巻第10-2096~2100
2096 真葛原(まくずはら)なびく秋風吹くごとに阿太(あた)の大野の萩(はぎ)の花散る 2097 雁(かり)がねの来鳴(きな)かむ日まで見つつあらむこの萩原(はぎはら)に雨な降りそね 2098 奥山に棲(す)むといふ鹿(しか)の宵(よひ)さらず妻(つま)どふ萩(はぎ)の散らまく惜(を)しも 2099 白露(しらつゆ)の置かまく惜(を)しみ秋萩(あきはぎ)を折(を)りのみ折りて置きや枯(か)らさむ 2100 秋田(あきた)刈る刈廬(かりいほ)の宿(やど)りにほふまで咲ける秋萩(あきはぎ)見れど飽(あ)かぬかも |
【意味】
〈2096〉葛が生い茂る原をなびかせて秋風が吹く度に、阿太の野の萩の花がはらはらと散っていく。
〈2097〉雁が来て鳴く日の来るまで咲いている萩の花を見続けていたいから、雨よ、この萩原に降らないでおくれ。
〈2098〉奥山に棲むという牡鹿が、宵になるといつも妻問いにやって来る萩の花、その花の散っていくのが惜しまれる。
〈2099〉白露が置くのを惜しいので、萩の花を折るだけ折ってみたものの、そのまま枯らしてしまうだろうか。
〈2100〉秋の田を刈るための仮小屋が、美しい色に映えるほどに咲いている萩の花は、。見ても見飽きないことだ。
【説明】
「花を詠む」歌。2096の「真葛原」の「真」は接頭語、「葛原」は葛の生えている原。山野に生い茂る「葛」の花は、萩と同じくらいにほのかに甘い香りがするといい、その名は、奈良県の国栖(くず)が葛粉の産地だったことに由来します。根は干して生薬や食品に、蔓は農作業に用いたり、編んで籠などの生活用品の材料になるほか、発酵させた後の繊維で葛布(くずふ)を織るなど、さまざまな用途のある植物でした。「阿太」は、奈良県五條市の東部、吉野川沿いの一帯。「大野」は、人がいない荒れ野。真葛原と阿太の大野とは同じ野で、葛と萩の花との印象から、語を変えて繰り返しています。
2097の「雁がね」は、本来、雁の鳴き声をいいますが、ここは雁そのものの意。「な~そね」は、禁止を表現する語。雨が萩を散らすとして、降らないでくれと願望しています。2098の「宵さらず」は、宵になるといつも。「宵」は、日が暮れて間もない時間帯。「散らまく」は、散るであろうことの意で、ク語法の名詞形。
2099の「置かまく惜しみ」の「置かまく」は「置かむ」のク語法で名詞形。置くことが惜しいので。「折りのみ折りて」は、折るだけは折って。「置きや枯らさむ」の「置き」は、放置して、の意。2100の「秋田刈る」は、秋の田を刈るための。「刈廬」は、仮小屋。秋の収穫のため仮の小屋をつくり、常の住居から離れ住んで刈り入れを行っていたことが分かります。「にほふまで」は、美しい色に映えるまでに。
巻第10-2101~2105
2101 我(あ)が衣(ころも)摺(す)れるにはあらず高松(たかまつ)の野辺(のへ)行きしかば萩(はぎ)の摺(す)れるぞ 2102 この夕(ゆふへ)秋風吹きぬ白露(しらつゆ)に争ふ萩(はぎ)の明日(あす)咲かむ見む 2103 秋風は涼しくなりぬ馬(うま)並(な)めていざ野に行かな萩(はぎ)の花見に 2104 朝顔(あさがほ)は朝露(あさつゆ)負(お)ひて咲くといへど夕影(ゆふかげ)にこそ咲きまさりけれ 2105 春されば霞隠(かすみがく)りて見えずありし秋萩(あきはぎ)咲きぬ折(を)りてかざさむ |
【意味】
〈2101〉私の衣は、私が摺り染めにしたわけではない。高松の野を歩いたので、萩の花のほうが摺ったのだ。
〈2102〉この夕べ、秋風が吹いた。早く咲かせようと置く白露に、咲くまいとして争う萩の、明日は咲くのを見よう。
〈2103〉秋風は涼しくなった。馬を連ねて、さあ、野に行こう、萩の花を見に。
〈2104〉朝顔は、朝露を浴びて咲くといわれるが、夕方の光の中でこそ一段と咲きまさって見える。
〈2105〉春には霞に隠れて見えなかった萩が、秋になった今は美しく咲いた。手折って髪飾りにしよう。
【説明】
「花を詠む」歌。2101の「摺れるにはあらず」の「摺る」は、摺染めにすること。8音の字余りですが、単独母音アを含む許容される字余り句。「高松」は「高円」の別称で、春日山の南に続く地。萩の花の色が沁みた衣を着ていた人が、誰かに説明した形の歌です。2102の「白露に争ふ萩」は、当時、露は花を咲かせようとし、萩の花は咲くまいと争うと感じられていたことによる表現。また、露を男、萩を女と見ています。2103の「馬並めて」は、馬を連ねて。「いざ」は、人を誘う感動詞。「行かな」の「な」は、自身への願望。馬は今でいう高級外車のようなものですから、相応の身分ある人の歌と見えます。
2104の「朝顔」は未詳ながら、夕方に咲きまさると歌われているので、現在のアサガオとは異なり、桔梗あるいはヒルガオ、ムクゲかといわれます。「夕影」は、夕方の薄暗い光。「咲きまさりけれ」の「けれ」は、気づきの助動詞「けり」の已然形で、上の「こそ」の結び。一段と見事に咲いていることに気づいたよ、の意。2015の「春されば」は、春になると。上3句の表現意図がはっきりしませんが、春には芽を吹かず、目につきにくいことを言ったものとされます。「かざす」は、草木の花や枝を髪飾りにすること。春秋の争いの心による歌と見えます。
巻第10-2106~2109
2106 さ額田(ぬかた)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)時(とき)なれば今(いま)盛(さか)りなり折(を)りてかざさむ 2107 ことさらに衣(ころも)は摺(す)らじをみなへし佐紀野(さきの)の萩(はぎ)ににほひて居(を)らむ 2108 秋風は疾(と)く疾(と)く吹き来(こ)萩(はぎ)の花散らまく惜(を)しみ競(きほ)ひ立つ見む 2109 我(わ)が宿(やど)の萩(はぎ)の末(うれ)長し秋風の吹きなむ時に咲かむと思ひて |
【意味】
〈2106〉額田の野辺の秋萩は、ちょうど時節なので、今が真っ盛りだ。手折って髪飾りにしよう。
〈2107〉わざわざ衣を摺染めにはすまい、佐紀野の萩に、美しく染まっていよう。
〈2108〉秋風よ、早く吹いて来い。萩の花が散るのを惜しみ、風に逆らって揺れ立つのを見たいから。
〈2109〉我が家の庭の萩が枝先が長く伸び立っている。秋風が吹いてきたら、さっそくに咲こうと思って。
【説明】
「花を詠む」歌。2105の「さ額田」の「さ」は接頭語、大和郡山市南部の額田部あたりか。「時なれば」は、その時節なので。2107の「をみなへし」は「咲き」と続き、「佐紀」の枕詞。「佐紀野」は、平城京の北方の丘陵。「にほひて居らむ」は、美しい色に染まっていよう。2108の「疾く疾く」は、早く早く。「来(こ)」は、動詞「来(く)」の命令形。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。2109の「宿」は、家の敷地、庭先。「末」は、枝先の若い部分。「咲かむと思ひて」は、萩を擬人化しています。
『万葉集』でもっとも多く歌われた植物は萩であることから、この時代、萩が非常に好まれたことがわかります。山上憶良も、秋の七草の最初に萩を置いています(巻第8-1538)。さらには、2109と同様に、大伴書持(おおとものふみもち・家持の弟)の、庭の萩を詠んだ歌がありますので、庭に萩を植えることも流行っていたようです。
巻第10-2110~2114
2110 人(ひと)皆(みな)は萩(はぎ)を秋と言ふよし我(わ)れは尾花(をばな)が末(うれ)を秋とは言はむ 2111 玉梓(たまづさ)の君が使ひの手折(たを)り来(け)るこの秋萩は見れど飽(あ)かぬかも 2112 我(わ)がやどに咲ける秋萩(あきはぎ)常(つね)ならば我(あ)が待つ人に見せましものを 2113 手寸十名相 植ゑしも著(しる)く出(い)で見ればやどの初萩(はつはぎ)咲きにけるかも 2114 我が宿に植ゑ生(お)ほしたる秋萩(あきはぎ)を誰(た)れか標(しめ)刺す我(わ)れに知らえず |
【意味】
〈2110〉世間の人は皆、萩が秋を代表する花だと言う。何、かまうものか、私は尾花の穂先を秋の風情だと言おう。
〈2111〉あなたの寄こしたお使いが手折ってきてくれたこの秋萩は、見ても見ても見飽きることがありません。
〈2112〉わが家の庭に咲いている萩の花が、いつまでも散らないものであったら、私が待っている人に見せてあげられるのだけど。
〈2113〉手寸十名相 植えた甲斐があって、庭に出て見ればわが家の初萩が見事に咲いている。
