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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第12)~その2

巻第12-2961~2965

2961
現身(うつせみ)の常(つね)の辞(ことば)と思へども継(つ)ぎてし聞けば心(こころ)惑(まど)ひぬ
2962
白栲(しろたへ)の袖(そで)離(か)れて寝(ぬ)るぬばたまの今夜(こよひ)は早(はや)も明けば明けなむ
2963
白栲(しろたへ)の手本(たもと)ゆたけく人の寝(ぬ)る味寐(うまい)は寝(ね)ずや恋ひわたりなむ
2964
かくのみにありける君を衣(きぬ)にあらば下にも着むと我(あ)が思へりける
2965
橡(つるはみ)の袷(あはせ)の衣(ころも)裏にせば我れ強(し)ひめやも君が来まさぬ
 

【意味】
〈2961〉世間の通りいっぺんの言葉だとは思いますが、続けて何度も聞くと、心は乱れてしまいます。
 
〈2962〉あの子の袖から離れ、一人寝なければならないこんな夜なんか、明けるならさっさと明けてしまえばよいのに。

〈2963〉手枕を交わして人並みにくつろいで寝ることができないで、この私はずっと恋続けるのだろうか。

〈2964〉こんなに薄情な人だったのに、もしあの人が着物だったら、じかに着る肌着にしたいとさえ思っていました。

〈2965〉橡の袷の着物を裏返すような態度をとるなら、もう無理に逢ってくださいとは言いません。

【説明】
 2961~2963は「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2961の「現身の常の辞」は、世間の通りいっぺんの言葉、ありきたりな言葉。「継ぎてし」は、続けて。男が求愛してくるその言葉を、常に女に言い寄る決まり文句だとして警戒し、また冷笑もしていたのが、そうした「常の辞」でさえ繰り返し繰り返し語りかけられると、しだいに男に心が傾いていくという女心が歌われています。しかし、まだ若干の不安も残っています。

 2962の「白栲の」「ぬばたまの」は、それぞれ「袖」「今夜」の枕詞。「明けば明けなむ」は、明けてしまうなら明けてほしい。2963の「白栲の」は「手本」の枕詞。「手本」は、肘から肩にかけての部分。「ゆたけく」は、くつろいで。「味寐」は、快い共寝の意。妻が無く、独寝をしている男が、妻と共寝をしている世間の男たちの快い眠りを想像し、それと自身のさまとを比較して嘆いている歌です。

 2964~2965は「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、衣に寄せての歌。2964の「かくのみに」は、こんなに薄情な人だったのに、の意。男に失望し、自分が愚かだったと嘆いている女の歌です。2965の「橡」は、クヌギの木。どんぐりを煮た汁で衣を染めていました。「袷の衣」は、裏地のついた衣。

巻第12-2966~2970

2966
紅(くれなゐ)の薄染め衣(ころも)浅らかに相(あひ)見し人に恋(こ)ふるころかも
2967
年の経(へ)ば見つつ偲(しの)へと妹(いも)が言ひし衣(ころも)の縫目(ぬひめ)見れば悲しも
2968
橡(つるはみ)の一重(ひとへ)の衣(ころも)うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも
2969
解(と)き衣(きぬ)の思ひ乱れて恋(こ)ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし
2970
桃花(もも)染めの浅(あさ)らの衣(ころも)浅らかに思ひて妹に逢はむものかも
 

【意味】
〈2966〉紅に薄く染めた衣の色が薄いように、ほんの行きずりに見た人が、別れても恋しく思われる。
 
〈2967〉何年か経ったらこれ見て私を思い出してください、と妻が言った衣。その縫目を見ると、悲しくてたまらない。

〈2968〉橡の一重の衣に裏地がないように、あの娘の心も純真だから、よけいに恋しい。
 
〈2969〉脱ぎ捨てた着物のように、思い乱れて恋い焦がれているけれども、何のせいなのかと問いかけてくれる人もいない。

〈2970〉桃の色に染めた薄い色の衣のような、そんな薄っぺらい気持ちであなたに逢っているのではありません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、衣に寄せての歌。2966の上2句は「浅らかに」を導く序詞。「浅らかに」は、染め色が薄いことと恋心が薄いことを掛けています。2967は、妻を亡くした、あるいは妻を置いて遠隔地に赴任した男の歌でしょうか、妻が縫ってくれた衣の縫い目を見て、妻の仕草を思い出し、恋しがっています。2968の「橡」は、クヌギの木で、どんぐりを煮た汁で衣を染めた橡染めは、庶民の着物に使われました。上2句は「うらもなく」を導く序詞。「うら」は着物の裏地と「心」の意味を掛けています。2969の「解き衣の」は「思ひ乱る」の枕詞。「解き衣」は、縫い糸を解きほどいた着物。2970の「桃花染め」は、衛士など下級の役人の服色。「浅らの衣」は、色薄く染めた衣。上2句は「浅らかに」を導く序詞。「浅らかに」は、染め色が薄いことと恋心が薄いことを掛けています。

巻第12-2971~2975

2971
大君(おほきみ)の塩焼く海人(あま)の藤衣(ふぢごろも)なれはすれどもいやめづらしも
2972
赤絹(あかきぬ)の純裏(ひたうら)の衣(きぬ)長く欲(ほ)り我(あ)が思ふ君が見えぬころかも
2973
真玉(またま)つくをちこち兼(か)ねて結びつる我(わ)が下紐(したひも)の解くる日あらめや
2974
紫(むらさき)の帯(おび)の結びも解きもみずもとなや妹(いも)に恋ひわたりなむ
2975
高麗錦(こまにしき)紐(ひも)の結びも解き放(さ)けず斎(いは)ひて待てど験(しるし)なきかも
 

【意味】
〈2971〉大君がお召しになる塩を焼く海女が着ている藤衣、その衣が萎(な)れて古びているようにすっかり馴れ親しんではいるが、ますます可愛く思われる。
 
〈2972〉赤い絹の総裏の着物の裾が長いように、末長くありたいと思っているあの方が、なかなか来て下さらない頃であるよ。

〈2973〉今も将来も変わらぬ心でいようと誓って結びあった、私の下紐が解ける日があるだろうか、ありはしない。
 
〈2974〉紫染めの帯の結び目を解く機会もなく、ただわけもなくあの子に恋い焦がれ続けることになるのか。

〈2975〉高麗錦の紐の結びも解かずに、わが身を慎んでお待ちしているけれども、その甲斐がありません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、2972まで衣に寄せての歌。2971の上3句は「なれ」を導く序詞。「藤衣」は藤や葛の繊維で作った粗末な衣。「なれ」は着古す意で「馴れ」を掛けています。2972の「純裏」は、表と同じ裏を付けた衣。2973から5首は紐に寄せての歌。「真玉つく」は玉を付ける緒と続け、「を」の枕詞。「をちこち」は遠くと近く、将来と現在。「兼ねて」は、わたって。「あらめや」の「や」は反語。2974の「もとな」は、わけもなく。2975の「高麗錦」は、高麗から渡来した錦で、高級品。この歌からは、結び合った下紐を解かないことが「斎ひて待つ」こと、すなわち男の身の無事を保証し、また自分のもとへ戻るようにさせる呪術だったと知られます。

