| 訓読 |
287
ここにして家(いへ)やもいづち白雲(しらくも)のたなびく山を越えて来にけり
288
我が命しま幸(さき)くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白波
| 意味 |
〈287〉
ここからだと我が家はどちらの方向になるのだろう。それが分からないほどに、白雲がたなびく山々を越えて、はるばるやって来たものだ。
〈288〉
もし私の命さえ無事であったら、再び見ることもあろう。志賀の大津に寄せるこの白波を。
| 鑑賞 |
287は、題詞に「志賀に幸(いでま)す時に、石上卿(いそのかみのまつへきみ)が作る」とある歌。志賀への行幸は、歌の前後の配列から、文武朝のころかとみられます。石上卿の「卿」は三位以上の者について言いますが、「名は欠けたり」とあり、未詳。「ここにして」は「此処に在りて(ここにいて)」の意で、「ここ」は、志賀。「家」は、大和の我が家。「やも」は、疑問の「や」と詠嘆の「も」。「いづち」は、どの方向だろうか。原文「何處」で「イヅク」とも訓めますが、イヅクは場所についての不定称、イヅチは方角についての不定称であり、ここの解釈は、どこにあるのかと捜すのではなく、どの方向だろうかと解するのが相応しいと見ています。「白雲」は、同音の「知らず」を掛詞的に用いたもの。「越えて来にけり」の「けり」は、気づき・詠嘆の助動詞。
288は、穂積朝臣老(ほづみのあそみのおゆ)の歌。穂積朝臣老は、和銅2年(709年)に従五位下、養老2年(718年)に正五位上。養老6年(722年)1月に元正天皇を名指しで非難した罪で斬刑の判決を受けたものの、首皇子(聖武天皇)の奏上により死一等を降され、佐渡に配流された人で、後に恩赦によって位が旧に復されています。この歌は、配流された折に詠んだとされます。巻第13-3240~3241にも、同じ時に詠んだ長・短歌が載っています。
「我が命し」の「し」は、強意の副助詞。「ま幸くあらば」の「ま」は接頭語、「幸く」は無事であること。無事であるならば、健やかであるならば、の意。「またも見む」の「む」は意志の助動詞で、もう一度見よう、再び目にしたいものだ。「志賀の大津」は、滋賀県大津市。天智天皇の大津宮があった所で、唐崎から瀬田川の近くまでを指します。「寄する白波」は、岸に打ち寄せる白波。なお、左注に「右は、今案ふるに、幸行の年月を審(つまび)らかにせず」とあり、巻第3の編集者は、この前にある歌(287)と同じ近江行幸の折のものと解し、ただいつの行幸か不明と言っています。従駕の折の歌と見れば、風光明媚な琵琶湖の景を賞美しながら、立ち去らざるを得ず、命があれば再度見たいといったような解釈になります。果たして従駕の折の歌でしょうか。

『続日本紀』に記されている流刑地
近流(こんる)
越前(福井県)・安芸(広島県)
中流(ちゅうる)
信濃(長野県)・伊予(愛媛県)
遠流(おんる)
伊豆(静岡県)・安房(千葉県)・常陸(茨城県)・佐渡(新潟県)・隠岐(島根県)・土佐(高知県)
日本の律令は唐の律令をまねたものですが、流刑地については、唐は本人の居住地からの距離を基準に定めているのに対し、日本の場合は都からの距離によって定められていました。穂積朝臣老の佐渡配流は、遠流に当たります。
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