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万葉集の歌【目次】万葉集古典に親しむ

作者未詳歌(巻第13)~その2

巻第13-3274~3275

3274
為(せ)むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床(いはとこ)の 根延(ねば)へる門(かど)を 朝(あした)には 出(い)で居(ゐ)て嘆き 夕(ゆふへ)には 入り居て偲(しの)ひ 白たへの 我(わ)が衣手(ころもで)を 折り返し ひとりし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪(くろかみ)敷きて 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝(ね)ずて 大船(おほぶね)の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我(わ)が寝(ぬ)る夜(よ)らを 数(よ)みもあへむかも
3275
ひとり寝(ぬ)る夜(よ)を数へむと思へども恋の繁(しげ)きに心どもなし
  

【意味】
〈3274〉どうしてよいのか、取っ掛かりも分からず、岩のごつごつした道なのに、どっしりした岩床のような門口なのに、朝にはその道に佇んで嘆き、夕方には門の中に籠って偲び、着物の袖を折り返してひとり寝るばかりで、折り返した袖に黒髪を敷いて人様のように楽しく共寝をすることもなく、ゆらゆら揺れる大船のように、あれやこれやと思いつつ独り寝る夜は、とても数え切れるものでない。

〈3275〉独り寝の夜を数えようと思うけれど、恋の苦しさに、とてもそんな気になれない。

【説明】
 長く続く独り寝を嘆く女の歌。以下3299までの11組が群となっています。3274の「すべのたづき」は、頼るべき手段。「岩が根」は、大きな岩。「こごしき」は、ごつごつして険しい。「岩床」は、岩の平らな面。「白たへの」「ぬばたまの」「大船の」は、それぞれ「衣」「黒髪」「ゆくらゆくら」の枕詞。「味寐」は、共寝をし心が満たされて寝ること。「数みもあへむかも」は、数えあげることができるだろうか、できない。「かも」は、反語。
 
 反歌の3275は、長歌の結句「数みもあへむかも」を受けて、さらに強めて繰り返しています。「心ど」は、気力、心の張り。

巻第13-3276~3277

3276
百(もも)足らず 山田(やまだ)の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し妻(づま)と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手(ころもで)の 帰りも知らず 馬(うま)じもの 立ちてつまづき 為(せ)むすべの たづきを知らに もののふの 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂(たま)合はば 君来ますやと 我(わ)が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 立ち留(と)まり 何かと問はば 答へやる たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我(わ)れを
3277
寐(い)も寝ずに我(あ)が思(おも)ふ君はいづく辺(へ)に今夜(こよひ)誰(たれ)とか待てど来(き)まさぬ
  

【意味】
〈3276〉山田の道を、いとしい妻とろくに睦み合いもせず、別れてはるばるやってきたので、早瀬のようにさっさと行く手も分からず、といって翻る袖のように帰るわけにもいかず、馬の躓くように立ちすくんだまま、どうしてよいか分からない。千々に乱れる思いが天地を漂うばかりに広がって・・・。(ここまで男性の心情)
 そのようにして二人の魂が通じ合えば、あの人はやって来るかと深い溜息をつき、道をやって来る人が立ち止まって、どうしたのかと問われたら、どう答えていいか分からず、さりとてあの人の名を口にしたら、思いが顔に出て人に知れてしまう。山から出る月を待ってるとその人には答えて、あなたをお待ちしている私です。(後半は女性の心情)。

〈3277〉寝るに寝られずに私が思い続けているあの人は、いったいどのあたりで、今夜は誰かと逢っているだろう。いくら待ってもいらっしゃらない。

【説明】
 3276の前半は旅立つ男の心情が歌われ、後半は男を待つ女の心情が歌われています。しかし、夫が旅に出て、妻は夫の妻問いを待つというのはやや整合性に欠けるため、別々の歌をつなぎ合せたものであるとか、酒席で演ぜられた歌劇の歌詞だったのではないかともいわれています。「百足らず」「波雲の」「早川の」「衣手の」「もののふの」「玉鉾の」「さ丹つらふ」「あしひきの」はいずれも枕詞。「山田の道」は、奈良県明日香村飛鳥から桜井市山田を経て桜井市阿部へ行く道。「八尺の嘆き」は、長い溜息。「色に出でて」は、思いがそぶりに表れて。3277は女性の歌です。

巻第13-3278~3279

3278
赤駒(あかごま)を 廏(うまや)に立て 黒駒(くろこま)を 廏に立てて それを飼ひ 我(わ)が行くごとく 思ひ妻(づま) 心に乗りて 高山(たかやま)の 峰(みね)のたをりに 射目(いめ)立てて 鹿猪(しし)待つごとく 床(とこ)敷(し)きて 我(あ)が待つ君を 犬(いぬ)な吠(ほ)えそね
3279
葦垣(あしかき)の末(すゑ)かき別(わ)けて君 越(こ)ゆと人にな告(つ)げそ事(こと)はたな知れ
  

【意味】
〈3278〉赤駒を厩に立たせ、黒駒を厩に立たせ、それを世話して、私が乗って行くかのように、いとしい妻が心に乗りかかってくる。(ここまで男性の心情)。高山の嶺のくぼみに射目をたてかけて獲物を待ち伏せするように、床を敷いてあの人を待っているのですから、犬よ吠えないでおくれ(後半は女性の心情)。

〈3279〉葦垣をかきわけてあの人が乗り越えていらっしゃるのだから、人に気づかれないように、事情を察してよく聞き分けて(吠えないで)おくれ。

【説明】
 3278の前半は夫の心情が歌われ、後半は妻の心情が歌われています。狩場での歌劇の歌詞として唱和されたのではないかとされます。3278の「思ひ妻」は、愛する妻。「たをり」は、くぼんでいる所。「射目」は、獲物を射るために身を隠す道具。「犬な吠えそね」の「な~そね」は、禁止の願望。3279の「末」は、先端。「な告げそ」の「な~そ」は、禁止。「たな知る」は、十分に知る。

