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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第12)~その4

巻第12-3123~3124

3123
ただひとり寝(ぬ)れど寝(ね)かねて白栲(しろたへ)の袖(そで)を笠に着(き)濡れつつぞ来(こ)し
3124
雨も降り夜(よ)も更(ふ)けにけり今さらに君(きみ)去(い)なめやも紐(ひも)解き設(ま)けな
 

【意味】
〈3123〉たった一人で寝てみたけれど、恋しくて寝るに寝られず、袖をかざして笠代わりにして雨の中を濡れながらやってきたよ。

〈3124〉雨も降っているし、夜もすっかり更けています。このままお帰りになるってことはないでしょうね。さあ、紐を解いて共寝の準備をしましょう。

【説明】
 問答歌(問いかけの歌と、それに答える歌によって構成される唱和形式の歌)。3123は男の歌、3124はそれに返した女の歌。3123の「白栲の」は「袖」の枕詞。「袖を笠に着」は、袖を頭の上に掲げて笠を着たようにして。雨には天の強い呪力が宿っているとされ、雨に濡れることは禁忌とされました。そのため、男女の恋愛生活においても、雨の降る夜に男が女の許を訪れることは基本的に避けられていましたが、ここではそれを冒してやって来たと歌い、女への思いの深さを訴えています。

 3124の「君去なめやも」の「やも」は、反語。原文「君将行哉」で、キミユカメヤモと訓むものもあります。「設けな」の「設く」は準備をする意、「な」は勧誘。濡れ鼠で来た男が共寝は遠慮してすぐ帰ると言ったのを引き留めているのでしょうか。窪田空穂は、「この歌は、女が酒の相手などしていて、雨が降り出し、夜も更けたといって、強いて男を泊まらせようとする歌である。・・・上の歌とは関係のない歌を、雨と女とがあるので、強いて組合わせたものとみえる」と言っています。

巻第12-3125~3126

3125
ひさかたの雨の降る日を我(わ)が門(かど)に蓑笠(みのかさ)着(き)ずて来(け)る人や誰(た)れ
3126
巻向(まきむく)の穴師(あなし)の山に雲(くも)居(ゐ)つつ雨は降れども濡(ぬ)れつつぞ来(こ)し
 

【意味】
〈3125〉雨が降っている日なのに、蓑笠も着けずに、我が家の門口に来ている人はどなたでしょうか。

〈3126〉巻向の穴師の山に雲がかかっていて、雨は降るけれども、濡れながらやって来きたことだ。

【説明】
 問答歌。3125は女の歌、3126はそれに返した男の歌。3125の「ひさかたの」は「天」にかかかるのを「雨」に転じさせて枕詞としているもの。「雨の降る日を」の「を」は、~であるのに、の意で、逆説的に用いているもの。「来る人や誰」の「来(け)る」は「来たる」の古語で、来ているのは誰であろうか。他の誰でもない夫だと知って言っている語で、雨具もなくやって来た夫の姿に感激しています。3126の「巻向の穴師の山」は、奈良県桜井市北部の山で、巻向の山の中の一つ。「雲居つつ」の「つつ」は継続で、雲がかかっていて。

 男の歌は、女の歌に比べて落ち着いた趣きであり、国文学者の小野寛は、「問歌は、雨に濡れて来た人だーれ、とわざと知らぬげにじらして、男は地名をきちんと詠み込んで格調高く、雨に濡れて来たことを答えた。落ちついた調子には、おとぼけの風がある」と述べています。

巻第12-3131~3135

3131
月(つき)変へて君をば見むと思へかも日(ひ)も変へずして恋の繁(しげ)けく
3132
な行きそと帰りも来(く)やと顧(かへり)みに行けど帰らず道の長手(ながて)を
3133
旅にして妹(いも)を思ひ出(い)でいちしろく人の知るべく嘆きせむかも
3134
里(さと)離(さか)り遠からなくに草枕(くさまくら)旅とし思(おも)へばなほ恋ひにけり
3135
近くあれば名のみも聞きて慰(なぐさ)めつ今夜(こよひ)ゆ恋のいや増さりなむ
 

【意味】
〈3131〉来月にならないとあの方に逢えないと思うせいでしょうか。まだ別れた日も改まらないうちから、しきりに恋しくてなりません。

〈3132〉「行ってはいや」と、見送りの妻が言うために引き返して来るかと、振り返り振り返り行くけれど、とうとう妻は引き返して来ない。これから長い道のりなのに。
 
〈3133〉旅に出たら、わが妻を思い出しては、周りの人がはっきり気づいてしまうほど嘆き悲しむことであろうか。

〈3134〉家里からまだそんなに遠くに来たわけではないのに、これから旅が続くと思うと、ますます家が恋しくてならない。

〈3135〉近くにいた時は、逢えなくても噂を聞くだけで心が慰められたけど、旅に出た今夜からは恋しさがますますつのるだろう。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3131は、月を跨ぐ予定で旅立った夫に対して妻が詠んだ歌。「月変へて」は、月が改まって。「思へかも」は「思へばかも」の略で、「かも」は疑問の係助詞。「恋の繁けく」は、形容詞「繁し」のク語法で名詞形。原文「恋之重」で、コヒノシゲケムと訓むものもあります。

 3132の「な行きそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「帰りも来やと」は、いったんは帰ったが、また引き返してくるかと。「長手」は、長い道のり。旅立ちに際して妻に見送られ、いったん別れたものの、また追いかけてくるのを期待しながら追いかけてこないのに落胆している、ちょっと残念な男の歌です。しかし、そう期待する相手の女は、ひょっとして妻ではなく、旅先の遊行女婦なのかもしれません。

 3133の「いちしろく」は、はっきりとの意。同行者があり、面目を重んじなければならなかったようで、下僚の官人あたりの歌とみられます。3134の「里離り」の原文「里離」で、サトハナレと訓むものもあります。「草枕」は「旅」の枕詞。「旅とし思へば」の「し」は、強意の副助詞。「なほ」は、いっそう、ますます。「けり」は、気づきの助動詞。3135の「名のみも聞きて」は、噂を聞くだけでも。「慰めつ」の「つ」は、完了の助動詞。「今夜ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。「なむ」は、強い推量。3131からここまでの5首は、いずれも旅立ち直後の恋の歌が集められています。

巻第12-3136~3140

3136
旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
3137
遠くあれば姿は見えず常(つね)のごと妹(いも)が笑(ゑ)まひは面影(おもかげ)にして
3138
年も経(へ)ず帰り来(こ)なむと朝影(あさかげ)に待つらむ妹(いも)し面影に見ゆ
3139
玉桙(たまほこ)の道に出(い)で立ち別れ来(こ)し日より思ふに忘る時なし
3140
はしきやし然(しか)ある恋にもありしかも君に後(おく)れて恋しき思へば
  

【意味】
〈3136〉旅の途上で恋しく思っているのはつらい。いったいいつになったら都へ帰って、君と顔を合わせることができるのだろう。

〈3137〉遠く離れているので実際の姿は見えないのだけれど、いつも見馴れた妻の笑顔だけは目に浮かぶ。
 
〈3138〉年の変わらないうちに帰って来るはずと、朝影みたいにやせ細り私を待っているにちがいない妻の姿が目に浮かぶ。

〈3139〉旅の道に出発して別れてきた日からこのかた、妻を思い続けていて、片時も忘れる時がない。

〈3140〉ああ、こんなにも辛い恋だったのか。あの方に取り残されて、恋しく思われるのは。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3136の「いつしかも」の「し」は強意、「か」は疑問、「も」は詠嘆の助詞で、いつであろうかなあ、の意。「いつしか」で始まる疑問文は、早く~したいという願望を込めた表現。「都に行きて」は、都に帰って、の意。男女いずれの歌とも取れますが、行幸への供奉などの臨時の用で都を離れた女官の歌で、「君」は都に残してきた夫を指しているものと見られています。

 3137の「遠くあれば」は、遠くにいるので、遠く離れているので。「姿は見えず」の原文「光儀者不所見」で、スガタハミエネと訓むものもあります。「常のごと」は、いつも見慣れていたように。旅にあって妻を思う歌です。3138はの「年も経ず」は、年の変わらないうちに。「来なむ」の「なむ」は、願望。「朝影」は、朝日に照らされて映る細長い影のことで、恋にやつれた姿の形容。やや長い任期で旅にある官人が妻を思う歌とされます。

 3139の「玉桙の」は「道」の枕詞。「道に出で立ち」は、旅路に出発しての意。「思ふに」の「に」は、~につけての意。思っているので。3140の「はしきやし」の「はしき」がいとおしい、愛らしいの意の形容詞「はし」の連体形、「やし」は詠嘆の助詞。「はしきよし」とも言います。ここは独立句として用いられているもので、懐かしいことよ、の意。「君に後れて」は、旅に出たあなたの後に残されて、の意。夫を旅に送り出して家に残る妻の歌らしくありますが、それでは「羈旅発思」の歌に相応しくないというので、遊行女婦の歌だろうとされます。