巻第12-2976~2980

2976
紫(むらさき)の我(わ)が下紐(したひも)の色に出(い)でず恋ひかも痩(や)せむ逢ふよしをなみ
2977
何ゆゑか思はずあらむ紐(ひも)の緒(を)の心に入りて恋しきものを
2978
まそ鏡(かがみ)見ませ我が背子我が形見(かたみ)持てらむ時に逢はざらめやも
2979
まそ鏡(かがみ)直目(ただめ)に君を見てばこそ命(いのち)に向(むか)ふ我(あ)が恋やまめ
2980
まそ鏡(かがみ)見飽(みあ)かぬ妹(いも)に逢はずして月の経(へ)ゆけば生けりともなし
  

【意味】
〈2976〉紫染めの私の下紐が外から見えないように、顔色には出さずに恋しているので、やせ細るばかりです。お逢いする手立てがないので。

〈2977〉どうして思わずにいられようか。紐の緒がしっかり心に食い込むように、あの人が恋しくてならないのに。

〈2978〉この鏡をいつもごらん下さい、あなた。これを私の形見だと思って持っていらっしゃるかぎり、逢えないなんてことがありましょうか。

〈2979〉鏡に向かうように、じかにあなたのお顔が見られてこそ、命がけの私の恋も鎮まることでしょう。
 
〈2980〉鏡を見るように、見ても見ても見飽きないあの子に逢わないまま月が経ってゆくので、生きている心地がしない。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、2977まで紐に寄せての歌。2976の上2句は「色に出でず」を導く序詞。2977の「紐の緒の」は「心に入る」の枕詞。2978から4首は鏡に寄せての歌。2978~2980の「まそ鏡」は、よく映る白銅製の鏡のことで、いずれも枕詞。旅の別れに鏡を贈るのは、中国から伝わった風習だといいます。2978の「形見」は、自身の身代わりとして贈る物。「持てらむ時」は、持っていたならその時。「やも」は、反語。歌の別の解釈として、形見を持っていれば共にいるのと同じだから、常に逢っていることだとするものもあります。2979の「命に向ふ」は、命に値する、命がけの。2980の「生けりともなし」は、生きているとも思われない。

巻第12-2981~2985

2981
祝部(はふり)らが斎(いは)ふ三諸(みもろ)のまそ鏡(かがみ)懸(か)けて偲ひつ逢ふ人ごとに
2982
針はあれど妹(いも)しなければ付けめやと我(わ)れを悩まし絶ゆる紐(ひも)の緒(を)
2983
高麗剣(こまつるぎ)我(わ)が心から外(よそ)のみに見つつや君を恋ひわたりなむ
2984
剣大刀(つるぎたち)名の惜しけくも我(わ)れはなしこのころの間(ま)の恋の繁(しげ)きに
2985
梓弓(あづさゆみ)末(すゑ)はし知らずしかれどもまさかは君に寄りにしものを

【意味】
〈2981〉神主たちが祭壇にかけて祀るまそ鏡、その鏡を懸けるではにが、心に懸けてあの人を偲んでいる。人と行き会うたびごとに。

〈2982〉針はあるけれど愛しい妻がいないので付けることができようか、付けられないだろうと私を困らせるように、紐の緒が切れてしまった。

〈2983〉私の心のゆえに、ただ遠目に見ているだけで、ずっとあなたを恋い続けるしかないのでしょうか。
 
〈2984〉私の名など惜しいという気持ちはない。この頃の恋が繁くあるので。

〈2985〉行く末のことはわかりません。ですが、今の私の心は、あなたにすっかり寄り添っていますのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、2981は鏡に寄せての歌。上3句は「懸けて」を導く序詞。「祝部」は、神主、神官。「三諸」は、神社や神坐。2982の「妹しなければ」の「し」は、強意。「絶ゆる」は、切れる。旅の途中に切れてしまった衣の紐を手にして、針はあっても妻が傍にいないからお前には付けられまいと困らせるこの意地悪な紐よ、と紐を擬人化して詠っています。2983の「高麗剣」は、高麗から伝来した剣で、柄頭に環が付いているところから「我(わ)」にかかる枕詞。「心」の原文「景迹」で、「こころ」ではなく行状の意の「わざ」と訓み、「おのが行(わざ)から」とするものもあります。

 2984の「剣太刀」は「名」の枕詞。「惜しけく」は「惜し」の名詞形。何らかの自身の事情から男を怒らせて、男がそれきりで遠ざかってしまっていることを嘆いています。類想の多い歌で、巻第4-616にある山口女王の「剣大刀名の惜しけくも我れはなし君に逢はずて年の経ぬれば」に倣ってのものとみえます。2985から5首は弓に寄せての歌。「梓弓」は、梓の木で作った弓で「末」の枕詞。弓の末の意。「末」は将来、「まさか」は現在。左注に、ある本に「梓弓末のたづきは知らねども心は君に寄りにしものを」という、とあります。

巻第12-2986~2990

2986
梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
2987
梓弓(あづさゆみ)引きて緩(ゆる)へぬ大夫(ますらを)や恋といふものを忍(しの)びかねてむ
2988
梓弓(あづさゆみ)末中(すゑなか)ためて淀(よど)めりし君には逢ひぬ嘆きはやまむ
2989
今さらに何をか思はむ梓弓(あづさゆみ)引きみ緩(ゆる)へみ寄りにしものを
2990
娘子(をとめ)らが績(う)み麻(を)のたたり打ち麻(そ)懸(か)けうむ時なしに恋ひわたるかも
 

