本文へスキップ

万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第12)~その4

巻第12-3123~3124

3123
ただひとり寝(ぬ)れど寝(ね)かねて白栲(しろたへ)の袖(そで)を笠に着(き)濡れつつぞ来(こ)し
3124
雨も降り夜(よ)も更(ふ)けにけり今さらに君(きみ)去(い)なめやも紐(ひも)解き設(ま)けな
 

【意味】
〈3123〉たった一人で寝てみたけれど、恋しくて寝るに寝られず、袖をかざして笠代わりにして雨の中を濡れながらやってきたよ。

〈3124〉雨も降っているし、夜もすっかり更けています。このままお帰りになるってことはないでしょうね。さあ、紐を解いて共寝の準備をしましょう。

【説明】
 問答歌(問いかけの歌と、それに答える歌によって構成される唱和形式の歌)。3123は男の歌、3124はそれに返した女の歌。3123の「白栲の」は「袖」の「枕詞」。雨には天の強い呪力が宿っているとされ、雨に濡れることは禁忌とされました。そのため、男女の恋愛生活においても、雨の降る夜に男が女の許を訪れることは基本的に避けられていましたが、ここではそれを冒してやって来たと歌い、女への思いの深さを訴えています。

 。3124の「去なめやも」の「やも」は、反語。「設けな」の「設く」は準備をする意、「な」は勧誘。この歌は、女が酒の相手などしていて、雨が降り出し、夜も更けたといって、強いて男を泊まらせようとする歌であり、上の歌とは関係のない歌を、雨と女とがあるので、強いて組合わせたものだろうとする見方があります。

巻第12-3125~3126

3125
ひさかたの雨の降る日を我(わ)が門(かど)に蓑笠(みのかさ)着(き)ずて来(け)る人や誰(た)れ
3126
巻向(まきむく)の穴師(あなし)の山に雲(くも)居(ゐ)つつ雨は降れども濡(ぬ)れつつぞ来(こ)し
 

【意味】
〈3125〉雨が降っている日に、蓑笠も着けずに、我が家の門口に来ている人はどなたでしょうか。

〈3126〉巻向の穴師の山に雲がかかっていて、雨は降るけれども、濡れながらやって来きたことだ。

【説明】
 問答歌。3125は女の歌、3126はそれに返した男の歌。3125の「ひさかたの」は「天」にかかかるのを「雨」に転じさせて枕詞としているもの。「来る人や誰」の「来(け)る」は「来たる」の古語で、来ているのは誰であろうか。他の誰でもない夫だと知って言っている語で、雨具もなくやって来た夫の姿に感激しています。3126の「巻向の穴師の山」は、奈良県桜井市北部の山で、巻向の山の中の一つ。「雲居つつ」は、雲がかかっていて。男の歌は、女の歌に比べて落ち着いた趣きです。

巻第12-3131~3135

3131
月(つき)変へて君をば見むと思へかも日(ひ)も変へずして恋の繁(しげ)けむ
3132
な行きそと帰りも来(く)やと顧(かへり)みに行けど帰らず道の長手(ながて)を
3133
旅にして妹(いも)を思ひ出(い)でいちしろく人の知るべく嘆きせむかも
3134
里(さと)離(さか)り遠からなくに草枕(くさまくら)旅とし思(おも)へばなほ恋ひにけり
3135
近くあれば名のみも聞きて慰(なぐさ)めつ今夜(こよひ)ゆ恋のいや増さりなむ
 

【意味】
〈3131〉来月にならないとあの方に逢えないと思うせいでしょうか。まだ別れた日も改まらないうちから、しきりに恋しくてなりません。

〈3132〉「行ってはいや」と、見送りの妻が言うために引き返して来るかと、振り返り振り返り行くけれど、とうとう妻は引き返して来ない。これから長い道のりなのに。
 
〈3133〉旅に出たら、わが妻を思い出しては、周りの人がはっきり気づいてしまうほど嘆き悲しむことであろうか。

〈3134〉家里からまだそんなに遠くに来たわけではないのに、これから旅が続くと思うと、ますます家が恋しくてならない。

〈3135〉近くにいた時は、逢えなくても噂を聞くだけで心が慰められたけど、旅に出た今夜からは恋しさがますますつのるだろう。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3131は、月を跨ぐ予定で旅立った夫に対して妻が詠んだ歌。「思へかも」の「かも」は、疑問。3132の「な行きそ」の「な~そ」は、禁止。「長手」は、長い道のり。旅立ちに際して妻に見送られ、いったん別れたものの、また追いかけてくるのを期待しながら追いかけてこないのに落胆している、ちょっと残念な男の歌です。ひょっとして相手は妻ではなく、旅先の遊行女婦なのかもしれません。

 3133の「いちしろく」は、はっきりとの意。同行者があり、面目を重んじなければならなかったようで、下僚の官人あたりの歌とみられます。3134の「草枕」は「旅」の枕詞。「なほ」は、いっそう、ますます。3135の「名のみも聞きて」は、噂を聞くだけでも。「今夜ゆ」の「ゆ」は、動作の起点。~から。「なむ」は、強い推量。

巻第12-3136~3140

3136
旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
3137
遠くあれば姿は見えね常(つね)のごと妹(いも)が笑(ゑ)まひは面影(おもかげ)にして
3138
年も経(へ)ず帰り来(こ)なむと朝影(あさかげ)に待つらむ妹(いも)し面影に見ゆ
3139
玉桙(たまほこ)の道に出(い)で立ち別れ来(こ)し日より思ふに忘る時なし
3140
はしきやししかある恋にもありしかも君に後(おく)れて恋しき思へば
  

【意味】
〈3136〉旅の途上で恋しく思っているのはつらい。いったいいつになったら都へ帰って、君と顔を合わせることができるのだろう。

〈3137〉遠く離れているので実際の姿は見えないのだけれど、いつも見馴れた妻の笑顔だけは目に浮かぶ。
 
〈3138〉年の変わらないうちに帰って来るはずと、朝影みたいにやせ細り私を待っているにちがいない妻の姿が目に浮かぶ。

〈3139〉旅の道に立って別れてきた日からこのかた、妻を思うのを忘れたことがない。

〈3140〉ああ、こんなにも辛い恋だったのか。あの方に取り残されて、恋しく思われるのは。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3136は、男女いずれの歌とも取れますが、何か臨時の用で都を離れた女の歌で、「君」は身分のある人を指しているようです。3137は、旅にあって妻を思う歌。「常のごと」は、いつも見慣れていたように。3138は、やや長い任期で旅にある官人が妻を思う歌。「来なむ」の「なむ」は、願望。「朝影」は、朝日に照らされて映る細長い影。恋にやつれた姿の形容。3139の「玉桙の」は「道」の枕詞。3140は、遊行女婦の歌だろうとされます。「はしきやし」は、ああ慕わしい。

