本文へスキップ

巻第2(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第2-190~193

訓読

190
真木柱(まきばしら)太き心はありしかどこの我(わ)が心 鎮(しづ)めかねつも
191
毛ころもを時かたまけて出(い)でましし宇陀(うだ)の大野(おほの)は思ほえむかも
192
朝日(あさひ)照る佐田(さだ)の岡辺(をかへ)に鳴く鳥の夜哭(よな)きかへらふこの年ころを
193
畑子(はたこ)らが夜昼(よるひる)といはず行く道を我(わ)れはことごと宮道(みやぢ)にぞする

意味

〈190〉
 真木柱のように太く動じない心でいたつもりだが、皇子の御薨去によって打ち砕かれ、今は平静でいられない。
〈191〉
 狩りの季節が来るたびにお出ましになった宇陀の大野は、これからもしきりに思い出されることだろう。
〈192〉
 朝日が照る佐田の岡辺で鳴く鳥のように、夜泣きに明け暮れたものだ、この一年間というものは。
〈193〉
 墓造りの農夫たちが夜昼となく往来する道を、我らはひたすら宮仕えの道にしてきたものだ。

鑑賞

 草壁皇子が薨(こう)じた時、舎人らが捧げた挽歌23首(179~193)のうちの4首です。「舎人」は、宮中の護衛や雑役に従事する下級役人のこと草壁皇子は、天武天皇亡きあと、皇后(のちの持統天皇)が次代の天皇と恃(たの)んだ、ただ一人の皇子でしたが、28歳の若さで世を去ってしまいます。皇子に仕えてきた舎人たちは衝撃と悲しみに沈み、多くの挽歌を残しました。

 
190の「真木柱」は、真木(良質の杉や檜)で作った柱で、柱の中でも中心的で貴重なものであることから「太き」にかかる枕詞。「太き心はありしかど」は、太く動じない心を持っていたけれど。「鎮めかねつも」は、どうしても鎮めることができないことよ。「鎮め」は、平静を保つ。「かね」は、動詞の連用形に付いて、~しがたい・できない意の接尾語。「も」は、詠嘆。

 
191の「毛ころも」は、獣皮でこしらえた衣。衣は解くところから「時」にかかる枕詞。「時かたまけて」は、時期が近づいてくると。ここでは狩りの季節を指します。「宇陀の大野」は、宇陀市大字宇陀にある野。古くから皇族の狩猟地として知られる広大な野原です。「思ほえむ」は、自然と思い出されるだろう。「思ほゆ」は自発(自然と思える)、「む」は推量、「かも」は詠嘆。

 
192の上3句は「夜哭き」を導く譬喩式序詞。「夜哭きかへらふ」の「かへる」は、繰り返し~する。一方、第3句までを序詞ではなく実景と見る説もあり、それだと「夜哭きかはらふ」と訓んで、「朝日が照る佐田の岡辺に鳴く鳥の夜哭きの声も、以前とは変わってきている・・・」のような解釈になります。「この年ころを」は、この年月を。殯宮の間の一年間を指しているとされ、殯宮の奉仕の終わり近い頃に詠んだ歌と見られます。

 
193の「畑子」の原文「八多籠」で、他に例のない語。農夫、ここでは墓造りの人たちの意か。「夜昼といはず」は、夜も昼も区別なく。四六時中。「ことごと」は、ことごとく、全部。「宮道にぞする」の「宮道」は、宮への通い道。「ぞ+連体形」の係り結びで、作者の一途な決意が強調されています。
 


天武天皇以後

686年 天武天皇が崩御
686年 大津皇子の変
689年 草壁皇子が病死
690年 天武天皇の皇后だった鸕野讃良皇女が持統天皇として即位
690年 高市皇子を太政大臣に任命
694年 藤原京に遷都
696年 高市皇子が死去
697年 草壁皇子の遺児、軽皇子が皇太子に
698年 持統天皇が軽皇子に譲位、文武天皇が15歳で即位
702年 持統上皇が崩御
707年 文武天皇が崩御
707年 文武天皇の母、阿倍皇女が元明天皇として即位
710年 平城京に遷都
715年 文武天皇の姉、氷高皇女が元正天皇として即位
724年 文武天皇の皇子、首皇子が聖武天皇として即位

【PR】

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。