【意味】
〈2986〉梓弓を引いたり緩めたりするように、よく考えてみて、私の心はすっかりあなたに寄り添っています。
 
〈2987〉梓弓を引き絞ったまま緩めない、張り詰めた心の男子たるものも、恋にかかってはこんなに耐えきれないものなのか。

〈2988〉梓弓の先から手元を、引き絞ったまま静止するように、しばらく逢えなかったあなたにやっと逢えたので、私の嘆きはおさまるでしょう。
 
〈2989〉今さら何を思い悩みましょうか。弓を引いたり緩めたりして弓の本末が寄るように、私の心はあなたに寄ってしまいましたのに。

〈2990〉娘子らが麻紡ぎをするたたりに、打った麻を懸けて糸を績むように、倦(う)む時もなく恋い続けています。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」で、2989まで弓に寄せての歌。2986の「梓弓」は、梓の木で作った弓。梓は神聖な木とされ、狩猟用の弓のほか、祭祀などにも用いられました。「引きみ緩へみ」は、引き絞ったり緩めたり。2987の「忍びかねてむ」は、耐えることができない。2988の上2句は「淀めりし」を導く序詞。「中」は、弓の握りの部分。2989の「引きみ緩へみ」は、引いてみたり緩めてみたり。2990は麻に寄せての歌。上3句は「うむ」を導く序詞。「績み麻」は、麻糸をつむぐこと。「たたり」は、台の上に柱を立てた道具で、麻をその柱に懸けて糸をつむぐもの。「打ち麻」は、打ってやわらかくした麻。

巻第12-2991~2995

2991
たらちねの母が養(か)ふ蚕(こ)の繭隠(まゆごも)りいぶせくもあるか妹(いも)に逢はずして
2992
玉たすき懸(か)けねば苦し懸けたれば継(つ)ぎて見まくの欲しき君かも
2993
紫のまだらのかづら花やかに今日(けふ)見し人に後(のち)恋ひむかも
2994
玉縵(たまかづら)懸(か)けぬ時なく恋ふれども何しか妹(いも)に逢ふ時もなき
2995
逢ふよしの出(い)でくるまでは畳薦(たたみこも)重(かさ)ね編(あ)む数(かず)夢(いめ)にし見えむ
   

【意味】
〈2991〉母親が飼っている蚕(かいこ)が繭にこもっているように、あの子を閉じ込めているから、気持ちが晴れない、あの子に逢えないので。

〈2992〉声をかけねば苦しくてたまらない。声をかけたらかけたで続けて逢いたくなるあなたです。

〈2993〉紫色にまだらに染めた縵(かずら)のように花やかに、今日見かけたあの人に、後になって恋い焦がれるだろうな。

〈2994〉心に懸けて思わない時はなく恋い焦がれているけれど、どうしてあの子に逢う時もないのだろうか。

〈2995〉逢える手がかりが出てくるまでは、畳薦を幾枚も重ねて編む数ほどに、夜の夢の中に見えてほしい。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2991の「たらちねの」は「母」の枕詞。この時代の母親の地位は高く、とくに娘の結婚に母親が口出しし、婿選びをするなど、結婚決定権は父親ではなく母親にあったようです。この歌のほかにも、母親が娘の交際相手を管理し、時には恋の障害となる歌が数多く見られます。ここでは、愛しい恋人に逢うことができない腹立たしい気持ちを、蚕が繭に籠る様子に喩えています。養蚕は古くから日本で行われており、『魏志倭人伝』にもその記述がみられます。古代中国の養蚕は皇后が務める重要な職掌とされ、日本でも女性が担っていました。そのため『万葉集』でも、蚕を飼うのは母となっています。

 2992の「玉たすき」は「懸く」の枕詞。2996の「白香つく」は「木綿」の枕詞。あなたの言葉は「真枝(まさか)」のように立派で美しいといっています。2993の上2句は「花やかに」を導く序詞。「かづら」は、蔓性植物で作った髪飾りとされます。2994の「玉縵」の「玉」は美称で、「懸く」の枕詞。「懸く」は、心に懸ける。2995の「畳薦」は、畳に編むまこもの類。「夢にし」の「し」は強意の助詞。

巻第12-2996~3000

2996
白香(しらか)つく木綿(ゆふ)は花もの言(こと)こそはいつのまさかも常(つね)忘らえね
2997
石上(いそのかみ)布留(ふる)の高橋(たかはし)高々に妹が待つらむ夜ぞ更けにける
2998
港入りの葦(あし)別(わ)け小舟(をぶね)障(さは)り多み今来む我れを淀むと思ふな
2999
水を多み上田(あげた)に種蒔き稗(ひえ)を多み選(え)らえし業(わざ)ぞ我がひとり寝(ぬ)る
3000
魂(たま)合へば相寝(あひぬ)るものを小山田(をやまだ)の鹿猪田(ししだ)守(も)るごと母し守(も)らすも [一云 母が守らしし]
 

【意味】
〈2996〉白い木綿の実は美しくもはかないもの。あの人の美しい言葉こそは、いつどんな時も忘れられません。

〈2997〉愛しい人が住む、あの石上の布留川にかかった高い橋ではないが、高々と、愛しい人が待ち焦がれているだろう、ああ夜が更けてきた。

〈2998〉湊へ入る葦わけ小舟に故障が起こることが多いように、差し障りが多くて、今そちらへ行こうとする私の行くのが遅れても、途絶えるなどと思わないでください。

〈2999〉水が多いので高い所にある田に稲の種をまき、稗が多いのでそれを選り分ける仕事をしている。そのようにして抜き取られた稗のように、私も独り寝をしている。
 
〈3000〉心さえ通えば共に寝られるのに、まるで鹿や猪から大切な田を守るように、あの子の母親が見張りをしておいでだ。[一云 母親が見張りをしておいでだった]

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。2997の「石上」は、いまの奈良県天理市の石上神社のあたりから西の一帯。「布留」は、石上神社周辺の布町。2998の「葦別け小舟」は、海岸に生えている葦を分けて入っていく小舟。「障り多み」は「葦別け小舟」に掛けると同時に次の句にも掛けています。通っていくのが途絶えがちになるのは種々の差し障りがあるためで、決して愛情は変らないと言い訳?しています。

 2999は、一人で農耕生活に励む男の歌。上3句は「選らえし」を導く序詞。3000は、娘の母親の反対で逢うことができないことを嘆く男の歌。男が女のもとに通う「通い婚」にあっては、実際に逢う(=性交渉を持つ)許可を下す決定権の多くは、女の母親が握っていました。3001の上2句は「外に見る」を導く序詞。「春日野」は、平城京の東の丘陵地。春日山の西麓一帯で、現在の奈良公園がある地。

