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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第10)~その3

巻第10-2096~2100

2096
真葛原(まくずはら)なびく秋風吹くごとに阿太(あた)の大野の萩(はぎ)の花散る
2097
雁(かり)がねの来鳴(きな)かむ日まで見つつあらむこの萩原(はぎはら)に雨な降りそね
2098
奥山に棲(す)むといふ鹿(しか)の宵(よひ)さらず妻(つま)どふ萩(はぎ)の散らまく惜(を)しも
2099
白露(しらつゆ)の置かまく惜(を)しみ秋萩(あきはぎ)を折(を)りのみ折りて置きや枯(か)らさむ
2100
秋田(あきた)刈る刈廬(かりいほ)の宿(やど)りにほふまで咲ける秋萩(あきはぎ)見れど飽(あ)かぬかも
  

【意味】
〈2096〉葛が生い茂る原をなびかせて秋風が吹く度に、阿太の野の萩の花が散っていく。

〈2097〉雁が来て鳴く日の来るまで咲いている萩の花を見続けていたいから、雨よ、この萩原に降らないでおくれ。

〈2098〉奥山に棲むという牡鹿が、宵になるといつも妻問いにやって来る萩の花、その花の散っていくのが惜しまれる。

〈2099〉白露が置くのを惜しいので、萩の花を折るだけ折ってみたものの、そのまま枯らしてしまうだろうか。

〈2100〉秋の田を刈るための仮小屋が、美しい色に映えるほどに咲いている萩の花は、。見ても見飽きないことだ

【説明】
 「花を詠む」歌。2096の「真葛原」の「真」は接頭語、「葛原」は葛の生えている原。「葛」の花は、萩と同じくらいにほのかに甘い香りがします。その名は、奈良県の国栖(くず)が葛粉の産地だったことに由来します。根は干して生薬や食品に、蔓は農作業に用いたり、編んで籠などの生活用品の材料になるほか、発酵させた後の繊維で葛布(くずふ)を織るなど、さまざまな用途のある植物でした。「阿太」は、奈良県五條市の東部、吉野川沿いの一帯。「大野」は、人がいない荒れ野。真葛原と阿太の大野とは同じ野で、葛と萩の花との印象から、語を変えて繰り返しています。

 2097の「雁がね」は、雁の意。「な~そね」は、禁止を表現する語。2098の「宵さらず」は、宵になるといつも。2099の「置かまく惜しみ」は、置くことが惜しいので。2100の「刈廬」は、仮小屋。秋の収穫のため仮の小屋をつくり、常の住居から離れ住んで刈り入れを行っていたことが分かります。「にほふまで」は、美しい色に映えるまでに。

巻第10-2101~2105

2101
我(あ)が衣(ころも)摺(す)れるにはあらず高松(たかまつ)の野辺(のへ)行きしかば萩(はぎ)の摺(す)れるぞ
2102
この夕(ゆふへ)秋風吹きぬ白露(しらつゆ)に争ふ萩(はぎ)の明日(あす)咲かむ見む
2103
秋風は涼しくなりぬ馬(うま)並(な)めていざ野に行かな萩(はぎ)の花見に
2104
朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけり
2105
春されば霞隠(かすみがく)りて見えずありし秋萩(あきはぎ)咲きぬ折(を)りてかざさむ
  

【意味】
〈2101〉私の衣は、私が摺り染めにしたわけではない。高松の野を歩いたので、萩の花のほうが摺ったのだ。

〈2102〉この夕べ、秋風が吹いた。早く咲かせようと置く白露に、咲くまいとして争う萩の、明日は咲くのを見よう。

〈2103〉秋風は涼しくなった。馬を連ねて、さあ、野に行こう、萩の花を見に。

〈2104〉朝顔は、朝露を浴びて咲くといわれるが、夕方の光の中でこそ一段と咲きまさって見える。

〈2105〉春になると霞に隠れて見えなかった萩が、秋になった今は美しく咲いた。手折って髪飾りにしよう。

【説明】
 「花を詠む」歌。2101の「高松」は「高円」の別称。春日山の南に続く地。萩の花の色が沁みた衣を着ていた人が詠んだ歌です。2102の「白露に争ふ萩」は、当時、露は花を咲かせようとし、萩の花は咲くまいと争うと感じられていたことによる表現。また、露を男、萩を女と見ています。2103の「馬並めて」は、馬を連ねて。「行かな」の「な」は、自身への願望。馬は今でいう高級外車のようなものですから、相応の身分ある人の歌とみえます。2104の「朝顔」は未詳ながら、夕方に咲きまさると歌われているので、現在のアサガオとは異なり、桔梗あるいはヒルガオ、ムクゲかといわれます。「夕影」は、夕方の薄暗い光。2015の「春されば」は、春になると。「かざす」は、草木の花や枝を髪飾りにすること。

巻第10-2106~2109

2106
さ額田(ぬかた)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)時(とき)なれば今(いま)盛(さか)りなり折(を)りてかざさむ
2107
ことさらに衣(ころも)は摺(す)らじをみなへし佐紀野(さきの)の萩(はぎ)ににほひて居(を)らむ
2108
秋風は疾(と)く疾(と)く吹き来(こ)萩(はぎ)の花散らまく惜(を)しみ競(きほ)ひ立たむ見む
2109
我(わ)が宿(やど)の萩(はぎ)の末(うれ)長し秋風の吹きなむ時に咲かむと思ひて
 

【意味】
〈2106〉額田の野辺の秋萩は、ちょうど時節なので、今が真っ盛りだ。手折って髪飾りにしよう。

〈2107〉わざわざ衣を摺染めにはすまい、佐紀野の萩に、美しく染ませていよう。

〈2108〉秋風よ、早く吹いて来い。萩の花が散るのを惜しみ、風に逆らって揺れ立つのを見たいから。

〈2109〉我が家の庭の萩が枝先が長く伸び立っている。秋風が吹いてきたら、さっそくに咲こうと思って。

【説明】
 「花を詠む」歌。2105の「さ額田」の「さ」は接頭語、大和郡山市南部の額田部あたりか。「時なれば」は、その時節なので。2107の「をみなへし」は「咲き」と続き、「佐紀」の枕詞。「佐紀野」は、平城京の北方の丘陵。2108の「疾く疾く」は、早く早く。「散らまく」は「散らむ」の名詞形。2109の「末」は、枝先の若い部分。

 『万葉集』でもっとも多く歌われた植物は萩であることから、この時代、萩が非常に好まれたことがわかります。山上憶良も、秋の七草の最初に萩を置いています(巻第8-1538)。さらには、大伴書持(おおとものふみもち・家持の弟)の、庭の萩を詠んだ歌がありますので、庭に萩を植えることも流行っていたようです。

