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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第10)~その1

巻第10-1819~1822

1819
うち靡(なび)く春立ちぬらし我が門(かど)の柳の末(うれ)に鴬(うぐひす)鳴きつ
1820
梅の花咲ける岡辺(おかへ)に家居(お)れば乏(とも)しくもあらずうぐひすの声
1821
春霞(はるかすみ)流るるなへに青柳(あをやぎ)の枝くひもちて鶯(うぐひす)鳴くも
1822
我が背子(せこ)を莫越(なこし)の山の呼子鳥(よぶこどり)君呼び返せ夜(よ)の更けぬとに
 

【意味】
〈1819〉春になったらしい。家の門にある柳の梢(こずえ)で、たった今ウグイスが鳴いたよ。
 
〈1820〉梅の花が咲き匂う丘のあたりに住んでいる。だからウグイス鳴く声がとてもよく聞こえる。

〈1821〉春霞が流れるにつれて、青柳の枝をくわえたウグイスが鳴いている。

〈1822〉莫越の山の呼子鳥よ、私の大事なあの人を返してちょうだい。夜が更けないうちに。

【説明】
 「鳥を詠む」歌。1819の「うち靡く」は「春」の枕詞。国内によく植えられているしだれ柳は、古く中国から渡来した樹木で、春から夏、細長い葉が茂ると「青柳」と呼びます。また、柳は、春早くに芽吹き、また、枝を湿地にさし立てるだけで根をおろすことがあるほど生命力の旺盛な樹木であるため、呪力をもつ神木と考えられていました。

 1821の「霞」といえば、たなびくという表現が多いなかにあって「流れる」としたのは、中国の詩に影響されたのではないかといいます。流れる霞、青柳、花の枝をくわえて飛ぶ鳥の3つの道具仕立ても中国趣味のようです。「なへに」は、折しも、それとともに、の意。1822の「我が背子を」は「莫越」の枕詞。「莫越」は所在未詳。「呼子鳥」はカッコウではないかとされます。

作者未詳歌

 『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。

 7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。
  

巻第10-1827~1831

1827
春日(かすが)なる羽(は)がひの山ゆ佐保(さほ)の内へ鳴き行くなるは誰(た)れ呼子鳥(よぶこどり)
1828
答へぬにな呼び響(と)めそ呼子鳥(よぶこどり)佐保の山辺(やまへ)を上り下りに
1829
梓弓(あづさゆみ)春山(はるやま)近く家(いへ)居(を)れば継(つ)ぎて聞くらむ鴬(うぐひす)の声
1830
うち靡(なび)く春さり来れば小竹(しの)の末(うれ)に尾羽(をは)打ち触れて鶯(うぐひす)鳴くも
1831
朝霧(あさぎり)にしののに濡(ぬ)れて呼子鳥(よぶこどり)三船(みふね)の山ゆ鳴き渡る見ゆ
 

【意味】
〈1827〉春日の羽がいの山から佐保に向かい、鳴きながら飛んでいくのは、誰を呼ぶ呼子鳥なのだろう。

〈1828〉誰も答えないのに、響くほどに鳴くな呼子鳥、佐保の山の辺りを上り下りするにつけて。
 
〈1829〉春になると、山近くに住んでいらっしゃるあなたは、ひっきりなしにお聞きなのでしょうね、鶯の声を。
 
〈1830〉春がやってくると、小竹の先に尾や羽を触れながら、鶯が鳴きだすよ。

〈1831〉朝霧にしっぽりと濡れて、呼子鳥が、三船の山を鳴き渡っているのが見える。

【説明】
 「鳥を詠む」歌。1827の「春日なる羽がひの山」の所在は不明ながら、人麻呂が、死んだ妻がいると聞いて捜しに行った山です(巻第2-210)。「山ゆ」の「ゆ」は、~から、~を通って。「佐保の内」は、奈良市北部の佐保山と佐保川の間の一帯。「呼子鳥」は、片恋をするとされた鳥で、カッコウともヒヨドリともいわれます。1828は上の歌との連作とみられ、佐保の山辺に住む恋しい人の許に往復するものの、甲斐がないので、自身を呼子鳥に見立てている歌です。「な呼び響めそ」の「な~そ」は、禁止。「響む」は、鳴り響かせる。

 「呼子鳥」は、そもそも鳴き声を「あこう、あこう」と聞き、「吾子(あこ)、吾子」と自分の子を呼んでいるというところからの名とされ、紀州には次のような民間説話があります。―― 継母(ままはは)が継子(ままこ)を谷に突き落として殺してしまった。それを知った父親は、山に捜しに行き、吾子、吾子と呼び続けて死んで、くゎっこうになったという。

 1829は、京に住んでいる人が春山の近くに住んでいる人に贈った歌。「梓弓」は「春山」の枕詞。1830の「うちなびく」は「春」の枕詞。1831の「しののに」は、しっとりと、しっぽりと。「三船の山」は、吉野の宮滝の東南、象山(さきやま)の東にある山。「ゆ」は、~を通って。

巻第10-1832~1835

1832
うちなびく春さり来ればしかすがに天雲(あまくも)霧(き)らひ雪は降りつつ
1833
梅の花降り覆(おほ)ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消(け)につつ
1834
梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪(しらゆき)庭に降りしきりつつ
1835
今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなりにしものを
  

【意味】
〈1832〉草木がなびく春になったというのに、それにもかかわらず、空に雲が立ち込めて、雪が降り続いている。
 
〈1833〉梅の花を降り隠すように覆った雪を包み持ち、あの人に見せようとするのですが、手に取るそばから消えてゆきます。

〈1834〉梅の花は散ってしまいました。なのに、庭に白雪が降りしきっています。

〈1835〉今さら雪なんか降るものか、かげろうが燃える春になったのだから。

【説明】
 「雪を詠む」歌。1832の「うちなびく」は「春」の枕詞。「しかすがに」は、しかしながら、そうはいうものの。1833の「消につつ」の「つつ」は、継続。1835の「降らめやも」の「やも」は反語。「かぎろひ」は、陽炎。「春へ」は、春のころの意。

巻第10-1836~1840

1836
風(かぜ)交(まじ)り雪は降りつつしかすがに霞(かすみ)たなびき春さりにけり
1837
山の際(ま)に鴬(うぐひす)鳴きてうち靡(なび)く春と思へど雪降りしきぬ
1838
峰(を)の上(うへ)に降り置ける雪し風の共(むた)ここに散るらし春にはあれども
1839
君がため山田の沢(さは)にゑぐ摘(つ)むと雪消(ゆきげ)の水に裳(も)の裾(すそ)濡れぬ
1840
梅が枝(え)に鳴きて移ろふ鴬(うぐひす)の羽(はね)白妙(しろたへ)に沫雪(あわゆき)ぞ降る
  