巻第12-3141~3145

3141
草枕(くさまくら)旅の悲しくあるなへに妹(いも)を相(あひ)見て後(のち)恋ひむかも
3142
国遠み直(ただ)には逢はず夢(いめ)にだに我(わ)れに見えこそ逢はむ日までに
3143
かく恋ひむものと知りせば我妹子(わぎもこ)に言(こと)問はましを今し悔(くや)しも
3144
旅の夜(よ)の久しくなればさ丹(に)つらふ紐(ひも)解き放(さ)けず恋ふるこのころ
3145
我妹子(わぎもこ)し我(あ)を偲(しの)ふらし草枕(くさまくら)旅の丸寝(まろね)に下紐(したびも)解けぬ
   

【意味】
〈3141〉旅は悲しいうえに、あの子に出会ってから後は、恋の辛さが加わることだ。

〈3142〉故郷が遠くてじかには逢えないが、せめて夢にだけでも、私に姿を見せてくれないか、再びめぐり逢える日まで。
 
〈3143〉こんなに恋しくなるものと分かっていたら、愛しいあの子にもっと言葉をかけてくるのだったのに、今となっては悔やまれる。
 
〈3144〉旅の夜が長く続くので、妻の色鮮やかな赤い紐を解き放つこともないまま、恋い焦れてばかりいるこのごろだ。
 
〈3145〉愛しい妻が私をしきりに偲んでいるにちがいない。旅のごろ寝で、下着の紐がほどけてしまった。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3141は、旅先で一夜を共にした遊行女婦との別れをうたった歌。「草枕」は「旅」の枕詞。「なへに」は、と同時に。3142は、地方に赴任している男が郷里の妻に贈った歌。「見えこそ」の「こそ」は、願望の助詞。3143は、遊行女婦についてうたった歌、あるいは旅立ち前に妻に逢えなかった嘆きの歌。3144の「さ丹つらふ」の「さ」は接頭語で、「丹つらふ」は、赤く美しい意で、妻の紐の色であるのと同時に「紐」の枕詞。3145の「草枕」は「旅」の枕詞。下着の紐がほどけるのは恋人が自分のことを思っているしるしとされました。

巻第12-3146~3150

3146
草枕(くさまくら)旅の衣(ころも)の紐(ひも)解けて思ほゆるかもこの年ころは
3147
草枕(くさまくら)旅の紐(ひも)解く家の妹(いも)し我(あ)を待ちかねて嘆かふらしも
3148
玉釧(たまくしろ)まき寝(ね)し妹(いも)を月も経(へ)ず置きてや越えむこの山の崎(さき)
3149
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は知らねど愛(うるは)しみ君にたぐひて山道(やまぢ)越え来(き)ぬ
3150
霞(かすみ)立つ春の長日(ながひ)を奥処(おくか)なく知らぬ山道(やまぢ)を恋ひつつか来(こ)む
 

【意味】
〈3146〉旅で着ている衣の紐が解けると、家で待っている妻のことを思い出す。この何年もの間。

〈3147〉旅で着ている衣の紐がひとりでに解ける。家にいる妻が、私を待ちかねて嘆いているらしい。
 
〈3148〉玉釧を腕に巻くように抱いて寝た妻なのに、ひと月も経たないうちにあとに残して越えて行かねばならないのか、この山の崎を。
 
〈3149〉行く末がどうなるのか分かりませんが、いとしいあまり、あなたに寄り添って山道を越えてやって来ました。
 
〈3150〉霞が立つ春の長い一日を、あてどもなく勝手も分からない山道を、あの人を恋いつつ歩き続けるのでしょうか。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3146の「草枕」は「旅」の枕詞。地方官などで、長らく妻と離れている男が、衣の紐の自然に解けるのは妻が自分を思うからであるという俗信から、それを見るにつけ妻が思われると言っている歌です。3148の「玉釧」は玉製の腕輪で「まき寝」の枕詞。「山の崎」は、山の出鼻。

 3149の「梓弓」は「末」の枕詞。「末は知らねど」は、将来どうなるか分からないが。任地へ赴く夫に連れられて旅に出た、結婚後間もない女の歌とみられます。一抹の不安にかられながらも、一切を夫に任せている気持ちが窺えます。

 3150の「霞立つ」は「春」の枕詞。「奥処なく」は、あてどもなく。遠い任地にいる夫のもとへ行こうとしている妻の歌でしょうか。窪田空穂は「純気分の歌であるが、それをとおして情景の浮かび出る歌である。『霞立つ』という枕詞が叙景となり、『奥処なく』の抒情と溶け合う趣が、一首全体にある。奈良朝の教養ある人の歌である」と評しています。

巻第12-3151~3155

3151
外(よそ)のみに君を相(あひ)見て木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむ)けの山を明日(あす)か越え去(い)なむ
3152
玉勝間(たまかつま)安倍島山(あへしまやま)の夕露(ゆふつゆ)に旅寝(たびね)えせめや長きこの夜(よ)を
3153
み雪降る越(こし)の大山(おほやま)行き過ぎていづれの日にか我(わ)が里を見む
3154
いで我(あ)が駒(こま)早く行きこそ真土山(まつちやま)待つらむ妹(いも)を行きて早(はや)見む
3155
悪木山(あしきやま)木末(こぬれ)ことごと明日よりは靡(なび)きてありこそ妹(いも)があたり見む