巻第10-2110~2114

2110
人(ひと)皆(みな)は萩(はぎ)を秋と言ふよし我(わ)れは尾花(をばな)が末(うれ)を秋とは言はむ
2111
玉梓(たまづさ)の君が使ひの手折(たを)り来(け)るこの秋萩は見れど飽(あ)かぬかも
2112
我(わ)がやどに咲ける秋萩(あきはぎ)常(つね)ならば我(あ)が待つ人に見せましものを
2113
手寸十名相 植ゑしも著(しる)く出(い)で見ればやどの初萩(はつはぎ)咲きにけるかも
2114
我が宿に植ゑ生(お)ほしたる秋萩(あきはぎ)を誰(た)れか標(しめ)刺す我(わ)れに知らえず
 

【意味】
〈2110〉人は皆、萩が秋を代表する花だと言う。ままよ、私は、秋の花は尾花だと言おう。
 
〈2111〉あなたの寄こしたお使いが手折ってきてくれたこの秋萩は、見ても見ても見飽きることがありません。
 
〈2112〉わが家の庭に咲いている萩の花が、いつまでも散らないものであったら、私が待っている人に見せてあげられるのだけど。
 
〈2113〉手寸十名相 植えた甲斐があって、庭に出て見ればわが家の初萩が見事に咲いている。

〈2114〉我が家の庭に植えて育てている秋萩に、いったい誰が標を刺したのか、私に無断で。

【説明】
 「花を詠む」歌。2110の「よし」は、ままよ。「尾花」は、ススキのこと。ススキを詠んだ歌は、萩を詠んだ140首を越える数には及びませんが、合計46首あります。

 2111の「玉梓の」は、古く便りを伝える使者は、梓(あずさ)の枝を持ち、これに手紙を結びつけて運んでいたことから「使ひ」に掛かる枕詞。また、妹へやることから「妹」にも掛かります。使いの者が、途中で美しい萩を見かけ、手折って添えたもので、君の使いの持ってきた萩であるからこそ、特別に美しいと言っています。使いへの返事に書き添えた歌とみられます。萩は男が持って行くように言ったのかもしれません。それでも、どの萩を折るかは使いに任されているわけで、使いのセンスに委ねられています。あるいは萩を手折って添えること自体が使いの意志だったかもしれません。いずれにせよ使いの裁量に委ねられており、使いはそれだけ信用され、また男の意志や思いがよりよく女に伝わるように務めたのです。

 2112の「常ならば」は、長く咲き続けているものならば。2113の「手寸十名相」は訓、語義とも未詳ですが、「手もすまに」と読んで「苦労して」の意とする説があります。2114の「標を刺す」は、土地や土地に生えている植物などを自分のものであると示すために地面に刺す杭や串のことで、この歌は、母親に無断で娘と婚約をした男をなじっているとする見方もあります。今も昔も変わらない、娘を心配する親心の歌でしょうか。

巻第10-2115~2119

2115
手に取れば袖(そで)さへにほふをみなへしこの白露(しらつゆ)に散らまく惜しも
2116
白露(しらつゆ)に争ひかねて咲ける萩(はぎ)散らば惜しけむ雨な降りそね
2117
娘女(をとめ)らに行き逢ひの早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩(はぎ)の花咲く
2118
朝霧(あさぎり)のたなびく小野(をの)の萩(はぎ)の花今か散るらむいまだ飽(あ)かなくに
2119
恋しくは形見(かたみ)にせよと我(わ)が背子(せこ)が植ゑし秋萩(あきはぎ)花咲きにけり
  

【意味】
〈2115〉袖までも黄色に染まるような美しい女郎花(おみなえし)が、この白露で散ってしまうのは惜しいことだ。
 
〈2116〉早く咲けとばかりに降りてきた白露に逆らえず咲いた萩、この萩が散るのは惜しい。雨よ降らないでおくれ。

〈2117〉娘子らに行き違う道端に作ってある早稲を刈る時季がやってきたようだ。萩の花も咲いている。
 
〈2118〉朝霧がたなびく野に咲いている萩の花は、今はもう散っているだろうか。まだ見飽きてはいないのに。

〈2119〉恋しくなったら形見にせよと言って、あの人が植えた秋萩の花が咲きました。

【説明】
 「花を詠む」歌。2115の女郎花(おみなえし)は秋の七草の一つ。美女のなかでもひときわ美しい姿であるとの意味でつけられた名で、『万葉集』でこの花を詠んだ歌は14首あります。2116の「白露に争ひかねて」は、当時、露は花を咲かせようとし、萩の花は咲くまいと争うと感じられていたもの。2117の「娘子らに」は「行き逢ひ」の枕詞。「行き逢ひ」は、人の行き違う所で、道を言い換えたもの。地名とする説もあります。2118の「らむ」は、現在推量。2119の「形見」は、その人を思い出す種となるもの。

巻第10-2120~2123

2120
秋萩(あきはぎ)に恋(こひ)尽(つく)さじと思へどもしゑや惜(あたら)しまたも逢はめやも
2121
秋風は日に異(け)に吹きぬ高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)散らまく惜しも
2122
ますらをの心はなしに秋萩(あきはぎ)の恋のみにやもなづみてありなむ
2123
我(あ)が待ちし秋は来(き)たりぬしかれども萩(はぎ)の花ぞもいまだ咲かずける
  

【意味】
〈2120〉秋萩に心を尽くすまいと思うけれど、ああ惜しいことだ。こんな美しい花に二度と出逢えようか、出逢えはしない。

〈2121〉秋風が日増しに吹きつのる高円の野辺に、咲いている萩が散るのは惜しいことだ。
 
〈2122〉立派な男子の雄々しい心をなくしてしまい、秋萩を恋しく思うことばかりに執着していてよいものか。

〈2123〉私が待っていた秋はやってきたけれども、萩の花はまだ咲こうとしない。

【説明】
 「花を詠む」歌。2120の「しゑや」は、断念や決意をあらわす感動詞。ああ。「あたら」は、惜しい。「やも」は、反語。2121の「日に異に」は、日増しに。「高円山」は、奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていました。2122の「やも」は、反語。「なづみて」は、拘って、執着しての意。「ありなむ」は「やも」の結びで、執着しているべきであろうか、いるべきではない。

 萩を歌った歌は万葉集中140首余りあり、当時の人々にとってもっとも身近な花だったことがうかがえます。また、2123の「我が待ちし秋は来たりぬ」とあるように、古来、実りの秋、紅葉の秋は、日本人が最も愛する季節だったらしく、『万葉集』の季節歌でも、秋の歌が最も多く詠まれています。

巻第11-2124~2127

2124
見まく欲(ほ)り我(あ)が待ち恋ひし秋萩(あきはぎ)は枝もしみみに花咲きにけり
2125
春日野(かすがの)の萩(はぎ)し散りなば朝東風(あさごち)の風にたぐひてここに散り来(こ)ね
2126
秋萩(あきはぎ)は雁(かり)に逢はじと言へればか声(こゑ)を聞きては花に散りぬる
2127
秋さらば妹(いも)に見せむと植ゑし萩(はぎ)露霜(つゆしも)負(お)ひて散りにけるかも
 