〈2114〉我が家の庭に植えて育てている秋萩に、いったい誰が標を刺したのか、私に知れないように。
【説明】
「花を詠む」歌。2110の「人皆は」は、世間の人は皆。「皆人」が、一定の場の人々を指すのとは異なります。「よし」は、放任・許容の意を表す副詞で、ままよ、かまうものか。「尾花」は、ススキのこと。「末」は、穂先。原文も「末」ですが、スエと訓むものもあります。スエの方がウレよりも先端の範囲が広いとされます。ススキを詠んだ歌は、萩を詠んだ140首を越える数には及びませんが、合計46首あります。
2111の「玉梓の」は、古く便りを伝える使者は、梓(あずさ)の枝を持ち、これに手紙を結びつけて運んでいたことから「使ひ」に掛かる枕詞。また、妹へやることから「妹」にも掛かります。使いの者が、途中で美しい萩を見かけ、手折って添えたもので、君の使いの持ってきた萩であるからこそ、特別に美しいと言っています。使いへの返事に書き添えた歌とみられます。萩は男が持って行くように言ったのかもしれません。それでも、どの萩を折るかは使いに任されているわけで、使いのセンスに委ねられています。あるいは萩を手折って添えること自体が使いの意志だったかもしれません。いずれにせよ使いの裁量に委ねられており、使いはそれだけ信用され、また男の意志や思いがよりよく女に伝わるように務めたのです。
2112の「やど」は、家の敷地、庭先。「常ならば」は、いつまでも変らぬものであったなら、長く咲き続けているものであったなら。「我が待つ人」は、女(作者)の夫。「見せましものを」の「を」は詠嘆で、見せることができなくて残念だ、の余意を含んでいます。2113の「手寸十名相」は訓、語義とも未詳ですが、「手文寸麻仁」の誤りだとして「手もすまに」と訓み「苦労して」の意とする説があります。「植ゑしも著く」は、植えた甲斐があって。「初萩」は、早咲きの萩。この歌には寓意があるようにも見られ、大切に育ててきた娘が、ついに女になったことを発見した母親の喜びを歌ったものではないかとも言われます。この場合、萩の初花をいう「初萩」は、初潮を迎えた乙女の譬喩である、と。
2114の「植ゑ生ほしたる」は、植えて育ててきた。「標刺す」は、土地や土地に生えている植物などを自分のものであると示すために地面に刺す杭や串のこと。「我れに知らえず」の「え」は受身の助動詞「ゆ」の未然形で、私に知れないように。この歌は、母親に無断で娘と婚約をした男をなじっている譬喩歌とする見方もあります。今も昔も変わらない、娘を心配する親心の歌でしょうか。
巻第10-2115~2119
2115 手に取れば袖(そで)さへにほふ女郎花(をみなへし)この白露(しらつゆ)に散らまく惜しも 2116 白露(しらつゆ)に争ひかねて咲ける萩(はぎ)散らば惜しけむ雨な降りそね 2117 娘女(をとめ)らに行き逢ひの早稲(わせ)を刈る時になりにけらしも萩(はぎ)の花咲く 2118 朝霧(あさぎり)のたなびく小野(をの)の萩(はぎ)の花(はな)今か散るらむいまだ飽(あ)かなくに 2119 恋しくは形見(かたみ)にせよと我(わ)が背子(せこ)が植ゑし秋萩(あきはぎ)花咲きにけり |
【意味】
〈2115〉手に取れば袖までも染まるような美しい女郎花(おみなえし)が、この白露で散ってしまうのは惜しいことだ。
〈2116〉早く咲けとばかりに降りてきた白露に逆らえず咲いた萩、この萩が散るのは惜しい。雨よ降らないでおくれ。
〈2117〉娘子らに行き違う道端に作ってある早稲を刈る時季がやってきたようだ。萩の花も咲いている。
〈2118〉朝霧がたなびく野に咲いている萩の花は、今はもう散っているだろうか。まだ見飽きてはいないのに。
〈2119〉恋しくなったら形見にせよと言って、あの人が植えた秋萩の花が咲きました。
【説明】
「花を詠む」歌。2115の「袖さへにほふ」は、手はもとより袖までも美しく染まる。「女郎花」は、秋の七草の一つ。美女のなかでもひときわ美しい姿であるとの意味でつけられた名で、『万葉集』でこの花を詠んだ歌は14首あります。「白露(しらつゆ)」は、漢語「白露」の翻読語。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。
2116の「白露に争ひかねて」は、当時、露は花を咲かせようとし、萩の花は咲くまいと争うと感じられていたことによる表現。「雨な降りそね」の「な~そね」は、懇願的な禁止。折悪しく降る雨に、咲いたばかりの萩の花が散るのを惜しんでいます。2117の「娘子らに」の「ら」は親愛を示す接尾語で、「行き逢ひ」と続く枕詞。「行き逢ひ」は、人の行き違う所で、道を言い換えたもの。ほかに地名とする説、あるいは夏と秋の行き合う頃とする説などがあります。
2118の「小野」は、人里の野。「今か散るらむ」の「か」は疑問、「らむ」は現在推量。「いまだ飽かなくに」の「飽かなく」は「飽かぬ」のク語法で名詞形。2119の「恋しくは」は、恋しく思ったならば。「形見」は、離れている人を思い出すよすがとなるもの。植物を人を偲ぶ形見として庭に植えることは多かったようで、巻第3-464、巻第8-1471、巻第11-2484などに類想歌があります。「けり」は、気づきの詠嘆の助動詞。
巻第10-2120~2123
2120 秋萩(あきはぎ)に恋(こひ)尽(つく)さじと思へどもしゑや惜(あたら)しまたも逢はめやも 2121 秋風は日に異(け)に吹きぬ高円(たかまと)の野辺(のへ)の秋萩(あきはぎ)散らまく惜しも 2122 ますらをの心はなしに秋萩(あきはぎ)の恋のみにやもなづみてありなむ 2123 我(あ)が待ちし秋は来(きた)りぬしかれども萩(はぎ)の花ぞもいまだ咲かずける |
【意味】
〈2120〉秋萩に心を尽くすまいと思うけれど、ああ惜しいことだ。こんな美しい花に二度と出逢えようか、出逢えはしない。
〈2121〉秋風が日増しに吹きつのる高円の野辺に、咲いている萩が散るのは惜しいことだ。
〈2122〉立派な男子の雄々しい心をなくしてしまい、秋萩を恋しく思うことばかりに執着していてよいものか。
〈2123〉私が待っていた秋はやってきたけれども、萩の花はまだ咲こうとしない。
【説明】
「花を詠む」歌。2120の「しゑや」は、捨てばちな気持をあらわす感動詞。ああ、ええいままよ。「あたらし」は、惜しい、愛惜の情が切である。「逢はめやも」の「やも」は、反語。2121の「日に異に」は、日増しに、日ごとに変わって。「高円山」は、奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていました。
2122の「心はなしに」は、心を失って。「恋のみにやも」の「や」は、疑問の係助詞で反語。「なづみて」は、拘って、執着して、難渋して、の意。「ありなむ」は上の「やも」の結びの連体形で、執着しているべきであろうか、いるべきではない。2123の「萩の花ぞも」の「ぞ」は係助詞、「も」は詠嘆の助詞。「咲かずける」の「ける」は「けり」の連体形で「ぞ」の結び。
萩を歌った歌は万葉集中140首余りあり、当時の人々にとってもっとも身近な花だったことがうかがえます。また、2123の「我が待ちし秋は来たりぬ」とあるように、古来、実りの秋、紅葉の秋は、日本人が最も愛する季節だったらしく、『万葉集』の季節歌の中でも、秋の歌が最も多く詠まれています。
巻第11-2124~2127
2124 見まく欲(ほ)り我(あ)が待ち恋ひし秋萩(あきはぎ)は枝もしみみに花咲きにけり 2125 春日野(かすがの)の萩(はぎ)し散りなば朝東風(あさごち)の風にたぐひてここに散り来(こ)ね 2126 秋萩(あきはぎ)は雁(かり)に逢はじと言へればか [一に云ひ、言へれかも] 声(こゑ)を聞きては花に散りぬる 2127 秋さらば妹(いも)に見せむと植ゑし萩(はぎ)露霜(つゆしも)負(お)ひて散りにけるかも |
【意味】
〈2124〉早く見たいと私が待ち焦がれていた秋萩が、枝いっぱいに花を咲かせたよ。
〈2125〉春日野の萩が散るならば、朝の東風に乗って、ここに散ってきておくれ。
〈2126〉秋萩は、雁には逢わないと言うからか、雁の声が聞こえると花のまま散ってしまった。
〈2127〉秋になったらあの子に見せようと植えた萩だが、冷たい露を浴びて散ってしまったよ。
【説明】