【意味】
〈3151〉遠くからあなたのお姿を見ているだけで、木綿畳を供える手向けの山を、明日は越えて行ってしまわれるのですね。

〈3152〉この安倍島山の夕霧の中に、ひとりで旅寝できようか、こんなに長い秋の夜なのに。
 
〈3153〉雪の降る越の大きな山を通り過ぎ、いったいいつの日に、わが故郷を見られるのだろう。
 
〈3154〉さあ、我が愛馬よ、早く歩いておくれ。この真土山というように、私を待っている妻を行って早く見よう。
 
〈3155〉悪木山の木立の梢という梢は、明日からは風に靡いてくれよ。それを越して妻の家の辺りを見よう。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3151の「木綿畳」は、木綿を畳んで神に供える意で「手向」にかかる枕詞。夫の旅立ちの前夜に、妻が別れを惜しんで贈った歌です。3152の「玉勝間」は、立派な籠。竹籠は蓋と身とが合うことから「逢ふ」にかかり、似た音の地名「安倍」にもかかる枕詞。「安倍島山」は所在未詳。3153の「み雪」の「み」は美称。「越の大山」は、越の国と京とを通じる街道にある大きな山。3154の「真土山」は大和と紀伊との国境の山。3155の「悪木山」は所在未詳。「木末」は、梢。「ありこそ」の「こそ」は願望。

巻第12-3156~3160

3156
鈴鹿川(すずかがは)八十瀬(やそせ)渡りて誰(た)がゆゑか夜越(よご)えに越(こ)えむ妻もあらなくに
3157
我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも
3158
旅にありて物(もの)をぞ思ふ白波(しらなみ)の辺(へ)にも沖にも寄るとはなしに
3159
港廻(みなとみ)に満ち来(く)る潮(しほ)のいや増しに恋はまされど忘らえぬかも
3160
沖つ波(なみ)辺波(へなみ)の来寄(きよ)る佐太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも

【意味】
〈3156〉鈴鹿川の川瀬を幾たびも渡り、誰のために山道を夜に越えて行くというのか。妻がいるわけでもないのに。

〈3157〉いとしいあの子にまたも逢うという近江の安の川、その名のように安らかに寝ることができず、あの子に恋い続けている。
 
〈3158〉旅にあって物思いは尽きない。白波は岸にも沖にも寄るが、私はあの子に言い寄ることもできない。
 
〈3159〉河口の辺りにひたひたと潮が満ちてくるように、恋心がつのってきて、どうしてもあの子が忘れられない。
 
〈3160〉沖からの波や岸辺の波が打ち寄せる佐太の浦の、この時(さだ)が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろう。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3156の「鈴鹿川」は、鈴鹿山脈に発して伊勢湾に注ぐ川。3157の「またも」までは「近江」を、上3句は「安寐」を導く序詞。。「安の川」は、琵琶湖に注ぐ野洲川。3158の「白波の辺にも沖にも」は「寄る」を導く序詞。3159の「港廻」は、河口。上2句は「いやましに」を導く序詞。3160は、巻第11-2732の重出歌。

巻第12-3161~3165

3161
在千潟(ありちがた)あり慰(なぐさ)めて行かめども家なる妹(いも)いいふかしみせむ
3162
みをつくし心尽くして思へかもここにももとな夢(いめ)にし見ゆる
3163
我妹子(わぎもこ)に触(ふ)るとはなしに荒礒廻(ありそみ)に我(わ)が衣手(ころもで)は濡れにけるかも
3164
室(むろ)の浦の瀬戸(せと)の崎なる鳴島(なきしま)の磯(いそ)越す波に濡れにけるかも
3165
霍公鳥(ほととぎす)飛幡(とばた)の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも
 

【意味】
〈3161〉在千潟の名のように、このままあなたを相手にあり続けて楽しんで行きたいけれど、家で待つ妻が悲しむことだろう。

〈3162〉家の妻が、身を尽くし心を尽くして私のことを思ってくれているせいか、旅先のここにいても、わけもなく妻の姿が夢に出てくる。

〈3163〉愛しいあの子に触れることがないまま、荒々しい礒の辺りを通るこの旅で、私の着物の袖はすっかり濡れてしまった。
 
〈3164〉室の浦の瀬戸の崎に浮かぶ鳴島、その島が泣く涙なのか、磯を越してくる波にすっかり濡れてしまった。
 
〈3165〉霍公鳥が飛ぶではないが、その飛幡の浦に繰り返しやって来る波のように、しばしばあの方とお逢いできたらなあ。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3161の「在千潟」は所在未詳、「あり」の枕詞。「妹い」の「い」は接尾語。「おほほしみせめ」は、心が晴れないだろう。妻を持ち出して、一夜妻と別れた時の歌です。3162の「みをつくし」は、船の水路に立てる標で、同音の「心尽くして」の枕詞。「思へかも」は「思へばかも」の古格で、思っているからだろうか。「もとな」は、わけもなく、むやみに。3164の「室の浦」は、兵庫県たつの市御津町。「瀬戸」は、狭い海峡。「鳴島」は、相生市の沖合の君島。3165の「霍公鳥」は「飛幡」の枕詞。「飛幡の浦」は、北九州市戸畑区の洞海湾にあった入江。

巻第12-3166~3170

3166
我妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む越(こし)の海の子難(こがた)の海の島ならなくに
3167
波の間(ま)ゆ雲居(くもゐ)に見ゆる粟島(あはしま)の逢はぬものゆゑ我(わ)に寄(よ)そる子ら
3168
衣手(ころもで)の真若(まわか)の浦の真砂地(まなごつち)間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは
3169
能登(のと)の海に釣(つ)りする海人(あま)の漁(いざ)り火の光りにい行く月待ちがてり
3170
志賀(しか)の海人(あま)の釣りし燭(とも)せる漁り火のほのかに妹(いも)を見むよしもがも
 

【意味】
〈3166〉あの愛しい子を、傍目にだけ見て過ごさねばならないというのか。越の海の子難の海に浮かぶ島ではあるまいに。

〈3167〉波の間からはるかに見える粟島のように、逢わないでいるのに、私と関係あるように噂を立てられている子よ。

〈3168〉真若の浦の白い砂浜のように、絶え間なく、時の区別もなく、私は恋い焦がれている。
 
〈3169〉能登の海で夜釣をしている漁り火をたよりに行く。月の出を待ちながら。
 
〈3170〉志賀島の海人が夜釣りに燭している漁り火の、ちらちら照らす光のように、ちらっとでもあの子を見るきっかけがあればなあ。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3166の「越の海」は、越前・越中にわたる海。「子難の海」は所在未詳。女に逢い難いの意を掛けています。3167の上3句は「逢は」を導く序詞。「雲居」は、ここでは水平線に接している空で、海上遠く。「ゆゑ」は逆説。「寄そる」は「寄す」の受け身。3168の「衣手の」は、真袖(左右の袖)という意で「真」にかかる枕詞。「真若の浦」の「真」は美称で、和歌山市和歌の浦。「真砂地」は、白い砂浜が続く海岸。「恋ふらく」は「恋ふ」の名詞形。同音の「ま」が繰り返された口調によって、胸に秘める恋の苦しさが強調されています。3169の「光にい行く」は、光を頼りに行く。「い」は、接頭語。「月待ちがてり」は、月の出を待ちながら。3170の「志賀」は、福岡県の志賀島。上3句は「ほのかに」を導く序詞。「漁り火」は、魚を誘い集めるために焚く篝火。「もがも」は、願望。