巻第13-3280~3283

3280
我(わ)が背子(せこ)は 待てど来まさず 天(あま)の原 振り放(さ)け見れば ぬばたまの 夜(よ)も更(ふ)けにけり さ夜(よ)ふけて あらしの吹けば 立ち待てる 我(わ)が衣手(ころもで)に 降る雪は 凍(こほ)りわたりぬ 今さらに 君(きみ)来(き)まさめや さな葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 慰(なぐさ)むる 心を持ちて ま袖(そで)もち 床(とこ)うち掃(はら)ひ 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あめ)の足(た)り夜(よ)を
3281
我(わ)が背子(せこ)は 待てど来まさず 雁(かり)が音(ね)も 響(とよ)みて寒し ぬばたまの 夜(よ)も更(ふ)けにけり さ夜(よ)更(ふ)くと あらしの吹けば 立ち待つに 我(わ)が衣手(ころもで)に 置く霜(しも)も 氷(ひ)にさえ渡り 降る雪も 凍(こほ)り渡りぬ 今さらに 君(きみ)来(き)まさめや さな葛(かづら) 後(のち)も逢はむと 大船(おほふね)の 思ひ頼めど 現(うつつ)には 君には逢はず 夢(いめ)にだに 逢ふと見えこそ 天(あめ)の足(た)り夜(よ)に
3282
衣手(ころもで)にあらしの吹きて寒き夜(よ)を君来まさずはひとりかも寝む
3283
今さらに恋ふとも君に逢はめやも寝(ぬ)る夜(よ)をおちず夢(いめ)に見えこそ
 

【意味】
〈3280〉あの方は待っていても来て下さらない。空を振り仰ぐと夜も更けてしまった。こうして一夜が更けて嵐が吹くので、外で立って待っている私の着物の袖に、降る雪も凍てついてきた。今となってはもうあの人は来て下さるはずはあるまい。またいつか後には逢えるだろうと自分の心を慰めて、両袖で床の塵を掃っては、現実にはあの方には逢えないものの、せめて今夜の夢の中に出てきてほしいと願う。こんなによい夜なのだから。

〈3281〉あの方は待っていても来てくださらない。雁の鳴き声が響いてきて寒い。夜も更けてきた。こうして一夜が更けて嵐が吹くので、外でて立って待っている私の着物の袖に、置く霜も氷のように冷えきり、降る雪も凍てついてきた。今となってはもうあの人は来て下さるはずはあるまい。またいつか後には逢えるだろうと大船に乗った気持で自分の心を落ち着かせたけれど、現実にはあの方には逢えないでしょう。せめて今夜の夢の中に出てきてほしいと願う。こんなによい夜なのだから。

〈3282〉着物の袖に嵐が吹きこんで寒い夜なのに、あの方が来て下さらないのなら、独りっきりで寝ようか。

〈3283〉今さら恋い焦がれたところで、あの方に逢えるはずがない。せめて毎夜欠かさず夢に見えてほしい。

【説明】
 夫との関係が絶えてしまった女が、その夫を恋うている歌。現実には逢えなくても、せめて夢にだけでも逢いに来てほしいと訴えています。3281は、3280の「或る本の歌に曰く」とある歌。3280の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「さな葛」は、サネカズラで、別名ビナンカズラ。ビナンは「美男」のことで、昔はこの植物から採れる粘液を男性の整髪料として利用していました。蔓が別れてもまた逢う意で「逢ふ」にかかる枕詞となっています。「ま袖」は両袖。「見えこそ」の「こそ」は、願望。「天の足り夜」は、充実した夜。3282の「かも」は、疑問。3283の「逢はめやも」の「や」は反語で、逢えない意。「おちず」は、もらさず、残らず。

巻第13-3284~3285

3284
菅(すが)の根の ねもころごろに 我(あ)が思(おも)へる 妹(いも)によりては 言(こと)の忌(い)みも なくありこそと 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ 天地(あめつち)の 神をぞ我(わ)が祈(の)む いたもすべなみ
3285
たらちねの母にも言はず包(つつ)めりし心はよしゑ君がまにまに
 

【意味】
〈3284〉極めてねんごろに私が思っているあの子のことでは、何を言っても言葉の禍(わざわい)など起きないでほしいと、斎瓮を浄め、地を掘って据え付け、竹玉を隙間なく貫き通し、天地の神々に私はお祈りをする。ただ恋しくてどうしようもなく辛いので。

〈3285〉母にも言わず、包み隠してきたこの心は、もうどうなろうともあなたの意のままです。

【説明】
 男と関係を結んで間もない女の歌。3284の左注に「今考えると、『妹によりては』と言うべきではない。正しくは『君により』と言うべきだ。なぜなら、反歌に『君がまにまに』と言っているから」との説明があり、作者は女だと言っています。ただ、反歌はもともと独立した歌であり、あとから添えたものかもしれません。
 
 3284の「菅の根の」は「ねもころごろに」の枕詞。「ねもころごろ」は、極めて懇ろに。「言の忌み」は、言葉による禍で、人が悪いことを言葉にすると、言霊によって忌むべきことが起こる意。「なくありこそ」の「こそ」は、願望の助詞。「斎瓮」は、神に供える酒を入れる器。「掘り据ゑ」は、器の下が尖っており、土を掘って据えたことを言っています。「斎ふ」は、祈って禁忌を守る。「竹玉」は、細い竹を輪切りにして紐に通したもの。「いたもすべなみ」は、どうしようもなく辛いので。3285の「たらちねの」は「母」の枕詞。「包めりし心」は、秘密にしてきた心。「よしゑ」は、どうなろうとも。「まにまに」は、ままに。

巻第13-3286~3287

3286
玉たすき 懸(か)けぬ時なく 我(あ)が思(おも)へる 君によりては 倭文幣(しつぬさ)を 手に取り持ちて 竹玉(たかたま)を しじに貫(ぬ)き垂(た)れ 天地(あめつち)の 神をそ我(あ)が祈(の)む いたもすべなみ
3287
天地(あめつち)の神を祈(いの)りて我(あ)が恋ふる君い必ず逢はずあらめやも
 

【意味】
〈3286〉玉たすきを懸けるように、心に懸けぬ時なく私が思っているあなたのため、倭文織りの幣を手に捧げ持ち、竹玉を隙間なく貫き通し、天地の神々に私はお祈りをする。ただ恋しくてどうしようもなく辛いので。