「花を詠む」歌。2124の「見まく」は「見む」のク語法で名詞形、見ること、見るだろうこと。「欲り」は「欲る」の連用形で、ク語法なみに理由を表すことの多い用法です。「しみみに」は、繁く、隙間なくいっぱいに。2125の「春日野」は、奈良市の東方、春日大社を中心とする広い領域。「朝東風」は、朝の東風。「たぐひて」は、連れ立って、伴って。「来ね」の「ね」は、願望の終助詞。
2126の「雁に逢はじと」は、雁に逢うまいと。「花に散る」は、実を結ばず花の状態のまま散ること。雁を男、萩を女と見ており、雁の来る頃に萩が散ってしまうところから、雁に逢う(結婚する)のを嫌がっている、すなわち、萩は、雁の到来によって自らの盛りが終わるのを知ってしまうので、と、その哀感をうたっています。
2127の「秋さらば」は、秋になると。「露霜」は、露が凍って霜のようになったもの。この歌からは、庭を造って好きな植物を植え、それを人に見せて楽しむということが行われていたことが分かります。しかし作者は、萩の開花のころの逢瀬が叶わなかったのか、また失恋してしまったのか、それとも、恋人は故人になってしまったのでしょうか。それだと新しい挽歌となります。
巻第10-2128~2132
2128 秋風に大和へ越ゆる雁(かり)がねはいや遠ざかる雲隠(くもがく)りつつ 2129 明け暮(ぐ)れの朝霧隠(あさぎりごも)り鳴きて行く雁(かり)は我(あ)が恋(こひ)妹(いも)に告げこそ 2130 我(わ)が宿に鳴きし雁(かり)がね雲の上に今夜(こよひ)鳴くなり国へかも行く 2131 さを鹿(しか)の妻どふ時に月をよみ雁(かり)が音(ね)聞こゆ今し来(く)らしも 2132 天雲(あまくも)の外(よそ)に雁(かり)が音(ね)聞きしよりはだれ霜(しも)降り寒しこの夜は [一云 いやますますに恋こそまされ] |
【意味】
〈2128〉秋風によって、大和へ越えてゆく雁の声がますます遠ざかって行く。雲に見え隠れしつつ。
〈2129〉明け方のまだ薄暗いころ、朝霧に見え隠れしながら鳴いて飛んで行く雁よ、私のこの切ない思いをあの子に告げておくれ。
〈2130〉我が家の庭で鳴いていた雁が、雲の上で今夜は鳴いている。我が故郷の方へ行くのだろうか。
〈2131〉牡鹿が妻を求めて鳴いている折しも、月が明るいので、雁の鳴くのが聞こえる。今にもこちらへ飛んで来るようだ。
〈2132〉雲のはるか彼方で雁の鳴き声を聞いてから、うっすらと霜が降りるようになり寒いことだ、このごろの夜は。
【説明】
「雁を詠む」歌。2128の「秋風に」は、秋風によって、秋風の吹く中を。「雁がね」は、雁の別名。「いや」は、いよいよ、ますます。大和に接した国、あるいは旅中にあって、遠く大和の方へ飛んで行く雁を見つつ詠んだ歌のようです。2129の「明け暮れ」は「夕暮れ」の対で、明け方の暗いころ。「告げこそ」の「こそ」は、願望の終助詞。中国の故事の「雁の使い」から発想した歌です。
2130の「宿」は、家の敷地、庭先。「国」は、作者の故郷。雁の故郷とも取れます。「かも」は、疑問。なお、「行く」は、原文「遊群(ゆく)」となっており、音仮名でありながら、用いられている文字から、雁が群れをなして悠然と飛んで行く様子が示されているのが分かります。当時の人々は、歌を詠むに際し、漢字の字義を利用して様々な工夫をしていたと考えられます。
2131の「さを鹿の「さ・を」は接頭語、「鹿」は牡鹿。「月をよみ」の「よみ」は「よし」のミ語法で、月がよいので。「雁が音」は、雁の鳴き声。2132の「天雲の外に」の「外に」は、遥かな所で、天雲の遥か彼方に。「はだれ霜」は、まだらに置く霜、うっすらと降り置いた霜。
巻第10-2133~2137
2133 秋の田の我(わ)が刈りばかの過ぎぬれば雁(かり)が音(ね)聞こゆ冬かたまけて 2134 葦辺(あしへ)なる荻(をぎ)の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁(かり)鳴き渡る [一云 秋風に雁が音聞こゆ今し来らしも] 2135 おしてる難波(なには)堀江(ほりえ)の葦辺(あしへ)には雁(かり)寝たるかも霜(しも)の降らくに 2136 秋風に山飛び越(こ)ゆる雁(かり)がねの声(こゑ)遠ざかる雲隠(くもがく)るらし 2137 朝にゆく雁(かり)の鳴く音(ね)は吾(わ)が如(ごと)くもの念(おも)へかも声の悲しき |
【意味】
〈2133〉秋の田の私の持ち場を刈り終えると、雁の鳴き声が聞こえる。冬が近づいてきている。
〈2134〉葦辺に生えている荻の葉がざわつき、秋風が吹き寄せてきた。折しも雁が空を鳴き渡っていった。(秋風に乗って雁の鳴き声が聞こえる。今しも雁がやって来たらしい)
〈2135〉難波の堀江の葦辺では、雁たちは寝ているのだろうか、こんなに霜が降りているというのに。
〈2136〉秋風が吹くなか、山を飛び越えていく雁たちの鳴き声が遠ざかっていく。雲に隠れて飛んでいるらしい。
〈2137〉いま朝早く飛んでいく雁の鳴く声は、何となく物悲しい、彼らも私と同じように物思いをしているからだろう。
【説明】
「雁を詠む」歌。2133の「刈りばか」は、稲を刈る分担範囲。「はか」は、現代語の「はかどる」などに残っています。「かたまけて」は、近づいて。収穫作業を終えた農夫の感慨の歌との見方もありますが、田庄(たどころ)に赴いた都の官人による歌とされます。2134の「葦辺なる」は、葦辺にある、葦辺に生えている。「萩(をぎ)」は、水辺の野に生えるイネ科の多年草。高さ2mくらいになり、葦に似ていますが、穂がススキに似る点で区別できます。「なへに」は、とともに、と同時に。難波あたりの景とみられます。
2135の「おしてる」は「難波」の枕詞。「難波堀江」は、難波にある堀江で、河水を海に疏通させる水路。今の天満橋付近。「降らく」は「降る」のク語法で名詞形。「に」は、詠嘆。秋の夜寒の頃、難波に旅寝している奈良京の人の歌とされます。2136の「雲隠るらし」は、雲に隠れるのだろう。遠い山に雲のかかるのを見て、雁の声から推して、その雲中を飛んでいるのだろうと想像しています。
2137の「朝に行く」の「朝に」は「つとに」と訓むものもあります。「あさ」「けさ」「昨日」「今日」などの時を表す名詞は「に」を伴わずに副詞的に用いるのが習いとの理由によります。「もの念へかも」の「かも」は、疑問の条件法。この歌について斎藤茂吉は、「惻々(そくそく)とした哀韻があって棄てがたい。『鳴く音は』『声の悲しき』は重複しているようだが、前はやや一般的、後は実質的で、他にも例がある」と述べています。
巻第10-2138~2140
2138 鶴(たづ)がねの今朝(けさ)鳴くなへに雁(かり)がねはいづくさしてか雲隠(くもがく)るらむ 2139 ぬばたまの夜(よ)渡る雁(かり)はおほほしく幾夜(いくよ)を経てかおのが名を告(の)る 2140 あらたまの年の経(へ)ゆけばあどもふと夜(よ)渡る我(わ)れを問ふ人や誰(た)れ |
【意味】
〈2138〉鶴たちが今朝鳴いている。折しも、雁たちはどこを目指して雲に隠れて飛んでいくのだろうか。
〈2139〉暗い夜空を渡っていく雁の姿は、ぼんやりしていて覚束なく、いったい幾夜経ったら、自分の名を聞かせてくれるのか。
〈2140〉年が替わったので、もう国へ帰ろうと仲間を誘って夜空を渡ろうとする私に、今さら名を問うのはどこのどなたですか。
【説明】
「雁を詠む」歌。2138の「鶴がね」は、鶴のことで、「雁がね」と同様の言い方。「なへに」は、とともに、と同時に。「らむ」は、現在推量の助動詞。鶴の声に対して、雁の声が薄れていく寂しさを詠んだ歌で、鶴と雁の取り合わせは『万葉集』ではこの一例のみです。たまたまの珍しい実景ともされますが、この取り合わせは漢詩文で多く見られ、その表現方法の影響があるのではないかとの見方もあります。
2139・2140は、問答歌。2139の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「おほほし」は、はっきりしない、おぼろげである。ここは、声が聞き取りにくくてもどかしく思われるさま。「幾夜を経てか」は、幾夜を飛び続けたならば。雁は「かり、かり」と自分の名を名告る鳥だとされていたので、夜空を声も立てずに飛ぶ雁をもどかしがって、鳴けよと言っており、女が、求婚してくるのに名告りをしない男に問うた比喩歌になっています。