巻第12-3001~3005

3001
春日野(かすがの)に照れる夕日の外(よそ)のみに君を相(あひ)見て今ぞ悔(くや)しき
3002
あしひきの山より出(い)づる月待つと人には言ひて妹(いも)待つ我(わ)れを
3003
夕月夜(ゆふづくよ)暁闇(あかときやみ)のおほほしく見し人ゆゑに恋ひわたるかも
3004
ひさかたの天(あま)つみ空に照れる日の失(う)せなむ日こそ吾(わ)が恋止まめ
3005
十五日(もちのひ)に出でにし月の高々(たかだか)に君をいませて何をか思はむ
  

【意味】
〈3001〉春日野に照っている夕日を見るように、自分に関係ないとばかり思って見ていたのが、今になって悔やまれる。

〈3002〉山から出てくる月を待っていると人には告げながら、実はあの子を待っている私であるよ。

〈3003〉夕月の夜の、明け方の闇のように、ほのかに見かけたお人であるのに、恋い続けていることだ。

〈3004〉空高く照る月がこの世から無くなってしまう日が来るならば、私の恋も止むだろうけど。
 
〈3005〉十五夜の月を待っていたように、高々と爪先立ってお待ちしていたあなたがいらっしゃって、もう何も思い残すことはありません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3001の上2句は「外のみに」を導く序詞。「春日野」は奈良市の東方、春日山西麓の一帯。「外のみに」は、自分には関係ないとばかり思って。3002の「あしひきの」は「山」の枕詞。3003の「夕月夜」は、太陰暦の月の前半、夕方に月が出る頃は、明け方が闇になるところから「暁闇」にかかる枕詞。「おほほしく」は、ほのかに、おぼろげに。3004の「ひさかたの」は「天」の枕詞。月が消える日などあり得ないことから、何があっても私の思いは決して止むことはない、という意味。3005の上2句は「高々に」を導く序詞。

巻第12-3006~3010

3006
月夜(つくよ)よみ門(かど)に出で立ち足占(あしうら)して行く時さへや妹(いも)に逢はずあらむ
3007
ぬばたまの夜(よ)渡(わた)る月のさやけくはよく見てましを君が姿を
3008
あしひきの山を木高(こだか)み夕月(ゆふづき)をいつかと君を待つが苦しさ
3009
橡(つるはみ)の衣(きぬ)解(と)き洗ひ真土山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほしかずけり
3010
佐保川(さほがは)の川波(かはなみ)立たず静けくも君にたぐひて明日さへもがも
  

【意味】
〈3006〉よい月夜なので門口に出て足占いをして、あなたに逢えると出たから来たのに、やはり逢えないのでしょうか。

〈3007〉夜空を渡っていく月が清らかに照っていれば、心ゆくまで見ることができただろうに、あの人のお姿を。

〈3008〉山の木々が高いので、いつになったら夕月が見られるだろうかと待つように、あなたを待っている心の苦しさよ。

〈3009〉橡の衣を解いて洗ってまた打つという、真土山の名のような本つ人には、やはり及ばないことであった。

〈3010〉佐保川に波が立たず静かなように、私もあなたにそっと寄り添っていたい、明日の日も。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3005の上2句は「高々に」を導く序詞。3006の「足占」は、一歩一歩吉凶の言葉を交互に唱えながら進み、目標に達したときの言葉によって判断した占い。3007の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。3008の上3句は「いつかと待つ」を導く序詞。

 3009の上2句は「真土」を導く序詞。上3句は「本つ人」を導く序詞。「橡の衣」は、どんぐりの実を染料として染めた庶民の衣服。「本つ人」は、古くから関係していた女、古女房のことで、やはりどの女も及ばなかったと言っています。3010の上2句は「静けく」を導く序詞。「佐保川」は、奈良市・大和郡山市を流れる川。

巻第12-3011~3015

3011
我妹子(わぎもこ)に衣(ころも)春日(かすが)の宜寸川(よしきがは)よしもあらぬか妹(いも)が目を見む
3012
との曇(ぐも)り雨(あめ)布留川(ふるかは)のさざれ波(なみ)間(ま)なくも君は思ほゆるかも
3013
我妹子(わぎもこ)や我(あ)を忘らすな石上(いそのかみ)袖布留川(そでふるかは)の絶えむと思へや
3014
三輪山(みわやま)の山下(やました)響(とよ)み行く水の水脈(みを)し絶えずは後も我が妻
3015
雷(かみ)のごと聞こゆる滝(たき)の白波の面(おも)知る君が見えぬこのころ
  

【意味】
〈3011〉愛しい人に着物を貸すではないが、その春日の吉城川で、愛しい人の顔を見る由がないだろうか。

〈3012〉一面にかき曇って雨が降る、その布留川のさざ波のように、絶え間なくあなたのことを思っています。

〈3013〉私のいとしい妻よ、私を忘れないでくれ。石上の、袖を振るという布留川の水のように、私の思いが絶えることなどあろうか。

〈3014〉三輪山の山すそを響かせて流れる水、その水が絶えないかぎり、私はあの女をやがては妻とする。

〈3015〉まるで雷に聞こえる滝の白波のように、お顔をはっきりと知るあなたは、いっこうに姿を見せない、このごろは。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3011の上2句は「春日」を導く序詞。上3句は「よし」を導く序詞。「宜寸川」は、春日山に発し佐保川に合流する吉城川。3012の「との曇り雨」は「布留川」を導く序詞。上3句は「間なくも」を導く序詞。「布留川」は天理市布留町付近を流れ、大和川に合流する川。3013の「石上袖布留川の」は「絶えむと思へや」を導く序詞。「布留」と「振る」を掛けています。

 3014について、大和盆地の中に住んでいた万葉人は、周囲を囲む山々を「青垣山(あおがきやま)」と称しています。青い垣根となっている山々という意味で、都に生活している人々は、それらの山々を「緑の垣根」ととらえていたようです。この青垣山の東の山が三輪山であり、山そのものを御神体とし、大和の土地神の眠る山でもありました。「水脈」は水の流れる筋。3015の上3句は「面知る」を導く序詞。

巻第12-3016~3020

3016
山川(やまがは)の滝(たき)にまされる恋すとぞ人知りにける間(ま)なくし思へば
3017
あしひきの山川水(やまがはみづ)の音(おと)に出(い)でず人の子ゆゑに恋ひわたるかも
3018
高湍(たかせ)なる能登瀬(のとせ)の川の後も逢はむ妹(いも)には我(わ)れは今にあらずとも
3019
洗ひ衣(ぎぬ)取替川(とりかひがは)の川淀(かはよど)の淀(よど)まむ心思ひかねつも
3020
斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池のよろしくも君を言はねば思ひぞ我がする
  