〈3287〉天地の神々にお祈りしたのだから、恋しいあなたに逢えないことがあろうか、必ず逢えるだろう。

【説明】
 3284の「或る本の歌に曰はく」とある歌。夫と疎遠になっている妻が、お祈りをしている歌。3286の「玉たすき」は「懸け」の枕詞。「倭文」は、日本古来の織物の一つで、縞に織った布。「幣」は、神に祈る時に捧げるもの。ここでは木綿に代えての高貴な幣だとみられます。「しじに」は数多く、ぎっしり。「いたもすべなみ」は、どうしようもなく辛いので。3287の「君い必ず」の「い」は、語勢を強める間投助詞。「やも」は、反語。

巻第13-3288

大船(おほふね)の 思ひ頼みて さな葛(かづら) いや遠長(とほなが)く 我(あ)が思(おも)へる 君によりては 言(こと)の故(ゆゑ)も なくありこそと 木綿(ゆふ)たすき 肩に取り懸(か)け 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 天地(あめつち)の 神にそ我(あ)が乞(こ)ふ いたもすべなみ

【意味】
 大船のように頼みに思い、さな葛の蔓のように、仲がますます長く続いてほしいと思っているあなたには、言葉の禍(わざわい)など起きないでほしいと、木綿たすきを肩に懸け、斎瓮を浄め、地を掘って据え付け、天地の神々に私はお祈りをする。ただ恋しくてどうしようもなく辛いので。

【説明】
 3284の「或る本の歌に曰はく」とある歌。妻が、夫のためにお祈りをしている歌。「大船の」「さな葛」は、それぞれ「思ひ頼みて」「いや遠長く」の枕詞。「言の故」は、言葉による禍。「斎瓮」は、神に供える酒を入れる器。「掘り据ゑ」は、器の下が尖っており、土を掘って据えたことを言っています。「斎ふ」は、祈って禁忌を守る。「いたもすべなみ」は、どうしようもなく辛いので。なお、3286と3288で「手に取り持ち」と「肩に取り懸け」と「取り」が共通していますが、神事に関わる動作には「取り」を冠することによって、特殊な動作であることを示しています。

巻第13-3289~3290

3289
み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 行くへなみ 我(わ)がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐寝(いね)そと 母聞こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(わ)れは忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
3290
いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常(つね)忘らえず
 

【意味】
〈3289〉お佩きになる剣の名の剣の池の、蓮の葉の上に宿っている雫のように、行き場がなくて途方に暮れている時に、必ず夫婦になろうと、思いを遂げているあなたなのに、共寝をするなと母はおっしゃる。けれども、私の心は清隅の池の底のように深く思って、忘れはしない、直接あなたにお逢いするまでは。

〈3290〉古の神代から、あなたとは夫婦としてお逢いしていたのだろう。今の今も、いつも心にかかって忘れられない。

【説明】
 母親から、男に逢うのを妨げられている女の嘆きをうたった歌。3289の「み佩かしを」は「剣」の枕詞。「剣の池」は、橿原市石川町の池。「行くへなみ我がする時に」は、行き場がなくて途方に暮れている時に。「な寐寝そ」の「な~そ」は禁止。「聞こす」は、言うの尊敬語。「我が心」は「清隅(所在未詳)」の枕詞。3290の「けらし」は、過去推量。
 
 3289について窪田空穂は、母親から男に逢うのを妨げられて嘆く女の歌は多いものの、いずれも短歌であり表現も粗野であるのに、この歌は長歌であり、表現技巧が甚だ高度で、反歌とあわせて読むと、飛鳥朝末期から奈良朝にかけての貴族で、教養高く、文芸にすぐれた人の作と思われる、と述べています。

巻第13-3291~3292

3291
み吉野の 真木(まき)立つ山に 青く生(お)ふる 山菅(やますが)の根の ねもころに 我(あ)が思(おも)ふ君は 大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに〈或る本に云ふ、大君の命(みこと)恐(かしこ)み〉 鄙離(ひなざか)る 国 治(をさ)めにと〈或る本に云ふ、天離(あまざか)る 鄙(ひな)治(をさ)めにと〉 群鳥(むらとり)の 朝立(あさだ)ち去(い)なば 後(おく)れたる 我(あ)れか恋ひむな 旅なれば 君か偲(しの)はむ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らず〈或る書に、あしひきの 山の木末(こぬれ)にの句あり〉 延(は)ふ蔦(つた)の 行きの〈或る本には、行きのの句なし〉 別れのあまた 惜しきものかも
3292
うつせみの命を長くありこそと留(と)まれる我(わ)れは斎(いは)ひて待たむ
  

【意味】
〈3291〉み吉野の立派な木々が立つ山に青々と生える山菅の根のように、ねんごろに私がお慕いしているあなたは、今、天皇のご命令のままに(天皇の仰せを恐れ謹んで)、都を遠く離れた国を治めるため(遠く離れた田舎の地を治めるため)、群鳥のように朝早く出発してしまわれた。後に残された私は、どんなに恋い焦がれることでしょう。旅先のあなたも私を偲んでくれるでしょうか。言いようもなく、なすすべも知りません(或書には「あしひきの山の梢に」の句がある)。這いまわる蔦が延びて行き(或本には行きの句がない)別れるように、お別れするのがひどく惜しまれてなりません。

〈3292〉この世の命が長く無事であって欲しいと念じ、後に残された私はひたすら精進してお祈りしながらお待ちします。

【説明】
 地方官として赴任するため、朝、出立する夫を見送る歌。3291の上4句は「ねもころに」を導く序詞。「真木」は、良質の木材となる杉や檜。「山菅」は、竜のひげ。「任けのまにまに」は、任命に従いの意。「群鳥の」は「朝立ち去ぬ」の枕詞。「あしひきの」は「山」の枕詞。「延ふ蔦の」は「行きの別れ」の枕詞。「あまた」は、甚だしく。3292の「うつせみの」は「命」の枕詞。「長くありこそ」の「こそ」は希望の終助詞。「斎ひて」は、禁忌を守って祈ること。
 