【意味】
〈2124〉早く見たいと私が待ち焦がれていた秋萩が、枝いっぱいに花を咲かせたよ。

〈2125〉春日野の萩が散るならば、朝の東風に乗って、ここに散ってきておくれ。

〈2126〉秋萩は、雁には逢わないと言うからか、雁の声が聞こえると花のまま散ってしまった。

〈2127〉秋になったらあの子に見せようと植えた萩だが、冷たい露を浴びて散ってしまったよ。

【説明】
 「花を詠む」歌。2124の「しみみに」は、繁く。2125の「たぐひて」は、連れ立って、伴って。「来ね」の「ね」は、願望。2126は、雁を男、萩を女と見ており、雁の来る頃に萩が散ってしまうところから、その哀感をうたっています。2127の「露霜」は、露が凍って霜のようになったもの。恋人は故人になってしまったのでしょうか。

巻第10-2128~2132

2128
秋風に大和へ越ゆる雁(かり)がねはいや遠ざかる雲隠(くもがく)りつつ
2129
明け暮(ぐ)れの朝霧隠(あさぎりごも)り鳴きて行く雁(かり)は(あ)我が恋(こひ)妹(いも)に告げこそ
2130
我(わ)が宿に鳴きし雁(かり)がね雲の上に今夜(こよひ)鳴くなり国へかも行く
2131
さを鹿(しか)の妻どふ時に月をよみ雁(かり)が音(ね)聞こゆ今し来(く)らしも
2132
天雲(あまくも)の外(よそ)に雁(かり)が音(ね)聞きしよりはだれ霜(しも)降り寒しこの夜は [一云 いやますますに恋こそまされ]
 

【意味】
〈2128〉秋風に乗り、大和へ越えてゆく雁の声がますます遠ざかって行く。雲に見え隠れしつつ。

〈2129〉明け方のまだ薄暗いころ、朝霧に見え隠れしながら鳴いて飛んで行く雁よ、私のこの切ない思いをあの子に告げておくれ。

〈2130〉我が家の庭で鳴いていた雁が、雲の上で今夜は鳴いている。我が故郷の方へ行くのだろうか。

〈2131〉牡鹿が妻を求めて鳴いている折しも、月が明るいので、雁の鳴くのが聞こえる。今にもこちらへ飛んで来るようだ。

〈2132〉雲のはるか彼方で雁の鳴き声を聞いてから、うっすらと霜が降りるようになり寒いことだ、このごろの夜は。

【説明】
 「雁を詠む」歌。2128の「雁がね」は、雁の別名。大和に接した国、あるいは旅中にあって、遠く大和の方へ飛んで行く雁を見つつ詠んだ歌のようです。2129の「明け暮れ」は、明け方の暗いころ。「告げこそ」の「こそ」は、願望。2130の「宿」は、家の敷地、庭先。「国」は、作者の故郷。「かも」は、疑問。なお、「行く」は、原文「遊群(ゆく)」となっており、音仮名でありながら、用いられている文字から、雁が群れをなして悠然と飛んで行く様子が示されているのが分かります。当時の人々は、歌を詠むに際し、漢字の字義を利用して様々な工夫をしていたと考えられます。2132の「天雲の外に」の「外に」は、遥かな所。「はだれ霜」は、まだらに置く霜。

巻第10-2133~2137

2133
秋の田の我(わ)が刈りばかの過ぎぬれば雁(かり)が音(ね)聞こゆ冬かたまけて
2134
葦辺(あしへ)なる荻(をぎ)の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁(かり)鳴き渡る [一云 秋風に雁が音聞こゆ今し来らしも]
2135
おしてる難波(なには)堀江(ほりえ)の葦辺(あしへ)には雁(かり)寝たるかも霜(しも)の降らくに
2136
秋風に山飛び越(こ)ゆる雁(かり)がねの声(こゑ)遠ざかる雲隠(くもがく)るらし
2137
朝にゆく雁(かり)の鳴く音(ね)は吾(わ)が如(ごと)くもの念(おも)へかも声の悲しき
 

【意味】
〈2133〉秋の田の私の持ち場を刈り終えると、雁の鳴き声が聞こえる。冬が近づいてきている。

〈2134〉葦辺に生えている荻の葉がざわつき、秋風が吹き寄せてきた。折しも雁が空を鳴き渡っていった。(秋風に乗って雁の鳴き声が聞こえる。今しも雁がやって来たらしい)

〈2135〉難波の堀江の葦辺では、雁たちは寝ているのだろうか、こんなに霜が降りているというのに。

〈2136〉秋風が吹くなか、山を飛び越えていく雁たちの鳴き声が遠ざかっていく。雲に隠れて飛んでいるらしい。

〈2137〉いま朝早く飛んでいく雁の鳴く声は、何となく物悲しい、彼らも私と同じように物思いをしているからだろう。

【説明】
 「雁を詠む」歌。2133の「刈りばか」は、稲を刈る分担範囲。「かたまけて」は、近づいて。2134の「萩(をぎ)」は、水辺の野に生えるイネ科の多年草。難波あたりの景とみられます。「なへに」は、とともに、と同時に。2135の「おしてる」は「難波」の枕詞。「難波堀江」は、難波にある堀江で、河水を海に疏通させる水路。2137の「朝に行く」の「朝に」は「つとに」と訓むものもあります。この歌について斎藤茂吉は、「惻々(そくそく)とした哀韻があって棄てがたい。『鳴く音は』『声の悲しき』は重複しているようだが、前はやや一般的、後は実質的で、他にも例がある」と述べています。

巻第10-2138~2140

2138
鶴(たづ)がねの今朝(けさ)鳴くなへに雁(かり)がねはいづくさしてか雲隠(くもがく)るらむ
2139
ぬばたまの夜(よ)渡る雁(かり)はおほほしく幾夜(いくよ)を経てかおのが名を告(の)る
2140
あらたまの年の経(へ)ゆけばあどもふと夜(よ)渡る我(わ)れを問ふ人や誰(た)れ
  

【意味】
〈2138〉鶴たちが今朝鳴いている。折しも、雁たちはどこを目指して雲に隠れて飛んでいくのだろうか。

〈2139〉暗い夜空を渡っていく雁の姿は、ぼんやりしていて覚束なく、いったい幾夜経ったら、自分の名を聞かせてくれるのですか。

〈2140〉年が替わったので、仲間を誘って夜空を渡ろうとする私に、お前は誰かと問うのはどなたですか。

【説明】
 「雁を詠む」歌。2138の「鶴がね」は鶴のことで、「雁がね」と同様の言い方。「なへに」は、とともに、と同時に。鶴と雁の取り合わせは『万葉集』ではこの一例のみで、たまたまの珍しい実景ともされますが、この取り合わせは漢詩文で多く見られ、その表現方法の影響があるのではないかとの見方もあります。