【意味】
〈1836〉風に交じって雪は降り続いているけれど、あたり一面には霞がたなびいていて、春がやってきている。

〈1837〉山あいではウグイスが鳴いていて草木も靡く春だと思われるのに、まだ雪が降り続いている。

〈1838〉峰の上に降り積もっている雪が、吹き降ろす風とともにここまで飛び散って来るようだ。もうとっくに春になっているというのに。

〈1839〉あの方のために、山田の沢でえぐを摘み取ろうとして、雪解け水に裳裾が濡れてしまった。

〈1840〉梅の枝から枝へと鳴いて飛び移っているウグイスの、その羽根が真っ白になるほど、沫雪が降っている。

【説明】
 「雪を詠む」歌。1836の「しかすがに」は、しかしながら、そうはいうものの。「春さる」は、春になる。1837の「山の際」は、山と山の間。「うち靡く」は「春」の枕詞。1838は左注に「筑波山にて作れる」とあり、「峰の上」は、筑波山の山頂。「風の共」は、風ととともに。「雪し~らし」の「し~らし」は、確信的な推定。1839の「山田」は、丘陵地帯にある田。「ゑぐ」は、池や沼などの湿地に生えるクロクワイのことで、根を食用にします。

 1840の「移ろふ」は、飛び移っている。「沫雪」は、泡のように消えやすい雪。見たままの情景や、心に思ったことを素直に詠うことが「歌の真(まこと)」であると主張する賀茂真淵は、この歌を「見たるさまを其のままいひつらねたるが、おのづからうるはしき歌となりたるなり」と評しています。

巻第10-1841~1845

1841
山高み降り来る雪を梅の花散りかも来ると思ひつるかも [一云 梅の花咲きかも散ると]
1842
雪をおきて梅をな恋ひそあしひきの山(やま)片付(かたづ)きて家(いへ)居(ゐ)せる君
1843
昨日(きのふ)こそ年は果てしか春霞(はるかすみ)春日(かすが)の山に早(はや)立ちにけり
1844
冬過ぎて春(はる)来(きた)るらし朝日さす春日(かすが)の山に霞(かすみ)たなびく
1845
鴬(うぐひす)の春になるらし春日山(かすがやま)霞(かすみ)たなびく夜目(よめ)に見れども
  

【意味】
〈1841〉山が高いので、上からはらはらと降りかかってくる雪。それを梅の花びらが風に散っているのかと思い込んでいた。[梅の花が咲いてもう散っているのかと]

〈1842〉雪をさしおいてそれほど梅を恋い慕いなさいますな、山の麓に家を構えておられるあなた。

〈1843〉つい昨日、年が暮れたばかりだというのに、もう春霞が春日山にかかっている。

〈1844〉冬が過ぎ去って春がやってきたらしい。朝日がさしている春日山に霞がたなびいている。

〈1845〉ウグイスの鳴く春がやってきたようだ。春日山にはもう霞がたなびいている、夜目にもはっきりと。

【説明】
 1841・1842は「雪を詠む」歌で、問答。1841の「山高み」は、山が高いゆえに。「散りかも来ると」の「かも」は疑問。1842の「雪をおきて」は、雪をさしおいて。「あしひきの」は「山」の枕詞。「山片付き」は、山に寄って接して。1841は、高山の裾に住んでいる人が京にいる友に贈った歌、1842は、京の人が答えた歌。窪田空穂は、「奈良時代の知識人の社交の歌で、どちらもある程度のいや味をもったもの」と評しています。

 1843~1845は「霞を詠む」歌。「霞」と同じように視界を遮る現象に「霧」がありますが、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたようです。「春日山」は、奈良市の東部にある、御蓋山(みかさやま)、若草山などの山の総称。古くから神奈備山として崇敬され、特に平城京遷都以後は朝廷から尊ばれました。殺生禁断が守られてきたため、広大な原生林(春日山原始林)が今日まで残されています。
 
 季節の移ろいをうたった歌に「春日」や「春日野」「春日山」が多く出てきますが、『万葉集』の歌はほとんど平城京の人々の歌であるため、都市の人々は、その周辺に季節の変化を感じ、そこに出かけて、花や黄葉を称えていたわけです。また、春日野で皇族や臣下の子弟たちが春日野に集まって打毬(だきゅう)の遊びをしたとの記述もみられ(巻第6-948・949の左注)、都人にとっては格好のレジャー空間だったようです。

巻第10-1846~1849

1846
霜(しも)枯(が)れの冬の柳(やなぎ)は見る人のかづらにすべく萌(も)えにけるかも
1847
浅緑(あさみどり)染め懸けたりと見るまでに春の柳(やなぎ)は萌(も)えにけるかも
1848
山の際(ま)に雪は降りつつしかすがにこの川柳(かはやぎ)は萌(も)えにけるかも
1849
山の際(ま)の雪の消(け)ざるをみなぎらふ川の沿ひには萌(も)えにけるかも
  

【意味】
〈1846〉霜で枯れた冬の柳は、見る人の髪飾りにしたらよいほどに、芽が出ていることだ。

〈1847〉まるで浅緑色に染めた糸をかけたように、春の柳が芽吹いていることだ。

〈1848〉山間には雪が降っているけれども、この川楊は芽吹いていることだ。

〈1849〉山間の雪はまだ消えていないのに、水があふれるこの川沿いでは、もうすっかり芽吹いていることだ。

【説明】
 「柳を詠む」歌。「柳」は、しだれ柳。1846の「かづら」は、植物を巻きつけて髪飾りにしたもの。『万葉集』ではさまざまな植物を「かづら」にすることが詠まれていますが、柳のかづらを詠む例が圧倒的に多くなっています。その強い生命力にあやかってのこととみえます。1848の「山の際」は、山と山の間。「しかすがに」は、そうではあるが。「川柳」は、ねこやなぎ。1849の「みなぎらふ」は、水があふれる意。

巻第10-1850~1853

1850
朝(あさ)な朝(さ)な我(わ)が見る柳(やなぎ)鴬(うぐひす)の来居(きゐ)て鳴くべく森(もり)に早(はや)なれ
1851
青柳(あをやぎ)の糸の細(くは)しさ春風に乱れぬい間(ま)に見せむ子もがも
1852
ももしきの大宮人(おほみやびと)のかづらけるしだり柳は見れど飽(あ)かぬかも
1853
梅の花取り持ち見れば我(わ)が宿(やど)の柳の眉(まよ)し思ほゆるかも
 

【意味】
〈1850〉毎朝、私が見ている柳よ、ウグイスが来て枝にとまって鳴けるような茂みに早くなってくれ。

〈1851〉青々として垂れ下がる柳の細枝の美しさよ。春風に乱れないうちに、一緒に見せてやれる子がいればよいのに。

〈1852〉大宮人たちが縵(かずら)にしているしだれ柳は、見ても見ても見飽きることがない。

〈1853〉梅の花を折り取って見つめていると、我が家の庭の、あの眉のような美しい柳が思い浮かんでならない。

【説明】
 「柳を詠む」歌。1850の「森」は木の茂り。1851の「糸の細しさ」は、しだれ柳の長く垂れ下がった枝が糸に似ているところからの称。「細(くは)し」は他に「麗し」「妙し」とも書かれ、細部まで精妙で、完璧・完全である意。「い間」の「い」は接頭語。「子」は女の愛称。「もがも」は願望。

