本文へスキップ

『伊勢物語』に見る優しさの表現

 たまに古典を紐解くのもオツなものです。なかで、『伊勢物語』といえば、ご存知、稀代のプレイボーイ在原業平(ありわらのなりひら)の数々の女性遍歴をおもに綴った歌物語です。古(いにしえ)の、奔放で情熱的な男女関係や風雅が感じられて、なかなか興味深いもんです。ただ、読み続けていくうちに「女たらしもいい加減にしろ!」と言いたくなってきます。

 しかし、なかにはとても味わい深いお話もあります。決して女たらしの話ばかりではありません。私が好きなのは、第四十一段。これは、ある二人の”女はらから”、つまり女姉妹、しかも、それぞれ結婚して明暗を分けた物語です。

 一人の女は貧しい男のもとに嫁ぎ、もう一人は高貴な男のもとに嫁ぎました。高貴な男の家には召使が大勢いて、お嫁さんは何もしなくていい。まことに優雅な生活です。ところが、貧しい男の家には召使などいようはずがなく、お嫁さんが何から何までしなくてはなりません。

 そのうち十二月になり、夫が正月に参内するための衣装を調えることになりました。しかし、貧しい男に嫁いだ女は、手づから(自ら)洗い張りをしなくてはなりません。もともと身分の高い家の姉妹でしたから、洗濯の要領を得ません。注意して注意してやっていましたが、緑色をした衣の肩の部分をビリッと破ってしまいました。「ああ、どうしよう」。貧しい家に代わりの衣装などあろうはずもなく、まして正月参内用の衣装。どうすることもできず、女は惨めな思いで泣くしかありませんでした。

 これを聞いた身分の高い男は、自分の妻の姉妹が窮地に陥ったのを切なく思い、緑色の衣装を探し求めて贈ってやろうとしました。しかし、これはそう簡単な話ではありません。いくら姉妹とはいえ、援助される側にもプライドというものがあります。身分差があればなおさらです。贈られて、よけい惨めな思いをするかもしれません。そこで、そのことを気遣った身分の高い男は、こういう歌を添えて贈りました。

 紫の色濃きときはめもはるに 野なる草木ぞ わかれざりける

 すなわち、「紫草の根が色濃いときは、春の野原は見渡す限り緑色で、ほかの草と紫草の区別などつかない」。それと同じで、妻を愛する気持ちと、そのゆかりのある”はらから”を愛する気持ちとを区別することなどできない。だからあなたを助ける。遠慮は無用、と。

『伊勢物語』の恋人たち

 時は平安時代。在原業平(ありわらのなりひら)青年が、幼なじみでずっと想いを寄せていた隣家の紀有常(きのありつね)の娘に、歌を贈りました。その歌とは、

 筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に

 「あなたと会わないでいるうちに、ボクの背丈もずいぶん伸びてきましたよ」というような意味ですね。すぐに「逢いたい」とか「好きです」なんて言わず、かなり婉曲的な表現になっています。これに対して娘が返事をよこしてきたのは、

 くらべこし 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれか上ぐべき

 意味は、「あなたと比べっこをしていた私のおかっぱの髪も、今では肩を過ぎてずっと長くなってしまいました。でも、あなた以外の誰のために私の髪を結い上げて成人のしるしとできましょうか」

 いかがでしょう。幼馴染みで初恋の男の求愛に対し、これほど見事な答えはないのではないでしょうか。奥ゆかしさのなかにも、一途な想いと熱い情感がズコーン!と伝わってきます。しかも何という洗練さ! かの時代の男女のありようのあまりのカッコよさに、舌を巻かざるを得ません。
 

【PR】


目次へ ↑このページの先頭へ

【PR】

「伊勢物語」について

 平安前期に成った歌物語の最初の作品。藤原定家本によれば、全1巻で、125の短い章段からなる。作者は不明で、数十年の歳月をへて複数の作者によって成立したと考えられる。

 多くの章段が「昔、男ありけり」と書き出され、この「男」とは多くは六歌仙の一人・在原業平がモデルとされ、業平の実事と虚構が入り交じっている。業平の和歌が多く採録され、このため、平安時代には「在五(ざいご)が物語」「在五中将の日記」ともよばれたらしい。

 作品の内容は、主人公の元服の段に始まり、男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交など多岐にわたり、その死で終えるという一代記風にまとめられている。

在原業平(825〜880年) 阿保(あぼ)親王の5男で、行平の弟、妻は紀有常(きのありつね)の娘。「古今集」の代表的歌人で、六歌仙の一人。官位には恵まれなかったが、右馬頭、蔵人頭などを歴任。容姿端麗な風流人だったとされる。

【PR】

VAIO STORE

目次へ