巻第12-3141~3145

3141
草枕(くさまくら)旅の悲しくあるなへに妹(いも)を相(あひ)見て後(のち)恋ひむかも
3142
国遠み直(ただ)には逢はず夢(いめ)にだに我(わ)れに見えこそ逢はむ日までに
3143
かく恋ひむものと知りせば我妹子(わぎもこ)に言(こと)問はましを今し悔(くや)しも
3144
旅の夜(よ)の久しくなればさ丹(に)つらふ紐(ひも)解き放(さ)けず恋ふるこのころ
3145
我妹子(わぎもこ)し我(あ)を偲(しの)ふらし草枕(くさまくら)旅の丸寝(まろね)に下紐(したびも)解けぬ
   

【意味】
〈3141〉旅は悲しいうえに、あの子に出会ってから後は、恋の辛さが加わることだろうなあ。

〈3142〉故郷が遠くてじかには逢えないが、せめて夢にだけでも、私に姿を見せてくれないか、再びめぐり逢える日まで。
 
〈3143〉こんなに恋しくなるものと分かっていたら、愛しいあの子にもっと言葉をかけてくるのだったのに、今となっては悔やまれる。
 
〈3144〉旅の夜が長く続くので、妻の色鮮やかな赤い紐を解き放つこともないまま、恋い焦れてばかりいるこのごろだ。
 
〈3145〉愛しい妻が私をしきりに偲んでいるにちがいない。旅のごろ寝で、下着の紐がほどけてしまった。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3141の「草枕」は「旅」の枕詞。「なへに」は、~と同時に、~につれて。「相見る」は、直接逢うこと。「かも」は、詠嘆を含んだ疑問。旅先でたまたま逢って一夜を共にした女、遊行女婦などとの別れをうたった歌とされます。

 3142の「国遠み」の「遠み」は「遠し」のミ語法で、故郷が遠いので。「直には逢はず」の原文「直不相」で、タダニアハナク、タダニハアハジ、タダニアハサズなどと訓むものもあります。「夢にだに」は、夢にだけでも。「見えこそ」の「こそ」は、願望の助詞「こす」の命令形。地方に赴任している男が、郷里の妻に贈った歌とされます。

 3143の「・・・せば~ましを」は、反実仮想。もし・・・だったら~しただろうに。「言問はましを」の「言問ふ」は、言葉を交わす、物を言うこと。「を」は逆接の意で、詠嘆の気持を表します。言葉をかけてくるのだったのに。「今し」の「し」は、強意の副助詞。「悔しも」の「も」は、詠嘆の助詞。遊行女婦についてうたった歌、あるいは旅立ち前に妻に逢えなかった嘆きの歌とされます。

 3144の「さ丹つらふ」の「さ」は接頭語、「丹つらふ」は、赤く美しい意で、妻の紐の色であるのと同時に「紐」の枕詞。「紐解き放けず」は、衣の紐を解き放たず。ゆっくりとは寝ずにの意。原文「紐開不離」で、ヒモアケサケズと訓むものもあります。妻の紐を解いて共寝することを思い出しながら詠んでいる歌と解しましたが、作者自身の赤い下紐を解き放たずに妹を恋しく思っている、と解するものもあります。窪田空穂は、「男にふさわしくない枕詞を用いているのは、妹に訴える気分から」と言っています。

 3145の「我妹子し」の「し」は、強意の副助詞。「偲ふらし」の「らし」は、客観的な根拠に基づく現在推量。「草枕」は「旅」の枕詞。「丸寝」は、帯も解かず衣服を着たまま寝ること。下着の紐がほどけるのは恋人が自分のことを思っているとの信仰があったことが知られます。男が旅立つ際、あるいは共寝の後、その女が下紐を結んで魂を込めたことと対応しており、女は自分のもとへ再び戻って来るようにと下紐を結ぶのです。従って、その紐を解くのは、その結んだ女の権利でありました。

巻第12-3146~3150

3146
草枕(くさまくら)旅の衣(ころも)の紐(ひも)解けて思ほゆるかもこの年ころは
3147
草枕(くさまくら)旅の紐(ひも)解く家の妹(いも)し我(あ)を待ちかねて嘆かふらしも
3148
玉釧(たまくしろ)巻き寝(ね)し妹(いも)を月も経(へ)ず置きてや越えむこの山の崎(さき)
3149
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)は知らねど愛(うるは)しみ君にたぐひて山道(やまぢ)越え来(き)ぬ
3150
霞(かすみ)立つ春の長日(ながひ)を奥処(おくか)なく知らぬ山道(やまぢ)を恋ひつつか来(こ)む
 

【意味】
〈3146〉旅で着ている衣の紐が解けると、家で待っている妻のことを思い出す。この何年もの間。

〈3147〉旅で着ている衣の紐がひとりでに解ける。家にいる妻が、私を待ちかねて嘆いているらしい。
 
〈3148〉玉釧を腕に巻くように抱いて寝た妻なのに、ひと月も経たないうちにあとに残して越えて行かねばならないのか、この山の崎を。
 
〈3149〉行く末がどうなるのか分かりませんが、いとしいあまり、あなたに寄り添って山道を越えてやって来ました。
 
〈3150〉霞が立つ春の長い一日を、あてどもなく勝手も分からない山道を、あの人を恋いつつ歩き続けるのでしょうか。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3146の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅の衣」は、旅中に着ている着物。「思ほゆるかも」の「思ほゆる」は、自然に思われてくる意。「かも」は、詠嘆。「この年ころは」は、年を跨って、の意。地方官などで、長らく妻と離れている男が、衣の紐の自然に解けるのは妻が自分を思うからであるという俗信から、それを見るにつけ妻が思われると言っている歌です。

 3147の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅の紐解く」の「解く」は、ここは自動詞で、自然と解ける意。「家の妹し」の「し」は、強意の副助詞。「嘆かふらしも」の「らし」は、強い推量。「も」は、詠嘆。原文「嘆良霜」で、ナゲキスラシモ、ナゲカスラシモなどと訓むものもあります。3148の「玉釧」は玉製の腕輪で「巻き寝」の枕詞。「月も経ず」は、ひと月も経たないうちに。「置きてや越えむ」は、置いて越えるのだろうか。「山の崎」は、山の出鼻。

 3149の「梓弓」は、弓の下を本、上を末と呼ぶことから「末」にかかる枕詞。「末は知らねど」の「末」は将来の意で、将来どうなるか分からないが。「愛しみ」はウツクシミとも訓みますが、ウツクシミが愛おしい、可愛い意であるのに対し、ウルハシミは端正で立派に整っているさまに心惹かれる意であり、ここは「君」に対して言っているのでウルハシミが適当とされます。任地へ赴く夫に連れられて旅に出た、結婚後間もない女の歌とみられ、一抹の不安にかられながらも、一切を夫に任せている気持ちが窺えます。

 3150の「霞立つ」は「春」の枕詞。「奥処なく」は、あてどもなく、果てもなく。「来む」の「来」は、行くの意にも用います。遠い任地にいる夫のもとへ行こうとしている妻の歌でしょうか。窪田空穂は「純気分の歌であるが、それをとおして情景の浮かび出る歌である。『霞立つ』という枕詞が叙景となり、『奥処なく』の抒情と溶け合う趣が、一首全体にある。奈良朝の教養ある人の歌である」と評し、折口信夫は「時間と空間と情調と、三者相叶うた佳作」と評しています。

巻第12-3151~3155

3151
外(よそ)のみに君を相(あひ)見て木綿畳(ゆふたたみ)手向(たむ)けの山を明日(あす)か越え去(い)なむ
3152
玉勝間(たまかつま)安倍島山(あへしまやま)の夕露(ゆふつゆ)に旅寝(たびね)えせめや長きこの夜(よ)を
3153
み雪降る越(こし)の大山(おほやま)行き過ぎていづれの日にか我(わ)が里を見む
3154
いで我(あ)が駒(こま)早く行きこそ真土山(まつちやま)待つらむ妹(いも)を行きて早(はや)見む
3155
悪木山(あしきやま)木末(こぬれ)ことごと明日よりは靡(なび)きてありこそ妹(いも)があたり見む

【意味】
〈3151〉遠くからあなたのお姿を見ているだけで、木綿畳を供える手向けの山を、明日は越えて行ってしまわれるのですね。

〈3152〉この安倍島山の夕霧の中に、ひとりで旅寝できようか、とてもできない、こんなに長い秋の夜なのに。
 
〈3153〉雪の降る越の大きな山を通り過ぎ、いったいいつの日に、わが故郷を見られるのだろう。
 
〈3154〉さあ、我が愛馬よ、早く歩いておくれ。この真土山というように、私を待っている妻を行って早く見よう。
 
〈3155〉悪木山の木立の梢という梢は、明日からは風に靡いてくれよ。それを越して妻の家の辺りを見よう。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3151の「外のみに君を相見て」は、遠くからよそばかりに君を見て。「木綿畳」は、木綿を畳んで神に供える意で「手向け」にかかる枕詞。「手向けの山」は、国境の山で、神霊の存在が信じられ、幣帛を捧げて神祭りをして越える山。夫の旅立ちの前夜に、妻が別れを惜しんで贈った歌とされますが、地方官となって任地へ赴く父に従って行く娘の歌で、かねて思う男に近づくこともできずに去って行くのを嘆く歌であるとの見方もあります。

