてゐたるこそ、いとをかしけれ。
八月ばかりに、白き単(ひとへ)なよらかなるに、袴(はかま)よきほどにて、紫苑(しをん)の衣(きぬ)のいとあでやかなるを引きかけて、胸をいみじう病めば、友だちの女房など、数々来つつとぶらひ、外(と)の方(かた)にも若やかなる君達(きむだち)あまた来て、「いといとほしきわざかな。例も、かうや悩み給ふ」など、事なしびに言ふもあり。心かけたる人は、まことにいとほしと思ひ嘆き、人知れぬなかなどは、まして人目思ひて、寄るにも近くもえよらず、思ひ嘆きたるこそ、をかしけれ。いとうるはしう長き髪を引き結(ゆ)ひて、物つくとて起きあがりたるけしきも、らうたげなり。
上(うへ)にもきこしめして、御読経(みどきやう)の僧の声よき賜はせたれば、几帳引き寄せて据ゑたり。ほどもなき狭(せば)さなれば、とぶらひ人あまた来て、経聞きなどするも隠れなきに、目をくばりて読みゐたるこそ、罪や得(う)らむとおぼゆれ。
【現代語訳】
病気は、胸の病。物の怪に取り憑かれたの。脚気(かっけ)。さらには、どこが悪いということもなく食欲がない気分。
十八、九才ばかりの、髪がたいそう美しく足元まであり、裾もふっさりと豊かで、体つきはふくよかで、色は抜けるほど白く、顔も愛くるしくて、美人だと見える女性が、歯がひどく痛み、額髪もぐっしょりと涙で泣き濡らし、それが顔に乱れかかるのも構わず、顔を赤くして、痛む所を手で押さえている姿は、何とも色気があるものだ。
八月の頃に、白い一重の柔らかいのに、袴も立派なのを着けて、紫苑がさねの着物のすごく上品なのを羽織って、胸をひどく煩っているので、友達の女房らが次々にお見舞いに来て、部屋の外にも若々しい貴公子が大勢いて、「大変お気の毒なことです。いつもこんなにお苦しみなのですか」などと、お座なりの挨拶をしている人もいる。懸想している人は、心底から可哀想だと心配して思い嘆く。人知れぬ仲だと近寄りたくとも近寄れず、ただ思い嘆いているのは風情がある。たいそう麗しく長い髪を、乱れぬように引き結んで、ものを吐こうとして起き上がった様子も、いたいたしくて愛らしい。
帝もお聞きになり、御読経の僧侶の中で声のよいのをお遣わしになったので、枕元に几帳を引き寄せ、それを隔てて座らせた。いくらもない家の狭さなので、お見舞いの女性が大勢つめかけて、お経を聞いたりする姿も丸見えで、僧があたりにちらちらと目を配りながら読んでいるのは、仏罰を蒙りはしないかと思われた。
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ふと心劣りとかするものは、男も女も、言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりまさりて、わろけれ。ただ文字一つに、あやしうあてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。
いやしきことも、わろきことも、さと知りながらことさらに言ひたるは、あしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるは、にくし。まさなきことも、あやしきことも、大人なるはまのもなく言ひたるを、若き人はいみじうかたはらいたきことに消え入りたるこそ、さるべきことなれ。
何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそ、あしう書きなしつれば、言ふかひなく、作り人さへいとほしけれ。「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、みな言ふめり。
【現代語訳】
途端に幻滅を感じるもの。男でも女でも、言葉遣いが下品なのが、何にも増してみっともない。言い方一つで、不思議に上品にも下品にも聞こえるのはどうしてだろうか。とはいえ、こういう私からして、特に人より優れているわけではない。どういう基準で良し悪しを判断できるのだろうか。しかし、人はどう思うとも、ただ私の気持ちで感じる場合がある。
下品な言葉もみっともない言葉も、そうと知りながらわざと言うのは、必ずしも悪くはない。普段から自分の癖になっている言葉を、はばかりなく口にするのは、あきれたことだ。また、そんな言葉遣いをすべきでない老人や男などが、わざと田舎びた言葉遣いをするのは、感じが悪い。正しくないこと、妙なことを年配の女房が平然と口に出すのを、若い女房がいたたまれなく消え入りそうに思うのは、当然だ。
何を言うにしても、「そのことをさせむとす(それは、そうしましょう)」「言はむとす(言いましょう)」「何とせむとす(何にしましょう)」という「と」の文字を省いて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」などと言うと、たちまちよくない言葉になる。まして、そんな言葉遣いを手紙に書いては、お話にもならない。物語などに、下手な言葉遣いがあると、ひどくがっかりし、作者その人まで困ったものだと思われてくる。「ひてつ車に」などと言った人もいた。「求む」というのを「みとむ」などとは、皆が言うようだ。
(注)ひてつ車・・・「ひとつ車に(同じ車で)」の訛りか。