 1852の「ももしきの」は「大宮」を讃えての枕詞。「大宮人」は、宮中に仕える役人。「かづらける」は縵の動詞化で、木の枝などを巻いて髪飾りにすること。1853の「柳の眉」は、眉の形に似た柳の若葉。漢語の「柳眉」を翻読したもので、作者は、ある程度の身分の官吏だったと想像されます。

巻第10-1854~1858

1854
鶯(うぐひす)の木(こ)伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
1855
桜花(さくらばな)時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ
1856
我(わ)がかざす柳の糸を吹き乱(みだ)る風にか妹(いも)が梅の散るらむ
1857
年のはに梅は咲けどもうつせみの世の人の我(わ)れし春なかりけり
1858
うつたへに鳥は食(は)まねど縄(なは)延(は)へて守(も)らまく欲(ほ)しき梅の花かも
  

【意味】
〈1854〉鶯が木から木へと伝っていく梅の花が散り始めると、いよいよ桜の花が咲く頃がやってくる。

〈1855〉桜の花は、まだ散る時ではないのに、愛でてくれる人がいるうちにと思って、今散ってしまうのだろうか。
 
〈1856〉私が髪に挿している柳の小枝を吹き乱す風で、あの子のかざす梅も散っているのかな。
 
〈1857〉毎年のように梅の花は決まって咲くけれども、現実の世の人である私には、春など巡ってこない。

〈1858〉必ずしも鳥が食べてしまうというわけではないが、しめ縄を張って守ってやりたいと思うほど美しい梅の花だ。

【説明】
 「花を詠む」歌。1854の「かたまけぬ」は、近づいてきた。1855の「今し散るらむ」の「し」は強意。1856の「柳の糸」は、漢語の「柳糸」からきており、柳の細い枝を糸に喩えて表現しています。1857の「年のは」は、毎年。「うつせみの」は「世」の枕詞。「我れし」の「し」は強意。1858の「うつたへに」は、打消しの語を伴い、必ずしもの意。愛する女性を梅の花に譬えているのかもしれません。

 『万葉集』の歌の、約3分の1が何らかの植物を詠んでいるといわれ、その数は170種を超えます。最も多く詠まれたのは、萩の137首、次いで梅の119首、桜は意外に少なく42首とされています。

巻第10-1859~1863

1859
馬(うま)並(な)めて多賀(たか)の山辺(やまへ)を白栲(しろたへ)ににほはしたるは梅の花かも
1860
花咲きて実はならねとも長き日(け)に思ほゆるかも山吹(やまぶき)の花
1861
能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも
1862
雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞(はるかすみ)立ち梅は散りつつ
1863
去年(こぞ)咲きし久木(ひさぎ)今咲くいたづらに地(つち)にか落ちむ見る人なしに
  

【意味】
〈1859〉多くの人が馬を連ねて、多賀の山辺を真っ白に染めているのは、梅の花々だろうか。
 
〈1860〉花は咲いても実はならないけれども、咲くまでが長く思われて仕方がない、山吹の花よ。

〈1861〉能登川の水底まで輝くほどに、三笠山の桜が咲いているという。
 
〈1862〉雪を見ていると、いまだ冬。けれども、春霞がかかって、梅の花は散り始めている。
 
〈1863〉去年咲いていた久木が今また咲いているけれど、むなしく土に落ちるのか、見る人が誰もいないままに。

【説明】
 「花を詠む」歌。1859の「馬並めて」は、馬を操る意で「多賀」の枕詞。「多賀」は、京都府綴喜郡井手町多賀。「にほはしたる」は、染めている。1860の「花」は求婚時代、「実」は結婚の意で、山吹の花の特性に譬え、実らない恋のもどかしさを歌っています。1861について、春日、御笠山を中心にして、能登川、率(いざ)川、吉城(よしき)川、佐保川の4つの川があります。三笠山は奈良市東方、春日山の一峰。笠の形をしています。1862の「しかすがに」は、けれども、そうはいうものの、の意。1863の「久木」は未詳ながら、落葉高木のアカメガシワと考えられています。花は白に近く、あまり目立ちません。

巻第10-1864~1868

1864
あしひきの山の際(ま)照らす桜花(さくらばな)この春雨(はるさめ)に散りゆかむかも
1865
うち靡(なび)く春さり来(く)らし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば
1866
雉(きざし)鳴く高円(たかまと)の辺(へ)に桜花(さくらばな)散りて流らふ見む人もがも
1867
阿保山(あほやま)の桜の花は今日(けふ)もかも散り乱(まが)ふらむ見る人なしに
1868
かはづ鳴く吉野の川の滝(たき)の上(うへ)の馬酔木(あしび)の花ぞはしに置くなゆめ
 

【意味】
〈1864〉山あいを明るく彩っている桜の花は、この春雨で散ってしまうかも知れない。

〈1865〉草木も靡く春がやってきたようだ。山あいの遠くの梢が、次々に花開いていくのを見ると。
 
〈1866〉雉が鳴く高円の山のあたりに、桜の花が散って風に流されていく。この美しい光景を、誰か一緒に見る人がいたらよいのに。
 
〈1867〉阿保山の桜の花は、今日もまた散り乱れているだろうか。見る人もないままに。

〈1868〉これは、河鹿の鳴く吉野川の滝のほとりに咲いていた馬酔木の花ですよ。決して粗末にしないでください。

【説明】
 「花を詠む」歌。1864の「あしひきの」は「山」の枕詞。「山の際」は山と山の間。1865の「うち靡く」は「春」の枕詞。「木末」は、木の枝の先端。1866の「高円」は、奈良市東部の春日山の南にある山。1867の「阿保山」は所在未詳ながら、奈良市佐保田町の不退寺あたりの丘陵か。「今日もかも」の「かも」は疑問。1868の「かはづ」は、カジカガエル。「はしに置く」は、粗末に扱う。

巻第10-1869~1873

1869
春雨(はるさめ)に争ひかねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり
1870
春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
1871
春されば散らまく惜しき梅の花しましは咲かず含(ふふ)みてもがも
1872
見わたせば春日の野辺(のへ)に霞(かすみ)立ち咲きにほへるは桜花かも
1873
いつしかもこの夜(よ)の明けむ鴬(うぐひす)の木伝(こづた)ひ散らす梅の花見む
  

【意味】
〈1869〉春雨がせかすように降るので、我が家の庭の桜の花が咲いたよ。

〈1870〉春雨よ、そんなに強く降らないでおくれ、桜の花をまだ見ていないので、散ってしまっては惜しいではないか。
 
〈1871〉春になったら散るのが惜しいと思う梅の花、まだしばらくは咲かずにつぼみのままでいてほしい。

〈1872〉はるか遠くを見渡すと、春日野の辺りに霞が立ち、花が一面に咲いている。あれは桜の花だろうか。

〈1873〉いつになったら、この夜は明けるだろう。ウグイスが枝から枝へと渡っては散らす梅の花を早く見たいものだ。

【説明】
 「花を詠む」歌。「さくら」の名前の由来については、花の咲くようすがいかにもうららかなので「さきうら」と呼び、それが「さくら」に転化したという説や、『古事記』に出てくる木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)の「開耶(さくや)」が起源になったなど、さまざまあります。