 3152の「玉勝間」は、立派な籠。竹籠は蓋と身とが合うことから「逢ふ」にかかり、似た音の地名「安倍」にもかかる枕詞。「安倍島山」は、所在未詳。「旅寝えせめや」の「や」は反語で、旅寝をすることができるだろうか、とてもできない。原文「旅宿得為也」で、タビネハエスヤと訓むものもあります。「長きこの夜を」の「を」は、逆接を含む詠嘆。旅先での独りきりの野宿の侘しさを歌っているものですが、人恋しさのあまり、一夜妻との共寝を望む歌とする見方もあります。

 3153の「み雪降る」の「み」は美称。実景というより「越」を修飾する枕詞のように用いているもの。「越の大山」は、越の国と京とを通じる街道にある大きな山で、国境の愛発山(あらちやま)ではないかとされますが、加賀の白山とする説もあります。地方官として越の国に赴任している官人が、京への憧れを詠んだ歌、あるいは帰京途上の人の作と見られています。

 3154の「いで」は、他に対して何らかの行動を求める時の呼びかけの語。「早く行きこそ」の「こそ」は、他に対する願望を示す終助詞で、~てほしい、~てくれ。「真土山」は、大和と紀伊との国境の山。マツの同音で「待つ」の枕詞に用いています。紀伊国から大和へ帰る途上の作と見られます。3155の「悪木山」は、大宰府の東南の阿志岐(あしき)にある山。「悪木」の表記は、木が邪魔になって遠望できないことを非難する気持を込めたものと見られています。「木末」は、梢。「ありこそ」の「こそ」は、願望。窪田空穂は、大宰府の官人が蘆城の駅家に遊んで帰る時、その地の遊行女婦などへ挨拶として詠んだ歌と見ています。

巻第12-3156~3160

3156
鈴鹿川(すずかがは)八十瀬(やそせ)渡りて誰(た)がゆゑか夜越(よご)えに越(こ)えむ妻もあらなくに
3157
我妹子(わぎもこ)にまたも近江(あふみ)の安(やす)の川(かは)安寐(やすい)も寝(ね)ずに恋ひわたるかも
3158
旅にありて物(もの)をぞ思ふ白波(しらなみ)の辺(へ)にも沖にも寄るとはなしに
3159
港廻(みなとみ)に満ち来(く)る潮(しほ)のいや増しに恋はまされど忘らえぬかも
3160
沖つ波(なみ)辺波(へなみ)の来寄(きよ)る佐太(さだ)の浦のこのさだ過ぎて後(のち)恋ひむかも

【意味】
〈3156〉鈴鹿川の川瀬を幾たびも渡り、誰のために山道を夜に越えて行くというのか。家に妻がいるわけでもないのに。

〈3157〉いとしいあの子にまたも逢うという近江の安の川、その名のように安らかに寝ることができず、あの子に恋い続けている。
 
〈3158〉旅にあって物思いは尽きない。白波は岸にも沖にも寄るが、私はあの子に言い寄ることもできない。
 
〈3159〉河口の辺りにひたひたと潮が満ちてくるように、恋心がつのってきて、どうしてもあの子が忘れられないことだ。
 
〈3160〉沖からの波や岸辺の波が打ち寄せる佐太の浦の、この時(さだ)が過ぎてしまえば、後で恋しくなるだろう。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3156の「鈴鹿川」は、鈴鹿山脈に発して伊勢湾に注ぐ川。「八十瀬」は、たくさんの渡り瀬。「誰がゆゑか」は原文「誰故加」で、タレユヱカと訓むものもあります。「夜越えに越えむ」は、山ではなく川を越えると解するものもあります。「あらなくに」は「あらず」のク語法「あらなく」に「に」を添えたナクニ止めで、詠嘆の意を表します。男の、伊勢への旅中に妻を亡くした帰路の歌とされますが、妻のいない未婚者の歌との見方もあります。

 3157の「我妹子にまたも」は「逢ふ」の意で同音の「近江(あふみ)」を導く序詞。また上3句は「安の川」の同音で「安寐」を導く序詞で、序詞の中に序詞がある形になっています。「安の川」は、琵琶湖に注ぐ野洲川。「安寐」は、安らかな眠り。共寝に用いる「味寐」に対し、独り寝に用いるのが「安寐」だといいます。独り寝すらも安らかにできない旅の悲しさを述べた歌とされます。

 3158の「白波の辺にも沖にも寄るとはなしに」は、白波は岸にも沖にも寄せるが、自分はそのどちらに寄るのか決めかねているごとくにの意で、物思いの状態の譬喩。物思いの内容には触れられていませんが、窪田空穂は、船旅にあって「求婚している女の中途半端な態度を嘆いているのだと思われる」と述べています。3159の「港廻」は、河口。上2句は「いや増しに」を導く譬喩式序詞。「いや」は、いよいよますます。「忘らえぬかも」は、忘れられないことだなあ。船旅にあって妻を恋う歌とされます。3160は、巻第11-2732の重出歌。

巻第12-3161~3165

3161
在千潟(ありちがた)あり慰(なぐさ)めて行かめども家なる妹(いも)いおほほしみせむ
3162
みをつくし心尽くして思へかもここにももとな夢(いめ)にし見ゆる
3163
我妹子(わぎもこ)に触(ふ)るとはなしに荒礒廻(ありそみ)に我(わ)が衣手(ころもで)は濡れにけるかも
3164
室(むろ)の浦の瀬戸(せと)の崎なる鳴島(なきしま)の磯(いそ)越す波に濡れにけるかも
3165
霍公鳥(ほととぎす)飛幡(とばた)の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも
 

【意味】
〈3161〉在千潟の名のように、このままあなたを相手にあり続けて楽しんで行きたいけれど、家で待つ妻が悲しむことだろう。

〈3162〉家の妻が、身を尽くし心を尽くして私のことを思ってくれているせいか、旅先のここにいても、わけもなく妻の姿が夢に出てくる。

〈3163〉愛しいあの子に触れることがないまま、荒々しい礒の辺りを通るこの旅で、私の着物の袖はすっかり濡れてしまった。
 
〈3164〉室の浦の瀬戸の崎に浮かぶ鳴島、その島が泣く涙なのか、磯を越してくる波にすっかり濡れてしまった。
 
〈3165〉霍公鳥が飛ぶではないが、その飛幡の浦に繰り返しやって来る波のように、しばしばあの方とお逢いできる手立てがあったらなあ。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3161の「在千潟」は、所在未詳。同音で「あり」にかかる枕詞。「あり慰めて」は、このままあり続けて心を慰めて。「妹い」の「い」は、接尾語。「おほほしみせめ」は、心が晴れないだろう。原文「将欝悒」で、イフカシミセムと詠むものもあります。イフカシミは、不審を抱いて不安に思う意。男が、家の妻を持ち出して、一夜妻と別れようとした時の歌とされます。

 3162の「みをつくし」は、川や海の船の水路に立てる標で、同音で「心尽くして」にかかる枕詞。「思へかも」は「思へばかも」の古格で、思っているからだろうか。「ここにも」の「ここ」は、作者のいる場所。「もとな」は、わけもなく、むやみに。「夢にし見ゆる」の「し」は、強意の副助詞。旅にある夫が、家にいる妻に贈った歌で、旅先が難波であることを思わせるものです。なお、当時は「夢」を「いめ」と言っていました。元は「寝目(いめ)」という意味だったようです。

 3163の「荒礒廻」の「廻」は、めぐる意の「みる」の名詞化。めぐり、まわり、の意。「衣手」は、衣の袖。窪田空穂は、「妹に逢えば、それだけで涙も流れようとするごとき心を抱いて、海岸寄りを漕いでいる船中にいた人が、荒磯にぶつかる浪のしぶきに濡れた時の心である」「語は単純であるが、それにしては、深い心持をあらわしている歌である」と述べており、折口信夫は、自分の袖が濡れたのは「波の雫か、それとも、目から零れた涙か」と言っています。

 3164の「室の浦」は、兵庫県たつの市御津町室津。瀬戸内海航路の要津の一つ。奈良時代から栄えた地で、江戸時代には姫路藩の港となり、西国大名は参勤交代の時にこの港を利用したため、宿場町として賑わい、本陣がいくつもあり、かつては「室津千軒」と呼ばれていました。「瀬戸」は、狭い海峡。「鳴島」は、相生市の沖合の君島。窪田空穂は、「瀬戸内海を舟行している京の官人の、鳴島に上陸して、海を眺めていて、思わず浪に濡らされた感である」と言っています。

 3165の「霍公鳥」は、飛ぶと続き「飛幡」にかかる枕詞。「飛幡の浦」は、北九州市戸畑区の洞海湾にあった入江。「しく波」は、繰り返しやって来る波。上3句は「しばしば」を導く譬喩式序詞。「しばしば」は、何度も何度も、たびたび。「見むよし」は、逢うための手立て。「もがも」は、願望の助詞。旅先で男が知り合った女の歌とされ、飛幡の浦あたりにいる遊行女婦だったかもしれません。

巻第12-3166~3170

3166
我妹子(わぎもこ)を外(よそ)のみや見む越(こし)の海の子難(こがた)の海の島ならなくに
3167
波の間(ま)ゆ雲居(くもゐ)に見ゆる粟島(あはしま)の逢はぬものゆゑ我(わ)に寄(よ)そる子ら
3168
衣手(ころもで)の真若(まわか)の浦の真砂地(まなごつち)間(ま)なく時なし我(あ)が恋ふらくは
3169
能登(のと)の海に釣(つ)りする海人(あま)の漁(いざ)り火の光りにい行く月待ちがてり
3170
志賀(しか)の海人(あま)の釣りし燭(とも)せる漁(いざ)り火のほのかに妹(いも)を見むよしもがも
 

