| 訓読 |
苦しくも降り来る雨か三輪(みわ)の崎(さき)狭野(さの)の渡りに家もあらなくに
| 意味 |
何と鬱陶しいことに雨が降ってきた。三輪の崎の狭野の渡し場に、雨宿りする家もないことだのに。
| 鑑賞 |
長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が、廷臣として何らかの命を帯びて紀伊へ旅した時の歌とされます。「苦しくも」の「も」と、「降り来る雨か」の「か」は、詠嘆。「三輪の崎」は、和歌山県新宮市の三輪の崎。原文「神之埼」とあり、「神」をミワと読むのは、大和の大神(おおみわ)神社の「神(みわ)」に基づいています。「狭野の渡り」は、新宮市佐野町の新宮港あたり。「渡り」とあるのは、佐野の南に川があるので、そこの渡り(徒渉地)だろうとされます。「あらなくに」の「なく」は、打消しの「な」に「く」を添えて名詞形としたもの。
なお、「家もあらなくに」の解釈は、最近では「家の者もいないのに」とするのが主流になってきています。『万葉集』に登場する「家」と「宿」の比較研究において、「家」を主語として「居り」「恋ふ」「念ふ」「待つ」などの述語を伴う例が多いことから、「家」は人格的に表現された語であり、家人、家庭とほぼ同じ意味であると考えられ、一方、「家」を建造物そのものと解される例も少なからずあるが、もっぱら「宿」が建造物そのものとして捉えられている、と。その考え方に従えば、この歌は、雨に濡れた衣を乾かしてくれる等あれこれ世話をしてくれる妻のことを思い、さらにその妻と遠く離れていることを実感してうたわれたものと解釈されます。
斎藤茂吉はこの歌について、「第2句で『降り来る雨か』と詠嘆して、うったえるような響きを持たせたのにこの歌の中心がある。そして心が順直に表され、無理なく受け容れられるので、古来万葉の秀歌とされた」と述べています。後の藤原定家はこの歌を「本歌取り」し、「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮」という歌を詠んでいます。「本歌取り」というのは、古歌のことばや内容などをそのまま用いることで、古歌が描く世界を自作の歌の背景に採り入れ、二重映しの効果を得る方法で、定家が理論づけ、『新古今集』でもっとも盛んに行われました。しかし、定家のこの歌の本歌取りに対して茂吉は、「意吉麻呂は実地に旅行しているのでこれだけの歌を作り得た。定家の空想的模倣歌などと比較すべき性質のものではない」と手厳しく述べています。
長忌寸意吉麻呂(生没年未詳)は、渡来人の裔(すえ)であり、柿本人麻呂や高市黒人などと同じ時期に宮廷に仕えた下級官吏だったとされます。行幸の際の応詔歌、羇旅歌、また宴席などで会衆の要望にこたえた歌、数種の物の名前を詠み込んだ歌、滑稽な歌など、いずれも短歌の計14首を残しています。

さき(崎・咲き・幸)
サキは、漢字を宛てれば「先」「前」「崎」などさまざまだが、原義としては、あるものが外側の世界に向かって突き出たその先端をいう。外側の世界との接触の場であり、外側の世界の霊威を真っ先に受感する場でもある。
この意味のサキは、「崎」がいちばんわかりやすい。陸地が海に向かって突き出たところが崎である。崎は海の彼方からやって来る異界の霊威が真っ先に依り憑く場所とされた。異界の霊威は神そのものとも考えられたから、崎の突端にはそうした神を祀る社が設けられていることが多い。このような崎は、一般には「み崎(岬)」と呼ばれるが、ミは聖性を示す接頭辞だから、そこが神の支配する領域であることを示す。み崎は、異界の霊威の依り憑く場であるとともに、異界へ向かう場所ともされた。
異界の霊威が依り憑く場所がサキだが、それを動詞化したのが「咲く」である。動詞「咲く」も、崎と同様、語の基底には、神を迎え、神と交わる意がある。この「咲く」は、枝のサキ(先端)に季節の霊威が宿り、その霊威の発動によって花が開くことを意味する。「花」もハナ(端・鼻)であり、サキと同様、ものの先端を意味する。み崎(岬)のように海に突き出た地形を「・・・鼻」と呼ぶ例もある。動物の鼻も、顔の中央から突き出ているからハナと呼ばれる。「花」も植物の先端に「咲く」ものゆえ、ハナと呼ばれた。
花が咲くところには、霊威がしきりに発動している。その霊威の発動している状態、霊威の充ち満ちている状態を、さかり(盛り」といった。この「盛り」と同根と見てよいのが動詞「栄ゆ」である。「咲く」が花に宿る霊威の顕著な発動を意味したように、「栄ゆ」もそこに宿る霊威や生命力が充実した力を発揮して、そのさまが外部に現れ出ている状態を意味する。
「栄ゆ」と同根で、やはり霊威の盛んな発動を意味する言葉にサキハフ(幸はふ)がある。サキハフのサキは「咲き」に重なる。動詞サク(咲く)の連用形名詞だが、この場合は用字としてしばしば「幸」が用いられる。ハフは「延ふ」で、ニギハフ(賑はふ)などのハフと同じく、ある力が周囲に向かって水平的に広がるさまを示す。空間全体に霊威が及んで、満ち足りた状態になることを意味する。
~『万葉語誌』から抜粋引用
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