【意味】
〈3016〉山川を流れ下る滝にもまさる激しい恋をしていたら、人が知ってしまった。絶え間なく思っているので。

〈3017〉山を下る川の水は音高く流れているが、あの子は人妻であるので、ひっそりと恋い続けている。
 
〈3018〉愛しいお前に、今は逢えないが、今ではなくても、巨勢の能登瀬川で後に逢おう。

〈3019〉洗った衣に取り替えて着るという名の取替川の淀みのように、淀んだ心を持つことなど思いも得られないことだよ。

〈3020〉斑鳩(いかるが)の因可(よるか)の池の名前のように「よろしい人、好ましい人だ」と誰もあなたのことを言わないので、私は気をもんでいます。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3017の「あしひきの」は「山」の枕詞。3018の上2句は「後」を導く序詞。「高湍」「能登瀬の川」は所在未詳。3019の「取替川」は所在未詳。3020の「斑鳩」は、奈良県生駒郡の南部。「因可の池」は所在未詳ながら、法隆寺の一般公開されていない境内の一角に、昔から「因可の池」と語り継がれてきた場所があるといいます。

巻第12-3021~3025

3021
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
3022
ゆくへなみ隠(こも)れる小沼(をぬ)の下思(したもひ)に我(わ)れぞ物思(ものも)ふこのころの間(あひだ)
3023
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出(い)でぬ人の知るべく
3024
妹(いも)が目を見まく堀江(ほりえ)のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ
3025
石走(いはばし)る垂水(たる)の水のはしきやし君に恋ふらく我(わ)が心から
 

【意味】
〈3021〉隠り沼のように心の奥底で密かに恋い焦がれていよう。はっきりと人に知られてしまうような、深い嘆息などつくものか。

〈3022〉水の行く先がなくてひっそりと隠っている小沼のように、心密かに私は恋に沈んでいる。このごろずっと。
 
〈3023〉隠り沼のように心密かに恋い焦がれていたが、白い波のようにはっきりと顔に出てしまった。世間の人が知ってしまうほどに。

〈3024〉妻に逢いたいと欲り願う、その堀江に立つさざ波のように、しきりに恋い続けていると伝えてくれよ。

〈3025〉岩の上を走る滝の水のように、愛しいあなたを恋い焦がれています、心から。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3021の「隠る沼の」は「下」の枕詞。「下ゆ」は心の奥底から。「いちしろく」は、はっきりと。「やも」は反語。3022の上2句は「下思」を導く序詞。「行くへなみ」は、行き先がないので。3023の「白波の」は「いちしろく」の枕詞。3024の「見まく」までは「堀江」を、上3句は「しきて」を導く序詞。「しきて」は、たび重なって。3025の上2句は「はしきやし」を導く序詞。「垂水」は滝。「はしきやし」は、ああ愛しい。

巻第12-3026~3030

3026
君は来(こ)ず我(わ)れは故(ゆゑ)なみ立つ波のしくしくわびしかくて来(こ)じとや
3027
近江(あふみ)の海(うみ)辺(へた)は人知る沖つ波(なみ)君をおきては知る人もなし
3028
大海(おほうみ)の底を深めて結びてし妹(いも)が心はうたがひもなし
3029
佐太(さだ)の浦に寄する白波(しらなみ)間(あひだ)なく思ふを何か妹(いも)に逢ひかたき
3030
思ひ出(い)でてすべなき時は天雲(あまくも)の奥処(おくか)も知らず恋ひつつぞ居(を)る
 

【意味】
〈3026〉あなたは来てくださらない。私には思い当たる節がなく、立つ波のように、しきりにわびしい思いでいます。もういらっしゃらないというのでしょうか。

〈3027〉近江の海の岸辺の波のことは誰でも知っています。けれども、沖の波の方は、あなた以外に知る人はいません。
 
〈3028〉大海の底のように、深く結ばれたあの子の心には、何の疑いも持っていない。

〈3029〉佐太の浦に寄せてくる白波のように、これほど絶え間なく思い続けているのに、どうしてあの子に逢えないのだろう。

〈3030〉妻のことを思い出してどうしようもない時は、天雲のように、果てがどこか分からないように恋い続けている。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3026の「故なみ」は、理由が分からず。「立つ波の」は「しくしく」の枕詞。「しくしく」は、しきりに。3027の「近江の海」は、琵琶湖。「辺」は、自分の表面の譬え、「沖つ波」は、自分の深い心の譬え。「君をおきては」は、あなた以外には。3029の「佐太の浦」は、所在未詳。上2句は「間なく」を導く序詞。3030の「天雲の」は「奥処も知らず」の枕詞。「奥処も知らず」は、果ても知らず。

巻第12-3031~3034

3031
天雲(あまぐも)のたゆたひやすき心あらば我(わ)れをな頼(たの)めそ待たば苦しも
3032
君があたり見つつも居(を)らむ生駒山(いこまやま)雲なたなびき雨は降るとも
3033
なかなかに何か知りけむ我が山に燃ゆる煙(けぶり)の外(よそ)に見ましを
3034
吾妹子(わぎもこ)に恋ひすべ無がり胸を熱み朝戸(あさと)開くれば見ゆる霧(きり)かも
  

【意味】
〈3031〉漂う雲のように揺れ動く心でいるなら、私に気を持たせるようなことはしないで下さい。待っているのは辛いから。

〈3032〉愛しい人が住んでいるのはあの辺りだと眺めていよう。どうか雨が降っても、あの生駒山に雲は懸かからないでほしい。

〈3033〉なまじっか、何で私はあの人と知り合ってしまったのでしょうか。地元の山焼きの煙なら遠くから見ているだけでよかったのに。

〈3034〉愛しいあの子が恋しくてどうしようもなく胸が熱いので、苦しさのまま朝の戸を開けると、ああ、辺り一面に霧が立ち込めている。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3031の「天雲の」は「たゆたふ」の枕詞。3032の「生駒山」は、奈良県生駒市と大阪府東大阪市との県境にある標高642mの山で、生駒山地の主峰。3033の「なかなかに」は、なまじっか。3034の「すべ無がり」は、どうしようもない。「胸を熱み」は、胸が熱いので。

巻第12-3035~3038

3035
暁(あかとき)の朝霧隠(あさぎりごも)りかへらばに何しか恋の色に出(い)でにける
3036
思ひ出(い)づる時はすべなみ佐保山(さほやま)に立つ雨霧(あまぎり)の消(け)ぬべく思ほゆ
3037
殺目山(きりめやま)行きかふ道の朝霞(あさがすみ)ほのかにだにや妹(いも)に逢はざらむ
3038
かく恋ひむものと知りせば夕(ゆふへ)置きて朝(あした)は消(け)ぬる露(つゆ)ならましを
 