巻第12-3171~3175

3171
難波潟(なにはがた)漕(こ)ぎ出(づ)る舟のはろはろに別れ来(き)ぬれど忘れかねつも
3172
浦廻(うらみ)漕(こ)ぐ熊野舟(くまのぶね)つきめづらしく懸(か)けて思はぬ月も日もなし
3173
松浦舟(まつらぶね)騒(さわ)く堀江(ほりえ)の水脈(みを)早み楫(かぢ)取る間なく思ほゆるかも
3174
漁(いざ)りする海人(あま)の楫音(かぢおと)ゆくらかに妹(いも)は心に乗りにけるかも
3175
若(わか)の浦に袖(そで)さへ濡れて忘貝(わすれがひ)拾(ひり)へど妹(いも)は忘らえなくに [或る本の歌の末句には「忘れかねつも」といふ]
 

【意味】
〈3171〉難波潟を漕ぎ出す舟が遠ざかるように、はるばると別れてやって来たが、妻のことが忘れようにも忘れられない。

〈3172〉浦のあたりを漕ぐ熊野舟の姿かたちが珍しいように、愛しいあの子を心に懸けて思わない月も日もない。

〈3173〉松浦舟が往き来する堀江の流れが早いので、楫を取るのに絶え間がないように、絶え間なくあの子を思っている。
 
〈3174〉漁をする海人の舟の楫の音がゆったりとしているように、あの子は私の心にじわじわと乗りかかってきている。
 
〈3175〉若の浦で袖まで濡らして忘れ貝を拾うけれど、拾っても拾ってもあの子を忘れられない。(忘れかねる)

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3171の上2句は「はろはろに」を導く序詞。「難波潟」は、大阪付近の海。「はろはろに」は、はるかに遠いさま、はるばると。3172の上2句は「めづらしく」を導く序詞。「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「熊野舟」は紀伊の熊野で造られる舟で、特別な形をなしていました。「つき」の解釈は「(港へ)着き」とする説と、「顔つき」「体つき」のようにそのものの様子をいう接尾語とする説があります。

 3173の上3句は「楫取る間なく」を導く序詞。「松浦舟」は、肥前国松浦で造った舟。「堀江」は難波堀江。「水脈」は、舟の通る深い所。3174の上2句は「ゆくらかに」を導く序詞。「ゆくらかに」は、ゆったりと。「妹は心に乗りにけるかも」の句は万葉人に好まれたようで、他の歌にもいくつか用例が見られます。3175の「若の浦」は、和歌山市和歌の浦。「忘れ貝」は、二枚貝の片方。

巻第12-3176~3179

3176
草枕(くさまくら)旅にし居(を)れば刈り薦(こも)の乱れて妹(いも)に恋ひぬ日はなし
3177
志賀(しか)の海人(あま)の礒(いそ)に刈り干(ほ)す名告藻(なのりそ)の名は告(の)りてしを何(なに)か逢ひかたき
3178
国(くに)遠(とほ)み思ひなわびそ風の共(むた)雲の行くごと言(こと)は通はむ
3179
留(と)まりにし人を思ふに秋津野(あきづの)に居(ゐ)る白雲(しらくも)のやむ時もなし
 

【意味】
〈3176〉旅にあって寝床のために刈り取った薦が乱れるように、私の心は乱れて妻を恋しく思わない日はない。

〈3177〉志賀の海人が磯で刈って干しているなのりそのように、私は名を告げたのに、どうしてなかなか逢えないのだろう。

〈3178〉国が遠いからといって思い悩まないでください。風と共に流れる雲のように、お互いの消息は自然に通い合うでしょうから。
 
〈3179〉家に残った妻のことを思うと、秋津野にかかる白雲のように、苦しさは止むときがない。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3176の「草枕」「刈り薦の」は、それぞれ「旅」「乱れて」の枕詞。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。窪田空穂はこの歌を評し、「説明に終始している歌である。枕詞を二つまで用い、『乱れて』という強い語を用いているが、抒情気分の現われていない歌である」と述べています。なお、『万葉集』を愛した鎌倉幕府3代将軍の源実朝は、この歌を本歌取りし、「草枕旅にしあればかりごもの思ひ乱れて寐(い)こそ寝(ね)られね」という歌を詠んでいます。

 3177の「志賀」は、福岡市の志賀島。上3句は「名は告り」を導く序詞。「名告藻」は、ホンダワラの古名。3178の「なわびそ」の「な~そ」は、禁止。「わぶ」は、思い悩む、悲観する。「風の共」は、風と共に。旅先での遊行女婦の歌とされます。3179の「留まりにし人」は、家に残ってとどまった人で、旅にあって妻を指したもの。「秋津野に居る白雲の」は「止む時もなし」を導く序詞。「秋津野」は、吉野または紀伊田辺の秋津野。 

巻第12-3180~3184

3180
うらもなく去(い)にし君ゆゑ朝(あさ)な朝(さ)なもとなぞ恋ふる逢ふとはなけど
3181
白栲(しろたへ)の君が下紐(したひも)我(わ)れさへに今日(けふ)結びてな逢はむ日のため
3182
白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも
3183
都辺(みやこへ)に君は去(い)にしを誰(た)が解(と)けか我(わ)が紐(ひも)の緒(を)の結(ゆ)ふ手たゆきも
3184
草枕(くさまくら)旅行く君を人目(ひとめ)多み袖(そで)振らずしてあまた悔(くや)しも
  

