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巻第1(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第1-59・60

訓読

59
流(なが)らふる妻(つま)吹く風の寒き夜(よ)に我(わ)が背(せ)の君はひとりか寝(ぬ)らむ
60
宵(よひ)に逢ひて朝(あした)面(おも)無(な)み名張(なばり)にか日(け)長き妹(いも)が廬(いほ)りせりけむ

意味

〈59〉
 絶え間なく風が横なぐりに吹きつける寒い夜、私のあの人は、たった独りで寂しく寝ているのでしょうか。
〈60〉
 宵に共寝をして、翌朝恥ずかしくて会わせる顔がなく、隠(なば)ると言う、その名張で、旅に出て久しい妻は仮の宿をとったことだろうか。

鑑賞

 59は、誉謝女王(よざのおほきみ)の歌。誉謝女王は、『続日本紀』の慶雲3年(706年)6月24日の条に「従四位下で卒」とあるほかは伝未詳。『万葉集』には、この1首のみ。「流らふる」は、雨や雪、花びらなどが空から降って移動していく意。第2句の「妻吹く風の」の原文は「妻吹風之」で、家の切妻の部分に横なぐりに吹く風、または「妻風」として「つむじ風」と解する、あるいは「雪」「妾(われ)」の誤字とする見方などがあって、定まっていません。「我が背の君」は、親しみをもって呼ぶ「我が背」と敬意をもって呼ぶ「君」が合わさった形。「らむ」は、現在推量の助動詞。風の寒い夜、行幸に供奉している夫君を思い、都にいる女王が作った歌とされます。

 60は、
長皇子(ながのみこ)の歌。長皇子は天武天皇の第4皇子で、母は天智天皇の娘の大江皇女。また弓削皇子(ゆげのみこ)の異母兄にあたります。軽皇子(文武天皇)擁立の時、有力な対立候補とされながら、葛野王の発言によって敗れた人です。『万葉集』には5首の短歌が載っています。子女には栗栖王・長田王・智努王・邑知王・智努女王・広瀬女王らがおり、また『小倉百人一首』の歌人の文屋康秀とその子の文屋朝康は、それぞれ5代、6代目の子孫にあたります。

 この歌は、
持統太上天皇の三河行幸に際しての作で、飛鳥の都に留まった長皇子が、旅先の妻を思いやって詠んだ歌です。「逢ひて」は、共寝をして。「面無み」の「無み」は、形容詞「無し」のミ語法で、面目ない、顔が合わせられず恥ずかしい。上2句は、「隠れる」の古語「なばり」を地名の「名張」に続けた同音反復式序詞。「名張」は、現在の三重県名張市で、三河国への順路にあたり、ここを東に越えると伊賀国になります。「日(け)」は、日数。「廬り」は、旅中に泊まる仮小屋。「けむ」は、過去推量の助動詞。この時代、妻が夫を残して旅に出るというのは珍しいことですが、女性である持統天皇の行幸には、やはり多くの女性の従駕が必要だったのでしょう。この歌が詠まれた時の皇子の年齢は37歳くらい、「妹」は、この前の歌(59)で夫の独り寝を案じている誉謝女王(よざのおおきみ)に擬する説があります。それによれば、59の誉謝女王の歌は、女王が旅先で詠んだ歌ということになります。
 

教養としての『万葉集』

 『万葉集』が日本人の一般的教養書目に加わったのは、そんなに古いことではない。千年以上にわたって、三十一文字の和歌は詠みつづけられて来たが、手本とされたのは『古今集』(まれに『新古今集』)であって、『万葉集』ではなかった。歌人や連歌師たちの必読書としては、一口に万葉・古今・伊勢・源氏と教えられたが、そのうち万葉だけは、彼らの精読書ではなかったし、また彼らにとって『万葉集』の世界は一種エキゾチックな感じの伴う遠い異郷であった。

 契沖が『万葉集代匠記』の注釈作業を思い立ったとき、それは人々から忘れ去られていたものを再発見することであった。国学の勃興は『万葉集』の再発見に始まったが、それは人々が『万葉集』の歌を通して、日本の古代生活にもう一度めぐり合い、その豊かな言葉の世界によって生き生きとそのイメージを蘇らせ、記紀その他の古典のリヴァイヴァルを果しえたということなのである。

 だがそれがあまねく日本人の教養となったのは、正岡子規の万葉調短歌の唱導以来、アララギ派の歌人たち、すなわち伊藤佐千夫、島木赤彦、斎藤茂吉らの精力的な啓蒙運動によるところが大きいのである。もちろん彼らは学者ではないし、作歌上の動機にうながされて、繰り返し『万葉集』を精読し、その声調を讃嘆し、作者の心の集中をそこに見出し、「歌を作(な)すほどの人は、誰でも万葉集の心に始終すればいい」(赤彦)とさえ言ったのである。だがそれは、歌を作る者の座右の書となったばかりではなかった。歌も作らないし、歌というものにさして興味を抱いていない人たちにも、『万葉集』は拒みがたい魅力を発揮し、あたかもそこに魂の故郷があるかのようななつかしさを、人々に感じさせたのだ。

~山本憲吉著『万葉秀歌鑑賞』から引用

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。