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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-283・305

訓読

283
住吉(すみのえ)の得名津(えなつ)に立ちて見わたせば武庫(むこ)の泊(とま)りゆ出(い)づる船人(ふなびと)
305
かくゆゑに見じといふものを楽浪(ささなみ)の旧(ふる)き都を見せつつもとな

意味

〈283〉
 住吉の得名津に立って見わたすと、武庫の港から漕ぎ出す船人が見える。
〈305〉
 このように切なく思うから目にしたくないと言っていたのに、荒れた旧い都をむやみやたらに見せたりして。

鑑賞

 高市黒人の歌。283の「住吉」は、大阪市住吉区の住吉大社がある辺り。「住吉」は平安時代になってスミヨシと訓むようになりましたが、奈良時代以前はスミノエと訓んでいます。「得名津」は、大阪市住之江区住之江・安立、住吉区墨江一帯。「武庫の泊り」は、大阪湾の海上3里を隔てた武庫川河口の船着き場。難波津を出た船が最初に停泊するところ。「ゆ」は、起点・経由点を示す格助詞。~から。船人が見えるというのは誇張した表現で、船がはっきりと見えるというのをそのように表現しています。本当に人影が見えるかというと、絶対に見えません。

 
305は、題詞に「近江の旧(ふる)き都の歌」とあり、人に誘われて天智天皇の旧都(近江京)に赴き、その荒廃しているのを見て詠んだ、愚痴?の歌です。「かくゆゑに」は、このように。「楽浪」は、大津市北部の琵琶湖岸。「もとな」は、むやみに、わけもなくの意の副詞。「見せつつ」と「もとな」が転置になっていますが、「~つつもとな」で歌を結ぶ例は多見され、慣用句だったようです。なお、左注には「或る本には少弁が作といふ。いまだこの少弁といふ者を審らかにせず」と、作者に異伝があるのを記しています。

 
高市黒人は、柿本人麻呂とほぼ同時代の下級官人。生没年未詳。東国地方に関する歌が多いことから、国庁に仕えていたとみられます。黒人が残している歌はすべて旅の歌であり、しかも彼の歌には、漕ぎ去る舟、飛び去る鳥、落ちていく太陽、散り尽くす落ち葉、荒れ果てた都など、「去る」ものや「消えていく」ものが多く歌われているのが特徴です。『万葉集』には、短歌18首が収められています。
 


大津近江京

 飛鳥時代に天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。天智天皇6年(667年)に飛鳥から近江に遷都した天智天皇は、この宮で正式に即位し、近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行。天皇崩御後に朝廷の指導者となった大友皇子(弘文天皇)は天武天皇元年(672年)の壬申の乱で大海人皇子に敗れたため、5年余りで廃都となった。
 

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。