 なお、「うつせみの命」の解釈を、旅に出る夫の命とするか、家に残る妻自身の命とするかで分かれています。夫の無事を妻が祈るのは当然ともいえますが、そうした場合に「命」という言葉を露わに使うのは憚られるため、ここは妻の命のことを言っていると考えられます。「命」は、原則的に自らの生命を言う言葉だったのです。

巻第13-3293~3294

3293
み吉野の 御金(みかね)の岳(たけ)に 間(ま)なくそ 雨は降るといふ 時(とき)じくそ 雪は降るといふ その雨の 間(ま)なきがごとく その雪の 時じきがごと 間(ま)も落ちず 我(あ)れはそ恋ふる 妹(いも)が正香(ただか)に
3294
み雪降る吉野の岳(たけ)に居(ゐ)る雲の外(よそ)に見し子に恋ひわたるかも
  

【意味】
〈3293〉み吉野の御金の岳に絶え間なく雨は降るという、 時を定めず雪は降るという。その雨が絶え間ないように、その雪が時を定めないように、いささかの間を置くこともなく、私は恋続けるだろう、いとしいあの子の姿に。

〈3294〉雪が降りしきる吉野の岳にかかっている雲のように、よそながら見たあの子に。私はひたすら恋い焦がれ続けている。

【説明】
 外ながら見ている娘への恋心をうたった歌。3293の「御金の岳」は、吉野町の金峰山(きんぷせん)で、山頂近くに金峰神社があります。間断なく雨や雪に接していることが聖なる山とされ、後には山林修行の聖地とされました。「時じく」は、時を定めず、時節に関係なく。「落ちず」は、残らず、もらさず。「正香」は、それしかないそのものから漂い出る霊力、じかに感じられる雰囲気。3294の上3句は「外に見し」を導く序詞。
 
 なお、3293は、壬申の乱を前にした大海人皇子(天武天皇)が、吉野入りをした時の苦難の道行きをうたったとされる歌(巻第1-25)によく似ています。

巻第13-3295~3296

3295
うちひさつ 三宅(みやけ)の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫(ぬ)き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通(かよ)はすも我子(あご) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結(ゆ)ひ垂(た)れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(おぐし)を 押(おさ)へ刺す うらぐはし子 それそ我(わ)が妻
3296
父母(ちちはは)に知らせぬ子ゆゑ三宅道(みやけぢ)の夏野の草をなづみ来るかも
  

【意味】
〈3295〉三宅の原を、裸足で地面を踏み抜きながら、夏草を腰にからませて悩みながら、いったいどこのどなたの娘のために通って行くのか、わが息子。なるほどいかにもお母さんはご存じあるまい、なるほどいかにもそのお父さんはご存じあるまい。蜷の腸のような黒い髪に、木綿の緒でアザサの花を結わえて垂らし、大和の黄楊の櫛を挿している、とてもきれいで素敵な娘、その娘が私の相手なのだ。

〈3296〉父や母にはうち明けられないあの娘のために 草深い三宅の夏野を苦労してここまでやって来たのだ。

【説明】
 娘の両親には認められない男女関係だったのでしょうか。長歌の前半は父母が問い、後半は息子が答える問答の形式になっています。「うちひさす」は「三宅」の枕詞。「三宅の原」は、奈良県の磯城郡三宅町あたり。「直土」は、地べた。「なづみ」は、難渋する。「通はす」は「通ふ」の敬語。「うべな」は、なるほど、いかにも。「蜷の腸」は「か黒き」の枕詞。「あざさ」は、リンドウ科の多年生水草。「うらぐはし」は、美しくすばらしい。通常は風景や自然の美しさをいうときに用いられ、「子」の形容に使うのは異例とされます。

巻第13-3297~3298

3297
玉たすき 懸(か)けぬ時なく 我(あ)が思ふ 妹(いも)にし逢はねば あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜(よる)はすがらに 寐(い)も寝ずに 妹(いも)に恋ふるに 生けるすべなし
3298
よしゑやし死なむよ我妹(わぎも)生けりともかくのみこそ我(わ)が恋ひわたりなめ
 

【意味】
〈3297〉心に懸けぬ時なく私が思い続けているあの子に逢えなくて、昼は終日、夜は夜通し眠れないまま恋い焦がれているものだから、生き続ける張りもない。

〈3298〉いっそ死のうか、わが妻よ。生きていても、こんなふうに私は恋い焦がれ続けるだけだろうから。

【説明】
 3297の「玉たすき」「あかねさす」は、それぞれ「懸く」「昼」の枕詞。「しみらに」は、終日。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「すがらに」は、途切れることなくずっと。「生けるすべなし」は、生き続ける張りもない。3298の「よしゑやし」は、ままよ、ええいもう。

巻第13-3299~3300

3299
見渡しに 妹(いも)らは立たし この方(かた)に 我(わ)れは立ちて 思ふ空 安(やす)けなくに 嘆く空 安けなくに さ丹塗(にぬ)りの 小舟(をぶね)もがも 玉巻きの 小楫(をかぢ)もがも 漕(こ)ぎ渡りつつも 相(あひ)言ふ妻を
3300
おしてる 難波(なには)の崎に 引きのぼる 赤(あけ)のそほ舟 そほ船に 綱(つな)取り懸(か)け 引(ひ)こづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみ得ずぞ 言はれにし我(あ)が身
 

【意味】
〈3299〉岸の向こう側にあなたが立ち、こちらの岸に私は立って、思う心はもどかしく、嘆く心は安くない。丹塗りの小舟がほしい、玉巻きの梶がほしい、漕いで渡って語り合える妻であるのに。

〈3300〉難波の崎に向かって曳き上る朱塗りの舟よ、その舟に綱を懸けて無理に強く引っ張るように、あれやこれやと逆らって否み続けたが、あれやこれやと言い訳をして否み続けたが、逆らいきれずにとうとう相手に言われてしまった、私は。