【意味】
〈3180〉そっけなく旅立っていったあなたを思い、毎朝、毎朝、しきりに恋しくてなりません。逢えるわけではないのに。

〈3181〉あなたの下紐を、私も共に結びましょう。またお逢いする日のために。

〈3182〉からませた袖と袖を離れ離れにしてお別れするのは名残惜しいけれど、悲しさに心が乱れているうちに、とうとう行かせてしまった。

〈3183〉あなたは都に行ってしまったというのに、いったい誰が解こうとするのでしょう、すぐ解けてしまう私の着物の紐、この紐の緒を結び直すのがもどかしい。

〈3184〉草を枕の旅に出て行くあなたを、人目が多いので袖も振らずじまいに別れてしまい、どうしようもなく悔やまれます。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3180の「うらもなく」は、そっけなく、物思いもなく。「ゆゑ」は、逆接。なのに。「もとな」は、わけもなく、しきりに。3181の「白栲の」は「下紐」の枕詞。「我れさへに」は、私も一緒に。『万葉集』には下紐をうたった歌が多く見られ、それらは共寝のときに互いに解き合うものであり、別れるときに互いに結び合うものでした。また、互いに相手の下紐を結びかわすのは、自分の魂を相手に添わせて一体とさせるためのおまじないでもありました。

 3182の「白栲の」は「袖」の枕詞。床を離れるのを「白栲の袖の別れ」と、美しく表現しています。3183の「たゆき」はもどかしい、疲れてだるい意。都と地方とをつなぐ要路に、当時多くいた遊行女婦の一人の歌とみられ、心を寄せていた官人が都へ帰った後、他の多くの男に心ならずも接している嘆きをいったものとされます。3184の「草枕」は「旅」の枕詞。「人目多み」は、人目が多いので。「あまた」は、甚だ、非常に、どうしようもなく。

巻第12-3185~3189

3185
まそ鏡手に取り持ちて見れど飽(あ)かぬ君に後(おく)れて生(い)けりともなし
3186
曇(くも)り夜のたどきも知らぬ山越えて往(い)ます君をばいつとか待たむ
3187
たたなづく青垣山(あをかきやま)の隔(へ)なりなばしばしば君を言(こと)問(と)はじかも
3188
朝霞(あさがすみ)たなびく山を越えて去(い)なば我(あ)れは恋ひむな逢はむ日までに
3189
あしひきの山は百重(ももへ)に隠すとも妹(いも)は忘れじ直(ただ)に逢ふまでに [一云 隠せども君を思はくやむ時もなし]
  

【意味】
〈3185〉澄んだ鏡を手に取り持って見るように、いつまでも見飽きることのないあの方にとり残されて、生きている気もいたしません。
 
〈3186〉曇った真っ暗な夜のように、全く様子が分からない山を越えて行かれるあなた、そのあなたのお帰りを、いったいいつになったらと思ってお待ちすればよいのでしょうか。

〈3187〉幾重にも重なり合う青垣のような山々に隔てられてしまったら、たびたびあなたにお便りをすることもできなくなるのではないでしょうか。

〈3188〉朝霞がたなびく山を越えて行ってしまわれたら、私は恋い焦がれるでしょう、お逢いできる日までずっと。

〈3189〉山が幾重にも重なって家を隠そうと、妻のことは忘れはすまい、直接逢える日までずっと。(隠そうと、あの方を思う心は休まる時もない)

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3185の上2句は「見れど」を導く序詞。「まそ鏡」は、きれいに澄んではっきり映る鏡。「後れて」は、後に残されて。3186の「曇り夜の」は「たどきも知らぬ」の枕詞。「たどき」は、たづき、手がかり、様子。「往ます」は、行くの敬語。3187の「たたなづく」は、幾重にも重なり合う。「青垣山」は、垣根のように取り囲む青々と茂った山々の意で、大和国を形容する語として、古くから使われました。「隔りなば」は、間を隔てたならば。3188の「恋ひむな」の「む」は推量、「な」は詠嘆。3189の「あしひきの」は「山」の枕詞。「百重」は、幾重にも重なること。

巻第12-3190~3194

3190
雲居(くもゐ)なる海山越えてい行きなば我(あ)れは恋ひむな後(のち)は逢ひぬとも
3191
よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山(ゆふまやま)越えにし君が思ほゆらくに
3192
草蔭(くさかげ)の荒藺(あらゐ)の崎(さき)の笠島(かさしま)を見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ [一云 み坂越ゆらむ]
3193
玉勝間(たまかつま)島熊山(しまくまやま)の夕暮れにひとりか君が山道(やまぢ)越ゆらむ [一云 夕霧に長恋しつつ寐ねかてぬかも]
3194
息(いき)の緒(を)に我(あ)が思ふ君は鶏(とり)が鳴く東(あづま)の坂を今日(けふ)か越ゆらむ
  

【意味】
〈3190〉遥か彼方の海や山を越えて行ってしまわれたら、私は恋しくてたまらないでしょう。たとえ後で逢えるとしても。

〈3191〉もう恋しがるのはよそうとするものの、木綿間山を越えて行ってしまったあなたのことが、やはり思われてなりません。
 
〈3192〉荒藺の崎の笠島を眺めながら、あなたは今ごろ山道を越えておられるだろうか。(坂を越えておられるだろうか)
 
〈3193〉島熊山の夕暮れに、あなたは一人で山道を越えておられるだろうか。( 夕霧の中で長く恋い焦がれ眠ることができない)

〈3194〉命をかけて私が恋い焦がれているあの人は、東方の険しい坂を、今日あたり越えていらっしゃるのだろうか。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3190の「雲居なる」は、遥かなる。「い行きなば」の「い」は接頭語。3191の「よしゑやし」は、よし、ままよ。「木綿間山」は所在未詳。3192の「草蔭の」は、草蔭となっている荒れた地の意で「荒」にかかる枕詞。「荒藺の崎の笠島」は所在未詳。3193の「玉勝間」は立派な籠で、編み目が締まっているところから「島」にかかる枕詞。「島熊山」は所在未詳。3194の「息の緒に」は、命に懸けて。「鶏が鳴く」は「東」の枕詞。

巻第12-3195~3199

3195
磐城山(いはきやま)直(ただ)越え来ませ礒崎(いそさき)の許奴美(こぬみ)の浜に我(わ)れ立ち待たむ
3196
春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が原に後(おく)れ居(ゐ)て時ぞともなし我(あ)が恋ふらくは
3197
住吉(すみのえ)の岸に向かへる淡路島(あはじしま)あはれと君を言はぬ日はなし
3198
明日(あす)よりは印南(いなみ)の川の出(い)でて去(い)なば留(と)まれる我(わ)れは恋ひつつやあらむ
3199
海(わた)の底沖は畏(かしこ)し礒廻(いそみ)より漕ぎ廻(た)みいませ月は経(へ)ぬとも
  