 2139の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「おほほし」は、はっきりしない、おぼろげである。夜空を声も立てずに飛ぶ雁に向かって、もどかしがって鳴けよと言っており、女が、求婚してくるのに名告りをしない男に問うた比喩歌になっています。2140はそれに答えた男の歌。「あらたまの」は「年」の枕詞。「あどもふ」は、伴う、率いるの意ですが、何と思ってか、と解するものもあります。多年の馴染みだから、自分の心は知っているはずだ、との意が込められているとされ、秋の宴席歌とみる向きもあります。

巻第10-2141~2143

2141
このころの秋の朝明(あさけ)に霧隠(きりごも)り妻呼ぶ鹿(しか)の声のさやけさ
2142
さを鹿(しか)の妻ととのふと鳴く声の至らむ極(きは)み靡(なび)け萩原(はぎはら)
2143
君に恋ひうらぶれ居(を)れば敷(しき)の野の秋萩(あきはぎ)しのぎさを鹿(しか)鳴くも
 

【意味】
〈2141〉このごろの秋の明け方に、霧に隠れて妻を呼んでいる牡鹿の声の、何とすがすがしいことよ。

〈2142〉牡鹿が、妻を呼び寄せて集めるために鳴く声が、遠く果てまで響き、一面に靡け野原の萩たちよ。

〈2143〉あの方に恋い焦がれて侘びしい思いでいると、敷の野の萩を押し分けて、牡鹿が妻恋いをして鳴いている。

【説明】
 「鹿鳴を詠む」歌。2141の「朝明」は明け方、早朝。2142の「さを鹿」の「さ」は接頭語。「ととのふ」は、集める、統一する。鹿は一夫多妻であることからの表現。「至らむ極み」は、届く果て。2143の「うらぶれ」は、侘しく思い、悲しみに沈み。「敷の野」は所在未詳。「しのぎ」は、押し分けて。
 
 この時代には、人々の身近に棲む野生動物は、現在よりも遥かに多かったはずで、中でも秋に牝鹿を求めて鳴く牡鹿の声は印象的だったようです。鹿の声を題材にした歌は、たくさん作られています。

巻第10-2144~2147

2144
雁(かり)は来ぬ萩(はぎ)は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり
2145
秋萩(あきはぎ)の恋も尽きねばさを鹿の声い継(つ)ぎい継(つ)ぎ恋こそまされ
2146
山近く家や居(を)るべきさを鹿の声を聞きつつ寐寝(いね)かてぬかも
2147
山の辺(へ)にい行く猟夫(さつを)は多かれど山にも野にもさを鹿(しか)鳴くも
 

【意味】
〈2144〉雁はやってきて、萩は散ってしまったと、牡鹿の鳴く声も侘しくなってきたことだ。

〈2145〉萩の花への恋しい思いがまだ尽きないのに、牡鹿の妻を呼ぶ声が次々と聞こえてくるので、私の恋心はつのる一方だ。

〈2146〉山の近くの家に住むものではない。妻を呼ぶ牡鹿の声が夜通し聞こえて、とても眠れたものではない。

〈2147〉山の辺に行く猟師は多くて恐ろしいものだが、それでも妻恋しさに、牡鹿があんなに鳴いている。

【説明】
 「鹿鳴を詠む」歌。2144の「うらぶれ」は、侘しく思い、悲しみに沈み。2145の「い継ぎ」の「い」は接頭語。2146の「家や居るべき」の「や」は反語で、家に居るべきではない。「かてぬ」は、できない、しかねる。

 2147の「い行く」の「い」は接頭語。この歌は、斉藤茂吉によれば、「西洋的にいうと、恋の盲目とでもいうところであろうか。そのあわれが声調のうえに出ている点がよく、第三句で、『多かれど』と感慨をこめている。結句の、『鳴くも』の如きは万葉に甚だ多い例だが、古今集以後、この『も』を段々嫌って少なくなったが、こう簡潔につめていうから、感傷の厭味に陥らぬともいうことが出来る」

巻第10-2148~2152

2148
あしひきの山より来(き)せばさを鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを
2149
山辺(やまへ)にはさつ男のねらひ畏(かしこ)けどを鹿鳴くなり妻が目を欲(ほ)り
2150
秋萩(あきはぎ)の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿(しか)鳴くも
2151
山遠き都にしあればさを鹿の妻呼ぶ声は乏(とも)しくもあるか
2152
秋萩(あきはぎ)の散り過ぎゆかばさを鹿はわび鳴きせむな見ずはともしみ
  

【意味】
〈2148〉山道を通って来たなら、牡鹿が妻を呼ぶ声を聞くことができただろうに。

〈2149〉山のほとりでは猟師を狙っているのが恐ろしいけれど、牡鹿は鳴いている、妻に逢いたくて。
 
〈2150〉秋萩が散っていくのを見て、牡鹿は心がふさぎ、妻恋しさに鳴いているよ。

〈2151〉山から遠い都にいるので、牡鹿の妻を呼ぶ声があまり聞こえてこないのだろうか。

〈2152〉萩の花が散ってしまうと、牡鹿は侘しがって鳴くことだろう、萩の花を見たくて。

【説明】
 「鹿鳴を詠む」歌。2148の「あしひきの」は「山」の枕詞。「せば~まし」は反実仮想。2149の「妻が目を欲り」は、妻に逢いたくて。2150の「おほほしみ」は、気がふさぐので。2151の「乏し」は、少ない。2152の「ともしみ」は、見たくての意。2150・2152は、萩が鹿の妻として詠まれています。万葉の花のうち、もっとも多く詠まれたのが萩であり、広く愛好されていました。

巻第10-2153~2157

2153
秋萩(あきはぎ)の咲きたる野辺(のへ)はさを鹿ぞ露(つゆ)を別(わ)けつつ妻どひしける
2154
なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野(あきの)の萩や繁(しげ)く散るらむ
2155
秋萩(あきはぎ)の咲たる野辺(のへ)にさを鹿は散らまく惜(を)しみ鳴き行くものを
2156
あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田(やまだ)守(も)らす子
2157
夕影(ゆふかげ)に来鳴(きな)くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽(あ)かぬ声かも
 

【意味】
〈2153〉萩が咲いているこの野辺は、牡鹿が露を踏み分けながら、妻を求めて歩き回ったのだな。

〈2154〉どうして牡鹿は侘びしそうに鳴くのだろう。もしかしたら秋野に咲く萩の花が次々と散っていくからだろうか。

〈2155〉萩が咲いている野辺で、牡鹿は、その花が散るのを惜しんで鳴いて行くことだ。

〈2156〉山陰で鳴く鹿の声を聞いていますか、山田の番をしているあなたは。

〈2157〉夕方の光の中にやって来て鳴いているひぐらしは、毎日毎日聞いても飽きない鳴き声だ。

【説明】
 2153~2156は「鹿鳴を詠む」歌。2154の「けだしくも」は、もしかしたら。2156の「あしひきの」は「山」の枕詞。「常陰」は、いつも陰になっている所。「山田」は山の中の田。2157は「蝉を詠む」歌。「蝉」は、秋に鳴く虫全般とする説や、キリギリスだとする説があります。「夕影」は、夕方の薄暗い日の光。「ここだく」は、こんなにも。