2140はそれに答えた男の歌。「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の経ゆけば」は、年が改まって春になる意。「あどもふ」は、伴う、率いるの意ですが、何と思ってか、と解するものもあります。それによると、多年の馴染みだから自分の心は知っているはずだ、との意が込められているとされます。一方、上掲の解釈は、春の今帰ろうとする時まで「かり、かり」と鳴き続けたのに、今さら何を言うのか、との意になります。いずれも、女の問いに即しつつ、問われたのを再び比喩によって恨み返した形になっていますが、秋の宴席歌と見られています。
巻第10-2141~2143
2141 このころの秋の朝明(あさけ)に霧隠(きりごも)り妻呼ぶ鹿(しか)の声のさやけさ 2142 さを鹿(しか)の妻ととのふと鳴く声の至らむ極(きは)み靡(なび)け萩原(はぎはら) 2143 君に恋ひうらぶれ居(を)れば敷(しき)の野の秋萩(あきはぎ)しのぎさを鹿(しか)鳴くも |
【意味】
〈2141〉このごろの秋の明け方に、霧に隠れて妻を呼んでいる牡鹿の声の、何とすがすがしいことよ。
〈2142〉牡鹿が、妻を呼び寄せて集めるために鳴く声が、遠く果てまで響き、一面に靡け野原の萩たちよ。
〈2143〉あの方に恋い焦がれて侘びしい思いでいると、敷の野の萩を押し分けて、牡鹿が妻恋いをして鳴いている。
【説明】
「鹿鳴を詠む」歌。鹿鳴は、秋の代表的景物の一つ。2141の「朝明」はアサアケの約で、明け方、早朝。「さやけさ」は、一種の体言止めで詠嘆がこもっています。「さやけし」は、「きよし」が対象物のよごれのない状態をいうのに対し、対象の清らかさから受ける清々しい情意を表します。佐佐木信綱はこの歌を評し、「一誦、清澄冷徹な空気が身辺を包むのを感じる。格調もよく引き締まってめでたい」と述べています。
2142の「さを鹿」の「さ」は接頭語。「ととのふ」は、調整する、散乱しているものを統一する、おさめる、などの意で用いられますが、ここは呼び寄せる意。鹿は一夫多妻であることからの表現。「鳴く声の至らむ極み」は、鳴く声が届く果てまで。「靡け萩原」は、妻呼ぶ声がよく届くようにいっせいに平らになれと希求したもの。鹿に対する愛情が感じられる歌です。2143の「うらぶれ」は、侘しく思い、悲しみに沈み。「敷の野」は、所在未詳。「秋萩しのぎ」は、秋萩を押し分けて。夫を恋う女の歌です。
この時代には、人々の身近に棲む野生動物は、現在よりも遥かに多かったはずで、中でも秋に牝鹿を求めて鳴く牡鹿の声は印象的だったようです。鹿の声を題材にした歌は、たくさん作られています。
巻第10-2144~2147
2144 雁(かり)は来ぬ萩(はぎ)は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり 2145 秋萩(あきはぎ)の恋も尽きねばさを鹿の声い継(つ)ぎい継(つ)ぎ恋こそまされ 2146 山近く家や居(を)るべきさを鹿の声を聞きつつ寐寝(いね)かてぬかも 2147 山の辺(へ)にい行く猟夫(さつを)は多かれど山にも野にもさを鹿(しか)鳴くも |
【意味】
〈2144〉雁はやってきて、萩は散ってしまったと、牡鹿の鳴く声も侘しくなってきたことだ。
〈2145〉萩の花への恋しい思いがまだ尽きないのに、牡鹿の妻を呼ぶ声が次々と聞こえてくるので、私の恋心はつのる一方だ。
〈2146〉山の近くの家に住むものではない。妻を呼ぶ牡鹿の声が夜通し聞こえて、とても眠れたものではない。
〈2147〉山の辺に行く猟師は多くて恐ろしいものだが、それでも妻恋しさに、牡鹿があんなに鳴いている。
【説明】
「鹿鳴を詠む」歌。2144の上2句は、晩秋から初冬の代表的な渡り鳥である雁がやって来ると萩は散ると言われているので、その関係を言ったもの。「うらぶれ」は、侘しく思い、悲しみに沈み。窪田空穂は、「単純な形の歌であるが、恋のあわれを通じて、時の推移するさみしい気分が現れている」と評し、伊藤博も、この歌を出色としています。
2145の「秋萩の恋」は、萩の花に対する我が恋。「い継ぎい継ぎ」の「い」は接頭語で、次々と。ここは原因、理由を示しています。「恋こそまされ」は、恋心が増すばかりだ。窪田空穂は、「声い継ぎい継ぎ恋ひこそ」の語続きが巧みと評しています。2146の「家や居るべき」の「や」は反語で、家に居るべきではない。「寐寝かてぬかも」の「かてぬ」は、不可能を表す語。「かも」は、詠嘆。
2147の「い行く」の「い」は接頭語。「猟夫」は、猟師。「山にも野にもさを鹿鳴くも」は、山野には猟師が多く、鹿にとっては危険であるのに、それでも牡鹿は鳴いている、すなわち、危険を冒しても、恋に一途に生きる生き方を詠んだ歌です。斉藤茂吉によれば、「西洋的にいうと、恋の盲目とでもいうところであろうか。そのあわれが声調のうえに出ている点がよく、第三句で、『多かれど』と感慨をこめている。結句の、『鳴くも』の如きは万葉に甚だ多い例だが、古今集以後、この『も』を段々嫌って少なくなったが、こう簡潔につめていうから、感傷の厭味に陥らぬともいうことが出来る」
巻第10-2148~2152
2148 あしひきの山より来(き)せばさを鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを 2149 山辺(やまへ)にはさつ男のねらひ畏(かしこ)けどを鹿鳴くなり妻が目を欲(ほ)り 2150 秋萩(あきはぎ)の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿(しか)鳴くも 2151 山遠き都にしあればさを鹿の妻呼ぶ声は乏(とも)しくもあるか 2152 秋萩(あきはぎ)の散り過ぎゆかばさを鹿はわび鳴きせむな見ずはともしみ |
【意味】
〈2148〉山道を通って来たなら、牡鹿が妻を呼ぶ声を聞くことができただろうに。
〈2149〉山のほとりでは猟師を狙っているのが恐ろしいけれど、牡鹿は鳴いている、妻に逢いたくて。
〈2150〉秋萩が散っていくのを見て、牡鹿は心がふさぎ、妻恋しさに鳴いているよ。
〈2151〉山から遠い都に住んでいるので、牡鹿の妻を呼ぶ声があまり聞こえてこないのだろうか。
〈2152〉萩の花が散ってしまうと、牡鹿は侘しがって鳴くことだろう、萩の花を見ないと寂しいので。
【説明】
「鹿鳴を詠む」歌。2148の「あしひきの」は「山」の枕詞。「来せば」は、来たならば。「せば~まし」は、反実仮想。窪田空穂はこの歌について、「作者はある平地から平地へと来たのであるが、そこへ来るには、平地続きの路と山越えの道とあって、作者は平地続きの路のほうを来たのである」と解説し、「日常生活に即した歌で、詠み方も素朴単純である。いかにあわれを愛していたかの実情の窺われる歌である。軽いものながら味わいがある」と述べています。
2149の「さつ男のねらひ」は、猟師が獲物を得ようとねらっていること。「畏けど」は、恐ろしいけれど。「妻が目を欲り」は、妻に逢いたくて。2150の「散りゆく見れば」の主語は、牡鹿。「おほほしみ」は「おほほし」のミ語法で、気がふさぐので。「妻」は、初句にいう秋萩。2151の「都にしあれば」の「し」は、強意の副助詞。「あれば」は、住んでいるので。「乏し」は、少ない。2152の「ともしみ」は「ともし」のミ語法で、心引かれるので。
巻第10-2153~2157
2153 秋萩(あきはぎ)の咲きたる野辺(のへ)はさを鹿ぞ露(つゆ)を別(わ)けつつ妻問ひしける 2154 なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野(あきの)の萩や繁(しげ)く散るらむ 2155 秋萩(あきはぎ)の咲たる野辺(のへ)にさを鹿は散らまく惜(を)しみ鳴き行くものを 2156 あしひきの山の常蔭(とかげ)に鳴く鹿の声聞かすやも山田(やまだ)守(も)らす子 2157 夕影(ゆふかげ)に来鳴(きな)くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽(あ)かぬ声かも |
【意味】
〈2153〉萩が咲いているこの野辺は、牡鹿が露の置いた枝を押し分け押し分けしては、妻を求めて歩き回ったのだな。
〈2154〉どうして牡鹿は侘びしそうに鳴くのだろう。もしかしたら秋野に咲く萩の花が次々と散っていくからだろうか。
〈2155〉萩が咲いている野辺で、牡鹿は、その花が散るのを惜しんで鳴いて行くことだ。
〈2156〉山陰で鳴く鹿の声をお聞きになりますか、山田の番をしているあなたは。
〈2157〉夕方の光の中にやって来て鳴いているひぐらしは、毎日毎日聞いても飽きない鳴き声だ。
【説明】