【意味】
〈3166〉あの愛しい子を、傍目にだけ見て過ごさねばならないというのか。越の海の子難の海に浮かぶ島ではあるまいに。

〈3167〉波の間からはるかに見える粟島のように、逢ってもいないのに、私と関係あるように噂を立てられている子よ。

〈3168〉真若の浦の白い砂浜のように、絶え間なく、時の区別もなく、私は恋い焦がれている。
 
〈3169〉能登の海で夜釣をしている漁り火をたよりに行く。月の出を待ちながら。
 
〈3170〉志賀島の海人が夜釣りに燭している漁り火の、ちらちら照らす光のように、ちらっとでもあの子を見るきっかけがあればなあ。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3166の「外のみや」の「や」は、詠嘆的疑問。「越の海」は、越前・越中にかけての海。「子難の海」は、所在未詳。女に逢い難いの意を掛けています。「島ならなくに」は「島ならず」のク語法「島ならなく」に助詞の「に」を添えたもの。遠く離れている妻に贈った歌とされますが、外目にのみは見ているのだから、旅中に見初めた土地の女に呼びかけている歌かもしれません。

 3167の「波の間ゆ」の「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。上3句は「逢は」を導く同音反復式序詞。「雲居」は、ここでは水平線に接している空で、海上遠く。「逢はぬものゆゑ」の「ゆゑ」は逆説で、逢ってもいないのに。「寄そる」は「寄す」の受け身。「子ら」の「ら」は、接尾語。世間から関係があるように言われる女に対し関心と愛着を示している歌ですが、旅中の感じが乏しいものです。

 3168の「衣手の」は、真袖(左右の袖)という意で「真」にかかる枕詞。「真若の浦」の「真」は美称で、和歌山市和歌の浦とされます。「真砂地」は、白い砂浜が続く海岸。上3句は「間なく」を導く同音反復式序詞。「間なく時なし」は、絶え間なく時の区別もなく。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。同音の「ま」が繰り返された口調によって、胸に秘める恋の苦しさが強調されています。旅先で出逢った可愛い子への思いを歌ったものでしょうか。

 3169の「光にい行く」の「い」は接頭語で、光を頼りに行く。「月待ちがてり」は、月の出を待ちながら。3170の「志賀」は、福岡県の志賀島。「漁り火」は、魚を誘い集めるために焚く篝火。上3句は「ほのかに」を導く譬喩式序詞。「もがも」は、願望。京の官人が志賀の海人の漁火を見て、故郷の妻を思っている歌とされます。

巻第12-3171~3175

3171
難波潟(なにはがた)漕(こ)ぎ出(づ)る舟のはろはろに別れ来(き)ぬれど忘れかねつも
3172
浦廻(うらみ)漕(こ)ぐ熊野舟(くまのぶね)着きめづらしく懸(か)けて思はぬ月も日もなし
3173
松浦舟(まつらぶね)騒(さわ)く堀江(ほりえ)の水脈(みを)早み楫(かぢ)取る間なく思ほゆるかも
3174
漁(いざ)りする海人(あま)の楫(かぢ)の音(おと)ゆくらかに妹(いも)は心に乗りにけるかも
3175
若(わか)の浦に袖(そで)さへ濡れて忘貝(わすれがひ)拾(ひり)へど妹(いも)は忘らえなくに [或る本の歌の末句には「忘れかねつも」といふ]
 

【意味】
〈3171〉難波潟を漕ぎ出す舟が遠ざかるように、はるばると別れてやって来たが、妻のことが忘れようにも忘れられない。

〈3172〉浦のあたりを漕いで来た熊野舟が着いて、その姿かたちが珍しく心惹かれるように、愛しいあの子を心に懸けて思わない月も日もない。

〈3173〉松浦舟が往き来する堀江の流れが早いので、楫を取るのに絶え間がないように、絶え間なくあの子を思っている。
 
〈3174〉漁をする海人の舟の楫の音がゆったりとしているように、あの子は私の心にじわじわと乗りかかってきている。
 
〈3175〉若の浦で袖まで濡らして忘れ貝を拾うけれど、拾っても拾ってもあの子を忘れられない。(忘れかねる)

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3171の「難波潟」は、大阪付近の海。「漕ぎ出る舟の」の原文「水手出船之」で、コギデシフネノと訓むものもあります。上2句は、航路を遠く来た意で「はろはろに」を導く序詞。「はろはろに」は、はるかに遠いさま、はるばると。「忘れかねつも」は、忘れようとしても忘れられないことだ。京の官人の、船で瀬戸内海を航行している人の歌とされます。

 3172の「浦廻」は、海岸が湾曲して入り組んだところ。「熊野舟」は紀伊の熊野で造られる舟で、特別な形をなしていました。「着き」の解釈は、上掲のように「(港へ)着き」とする説のほかに、「顔つき」「体つき」のようにそのものの様子をいう接尾語とする説があります。上2句は、熊野舟の形が珍しく見馴れないところから「めづらしく」を導く序詞。「めづらし」は「愛(め)づ」から派生した形容詞で、愛すべく、心惹かれること。難波に長く出張している官人の歌でしょうか。

 3173の「松浦舟」は、肥前国松浦で造った舟。「堀江」は、難波堀江。「水脈早み」の「水脈」は、舟の通る深い所、水の流れる筋。「早み」は「早し」のミ語法で、速いので。上3句は「楫取る間なく」の譬喩で、序詞との見方もあります。「思ほゆ」の「ゆ」は自発の助動詞で、自然と思われてくる。「かも」は、詠嘆の助詞。難波に出張している京の官人の歌とされます。

 3174の「海人の楫の音」は、単独母音オを含む8音の字余り句。上2句は、楫の音がゆるやかに聞こえてくるところから「ゆくらかに」を導く序詞。「ゆくらかに」は、ゆったりと。「妹は心に乗りにけるかも」は、妹は我が心を占めてしまったことであるよ。この句は万葉人に好まれたようで、他の歌にもいくつか用例が見られます。海辺の地を旅する男が妹に贈った形の歌です。

 3175の「若の浦」は、和歌山市和歌の浦。「忘れ貝」は、二枚貝の片方、またはそれと似た一枚貝。「忘れ貝」は集中に6例、「恋忘れ貝」も6例あり、忘れ草(ヤブカンゾウ)を身につけると憂いや恋を忘れられると信じたように、忘れ貝も恋の苦しさを忘れられるという俗信があったと見られています。「忘らえなくに」は「忘らえず」のク語法「忘れえなく」に詠嘆の助詞「に」が添ったもの。

巻第12-3176~3179

3176
草枕(くさまくら)旅にし居(を)れば刈り薦(こも)の乱れて妹(いも)に恋ひぬ日はなし
3177
志賀(しか)の海人(あま)の礒(いそ)に刈り干(ほ)す名告藻(なのりそ)の名は告(の)りてしを何(なに)か逢ひかたき
3178
国(くに)遠(とほ)み思ひなわびそ風の共(むた)雲の行くごと言(こと)は通はむ
3179
留(と)まりにし人を思ふに秋津野(あきづの)に居(ゐ)る白雲(しらくも)のやむ時もなし
 

【意味】
〈3176〉旅にあって寝床のために刈り取った薦が乱れるように、私の心は乱れて妻を恋しく思わない日はない。

〈3177〉志賀の海人が磯で刈って干しているなのりそのように、私は名を告げたのに、どうしてなかなか逢えないのだろう。

〈3178〉国が遠いからといって思い悩まないでください。風と共に流れる雲のように、お互いの消息は自然に通い合うでしょうから。
 
〈3179〉家に残った妻のことを思うと、秋津野にかかる白雲のように、苦しさは止むときがない。

【説明】
 「羈旅発思(旅にあって思いを発した歌)」。3176の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅にし」の「し」は、強意の副助詞。「刈り薦の」は「乱れて」の枕詞。「薦」(マコモ)は、全国いたるところで見られるイネ科の多年草で、夏に刈り取って筵(むしろ)の材料にしました。窪田空穂はこの歌を評し、「説明に終始している歌である。枕詞を二つまで用い、『乱れて』という強い語を用いているが、抒情気分の現われていない歌である」と述べています。なお、『万葉集』を愛した鎌倉幕府3代将軍の源実朝は、この歌を本歌取りし、「草枕旅にしあればかりごもの思ひ乱れて寐(い)こそ寝(ね)られね」という歌を詠んでいます。

 3177の「志賀」は、福岡市の志賀島。「名告藻」は、ホンダワラの古名。上3句は「名は告り」を導く同音反復式序詞。「いかに」は、どうして。類型的な歌であり、この歌は九州地方の遊行女婦らの間に歌い伝えられたものかといいます。3178の「国遠み」は「国遠し」のミ語法で、国が遠いので。「なわびそ」の「な~そ」は、懇願的な禁止。「わぶ」は、思い悩む、悲観する。「風の共」は、風と共に。京の官人が地方官に任ぜられて旅立つ際、その妻に慰めとしていった歌とされます。