【意味】
〈3195〉磐城山をまっすぐに越えて早く帰ってきてください。磯崎の許奴美の浜に立って、私は待っています。

〈3196〉春日野の浅茅が原に一人置き去りにされて、私は絶える間もなくあの方を恋い焦がれています。
 
〈3197〉住吉の岸に向き合う淡路島の名のように、あわれ、ああ恋しいと、あなたのことを口にしない日はありません。
 
〈3198〉明日からは去なむという名の川のように、旅立ってしまわれるあなたに取り残された私は、どんなに恋い焦がれなければならないのか。
 
〈3199〉海原の沖は恐ろしく危険がいっぱいです。磯に沿って漕いでいらっしゃい。たとえ月は変わっても。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3195の「磐城山」「磯崎」「許奴美の浜」は、いずれも所在未詳。3196の「春日野」は、奈良市の東方、春日山西麓。「浅茅が原」は、待つ女の侘び住居を喩えています。「後れ居て」は、後に残されていて。3197の上3句は「あはれ」を導く序詞。「あはれ」は、広い意味で感動をあらわす語で、「ああ」というにあたります。3198の上2句は「出でて去なば」を導く序詞。「印南の川」は、兵庫県の印南野を流れる加古川。3199の「海の底」は「沖」の枕詞。「礒廻」は、磯の周り。

巻第12-3200~3203

3200
飼飯(けひ)の浦に寄する白波(しらなみ)しくしくに妹(いも)が姿は思ほゆるかも
3201
時つ風 吹飯(ふけひ)の浜に出(い)で居(ゐ)つつ贖(あか)ふ命は妹(いも)がためこそ
3202
熟田津(にきたつ)に舟乗りせむと聞きしなへ何(なに)ぞも君が見え来(こ)ずあるらむ
3203
みさご居(ゐ)る洲(す)に居(ゐ)る舟の漕ぎ出(で)なばうら恋しけむ後(のち)は逢ひぬとも
 

【意味】
〈3200〉飼飯の浦に寄せている白波のように、しきりに家にいる妻のことが思い出される。

〈3201〉時つ風が吹く吹飯の浜に出て立ち、神に幣を捧げて無事を祈るこの命は、愛しい妻のためのことだ。
 
〈3202〉熟田津で船出をすると聞いたのに、どうしてあの方は私の家に来ないのでしょう。
 
〈3203〉みさごが棲む洲に停泊している舟が漕ぎ出したならば、心の中で恋しく思うでしょう、後には逢えるとしても。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3200の上2句は「しくしくに」を導く序詞。「しくしくに」は、しきりに。3201の「時つ風」は、潮の満ちる時に先立って吹く風で、「吹飯」の枕詞。「吹飯の浜」は、大阪府泉南郡岬町深日の海岸。「贖ふ」は、神に幣を捧げて加護を祈ること。3202の「熟田津」は、伊予松山の海岸。熟田津に住む女が、その男が船出をするという噂を聞き、それなら自分の所に別れに来そうなのにと思って恨んでいる歌。3203の「うら恋しけむ」は、心の中で恋しく思う。船着き場の遊行女婦の歌か。
 
 上代に用いられた「心」の類語に「うら」と「した」があり、『万葉集』では「うら」は26首、「した」は23首の用例が認められます。「うら」は、隠すつもりはなく自然に心の中にあり、表面には現れない気持ち、「した」は、敢えて隠そうとして堪えている気持ちを表わしています。

巻第12-3204~3207

3204
玉葛(たまかづら)幸(さき)くいまさね山菅(やますげ)の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
3205
後(おく)れ居(ゐ)て恋ひつつあらずは田子(たご)の浦の海人(あま)ならましを玉藻(たまも)刈る刈る
3206
筑紫道(つくしぢ)の荒礒(ありそ)の玉藻(たまも)刈るとかも君が久しく待てど来(き)まさぬ
3207
あらたまの年の緒(を)長く照る月の飽(あ)かざる君や明日(あす)別れなむ
 

【意味】
〈3204〉葛の蔓が長く伸びるようにご無事でいらして下さい。私は山菅の根のように、思い乱れ恋い焦がれながらあなたをお待ちします。

〈3205〉取り残されてあの人を恋い続けるなどせず、いっそ田子の浦の海人であったらよかった。今ごろ、玉藻を刈りながら。
 
〈3206〉筑紫道の荒磯の玉藻を刈りとっていらっしゃるのか、あの人は久しくお待ちしているのに、一向に帰って来られない。
 
〈3207〉年久しく照る月のように、見飽きることのないあなたと、明日はお別れしなければならないのでしょうか。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3204の「玉葛」「山菅の」は、それぞれ「幸く」「乱れ」の枕詞。「いまさね」の「いまさ」は「行く」の尊敬語。3205の「後れ居て」は、後に残って。「田子の浦」は、静岡県の駿河湾西岸。3206の「荒磯の玉藻刈る」は、ここでは、港に逗留して遊女と遊ぶことの譬え。3206の「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒長く」は、年久しく。「照る月の」は「飽かざる」の枕詞。

巻第12-3208~3212

3208
久(ひさ)にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見つ
3209
春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に居(ゐ)る雲を出(い)で見るごとに君をしぞ思ふ
3210
あしひきの片山(かたやま)雉(きざし)立ち行かむ君に後(おく)れてうつしけめやも
3211
玉の緒(を)の現(うつ)し心(ごころ)や八十楫(やそか)懸(か)け漕ぎ出(で)む船に後(おく)れて居(を)らむ
3212
八十楫(やそか)懸(か)け島隠(しまがく)りなば我妹子(わぎもこ)が留(と)まれと振らむ袖(そで)見えじかも
  