【意味】
〈3035〉明け方の朝霧に隠れるように、ひそかに恋をしていたのに、なぜか、かえって逆に私の恋心が表に出てしまった。

〈3036〉思い出すとどうしようもなく、佐保山に立つ雨霧が消えてゆくように、この身も消えて死にそうな思いになる。
 
〈3037〉殺目山を往き来する道にかかる朝霞のように、ほのかにでもあの子に逢えないだろうか。

〈3038〉こんなに恋い焦がれるものと知っていたら、いっそのこと、夕方には降りて朝方には消えてしまう露であればよかったのに。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3035の「かへらばに」は逆に、かえって。「何しか」は、どうして~か。3036の「すべなみ」は、どうしようもないので。「佐保山に立つ雨霧の」は「消ぬ」を導く序詞。「佐保山」は、奈良市北部の丘陵。3037の「殺目山」は、和歌山県印南町の山。上3句は「ほのかに」を導く序詞。3038の「せば~まし」は反実仮想。もし~ならば~だっただろうに。

巻第12-3039~3042

3039
夕(ゆふへ)置きて朝は消(け)ぬる白露(しらつゆ)の消(け)ぬべき恋も我(あ)れはするかも
3040
後(のち)つひに妹(いも)に逢はむと朝露の命は生(い)けり恋は繁(しげ)けど
3041
朝(あさ)な朝(さ)な草の上(うえ)白く置く露の消(け)なば共にと言ひし君はも
3042
朝日さす春日(かすが)の小野に置く露の消(け)ぬべき我(あ)が身惜しけくもなし
  

【意味】
〈3039〉夕べに置いて翌朝は消えてしまう白露のように、はかなく消えてしまいそうな恋を、私はしていることです。

〈3040〉ゆくゆくはあの子に逢えると信じて、朝露のようにはかない命だが今も私は生きている。逢えない苦しさはつのるけれど。
 
〈3041〉朝が来るたびに、白々と草の上に置く露がはかなく消えて行くように「死ぬなら一緒に死のう」と言ったあなたでしたのに。

〈3042〉朝日が差し込む春日の野に降りていた露が消えるように、今にも消え入りそうな我が身、もう惜しいことはありません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3040の「朝露の」は「命」にかかる枕詞。3041の上3句は「消なば」を導く序詞。3042の上3句は「消ぬ」を導く序詞。「春日の小野(春日野)」は、平城京の東の春日山西麓一帯で、現在の奈良公園がある地。

巻第12-3043~3047

3043
露霜(つゆしも)の消(け)やすき我(あ)が身(み)老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
3044
君待つと庭のみ居(を)ればうち靡(なび)く我(わ)が黒髪に霜ぞ置きにける
3045
朝霜(あさしも)の消(け)ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息(いき)の緒(を)にして
3046
ささ波の波越す安蹔(あざ)に降る小雨(こさめ)間(あひだ)も置きて我(わ)が思はなくに
3047
神(かむ)さびて巌(いはほ)に生(お)ふる松が根の君が心は忘れかねつも
 

【意味】
〈3043〉露や霜のように消えやすいわが身ですが、たとえ年老いてもまた若返り、あなたのおいでをお待ちしようと思います。

〈3044〉あなたをおいでを待って庭にばかり出ていると、私の黒髪に霜が降りてしまいました。
 
〈3045〉朝霜が消え入るように、今にも死にそうなほどにずっと思い続けるのだろうか、命の限りを。

〈3046〉さざ波が越えてくる安蹔に降っている小雨のように、間を置いて私はあなたを思っているわけではないのに。

〈3047〉神々しく巌の上に生える松の根のような、しっかりしたあなたの心は忘れようにも忘れられません。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3043の「露霜」は「消やすき」の枕詞。3044の「うち靡く」は「黒髪」の枕詞。3045の「朝霜の」は「消ぬべく」の枕詞。「時なし」は時の区別なしに、絶え間ない。「息の緒」は、命。3046の「ささ波」は、琵琶湖西南岸の地名、あるいは枕詞と解する説も。「安蹔」は語義未詳、地名か。上3句は「間も置きて」を導く序詞。

巻第12-3048~3052

3048
み狩(か)りする雁羽(かりは)の小野の櫟柴(ならしば)のなれはまさらず恋こそまされ
3049
桜麻(さくらを)の麻生(をふ)の下草(したくさ)早く生(お)ひば妹(いも)が下紐(したびも)解かずあらましを
3050
春日野(かすがの)に浅茅(あさぢ)標結(しめゆ)ひ絶(た)えめやと我(あ)が思ふ人はいや遠長(とほなが)に
3051
あしひきの山菅(やますげ)の根のねもころに我(あ)れはぞ恋(こ)ふる君が姿を
3052
かきつはた佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる菅(すが)の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ
 

【意味】
〈3048〉狩りをなさる雁羽のならの雑木ではありませんが、あなたと馴れ親しむことは少なくて、恋しさが募るばかりです。

〈3049〉桜麻の麻原の下草が早く生えるように、私がもっと早く生まれていたら、あなたの下紐を解かずにすんだであろうに。
 
〈3050〉春日野で、浅茅に標を張ってずっと自分のものとするように、仲が絶えるものかと私が思い定めたあの人は、いつまでも変わらずにいてほしい。

〈3051〉山菅の長い根のように、ねんごろに私は恋い焦がれています、あなたのお姿を。

〈3052〉佐紀沼に生えている菅の根が、引けば切れるように、私と絶えてしまおうと思っているのか、あの人がお見えにならない今日このごろよ。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3048の「み狩りする」は、天皇が狩りをなさる。「雁羽の小野」は所在未詳。3049の「桜麻」は、麻の一種ながら詳細不明。「麻生」は麻の生えているところ。上2句は「早く生ひ」を導く序詞。「早く生ひば」は、早く生まれたならば。

 3050の上2句は「絶えめや」を導く序詞。3051の「あしひきの」は「山菅」の枕詞。上2句は「ねもころに」を導く序詞。「ねもころに」は、心の底から思うの意。古代には菅や葛といった植物が、みそぎに関係があったのか、人々の生活に相当深い関係を持っていたようです。

 3052の上3句は「絶ゆ」を導く序詞。「かきつはた」は「佐紀沼」の枕詞。「佐紀沼」については、『日本書紀』には、同じ読み方をする「狭城池」をつくったという話が出てきます。平城京の北の外れにある水上池(みずがみいけ)だとする説もあります。