 3179の「留まりにし人」は、家に残ってとどまった人で、旅にあって妻を指したもの。この表現は「連れて来たかったが女は留まらねばならないという定めに従った、の意を表すか」と伊藤博は言い、窪田空穂は「相応に身分ある官人を思わせる」と言っています。「秋津野に居る白雲の」は、雲がいつもかかって消えることがないようにの意で「止む時もなし」を導く序詞。「秋津野」は、吉野または紀伊田辺の秋津野。 

巻第12-3180~3184

3180
うらもなく去(い)にし君ゆゑ朝(あさ)な朝(さ)なもとなそ恋ふる逢ふとは無けど
3181
白栲(しろたへ)の君が下紐(したひも)我(わ)れさへに今日(けふ)結びてな逢はむ日のため
3182
白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れは惜しけども思ひ乱れてゆるしつるかも
3183
都辺(みやこへ)に君は去(い)にしを誰(た)が解(と)けか我(わ)が紐(ひも)の緒(を)の結(ゆ)ふ手たゆきも
3184
草枕(くさまくら)旅行く君を人目(ひとめ)多み袖(そで)振らずしてあまた悔(くや)しも
  

【意味】
〈3180〉そっけなく旅立って行ったあなたのせいで、毎朝毎朝、しきりに恋しくてなりません。逢えるわけではないのに。

〈3181〉あなたの下紐を、私も共に結びましょう。またお逢いする日のために。

〈3182〉からませた袖と袖を離れ離れにしてお別れするのは名残惜しいけれど、悲しさに心が乱れているうちに、とうとう行かせてしまった。

〈3183〉あなたは都に行ってしまったというのに、いったい誰が解こうとするのでしょう、すぐ解けてしまう私の着物の紐、この紐の緒を結び直すのがもどかしい。

〈3184〉草を枕の旅に出て行くあなたを、人目が多いので袖も振らずじまいに別れてしまい、どうしようもなく悔やまれます。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3180の「うらもなく」は、そっけなく、物思いもなく。「去にし君ゆゑ」は、行ってしまった君のせいで。「朝な朝な」は、毎朝毎朝。「もとなそ恋ふる」の「もとな」は、わけもなく、しきりに。「そ」は強意の係助詞で「恋ふる」が結びの連体形。「逢ふとは無けど」は、逢うということはないけれど。旅立つ夫が素っ気なく別れて行ったのを恨めしく思う妻の歌とされます。夫は別れの寂しさを隠すためにわざとそんな態度をとったのかもしれません。

 3181の「白栲の」は「下紐」の枕詞。「我れさへに」は、私も一緒に。「結びてな」の「な」は、自身に対しての願望の助詞。「逢はむ日のため」は、また逢う日のために。『万葉集』には下紐をうたった歌が多く見られ、それらは共寝のときに互いに解き合うものであり、別れるときに互いに結び合うものでした。また、互いに相手の下紐を結びかわすのは、自分の魂を相手に添わせて一体とさせるためのおまじないでもありました。ただ、ここの歌は夫婦の場合ではないように感じられるとの見方があります。

 3182の「白栲の」は「袖」の枕詞。男女の別れを「白栲の袖の別れ」と、美しく表現しています。「惜しけども」は「惜しけれども」の古格で、惜しいけれども。「ゆるしつるかも」の「ゆるし」は、ゆるめること、手放すこと。「つる」は、完了の助動詞「つ」の連体形。「かも」は、詠嘆の助詞。夫の旅立ちを許してしまった妻の嘆きの歌とされます。

 3183の「都辺に」は、都の方へ。「去にしを」の「を」は逆接の接続助詞で、行ってしまったのに。「誰が解けか」は、誰が解くというのか。「たゆき」はもどかしい、疲れてだるい意。「結ふ手たゆきも」の原文「結手懈毛」で、ムスブテウキモ、ユフテイタヅラニなどと訓むものもあります。都と地方とをつなぐ要路に、当時多くいた遊行女婦の一人の歌とみられ、心を寄せていた官人が都へ帰った後、他の多くの男に心ならずも接している嘆きをいったものとされます。

 3184の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅行く君を」の「を」は、逆接の接続助詞。~なのに、~だというのに。「人目多み」の「多み」は「多し」のミ語法で、人目が多いので。「あまた」は、甚だ、非常に、どうしようもなく。「悔しも」の「も」は、詠嘆の助詞。太宰帥の大伴旅人が都に上るのを見送る筑紫の遊行女婦児島が「凡ならばかもかも為むを恐みと振り痛き袖を忍びてあるかも」(巻第6-965)と歌った心と似ており、あわれを感じさせます。

巻第12-3185~3189

3185
まそ鏡手に取り持ちて見れど飽(あ)かぬ君に後(おく)れて生(い)けりともなし
3186
曇(くも)り夜のたどきも知らぬ山越えて往(い)ます君をばいつとか待たむ
3187
たたなづく青垣山(あをかきやま)の隔(へ)なりなばしばしば君を言(こと)問(と)はじかも
3188
朝霞(あさがすみ)たなびく山を越えて去(い)なば我(あ)れは恋ひむな逢はむ日までに
3189
あしひきの山は百重(ももへ)に隠すとも妹(いも)は忘れじ直(ただ)に逢ふまでに [一云 隠せども君を思はくやむ時もなし]
  

【意味】
〈3185〉澄んだ鏡を手に取り持って見るように、いつまでも見飽きることのないあの方にとり残されて、生きている気もいたしません。
 
〈3186〉曇った真っ暗な夜のように、全く様子が分からない山を越えて行かれるあなた、そのあなたのお帰りをいつと思ってお待ちすればよいのでしょうか。

〈3187〉幾重にも重なる青垣のような山々に隔てられてしまったら、たびたびあなたにお便りをすることもできなくなるのではないでしょうか。

〈3188〉朝霞がたなびく山を越えて行ってしまわれたら、私は恋い焦がれるでしょう、お逢いできる日までずっと。

〈3189〉山が幾重にも重なって家を隠そうと、妻のことは忘れはすまい、直接逢える日までずっと。(隠そうと、あの方を思う心は休まる時もない)

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3185の「まそ鏡」は、きれいに澄んではっきり映る白銅製の鏡。上2句は、鏡を手に取って見るところから「見れど」を導く序詞。「見れど飽かぬ」は柿本人麻呂歌が用いたのが最初(巻第1-36)で、いくら見ても見飽きることがないという最高の賛辞。「後れて」は、後に残されて。「生けりともなし」は、生きているとも思えない。

 3186の「曇り夜の」は「たどきも知らぬ」の比喩的枕詞。「たどき」は、たづき、手がかり、様子。「往ます」は、行くの敬語。「いつとか待たむ」は、いつと思って待っていようか。期待薄の場合に言うことの多い語で、夜に様子の知れない山を越えていつ帰るとも当てのない旅に出るというのはどういう事情によるのでしょうか。そのことには触れていないので分かりません。

 3187の「たたなづく」は、幾重にも重なり合う。「青垣山」は、垣根のように取り囲む青々と茂った山々の意で、大和国を形容する語として古くから使われました。「隔りなば」は、間を隔てたならば。「しばしば」の原文「数」で、度数の多い意。「言問ふ」は、ここは音信を交わすこと。「かも」は、疑問。都の官人が地方官などとして赴任しようとする時に、妻が贈った歌とされます。

 3188の「我れは恋ひむな」の「む」は推量の助動詞、「な」は詠嘆の終助詞。早朝、国境の山を越えて旅立つ夫に贈った妻の歌とされます。3189の「あしひきの」は「山」の枕詞。「百重」は、幾重にも重なること。旅立つ夫が妻に誠実を誓って慰めた歌とされ、前の歌に対する答えの歌とも見られます。

巻第12-3190~3194

3190
雲居(くもゐ)なる海山(うみやま)越えてい行きなば我(あ)れは恋ひむな後(のち)は逢ひぬとも
3191
よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山(ゆふまやま)越えにし君が思ほゆらくに
3192
草蔭(くさかげ)の荒藺(あらゐ)の崎(さき)の笠島(かさしま)を見つつか君が山道(やまぢ)越ゆらむ [一云 み坂越ゆらむ]
3193
玉勝間(たまかつま)島熊山(しまくまやま)の夕暮れにひとりか君が山道(やまぢ)越ゆらむ [一云 夕霧に長恋しつつ寐ねかてぬかも]
3194
息(いき)の緒(を)に我(あ)が思ふ君は鶏(とり)が鳴く東(あづま)の坂を今日(けふ)か越ゆらむ
  

【意味】
〈3190〉遥か彼方の海や山を越えて行ってしまわれたら、私は恋しくてたまらないでしょう。たとえ後で逢えるとしても。

〈3191〉もう恋しがるのはよそうとするものの、木綿間山を越えて行ってしまったあなたのことが、やはり思われてなりません。
 
〈3192〉荒藺の崎の笠島を眺めながら、あなたは今ごろ山道を越えておられるだろうか。(坂を越えておられるだろうか)
 
〈3193〉島熊山の夕暮れに、あなたは一人で山道を越えておられるだろうか。( 夕霧の中で長く恋い焦がれ眠ることができない)

〈3194〉命をかけて私が恋い焦がれているあの人は、東方の険しい坂を、今日あたり越えていらっしゃるのだろうか。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3190の「雲居なる」は、遥かなる。「い行きなば」の「い」は、動詞につく接頭語。「我れは恋ひむな」の「む」は推量の助動詞、「な」は詠嘆の終助詞。「後は逢ひぬとも」は、後には逢おうとも。原文「後者相宿友」で、「宿」の字があることから「相寝」すなわち、後には共寝できようとも、のように解するものもあります。男の旅立ちを送る女の歌です。