【説明】
 3299は、彦星の心を詠んだ七夕歌。「見渡しに」は、やや遠く見る所。ここでは川の向こう岸。「妹ら」の「ら」は、接尾語。「立たし」は、立つの尊敬語で、女性に対しての慣用となっているもの。「思ふ空」は、恋い慕う気持ち。「さ丹塗りの」は、赤く塗った。「さ」は接頭語。「もがも」は願望。「小楫」の「小」は、接頭語。「相言ふ」は、語り合う。なお、左注に、或る本の歌の頭句には「こもりくの 泊瀬の川の をち方に 妹らは立たし この方に 我は立ちて」という、とあります。
 
 3300は、気の進まない相手からの執拗な求婚に根負けして、身を任せてしまった女の嘆きの歌。「おしてる」は「難波」の枕詞。「難波の崎」は、大阪市上町台地の北端。「おしてる~綱取り懸け」は「引こづらひ」を導く序詞。「引こづらふ」は、無理に強く引く。「そほ舟」は、赤土で赤く塗った舟。「ありみなす」は、否み続ける。「言はれにし」は、噂を立てられてしまった、との解釈もあります。

巻第13-3301

神風(かむかぜ)の 伊勢の海の 朝なぎに 来寄(きよ)る深海松(ふかみる) 夕なぎに 来寄る俣海松(またみる) 深海松(ふかみる)の 深めし我(わ)れを 俣海松(またみる)の また行き帰り 妻と言はじとかも 思ほせる君 

【意味】
 神風が吹く伊勢の海の、朝なぎに岸に寄ってくる深海松(ふかみる)、夕なぎに岸に寄ってくる俣海松(またみる)、その深海松のように深く恋い焦がれてきたのに、俣海松のようにまた戻ってきて、私を妻と呼ぼうとは思っていないのですか、あなたは。

【説明】
 男から絶縁された女が復縁を訴えている歌。「神風の」は「伊勢」の枕詞。「深海松」は、海中深く生えている海藻のミル。「俣海松」は、その茎が股のように分かれているところからの異称。「行き帰り」は、行って戻ってくる意。

巻第13-3302

紀伊(き)の国の 牟婁(むろ)の江(え)の辺(へ)に 千年(ちとせ)に 障ることなく 万代(よろづよ)に かくしもあらむと 大船(おおふね)の 思ひ頼みて 出立(いでたち)の 清き渚(なぎさ)に 朝なぎに 来寄る深海松(ふかみる) 夕なぎに 来寄る縄海苔(なはのり) 深海松の 深めし児(こ)らを 縄海苔の 引けば絶(た)ゆとや 里人(さとびと)の 行きの集(つど)ひに 泣く子なす 靫(ゆき)取り探(さぐ)り 梓弓(あづさゆみ) 弓腹(ゆばら) 振り起こし しのぎ羽(は)を 二つ手挟(たばさ)み 放ちけむ 人し悔(くや)しも 恋ふらく思へば

【意味】
 紀の国の牟婁の入江のあたりに、千年にもわたって何の差し障りもなく、万代にもわたってこのままあるだろうと、大船に乗ったような思いで出で立とうとする、清らかな渚に、朝なぎに寄ってくる深海松(ふかみる)、夕なぎに寄ってくる縄海苔(なはのり)。その深海松のように深く思ってきたあの子なのに、その縄海苔のように引けば切れる仲だと思ってか、里人が行き交うところであの子を見つけ、梓弓の弓腹を立てて、しのぎ羽の矢を二つ手挟んで放つようにあの子を引き離した人が憎い。こんな切ない気持ちになると思えば。

【説明】
 関係のあった女を奪われてしまった男の怒りの歌。「牟婁の江」は、和歌山県の田辺湾。「大船の」は「頼み」の枕詞。「深海松」は、海中深く生えている海藻のミル。「縄海苔」は、縄のように細長い海藻。「深海松の」は「深めし」の枕詞。「縄海苔の」は「引けば絶ゆ」の枕詞。「泣く子なす」は「探り」の枕詞。「靫」は、矢を入れる器。「弓腹」は、弓の中央部。「しのぎ羽」は、語義未詳。「梓弓~二つ手挟み」は「放ち」を導く序詞。

巻第13-3303~3304

3303
里人(さとびと)の 我(あ)れに告(つ)ぐらく 汝(な)が恋ふる 愛(うるは)し夫(づま)は 黄葉(もみちば)の 散りまがひたる 神奈備(かむなび)の この山辺(やまへ)から[或る本に云く、その山辺] ぬばたまの 黒馬(くろま)に乗りて 川の瀬を 七瀬(ななせ)渡りて うらぶれて 夫(つま)は逢ひきと 人そ告げつる
3304
聞かずして黙(もだ)もあらましを何(なに)しかも君が直香(ただか)を人の告げつる
 

【意味】
〈3303〉里人が私にこう告げてくれた。あなたが恋うている愛する夫は、黄葉が散り乱れる、神奈備の山裾を通って、黒馬に乗り、川の瀬を幾度も渡り、しょんぼりとした姿で出逢ったと、その人は私に言った。

〈3304〉聞かせないで黙っていてほしかった。どうしてあの人の様子を、里人は知らせたのだろう。

【説明】
 この歌を挽歌とみるものもありますが、編集者はそうは認めず、相聞の中に加えています。3303の「神奈備」は、神が降りる山や森。「ぬばたまの」は「黒」の枕詞。「七瀬」は、多くの瀬。「うらぶれて」は、しょんぼりと。3304の「黙」は、黙っていること。「直香」は、ようす。

 窪田空穂は、この歌を挽歌と見るとすべて自然に感じられるとして、「上代の夫妻は別居して暮らしたのと、その間を秘密にしていたなどの関係から、そのいずれかが死んだ場合にも、ただちに通知しなかったことは、挽歌に多く見えていることで、この歌もそれである。また、死者を生者のごとくいっているのは、死者を怖れる心から尊んですることであって、これも特別のことではない」と言っています。

巻第13-3305~3306

3305
物思(ものも)はず 道行く行くも 青山を 振りさけ見れば つつじ花(はな) にほへ娘子(をとめ) 桜花(さくらばな) 栄(さか)へ娘子(をとめ) 汝(な)れをそも 我(わ)れに寄すといふ 我(わ)れをもそ 汝(な)れに寄すといふ 荒山(あらやま)も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝(な)が心ゆめ
3306
いかにして恋やむものぞ天地(あめつち)の神を祈れど我(あ)れや思ひ増す
 