 なお、『万葉集』で詠まれている桜の種類は「山桜」です。「ソメイヨシノ」は、江戸末期に染井村(東京)の植木屋によって作り出された品種で、葉が出る前に花が咲き、華やかに見えることからたちまち全国に植えられ、今の桜の名所の主役となっています。

巻第10-1874~1878

1874
春霞(はるかすみ)たなびく今日(けふ)の夕月夜(ゆふづくよ)清く照るらむ高松(たかまつ)の野に
1875
春されば樹(き)の木(こ)の暗(くれ)の夕月夜(ゆふづくよ)おぼつかなしも山陰(やまかげ)にして
1876
朝霞(あさがすみ)春日(はるひ)の暮(くれ)は木(こ)の間より移ろふ月をいつとか待たむ
1877
春の雨にありけるものを立ち隠(かく)り妹(いも)が家道(いへぢ)にこの日暮らしつ
1878
今行きて聞くものにもが明日香川(あすかがは)春雨(はるさめ)降りてたぎつ瀬の音(おと)を
  

【意味】
〈1874〉春霞がたなびいている今宵の月は、さぞ清らかに照らしていることだろう、あの高松の野あたりに。

〈1875〉春になって木々が萌え茂り、それが山陰であるので、ただでさえ光の薄い夕月夜が、いっそう薄くほのかだ。
 
〈1876〉春の一日が暮れていったら、今度は、木の間を移り渡る月がいつ出てくるのかと待つことになるのだろう。

〈1877〉何のことはない、濡れても大したことがない春雨だったのに、途中で雨宿りしていたために彼女の家に着くまでに日が暮れてしまった。
 
〈1878〉今すぐ出かけていって聞きたいものだ。明日香川に春雨が降り注ぎ、激しく流れる瀬の音を。

【説明】
 1874~1876は「月を詠む」歌。1874の「夕月夜」は、夕方に出ている月。「高松」は「高円」と同じとされます。1875の「木の暗」は、木が茂って暗くなっているところ。「おぼつかなし」は、はっきりしない。斎藤茂吉は「巧みでない寧ろ拙な部分の多い歌ではあるが、『おぼつかなしも』の句に心ひかれる」と言っています。1876の「朝霞」は「春日」の枕詞。1877は「雨を詠む」歌。「立ち隠る」は、雨宿りをする。1878は「川を詠む」歌。「たぎつ」は、激しい勢いで流れる。

巻第10-1879~1883

1879
春日野(かすがの)に煙(けぶり)立つ見ゆ娘子(をとめ)らし春野のうはぎ摘(つ)みて煮(に)らしも
1880
春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が上(うへ)に思ふどち遊ぶ今日(けふ)の日(ひ)忘らえめやも
1881
春霞(はるかすみ)立つ春日野(かすがの)を行き返り我(わ)れは相(あひ)見むいや年のはに
1882
春の野に心(こころ)延(の)べむと思ふどち来(こ)し今日(けふ)の日は暮れずもあらぬか
1883
ももしきの大宮人(おほみやひと)は暇(いとま)あれや梅をかざしてここに集(つど)へる
  

【意味】
〈1879〉春日野に煙が立ち上るのが見えるよ。 若い娘たちが集まって春の野のうはぎを摘んで煮ているのだろうな。

〈1880〉春日野の浅茅原に、気心の知れた者同士が集まって遊ぶ今日のような一日は、決して忘れようがない。

〈1881〉春霞がかかっている春日野を、行ったり来たりして、我らは共に眺めよう、来る年も来る年も。

〈1882〉この春の野で心をのびのびさせようと、親しい者同士でやって来た今日というこの日、このまま暮れなければよいのに。

〈1883〉大宮人たちは暇(いとま)があるからだろうか、梅をかざしてここに集まっている。

【説明】
 1879は「煙を詠む」歌。春日山の麓の緩やかな台地である「春日野」は、奈良市の東部、今の奈良公園を含む一帯にあたります。宮廷からも近く、当時の都人にとって格好のレジャーランドだったはずです。「うはぎ」はキク科の嫁菜(よめな)のことで、当時から代表的な春の摘み草であり、柔らかい葉や茎を食用にしていました。薄紫色の花が、夏の終わりから秋の終わりごろまで咲き続けます。

 1880~1883は「野に遊ぶ」歌。1880の「どち」は仲間。1881の「年のはに」は、毎年。1882の「暮れずもあらぬか」の「も~ぬか」は願望。1883の「ももしきの」は「大宮」の枕詞。「大宮人」は宮中に仕える人。「かざす」は、きれいな花や枝を折って髪に挿すこと。春の野に集う人々の長閑な光景が目に浮かびますが、1883の歌はひょっとして、野で遊びまわっている官僚たちを「暇があるのか!」と非難しているのでしょうか、それとも大宮人みずから梅見の集いの楽しさを歌っているのでしょうか。大宮人たちの毎日の勤務は夜明けからお昼までで、週休1日だったといいます。作者未詳とされるこの歌は、『新古今集』春下には、山部赤人の作として、梅を桜に、また下の句を変えて載せられています。

「ももしきの大宮人は暇あれや桜かざして今日も暮らしつ」

 こちらでは「暇があるからか」の疑問ではなく、「暇があるのだなあ」という、穏やかな詠嘆の表現になっています。また、梅が桜に変わっているのは、平安時代以降、花といえば桜になったからなのでしょう。

巻第10-1884~1885

1884
冬過ぎて春し来(きた)れば年月(としつき)は新(あら)たなれども人は古(ふ)りゆく
1885
物(もの)皆(みな)は新たしきよしただしくも人は古(ふ)りにしよろしかるべし
1886
住吉(すみのえ)の里行きしかば春花(はるはな)のいやめづらしき君に逢へるかも
  

【意味】
〈1884〉冬が過ぎて春がやってくると、年月は新しくなるけれども、人は古くなっていく。

〈1885〉物というものはみな新しいものがよいが、人は古くなるのがよろしかろうぞ。

〈1886〉住吉の里に出かけたら、春の花のような、格別すばらしい方に出会いました。

【説明】
 1884・1885は、題詞に「旧(ふ)りにしを嘆く」とある歌。1884では、年は新しくなっても人間は古くなっていきますね、と歌い、1885では、いやいや物のほうは新しいのがよいが、人間は古くなっていくのがいいんだ、と否定しています。1884は、初唐の詩人・劉廷芝の『代悲白頭翁』にある「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」の名句を彷彿とさせます。1885の「ただしくも」は、それはそれとして。
 
 1886は、「逢へるを懽(よろこ)ぶ」とある歌。「住吉」は、大阪市住吉区。「春花の」は「めづらし」の枕詞。「いや」は、とても、ますます。「めづらし」は、愛でたい、すばらしい。

巻第10-1886~1888

1887
春日(かすが)なる三笠(みかさ)の山に月も出(い)でぬかも 佐紀山(さきやま)に咲ける桜の花の見ゆべく
1888
白雪(しらゆき)の常(つね)敷(し)く冬は過ぎにけらしも 春霞(はるかすみ)たなびく野辺(のへ)の鴬(うぐひす)鳴くも
 