巻第12-3053~3056

3053
あしひきの山菅(やますげ)の根のねもころに止(や)まず思はば妹(いも)に逢はむかも
3054
相(あひ)思はずあるものをかも菅(すが)の根のねもころごろに我(あ)が思へるらむ
3055
山菅(やますげ)のやまずて君を思へかも我(あ)が心どのこの頃はなき
3056
妹(いも)が門(かど)行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解(と)くなまたかへり見む
  

【意味】
〈3053〉山菅の長い根のように、ねんごろに心をこめていつまでも思い続けていたなら、あの子に逢えるだろうかな。

〈3054〉両想いをしているのではないのに、私の方は山菅の根のようにねんごろに思っています。

〈3055〉山菅の根のように、ねんごろにやむこともなくあなたに恋い焦がれているせいか、この頃は正気の心もありません。

〈3056〉愛しい妻の家の門を行き過ぎかねて、せめてもと草を結んでおく。風よ、吹いて解かないでくれ、また戻って見ようから。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3053の「あしひきの」は「山」の枕詞。「ねもころに」は、心を込めて。3054の「菅の根の」は「ね」の枕詞。「ねもころごろに」は、「ねもころに」の強調で、心を尽くして。3055の「山菅の」は、同音で「やまず」に掛かる枕詞。「心ど」は、しっかりした心。3056の「草結ぶ」は、事の成就を祈る呪的行為。しばらく逢えなくなるであろう妻の家を出て、去り難い気持ちから、ひそかに行ったことのようです。

巻第12-3056~3060

3057
浅茅原(あさぢはら)茅生(ちふ)に足踏み心ぐみ我(あ)が思ふ児(こ)らが家のあたり見つ [一云 妹が家のあたり見つ]
3058
うちひさす宮にはあれど月草(つきくさ)のうつろふ心(こころ)我(わ)が思はなくに
3059

百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草(つきくさ)のうつろふ心 我(わ)れ持ためやも
3060
忘れ草(ぐさ)我(わ)が紐(ひも)に付く時となく思ひわたれば生けりともなし
  

【意味】
〈3057〉浅茅原のチガヤに足を強く踏み入れて傷ついたように、心が傷つきながらも、いとしく思う子の住んでいる家のあたりをじっと見たことだ。

〈3058〉華やかな宮仕えをしていますが、色のさめやすい露草のような移り気な心を、私は持っておりません。

〈3059〉あれこれと人は噂をまき散らしますが、露草のように移り気な心など、決して持つものですか。

〈3060〉忘れ草を私の紐につけておく。いつも恋をしていると生きている気もしないので、思う人を忘れるために。

【説明】
 「寄物陳思(物に寄せて思いを述べた歌)」。3057の上2句は「心ぐみ」を導く序詞。「茅生」は、チガヤの生えているところ。「心ぐみ」は、心が晴れないので、の意。3058の「うちひさす」「月草の」は、それぞれ「宮」「うつろふ」の枕詞。「月草」は露草(ツユクサ)の古名。露草で染めた布はすぐに色褪せるため、移ろう恋心に例えられました。この歌は、宮中に女官として仕えている女が、夫に対して貞節を誓っているものです。多くの男性がいる宮中に女官が立ち混じっていると、色々と男女の問題が生じていたようです。

 3059も、妻である女が、その夫に貞節を誓っています。この時代の夫婦は別居していましたから、夫のいる女とは知らずに、言い寄ってくる男は少なくなかったとみえます。「百に千に」は、あれこれと、なんだかんだと。3060の「忘れ草」は、中国原産のヤブカンゾウのことで、初夏から夏にかけて濃いオレンジ色の花を咲かせます。身に着けていると、恋の悩みを忘れられるものとして伝えられました。「忘れ草」をうたった歌は、奈良朝の時代に多く見られます。

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作者未詳歌

『万葉集』に収められている歌の半数弱は作者未詳歌で、未詳と明記してあるもの、未詳とも書かれず歌のみ載っているものが2100首余りに及び、とくに多いのが巻7・巻10~14です。なぜこれほど多数の作者未詳歌が必要だったかについて、奈良時代の人々が歌を作るときの参考にする資料としたとする説があります。そのため類歌が多いのだといいます。
 
7世紀半ばに宮廷社会に誕生した和歌は、7世紀末に藤原京、8世紀初頭の平城京と、大規模な都が造営され、さらに国家機構が整備されるのに伴って、中・下級官人たちの間に広まっていきました。「作者未詳歌」といわれている作者名を欠く歌は、その大半がそうした階層の人たちの歌とみることができ、東歌と防人歌を除いて方言の歌がほとんどないことから、機内圏のものであることがわかります。

枕詞あれこれ

あかねさす
「日」「昼」に掛かる枕詞。「赤く輝く」もの、」すなわち太陽を意味する。また、茜(あかね)色に近い「紫」の枕詞にも転用されている。

秋津島/蜻蛉島(あきづしま)
「大和」にかかる枕詞。「秋津島」は、日本の本州の古代の呼称で、『古事記』には「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、『日本書紀』には「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。また「蜻蛉島」は、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。

朝露の
「消」に掛かる枕詞。朝露は消えやすいところから。

あしひきの
「山」に掛かる枕詞。語義未詳ながら、足を引きずってあえぎながら登る意、山すそを稜線が長く引く意など諸説がある。

あぢむらの
「あぢむら」は、アジガモ(味鴨)。アジガモが群がって騒ぐことから、「騒く」にかかる枕詞。

梓弓(あづさゆみ)
梓弓は、梓の丸木で作られた弓。弓を射る動作から「はる」「ひく」「いる」などに掛かる。また弓に付いている弦(つる)から同音の地名「敦賀」に、弓の部分の名から「末」などにも掛かる。
 
天伝ふ
「日」に掛かる枕詞。「天(大空)を伝い渡っていく」もの、すなわち太陽を意味し、「日」の修飾ではなく、同格の関係にある。「天知るや」「高照らす」「高光る」なども同様。

天飛ぶや
「鳥」「鴨」に掛かる枕詞。空高く飛ぶことから。また、「雁」を転用して「軽(かる」にも掛かる。

あらたまの
「年」に掛かる枕詞。語義未詳で、一説に年月が改まる意からとも。ほかに「月」「春」「枕」などに掛かる。

あをによし
「奈良」に掛かる枕詞。奈良坂の付近で青丹(あおに)を産したところから。青は寺院や講堂などの、窓のようになっている部分の青い色、丹は建物の柱などの、朱色のこと。