2153~2156は「鹿鳴を詠む」歌。2153の「露を別けつつ」は、露が置いた枝を胸で押し分け押し分けしては、の意。「妻」は、萩を指します。「妻問ひしける」の「ける」は、気づきを表す助動詞「けり」の連体形。萩が倒れ伏しているさまに、牡鹿が萩妻を訪れたことを察している歌です。2154の「なぞ」は「なにぞ」の約、「ぞ」は係助詞で、「わび鳴きすなる」の「なる」が結び。「けだしくも」は、もしかしたら。
2155の「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。「惜しみ」は「惜し」のミ語法。「鳴き行くものを」の「ものを」は、逆接の気持を含む詠嘆。2156の「あしひきの」は「山」の枕詞。「常陰」は、いつも陰になっている所。「声聞かすやも」の「聞かす」は「聞く」の尊敬語。「やも」は、問いかけ。「山田」は、山の中の田。
2157は「蝉を詠む」歌。「夕影」は、夕方の薄暗い日の光。「ひぐらし」は、カナカナゼミ。「ここだく」は、こんなにも。佐佐木信綱は、「極めて単純であるが、格調清亮。金鈴を振る蜩の声が、さながら耳朶に触れるようで、歌品が高い」と評しています。
巻第10-2158~2162
2158 秋風の寒く吹くなへ我(わ)が宿(やど)の浅茅(あさぢ)が本(もと)にこほろぎ鳴くも 2159 蔭草(かげくさ)の生(お)ひたるやどの夕影(ゆふかげ)に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも 2160 庭草(にはくさ)に村雨(むらさめ)降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり 2161 み吉野の岩(いは)もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川を清(さや)けみ 2162 神(かむ)なびの山下(やました)響(とよ)み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや |
【意味】
〈2158〉秋風が寒く吹くにつれ、我が家の庭に生えている浅茅の根元でコオロギが鳴いている。
〈2159〉蔭草が生い茂っている庭の、夕日のかすかな光の中でコオロギが鳴いている声は、聞いても飽きることがない。
〈2160〉庭の草ににわか雨が降り注ぎ、コオロギの鳴く声を聞くと、すっかり秋らしくなってきたことだ。
〈2161〉ここ吉野川の岩蔭ごとにカジカガエル鳴いている。それももっともだ、川が清らかなので。
〈2162〉神なびの山の麓を鳴り響かせながら流れ下る水の中で、カジカガエルがが鳴いている。もう秋だと告げようとしているのか。
【説明】
2158~2160は「蟋蟀(こほろぎ)を詠む」歌。こおろぎは、今のこおろぎか、あるいはすずむし、まつむし、きりぎりすなどを含む、秋に鳴く虫の総称ともいわれます。2158の「なへ」は、と同時に、つれて。「浅茅」は、たけの低い芽萱。「本」は、根元。2159の「蔭草」は、物陰に生えている草。「やど」は、家の敷地、庭先。「夕影」は、夕明かり。2160の「村雨」は、にわか雨。「秋づきにけり」の「秋づく」は、秋らしくなる。「けり」は、気づきの詠嘆の助動詞。
佐佐木信綱は、それぞれの歌について次のように評しています。「簡素な内容で、格調は極めて温雅流麗、爽涼の秋気が身辺に忍び寄る感がある。湯原王の『夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも』(1552)と情趣が相似て、一段と表現が質実である」(2158)、「閑寂な夕暮、物陰の草の中に鳴く蟋蟀の細い声に耳を傾けている作者の面影が浮かんでくる。清純にして風韻に富み、聊かの感傷もないのが快い」(2159)、「淡々として清く、落ちついた気韻があって、まことに歌品が高い」(2160)。
2161・2162は「蛙(かはず)を詠む」歌。「蛙」は、カジカガエル。夏から秋にかけて美しい声で鳴きます。2161は、吉野川での歌。「み吉野」の「み」は、称美の接頭語。「岩もとさらず」の「さらず」は、~ごとに、の意。「うべも」は、なるほど。「清けみ」は「さやけし」のミ語法で、清らかなので。2162の「神なびの山」は、ここは明日香の雷丘か。「山下響み」は、山の裾を響かせて。「秋と言はむとや」の主語は「かはづ」、「とや」は疑問で、かはづに問いかける気持を含んでいます。
巻第10-2163~2167
2163 草枕(くさまくら)旅に物思(ものも)ひ我(わ)が聞けば夕(ゆふ)かたまけて鳴くかはづかも 2164 瀬を早み落ちたぎちたる白波(しらなみ)にかはづ鳴くなり朝夕(あさよひ)ごとに 2165 上(かみ)つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕(ゆふ)されば衣手(ころもで)寒(さむ)み妻まかむとか 2166 妹(いも)が手を取石(とろし)の池の波の間(ま)ゆ鳥が音(ね)異(け)に鳴く秋過ぎぬらし 2167 秋の野の尾花(をばな)が末(うれ)に鳴くもずの声聞きけむか片聞(かたき)け我妹(わぎも) |
【意味】
〈2163〉旅先で物思いをしながら耳を澄ませていると、夕方が近づいたとばかりに、カジカガエルの鳴く声が聞こえてきた。
〈2164〉川の瀬が早いので、流れ落ちて湧き立つ白波の中に、カジカガエルが鳴いている、朝夕ごとに。
〈2165〉上流の瀬で、カジカガエルが妻を呼んで鳴いている。夕方になると衣の袖のあたりが寒いので、妻と共寝しようというのだろうか。
〈2166〉妻の手を取るという取石(とろし)の池の波間から、水鳥がいつもと違う声で鳴いている。秋が深まったようだ。
〈2167〉秋の野の尾花の穂先で鳴くモズの声を聞いただろうか、よく聞いてごらん、わが妻よ。
【説明】
2163~2165は「蛙(かはず)を詠む」歌。「蛙」は、カジカガエル。夏から秋にかけて美しい声で鳴きます。2163の「草枕」は「旅」の枕詞。「夕かたまけて」は、夕方が近づいたとばかりに、夕方を待ち受けて。2164の「瀬を早み」の「早み」は「早し」のミ語法で、瀬が速いので。「落ちたぎちたる」の「たぎつ」は、水がほとばしり流れる意。2165の「夕されば」は、夕方になると。「衣手寒み」は、衣の袖が寒いので。「妻まかむとか」は、妻と共寝しようというのか。「まく」は枕にする意で、「妻まく」は妻と手枕を交わして寝ることをいいます。
2166・2167は「鳥を詠む」歌。2166の「妹が手を」は、取ると続き、「取石」にかかる枕詞。集中に類の多い即興的枕詞です。「取石の池」は、大阪府高石市の東部にあった池。「波の間ゆ」は、波の間を通って。「鳥」は、水鳥。「異に鳴く」は、いつもと違う声で鳴く。2167の「尾花」は、秋の七草の一つであるススキの花穂。「末」は、先端。「もず」は、多くの獲物を集めることから物集(もず)と名付けられ、また、時に他の鳥のような鳴まねをするため「百舌」の字があてられたといいます。「片聞け」は、ひたすら聞け。「片聞く我妹」と訓んで、ろくに耳に入れない我が妻は、のように解するものもあります。
巻第10-2168~2172
2168 秋萩(あきはぎ)に置ける白露(しらつゆ)朝(あさ)な朝(さ)な玉としぞ見る置ける白露 2169 夕立ちの雨降るごとに [一云 うち降れば] 春日野(かすがの)の尾花(をばな)が上(うへ)の白露(しらつゆ)思ほゆ 2170 秋萩(あきはぎ)の枝もとををに露霜(つゆしも)置き寒くも時はなりにけるかも 2171 白露(しらつゆ)と秋萩(あきはぎ)とには恋ひ乱れ別(わ)くことかたき我(あ)が心かも 2172 我(わ)が宿(やど)の尾花(をばな)押しなべ置く露(つゆ)に手(て)触(ふ)れ我妹子(わぎもこ)散らまくも見む |
【意味】
〈2168〉秋萩に置いている白露を、毎朝毎朝、玉と思って見ている。置いているその白露を。
〈2169〉夕立が降るたびに(さっと降ると)、春日野の尾花の上に降りる白露が思われる。
〈2170〉秋萩の枝がしなうほどに露霜が降りて、寒々と季節はめぐって来たことだ。
〈2171〉白露と秋萩とは、そのいずれにも恋しく心が乱れ、どちらがよいとも選びかねる私の心です。
〈2172〉庭先の尾花を押し伏せて置いている露に、手を触れてくれないか、わが妻よ。露がこぼれ落ちるのを見たいから。
【説明】