【意味】
〈3305〉物思いもせずに道をずんずん歩いてゆき、青々と茂る山を振り仰いでみると、そこに咲くツツジの花のように色美しい乙女よ、桜の花のように輝いている乙女よ。そんな君を、世間では私といい仲だと言っているそうだ。こんな私が君といい仲だと噂しているそうだ。荒山だって、人が引き寄せれば寄せられるものだという。決して油断してはいけないよ。

〈3306〉どのようにしたらこの恋心がやむのだろう。天地の神に祈っているけれど、私の思いは増すばかりだ。

【説明】
 男が、幼馴染の女に求婚する歌。3305の「青山」は、青々と木々が茂った山。「にほへ」は、色美しい、美しく輝く。「にほふ」のもとの意味は、鉄分を含む丹土が高熱で焼かれて鮮やかな朱色に変身すること。転じて女性の美しさや自然、色などを賛美する慣用句となりました。「荒山」は、人けのない寂しい山。恋人がいないことの譬え。「人し寄すれば」は、人が引き寄せれば。「し」は強意。「寄そる」は、寄せられる。「ゆめ」は、決して。3306の「いかにして」は、どのようにしたら。

巻第13-3307~3308

3307
しかれこそ 年の八年(やとせ)を 切り髪(かみ)の よち子を過ぎ 橘(たちばな)の ほつ枝(え)を過ぎて この川の 下(した)にも長く 汝(な)が心待て
3308
天地(あめつち)の神をも我(わ)れは祈りてき恋といふものはかつてやまずけり
 

【意味】
〈3307〉だからこそ、私は八年もの間、おかっぱ髪の少女時代を過ごし、橘が上枝よりも背が伸びた今まで、じっとあなたの心が動くのを待っていますのに。

〈3308〉天地の神々にもあなたのことを忘れられるようにとお祈りしました。でも恋というものは決して止みはしませんでした。

【説明】
 上の幼馴染の男からの求婚に答えた歌。3307の「しかれこそ」は、だからこそ。「切り髪の」は「よち子」の枕詞。「切り髪」は、肩のあたりで切り揃える髪型。「よち子」は、同い年の意ですが、ここでは少女時代の意とされます。「ほつ枝」は、木の上の方にある枝。「この川の」は「下」の枕詞。「下」は、心の底。「汝が心待て」の「待て」は、起首の「こそ」の結び。あなたの心が動くのを待っていますのに。3308は、男からの歌の3306を受けています。「かつて」は、全く。

巻第13-3310~3311

3310
こもくりの 泊瀬(はつせ)の国に さよばひに 我(わ)が来(き)たれば たな曇(ぐも)り 雪は降り来(く) さ曇(ぐも)り 雨は降り来(く) 野(の)つ鳥(とり) 雉(きぎし)は響(とよ)む 家(いへ)つ鳥 鶏(かけ)も鳴く さ夜(よ)は明け この夜(よ)は明けぬ 入りてかつ寝(ね)む この戸 開(ひら)かせ
3311
こもりくの泊瀬小国(はつせをぐに)に妻(つま)しあれば石は踏めどもなほし来(き)にけり
  

【意味】
〈3310〉この泊瀬の国に妻を求めてやってきたところ、空が一面にかき曇り、雪が降ってきて、おまけに雨も降ってきた。野の鳥の雉は鳴き騒ぐし、家鳥のニワトリもけたたましく鳴き立てる。夜は白み始め、とうとうこの夜はすっかり明けてきた。だけど、中に入って寝たいものだ、さあ、この戸を開けて下さい。

〈3311〉泊瀬の国に妻にしたい女性がいるので、石を踏む険しい道であるが、それでも私はやって来た。

【説明】
 3310の「こもりくの」「野つ鳥」「家つ鳥」は、それぞれ「泊瀬」「雉」「鶏」の枕詞。「さよばひ」は、求婚すること。「たな曇り」は、空一面に雲って。3311の「泊瀬小国」の「小国」は、山間の小さな生活圏のこと。泊瀬は聖地とされたため、国と呼ばれました。「なほし」は、やはり。

巻第13-3312~3313

3312
こもくりの 泊瀬小国(はつせをぐに)に よばひせす 我(わ)が天皇(すめろき)よ 奥床(おくとこ)に 母は寝(い)ねたり 外床(とどこ)に 父は寝(い)ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜(よ)は明け行きぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠(こも)り妻(づま)かも
3313
川の瀬の石(いし)踏(ふ)み渡りぬばたまの黒馬(くろま)来る夜(よ)は常(つね)にあらぬかも
  

【意味】
〈3312〉この泊瀬の国に妻問いをされる我が君よ。奥の寝床には母が寝ていて、入口近くの寝床には父が寝ています。起き出せば母が気づくでしょうし、部屋から出て行けば父が気づくでしょう。ためらううちに夜は明けてきました。ああ、こんなにも思うにまかせぬ隠れ妻の身です。
 
〈3313〉川の瀬の石を踏み渡り、あなたが黒馬の背にまたがっておいでになる夜が毎晩であってほしい。

【説明】
 両親に内緒で天皇を通わせている女の歌。天皇までもが隠し妻の許に夜這いしていたというのは驚きますが、それほどに当時の天皇は自由気ままに行動できたのでしょうか。いったいどの天皇のことでしょうか。ひょっとして雄略天皇? これについて日本古典文学全集の『萬葉集』には、「特定の天皇をさすのではない」とあり、さらに「この歌は天皇を主人公とする伝承歌だったのであろう」とあります。
 
 3312の「こもりくの」「ぬばたまの」は、それぞれ「泊瀬」「夜」の枕詞。「隠り妻」は、通ってくる夫があるのを隠している妻。3313の「黒馬」は、夜間に人目につきにくい馬なので、妻問いに利用されたといいます。

 