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風は嵐。三月(やよひ)ばかりの夕暮れにゆるく吹きたる雨風(あまかぜ)。
八(はづき)、九月(ながつき)ばかりに、雨にまじりて吹きたる風、いとあはれなり。雨の脚(あし)横さまに、騒がしう吹きたるに、夏通したる綿衣(わたぎぬ)のかかりたるを、生絹(すずし)の単衣(ひとへぎぬ)重ねて着たるも、いとをかし。この生絹だに、いと所狭(ところせ)く暑かはしく、取り捨てまほしかりしに、いつのほどにかくなりぬるにかと思ふも、をかし。
暁(あかつき)に、格子(かうし)、妻戸(つまど)を押し開けたれば、嵐のさと顔にしみたるこそ、いみじくをかしけれ。
九月つごもり、十月(かんなづき)のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋(むく)の葉こそ、いと疾(と)くは落つれ。
十月ばかりに、木立(こだち)多かる所の庭は、いとめでたし。
【現代語訳】
風は嵐。三月頃の夕暮れに、ゆるやかに吹いた雨風。
八、九月の頃に、雨混じりに吹く風は、しみじみとした趣きがある。雨脚が横なぐりに、音を立てて吹きつける時、ひと夏を通して使った綿入れ(肌掛け)が掛かっているのを、薄絹の単衣に重ねて着るのも、目先が変わってとても面白い。この薄絹だって、とても大げさで暑苦しく、脱ぎ捨てたかったのに、いつの間にこんなに涼しくなったのかと思うのも、面白い。
明け方に、格子や妻戸を押し開けると、嵐がさっと冷たく顔に沁みたのは、とても気持ちがいい。
九月の末や十月の頃、空が曇って風が騒がしく吹いて、黄色くなった木の葉がほろほろと散り落ちるのは、とても哀れな情感を誘う。桜の葉、椋の葉は、特に早々と散ってしまう。
十月頃に、木立の多い家の庭は、とても素晴らしい。
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野分(のわき)のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀(たてじとみ)・透垣(すいがい)などの乱れたるに、前栽(せんざい)ども、いと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花(をみなへし)などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。格子(かうし)の壺などに、木の葉をことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。
いと濃き衣(きぬ)のうはぐもりたるに、黄朽葉(きくちば)の織物、薄物などの小袿(こうちき)着て、まことしうきよげなる人の、夜は風の騒ぎに寢られざりければ、久しう寢起きたるままに、母屋(もや)よりすこしゐざり出でたる、髮は風に吹きまよはされて、すこしうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。
ものあはれなるけしきに見いだして、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、十七、八ばかりやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹(すずし)の単(ひとへ)のいみじうほころびたえ、はなもかへりぬれなどしたる、薄色の宿直物(とのゐもの)を着て、髮色に、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて丈ばかりなりければ、衣(きぬ)の裾にはづれて、袴のそばそばより見ゆるに、童女(わらはべ)、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こし立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾(す)に添ひたる後手(うしろで)も、をかし。
【現代語訳】
野分(台風)の翌日は、たいそう趣深くて面白い。立蔀や透垣が乱れて、庭の植え込みも、ひどく痛々しい。大きな木々も倒れ、枝などの吹き折られたのが、萩や女郎花などの上に横たわっているのは、思いもよらない光景だ。格子の一つ一つの目などに、木の葉を、わざわざそうしたように丁寧に吹き入れてあるのは、荒々しかった風の仕業とも思えない。
たいそう濃い紅の着物のつやが落ちたのに、黄朽葉(赤みがかった黄色)の織りの薄物などの小袿を着て、いかにもきれいな人が、昨夜は風の騒ぎで寝られなかったので、朝遅くまで寝坊して、その起きぬけに、母屋から少しにじり出たのが、髪は風に吹き乱されて少しそそけ立って肩にかかっている様子なのが、本当に素晴らしい。
そんな人が、しみじみと外を眺め、「むべ山風を」という古歌を口ずさんだのも、物の情趣を解する人と見えるが、十七、八才ぐらいだろうか、小さくはないけれど、取り立てて大人には見えない人が、薄絹の単衣のかなりほころび、その薄い藍色も色褪せた、その上に、薄紫の夜着を着て、髪はつややかにきちんと手入れし、毛先もすすきの穂のようにふっさりと背丈ぐらいまで伸び、着物の裾に隠れても袴の裾からのぞいて見える、そんな人が、童女や若い女房たちが、根こそぎ吹き倒された植木を、あちこちに拾い集めたり、立て起こしたりしているのを、うらやましそうに、簾を外に押し張って、くっついて見ている後ろ姿も風情がある。