巻第10-2158~2162

2158
秋風の寒く吹くなへ我(わ)が宿(やど)の浅茅(あさぢ)が本(もと)にこほろぎ鳴くも
2159
蔭草(かげくさ)の生(お)ひたるやどの夕影(ゆふかげ)に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも
2160
庭草(にはくさ)に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
2161
み吉野の岩(いは)もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川をさやけみ
2162
神(かむ)なびの山下(やました)響(とよ)み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや
 

【意味】
〈2158〉秋風が寒く吹くにつれ、我が家の庭に生えている浅茅の根元でコオロギが鳴いている。

〈2159〉蔭草が生い茂っている庭の、夕日のかすかな光の中でコオロギが鳴いている声は、聞いても飽きることがない。

〈2160〉庭の草ににわか雨が降り注ぎ、コオロギの鳴く声を聞くと、すっかり秋らしくなってきたことだ。

〈2161〉ここ吉野川の岩蔭でカジカガエル鳴いている。それももっともだ、川が清らかなので。

〈2162〉神なびの山の麓を鳴り響かせながら流れ下る水の中で、カジカガエルがが鳴いている。秋がやってきたよと告げるためか。

【説明】
 2158~2160は「蟋(こほろぎ)を詠む」歌、2158の「なへ」は、と同時に、つれて。「浅茅」は、たけの低い芽萱。2159の「蔭草」は物陰に生えている草。2160の「村雨」は、にわか雨。2161・2162は「蛙(かはず)を詠む」歌。「蛙」はカジカガエル。夏から秋にかけて美しい声で鳴きます。2161の「うべも」は、なるほど。「さやけみ」は、清らかなので。2162の「神なびの山」は雷丘か。

巻第10-2163~2167

2163
草枕(くさまくら)旅に物思(ものも)ひ我(わ)が聞けば夕(ゆふ)かたまけて鳴くかはづかも
2164
瀬を早み落ちたぎちたる白波(しらなみ)にかはづ鳴くなり朝夕(あさよひ)ごとに
2165
上(かみ)つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕(ゆふ)されば衣手(ころもで)寒(さむ)み妻まかむとか
2166
妹(いも)が手を取石(とろし)の池の波の間(ま)ゆ鳥が音(ね)異(け)に鳴く秋過ぎぬらし
2167
秋の野の尾花(をばな)が末(うれ)に鳴くもずの声聞きけむか片聞(かたき)け我妹(わぎも)
 

【意味】
〈2163〉旅先で物思いをしながら耳を澄ませていると、夕方が近づいたとばかりに、カジカガエルの鳴く声が聞こえてきた。

〈2164〉川の瀬が早いので、流れ落ちて湧き立つ白波の中に、カジカガエルが鳴いている、朝夕ごとに。

〈2165〉上流の瀬で、カジカガエルが妻を呼んで鳴いている。夕方になると衣の袖のあたりが寒いので、妻と共寝しようというのだろうか。

〈2166〉妻の手を取るという取石(とろし)の池の波間から、水鳥がいつもと違う声で鳴いている。秋が深まったようだ。

〈2167〉秋の野の尾花の穂先で鳴くモズの声を聞いただろうか、よく聞いてごらん、わが妻よ。

【説明】
 2163~2165は「蛙(かはず)を詠む」歌。2163の「草枕」は「旅」の枕詞。「夕かたまけて」は、夕方が近づいたとばかりに。2165の「夕されば」は、夕方になると。「衣手寒み」は、衣の袖が寒いので。「妻まかむとか」は、妻と共寝しようというのか。

 2166・2167は「鳥を詠む」歌。2166の「妹が手を」は「取石」の枕詞。「取石の池」は、大阪府高石市の東部にあった池。2167の「尾花」はススキの花穂。「末」は先端。「片聞け」は、ひたすら聞け。「もず」は、多くの獲物を集めることから物集(もず)と名付けられ、また、時に他の鳥のような鳴まねをするため「百舌」の字があてられたといいます。

巻第10-2168~2172

2168
秋萩(あきはぎ)に置ける白露(しらつゆ)朝(あさ)な朝(さ)な玉としぞ見る置ける白露
2169
夕立ちの雨降るごとに [一云 うち降れば] 春日野(かすがの)の尾花(をばな)が上(うへ)の白露(しらつゆ)思ほゆ
2170
秋萩(あきはぎ)の枝もとををに露霜(つゆしも)置き寒くも時はなりにけるかも
2171
白露(しらつゆ)と秋萩(あきはぎ)とには恋ひ乱れ別(わ)くことかたき我(あ)が心かも
2172
我(わ)が宿(やど)の尾花(をばな)押しなべ置く露(つゆ)に手(て)触(ふ)れ我妹子(わぎもこ)散らまくも見む
 

【意味】
〈2168〉秋萩に置いている白露を、毎朝毎朝、玉と思って見ている。置いているその白露を。

〈2169〉夕立が降るたびに(さっと降ると)、春日野の尾花の上に降りる白露が思われる。

〈2170〉秋萩の枝がしなうほどに露霜が降りて、寒々と季節はめぐって来たことだ

〈2171〉白露と秋萩とは、そのいずれにも恋しく心が乱れ、どちらがよいとも選びかねる私の心です。

〈2172〉庭先の尾花がたわむほどについた露に、手を触れてくれないか、わが妻よ。露がこぼれ落ちるのを見たいから。

【説明】
 「露を詠む」歌。2168の「朝な朝な」は、毎朝。「玉」は、美しい石、真珠。2170の「とをを」は、しなうさま。「露霜」は、露と霜、または露が凍って霜のようになったもの。2171の「別く」は、判断する。白露と秋萩の両方に心が引かれているとする上掲の解釈が定説ですが、「露」は「はかないもの」の比喩として用いられることはあっても、露を恋する歌は『万葉集』にも『古今集』にも例がないなどの理由から、「思ひ乱れ」の対象はあくまで作者の恋人(人間)であるとの見方があります。それによると、「目の前の白露と秋萩の関係は、恋い乱れてものの区別もつけ難い今の私の心に似ていることです」のような解釈になります。2172の「宿」は、家の敷地、庭先。「尾花」はススキ。「散らまく」は「散らむ」の名詞形。

巻第10-2173~2177

2173
白露(しらつゆ)を取らば消(け)ぬべしいざ子ども露に競(きほ)ひて萩の遊びせむ
2174
秋田(あきた)刈る仮廬(かりほ)を作り我(わ)が居(を)れば衣手(ころもで)寒く露(つゆ)ぞ置きにける
2175
このころの秋風(あきかぜ)寒し萩の花散らす白露(しらつゆ)置きにけらしも
2176
秋田(あきた)刈る苫手(とまで)動くなり白露(しらつゆ)し置く穂田(ほだ)なしと告げに来(き)ぬらし
2177
春は萌(も)え夏は緑に紅(くれなゐ)のまだらに見ゆる秋の山かも
  