巻第13-3314~3317

3314
つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 人夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば 見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見(かたみ)と 我(わ)が持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買へわが背(せ)
3315
泉川(いづみがは)渡り瀬(ぜ)深みわが背子(せこ)が旅行き衣(ごろも)ひづちなむかも
3316
ある本の反歌に曰く
まそ鏡持てれど我(わ)れは験(しるし)なし君が徒歩(かち)よりなづみ行く見れば
3317
馬買はば妹(いも)徒歩(かち)ならむよしゑやし石は踏むとも我(わ)はふたり二人行かむ
 

【意味】
〈3314〉峰を越えて山背へ行く道を、よその夫は馬で行くのに、わが夫はとぼとぼと歩いていくので、それを見るにつけ、泣けてきて、そのことを思うと心が痛みます。母の形見に私が持っている立派な鏡と蜻蛉領巾(あきずひれ)を一緒に持って行って、馬を買ってください、あなた。
 
〈3315〉泉川の渡り瀬は深いので、あなたの旅装の着物がびしょ濡れになってしまうのではないでしょうか。
 
〈3316〉立派な鏡を持ってはいますが、私には何の甲斐もありません。あなたが徒歩で難儀しながらいらっしゃるのを見ると。
 
〈3317〉私が馬を買ったなら、お前はどこへ行くにも徒歩になるではないか。かまわない、石を踏んで難儀しようとも、二人で歩いて行こう。

【説明】
 3314~3316が妻の歌、3317が夫が答えた歌。よその夫たちはみな馬に乗って旅立つのに、自分の夫だけは徒歩で行く。そんな夫を妻が案じ、自分が大切に持っている母の形見の鏡や領巾(ひれ)を売って、どうぞ馬を買ってくださいと言っています。夫はそんな思いつめた妻に対し、二人で行く旅を思い描きつつ、「もし馬を買ったら、お前だけが徒歩になるじゃないか」と、機知とユーモアをもって答えています。優しい妻と大らかな夫との、夫婦愛溢れる歌のやり取りです。

 3314の「つぎねふ」は「山背」の枕詞。「山背」は、京都府南部の旧国名。「馬より」は、馬によって。「たらちねの」は「母」の枕詞。「まそみ鏡」は「まそ鏡」ともいい、よく映る立派な鏡のこと。「蜻蛉領巾」は、トンボの羽のように透き通った薄い領巾(ひれ)のことで、両肩に後ろから掛けて前に垂らして身につけていた布帛(ふはく) 。「負ひ並め持ちて」は、一緒に持って行って。3315の「泉川」は、今の木津川。「渡り瀬深み」は、渡る瀬が深いので。「ひづつ」は、びしょ濡れになる意。3316の「験なし」は、甲斐がない。3317の「よしゑやし」は、たとえ。

 ただし、3314~3315は、夫の旅立ちを見送る妻の立場からの歌であるのに対し、3316の夫の歌では、妻も山城道を同道することになっており矛盾が生じているとの指摘があります。これについて窪田空穂は、妻の長歌に感動した別人が、夫に代わって答歌を詠んだもので、妻の歌を曲解して、妻も同行したことと思って詠んだのだろうと言っています。しかしそうではなく、上述の解釈ように、夫が二人で行く旅を敢えて思い描いて詠んだものとすれば、それほどの不自然さはなくなるように感じられますが、如何でしょう。また、ここの歌は一組の夫婦の独詠というよりは、むしろ、村々での集まりのようなとき、やんやの喝采をもって謡われる民謡ではなかったかとの見方もあるようです。

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主要歌人の生年

593年 舒明天皇
614年 藤原鎌足
626年 天智天皇
630年 額田王
631年 天武天皇
640年 有馬皇子
645年 持統天皇
654年 高市皇子
660年 山上憶良
660年 元明天皇
661年 大伯皇女
662年 柿本人麻呂
663年 大津皇子
665年 大伴旅人
668年 志貴皇子
673年 弓削皇子
676年 舎人皇子
680年 元正天皇
681年 藤原房前
683年 文武天皇
684年 長屋王
684年 橘諸兄
694年 藤原宇合
700年 山部赤人
700年 大伴坂上郎女
701年 聖武天皇
701年 光明皇后
706年 藤原仲麻呂
715年 笠金村
715年 藤原広嗣
718年 大伴家持
718年 孝謙天皇
721年 橘奈良麻呂


(藤原宇合)

万葉の植物

ウツギ
花が「卯の花」と呼ばれるウツギは、日本と中国に分布するアジサイ科の落葉低木です。 花が旧暦の4月「卯月」に咲くのでその名が付いたと言われる一方、卯の花が咲く季節だから旧暦の4月を卯月と言うようになったとする説もあり、どちらが本当か分かりません。ウツギは漢字で「空木」と書き、茎が中空なのでこの字が当てられています。

オミナエシ
秋の七草のひとつに数えられ、小さな黄色い花が集まった房と、枝まで黄色に染まった姿が特徴。『万葉集』の時代にはまだ「女郎花」の字はあてられておらず、「姫押」「姫部志」「佳人部志」などと書かれていました。いずれも美しい女性を想起させるもので、「姫押」は「美人(姫)を圧倒する(押)ほど美しい」意を語源とする説があります。

ケヤキ
ニレ科の落葉高木で、ツキ(槻)とも呼ばれます。幹が太くまっすぐに伸びて、先の方で枝が大きく広がり、成長すると、ほうきを逆さまに立てたような樹形になります。そうした樹形が好まれ、植栽や街路樹にも使われています。

タチバナ
古くから野生していた日本固有の柑橘の常緑小高木。『古事記』『日本書紀』には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。

チガヤ
イネ科の草で、日当たりのよい場所に群生します。細い葉を一面に立て、白い穂を出します。新芽には糖分が豊富に含まれており、昔は食用にされていました。 チガヤの「チ」は千を表し、多く群がって生える様子から、千なる茅(カヤ)の意味で名付けられた名です。

ツゲ
ツゲ科の常緑低木ないし小高木で、主に西日本の暖かい地域に分布しています。材がきめ細かくて加工しやすく、仕上がりもきれいなので、昔から色々な細工物の材木として利用されてきました。垣根や庭木の植栽にもよく使われています。漢字では「柘植」や「黄楊」と書きます。