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五月ばかりなどに、山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて、草生ひ茂りたるを、長々と縦(たた)ざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むにはしりあがりたる、いとをかし。
左右(ひだりみぎ)にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形(やかた)などにさし入るを、急ぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。
蓬(よもぎ)の、車に押しひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかりたるも、をかし。
【現代語訳】
五月のころに、山里に出かけるのはとても楽しい。草葉も田の水もたいそう青々として一面に見渡されるが、表面はさりげなく生い茂っている所を、牛車でぞろぞろとまっすぐに行くと、草の下には何ともいえずきれいな水が、深くはないが溜まっていて、従者などが歩くとしぶきが飛び散るのが愉快だ。
道の左右の生垣に植えられた何かの木の枝などが、車の屋形などに入るのを、急いで折り取ろうとしたら、さっと通り過ぎて手元から外れてしまったのが、実に残念だった。
よもぎの、車輪に敷かれて押しつぶされたのが、車輪が回るのにつれて、近くに匂ったのも楽しかった。
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八月つごもり、太秦(うづまさ)に詣(まう)づとて、見れば、穂(ほ)に出でたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。早苗(さなへ)取りしかいつのまに、まことに先(さい)つころ賀茂(かも)へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男(をのこ)どもの、いと赤き稲の本(もと)ぞ青きを持たりて刈る。何にかあらむして、(もと)本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。いかで、さすらむ。穂をうち敷きて並みをるも、をかし。庵(いほ)のさまなど。
【現代語訳】
八月の末、太秦に参詣するというので出かけてみると、稲穂が実った田を大勢の人が見て騒いでいるのは、ちょうど稲刈りをするところだった。ついこの前早苗を取ったのに、いつの間に、本当についこの前、賀茂を参詣するときに見た田が、何ともう収穫の時期になってしまった。今度は男たちが、とても赤い稲の根元だけ青いのをつかんで刈っている。何か分からない道具で根元を刈る様子は、簡単そうで、いかにも自分もやってみたくなる。どうしてそうするのか、刈り取った穂を地面に並べ置くのも興味深い。番小屋の様子も。
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九月二十日あまりのほど、初瀬(はせ)に詣(まう)でて、いとはかなき家に泊まりたりしに、いと苦しくて、ただ寝(ね)に寝入りぬ。夜ふけて、月の窓より漏りたりしに、人の臥したりしどもが衣(きぬ)の上に、白うて映りなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人、歌詠むかし。
【現代語訳】
九月二十日くらいのこと、初瀬寺にお参りして、途中、とても小さな家に泊まったが、たいへん疲れていたので、ただもうぐっすり寝入ってしまった。夜が更けて、月の光が窓の隙間からもれてきて、他の人たちが被って寝ている衣の上を、そこだけ白く浮かび上がらせているのが、たいそう趣き深く感じられた。そんな時にきっと、人は歌を詠むのだ。
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よくたきしめたる薫物(たきもの) の、昨日(きのふ)、一昨日(をととひ)、今日(けふ)などは忘れたるに、ひきあげたるに、煙(けぶり)の残りたるは、ただいまの香(か)よりもめでたし。
【現代語訳】
着物によくたきしめた香が、昨日、一昨日も、そして今日も忘れていたのに、着物を取り上げたところ、余香が今もほんのりと残っているのは、たった今たきしめた香よりも素晴らしい。
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月のいと明(あか)きに、川を渡れば、牛の歩むままに、水晶(すいさう)などのわれたるやうに、水の散りたるこそ、をかしけれ。
【現代語訳】
月がたいそう明るい夜に、牛車で川を渡ると、牛が歩くにつれて、まるで水晶などがくだけたように、水が飛び散った。それは、心ひかれる美しさだった。