【意味】
〈2173〉白露を手に取ったなら消えてしまうだろう。さあみんな、露と競って萩に親しみ、宴を開こうではないか。
 
〈2174〉秋の田を刈るための仮小屋を作って、私がそこにいると、着物の袖に寒く露が置いたことだ。

〈2175〉このごろの秋風は寒い。萩の花を散らす白露がもう置いたらしい。

〈2176〉稲穂を刈り終えたら、私が寝泊まりしている仮小屋の覆いが秋風に揺れている。まるで、白露が、身を置く稲穂がないではないかと告げにきたように。

〈2177〉春は萌え、夏は緑に、そして今、紅がまだらに見える秋の山です。

【説明】
 2173~2176は「露を詠む」歌。2173の「いざ」は、誘う意。「子ども」は、目下の者に親しく呼びかける語。「露に競ひて」は、男女に擬せられる萩(女)と露(男)の関係を踏まえ、我々も露と競って、萩の花を見て楽しむ酒宴を開こうと言ってる歌です。白露も秋萩も、秋の代表的な風物です。

 2174の「仮廬」は仮小屋。秋の収穫のため、常の住居から離れ住んで刈り入れを行っていたことが分かります。上代は住居と耕作する田は遠いのが普通だったといいます。この歌は、鎌倉時代の『新古今和歌集』に「よみ人知らず」として「秋田守る仮廬つくりわがおれば衣手さむし露ぞ置きける」と少し変えて収められており、さらに、藤原定家による『小倉百人一首』の冒頭には、天智天皇の作として「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」の歌が収められています。晩秋の農作業にいそしむ静寂な田園風景を詠んだ歌ですが、定家がこの歌の作者を天智天皇としたのには、どのようないきさつと判断があったのでしょうか。

 2176の「苫手」の「苫」は、菅(すげ)や茅(かや)を編んで小屋を覆うもの。「手」は端っこのこと。稲刈りが終わり、田小屋の覆いが風で動くのを、白露が「いつもの稲穂がなくなっているよ」と告げに来て、私はどこに身を置けばよいのでしょうと訴えていると表現しています。2177は「山を詠む」歌。春から夏、そして秋へと、一年の移ろいを詠んだ歌です。作者の眼前にあるのは紅がまばらに見える秋の山であり、過ぎた季節を回想しています。

巻第10-2180~2183

2180
九月(ながつき)の時雨(しぐれ)の雨に濡れとほり春日の山は色づきにけり
2181
雁(かり)が音(ね)の寒き朝明(あさけ)の露(つゆ)ならし春日の山をもみたすものは
2182
このころの暁露(あかときつゆ)に我(わ)がやどの萩の下葉(したば)は色づきにけり
2183
雁(かり)がねは今は来(き)鳴きぬ我(あ)が待ちし黄葉(もみち)早(はや)継(つ)げ待たば苦しも
  

【意味】
〈2180〉九月の時雨に山の芯まで濡れ通り、春日山はすっかり色づいたことだ。

〈2181〉雁の声の冷たい明け方に降った露に違いない、あのように春日山を美しく色づけたのは。
 
〈2182〉ここのところの明け方の露のせいで、我が家の萩の下葉はすっかり色づいてきた。

〈2183〉雁は今はもう来て鳴いている。私が待っている紅葉よ、早く雁に続け。待ち遠しくてならない。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』の表記で「紅葉」とあるのは1例(巻第10-2201)のみで、76例は「黄葉」と書かれています。「毛美知」のような一字一音の仮名の場合は別として、赤系統は紅葉1、赤葉1,赤2の4例だけで、黄系統は黄葉76のほか黄変6、黄3、黄色2、黄反1の計88例もあります。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられていますが、当時は、赤・黄に拘わらず、秋になって木々の葉が変色するのを共に称したのかもしれません。また、発音は「もみじ」ではなく「もみち」と濁らなかったようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。

 2180・2181の「春日山」は奈良盆地の東部にあり、その原始林は、古来、神域として保護され、今では世界遺産となっています。2180の「九月」は陰暦の9月で、晩秋にあたります。2181の「朝明」は、明け方。「もみたす」は木の葉を紅葉させる意。2182の「暁露」は、夜明け近くに置く露。「やど」は、庭先、家の敷地。2183の「雁がね」は、雁。

巻第10-2184~2187

2184
秋山をゆめ人(ひと)懸(か)くな忘れにしその黄葉(もみちば)の思ほゆらくに
2185
大坂(おほさか)を我(わ)が越え来れば二上(ふたかみ)に黄葉(もみちば)流る時雨(しぐれ)ふりつつ
2186
秋されば置く白露(しらつゆ)に我(わ)が門(かど)の浅茅(あさぢ)が末葉(うらば)色づきにけり
2187
妹(いも)が袖(そで)巻来(まきき)の山の朝露(あさつゆ)ににほふ黄葉(おみち)の散らまく惜(を)しも
  

【意味】
〈2184〉秋山のことは、決して口にしないでほしい。ようやく忘れることのできた、あの美しかった黄葉が思い出されて辛いから。

〈2185〉大坂を越えてくると、二上山の川には黄葉が流れている。時雨が絶え間なく降り続いている。

〈2186〉秋になって、白露が置くようになったので、我が家の門のあたりに生えている浅茅の葉先が色づいてきた。

〈2187〉妻の袖を巻くという巻来の山の、朝露に色づいた黄葉が散っていくのが惜しまれる。

【説明】
 「黄葉を詠む」歌。2184の「ゆめ~な」は、強い禁止。2185の「大坂」は以前の奈良県北葛城郡下田村(現在は香芝市)で、大和から河内へ越える坂になっています。「二上」は、奈良県当麻町西方にある二上山。北の雄岳、南の雌岳の双峰からなり、万葉人に神聖視されてきました。大津皇子の悲劇にまつわる山としても有名です。2186の「浅茅」は、チガヤ。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「末葉」は、幹や枝の先の方の葉。2187の「妹が袖」は「巻」の枕詞。「巻来の山」は、所在未詳。巻向山の誤記とする説もあります。「にほふ」は、美しい色に染まる。

巻第10-2188~2192

2188
黄葉(もみちば)のにほひは繁(しげ)ししかれども妻梨(つまなし)の木を手折(たを)りかざさむ
2189
露霜(つゆしも)の寒き夕(ゆふへ)の秋風にもみちにけらし妻梨(つまなし)の木は
2190
我(わ)が門(かど)の浅茅(あさぢ)色づく吉隠(よなばり)の浪柴(なみしば)の野の黄葉(もみち)散るらし
2191
雁(かり)が音(ね)を聞きつるなへに高松(たかまつ)の野の上(うへ)の草ぞ色づきにける
2192
我(わ)が背子(せこ)が白栲衣(しろたへごろも)行き触(ふ)ればにほひぬべくももみつ山かも
 