「露を詠む」歌。2168の「朝な朝な」は、毎朝。「玉」は、美しい石、真珠。第2句を第5句で繰り返して強調するのは、歌謡に例の多い古形といわれ、この歌はそれに倣った宴歌だろうとされます。2169の「春日野」は、奈良市の東方、春日大社を中心とする一帯。2170の「枝もとををに」の「とをを」は、露の重みで枝が撓むさま。「露霜」は、露と霜、または露が凍って霜のようになったもので、冷え冷えとした露を表現する歌語。「寒くも時は」の語続きについて伊藤博は、「『時は寒くも』だと歌の調べが半減することを思うべし」と言っています。
2171の「白露(しらつゆ)」は、漢語「白露」の翻読語。上2句は「白露と秋の萩とは」と訓むものもあります。「別く」は、分別する、判断する意。白露と秋萩の両方に心が引かれているとする上掲の解釈が定説ですが、「露」は「はかないもの」の比喩として用いられることはあっても、露を恋する歌は『万葉集』にも『古今集』にも例がないなどの理由から、「思ひ乱れ」の対象はあくまで作者の恋人(人間)であるとの見方があります。それによると、「目の前の白露と秋萩の関係は、恋い乱れてものの区別もつけ難い今の私の心に似ていることです」のような解釈になります。2172の「宿」は、家の敷地、庭先。「尾花」は、ススキ。「押しなべ」は、押し伏せて。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。
巻第10-2173~2177
2173 白露(しらつゆ)を取らば消(け)ぬべしいざ子ども露に競(きほ)ひて萩の遊びせむ 2174 秋田(あきた)刈る仮廬(かりほ)を作り我(わ)が居(を)れば衣手(ころもで)寒く露(つゆ)ぞ置きにける 2175 このころの秋風(あきかぜ)寒し萩の花散らす白露(しらつゆ)置きにけらしも 2176 秋田(あきた)刈る苫手(とまで)動くなり白露(しらつゆ)し置く穂田(ほだ)なしと告げに来(き)ぬらし 2177 春は萌(も)え夏は緑に紅(くれなゐ)のまだらに見ゆる秋の山かも |
【意味】
〈2173〉白露を手に取ったなら消えてしまうだろう。さあみんな、露と競って萩に親しみ、宴を開こうではないか。
〈2174〉秋の田を刈るための仮小屋を作って、私がそこにいると、着物の袖に寒く露が置いたことだ。
〈2175〉このごろの秋風は寒い。萩の花を散らす白露がもう置いたらしい。
〈2176〉稲穂を刈り終えたら、私が寝泊まりしている仮小屋の覆いが秋風に揺れている。まるで、白露が、身を置く稲穂がないではないかと告げにきたように。
〈2177〉春は萌え、夏は緑に、そして今、紅がまだらに見える秋の山です。
【説明】
2173~2176は「露を詠む」歌。2173の「いざ子ども」は、年下または目下の者たちに呼びかける慣用句。「露に競ひて」の「競ふ」は、抵抗する、争う、の意。「萩の遊び」は、萩の花を愛でるための宴。男女に擬せられる萩(女)と露(男)の関係を踏まえ、我々も露と競って、萩の花を見て楽しむ酒宴を開こうと言ってる歌です。白露も秋萩も、秋の代表的な風物です。
2174の「仮廬」は、仮小屋。秋の収穫のため、日常の住居から離れ住んで刈り入れを行っていたことが分かります。上代の氏族は、住居と耕作する田(田庄)は遠いのが普通だったといいます。この歌は、鎌倉時代の『新古今和歌集』の「秋歌」に「題知らず、よみ人知らず」として「秋田守る仮廬つくりわがおれば衣手さむし露ぞ置きける」と少し変えて収められており、さらに、藤原定家による『小倉百人一首』の冒頭に、天智天皇の作として「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」の歌が収められており、この歌の改作であろうとされます。晩秋の農作業にいそしむ静寂な田園風景を詠んだ歌ですが、まことに数奇な運命をたどった歌であり、定家がこの歌の作者を天智天皇としたのには、どのようないきさつと判断があったのでしょうか。
2175の「置きにけらしも」の「けらしも」は「けるらしも」の意で、上2句を根拠としての推定。2176の「苫手」の「苫」は、菅(すげ)や茅(かや)を編んで小屋を覆うもの。「手」は端っこのこと。「白露し」の「し」は、強意の副助詞。「置く穂田なし」は、田の刈り取りがすべて終わり、もう露の置く稲穂がない、の意。稲刈りが終わり、田小屋の覆いが風で動くのを、白露が私はどこに身を置けばよいのでしょうと訴えているものと表現しています。
2177は「山を詠む」歌。「緑に」は、緑色であって、秋は紅の、の意で続きます。「萌え」は、木々が芽吹き。「まだら」の原文「綵色」で、シミイロと訓み、初め色の意とするものもあります。1首中に、春から夏、そして秋へと、一年のうちの三季の移ろいを網羅的に詠んだ歌であり、作者の眼前にあるのは紅がまばらに見える秋の山です。過ぎた季節を回想しており、迎える冬の寂寥たる山の色も脳裏にあったかもしれません。
巻第10-2180~2183
2180 九月(ながつき)の時雨(しぐれ)の雨に濡れとほり春日の山は色づきにけり 2181 雁(かり)が音(ね)の寒き朝明(あさけ)の露(つゆ)ならし春日の山をもみたすものは 2182 このころの暁露(あかときつゆ)に我(わ)がやどの萩の下葉(したば)は色づきにけり 2183 雁(かり)がねは今は来(き)鳴きぬ我(あ)が待ちし黄葉(もみち)早(はや)継(つ)げ待たば苦しも |
【意味】
〈2180〉九月の時雨に山の芯まで濡れ通り、春日山はすっかり色づいたことだ。
〈2181〉雁の声の冷たい明け方に降った露に違いない、あのように春日山を美しく色づけたのは。
〈2182〉ここのところの明け方の露のせいで、我が家の萩の下葉はすっかり色づいてきた。
〈2183〉雁は今はもう来て鳴いている。私が待っている紅葉よ、早く雁に続け。待ち遠しくてならない。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。現代では「紅葉」と書くのが一般的ですが、『万葉集』の表記で「紅葉」とあるのは1例(巻第10-2201)のみで、76例は「黄葉」と書かれています。「毛美知」のような一字一音の仮名の場合は別として、赤系統は紅葉1、赤葉1,赤2の4例だけで、黄系統は黄葉76のほか黄変6、黄3、黄色2、黄反1の計88例もあります。これは、古代には黄色く変色する植物が多かったということではなく、中国文学に倣った書き方だと考えられていますが、当時は、赤・黄に拘わらず、秋になって木々の葉が変色するのを共に称したのかもしれません。また、発音は「もみじ」ではなく「もみち」と濁らなかったようで、葉が紅や黄に変色する意味の動詞「もみつ」から生まれた名だといいます。
2180の「春日の山」は、奈良盆地の東部にあり、その原始林は、古来、神域として保護され、今では世界遺産となっています。「九月」は陰暦の9月で、晩秋にあたります。「色づく」は秋を示す季節語で、多くの用例があります。2181の「朝明」は、明け方、暁に続く日の出前の一時。「露なだし」の「ならし」は「なるらし」の約。「もみたす」は木の葉を紅葉させる意。2182の「暁露」は、夜明け近くに置く露。「やど」は、庭先、家の敷地。2183の「雁がね」は、雁。
巻第10-2184~2187
2184 秋山をゆめ人(ひと)懸(か)くな忘れにしその黄葉(もみちば)の思ほゆらくに 2185 大坂(おほさか)を我(わ)が越え来れば二上(ふたかみ)に黄葉(もみちば)流る時雨(しぐれ)ふりつつ 2186 秋されば置く白露(しらつゆ)に我(わ)が門(かど)の浅茅(あさぢ)が末葉(うらば)色づきにけり 2187 妹(いも)が袖(そで)巻来(まきき)の山の朝露(あさつゆ)ににほふ黄葉(おみち)の散らまく惜(を)しも |
【意味】
〈2184〉秋山のことを、人々は決して口にしないでほしい。ようやく忘れることのできた、あの美しかった黄葉が思い出されて辛いから。
〈2185〉大坂を越えて二上山までやって来ると、川には黄葉が散って流れている、時雨が絶え間なく降りしきる中で。
〈2186〉秋になって、白露が置くようになったので、我が家の門のあたりに生えている浅茅の葉先が色づいてきた。
〈2187〉妻の袖を巻くという巻来の山の、朝露に色づいた黄葉が散っていくのが惜しまれる。
【説明】