ナデシコ
ナデシコ科の多年草(一年草も)で、秋の七草の一つで、夏にピンク色の可憐な花を咲かせ、我が子を撫でるように可愛らしい花であるところから「撫子(撫でし子)」の文字が当てられています。数多くの種類があり、ヒメハマナデシコとシナノナデシコは日本固有種です。

フジ
マメ科のつる性落葉低木で、日本の固有種。 4月下旬から5月上旬に長い穂のような花序を垂れ下げて咲き、藤棚が観光・鑑賞用として好まれます。フジの名前の由来には定説はないものの、風が吹く度に花が散るので「吹き散る」の意であるともいわれます。

ヤナギ
ヤナギ科の樹木の総称で、ふつうに指すのは落葉高木のシダレヤナギです。。細長い枝がしなやかに垂れ下がり、春早く芽吹くので、生命力のあるめでたい木とされます。シダレヤナギに「柳」の字を使い、ネコヤナギのように上向かって立つヤナギには「楊」を用いて区別することもあります。

ヤブコウジ
『万葉集』では「山橘」と呼ばれる ヤブコウジは、サクラソウ科の常緑低木。別名「十両」。夏に咲く小さな白い花はまったく目立たないのですが、冬になると真っ赤な実をつけます。この実を食べた鳥によって、種子を遠くまで運んでもらいます。

おもな枕詞(2)

高砂の(たかさごの)
 →待つ・尾の上(へ)
高照らす(たかてらす)
 →日
高光る(たかひかる)
 →日
畳な付く(たたなづく)
 →青垣・柔肌(にきはだ)
畳薦(たたみこも)
 →平群(へぐり)
玉かぎる(たまかぎる)
 →ほのか・夕・日・ただ一目
玉勝間(たまかつま)
 →逢ふ・安倍島山・島熊山
玉葛(たまかづら)
 →長し・絶ゆ・這ふ・筋(すじ)・影・幸(さき)く
魂極る(たまきはる)
 →内・命・世・吾が・心・立ち帰る
玉櫛笥(たまくしげ)
 →明く・覆ふ・奥・輝く・蓋
玉梓(たまづさの)
 →使(つかひ)・妹(いも)
玉桙(たまぼこの)
 →道・里
玉藻刈る(たまもかる)
 →沖・乙女・敏梅(みぬめ)
玉藻なす(たまもなす)
 →寄る・靡く・浮かぶ
垂乳根の(たらちねの)
 →母・親
乳の実の(ちちのみの)
 →父
千早振る(ちはやぶる)
 →神・宇治・伊豆
月草の(つきくさの)
 →うつる・仮・消ぬ
つぎねふや
 →山城
つのさはふ
 →石(いは)
剣太刀(つるぎたち)
 →身に添ふ・とぐ・斎ふ・
飛ぶ鳥の(とぶとりの)
 →明日香・早し
灯火の(ともしびの)
 →明石
夏草の(なつくさの)
 →思ひ萎(しな)ゆ・野鳥・深し・繁し・仮(かり)
弱竹の(なよたけの)
 →世・夜・伏し
鳰鳥の(にほどりの)
 →葛飾・潜(かづ)く・なづさふ
鵼鳥の(ぬえどりの)
 →片恋ひ・心嘆く
ぬばたまの
 →夜・夕べ・今宵・月・夢
旗薄(はたすすき)
 →穂・うら
春草の(はるくさの)
 →しげし・めづらし
久方の(ひさかたの)
 →天・雨・空・月・日・光・昼・雲・雪・岩戸
ひな曇り(ひなくもり)
 →碓氷(うすひ)
真鏡(まそかがみ)
 →見る・研ぐ・面影・床
御食向かふ(みけむかふ)
 →淡路
水茎の(みずくきの)
 →水城(みずき)・岡・流る・跡・行方も知らず
水鳥の(みづどりの)
 →立つ・憂き・鴨・賀茂・青葉
水無瀬川(みなせがは)
 →下
蜷の腸(みなのわた)
 →か黒し
群肝の(むらきもの)
 →心
紫の(むらさきの)
 →匂ふ・色・藤坂・藤井・藤江
群鳥の(むらどりの)
 →立つ・むら立つ・朝立つ
物部の(もののふの)
 →八十(やそ)・宇治川・岩瀬
百敷の(ももしきの)
 →大宮
百足らず(ももたらず)
 →八十(やそ)・五十(い)
百伝ふ(ももつたふ)
 →八十・渡る・津・五十(い)
八雲立つ(やくもたつ)
 →出雲
安見知し(やすみしし)
 →わが大君・わご大君
行く鳥の(ゆくとりの)
 →争ふ・群がる
夕月夜(ゆふづくよ)
 →暁闇(あかときやみ)・小倉・入(い)る
若草の(わかくさの)
 →つま(夫・妻)・新(にひ)・思ひつく
吾妹子に(わぎもこに)
 →逢坂・淡路・淡海・棟(あふち)
海の底(わたのそこ)
 →沖

参考文献

『NHK日めくり万葉集』
 ~講談社
『NHK100分de名著ブックス万葉集』
 ~佐佐木幸綱/NHK出版
『大伴家持』
 ~藤井一二/中公新書
『古代史で楽しむ万葉集』
 ~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』
 ~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』
 ~伊藤博/KADOKAWA
『田辺聖子の万葉散歩』
 ~田辺聖子/中央公論新社
『超訳 万葉集』
 ~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』
 ~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』
 ~小名木善行/徳間書店
『万葉語誌』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉秀歌』
 ~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉集講義』
 ~上野誠/中央公論新社
『万葉集と日本の夜明け』
 ~半藤一利/PHP研究所
『萬葉集に歴史を読む』
 ~森浩一/筑摩書房
『万葉集のこころ 日本語のこころ』
 ~渡部昇一/ワック
『万葉集の詩性』
 ~中西進/KADOKAWA
『万葉集評釈』
 ~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』
 ~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』
 ~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』
 ~品田悦一/講談社
『ものがたりとして読む万葉集』
 ~大嶽洋子/素人舎
『私の万葉集(一~五)』
 ~大岡信/講談社

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