【意味】
〈2188〉色づいた黄葉の木はいっぱいあるけれど、妻無しの私は梨の木を手折って挿頭(かざし)にしよう。
 
〈2189〉露霜が降りる寒い夕方の秋風によって色づいたようだ、妻無しの梨という木は。

〈2190〉我が家の門前の浅茅は色づいてきたのを見ると。もう吉隠の浪柴の野の黄葉は散っていることだろう。

〈2191〉雁の声を聞いた折しも、高松の野の草々は色づいたことだ。

〈2192〉あの人の白い衣が、そこへ行って触れたら染まってしまいそうなほどに黄葉している山よ。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2188の「妻梨」は、「妻無し」と「梨」を掛けて言っています。2189は2188との連作。「露霜」は、露が凍って霜のようになったもの。2190の「吉隠」は、奈良県桜井市東部の地区。「浪柴の野」は所在未詳ながら、持統天皇の行幸があった地とされます。斎藤茂吉は「浪柴の野の黄葉散るらし」の歌調に感心すると言っています。また「『黄葉散るらし』という結句の歌は幾つかあるような気がしていたが、実際当たってみると、この歌一首だけのようである」とも。2191の「なへに」は、とともに、と同時に。「高松」は、高円の別称。2192の「もみつ」は、黄葉する。

巻第10-2193~2197

2193
秋風の日にけに吹けば水茎(みづぐき)の岡(をか)の木(こ)の葉も色づきにけり
2194
雁(かり)がねの来鳴(きな)きしなへに韓衣(からころも)龍田(たつた)の山はもみちそめたり
2195
雁(かり)がねの声聞くなへに明日(あす)よりは春日(かすが)の山はもみちそめなむ
2196
しぐれの雨(あめ)間(ま)なくし降れば真木(まき)の葉も争ひかねて色づきにけり
2197
いちしろく時雨(しぐれ)の雨は降らなくに大城(おほき)の山は色づきにけり
 

【意味】
〈2193〉秋風が日に増して吹いてくるので、岡の木の葉も色づいたことである。

〈2194〉雁が来て鳴くようになったのに伴い、龍田の山は色づき始めてきた。

〈2195〉雁の声が聞こえるようになったのに伴い、明日からは、春日山は色づき始めるだろう。

〈2196〉時雨の雨が絶え間なく降るので、真木の葉も、逆らいきれずに色づいてきた。

〈2197〉それほど激しく時雨の雨が降ったわけではないのに、大城の山はもう色づいてしまった。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2193の「日にけに」は、日に増して。「水茎の」は「岡」の枕詞。高い山の黄葉を背後に、低い岡の木も黄葉したことを歌っています。2194の「雁がね」は、雁。「なへに」は、とともに、と同時に。「韓衣」は韓衣(外来の衣)を裁つ意から「龍田」の枕詞。「龍田の山」は、奈良県生駒郡三郷町立野の西方の山。2195の「春日の山」は、奈良市東方の山地。2196の「真木」は、杉や檜などの良質の木。「争ひかねて」は、時雨は木の葉を染めようとし、木の葉は染められまいとして争う、その争いに負かされて、の意。2197の「いちしろく」は、目立って。「大城山」は、大宰府の庁舎の東方にある大野山。

巻第10-2198~2202

2198
風吹けば黄葉(もみち)散りつつ少なくも吾(あが)の松原(まつばら)清くあらなくに
2199
物思(ものも)ふと隠(こも)らひ居(を)りて今日(けふ)見れば春日(かすが)の山は色づきにけり
2200
九月(ながつき)の白露(しらつゆ)負(お)ひてあしひきの山のもみたむ見まくしもよし
2201
妹(いも)がりと馬に鞍(くら)置きて生駒山(いこまやま)うち越え来れば紅葉(もみち)散りつつ
2202
黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば
  

【意味】
〈2198〉風が吹くと、黄葉が散り続けて、この吾の松原はちょっとやそっとの清らかさではない。

〈2199〉物思いをして籠っていて、今日はじめて見ると、春日山はすっかり色づいていたよ。
 
〈2200〉九月の白露を浴びて、山々が一面に色づくさまを見るのはいいものだ。

〈2201〉愛しい女(ひと)の許に行くというので、生駒山を越えてくると、紅葉がどんどん散っているよ。
 
〈2202〉黄葉の季節がやってきたようだ。お月様の桂が美しく色づいているのを見ると。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2198の「少なくも~なくに」は、ちょっとやそっとの~ではない。「吾の松原」は伊勢国三重郡にあった松原で、今の四日市市辺りではないかとされます。2199の「九月」は陰暦の9月で、晩秋にあたります。「春日の山」は、奈良市東方の山地。2200の「あしひきの」は「山」の枕詞。2201の「生駒山」は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山で、生駒山地の主峰。『万葉集』の中で「もみじ」を「紅葉」と書いている唯一の歌です。2202の「月人」は、月を擬人化したもの。「桂」は、月に桂の大木が生えているという伝説を踏まえています。

巻第10-2203~2206

2203
里(さと)ゆ異(け)に霜は置くらし高松(たかまつ)の野山(のやま)づかさの色づく見れば
2204
秋風の日(ひ)に異(け)に吹けば露(つゆ)を重(おも)み萩の下葉(したば)は色づきにけり
2205
秋萩(あきはぎ)の下葉(したば)もみちぬあらたまの月の経(へ)ぬれば風をいたみかも
2206
まそ鏡(かがみ)南淵山(みなぶちやま)は今日(けふ)もかも白露(しらつゆ)置きて黄葉(もみち)散るらむ
 

【意味】
〈2203〉里よりも一段と霜が降りているようだ、高松の野山の高みが色づいているのを見ると。

〈2204〉秋風が日増しに寒く吹くので、露をしとどに浴びて、萩の下の方の葉が色づいてきた。

〈2205〉萩の下葉がすっかり色づいてきた。月が改まり、風が強くなったからだろうか。

〈2206〉南淵山では、今日あたりも露が置いては、黄葉が散っていることだろう。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2203の「里ゆ異に」は、里よりも一段と。「高松」は高円の別称。「野山づかさ」は、野山の小高い所。2204の「日に異に」は、日増しに。2205の「あらたまの」は、ここでは「月」の枕詞。「いたみ」は、強いので、甚だしいので。2206の「まそ鏡」は「南淵山」の枕詞。南淵山は、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳から南方に見える山。「かも」は、疑問。「らむ」は、現在推量。

巻第10-2207~2210

2207
我(わ)がやどの浅茅(あさぢ)色づく吉隠(よなばり)の夏身(なつみ)の上にしぐれ降るらし
2208
雁(かり)がねの寒く鳴きしゆ水茎(みづくき)の岡の葛葉(くずは)は色づきにけり
2209
秋萩(あきはぎ)の下葉の黄葉(もみち)花に継(つ)ぎ時過ぎゆかば後(のち)恋ひむかも
2210
明日香川(あすかがは)黄葉(もみちば)流る葛城(かづらき)の山の木の葉は今し散るらむ
 