 3191の「よしゑやし」は、よし、ままよ。「恋ひじ」の「じ」は打消の意志を表し、恋うまい、恋しく思ったりすまい。「木綿間山」は、所在未詳。「思ほゆらくに」は「思ふ」に受身・自発・可能の助動詞「ゆ」がついた「思ほゆ」のク語法である「思ほゆらく」に助詞「に」を添えたもので、詠嘆を込めたもの。窪田空穂は、意識的に恋をしまいとしている心、その詠み方の巧みではあるがあっさりとしているところから、遊行女婦の歌だろうと思わせる、と述べています。

 3192の「草蔭の」は、草蔭となっている荒れた地の意で「荒」にかかる枕詞。「荒藺の崎の笠島」は、所在未詳。「見つつか」の「か」は、疑問。「越ゆらむ」の「らむ」は、現在推量の助動詞。男の旅路を思いやっている女の歌です。3193の「玉勝間」は立派な籠で、編み目が締まっているところから「島」にかかる枕詞。「島熊山」は、所在未詳。

 3194の「息の緒に」は、命に懸けて。「鶏が鳴く」は「東」の枕詞。かかり方については、東国人の言葉が鳥のさえずりのように聞こえて中央の人には分からないのでとも、「鶏が鳴くぞ、起きよ吾夫(あづま)」という意とも、鶏が鳴くと東の空が白み始めるからともいわれます。「東方の坂」は、東国の坂。難所として言っているもので、東海道を通れば足柄峠のことか。都の家で待つ妻が、東国に旅をしている夫を思う歌とされます。

巻第12-3195~3199

3195
磐城山(いはきやま)直(ただ)越え来ませ礒崎(いそさき)の許奴美(こぬみ)の浜に我(わ)れ立ち待たむ
3196
春日野(かすがの)の浅茅(あさぢ)が原に後(おく)れ居(ゐ)て時ぞともなし我(あ)が恋ふらくは
3197
住吉(すみのえ)の岸に向かへる淡路島(あはじしま)あはれと君を言はぬ日はなし
3198
明日(あす)よりは印南(いなみ)の川の出(い)でて去(い)なば留(と)まれる我(わ)れは恋ひつつやあらむ
3199
海(わた)の底(そこ)沖は畏(かしこ)し礒廻(いそみ)より漕ぎ廻(た)み行かせ月は経(へ)ぬとも
  

【意味】
〈3195〉磐城山をまっすぐに越えて早く帰ってきてください。磯崎の許奴美の浜に立って、私は待っています。

〈3196〉春日野の浅茅が原に一人置き去りにされて、私は絶える間もなくあの方を恋い焦がれています。
 
〈3197〉住吉の岸に向き合う淡路島の名のように、あわれ、ああ恋しいと、あなたのことを口にしない日はありません。
 
〈3198〉明日からは去なむという名の川のように、旅立ってしまわれるあなたに取り残された私は、どんなに恋い焦がれなければならないのか。
 
〈3199〉海原の沖は恐ろしく危険がいっぱいです。磯に沿って漕いでいらっしゃい。たとえ月は変わっても。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3195の「磐城山」は、静岡市清水区にある薩埵(さった)峠とされます。山部赤人の「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」(巻第3-318)はこの峠から眺めた富士山だったと言われます。「直越え」は、真っ直ぐに山を越えること。「磯崎」は、薩埵峠が海に接する所を今は岫崎(くきがさき)と呼んでいて、その地であると言います。「許奴美の浜」は、所在未詳。礒崎あたり住む女が磐城山のかなたに住む、関係した男に、密会の場所を示してやった歌とされます。

 3196の「春日野」は、奈良市の東方、春日山西麓。「浅茅が原」は、背丈の低い茅がやが生えた野原で、作者(女)の侘び住居を喩えています。「後れ居て」は、後に残されていて。「時ぞともなし」は、いつがその時だという区別がない。「恋ふらく」は「恋ふ」のク語法で名詞形。旅にある夫に、思慕の切情を訴えて贈った歌とされます。

 3197の「住吉」は、大阪市住吉区。「住吉」は平安時代になってスミヨシと訓むようになりましたが、奈良時代以前はスミノエと訓んでいます。「向かへる」は「向きあへる」の約で、向き合っている意。上3句は「あはれ」を導く同音反復式序詞。「あはれ」は、広い意味で感動をあらわす語で、「ああ」というにあたります。住吉に多くいた遊行女婦の歌と見られています。

 3198の「印南の川」は、兵庫県の印南野を流れる加古川。上2句は「印南」の同音で「去なば」を導く序詞。印南の川近くに住む男女間の歌で、男が旅立つ前夜に、女が別後の心をいって訴えたものとされます。3199の「海の底」は「沖」の枕詞。「礒廻」は、磯の周り、海岸。「漕ぎ廻み」は、海岸伝いに進むので曲線的になることを示しています。「行かせ」は「行け」の敬語。遠い航海に出発する男に対して女が贈った歌とされます。

巻第12-3200~3203

3200
飼飯(けひ)の浦に寄する白波(しらなみ)しくしくに妹(いも)が姿は思ほゆるかも
3201
時つ風(かぜ)吹飯(ふけひ)の浜に出(い)で居(ゐ)つつ贖(あか)ふ命は妹(いも)がためこそ
3202
柔田津(にきたつ)に舟乗りせむと聞きしなへ何(なに)ぞも君が見え来(こ)ざるらむ
3203
みさご居(ゐ)る洲(す)に居(ゐ)る舟の漕ぎ出(で)なばうら恋しけむ後(のち)は逢ひぬとも
 

【意味】
〈3200〉飼飯の浦に寄せている白波のように、しきりに家にいる妻のことが思い出される。

〈3201〉時つ風が吹く吹飯の浜に出て立ち、神に幣を捧げて無事を祈るこの命は、愛しい妻のためのことだ。
 
〈3202〉柔田津で船出をすると聞いたのに、どうしてあの方は私の家に来ないのでしょう。
 
〈3203〉みさごが棲む洲に停泊している舟が漕ぎ出したならば、心の中で恋しく思うでしょう、後には逢えるとしても。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3200の「飼飯の浦」は、淡路島西岸、南あわじ市松帆慶野の海岸、または福井県敦賀市の気比神社で知られる海岸かと言います。上2句は、「寄する白波」が絶えないことから「しくしくに」を導く譬喩式序詞。「しくしくに」は、しきりに。この歌は、別れを悲しむ歌というより、旅にあって詠んだ歌です。

 3201の「時つ風」は、潮の満ちる時に先立って吹く風で、同音で「吹飯」にかかる枕詞。「吹飯の浜」は、大阪府泉南郡岬町深日の海岸。「贖ふ」は、神に幣を捧げて加護を祈ること。この歌も別れを悲しむ歌ではなく、旅先の吹飯の浜で禊をした時に妹を思って詠んだ歌です。前歌とともに男の歌。

 3202の「柔田津」は、伊予松山の海岸とされますが、確かな所在地は不明。「聞きしなへ」の「なへ」は、~と同時に、~につれて。文末の「らむ」は、現在推量の助動詞。柔田津に住む女が、その男が船出をするという噂を聞き、それなら自分の所に別れに来そうなのにと思って恨んでいる歌とされます。3203の「みさご」は、タカ科の鳥で、水辺に棲んで魚を捕えます。「うら恋しけむ」は、心の中でひそかに恋しく思う。船着き場の遊行女婦の歌かと言います。
 
 上代に用いられた「心」の類語に「うら」と「した」があり、『万葉集』では「うら」は26首、「した」は23首の用例が認められます。「うら」は、隠すつもりはなく自然に心の中にあり、表面には現れない気持ち、「した」は、敢えて隠そうとして堪えている気持ちを表わしています。

巻第12-3204~3207

3204
玉葛(たまかづら)幸(さき)くいまさね山菅(やますげ)の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
3205
後(おく)れ居(ゐ)て恋ひつつあらずは田子(たご)の浦の海人(あま)ならましを玉藻(たまも)刈る刈る
3206
筑紫道(つくしぢ)の荒礒(ありそ)の玉藻(たまも)刈るとかも君は久しく待てど来(き)まさぬ
3207
あらたまの年の緒(を)長く照る月の飽(あ)かざる君や明日(あす)別れなむ
 

【意味】
〈3204〉葛の蔓が長く伸びるようにご無事でいらして下さい。私は山菅の根のように、思い乱れ恋い焦がれながらあなたをお待ちします。

〈3205〉取り残されてあの人を恋い続けているくらいなら、いっそ田子の浦の海人であったらよかった。今ごろ、玉藻を刈りながら。
 
〈3206〉筑紫道の荒磯の玉藻を刈りとっていらっしゃるのか、あの人は久しくお待ちしているのに、一向に帰って来られない。
 
〈3207〉年久しく照る月のように、見飽きることのないあなたと、明日はお別れしなければならないのでしょうか。

【説明】
 「別れを悲しむ」歌。3204の「玉葛」の「玉」は美称、「葛」はかづら(髪飾り)にするつる草の総称。枕詞ですが、花が咲く意で「幸(さき)く」にかかるとする説、つるが長く延びる意で「幸くいまさね」に、あるいは「幸く行かさね」と訓んで「行く」にかかるとする説など様々です。「いまさね」の「います」は「行く」の尊敬語、「ね」は希求の終助詞。「山菅の」は、その葉の乱れやすい意で「乱れ」にかかる枕詞。窪田空穂は、「前半は夫の旅行きを斎(いわ)ったもの。後半は、留守中の貞実を誓う心で、それぞれ枕詞を添えて美しくいっている」と述べています。