「黄葉を詠む」歌。2184の「ゆめ~な」は、強い禁止。「懸く」は、ここは口に出して言う、の意。「思ほゆらくに」は「思ほゆ」のク語法で名詞形。思い出されることだのに。病か何かの理由で外出できない人の歌でしょうか。2185の「大坂」は、以前の奈良県北葛城郡下田村(現在は香芝市)で、大和から河内へ越える坂になっています。「二上」は、奈良県当麻町西方にある二上山。北の雄岳、南の雌岳の双峰からなり、万葉人に神聖視されてきました。大津皇子の悲劇にまつわる山としても有名です。「流る」は、空を伝って落ちる状態を言っているもの。
2186の「秋されば」は、秋になったので。「浅茅」は、丈の低い茅萱(ちがや)。日当たりのよい場所に群生する草で、新芽に糖分が豊富なところから食用にされていました。「末葉」は、幹や枝の先の方の葉。2187の「妹が袖」は「巻」の枕詞。「巻来の山」は、所在未詳。「巻来」は、マキク、マキコとも詠まれますが、巻向山の誤記とする説もあります。「にほふ」は、美しい色に染まる。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。
巻第10-2188~2192
2188 黄葉(もみちば)のにほひは繁(しげ)ししかれども妻梨(つまなし)の木を手折(たを)りかざさむ 2189 露霜(つゆしも)の寒き夕(ゆふへ)の秋風にもみちにけらし妻梨(つまなし)の木は 2190 我(わ)が門(かど)の浅茅(あさぢ)色づく吉隠(よなばり)の浪柴(なみしば)の野の黄葉(もみち)散るらし 2191 雁(かり)が音(ね)を聞きつるなへに高松(たかまつ)の野の上(うへ)の草ぞ色づきにける 2192 我(わ)が背子(せこ)が白栲衣(しろたへごろも)行き触(ふ)ればにほひぬべくももみつ山かも |
【意味】
〈2188〉黄葉の色合いはさまざまだけれど、妻無しの私は梨の木を手折って挿頭(かざし)にしよう。
〈2189〉露霜が降りる寒い夕方の秋風によって色づいたようだ、妻無しの梨という木は。
〈2190〉我が家の門前の浅茅は色づいてきたのを見ると。もう吉隠の浪柴の野の黄葉は散っていることだろう。
〈2191〉雁の声を聞いた折しも、高松の野の草々は色づいたことだ。
〈2192〉あの人の白い衣が、そこへ行って触れたら染まってしまいそうなほどに黄葉している山よ。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2188の「にほひは繁し」の「にほひ」は、美しい色合い。「繁し」は、さまざまにある。「妻梨」は、「妻無し」と「梨」を掛けており、「君松(待つ)の木」と同じような言い方。作者は、妻を亡くした人だったと見えます。2189は2188との連作。「露霜」は、露が凍って霜のようになったもので、冷え冷えとした露を表現する歌語。「もみちにけらし」の「けらし」は「けるらし」の意。原文「黄葉尓来之」は「黄葉尓來毛」とある本もあり、モミチニケルモと訓んでいます。
2190の「吉隠」は、奈良県桜井市東部の地区。初瀬の東。「浪柴の野」は、さらにその地域内あった地とされますが、所在未詳。斎藤茂吉は「浪柴の野の黄葉散るらし」の歌調に感心すると言っています。また「『黄葉散るらし』という結句の歌は幾つかあるような気がしていたが、実際当たってみると、この歌一首だけのようである」とも。2191の「なへに」は、とともに、と同時に。「高松」は、高円の別称。2192の「白栲衣」は、白い衣。「もみつ」は、黄葉する。「かも」は、詠嘆。
巻第10-2193~2197
2193 秋風の日にけに吹けば水茎(みづぐき)の岡(をか)の木(こ)の葉も色づきにけり 2194 雁(かり)がねの来鳴(きな)きしなへに韓衣(からころも)龍田(たつた)の山はもみちそめたり 2195 雁(かり)がねの声聞くなへに明日(あす)よりは春日(かすが)の山はもみちそめなむ 2196 しぐれの雨(あめ)間(ま)なくし降れば真木(まき)の葉も争ひかねて色づきにけり 2197 いちしろく時雨(しぐれ)の雨は降らなくに大城(おほき)の山は色づきにけり |
【意味】
〈2193〉秋風が日に増して吹いてくるので、岡の木の葉も色づいたことである。
〈2194〉雁が来て鳴くようになったのに伴い、龍田の山は色づき始めてきた。
〈2195〉雁の声が聞こえるようになったのに伴い、明日からは、春日山は色づき始めるだろう。
〈2196〉時雨の雨が絶え間なく降るので、真木の葉も、逆らいきれずに色づいてきた。
〈2197〉それほど激しく時雨の雨が降ったわけではないのに、大城の山はもう色づいてしまった。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2193の「日にけに」は、日に増して。「水茎の」は「岡」の枕詞ながら、語義・かかり方は未詳。高い山の黄葉を背後に、低い岡の木も黄葉したことを歌っています。2194の「雁がね」は、雁。「なへに」は、とともに、と同時に。「韓衣」は、韓衣(大陸風の衣)を裁つ意から「龍田」の枕詞。「龍田の山」は、奈良県生駒郡三郷町立野の西方の山。2195の「春日の山」は、奈良市東方の山地。「もみちそめなむ」の「なむ」は、確実性のある推量。
2196の「真木」は、杉や檜などの良質の木。「争ひかねて」は、時雨は木の葉を染めようとし、木の葉は染められまいとして争う、その争いに負かされて、の意。折り重なる雨が葉を色づかせる様子を、争えないとして情趣豊かに表現しています。2197の「いちしろく」は、はっきりと、目立って。「降らなく」は「降らぬ」のク語法で名詞形。「に」は、逆接。「大城山」は、大宰府の庁舎の東方にある大野山。その山頂に城があったことによる名。
巻第10-2198~2202
2198 風吹けば黄葉(もみち)散りつつ少なくも吾(あが)の松原(まつばら)清くあらなくに 2199 物思(ものも)ふと隠(こも)らひ居(を)りて今日(けふ)見れば春日(かすが)の山は色づきにけり 2200 九月(ながつき)の白露(しらつゆ)負(お)ひてあしひきの山のもみたむ見まくしもよし 2201 妹(いも)がりと馬に鞍(くら)置きて生駒山(いこまやま)うち越え来れば紅葉(もみち)散りつつ 2202 黄葉(もみち)する時になるらし月人(つきひと)の桂(かつら)の枝(えだ)の色づく見れば |
【意味】
〈2198〉風が吹くと、黄葉が散り続けて、この吾の松原はちょっとやそっとの清らかさではない。
〈2199〉物思いをして籠っていて、今日はじめて見ると、春日山はすっかり色づいていたよ。
〈2200〉九月の白露を浴びて、山々が一面に色づいているだろうさまを見るのはいいものだ。
〈2201〉愛しい女(ひと)の許に行くというので、生駒山を鞭打って越えてくると、紅葉がどんどん散っているよ。
〈2202〉黄葉の季節がやってきたようだ。お月様の桂が美しく色づいているのを見ると。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2198の「黄葉散りつつ」の「つつ」は、継続反復。「少なくも~なくに」は、ちょっとやそっとの~ではない。「吾の松原」は、伊勢国三重郡にあった松原で、今の四日市市辺りではないかとされます。2199の「隠らひ」は、籠り続けて。「春日の山」は、奈良市東方の山地。「色づきにけり」の「けり」は、気づきを表す助動詞。2200の「九月」は、陰暦の9月で、晩秋にあたります。「白露(しらつゆ)」は、漢語「白露」の翻読語。「あしひきの」は「山」の枕詞。「もみたむ」の「もみつ」は、紅葉する。「む」は、推量。「見まく」は「見む」のク語法で名詞形。「しも」は、強意。
2201の「妹がりと」は、妹の許(もと)へ、の意。「生駒山」は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山で、生駒山地の主峰。ここは山頂から少し南の鞍部が暗峠(くらがりとうげ:標高455m)を越えたと見られ、その名は、松や杉が繁茂し昼なお暗かったからとも、荷を運ぶ商人らがここで鞍替えしたからともいわれます。急峻ながらも、都と難波を結ぶ最短距離の道でした。「うち越え来れば」の「うつ」は、馬に鞭をくれる意。またこの歌は、『万葉集』の中で「もみじ」を「紅葉」と書いている唯一の歌です。
2202の「月人」は、月を擬人化したもの。「桂」は、月に桂の大木が生えているという伝説を踏まえています。「色づく見れば」は、ここは月の光が冴えてきたことを月の桂が黄葉したと見立てています。新しい趣向を持ち、幻想的な情景が印象的な歌ですが、土屋文明は、「趣向に頼って居るにすぎない歌である」と批判しています。
巻第10-2203~2206
