| 訓読 |
葦(あし)べ行く鴨(かも)の羽(は)がひに霜(しも)降りて寒き夕べは大和し思ほゆ
| 意味 |
葦が生い茂る水面を行く鴨の羽がいに霜が降っている。このような寒い夕暮れは、大和のことがしみじみ思い出される。
| 鑑賞 |
志貴皇子の歌。慶雲3年(706年)に、文武天皇(持統天皇の孫、軽皇子)に随行して、難波離宮へ旅した時に詠んだもの。難波宮は、天武天皇の御代に築かれ、今の大阪市東区法円坂町あたりにあった副都。難波は、古くは仁徳天皇、近くは孝徳天皇の都だった地であり、交通、対外関係において重要であると同時に、禊(みそ)ぎの地として信仰された所でもありました。そのため、天皇の行幸も頻繁に行われました。皇子が訪れた時期は当時の暦で9月末から10月初め、晩秋から初冬にかけてのころにあたります。
「葦辺」は、葦の生い繁っている水辺。難波の多く繁っている葦は、古来有名で、「葦が散る」という難波の枕詞もあります。「羽がひ」は、たたんだ翼が背で交わるところ。「大和し」の「し」は、強意の副助詞。「思ほゆ」は、思われる。供奉した皇子の居所は水辺に近かったとみえ、水辺を泳ぐ鴨の背の寒げに光ってるのを捉えて、旅愁を詠んだ歌です。「鴨の羽がひに霜降りて」は虚構で、実際に葦辺をゆく鴨の姿を捉えたのではなく、いわば沈潜した心の写実だったのかもしれません。声ひとつない冷たい静謐のなかに浮かびあがる旅愁・望郷がうたわれています。
志貴皇子の歌はつねに清冽な気品があり端正とされますが、この歌について斎藤茂吉は次のように評しています。「志貴皇子の御歌は、その他もそうであるが、歌調明快でありながら、感動が常識的粗雑に陥るということがない。この歌でも、鴨の羽交に霜が置くというのは現実の細かい写実といおうよりは、一つの『感』で運んでいるが、その『感』は空漠たるものでなしに、人間の観察が本となっている点に強みがある。そこで、『霜降りて』と断定した表現が利くのである。『葦べ行く』という句にしても稍ぼんやりしたところがあるけれども、それでも全体としての写像はただのぼんやりではない」

『万葉集』の代表的歌人
第1期(~壬申の乱)
磐姫皇后/雄略天皇/舒明天皇/有馬皇子/中大兄皇子(天智天皇)/大海人皇子(天武天皇)/藤原鎌足/鏡王女/額田王
第2期(白鳳時代)
持統天皇/柿本人麻呂/長意吉麻呂/高市黒人/志貴皇子/弓削皇子/大伯皇女/大津皇子/穂積皇子/但馬皇女/石川郎女
第3期(奈良時代初期)
大伴旅人/大伴坂上郎女/山上憶良/山部赤人/笠金村/高橋虫麻呂
第4期(奈良時代中期)
大伴家持/大伴池主/田辺福麻呂/笠郎女/紀郎女/狭野芽娘子/中臣宅守/湯原王
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『万葉集』の時代区分
『万葉集』の全巻を通じて、最も古い歌は仁徳天皇の皇后・磐姫の作と伝えられているもので、最も新しい歌は天平宝字3年の大伴家持の作です。この間ざっと450年もの長い期間にわたりますが、実際は舒明天皇前後から1世紀の間に作られた歌が殆どです。この時代は、政治的には聖徳太子の指導による大陸文化の流入、大化の改新、壬申の乱などの大変動、皇室中心の官僚社会国家の樹立など、わが国の歴史上きわめて重要な時期でもありました。『万葉集』の時代区分にはいくつかの方法がありますが、次の4期に分けるのが普通です。
【第1期】
近江朝以前(壬申の乱・672年)まで
【第2期】
飛鳥・藤原期(平城京遷都・710年)まで
【第3期】
奈良時代前期(天平5年・733年)まで
【第4期】
奈良時代中期(天平宝字3年・759年)まで
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