【意味】
〈1887〉春日の三笠の山に月が出ないだろうか、佐紀山に咲いている桜の花が見えるように。
 
〈1888〉白雪がいつも降り積もっていた冬は過ぎ去ったようだ。春霞がたなびき野辺では鶯が鳴いている。

【説明】
 旋頭歌(5・7・7・5・7・7の形式)2首。1887の、山というよりは丘のような佐保山と佐紀山の裾は、かつて平城山(ならやま)と呼ばれ 大宮人の憩いの場でした。窪田空穂は、宴歌として詠んだものと思われるとして、「旋頭歌は短歌よりはるかに謡い物的で、また実際に謡う上でも、短歌より伸びやかなので、宴歌には適した形である。奈良朝は復古気分の興っていた時代であるから、一度は衰えた旋頭歌が、そうした場合には喜ばれたことと思われる」と述べています。

 1888の「常敷く」は、長く敷いている。前半の3句で冬の特色とその去ったことを言い、後半の3句で春の特色とその到来したことを言って、対照法を用いて言い表しています。

巻第10-1889・1897~1899

1889
我(わ)が宿(やど)の毛桃(けもも)の下(した)に月夜(つくよ)さし下心(したごころ)よしうたてこのころ
1897
春さればもずの草(くさ)ぐき見えずとも我(あ)れは見やらむ君があたりをば
1898
貌鳥(かほどり)の間(ま)なくしば鳴く春の野の草根(くさね)の繁(しげ)き恋もするかも
1899
春されば卯(う)の花ぐたし我(わ)が越えし妹(いも)が垣間(かきま)は荒れにけるかも
 

【意味】
〈1889〉我が家の庭の毛桃の木の下に、月光が射し込んで、ひそかに気分がよい、不思議にこのごろは。
 
〈1897〉春になるとモズが草の中に潜んで姿が見えなくなるように、たとえお姿は見えなくとも私は遠くから見ていましょう、あなたの住んでいる辺りを。

〈1898〉貌鳥が絶え間なく鳴いている春の野に、草がどんどん茂っていくように、盛んに恋をすることだ。

〈1899〉春になると、卯の花を傷めながら私が潜り抜けていた、あの子の家の垣間は、今や荒れ果てて人気(ひとけ)がなくなっている。

【説明】
 1889の「毛桃」は実の外側に毛の多い桃。「下心」は内心。「うたて」は、不思議に。何で気分がよいのか全く言っていませんが、「月夜さし」は、娘の初潮の比喩ではないかとする見方があります。娘が一人前になったことを喜んでいるのでしょうか。
 
 1897・1898は「鳥に寄せる」歌。1897の上2句は「見えず」を導く序詞。「草ぐき」は草に潜る意。もずは、野山の草木の間に潜んで姿を見せない習性があります。1898の「貌鳥」は、美しい鳥またはカッコウ。「草根」は、草。

 1899は「花に寄せる」歌。「卯の花ぐたし」の「ぐたし」は本来は清音で、熟語のために濁音になっており、「くたす」は腐らせる、朽ちさせるの意。「垣間」は、生垣の隙間。「卯の花」は、旧暦4月の卯月に咲くのでこの名が付いた、あるいは、卯の花が咲く月なので「卯月」となったともいわれます。この歌が詠まれた事情はよく分かりませんが、恋人が心変わりしていなくなってしまったのでしょうか。

巻第10-1900~1903

1900
梅の花咲き散る園(その)に我(わ)れ行かむ君が使(つかひ)を片待(かたま)ちがてり
1901
藤波(ふぢなみ)の咲く春の野に延(は)ふ葛(くず)の下(した)よし恋ひば久しくもあらむ
1902
春の野に霞(かすみ)たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも
1903
我(わ)が背子(せこ)に我(あ)が恋(こ)ふらくは奥山の馬酔木(あしび)の花の今盛りなり
 

【意味】
〈1900〉梅の花が咲いて散るあの美しい園に私は出かけようと思う。あの方のお誘いの使いを待ってばかりはいられない。
 
〈1901〉藤の花が咲く春の野に葛が這うように、心の奥底で密かに恋い続けても、この思いはいつまでも果てしなく続くのだろう。
 
〈1902〉春の野に霞がたなびいて、花々が咲き乱れるようになっても、逢って下さらないあなたです。
 
〈1903〉私のいい人に恋する心は、奥山のあしびの花のように、今が真っ盛りです。

【説明】
 「花に寄せる」歌。1900の「君が使」は、思い人からの便りを持ってくる使者。「片待ちがてり」の「片待つ」は、一途に待つ。「がてり」は、しかねて。1901の上3句は「下」を導く序詞。「下よし」の「下」は下心、「よ」は、より、の意の助詞、「し」は強意。1903の馬酔木の花はスズラン状の小さなつぼみをつけて咲く花で、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。有毒植物であり、馬が誤って食べると苦しがって、酔っぱらったような動きをするというので「馬酔木」と書きます。

 上代に用いられた「心」の類語に「うら」と「した」があり、『万葉集』では「うら」は26首、「した」は23首の用例が認められます。「うら」は、隠すつもりはなく自然に心の中にあり、表面には現れない気持ち、「した」は、敢えて隠そうとして堪えている気持ちを表わしています。

巻第10-1904~1908

1904
梅の花しだり柳(やなぎ)に折(を)り交(まじ)へ花に供へば君に逢はむかも
1905
をみなへし佐紀野(さきの)に生(お)ふる白(しら)つつじ知らぬこともて言はれし我(わ)が背(せ)
1906
梅の花 我(わ)れは散らさじあをによし奈良なる人も来つつ見るがね
1907
かくしあらば何か植ゑけむ山吹(やまぶき)の止む時もなく恋(こ)ふらく思へば
1908
春されば水草(みくさ)の上に置く霜の消(け)につつも我(あ)れは恋ひわたるかも
 

【意味】
〈1904〉梅の花としだれ柳を手折って、束にしてお供えしたら、あの方に逢えるだろうか。

〈1905〉佐紀野一面に生い茂る白つつじではないけれど、身に覚えのないことで噂を立てられてしまったあなた。
 
〈1906〉梅の花を散らさないようにしています。大宮にお勤めのあの方がやってきてご覧になれるように。
 
〈1907〉こんなのだったら、植えなければよかった。ヤマブキのように、思いの止まない恋しさを思うと。

〈1908〉春になると、水草の上の霜がすぐに消えてしまうように、消えそうになりながらも私は恋い続けています。

【説明】
 1907まで「花に寄せる」歌。1905の「をみなえし」は「佐紀野」の枕詞。「佐紀野」は、奈良市の佐紀山の南の地。上3句は「知らぬ」を導く序詞。1906の「あをによし」は「奈良」の枕詞。「がね」は、~となるように、~だろうからの意。1907は、見に来てくれると思って植えたヤマブキ。しかし、恋しい相手は一度も見に来てくれない・・・と嘆いています。1908は「霜に寄せる」歌。上3句は「消」を導く序詞。