2203 里(さと)ゆ異(け)に霜は置くらし高松(たかまつ)の野山(のやま)づかさの色づく見れば 2204 秋風の日(ひ)に異(け)に吹けば露(つゆ)を重(おも)み萩の下葉(したば)は色づきにけり 2205 秋萩(あきはぎ)の下葉(したば)もみちぬあらたまの月の経(へ)ぬれば風をいたみかも 2206 まそ鏡(かがみ)南淵山(みなぶちやま)は今日(けふ)もかも白露(しらつゆ)置きて黄葉(もみち)散るらむ |
【意味】
〈2203〉里よりも一段と霜が降りているようだ、高松の野山の高みが色づいているのを見ると。
〈2204〉秋風が日増しに寒く吹くので、露をしとどに浴びて、萩の下の方の葉が色づいてきた。
〈2205〉萩の下葉がすっかり色づいてきた。月が改まり、風が強くなったからだろうか。
〈2206〉南淵山では、今日あたりも露が置いては、黄葉が散っていることだろう。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2203の「里ゆ異に」は、里よりも一段とまさって。「高松」は、高円の別称。「野山づかさ」は、野山の小高い所。なお、「里ゆ異に」の原文「里異」を「里も異に」と訓んで、「里のほうも一段と霜が降りているだろう。この高松の野山の高みが色づいているのを見ると」のように解するものもあります。2204の「日に異に」は、日増しに。「露を重み」の「重み」は「重し」のミ語法。原文「露重」で、ツユシゲミと訓むものもあります。
2205の「あらたまの」は、ここでは「月」の枕詞。「月の経ぬれば」は、日数が経ち月が改まったので。「いたみ」は「いたし」のミ語法で、強いので、甚だしいので。「かも」は、疑問。2206の「まそ鏡」は、よく映る立派な白銅製の鏡。「見」と続き「南淵山」にかかる枕詞。南淵山は、明日香川の上流、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳から南方に見える山。「かも」は、疑問。「白露置きて」以下2句は、白露を黄葉を早めて散らすものと見ています。「散るらむ」の「らむ」は、現在推量。
巻第10-2207~2210
2207 我(わ)がやどの浅茅(あさぢ)色づく吉隠(よなばり)の夏身(なつみ)の上にしぐれ降るらし 2208 雁(かり)がねの寒く鳴きしゆ水茎(みづくき)の岡の葛葉(くずは)は色づきにけり 2209 秋萩(あきはぎ)の下葉の黄葉(もみち)花に継(つ)ぎ時過ぎゆかば後(のち)恋ひむかも 2210 明日香川(あすかがは)黄葉(もみちば)流る葛城(かづらき)の山の木の葉は今し散るらむ |
【意味】
〈2207〉我が家の庭の浅茅が色づいた。この分では、吉隠の夏身のあたりには時雨が降っていることだろう。
〈2208〉雁が寒々と鳴いてからというもの、岡の葛の葉はすっかり色づいてきた。
〈2209〉萩の下葉が、花に続いて美しく色づいているが、その時期が過ぎ去ったら、後で恋しく思うだろうなあ。
〈2210〉明日香川に紅葉が流れている。葛城山の木の葉が今にも散っているのだろう。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2207の「浅茅」は、丈の低い茅萱(ちがや)。「吉隠」は、奈良県桜井市東部の地区。「夏身」は、吉隠内の地名ながら、所在未詳。「上」は、辺り。「しぐれ降るらし」の「らし」は、根拠に基づく推定。2208の「雁がね」は、ここは雁そのもの。「寒く鳴きしゆ」は、寒く鳴いた時から。「水茎の」は「岡」の枕詞。「葛」は、山野に自生するつる草で、秋の七草の一つ。
2209の「花に継ぎ」は、花に続いて。2210の「明日香川」は、河内の明日香川。二上山の南から発して、太子町や羽曳野市を北西流する小川で、大和の明日香川は有名ですが、河内の明日香川が詠まれているのは『万葉集』ではこの1首のみです。「葛城の山」は、金剛山を主峰とする連峰。「今し」の「し」は、強意の副助詞。「らし」は、現在推量。
巻第10-2210~2214
2211 妹(いも)が紐(ひも)解くと結びて龍田山(たつたやま)今こそ黄葉(もみち)そめてありけれ 2212 雁(かり)がねの寒く鳴きしゆ春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山は色づきにけり 2213 このころの暁露(あかときつゆ)に我(わ)が宿(やど)の秋の萩原(はぎはら)色づきにけり 2214 夕されば雁(かり)の越えゆく龍田山(たつたやま)時雨(しぐれ)に競(きほ)ひ色づきにけり |
【意味】
〈2211〉妻の下紐をいずれまた解くのだと結んで発つという、その龍田山は、ちょうどいまごろ色づき始めている。
〈2212〉雁が寒々と鳴いたときから、春日の三笠の山は一面に色づいてきた。
〈2213〉このごろ明け方に降りる露で、我が家の庭の秋の萩原はすっかり色づいてきた。
〈2214〉夕方になると雁が飛び越えていく龍田山は、時雨と競うかのように色づいていく。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2211の「解くと結びて」は、帰って来た時に解こうと思って今はしっかり結んで、の意。上2句は、紐を結んで家を出て旅に発つ意で、「龍田山」を導く序詞。「龍田山」は、奈良県生駒郡三郷町の龍田大社の背後にある山。「そめてありけれ」の原文「始而有家礼」で、「はじめたりけれ」と訓む例もあります。
2212の「雁がね」は、ここは雁そのもの。「寒く鳴きしゆ」の原文「喧之從」で、読み添えの必要のある字として、「来鳴きにしより」「騒きにしより」などと訓む例があります。「三笠の山」は、奈良市の東方、春日大社の背後にある山。2213の「暁露」は、夜明け近くに置く露。「萩原」は、ここは萩が庭一面に茂っているさまを言ったもの。2214の「時雨に競ひ」は、時雨と先を争って。上の「雁」とともにもみじを促すものとして見ています。
巻第10-2215~2218
2215 さ夜(よ)更(ふ)けてしぐれな降りそ秋萩(あきはぎ)の本葉(もとは)の黄葉(もみち)散らまく惜しも 2216 故郷(ふるさと)の初黄葉(はつもみちば)を手折(たを)り持ち今日(けふ)ぞ我(わ)が来(こ)し見ぬ人のため 2217 君が家の黄葉(もみちば)は早(はや)散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡(ぬ)れにけらしも 2218 一年(ひととせ)にふたたび行かぬ秋山を心に飽(あ)かず過ぐしつるかも |
【意味】
〈2215〉こんな夜更けになって時雨よ降らないでおくれ。秋萩の本葉の黄葉が散ってしまうのが惜しいから。
〈2216〉故郷の飛鳥の初黄葉を手折って、今日私はやって来ました。まだお目にかかっていない都の人のために。
〈2217〉あなたの家の黄葉は早くも散ってしまいましたね。時雨の雨に濡れてしまったからでしょうか。
〈2218〉一年の間に二度はめぐり逢えない秋の山なのに、心行くまで堪能しないままに過ごしてしまった。
【説明】
「黄葉(もみち)を詠む」歌。2215の「本葉」は、「末葉(うらば)」に対しての語で、幹の方にある葉。「な降りそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「散らまく」は「散らむ」のク語法で名詞形。前の歌が時雨をもみじを促すものと言っているのに対し、この歌ではもみじを散らせやすいものと見ています。2216の「故郷」は、古京、奈良京から飛鳥または藤原京を指しての称。「手折り持ち」は、賞美のあまりの風流の行為。奈良から飛鳥に行った人が、その地の初黄葉を折って来て友に贈る時に添えた歌とされます。
2217の「君が家の」の「君」は、男から男への称と見られます。「黄葉は早散りにけり」の原文「乏黄葉早者落」の訓みは諸説あり、モミチバハヤクチリニケリ、トモシキモミチハヤクフルなどと訓むものがあります。2218の「ふたたび行かぬ」は、二度と経過しない、の意。「秋山を」の「を」は詠嘆で、秋の山なのに。「心に飽かず」は、十分に満ち足りることなく。ここでは黄葉を堪能する機会を逃してしまったこと。
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古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |
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