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巻第3(索引)万葉集(掲載歌の索引)古典に親しむ

『万葉集』巻第3-285・286

訓読

285
栲領巾(たくひれ)の懸(か)けまく欲(ほ)しき妹(いも)が名をこの背(せ)の山に懸(か)けばいかにあらむ
286
よろしなへ我(わ)が背の君(きみ)が負ひ来(き)にしこの背の山を妹(いも)とは呼ばじ

意味

〈285〉
 妻の名を声に出して呼びかけたいものだ。いっそのこと、この背の山に妹(いも)という名を付けたらどうだろう。
〈286〉
 ちょうどよい具合にも我が背の君にふさわしく呼ばれてきた背の山の名を、いまさら妹(いも)山とは呼べません。

鑑賞

 285は、丹比真人笠麻呂(たじひのまひとかさまろ)が紀伊の国に行き、背の山を越えたときに作った歌、286は、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)がすかさず和した歌。丹比真人笠麻呂は、伝未詳。打ち揃っての旅であるところから、行幸の供奉の時の歌ではないかとみられ、笠麻呂が主で、春日蔵首老が従という主従関係であることが分かります。

 
春日蔵首老は、弁記(べんき)という法名の僧だったのが、大宝元年(701年)、朝廷の命により還俗させられ、春日倉首(かすがのくらのおびと)の姓と老の名を賜わったとされる人物です。和銅7年(714年)正月に従五位下。『懐風藻』にも詩1首、『万葉集』には8首の短歌が載っています(「春日歌」「春日蔵歌」と記されている歌を老の作とした場合)。

 
285の「栲領巾の」の「栲領巾」は、楮(こうぞ)などの繊維で織った栲布(たくぬの)で作った領巾(ひれ) 。それを女の肩に懸けたので「懸け」に掛かる枕詞。「懸け」は、口に出して言う意。「まく欲し」は、意志の「む」のク語法に「欲し」がついた形で、後に「まほし」となります。「背の山」は、和歌山県伊都郡かつらぎ町にある山。紀ノ川の北岸にあり、対岸の妹山とともに歌によく歌われています。「懸けば」は、名をつければ。

 
286の「よろしなへ」は、ちょうどよい具合に、ふさわしく。「なへ」は「並べ」で、並ぶ意。「負ひ来にし」は、自らの名として負いもってきた、持ち続けてきた。老は笠麻呂の心を宜いながらも、「私は君の言われんとする妹のことは思いません。君がおられるので十分です」との気持ちを込めて和しています。窪田空穂は、「即座に和(こた)えた歌としては、心のはっきりとした、相応に技巧のある歌というべきである」と評しています。
 


位階制

 古代の官人の位階制は、603年に冠位十二階の制度が定められ、官人に対して冠を与えたのが初めとされます。「冠位」制度はその後数回の変遷を経て、大宝元年(701年)の大宝令および養老2年(718年)の養老令により「位階」制度として整備されました。それにより、一位から八位までの下に初位が置かれ、一~三位は正・従、四~八位は正・従それぞれが上・下、初位は大・少それぞれが上・下に分けられていました。官人たちは、その位階に応じた官職を与えられ(官位相当制)、また、礼服・朝服は位階に応じて色等が定められました。

 官人の昇進は通常「考」と呼ばれる勤務評定によりましたが、軍功や貢物の献上などの功績によって叙位がなされることもありました。また、五位以上の子、三位以上の子および孫は、父祖の位階に応じて一定の位階に叙し任用されました(蔭位:おんい)。他の任用法である国家試験による出身にくらべて初叙の年齢・位階のいずれにおいても優位にあり、上層官人の特権でした。位階制は、そもそもは官職の世襲を排して適材適所の人材登用を進めることを目的とした制度でしたが、この特権があるために当初からその目的は達成困難なものでした。 

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古典に親しむ

万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。