巻第10-1909~1914

1909
春霞(はるかすみ)山にたなびきおほほしく妹(いも)を相(あひ)見て後(のち)恋ひむかも
1910
春霞(はるかすみ)立ちにし日より今日(けふ)までに我(あ)が恋やまず本(もと)の繁(しげ)けば [一云 片思にして]
1911
さ丹(に)つらふ妹(いも)を思ふと霞(かすみ)立つ春日(はるひ)もくれに恋ひわたるかも
1912
たまきはる我(わ)が山の上(うへ)に立つ霞(かすみ)立つとも居(う)とも君がまにまに
1913
見わたせば春日(かすが)の野辺(のへ)に立つ霞(かすみ)見まくの欲(ほ)しき君が姿か
1914
恋ひつつも今日(けふ)は暮らしつ霞(かすみ)立つ明日(あす)の春日(はるひ)をいかに暮らさむ
 

【意味】
〈1909〉春霞が山にたなびきぼんやりかすんでいるように、かすかにあの子に逢ったばかりに、後々まで恋し思うことになるのだろうか。

〈1910〉春霞が立ち始めた日から今日まで、ずっと私の恋心がやむことがない。心の奥が思いでいっぱいなので。(片思いであるので)
 
〈1911〉美しい顔色のあの子のことをずっと思い、霞の立つ春の日も暗く思えるほど恋続けている。
 
〈1912〉山の上に霞が立つように、立っていましょうか、それとも座っていましょうか、あなたの意のままに。

〈1913〉見わたすと、春日の野辺に霞がかかっています。この眺めのように、いつも見ていたいあなたのお姿です。

〈1914〉恋つつも今日一日は何とか過ごしました。でも、霞が立つ明日の春日をどのようにして過ごしたらいいのでしょう。

【説明】
 「霞に寄せる」歌。1909の上2句は「おほほしく」を導く序詞。「おほほしく」は、ぼんやりと、わずかに。1910の「本の繁けば」は、幹が多いのでの意で、木立が繁っている状態を、心の深いことを具象化していったもの。1911の「さ丹つらふ」の「さ」は接頭語。頬のほんのりと紅い意で、「妹」の枕詞。1912の「たまきはる」は枕詞ながら、掛かり方は未詳。上3句は「立つ」を導く序詞。1913の上3句は「見まく欲しき」を導く序詞。1914の「霞立つ」は「春」の枕詞。立春の前日の思いをうたっているようです。

 なお、「霞」と同じように視界を遮る現象に「霧」がありますが、万葉の人々には、霞が自分とは距離を隔てた所にあるのに対し、霧は自らをも包み込んでしまうものと把握されていたようです。

巻第10-1915~1918

1915
我が背子(せこ)に恋ひてすべなみ春雨(はるさめ)の降るわき知らず出でて来(こ)しかも
1916
今さらに君はい行かじ春雨(はるさめ)の心を人の知らざらなくに
1917
春雨に衣(ころも)は甚(いた)く通らめや七日(なぬか)し零(ふ)らば七夜(ななよ)来(こ)じとや
1918
梅の花散らす春雨(はるさめ)いたく降る旅にや君が廬(いほ)りせるらむ
 

【意味】
〈1915〉あなたに恋い焦がれるやるせなさに、春雨が降っているかいないかの見境もなしに、家を出てきてしまった。
 
〈1916〉今さらお帰りになったりしないでしょうね。誰でも春雨の心を知らないはずはありませんから。
 
〈1917〉あなたは春雨が降ったので来られなかったとおっしゃるけれど、衣が濡れ通るというほどではないでしょう。それなら、もし雨が七日間降り続いたら、七晩ともおいでにならないとおっしゃるのですか。
 
〈1918〉梅花を散らす春雨が強く降る中、旅先のあなたは、今ごろ仮小屋に一人さびしく泊まっておいでになるだろうか。

【説明】
 「雨に寄せる」女の歌。1915の「すべなみ」は、どうしようもなく、やるせなさに。「わき」は、区別、分別。1916の「い行かじ」の「い」は接頭語。「春雨の心」は、恋人を帰したくない気持ちを、降り出すとなかなか止まない春雨に託しています。

 1917の「通らめや」の「通る」は濡れ通る。「や」は反語。はっきりしない男を激しく責めています。あたかも万葉時代のカップルの会話をそのまま聞いているかのように感じられる歌です。斎藤茂吉も、「女が男に迫る語気まで伝わる歌で、如何にもきびきびと、才気もあっておもしろいものである。こういう肉声をさながら聴き得るようなものは、平安朝になるともう無い。和泉式部がどうの、小野小町がどうのと云っても、もう間接な機智の歌になってしまって居る」と言っています。

 1918の「廬り」は、旅の宿りをするための仮小屋。やや身分のある人が設けるものでした。

巻第10-1919~1923

1919
国栖(くにす)らが春菜(はるな)摘(ゆ)むらむ司馬(しま)の野のしばしば君を思ふこのころ
1920
春草(はるくさ)の繁(しげ)き我(あ)が恋(こひ)大海(おほうみ)の辺(へ)に行く波の千重(ちへ)に積(つ)もりぬ
1921
おほほしく君を相(あひ)見て菅(すが)の根の長き春日(はるひ)を恋ひわたるかも
1922
梅の花咲きて散りなば我妹子(わぎもこ)を来(こ)むか来(こ)じかと我(あ)が松の木ぞ
1923
白真弓(しらまゆみ)今(いま)春山に行く雲の行きや別れむ恋しきものを
 

【意味】
〈1919〉国栖の人々が春菜を摘むという司馬の野、その名のように、しばしばあなたのことが思われてならないこのごろです。

〈1920〉春草の茂るようにしきりにつのる私の恋心は、大海の岸辺に打ち寄せる波のように幾重にも積もっている。
 
〈1921〉おぼろげにあなたの姿を見かけたばかりに、菅の根のように長い春の一日を、ひたすら恋続けています。
 
〈1922〉梅の花が咲いて散ってしまったら、あなたが来てくれるのか来てくれないのか、私は待っている松の木であるよ。
 
〈1923〉春山に流れゆく雲のように、君はここで去って別れなければならないのか、私は恋しくてならないのに。

【説明】
 1919~1921は「草に寄せる」歌。1919の「国栖」は、吉野川上流の国栖(くず)あたりに住んでいた人々。『日本書紀』に「289年に応神天皇が吉野に行幸なさった時、国栖人は酒を献上し、歌舞を奏して歓迎した。その地は京の東南、山を隔てた吉野川のほとりにある。峰は高く谷は深く道は険しい。人々は純朴で日頃は木の実を採って食べ、また、蛙を煮て上等の食物としている」旨の記述があります。上3句は「しばしば」を導く序詞。「司馬の野」は所在未詳。

 1920の「春草の」は「繁き」の枕詞。「大海の辺に行く波の」は「千重に」を導く序詞。1921の「菅の根の」は「長き」を導く序詞。1922は「松に寄せる」歌。上2句は、女の気が変わったらの意を匂わせており、女の方から男の家へ通ってくるという仲だったようです。「松」は「待つ」との掛詞。1923は「雲に寄せる」歌。「白真弓」は「春」の枕詞。上3句は「行き」を導く序詞。旅に行く人を見送る歌です。