【意味】
〈3208〉当分帰れそうもないあなたのことを思うと、この清らかな月の夜も、まるで闇夜を見ているようです。

〈3209〉春日野の御笠の山にかかっている雲。その雲を門に出て見るたびに、旅先のあなたのことが思われてなりません。
 
〈3210〉片山に棲む雉が、不意に飛び立っていったかのようにあなたに旅立たれ、取り残された私はどうして正気でいられましょうか。

〈3211〉正気のままでいられましょうか。多くの櫂を懸けて漕ぎ出す船に取り残されて。

〈3212〉船が多くの櫂をつけて漕ぎ出したが、島の向こうに隠れてしまったら、妻が振って引き留める袖も見えなくなってしまうだろう。

【説明】
 3208~3210は「別れを悲しむ」歌。3196の「春日野」は、奈良市の東方、春日山西麓。「浅茅が原」は、待つ女の侘び住居を喩えています。「後れ居て」は、後に残されていて。3197の上3句は「あはれ」を導く序詞。「あはれ」は、広い意味で感動をあらわす語で、「ああ」というにあたります。3208の「ひさかたの」は「月夜」の枕詞。3210の上2句は「立ち行く」を導く序詞。「あしひきの」は「山」の枕詞。「片山」は、平野側の方にだけ傾斜面のある山。3211以下は問答歌。の「玉の緒」は「現し心」の枕詞。

 なお、狭野弟上娘子の「春の日のうら悲しきにおくれゐて君に恋ひつつ現(うつ)しけめやも」という歌(巻第15-3752)は、3210を模倣したものだといいます。斎藤茂吉によれば、当時の歌人等は、家持などを中心として、古歌を読み、時にはかく露骨に模倣したことが分かり、模倣心理の昔も今もかわらぬことを示している、といいます。

巻第12-3213~3214

3213
十月(かむなづき)しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿(やど)か借るらむ
3214
十月(かむなづき)雨間(あまま)も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし
  

【意味】
〈3213〉十月の冷たいしぐれの雨に濡れながら、あなたは今ごろ旅を続けておられるのかな、それともどこかで宿を借りておられるのかな。
 
〈3214〉寒い十月だというのに、晴れ間なく雨が降り続いたなら、いったいどこの里の宿を借りたらよいのか。

【説明】
 問答歌。3213は女の歌。3214は男の答えた歌。「宿借る」は、旅先で泊まることに加え、その地の女性と交わることを暗に譬えています。3214の「雨間」は、雨と雨の間、雨の止んでいる間。「せば~まし」は反実仮想。

巻第12-3215~3216

3215
白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れを難(かた)みして荒津(あらつ)の浜に宿(やど)りするかも
3216
草枕(くさまくら)旅行く君を荒津(あらつ)まで送りぞ来(き)ぬる飽(あ)き足(だ)らねこそ
  

【意味】
〈3215〉このままあの子と袖の別れをする気になれず、荒津の浜でもう一夜、舟を出さずに宿を取ることにした。
 
〈3216〉遠く旅立って行かれるあなたを見送りに、とうとう荒津までやって来てしまいました。なかなか別れがたくて。

【説明】
 問答歌。3215は男の歌。3214は女の答えた歌。3215の「白栲の」は「袖」の枕詞。「袖の別れ」は、共寝をした男女が互いに交した袖を解き放して別れること。「難みして」は、困難に思って。「荒津」は、福岡市中央区西公園付近にあった港。当時は大宰府の外港で、官船が発着していました。3216の「草枕」は「旅」の枕詞。「飽き足らねこそ」は「飽き足らねばこそ」の古格で、下に「あれ」が略されています。とても満足できないので。
 
 荒津から船出する男は、大宰府の任が解けて帰京する官人であり、再会のあてのない旅立ちだったとみられます。女は誰だかわかりませんが、妻ではなく、大宰府あたりの遊行女婦だったようです。

巻第12-3217~3218

3217
荒津(あらつ)の海(うみ)我(わ)れ幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ひてむ早(はや)帰りませ面変(おもがは)りせず
3218
朝(あさ)な朝(さ)な筑紫(つくし)の方(かた)を出(い)で見つつ音(ね)のみそ我(あ)が泣くいたもすべなみ
  

【意味】
〈3217〉荒津の海の神様に、私は幣を捧げ、身を清めてお祈りしましょう。早くお帰り下さい、旅やつれすることなくお元気な姿で。
 
〈3218〉毎朝、船上に出ては、筑紫の方を見て声を張り上げ泣くばかり、どうしようもないので。

【説明】
 問答歌。3217は、荒津の港から船出をして旅をする夫を見送る女の歌。3218は夫の答えた歌。3217の「荒津」は、福岡市中央区西公園付近にあった港。大宰府の外港で、官船が発着しました。「幣」は、神に祈るときの捧げ物。「斎ふ」は、吉事を祈って禁忌を守る。「面変わり」は、やつれて顔つきや様子が変わること。3218の「いたもすべなみ」は、何とも仕方がないので。

巻第12-3219~3220

3219
豊国(とよくに)の企救(きく)の長浜(ながはま)行き暮らし日の暮れ行けば妹(いも)をしぞ思ふ
3220
豊国(とよくに)の企救(きく)の高浜(たかはま)高々(たかたか)に君待つ夜(よ)らはさ夜(よ)更(ふ)けにけり
  

【意味】
〈3219〉豊国の企救の長い浜辺を日がな一日中歩き続け、日も暮れていくので、妻のことが思われてならない。
 
〈3220〉豊国の企救の高浜のように、高々と爪立ってあなたのお帰りを待っている夜は、もうすっかり更けてしまいました。

【説明】
 問答歌。3219は男の歌。3220は女の歌。「豊国」は豊前、豊後国(福岡、大分県)。「企救」は、北九州市の周防灘沿岸の地。3220の上2句は「高々に」を導く序詞。「高浜」は、砂の高く盛り上がっている浜。上の歌とのつながりがなく、同じ地名を詠んだ別の歌を並べたとみられています。