鯨(いさな)取り
「海」に掛かる枕詞。鯨(いさな=クジラ)のような巨大な獲物がとれる所として海を賛美する語。ほかに「浜」にも掛かる。

石上(いそのかみ)
「石上」は、今の奈良県天理市石上付近で、ここに布留(ふる)の地が属して「石の上布留」と並べて呼ばれたことから、布留と同音の「古(ふ)る」「降る」などに掛かる枕詞。

うちなびく
「春」に掛かる枕詞。春は草木が打ち靡く季節であるから。

打ち日さす
「宮」「都」に掛かる枕詞。日の光が輝く意から。

うつそみの
「人」「世」に掛かる枕詞。語源は「現(うつ)し臣(おみ)」で、この世の人、現世の人の意。「臣」は「君」に対する語で、神に従う存在をいう。ウツシオミがウツソミと縮まり、さらにウツセミに転じた。

味酒(うまさけ)
「三輪」に掛かる枕詞。うまさけ(味酒:味のよい上等な酒)を神酒(みわ)として神に捧げることから、同音の地名「三輪」に掛かる。また、三輪山のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにも掛かる。

押し照る
地名の「難波」にかかる枕詞。上町台地からながめた大阪湾が夕陽で一面に光り輝く様をあらわす。かつては上町台地が大阪湾に面する海岸だった。

沖つ藻(も)の
「靡く」に掛かる枕詞。海藻は波に靡くところから。

各巻の概要

【巻第一】
 雄略天皇の時代から寧楽(なら)の宮の時代までの歌。雑歌のみで、万葉集形成の原核となったものが中心。天皇の御代の順に従って配列されている。
 
【巻第二】
 仁徳天皇の時代から元正天皇の時代までの相聞・挽歌。巻第一と揃いの巻と考えられ、巻第一と同様に部立てごとに天皇の御代に従って歌が配列されている。このため勅撰ではないかとする説もある。
 
【巻第三】
 巻第四とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。拾遺の歌と天平の歌を収め、雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。
 
【巻第四】
 巻第三とともに、巻一・ニを継ぐ意図で構成されている。天平以前の古い歌をまず掲げ、次いで天平の歌を配列している。私的な歌である相聞歌のみで、天平に入ってからは大伴氏関係の歌が中心となっている。
 
【巻第五】
 巻第六とともに主に天平の歌を収める雑歌集。とくに大伴旅人と山上憶良の、九州の大宰府在任時代の作を中心として集めた特異な巻になっている。
 
【巻第六】
 巻第五とともに主に天平の歌を収める雑歌集。巻第五が大伴旅人と山上憶良の大宰府在任時代の作を中心として集めた巻であるのに対し、巻第六は奈良宮廷をおもな舞台として詠まれた歌が中心となっている。
 
【巻第七】
 雑歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の三つの部立となっている。おおむね持統朝から聖武朝ごろの歌ながら、柿本人麻呂歌集や古歌集から収録した歌を含んでいるため、作者名や作歌事情等が不明なものが多くなっている。
 
【巻第八】
 四季に分類された雑歌と相聞歌。舒明朝~天平十六年までの歌で、作者群は巻第四とほぼ同じ。
 
【巻第九】
 おもに『柿本人麻呂歌集』、『高橋虫麻呂歌集』や『古歌集』などから収録され、雄略天皇の時代から天平年間までのもの。雑歌・相聞歌・挽歌の三部立て。
 
【巻第十】
 巻第八と同様の構成、すなわち、四季に分類した歌をそれぞれ雑歌と相聞に分けている。作者や作歌年代は不明で、もとは民謡だったと思われる歌や柿本人麻呂歌集から採られた歌もある。
 
【巻第十一】
 『万葉集』目録に「古今相聞往来歌類の上」とあり、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集や古歌集から採られた歌が多く、もとは民謡だったと思われる歌が大部分で、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十ニ】
 「古今相聞往来歌類の下」の巻で、巻第十二と姉妹編をなしている。柿本人麻呂歌集から採られた歌も多く、民謡的色彩が強く、作者・作歌年代も不明。
 
【巻第十三】
 作者および作歌年代の不明な長歌と反歌を集めたもので、部立は雑歌・相聞・問答歌・譬喩歌(ひゆか)・挽歌の五つからなっている。
 
【巻第十四】
 主として東国諸国で詠まれた作者不明の歌を集めている。国名の明らかなものと不明なものに大別し、更にそれぞれを部立ごとに分類しているが、整然とは統一されていない。
 
【巻第十五】
 物語性を帯びた二つの歌群からなる。前半は遣新羅使らの歌、後半は中臣宅守と狭野弟上娘子との相聞贈答の歌が収められている。天平八年から十二年ごろまでの作歌。
 
【巻第十六】
 巻第十五までの分類に収めきれなかった歌を集めた付録的な巻。伝説的な歌やこっけいな歌などを集めている。
 
【巻第十七~二十】
 巻第十七~二十は、大伴家持の歌日誌というべきもので、家持の歌を中心に、その他の関係ある歌もあわせて収めている。巻第十七には、天平2年から20年までの歌を、巻第十八には天平20年から天平勝宝2年まで、巻第十九には天平勝宝2年から5年まで、巻第二十には同5年から天平宝字3年までの歌を収めている。
 とくに巻第二十には防人歌を多く載せており、これは、家持の手元に集められてきたものを家持が記録し、取捨選択したものと考えられている。

古典文法

係助詞
助詞の一種で、いろいろな語に付いて強調や疑問などの意を添え、下の術語の働きに影響を与える(係り結び)。「は・も」の場合は、文節の末尾の活用形は変化しない。
〔例〕か・こそ・ぞ・なむ・や

格助詞
助詞の一種で、体言やそれに準じる語に付いて、その語とほかの語の関係を示す。
〔例〕が・に・にて・の

間投助詞
助詞の一種で、文中や文末の文節に付いて調子を整えたり、余情や強調などの意味を添える。
〔例〕や・を

接続助詞
助詞の一種で、用言や助動詞に付いて前後の語句の意味上の関係を表す。
〔例〕して・つつ・に・ば・ものから

終助詞
助詞の一種で、文末に付いて、疑問・詠嘆・願望などを表す。
〔例〕かし・かな・な・なむ・ばや・もがな

副助詞
助詞の一種で、さまざまな語に付いて、下の語の意味を限定する。
〔例〕さへ・し・だに・

助動詞
用言や体言に付いて、打消しや推量などのいろいろな意味を示す。

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