巻第10-1924~1927

1924
大夫(ますらを)の伏(ふ)し居(ゐ)嘆(なげ)きて作りたるしだり柳のかづらせ我妹(わぎも)
1925
朝戸出(あさとで)の君が姿をよく見ずて長き春日(はるひ)を恋ひや暮らさむ
 
 

【意味】
〈1924〉このかずらは、男子たる私が家にこもって嘆きながら、しだれ柳で作ったものです。だからちゃんと髪に巻いて飾ってください。

〈1925〉朝早く出て行ったあなたの姿をしっかりと見ないまま送り出して、長い春の日を恋しく思いながら過ごすのでしょうか。

【説明】
 1924は「かづらを贈る」歌。「かづら」は、花や草木の枝を巻きつけて髪飾りにしたもの。『万葉集』ではさまざまな植物を「かづら」にすることが詠まれていますが、柳のかづらを詠む例が圧倒的に多くなっています。その強い生命力にあやかってのこととみえます。

 1925は「別れを悲しむ」歌。「朝戸出」は、朝、戸口を開けて出て行くこと。「よく見ずて」は、しっかりと見ないまま。夫は、人目につかぬよう、朝の薄暗いうちに帰るのが習いになっていたので、実際、よく見えなかったものとみえます。

巻第10-1926~1927

1926
春山の馬酔木(あしび)の花の悪(あ)しからぬ君にはしゑや寄(よ)そるともよし
1927
石上(いそのかみ)布留(ふる)の神杉(かむすぎ)神(かむ)びにし我(あ)れやさらさら恋にあひにける
 

【意味】
〈1926〉春の山に咲く馬酔木の「あし」ではないが、悪しき人とも思えないあなたとなら、えいままよ、噂になってもかまわない。
 
〈1927〉石上の布留の社の神杉のように、神々しく年老いた私が、今また恋に逢ってしまいました。

【説明】
 1926は女の歌、1927はそれに答えた男の歌。1926の上2句は「悪しからぬ」を導く序詞。「しゑや」は、えいままよと捨て鉢な気持ちを表す語。1927の上2句は「神びにし」を導く序詞。「石上布留」は、奈良県天理市石上神宮周辺の地。石上神宮は『日本書紀』にも登場する最古の神社の一つで、今も神木の杉が境内にそびえています。

巻第10-1928~1929

1928
狭野方(さのかた)は実にならずとも花のみに咲きて見えこそ恋のなぐさに
1929
狭野方(さのかた)は実になりにしを今さらに春雨降りて花咲かめやも
 

【意味】
〈1928〉狭野方は実にならなくてもよいから、せめて花だけでも咲いて見せておくれ、実らぬ恋の慰めに。
 
〈1929〉狭野方はとっくに実になってしまっているのに、春雨が降ってきたからといって、今さら花を咲かせはしません。

【説明】
 「狭野方」は未詳ながらアケビかといわれます。アケビは、林の木に巻き付いて生長するつる性植物で、春まだ早いころに、一つの株に姿や大きさが異なる雄花と雌花が咲きます。「狭野方」を詠んだ歌は、『万葉集』にはこの2首のみです。

 1928は、二人の仲が実らずともよいから交際だけでもしてほしいと男が言い、1929は、女が人妻であることを匂わせて男の誘いをかわしています。「今さらに春雨降りて」には、今さら他の男に言い寄られても、の意が込められています。

巻第10-1930~1931

1930
梓弓(あづさゆみ)引津(ひきつ)の辺(へ)なるなのりその花咲くまでに逢はぬ君かも
1931
川の上(うへ)のいつ藻(も)の花のいつもいつも来(き)ませ我(わ)が背子(せこ)時じけめやも
 

【意味】
〈1930〉引津のほとりのなのりその花が咲くまで、あなたは逢ってくれないのですね。

〈1931〉川のほとりのいつ藻の花のように、いつもいつも来てください、あなた。私に都合が悪いなどということがあるものですか。

【説明】
 1930は男の歌、1931はそれに答えた女の歌。1930の「梓弓」は「引津」の枕詞。「引津」は、福岡県糸島市の海岸。ただしこの歌は、巻第7-1279の『人麻呂歌集』にある「梓弓引津の辺なるなのりその花 摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花」の旋頭歌を短歌に詠みかえたものとみられ、また1931は、巻第4-491の歌と同じです。私があなたならそんな愚痴は言わず、こんなふうに詠みます、といって引用したのでしょうか。

巻第10-1932~1933

1932
春雨のやまず降る降る我(あ)が恋ふる人の目すらを相(あひ)見せなくに
1933
我妹子(わぎもこ)に恋ひつつ居(を)れば春雨のそれも知るごとやまず降りつつ
 

【意味】
〈1932〉春雨が絶え間なく降り続いて、私の恋しい人は、お顔すらも見せてくれない。

〈1933〉あなたを恋しく思い続けていると、春雨が、そんな私の気持を知っているかのように、絶え間なく降り続けている。

【説明】
 1932は女の歌、1933はそれに答えた男の歌。1932の「降る降る」は原文「零々」で、「降り降り」と訓む説もあります。「目すらを」は、顔すらも。1933の「それも知るごと」は原文「彼毛知如」で、「そも知る如く」と訓むものもあります。

巻第10-1934~1936

1934
相(あひ)思はぬ妹(いも)をやもとな菅(すが)の根の長き春日(はるひ)を思ひ暮らさむ
1935
春さればまづ鳴く鳥の鴬(うぐひす)の言(こと)先立(さきだ)ちし君をし待たむ
1936
相(あひ)思はずあるらむ子ゆゑ玉の緒(を)の長き春日(はるひ)を思ひ暮らさく
 

【意味】
〈1934〉私のことを思ってもくれないあなただが、私はわけもなく、菅の根のように長い春の一日を暮らさねばならないのか。

〈1935〉春になると真っ先に鳴くウグイスのように、真っ先にあなたの方からお誘いして下さると思ってお待ちしてます。

〈1936〉私のことを少しも思ってくれていないあの子なのに、私の方は玉を通す緒のように長い春の一日を暮らしている。

【説明】
 1934は男の歌、1935はそれに答えた女の歌。1934の「もとな」は、わけもなく。「菅の根の」は「長き」の枕詞。1935の「春されば」は、春になると。1936の「玉の緒の」は「長き」の枕詞。1936は、ここまで問答2首を組み合わせているのに、遊離しています。あるいは、1934と同じ気持ちをうたっているので、この組み合わせもあるというので載せているのでしょうか。

巻第10-1937~1938

1937
ますらをの 出(い)で立ち向ふ 故郷(ふるさと)の 神奈備山(かむなびやま)に 明け来れば 柘(つみ)のさ枝(えだ)に 夕(ゆふ)されば 小松が末(うれ)に 里人(さとびと)の 聞き恋ふるまで 山彦(やまびこ)の 相(あひ)響(とよ)むまで ほととぎす 妻恋(つまごひ)すらし さ夜中(よなか)に鳴く
1938
旅にして妻恋(つまごひ)すらしほととぎす神奈備山(かむなびやま)にさ夜ふけて鳴く
 