【意味】
〈2207〉我が家の庭の浅茅が色づいた。この分では、吉隠の夏身のあたりには時雨が降っていることだろう。

〈2208〉雁が寒々と鳴いてからというもの、岡の葛の葉はすっかり色づいてきた。

〈2209〉萩の下葉が、花に続いて美しく色づいているが、その時期が過ぎ去ったら、後で恋しく思うだろうなあ。

〈2210〉こんなのだったら、植えなければよかった。ヤマブキのように、揺れ止むこともなく恋しく思っていることを思うと。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2207の「吉隠」は、奈良県桜井市東部の地区。「夏身」は、吉隠内の地名ながら、所在未詳。「上」は、辺り。2208の「水茎の」は「岡」の枕詞。「雁がね」は、雁。「葛は、山野に自生するつる草で、秋の七草の一つ。2209の「花に継ぎ」は、花に続いて。2210の「明日香川」は、河内の明日香川。二上山の南から発して、太子町や羽曳野市を北西流する小川で、大和の明日香川は有名ですが、河内の明日香川が詠まれているのは『万葉集』でこの1首のみです。「葛城の山」は、金剛山を主峰とする連峰。

巻第10-2210~2214

2211
妹(いも)が紐(ひも)解くと結びて龍田山(たつたやま)今こそ黄葉(もみち)そめてありけれ
2212
雁(かり)がねの寒く鳴きしゆ春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山は色づきにけり
2213
このころの暁露(あかときつゆ)に我(わ)が宿(やど)の秋の萩原(はぎはら)色づきにけり
2214
夕されば雁(かり)の越えゆく龍田山(たつたやま)時雨(しぐれ)に競(きほ)ひ色づきにけり
 

【意味】
〈2211〉妻の下紐をいずれまた解くのだと結んで発つという、その龍田山は、ちょうどいまごろ色づき始めている。
 
〈2212〉雁が寒々と鳴いたときから、春日の三笠の山は一面に色づいてきた。
 
〈2213〉このごろ明け方に降りる露で、我が家の庭の萩原はすっかり色づいてきた。

〈2214〉夕方になると雁が飛び越えていく龍田山は、時雨と競うかのように色づいていく。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2211の上2句は「龍田山」を導く序詞。「龍田山」は、奈良県生駒郡三郷町の龍田大社の背後にある山。「そめてありけれ」の原文「始而有家礼」で、「はじめたりけれ」と訓む例もあります。2212の「雁がね」は、雁。「寒く鳴きしゆ」の原文「喧之從」で、読み添えの必要のある字として、「来鳴きにしより」「騒きにしより」などと訓む例があります。「三笠の山」は、奈良市の東方、春日大社の背後にある山。2213の「暁露」は、夜明け近くに置く露。2214の「時雨に競ひ」は、時雨と先を争って。

巻第10-2215~2218

2215
さ夜(よ)更(ふ)けてしぐれな降りそ秋萩(あきはぎ)の本葉(もとは)の黄葉(もみち)散らまく惜しも
2216
故郷(ふるさと)の初黄葉(はつもみちば)を手折(たを)り持ち今日(けふ)ぞ我(わ)が来(こ)し見ぬ人のため
2217
君が家の黄葉(もみちば)は早(はや)散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡(ぬ)れにけらしも
2218
一年(ひととせ)にふたたび行かぬ秋山を心に飽(あ)かず過ぐしつるかも
  

【意味】
〈2215〉こんな夜更けになって時雨よ降らないでおくれ。秋萩の本葉の黄葉が散ってしまうのが惜しいから。

〈2216〉故郷の飛鳥の初黄葉を手折って、今日私はやって来ました。まだお目にかかっていない都の人のために。

〈2217〉あなたの家の黄葉は早くも散ってしまいましたね。時雨の雨に濡れてしまったからでしょうか。

〈2218〉一年の間に二度はめぐり逢えない秋の山なのに、心行くまで堪能しないままに過ごしてしまった。

【説明】
 「黄葉(もみち)を詠む」歌。2215の「本葉」は、「末葉(うらば)」に対しての語で、幹の方にある葉。「な降りそ」の「な~そ」は禁止。2216の「故郷」は、古京、奈良京から飛鳥または藤原京を指しての称。2217の上3句の原文「君之家乃黄葉早者落」は、訓みが諸説あって定まっていません。2218の「心に飽かず」は、十分に満ち足りることなく。ここでは黄葉を堪能する機会を逃してしまったこと。

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

万葉人の季節感

春(1~3月)
馬酔木(アシビ)
梅(ウメ)
堅香子(カタタゴ)
桜(サクラ)
早蕨(サワラビ)
菫(スミレ)
椿(ツバキ)
柳(ヤナギ)
山吹(ヤマブキ)
桃(モモ)
鶯(ウグイス)
雉(キザシ)
霞(かすみ)
春雨
 
夏(4~6月)
菖蒲草(アヤメグサ)
卯の花(ウノハナ)
杜若(カキツバタ)
茅萱(チガヤ)
月草(ツキクサ)
躑躅(ツツジ)
合歓(ネム)
浜木綿(ハマユウ)
姫百合(ヒメユリ)
藤(フジ)
百合(ユリ)
忘れ草(ワスレグサ)
蜩(ヒグラシ)
霍公鳥(ホトトギス)
 
秋(7~9月)
茜(アカネ)
朝顔(アサガオ)
葦(アシ)
尾花(オバナ)
女郎花(オミナエシ)
葛(クズ)
真葛(サナカヅラ)
橡(ツルハミ)
撫子(ナデシコ)
萩(ハギ)
黄葉(モミジ)
鹿(シカ)
秋風
時雨
七夕(たなばた)
 
冬(10~12月)
榊(サカキ)
笹(ササ)
橘(タチバナ)
松(マツ)
山橘(ヤマタチバナ)


新年

和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

古典文法

係助詞
助詞の一種で、いろいろな語に付いて強調や疑問などの意を添え、下の術語の働きに影響を与える(係り結び)。「は・も」の場合は、文節の末尾の活用形は変化しない。
〔例〕か・こそ・ぞ・なむ・や

格助詞
助詞の一種で、体言やそれに準じる語に付いて、その語とほかの語の関係を示す。
〔例〕が・に・にて・の

間投助詞
助詞の一種で、文中や文末の文節に付いて調子を整えたり、余情や強調などの意味を添える。
〔例〕や・を

接続助詞
助詞の一種で、用言や助動詞に付いて前後の語句の意味上の関係を表す。
〔例〕して・つつ・に・ば・ものから

終助詞
助詞の一種で、文末に付いて、疑問・詠嘆・願望などを表す。
〔例〕かし・かな・な・なむ・ばや・もがな

副助詞
助詞の一種で、さまざまな語に付いて、下の語の意味を限定する。
〔例〕さへ・し・だに・

助動詞
用言や体言に付いて、打消しや推量などのいろいろな意味を示す。

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