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

バナースペース

【PR】

作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

原文表記の例

鶏鳴(あかとき)
 →「明け方」の意
五更闇(あかときやみ)
 →「明け方の闇」の意
金(あき)
 →秋
阿木(あき)
 →秋
朝明(あさけ)
 →「夜明け」の意
求食(あさり)
 →「餌をあさる」意
安之我良(あしがら)
 →足柄
阿米(あめ)
 →天
下風(あらし)
 →嵐
丸雪(あられ)
 →霰
阿礼(あれ)
 →吾
五十日太(いかだ)
 →筏
山上復有山(いで)
 →出で
伊乃知(いのち)
 →命
伊麻(いま)
 →今
五十等兄(いらご)
 →伊良虞
伊理比(いりひ)
 →入日
弟世(いろせ)
 →「弟」の意
兎道(うぢ)
 →宇治
虚蝉(うつせみ)
 →空蝉
得菅(うつつ)
 →現
宇奈加美(うなかみ)
 →海上
宇美(うみ)
 →海
宇良未(うらみ)
 →浦廻
奥嶋(おきつしま)
 →沖つ島
於保吉美(おほきみ)
 →大君
意富伎美(おほきみ)
 →大君
於毛布(おもふ)
 →思ふ
垣津旗(かきつばた)
 →杜若
所聞多祢(かしまね)
 →鹿島嶺
片念(かたもひ)
 →「片思い」の意
可豆思加(かづしか)
 →葛飾
可多(かた)
 →潟
河蝦(かはづ)
 →蛙
川豆(かはづ)
 →蛙
向南(きた)
 →北
吉美(きみ)
 →君
八十一(くく)
 →(九九八十一の意)
久佐麻久良(くさまくら)
 →草枕
久尓(くに)
 →国
火気(けぶり)
 →煙
許己呂(こころ)
 →心
景迹(こころ)
 →心
情(こころ)
 →心
孤悲(こひ)
 →恋
佐伎久(さきく)
 →幸く
佐伎牟理(さきもり)
 →防人
佐伎母里(さきもり)
 →防人
左散難弥(ささなみ)
 →楽浪
左射礼浪(さざれなみ)
 →「細かく美しい波」の意
五十戸良(さとをさ)
 →里長
思賀(しが)
 →志賀
十六(しし)
 →(四四十六の意)
四時美(しじみ)
 →蜆
之多(した)
 →下
思多(した)
 →下
下思(したもひ)
 →「心中に思うこと」の意
潮左為(しほさゐ)
 →潮騒
志良奈美(しらなみ)
 →白波
容儀(すがた)
 →姿
光儀(すがた)
 →姿
為酢寸(すすき)
 →薄
為便(すべ)
 →術
世奈(せな)
 →「夫」の意
多知婆奈(たちばな)
 →橘
多知花(たちばな)
 →橘
多妣(たび)
 →旅
多奈波多(たなばた)
 →たなばた
鴨頭草(つきくさ)
 →月草。今の「露草」
都久之(つくし)
 →筑紫
都麻(つま)
 →妻
都由(つゆ)
 →露
弖豆久利(てづくり)
 →手作り
奈都可思(なつかし)
 →懐かし
夏樫(なつかし)
 →懐かし
奈泥之故(なでしこ)
 →撫子
寧楽(なら)
 →奈良
平城(なら)
 →奈良
波流(はる)
 →春
芳流(はる)
 →春
比加里(ひかり)
 →光
他言(ひとごと)
 →「他人の評判」の意
不盡(ふじ)
 →富士(山)
布自(ふじ)
 →富士(山)
布奈波之(ふなはし)
 →舟橋
冬木成(ふゆごもり)
 →冬ごもり
布流(ふる)
 →振る
保登等芸須(ほととぎす)
 →霍公鳥
美知(みち)
 →道
宮子(みやこ)
 →都
美夜古(みやこ)
 →都
王都(みやこ)
 →都
武良前野(むらさきの)
 紫野
美佐賀(みさか)
 →御坂
水尾(みを)
 →水脈
水咫衝石(みをつくし)
 →澪標
牟故(むこ)
 →武庫
十五夜(もちづき)
 →望月
十五日(もちのひ)
 →望の日
夜久毛多都(やくもたつ)
 →八雲立つ
也麻(やま)
 →山
八馬(やま)
 →山
山常(やまと)
 →大和
日本(やまと)
 →大和
八間跡(やまと)
 →大和
倭路(やまとぢ)
 →大和路
由吉(ゆき)
 →雪
去方(ゆくへ)
 →行方
世間(よのなか)
 →世の中
余能奈可(よのなか)
 →世の中
和我勢(わがせ)
 →わが背
萱草(わすれぐさ)
 →忘れ草。今の「カンゾウ」
和世(わせ)
 →早稲
渡津海(わたつみ)
 →海神
海若(わたつみ)
 →海神
処女(をとめ)
 →乙女
未通女(をとめ)
 →乙女

powered by まめわざ

古典文法

係助詞
助詞の一種で、いろいろな語に付いて強調や疑問などの意を添え、下の術語の働きに影響を与える(係り結び)。「は・も」の場合は、文節の末尾の活用形は変化しない。
〔例〕か・こそ・ぞ・なむ・や

格助詞
助詞の一種で、体言やそれに準じる語に付いて、その語とほかの語の関係を示す。
〔例〕が・に・にて・の

間投助詞
助詞の一種で、文中や文末の文節に付いて調子を整えたり、余情や強調などの意味を添える。
〔例〕や・を

接続助詞
助詞の一種で、用言や助動詞に付いて前後の語句の意味上の関係を表す。
〔例〕して・つつ・に・ば・ものから

終助詞
助詞の一種で、文末に付いて、疑問・詠嘆・願望などを表す。
〔例〕かし・かな・な・なむ・ばや・もがな

副助詞
助詞の一種で、さまざまな語に付いて、下の語の意味を限定する。
〔例〕さへ・し・だに・

助動詞
用言や体言に付いて、打消しや推量などのいろいろな意味を示す。

参考文献

『NHK日めくり万葉集』
 ~講談社
『NHK100分de名著ブックス万葉集』
 ~佐佐木幸綱/NHK出版
『大伴家持』
 ~藤井一二/中公新書
『古代史で楽しむ万葉集』
 ~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』
 ~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』
 ~伊藤博/KADOKAWA
『田辺聖子の万葉散歩』
 ~田辺聖子/中央公論新社
『超訳 万葉集』
 ~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』
 ~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
 ~小名木善行/徳間書店
『万葉語誌』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉秀歌』
 ~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉秀歌鑑賞』
 ~山本憲吉/飯塚書店
『万葉集講義』
 ~上野誠/中央公論新社
『万葉集と日本の夜明け』
 ~半藤一利/PHP研究所
『萬葉集に歴史を読む』
 ~森浩一/筑摩書房
『万葉集のこころ 日本語のこころ』
 ~渡部昇一/ワック
『万葉集の詩性』
 ~中西進/KADOKAWA
『万葉集評釈』
 ~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』
 ~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』
 ~品田悦一/講談社
『ものがたりとして読む万葉集』
 ~大嶽洋子/素人社
『私の万葉集(一~五)』
 ~大岡信/講談社
ほか

【目次】へ