【意味】
〈1937〉立派な男子が、家を出て相向かう故郷の神奈備山が明け始めてくると、柘の枝に、また、夕方になると松の小枝に、里人が聞き惚れるほどに、山びこが響き合うほどに、ホトトギスの鳴き声が聞こえる。妻を求めているらしく、夜中にも鳴いている。

〈1938〉旅立つときに残してきた妻を求めているらしい、神奈備山でホトトギスが、夜更けにしきりに鳴いている。

【説明】
 古歌集にあるという「鳥を詠む」長歌と反歌。「故郷」は、ここでは旧都の明日香京をさしています。「神奈備山」は、天から神が降りてくる山の意で、ここでは雷丘(いかづちのおか)。「柘」は、クワ科の落葉高木。 「末」は、木の枝や葉の先端。「相響む」は、響き合う、反響する。奈良朝初期の作とみられ、初夏のホトトギスが鳴くころに、奈良京から何らかの公務で明日香の里を訪れた官人が、家に残した妻を恋しく思っている歌です。

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万葉の植物

アセビ
ツツジ科の常緑低木。早春にスズラン状の小さなつぼみをつけて花が咲き、この花が集まって咲くと、その周りは真っ白になります。有毒植物であり、馬が誤って食べると苦しがって、酔っぱらったような動きをするというので「馬酔木」と書きます。

ウツギ
花が「卯の花」と呼ばれるウツギは、日本と中国に分布するアジサイ科の落葉低木です。 花が旧暦の4月「卯月」に咲くのでその名が付いたと言われる一方、卯の花が咲く季節だから旧暦の4月を卯月と言うようになったとする説もあり、どちらが本当か分かりません。ウツギは漢字で「空木」と書き、茎が中空なのでこの字が当てられています。

ウメ
バラ科の落葉低木。中国原産で、遣唐使によって 日本に持ち込まれたと考えられています(弥生時代に渡ってきたとの説も)。当時のウメは白梅だったとされ、『万葉集』では萩に次いで多い119首が詠まれています。雪や鶯(うぐいす)と一緒に詠まれた歌が目立ちます。

サクラ
日本の国花のサクラはバラ科の落葉高木で、多くの品種があります。名前の由来は、花が「咲く」からきたとされていましたが、「サ」は稲の神様で、「クラ」は居る所という説も唱えられています。稲の神様が田植えが始まるまで居るところがサクラで、サナエは稲の苗、サミダレは稲を植えるころに降る雨のことをいう、とされます。
なお、『万葉集』で詠まれている桜の種類は「山桜」です。「ソメイヨシノ」は江戸末期に染井村(東京)の植木屋によって作り出された品種で、葉が出る前に花が咲き、華やかに見えることからたちまち全国に植えられ、今の桜の名所の主役となっています。

ツゲ
ツゲ科の常緑低木ないし小高木で、主に西日本の暖かい地域に分布しています。材がきめ細かくて加工しやすく、仕上がりもきれいなので、昔から色々な細工物の材木として利用されてきました。垣根や庭木の植栽にもよく使われています。漢字では「柘植」や「黄楊」と書きます。

ツツジ
ツツジ科ツツジ属の植物の総称で、春から初夏にかけて鮮やかなピンクの花が咲きます。 漢字で「躑躅」と書き、「見る人が足を止めるほどに美しい」という謂れに由来します。「躑」「躅」はいずれも、たちどまる、たたずむ、の意。古来愛されてきた花木で、最も樹齢の古い古木は、1000年に及ぶと推定されています。

ツユクサ
ツユクサ科の1年草で、道ばたなどでよく見られます。秋に可憐な青花を咲かせますが、朝に咲いて、昼過ぎにはしぼんでしまう短い命です。また、昔はツユクサで布を染めましたが、すぐに色褪せるため、移ろう恋心に例えられました。「月草」はツユクサの古名です。

ナデシコ
ナデシコ科の多年草(一年草も)で、秋の七草の一つで、夏にピンク色の可憐な花を咲かせ、我が子を撫でるように可愛らしい花であるところから「撫子(撫でし子)」の文字が当てられています。数多くの種類があり、ヒメハマナデシコとシナノナデシコは日本固有種です。

ヤナギ
ヤナギ科の樹木の総称で、ふつうに指すのは落葉高木のシダレヤナギです。。細長い枝がしなやかに垂れ下がり、春早く芽吹くので、生命力のあるめでたい木とされます。シダレヤナギに「柳」の字を使い、ネコヤナギのように上向かって立つヤナギには「楊」を用いて区別することもあります。

ヨメナ
『万葉集』では「うはぎ」と詠まれているヨメナは、野原や道端に生えるキク科の植物。当時から代表的な春の摘み草であり、柔らかい葉や茎を食用にしていました。薄紫色の花が、夏の終わりから秋の終わりごろまで咲き続けます。

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各巻の概要

【巻第一】
 雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
【巻第二】
 仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様に部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
【巻第三】
 巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 
【巻第四】
 巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
【巻第五】
 巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
【巻第六】
 巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
【巻第七】
 雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいるため、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
【巻第八】
 四季に分類された雑歌と相聞歌。舒明朝~天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
【巻第九】
 おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立て。
 
【巻第十】
 巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
【巻第十一】
 『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十ニ】
 「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十三】
 作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
【巻第十四】
 主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
【巻第十五】
 物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
【巻第十六】
 巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
【巻第十七~二十】
 巻第十七~二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。

和歌の修辞技法

枕詞
 序詞とともに万葉以来の修辞技法で、ある語句の直前に置いて、印象を強めたり、声調を整えたり、その語句に具体的なイメージを与えたりする。序詞とほぼ同じ働きをするが、枕詞は5音句からなる。
 
序詞(じょことば)
 作者の独創による修辞技法で、7音以上の語により、ある語句に具体的なイメージを与える。特定の言葉や決まりはない。
 
掛詞(かけことば)
 縁語とともに古今集時代から発達した、同音異義の2語を重ねて用いることで、独自の世界を広げる修辞技法。一方は自然物を、もう一方は人間の心情や状態を表すことが多い。
 
縁語(えんご)
 1首の中に意味上関連する語群を詠みこみ、言葉の連想力を呼び起こす修辞技法。掛詞とともに用いられる場合が多い。
 
体言止め
 歌の末尾を体言で止める技法。余情が生まれ、読み手にその後を連想させる。万葉時代にはあまり見られず、新古今時代に多く用いられた。
 
倒置法
 主語・述語や修飾語・被修飾語などの文節の順序を逆転させ、読み手の注意をひく修辞技法。
 
句切れ
 何句目で文が終わっているかを示す。万葉時代は2・4句切れが、古今集時代は3句切れが、新古今時代には初・3句切れが多い。
 
歌枕
 歌に詠まれた地名のことだが、古今集時代になると、それぞれの地名が特定の連想を促す言葉として用いられるようになった。

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