 3205の「後れ居て」は、後に残って。「恋ひつつあらずは」は、恋い続けているくらいなら。「田子の浦」は、静岡県の駿河湾西岸。「海人ならましを」の「まし」は反実仮想の助動詞。「を」は逆接の意を込めた詠嘆の助詞。窪田空穂は、「田子の浦に近く住む、ある程度の身分ある妻が、心なげな海人を羨んだ心である」と述べています。

 3206の「筑紫道」は、大和から筑紫への往還の道。「荒磯の玉藻刈る」は、ここでは、港に逗留して遊女と遊ぶことを譬えているとも言います。「かも」は、疑問。「待てど来まさぬ」の原文「待不来」で、マツニキマサヌと訓むものもあります。「来まさぬ」は「来ぬ」の敬語。官人である夫の筑紫からの帰着を京で待ちかねている妻の歌とされます。

 3207の「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒長く」は、年久しく。上3句は、長い年月照っている月も見飽きることがないところから「飽かざる」を導く譬喩式序詞。「君や」の「や」は、詠嘆の意を含む疑問の助詞。「別れなむ」は、別れることになるだろう。夫が遠く旅立つ前夜に妻が贈った歌とされます。

巻第12-3208~3212

3208
久(ひさ)にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜(つくよ)も闇(やみ)のみに見ゆ
3209
春日(かすが)なる御笠(みかさ)の山に居(ゐ)る雲を出(い)で見るごとに君をしぞ思ふ
3210
あしひきの片山雉(かたやまきざし)立ち行かむ君に後(おく)れてうつしけめやも
3211
玉の緒(を)の現(うつ)し心(ごころ)や八十楫(やそか)懸(か)け漕ぎ出(で)む船に後(おく)れて居(を)らむ
3212
八十楫(やそか)懸(か)け島隠(しまがく)りなば我妹子(わぎもこ)が留(と)まれと振らむ袖(そで)見えじかも
  

【意味】
〈3208〉旅に出て当分帰れそうもないあなたのことを思うと、この清らかな月の夜も、まるで闇夜を見ているようです。

〈3209〉春日野の御笠の山にかかっている雲。その雲を門に出て見るたびに、旅先のあなたのことが思われてなりません。
 
〈3210〉片山に棲む雉が、不意に飛び立っていったかのようにあなたに旅立たれ、取り残された私はどうして正気でいられましょうか。

〈3211〉正気のままでいられましょうか。多くの櫂を懸けて漕ぎ出す船に取り残されて。

〈3212〉船が多くの櫂をつけて漕ぎ出したが、島の向こうに隠れてしまったら、妻が振って引き留める袖も見えなくなってしまうだろうなあ。

【説明】
 3208~3210は「別れを悲しむ」歌。3208の「久にあらむ」は、久しくいるであろう。「ひさかたの」は「月夜」の枕詞。「闇のみに見ゆ」は、闇とばかり見える。原文「闇夜耳見」で、ヤミノヨニミユ、ヤミノミニミツなどと訓むものもあります。夫が旅立つ前夜に妻が贈った歌とされ、窪田空穂は、「『久にあらむ君を思ふに』と、全体として胸に映っている夫をおおまかに言い、一転して『清き月夜も闇のみに見ゆ』と、気分化してある飛躍は要を得たものである。一首の調べも、昂奮した情を抑えた、強く澄んだものとなっていて、気分と調和している。すぐれた歌である」と評しています。

 3209の「春日なる」は、春日にある。「春日」は、平城京の東方一帯の地名。「御笠の山」は、その山裾に春日大社がある標高283mの円錐形の山。「居る雲」は、かかっている雲。「君をしぞ思ふ」の「し・ぞ」は、共に強意の助詞。京に住み、夫を遠い旅に遣っている女の歌とされます。

 3210の「あしひきの」は「山」の枕詞。「片山雉」の「片山」は、平野側の方にだけ傾斜面のある山。孤立した山と見る説もあります。「雉」は、そこにいる雉。上2句は、雉が飛び立つ意で「立ち行く」を導く序詞。「立ち行かむ君に後れて」は、旅立つであろう君に後に残されて。「うつしけめやも」は、形容詞「うつし」の未然形「うつしけ」に推量の助動詞「め」が付き、反語の「やも」が付いたもの。「うつし」は、正気であること、現実であること。ひとりぼっちになる寂しさを雉に寄せて歌っており、伊藤博は、「相手にしっかりするように言われて詠んだ歌か」と言っています。

 なお、狭野弟上娘子の「春の日のうら悲しきにおくれゐて君に恋ひつつ現(うつ)しけめやも」という歌(巻第15-3752)は、3210を模倣したものだといいます。斎藤茂吉によれば、当時の歌人等は、家持などを中心として、古歌を読み、時にはかく露骨に模倣したことが分かり、模倣心理の昔も今もかわらぬことを示している、といいます。

 3211・3212は問答歌。3211の「玉の緒」は「現し心」の枕詞。通常は、乱れるとか、絶ゆ、長いとか短いとかにかかりますが、「現し心」にかかるのは集中2例。ここは、魂の緒の意で、現実の心、正気を意味する「現し心」にかかるとされます。「や」は、反語で、正気でいられようか、いられそうもない。「八十楫懸け」は、多くの楫を舷側に取り付けてで、官人の乗る大船を表しています。夫が地方官などに任ぜられ、難波津から出航するのを見送りに来た妻の訴えの歌とされます。3212は、それに答えた夫の歌。「島隠りなば」は、島に隠れてしまったならば。「留まれと振らむ袖」は、去る人を招き返す、魂だけでもつなぎとめようとする呪術。「見えじかも」の「かも」は詠嘆で、見えないだろうなあ。

巻第12-3213~3214

3213
十月(かむなづき)しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿(やど)か借るらむ
3214
十月(かむなづき)雨間(あまま)も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし
  

【意味】
〈3213〉十月の冷たいしぐれの雨に濡れながら、あなたは今ごろ旅を続けておられるのかな、それともどこかで宿を借りておられるのかな。
 
〈3214〉寒い十月だというのに、晴れ間なく雨が降り続いたなら、いったいどこの里の宿を借りたらよいのか。

【説明】
 問答歌。3213は女の歌。3214は男の答えた歌。3213の「濡れつつか」の「か」は、疑問。「宿借る」は、旅先で泊まることに加え、その地の女性と交わることを暗に譬えています。「らむ」は、現在推量。3214の「雨間」は、雨と雨の間、雨の止んでいる間。「せば~まし」は、反実仮想。疑問の係助詞「か」を伴う場合は、どう行動すべきか思い迷う気持を表すと言います。

巻第12-3215~3216

3215
白栲(しろたへ)の袖(そで)の別れを難(かた)みして荒津(あらつ)の浜に宿(やど)りするかも
3216
草枕(くさまくら)旅行く君を荒津(あらつ)まで送りぞ来(き)ぬる飽(あ)き足(だ)らねこそ
  

【意味】
〈3215〉このままあの子と袖の別れをする気になれず、荒津の浜でもう一夜、舟を出さずに宿を取ることにした。
 
〈3216〉遠く旅立って行かれるあなたを見送りに、とうとう荒津までやって来てしまいました。なかなか別れがたくて。

【説明】
 問答歌。3215は男の歌。3214は女の答えた歌。3215の「白栲の」は「袖」の枕詞。「袖の別れ」は、共寝をして互いに交した袖を解き放して別れることで、男女の別れの表現。「難みして」の「難み」は「難し」のミ語法に動詞「す」を伴ったもので、困難に思って、辛いと思って。「荒津」は、福岡市中央区西公園付近にあった港。当時は大宰府の外港で、官船が発着していました。「宿りするかも」の「かも」は、詠嘆。

 3216の「草枕」は「旅」の枕詞。「送りぞ来ぬる」は、原文「送来」で、オクリキヌレド、オクリゾキツルなどと訓むものもあります。「飽き足らねこそ」は「飽き足らねばこそ」の古格で、下に「あらめ」などの句が略されています。とても満足できないので。荒津から船出する男は、大宰府の任が解けて帰京する官人であり、再会のあてのない旅立ちだったとみられます。女は誰だかわかりませんが、妻ではなく、大宰府あたりの遊行女婦だったようです。

巻第12-3217~3218

3217
荒津(あらつ)の海(うみ)我(わ)れ幣(ぬさ)奉(まつ)り斎(いは)ひてむ早(はや)帰りませ面変(おもがは)りせず
3218
朝(あさ)な朝(さ)な筑紫(つくし)の方(かた)を出(い)で見つつ音(ね)のみそ我(あ)が泣くいたもすべなみ
  

