| 訓読 |
我が背子(せこ)が古家(ふるへ)の里の明日香(あすか)には千鳥(ちどり)鳴くなり妻待ちかねて
| 意味 |
わが友よ、あなたがかつて住んだ古家のある明日香の里には、千鳥が鳴いている。連れ合いが待ち遠しくてならずに。
| 鑑賞 |
694年の藤原京遷都の後に、長屋王(ながやのおおきみ)が、古京の明日香を訪れて詠んだ歌とされます。「我が背子」は、女性が男性を親しみを込めて呼ぶ語ですが、男性同士でも用います。ここでは長屋王の友人を指しているらしく、荒廃した明日香の里を訪れ、その寂しさを報じた歌のようです。「古家」は、以前住んでいた、明日香の浄御原宮付近にあった家。「千鳥」は、川原や海岸などの水辺に棲んで、小魚を食べる小鳥の総称。実際のチドリ科のチドリは、小さな愛らしい鳥です。
なお、「妻待ちかねて」の原文は「嶋待不得而」となっており、「嶋」は「嬬」の誤写であるとする説に従っての上記解釈ですが、「嶋」が正当だとすると、千鳥が「棲みつく島を待ちわびて」のような解釈になります。庭園には山水を掘り、中に島を築くのがふつうでしたから、「島」という語で山斎(庭園)を代表させたものといいます。庭園が荒れ果て、水が枯れてしまっていたのでしょうか。
長屋王は、高市皇子の長男で、天武天皇の孫にあたります。元明・元正天皇に重用され、藤原不比等が没した後に右大臣に、また、聖武天皇が即位すると、正二位左大臣に昇任しましたが、藤原氏が画策した光明子立后に反対して対立。すると、729年に「長屋王が密かに要人を呪詛して国を倒そうと謀っている」との密告がなされ、長屋王は弁明も許されず、家族とともに自害させられました。妃の吉備をはじめ、膳部王・桑田王・葛木王・鉤取王ら幼少の命も絶たれましたが、同じ子ながら、安宿王・黄文王・山背王らは許されました。彼らは不比等の娘、多比等との間にできた子だったからです。

長屋王の略年譜
676年または684年
高市皇子(天武天皇の皇子)の子として誕生。母は御名部皇女(天智天皇の娘)
704年 正四位上
709年 従三位・宮内卿
710年 式部卿
714年 封戸100戸を加増
716年 正三位
718年 大納言(中納言・参議を経ず昇進)
721年 従二位、右大臣。政権のトップへ台頭
724年 聖武天皇の即位に伴い、正二位・左大臣
729年3月16日
長屋王の変。左道(呪詛)の疑いをかけられ、藤原氏(藤原四兄弟)に邸宅を包囲され、正室・吉備内親王、子らと共に自害
【PR】
『万葉集』クイズ
【解答】 1.『遊仙窟』 2.舒明天皇 3.大和三山 4.筑前守 5.吉野 6.第13巻 7.第14巻 8.琴 9.高橋虫麻呂 10.第20巻
|
古典に親しむ
万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。 |