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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-266

訓読

淡海(あふみ)の海(み)夕浪千鳥(ゆふなみちどり)汝(な)が鳴けば心もしのに古(いにしへ)思ほゆ

意味

近江の湖の夕波に鳴く千鳥よ。おまえが鳴くと、心がしおれてしまいそうなほどにせつなく昔のことがしのばれる。

鑑賞

 柿本人麻呂が、近江の荒れた旧都の近く、琵琶湖辺を訪れた時の歌。巻第1にある「近江荒都歌」(29~31)に繋がるもので、かつて繁栄していた大津の宮への鎮魂になっていますが、同時の作かどうかは不明です。「淡海の海」は、琵琶湖のこと。「夕浪千鳥」は、名詞を積み重ねた作者の造語で、きわめて調子のよいものになっています。「汝」は、親愛の二人称で、男から女に言う場合が多い語ですが、ここは千鳥に呼びかけて言っているもの。「千鳥」は、川原や海岸などの水辺に棲んで、小魚を食べる小鳥の総称。実際のチドリ科のチドリは、小さな愛らしい鳥です。「心もしのに」の「しの」は、萎る、しなえる。「古」は、天智天皇の都があった近江朝時代を指しています。

 文学者の
犬養孝は、この歌を評し、次のように述べています。「目の前には広大茫漠とした淡海の海がある。近景には夕方のさざ波に群れとぶ千鳥がある。もうそれだけでもたえきれない作者の懐古の慕情は、千鳥に呼びかけて、”千鳥よ。おまえがそんなに鳴くと心もしおれるほどにむかしのことが思われてくるよ”とうたっている。『夕浪千鳥』は複雑な景を美しい言葉で簡潔にいいあらわした作者の造語力を語っている。第一句、第二句を名詞でとめて、広大な景から一転して微細な景へと、作者の感動は句ごとにこめられてゆき、あふれるばかりの感懐は、千鳥の声をもわが心の共鳴盤にのせてしまって、内省の底からわきあがる懐古と哀愁のひびきは、字あまりの結句ではじめて完成する趣きである。ぎり千古にひびいている。興亡の歴史に深い理解と同情がなければあらわし得ない律動といえよう」。
 
 この歌は旅の歌のモデルになりうるものであり、
斎藤茂吉は、下掲の歌などは、人麻呂のこの歌を学んだものかもしれない、と指摘しています。

門部王の歌(巻第3-371)
意宇(おう)の海の河原の千鳥(ちどり)汝(な)が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに

沙弥の歌(巻第8-1469)
あしひきの山ほととぎす汝(な)が鳴けば家なる妹(いも)し常に偲はゆ

中臣宅守の歌(巻第15-3785)
ほととぎす間(あひだ)しまし置け汝(な)が鳴けば我(あ)が思ふ心いたもすべなし
 


滋賀県(近江国)について

 いまの志賀県、むかしの近江国にはこの国の総面積の6分の1を占める琵琶湖(当時は、淡海の海、近江の海)がある。大湖をかこんで一国をなしているから、近江から近江の海をきりはなすことはできない。また湖の東西は、鈴鹿を越えて東海道方面へ、不破(ふわ)を越えて東山道方面へ、愛発(あらち)を越えて北陸道方面へと交通の要路であり、この要衝をおさえて湖畔大津に天智天皇の大津宮が経営され、壬申の大乱もこの国を主舞台として展開した。したがって万葉の故地も大阪府についで多く、歌・題詞・左註にわたり総延数約150におよんでいる。

 近江の万葉の故地はおよそ4つのグループにわかれる。一は近江の海で、湖名「あふみのうみ」だけでも15をかぞえる。海のない大和人にとっては、大湖はおどろきであるばかりでなく、湖の特異な風土色はなによりも抒情のたねとなる。二は湖畔大津宮関係のもので、近江万葉故地の中心となっている。古く景行朝の志賀高穴穂(しがのたかあなほ)宮(大津市坂本穴太町)は歴史のかなたで万葉に関係なく、聖武期の紫香楽(しがらき)宮(甲賀郡信楽町)、淳仁・称徳朝の保良(ほら)宮(大津市石山寺付近)のときには万葉の故地をのこしていない。三は湖西・湖北の諸地で水陸ともに交通路上の旅の抒情のあとがつづいている。四の湖東は天智朝のときの遊猟地蒲生野(かまふの)のほかにも栗太郡からいまの米原方面にかけて若干の故地の散在が見られる。

 概して静寂な湖畔だが、北と南では気候風土がずいぶんちがうから、歌もまたそれに応じたちがいを見せている。柿本人麻呂や高市黒人の秀歌も湖畔の風土をはなれたものではない。 

~『万葉の旅・中』犬養孝著/平凡社から引用

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六歌仙

 「六歌仙」とは、日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』(延喜5年:905年)の序文「仮名序(かなじょ)」において掲げられている6人の代表的な歌人のことで、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰法師(きせんほうし)、小野小町(おののこまち)、大友黒主(おおとものくろぬし)の6人を指します。

 ただし、紀貫之の執筆によるこの「仮名序」には、もっと素晴らしい歌人として、柿本人麻呂と山部赤人が挙げられていて、六歌仙の人たちにはそれぞれ欠点があるとして指摘しています。たとえば、遍昭については「歌のさまはえたれどもまことすくなし」、業平については「その心あまりてことばたらず」、康秀については「ことば巧みにてそのさま身におはず」などと、かなり厳しいものです。

 これに対して、「仮名序」では、柿本人麻呂を「歌聖(うたのひじり)」、同じく紀淑望(きのよしもち)が漢文で書いた「真名序(まなじょ)」では、山部赤人を「和歌仙(わかのひじり)」としており、この二人について紀貫之は、「人麿は、赤人が上(かみ)に立たむことかたく、赤人は人麿が下(しも)に立たむことかたくなむありける」と記述しています。つまり、二人の実力は同列であると判断しているのです。

 なお、六歌仙に対して厳しく評価しているものの、それ以外の歌人については、わざわざ名を挙げて批評するに値しないとしているので、結局は六歌仙をそれなりに高く評価しているものです。
 


(紀貫之)

古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。