【意味】
〈3217〉荒津の海の神様に、私は幣を捧げ、身を清めてお祈りしましょう。早くお帰り下さい、旅やつれすることなくお元気な姿で。
 
〈3218〉毎朝毎朝、船上に出ては、筑紫の方を見て声を張り上げ泣くばかり、どうしようもないので。

【説明】
 問答歌。3217は、荒津の港から船出をして旅をする夫を見送る女の歌。3218は夫の答えた歌。3217の「荒津」は、福岡市中央区西公園付近にあった港。大宰府の外港で、官船が発着しました。「幣」は、神に祈るときの捧げ物。「斎ふ」は、吉事を祈って禁忌を守ること。「早帰りませ」の「ませ」は、敬語。「面変わり」は、やつれて顔つきや様子が変わること。3218の「朝な朝な」は、毎朝毎朝。「音のみ泣く」は、声をあげて泣くばかりという強調表現。「いたもすべなみ」は、何とも仕方がないので。旅に出てしばらく経って詠んだもののようです。

巻第12-3219~3220

3219
豊国(とよくに)の企救(きく)の長浜(ながはま)行き暮らし日の暮れ行けば妹(いも)をしぞ思ふ
3220
豊国(とよくに)の企救(きく)の高浜(たかはま)高々(たかたか)に君待つ夜(よ)らはさ夜(よ)更(ふ)けにけり
  

【意味】
〈3219〉豊国の企救の長い浜辺を日がな一日中歩き続け、日も暮れていくので、妻のことが思われてならない。
 
〈3220〉豊国の企救の高浜のように、高々と爪立ってあなたのお帰りを待っている夜は、もうすっかり更けてしまいました。

【説明】
 問答歌。3219は男の歌。3220は女の歌。3219の「豊国」は豊前、豊後国(福岡、大分県)。「企救」は、北九州市の周防灘沿岸の地。「行き暮らし」は、一日中歩いて行くこと。「妹をしぞ思ふ」の「し・ぞ」は、いずれも強意の助詞。3220の「高浜」は、砂が高く盛り上がっている浜。上2句は「高々に」を導く同音反復式序詞。「高々に」は、待ち遠しく熱心に待つ様子。「夜ら」の「ら」は、音調を整える接尾語。この歌は上の歌とのつながりがなく、同じ地名を詠んだ別の歌を並べたものとみられています。

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

原文表記の例

鶏鳴(あかとき)
 →「明け方」の意
五更闇(あかときやみ)
 →「明け方の闇」の意
金(あき)
 →秋
阿木(あき)
 →秋
朝明(あさけ)
 →「夜明け」の意
求食(あさり)
 →「餌をあさる」意
安之我良(あしがら)
 →足柄
阿米(あめ)
 →天
下風(あらし)
 →嵐
丸雪(あられ)
 →霰
阿礼(あれ)
 →吾
五十日太(いかだ)
 →筏
山上復有山(いで)
 →出で
伊乃知(いのち)
 →命
伊麻(いま)
 →今
五十等兄(いらご)
 →伊良虞
伊理比(いりひ)
 →入日
弟世(いろせ)
 →「弟」の意
兎道(うぢ)
 →宇治
虚蝉(うつせみ)
 →空蝉
得菅(うつつ)
 →現
宇奈加美(うなかみ)
 →海上
宇美(うみ)
 →海
宇良未(うらみ)
 →浦廻
奥嶋(おきつしま)
 →沖つ島
於保吉美(おほきみ)
 →大君
意富伎美(おほきみ)
 →大君
於毛布(おもふ)
 →思ふ
垣津旗(かきつばた)
 →杜若
所聞多祢(かしまね)
 →鹿島嶺
片念(かたもひ)
 →「片思い」の意
可豆思加(かづしか)
 →葛飾
可多(かた)
 →潟
河蝦(かはづ)
 →蛙
川豆(かはづ)
 →蛙
向南(きた)
 →北
吉美(きみ)
 →君
八十一(くく)
 →(九九八十一の意)
久佐麻久良(くさまくら)
 →草枕
久尓(くに)
 →国
火気(けぶり)
 →煙
許己呂(こころ)
 →心
景迹(こころ)
 →心
情(こころ)
 →心
孤悲(こひ)
 →恋
佐伎久(さきく)
 →幸く
佐伎牟理(さきもり)
 →防人
佐伎母里(さきもり)
 →防人
左散難弥(ささなみ)
 →楽浪
左射礼浪(さざれなみ)
 →「細かく美しい波」の意
五十戸良(さとをさ)
 →里長
思賀(しが)
 →志賀
十六(しし)
 →(四四十六の意)
四時美(しじみ)
 →蜆
之多(した)
 →下
思多(した)
 →下
下思(したもひ)
 →「心中に思うこと」の意
潮左為(しほさゐ)
 →潮騒
志良奈美(しらなみ)
 →白波
容儀(すがた)
 →姿
光儀(すがた)
 →姿
為酢寸(すすき)
 →薄
為便(すべ)
 →術
世奈(せな)
 →「夫」の意
多知婆奈(たちばな)
 →橘
多知花(たちばな)
 →橘
多妣(たび)
 →旅
多奈波多(たなばた)
 →たなばた
鴨頭草(つきくさ)
 →月草。今の「露草」
都久之(つくし)
 →筑紫
都麻(つま)
 →妻
都由(つゆ)
 →露
弖豆久利(てづくり)
 →手作り
奈都可思(なつかし)
 →懐かし
夏樫(なつかし)
 →懐かし
奈泥之故(なでしこ)
 →撫子
寧楽(なら)
 →奈良
平城(なら)
 →奈良
波流(はる)
 →春
芳流(はる)
 →春
比加里(ひかり)
 →光
他言(ひとごと)
 →「他人の評判」の意
不盡(ふじ)
 →富士(山)
布自(ふじ)
 →富士(山)
布奈波之(ふなはし)
 →舟橋
冬木成(ふゆごもり)
 →冬ごもり
布流(ふる)
 →振る
保登等芸須(ほととぎす)
 →霍公鳥
美知(みち)
 →道
宮子(みやこ)
 →都
美夜古(みやこ)
 →都
王都(みやこ)
 →都
武良前野(むらさきの)
 紫野
美佐賀(みさか)
 →御坂
水尾(みを)
 →水脈
水咫衝石(みをつくし)
 →澪標
牟故(むこ)
 →武庫
十五夜(もちづき)
 →望月
十五日(もちのひ)
 →望の日
夜久毛多都(やくもたつ)
 →八雲立つ
也麻(やま)
 →山
八馬(やま)
 →山
山常(やまと)
 →大和
日本(やまと)
 →大和
八間跡(やまと)
 →大和
倭路(やまとぢ)
 →大和路
由吉(ゆき)
 →雪
去方(ゆくへ)
 →行方
世間(よのなか)
 →世の中
余能奈可(よのなか)
 →世の中
和我勢(わがせ)
 →わが背
萱草(わすれぐさ)
 →忘れ草。今の「カンゾウ」
和世(わせ)
 →早稲
渡津海(わたつみ)
 →海神
海若(わたつみ)
 →海神
処女(をとめ)
 →乙女
未通女(をとめ)
 →乙女

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古典文法

係助詞
助詞の一種で、いろいろな語に付いて強調や疑問などの意を添え、下の術語の働きに影響を与える(係り結び)。「は・も」の場合は、文節の末尾の活用形は変化しない。
〔例〕か・こそ・ぞ・なむ・や

格助詞
助詞の一種で、体言やそれに準じる語に付いて、その語とほかの語の関係を示す。
〔例〕が・に・にて・の

間投助詞
助詞の一種で、文中や文末の文節に付いて調子を整えたり、余情や強調などの意味を添える。
〔例〕や・を

接続助詞
助詞の一種で、用言や助動詞に付いて前後の語句の意味上の関係を表す。
〔例〕して・つつ・に・ば・ものから

終助詞
助詞の一種で、文末に付いて、疑問・詠嘆・願望などを表す。
〔例〕かし・かな・な・なむ・ばや・もがな

副助詞
助詞の一種で、さまざまな語に付いて、下の語の意味を限定する。
〔例〕さへ・し・だに・

助動詞
用言や体言に付いて、打消しや推量などのいろいろな意味を示す。

参考文献

『NHK日めくり万葉集』
 ~講談社
『NHK100分de名著ブックス万葉集』
 ~佐佐木幸綱/NHK出版
『大伴家持』
 ~藤井一二/中公新書
『古代史で楽しむ万葉集』
 ~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』
 ~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』
 ~伊藤博/KADOKAWA
『田辺聖子の万葉散歩』
 ~田辺聖子/中央公論新社
『超訳 万葉集』
 ~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』
 ~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
 ~小名木善行/徳間書店
『万葉語誌』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉秀歌』
 ~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉秀歌鑑賞』
 ~山本憲吉/飯塚書店
『万葉集講義』
 ~上野誠/中央公論新社
『万葉集と日本の夜明け』
 ~半藤一利/PHP研究所
『萬葉集に歴史を読む』
 ~森浩一/筑摩書房
『万葉集のこころ 日本語のこころ』
 ~渡部昇一/ワック
『万葉集の詩性』
 ~中西進/KADOKAWA
『万葉集評釈』
 ~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』
 ~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』
 ~品田悦一/講談社
『ものがたりとして読む万葉集』
 ~大嶽洋子/素人社
『私の万葉集(一~五)』
 ~大岡信/講談社
ほか

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