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大きにてよきもの。家。餌袋(ゑぶくろ)。法師。くだもの。牛。松の木。硯(すずり)の墨。男(をのこ)の目の細きは、女びたり。また、金椀(かなまり)のやうならむも恐ろし。火桶。酸漿(ほほづき)。山吹の花。桜の花びら。
短くてありぬべきもの。とみのもの縫ふ糸。下衆女(げすをんな)の髪。人の女(むすめ)の声。燈台。
【現代語訳】
大きい方がよいもの(第233段)
家。餌袋(食品を入れて携行する物)。法師。くだもの。牛。松の木。硯の墨。男の目の細いのは女性的だ。かといって、金の椀のようなのも恐ろしい。火桶。ホオズキ、山吹の花。桜の花びら。
短い方がよいもの(第234段)
急ぎのものを縫うときの糸。下働き女の髪。しかるべき家の娘の声。燈台の柄。
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御乳母(めのと)の大輔(たいふ)の命婦(みやうぶ)、日向(ひうが)へ下るに、賜はする扇(あふぎ)どもの中に、片つ方は日いとうららかにさしたる田舎(ゐなか)の館(たち)など多くして、いま片つ方は京のさるべき所にて、雨いみじう降りたるに、
あかねさす日に向かひて思ひいでよ都は晴れぬながめすらむと
御手にて書かせたまへる、いみじうあはれなり。さる君を見おき奉りてこそ、え行くまじけれ。
【現代語訳】
中宮様の御乳母の大輔の命婦が、日向の国(今の宮崎県)へ下ることとなり、中宮様からお餞別として御下賜になったいくつかの扇の中に、片面には日光がとてもうららかにさした田舎の官舎などが多く描かれ、もう片方の面には京のさるべき所で雨がひどく降っている絵が描かれていた。それに中宮様が、
そなたが日向の国に着いたら、東から上る日に向かって思い出してほしい。そなたがいなくなった都では、この絵の雨のように、私が晴れない心で物思いに沈んでいるだろうことを。
御自筆でお書きになっているのが、とても心を打ちしみじみとする。そのようなお情け深い風雅な主君をお残し申し上げたまま、とても行けるものではないだろう。
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日は
入日(いりひ)。入り果てぬる山の端(は)に、光なほとまりて、赤う見ゆるに、薄黄(うすき)ばみたる雲の、たなびきわたる、いとあはれなり。
月は
有明の、東の山際に細くて出づるほど、いとあはれなり。
星は
すばる。ひこぼし。夕づつ。よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。
雲は
白き。紫。黒きも、をかし。風吹くをりの雨雲。明け離るるほどの、黒き雲のやうやう消えて、白うなりゆくも、いとをかし。「朝(あした)に去る色」とかや、詩(ふみ)にも作りたなる。月のいと明(あか)き面(おもて)に、薄き雲、あはれなり。
騒がしきもの
走り火。板屋の上にて、烏(からす)の、斎(とき)の生飯(さば)食ふ。十八日に、清水に籠りあひたる。暗うなりて、まだ火もともさぬほどに、ほかより人の来あひたる。まいて、遠き所の人の国などより、家の主人(あるじ)の上りたる、いと騒がし。近きほどに火出で来ぬと言ふ。されど、燃えはつかざりけり。
ないがしろなるもの。
女官(にようくわん)どもの髪上げ姿。唐絵(からゑ)の皮の帯の後(うしろ)。聖(ひじり)のふるまひ。
言葉なげめなるもの
宮のべの祭文(さいもん)読む人。舟漕ぐ者ども。雷鳴(かんなり)の陣の舎人(とねり)。相撲(すまひ)。
【現代語訳】
日は(第252段)
入日。沈んでしまった山の端に、光がなお残り、赤く見えているのに、薄黄ばんだ雲の、長くたなびいたのは、とても趣深い。
月は(第253段)
有明の月が、東の山の上に細く出ているのが、とても趣深い。
星は(第254段)
すばる。彦星。夕ずつ。夜這い星は、ちょっと面白い。尻尾さえなければ、もっとだけれど。
雲は(第255段)
白いの。紫。黒いのもいい。風の吹く時の雨雲の動き、夜が明け離れる頃の、黒い雲が次第に消えて、あたりが白んでいく風情も、とてもいい。「朝に去る色」とか、漢詩にも詠んでいるようだ。月のとても明るい面に、薄い雲がかかっているのも趣深い。
騒々しいもの(第256段)
はねる火。板葺きの上で、烏が斎の生飯をついばむ。十八日に、清水に籠りあわせた時。暗くなって、まだ火も灯さない時分に、よそから人が来合わせた時。まして、遠い地方などからその家の主人の上京して来た時は、騒々しい。近くで火事だという知らせ。けれども、燃え尽きはしなかった。
投げやりなもの(第257段)
下級の女官たちの髪上げ姿。唐絵に描かれた皮の帯の後ろ。修行僧のふるまい。
言葉の乱暴なもの(第258段)
宮咩(みやのめ)の祭文を読む人。舟を漕ぐ者たち。雷鳴の陣の舎人。相撲。
(注)斎・・・僧の食事。
(注)生飯・・・自分の食物から取り分けた飯粒。屋根などに置き、鬼神・餓鬼に供え、鳥獣に施すもの。
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
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